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- 剣道の極意=人生の極意 - 西村雅興 [2007年4月25日(水)]



剣道の極意=人生の極意
西村雅興
2007年4月25日(水)
北畠中納言具教(とものり)
上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)


信綱が言った
「新陰流には構えに常形なく、太刀に定勢なし。
水夫、風をみて帆を動かし、鷹、脱兎をみて己を放つが如く、あえて構えに頼らず。
これを『無形の位』と称して当流の真体にしております。」

「心刀身を相手の懸かりに隋して円転する自在の球、当流の極意『転(まぼろし)』となります。」

「兵法の極めは、間合いというものを持たぬところにあるかもしれませぬ。
あるいは、太刀さえも持たぬことかも」・・・(これが『無刀』へと行き着く。)
【最近、西村はつくづくそう思えてきた。】

愛洲移香斎に『陰流』を学び、陰流に奇妙を見いだし、諸流を合わせ『新陰流』とした。
    ・・・これが柳生において『柳生新陰流』へとなっていき、尾張柳生で正統を継ぐ。
新陰流に『活人剣』がある・・・これは相手を活かす、働かせて、相手を動かして勝ちを取る。
               相手を生かすことではない、相手の心『陰』を動かすことである。

移香斎は最後に言った
「『陰流』の極めは、己の陰を斬ることだ。」・・・これが難しい。
原田源次先生は言った
「『打つ前に死ぬ』 『手は勝手にうごくはなあ!足はそうはいかない。』・・・これが難しい。
『柳生新陰流』に『捧身』がある、自分の身を捧げて、相手の心を誘い出す。
打つ前に死んでいなければ、とても出来ない。

これは剣道を越えて・・・生きていく為の人生の極意・・・真理・心法である。
この心を具現化したのが剣道の極意の動きとなる。
この覚悟は竹刀を振っていて出来ることではない。
人生の修羅場で死を覚悟して決断することによって自然に身に付く。
人生を命がけで必死に生きてこそ、その決断を迫られることに出合う。
この心の変化が、即ちその人の剣道の進化である。
剣道は心の成長に応じて進化する。
決して竹刀を振って猛稽古したからといって身に付くもではない。
葛藤を乗り越えて行く過程で進化するのだ。

上泉伊勢守信綱は齢56歳。
晩年の始まりを迎え、士官を捨てた。
真の剣とは、何か。
その問いを胸に、ただ兵法に殉ずる道を選んだ。

待中懸・・・懸かりを秘めて真の待
       攻めを緩め誘い出して来るところを打つ・・・緩める先
       引いての引き出し
 懸中待・・・懸かりの中で待つ
       体か刀かで攻めは入り、相手が反応したところを打つ。・・・懸かりの先
       押しての引き出し



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