究極の極意
『剣道は自己催眠と他者催眠に極まれり。』
相手の無意識を動かし、理合い(人間の生理的反応)の世界へ導く。 自分の無意識を信じ(生命保持の反射)に命を任せる。 露の位に身を任せ、滴(しずく)が落ちる瞬間を勇気を持って決断する。 それは相手の白刃の下に身を捧げる『捧身』の勇気である。 その後の相手の反応に『石火』(反射)の打ちが出る。 これが『神妙剣・無想剣』である。』 この打ちは相手を負かすためのものではなく、とっさに身を守る反射の結果、動的動きで身にしみ込ませた形・竹刀の操作が無意識に出るのである。
西村は他者催眠、通常の催眠から覚醒催眠まで研究してきて、かなり出来る。 難しいのは自己催眠である。 これが出来れば『自己実現』は簡単である。 このための研修は修業の様なかたちで阿修羅のごとくやってきた。 何度も死を意識して乗り越えて来た。 その意味でこの勇気がある。
『相手の陰を動かし、自分の陰を切る。』陰流の極意の究極は『己を捨てる』ある。 『打つ前に死ぬ』この勇気に尽きる。 手は勝手に動くはなあ!足はそうは行かない。 打つ前に捨てる・死ぬ勇気の決断である。
六段〜八段位になると、打ち切る、捨てきって打つ・死ぬ気で打つは出来る。 しかし、その前に『打つ前に死ぬ』最初の捨て所がほとんどの人が出来ない。 それは自分が可愛いからである。 今回、京都大会でほとんど見ることは出来なかった。 唯一熊本の亀井先生と稽古をされた大阪の先生の入り身(捨て入った捧身)の先に見た。 あの亀井さんが動かされていた! 亀井さん自身もそれを認めていた。 京都大会で強く印象に残った一つである。 岡田さんからこの先生の人物像を聞いたとき、さもありなんと思った。
この『打つ前に死ぬ』・・・は剣道では身に付かないような気がする。 人生の生き様の結果このレベルの悟り・覚悟に達したとき、それが剣道に生かされる様な気がする。
西村がお米屋さんに言った。 「貴方の厳しいお米屋さんの経営状態を、あらゆる努力をして30%売り上げを向上させれば、この努力と工夫がそのまま剣道に反映され、30%剣道の腕前は上達する。 それは間違いない。』 これが西村の考える剣道です。
|
|