千代田火曜稽古1/29
久々に竹刀を持つ。 先日、原田源次先生の面打ちを見て感じる所があった。 さらに、剣道日本のDVDで佐藤博信先生の手の内を見た。 演者はもうすぐ八段かと思うほどの人ですが、如何せん佐藤先生の手の内が見事だった。 結局、手の内は胴体力、身体の武術的運用の結果としてそれが手元で決まるのだ。 足をトンと着くとき、手の内が同時に決まる。 このトンと着く足腰脇の絞まりが大切なのだ。
感心したのは竹刀を当てに行かずに、当たった瞬間、竹刀の先に体重が乗ってることだ。 打たれた方は参った思う。 叩かれたら、やられたと思い、失敗したと思う。 しかし、ピッシと打たれると参った!と思う。
両範士の手の内を見て思った。 パッと打つ!これなのだと。 緩んでいた手元が一瞬に絞まり、竹刀をほとんど振りかぶることなく打っている。
今日はこれを頭に置いて稽古をした。 面の相打ちでも簡単に入る。 相手の起りをパッと打つ・・・面白いように入った。 そのコツは・・・手元も軽く竹刀を持ち、カゲロウのようにユラユラと揺れ、、竹刀の先も陽炎のようにユラユラとしている。 相手からしてみれば得体がしれないと感じるであろう。 この得体のしれないユルユルした物が、一瞬に竹刀に化ける。 あえて言えば、妖術のような感じだ。 このような感覚で打ってみた。 竹刀の先は打ちたい所へ飛んで行った。 今までに無い感覚の鋭さで竹刀が動いた。 極限に緩めれば、極限の瞬息の動きを起す。
いまだかって味わったことのない稽古が出来た。 ここまで書いて思い出した。 山梨の望月先生の小手はこんな感じの打ちだったような気がする。 この手の内を胴体力の発揮された形で表現すれば、両範士の手の内に近づく!
陽炎(かげろう)剣法の発見。 西村はいよいよ剣豪小説から脱皮して、剣劇小説のように砕けた世界に入ってきた。
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