剣道の稽古を見て思う事!
千代田の道場で稽古を見てつくづく思う! 一生懸命下手になる努力をしている人が多い。 三挙動の面打ちは小学生が初期に習う動きだ。 その次は二挙動の動きを習う。 さて一拍の拍子で打つ・・・ここに行き着かない人が多い。
五段ぐらいの人で一生懸命素振りをしている人がいる。 先ず腕で竹刀を頭上に振りかぶり、そこから一歩足を出しながら竹刀を振り下ろしている。 うん!うん!とうなずきながら悦に入っている。 それを一生懸命にやっている。 この人はどういう訳か西村とは一回も稽古をしない。 避けているというよりは西村がいないも同然なのだ・・・不可思議? どうやら西村が指導をしているのを見ていて、自分は教わらない人、指導を受けない人・・・・これが潜在意識にあるようだ。 その為、無意識に避けているんだと思うのだ。 永遠に六段は受からないだろう。 それは一拍子の打ちの方向の素振りを、打ちをしていないのだ。
剣道は一歩前に出て打つ! 大きな体が前進するエネルギーを軽い竹刀の先にスピードとして表現し、脇と手の内の絞まりで強さに変えるものなのだ。 この人は竹刀を振り上げ振り下ろす動作が二拍子になっているから、早く当てようとするとそれを避けて差し面になってしまう。 手元だけが前に出て腰が残ってみっともない面打になってしまう。
剣道家の基本的傾向として、唯我独尊の傾向が強い。 武運・良き指導者との出会いが無いと一人で暗闇の世界を迷い続ける。 教わらなくても、お手本を捜し真似をする、研究、工夫があれば何とかなるがこの闇から抜け出すのは難しい。 剣道は一本の竹刀を両手で動かす事の迷路があるからだ。
二挙動から一拍子への脱却は、かかり稽古で身に付く。 それもフラフラになり息が上がりどうしょうも無くなった時、無意識がその動きを良しとして手に入れる。
高校時代インターハイ・国体の常連校はこの段階で過酷な位の稽古にて身に付く。 それと、力の無い小学生時代に良き指導者に出会うと、苦労なく身に付く。
問題は大人になって腕力が出来てから竹刀を振ると竹刀の軽さが災いして身に付かない。 強制的な懸かり稽古を腰が抜けるほど練習する事も無い。 この人に真剣を持たすと、しっかりと足腰から始動する。 竹刀の軽さが竹刀の先のみを面に乗せる動きになってしまう。 手元と竹刀が体から早く離れ、手打ちの面になってしまう。 それでも稽古量が多いと五段くらいにはやっとこなれる。 しかし、六段には剣道的身体動作が身に付かないと難しい。
前に書いた杉山さんは、足から体を出し攻めは入り、相手の色が見えた瞬間に面を打つ!これだけで六段に受かった。 あるMさんは、足からスーッと攻めは入り、相手を起して打つことに開眼した途端、七段に受かった。 ほかに当て合の上手な人達が落ちても、この二人はその段に要求される面打ちを審査でやって見せた。
ある六段のSさん。 西村と稽古をしても拍子をつけて打つ、右手のヒジが外に出て振りかぶる。 この人を打ち取るのは至極簡単なことなのだ。 いくら指導をしても直らないのだ。 面打ちだけ見ていると剣道の素人同然なのだ。 せいぜい4段くらいも無いだろうと思われる。 ある時、若手の180センチ位の打ちの早い七段の警察官との稽古を見た。 何と位で負けていなのだ。 相手の起りを打つ時は見事だった。 若手の強い早い七段がタジタジなのだ。 しかし、自分から面を打つ時は右手が決定的にまずいのだ。 要は咄嗟に打つと理にかなった動きをしている。 しかし、自分の勝手で打とうとすると右手の屈筋を使ってしまう。 打とうとした瞬間、上腕二頭筋・肩の三角筋のこの二つが瞬時に動いてしまうのだ。
そこで稽古指導の時、次の様に言った。 ・私が打とうとする時、肩を一瞬引く為に小胸を出す。 これが相手が打とうとする時の予備動作なのだ。 この瞬間・・・取ったりと思い面を打つ。・・・・・このように指導をした。 何と見事な面を打ってくるのだ! 咄嗟に出た面は屈筋を使っていないのだ。 ・さらに言った。 あの面の時、右足を20センチ前に足を出す様に。 何と腰の入った見事な面を打った。
ここからが発見! 彼は肚がある上に、感性が高いのだ。 稽古をしている内に、小胸を出そうと思った瞬間に面に跳んでくる。 この一瞬を掴む感性が高いのに驚いた! 何度打たせても右手のヒジの悪い動きは出ないのだ!
・今度は打つ前に少し体を沈める!この予備動作でも稽古をした。 見事な面を打った。 体の沈みかけに面に跳んでくる。 ・原田先生の『相手の攻めの鼻を打て!』・・・その通りが出来るのだ。 ・この人はこの稽古さえすれば間もなく七段だ!
剣道は自ら打ちに行くものでは無い。 相手が参りました(無意識が思い)と打たれにくるところを打つ。 相手は攻めたつもりが負けに入ったと気がついていない。 相手の心の変化を予備動作の起りで仕留める。 腕が上がればここへ誘導する。
本当に指導のしがいがあった! このように西村が指導した人は実力上に早く六段・七段に受かってしまうのだ。 このようなチャンスを手に入れないと数倍以上遅れを取るのだ。 江戸時代剣術家は武芸者と呼ばれた。 芸事は教わり真似ることが一番の早道なのだ。
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