青木君の面は西村が知る千代田の誰よりも立派な面打ちでした。 しかし、西村に面を打たれる! どうしてかと、西村も考えた! そして判った! 竹刀の振りかぶりに肩が上がるのだ! スポーツ的な観念から強く打とうと肩の力を使おうとする。 しかし、刃物を使えば強く打つ必要が無い。 間髪を入れない、石火の機の鋭い、一瞬の動きこそが大切なのだ。
原田先生流の面打ちは肩が一切上がっていない。 最近の牧野さんの面も鋭く、竹刀が真っすぐ飛び出してくる。 青木君の面は肩で竹刀を引き上げていた! 今日の稽古の成果は最高でしょう! しかし、多くの人には足腰の運用を教えるので精一杯です。 青木君だからこそ肩の話に行き着いた。
以下は或るホームページに掲載されていた文です。 実際の小説は読んだ事がありますが、西村は当時はその真の意味が判っていなかった。 津本陽の小説に次の様なくだりがある。 寺田五右衛門が白井亨に言った。 『とうとう寺田が言い出した。 「肩の力を抜けとどれほど言い聞かせても入るようだ。 さようなことでは上達がおぼつかん。」 「どうすればようございましょうか。」 「うむ、思い切って肩を砕くか、そうすれば力は衰えようが、手にとらわれるよりはよかろう。」 白井は肩を砕いてもらった。』 白井亨程の天才剣士でも、肩の力を抜く施術を受けた。 さらに禅の修業をして内観の法により無心の境地を学び、四年後寺田から免許皆伝を得たという。 肩の力を抜くことがいかに難しいかが判る。
昔は指導力が不足していて剣豪と言えども、その能力の伝達に苦労をしたようだ。 それで肩を砕いた。 西村は足を20センチ前に余計に出せと言った。 すると、その途端に皆様が肩の力の抜けた見事な面打ちに変った。 足に意識が行き、竹刀を持った手、肩から意識が消えたのだ。 手は勝手に咄嗟に反射的に打ったのだ。 竹刀を持っている事を忘れたのだ。
西村は竹刀を持って剣道をしているが、竹刀を持っている意識がほとんどない。 竹刀を振り上げようとは露程も思っていない。 ただ、手の平で拝むように胸を絞り込みながら前に出ると、竹刀は必要な分だけ押し上げられている。 体の前進の体幹の筋肉の作用で手は勝手に動いている。 引き上げの筋肉は一切使っていない。
稽古の後、青木君が西村の肩を触り、肩が全く上がらないのに竹刀がスムーズに動いているのを知り驚嘆した。 武術的身体動作がこれなのだ。 甲野先生の井桁崩し、原田先生の攻めっぱなしの面もこれなのだ。 支点、力点がどこにも感じられない、サーッと動く! 竹刀操作もこのうちの一つなのだ。
世の中の剣道家が一生かけて無駄な動きにとらわれているのをみると、滑稽さを感じる西村です。 原田先生流の動きの中に最高のお手本があるのだ。 良いものを見て、観て、感じて自分との違いを修正すれば道は早く開くのだ。
武蔵が言っている。 「刀は振りよきように振るべし。」
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