無刀の位、自分の陰を斬る、打つ前に捨てる!
名人、達人が相手と対峙する時、短い木刀、鉄扇、薪木等で応じる事が多い。 相手は真剣である。 名人が薪木や短い木刀、鉄扇で向かうと激怒する。 本気でないとないと怒るのだ! 剣豪小説を読んだり、色んな書物を読むと名人は短い得物で対峙している。
中倉清先生がが合気道創始者、植芝盛平の養子であったとき、羽賀準一先生が木刀で素手の植芝に挑んだがいとも簡単に負けてしまった。
無刀の位に達すると得物は関係ないのだ。 むしろ片手で軽く扱え、身体動作が半身を使える方が数倍速く動けて、対応が楽なのだ。 相手の手首を打ったり、頭をぴしゃりと打つには薪、や鉄扇くらいが手頃なのだ。 両手で刀を持てばそれだけで身体動作が規制される。 片手半身を遣えば驚くべき素早さで対応が出来る。 井桁崩しの原理を知れば簡単な事なのだ。
さて、この無刀の位の話を紐解いてみよう!
新陰流の祖・上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)が若きとき、 陰流の祖・愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)の最後の教えがこれであった。
移香斎は指南の最後にこう言った。 「陰流の極めは、己を斬ることや。 難題やなあ。 斬れるか? 斬れまい。 暫く俺が若の陰を映しとるから、己の陰を斬る方法を考えてみなはれ。」
これを悟り信綱は、後年『新陰流』を起す。 後年、信綱が柳生但馬守宗厳に『無刀』を課題を与え、柳生を去った。 『生きて真剣の先に見る無刀の境地』である。
宗厳はこの課題を見事に果たした。 信綱は柳生但馬守宗厳に新陰流の印可与えた。 信綱59歳、宗厳38歳、永禄9年のことだった。 その後、柳生但馬守宗厳はさらに改良を加え『柳生新陰流』を起した。 武術としては孫の柳生兵庫之助けに伝わり、尾張柳生となって引き継がれる。 兵法としては政治の世界で、将軍指南の役割から大目付となって江戸柳生に引き継がれる。
この、途中に兵庫之助と同時代の宮本武蔵は『柄を離す』と説いている。
己を捨てきり、相手に対峙し、七三の極意で相手を呼び込み、七分に相手の伸びた所を三分の動きで切落す。 この己を捨てきった時、もはや刀は不要となり、相手の起りの際に身を捨てて相手の白刃の下に入り、相手の刀の柄頭を左手で下から掬い上げて、右手を相手の柄中を取って、半身に体を引くと相手の身体は前に空転する。 こうなると無刀の世界です。
羽賀淳一が当時養子であった中倉清に連れられていって、植芝先生に見事にこのようにやられている。 この無刀は植芝先生のビデオでも拝見できる。
コツは長い得物を持った者が己の間合いの有利を無意識が思い込み、刀を振りかぶる瞬間、相手は間合いの不利を知った無意識が瞬時に吸い込まれるように相手の懐に入り込む。 要は自分を空しゅう(むなしゅう)して、意識と入りみの確かさで決まる技である。
これはスポーツチャンバラで60センチ棒とナイフの試合でも同じである。
この原理がしゅう猴(手の短い猿)の身の原理も同じ。
結局は無想、夢想、神妙、の様に身体が勝手に反射動作で無意識に理に適った動きの結果出来ることです。 心のウエイトが大きいから難しい技です。
『蛇と蛙 蛇の前に蛙が一匹いる。 蛇は蛙が動く瞬間に、その動きを見定めて飛びかかる。 蛙が動かない前に飛びかかると、蛙はその攻撃を避けて逃げてしまう。 蛙は動かなければ蛇は飛びかからない。』
相手に勝とうとすれば、気持に濁りがあらわれ、とっさの判断が狂う。 太刀打ちは、あくまでも相手の動きをみて、攻防の拍子を的確につかんだ物でなければ効果がない。 相手に打たれず、先に打とうとどれだけ早業をくりだしてみても、理にかなった一撃に叶うことはなかった。・・・・・柳生兵庫助
北畠中納言具教(とものり) 上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)
信綱が言った 「新陰流には構えに常形なく、太刀に定勢なし。 水夫、風をみて帆を動かし、鷹、脱兎をみて己を放つが如く、あえて構えに頼らず。 これを『無形の位』と称して当流の真体にしております。」
「心刀身を相手の懸かりに隋して円転する自在の球、当流の極意『転(まぼろし)』となります。」
「兵法の極めは、間合いというものを持たぬところにあるかもしれませぬ。 あるいは、太刀さえも持たぬことかも」・・・(これが『無刀』へと行き着く。)
最後は山岡鉄舟の無刀の位に行き着く。
【最近、西村はつくづくそう思えてきた。】
結局、無手勝流が一番強いがそこへの道のりは遠くて長い。
「貯蓄十両、儲け百両、見切り千両、無慾万両」と云う言葉がありますが、基本的に同じ事です。
人生も剣道も同じです・・・これだと人生訓になってしまうので・・・
両手で刀を持つ身体動作よりも、片手で短い得物を持った方が数倍身体を素早く動かせ、相手に自由に対応が出来る。 丹田を中心に(井桁、長方形の対角線の交点、それが平面でなく三次元的な中心 の丹田を中心に体が伸びる)体が動く。 両手で刀を持つと体の捻れの運用が妨げられる。 捻れを使えが大きく体は素早く動く!
名人は伊達(だて)に短い得物で対応した訳ではないのだ! 無刀の心境に達すれば、むしろこの方が好都合なのだ!
皆様!御一考の程を・・・。
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