西村は会長に道場でナイフの使い方を教わったことがある。 ナイフの刺し方は下げた手を振り子の様に下から押し上げるだけである。 (胸から真っ直ぐ前に突くと方向が定まらない。) 腕に自信の有る西村だが、得物の長さはハンディーを感じて身体中に一瞬緊張が走る。これは60センチの小太刀をもって槍と対峙した時と同じ感覚が起きた。 頭でなく、身体が間合いの不利を感じているのだ!
ナイフで相手に対峙する時は相手の打の的を最小限にする為の身を屈め身をすくめる。身体は不利を覚悟で対峙しているから感性は最高度に達しているのを感じる。 心は覚悟をしているから静かだが、身体はアドレナリン全開なのだ。
相手が打とうと振りかぶろうとする瞬間に、手元が開きかけて腹から胸の気の圧力が抜けた所に身体が吸い込まれる感じで振り子の手が伸びた。 その瞬間は自分でも驚く様な、絶妙の入り身だった。 いつで出たかさえ判らない、神速の動きと言える。 今思えば【不動智】の身を護る本能、叡智、智が働いた瞬間なのだ。
今度は得物を持ち替えて対峙した。 結果は非常に似ていた。
当時、何とも不可解な不思議な感じがした。 どうしてこんなことが起きるのだろうと首を傾げたものだ。
自分なりの結論はこうだ。 得物により間合いが有利だと、得物で処理をしょうとする。 振りかぶり振り下ろすの小太刀の動きをする。 得物有利と思う慢心が得物中心の攻撃の動きをして、身体の動きを疎かにする。 有利を確信している自分は、自分から相手の頭を打ちに行く。 (いわゆる剣道でいう『先に打って出た方が負けの大原則』に反するのだ。) (打とうと無意識が思た瞬間、それは身体の微妙な予備動作で正体がばれている。) 得物、間合いが不利と覚悟をし、あえてそれに対峙しているは死を覚悟したに等しい。 いわゆる自分を空しゅうして相手に対峙している訳だ。 間合いの不利を何とか補おうとする智が働き、打をよける、早く刺すとの意識より、間合いの不利を克服する無意識の動きが働く。 そして、相手の心が動き予備動作が始まる瞬間をとらえて体を滑り込ませる。 手は勝手に下から押上、ナイフは相手の腹か胸に刺さるということになる。
結論は長い方は意識で動き、短い方は無意識で動いている・・・これに尽きる。
西村はこのとき考えた・・振りかぶりの動作そのものが遅れを取るのだと。 先に振りかぶることが負けにつながると考えた。
そこで、自分の得物が小太刀で相手がナイフの場合、如何に相手に先に刺しに来させるかを考えた、更に振りかぶり打つ動作を捨て、手首で扇打で相手の横面を打つ、相手が出して来たナイフをやや後方に間をきり小手を打つことにした。 このとき自分から打って出て行かないから、やや前足に体の重さを乗せ、瞬時に後退出来る体制をとった。 ときに、相手の感性を逆手に取り、フェイントをかけ引き出した。
これをやると得物、間合いの有利が如実に出て100%勝ちを納めれる様になった。 しかし、自分から面を打ちに行くと相当ヤバイ結果になった。
今の西村には剣道ではこのように活かされている。 相手と十分に同調したあと、相手に面を差し出し、相手に面を打つようにしむける。 いわゆる捧身の位(身を捧げる)を取ると、相手は思わず面を打とうとする。 相手の振り上げに身体は吸い込まれ、左手の上がり鼻の小手を打つ。 同じ様に面返し胴を打つ。
この時、手に得物が無いと覚悟をすると【抜き胴】になる。 原田先生の抜き胴は絶妙で誰も真似が出来ない。 あるとき気がついた。 原田先生は竹刀を持っている意識が薄いのだと。 時に竹刀を活かし、時に体の捌きのみで対応している。 この体の捌きのみでの対応はまさに無刀の位の対応である。
【ロゴ検索で 抜き胴 を検索して十分にお読み下さい。】
【無刀の位】は自分を空しゅうして相手に対峙する、打つ前に捨てる心境の位である。 どうやら剣術から柔術的対応の秘術であると思う。
昔、中倉清先生が合気道の開祖・植芝先生の養子になったことがある。 植芝先生は自分の跡を継ぐのは彼しかいないと見込んだと聞く。 その頃、剣道界で奇才と言われた羽賀準一先生が無刀取りを聞いて、そんな馬鹿なことは無いと言って乗り込んだが、見事に転がされ木刀を取られてしまった。 こんな逸話が有る。 中倉先生の抜群の強さの中には合気道を修行した経験が生かされていると思う。 植芝先生は精神的に出口出口王仁三郎に師事したと聞く。 中倉先生をして、植芝先生の域に達せないと思い養子縁組を解消したと聞く。
サイトから拾った記事を参考に載せる。 無刀取り(むとうどり) 無刀取りとは映画やテレビでやるように両手で相手の太刀をはさみこんで、もぎ取るようなやり方ではない。「とる」ということは柔道で一本とるというように「勝つ」ということで無刀で勝つことである。 これは柳生石斎の創始にかかるものであるが、その子宋矩は次のようにいっている。 一、無刀取りとは必ずしも相手の刀を取らねばならぬことではなく、自分が無刀の折に相手を制する技である。 二、相手を恐れず敵の間合いのに入り「切られて取る」覚悟がコツである。 「たんだ踏みこめ神妙の剣」というのが柳生流の秘剣中の秘剣といわれているが無刀取りはその精神の極致を発露したものである。
「無刀取り」は、無刀の位とも呼ばれる柳生新陰流の極意のひとつです。
あいにく、滅多に公開されるものではないので、実際に柳生新陰流宗家の無刀取りを観たことはありませんが、NHK大河ドラマの中で二度ほど観たことがあります。一回目は、「春の坂道」の萬屋錦之助さんが演じる柳生宗矩の、二度目は「武蔵」の藤田まことさんが演じる柳生石舟斎の殺陣です。
お二人とも、右足を前に、大きく足を開いた姿勢で背中を丸め両手をだらりと下げるという身構えから、じりじりと相手に接近し、こらえきれずに相手が正面に斬り込んでくる拍子の裏をとって懐に入り、その刀を取り上げるというもので、合気道の入り身に似た動きでした。
これが、どれだけ本当の無刀取りを模したものなのかは分かりませんが、柳生新陰流21世柳生延春氏と親交のあった作家、津本陽氏の「柳生兵庫助」には、背中を丸めて両手をだらりと下げた身構えを「一円」の構えとして、上記と同じ理合いの無刀取りが描写されていますから、かなり正確に柳生家による武術指導があったのではないかと思います。
ただ、江戸柳生の流祖である柳生宗矩の「兵法家伝書」によると、無刀取りは、必ずしも刀をとる必要はなく、相手を制すればよいこと、そして相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います。』 『相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います』 西村の反論 やっぱり本当にそれをなし得ることだと思う。 羽賀先生に植芝先生は簡単にやってのけたのだから。
武蔵の『柄を離す』の心境も間合いと入り身と体の捌きで相手に対峙することで、その根本は自分を空しゅうして相手に対峙する心境である。
相手の無意識が打つと心が少し動いたとき、自ら斬られに入ると相手は打つしか無い。 相手の無意識が動き、有意識が打つと決める間にはかなりのタイムラグが有る。 このタイムラグの間に相手の懐へスルリと吸い込まれる様に入り、相手の柄を持っと、相手の前進の力を利用して投げるのだ。 【相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る】 西村の剣道では実際、ほとんどがこの動きで捌いて取っている。 西村の実際は次を見ればその片鱗が見えると思う。 相手は若手の錬士六段の県を代表して全国大会に出場するレベルの女性です。 しかし、西村の先(足の先)により申し合わせ稽古の様に銅を打たれている。 西村の動きはゆったりとした動きです。 YouTube の 2011京都大会 朝稽古 を見て下さい。
無刀の位、無刀の境地は死ぬも生きるも超越した境地なのだ。 吾と天地が一体になった時、相手が自分に害を及ぼそうとした時、身体が勝手にそれに対応している。
あるとき、京都の朝稽古で賀来先生に稽古をお願いした。 自分が思えば先生に伝わっていることは知っている。 そこで、植芝先生の宇宙の中に溶け込む、天地自然と合一化を目指した。 賀来せんせいの前に竹刀を持って立っているが、先生を見ている訳ではない。 ただ宇宙の気を頭から取り入れ足から地に返しその循環を意識した。 前にいる賀来先生の存在すら意識が無い状態になった。 その時、賀来先生が打って来た小手を摺上げ面を打っていた。 面を打った瞬間に吾に帰ったのだ。 いつも出来る訳ではないが、西村は時々出来る。 賀来先生が後から言った。 「西村は隙だらけだ!」あれほどの先生でもその時の西村を隙だらけだと思い小手を打つと、西村の『智』に見事に摺上げられ面を打たれたのだ。 これは師匠との稽古で息を吐き続け目の前がくらっと暗くなった瞬間、先生の面を見事に打っていた経験が有る。 これと同じだ。
山岡荘八先生の柳生石船斎の本の一節を書いておく。 『人間は、人間を作った天地自然と合一化した時に、一つの不思議を顕現し得る力を持ている・・・』 いわゆる神妙剣の極意なのだ。
この状態に意識が変成したとき、信じられない動きが出来るのだ。
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