剣道の強さは何で決まるか? 剣道の目指す物は?
原田先生は歯科の注射の血管収縮剤に過敏に反応されます。 鍼灸の針処置にも過敏くらいに反応されます。 指を使ったオーリングテストでも素晴らしく過敏くらい反応されます。 さて、京都大会での原田先生の好敵手の賀来先生はどうか? まさしく原田先生と同じ感性でオーリングテストで反応されます。 日本を代表する剣道家はどちらもその感受性が非常に高いです。
対人競技の剣道の場合、心が読まれればその時点で勝負ありです。 心が動けばその瞬間に身体は反応し、かすかながら色として出てしまいます。 有意識が動けば明らかですが、本人が意識しない無意識のレベルの心の動きもかすかながら色として出ます。 我々がこのレベルの先生と竹刀を持って対峙すれば、無意識レベルの心まで見透かされていると言う事です。 心の奥まで丸裸で対峙しているから、歯が立つわけがないのです。 基本的に対人競技ではこの感性の鋭さこそが優劣を決めるものであることは間違い有りません。 皆様もご存知の様に、稽古をしなくても試合に強い奴は試合に強い。 西村は高校、大学と主将を勤めました。 選手選定には苦慮したものです。 試合に勝つ為には、練習に来なくても勝負に強い人を選ぶしかなかったのでです。 一方、感性が高く素早く上達する人は、往々に剣道にあきてしまいます。 特に指導者の感性が低い場合その傾向が強く出ます。 先生の感性が高いと、弟子は先生のレベルを追っかけてさらに勝負に強くなります。
では指導力を問うとどうでしょう。 原田先生が言われました。 「ある先生は強くはなかった。しかし、褒め上手、打たせ上手で指導力を発揮した。」 この先生に教わった弟子は相対的に全員が上達した。 さて、この人達の中から、全国レベルの選手を育てるには、全国レベルで選手として活躍した指導者につくに限ると思うのだがどう思われますか。 このレベルになると先ず基礎として、そのレベルの感性を持っている事が重要なのだ。その上に指導者に恵まれ、必死で努力する事で花が開く。 結局は自分に合った指導者に出会う事が肝要です。
あの先生は剣道は強いが、弟子を殺してしまう・・・・そんな先生も多くいます。 しかし、警察官の様なプロを目指す集団ではそのような先生に鍛え抜かれることが良いかもしれません。 特練(剣道特別練習生)ではふるい落としの世界です。
原田先生が凄いところは先生が赴任した高校は3年経てば県下で三位に上って来るところです。 先生本人も強いが指導力も凄いところです。 先生の強さと人柄の良さ、人徳がなせるわざでしょう。
さて、原田先生のレベルの高さは弟子の素質の高さによって決まります。 西村が岩手の先生方を見渡しても、原田流の剣道が見当たらないのです。 不思議な現象です。 そこで、西村はその事を原田先生に聞きました。 すると、即座に言われました。 『明石はやった!』と。 という事は、明石先生(全日本三位二回)以外はやっていないと言う事です。 結局、明石先生以外は原田流をしなかったことになります。 西村は40年、原田先生の追っかけをしてきました。 長い間、形は判るがその奥の心が見えなかった。 岩崎先生の『原田語録』『西村が先生を新宿に送る車中の先生のつぶやき』 そこを一心不乱に咀嚼をしていくと、先生の心の奥が見えてきました。 そこで、原田先生の剣道教本ビデオ等を見ると先生が手に取る様に見えてきました。 西村の原田流の剣道に心が宿ってきました。 その結果、その心で先生と対峙すると『参った!』の一言を頂いた面が入りました。 約35年の年月がかかりました。 結局判った事はシンプルです。 『打つ前に死ぬ』・・・でした。 打つ前に死んで、自分の『智』に任せる。 自分を信頼しきれるか?の問いを、動く禅問答をしていることになります。
最近、田伐さんの入り身に、原田流の薫りを感じるのは本当に嬉しいです。 『大剣院瑞教椏ア居士』の中に薫りがあります。 原田先生死して、その弟子に薫りを残している。 西村は微力ながらその任を引き継いでいきたいと思っています。
さて、こんな話をしていると、雲の上の話になってしまいます。 剣道には段位制があり、皆様必死で仕事以上に打ち込んでいる人もいます。 剣道と人生、家庭と仕事、親子関係、夫婦関係・・・色んなところで軋轢が起きてきます。 この軋轢を人生の試練と捉え、より成長を目指せば、勝負の世界はかすんでしまいます。 剣道によって道を求む・・・これが剣道でしょう。
西村は原田先生に出会い、剣道によって道と命が開けました。 剣術を目指すより、剣道を目指しましょう。
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