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- 賀来先生特集????? - 西村雅興 [2014年12月28日(日)]
年の暮れのプレゼント-1 賀来先生特集 - 西村雅興 [2014年12月29日(月)]
Re:年の暮れのプレゼント-1 賀来先生特集 - 岡田 [2014年12月30日(火)]
年の暮れプレゼント-2 - 年の暮れプレゼント-2 [2014年12月30日(火)]



年の暮れプレゼント-2
年の暮れプレゼント-2
2014年12月30日(火)
賀来先生特集-2に入る前に


無想剣・神妙剣
・・・頭の意識を抜いた内なる神、内なる無意識の世界に武術の真髄があるからだ。
これは、内田樹(つたる)先生の本から引用した過去記事を参照・
心が動かないことを『不動心』と云う。
原田源次先生が西村にお前なら判るだろうと言って『不動智』なる厚手布に染め抜いたものを頂いた。
その数年前に先生から話を聞いた。
「不動心ではダメだ、不動智でなければならない。
心を丹田に納めるだけではなく、肚の底でころころ自由に転がして置く必要がある。
その赤い心の球が智として(叡知)働くから、いかなる時にも素早く対応ができる。」
この対応が人間の叡知の反射なのだ。

原田源次先生「手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!」
原田源次先生の手は条件反射の世界にあり、体の捌きも条件反射だからあの抜き胴が出来る。
原田源次先生「剣道は読みと反射だ!」と言われている。
武道はこの反射の世界で相手に対応するのだ。
しかし、この反射を妨げる物は脳が決めた強い指令系統なのだ。
その為この反射を最大限に生かすには、心を無にする必要がある。

小川先生
息を吐き続け踵に落とす、さらに踵から膝に戻すんだよ!
このころには、息ができないから失神寸前で自分も相手の存在を忘れている。
ここへ相手が打ってくる(危害を加えようとする)、体の防御機構が勝手に働く。

打ってやろうとすると、脳が指令を発し無意識レベルで予備動作を起す。
そして、無意識の決定後しばらくして有意識が面を打つことを決断する。
ここにタイムラグがあることを皆様は御存知ない。
無意識の決定は体を通して相手にサインを出してしまった事になる。
高段者になると、相手のサインを読む能力が高い。
無意識レベルで打とうと思った時、既に相手は知っているから簡単に取られる。
だから、打ちに行くと云う事は斬られに行くことなのだ。
『古来より、剣道は先に打ち出した方が負けと決まっている。』黒田鉄山談
ではどうすれば良いか?

高校時代
大将戦だった。
時間いっぱいだった、気がつけば自分に旗が上がって勝っていた。
どうなったのか全く判らない。
後で聞くと、見事な抜き胴だったと聞く。
自分には全く覚えがなかった。
西村コメント
当時、私は面一本で、小手も胴も試合で打った事は全く無かった。
しかし、抜き胴を打っていた!

原田源次先生
・見事に先生に面入った。
 しかし、打とうと云う意識は全くなかった。
 気がついたら面を打っていた。
・先生と合気になり、ただひたすら息を吐き続けた。
 意識が無くなりそうになった時、気がつけば先生に面が入っていた。
(原田源次先生に意識をもって面を打てたことは一度もない。)
西村コメント
前回、原田先生にお会いした時、先生が小川忠太郎先生から聞いた話を実戦した。
蹲踞から立って、只ひたすらゆっくりと息を吐いた、足の踵から息を吐いた。
ここからヒザに戻すんだよな!と閃いたところから、何も判らなくなってしまった。
失神寸前の状態だったんだろう。
自分が消えてしまった状態だったんだ!

賀来先生
ひたすら意識を宇宙と一体感になるだけに集中した。
ただ、ボーッと立っている状態だった。
気がつけば、先生得意の小手を摺り上げ面入っていた。
後で、賀来先生が言った
「お前は隙だらけだ!」
先生の前にただ立っていたら、先生が小手に危害を加えに来た。
先生が隙だと思ったのは西村が無になっていたからだ。
そこへ先生の勝手の都合で小手を打ちにきた。
それを無意識(叡知・内なる神)が防いだだけなのだ。
後は形として身に付いた動きが摺り上げ面を打っていた。
西村コメント
何をやってもダメならば、自分は先生の前に立っているが、宇宙と一体化し、自分を宇宙に溶け込ましてみようとそう思って、静かに息を吐き、唯突っ立っていただけだ。
前に賀来先生がいることすら忘れている状態だった。
賀来先生が言う様に隙だらけに違いない。
攻めも、打つ気も、守る気もない。
只木偶の坊(デクノボウ)の様に立っているだけなのだから。
しかし、先生の小手を摺上げに見事に面を打っていた。
・・・打ったのではなく、気がつけば打っていた・・・なのだ!
参考
新陰流の祖・上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)が若きとき、
陰流の祖・愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)の最後の教えがこれであった。

移香斎は指南の最後にこう言った。
「陰流の極めは、己を斬ることや。
難題やなあ。
斬れるか?
斬れまい。
暫く俺が若の陰を映しとるから、己の陰を斬る方法を考えてみなはれ。」

2008/8/10
岡田さん、今日は賀来先生と盛岡でお話しをする機会が有りました。
「いつも三重の岡田がお世話になっています。」と話したら、最初は八段の岡田先生が頭に出てきた様でした。
「前よりチョット下がったなあ!」と言われました。
七段の岡田の話ですと言うと、賀来先生が言った。
「ああそうか、あいつはもう八段に受かっても良さそうなのだが!」と言われました。
今日お伝えしたい事は賀来先生がこう言いました。
「送ってくれる30分間、質問をしょらん。色々聞けば教えたい事が有るのだが、いっこうに聞かないんだよ!時間が有るから聞けば良いのに。」
西村
「そうですね!いつも禅問答の様な話らしいですね。」
賀来先生
「何でも聞けばいいんだよ。」・・・との事でした。
次回稽古の帰りには具体的な質問をされてはどうでしょうか。
先生も御歳ですから、後何回質問のチャンスがあるかしれません。

最近の西村の剣道を話しました。
君には範士ぐらいとの稽古が面白いだろう。
もうそのぐらの腕になっている。
歯科医師の先生方も腕前をあげて来ている、その辺りの剣道を伝えて欲しい。
あなたの仕事だよと言われました。
以前の先生との稽古で上達を認められた様です。
八段を取らない事に御叱りを受けましたが・・・いずれその時が来るのを自然に待ちます。

西村コメント
『七段の岡田の話ですと言うと、賀来先生が言った。
「ああそうか、あいつはもう八段に受かっても良さそうなのだが!」と言われました。』
賀来先生のお墨付きがあります、自信を持って受験して下さい。
2008/8/21
全日本選手権の記念大会で中倉清先生が日本を代表する選手と稽古を披露した。
中倉先生には全く歯が立たないのだ。
ビデオで中倉先生と当時大阪府警の首席師範との稽古を観た。
圧倒的に中倉先生の優位な稽古だった。
このことを佐藤博信先生に聞いた事がある。
現役の大阪府警の主席師範が何故手も足もでないのですか?
それは力が相当差があるからなあ!
今の西村には十分理解が出来るが、当時そのことが疑問であった。
西村の剣道の理解レベルがその程度であったと言う事だ。

京都の朝稽古で石原忠美先生と西川先生の稽古の様子を見た。
申し合わせの稽古をしている様に、西川先生の竹刀が全く石原先生に触れる事すらできないのだ。
稽古終了の太鼓がドンドンと鳴ったとき、石原先生は西川先生のの竹刀の先をポンと軽く打ちそのまま面に伸びて見事に打たれた。
先生との稽古から帰る途中の西川先生に、「打てないねえ!」と西村が言うと、
少しぐらい触れてもいいのに・・・と西川先生は言った。

古川先生が全く動く事すら出来ずに、賀来先生に大きなゆったりとした面を打たれた。それも3本もだ。
賀来先生が言った。
「西村がビデオで撮っている。
あいつは一本では信用しよらんから、三本打っておいた。」

西川先生、古川先生、若手剣士の日本を代表する先生方だ。
しかし、稽古ではこの通りなのだ。

2009/5/7
今回の京都ではある会で奈良の賀来先生のお話を聞くことができました、それはだいぶ違う剣道でした。

関根さんの剣道は一般的な剣道の上達とは違った形で伸びています!
肚が出来ている!と感じる剣道です。
相手の攻めに動じない肚があるので、西村もなかなか崩せません。
武道館で関根さんの剣道を時々見ていますが、剣技は元立の八段の方が上ですが、
肚の出来具合は関根さんの方がズーッと上です。
今回の稽古でも崩せない関根さんに西村も苦労をし、結局は攻めでは崩せませんでした。
西村の体を餌に釣り出すと心が動いた様です。
右に行くのは右手が強いか、体を捨てきっていないか、どちらかはわかりませんが検証をしてみて下さい。
関根さんの昔を知っている西村から見ると今は雲泥の差を感じます。
ある年齢になると剣技や体を鍛えるより肚を鍛える方が上達する様な気がします。

賀来先生の話の要約を聞かせて下さい。
お願いします。

なんか褒めて頂いて有難うございます。
肚のことは西村先生に一番教えていただいたことだと思います。
ただ、相手をただ舐めているような事にならないよう気を付けていきたいと思います。
賀来先生のお話は、霊とか宇宙の話から始まり中村天風の門をたたき8段審査に合格したこととか、剣道教士小関数政の九重の位、神武は殺さずを解説されました、内容は、腰骨を一つにすると自然ムの一穴に気治まりとか、緒家にては腹を張り気海丹田へ気を治むるなどと云う伝へあれど腹を張らんとすれば息迫り呼吸続ずして修行なり難し、とかのお話でした。
此の話は西村先生の考え方と同じではないでしょうか。

そうですか!
賀来先生も中村天風の教えで受かったのですか。

中村天風先生の面白い読み物があります。
結核を治したのは結局は心の変化だったのです。
インドでの瞑想で気がつかれました。
その経緯が本になっています。
護国寺に行けば天風先生の肉声のテープも手に入ります。
腹の底から響く先生の声に、西村の苦しい時は随分と励まされました。
皆様もこの方面へ意識を持って剣道に励まれることをおお勧めいたします。
剣道が本当におもしろくなるのは『心法』に興味を持った時からです。
西村の剣道観をお読みください。

西村コメント
天風先生の肉声のテープは心底心に響くものでした。
西村はこのテープを何度も聴いて(車の運転をするたびに流して聞いていました)
感謝しています。

2009/5/14
佐藤先生:賀来先生
これは見物でした!
先ず一番見て欲しいのは・・・・
佐藤先生のスーッとゆっくり足から入り込む攻め入りです。
さすがに賀来先生手元が上がった。
賀来先生のお返しの、全く逆の場面もありました。
これも見事です!
佐藤先生が下からスーッと攻め入り面を見せ、賀来先生が動いた瞬間面を打つ。
相手の懐深くスーッと攻め入りながら、引き金は相手に引かす我慢、不動智が働くに任せる。
そのときスッと面を打つか、すりあげて面を打つかは自分で決めない!
相手に随がって打つ!
究極の技が見えます。
これは西村が書いた剣道観そのものの教本の様な立ち会いでした。
賀来先生がこのように打たれたのを初めて見たし、佐藤先生が同じ様なお返しを打たれたのも初めて見ました。

剣道というよりは、体を捨てて相手の心を観る!の実演でした。

これがまさに『無刀の位』の立ち会いです。

全剣連合同稽古会6/9

武道館に着く。
駐車場に入れる前に佐藤博信範師に出会った。
西村、車越しに先生に言った。
「先生!賀来先生との京都の立ち会いは良かったですね!
先生の本に書かれている通りの動きでしたね!
触刃の間からもう一つ入る!ですね。
さすがの賀来先生の手元も浮きましたね!
その後の面も同じですね!
しかし、賀来先生もさるもの、同じ手で先生を攻め小手を取りましたね。
剣道の醍醐味・真髄はここですね。
ここで自分を捨ててサーッと入る。
先生の本の通りでした。」
佐藤範師が言った。

追加
あれ!佐藤範師の顔が無い。
道場の右手の壁に座って稽古の様子を眺めていた。
少し顔がむくんでいたせいなのかと心配した。
帰り道場を出たところで先生に会った。
君にあったあと、少しめまいがしたので稽古を控えたそうだ。
先生が言った。
「原田先生の稽古ぶりをじっくり見たよ!
全く無駄な動きが無いよ!
見事だよ!」
車中、原田先生が言った。
「森島先生と話をしていた。
『合わせるのが上手いね!』と褒められた。
剣道は合わせるしかないものなあ!」

そういえば、福岡高校での初稽古の時、原田先生の次に元に立たれていた先生に、西村が言われた。
「あなたは合わせるのが上手いね!」
弟子は師匠に似た剣風になるのだろうと、ふーっと思った。
剣道は結局、合わせるしかない。・・・原田先生
触刃の間合いからスッと体を入れながら、相手の動きに合わせて打つ、ここしかないのだ。
『触刃の間合いからスッと体を入れる。』高段者の剣道(佐藤博信著)
結局は打つ前に死ぬ!
後は『智』に任せる!
剣道も人生も『極意』ここに尽きる!・・・・と西村は思うのだ。

武道館での稽古を見ても、意地の張り合い、打ち合い、叩き合い、フェンシング様剣道のオンパレードだ。
2005/5/24
最近の西村の剣道観
・攻めて、緩めて誘って(身を捧げる『捧身』)相手に随って勝。
・相手の誘いに乗ってあげて、身を捧げる『捧身』にて体に任せる。
・活人剣、無刀の位です。
三橋先生曰く
剣道は『読みと反射だ!』
【読み】
西野悟郎先生、静岡の井上先生両先生共に・・・
先生が面を見せて西村を誘う。
西村はそのお誘いに進んで体を出して面を打たんとする。
しかし、左手はしっかり懸中待、先生は面を来るものと信じて小手を打ってくる。
大先生といえども、小手に来ると分かっていればそれを捌くのは訳が無い。
軽く摺上げて面をいただくこと三本。
信じられないと思われるでしょうが・・・これが『読み』です。
相手の誘いに乗る勇気・『捧身』が必要です。

野正先生
先生の剣先を裏から体を入れんと身を捨てて押す。
先生はこれを強く押さえ込みに懸かる。
『浮木』の原理で、ヒョイッと剣先を返してゆっくり、しっかりと出かけていた体をさらにお大きく入れて大きな面を打つと見事に入る。
打たれた先生は大喜びで褒めてくれた。
これは賀来先生と野正先生との立ち会いで、賀来先生が出された技.
賀来先生
「攻めたら、あいつさがりよった、逃げた相手は打てんわなあ!
そこで、あいつの性格を知っている。
裏から押し上げて攻めようとした、案の定強く押し返して来た。
気が強いからなあ!そこでヒョイッと剣先をかわして面だよ!」
西村「今度東京で野正先生に試してみます。」と賀来先生に言った。
虎の巻持参で野正先生と対峙した。

2009/8/22
『睡中抓痒処(すいちゅうそうようしょ)』
眠っている時でも手は勝手に痒いところを掻いたり抓ること。
意識が無くても身体は勝手に必要な事をしている。

ズーッと昔の話であるが、試合はそっちのけで賀来先生の話を半日聞いた事がある。
その話の中で「足が痒いのに頭を掻くやつは居ないわなあ!」との話を聞いた事がある。
「意識が無くても身体は勝手に必要な事をするもんだよ。」と説明をいただいた。
『睡中抓痒処』は伊藤一刀斉の伝えた言葉である。

『手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!』原田先生の言葉だ。

要は手の動きは自分の意識を超えた、内なる何らかの力が適切に対処している(これを反射と取るか、智と取るか、無想の動きとるか、神妙とるか、原始的防御機構、本能と取るかは自由である。頭の意識が作用していない一瞬の適切なる絶妙なる判断をして手を動かしている(体を動かしている)事を認識出来れば、剣道からの人間の探求も終わりに近づき、剣道もこれを知る事から、新たな人生への道を開く事が出来る。

さて、一刀斉がまだ弥五郎と名乗っていた時の事だ。
『天下一の剣』伊藤一刀斉(著 小島英記)の小説の一節を書き抜く。
本を買って是非お読みください。

『愛欲の地獄にこの数ヶ月はあったのだ。
いつか二人は、ドロドロした眠りのなかにいた。
そのとき、彼は顔に痒みを感じて、手で掻いた。
秋の迷い蚊に刺されたのである。
その瞬間、弥五郎は飛び起きた。
「これだ!」
「何なの!」
祐美が呆気にとられて見ていた。
天啓というべきだろう。
体が痒ければ、睡眠中の無意識の内にも、おのずと手は患部を掻いている。
そのように自然に剣も遣えばいい。』

この天啓が降りたあと、師の鐘捲(かねまき)自斉と対峙したとき。
自斉は呆れかえった。
「フーム、突然、お前には狐でもついたか?」そう呟いた。
「いえ、そうではありません。
ただ、先生が打とうとされると、それが私の心に映ります。
ただ、それに応じるだけです。
人間は頭が痒いと自然に手が頭に行くものです。
それと同じ事です。
この妙とは心の妙であって、先生から教えられるものではありません。」
弥五郎はすらすらと答えた。
彼は後に『睡中抓痒処』と伝えている。
無意識の行為は、激しい修行の果てに、ふいに現れたのである。
自斉の驚愕と感動こそ大きかった。
「でかしたぞ、弥五郎。
それは当流(中条流)に云う無相剣、すなわち形なくして万剣に通じる心、わしとて未だかってつかめぬ境地じゃ。
確かにお前は、わしを追い抜いた。」  』

どうです!面白いでしょう!  最近の西村の書いている事が剣豪小説の一節に上手に書かれています。
・・・・読んでみましょう。

賀来先生との最後の稽古
前回は西村の小手面が決まりお褒めを頂いていた。
今回は先生と稽古をしている相手が、合図により引き出され捌かれていた。
西村の番になった時、先生はやはり面を打てとばかりに合図をされる。
西村はこのお誘いに乗って上げる。
先生は来たかとばかりに、対応しょうと左手を動かす。
西村の無意識はそれを見て適切に対応して、上がりかけた小手を打ち面に伸びる。
ゆっくりと申し合わせ稽古、形稽古の様に決まる。
周りで見ている人からすれば不思議な光景だ。

重複しますが重要な項目です。
無刀の位、無刀の境地は死ぬも生きるも超越した境地なのだ。
吾と天地が一体になった時、相手が自分に害を及ぼそうとした時、身体が勝手にそれに対応している。

あるとき、京都の朝稽古で賀来先生に稽古をお願いした。
自分が思えば先生に伝わっていることは知っている。
そこで、植芝先生の宇宙の中に溶け込む、天地自然と合一化を目指した。
賀来せんせいの前に竹刀を持って立っているが、先生を見ている訳ではない。
ただ宇宙の気を頭から取り入れ足から地に返しその循環を意識した。
前にいる賀来先生の存在すら意識が無い状態になった。
その時、賀来先生が打って来た小手を摺上げ面を打っていた。
面を打った瞬間に吾に帰ったのだ。
いつも出来る訳ではないが、西村は時々出来る。
賀来先生が後から言った。
「西村は隙だらけだ!」あれほどの先生でもその時の西村を隙だらけだと思い小手を打つと、西村の『智』に見事に摺上げられ面を打たれたのだ。
これは師匠との稽古で息を吐き続け目の前がくらっと暗くなった瞬間、先生の面を見事に打っていた経験が有る。
これと同じだ。

山岡荘八先生の柳生石船斎の本の一節を書いておく。
『人間は、人間を作った天地自然と合一化した時に、一つの不思議を顕現し得る力を持ている・・・』
いわゆる神妙剣の極意なのだ。

この状態に意識が変成したとき、信じられない動きが出来るのだ。

  特集終わり 
  追伸  
  書いてある事は既に秘伝書、剣道教本に載っています。西村は自分を通してそれが身に付い  て来た過程を書いています。
  これが参考になって先生方の更なる成長に役立てれば幸いです。



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