名誉ある八段選抜大会の決勝戦。 相手の面をかわし、見事に面を打った。 しかし、攻めて打ち込んだ相手の面の横に外れたメンを取った。 自分は外しそして見事な面を取ったが、相手に旗が挙った。 このとき、自分は面を外し見事に面を切った思いのある選手は、エ!と我が身を疑った。その時の落胆の心境は竹刀の先を思わず床に落とした。 この選手の心境がもろに伺われる。 このとき審判員の判定を唯々諾々として受け入れるのが剣道だとされている。 今やテニス、相撲、野球にもチャレンジの制度が設けられている。 スポーツチャンバラにも同様の制度があり、コート主任がそれをジャッジしている。 最高の剣道の試合の時にミスジャッジで勝敗がひっくり返るのは残念だ。 日本の風土や文化の中では通っても、文化、価値観の異なる人との試合では、客観的な方法を取らざるを得ないのではないかと思う。 フェンシングで電気的審判をはずしたら、競技は成り立たないと思う。 西洋騎士道の武道も客観的方法を取り入れている。
西村が『エ!』と思った様に同じく思った人も多い。 この判定に百花繚乱の意見がある。 その意見そのものがその人の剣道観なのだ。
攻め込んで、体を捨てて、打切ったが惜しくも面の横をかすった。 見るところから見れば入ったと感じ旗を揚げるのは判る。 しかし、見える方の審判はどうなのだろう?無しと旗を横に振る勇気が無かったのだろうか? いや!果敢に攻めた方を良しとするのだろうか?そうすると打突部位を外れたとき一本にしても良いのだろうか? 審判員の先生方の剣道観が主観に入って来て判定に影響する。
剣道本来の趣旨から行くとどうでも良い事なのだが、現実に競技となると話は変わって来る。
世界選手権の韓国の選手が竹刀を横から打った小手はしっかり当たっていた。 小手打の基本からは遠く離れた打ち方だが、相手が竹刀をあの様に小手や面を庇うと、ああしか打ち様がない。 しかし、旗は揚がらずその後の面に旗が挙った。 世界選手権の日本代表選手のあの防御法は頂けない。 それを知って横から小手を打った選手を評価したい。
高校生の試合慣れした選手が使う防御法なのだが、いわゆる心ある剣道家は苦々しく思っている。 これは古くから非難されている防御法だが、全日本選手権でも多用されている。 このような場合、逆胴を打っても審判員が旗を揚げるのをためらう。 要はど、うしても負けたくないならば、形振り構わずこの防御に徹すれば良い。
かって、相手が竹刀を右横腹から竹刀を構え、完全に小手を隠している相手がいた。 西村は相手が面に打とうとするところを見事に左小手を切った。 審判員は一瞬、キョトンとして旗を挙げ無かった。 西村が誰も考えない事をしたからだ。 私はこの小手はありと思うのだがどうだろうか?
京都のサブ道場で大学生が上段で構えた。 面を打ったとき右手で胴を防いだ。 西村はその腕の上を思いっきり切った、胴を切ったら相手の腕があるから腕ごと胴に切った感じなのだ。 相手はそれに懲りずに何本も同じ事をして、西村は何本も腕越しに胴を切った。 おそらく右手は腫れあがった事だろう。 ちなみにスポーツチュアンバラでは庇い手は0,5本の減点になり、二度目同じ事をして庇うと次は一本に判定される。
上段に対して突きは喉の部位だが、胸突きも判定部位に加えた方が良いと思う。
あれやこれやと書いたが、単一民族の世界で常識の剣道観が世界に認められるだろうか?
テニスで玉の落ちた位置をチャレンジでビデオ判定している。 相撲でもビデオ判定している。 大金の賞金がかかっていると微妙なものは、このような方法が必要だ。 野球のファールもビデオでポールの外か内かを判定している。 ファールとホームランでは大きな違いだ!
剣道もあるレベルの試合になると、決勝戦くらいは客観的補助的手段を設ける必要があると思う。
柔道の篠原が決勝戦で相手を透かして勝ったと思ったら、審判員の未熟さで判定が逆に上がってってしまった。 競技である勝負事は判定をアヤフヤにせず、はっきりさせる方法を取り入れるべきだと思う。
ともかく試合の判定は難しい! その競技が伸びるかどうかはこの判定の客観性、透明性にかかっている。
審判をする場合は本当に大変な役割を仰せつかったと思う事なのだ。
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