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- 佐藤先生の本から再度学ぶ - 西村雅興 [2016年1月5日(火)]
剣道修行の真の目的は自分を信じ切る自分になる事です。 - 西村雅興 [2016年1月9日(土)]



剣道修行の真の目的は自分を信じ切る自分になる事です。
西村雅興
2016年1月9日(土)
  佐藤先生の本の攻めの抜粋です。
『待つのではなく、もう一つ破るつもりでグッと入って行く。
面を打たれるかもしれない。
突きを喰らうかもしれない。
そういうすべてを覚悟して入って行くのです。
この攻めは、例えるなら水が激しく落下する滝です。
止めようにも止められません。
何とも抗し難い圧力の連続といえます。』

『色々考え、小手を封じるしかない。
剣先を少し下げて、抉(えぐ)る様に攻め入って行きました。
剣を下げて拳を攻めて行ったのです。
小手を嫌がる人は必ず剣先で隠そうとします。
剣先は中心を外れわずかに開きます。
その瞬間を逃さず面に飛び込みました。』


六七段の先生になると、その通りと頷けると思います。
西村は剣度の修行はもう一つ奥があ有る事を知って欲しいのです。
増田眞助先生の攻めと緩めです。
これは教われば出来る様ですが『心』の問題を解決しないと出来ません。
稽古をいくらしても自分が可愛いと自ら刃の下には入れません。
佐藤先生程の明治村で4回優勝した先生でも、苦しくなって反応したところを取った。・・・殺人剣・・・です。

原田先生は相手に、「打つなら打ってください!」とぜんしんします。
これが『打つ前に死ぬ!』の表現。
師匠も勝負師でしたから殺人剣と活人剣の中間です。

柳生流の極意は
・相手が打って来たところを打つ。
・相手が打って来なければ、隙を見せて打って来るところをとる。
必ず相手を引き出して、相手が何をするかをもお極めて取ってます。

山岡鉄州は蓋を取ってみないと、中身は分らない。
先ず蓋を取る、先を懸けて相手の正体を確認して取る。

この先の取り方に『増田眞助先生の攻めと緩めです』の妙味を味わってください。

相手を苦しくして打ち出さすのではなく、自分の体をエサにしてヒョイと無意識を動かすのです。
高段者になると皆様攻めに対して、十分に耐える心は鍛えてあります。
しかし、無意識がエサにヒョイッと釣られないほど鍛えてはいません。
何しろ無意識が勝手に反応するわけですから、これを止める手だては無いのです。
「刃の下にスッと身を捧げる『捧身』・・・柳生流の秘伝です。
これは人生観がこの境地にならないとなかなか出来ません。

十分勝てる相手を遣って試してください。
下位に十分出来る様になったら、上位の先生にやってみてください。
なかなか難しいですが、出来た時は自分の『心』を褒めてやってください。
ただし、打つところを決めて入ってはいけません。
無心に打たれに入るのです、死にに入るのです。
相手が自分に危害を加えようと打って来ると、自分の『智』が勝手に身を護ってくれます。
それも一瞬に、石火の打ちでその時に一番良い方法、適切な方法で身を護ります。
このとき型稽古が十分だと反射的に出ます。
普段には出会った事のない、真我に出会います。
この時の喜びは何とも言えない幸せな極楽の境地に入れます。
色んな自己啓発の修行、滝行、深層心理の類い、座禅、瞑想(あらゆる瞑想)、・・・
結局は真我に出会う為の修行です。
これが真に自分を見つめる事です。

日本を代表する、九段、八段範士との稽古では何をやっても読まれてしまいます。
相手は剣道歴60年以上の経歴でプロです。
しかし、自分が無になり竹刀を動かす前に勝負をつければ剣道でもありません。
打なる自分の『真我・智』を信じて刃の下に身を捧げる事です。
【それ剣道は自分を信じ切る修行です。自分の智を信じないとき身をささげることはで来ません】
ことごとく成功し、先生は『参った!』と言われました。
この先生方は最高の砥石です。
この最高の砥石で吾が心を最高に磨ぎ出して頂いたのです。
そうでなければ無名の剣士がこのような先生方に刃が立つわけが無い。

それを実行するヒントを多く書きましたから、是非試してください。
成果があたっときは他の人の励みになりますから是非にも書き込みをお願いします。



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