肚ができている!
原田先生を囲んでの【みちのく稽古会】福岡高校剣道場。 関根さんが七段を狙う私の後輩との立ち会いを観まし。 武道館では時々稽古をしたり、八段との稽古風景を見ていました。 初めて会った頃の関根さんを知っている西村から見ると雲泥の差になっていました。 最初は剣道好きのおじさん剣道でした。 手足バラバラで竹刀の動きで相手を打ちに行く剣道でした。 ただ光っているのは感性が高い剣道だった位です。 私の後輩が七段を目指してこの稽古会に来ていました。 先輩としては歯科医を開業しながら七段を目指す後輩の存在を知って嬉しい限りでした。 稽古をしてみてもとても七段にほど遠い力でした。 関根さんにかかると手も足も出ない程の差でした。 関根さんの剣道をユックリ見たのはこれが初めてでした。 関根さんは西村が関わった剣道仲間で、全く違う次元で進化してきたと感じたのです。 立派な剣道家の風格でおーっと思う剣風でした。 当初の関根さんとは別人でした。 人間はこんなに変われるのだと言う見本でした。 関根さんの人生観、仕事っぷりその他の要素が立派に剣道に反映されているのでしょう。 (青森の私の後輩は関根さんと稽古をした後、原田先生に呼ばれ何か注意を受けていました。 その後の立ち会いは別人の様な剣道をしました。 西村は「あれ!こいつ七段に受かるわ!」と、思わずつぶやきました。 そして、見事に七段に受かりました。
肚が出来ればこんなに変われる。 高齢で七段審査に苦労をされている先生に言いたい。 「竹刀の修業より違うものを磨く必要がある!」
原田先生の一言で、瞬時に剣道が変わった見本です。 京都で原田先生に「先生のお陰で八段に受かりました。」と報告されるのを聞きました。 彼に一寸した事を話した。 それを感謝しているのだろう!
原田先生が七段の試合を見て「あいつ!今年八段受かる!」と、西村につぶやかれていました。 それが八人くらいいました。 「見える人には観えている!」 先生が観えた一つ抜けた存在になった変化は何でしょう。 西村は「肚が出来た!」事だと思います。
西村が京都で七段を受けたときに事です。 原田先生が「俺の剣道着が七段を受ける!」と居並ぶ審査委員に言いました。 蹲踞からたった姿を見て「おお!良いじゃないか!」と全員が行ったと聞きました。 集計場にいって結果を見たら「満票であった。」と教えて頂きました。 地獄のような国税不服審判所と、国との三年間の闘いからさっぱり足を洗って、七千万円支払い、伊藤先生のセミナーで幽体離脱のような経験をした後でした。 剣道の稽古はこの三年間で三十回くらいしか稽古をしていませんでした。 ただ、西村は生まれ変わった心の人生、心境の剣道に変わったのです。 それが蹲踞から立った姿から審査員の心に映ったのでしょう。 原田先生が言った。 「お前は受験しに来たのではなく、剣道をしに来ていた! それが良かった! 六段、七段の先生「あの先生はひと味違う!」と言われる様になりたいものです。 西村に関わった人はほとんどが七段になりました。 皆様は求める心の強い人達でした。
いつもの長い前置きのあと、過去記事の抜粋をお読みください。
2009/5/7 今回の京都ではある会で奈良の賀来先生のお話を聞くことができました、それはだいぶ違う剣道でした。
関根さんの剣道は一般的な剣道の上達とは違った形で伸びています! 肚が出来ている!と感じる剣道です。 相手の攻めに動じない肚があるので、西村もなかなか崩せません。 武道館で関根さんの剣道を時々見ていますが、剣技は元立の八段の方が上ですが、 肚の出来具合は関根さんの方がズーッと上です。 今回の稽古でも崩せない関根さんに西村も苦労をし、結局は攻めでは崩せませんでした。 西村の体を餌に釣り出すと心が動いた様です。 右に行くのは右手が強いか、体を捨てきっていないか、どちらかはわかりませんが検証をしてみて下さい。 関根さんの昔を知っている西村から見ると今は雲泥の差を感じます。 ある年齢になると剣技や体を鍛えるより肚を鍛える方が上達する様な気がします。
賀来先生の話の要約を聞かせて下さい。 お願いします。
なんか褒めて頂いて有難うございます。 肚のことは西村先生に一番教えていただいたことだと思います。 ただ、相手をただ舐めているような事にならないよう気を付けていきたいと思います。 賀来先生のお話は、霊とか宇宙の話から始まり中村天風の門をたたき8段審査に合格したこととか、剣道教士小関数政の九重の位、神武は殺さずを解説されました、内容は、腰骨を一つにすると自然ムの一穴に気治まりとか、緒家にては腹を張り気海丹田へ気を治むるなどと云う伝へあれど腹を張らんとすれば息迫り呼吸続ずして修行なり難し、とかのお話でした。 此の話は西村先生の考え方と同じではないでしょうか。
そうですか! 賀来先生も中村天風の教えで受かったのですか。
中村天風先生の面白い読み物があります。 結核を治したのは結局は心の変化だったのです。 インドでの瞑想で気がつかれました。 その経緯が本になっています。 護国寺に行けば天風先生の肉声のテープも手に入ります。 腹の底から響く先生の声に、西村の苦しい時は随分と励まされました。 皆様もこの方面へ意識を持って剣道に励まれることをおお勧めいたします。 剣道が本当におもしろくなるのは『心法』に興味を持った時からです。 西村の剣道観をお読みください。
西村コメント 天風先生の肉声のテープは心底心に響くものでした。 西村はこのテープを何度も聴いて(車の運転をするたびに流して聞いていました) 感謝しています。
数々の試合で名声を得ていた、小柄ながら上段の大浦先生と話をした。 この料亭は中々良い、俺の家くらいあると言っていた。 剣道でも事業でも成功しているらしい。 西村が聞いた 「先生!剣道の強さは何で決まるのですか?」 大浦先生は腹をぽんと叩いた。 「肚できまる!」と言った。 当時の西村には全く理解出来ない事だった。 そのことが真に判るようになるには30年以上掛かった。
京都大会で大浦範士先生の立会を観た。 相手は剛剣で有名な先生です。 この先生が打って行くも大浦先生はピクリともしなかた。 この様子は剣道雑誌で高く評価をされていた。 西村が剣道の奥深さに気がつき始めた頃です。
岩手医科大学の医学生・歯科学生の大会の時、たまたま超有名な八段の先生方が料亭で会食されることになった。 その時、小柄な上段で有名な大浦先生に西村が質問をした。 「剣道の強さは何で決まるのですか?」 先生は下腹をポンと叩いて『肚で決まる』と言われた。 学生の西村にはその意味は全く判らなかった。 それから数十年経った。 今の西村には正にそうだなあ!と思うのだ。 剣道に対す認識が変わったからだろう。
その人の剣道は剣道に対する知識、体験、認識そのほか諸々の要素によって決まって来る。 立ち姿、構え、稽古姿勢に匂うが如く現れる。 八段審査等においてはこの辺りが合格してからの、剣道の強さを判定されるのであろう・・・と期待しています。 現実にはアレ?と思われる結果を見る事もありますが、それは審査員が勝負のみで剣道の範士になった人が多いせいかもしれません.
今は無くなられた大浦先生の立ち会い。 相手に攻められて打たれていると思いました。 剣道雑誌ではその評価は全く逆でした。 大浦先生の責めに、相手は我慢が出来ずに打って出たと評価していました。 大浦先生を褒めた記事を読み西村はビックリしてしまいました。
原田源次先生と賀来先生との立ち会い。 原田源次先生が大きな面を打ちました。 賀来先生はピクリとも動きませんでした。 面に来る竹刀を受けようともしませんでした。 西村的には賀来先生の居つきと判断をしました。 西村的には、原田源次先生の大きな面が二本決まったと大層嬉しい思いをした一戦でした。 しかし、原田源次先生が会場を出てきての一声は全く逆でした。 「今年の賀来先生は凄い!動じない!」でした。 相手が動じないのに打ってしまった自分の負けを認めた声でした。 剣道は奥が深い・・・・と感じた一瞬でした。 この時、動じない相手に打ってしまった時、それは心の世界では負けを意味することだと知りました。
しかし、八段立ち会いなら原田源次先生の面は旗が上がらないかもしれないが、竹刀当て競技では完全に旗が上がります。
少し前、テレビで「最強の八段範士に若手が挑む・」のタイトルで放映がありました。 若手が上から大きく打ち出し、面に竹刀が当たったら審判はその面に旗を挙げました。 林先生竹刀は相手の正中をしっかり押さえていました。 その上を飛び越すような学生の面当てゲームの面でした。 剣道はこのレベルの剣士では竹刀当てゲームでは無いのですが、審判が旗を挙げれば一本になってしまいます。 見る人が見れば問題は審判の技量の低さだと思うのですが、テレビを見ているほとんど人はこれを一本と見てしまうのでしょう。
原田先生の面も試合ならば勝ちですが、立ち会いでは完敗です。
|
|