[新規投稿] [ツリー表示] [親記事一覧] [最新の記事を表示] [ログ検索] [ヘルプ] [ホームページへ戻る] 検索文字列 検索条件AND OR 検索場所全て 題名 投稿者名 検索ログ
「胴を打つ」で検索 - 29件見つかりました。
△上に戻る 胴打ち から過去ログを抜粋します 過去ログ1です 西村雅興 2020年1月19日(日) [新規投稿] [ツリー表示] [親記事一覧] [最新の記事を表示] [ログ検索] [ヘルプ] [ホームページへ戻る] 検索文字列 検索条件AND OR 検索場所全て 題名 投稿者名 検索ログ
「胴を」で検索 - 143件見つかりました。
△上に戻る 左手が利いていない。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年11月2日(日)
打突時と右足着地は同時だろうか。 有名な先生方の試合を見ても、右足空中で竹刀は面に当たっている。 両足が空中に浮いている写真を見かけます。 竹刀を早く前方に遠く届かして打つ場合、皆その様になるようです。 私の尊敬する岩立先生の東西対抗で気決めた見事な面も、両足空中打突だったと思います。 全日本の試合でも見かける写真は見なそうだと思います。 西村も稽古で面を打ったとき、未だ右足は着いていないような気がします。 竹刀が面に触れた時の写真を載せているからでしょう。 竹刀がぐにゃっと曲がった頃は、違うと思います。 ここで言う、竹刀の先が面に触れた時は、一瞬未だ右足が着地していないが、打った竹刀がしなう頃には右足が着地している。 斬り込んだ時点では右足はしっかり着地している、
刀では斬り込みますから、右足が着いてから刀がやや遅れて斬り込みます。 西村が右足を摺り足で、上に上げない様に打つと、右足が先に着きます。 剣先を下に斬り込む意識が強いと、足がやや早いかもしれません しかし、飛び込んで打つと竹刀の早さが先行するようです。 打ちたい打ちと、勝ちたい打ちの差が出るのかもしれません。 これについては少し稽古でどうなっているかを検討してみます。
『振りかぶった時に、制定居合で嫌われるいわゆる剣先下がりの状態になっているそうです。』 これは特に気をつける必要が有ります。 振りかぶった時、左手の握りが死んでしまっています。 これでは先が落ちた方向へのベクトルと、逆方向への力が大きく必要となっています。 http://www.st.rim.or.jp/~shimano/doujo/kendolab/nishino_anislow.html 西野悟郎先生の面打ちをスローで見て見ましょう。 島野さんの面打ちも参考にしましょう。
真剣で据え物斬りの様な場合は相手は逃げませんので、剣先の遠心力を使って強く打つ動作にこれを使うことも有ります。 剣道の稽古でこれをやっていたら相手は、その間に胴を斬ってきます。 西村ならば振り上げたその小手を斬ってしまいます。 相手に突いて下さいとばかりの、両手が上がった静止状態を作ったことにもなります。 スピードが主体の現代の剣道にはついて行けません。 振りかぶりの時、左手がしっかりしていますと、約45度くらいの角度になると思います。
『剣道日本に会津の先生が、腰始動型の面では右足の着地が打突に先んずるというようなことを書いていらっしゃいましたが、同時にこれは試合などでは不利になりうるとも書かれていたように思います。』 出きればこの様な面打ちを心がけたいものです。 この様な打ちが出きれば面に食い込むスピード、力は強いものになります。 しかし、先に面に触れることを争うと不利になるでしょう。 会津の先生の面が本筋です。 まさに胴体力を使った面です。
結論 あなたの着地は、左手の握りが死んで、そこから握り直して後ろ向きに進んだ剣先を引き戻すのに時間と力の無駄が多かった分だけ、竹刀が遅れ、結果的に右足が先に着地したのだと思います。 竹刀のスピードが遅いのでは無く、無駄な動きを作ってしまっているのだと思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 返し胴について。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年11月2日(日) 町田の先生が西村に言った。 「あんなに余裕が有る返し胴を見たことが無い。」 西村が言った。 「あれが右足の脱力による、武術的身体動作ですよ。 支点を求めない動きです。」 そして、その見本をやって見せた。
さらには、腰の切れ、浮き腰の原理、腰と鍔で胴を斬る、手元を返すだけで竹刀の先は直線的に引いて斬る・・等の説明もしたかったのだが。
最近の西村は相手の竹刀が面金に当たる寸前まで止めないで、その一瞬に面返し胴を打つように心がけている。 この余裕は相手が面に伸び切った瞬間に切り落しに入る、その呼吸と同じなのだ。 上に体を伸び相手を引きだす、伸び切った所を切り落し。 相手が面に伸び切った瞬間に、滑落を使った腰の動きと、これに引かれる右手の落とし込みなのだ。
近くで見る機会のある人は見てコツを掴んで下さい。
岡田さんがいう、「あの大きな体がスルリと見事に返し胴を打つ。」原理の要点を載せました。 この胴は原田源次先生にも通用する胴です。 残念ながら、原田源次先生の様な抜き胴は出来ませんが。 ツリー全体を読む
△上に戻る 反射の意図的応用。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年10月8日(水) 反射の応用
西村が最近よく聞く話。 「先生の竹刀はとにかく速い、手の動きも速い。」 これは、自分では自覚が無いが、昔から時々は聞いていた。 それが数人が、西村を見ながら話していた内容だと分かった。 成人してから剣道を始めた人には驚異的に感じるらしい。
特に今回は胴を受ける手の上りが、ギリギリまで待って一瞬に返す動きを皆様は驚嘆されていたらしい。
これは単なるマジックなのです。 身体運用の原理を知れば、少し稽古をすれば誰でも出来ます。 しかし、ほとんど場合は『百錬自得』の世界で溺れている。
先ず面を打つとき、『頚反射』を使う。 竹刀が面を打つ瞬間に頭を強く後方に引くと、その質量相当分のの力が前に行く。 頭を後ろに引けば竹刀は前に伸びる。 高校生の試合の面での写真などでよく見受けられる。
相手の伸び切った所を下に切り落す場合は、頭を上に突き上げる。その分だけ竹刀を下方へ向ける力が増す。 一刀流の極意切り落しは、前足を床を破らんばかりに下に踏むという。 床を下に強く踏む意味は、体を急激に上方へ向ける力が発生する原理だ。 そうすると、自然に手は下に強い力が働く。 一刀流の極意は当を得ている。
さて、西村が胴を受ける手の動きだが、この原理も同じだが少し難しい。 相手が面を打ってきて、竹刀が面がね寸前に来たとき、西村の右足は力を抜き、急激な右方向への重心の急降下が起きている。 大きな体重が落ちようとすれば、反作用で自然に手があがる。 飛行機で水を飲んでいるとき、飛行機がエヤーポケットの様な所に嵌まり、急に落下するときの光景を思い出そう。 これが、丁度食事時ならば、皆様一斉にグラスを上げたり下げたり、右左と動かす光景に出くわす。 本体の動きに対し、四肢はそれをもってバランスを取るのが自然なのだ。
西村が右膝の急激な緩みで右半身が急激に落ちようとすれば、反射的に手は上がるのが自然なのだ。 皆様は三角筋を使って意識で手元を上げようとする。 西村は重心の滑落と急激な降下の反射を使って手を上げている。 この時、腕、肘、手元が緩やかだと、勝手に反射的に動くのだ。 腕を動かす筋肉も多少は使っているが、目の前に来たハエを追っ払う程度の力しか使っていない。 この時も、頭を反対に振った勢いで、手が反対に動くのだ。 腕の動きの初動に体幹の落ちに対する、反射作用を使っているから速いのだ。 いわゆる胴体力だ
いつも書いているが、手は動力源では無く、体幹の力の伝達手段に過ぎない。 ゴルフのスイングは腰の力を腕が伝達しているだけなのだ。
武術的身体の運用の原理を熟知し、稽古をすれば名人の位へ到達するかも知れない。 今はチャンスに時代なのだ。 ここに書いたように、秘伝、極意の情報が手に入るからだ。
四肢の動きは体幹の深部筋肉の動きに端を発し、本当の意味でのその司令は無意識(深層心理)が行う反射がスタートなのだ。 二足歩行のロボットの制作が如何に難しいかを知れば、人間が二本足で立ち、動くことは精密な反射作用の結果として成り立っているのは確かだ。 この精密な反射のプログラムを無視するから、ぎこちない動きになるのだ。
この反射の意図的応用が武術的身体動作・胴体力なのだ。 ここをしっかり受けとめて稽古をすれば、10倍早く進歩すると思うのだが。 ツリー全体を読む
△上に戻る 島野さんとの話しから〜〜 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年10月17日(金) 島野さんと西村のやり取り Date & Time 11/07/1998 19:45:19 Posted by 島亮
21世紀の剣道
21世紀の剣道
ずーっと、ずーっと先生に呼ばれているような想いでおりました。京都で稽古をお願いしてから4年 が経ちます が、こうして、インターネットでテキストを読んでいるだけで伝わってくるものが実感 できるのが不思議にうれしく思います。1度の稽古が素晴らしい出会いである事への感謝です。そう いえば、先生は記憶にないかもしれ ませんが、京都のサブ道場で、わたしが初めて先生の前に行っ て、「(稽古を)お願いします。」と申し上げたところ意外にも先生は「私でよろしいのですか。」 とおっしゃいました。なぜ、「私でよろしいのですか」なのでしょう。時々思い出します。そういえ ば、その前までは確か国士館の学生を相手に稽古をされており、それを 見ていた私は、失礼ながら「この先生がいい。」と感じていました。そして、戴いた最後のあの面。 このような素晴らしい事がある京都、わたしが、六段を切望したのは何よりもこの京都大会への出場 資格という 一点でした。大上段に構えた表題「21世紀の剣道」ですが故小川忠太郎先生がいつもおっ しゃっておりましたが、私には、老先生が真剣に心配されているその必至さみたいなものに身が引き 締まる思いで聞いていました。
Date & Time 11/11/1998 10:01:33 Posted by 西村雅興
剣道の昇段は目標にしましょう1
久しぶりです。島野さんの剣道に対する考え方は素晴らしいと思います。 今は、何故、貴方の年でそこまでの剣道に気が付いたのだろうか?それが私の貴方に対する興味です。 心理療法 を実践してますと気になります。貴方の場合、大変な人生の試練を経たか、素晴らしい師 匠に出会った結果なのかその両方なのか。いずれにしても素晴らしいことです。 大学を出た年、武道館の年越し稽古で貴方の先生の小沢丘先生にお願いした事が有ります。竹刀を 収めたあと先生が来られ、「貴方の仕事は何かね。」と聞かれ。歯医者ですと答えると、歯医者にし ては良い腕をしてると褒めてもらったのを懐かしく覚えています。柳に風と言う感じに先生の周りを、 ただ竹刀振っていた事をおもいだされます。 これから、受験される人たちにも参考になるかと思い少し長く書いてみます。 あるとき、京都で原田先生の京都大会での立会を見て、その時の立会の状況を説明を受けて、、叉 先生と剣道をしたいと十年ぶりに思いました。 一年に一回として、三十年に三十回士しか先生と剣道が出来ないのかと思うと、無性に寂しくなりま した。京都大会の出場資格が六段と聞き六段を取る気になりました。それで改めて十年ぶりに剣道を 始めました。大学を出た年、その頃はスピードもあり気も強く、埼玉武道館の練習では四段の時に 六段の先生が下から懸かって来ていました。五段の審査を受けに入った時六段の先生が変な顔をして いました。佐藤顕先生に一度しかお願いしていないのに、廊下で今日は見事だったと褒められました。 そんなに自信満々の時、練習で下から来ていた人が六段に受かったと言っていたので、六段には全く 興味がなかったのです。しかし、七段の先生には入らな いのです。七段てなんだろうと思っていました、何が違うんだろうと。 その頃、剣道日本の記者をしていた元早稲田の白石(弟さんの方(全日本選手権出場))が埼玉の北 浦和に道場に取材に来て、ついでに練習をしました。まだ動きも良く素晴らしいスピードで練習をし ました。さて彼が70才の通風、リュウマチ持ちの小柄なおじいちゃんに上段からコテンパンに練習 でたたかれました。彼におじちゃんの年と通風、リュウマチ持ちよ、と言ったら、かなり落ち込んで いました。彼は正真証明強いです、スピードも有ります、しかし、そのおじいちゃんの心を崩すこと は出来ないのです、彼 は私と同様に六段の先生をスピードで見事に斬って取っていました。しかし 七段に懸かるとそれが出来ない。これは何だろう!と思った事があります。 そこで、五段を取りその後すぐ開業をし、三医院を持ち従業員を125人程抱えた診療室を持ち、十 年間剣道をすることが出来ませんでした。 それが、京都で先生の立会を見て、無性に先生と剣道がしたくなって、それで六段を取ろうと思い ました。十年ぶりの剣道は見るも哀れな物でした。三段ぐらいの人に打たれ、練習三回目には肉離れ、 一カ月の松葉杖で た。それでも二カ月間の剣道の練習をして試験を受けました。 六段なんか目じゃないと思った心が問題でした。二人目小柄な人につい小手を打って抜かれて面を打 たれまし た。見事に不合格でした。その時、原田先生が隣の会場で審査されていて、筆で書いたお 手紙を下さいました。 攻め、その他何も言うことなし、立派、しかし、残念ながら体重が前足に懸かり過ぎ、それでは相手 の色が見えないし、打って出るしかない。そこを改めて再挑戦をして下さいと書かれていました。 それで、ビデオを撮ってみると肉離れをした足を庇い、右足にどっぷり体重がかかてしまい、そして 打ち気のの強い、我の強い何とも自信満々な醜い剣道家を見てしまったのです。かなり落ち込みまし た。そういうと、色んな人が注意をしてくれてましたがそんな事を聞く私ではなかったのです。ただ、 自分が尊敬する師匠の言葉だから素直に聞いたのです。良き師匠を持つことの大切さを感じました。 その年の暮れ、ある機会があり一年間心の修行をしました。七転八倒の思いをして、自分の生き方 が定まり心がやすらかになりました。そこで、診療室の二医院を閉めました。金額では一億三千万円 ぐらいを捨てたことになります。捨てるとはこんなに楽になるかとその時に気が付きました。その間 は全く剣道の練習はしていませ ん。 ただひたすら人にサービスをして何かに気づくという修行をしていました。診療室も一つになり、肩 の力も 抜けたので、また剣道を始めようかと妻に言ったら、そうしたらと言われました。 そこで、久しぶりに剣道の練習に行くと相手が良く見えるのです、手のひらに心が乗っかってくる のです。そ の時、全く刃が立たなかった七段の先生の心が見えるのです。 でも、打っていくチャンスは有りません。そこで、捨てて前に一歩出ました、すると、困った顔して 打ってくるのです。そこを面を打つのは簡単でした。 剣道も、実社会も同じでした。捨てるという意味を仕事でも剣道でも知りました。 その時の道場の練習風景は私には今までと全く違って見えました。そこで行われているものはその人 の人生の生き様の発露であり、それは私が剣道に思っていた思いとは全く違う醜悪な竹刀を持った叩 き合いでした。どちら かというと人生のうっぷんをはらす、何らかのコンプレックスの反動そんな 風景でした。 自分が少し見え始めたとき、本当に剣道の世界に入って行ったような気がします。 四カ月間練習をして、五月に六段の審査を受けました。そこで試験の前の日に原田先生から「捨て所」 を教わりました。その日先生と練習をしたとき、先生に合わなかった十数年の人生の成長を見ていただ くつもりで竹刀を交えました。 その後、立派になったと褒めてもらいました。仕事で苦労をし、心の葛藤を乗り越えて行くことは、 それは立派に剣道をしてきた事だと言われました。その翌日六段を受かりました。誰もが褒めてくれ ました。五段を取って十数年の間に練習をしたのは七カ月に満たないのです。 次には、七段を一発で取ろうと猛練習をしました。誰もが一発で受かるよ、と太鼓判を押してくれ ました。私もその気でした。試験の前の夏、税務調査がありあんまり頭に来たので、国税局、人権擁 護局、総理府行政監督書所のまで文句を言いに行きました。 その後、国税不服審判所で三年間闘いました。その間、七段審査を三回受けましたが受かりません でした。 その頃、ほとんど十本で一本も打たれない人に1〜2本打たれるのです。皆が先生優しくなった、 最近打たせてくれると言うのです。私は打たせたつもりがないのに打てれます。相手が見えないの です。自分の心に怒りが渦巻き、それが心の半分以上を閉めていると、心の鏡が曇っていると相手が 映らないのです。そこで、今は、自分では無い、と思い練習は余りしないし、審査も受けませんでし た。改めて自分捜しの旅を始めたのです。色々やりましたが、結局は勉強にはなったが心は晴ません でした。 あるとき、今は伊藤先生に会うときだと閃いたのです。そこで電話をし、そこで、先生の研修会に 参加をしました。何かを教わったのでは有りません。 そこで、自分の力で死ぬまで激しい呼吸で追い詰める事をしました。 三回めに飛びました、意識だけの宇宙の世界に。青い地球は遥か彼方の下の方にあり、私は真っ暗な 空間に意識、魂だけとなり浮かんでいました。 この時はきりと判ったのです、結婚も、税務所との闘いも色んな事は全て、叉ここに帰って来るまで の肉体を借りた修行の旅だと!その日から私は自分の精神エネルギーが相手に入っていくことが判る 様になりました。相手の前屈を柔らかくしたり、手の力を強くしたり、弱くしたり意識に力で出来る ようになりました。 ここまで判らせてくれるチャンスをくれた税務署の署員に感謝の気持ちが湧きあがって来ました。 そこっさり七千万支払いました。それが二月の終わりです。 気分も爽やかになったので、試験でも受けようかと思い、週に二三回の練習を始めました。何と相手 が良く見えることか、三月、四月と二十回程練習をして試験を受けました。前の日は、さすがに興奮 していました。翌日の審査を想定して頭を何かが駆け巡っているのです。 その時、「愛と恐れ」の本をペラとめくって読みました。明日のことは今思い巡らしても意味のな いことにフーと気が付き身体はほぐれ何か幸せな気分に包まれよい眠りに入って行きました。朝は早 くから瞑想、呼吸法をし、完全に心身を覚醒させて審査に臨みました。そして、そこで100%の出来 で受かりました。後で師匠から100点満点の150点と褒められました。 私の昇段は私の心の成長ともに付いてきました、しかし剣道の段を受けようという目標が無かった ら此の葛藤も無く、成長のチャンスも無かったかもしれません。 お金にしてみたら二億のお金を捨てた代償が六段、七段と言うことになります。 島野さんが書いていた秘伝は、私が毎朝妻のパンティーの中に手を入れる御挨拶と同じ事かと思いま す。 佐藤博信大先生の明治村四回優勝の秘伝が奥様に褒められたい一心であったり、私が先生に出した一 通の手紙で来院され、動かない肩を私が咬合治療で治したこと、その前に原田先生がはがきで私が佐 藤先生に手紙を出すことを先に連絡していたこと、先生の人柄が素晴らしく私が本気になって治療を したこと等の複合の結果が好結果になった。 すなわち先生の人柄、生き様の結果と言うことになります。 形あるものは形のない海の上に浮かぶ小舟のようなもので、小舟の動きに気をとられて入ると何も見 えないと思 います。 剣道は心の状態、人生の集大成の今の結果が竹刀を通して現れます。心が色として出て来ます。心は 直接には見 ることは来ませんが行動、動きをとして感じることはできます。 強いほうが勝ちますが、心が何処まで自分であり続けたかを問えばそれは自分の成長を見ることがで きます。強 い相手は自分の欠点を見せてくれますし、弱い相手は自分の長所を見せてくれます。 その意味では、剣道は非常に有効な自己発見、成長の手段だと思います。 此の様に書く私も、剣道は私の大切な一部ですが、ただそれだけで、そんなに大きな心のウエイトを 占めるものでは有りません。 真理療法、セラピーのプロから見た心理面からの切り口で自分をたたき台にして述べているだけです。 六段、七段を目差す人達に何かお役に立てればと思い書いてます。 (学生さんと練習を為たとき。) {国士舘の学生さんが二刀で懸かって来ました。 私が胴を打つと腕で胴を防ぎます。私は腕ごと胴を斬ったつもりなのですが、相手は腕で止めて胴は 打たれてな いと感じてるようでした。気づくように何度も打てあげたのに!残念でした。} その葛藤は、必ず貴方の飛躍へのエネルギーの圧縮となって蓄えられてます。 昇段は目標として登りましょう、目的にするとしんどいです。 目標であれば、いつも気づきのチャンスを剣道は与えてくれます。 いつも成功の道を歩き続ける事になります。 叉、お便りを下さい。 尚、面白い本が出ましたので紹介します。 私が船井三さんに紹介下人です。 不思議研究所を検索して下さい。 出版社 同胞社 著者 森田健 解説者 船井幸雄 ¥1.600 ツリー全体を読む
△上に戻る ある人とのやり取りから 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年10月17日(金) 『ある人とのやり取り』
Date & Time 10/16/1998 15:45:13 Posted by me
剣道
剣道というものに不満があります。これは一見武道 のようでスポーツですよね。だから私はスポーツ剣道 と呼んでいます。 段位が上位になるほど実力よりも精神的なものが その基準になると聞きましたが、そんなものどうや って審査するのですか? 剣術を意識したことはないのですか・? ・・・と、書いてしまいましたが、 あえて送信して みます。(不思議研究所HPからやってきました。)
Date & Time 10/17/1998 03:29:36 Posted by 西村雅興
剣術、剣道についての私見
私のチャンバラ、スポーツ、剣術、剣道についての私見をホームページ剣道の項目に載せました。 項目最後のメッセージ欄です。 ここを、見て下さい。 良く判らなければ、一度私と剣道を練習しますと良く判ると思います。 手解き致します。
Date & Time 11/04/1998 11:33:10 Posted by 西村雅興
剣道全日本選手権
11/3剣道の選手権大会を見た! 宮崎は強い、でも何かがおかしい! 審判をしている先生方が望んでいる試合かな! 小手と面の打ち合いはほとんどなく、はたきあいだった様な気がする! 何故はたきあいの打ちに旗が上がるのだろう! インターハイの選手を10人ばかりあの中にいれたら! ひょっとして高校生が優勝するかも! 21年前、埼玉で国士舘の正選手と埼玉皆野高校の選手が試合をした。圧倒的に高校生が試合で勝ってしまった。 練習をすれば全く歯が立たないのに、試合では勝ってしまう! これが剣道の七不思議! 練習では「それ!なに!本気で打ってるの!腰が入っていない! それでも打ったつもり!当て合ではなく剣道をしようよ!」 そんな当たり、打ちが試合では一本になってしまう! 試合では触られれば負け! これではうっかり面も打てない! でも、全日本剣道選手権ではこのとうり。 いい剣道をしている人が勝てない! これは審判のせい! なんのせい! 全日本の選手権試合がいつものように、剣道のお手本にならないような、はたきあいの試合でした。 これ、西村の感想。
Date & Time 11/05/1998 16:09:17 Posted by me
五回優勝!の悩み・・・
決勝のシーンをニュースで見ました。どうしてもスローヴィデオ再生で放送するので、はっきりとし たタイミングが判断できないのですが、負けた剣士の方は何故に面をあけていたのか??あの詰まっ た状態からは、胴もコテもかえせない!なのに、相手の攻撃ラインから真っ直ぐ下がってしまってい るように見えたのですが、、、。宮崎剣士の中に勝利へのこだわりはあるのでしょうか?。2連覇の あとも退くことなく勝ち続けている。 トップに立ったとき、本当に自分は強いのだろうか?そんな疑問が湧いてくるときがあります。勝ち 続けてそれを証明するか、或いは、方向を変えてそれを探るか、、。 最近のスポーツの中には、ルールのある真剣勝負というのがあります。リングスという格闘技団体は 旗揚げ当時「実験リーグ」と称して異種格闘技による闘いをしていました。我こそは強い!というも のが参戦しますが、一番強かったのは遠慮をしなかった「コマンド_サンボ」でした。かなり強いと 思われる空手の選手も自己の強さを知っているだけに自己ルールの中にある禁じ手を繰り出せないと いうジレンマみたいなものを感じる試合でし た。 六段以降の昇段審査というものにどういった世界があるのか判りません。剣道をするものの中に剣 術を意識しないものはいないと思います。宮崎剣士は次の大会にも出ると思いますか?
Date & Time 11/06/1998 06:31:02 Posted by 西村雅興
来年も出るでしょう。
宮崎は来年も叉出るでしょう。 月刊剣道日本12月号の「戸田忠男.八段の修業」は貴方の疑問、考えに参考になると思います。 剣道の六段以降の昇段審査を自分が受けてみないと感じれない、理解出来ない世界の様です。 私もそこに立って初めて感じた世界です。 そこで要求されていることが判った時、初め受かる様です。 過去に何回も優勝した西川選手も試合は小手狙いで、余り感心した剣道では有りませんが、実際の練 習、審判のいない立会では立派な剣道をします。宮崎が優勝を続けることで、剣道の二面性が浮き彫 りになってきています。 審判の先生方が口を酸っぱく言っている剣道を目差さすならば、あの面で旗を揚げるべきでは有りま せん。しかし、現実では竹刀で触られたら負けになることが多いのです。実力が伯仲するとあれでも 取らないと試合に ならない。こんな所でしょうか。 明治村の八段戦を見に行かれたらどうでしょうか。 それでも、勝負がかかると結構みっともない試合も有ります。 しかし、そこには「なるほど!」と感じさせるものを見ることでしょう。 八段の先生の話は六段ぐらいにならないと良く判らない。六段んの先生の話は四段ぐらいにならない と判らな い。 二段ぐらいの違いに近づくと良く判る様になる。 それぞれの段の課題に相当するものがあり、その課題を超えた人の話は良く判るが、差がありすぎる と理解しがたいものです。 一つの道を修業するとき、そこに来ないと判らないことが多く有ります。 剣道はほかのスポーツと違うと言う人がいますが、勝敗を審判をおいてすればやはりスポーツだと思 います。 自分の内面の探求にその方向性を向けると違ったものになります。 私の師匠に六段審査の前の日に聞いた話。 「いい攻めしてるな!何時捨てるかな!あ!打ってしまった! 強いね!若いね!もう少し修行して来て下さい!」 「いい攻めしてるね!あ!面を受けて胴を打った!捨てれないね!もう少し修行をして下さい。」 「相手が攻めに我慢が出来なくなって、色が出たとき、捨てて打つ、攻め勝って打つ、そんな剣道で 六段をうかってほしい。」 私の七段の審査の審査の講評。 「いい攻めしてた!小手を見せ、攻めを緩めて引きだして小手を打ちに来させて、すりあげて面を打っ た!相手を引きだして打つ、これが七段に欲しい打ち方です。」 段が二つぐらい違う感じで相手が見えて打てればよいようです。 剣道は、勝って打つと言います。昔、そんな馬鹿な打ってみないと判らないじゃないかと言ってた私 は三段だっ たと思います。 攻め合ってるのが判るようになったのは四段だったと思います。 なんか凄く強くなった誰としても打てば入ると思って有頂天になった時期は五段の頃かと思います。 しかし、六段の先生にはほとんど負けないが、七段の先生には歯が立たない、これは何だろうと思っ た。スポーツ的な早い剣道の壁を感じた。 今、思えば早くて当たっただけの剣道で、理合の判らない時期だった様です。 基本的には現代の社会では術的要素は余り価値の無い社会になっていると思います。 警察官の剣道試合はそれが昇進、給与の上昇に直接響きます。 教員も少しその傾向が有ります。 それ以外の人には実利はほとんど有りません。 相手の頭を竹刀で叩き合って喜ぶこと自体、または殴り合いをして勝敗を決めること自体おかしなこ とです。しかし、この過程における自己の内面を観る手段だとすれば、その相手になってくださる人 に感謝を感じ、は礼くす心が生じるのは自然なことです。 それが道的要素だと思います。 同じことを三十年もすれば判ると思いますが、頭で考えても判ったつもりでしかないと思います。 「交剣知愛」の意味がしみじみと感じ初めてとき道になるのかな! 五十二歳の歯科医で体重が百キロ、身長百七十七センチ、大きくて、少しどてどてとして動きは遅い ですが、趣味として、道として剣道を楽しんでいる私と「交剣知愛」を楽しんでみませんか。 こればっかりは、考えること、観念より、感じることの方が判り易いと思います。 ちなみに、話が余りすれ違うといけませんので、貴方の剣歴、段位、スポーツ歴、優勝歴など教えて いただけませんか。 大先生に知ったかぶりの話を私がしていると失礼ですから。 私は剣道をしている同好の志として、お役に立てればと思ってかいてます。 インターネットは相手の顔が見えないので特にこの辺は気をつける所ですから。 同じ経験、体験をしてないと観念、偏見の世界に嵌まってしまい、堂々めぐりになってしまいますか ら。 選手には、選手の言い分があり、評論家には評論家の言い分が有ります。
Date & Time 11/06/1998 18:09:34 Posted by me
餅枳┛擒
段位は二段ですが、そこらの中学生にも勝てないでしょう。三段の昇段審査は興味がなくなった、、 というか、二段の昇段審査のときに判定に失望してしまったのが原因で段位へのこだわりは消えてし まいました。文字化けして読めないメールには中学生のときの話を書いていました。二年生のときで す。教員と運動クラブ(生徒)との体験交流があったときのことです。剣道の経験があったのはその ときの校長一人でした。背は私よりも7センチくらいは低く、歳も校長ですから若くはない。だいた い運動なんてもうしていないはずで、そんな思いの中で私と対戦することになりました。 構えたときに妙に低く構えるな、ちょっと間合いととらなければ、、、。確かこんな感じから始まっ たと思います。今思えば、この時点で踏み込みを制していたんだと、、、。 試合が始まり、ドンドン打って出たような記憶はありません。確かな手応えを感じながらも、決まっ てない な、、そんな想いがあり、相撃ちのような旗のあげにくい状態が続いていました。なめてい た自分が本気になろうと考えたころから、相手の打ち込んでくる小手と、つばぜり合いからの離れ際 に繰り出す胴打ちが、これまで の自分(このとき剣道経験2年)にないもので、面を着けた向こう に鬼を見たような、いえ、言葉が悪いのですが、真剣に闘うときの姿勢のような迫力?というか、小 手を斬った!胴を斬った!・・・そんな意味を、言葉 を、恐怖を、、撃ちつけてくるような竹刀でした。 いわゆる、昔の剣道だったのだと思います。感動したことを覚えています。 残念なことに、中学、高校とクラブの中で汗を流す程度の剣道は、先輩からの引継剣道で、「「強 い!」」といわれるような方との交合いは記憶にありません。先ほど赤松の木刀を振ってみたところ、、 こんな重いものを、、というのが正直なところです。
インターネットは文字だけによる会話です。この特徴は、長所でもあり、短所でもありますよね、。 この両方をうまく使って会話してみたいと思います。 <コミニケーション> これは、いかにして相手に伝えるかということを考えると、まず、相手にその経一番 で、次に相手がひらめいてくれること(インスピ レーション)、3番目が言葉(文字)だ、と聞いたことが あります。 秘伝の巻物といっても、それを読んだ者にすべてが伝わるわけではない。それは言葉では決して伝 わらない 。、、、、、。 六段以降の昇段の過程はそこらへんに関係あるのでしょうか?(・・・ぁぁ、しつこですね・・) ツリー全体を読む
△上に戻る 六段審査から〜〜 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年10月17日(金)
Date & Time 11/07/1998 07:49:41 Posted by 西村雅興
六段の審査
剣道の六段、七段、八段の昇段試験が十一月に有ります。 私の話が参考になれば幸いです。
大人になってから剣道を始めた人。途中かなりのブランクがあった人。共通の特徴が有ります。剣道 は下手で、 弱いです。しかし、夢中になって剣道をやってます。こんなに面白い物は無いといいな がら。強くて、選手で、ずーっと続けた人と違う所に価値を見いだしているようです。どうもこちら の見方の方が本来の剣道の価値を見いだしてる様です。自己成長の基準として昇段審査を受けてるよ うです。私は中学、高校、大学と選手で主将をしてきました。高校時代は本気で警察官になって剣道 で飯を食おうと思ったことも有ります。左小指が上手く曲 がらなくなってそれをあきらめましたが、 お陰で歯医者になれました。その間のに紆余曲折があり、七年、十年の2回ブランクが有ります。 先に述べた両者の中間に当たります。 強いで通して試合を中心に続けてくると、打てるが、当たるが、 勝ってない!何かす釈然とする時期があるはずです。 日本選手権で剣道日本一になると、普通は、それなりに立場を感じ、模範となるような剣道家になろ うとするも のです。 そうなると立派な剣道にはなるが、試合に勝てない剣道になる。 当たることと、相手の心が参ったと言わせる剣道の分裂が始まりますます。
多くの場合この道を進み自己の成長をはかります。 宮崎選手は少し違うところに価値を見いだしているようです。 いずれ彼もスピードが落ちれば、ばねが無くなれば、年齢がその変更を余儀なくするでしょう。 一時、上段が選手権を制した時期が有りますが、スピード、感性、タイミングが主体の剣道で試合に はかなり有 効な手段でした。しかし、当てあいの試合と違い、心の練りあいの結果としての評価が 審査基準に入ってくる 昇段はかなり難しくなってきます。とは言うものの、圧倒的に強いと受かり ますが、お互い二十年以上も強いを通して来て、地方では、その地区では先生と言われてる人達同士 の戦いですからそう簡単には打たせてもらえません。 六段、七段とも合格率は15%位です。八段なると1%です。 15%と言うと、四組八人の中で一人ぐらいで「お!」と審判が言うぐらいでないの人でないとと受 かりません。六段を受けるぐらいの人たちは皆さん強いです。立会時間は一分三十秒位です。それを 二回します。 強い同士が相打ちの面を三回すれば、それで終わりです。 強い同士も互角では受かりません、何しろ八人に一人ですから。 面に来た相手ての小手を打って当たれば、試合なら旗が上がりますが、待っていて打った小手は相手 に攻め込まれたと判断されます。此の場合の小手はマイナス評価です。攻め入って打った小手 でないとよい評価が得られません。さてその後が有ります、強いね、それで面は、と審査員は待って ます。小手、胴を打って俺は勝ったと思って見事に不合格!です。 そこで、面を見事に打って見せないと受かりません。相手も試験を受けようと、離婚騒動までして剣 道に打ち込んでいる相手です。そうは簡単に行きません。ほとんどの場合、面の相打ちで両者不合格 です。
大体の場合、練習不足で受験が二割、まままあ!が二割、なかなか出来るが二割、出来る!が二〜三 割、お見 が一割!これで受かるのが15%です。 出来る同士がが相打ちで落ちる、勝ちに行って、当てに行くと落ちる、どうすれば受かるの!ここで 皆は相当に悩みます。 試合に強かった人が受からない理由はここに有ります。 2回とも見事な立会をやってみる必要があります。 1回は上手く行ったが2回目に失敗したと言う人が多い。 上級者からみれば、欠点ははっきり判ります、良い師匠を持てばすんなりその門は通れます。しかし ここまで剣道をしてきた人たちはそれぞれ一言家で素直な所が有りません、人の注意を聞く様な人達 では有りません。 しかし、自分が師匠だと思う人の意見は聞きます。良き師匠を持たないとその門は何倍にも重く、開 くことを諦めます。 強いで通した人が六段を諦めます。俺は何本も入ったのにと文句をいってます。自分が審査を受ける のに、審査 員が何を見たがっているかも意識しない受験の態度の甘さ、傲慢さ、身勝手さが不合格 の原因だと気が付くまで 受かりません。 これに気が付くと出来る人は、強い人はすぐ受かります。一年に二回受け、5〜10回位で受かるで しょう。 私の知り合いで、六段は最年少の年で1回で受かった人がいますこれは、かなり強い人です学生時代 も強く、国体選手級です。 その人が約二十五年、年二回、五十回も落ち続けています。 オカシナ話です。その人は私が対戦した相手です。その人の剣道を見、少し話をしていれば誰もが落 ちる原因に気が付きます。ただその人はそれに気が付かず、彼には師匠が無く、誰の話も聞きません と言う顔をして人生をしているのです。もちろん、審査員が何を考えているかを考えたこともない。 こんなに落ちつ続けてもまだ気が付かない天然記念物見たいな人です。でも剣道は結構強いです。 こんな人もいます、自分からは絶対打って行かない、相手が来るのをかわして打つだけ、もう30回 落ち続けている、試しに私が打っていかないと十分間お見合い状態でした。 そこで、もう止めましょうと言って止めました。 試合強い人、特に警察官で選手生活が長い人は打たせないで打つことが上手く、それが身に付いてし まって、捨てることができない人が多いようです。警視庁のプロの剣道家がなかなか八段にうかりま せん。試合根性が身に 着いてしまったからでしょう。 しかし、かなりの葛藤の結果この根性を捨てた人は受かっているようです。 師匠に聞いたことが有ります。あの先生はあんなに強いのに何故八段が受からないのですか。ある県 警の剣道師範でした。プロです。相手を許せないんだな!竹刀の先で相手の竹刀を押さえに行く、あ れが欠点だ。それから五年後、京都の立会を師匠が見て、おい!彼は今年八段に受かると言いました。 心がゆったりしている、今年は 良い! その後、昼にその先生が師匠の剣道具を、「先に帰りますから、先生の防具を持って行きましょう。」 と言って、防具を二つ担いで帰りました。その後ろ姿を見た同県の剣道の先生方が彼も変わったもの だ!と感心しました。 その翌翌日、八段に受かりました。1%の関門を通り抜けたのです。ちょうど心のセミナーに近いも のも受け家 族が丸く収まった頃でした。 五年後、師匠に聞きました。あの先生はいつごろから変わりました。前の年からお願いしますと頭を 下げ、基本 打ち、掛稽古をしに来た。その頃から変わったかな! 六段審査の頃から、離婚騒動、倒産騒動、剣道にのめり込む余り色んなことが、ドラマが起きます。 それが人間 的に成長させる様です。まあ!仕事も同じですが! それが、超えると次の壁が来ます、。それが七段でしょうか。 その壁はもっと厚く、高いものです。あの壁を超えてきた人たちが相手ですから。 剣道の審査も六段ぐらいでは立会中に夢中になっていたのでは落ちます。相手が見えた!上手く使っ た!此の感触がないと落ちています。試合は白黒がつきますが、審査は同時黒が八割ですから。 六段、七段、八段の昇段を目的にしますと、辛いことが待っています、挫折感です。しかし、それを 目標にしその過程で起きる現象を真摯に受け止め成長に約立つことを目的にすれば誰もが成功の道を 歩き続けることができます。 私は今日、何をしに剣道に来たのか?を気分に問います。帰りの車の中でその問いにどうだったかを 問い掛けます。落ち込んだり、愉快になったり、嬉しかったりと色々あります。 若山敏弘さんから太極拳のある秘伝を教わりました。秘伝はなるほど凄いもので、それを教えた途端 に弟子は一派をなし、自分は用無しになる、それほどの物でした。 最近、徳間書店から出た彼の本に書いてあると思います。御指摘のようにそれが理解出来るにはそこ まで達してないと難しいと思います。一度読んでみて下さい。 最後に、六段以降の昇段の過程は貴方が書かれたことはもちろんですが、受験生はほそれに必要な練 習量、素質はすでにあります。そうでないと五段まで来てないし、受験をしません。 難しいことは素直に自分を評価し、人の意見、忠告に耳を傾ける生き方に人生の方向をかえることで す。 さらに、この人は私の師匠と思う人を持つことです。 剣道の強くなる秘伝は「寝間着にパジャマを着ない。」ことだそうです。その心は「何時で裳裾か ら手が出せる。」です。 気持ち良く剣道にいかせてもらえることが一番大切なことだそうです。私もそう思います。 私は毎朝女房のパジャマのさら下のパンツの中に手を入れて、御挨拶します、御機嫌いかがですか? と言いながら。 これが、私が剣道に何時でも行ける環境作りの「秘伝」です。
Date & Time 11/07/1998 09:24:26 Posted by me
いろいろと、、
考えました。最大限に言葉で説明をされていることに一礼させていただきます。 >スピードとバネがなくなったころに、、、というのが解ったような気がします。 四国の剣士、川添六段?は上段からの面打ちで無敵であったように記憶しています。スピードとバネ が日本一を制しているときです。私はここに下段からの剣術で勝ちにいきたいと想います。 川添剣士の面打ちの動きを0.1.2とすれば、こちらは0.1で小手を決めたいと想います。もち ろん払わず に、誘うわけでもなく、、、、。 ↑これは、時々考える妄想なのですが、やはり竹刀を当てにいく事を目的とした六段未満の思考で した。「月刊剣道」の本は今日は探せませんでした。そういえば、M・Yは先生のイニシャルですよ ね。なるほど・・・。 (^^)
Date & Time 11/07/1998 09:27:03 Posted by me
訂正
イニシャルは間違いでした(スイマセン (^^;)... ) ツリー全体を読む
△上に戻る 構えについて 黒木 雅彰 [Mail] 2003年6月11日(水) この前八段のK先生がお見えになっていました。聞くところによると武専の最後ぐらいの卒業の先生だそうです。私も西村先生の書き込みを見ていたのでK先生がどういう剣道をされるのか順番を待つ間に観察していました。蹲踞から立たれた時、普通は一旦大きな声で気合を入れますが、このとき私は力んで肩に力が入ります。一旦肩をいからせてそれからまた肩が下がります。K先生にはそれがありませんでした。肩に力みがなく全体的に無駄な力を抜いてただ立っておられる、そんな印象を受けました。足幅も広くなく西村先生の分析されておられるとおり、右足が左足を少し追い越した位のところつまり右足の踵が左足のつま先よりほんの少し前辺りでした。ということは、この時点で体の重心は左足に7部くらいあり、いつでも相手の動きに対応できるということになると思いました。左右の膝にも緩みがあるように見られました。 7段の先生たちが懸かって行っておられましたが、いとも簡単に返し胴を切っておられました。40台で7段の先生といえば私たちから見れば鬼のように強い先生方です。「小手も胴も打てるのに、何で面なの?」と思って見学していたのですが、多分面しか打てるところがないのではないかと思いました。K先生の構えに秘密があるのではないかと思い今度こられた時はビデオにとって研究しようと思いました。更にもう一つ西村先生の過去の分析から今日再認識したことは、K先生は必ず一歩前に出て捌いて打っておられるということです。「剣道は一歩前に出て打つんだよ」という先生の分析結果を今日実際に拝見してやはり「西村先生はすごい」と思いました。私も懸かって行き西村先生にご教授いただいた斬り込む面を精一杯切り込んでいきました。西村先生のおかげでK先生に誉められましたよ!私もいつか八段の先生のように力を抜いて立てればいいなと思った稽古でした。有難うございました。またメールします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 中心を取る 黒木 雅彰 [Mail] 2003年6月17日(火) 昨日の稽古にも八段のK先生がお見えになっていました。私も三人目に掛かっていきました。一番最初に行かなかったのはK先生の構えと足の運用(特に左足、西村先生の分析にあるような右足の滑落)を自分の目で確認しておきたかったからです。イメージとしては支えているものを外して重心を移動する、と考えていたのですが、なかなか実物を見る機会がなく自分のイメージで良いのか悪いのか理解できませんでした。自分としては右足を前、又は移動する方向に大きく移動するイメージでしたがK先生の足の移動はごく普通の歩くような感じに見受けられました。重心のぶれも余りなく、とても自然なのです。大先生の稽古というのはこんなにも無駄がないものなんですね!返し胴を切るとき滑り出した右足の先が移動方向ではなく、若干お相手の先生のほうを向いているのに二度びっくりしました。理事一致というのはこういうことなのですね。感動しました。後、立ち上がられて構えた時、すでに竹刀は相手の中心に”ピッタ”とありました。竹刀の先が相手の中心と見えない糸でつながれているかのごとくでした。中心の取り合いでは必ず御自分の竹刀が上太刀となるように竹刀の先を動かしておられました。多分心で勝っておられるので、西村先生の良く仰る「猫じゃらし」のようにされていたのでしょう。お相手の先生の竹刀は全部抑えられ、捌かれまるで打たされておられるかのようでした。自分の番に来たとき、前の先生との稽古を見ていたので、自分なりに(出来る範囲で)中心を外さない、斬り込む面を打つ、という気持ちでお願いいたしました。結果は攻め込まれて打たれ、引き出されて胴を抜かれ、手元の上がった循環小手を斬られました。ただ、二回ほどK先生の誘いに乗らずスッと前に出て中心を攻めていたときがありました。先生は打ちを途中で止められました。本当の偶然なのでしょうが、先生に攻め込むことが出来たのだと思いました。西村先生にご教授いただいている斬りこむ面は、中途半端な気持ちでは出来ません。自分のすべてを賭けて打ち込むものだと思っています。K先生にその意識が届いたのでしょうか?偶然にせよそのようなけいこが出来たことがとても嬉しく思えます。これも西村先生のおかげです。有難うございました。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:中心を取る 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年6月17日(火) 捌かれ、引き出され、胴を抜かれながら懸かって行くのが剣道です。 段々と手元の上りが遅くなり、体が先行する様になれば先生はそれを認めてくれます。 ギリギリまで竹刀を上げない修行が大切です。 ツリー全体を読む
△上に戻る ここから剣道が楽しく、難しくなる! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年8月20日(水)
『昨今の稽古では剣先が中結いすぎるまで入り込んで(入り込まれて)から打突を起こしています。』
最近の黒木さんの稽古のことでしょうか。 (それとも、一般的に昨今の剣道稽古風景でしょうか)
元立ちが黒木さんに面を打たせてくれていたのでしょう。 その時は元立ちは攻め入って来ません。 黒木さんが先皮が触れる間合(触刃の間合)から、グッと攻めは入り(打ち間)、面を打ちだすまで、元立ちはその攻めは入りを許してくれていたのです。
1-まず黒木さんの腕が上がり、相手が少し本気になってきたのです。 黒木さんが攻め入ろう、体を進めようとした瞬間、元立ちはそれを察知し、スーッと打ち間に入ってきていたのです。 黒木さんが手元の上がった瞬間に取りに来るのです。 少し強い元立ちの反応です。 身体的感覚間合でで先を取って勝ちに行く。
2-もう少し強く理合い、間合が、身体的感覚の距離も間合に明るく、尚且つ心理的間合、意識波動的間合に明るいと叉違った展開になります。
黒木さんが身体を前進しているとき、元立ちは以前は気を抜いていましたが、しかし今度は気を発し、来れば突くぞ!手元が上がれば小手を打つっぞ!腋が甘ければ胴に行くぞ、甘い面は返して胴を打つぞ!の意識が働きます。 元立ちは黒木さんを打ち取る気持になっています。 相手を本気にさせたのです。 この強力な意識の予備動作が黒木さんに感じとれるから、打ち間に入っても、潜在意識は入らないだろうと予測します。 このように、相手に押されて思う半分も身体が動かなくなってしまうのです。
捨てると云うことは相手の力、相手の攻めと自分の攻めの相関関係で決ります。 相手が5/10の意識で稽古をしているときは、相手の意識を少しでも上回れば確率60%と潜在意識は読み、面打ちに賭けてみます。 その段階では捨てきっているのです。 しかし、相手が9/10位で対応してくると、自分の力全部出しきっても相手を上回らないことを察知します。 そうすると、潜在意識が確率50%を越えないことを知るとき、どうしても捨てきれません。 賭けに勝てないことを知れば捨てれません。 相手が捨てさせてくれないのです。
元立ちは相手の心を手の平に乗せて転がします。 こちらのわずかな動きに、黒木さんの潜在意識は身体の動作になって反応を始めます。 黒木さんの心をしっかり把握し、動かしきれたと感じた時誘いをかけます。 これを『陰を動かす』と云います。 じわじわと心を攻められ、いつもは打てる身体的距離なのに、心が定まらないから面が打てないのです。 顕在意識は打とう打とうとしていますが、賢い潜在意識は駄目だ!駄目だ!打ったって入る訳が無いだろうと、止めろ命令します。 これが『葛藤』です。
このようにした後、スッと緩めてやります。 そうすると、苦しかった潜在意識が『シメタ!行けるかも』と餌に飛びつきます。 一瞬、確率50%を越したと勘違いします。 そこを取るのです。
西村に稽古で勝てない人は、ほぼ100%勝てません。 身体的間合ではなく心理的間合で、心をしっかり捕捉されているからです。 この辺の心の感性が低い人は掴み切れません。 身体的間合の勝負になります。 (相手が若くて速くて強い場合は年齢的にスピード敗けいたします。 しかし、突きがあります。 打ちに来たら、手元のすき間から突けばスピードは全くいりません。 ここで突くかどうか悩む元立ちです。 大人の稽古では突きから剣道は始まります。 試合剣道では当てあいから始まります。 突きを控えて打たせればつけ上がる!突いてしまえば怒りだす! 精神レベルの低い人との稽古は骨が折れます。) 何を言いたいか! 黒木さんは相手を本気にさせ始めた。 そのレベルの強さが身について来たことです。
やっと剣道の身体的基本動作を習得したところです。 次の課題が『心理的間合』の勉強です。
ここが剣道の一番楽しく難しいところです。 先ほど書いた『葛藤は』相手次第では大きくなってしまいます。 大切な試合ではさらに大きくなってしまいます。
1-相手の意向に関係なく、打たせて頂ける、基本打ち稽古と思い切ってしまうことです。 自分勝手に勘違いを完結するのです。 2-ここで悩むレベルになった自分を喜び、『先生!真剣になって下さって有り難うございます。 それでは先生宜しくお願いします。」と開き直る。 3-剣道は難しい物だと感じ、その問題解決、パズル解きを楽しむ。 そうすると、武芸書、先輩の話し、心理療法、極意と云われる物等にヒントが多く見つけることが出来ます。 4-最後は、賀来先生の『何にも無いんだよ!」 の無念無想の世界に入っていきます。 目下、西村はこの世界の扉を開いた所です。 一回だけ師匠に通用した。 こんな感じかなあと!分かり始めた所です。
高段位になればなるほど心理的間合の比重が大きくなります。 そうなると、剣道の稽古よりも生き方が問題になってきます。
西村が『死』を意識したとき、全く心が騒がなかった。 人生悔い無し!ようやって来た!これ以上に人生は出来なかっただろう! 妻ともう少し戯れ、愛の交換を楽しみたかった!その意識だけだった!
その後気がついたのです。 『いつでも死ぬ覚悟は出来ている。 それなら、修行は止めだ!』 以後、何事においても修行はやめました。 剣道もしかりです。 ただ楽しむ!です。
ハッと気がつきました。 『竹で打ちに来る相手にオタオタすることは何もない。』
相手に打たれれば、なかなか速いなあ!で終わりです。 相手の竹刀は西村を打つことは出来るが、西村の心を打つことは出来ないのです。 その頃から、どんな人としても心を打たれることはないです。 剣道的技巧、若さによるスピードといった所での優劣でしかありません。
この辺りの所はここを見て下さい。 不思議世界掲示板 西村の不思議体験(旧書き込み)から - 西村雅興 [1月28日(火) ツリー全体を読む
△上に戻る 右脚のコツ。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年9月21日(日) 右足の使い方にはコツがある。
結構強い六段・七段の人でも、右足の使い方がまずい。 あれだけ剣道が出来るのに、何故あの簡単なことが出来ないのか不思議になってきた。 西村の面打ちの修正方法を熟知すれば、かなり出来るようになる。 しかし、大切な本質的なことがある。
さて、構えも、腰も、足も打ち方も全ては、本人の無意識の反映であることを認識してみよう。
スラッと構え肚が出来てきた六段、攻め込もうとするが動かない。 ここまで来れば七段はもうすぐだ。 打ち気のない、攻めのみに徹しているときは良かった。 彼が自ら打とうちしたとき、肩が、頭が前に出てくる。 本人は有意識では攻め入ろうとの動作のつもりが、無意識が打って出ることを決めた身体の動きなのだ。 そのために、打って出るに一番の体勢に持っていってしまう。 無意識の打ち気が頭と肩を前に出すことで、つい右足に体重が乗ってしまう。 すると、攻め入ったつもりが、ブレーキが効かないで、打つしかなくなってしまっている。 相手だって打ってくるのが判った相手に黙っている訳がない。 そこで、四分六の相打ちにまでしか押し込めない。 審査ならば両落ちだ。
西村が指導した。 「貴方のその立派な肚の座った構え、そこからヘソの位置と頭の位置を真っ直ぐ棒を立てたとして、その棒が前傾しないように平行に前に出る。 それは10センチでも良い。 大切なことはただ出るだけだ。 一切、打とうとは考えないことだ。 この10センチに相手の心が動く。 その瞬間、左足を蹴ってヘソを相手の胴にぶつけに行く、その次の瞬間に左手が動く。 相手のメンを打ちに行かないのがコツなのだ。」 「頭が前に出る、胸が狭い、肩が出る、これでは右しに体重が乗って前に倒れようとする。 これでは相手の心を観る前に、打ち走ってしまう!」
相手が打ってこないときは、首の後ろを緩め“ホイ!”打ちませんかと誘えば良い。 相手が遅いとメンを取り、相手が速いと胴を返し、勘が良くハマッタ、シマッタと感じて途中で止める相手には、相手の竹刀が面に当たる瞬間に返せば良い(これは返すことは簡単だが、体の捌きが難しい!。
相手も相応の腕があれば、こちらが一方的に打つといても承知はしてくれない。 だから、スッと相手の打ち間入ってしまい、相手が打つしかない状況を作ることだ。
この攻めは入り、入り身の距離を10センチ位から徐々に伸ばしてみよう。
『体を前進させるが、打つ気を全く捨てる事だ。 相手が打てと合図したとき、左足を蹴って打つ。』 この気分で前に出れば、上半身の前傾は起きない。 まず、正すべきは心なのだ。
今日の稽古は最高の動きだった。 昨夜、八時頃から無性に眠くなり十二時まで寝た。 その後、一時頃から朝の八時まで寝た。 身体に気力が充実し、脚の強さが二十才程若返った様だ。 相手は全く西村の動きに付いてこれなかった。 この身体の回復には、色々な理由があるのだが、それは秘中の秘。 自分を愛する最新の医学的な方法も取り込んでいる。 皆さんが年相応に老けて行っても、西村の身体だけはその老いに脚踏みをさせて、出きるだけ踏ん張って行くつもりだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 二日間の成果! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年8月4日(月) 今日は歯科学生の剣道大会とOBの大会も岐阜であった。
何とも言えない二日間だった。 仕事は午前中で終え、岐阜へ行く。 ホテルは唯一部屋のみ空いていた和室がついた特別スイートルームだ。 一拍10万円の部屋だ。 五人まで泊まれるが泊まるのは私だけ。 長良川の花火大会で、金額が張って窓から花火が見えない部屋だから空いていた。 翌朝、同窓のOBやその他の人達と稽古、それに、賀来先生と稽古が出きればと思って岐阜まで来た。
会場前で賀来先生に会って色々話しを聞いた。 賀来先生曰く 「剣道は原理さえ知れば簡単な事なのだが、教えてやっても誰も教わった通りにやらん。 『それは難しい!』とか何とか言って素直にならん。 剣道は簡単なのだがなあ!」 西村が質問した。 「先生!今年の京都の立会いですが、あれは相手が押さえに来た所を回して抜いて打ったのですか。」 賀来先生 「あれわな!くッと攻めると下がりおったわけやな! こりゃ逃げとるなと思った。 逃げる相手を打つのは大変なのだ。 そこで逃がさんようにせなならん。 少しグッと攻め込むと相手は敗けじと、グット押し返すわけだな。 そこをストンと面に出たんだよ。」 西村 「そうだったんですか。 逃がさない方法をとったんですね。 相手が攻め返そうと竹刀に力を入れた瞬間に、上から乗ったんですね! 以前その先生にお願いしたことがあります。 参考になりました。」 賀来先生 「去年は良う入った。 相手はボーッと立っているだけだもんな。 あの後会った時何も言わなかったから、打たれた事を知らないんじゃないかな! 打っていっているのに、ボーッと立っておれば打たれるわなあ!」
先生の話しを聞くと西村の腕がそれだけで上がります。 昨年お話を聞いた後、川瀬先生とかなり良い稽古が出来ました。 賀来先生 「剣道はな!何も考えずにポンと打てば入るだよ! 何もないんだよ!」 西村 「そうですね、打とうと思うと相手に伝わっているんですよね。 打とうと思うから相手に読まれんですよね。 昨年八段に受かった若手の人と、数年前に稽古をしました。 彼は警察官でプロですが、打ち気が胸で正体を出すんですよ! 相手が胸を出して正体を出した瞬間、私の右足は出ていて、彼が右足を出した瞬間、私は左足を蹴りだしています。 相手がどんなに速くても、面を打てますよね!」 賀来先生 「剣道は簡単なんじゃよ! 教わった通りにすれば一番近道じゃ! 素直に教われんのだなあ!」
そうこういている内に開場となった。 岩手医科大学歯学部はOB戦は不参加だった。 来週東北地区の歯科医師の大会があるからだろうか。 いつもはサブ道場等で、歯科医同士の稽古会が模様されるがそれもない。 せっかく防具を持って来たのだから、ゴマちゃんに頼んで昭和大学歯学部OBの試合前の稽古に参加させて頂いた。 ゴマちゃんは今日はゴマアザラシ胴ではなく、鮫胴だった。 皆さんが稽古をしていて、会場がにぎやかなので余り集中できなかった。 ゴマちゃんが面に来るところを胴に二本斬る。 しかし、右手で胴を隠して打たさない。 小太刀護身道では、これで右手が無くなった事になり、二回目打たれた時は無い手で防げないことになり一本となる。 試合ルールでは胴を打つになっているが、基本的には腕の上から打たれても返されて打たれれば敗けだろう。 いつもは、この腕を切り落とす強さで打つことにしているが、ゴマちゃんには試合前の事でもあるし、それは出来ない。 いつもは面に振り降ろす隙をを見せないが、今日は緩めて面を打って貰ったのだ。 胴に返すのは止めにして、面の相打ちに突きにした。 彼の右の首と左の首の両方に抜け切った突きを外して入れた。 まともに入れたら鞭打ちになってしまう。 最後に彼の面が右側に入って終了。 少し攻めを緩めると、彼の良いところが出てくる。 未だ稽古を初めて日が浅いから、そのうちもっと良くなるだろう。 彼と話したが、上段で六段を受験して欲しい。 試合用でない、本格的な上段が身に付けば、彼なら上段で六段が受かると思う。
昭和のOBと二人稽古をした。 素直な良い剣道だが、西村に間合を盗まれているに気がつかない。 それで、見事に面に打たれてしまう。
最後に岡本先生と稽古をした。 ストン!ストン!と面が入ってしまう。 少し足の盗みを緩めると、相打ちまで入ってくる。 勘が良いのだろう。 ヘソを胴にぶつける様に指示して面に引き立てると、腰の入った良い面が打てた。 少し気を良くしたと思う。 この感触を味わって貰って、終了。
ゴマちゃんは二振りで二本取る、省エネの勝ち方をしている。 さすがに試合は上手い。 ちょっと恩義がある人には、義理堅く敗けている。 癖のある人に手間取ってた。
岡本先生は医科歯科OBの大将で立派に責務を果たし、優勝をした。 決勝戦の大将戦で出足良く小手を取った。 相手に対し足で間を盗み、攻め込むとき体が後方へ反りかえっているのが気になった。 前にも注意したのだが、前後の足幅が広すぎるからだろう。
賀来先生が「試合のあと時間があったら、一つ稽古をしょうか。」と言って下さった。 宜しくお願いしますと言ったので、全試合終了まで見ていた。 しかし、稽古が出きる状態では無くて残念だった。
帰宅すると、妻が言った「パパ!不完全燃焼の顔している!」 妻にはすべてお見通しだ。
まあ!二日間かけて成果は何だろう。 『賀来先生京都での立ちあいの意味を聞けた事だ。』 『相手を逃がさない方法だ!』
お金や時間ををかけないと良い話しは聞けないものだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 『相手には、俺がみえないんだなあ!』 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年8月10日(日) 『相手は俺がみえないんだなあ!』
賀来先生との話しで、「相手は俺がみえないんだなあ!」と言われた。 「昔、俺もそうだった! 打っていくとそこに先生がいないんだなあ! 先生がいつ打ってきたか分からないんだなあ! 最近、俺もやっとそうなってきた。 剣道は簡単なんやなあ!」
賀来先生先生が古川先生に打った三本の面見て、夢でその光景を見ながら、西村は寝汗をかいて風を引き数ヶ月間、気管支炎出悩んだ事がある。 お陰で脱皮が出来たが。 先生の面をビデオで数ヶ月見てから先生に稽古を頂いた。 先生の一本目の面は西村が小手を頂いた。 二本目は胴を頂いた。 ふと気が緩んだか、三本目は面を頂いた。 先生が来るのを唯眺めていただけだった。 これは長期に渡る先生の面の研究成果なのだ。 賀来先生の面を有名な範士八段に試してみると、時には上手く面が入る。 相手の先生はビックリする。 残念なのは賀来先生と同じ意識のレベルにいけないことだ。
西村が『足』も重要性を書き、胴体力についても書く。 それらは各論で、実際は統合されたものが大切だ。
賀来先生が『手で打っているな! 足で打っているなあ!』とつぶやいた。
『手で打つな足で打て! 足で打つな腰で打て!』 その次に有った言葉が閃いた。 『体全体で打て!』だった。
賀来先生の打ちは体全体でゆっくり打っている。 相手にとっては急速な変化を掴むことは容易だが、それも部分的な動きの変化は特に捉え易い。 猫がふわりとネズミを掴まえに飛ぶ動作だ。
賀来先生の面が見えて喜んでいた後、得体のしれない小手を頂いた。 どうして打たれたか全く分からないのだ。 その小手は京都大会の井上先生に発揮された。 田伐さんさんのビデオでやっとその理由が分かった。 色無く気配無く、ただふわっと小手を打っていたのだ。 先日の話しでは、打たれた方も打たれた事に気がつかない様だ。
この枯れた心境で猫の打ちをしてみたい。
そう言えば、師匠・原田源次先生が言った言葉を思い出す。 「賀来先生は間合が明るい!」 この間合が距離的な間合より、御互いの認識する間合の事だと気がついた。
最近、この認識的間合を研究している。 相手が西村に言う。 「何故打たれるのか分からない。 確かに私が先に打ったのに。」 そうなのだ! 西村が距離的間合に十分入っているのに相手は反応しない。 相手の認識能力を低下させる入り身の術なのだ。 身体技術はそれほど難しく無い。 今まで何度も書いてきた。 難しいのは『心・意識』のレベルなのだ。
風が後ろから吹いてきて前に出る。 相手の呼吸に吸い込まれる様に前に出る。 色々工夫をしてみた。 結構上手くいくがもう一つだった。
今回、岐阜で聞いた話し。 『何も無いんだよ!』に徹してみた。 何と簡単に間合に入ってしまえる事に気がついた。
原田源次先生もこの心境で、体を進めているのかと感じた。 先日、この心境で「体の懸かりの先」をしたら、一本だけ通用した。 こちらの意識に相手に読まれるものが無いから、先生も読めなかったのだ。 この一本だけは先生の手が先に面に動いた。 一瞬の我慢比べに勝ったのだ! だだ言えることは、『我慢比べさえ無かった』ことだ。
賀来先生の一言が西村を変えた。
岡田さんが『賀来先生と稽古の後に頂く話しが、本当の稽古。」と云う言葉が実感として感じた。 ツリー全体を読む
△上に戻る 今の面を続けましょう! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年8月6日(水) 今回は西村の頭はスッキリ透明で、原田源次先生にも一本良い打ちが出たぐらいです。 雨宮さんの心も身体もすっかり見えていました。
足を上げる注意をした後の面は見事でした。 ギリギリまで手元が上がらないから、小手も胴も打たれません。 ヘソを相手の胴にぶつけるか、胸にぶつけるかは意識としてどちらが良いか判断して下さい。 余り高い所に設定すると、右足が上がってしまいます。 その設定が低いと効果が上がりません。 程よい所を設定してください。 ヘソ→胴 の意識が高いと、竹刀を持っていることを忘れます。 竹刀を持っていることを忘れたぐらいが、手元の上りが丁度よいです。 七段審査はヘソ→胴を意識して受けてみましょう。 きっと受かります。 ツリー全体を読む
△上に戻る ご褒美? ゴマちゃん [HomePage] [Mail] 2003年7月22日(火) 今年のはじめに 和漆を使っていただき黒胴を作りました。最近は こればかり使ってます。鮫胴も先週 西村先生が 購入されたことに刺激されて 私も勝ってしまいました。胸に2頭龍が刺繍してあります。 剣道は 道具じゃなくて 腕が大事なのは解ってますが、仕事のご褒美ということで ちょっと自分にあますぎるんかもしれません 西村先生のお言葉に後押しされて買いました。 この連休で 家族サービスもしてきたので 週末の大学の合宿、岐阜での大会参加も大手を振っていけます。あとは怪我をしないように ストレッチですね。 西村先生、岡本先生、稽古よろしくお願いします。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:感性・位 ゴマちゃん中野 [HomePage] [Mail] 2003年7月4日(金) 昨日は hideさんやその同年代の茨城の元国体選手と飲みました。tagi2さんのところで 西村先生の師匠の剣道をどんなものか目を凝らして見させていただきました。今度 ビデオではなく本物を見させてもらいたいと欲がでてきました。 怖さを知らずに 肉離れしても試合を続けてしまうゴマですが どうも 西村先生の前では 猫になってしまいます。栄光武道具でトラ皮の胴を見て これをつければ先生に互角で臨めるかなんて あさはかな夢をみました。
岐阜は先生行かれますか? 先生にお話したいことが たくさんあります。聞いてください。
最近の自分の稽古は 打たれても 芯を食った会心一発をお相手に決めることを心がけております。 ツリー全体を読む
△上に戻る 鮫とアザラシでは勝ち目がない。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年7月17日(木) 西村の特別仕立ての鮫胴が、一年以上かかって出来ました。 ゴマちゃんがとらをの胴をつければ、龍虎の闘いではなく、鮫とトラの闘いですね。 西村は鮫胴ですから、ゴマちゃんがアザラシだと、鮫の餌になってしまいますね。 益々立場が不利ですね。 売り上げアップの御褒美にトラの胴も自分にサービスしてはどうですか。 仕事にもハリが出るかもしれません。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古7/14 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年7月15日(火) 全剣連合同稽古7/14
今日は全剣連合同稽古の合同稽古だ。 原田源次先生とは昨日の夜からイメージトレーニングで稽古をしている。 夜の二時半頃まで、頭が冴えて眠れない。 妻が目を覚まして言った。 「パパ!剣道のことを考えているんでしょう! 不動心!不動心!冷静に!冷静に!落ち着いて!落ち着いて! いつも人に言っていることでしょう! しょうがないわね!」 そう言いながら、妻は私の頭をさすってくれた。 そうすると欠伸が出て、眠くなってグッスリ寝れた。
朝の目覚めはスッキリしていたので、今日の稽古は大丈夫だ。 午前中は仕事は休み、血管内壁を奇麗にするキレーションに赤坂へ行く。 午後は患者様を二人診察・治療。 疲れは全く無し。
胴は鮫胴で一年半懸かって出来あがった物を着ける。 派手な鮫胴なのでちょっと気恥ずかしい気がする。 普通の鮫胴ではなくて、星がぼたん雪を散らした様な文様だ。
原田源次先生に並ぶ。 いつも五番目ぐらいに並び、気持を静めて自分の番を待つ。 前の二人はかなり切れ味の鋭い面を打っていた。 しかし、先生にはストンと打たれる。
西村の番が来た。 昨夜考えていた、先生に合わせて打ち込むより、先に体を強く出して打つことにする。 先生はおや!と云う様な顔をしたが、今日はこれで通して見る。 身体は万全なので体の切れは良い。 最後の方に、面が二本入った。 先生が不満そうなので、「軽かったですか?」と聞いた。 先生が言った。 「左手が浮いている!もう一丁」とかけ声が懸かる。 腰を入れ、左手を十分搾って面を打った。 「それで良い!」と、先生はすれ違い越しに言った。 稽古は終わった。
最後の三本は面の引き立て稽古だった。 原田源次先生はめった自分からは相手に打たせない。 引き立て稽古は弟子と特権なのだろう。 しっかりと面を打つ機会・手の内を指導を受けた気がした。
全剣連のある人が西村に言った。 「原田源次先生を余りいじめては駄目だよ!」 その人から見れば、西村の面が見事に入った。 そのように見えるほど、それほど上手に引き立てて打たせて貰ったのだ。 磯嶌さんが言った。 「西村先生は魔法を懸けて、見事な面を打たせてくれる。」 これと同じように師匠は、西村の面を引き立ててくれたのだ。
送っていく車の中で一言先生が言った。 「今日は無理をして打ってきたな!」 西村が言った。 「ハイ!いつもは先生に合わせて、遅れないように捨てきって打っていましたが、今日は昨夜から考えていた、先に体を入れ込んで捨てて打つことをしてみました。 ちょっと一人相撲でしたね。」 先生は、この先の体の入れ込みに免じて、面を打たせてくれた様だ。 西村としては若い稽古をしてみた。
この入れ込みに竹刀が走ってしまい、早く当てる面になってしまった。 左手が面布団を捉えに行ってしまった。 そこを注意を受けた。 西村がいつも人に指導をしていることを、先生から指摘を受けた。 人を指導し、人から指導を受け、この繰り返しで剣道は修正されていく。
雨ちゃんとの稽古 全剣連合同稽始めの前の、長堀先生との稽古を見ていた。 足腰が十分になる前に、少し早く手が打ちだしていた。 かなり良い面を繰りだしていたが、そこが惜しかった。 それで、西村との稽古は「ヘソを相手の胴にぶつける様に体を出し、面を打つこと。そして咽まで切ること。」と指導した。 腰の入った、手の内のしっかりした、今まで打ったことが無いような面を打った。 本人もあれ!と言う顔をした。 本格的な納得出きる面の感触を掴んだ様だ。 西村が原田源次先生に注意を受け、進化するように、彼は一皮向けた。
コツは簡単なのだ。 意識の転換、変容なのだ。 竹刀で面を打ちに行かないで、相手にヘソで胴を突き込む様にすれば、自然に腰の入った手の内の利いた面が打てるのだ。 竹刀を忘れれば、良い面が自然に打てる。 竹刀で当てに行かないで、咽まで斬り込んで行けば、見事な面になる。
これは西村がこう書きながら、自分へ言い聞かせていることなのだ。
田井さんとの稽古 雨ちゃんに見せるように何本も面を打って見せた。 その後、田井さんに同じような指導をした。 見違える様な面打ちに変身した。 後半の面は立派でした。
今日は最近65才過ぎで八段になられた先生と稽古をしてみた。 息子さんとは土曜稽古で良く稽古をする。 お父さんの年を聞くと68才とのことだ。 稽古が始まった。 攻められる気が無いが、相手もさるもの西村の攻めに動じない。 少し強引に間を詰めて打ってみる。 少し手元が上がるがそうは打たせてくれない。 丁々発止と竹刀が行き交う。 西村が甘い攻めを見せた、すると先生が思い切った面に跳んだ。 機会は西村が作ったし、心が静かだから、待ってましたと胴へ返して一本。 暫くして先生が、面に飛んで、面を頂く。 これで終了。
稽古の後の挨拶に行く。 西村が言った。 「高齢で八段を受かるお人は、やっぱり思い切った面を打たれますね! 強い七段が沢山いるが、八段に受かる先生はここが違いますね!」 先生が言った。 「ドングリ背比べから抜け出るには、これが出来ないとね! この面がでないと、差が出ないよ!」
西村は高齢の八段合格者と好んで稽古をしてみた。 六十才以上で八段を受かると云うことは、至難の業なのだ。 合格率は0%〜0,5%なのだ。 その秘訣は「捨てきった、年不相応な位の面を打ち切ること。」なのだ。 この勇気をお持ちなのだ。 皆様、年に似合わず若々しい剣道をなされる。 原田源次先生このことを云うと。 「捨てきれるのだなあ!」
若くて八段になった先生方はさすがに皆様強く、上手い、感性も高い剣道をされる。 しかし、高齢者の八段合格は心がけなのだ、勇気なのだと感じる。 そい云えば、77才で八段に合格された先生が西村言った。 「青年の様な気概で面を打つ!これを心がけて審査に臨んだ!」 年を取れば用心が深くなり、冒険が出来なくなる。 ここの心が難点だ!
千葉の方が稽古を望まれた。 やってみると、面を相打ちに行くと、乗られる。 身体も立派、稽古量も豊富なのだろう。 かなり自信があるようだ。 彼は、、面の相打これは行けると感じた様だ。 ただ、西村の心に迫る攻めを全く感じない。 相打ちを避け、腹から咽を攻めると打ちが弱くなった。 相手が「一本お願いします。」と言ったのでそうする。
腹から咽を攻め、スッと緩めて面を見せながら体を入れる。 相手は「やった!」とばかり面に来る。 サッと面を返して、相手の右側に体を進めながら胴を打つ。 この胴を返す速さと、体の捌きには西村は絶対なる自信がある。 まず面を打たれたこと記憶がほとんど無いぐらいだ。 剣道はかなり強いが、剣道の深さをこれから感じる頃だろう。 彼は西村のことを知っていた様だった。 ストンと取られると、グウの音が出ないのだ。
最後に稽古をした人は、日本人だがアメリカの所属の人の様だた。 ハバードと英文で書いてあった。 時間が少ししか無かったが、見事な面を打つ。 ただし、突かれることは毛ほども思っていない人の様だ。 ただ、西村が突いたら彼はどうするだろう。 面を打ってくる途中に軽く竹刀の先を咽に当てた。 おや!と言う顔をした。 突きの無い剣道は大人の剣道にならないことを知るべきだ。
そい言えば、八段の一番右端で、警視庁の名札を付けた小柄な先生が稽古をしていた。 見事な肚だった! 相手が打ってくるところ、ことごとく咽にしっかり突きを入れていた。 相手もさるもの咽を突かれながら、しっかり面を打ちきっていた。 多くの人は凄まじいい稽古と思うかも知れないが。 西村には、ちょっと羨ましい稽古風景だった。 西村が同じように突きを入れたら、あの相手の様にそれでも何本も、しっかりと西村に面を打ちきる様な稽古をする人を回りには捜せない。 おそらく警視庁同士の先輩後輩、叉は特錬の選手かもしれない。 あのぐらいの根性のある相手と稽古をして教えて上げたいと思った。 あのような稽古をすると、もう誰も稽古をしてくれない。 それでも、少し強い七段辺りから敬遠されている西村だ。 同じ段の人には遣われたく無い気持は判る。
着替えの最中に声をかけられた。 いつもこのコーナーを読み、「ときに目から鱗の気分になる。」と言われた。 「全部が理解出来るわけではありませんが。」と付け加えられた。 嬉しい限りだ。 西村はまあまあの強さで、特筆するほどの強さでは無いが、稽古の指導、コーチングはすぐれていると自負をしている。 教える才能は剣道だけでは無い、その他でも弟子は沢山いる。 剣道の研究・工夫もかなりな物だと自負している。 上手に西村を使って頂ければ幸せです。 人のお役に立つとき、幸せを感じます。
車中で原田源次先生が言った。 前回、先生が今心がけ手いる稽古方法を話された。 今日も同じ話しなのだが、今回は少し中身が濃い。 原田源次先生が言った。 「相手が打たんと思ってグット間を詰めたり、少し足を出したり、沈んだりの動きをしたとき、相手を誘うが如く、相手に浮かされた如く手元を軽く竹刀を半分位振り上げる。 しかし、この竹刀、手元は相手に合わせ、約半拍子早く動作をすることなのだ。 いつでもここから面にも、小手にも、胴にも打てる準備の、前動作なのだ。 後は相手に合わせ、竹刀を落すだけで入っしまう。」 西村が言った。 「なるほど!上段が竹刀を上から落すのににていますね。」 先生が言った。 「そうだよ!上段はこの間合が上手い!」 先生は相手の動き似合わせ、ここで手をスッと上げながら前進をする。 相手はもう打つしかない。 先生の思うツボなのだ。 相手の攻めがそのまま、墓穴を掘ることになる。
原田源次先生が高齢・病気になり、若くて早い人達への対応から生れた秘伝の様だ。 前に『原田源次先生が少し見えてきた。』と書いたことが有る。 先生が抜き胴の前動作がこれなのだ。 やっと先生の抜き胴の秘密が判ってきた。 何としても判らないとこだった。
先日、秋田から東京へ出向の強い若手七段の高橋先生に原田源次先生に抜き胴を打たれたことが有るかと聞いた。 「いつも打たれていますよ! 結局、面を打たされているんですよね!」と言った。
先生はこの技前を、胴に限らず変幻自在に使う様に工夫をされているのだ。
西村がこれを十分理解し、習得すれば、早い若い選手の様な人を相手にしても、教師八段の速さにたいしても、十分時間的余力を持って対応することが出きるようになると言うことだ。 これは面白い!!!! しっかり物にしたいと思う。 ただし、この手を上げながら相手に向かっていく必要が有ることを、肝に銘じて稽古をしてみよう。
新境地が開けそうだ。
今日の稽古の後は最近にない爽快感で一杯だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 目覚めつつあります! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年6月12日(木) 西村まだまだ尻が青いですね。 最近の不調の原因が判りませんでした。 最近マンションを引っ越して、畳みからベットに変えました。 ベットの時は畳みベットが西村の原則でしたが、今回は高機能のベットを購入しました。 ベットは苦手なので、じゅうぶん吟味して買いました。 寝心地は凄く良いのです。 寝心地が良いだけにこれが原因だとは気がつきませんでした。 寝違いの様なチ打ちの様な症状がつづいていました。 噛合せか、それとも栄養か、何かと探っていました。 今日の昼寝の時、枕を低くしました。 半分ぐらい覚醒しました。 原因はベットと枕の様です。 今日、千代田区の稽古では最高の半分ぐらいの出来でした。 久しぶりに意識と体が一体化しました。 風邪薬を飲んだような、眠気が少し消えました。 結局、合わない寝床と枕から来る、首の凝りから来る酸欠だと思います。 貧血様の長い状態が続きました。 これに多くカロリーを落したのが加わりました。 気力が全く湧きません、書き込みが最近少ないのはそのせいです。 意識に霞がかかると結局自分では無いですね。 (老人性のボケ症状の初期ははこんな感じかと思いました。 入れ歯でボケかけた人を沢山救ったことがありますが、噛合せの改善で首回りの凝りを取ったからです。) 西村、そろそろ目覚めて行くようです。 寝床をどのように変えるか、思案中です。
さて、今日の稽古ですが久しぶりに心地良い汗をかきました。 相手の動きは全て見え、全て先をとって自在の動きが出来ました。 (最高の1/2ぐらいですが) 防具の修理に出張されている人が、「先生の様に風のように動ける剣道が出きると楽しい出しょうね!」と言われました。 特に胴を打つときの動きは、何故あのように動けるか理解出来ない様です。 まずまずの動きに様でした。
西村に覚醒が1/2ぐらいだと、相手も打ち込み易い様です。 相手はいつもより良い打ちが出ていました。 西村が完全に覚醒している時には、相手が打つことすら出来ないと感じる様です。 1/2の西村では、ひょっとして打てるかと相手に思わすのですね! 原田源次先生が奥様が入院しての翌日の稽古は西村の分が良かったことがあります。 剣道は竹刀を構えた時、意識エネルギーの強さで勝負がついている様です。 マンネリ打破と思い、稽古場所を変えましたが、原因は別の所にありました。
今回、意識の中枢が酸欠だった様です。 原因が判れば回復いたします。 自惚れ強い西村の稽古振りが書かれるかもしれません。
追伸 ちなみに、西村は噛合せの状態で八段を下から眺める様な状態から、 八段なにするものぞの状態に、意識変化がその場で変わることを付け加えておきます。 西村が自分の噛合せを熱心に調整しているときは、強い相手と稽古をする予定があるときです。 なにしろ、オリンピック候補選手などはその場で、体が変化したことが判るのが噛合せです。 噛合せ、顎関節、頚椎、首回りの筋肉それによる、脳内血流量の変化は見事に一致します。 今回は凝りがひどくて回復出来ませんでした。
今これを書いている状態は、絶好調です。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:全剣連合同稽古6/16から。 雨宮 弘 [Mail] 2003年6月16日(月) 高崎から日本武道館へ向かう車の中は、健康の話になります。 体の悪いところ、水を飲んで肝臓の働きを刺激すること、歩くことなど。 中島義孝先生は、とくに食べ物について気を使っているようです。 風邪を引いていても、ひざが痛いときも、合同稽古会には皆勤です。 先生に全剣連の合同稽古会につれてきていただいた当初、「素直な稽古をするように」と言われ続けてきました。
原田源次先生に稽古をお願いしました。 しばらくして「一本」と言われました。 左足に体重をのせ、右足を滑らせて面に飛びました。 先生が一瞬消えました。こちらの打ちは先生にかすりもしないで、 見事に胴を切られていました。
「気が付かないと思うが、打つときに、構えた左手があがてってくる。そうすると、肩があがってくる」と注意をいただきました。 その後、面を打たせていただき終了。 知らず、知らず、左手に力が入っていたようです。良いところを注意していただきました。
帰りがけ、西村先生から、足で大地を掴む、ひざの緩みを指導していただきました。一ヶ月に一度、足の使い方を確認できて、ありがたいです。
西村先生の車に乗り込む原田先生に、中島義孝先生が一言声をかけました。 ひとことで通じ合うものがたくさんあるのだろうなと思いました。
今日もいい稽古を頂きました。感謝 ツリー全体を読む
△上に戻る 上手く説明出来ません! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年6月8日(日) 胴を打つ説明は非常に難しいです。 感性が高く運動神経がすぐれた人は、胴内は自然に身に付くものです。 試合でいつも入賞しているタイプです。 しかし、このタイプの人でないとき、胴を上手くこなすには困難がついてきます。
前進する身体動作に、急に体を右に捌く動作が加わるからです。 感が良い人は体が勝手に処理してしまいます。 前進の身体動作が未熟な人に、さらに上乗せする動作を付け加えるから、余計に動作が鈍くなります。 やっと胴が打てても、相手は目の前に居てぶつかってしまう。 基本的には胴打ちの説明は文章で書ける程に、容易ではありません。
しかし、理解出きる人がいるかもしれませんから、西村の胴についての考え方を書いておきます。
西村の面返し胴は天下一品と自惚れています。 抜き胴は師匠の原田源次先生が芸術的です。 抜き胴は何としても師匠の様に出来ません。
洸ちゃんの打てない胴はどちらでしょうか。 相手に押し込まれて打った胴は、面をはずして胴を打てば試合では一本になりますが、昇段審査では格下と見られ評価の対象になりません。 胴は相手の位や攻めに押されて打った場合は、上手く打てないものです。 例え上手打てても体が抜けない(捌けない)ものです。 お互いが前に出ようとして、相手の出足が良くてそれを避けようと体を捌いても、そうは上手くは行きません。
胴を打つときは相手を引き出して、相打ちで面を取ろうとするが、以外に相手の動きが速く面に取れないとき、面を受けて胴に返します。 攻め勝って、引き出して相手の出方に応じて打つのが面返し胴です。 西村の場合は攻め勝って、緩めるか、面を見せて、相手が打ってきたのを胴に返します。
胴を打つときに腰が決っているかどうかが決め手です。 腰が決れば手は勝手について来ます。
西村の場合相手が目の前にいても、簡単に胴に返して打ち取ります。 これは重心の滑落原理の応用です。 左足に体を右に動かす支点を求める前に(溜めを作ることが無く)、右足の力を抜きその方向へ重心を滑り落します。 西村の大きな体がスルリと相手の体にぶつからずに捌けます。 両手はスッと面に応じすぐさま手元をたたんで、鍔で切るように両手を下に降ろします。 この両手は腰に引っ張られて動きます。 これは武術的身体の運用なので、非常に高度な動きです。
さて、この説明をして理解が得られるには、七段でもかなり強い人でないと難しいのが現実です。
相手を引き出し、面に返して打てれば一〜二段の腕の差があります。 この様に試合で当てるだけの胴と、相手を引き出し切って取る胴には大きな差があります。
胴が上手く打てれば、技術的には剣道も出来上がりです。 それ故、難しいのです。
最初はかなり腕の差がある人を対象に稽古をされれば、コツが掴めるかもしれません。
昨日、稽古前に剣道の指導を六段の先生にしていた時、熱心にそれを見ていた空手の先生がいました。 なるほど!と頷きながら見ていました。 稽古の終わった後、同じく体の捌きの話しをしていたら、先ほどの空手の先生がまた、横で見ていました。
「今は武術的身体の動きを説明しているのです。 空手の場合も同じですからやって見ましょう。」 と言って、空手の先生に正面突きをやって貰いました。 西村は空手は全く素人です。 彼の突きを体で捌くのは至難の業です。 それに、剣道と違って間合が非常に近いのです。 相手が突いて来るのを察知して、左足裏に体を右に動かす支点を求めに行くと、支点を求めた瞬間に相手の突きは胸に届いています。 見事に突かれてしまいます。 相手は空手の先生、こちらは素人ですから当然です。 逃げようがありません。
「では、武術的身体動作で対応します。」と言って、先程と同じ突きをしていただきました。 西村の体はスルリと体を右に捌いています。 相手は“エッと!”とした顔をして驚きます。 小柄な空手家の素早い突きを、100キロを越える巨漢がスッと体を捌くからです。
右足の力を抜くと体は自然と右に傾き落ちて行きます。 それをちょっと左足で押すだけです。 腰がスッと右に落ちながら、体を捌いてしまいます。 この原理が胴打ちの体の捌きの原理です。
この原理を使い体を右に捌き、相手に正対するように足を浮き腰の原理に使うと、体を素早く左に動かせ、さらに逆胴が打てます。 これが二つ胴の打ち方です。
体を捌く動きの説明は難しいので、これぐらいにしておきます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 剣道は心気力一体によって表現すべき! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年6月1日(日) 西村の珍しき反省の書き込み。
剣道は心気力の合体なり。
今日は日曜日、予定は無し。 一度、六月になれば松風館へ稽古に行きたいと思っていた。 着いた特は二時、稽古は4時からだった。
今日の稽古に期待する部分が強いのに、頭がすっきりしない。 体が鉛の様に重い。 おかしいな! そうだ、この一週間は朝昼はマイクロダイエットで夕飯は少量だった。 貧血気味のオキちゃんだったことを忘れていた。 特に55才を過ぎてからは、前日の稽古の疲労が筋肉に残るので連チャン稽古はしないことにしていたのに。 行きたい行きたい、最近のマンネリの剣道の打破に風穴を開けたい、との気分が新松戸・松風館まで足を運ばせたのだ。
このような場合稽古をしないことにしているが、良きときも自分、悪きときも自分、良いときばかりで自分を評価する(西村は大層この傾向がある) ことを避け、色々な自分を見つめて見ようと防具を着けた。
七段でお客様とのことで、元立ちに立つことになった。 松風館の七段の猛者も懸かってくる。 あわよくば八段を目指す人もいる。 遠くからこの道場を求めて来られる人達なので、精悍な動きをする。 相手は見えるのだが、一瞬体が遅れる。 切り落とし様の竹刀が少しささくれた感じがしたので、軽い方を使った。 タイミングは良くても、軽いと切り落とし切れない感があった。 丁々発止と打ちあうが、頭と体がすっきりしないので、打ちが甘かった。 また、相手が切れ味良く、大きく捨てきった、松風館風の面が来る。 それでも最後の一本は気力を振り絞って切り落としを決めてきた。 二三強い先生もいた。
次に、岩立先生にお願いした。 待っている内に気力を立て直そうと思うが、貧血気味だった。 しかし、折角なのでお願いした。 相面からの切り落としと思うが、先生の体の出と竹刀の強さで、押し込まれる。 四分六で押し込まれる。 タイミングは捉えているのだが、左足の押しが弱く、体が上に上がり前に出なかった。 今回は前回の様に小手を打つことはしなかった。 真っ正面から打ち込むことにしていた。 今度先生と稽古をする時の課題だった。 この体調では精一杯稽古をしたが、体調不調の無念は残る!
稽古が終わり後ろに下がり待っていたが、貧血で立っていられないほどだった。 西村はこんなことはめったにないが、今回は特別だ。 今日の無い気力を振り絞った結果、座り込んでしまった。
出稽古の猛者を相手にした時の、元立ちの気力を使い。 岩立先生との稽古で使い果たした気力の後は、立てないほどに疲れきった。
初めての千代田の土曜稽古に行った時を思い出した。 早く時間が来ないかなあ!と最初の二三回は思ったものだった。 それも、今では物足りない位なのだ。
新たな目標が出来た。 ここの猛者と一時間わたりあって、岩立先生との稽古に余力を残す様になりたいと思った。 そうすると、次は岡先生への面の打ち込み我出来そうだ。
日曜日は体のお休みモードになっているので、少し立て直す必要を感じた。 もう少し体をスリム二にし、気力体力を充実させて稽古に行きたい。
気力が無いと攻めが弱く、相手を使えないことが良く判った。 松風館へ稽古に行くときは、前日の土曜稽古は休み、軽井沢の別荘でサウナとマッサージで体を休め、美味しいものを食べ翌日に備える。 お昼過ぎに東京に帰り、心気力充実させてから松戸へ向かう。 月に一度位はそうしたい。
岩立先生の話し 「今日は元に立ている時から、相手に乗ろう乗ろうとしているのが感じた。 足が足の幅、二十センチぐらいでも前に出ていれば、良かったと思う。 そこがなかなか難しいのだが。 でも小手や胴を打つのと違い、この面をしっかりやるのは良いことだ。」 と話された。
先生にあわやというのが一本ぐらいあった。 体の先が少し効いた時だと思う。 体調万全で再度挑戦したい!
最近の西村の剣道にフレッシュな感覚が甦った。 こんな気分になれたことは本当にありがたいことだ。
稽古の前に時間があったので、岩立先生からお話を聞いた。 遠くから貯金を使い果たすほどに稽古に通って八段になった先生。 昔の同僚の話し。 良い縁に恵まれ剣道一筋で来れたこと。 先生の人柄がこの縁を支えた様だ。 剣道が強いだけでは、警察でも剣道一筋というわけにも行かないのだ。 警察剣道のシステム。 選手、助教、師範、部署の移動など、剣道を一筋で生きていく難しさが警察の中でもあるのだと判った。 特徴ある八段の先生の話など。 先生自身も自分のペースで稽古をしたいが、色々と仕事が絡みオーバーペースの様だ。 これほどの剣道の大家でさえも、世の中の厳しい現実とも調整しながら剣道をされているのだ。 御苦労さんと言いたかった。
他のお弟子さんは、襖の向こうからにぎにぎしく挨拶をされていた。 西村は自分の好きな親戚の叔父さんの話を聞いている様な感覚で、先生に接していた。 竹刀を交えれば真剣に、その他では人間の交流でありたい。 岩立先生は西村と人間の交流を自然にされていた。 先生を自分の襖の向こうに追いやらず、先生の人柄の良さも感じたいものだ。 折角の先生を自分から遠くに置かないことも、人生の秘訣かも知れない。
稽古から帰って来た西村を見て、 妻が「パパ!ふぬけじゃ無いの、疲れきった顔をして、だから連チャンで稽古をしたら駄目よと言ったでしょう。 また足を痛くして歩けなくなったらどうするの! そんな時は土曜日の稽古を休みなさい!」 と強くお叱りを受けた。 妻は私の飼い主で、オキちゃんは妻に飼われた犬の様な存在なのだ。 妻の言い分は23年100%正しいのだ。 まさに妻の言う通りで、耳従うことにする。 ツリー全体を読む
△上に戻る 一瞬の我慢比べと見せる余裕! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月31日(土) 今日の土曜稽古は台風の影響か、少し少なかった。 そのおかげで体を自由に動かす事が出来た。 いつも技工士さんに診療室から体育館に送ってもらうのだが、ちょっとばっかりグッスリ眠り込んでしまった。 体が眠っていて、体の切れ味が悪かった。
面打ちの稽古を西村としている人達は、目覚ましい進歩がある。 大人は当てあいを楽しんで、当たった時の体の冴えの事の稽古をしない傾向がある。 上達の秘訣は足の動き、胴体力にこそあることに気がついていない。
最近Kさんの構えが良い、Nさんとの稽古でも相手を引き出していた。 残念なのは竹刀を早く当てようと、腰が準備をする前に手が出てしまっている事だ。 後で、指導をしておいたがここが直れば、強くなる。
土曜稽古会で一番上席に座られる先生がいる。 かなりの年齢とお見受けする。 若手最強の七段が面を打つも、先に小手を押さえられる。 同じく胴を打たれる。 打たれる理由は簡単なのだ! 攻めて相手が反応するする前に、自分の正体を出してしまって打ってしまうからだ。 かなり強い七段だが、打ち気が竹刀を動かしてしまうのが残念だ!
今日はゆったりした雰囲気なので、懸かって来る人が切れるのを待って、先生の前に並んだ。 西村の番になったとき、相手の先生がどうしても西村に元に立つように言われる。 いつもの西村ならば、あんまり固辞せずに、それではと元に立つ。 相手の先生は西村の剣道振りから元を勧めたのだと思う。 しかし、この先生の元に立てば、以後西村は一番上席に座らなければならない。 そうすると、稽古前の席順に支障を来すことになる。 この前に似た事を書いたが。
さて、稽古が始まった。 懸かる稽古をすれば、相手は百戦錬磨の老人故、こちらの心は見透かされてしまい、返される。 剣道はいくらスピードがあっても、読まれれば終わりだ。 西村は真っ直ぐ体を入れ攻め入る。 相手はこれ以上辛抱が出来ないところまで攻め入る。 そこで、少し色を見せると先生はシメタとばかりに、小手に来る。 そこを摺り上げて面。 同じく体を入れ込み、面を見せれば先生は面に来るので、胴に返す。 要は先を取って仕掛けて、読み勝ちをする。 先生も時々軽い打ちを来るが、そこは軽くかわす。 稽古の内容は、先生が西村を元に立たせたかった内容になった。
後で、お年を聞くと八十才とのことだ。 西村五十七才、二十三才のハンディーをもらい稽古をしたわけだ。 西村よ!お前は八十才でこの先生ぐらいの稽古が出きるかと聞かれると、いささか心細い。 そう言えば師匠は七十八才、胃がなく、胆嚢もない、その上いつ心臓が止まっても不思議でない体で、全剣連合同稽古の真ん中に立って、最強を誇っている。 剣道は本当に不思議なものだ。 つまでも楽しくい竹刀を振っていたいものだ。
今日のヒント! 『自分から攻めは入りながら、正体を見せて打ってしまっている。 相手が反応、正体を見せるまでの我慢比べが剣道なのだ。』 師匠が言った:一瞬の我慢比べだなあ! ここが修行のしどころなのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 文面から、かなり剣道センスが良いようです。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年12月14日(土) 『西村先生の言われる面打ちはですが、この前剣正塾のビデオを見ていたらこのことかな?と思われる面打ちを故泉先生がやっておっれれました。左手は自分の顎、若しくは口のあたりまで上げて左手を支点にしてすばらしい面打ちをされていました。』
泉先生のビデオを見て、先生の手が不思議な動きをする。 どうしてだろうな? 随分考えました。 この手の動きを胸の動きの力でやってみました。 見事に速い面が打てます。 (左手が右手の下に当たるぐらいまで持ってくる。) そして、左手が右手の下にあることから、体からの力が手首で消えません。 その威力は凄まじいものがあります。 これはかって乳井先生のビデオを見て、その意味が理解出来なかった手の内です。
秋田の夏井さんが「泉先生の竹刀にはじき飛ばされたらしいですよ!」と西村に話してくれたので、それにヒントを得て実際にやってみました。 相手の竹刀ははじき飛んでしまいます。
最近の西村はこの面を打って凄まじい威力とスピードの面を打っています。 相手の竹刀が上がる途中で、先に西村の竹刀が相手の面に当たってしまいます。 相打ちになると、相手の竹刀がはじけ飛んでしまいます。
ここで難しい問題があります。 十分な基礎的な面打ちが出来て、身体動作が十分になって、出来上がってからこの動作をするのは良いが、そうでないと刺し面の変形になってしまわないかと云う心配です。
今度、八段を受ける岡田さんに話そうとしていた内容です。 岡田さんがこれを使うと凄い剣道になる。 彼なら、これを最高に使えると思うから。 (賀来先生も同じような打ち方をされます。)
その意味で、この打ち方の使い方、使う時期等を十分考える必要を感じています。 だから、西村は今はこれを人に教えていません。
泉先生のビデオの手の動作は、一瞬に集約された手の動きであると思います。 大きな動きから段々にこの集約された形になっていけば良いのですが、直接この真似をすると単なる刺し面になってしまわないかと、危惧しています。
西村については『泉流の面』で新境地が開かれました。 この面打ちにかかると、相手の竹刀の動きはスローモーションです。
『足の運びも滑るように右足を出しておられました。自分もこのような面が打ちたいな!と思いました。稽古の前に一生懸命イメージしていきました。 基本稽古の時は何とかイメージに近づけるような感触はあるのですが、いざ地稽古となると、「打たなければいけない」という思いがふつふつと湧いてきて自分を捨てきることができませんでした。本当に難しいです。』
誰しもが同じ悩みを持っています。 相手が下位だと上手くいくのに、相手が上位だとその思いが余計に強く出て来ます。
ここでヒントがあります。 『打とうと思うな身を寄せよ!』です。 『竹刀は忘れて相手に胴をぶつけに行く。』 そうすると、そのときの間合に必要な感じに振りかぶって面を打っている。 無意識が打っている。 竹刀で打とうとするところから、剣道は問題が生じてくる。 心と身体動作の結果、竹刀が最終的に相手の面に当たるを忘れないことです。 『竹刀を持つのを止めたら!(竹刀を持っているのを忘れろ!)』の教えです。
手の短い猿は自分の手が短い事をよくしっている。 だから、最初から手を伸ばして取りに行かない。 先ず得物に十分近づいてから、手を伸ばす。
スポーツチャンバラ(小太刀護身道)での話しです。
小太刀(60センチ)とナイフ(12センチ)の試合をします。 これは相手がナイフの様な刃物を持って襲ってきたら、何か棒の様な物で身を防ぐ。 この見本のための試合です。 だから小太刀を持った方が勝つことに意味があります。 そして、誰もが長い方が勝つと思います。 ところが目的に反して、ナイフが勝ってしまうのです。 小太刀護身道の見本にならなくて困ってしまうことが、良く起こるのです。
これには次の心理が働くからです。 長い方はその間合の有利さを知っているから、身を引いて小太刀で打とうとする。 そして振りかぶって打とうとする。 ナイフの方は間合が不利な事を十分知っているから、ナイフで刺そうとする前に、如何に相手に上手く、早く身を寄せるかに意識を置く。 そうすると、長い方は有利さから振りかぶって打とうとする。 ナイフはその瞬間に相手の懐に入って刺す。 この入り身が吸い込まれる用に見事に決る。 たいして腕の良い選手でないが、見事にやってのける。
手で打とうとする相手に、我が身を捨てて、その瞬間を逃さずに身を寄せる。
剣道も竹刀で打とうとするから、腕の力を使って振りかぶる。 胴体力を使わなくなる。 武術的身体動作が死んでしまう。
短い竹刀は竹刀で打とうとする前に、我が身を捨てて前に出ないと届かない事を無意識が知っている。 しかし、ウッカリ出ると、相手の間合の遠さにポカリとやられるのを知っている。 だから、捨て出る瞬間を油断なくはかっている。 相手が振りかぶり振り下ろす二拍の内、一拍の時に吸い込まれるように入り込む。 その後は刺すだけ。
方や60センチに頼り、方や入り身の素早さに頼る。 意識の違いだけです。
西村と稽古をした人が言います。 あっ!と思うと先生は目の前にいる! 打とうと思ったら目の前にいる!
竹刀で打とうと思うなかれ! 我が身の動きの結果、竹刀が相手を打っている!
打たれたくないと思えば、身が出ない。 打ちたいと思えば、手が先に動き相手に悟られる。 このどちらも消して、相手の色が見えた瞬間、我が身を捨て相手に体を寄せる、ぶつける、懐に入る。 結局は足が勝敗を決める。 しかし、その前の必要条件として『打ちたい気、打たれたくない気を捨てること。』 膠着状態になったら。 我が身を餌に、一歩前に出て間合を破り、相手に問う。 そして、相手に従って勝つ。 ここへ行く前哨戦はいくつもあるが、結局ここにつきます。
剣道はこのような単純な結論があります。 しかし、これが難しい。 だから稽古をするだけでは強くならない。 先ず、必要条件をみたす心、肚の稽古が大切です。 これが修業です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 試合について 黒木 雅彰 [Mail] 2003年3月30日(日) この前の土曜日に月曜稽古会の交流試合がありました。試合に望むについては斬り込む事、西村先生の書き込みから面返し胴を打つこと、を念頭において試合に臨みました。私の場合、試合とは今までの稽古の成果をいかにその場で表現できるかと言うことをメインにおいて立ち会うことにしています。勝負にはこだわらないという、心がけで望みましたが、やはり悲しいかな自分の弱い心には勝てませんでした。自分に勝てない者が他人に勝てる道理がなく負けてしまいましたが、試合の後半に我に帰り斬り込む面、返し胴は何本も打てました。ただ未熟さゆえに機会を失して一本にはなりませんでしたが、I先生にも「後半は良く見えていた、胴は何本も入っていたが足がいつ居ていて一本にはならなかったね」という指摘をうけました。試合には負けましたが、自分の剣道の方向性はこれでいいんだな!なんて思ったりしました。相手を引き出して胴を切ると言うのは難しいものですが、引き出す感触が少しつかめた様な気がします。西村先生の月影までは行きませんが、先生の書き込みを勉強した成果が少しは現れたかな、なんて思っています。 機会があれば西村先生に是非稽古をお願いしたいです。 毎回先生の書き込みを楽しみに拝見し、少しでも自分のものにしたいなと思っています。有難うございました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 引き出しての返し胴は難しい! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年3月31日(月) 試合に勝ちたければなりふり構わずにやれば案外勝てる物です。 しかし、基本に則った稽古を試合に生かすにはそれなりに難しいものです。 あの宮崎の七段昇段審査をビデオでみましたが、試合とは全く別人のような遣いぷりです。 I先生は貴方の事を良くみて下さっているのですね。 有りがたいことです。
『相手を引き出して胴を切ると言うのは難しいものですが、引き出す感触が少しつかめた様な気がします。』 この文章からみると、攻めがしっかり効き、月影の要領が判っているようです。 月影の基本は中段者では、やはり面に行くべきでしょう。
引きだして胴を打つのは足腰の備え、鍔で斬る手の裡の返し、体の捌きが必要です。 これが出来ないと、相手とぶつかってしまいます。 しかし、ここは難しく中々文章では表現できない。 目の前でやって見せると要領は掴めるのですが。 そのため、高段者でないと難しいのです。 試合では面に乗った方が良かったような気がします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 京都大会・虚実の闘いの名勝負 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月21日(水) 西村が印象に残った虚実の闘いの名勝負。
宮崎の甲斐先生の胴です。 相手が打ち気で攻めようとしたとき(実)、甲斐先生は面を見せて(虚で進む)でスッと進みました。 実の相手は虚の相手に打つしかない。 誘われて打った結果、見事に胴に返された。 予測誘導に釣られたと云う事です。
虚実の闘いの白眉でした。 この剣道は先生を見事に今回範士にしたようです。 西村の剣道はここを目指しています。 虚実の闘い、読みあいが剣道の醍醐味です。
さて、次ですが、 相手がグッと攻め入り(実)、甲斐先生はちょっと下がりました(虚)。 相手はさらに上から小手を打ちきり(実)、さらに面に乗りました(実)。 相手が虚のままにして、実、実で攻め打ちました。 これは見事でした。
しかし、これは甲斐先生が先ほどの胴で、ちょっと緊張が緩んだせいではないでしょうか。 相手は先ほどの胴のお返しと、気力が実で攻め入りました。 この気力に甲斐先生が押されました。 これは、いつも上手く行く攻めではない。
相手の実に押されて、こちらが虚になると、そこをつかれる。 相手の勝ち。 相手の実に、こちらが実に行けば、相打ちとなる。 勝負なし。 相手の実に、こちらが虚を見せれば、相手は打って来る。 予測誘導に嵌まって打った面を返して、胴を取る。 これが『先々の先』です。
相手の実に対して、こちらも実で応戦。 昇段審査でよく有る、両者相打ち互角で両落ち。 相手の実を読み、こちらの有利な体勢に誘導する(予測誘導)。 相手の実にこちらが実で臨んでも上手くは行かない。 虚を演じる、頭を相手に差し出す(ウッカリ出てしまった感じで身を捨て相手に餌を見せる)。 相手の無意識は喜んで面に飛びつく。
いつも思うのだが、実と実で相手と叩きあいに終始している稽古ばかりを見る。 虚実の闘いを頭において、読みの鋭さ、捨てて虚に出る。 こんな剣道を楽しんでみませんか。 二つぐらい段が違えば、見事に入る。 一つぐらいなら、かろうじて入る。 互角ならば打たれてしまうかもしれない。 そのときは間合が近すぎたのだ。 適切な間合を取れば、しっかり胴に返せるものなのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 参項用・過去書き込み。-1 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月5日(月) これは、前のホームページからのものです。 少し基本から書いて行こうと思っています。 そのための参項事項として、あえて載せました。 後数回載せる予定です。
それと、西村の剣道の変遷も読み取れると思います。 西村は日々進化をしています。 竹刀を刀と意識する剣道、相手の心を斬る剣道(御互いの成長を願って!)へ進化しています。 過去の書いたものと、最近の書いたものが違うときはご容赦下さい。 それが西村の進化ですから。
堀籠先生の教え!
堀籠先生に教わった無言の教え。 岩手医科大学の学生時代、剣道の好きそうなおじさんが「西村君今日の剣道は良かったね。」と、時々褒めてくれました。このおじさんはよほど剣道がすきなのだな!とその時は思っていました。 それから、ずーっと年月が経って、京都大会でをそのおじさんの立会を見てびっくりしました。 範士八段での立会でしたから。宮城県警の師範だと聞いて二度びっくりでした。 それから縁あって先生が九段になられてから、仙台で先生にお願い出きる時がありました。 私の竹刀は先生の小手、面をしっかりと打つのですが、先生の心は全く不動で、先生の竹刀の先はピクリトモせず、私の胴の真ん中を押さえていました。「不動心」を身を持って教わったことがあります。 頭で理解していた言葉を身体で教わった本当にありがたいことでした。
左足に体重を懸ける方法の生理学的機能的解説。 七段の一部と、八段ぐらいの高段者になると、多くが四分六で左足に体重がかかっている。 そこで、膕(ヒカガミ)を伸ばせと良く言われるが、剣道の先生の指導はぽつりとした表現で聞くほうが中々理解出来ない。 先ず左に体重を懸けると左の筋肉が引きつってしまう。 筋肉には体重を長く懸けておくだけの力がないから当然だ。 もっと科学的、人体生理学的に考察してみよう。 人間が歩くとき、体重の懸かった足は伸びている。すなわち膝が伸び屈筋、伸筋が平衡状態でどちらもほとんど緊張が無く、膝関節も脚の棒のようになった状態で体重を支えている。重心が前方に移動するに従って踵がやや浮き上がり、その時反対側の脚が振り子のように前方に振られて出ていく。 その時、この脚の膝は少し曲がる。次に膝下が伸びようと少しスピードがあがりながら、まさに棒状に伸展しようとする瞬間に着地する。 重心はやや下降するが、着地の瞬間にその下降分だけ膝の伸筋がそれを持ち上げて重心の位置を回復する。これを繰り返し歩行をする。 この脚が伸び切って体重を支えながら前方に進むとき、暫くは踵が固定された状態分踵が浮く。これは筋肉が緊張していない状態だ。 暫くして、反対側の脚が着地する少し前に少し蹴り出す。 剣道の構えから今まさに前進して体を進めようとするときは、少し浮いた踵を足した腰の高さから前方に滑り落ちようとする瞬間だ。 このとき、筋はほとんど緊張が無い。その動きは新幹線の発車の様に静かだ。この前方に行こうとする重心の動き始めを右足が軽くストップをかけている状態だ。ここから攻めはいるとき右足を滑らせる、これはストッをはずすだけで、蹴り込みの筋肉の作用は起きていない。この状態をさらに腰を落とさずに早く体を前進させると、左足で左腰を押し出す様な作用を付加する。 相手からは瞬間的な蹴り込みの筋の緊張が無いから初動作を掴めない、いわゆる、何となく攻めは入ってくる雰囲気はするが、色が見えない状態なので自分の筋肉が対応が出来ない。 そこで相手が苦しくなって打って出ようとする心が動いた瞬間、相手の色が見えた瞬間、捨てて蹴り込んで打つ。 後の先、相手に打って出るしかない状態を作り、体で攻めは入り、そこにはまって出てくる相手を打ち取る。相手は飛んで火に入る夏の虫状態だ。 さて、この後の先をするには、先程述べたような左足に四分六で六の体重が懸かっていないと出来ない。 なぜならば、左足で蹴るためには右足の体重を抜く必要があるからだ。 右脚体重抜き、左足体重懸けの瞬間に相手に読まれてしまう。 打つ合図をして打って出るからだ。 この動作が極端になるとアキレス筋を切る。ただ押し出し、蹴って前進するにはそれほどの負荷が靭帯、健に懸からない。しかし、全体重を一度に後ろ足(左)に懸けてその反動で打とうとすればかなりな負荷が懸かる。 高段者のすっくと立った姿から、滑るように攻めは入り、相手を引きだして取るには、膕(ヒカガミ)を伸ばし左腰を緊張させ、いつでも攻めは入る準備をしておく必要がある。 指導をしたとき、ほとんどが筋肉の緊張で立とうとする、すると約7秒で疲れてしまう。屈筋、伸筋の平衡を使い踵の靭帯を利用すればそれは容易い。 一度この文章をプリントをして読みながら試してみて下さい。 試合に強くても、全日本選手権者でも、7、8の高段者でも運動神経が良く、剣道を仕事の様にして練習をした剣道家にはそれが出来ていない人達も多く見られる。 立ち居姿が素晴らしく、打ちに出る瞬間も素晴らしい先生方の剣道を見たら、その瞬間をまぶたの奥に刻み込んでおこう。 私がその瞬間を見たのは埼玉で楢崎先生(明治村八段戦優勝年)と国士舘大学の矢野先生の練習を見たときでした。 楢崎先生が鶴のようにすっくと立った姿から面を打ち出す瞬間でした。 今から23年前のことです。 それ以後、ずーっとその瞬間の内面的要素、人体的運動生理学要素を考へ続け判ったことです。 この指導をして相手が理解したとき、その瞬間に構えが変わる。
「構えに到る左手の感覚と位置」 剣道日本平成11年2月号、1999No.276の特集に警視庁剣道首席師範の田口栄治先生の特集があった。その中で構えに到る左手の位置の説明があった。左拳の位置につて書かれたものは多くあるが、大体は同じです。 今回の内容はそれを感覚として説明してある点が今までと全く違う。 「竹刀を左手で持ち、大きく振りかぶり、ゆっくり下ろす。そして左手が臍前一握りに来たとき、竹刀の重さを感じるところで右手を添える。」 と、田口先生が阿部先生に教わったそうです。 早速やってみました、その通りに一瞬そこに来ると、なるほどグット竹刀の重さを感じるところが来る、そして、剣先の位置も一定する。今までは位置が何処かを問われていたが、感覚で話されたのは始めてです。これは秘伝だ!早速、本を読んでやってみましょう。 さて、私が六段の時、ある試合の後の懇親会で田口先生に褒められ、その後左手について注意を受けました。「癖だと思うが、打ちに入る前に左手をやや引く傾向がある、これを直せば君はもっと良くなる!」 早速気をつけてやってみました。腰の備え、竹刀による攻め、体の攻め入りが良くなり、今までとは全く違った剣道になりました。この教えが無いと、未だ六段のままであったと思う。今回の「構えに到る左手の感覚。」は前にもまして有り難い話でした。 体の運用を考えると、足腰の動きが左手を通してその力が伝わります。 この位置は次の動きに到る始発点ですから構えの要(かなめ)です。 話が、教えが直ぐ感覚として捕らえられるのはうれしいものです。 皆さま、本を読んで試して下さい。
島野さんの剣道。(見えない動き) 島野さんがやっている事と、私が言っている事はほとんど同じです。 ただもう少し分解してみると、一番のポイントは ヒカガミを伸ばし伸筋、屈筋を固定すると脚が一本の状態になります。 後は足首の靭帯に任せれば良いのです。左脚に六分位体重が乗っているとスムーズに行きます。 多くは気に責めと同時に右足に体重が乗っていて、でる瞬間に左足に体重を乗せ換えるとき、体重の右抜き、左かかり、左足蹴りとなって体を前に進めます。それを瞬発力で闘っている時は相手もそうだから良いが、相手が左腰に体重を乗せていて滑り込んで来るとき相手を掴めない。 さて、もう少し分解すると、気攻めが形として肩がやや上方で、前方に進みます、その後、胸で責めは入ります。相手もこれに対抗してやや前方に進みます。その後へそ、腰(腹)が少し前にでます。一足一刀の間合から打ち間に入ります。このとき、右足は今にも滑り始めようとしています。重心が前に滑り始めたとき慣性の法則は既に破れています。その時、竹刀の先端が5センチぐらい腰で責めは入ります、腰が締まり、左足が腰を押す気分です。右足が10センチ程すべり入ります、叉は軽く浮かせます。このとき、すべると同時に腰を押し出すはひとつの流れです。ぐっと押し出せば強い責めとなります。相手はこれに対抗すべく堅くなるか、負けずにやや遅れて出ようとします。そこを捕まえる方法が有ります。自分の動きの中に相手が入ってくる様な状況です。飛んで火にいる夏の虫です。 気で勝って、攻め勝って、剣で勝って自分の動きの中に引き込む方法です。 エイ!と入ると相手は気づきます。グッと入ると相手はそれにやや遅れて反応します。それに合わせて打つところを決めれば良いわけです。 そこで、頑張って乗ってこない人がいます、その時は剣先を下げる、乗せる、裏から入る、やや剣を進める等をするといった方法で、気の闘いから一瞬剣先に意識を向けさせます。今まで五分のつもりで張り合ってた状態がその瞬間に猫じゃらしにあってしまうのです。 次に、責めは入らないでパっとやや前方に右足を少し上げます、相手はこことばかりに打ってきます、打たせて取ります。大きく面を斬り落とすか、返して胴がよく決まります。 次に、ここで、気を緩めます、左の靭帯を少し緩め踵を少し下げます、相手はシメタとおもわせ引きだします。園田先生の出後手の妙技です。 さて、この入り込む時、相手に吸い込まれる様な気分で入って行くと、相手は全く反応が出来ません。グット責めはいると相手は応しやすいのですが、吸い込まれて入っていくと相手は困ってしまいます。いわゆる殺気がないのです。京都で貴方と練習した時、ただニコニコしていた貴方には何としても責めることも、打ちきることも出来ませんでした。自分のテンションがそこまで上がりませんでした。まことに困った状態でした。打っていってニコニコした貴方に全部止められていました。 この状態は相手の予期していない状況です。一瞬の困惑が相手に走った時打ちます。ただし、そこが貴方の弱いとこですよと教育的指導の気持ちを持って打ちます。頭の上のハエをハエタタキでたたくように、すると相手はよろしくといった様に頭を下げて面を差し出して来ます。 このときの気持ちが大切で、殺意を持った、勝ってやろう、対抗的に強い意識があるとそれは出来ません。 あくまで相手が自分の面を打ってくれと、こちらの引き金を引くのです。 それまで打つことは自分の中に意識がありません。 二段ぐらい差が有ると容易に出来ます。差がありすぎると出来ません。 この方法は何時も元立ちをしているとしやすいです。勝てる相手にどのようにして勝か、あらゆる方法で勝ちます。相手によってはまりやすさが有ります。 強い相手と練習しなくてもこのようにすれば技は上がってきます。強くなれるかどうかは判りませんが、剣道の奥義、妙技が見えて来るような気がします。剣豪小説の本で書かれた心のやり取りが実際に出来ると面白い物です。 それにしても、22年前埼玉で見た楢崎先生と矢野先生の剣道の練習での楢崎先生の面はいまだに脳裏に焼き付いてます。(その年の八段戦の優勝) 鶴の様にスックと立った姿から滑り込むように入った次の瞬間大きく面を打って矢野先生の面を捕らえた瞬間を。その時、矢野先生、楢崎先生の事はほとんど知りませんでした。しかし、見事な面でした。 その時から、鶴の様にスックと立った姿を思い浮かべ練習しています。 静岡の井上先生も同じような立ち姿と思っています。 左に体重を乗せ、ヒカガミを伸ばした先生を見ると嬉しくなってしまいます。八段の先生にも少ないです。運動神経と練習で強くなった剣道家には興味がないです。しかし、その先生の精神が姿勢に現れた先生を見ると、練習をしていただくより、ただ見ていたいです。そんな剣道をしたいと思っています。品の良い剣道です。 ところで私の剣道はダンスみたいと言われます。静かで優雅で柔らかく、身体が滑って動いている。どうして、そんなに大きな身体が風の様に動くのと。ダンスもセミプロです。小太刀護身道も全日本二年連続で優勝しました、皆、原理は同じでした。心が風の様に緩やかに生きたいと思っていますから。強くなることより、したい剣道をするのが自分であることと思っています。意識こそが大切と思っています。 最後に、腰を落とさない工夫こそが一番大切です。 それは気分が大切で、相手に上から被いかぶさるように体をすすめるのです。その意識がないと体が滑り落ちて行きます。 島野さんは懸かって行くことが多い様ですが、元立ちになって剣道をすると技の工夫が進みます。
Date & Time 11/18/1998 08:17:45 Posted by 西村雅興
見えない、感じない、反応出来ない動き。
見えない、感じない、反応出来ない動き。 昔の汽車の動き始めは機関車の引張の力が次々と連結車両につたわる。 新幹線は気が付いたら発車していた。 誰かと話をしていても汽車の動き始めは直ぐ判る。新幹線では判らない。 しかし、心静かに発車の瞬間を待っていると気が付く。 人間は相手の筋肉の一瞬の緊張を察知する能力があるようで。これは、相手の中に起きた微細な筋の 活動電位の立ち上がりを察知する能力が人間にはあると言うことです。そして、相手はその瞬間を息 を潜めて待っています。 これを逆手にとって相手の間合いに入っていく方法があります。 相手の手の平の上にコインを置いて、相手に握られないようにそれを摘み取る方法です。まず、腰の ためを作ってそこから筋の連動があると相手には容易に覚られます。 腰が一瞬固定され、そこを基点に背中、肩、ひじ手首、指先と筋肉が連動していきます。この流れは 相手に察(見られます)されます。だから、腰のためがないと良い勝負になります。いわゆる、腰に ためて瞬発力を使う方法とは違います。 筋の緊張が相手に覚られますから、筋の緊張を最小限か、緊張しないで入って行く方法は上につるし 挙げてい手の筋肉のの緊張を抜くのです。ただ手が落ちるに任せたとき、相手はその落ちる手に反応 出来ません。 目では見てるのですが意識、筋肉が反応しません。その手がコインに触れる瞬間に指で摘み、その瞬 間に手を引き上るのです。相手は感が良ければ摘む筋肉の緊張の瞬間に反応します。普通は手を引き 上げる筋肉の緊張が起きた 時に手を握ろうとします。 コツが判れば簡単な事です。面白い様に出来ます、これはフェイントの世界ではありません。反応出 来ない世界です。 私は、まあまあの腕の五、六段ぐらいの人までには簡単に間合いに入り込めます。皆が言います、先 生が何時間合いを詰めてしまったか全く判らないと。気が付いたら目の前にいる、どうしてですか? と皆は聞きます。要するに色が見えないと言うことです。 横から見ていると私が入っていくのに何故、相手は黙って見ているのか不思議な現象に見える。しか し、対た相手は気が付かないのです。身長177センチ、体重105キロの私の動きがつかめないので す。 一足一刀から竹刀で中心を割るように切っ先を少と肩を出し、胸を出し、それからユックリ、静かに 腰を(へそ)を前に入れていきます。そこで、ぱっと打つと相手はそら来たとばかりに反応します。 相手はそこを待ってます。見えない動きのコツはここで左腰の高さ(ひかがみを伸ばした高さ)を利 用し、前足のつっかい棒を静かに外して前方に滑り入ります。この時はコイン取りでは、つるす筋の 力を抜くのです。要領は同じです。 筋は緩むので起電力は発生しません。このように打ち間に入ります。そこまで入ると、相手の額のハ エをハエたたきで叩く様に、一瞬に蹴り込むと同時にただ斬るという意識で腰で切ります。斬るに必 要な必要十分な振りか ぶりはできてます。 相手はこの蹴り込みの瞬間に反応します。この反応は、飛んで火にいる夏の虫のごとく手の中に嵌ま ります。 そこで、力の差がもう少しあれば、滑り込みの途中で、脚を少し上げる様にして相手に色を(反応の きっかけを 見せます。相手はこれに反応します。相手は脊髄反射の世界に誘われたことになります。 それを見てからユックリ竹刀で斬って行きます。 これをやられると、試合の様なゲーム性は消失し、相手は頭を抱えてしまいます。 これで相手に勝ちすぎると、面白くないので誰も練習に付き合ってくれなくなります。取った、と思っ た後、相手に打たせて上げないと可愛そうです。 自分は責め入り、間の勉強、相手を乗せる勉強をさせてもらい、相手には一瞬の面に延びる打ちを体 験させてあげる。この余裕が欲しいものです。 これは「膕(ひかみ)」を伸ばすことにコツがあります。背筋を伸ばし、ひかがみを伸ばし、そして 筋肉の強い緊張に頼らないで、屈筋伸筋の平衡状態を脚に作り後は靭帯に任せ、左足に六分位体重を 乗せます。一足一刀の間合から胸を出して竹刀の先は責めは入ります。その時、足は滑り出した形で 前に出ます。これは、左足にた体重が右足のつっかえ棒が取れた形で滑るように前に出て打ちまに入 ります。相手も当然、微かな気配は察知しているので相手の胸もやや出てきます。これでお互いが打 ち間に入ったわけです。しかし、こちらは重力を利用し体が前に滑り落ちようとする原理を利用して いますから、相手が察知したい飛び込んでくる時の筋肉の活動 電位の立ち上がりが無いので相手は反応できないのです。 これは、相手からみると急激に相手が大きくなるように感じます。若し、竹刀が上で斬り結ぶ様な事 になっても移動距離は相手の倍ぐらい動いてます。 先生と練習していると急に先生が目の前に迫ってきたような感覚になって打たれるときはこれです。 しかし、これが実行出来るには相手より気が上回っていないと出来ません。相手は、私の竹刀に全力 を傾け、本 体の動きを見る余裕は有りませんから。 相手が上だと、そうか、そう来るか!と逆に見られます。竹刀に意識を取られないで相手全体を見る 余裕があ る。 相手の心は静かですから見られます。腹を練る必要性がここに有ります。相手は打ってこないで、竹 刀で受けて 胴に斬って取られます。 ここでも大切な事が有ります。見られた、心でしまったと感じます、しかし潔く、見事な胴を打たれ る様な面を打ちきることが捨てる修行です。途中で胴を庇ったり打ちを止めたりするならば、最初か ら打たないことです。 相手が強いとここの修行をさせて貰えます。 二段ぐらい差のある相手にこれを実行して下さい。そして十分通用するようになると、自分が上の先 生に逆にこれをやられていることが良く判ります。 そうすると、先生との練習で、心の踏ん張り所が見えて来ます。 その頃、同僚より半歩前進した感触を手に入れます。
Date & Time 12/18/1998 08:33:59 Posted by 西村雅興
返し技は剣道の妙技
返し技 島野(doujo)さ先生がある方に返し技を説明している文章を見ました。彼の言う通りです。滑るよう に、流すように受けると、相手竹刀の力がこちらの返す竹刀を加速するような力に変化します。これ は向かい風を受けたヨ ットが、風上に斜め前方に進む推進力に変化させるような作用です。 大切なのは受けるという意識ではなく、引きだした竹刀を迎えに行く過程ですりあげる様な感じで返 すと言うことです。 江戸川区には古城先生という範士八段の先生がおられます。この先生の剣道は何とも言えない品が良 いのです。 面も素晴らしいのですがこの先生の面返し胴が特に素晴らしいのです。何年も見て判っ たのですが、左に体重が 乗り右足が滑り出し、既に面を誘いに出ているのです。相手が慌てて打っ てくるとき、それは返し技の世界へ引き込まれていくのです。 右足がスーと攻め入ると相手の反応が慌てて出てくる時に決まる技の一つです。まず先をとって攻め 入るのが肝要で少し力に差がありませんと難しい技です。(この話は、やっと止めて胴に返した技で はありません。) さてここからが今回本当に書きたいことです。 乳井先生(十段)が今は九段になられた先生方を観衆の前での稽古をでつけている中で、面を止めた 後、左右胴を一気に打ったビデオでのシーンがありました。一瞬のうちに左右胴を打つのです。土曜 の夜中の三時に外に出 て竹刀を動かして見たのですが、どうしてもそんなに速く竹刀の先が動きま せん。 何度も部屋に帰りビデオを見ては外に出てやってみましたが出来ませんでした。朝までそれを繰り返 しているう ち、一コマ、一コマ見て判りました。 竹刀の先が返るより膝、腰と手元が先に返って、態勢は既に打っているのです。竹刀の先は最少の動 きで手に元引っ張られる様に動いているのです。これは、真剣を動かして見ると判るのですが、手元 から遠い剣先を一瞬に動かすのは大変です。しかし、手元を腰に付けて動かし、手元の右手のコブシ が胴を斬るように斬っていくと、 剣先はそれに引っ張られるように付いてきます。 多くの人は剣先を返そうとして、剣先が大きな弧を描きますが、鋭い返し胴は剣先も鋭い鋭角的な返 しになって います。膝、腰、手元が返った瞬間にはほぼ同時に竹刀は胴に入っています。 これは範士八段位の方の竹刀捌きを見ていただきますと良く判ります。 いわゆる手の内の柔らかさが要求される技です。 元立ちに見事に胴に斬って取られる瞬間を思い起こして下さい、なるほどとお思いでしょう。 (復習)1、位で攻め勝っていること。(もう相手が面を打つしかないと云う所まで攻めあげて置く こと)2、膕(ひかがみ)が伸び、体重が左足にある事。3、左足で腰を押し進めながら右足が滑り ながら、やや攻め入ること。 (腕に差があれば、攻めを緩め面を見せる)4、その攻めにたまらず面に打とうとする所(シメタと 思って、つい打ってしまう)、右足をやや右に送り迎えに行く。(蹴り出てしまうと、この変化は出 来ない)5、すり流す様に受ける(その時は体は半分さばいている)。6、この時、膝、腰の備えは 済んでおり、後は竹刀が触れると同時に返すだけ。7、後は手の内を締め、体を半分さばく。8、後 はすれ違うだけ。9、最後に右足を軸にして左足を進めながら振り向いて残心を示す。 これは二段位腕の違う相手と練習して技の原理を十分掴むと、一段位違う相手にも使える様になる。 互角のときはこんな事を考えていると攻め入られてしまう。互角の時は膠着状態の時に身捨てて一歩 前に踏み出す、その時相手が困った様な顔をして面を打ってくる、すると同じような事が起きる。そ の一歩を間違えれば自滅です。この兼ね合いの見切りを互角同士で練習する。 まあ!この技が使えるようになると相手を使ってる、この技で打たれると使われていると感じます。 やっと面を止めて打った胴は相手の方が上です。しかし、この胴を打つと「御主出来るな!」の世界 に入りま す。 これは若さや、スピードの世界ではないのです。気位、攻め、理合の世界です。剣道が年を取っても 出来るのはこの世界があるからです。 スピードのある若い者が高段者に手玉に取られるのもこの世界があるからです。昇段審査は審査員が 強さ以外に、この辺の理合が段相当に判っているかを見ていることを意識して練習をしましょう。良 き指導者を持てばそ れとなく教えてくれていると思います。
Date & Time 11/23/1998 06:52:51 Posted by 西村雅興
剣道上達の秘訣その1
お便り有り難うございます。日本でも子供と一緒に剣道を始めて、子供が止めてもお父さんは続けて 五段、六段 となってる人を沢山知ってます。 剣道は長くやっている人、運動神経のよい人が強いのですが昇段を自分の成長の節目として、目標と してやっていくと楽しいものです。 それぞれの段階で葛藤が生じます。少しは悟っていたと思う自分の心が乱れます、段なんか貰ったて しょうがないのに何故かむきになってしまう自分を発見したり、まあ!いいか!と軽い気持ちで受け た時、受かってしまったり、色んな自分を見せてくれます。人生の長い時間の中で時々起きる現象が 時間を短縮した形で出現してきます。 見えない自分の心が竹刀を通して見えてきます。大人になって剣道をした人は審判を置いた勝負にこ だわらない分だけ剣道の本質に近い所を歩むようです。 私から一つヒントをあげたいと思います。あんな剣道をしたいな!と思う人を見つけ、いつもその人 の剣道を見ていると、知らないうちに姿、形が似てきます。努力しないで、憧れているだけで潜在意 識が自分を引っ張って行きます、すると時間が経てばそうなる。これが秘訣です。
面を打ったとき両手が十分伸びるように。
あるときまで私もそう思って面を打ってきました(30年ぐらい)。何かがおかしいと思いながら。 それだと刀竹の先が遠くに行くが、身体のコントロールの外(身の外)に行ってしまい、折角の体の運用にによるエネルギーの伝達外になります(大きな体の前進エネルギーとと頭をやや後上方に引き上げる反作用のエネルギーが細い竹刀の先に伝達される力。)。それに、竹刀切り込みのベクトルが当たる瞬間に死んでしまいます。 左手を伸ばす力が面に当たる下方への力を殺します。 即ちヒッパタキの様な打ちになります。私も随分注意されました。はたいているが切ってないと。 竹刀の先は当たるが、面の中に斬り込む力が消えます。面に届いた所で終わりです。 有るとき気が付きました、右手は伸びて(右手も実際はや伸び切る手前です)左手は伸び切りません。 左手拳が面を打ったときに収まる位置が有るのです。 それは有る瞬間にハンカチを右拳を先に、左拳を手前に軽く引き、ハンカチを伸ばしながら絞る絞り方をすると左拳が収まるのです。(捻じって水を搾るのではなく、親指が下方に向く程度に絞り、拳が前後に行くことに依って水を切る、決して絞り込みません。)これが即ち手の内です。私はそう思っていましたが中倉清先生が明確に言っておられました。(これが茶巾絞りです。) この引き手と、押し手が竹刀の先を加速度的に下方に向け切り込みの力になります。 これはほんと!!!!!! 江戸川区の師範で、古城先生範士八段の先生の姿が本当に素晴らしいのです。 先生が面を打って見せたビデオを見ると、当たる瞬間にこの手の内が有ることに気がつきました。 それから何度も何度も先生の面打ち直接に見ると、見えないものが見えてきました。 見事に左拳の収まる位置が有ります。 林邦夫先生の「新剣道上達法」を見てみましょう。少し高いですが。 両手を伸ばせは大きく打ての方便的教えではないかと思います。 気が付いて以来多くの大家と言われる先生方を見ていますと、手の内の切れる先生は皆同じです。 これは私の意見(体験、経験による自分の考え)ですが、どうも真理のような気がします。一度検討をしてみて下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 参項用・過去書き込み。-3 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月5日(月) 最近、昭和の武蔵と言われた中野八十二先生の構えに自分をかぶせて剣道をしています。 さて、九段候補と言われた先生との昨日の練習で、先生が振りかぶり面に打ちに入って来て、私の剣先(竹刀の先)がピクリとも動かないで突きに攻めは入ります。すると先生は振りかぶったまま打ちを止めました。もしそこで止めないで面に来れば突きか胴が決まります。それは、私の心が動いていないのに手元を上げて打ってでれば、その時点で自動的に相手の負けです。突きも胴も入ります。 それが何と三回も有りました。四回目は無理をして出てくるので私の諸手突きが決まりました。普段なら大先生に突きを入れるなんて事は私には考えられません。しかし、今の私は中野先生です。「そこはチヨット無理が過ぎますよ、と突きを入れました。」突きと言っても喉元を空けて振りかぶって出てくるから、まっすぐ攻めは入りの延長線で手元を少し前に出すだけです。ピタリと決まりました。私の攻め入っての面も一本入りました。気持ちは中野先生がやってる気持ちです。 その日はないことに、その先生から「しばらく練習に来ていなかったね。」と声を掛けられました。今日の練習は少なからず大先生に私が印象に残ったのだと思います。 そういえば、47歳で八段を受かった先生が、その年の三月に私に使われてしまった時、帰りに「西村先生の身体の大きさに使われてしまった。」と言いました。それはインドへ心の旅をして、何か違う自分のイメージガ出来あがって帰ってきて間もない時でした。両先生とも、剣道がプロ(仕事)の人達で、私は歯科医です。何か心に強いを与えた事は確かです。 イメージが十分出来ると、それ自体に強いエネルギーが発生します。相手はそれを感じ、今迄と違った反応をします。自分が変われば相手も変わる。 世界で一番多くの人にオリンピックの金メタルを与えた人、それはアメリカ人の瞑想の指導者です。スタートラインに入る前の走者が何かぶつぶつ言っていますが、それは「自分がテープを切る瞬間をイメジし、確信していく。」過程です。 ビデオを見てこんな剣道をしたいと強烈に思った時その方向を既に向いてます。 その先生の一番印象に残った部分を三十回ぐら繰り返す様に編集をします。 剣道の練習に行く前に10分程見ます。それが自己覚醒催眠の世界です。 私は練習に行く前に、中野先生の写真を3分間じーっと見てから行きます。 昨日はその成果が上手く出たようです。 皆様にもイメージ・トレーニングをお勧め致します。
その後。 島野先生ありがとう御座いました。 早速、中野先生の出突きを見せて頂きました。 連続写真で見たのとアニメ的に見たのとでは全く違います。 それから、この突きの注意事項も大切な事で配慮の程ありがとう御座いました。 これはスローであるが故に尚良く判リマす。先日の突きがしっかりとイメーに焼き付きました。 西村はいつもそうですが、構えをそのままに突きに攻め入る過程から相手の反応により 振りかぶって面、胴 コテを打ちます。 普段、下手の人には攻め勝って、突きが入ったと意識で確認したとき突くような事はしません。この突きを入れてしまうと怖がって練習をしてくれませんし、嫌われて練習相手がいなくなってしまいます。相手も面の伸びが止まってしまいます。 このような場合は、相手に面を打たせてあげて相手は面の勉強を自分は勝機の勉強をしています。相手の腕が少し鋭いと、たいていは胴を打っています。 相手が五〜六段ぐらいなら剣先(竹刀の先)が突き垂れに触れた瞬間に竹刀を引きます。 相手が七段ぐらいだとそのまま突いたり、遠慮したり色々です。 相手が七段ぐらいだと、最近は相手の手元が上がりきった所のコテを打つときが多いです この遠慮がなくやれる相手との稽古は全ての五官が冴えた感じになります。 多分に剣術的殺気立った要素が有りますが、その後お互いの爽快感は格別です。 あるレベルになると、振り上げが甘ければ突かれる覚悟の練習も必要かと思います。 この突きは私の得意ですがめったに本気ではやりません。 試合では咽横に外れて面を打たれる事が多いので要注意です。 今回は両者の攻めは入りの鼻に大先生が先に手元を上げてしまいました。 私の心は平静で、「いかに大生でもそれは、チョット無理ですよ!」こんな感じの突きでした。 中野先生が突かせてくれた突きの様です。
{本題はこれからです。} 何故、ここまで出来たかが本題です。 先日、仕事の最中に左胸が痛みました。 その時の心情。
これはこれは! 俺は、心筋梗塞で死ぬのか! 思いいきり生きてきたな! 53年! 人の七倍生きてきた! 今死んでも何の悔いもない生き方をしてきた! あの魂だけの世界へ戻るのか! それも良かろう! 西村は24歳で一度死に、今迄おまけで生きてきた! 今世の修業はこれぐらいでいいか! 今世の西村は一応完結した! 今この時点が、自分での葬式だ!
このように、静かで安らかな心情であった。 このような事が有った数日後の剣道の練習での突き技であった。 歯の噛み合せを変えた結果、心臓に来たので今は噛み合せを戻し、元通りに元気です。 私は自分の人生の生き方、心の変化の見えない部分を剣道を通して確認しているだけです。 死をも安らかに受け入れる心情になると、剣道の攻め合いなど屁の河童。 命を懸けた人生の生き様に比べたら、剣道の修業など屁の河童。 西村の剣道観です。
リクエスとなので書きます、少し長いですが読んで見て下さい。 面打ちの基本の実際は中野先生の面打ちです。 上体が傾斜し手元の間から相手が見える位置まで十分に振りかぶり、面を打つ。 基本が十分に出来、次に相手との攻め合いの中で打つときは西野先生の様な面打ちになります。 実際には西野先生の足も待も攻め入り、ぎりぎりまで手元をあげず、相手の心が動いた瞬間(相手色が見えた瞬間)、その最後の瞬間に手元をあげて面を打ちます。 言うわ易し行なうは難しです。 西村なりに、そこに至る練習方法を開発しました。そして、指導面でも良い結果を得ていますので、紹介します。 足の動きと手の動きの差を理解していないので、手だけで打って気剣体の一致が得られないのです。手は足、腰、体の移動の三倍速く動きます。 1-足幅を60〜100センチ離し、剣先(竹刀の先)を腰(お尻)に付け、右足を固定したままで、左足で腰を押しだしながら面を打つ。この時腰が残り(へっぴり腰)にならないように十分練習する。 2-1が出来たら、同じ位置から右足を10センチ前方に出しながら面を打つ。 1、2で体の運用、腰で打つの感覚が理解出来ます。 3-1の体勢で、竹刀は正眼に構え、左足が右足の後ろに来る間に振りかぶり、振り降ろします。 1は振り降ろすだけ、3は振りかぶり、振り降ろしの二動作が有ります。 この振りかぶりの最後の瞬間に切れ目無く振り降ろしの動作がつながる、一拍の拍子 に打てる様に心がける事です。コツは振り上げの意識を消し、ただ大きく打つと意識すればそのような打ちになります。二拍の意識を捨て体の移動中に一拍子として打ちます。(石火の当たりに近づきます) 4-2と同じように右足元の足幅を狭め、その分右足進める幅を大きくします。 5-4迄十分できたら、自然体(右足の踵の位置まで、左足のつま先を寄せる位置) で正眼に構えます。 この時、四分六で左足に体重が乗り、ひかがみをを十分伸し靭帯の緊張のみで立つ。 右足を滑り出すと同時に左足で腰を押しだしながら腰を落とさないようにして前進す る。 右足が40〜60センチぐらい前進したときに、左足で蹴ると同時に一気に打つ。 最後の打つ瞬間に右足がさらに20〜30センチ前に出る、この間に一気に打ちます。 振りかぶった刀は直に振り降ろすとは、このことです。 打ち終わった瞬間は腋(ワキ)締まっていることです。 さて、腰を落とさない秘訣としては額の真ん中・印堂のチャクラから相手を観る(観 の気持ち)が大切です。 右足が出始めて、最後の1/3〜1/4の所で竹刀が一気に動きます。 ここで、左手の位置はご飯を食べるとき、左手がお茶わんを持ち上げる程度にはあげ ます。余裕が有ればもう少しあげます。 ほとんどの人は右足の動き始めと同時に、右手で竹刀を引き上げコテを打てとばかり に、竹刀を空中に浮かせて身体が前進するのを待っています。 少し強くなると竹刀が面に当たってしまているのに、腰が後方に残ったままです。 いわゆる、刺し面の様な状態になってしまいます。 手の動きは以外に速いのに先に動かしてしまって、手元の余った時間を持て余して いるのが現状です。この勘違いを正さないと気剣体の一致は得られません。 コツとしては、「打つと思うな、身を相手に早く近づけと思え」です。 「手を伸ばすより、身を近づけよ。敵打つ前、身をはやく入るる心。 秋猴の身(手の短いサル)。」がこの教えです。 未熟な私が見本を示さずとも、最高のものを西野先生が見本を示しています。 1〜5の手順を踏めば時間はかかりますが行着きます。 プリントアウトして練習の時に持っていって下さい。 その成果を聞かせて下さい。 手がしっかり納まるところまで納まって面を打っている試合の写真を、 私は今だかって見たことが有りません。 コテも腰をかがめて打って、一本を取っています。 試合ではそれほど難しいことでしょう。 八段の先生方の明治村の試合でもそうです。 普段立派な事を言ってる先生方も、勝負が懸かるとそうなります。 剣風の素晴らしい人はトーナメントでは負けて行きます。 昇段審査は審判の旗が基準では有りませんから、試合巧者は苦労をします。 かって、東北学生新人団体戦で私が各大学のキャプテンに提案し(キャプテンが審判)、甘い当たりは一本にしないと申しあわせました。) すると新人戦なのに素晴らしい、昇段審査の様な試合になりました。 引き分けが多かったですが、選手は皆満足した試合をしました。 (勝つためには旗が上がれば一本ですから。) (今は、気剣体の一致より、スピードと勘の良さが目立つタイミング重視の試合です。) (先生からそうしてはいけないと教わるが、言われた形で勝負師は勝っている) (左拳を上げて、面コテを防ぐ人が日本一で、審判がそれを咎めないのが現実ですから。) 兵庫県警の師範が中々に八段が受からない時、九段の先生に「飯を食うときは左手はどこまで上げる?」言われたそうです。 最初のうちはコテを打たれ、面を受けられ苦労したようです。 しかし、そのうちしっかりとした面が打てるようになった時、八段が受かったと書いていました。 私も尊敬する古城先生に「西村の面は?」と首をかしげられ、先生のビデオを見て気がつき、目下修正中です。 知らない人が多すぎる。しかし、判った、知ってるからといって、出来るまでの距離の遠さを感じています。
今日は全国大会に出る選手と練習をした。 彼は思いっきり面を打ってきます。 私が正中を取ってびくともしていないのに、大きく面に飛びます。 当然の結果、私の突きが入ります。別に胴にとっても良いのですが! 問題は私が相手のどこを攻めているかも判らず、打てもしないのに手先で面を打ってきます。腰が入っていれば胴ぐらいに取ったのですが! すると五本ぐらい突きが入ったでしょうか。 今度は相手が無気になって突きに来ました。 180センチぐらい有る立派な身体です。 私はそのまま突かせました。 突き垂れには一本も入らず、全部私の胸に直接当たりました。 今、私の胸は五本程真っ赤な突き後が有ります。 次に、私は胸を出し、突きにこさせる気で面を打ちます。 相手は突きを出せずに、私に面を打たれます。 相手に突かせて、面を唐竹割りに取る覚悟で出ますと、相手はその気に押され居着きます。 面を打つときはこのぐらいの気で打ち込まないと一本の面にならない。 結局、五本ぐらい入りました。 彼は気の強さ、むっこう気で懸かって来ます。 しかし、彼には死にに行く覚悟がない。 練習後彼が挨拶に来たとき「私は好きで突きを入れたわけでは無い、貴方の甘さを指摘してあげようと思って何本も突いてあげた。」「それを無気になって突き返してきては剣術だ!」 「同じ突きを何本も頂いた意味を考えないと剣道にならない!」 判ったような顔をしていた。 本当に判っていれば突いてあげた事も、突かせてあげた事も生きるのだが!
それにしても突きがない前提で面を打つ剣道が多い。 乳井先生が嘆いておられた。「突きや、足がらみが危険でいけないなんて言ってたら、婦女子のスポーツだ。こんな事ぐらいでは死にやしないのに!」 「全く、あってこ剣道になってしまった!」 「ラクビーやサッカーの方がずーっと男らしいスポーツだ。」 「剣道はどうなってしまったのだ!」
試合はさておき、男を磨く気位で剣道をしてみてはどうだろう。
経営者 人生の方がずーっと厳しい。 その辺が判れば剣道はもっと良くなると思う。 全国青年大会で江戸川区が東京都代表で準優勝をした。先ずはおめでとう! 個人戦でも八位に入った人がいます。先ずはおめでとう! 監督にしっかりした若手がついた事が良かったのでしょう。 時々彼らと稽古をします。 スピードは素晴らしい物が有ります。 勝つことにかなり意欲的な打ち方をします。 練習で、腰の入った打ちが出来ていないのが残念です。 それだと、途中で負けてしまうのかもしれません。 そのままの剣道だと、彼らは西村から面は取れません。 しかし、彼らが腰の入った面を打とうと心がけると、負けが続きます。 ここの変化の時に葛藤が起きます。 スポーツから剣道への成長への葛藤です。 そして、それを越えて成長します。 私から腰の入った見事な面を早く取って欲しいものです!
突いて、突かれて、突かせて面を!その成果は!
この練習相手は全国青年大会でベスト8になったと聞く。 おめでとう!今回の稽古が参考になったかもしれない。 ちなみに、江戸川区は東京都代表で全国で二位になった。 勝つことで成果をあげたら、次は昇段を目指し腰を入れた剣道だ! かって、私が岩手医科大学の学生の時、岩手県一番の進学校、盛岡一高へ練習に行った事がある。 それは、一高の生徒が大学に練習に来て、先輩連中がこてんぱんにやられた。 高校生に大学生が舐められてたまるか!と思いお返しを! そこで、私が一人で乗り込んで稽古をつけに行った。 その頃の私はバリバリの身体をしていたので、ほとんど全員が私にすっ飛ばされ、転がされた。唯一一人だけが転がされなかった言って、大学の後輩になって入学してきた。 さて、そこで、「おまえらは竹刀の先で頭を触っているだけだ、フェンシングじゃあるまいし。女の腐ったような剣道をするな!一本になる面をうて!」と一喝した。 その後、目の回るぐらい強い打ちで面を打った。 わたしの帰った後、彼らは反省して打ちを強くする様に練習をした。 お陰で下級生は頭が痛い思いをしたと聞く。 その甲斐があって、その年にインアターハイ代表になった。 県下で一番の進学校がインアターハイに行ったことが素晴らしい。 私の喧嘩越しの指導が少しはお役に立ったのかと自負している。 愛情は時として、厳しい物だ!痛い物だ! これをソフトラブの反対ハードラブと言う。
最近、昭和の武蔵と言われた中野八十二先生の構えに自分をかぶせて剣道をしています。 さて、九段候補と言われた先生との昨日の練習で、先生が振りかぶり面に打ちに入って来て、私の剣先(竹刀の先)がピクリとも動かないで突きに攻めは入ります。すると先生は振りかぶったまま打ちを止めました。もしそこで止めないで面に来れば突きか胴が決まります。それは、私の心が動いていないのに手元を上げて打ってでれば、その時点で自動的に相手の負けです。突きも胴も入ります。 それが何と三回も有りました。四回目は無理をして出てくるので私の諸手突きが決まりました。普段なら大先生に突きを入れるなんて事は私には考えられません。しかし、今の私は中野先生です。「そこはチヨット無理が過ぎますよ、と突きを入れました。」突きと言っても喉元を空けて振りかぶって出てくるから、まっすぐ攻めは入りの延長線で手元を少し前に出すだけです。ピタリと決まりました。私の攻め入っての面も一本入りました。気持ちは中野先生がやってる気持ちです。 その日はないことに、その先生から「しばらく練習に来ていなかったね。」と声を掛けられました。今日の練習は少なからず大先生に私が印象に残ったのだと思います。 そういえば、47歳で八段を受かった先生が、その年の三月に私に使われてしまった時、帰りに「西村先生の身体の大きさに使われてしまった。」と言いました。それはインドへ心の旅をして、何か違う自分のイメージガ出来あがって帰ってきて間もない時でした。両先生とも、剣道がプロ(仕事)の人達で、私は歯科医です。何か心に強いを与えた事は確かです。 イメージが十分出来ると、それ自体に強いエネルギーが発生します。相手はそれを感じ、今迄と違った反応をします。自分が変われば相手も変わる。 世界で一番多くの人にオリンピックの金メタルを与えた人、それはアメリカ人の瞑想の指導者です。スタートラインに入る前の走者が何かぶつぶつ言っていますが、それは「自分がテープを切る瞬間をイメジし、確信していく。」過程です。 ビデオを見てこんな剣道をしたいと強烈に思った時その方向を既に向いてます。 その先生の一番印象に残った部分を三十回ぐら繰り返す様に編集をします。 剣道の練習に行く前に10分程見ます。それが自己覚醒催眠の世界です。 私は練習に行く前に、中野先生の写真を3分間じーっと見てから行きます。 昨日はその成果が上手く出たようです。
島野先生ありがとう御座いました。 早速、中野先生の出突きを見せて頂きました。 連続写真で見たのとアニメ的に見たのとでは全く違います。 それから、この突きの注意事項も大切な事で配慮の程ありがとう御座いました。 これはスローであるが故に尚良く判リマす。先日の突きがしっかりとイメーに焼き付きました。 西村はいつもそうですが、構えをそのままに突きに攻め入る過程から相手の反応により 振りかぶって面、胴 コテを打ちます。 普段、下手の人には攻め勝って、突きが入ったと意識で確認したとき突くような事はしません。この突きを入れてしまうと怖がって練習をしてくれませんし、嫌われて練習相手がいなくなってしまいます。相手も面の伸びが止まってしまいます。 このような場合は、相手に面を打たせてあげて相手は面の勉強を自分は勝機の勉強をしています。相手の腕が少し鋭いと、たいていは胴を打っています。 相手が五〜六段ぐらいなら剣先(竹刀の先)が突き垂れに触れた瞬間に竹刀を引きます。 相手が七段ぐらいだとそのまま突いたり、遠慮したり色々です。 相手が七段ぐらいだと、最近は相手の手元が上がりきった所のコテを打つときが多いです この遠慮がなくやれる相手との稽古は全ての五官が冴えた感じになります。 多分に剣術的殺気立った要素が有りますが、その後お互いの爽快感は格別です。 あるレベルになると、振り上げが甘ければ突かれる覚悟の練習も必要かと思います。 この突きは私の得意ですがめったに本気ではやりません。 試合では咽横に外れて面を打たれる事が多いので要注意です。 今回は両者の攻めは入りの鼻に大先生が先に手元を上げてしまいました。 私の心は平静で、「いかに大生でもそれは、チョット無理ですよ!」こんな感じの突きでした。 中野先生が突かせてくれた突きの様です。
先日は軽井沢までお出で頂いて有り難う御座います。 おうどん有り難う御座います。腰が有って大変おいしかったです。 島野さんのゆったりとした雰囲気が印象的でした。 剣道の話をもっと一緒にしたかったのですが時間がとれませんでした。 真剣も十振り位置いてあったので、それぞれを振ってもらい、それぞれの刀の感覚を知っていただきたかったのですが時間が無かったです。 松川さんの蹲踞に入る姿はたいしたものと思いました。 これからも島野さんの剣道日誌を見ていきます。 田伐さんは島野さんに出会った事が、彼のこれからの剣道の励みになると思います。
先日大沢先生(その年の東西対抗西軍大将)と私の練習風景のビデオが出てきました。 五年前の自分の面打ちを見たときはがっかりしました。 手首で打ってしまっています。まさに、早いハエたたきの打ちであった事を再確認しました。(相手は十分良く見えているが!) 打った後は手許が上がってしまい、ただ感が良い、早いだけの剣道を見て背中に冷汗がながれました。全日本の試合を批判する資格がないものと改めて思いました。 古城先生が西村の面は?と言われる理由が良く判りました。 その反省から古城先生の手のうちを研究しました。 最近の手の内はその反省の上に立っての事です。 その後五年経つと少しは違ってきたかと思います。 もし興味が有れば、西村の恥ですがそのビデオを送ります。
「月影」が昇段審査に最適の披露技。
今日、東京で七段審査があった。 大阪の歯科医が七段審査に三回落ちた。 今の自分では強さだけが先行し合格しないことに気がついていた。 彼は、私が軽井沢の別荘で歯科医のカリスマ性能力開発コースを主催したセミナーに参加した。 彼は六段審査の悩みの時、私のセミナーを受け、その時剣道の指導をしたら六段に受かった。 そんな事があって、今回も七段の悩みの解消を兼ね、セミナー受講が四部、剣道を教わるのが六部の感じで受講した。 指導内容は基本的な事、ひかがみの伸し方、重心を四分六で左足へ乗せる方法、手の内(左手の納まりどころ、打ちの最後の所の茶巾絞りの押して引き手と中筋の伸び) それらが出来た所で月影の指導といった内容であった。 試合にも強く、感性も高く、素直な人柄であった所に、今回は柴原さん(意識波動調整師)の協力も得て人柄もかなり変わり内面の成長もあった。 セミナーの合間とはいえ、動き、形、内面と11日間に及ぶ指導であった。 彼は見事に習得し今日、平成11年11月25日七段に合格した。 月影が何本も決まったと連絡してきた。「打たせて取る」七段の位を見せてきた。 これが決まれば七段だ。 先日、私がある人に月影を説明しているとき横で聞いていて、目から鱗が落ち七段を合格したとお礼に来られた人がいた。 試合には自信があったのだが七段に受からず悩んでいたと聞く。 耳をそばだてて聞いた内容を必死で練習、物にした結果合格した。 私の弟子が同僚にこれを説明したら、本人が受からないでそれを聞いた人が目が開き受かった。 月影が七段審査には最適の技の披露であることがこの三人で証明された。 練習だけで強くなるわけでは無い。 練習、工夫、理合(合理的に分析された整理学的説明)、心の成長が必要だ。 七段受験生は是非、私のホームページの「月影」を参考にして下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 参項用・過去書き込み。-4 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月5日(月)
Date & Time 09/13/1998 08:21:04 Posted by 西村雅興
緩めの先(八段の先生がことごとく取られる)
【緩めの先】 これは、足で攻めるギリギリの間合いの狭間での攻める、先である。 剣先、腰、足、気等の攻め入る先も有るが、これらを緩め相手を引き込む先も有る。 奥園先生が明治村の試合でよく使う、相手を攻め揚げておいて左足の踵を僅かに下げ体の攻めを緩め 面を打たせ、出小手を打つ。これが見事にきまる。 相手にだけ判り、観戦者にはほとんど判らない。 これはビデを50回コマ送りして私が見つけた、奥園先生の見事な緩めの先である。 ビデオ出見ても真剣に感じる強い攻め。 攻めあげて、もう間合いがないところから約数センチ両足を前進して更に攻める。 しかし、ここでは打たせない。 相手が我慢が出来ずに打つしかない、胸が打ちだす正体をかすかに見せたと同時に、左踵を1センチ 程下げ、体の攻めを緩める。 相手は引き込まれて面に出る。 あの先生の出小手は見事だと言われている。 園田先生明治村優勝である。 月影が右足を僅かに出して打たすのに対して、引き込んで打たすこの技は吸われる様に誘導される。 来た!と思って打たすか、更にしめた!と思って打たすか、高段者でも最高の技である。 おそらく先生も左足の踵を下げた意識はないと思う。 もう打つしかないね、苦しいだろう、気の攻めをほんの少し緩め、打つことを許したのだと思う。 心の変化が形としては踵の動きとなり、色を見せて、シメタと思って打たせた。 これはビデをがないと判らないと思う。 我ながら凄い発見だと思っている。 さて、皆さんの感想は。
(見えない動き) 見えない動き、責めをもう少し分解してみると、一番のポイントは ヒカガミを伸ばし伸筋、屈筋を固定すると脚が一本の状態になります。 後は足首の靭帯に任せれば良いのです。左脚に六分位体重が乗っているとスムーズに行きます。 これは人間の二足歩行の筋力を最小限で、効率良く歩く基本形態です。 膝を壊すのは膝が伸びないか、反りすぎるか、負担能力以上の力の持続的状態でdす。 多くは気に責めと同時に右足に体重が乗っていて、出る瞬間に左足に体重を乗せ換えるとき、体重の右抜き、左かかり、左足蹴りとなって体を前に進めます。それを瞬発力で闘っている時は相手もそうだから良いが、相手が左腰に体重を乗せていて滑り込んで来るときは相手を掴めない。 さて、もう少し分解すると、気攻めが形として肩がやや上方で、前方に進みます、その後、胸で責めは入ります。相手もこれに対抗してやや前方に進みます。その後へそ、腰(腹)が少し前にでます。一足一刀の間合から打ち間に入ります。このとき、右足は今にも滑り始めようとしています。重心が前に滑り始めたとき慣性の法則は既に破れています。その時、竹刀の先端が5センチぐらい腰で責めは入ります、腰が締まり、左足が腰を押す気分です。右足が10センチ程すべり入ります、叉は軽く浮かせます。このとき、すべると同時に腰を押し出すはひとつの流れです。ぐっと押し出せば強い責めとなります。相手はこれに対抗すべく堅くなるか、負けずにやや遅れて出ようとします。そこを捕まえる方法が有ります。自分の動きの中に相手が入ってくる様な状況です。飛んで火にいる夏の虫です。 気で勝って、攻め勝って、剣で勝って自分の動きの中に引き込む方法です。 エイ!と入ると相手は気づきます。グッと入ると相手はそれにやや遅れて反応します。それに合わせて打つところを決めれば良いわけです。 そこで、頑張って乗ってこない人がいます、その時は剣先を下げる、乗せる、裏から入る、やや剣を進める等をするといった方法で、気の闘いから一瞬剣先に意識を向けさせます。今まで五分のつもりで張り合ってた状態がその瞬間に猫じゃらしにあってしまうのです。 次に、責めは入らないでパっとやや前方に右足を少し上げます、相手はこことばかりに打ってきます、打たせて取ります。大きく面を斬り落とすか、返して胴がよく決まります。 次に、ここで、気を緩めます、左の靭帯を少し緩め踵を少し下げます、相手はシメタとおもわせ引きだします。園田先生の出小手の妙技です。 さて、この入り込む時、相手に吸い込まれる様な気分で入って行くと、相手は全く反応が出来ません。グット責めはいると相手は応しやすいのですが、吸い込まれて入っていくと相手は困ってしまいます。いわゆる殺気がないのです。(京都である人と練習した時、ただニコニコしていた相手には何としても責めることも、打ちきることも出来ませんでした。自分のテンションがそこまで上がりませんでした。まことに困った状態でした。打っていってニコニコした相手に全部止められていました。 のれんに腕押し、柳に風、豆腐に釘の状態です。) この状態は相手の予期していない状況です。入ってきてる、近づいて来ている様な気はするが敵対心を感じない、殺気がない、一瞬の困惑が相手に走った時打ちます。ただし、そこが貴方の弱いとこですよと教育的指導の気持ちを持って打ちます。頭の上のハエをハエタタキでたたくように、すると相手はよろしくといった様に頭を下げて面を差し出して来ます。 このときの気持ちが大切で、殺意を持った、勝ってやろう、対抗的に強い意識があるとそれは出来ません。 あくまで相手が自分の面を打ってくれと、こちらの引き金を引くのです。 それまで打つことは自分の中に意識がありません。 二段ぐらい差が有ると容易に出来ます。差がありすぎると出来ません。 この方法は何時も元立ちをしているとしやすいです。勝てる相手にどのようにして勝か、あらゆる方法で勝ちます。相手によってはまりやすさが有ります。 強い相手と練習しなくてもこのようにすれば技は上がってきます。強くなれるかどうかは判りませんが、剣道の奥義、妙技が見えて来るような気がします。剣豪小説の本で書かれた心のやり取りが実際に出来ると面白い物です。 それにしても、22年前埼玉で見た楢崎先生と矢野先生の剣道の練習での楢崎先生の面はいまだに脳裏に焼き付いてます。(その年の八段戦の優勝) 鶴の様にスックと立った姿から滑り込むように入った次の瞬間大きく面を打って矢野先生の面を捕らえた瞬間を。その時、矢野先生、楢崎先生の事はほとんど知りませんでした。しかし、見事な面でした。 その時から、鶴の様にスックと立った姿を思い浮かべ練習しています。 静岡の井上先生も同じような立ち姿と思っています。 左に体重を乗せ、ヒカガミを伸ばした先生を見ると嬉しくなってしまいます。八段の先生にも少ないです。運動神経と練習で強くなった剣道家には興味がないです。しかし、その先生の精神が姿勢に現れた先生を見ると、練習をしていただくより、ただ見ていたいです。そんな剣道をしたいと思っています。品の良い剣道です。 ところで私の剣道はダンスみたいと言われます。静かで優雅で柔らかく、身体が滑って動いている。どうして、そんなに大きな身体が風の様に動くのと。ダンスもセミプロです。小太刀護身道も全日本二年連続で優勝しました、皆、原理は同じでした。心が風の様に緩やかに生きたいと思っていますから。強くなることより、したい剣道をするのが自分であることと思っています。意識こそが大切と思っています。 最後に、腰を落とさない工夫こそが一番大切です。 それは気分が大切で、相手に上から被いかぶさるように体をすすめるのです。その意識がないと体が滑り落ちて行きます。 多くの人は懸かって行くことが多い様ですが、元立ちになって剣道をすると技の工夫が進みます。 私の先生の原田先生は(多くの強い先生)はそうですが、自分より強い練習相手がいないのに、年とともに益々強くなられました。自分より弱い相手と練習をして技の工夫をする、これも大切な事かと思います。 段が上がって、元立ちに立つと途中で降りるわけにもいかず、練習時間立ちっぱなしです、相手が途切れません、元立ちの気位を崩せません、懸かっていく人の何倍も練習をしたことになり、益々強くなります。元に立つ気が懸かる気とレベルの違う心構えになっています。 元立ちは相手が益々強くしてくれる!これも上達の秘訣かな
五段の先生に四段の若手が御願いした。 五段のSさんは大人になって始めた剣道で、苦労して五段になり次は六段と思っている。 かたや、四段のTさんは24才ぐらい身長186センチの若手でスピードが有る。 Sさんの姿勢は立派、Sさんは「さあ!来い!」の雰囲気。 もう、六段の雰囲気であった。 Tさんは「御願いします!」の雰囲気。体重は前足に乗ってしまっている。 Sさんは足から攻めはいり、コテ、面と打っていく。 Tさんは押されている。長身を生かした面が出ない。 さて、今度Sさんは七段のW先生に懸かっていった。 すると、Sさんは前傾になり、前足に体重が乗ってしまっている。 Tさん時は足から攻め入り竹刀を腰に乗せて打っていたが、今度は四段のTさんの雰囲気になってしまっている。 足が出ずに、手元を上げて振りかぶってから足を出して打ち出している。 同じ人が相手が変われば重心の位置が変わり、姿勢が変わり、打ちだす手足の手順まで変わってしまう。 さて、Sさんは私とするとき、足から前に出て腰に竹刀を乗せて面を打ちきる。 私は彼の打ち込台に徹して打たせてあげる暗黙の了解が有る。 私には素晴らしい面を打ちきる。 相手が変わり心の置き所が変われば剣風まで変わってしまう。 さて、同じく七段に受かった人達は姿勢が良く剣風も急に立派になった。 しかし、受験生の看板を降ろせば急に良くなる。 七段の自覚が立派にさせる。 これは、全て心の置き所と言うことになる。 心の置き所は胸、腹、丹田と云う置き所も有れば、自分の剣道の意識の置き所も有る。 今回は意識の置き所についての例をあげた。
開けましておめでとう御座います。 私の周りの人達を見ての意見です。 攻めは性格が結構左右します。 打たれないようにイメージすれば守りで、攻めにはなっていません。 相手から見ればは自分を攻められないから、攻めのみに専一出来て楽です。 剣道好きの人柄の良い人には良く有るケースです。 このタイプの人は剣を一度下げるか、軽く突いてそれを攻めにして打ってきます。 いわゆる、竹刀を動かし攻め入って来るタイプです。 合図をして打ってくるから、私からすれば楽なタイプです。 下位の人には通用しますが、同僚当たりだと少し苦しいです。 人柄が良いだけでは七段の受験当たりに苦労します。 六段までは強くて、練習量が有れば受かるようです。 大学で初めて45才で六段になると云う事は、練習量も多く、筋も良いのだと思います。 打ちあいに負けない強さは六段の資格だと思います。 人柄が良く、どこか意地の強さが要求されるのが七段の試験の様な気がします。 剣道はそこからが難しい。 六段までスンナリ行った人が七段受験、ここで苦労します。 私の周りに沢山います。 そして受かるときは判ります。 一皮剥けて化けます。 打たさないと強力な意識、イメージを持ちながら、咽元を攻めて前に出ていきます。 バリヤー(結界)張りながら喉元を攻めて前進して行きます。 遠間からそれは始まり一足一刀の間合いに入り、「来れば突くぞ、来れば突くぞ」とイメージします。 この過程で用の攻め、軽く竹刀で相手を動揺させます。 相手の無意識は次第に反応してきます。 体で攻め入ります。 それは竹刀の先から水鉄砲の水が出るようなイメージ(レーザー光線が出るようなイメージ)、竹刀が伸びて相手の咽に突き刺さるイメージ、出てくる瞬間竹刀の先が突き刺さるイメージを明確にもって体で前進します。 一足一刀から胸を出し打ち間に入っていきます。(大切な事は頭を下げず、腰を落とさず、竹刀を動かさず胸のみを出す) ここまで十分に練ってからでないと最後の攻めを虚で持っていくことは出来ません。 この後、右足の動きが決定的な攻め入りになります。 この場面は自ら死地に出ていく意地が必要です。 体が出ずに右足の攻め込みのみ、すなわち体の足の部分が懸かりで剣が待(後の先)。 虚によって相手を引きだします。 足の懸かりに相手が引きだされた事になれば、飛んで火に入る夏の虫です。 すると、相手を使ったことになります。 この反対が、実で攻め合い同時に打って、相打ちで二人不合格が強い人が落ちるパターンです。 試験に受かった人が皆言います「相手が良く見えた」 「見られたら」負けです。 機会が有れば、イメージはエネルギーで、相手の中へ入っていける事を押しえて上げたいものです。 今日の標語。「攻めは明確な意識イメージなり」
新年の挨拶を申し上げます。 チョットしたと例え話を一つ。
猫と犬と狼と。 六段から七段への道。 連盟の稽古に普段来られない人達が練習に見えていた。 (連盟の練習日と剣友会の関係で来られない人達。) そこで、六段が七段の先生に懸かっている状況を観察した。 七段は六段の中心を攻めている。 六段はその攻め入ろうとする竹刀の先を何とか避けよう、逃げよう、外そうと頑張っている。 次第に押され引きだされてコテ、胴を打たれるか、面を打たれている。 力の差はどうしょうもないものが有るかもしれないが、相手と真っ正面から攻め合っていない。 相手の竹刀の動きの中に自分を埋没している。 自分の闘う相手を見失ってしまっている。
ここで、猫と犬の話。 猫は小さい得物を狙って捕食する。 だから、人間が猫じゃらしで猫と遊ぶ事が出来る。 六段が七段に猫じゃらしの様に遊ばれている。
犬は自分より大きいい得物に命をかけて懸かって行く勇気が有る。 だから、人間が棒切れを持って犬と対じしても、犬は棒切れを相手にしないで本体の人間を攻めてくる。 七段が難しいな!と思う人は猫の動きをしている。 この人はいける!と思う人は犬の動きをしている。 攻め合って攻め負けて打たれてもしょうがない、その差を少なくすれば良い。 攻め合いがないと、すれ違いになって、七段への挑戦にはなっていない。
猫から犬へが六段から七段への変化かな!と思う。 七段をスムーズに受かっている人は元から犬だ。 最近ようやく七段に受かった人達はこの変化が起きた人達だ。 猫から犬に化けたなと言う。 八人から1人選ばれる。
犬は狼の匂いにしっぽを下げると聞く。 匂いが種の違いを感じさせるのかな? なるほど犬にはない体形、目をしている。 立ち居振る舞い構え眼光が相手の勇気までくじかせる凄みが有る。 闘う前に勝負は既についている。 元から狼なのか? それとも。七段から八段への変化は犬から狼への変化かな!? 100人から1人選ばれる。
剣道をする前、竹刀を構えるまえにその風格、雰囲気が漂っている! 既に、オーラが周りを囲んでいる。 これは私の課題だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古5/14 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月14日(水) 全剣連合同稽古5/14
今日は先生に面が一本入った様な気がする。 最後の二本は快心のの「斬り込み面」打ったが、先生の頭は既になく、見事に胴を抜かれていました。 しかし、快心の面を打ちきったことに満足をしている。 先生相手だからこそあそこまで打ちきれたのだと思う。 他の人との稽古ならば相手の竹刀が弾け飛んだに違いないと思うのだが。 それにしても、あの抜き胴は神業だ! 何ともマネが出来ない!
岩崎先生。 原田源次先生の体の出が、今日は素晴らしかったです。 このままの体調を維持していただきたいと思います。
西村、今日の稽古は心と体が少しずれていた。 先生と稽古をした後、他の八段の後ろに二回並んだが、いずれも途中で止めた。 心の奥が「今日は止めておけ。」と囁いたからだ。
家に帰って、体温計で熱をはかったら37℃だった。 少し風邪気味だったのだ。
松本君 右足を前に出して出る練習をしていたが、重心が高いのと後筋を使っていなかったことが気になった。 前足を滑らせて出るには、体重が左に乗り、尚且つ床を掴むまで体が沈んでおく必要があります。 その後、右足を少し滑らせ、後筋で押します。 この時が攻め足で、余り距離を出すと、体が前傾してしまいます。 今の2/3ぐらいの距離が右足の前進だと思います。
見事に斬り落された感触はどうでしょうか。 思いっきり打っても、スコンと切り落とされます。 研究をしてみましょう。
雨ちゃん 右足が攻め足にならないで、大きく前に出して前に出るための足になってしまっています。 原田源次先生、中島先生の御二人との稽古を見ていて判りました。 重心が少し高く、膝がつっぱっているので、右足を大きく進め、体を前傾させ打っています。 残念なのは腰が折れていることです。 右足は左足の後筋の押しだし程度に出すだけで、次の左足の蹴り足まで待っています。 今まで正面で打ちあっていたので気がつきませんでした。 それとも今日だけなのかもしれません。 相手が相手だけに西村も同じような打ちになったかもしれません。 最後の松本君との稽古の様に、スッと右足を出し、相手の反応を見て打ち込めば良いかと思います。
重心を少し沈め、床を掴んでおくことが大切です。
車中の話し。 先日、岩崎先生が書かれた内容だった。
打太刀は師の位だが、仕太刀が打太刀を引き出して取る。 それ故、何本目かの二本は「後の先」だが、おおむね「先々の先」が仕太刀の理合であると話された。 これは日本剣道形の解説に西村が以前に書いたものと同じだ。
上段審査で胴は余り評価をされないが、「後の先」の胴で、相手に押されて仕方なく胴を斬った場合、審査では押し込まれたと評価される。 しかし、相手を読み、『先々の先』で相手を引き出した時の胴は、一つ格上と評価をされる。
西村の意見。 押されて打った胴は、相手の攻めと押しが上で、胴を打った方が半分格下。 引き出して打った胴は、読みの差が出たので、一つ格上。 スッと攻めて、さらに面を見せ、面を打たせて胴をとれば、この心の余裕の評価は高いものとなる。
相手を面に引き出して、後から竹刀を動かし、斬り落して面を取れば、後立派! ツリー全体を読む
△上に戻る 師との稽古。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月16日(金) その通りですね。 原田源次先生との稽古では、ここは打つべきだ、打つしかないという時は、西村は全身全霊で打ち込みます。 その代わり、先生の胴を打たれても悔いが残らない。 打ち切れた自分に満足します。 先生が面の相打ちを避けて胴にまわるほどに、打ち込めたと思っています。 先日の稽古でも、最後の二本の面はまさにそれでした。 あれが、原田源次先生でなければ相当な相手にも入った面だと確信しています。 そこまでの面を打たせて下さったことの感謝しています。 真っ正面に挑んで何とか師匠に近づいて行く、これが師弟関係の稽古なのだと思います。 この稽古がないと、足踏みをして上に上れないような気がします。 心から尊敬する師を持つことは幸せなことです。 ツリー全体を読む
△上に戻る 今日の稽古は胴打ちの指導。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年5月15日(木) 今日の稽古から
今日は西村としては特に感情が湧かなかった。 相手に不足があったからの様だ。
見ていて気がついた事だが、胴打ちの時に返した刀を抜く前に相手にぶつかってしまっている。
1-竹刀の先が大きく回る為、時間が懸かりすぎる。 2-左足に一度体重移動の支点を求め、そこから蹴るから間に合わない。
*手元を返して、腕をたたみ鍔で胴を斬る。 *右足の力を抜いて、体が右に滑り落ちる力(重心の左滑落)を利用する。
稽古の後、四五人にこれを指導したら、目が点になっていた。 西村の大きな体がスッと胴を斬る秘訣を垣間見たからだ。 剣道は稽古も大切だが、教わること、盗むこと、工夫することの大切さに気がついた様だ。
Kさんが、前回全剣連合同稽古で先生から「体が立ちすぎている」、と言われて悩んでいた。 突っ立ったままから左足で蹴るから、体が前に進まずに上に飛んでしまうのだ。 重心を少し沈め、膝に緩みが出来、右足を10センチ前に滑らせてそれから面を打つように指導をした。
今日の稽古では見事にそれが生かされていた。 本人も「先生!偉くスムーズに面が打てます。」と言った。 素直に聞き、素直に従う人はすぐにできるようになる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古4/29から。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月29日(火) 全剣連合同稽古4/29
今日は仕事は午前中で終了し、午後は赤坂でキレーションを受、血管の大掃除。 キエレーションの最中、一時間半は瞑想をする。 これが難しい! 瞑想が睡眠へ移行してしまうと、体の筋肉が緩み稽古にならなくなってしまう パレスホテルに車を置いていたので、そこへ行き、コーヒーを一杯飲んで、 その後、武道館へ向かう。 (私のダンスの先生は、試合前日は風呂に入らないと言った。 筋肉が緩んでしまい、競技ダンスが出来なくなってしまうからだと言った。 西村がダンスを教わっているとき、午後の授業で居眠りをして、気分爽快でダンスの稽古に行くと、それを見事に見破られてしまう。 「西村さん!少し走って体を目覚めさせてから、稽古をしましょう!」 それで数キロ走り込んでからダンスの稽古をしたものです。)
土曜日に稽古をしたので、今日の稽古を思い、昨日の日曜稽古はあえて休みとした。 大切な体に無理をさせない優しさこそが、剣道を長く続ける秘訣と思っている。
前回は体が眠ってしまい、稽古にならなかった。 その前は、先生から○を貰ったのに! 今日は心身ともに覚醒して稽古に臨める。
稽古前に岩立先生にあった。 姿勢の特集の写真の話をした。 西村は「あの先生の姿勢からの面打ちを研究した。」との話しをした。 「最近あのように打てなくなってきた。」と先生が話された。 そう云うと、走り込みをされている本に書いてあった。 「先生と稽古ができるように最近痩せて来ました。 足も大分良くなったので、五月過ぎから先生の所に稽古に行きます。」と言った。
今日は原田源次先生との稽古は並びの六番目位にし、先生と竹刀を交える前に十分呼吸を整えた。 過呼吸をし、体に酸素を十分送り込んだ後、長く息を吐き、脈の数を落した。 そうすると段々意識がクリヤーになってきて、心が静かになり頭が冴えてくる。
先生が良く見える! 先生の攻めに心が動かない! 先生の右足の攻めは入りが良く見える! ここに呼応して、西村も足を進める。 竹刀は蹴り足になるまで動かさない。 今日はほとんど小手を打たれなかった。 胴は一本ぐらい。 かなり相打ちの面位に肉迫した。 今日は快心の出来だった。 久々に満足した師匠との稽古だった。
今日から新進気鋭の教師八段と稽古をすることにしている。
埼玉の八段教師の先生と稽古をした。 剣道は切れ味の良い打ちをされ、懸かる人は皆様、切って落されていた。 西村の剣道は相手が感性が良く強いと、精神エネルギー、波動の能力が益々発揮される。 相手の感性が高いと、こちらの攻め、気当たりに反応があるからだ。 これは相手が強ければ、強いほど攻めは入れるのだ。 相手は西村の攻めに見事に反応する。 相手の先生の心は完全に西村の手の平に乗った。 後は引きだして打つのみだった。 打ちたい様に引き出して皆入った。
西村の肚 範士八段の大御所と丁々発止と渡り合える肚がある。 間合さえ間違わなければ、教師八段とは十分稽古ができると思っている。
この様子は関根さんが見ていた。
稽古の後、挨拶に行くと「先生は強い!」と、御言葉を頂いた。
関根さん 高齢の八段相手に良い攻めをしていた。 攻めっぱなしで、相手が我慢・心の余裕が必要だ。
攻めを急に緩める。 グット頭を見せる。 体の攻めは入りの途中に、竹刀で相手の意識を少し動かす。 打ちませんかと!気分で聞いてみる。
相手は攻めに我慢をしている時に、もう一つ課題が起き、少し混乱する。 この時、左足が蹴り足で打ち足になれば入る。 この技前を研究して下さい。 そうすると、昇段は確実です。 以前よりも打ちがスムーズで速かったです。
菊地さん 我慢が良くなった! 西村の攻めに十分耐えていた。 数段の進歩です。
松本君 原田源次先生に打った最後の面は御見事でした。 西村との稽古で気がついたのは、手元が前に出てしまって打っている。 これでは掌中の作用が生きない。 竹刀は身の内で操作をするものです。 相手との間合でモーションは変わることを意識して下さい。 そこが課題です。 最後の西村に打った面は御見事でした。
沖田先生 ひょっとしたら七段を受かるかも知れない。 相手が面を打ってきたときは、あの大きさの面は有効です。 あの大きさで打って出ると、挙げ小手か胴を斬られます。 稽古の後指導した、『足での気当たり』をものにすれば、十分七段に受かります。 今度御会いした時はこの稽古をいたしましょう。
今日は切れ味鋭い、満足の行く体調と久々に満足の行く剣道だった。 いつもこうある様な体調、人生を送りたいものだ。
これを書く途中、胸につっかえを感じる。 血が濃くなっている、直に水を補給する。 この身体感覚が命を救う! これが鈍いと、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞になってしまってから気がつく。 それでは遅すぎる! ツリー全体を読む
△上に戻る 腰から始動参項過去記事-1 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月29日(火) 石船斎が兵介(柳生兵庫之介)言った。 「敵の太刀は月じゃ。俺がまえに踏みだした右足の甲は、月をうつす水面(も)じゃ。 月の動きを水にうつし、間の境を静かに足先で越える。身は間の外にあり、足先は間のうちにある。そこで敵の動く拍子にあわせるのじゃ。わかったなかな。
石船斎が上泉伊勢守に負けた理由。 「互いに一歩踏み出せば相手を打つことが出来る、一足一刀の間境に立ったとき、上泉殿はまことに上手な間積りをなされた。間のうちへ足だけはいり、上体は間のそとに残しておられたゆえ、俺は先手をとられておることをしらなんだ。」
新陰流には敵に勝つ手法の原理に殺人刀(せつにんとう)との二つがある。 殺人刀(せつにんとう)とは敵の動きを封じてその力を出させず、一方的に制圧して勝つ刀法である。 これは多数の敵を相手にする戦場では威力をあらわすが、すぐれた刀倆の相手と一騎打ちをするときには、難点があった。 時には、窮鼠かえって猫を咬むの反撃に出たとき、思いかけない弱点をつかれかねない。 活人剣はそのように不意をつかれないよう、まず敵に働きを出させるのである。 敵に得意の攻め技を自由に出させたうえで、敵のはたらきに従って動く。 つまり、敵の技の裏をとるため、不覚の敗北を喫する危険がまったくないことになる。」 活人剣は新陰流の神髄である。
兵介(柳生兵庫之介)が弟子に言った教え。 活人剣は敵に先に打ちださせ、その技の尽きた所を打って勝つ、後の先の技である。 斬り合いでは、わが方より進み出でて先に打つ必要はない。 先に出れば敵に拳を打たれおる。 「打っては打たれる故、打たれて勝つことを覚えよ」
上泉伊勢守の言葉 「相手に従って勝つ。」 「色につけ、色に従う」 色とは、敵のはたらきをおびき出す誘いのそぶり。 構えのかたち、顔色、太刀先の動き、打ち込む気配。 巧みに色を仕掛ければ、敵は必ず誘われ攻めかけて来るものである。そこを表裏仕掛けて勝つ。
新陰流「二目遣い」 敵に内心をわざと気取らせるためにする目つき。 敵の動きを注視しつつも、いかにこれからどこを攻めてゆくかを感じとらせ、チラチラと視線を動かす。 敵はこちらの様子を読み、先手をとるつもりで仕掛けてくる。その裏をかいて急襲するのが「二目遣い」の技である。
「敵の好む所。」 ◎突くを好むか ◎われから仕掛けるを好むか ◎構えにより身を守を好むか ◎強い打ちを好むか ◎打つ太刀を受けるのを好むか ◎打つ太刀を外すのを好むか ◎敵を落とし入れようと表裏のわなを好むか ◎身を軽く飛び去るを好むか これらのさまざま偏りがあるため、相手を好む技を自由に出させるのが、勝利の秘訣である。
初心者に起きやすい面打ちの間違い。
(過去の文章を見たいときは100ラインを200ラインにすると見ることが出来ます。)
では、お話をしていきます。
始めての練習では、竹刀と身体の動きで、最初は1、2,3と拍子を取りながら練習をします。 まず、1で振りかぶり2で前に出て打ち3で下がる。 (つぎに、1で振りかぶり2で打つ、1で振りかぶり竹刀を下げながら下がる。) ともかく、竹刀を振りかぶってから右足を出して面を打つ。 これは2拍子です。 この2拍子はどんなに早くても切れ目、節があります。 1拍子にはその節目を取られます。
学生時代に始めた人で練習量の多い人は、知らない間に一拍子が身に付いています。 大人から始めると足が遅れ、振りかぶってから右足で打ちに行きます。 手は竹刀を以外に早く操作します。 振りかぶった竹刀は身体がその動作を終了するときまで、上で待っています。 早く動かせる竹刀が既に一拍子分先行しています。 強い面打ちが出来ると言って悦に入ってますが、実践では(稽古、試合)振りかぶりの途中にコテを、胴を打たれてしまいます。
この一拍子を身に付ける前に面を着けて打ちあいに入りますと、中々修正出来ません。 練習量が多く、運動神経の良い人が六段位にはなっていますが腕力で竹刀を打っています。 実際には高段者にも多いのですが。 多くはシャクって打ったり、竹刀の先で拍子を取ってごまかしています。
面打ちの分解をして書きます。 左足で腰を押し出すようにして、右足を前に進めます。 そして、その途中で左足を蹴って、さら空中を飛ぶ頃に竹刀を振りかぶります。 左足の蹴りが右足を急激に前に動かし、この右足の急激な前進によって左拳が前に出て振りかぶり動作になります。 歩くときの足の動きと手の動きの自然なバランス動作です。
次の分は、ある時に書いたものです。参考にして下さい。 リクエスとなので書きます、少し長いですが読んで見て下さい。 面打ちの基本の実際は中野先生の面打ちです。 上体が傾斜し手元の間から相手が見える位置まで十分に振りかぶり、面を打つ。 基本が十分に出来、次に相手との攻め合いの中で打つときは西野先生の様な面打ちになります。 実際には西野先生の足も待も攻め入り、ぎりぎりまで手元をあげず、相手の心が動いた瞬間(相手色が見えた瞬間)、その最後の瞬間に手元をあげて面を打ちます。 言うわ易し行なうは難しです。 西村なりに、そこに至る練習方法を開発しました。そして、指導面でも良い結果を得ていますので、紹介します。 足の動きと手の動きの差を理解していないので、手だけで打って気剣体の一致が得られないのです。手は足、腰、体の移動の三倍速く動きます。 1-足幅を60〜100センチ離し、剣先(竹刀の先)を腰(お尻)に付け、右足を固定した※この時腰が残り(へっぴり腰)にならないように十分練習する。 2-1が出来たら、同じ位置から右足を10センチ前方に出しながら面を打つ。 1、2で体の運用、腰で打つの感覚が理解出来ます。 3-1の体勢で、竹刀は正眼に構え、左足が右足の後ろに来る間に振りかぶり、振り降ろします。 1は振り降ろすだけ、3は振りかぶり、振り降ろしの二動作が有ります。 この振りかぶりの最後の瞬間に切れ目無く振り降ろしの動作がつながる、一拍の拍子 に打てる様に心がける事です。コツは振り上げの意識を消し、ただ大きく打つと意識すればそのような打ちになります。二拍の意識を捨て体の移動中に一拍子として打ちます。(石火の当たりに近づきます) 4-2と同じように右足元の足幅を狭め、その分右足進める幅を大きくします。 5-4迄十分できたら、自然体(右足の踵の位置まで、左足のつま先を寄せる位置) で正眼に構えます。 この時、四分六で左足に体重が乗り、ひかがみをを十分伸し靭帯の緊張のみで立つ。 右足を滑り出すと同時に左足で腰を押しだしながら腰を落とさないようにして前進す る。 右足が40〜60センチぐらい前進したときに、左足で蹴ると同時に一気に打つ。 最後の打つ瞬間に右足がさらに20〜30センチ前に出る、この間に一気に打ちます。 振りかぶった刀は直に振り降ろすとは、このことです。 打ち終わった瞬間は腋(ワキ)締まっていることです。 さて、腰を落とさない秘訣としては額の真ん中・印堂のチャクラから相手を観る(観 の気持ち)が大切です。 右足が出始めて、最後の1/3〜1/4の所で竹刀が一気に動きます。 ここで、左手の位置はご飯を食べるとき、左手がお茶わんを持ち上げる程度にはあげ ます。余裕が有ればもう少しあげます。 ほとんどの人は右足の動き始めと同時に、右手で竹刀を引き上げコテを打てとばかり に、竹刀を空中に浮かせて身体が前進するのを待っています。 少し強くなると竹刀が面に当たってしまているのに、腰が後方に残ったままです。 いわゆる、刺し面の様な状態になってしまいます。 手の動きは以外に速いのに先に動かしてしまって、手元の余った時間を持て余して いるのが現状です。この勘違いを正さないと気剣体の一致は得られません。 コツとしては、「打つと思うな、身を相手に早く近づけと思え」です。 「手を伸ばすより、身を近づけよ。敵打つ前、身をはやく入るる心。 秋猴の身(手の短いサル)。」がこの教えです。 未熟な私が見本を示さずとも、最高のものを西野先生が見本を示しています。 1〜5の手順を踏めば時間はかかりますが行着きます。 プリントアウトして練習の時に持っていって下さい。 その成果を聞かせて下さい。 さらに次の文を載せておきます。 森田文十郎先生の著「腰と丹田で行なう剣道」の中で「気剣体一致とは足が出ていってそれから斬る」と書かれている。 竹刀剣道においても足から起る。 右足が移動して中途で振り上げて打つ。 そうするとそうすると自然に斬れる。 右足から移動していくと体が少し前に出る。 その時中段に構えたままであるので剣先で相手の咽を攻めている。 同時に起こりが少ない。 手から起ると起こりが大きくなり、相手の剣先前で振りかぶるから突かれやすく、出頭を打たれやすい。 松本敏夫先生は「サーッといく」とよく言われた。 「一拍子の打ち」のことで、よどみなく斬ることである。
起こりは右足から動く。(左腰を使うとより効果がある。) 左足が宙にある時に振りかぶる。(剣先で突くようにして攻める)(一足一刀の間で振りかぶると突かれる) 打突部位に当たる瞬間に右肘を十分に延ばし、右手の親指で相手の目を突くようにする。 (右手はほぼ肩の高さ、左手は乳の高さ)
以上は次からの抜粋。 榊原正先生 著「求める味」 体育とスポーツ出版社¥2000 平成7年11月1日発行。 電03-3291-0911 F 03-3293-77
この見本は島野さんのホームページの「西野悟郎先生の一拍子の打ち」 http://www.st.rim.or.jp/~shimano/doujo/frame_doujo.html に見事な手本が動画で有ります。 (丁度この動画の説明の様な形になります) 是非参考にして下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re[3]:腰から始動参項過去記事-4 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月29日(火) 「月影の前」 私が直接指導した人達が何故西村先生は風のように前に出れるのかと聞かれます。 質問の意味が良く判らなかったのですが、今日良く判りました。 月影の足の動きを起す前が理解出来ていないことに気がつきました。 説明します。 ほとんどの人は重心を左足に乗せるだけが精いっぱいです。 コツは、ひかがみを伸し、腰を引き上げ背筋を伸ばした一本線を作り上げる事です。 多くの人はここで腰の緊張がなく休めになってしまっています。 その次が有ります。 重心が固定をしていては初動に無理が有ります。 頭の頂点を三角錐の頂点、足の幅を直径とする円を想定して下さい。 重心は固定しないで揺らいでいます。 頂点から腰の位置までの振り子を三角錐の中で揺らいでいる状態を想像して下さい。 多くはここの振り子を固定してしまいます。 私の場合はこれが自分の意志で揺らいでいます。 攻め入る場合、気で攻め、小胸を少し出して攻め、息を少し吐きながら腰を少し緩め、前に少し押しだします。 つまり、腰の振り子が円錐の外、前に今まさに出ようとする瞬間を作らなければ右足の操作は出来ません。 部外者は外からこの状態は良く判りませんが、気と気がぶつかり合っている相手には敏感に判ります。相手はこの状態を察知しています。まさにこれを相手に察知させ、相手が蹴って出てくる事を予想させます。 これが月影に入る前の操作です。 御互いにやや前傾になり竹刀をぐぐっとやや出しています。 この状態は一足一刀の間合いから、切り間に入っています。 相手が嵌まれば、頭の前、面金の一番上に停まっているハエを打つ気分で一気に軽く打ちます。 面布団に拘れば左手が上がってしまいます。 相手は頭を下一番上から面を打つ気分です。それで十分面布団に当たります。 サード、ショートがファーストに球を投げる要領です。 くれぐれも、レフトからホームベースに投げるような動きはしないように。 気で攻めれない場合はこの技は使えませんが、重心の振り子が固定されていては中心からの急な動き始めを捕まえられてしまいます。 つまり、腰の位置の振り子をぎりぎりまでゆっくりと持っていきます。 この攻め入りの振り子の揺らぎをゆっくりと相手に察知させながら、蹴らずに右足を滑らせ、左腰をわずかに押しだし、新幹線の動きをします。 この時、左腰の引き上げた腰の高さがないと前に滑り出す位置のエネルギーが出てきません。緩やかに弱い角度の板の上を玉が転がる様に前に進みます。 動きに筋肉の緊張はなく、ただ前足のつっかい棒を抜くだけです。 相手はこの動きを捕まえる事は出来ません。 ただ雰囲気は感じますが反応できません。そこで、左腰を押しだしますと相手ははまります。これでだめなら用の先を使って引きだします。 相手は蹴りだし、汽車の動き始めを期待しています。 見事に予測を裏切ります。 予測が外れた人間の動きは弱いものです。 平らなところを歩いていて凹みに足を取られた様なビックとした感じになります。 つまり、相手の無意識をコントロールする事が理合いです。 今回七段に受かった中村先生はこう言いました。 「相手は嵌まって、喜んで面を打って来た。」 「これが二本入りました。」 相手は来た、と気がついたときから重心を右足から左足へ重心のキャッチボールをして 初動に入りますそして蹴り出します。 結局、相手の動きの中へ捕まりに入るわけです。 これを「飛んで火にいる夏の虫」「誘蛾灯に飛び込む虫」と西村雅興は云います。 「月影の前」について書いてみました。
意識、体重、前進等。 左足に60〜70%重心を持っていきますが、目安は右足がスムーズにでていく程度です。 多くの人は右足から、または真ん中から左に重心を移す作業が有ります。 右重心タイプは、右から左へ重心のキャッチボールをしなければなりません。 さて、左に重心を持っていった後、左足に意識を持って行った後が有ります。 左に重心を、意識を持って行った後、足の裏の母子球(親指の付け根)に力を入れ、そこから上に太ももを緊張させて左股関節前面を伸すようにしていくと、左腰が上がってきます。 意外に左腰高になります。これが出来ないと前に出られない。 これは実は歩行の自然な原則です。 ちょっとためしてみて下さい。歩く時は足(脚)を十分に伸し歩きます。 右足が左足を越え、今まさに右足が200〜25センチほど(右足の踵が左足の親指の先)出たとき、左足はやや腰高で緊張しています。 右腰が落ちないように左臀部と背筋が緊張しています。 そして、前に落ちないように右足をつっかい棒になった状態が判ります。 左腰高で、やや前に倒れかける状態の時、この右足を滑るように浮かすと身体はやや下方へ滑るように落ちていきます。 教えると、ここまでは結構出来るのですが、ほとんどの人は下方へ落ちてしまいます。 この時落ちない秘訣は左足駆動です。しかし落ちないように静かに、グッグッと腰を押しだします。 これは島野さんの西の先生のアニメ風の動きを見れば良く判ります。 ここで、沈み込むと面を打たれに行くみたいな物です。上位の人にこの状態で攻め入ると、そうは行かないと上から面に乗られます。 頭の高さを変えないか、やや高くなるぐらいの気分が大切です。 この攻めは入りの意識は第三の目、印堂(額の真ん中)のチャクラの位置に目の意識置、上から相手を眺めるように攻めは入ります。そうすると頭は前に傾かず、身体が前傾いたしません。 この時剣はぴくりとも動かさずそのままで前進します。 この動きが緩やかで、時間が長ければ相手が我慢できずに胸を出します、次にコテの部分、手元をあげて打とうとします。相手のこの反応、胸が出る当たりを掴めるようになるとこちらに時間は十分有ります。手元ではその時間が短くなります 結局こちらが刀を動かす引き金は相手がします。 相手は自らこちらの引きがねを引いて、打たれに来ます。 そうさせる先が歩行の自然な前進の生理的作用を使った前進と、腰の位置の高さを維持する左足の押しだしです。 これは島野先生の西野先生の一人面打ちを参照して下さい。 西村の説明がそのまま具体的に表現されています。 相手の胸が出たときは相手の無意識(先代意識、本能)は打ちに走っています、。しかし有意識(顕在意識は)未だ打ち事を決定していません。 先を取ると言うのは相手の無意識を動かし色を出させる、有意識にが決定していないこの意識の間合いを取ることです。 私の剣道は相手の無意識と対話し色を出させ、有意識がそれに気がつき初めて動き出した時は既に手の中に有る。こんな剣道をしています。 かなり八段位の人と剣道をすると、相手の手のヒラで踊っている体験をしたことが有るでしょう。これがそれです。 西村が言う合言葉「飛んで火にいる夏の虫、ハイ!そこが修業のしどころですよと、面と打つ。」 参考になったでしょうか。 スペインのフラメンコの右手を高く上げて見えを切った状態、この右側面の緊張をスパニッシュラインと言います。 ワルツ、タンゴ、その他の踊りでも、このラインが出来るか出来ないかで入賞するかどうかが決定します。 剣道では左足を軸としたスパニッシュラインがとれているかどうかで決まります。 正直な所ほとんどの人が出来ていない。 島野先生の京都大会は出来ています。 奈良の松田先生はこの辺が美的に美しい。林は勝負に出て松田先生は芸術に出ている。 さて、この松田先生が元高千穂高校の先生、若くて八段になりこれからという時に亡くなった先生(ちょっと名前は度忘れしました)には練習で押され見事に面を打たれていました。腰の備え、心の備えがが相手の方が一段上手でした。 これが八段に近い七段と八段に成り上がった八段の差かと感じた京都大会の練習風景でした。
見えない、感じない、反応出来ない動き。
見えない、感じない、反応出来ない動き。 昔の汽車の動き始めは機関車の引張の力が次々と連結車両につたわる。 新幹線は気が付いたら発車していた。 誰かと話をしていても汽車の動き始めは直ぐ判る。新幹線では判らない。 しかし、心静かに発車の瞬間を待っていると気が付く。 人間は相手の筋肉の一瞬の緊張を察知する能力があるようで。これは、相手の中に起きた微細な筋の 活動電位の立ち上がりを察知する能力が人間にはあると言うことです。そして、相手はその瞬間を息 を潜めて待っています。 これを逆手にとって相手の間合いに入っていく方法があります。 相手の手の平の上にコインを置いて、相手に握られないようにそれを摘み取る方法です。まず、腰の ためを作ってそこから筋の連動があると相手には容易に覚られます。 腰が一瞬固定され、そこを基点に背中、肩、ひじ手首、指先と筋肉が連動していきます。この流れは 相手に察(見られます)されます。だから、腰のためがないと良い勝負になります。いわゆる、腰に ためて瞬発力を使う方法とは違います。 筋の緊張が相手に覚られますから、筋の緊張を最小限か、緊張しないで入って行く方法は上につるし 挙げてい手の筋肉のの緊張を抜くのです。ただ手が落ちるに任せたとき、相手はその落ちる手に反応 出来ません。 目では見てるのですが意識、筋肉が反応しません。その手がコインに触れる瞬間に指で摘み、その瞬 間に手を引き上るのです。相手は感が良ければ摘む筋肉の緊張の瞬間に反応します。普通は手を引き 上げる筋肉の緊張が起きた 時に手を握ろうとします。 コツが判れば簡単な事です。面白い様に出来ます、これはフェイントの世界ではありません。反応出 来ない世界です。 私は、まあまあの腕の五、六段ぐらいの人までには簡単に間合いに入り込めます。皆が言います、先 生が何時間合いを詰めてしまったか全く判らないと。気が付いたら目の前にいる、どうしてですか? と皆は聞きます。要するに色が見えないと言うことです。 横から見ていると私が入っていくのに何故、相手は黙って見ているのか不思議な現象に見える。しか し、対た相手は気が付かないのです。身長177センチ、体重105キロの私の動きがつかめないので す。 一足一刀から竹刀で中心を割るように切っ先を少と肩を出し、胸を出し、それからユックリ、静かに 腰を(へそ)を前に入れていきます。そこで、ぱっと打つと相手はそら来たとばかりに反応します。 相手はそこを待ってます。見えない動きのコツはここで左腰の高さ(ひかがみを伸ばした高さ)を利 用し、前足のつっかい棒を静かに外して前方に滑り入ります。この時はコイン取りでは、つるす筋の 力を抜くのです。要領は同じです。 筋は緩むので起電力は発生しません。このように打ち間に入ります。そこまで入ると、相手の額のハ エをハエたたきで叩く様に、一瞬に蹴り込むと同時にただ斬るという意識で腰で切ります。斬るに必 要な必要十分な振りか ぶりはできてます。 相手はこの蹴り込みの瞬間に反応します。この反応は、飛んで火にいる夏の虫のごとく手の中に嵌ま ります。 そこで、力の差がもう少しあれば、滑り込みの途中で、脚を少し上げる様にして相手に色を(反応の きっかけを 見せます。相手はこれに反応します。相手は脊髄反射の世界に誘われたことになります。 それを見てからユックリ竹刀で斬って行きます。 これをやられると、試合の様なゲーム性は消失し、相手は頭を抱えてしまいます。 これで相手に勝ちすぎると、面白くないので誰も練習に付き合ってくれなくなります。取った、と思っ た後、相手に打たせて上げないと可愛そうです。 自分は責め入り、間の勉強、相手を乗せる勉強をさせてもらい、相手には一瞬の面に延びる打ちを体 験させてあげる。この余裕が欲しいものです。 これは「膕(ひかみ)」を伸ばすことにコツがあります。背筋を伸ばし、ひかがみを伸ばし、そして 筋肉の強い緊張に頼らないで、屈筋伸筋の平衡状態を脚に作り後は靭帯に任せ、左足に六分位体重を 乗せます。一足一刀の間合から胸を出して竹刀の先は責めは入ります。その時、足は滑り出した形で 前に出ます。これは、左足にた体重が右足のつっかえ棒が取れた形で滑るように前に出て打ちまに入 ります。相手も当然、微かな気配は察知しているので相手の胸もやや出てきます。これでお互いが打 ち間に入ったわけです。しかし、こちらは重力を利用し体が前に滑り落ちようとする原理を利用して いますから、相手が察知したい飛び込んでくる時の筋肉の活動 電位の立ち上がりが無いので相手は反応できないのです。 これは、相手からみると急激に相手が大きくなるように感じます。若し、竹刀が上で斬り結ぶ様な事 になっても移動距離は相手の倍ぐらい動いてます。 先生と練習していると急に先生が目の前に迫ってきたような感覚になって打たれるときはこれです。 しかし、これが実行出来るには相手より気が上回っていないと出来ません。相手は、私の竹刀に全力 を傾け、本 体の動きを見る余裕は有りませんから。 相手が上だと、そうか、そう来るか!と逆に見られます。竹刀に意識を取られないで相手全体を見る 余裕があ る。 相手の心は静かですから見られます。腹を練る必要性がここに有ります。相手は打ってこないで、竹 刀で受けて 胴に斬って取られます。 ここでも大切な事が有ります。見られた、心でしまったと感じます、しかし潔く、見事な胴を打たれ る様な面を打ちきることが捨てる修行です。途中で胴を庇ったり打ちを止めたりするならば、最初か ら打たないことです。 相手が強いとここの修行をさせて貰えます。 二段ぐらい差のある相手にこれを実行して下さい。そして十分通用するようになると、自分が上の先 生に逆にこれをやられていることが良く判ります。 そうすると、先生との練習で、心の踏ん張り所が見えて来ます。 その頃、同僚より半歩前進した感触を手に入れます。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re[4]:腰から始動参項過去記事-5 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月29日(火) (見えない動き) 見えない動き、責めをもう少し分解してみると、一番のポイントは ヒカガミを伸ばし伸筋、屈筋を固定すると脚が一本の状態になります。 後は足首の靭帯に任せれば良いのです。左脚に六分位体重が乗っているとスムーズに行きます。 これは人間の二足歩行の筋力を最小限で、効率良く歩く基本形態です。 膝を壊すのは膝が伸びないか、反りすぎるか、負担能力以上の力の持続的状態でdす。 多くは気に責めと同時に右足に体重が乗っていて、出る瞬間に左足に体重を乗せ換えるとき、体重の右抜き、左かかり、左足蹴りとなって体を前に進めます。それを瞬発力で闘っている時は相手もそうだから良いが、相手が左腰に体重を乗せていて滑り込んで来るときは相手を掴めない。 さて、もう少し分解すると、気攻めが形として肩がやや上方で、前方に進みます、その後、胸で責めは入ります。相手もこれに対抗してやや前方に進みます。その後へそ、腰(腹)が少し前にでます。一足一刀の間合から打ち間に入ります。このとき、右足は今にも滑り始めようとしています。重心が前に滑り始めたとき慣性の法則は既に破れています。その時、竹刀の先端が5センチぐらい腰で責めは入ります、腰が締まり、左足が腰を押す気分です。右足が10センチ程すべり入ります、叉は軽く浮かせます。このとき、すべると同時に腰を押し出すはひとつの流れです。ぐっと押し出せば強い責めとなります。相手はこれに対抗すべく堅くなるか、負けずにやや遅れて出ようとします。そこを捕まえる方法が有ります。自分の動きの中に相手が入ってくる様な状況です。飛んで火にいる夏の虫です。 気で勝って、攻め勝って、剣で勝って自分の動きの中に引き込む方法です。 エイ!と入ると相手は気づきます。グッと入ると相手はそれにやや遅れて反応します。それに合わせて打つところを決めれば良いわけです。 そこで、頑張って乗ってこない人がいます、その時は剣先を下げる、乗せる、裏から入る、やや剣を進める等をするといった方法で、気の闘いから一瞬剣先に意識を向けさせます。今まで五分のつもりで張り合ってた状態がその瞬間に猫じゃらしにあってしまうのです。 次に、責めは入らないでパっとやや前方に右足を少し上げます、相手はこことばかりに打ってきます、打たせて取ります。大きく面を斬り落とすか、返して胴がよく決まります。 次に、ここで、気を緩めます、左の靭帯を少し緩め踵を少し下げます、相手はシメタとおもわせ引きだします。園田先生の出小手の妙技です。 さて、この入り込む時、相手に吸い込まれる様な気分で入って行くと、相手は全く反応が出来ません。グット責めはいると相手は応しやすいのですが、吸い込まれて入っていくと相手は困ってしまいます。いわゆる殺気がないのです。(京都である人と練習した時、ただニコニコしていた相手には何としても責めることも、打ちきることも出来ませんでした。自分のテンションがそこまで上がりませんでした。まことに困った状態でした。打っていってニコニコした相手に全部止められていました。 のれんに腕押し、柳に風、豆腐に釘の状態です。) この状態は相手の予期していない状況です。入ってきてる、近づいて来ている様な気はするが敵対心を感じない、殺気がない、一瞬の困惑が相手に走った時打ちます。ただし、そこが貴方の弱いとこですよと教育的指導の気持ちを持って打ちます。頭の上のハエをハエタタキでたたくように、すると相手はよろしくといった様に頭を下げて面を差し出して来ます。 このときの気持ちが大切で、殺意を持った、勝ってやろう、対抗的に強い意識があるとそれは出来ません。 あくまで相手が自分の面を打ってくれと、こちらの引き金を引くのです。 それまで打つことは自分の中に意識がありません。 二段ぐらい差が有ると容易に出来ます。差がありすぎると出来ません。 この方法は何時も元立ちをしているとしやすいです。勝てる相手にどのようにして勝か、あらゆる方法で勝ちます。相手によってはまりやすさが有ります。 強い相手と練習しなくてもこのようにすれば技は上がってきます。強くなれるかどうかは判りませんが、剣道の奥義、妙技が見えて来るような気がします。剣豪小説の本で書かれた心のやり取りが実際に出来ると面白い物です。 それにしても、22年前埼玉で見た楢崎先生と矢野先生の剣道の練習での楢崎先生の面はいまだに脳裏に焼き付いてます。(その年の八段戦の優勝) 鶴の様にスックと立った姿から滑り込むように入った次の瞬間大きく面を打って矢野先生の面を捕らえた瞬間を。その時、矢野先生、楢崎先生の事はほとんど知りませんでした。しかし、見事な面でした。 その時から、鶴の様にスックと立った姿を思い浮かべ練習しています。 静岡の井上先生も同じような立ち姿と思っています。 左に体重を乗せ、ヒカガミを伸ばした先生を見ると嬉しくなってしまいます。八段の先生にも少ないです。運動神経と練習で強くなった剣道家には興味がないです。しかし、その先生の精神が姿勢に現れた先生を見ると、練習をしていただくより、ただ見ていたいです。そんな剣道をしたいと思っています。品の良い剣道です。 ところで私の剣道はダンスみたいと言われます。静かで優雅で柔らかく、身体が滑って動いている。どうして、そんなに大きな身体が風の様に動くのと。ダンスもセミプロです。小太刀護身道も全日本二年連続で優勝しました、皆、原理は同じでした。心が風の様に緩やかに生きたいと思っていますから。強くなることより、したい剣道をするのが自分であることと思っています。意識こそが大切と思っています。 最後に、腰を落とさない工夫こそが一番大切です。 それは気分が大切で、相手に上から被いかぶさるように体をすすめるのです。その意識がないと体が滑り落ちて行きます。 多くの人は懸かって行くことが多い様ですが、元立ちになって剣道をすると技の工夫が進みます。 私の先生の原田先生は(多くの強い先生)はそうですが、自分より強い練習相手がいないのに、年とともに益々強くなられました。自分より弱い相手と練習をして技の工夫をする、これも大切な事かと思います。 段が上がって、元立ちに立つと途中で降りるわけにもいかず、練習時間立ちっぱなしです、相手が途切れません、元立ちの気位を崩せません、懸かっていく人の何倍も練習をしたことになり、益々強くなります。元に立つ気が懸かる気とレベルの違う心構えになっています。 元立ちは相手が益々強くしてくれる!これも上達の秘訣かな
島野さんの剣道。(見えない動き) 島野さんがやっている事と、私が言っている事はほとんど同じです。 ただもう少し分解してみると、一番のポイントは ヒカガミを伸ばし伸筋、屈筋を固定すると脚が一本の状態になります。 後は足首の靭帯に任せれば良いのです。左脚に六分位体重が乗っているとスムーズに行きます。 多くは気に責めと同時に右足に体重が乗っていて、でる瞬間に左足に体重を乗せ換えるとき、体重の右抜き、左かかり、左足蹴りとなって体を前に進めます。それを瞬発力で闘っている時は相手もそうだから良いが、相手が左腰に体重を乗せていて滑り込んで来るとき相手を掴めない。 さて、もう少し分解すると、気攻めが形として肩がやや上方で、前方に進みます、その後、胸で責めは入ります。相手もこれに対抗してやや前方に進みます。その後へそ、腰(腹)が少し前にでます。一足一刀の間合から打ち間に入ります。このとき、右足は今にも滑り始めようとしています。重心が前に滑り始めたとき慣性の法則は既に破れています。その時、竹刀の先端が5センチぐらい腰で責めは入ります、腰が締まり、左足が腰を押す気分です。右足が10センチ程すべり入ります、叉は軽く浮かせます。このとき、すべると同時に腰を押し出すはひとつの流れです。ぐっと押し出せば強い責めとなります。相手はこれに対抗すべく堅くなるか、負けずにやや遅れて出ようとします。そこを捕まえる方法が有ります。自分の動きの中に相手が入ってくる様な状況です。飛んで火にいる夏の虫です。 気で勝って、攻め勝って、剣で勝って自分の動きの中に引き込む方法です。 エイ!と入ると相手は気づきます。グッと入ると相手はそれにやや遅れて反応します。それに合わせて打つところを決めれば良いわけです。 そこで、頑張って乗ってこない人がいます、その時は剣先を下げる、乗せる、裏から入る、やや剣を進める等をするといった方法で、気の闘いから一瞬剣先に意識を向けさせます。今まで五分のつもりで張り合ってた状態がその瞬間に猫じゃらしにあってしまうのです。 次に、責めは入らないでパっとやや前方に右足を少し上げます、相手はこことばかりに打ってきます、打たせて取ります。大きく面を斬り落とすか、返して胴がよく決まります。 次に、ここで、気を緩めます、左の靭帯を少し緩め踵を少し下げます、相手はシメタとおもわせ引きだします。園田先生の出後手の妙技です。 さて、この入り込む時、相手に吸い込まれる様な気分で入って行くと、相手は全く反応が出来ません。グット責めはいると相手は応しやすいのですが、吸い込まれて入っていくと相手は困ってしまいます。いわゆる殺気がないのです。京都で貴方と練習した時、ただニコニコしていた貴方には何としても責めることも、打ちきることも出来ませんでした。自分のテンションがそこまで上がりませんでした。まことに困った状態でした。打っていってニコニコした貴方に全部止められていました。 この状態は相手の予期していない状況です。一瞬の困惑が相手に走った時打ちます。ただし、そこが貴方の弱いとこですよと教育的指導の気持ちを持って打ちます。頭の上のハエをハエタタキでたたくように、すると相手はよろしくといった様に頭を下げて面を差し出して来ます。 このときの気持ちが大切で、殺意を持った、勝ってやろう、対抗的に強い意識があるとそれは出来ません。 あくまで相手が自分の面を打ってくれと、こちらの引き金を引くのです。 それまで打つことは自分の中に意識がありません。 二段ぐらい差が有ると容易に出来ます。差がありすぎると出来ません。 この方法は何時も元立ちをしているとしやすいです。勝てる相手にどのようにして勝か、あらゆる方法で勝ちます。相手によってはまりやすさが有ります。 強い相手と練習しなくてもこのようにすれば技は上がってきます。強くなれるかどうかは判りませんが、剣道の奥義、妙技が見えて来るような気がします。剣豪小説の本で書かれた心のやり取りが実際に出来ると面白い物です。 それにしても、22年前埼玉で見た楢崎先生と矢野先生の剣道の練習での楢崎先生の面はいまだに脳裏に焼き付いてます。(その年の八段戦の優勝) 鶴の様にスックと立った姿から滑り込むように入った次の瞬間大きく面を打って矢野先生の面を捕らえた瞬間を。その時、矢野先生、楢崎先生の事はほとんど知りませんでした。しかし、見事な面でした。 その時から、鶴の様にスックと立った姿を思い浮かべ練習しています。 静岡の井上先生も同じような立ち姿と思っています。 左に体重を乗せ、ヒカガミを伸ばした先生を見ると嬉しくなってしまいます。八段の先生にも少ないです。運動神経と練習で強くなった剣道家には興味がないです。しかし、その先生の精神が姿勢に現れた先生を見ると、練習をしていただくより、ただ見ていたいです。そんな剣道をしたいと思っています。品の良い剣道です。 ところで私の剣道はダンスみたいと言われます。静かで優雅で柔らかく、身体が滑って動いている。どうして、そんなに大きな身体が風の様に動くのと。ダンスもセミプロです。小太刀護身道も全日本二年連続で優勝しました、皆、原理は同じでした。心が風の様に緩やかに生きたいと思っていますから。強くなることより、したい剣道をするのが自分であることと思っています。意識こそが大切と思っています。 最後に、腰を落とさない工夫こそが一番大切です。 それは気分が大切で、相手に上から被いかぶさるように体をすすめるのです。その意識がないと体が滑り落ちて行きます。 島野さんは懸かって行くことが多い様ですが、元立ちになって剣道をすると技の工夫が進みます。
左足に体重を懸ける方法の生理学的機能的解説。 七段の一部と、八段ぐらいの高段者になると、多くが四分六で左足に体重がかかっている。 そこで、膕(ヒカガミ)を伸ばせと良く言われるが、剣道の先生の指導はぽつりとした表現で聞くほうが中々理解出来ない。 先ず左に体重を懸けると左の筋肉が引きつってしまう。 筋肉には体重を長く懸けておくだけの力がないから当然だ。 もっと科学的、人体生理学的に考察してみよう。 人間が歩くとき、体重の懸かった足は伸びている。すなわち膝が伸び屈筋、伸筋が平衡状態でどちらもほとんど緊張が無く、膝関節も脚の棒のようになった状態で体重を支えている。重心が前方に移動するに従って踵がやや浮き上がり、その時反対側の脚が振り子のように前方に振られて出ていく。 その時、この脚の膝は少し曲がる。次に膝下が伸びようと少しスピードがあがりながら、まさに棒状に伸展しようとする瞬間に着地する。 重心はやや下降するが、着地の瞬間にその下降分だけ膝の伸筋がそれを持ち上げて重心の位置を回復する。これを繰り返し歩行をする。 この脚が伸び切って体重を支えながら前方に進むとき、暫くは踵が固定された状態分踵が浮く。これは筋肉が緊張していない状態だ。 暫くして、反対側の脚が着地する少し前に少し蹴り出す。 剣道の構えから今まさに前進して体を進めようとするときは、少し浮いた踵を足した腰の高さから前方に滑り落ちようとする瞬間だ。 このとき、筋はほとんど緊張が無い。その動きは新幹線の発車の様に静かだ。この前方に行こうとする重心の動き始めを右足が軽くストップをかけている状態だ。ここから攻めはいるとき右足を滑らせる、これはストッをはずすだけで、蹴り込みの筋肉の作用は起きていない。この状態をさらに腰を落とさずに早く体を前進させると、左足で左腰を押し出す様な作用を付加する。 相手からは瞬間的な蹴り込みの筋の緊張が無いから初動作を掴めない、いわゆる、何となく攻めは入ってくる雰囲気はするが、色が見えない状態なので自分の筋肉が対応が出来ない。 そこで相手が苦しくなって打って出ようとする心が動いた瞬間、相手の色が見えた瞬間、捨てて蹴り込んで打つ。 後の先、相手に打って出るしかない状態を作り、体で攻めは入り、そこにはまって出てくる相手を打ち取る。相手は飛んで火に入る夏の虫状態だ。 さて、この後の先をするには、先程述べたような左足に四分六で六の体重が懸かっていないと出来ない。 なぜならば、左足で蹴るためには右足の体重を抜く必要があるからだ。 右脚体重抜き、左足体重懸けの瞬間に相手に読まれてしまう。 打つ合図をして打って出るからだ。 この動作が極端になるとアキレス筋を切る。ただ押し出し、蹴って前進するにはそれほどの負荷が靭帯、健に懸からない。しかし、全体重を一度に後ろ足(左)に懸けてその反動で打とうとすればかなりな負荷が懸かる。 高段者のすっくと立った姿から、滑るように攻めは入り、相手を引きだして取るには、膕(ヒカガミ)を伸ばし左腰を緊張させ、いつでも攻めは入る準備をしておく必要がある。 指導をしたとき、ほとんどが筋肉の緊張で立とうとする、すると約7秒で疲れてしまう。屈筋、伸筋の平衡を使い踵の靭帯を利用すればそれは容易い。 一度この文章をプリントをして読みながら試してみて下さい。 試合に強くても、全日本選手権者でも、7、8の高段者でも運動神経が良く、剣道を仕事の様にして練習をした剣道家にはそれが出来ていない人達も多く見られる。 立ち居姿が素晴らしく、打ちに出る瞬間も素晴らしい先生方の剣道を見たら、その瞬間をまぶたの奥に刻み込んでおこう。 私がその瞬間を見たのは埼玉で楢崎先生(明治村八段戦優勝年)と国士舘大学の矢野先生の練習を見たときでした。 楢崎先生が鶴のようにすっくと立った姿から面を打ち出す瞬間でした。 今から23年前のことです。 それ以後、ずーっとその瞬間の内面的要素、人体的運動生理学要素を考へ続け判ったことです。 この指導をして相手が理解したとき、その瞬間に構えが変わる。
一足一刀の面を打つ為には色んな事を知っておく必要が有る。 それで、過去に西村が書いた関連の書き込みを参考に載せます。 この掲示板の前の物から含めて載せます。 最近になってお読みの方には良いチャンスかもしれません。
{見えない、感じない、反応出来ない動き。}
昔の汽車の動き始めは機関車の引張の力が次々と連結車両につたわる。 新幹線は気が付いたら発車していた。 誰かと話をしていても汽車の動き始めは直ぐ判る。新幹線では判らない。 しかし、心静かに発車の瞬間を待っていると気が付く。 人間は相手の筋肉の一瞬の緊張を察知する能力があるようで。 これは、相手の中に起きた微細な筋の活動電位の立ち上がりを察知する能力が人間にはあると言うことです。 そして、相手はその瞬間を息を潜めて待っています。 これを逆手にとって相手の間合いに入っていく方法があります。 相手の手の平の上にコインを置いて、相手に握られないようにそれを摘み取る方法です。 まず、腰のためを作ってそこから筋の連動があると相手には容易に覚られます。 腰が一瞬固定され、そこを基点に背中、肩、ひじ手首、指先と筋肉が連動していきます。 この流れは相手に察知(見られます)されます。だから、腰のためがないと良い勝負になります。いわゆる、腰にためて瞬発力を使う方法とは違います。 筋の緊張が相手に覚られますから、筋の緊張を最小限か、緊張しないで入って行く方法は上につるし挙げていた手の筋肉のの緊張を抜くのです。ただ手が落ちるに任せたとき、相手はその落ちる手に反応出来ません。目では見てるのですが意識、筋肉が反応しません。その手がコインに触れる瞬間に指で摘み、その瞬間に手を引き上げるのです。相手は感が良ければ摘む筋肉の緊張の瞬間に反応します。普通は手を引き上げる筋肉の緊張が起きた時に手を握ろうとします。 コツが判れば簡単な事です。 面白い様に出来ます、これはフェイントの世界ではありません。反応出来ない世界です。 私は、まあまあの腕の五、六段ぐらいの人までには簡単に間合いに入り込めます。 皆が言います、先生が何時間合いを詰めてしまったか全く判らないと。 気が付いたら目の前にいる、どうしてですか?と皆は聞きます。 要するに色が見えないと言うことです。 横から見ていると私が入っていくのに何故、相手は黙って見ているのか不思議な現象に見える。しかし、対面した相手は気が付かないのです。 身長177センチ、体重105キロの私の動きがつかめないのです。 一足一刀から竹刀で中心を割るように切っ先を少と肩を出し、胸を出し、それからユックリ、静かに腰を(へそ)を前に入れていきます。そこで、ぱっと打つと相手はそら来たとばかりに反応します。相手はそこを待ってます。見えない動きのコツはここで左腰の高さ(ひかがみを伸ばした高さ)を利用し、前足のつっかい棒を静かに外して前方に滑り入ります。この時はコイン取りでは、つるす筋の力を抜くのです。要領は同じです。 筋は緩むので起電力は発生しません。このように打ち間に入ります。そこまで入ると、相手の額のハエをハエたたきで叩く様に、一瞬に蹴り込むと同時にただ斬るという意識で腰で切ります。斬るに必要な必要十分な振りかぶりはできてます。 相手はこの蹴り込みの瞬間に反応します。この反応は、飛んで火にいる夏の虫のごとく 手の中に嵌まります。 そこで、力の差がもう少しあれば、滑り込みの途中で、脚を少し上げる様にして相手に色を(反応のきっかけ)見せます。相手はこれに反応します。相手は脊髄反射の世界に 誘われたことになります。それを見てからユックリ竹刀で斬って行きます。 これをやられると、試合の様なゲーム性は消失し、相手は頭を抱えてしまいます。 これで相手に勝ちすぎると、面白くないので誰も練習に付き合ってくれなくなります。 取った、と思った後、相手に打たせて上げないと可愛そうです。 自分は責め入り、間の勉強、相手を乗せる勉強をさせてもらい、相手には一瞬の面に延びる打ちを体験させてあげる。この余裕が欲しいものです。 これは「膕(ひかみ)」を伸ばすことにコツがあります。背筋を伸ばし、ひかがみを伸ばし、そして筋肉の強い緊張に頼らないで、屈筋伸筋の平衡状態を脚に作り後は靭帯に任せ、左足に六分位体重を乗せます。一足一刀の間合から胸を出して竹刀の先は責めは入ります。その時、足は滑り出した形で前に出ます。これは、左足に乗った体重が右足のつっかえ棒が取れた形で滑るように前に出て打ちまに入ります。相手も当然、微かな気配は察知しているので相手の胸もやや出てきます。これでお互いが打ち間に入ったわけです。しかし、こちらは重力を利用し体が前に滑り落ちようとする原理を利用していますから、相手が察知したい飛び込んでくる時の筋肉の活動電位の立ち上がりが無いので相手は反応できないのです。 これは、相手からみると急激に相手が大きくなるように感じます。 若し、竹刀が上で斬り結ぶ様な事になっても移動距離は相手の倍ぐらい動いてます。 先生と練習していると急に先生が目の前に迫ってきたような感覚になって打たれるときはこれです。 しかし、これが実行出来るには相手より気が上回っていないと出来ません。 相手は、私の竹刀に全力を傾け、本体の動きを見る余裕は有りませんから。 相手が上だと、そうか、そう来るか!と逆に見られます。 相手の心は静かですから見られます。腹を練る必要性がここに有ります。 相手は打ってこないで、竹刀で受けて胴に斬って取られます。 ここでも大切な事が有ります。 見られた、心でしまったと感じます、しかし潔く、見事な胴を打たれる様な面を打ちきることが捨てる修行です。 途中で胴を庇ったり打ちを止めたりするならば、最初から打たないことです。 相手が強いとここの修行をさせて貰えます。 二段ぐらい差のある相手にこれを実行して下さい。そして十分通用するようになると、自分が上の先生に逆にこれをやられていることが良く判ります。 そうすると、先生との練習で、踏ん張り所が見えて来ます。 その頃、同僚より半歩前進した感触を手に入れます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その7 岩崎敬郎 [HomePage] [Mail] 2003年4月14日(月) 年度末であったために一ヶ月ぶりの書き込みになりました。 西村先生はじめ皆さん稽古をなさっていることと思います。 岩崎は昨年11月の経験を生かすべく取り組んでいますが、なかなかうまくいきません。 4月12日は東北地区の合同稽古会が福島市で行なわれました。 岩手の県北、二戸市から福島市までの4時間半のドライブは先生との 剣道講義の貴重な時間です。 今日のテーマは「きたら返すぞ」と「いらっしゃい、いらっしゃい」 師曰く「あのな、去年の二次の時の胴は機会を捕らえていたが、打ちがわるかった。ひっぱたいちゃいかん。 応じ、返しは来たら返すぞと言う気持ちではいかん。むしろいらっしゃい、いつでもどうぞという気持ち出なければいかん。 心は先をとった抜き胴と後の先の返し胴を打つときの中間の気持ちで心を置かなければならない。 実はそこが一番難しいとこなんだなぁ」 「呼吸がしていないところで、する。言葉ではなかなか表現しずらいが、これが判れば常に穏やかな気持ちで立会いができる。 若手のスピードがある、手数が多い相手と稽古をしてもこなせるようになる。もちろん、高段者はこちらの術中にはまってしまう。」 「あのなぁ、八段と言うことは若手七段を手玉に取るようでなければ八段の資格なしということかもしれんなぁ。だから、心の先をとる。この修行を積まなければならない」 「最後は技でもない。体力でもない。力でもない。心だな。俺はまだ心が動く。まだまだ忠太郎先生の域に達することはできないなぁ。一生修行だよ。」 「技術論は所詮技術論でしかない。技術はそれまでの修行の裏づけでしかないだなぁ。技術を習得しても唯ひっぱたくだけでは剣道ではないな。いかに相手の心を打つかだな。そこまで行くと剣道の妙味が味わえる。」 先生は2日に京都に入るそうです。 京都でお会いできればと思っています。 ツリー全体を読む
△上に戻る 心の先を取る! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月14日(月) 原田源次語録、有り難うございます。 岩手の県北、二戸市から福島市までの4時間半のドライブは先生との 剣道講義の貴重な時間です 本当にそうですね。
盛岡市がカナダに遠征したときは、旅行中のバスはいつも原田源次先生の隣の席に座っていました。 幸せな一週間を過ごした思い出があります。
原田源次先生に面を乗られた時、胴を抜かれたとき、小手を打たれた時、心がガクッとする感じがします。 自分としては快心の打ちに出たのに、その先を読まれた思いです。 ここしかないと思って打って、先生がそこに居ない。 誠にガクッとします。 もう少し辛抱が必要だったか、打ち急いだか、予備動作を読まれたか、いつも反省させられます。 この思いを下位との稽古で生かさせています。
先生と心静かに対峙したとき、後ろから見ていた岡田さんが、「一時の静寂が生れた」と表現しました。 先生と感応しあう時間だったと思います。 この様な時間が長く持てる稽古をしていきたいと思います。
『心は先をとった抜き胴と後の先の返し胴を打つときの中間の気持ちで心を置かなければならない。』 相手を引き出し、返し胴は得意なのですが、原田源次先生の抜き胴の体の捌きが未だに掴めませんが、心は先を取った抜き胴の心をもう一度検証してみます。
『八段と言うことは若手七段を手玉に取るようでなければ八段の資格なしということかもしれんなぁ。だから、心の先をとる。この修行を積まなければならない。』 そうですね、若手七段を手玉に取らないと、相手が八段と認めてくれませんね。 ここも研究してみます。 結局『心の先を取る事』ですね。
いつも大変参考になる書き込み有り難うございました。
自分のことですが。 七段を取った翌年、その年47才で八段を受かった先生、東西対抗の大将の徳島の大澤先生、この御二人の稽古では西村が完全に心で先を取って稽古ができた事があります。 大澤先生から、そのとき「君!もう八段に受かるよ!」と言われました。 「先生、昨年七段を取ったばかりです。」と言いました。 先生は「え!。」と絶句されました。 長い10年間の精神世界の旅の終わりに、インドへ行ってサイババに会い、 『幸せは自分の心にしか無い!』と心底悟り、精神世界の旅に一区切りつけた時でした。 心は透明感の極地でした。 今から9年前の話しです。
それから9年間、あの時の透明感さえあればいつでも八段は受かる様な気がします。 日常の雑務・仕事の中で、あの透明感を得ることの難しさ、これが修行だと思って毎日を過ごしています。 この修行の道々に、色々な超能力者に出会い自分の社会的な能力が広がっています。 透明感のある心を持って、八段を受験したいと思い毎日を過ごしています。
それにしても、今の原田源次先生の稽古振り、は心も体も透明感の極地ですね。 ツリー全体を読む
△上に戻る 縁は円を描き、繋がっていく! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年4月7日(月) 嬉しいなあ! もうすぐ、注文した胴に出会える。
昨年五月の京都大会である鞘師に出会った。 彼に教えてもらいながら胴を自分で作った先生が,椎名先生なのだ。 椎名先生の事は岡田さんから話しを聞き、注目していた。 全剣連合同稽古で時々話しをさせてもらう事がある。 彼は、防具を長年自分で手入れしながら使っている。 このことは、剣道雑誌に載った事もある。 椎名先生と、鞘師さんと話しに花が咲いていた。 そこで、話し込んでいたとき、鮫胴でも特別な模様の鮫胴に出会った。 六段に受かった時は記念に刀を一振り打ってもらった。 七段模様の鮫胴に出会ったのも何かの縁と思った。 そこで、西村サイズの胴で御願いをした。 特別サイズなので、基本の作りから始めるので時間がかかりますと言われた。 形が出きるのに一年をみて下さいと言われた。 その後、連絡が全く無かったが、今日、友人から思い掛けなく連絡があった。 縁は不思議で円を描いている。 その連絡を書いてみます。
西村先生、ご無沙汰しております。 福岡のミーシャです。
昨日(6日)、知人の所に遊びに行きましたところ一心不乱に仕事を やっていました。 それは昨年西村先生が京都で注文された「鮫胴」です。 不思議なものですね、私がお世話になっている職人さんに西村先生が 注文されていたなんて・・・。 本人は名前が表に出るのを嫌われる方なのであまり噂になることは ありませんが、実は防具メーカーさん達や高段者の方が一目も二目も置く 腕のいい職人さんなんです。
今、非常に調子よく仕事がはかどっているみたいで熱心に研ぎを 掛けていました。 「西村先生にも連絡しなきゃいけないんだけど、今は調子がいいので 仕事の方に全精力を注ぎ込みたいんだ!」と言っていました。 普通の鮫革と違って非常に硬度が高いので大変難儀な仕事のようです。
私が「西村先生の事は存じていますよ」と言いますと大変驚いて居られました(笑) また、「それだったらメールで連絡をしてくれないか?その方が電話で連絡するより 行き違いや間違いが無いだろうから・・・」と言われましてパソコンオンチの職人さんに 変わりまして私が変わりにメールでお知らせさせて頂くことになりました。
今年の京都大会までに「胴台」の方を完成させて持っていくので、 胴台のサイズチェックと胸についてのお話をさせて頂きたいとのことでした。
胸についてはデザイン的な話もさることながら、胸のサイズについてのお話を したいような様子でした。 出来合の胸をつけて「ハイ!出来上がり」なんて仕事が絶対に出来ない人ですので・・・。 場合によっては新規の型から起こして作ることも考えているそうです。
以上取りあえずお知らせさせて頂きます。
私の方はと申しますと今年の2月に第二子が産まれまして子育て戦線の まっただ中ですので、今年も京都大会および剣道談義の方にお邪魔することは 叶いそうにありませんのでインターネットを通じて勉強させて頂きたいと 思います。
それではまた何かありましたら御連絡させて頂きたいと思います。 追伸:それにしても胴は大きかったです!(笑)
それにしても、縁は円を描き繋がって行くものですね! ツリー全体を読む
△上に戻る 八段合格者特集を読んで。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年3月25日(火) 今日、八段合格者の話しが特集であった。 読めば読むほど味わい深い人生を感じた。
八段への道筋が書いてあった。 なぜ!八段が受かるまで剣道をやり通す必要が有ったか、が書いてないので判らない。 ここに至るエネルギーの源を見ることが剣道なのだが。 西村が勉強をしてきたのはここの所だった。 本当に大切なのはここなのだが。 1%が成功者で、受験生の99%は敗者なのか。 自分にとって受ける意味を良く考えた人が成功者なのだ。
先日、 佐藤博信先生が 「先生!今年京都へ行きますか。」 西村 「ハイ行きます。」 佐藤先生 「それでは、準備万端怠り無しだね!」 と言って下さいました。 西村 「ああ!八段を受けることですか。 今年から、受けれますが、五年間先にしました。 仕事、家族と守るべき優先するものがありますから。 五年後、体に不調が無ければ受ける積もりです。」
西村があるとき、歯科医院経営コンサルタントから言われた。 「先生!この経営内容は日本一です。 太鼓判を押します!」 西村が言いました。 「そうで50坪の診療室を25坪の半分にした。」
余り欲をかくまい! 余り欲張ると必ず、落とし穴に足を取られる! 過去の人生から学んだ、貴重な教えです。
八段受験が出きるときだからこそ、自分の生き方を再考するチャンスを頂いた。 そして、新たな建設的目標が出来た。 『5年後に、八段が受けれる実力と五体満足な健康を維持しておくこと。』 今日はそのための一つ、午前中を休みにして、脈硬化を治す唯一の治療法、キレーションヘ行く。 『百歳まで人に愛されて生きたい!』の人生の目標を再認識する。
年は57才になった。 世間では定年退職の年齢だ。 しかし、西村の精神年齢は28〜32才の気分なのだ。 鏡の前に行くと、ちょっと老けた頭の禿げた叔父さんが映る。 何だか不思議な気分だ。 妻が言う。 「パパは結婚したときは恐かった。 年と伴に子供になって、最近は幼児還りしている。 本当に!デカベビーなのだから。」
最近あることをしている。 腕と足の筋肉が太く張りが出て来た。 朝立ちの様子がいつもと違う。 若返っている。 何も太く硬く充実し長く維持できる。 確実に10才若返っている。 アンチ・エイジング(抗加齢)作用なのだ。
欲を少し捨て、その分だけ自由がきき、若返る。 欲を少し捨て、その分だけ余裕が出きる。 お金を少し捨てると、精神が自由で豊かな生き方が出きる。
剣道にその影響が出てきた。
先日の日曜日、「今日は体調がすこぶる良いので、区の稽古の後、千葉の松戸まで稽古に行ってくる。」と妻に言った。 区の稽古はもの足らず、松戸へ行って岩立先生に稽古を願おうと思った。 車の乗ってから、しばし瞑想をする。 体が言った「少し待て!五月が過ぎて足がもっと良くなるのを!」 そこで、そのまま自宅へと車を走らす。
意識は岩立先生と稽古、体は『暫し、待て!』という。 体の意見を立てることにする。
先輩の年行った七段と稽古。 スッと入ると、相手の先生は面が打てると、面を打ってくる。 相手の竹刀が面すれすれに来た瞬間に、返して胴に取る。 相手はどうして胴が打たれるのか判らないようだ。 胴が3本はいる。 我が身を相手の刃の下に差し出し、相手の心の変化を読み取る。 攻めた後、身を差し出す。 攻めきって打てると思うが、もう一歩相手の反応を読む。
若手の七段と稽古。 スッと咽を攻めると、面に来る。 竹刀の先が咽を捉えるが直引く。 この時は、相手は判った様だ。
同じような状態で、攻める。 相手は同じように西村の面を打つ。 西村は悩む。 突いてしまって良いかどうか。 判らない人との稽古はこれで終わり。 稽古の後の挨拶は「貴方は相変わらず強いね!」 真意が伝わったかどうか。 ここが判れば彼は伸びる、勝っていると思えばそれまでだ。 全剣連合同稽古で稽古をすれば、当然のこととして突いてしまっていることだろう。 武士の情けは非情なり!
最近は生きたい様に生き、したいようにし、心に随い全てが上手く行く。 この心は顕在意識と潜在意識の両者が非常に接近しているからだ。 時に違和感を感じる。 その時は、そっと瞑想をしてみる。 ほんの五分ほどだが。
剣道では面を打つチャンスを稽古で、試行錯誤を繰り返し体に覚えさす。 百錬自得なのだ。 判って来ると、相手が体で教えてくれる。 今、打ち取って下さいと。 攻め勝って打てると思う。 だから、打ってしまうのか。
相手の欲しいものをあげるのが親切だ。 相手がステーキが好きだと云うことを知っている。 しかし、昼にステーキを食べた人に、夕食でステーキを出すのは親切だろうか。 自分は相手がお昼にステーキを食べたことは知らない。 そのような可能性はある。 どうすれば良いか。 前もって、今何を食べたいかを聞けば良い。 親切が押し売り、お節介の時も多い。
面が打てると思っても、相手は今度は面が来たら胴を打ってやろうと考えているかも知れない。 こんなこともあるのだ。 だから聞いてみる。 「貴方はどうしまうすか。」 攻めを緩めて聞いてみる。 体を差し出して聞いてみる。
相手に随っての勝ち。 柳生流の教えなのだ。
これは、剣道だけではなくて、人生全般に言える事だ。
西村は突っ走って痛い目に会ってきた。 最近は少し賢くなった。 人の意見に耳を貸すようになった。 したいと思ったことをもう一度検証する知恵を持った。
剣道も最近こうなってきた。 ただし、師匠との稽古だけは『なりふり構わず』捨てきる。 指導稽古、試行錯誤の稽古だから。 ツリー全体を読む
△上に戻る 桑田投手、復活の秘密は古武術にあった。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年2月26日(水) 最近、巨人軍の桑田投手の復活が話題になっている。 『古武術を生かした「ねじらない」投法」』 読売新聞夕刊2/26--桑田術を語る(中)
甲野善紀・武術研究家の教えを実行したという話しである。 武道家の間では有名な人である。 彼の著書「表の体育・裏の体育」は特に有名である。 (本の中の一節:噛みあわせの重要性については、西村の研修を受けたある歯科医からの情報である。)
前回は、「溜めない」という話しだった。 剣道雑誌で「溜める・溜め」等の特集があった。 大きな力、長距離を飛ぶ等の運動では有効だが、相手と武術的に闘う時は、この溜める瞬間に入られてしまう、合わされてしまう、読まれてしまう。 師匠に面が入って○を頂いたとき、この溜め・左足拇指丘にグット力を入れで蹴り込むことを止めて入った。 師匠と自分の差がこの溜めがあることにより入られたと、気がついたからである。 今、発売中の剣道雑誌は左足特集であるが、ここにかかれている意見と異なる内容である。 スポーツ的な動きと、武術的な動きの差、命のやり取りの一瞬の差を意識するとき、この溜めは命とりになる。 溜めは大きな予備動作であるからであある。 大きな力を発するより、相手を見抜く能力・見抜かれない能力が優先される武術であるからである。
さて、桑田の頭を直撃する様なピッチャー返しの打球の時、誰しもがボールが頭を直撃をした、と思った。 この時、桑田は膝の力を抜き、尻餅をついたのだ。 ボールが頭の上をかすめる瞬間の写真が前回には載っていた。
甲野先生が解説をしていた。 「彼がこの時、体をボールから逃げようとしていたら、体の移動の支点を何処かに求めなければならない。 足の何処かに地面を蹴る支点・溜めを求めにいったら、その短い時間ながら頭はその位置にあり、ボールは頭を直撃していた。 しかし、彼は瞬間に膝の力を抜いた。 体は落下し、間一髪で頭の位置は下がった。 武術では溜めを作ったり、支点を作るとそこを相手につけ込まれる。」 との解説だった。
剣道では溜めた瞬間、それが攻めに相手が感じ、居着いたり、打って出てきてくれれば有効であるが、相手にそこを読まれると致命傷になってしまう。 西村にこれをやると、スコーンと返される。
高岡先生では「滑落」の利用:静かなる筋肉を使わない前進の初動力法を解説している。 重力の利用である。
この滑落を利用した、入り身・体の運用は西村の得意技である。 大きな177センチ105キロの体が何故一瞬に動くのかはここの所にある。
京都の師匠との稽古で西村が左足を痛め動けないとき、師匠の小手を打ったとき、胴を返した時は滑落の体の運用であった。 この時の稽古は岡田さんが後ろで見ていた。 「あれが高岡先生の言う滑落ですね!」と岡田さんが言った。
西村が胴を打った瞬間の西村の腰の動きを、後ろで見ていた雨ちゃんが同じ様な動作を真似て足・腰を動かしていた。 これは浮き腰から左への体の滑落を応用した動きである。 これは西村が胴を打った時、これを後ろで見ていた人が、同じような腰の動きをマネして検討している人が多い。 それほど鮮やかに決るのだ。 これは乳井先生のビデオから身につけた。
体の落下・重力の下方への仕事を体の移動と竹刀へ力として使うのだ。 だから、筋肉はほとんど使わない。 一瞬のこの動きは筋肉では出来ない。
この胴は松風館で使った所を岩立先生が見ていて、ことのほか誉めてくれた。 西村の胴の動きを手でやりながら「あれは上手いな!」と言いながら。
今度は小手の話だが。 この小手は師匠に入る。 徳島の大沢先生にも入る。 多くの範士八段の小手を切ってきた。 鮮やかに入るのだ。
溜めと支点の無い、落下のエネルギーの仕事を使った武術的な動きである。
さて、桑田が甲野先生の指導でここに気がついた。 『重力利用「ひざを抜け」一気にエネルギー移動』 これが2/26のタイトルなのだ。
桑田談 「球威が落ちてきたという感覚があった。 何故か打者とタイミングが合う。 若いときはタイミングを合わされても、球の勢いが勝っていた。 だが、確率は悪い。 コントロールは今みたいに狙った所に、ぽんぽん決る訳じゃない。 スタミナも落ちてきた。 何か変えないと先が見えている。 16勝しても、これじゃないんだというのがあった。 それで、武術を始めた。 そして、古武術に出会う。 最初は上手く行かなかった。 溜めもなく、小さな腕の振りで投げてみた。 ある日、重力を利用することに気がついた。 甲野先生に膝を抜け、膝を抜けと言われていた。 立っていて膝の後ろを押された時、がくーんとなるでしょう。 そのエネルギーが瞬間的に動く訳です。 以前は、一週間位キャッチボールしてからでないと、捕手を座らせられなかた。 今は、直にそれができる。 逆に以前の投げ方をやろうとすると、体が嫌がる。 筋肉や関節が止めてくれってね。」 ねじらない投法が、必然の投法になった。
前に書いたが、江戸川区の形稽古の講師の二人の動きについて。 中田先生はすーっと動いていた。 もう一人七段若手最高の選手は筋肉で動いていた。 剣道雑誌今月号で中田先生が小手について話している。 西村のお勧めは写真からの中田先生の全く無駄の無い動きを感じて欲しい事だ。 スポーツが武術になった動きを感じる写真だ。 剣道家もプロして極めると、やはりこのレベルに達するという見本を感じた。 前回の講習会、今回の写真、本当に良い見本だ! ツリー全体を読む
△上に戻る 武術的稽古! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年3月3日(月) 武術的稽古 稽古の場合相手に意識が強く働く場合 多くはこのことのみで稽古をしている様である。
では、基本稽古の場合はどうか。 相手が打ってくる訳ではない。
空間打突 物を打つ 誰かに打たせて貰う 自分の意識でのみ身体を動かす。
この場合は体の動きを竹刀に伝える、身体運用を体に教える。 足が地球を蹴って、抗重力としての伸筋の力の伝達である。 伸筋は歩行の様に余りにも自然な動きのため、それを意識して動かすことが難しい。 そのためにはゆっくりとした動作で、足で床を押した力で、重心が上に行きながら前進する感覚を身につける。 それのエネルギーを最小化するには、前進による重心の低下を押し足で補うと、腰の位置は下がらず、床と平行移動をする。 いわゆる、摺り足である。 歩行においては軽く腰を上下させるリズミカルな動きで、上手に推力を得ている。 この動きの発展形が蹴り足で面を打つことである。 しかし、相手との関係でその一瞬が勝敗を決めるとき、相手はこの瞬間を待っている。 いわゆる、左足に支点が来て蹴りだす瞬間の一瞬の溜めを狙っている。 相手がここを狙っているなら、この予測を裏切るのが武術的な動きである。 身体の自然な動作はそれ自体、スポーツの基本である。 大きな力を出したり、タイムレースだっり、遠くへ跳んだり、上に跳ね上がったするのはスポーツ的動きである。 しかるに、相手との関係性で勝敗が決る様な時は、身体の基本的能力の優劣よりも、関係性調整能力の方が優先される。 蹴り足による跳ねる動作 摺り足の様な水平移動の動作 エネルギーの使い方の違いが分かると思う。 剣道形はこの摺り足の動作を教えている。 そして、人間の日常的な動きに、対し察知し難い動き(摺り足等)により、相手の予測を狂わす技となる。
前回、桑田の重力を応用した古武術的な動きを考えてみよう。 重力の重みを使う方法である。 フッと膝を抜くと七十キロ位の体重が一瞬に落ちる。 この仕事量を腕に一瞬に伝えればかなりなエネルギーを得られる。
面打ちの場合、 摺り足で前進した力が弱まっていく瞬間、最後に強く押しだし、体重が下方へ向かおうとする力が竹刀に乗り、押し出しが同時に背筋を伸ばし頭を受けに突き上げやや後方に引く、重い頭が上を突き 、これが竹刀へ下方への(胸を下げる)力となり、頭を後ろに引く力が、頚反射となり竹刀を前方に押しだす力になる。 左足の引きつけは体のバランス作用で、左手を下方へ向ける強烈な力を生み出す。
切り落しの場合、 相手が前に伸び切った所を、自分は前進を弱め上体を上に引き上げてその落ちる力を胸に伝えて切り落とす。 相手の距離の移動は前に七分、自分は三分。 相手は体を沈み込んで伸び切っている。 自分は相手の受けから体を乗せる。
小手打ちの場合、 相手が手元をあげようとする瞬間に、重心を前に滑落させてそのエネルギーを胸、腕に伝え小手を切る。 間合が近い時は膝を抜き、その一瞬の重心落下を竹刀に伝える。
胴の場合、 胴は相手を引きだし、相手が打てると錯覚して左手を上げて蹴るまで、頭の位置は動かさない。 ただし相手に呼応して、右足は斜め前に既に動きかけている。 相手の竹刀を受けた瞬間、右前方に重心を滑落させて体を移動すると同時に右手で鍔で胴を切る。 この時上げた手と肩が瞬時に落ち、この力が竹刀を引き落とし、これに引かれて剣先が凄いスピードで胴を切る。
西村の胴を見ていただくとそうなっている。 これは乳井先生の腰の切れをマネして手に入れた動きです。
いつもそうだが、これが前段です。 このような身体動作を身に着けるには、意識が相手に向いていては自分の体の上体が把握出来ません。 『一つ一つの動作が自然の法則に適応しているか確認することや、身体を動かすことで生じる身体内部の状況を知覚することであり、、このようなこと(中国武術ではこれを「功」といいます)が大切です。』 ここに意識を置かないと、一生かかっても武術の入り口で終わるでしょう。 『中国武術にしろ、日本の武道にしろ、武の奥義とは、本来このような自己の内的な感覚を養成することにあると思います。』 『武術、武道の技術体系が、人間という生き物を何処まで探究しているかということにも(精神のありかたも含めて)繋がるでしょう。』 西村の歯科医としての研究、自分の歯をほとんど全部削って自由自在に噛合せを研究し、『噛み合わせと全身症状の探究』『咬合からの人間の探究』『咬合と重力の関係』『咬合と人生の探究』etc. は結局同じことでした。 歯科医としての研究は誰も西村に及ぶ人はいません、それは自分の体を通じて命を懸けた研究だからです。 残念ながら剣道では、歯科的研究の後塵を歩いています。 でも、結論は同じだと言うところに落ち着いて来ました。
『』内は島田明徳先生の『「脱力」の極意はすべてに通ず』 出版BABジャパンからの引用です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その6 岩崎敬郎 [HomePage] [Mail] 2003年3月1日(土) しばらくご無沙汰していました。 西村先生の合同稽古の記事を読み、先ずは我が先生の無事を祝ったところです。 というか、いつまで、どこまで進化する原田先生の剣道にかける執念というか飽くなき探求心に脱帽どころかあきれ果てている弟子です。
と言うことで、2月24日に先生に稽古を頂戴いたしました。 先生は福岡高校の生徒と約20分稽古をした後、八段挑戦中の先生と約15分間稽古をされました。もうすでにオーバー気味だなと思ったのですが内容がそうハードではなかったのでお願いしました。
結果報告 約10分間、打たれっぱなし、おまけに先生に先を採られ面を飛び込まれること3本、胴を抜かれること数知れず、最後はこれ以上ないと思われる出頭の面を打たれました。 岩崎はわずかに面にかすったのが1本と言うありさまでした。 わが身が情けないと同時にいつになったら原田先生を打てるんだろうという絶望感に近いものが心に滓のようにたまり終わった稽古でした。 お楽しみは稽古を終わった後の先生のお話。
曰く「あのなぁ、息がここに留まってしまうんだなぁ。(小生の両肩を握り)だからここから力が抜けたときにトンと打つとバンとあたる。」 「はぁ!!」 「呼吸法だよ。呼気がすーと下へ下がらないで肩にとどまってしまう。だから力が入る。打突をするためには一回筋肉から力を抜かなければ、すなわち筋肉を緩めなければ動作を起こせない。俺はその緩んだところをトンと打つ。従ってお前が打ちを起こす前におれが取ってしまっているからお前は打たれる。俺が攻める。誘う。そのときにお前の筋肉が硬直を起こす。そして弛緩する瞬間に俺が打ちを出す。実に簡単な理論だな。」 「はぁ」 「肩に呼気をためない。ここ勝負と言うときほど呼気を下へ下へと下げてしまう。極端に言うと丹田にもためない。ずーとずーと下ろしてしまう。忠太郎先生は左の踵から息を抜いてしまうと言った。俺はまだそこまで出来ない。俺ごときの稽古ではな。」 (それじゃ、岩崎はどうなる) 「それじゃ息はどうして吸うんですか。」 「あのなぁ、水泳のクロールの呼吸をするんだよ。あれは顔を上げたときに一瞬の呼吸をするだろう。あの要領だよ。」 「それじゃ、ヒュッとするんですか。」 「いいや、あのときの呼吸は呼吸をするぞと言う意識の元に呼吸をするわけではない。かといって普段無意識に呼吸しているときとも違う。そのコツを思い出すんだな。」 「吐いた息はどこに行くんですか。」 「息は吐かない。」 「吐かなければ次が吸えないじゃないですか。」 「うん、普通の時は吐く。でもここと言うときは吐かない。」 「はぁー(いつもの深い溜息)」 「うん、そう言う風に息が吐ければいいな。」 「はぁ?。」
またしても出来の悪い弟子は汗で重くなった防具を担ぎ、とぼとぼと家路についたのでした。
でも、西村先生。よく先生の稽古時間をコントロールしてくださいました。
三月の合同稽古会はりきっているみたいです。 全剣連の審議会も箱根であるので出かけるとの事です。 恐らく、目一杯稽古しても大丈夫だとは思いますが良しなにお取り計らいをお願いします。 ツリー全体を読む
△上に戻る マイ・ウエイ談議 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年2月23日(日) 古本先生との対話
投稿者> 西村雅興 [pc2.okichan-unet.ocn.ne.jp] 投稿日> 05月28日(火)22時07分40秒
結局剣道は行き着くところ、この辺りになると思います。 本来は竹刀の動きも、体の動きもそんなに速いものではありません。 心に余裕があれば、十分に対処出きるものです。 相手の速さを増幅したり縮小したりするのは、自分の心のなせる事です。 ここが判れば、結局『心の肚の修業』となります。
時に有名な選手や八段、範士が西村にやられるのはこの為です。
『息吹きの術』この慌てる心を一息つける為の方便です。
相手がこれに嵌まると、攻めて動かない相手の心に、攻めた本人の心が騒いできます。 ゆっくりパニックになってくるのです。 これは、我々が上位の相手に操られているパターンです。
教師八段位になると、この辺りの攻防がしっかり出来ている。 七段では残念ながら、この攻防がないままに打ってしまっている。 良く出来た立会いでも一次審査止まりだった。 二次審査では是非使いたい術ですね。
八段審査で審査員の目、意識を引きつけるには先ずこの部分で30〜60秒は欲しい様な気がする。 そうすると、審査員はいつ攻め!、どう動かし!、どう打たせ!、どう捨てるか! を期待して見つめてくれる。 その前準備をしてから、捨てて入り身で相手を浮かせて取れば◎と思うのだがどうでしょうか。 思って出来ないのが剣道ですが、思っていなければ永遠に出来ない。 面を見せられて胴を切られた所がこ、の息吹きの術の使い所でした。
しかし、理解していただいて大変感謝をいたしております。
ありがとうございます。 投稿者> 古本 [yahoobb219060180060.bbtec.net] 投稿日> 05月31日(金)22時57分23秒
西村先生ありがとうございます。 いま、ひとつ問題がありまして、始めから近い間合いの人に 対することです。
この場合、攻められたこちらが反応しなくても、既に打てる間合いに 入られているので、易々と打たれてしまいます。
このあたりが課題です。間合いに入られるのが問題ではあるのですが。 でも、もともと近い人は構えた時点でそのあたりに居るので苦労します。
明日の朝稽古で自分自身の確認をして見ます。
『受け入れてしまえば、これ平常心』 投稿者> 西村雅興 [pc2.okichan-unet.ocn.ne.jp] 投稿日> 06月09日(日)07時17分55秒
最初から間合が近い人がいます。 剣道にならないので困ってしまいます。 厚かましい人に多いです。 折角の剣道がだいなしになってしまいます。 困ったものです。 西村にも良い解決方法がありません。
しかし、「易々と打たれてしまいます。」は感心しません。 間合がどうあろうと、中心が崩れなければ打たれません。 蹲踞の時点で気分で先を取られて、そのまま立ち上がってしまったのではないでしょうか。 立った時に先をとられていて、自分では無意識に相手の動作に反応していると思います。 (自分では反応していない積もりですが) 相手はしっかり貴方の反応を見て打っています。 『お地蔵さんに刀を持たせ、真っ正面から打って出れる人はいません。』 打たれたくない気持ちが、相手の攻めに無意識に防御に回り、その逆をつかれているのだと思います。 打たれる時は必ず竹刀の先を中心から外され、左手を浮かされています。 結局、相手の先に反応し相手の攻めを押さえに行っているか、防御に回っているかのどちらかです。 相手は先生の弱点を十分承知している人だと思います。 先生ほどの腕前に易々と打てるには、そうとしか考えられません。 一度ビデオで撮ってみると良く分かると思います。 最初から近間に入られて、困って嫌な顔をしている先生が目に浮かびます。 その時点で勝負ありですね。 困らないで、そう来るか!と受け止めれば、心は平静、普段のままです。 『受け入れてしまえば、これ平常心』 嫌な相手ならば、次回から稽古をお願いしないことです。 解決方法はこれが一番速いです。 苦手な相手ならばその理由を自分に見つけなければなりません。 相手と自分の関係を工夫したければ、対処方法が分かるまでやることです。
関係性の感情処理 投稿者> 西村雅興 [pc2.okichan-unet.ocn.ne.jp] 投稿日> 06月09日(日)08時16分37秒
剣道も人間関係も全く同じだと思います。
精神世界ではこの解決方法の言葉があります。 『相手を許す』 『相手を受け入れる』 問題は必ず両者の関係で成り立っているわけですから。 『病気は必ず関係性の問題で起こる。』 この関係性の解決の一つの方法です。 自然と人間の関係性では環境問題です。 対人関係では感情のもつれです。
『義理と見栄を捨てれば、病気は治る!』 身体を壊す感情は、義理と見栄を重きに置く生き方から発生します。
打たれたくないとの思いが、防御として反応します。 打ちたいと思う心が相手に読まれます。 それは無意識が打たれたくないと思えば、必ず無意識が防御に身体を動かします。 自分の無意識がなす身体の反応は、自分では感知することは出来ません。
剣道の攻めは相手のこの感情を起こさせ、裏を取る作業です。 相手にこの感情が起きれば、相手の心は自分の手の平に乗ったと言います。 自分にこの感情が起これば、相手にここを遣われます。 剣道でよく云う『相手を良く遣った・遣われた』です。:遣った(操り動かす)
西村は剣道では攻めますが、打ちたい、打たれたくないの感情は余りありません。 そうすると、相手のこの感情が良く見えます。 その相手の感情を手の平に乗せれば、相手が自分から打ち所をさしだします。 そうでなければ、そうなる様にお誘いいたします。 その結果、打った打たれたと云うことになります。 その中間に返し技が生きてきます。
最近の西村はシンプルライフを心がけています。 マイマスの感情が起こる場合、昔は解決(許す心)を心がけましたが、今ではエネルギーの無駄を感じた時は関係性を断ちます。 それ故、嫌な患者様は治療いたしません。 嫌な相手とは剣道をいたいません。 相手に気に入られる様に努力はせず、義理と見栄を張らずに生きています。 英語版の『マイウエイ』が私の生き方です。
この歌はポールアンカがフランクシナトラに捧げた歌と聞きます。 色んな評判があるようですが、シナトラの生き方を歌った歌と思います。 今死に臨んだ自分のことをを懐古して、「自分の人生は間違っていなかった」の内容です。 この歌を聞く度に、このように生きると決心した、十五年前の日のことを思い出し、目に涙が浮かびます。 西村の人生の応援歌です。
『死に臨んで、人生悔い無し!と言って死ねるか!』 実際、数年前この状況に出あって、自分の心、生き方を死に臨んで確認いたしました。 『自分の人生悔い無し!』と感じた自分を思いだします。 この時から西村は剣道も人生も修業としない感じになってしまいました。 剣道ができる喜び、生きている喜びの世界に浸っています。 『剣道は死ぬまで修業』の全く逆の生き方です。
マイ・ウエイ いま船出が 近づくこの時に ふとたたずみ 私は振り返る
遠く旅して 歩いた若い日よ すべて心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
すべては心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
すべては心の決めたままに [詞:中島淳]
My Way Japanese v.
And now the end is near And so I face that final curtain My friends, I'll make it clear I'll state my case of which I am certain
I've lived a life that's full I traveled each and every highway And more, much more I did it my way
Regrets, I had a few But then again, too few to mention I did what I had to do I saw it through without exemption
I planned each charted course Each careful step along the byway And more, much, much more I did it my way
Yes there were times, I'm sure you knew When I bit off more than I could chew But through it all when there was doubt I ate it up and spit it out I placed the goal and I stood tall And did it my way
For what is a man, what has he got? If not himself than he has not Not to say the things that he truly feels And not the words of someone who kneels Let the record show I took all the blows And did it my way [lyric:Paul Anka]
http://www1.ocn.ne.jp/~yoshi/myway/mywayE.htm を開いて、しみじみとお聞き下さい。
西村先生、貴重な示唆を有難うございます。 投稿者> 古本 [yahoobb219060180060.bbtec.net] 投稿日> 06月16日(日)21時55分36秒
西村先生 非常に重たい、示唆ですね。
人生そのものの、生き方に関係してきます。 私は、まだまだ、簡単に割り切ることができません。
すべての相手と対応できるように模索しています。
「相手を許す」ことも「相手を受け入れる」 私は、性格上ある程度、相手を許すことができるのですが、
結局のところ、対峙した状態でやはり無意識を攻められているのだと思います。
相手の先に対して、知らない内に反応させられているのだと思いました。 知らない振りをすることが、できないのですね。
先生の人生の応援歌 マイウエイ
日本語の歌はよく聞きます。 いい歌だという認識はあったのですが、
先生から示された英語の歌詞によると もっとはるかにに重い、人生の終局の歌だったのですね。
人生を振り返って、よかったと思える人生をいきことができれば 非常にすばらしいことと思います。
我々は、すべてそれを目標に生きているのだと思います。 そのために剣道をして人生の修行を積んでいるのだと、 私は思います。
先生、マイウエイ有難うございます。 この気分ですね。
これを纏めているとき、英語の歌詞を見ると、自分の人生を愛しくなり、今涙がでています。 自分の人生を深く見つめながら、生きたいものですね。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:ここを工夫してください。 雨宮 弘 [Mail] 2003年2月20日(木) 稽古が終わって着替えているとき、中島義孝先生が 「岩手の原田先生は○○には、胴を打たせなかった」と話しておりました。私にはよく○○のところが聞き取れませんでした。 原田先生の稽古を注意して見ていたようです。
中島先生は私の稽古の足の使い方を注意してくれます。 西村先生にアドバイスいただきましたことを意識して、面打ちにとりこみたいと思います。けりださずに押し出すですね。 ありがとうございました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その5 岩崎敬郎 [HomePage] [Mail] 2003年2月11日(火) 今日は岩手県剣道連盟の総会の日です。 いつものごとく岩崎は原田先生の運転手です。 こういう機会での先生の一言が岩崎の至極の謹言になってきます。
曰く「なのなぁ、花伝書の中に{身は懸かりに持つ}と言う言葉がある。」 「はあー」 「すなわち、体は攻めと打つ体制にとっていながら、心では待つと言うことだ。これが、出頭と応じ、そしてすりあげをやるポイントだよ。」 「はあ?」 「打ちたいがために体制が打ちに行く準備をしている。心も打ちたいがために溜がない。従って、相手の誘いにやすやすと乗ってしまい手が浮く。だから、俺に打たれる」 「じゃぁ、そうならないためにはどうすればいんですか。」 「一生懸命本当の稽古をすることだな!。」 「はぁー・・・・」(溜息)
曰く「京都の朝稽古は剣道の原点だな。」 「はぁ」 「われと思わんものが、ひしめき合って打った打たれたということを考えずにひたむきに剣道に取り組んでいる。すばらしい光景だと俺は思う。」 「全国の剣道を求める人間があそこにあつまりますものね。」 「あれは良い。あそこでどれだけ本当の剣道ができるかだな。数じゃないよ。中身だよ。」
先生はただいま体調回復調整中です。 曰く「あのなぁ、いま俺は機会を逃さないことに集中しているんだ。相手の色を打つ。攻めて打つ。そんなことをしない。無理をせず機会を逃さず捨てて打つ。これを稽古している。」 いったいどこまで強くなるんでしょう。2月で78歳になったと言うのに?
今回の最後の話は、原田先生の長女、大谷佳代子六段から聞いた話です。 原田源次語録その3で「応じ胴」の際の手の遣い方を書き込みました。 いわゆるコブシを自分の顔面に向けて右手の甲で応じる胴の打ち方で本日ちょっと言い話を聞きましたので書き込みます。 「応じ」は前回の書き込みで言いのですが、その際手を上に突き上げる。そして相手のしないにぶつけるがごとく強く突き上げる。そうすると、あいての面を打つ力と反発して早く竹刀を返して胴を切ることが出きる。しかも、動作は大きくなる。 実の娘に言ったことですから岩崎に言うより真実味があります。 なるほど、力学的にも理にかなっていると思います。 今度の稽古で実験してみます。
なお、先生は2月の全剣連の稽古会には奥様同伴で参加いたします。 西村先生思う存分稽古をなさって、書き込みご報告をまっています。 長時間稽古をしそうだったら、それとなく押さえてやってください。 まだ、本調子でないかもしれませんから。 ツリー全体を読む
△上に戻る もう一つピント来ない! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年2月17日(月) もう一つ真意がぴんと来ません。 すでに書かれた内容についてコメントするのか? これから書くことへの躊躇なのか?
自分の感じた心の内、自分が思っている内容・・・・それがどうあろうと 自分自身です。 自分を開示する事は非常に勇気が必要です。 そのためには、まずバンドルネームを止め、氏名を公表し批判・批評も受けて立つ気構え・覚悟が必要です。
この自分の開示で人様のお役に立てるのならば、との愛の行為です。 良いことを書いていると感じれば余裕です。 良いことを聞いたと思えば、その時点で成長です。 馬鹿なことを書いていると思えば、書いた人か読んだ人かどちらかの間違いです。 いずれにせよ、何事も本人の価値観で物事を判断するのです。
ただ、いちゃもん付けの非常識な人がいます。 自分は偉い!特別なさん!です。 それで、西村は自分の開示したものは、成長のための日記としています。 文句があるなら、読まなければ良い。 人の日記を読んでケチをつける必要がない。 あえてそれをする人は、その程度の人です。 求めてもいない人に文句をつけるのは愚の骨頂なのだ。 学会でよくあることだが、質問の名を借りて、自分をアピールする人。 それならば、自分で演題を発表すれば良いのに! いずれにしろ、暗やみから石をなげる卑怯なやからです。
胴を打たれる覚悟で面を打つ。 この心境ならば良し!です。 全ては人生だし、おおよそ剣道もそうですから。 ツリー全体を読む
△上に戻る 面返し胴は七段位の完成形の一つ。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年2月10日(月) 間合を足と予備動作で盗む。
原田源次先生の抜きどうは原理は判ったが、未だ身体がそうは動かない。 原田源次先生の相手を呼び込むパターンは最近やっと判った。 足と体で相手を大きくゆすり、機を自分の方へ呼び込み先をとる。 さらに相手の打つ方向を呼び込みで少しズラス事なのだ。 それは左右であり、上下でもある。 この中で抜き胴を打つ。 岩崎先生からヒントを頂いたが、いまだに何ともならない。
前にも書いたが、面返し胴の解析をする。 ヒントは足で間合を盗み、右手の鍔で切るように右手をねじって切る。 (竹刀の先を回さないのがコツ!)
日野晃先生がビデオと本で間を盗む講義をされている。
相手が突こうと腰を入れ身体をやや前に出したら(相手の突きの予備動作)、自分の後ろ足だけ一歩引く。 この時は、相手から見て身体は動いていないから、相手から見れば当然届く距離だと確信している。 相手が突きに出て来た距離だけ、前足を後ろに下げる。 ただし、相手の突きが届きそうになったら、それに応じて前足を引いて間を切る。 動きは相手の動きを見て、届きそうになったら引くことである。 早くに動くと、相手は突けない事を察知してしまう。 相手が一歩出て突ききった体の時、虚の状態であるから、そこを身体を前に出して突く。 相手は突かれると感じてから、足を引いて身体を引こうとするが、引き足一歩遅れをとる。 結局相手の予備動作を見て、先に引き足の先をとって呼び込む。 後の先の勝ち。
さて、剣道ではどうか。 ギリギリの間合から右足をスッと出せば、月影の先。
この先のとりかたで、右足をスッと出す、浮かす、フッと面を見せる。 相手は「来る!」と感じて、打つしかない。 相手にその色が見えた瞬間に捨てきって面に打って出る。 これが月影です。
さて、ここでスッと足を浮かすか、叉はフッと面を見せるか、その両方を遣うかして、相手を面に呼び込む。 前は色が出た瞬間、捨てて面を打つ方法。 今回は違う。 相手を呼び込み、相手は打てると確信して打ってくる。 相手が確信するまで、面の位置は動かさない。 ただ左足に重心がかかり、右足が相手の左に動く準備・予備動作完了形なのだ。 相手の色が見えた時、この足を作る。 相手の体が前傾した時、右足を相手の左にスッと出す。 頭の位置はそのまま。 相手は前傾し、打てると確信して打ってくる。 相手の面打ちの前進に合わせて、摺り上げながら、叉は竹刀で相手の竹刀をえに行きながら体をすれ違わす。 左足で押しさえすればよい。
ここまでは空手の突きと同じ。 呼び込み相手を足で間を盗む。 盗まれた相手はそれに気がつかない。
剣道では竹刀が長いので通法の打ち方をすると(竹刀の先を正円状に回転させて胴を打つ)長さが邪魔をして早く動かす事が出来ず、そのうち相手が迫ってきてしまう。 この時は右手首を素早く返して、鍔で胴を切りに行くと、竹刀の尖端は柄に引きずられて尖端が大きく回転することなく、楕円の曲線が緩い方の弧を描く様に、やや直線的に物凄い早さで切りに入ってくる。 実際の真剣刀方でも、柄元の移動に剣先が引きずられて、高速に移動して凄まじき切れ味を示すのが本当である。 長い棒の端を掴んで早く尖端を動かすのは難しい。
この右手は腰のひねりとやや体が沈む事が駆動力と右わきの締め加速装置。
西村に打たれた人がビックリする、 どうして、あそこから胴が打てるのかと。 この腰の切れと右手の修練は、相手の竹刀が面に触れそうになるまで、手を動かさないのが秘訣なのだ。 そうすると、相当早い相手にも胴は切れる。
これは西村の得意技だ。 打たれた事のある人は、この原理を知って、下位の人に試して見よう。
相手が押し込んできたのを、かろうじて胴に逃げれば半段下。 押し込まれて半段下。 相手が打ってきたのを、胴にしっかり返せば一段上。 相手を見る余裕、返せる余裕が一段上。 相手を呼び込んで胴を打てば二段上。 相手の心を手玉に取った余裕が相手を遣い、二段上。 これ、西村の意見。
この胴は化なり強い七段の先生が打つ胴と、西村が打つ胴を素人が見てもその違いが一目瞭然に判ると云う。
七段の位を完成するためにも知って欲しい技だ。 範士クラスとなると上手い先生もいる。 教師クラスだと八段でも出きる人は少ない。 要はコツなのだ。 相手の先をとって予備動作完了形が呼び込みなのだ。
『月影』の発展形の胴と言える。
かって、天才剣士、森寅雄はこの胴が得意と聞いた。 若くして間合の極意を知っていたのだ。 これが将来、フェンシングで特にサーベル競技で花開いた。 (タイガーと呼ばれた男、を読んでみよう) ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その3 岩崎敬郎 [HomePage] [Mail] 2003年2月1日(土) 原田源次語録その3 前回の書き込みは失敗しました。 ご迷惑をおかけした。
さて、手の内と稽古に対する心構えについて こんな話を先生はおっしゃいました。
剣道家は、手の内を考えている。 もちろん冴えた技には「出来た手の内が必要だ」 しからば、手の内とは、と問われたときに 何人明確な答えが出せるかな。
手の内とは、竹刀を握る手の平のこと 手の内とは、竹刀を作用させる動きのこと 手の内とは、・・・・・・・・
ここで岩崎は返答に窮してしまいました。
曰く「手の内は手の内側で竹刀を作用させることだけではないぞ」 「竹刀を正確に、しかも確実に、的確に作用させること」 「従って、手の内側だけを、竹刀にあたる部分だけを意識においてはだめ」
そのことが合ってからしばらく先生の手の動作を見ていました。 判りません。
曰く「手の甲で応じる。手の平ですりあげる。この感覚を掴む事」
なるほど、先生の応じ胴は、コブシが自分の顔面の方を向いて ねじりの作用ですばやく胴を切ってとります。
又、すりあげは相手の竹刀をまるで自分の手の平の上に乗せるような 操作をしています。 もちろん、技前には、攻めがあり、誘いがあり、崩しがあります。 手の内の難しさを知った稽古でした。
曰く「あのなぁ、打たなければならないときに、打たなくて、 打ってはならないときに打っていく。あるいは相手に打たれず自分だけ打とうとする。これはもはや剣道ではない。こういう相手と稽古をすると実につまらないな」
「いま、行くと返される。しかし、今行かないと剣道として成立しないそこで、目をつぶっても打っていく。これが千本、万本打っているうちにあたるようになる。さらにがんばると打てるようなる。 これが、稽古だよ。」
「どうも当てよう、あてようとする。当たったところで何になる。 何にもならない。自己満足だろうと思うが、それは最後の修行のところにきてかえって障害になる。そこがわからないかなぁ」
ある七段との稽古のあと、帰りの車の中でボソッと呟きました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 先生の書き込みは宝の山だ! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年2月1日(土) 有り難うございます。 先生の書き込みは西村に取って宝の山です。
『「手の甲で応じる。手の平ですりあげる。この感覚を掴む事」』 聞いた事がある、分かっている言葉も、原田源次先生の言葉であれば、次の稽古から体が反応します。 同じ言葉も内容も、誰から聞くかで染込み方が違います。 良いものを頂きました。
『先生の応じ胴は、コブシが自分の顔面の方を向いて ねじりの作用ですばやく胴を切ってとります。』 西村は応じ胴は得意です。 鍔で胴を切るようにして打ちます。 これにコブシが自分の顔に向くようにしてやってみます。 もっと冴えが出るような気がします。 先生のこの場面は言われて見ればその通りですね。 いつも見ているのに気がつきませんでした。
『手の平、手の甲』を特に意識をして稽古をしてみます。
『あのなぁ、打たなければならないときに、打たなくて、 打ってはならないときに打っていく。あるいは相手に打たれず自分だけ打とうとする。これはもはや剣道ではない。こういう相手と稽古をすると実につまらないな』 これは先生にそのような稽古を挑んでいる相手がいました。 先生は実につまらところ。 「なかなか強いね!と云う感じで、適当に終わる。」と言われました。 相手が求めていなければ、相手も出来ないのですね。
『どうも当てよう、あてようとする。当たったところで何になる。 何にもならない。自己満足だろうと思うが、それは最後の修行のところにきてかえって障害になる。そこがわからないかなぁ』 尊敬する師匠を持たないと、剣道は当てあいの競技で終わってしまいますね。 ここが剣術と剣道の分かれ目ですね。
『いま、行くと返される。しかし、今行かないと剣道として成立しないそこで、目をつぶっても打っていく。これが千本、万本打っているうちにあたるようになる。さらにがんばると打てるようなる。 これが、稽古だよ。』 そうですね! 正にそうですね! 西村が原田源次先生に小手を打たれようと、胴に返されようと、今行くしかない時、面を打ち切るのが西村の先生との稽古です。 しかし、そこまで意識を高めて頂けることが嬉しい。
先生が手術を受ける前の月の全剣連合同稽古で最後に、心が打てと命じたので、捨てきって面に打って出て、見事に胴を抜かれました。 『先生に打ち込む最後の面としても悔いがなかた!』 蹲踞の後涙が出てきました。 この文章を書きながら、そのときの情景を思い出し、そのときの感情が沸き上り、今涙が溢れてきました。
私が剣道の指導をするとき、それは原田源次先生の剣道に対する意識の伝達です。 幸いなことに、この指導を良しとして、ついて来る人もいます。 皆さま、直に昇段されて喜ばれます。
『最後の修行のところにきてかえって障害になる。そこがわからないかなぁ』 千代田土曜稽古の若手七段は骨のある人ばかりです。 西村との稽古で10センチ自分の体が逃げた事を反省しながら打ってきます。 捨てきれなかった自分を見つめ、そこを何とかと思いながら西村と稽古をします。 当てあい、打たれたくないを越えた稽古をされます。 西村が原田源次先生に対する同じ識です。 休みの日に、わざわざ求めて来られる人達の事だけあります。 あの若さでと思うと、たいした物だと感心しています。 やはり、良い先生に指導された人達でしょうか。
今日もこの辺りを意識した若手で強い五段の剣道家がいました。 剣道自体は出来上がっているので、若い彼がここに意識を持つと、スーッと七段まで行くことでしょう。 ツリー全体を読む
△上に戻る 土曜稽古会から1/26 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年1月25日(土) 今日の稽古は土曜稽古会
沢山の人が参加していた。 広い道場が一杯だった。 体を捌いて胴を打つ余裕がないほどの混雑振りだ。 主催者の人柄がこのような良い雰囲気を作っている。 最近は土曜日は休みだ。 垂れをみるとそれぞれの所属が判る。 東京のみならず、近県からも参加されている。 わざわざ稽古に出かけて来るだけあって、稽古の真剣度が高いのが特徴だ。
最近は嬉しことが多い。
佐藤さんが六段になってから、面の伸びが良く見事に打ち込んでくる。 自信を持ったみたいだ。 この分だと、七段もあっさり行けるだろう。 西村が教えても皆さま困難を極めている面打ちを、素直な彼はストーンと受けとめ物にしてしまった。 素直さが一番の代表例だ。
七原君が言った。 「先日、助教(警察署の剣道教官)さんと稽古をしたんですよ。 右足をスッと出すと(月影)打ってくるんですよ。 だから何本も面が入りました。 相手を面白いように引きだせますね。 それもプロが。」 西村が言った。 「この技を磨くと、七段は一発合格だよ。 相手を引きだして打つ、これが七段の格だよ。 警察官のプロの剣道家が、あなたに簡単に引きだされる。 剣道は稽古をして、速さを競っても余り意味がない。 ギリギリまで攻めあげて、スッと身を捨て相手を引きだす。 ここが剣道の醍醐味だよ。」 彼は六段を取ったばかりなのに、腕は既に七段の位になっている。
彼が六段を受けるとき、その剣友会の会長は「あなたは未だ受からない。」と言った。 西村は「あなたは六段に受かる。」と言った。 西村が言った様に彼は六段受かった。 西村からみれば、彼は六段に要求されている条件を満たしたことが見えたからだ。 だから、当然のごとく受かった。
原田源次先生が西村に時々言う。 「あいつ! 今年八段受かるよ!」 その言葉通り約十人近くが受かった。 八段に要求される条件を満たしたことが、先生には手に取るようにみえるのだ。 上から見れば、物事は良くみえる。 形を越えて、内面の成長さえも見抜けるのだ。 逆に、満たしていない条件を指導すれば、指導されれば条件に適う様になるのは速い。 ここに教育者としての良い師匠を持つ必要がある。
堀内君、最近少ししまって来た。 土曜稽古の前に一時間ほど有志で、基本稽古をしている。 当てあう腕は七段クラスだから、足腰の備えが出きれば楽に六段、七段は受かるだろう。 何よりあの年齢にも関わらず、基本稽古をしている心がけが良い。 今日の面打ちも足腰が入った面になってきた。 後一歩の所だ。
中屋君も西村との当てっこを止め、面に捨てきる覚悟で稽古をして来た。 良い面が出た。 感と身体能力が高いから当てあいに入ってしまうのだろう。 西村との稽古は立派だった。 他の人との稽古の時は、当てあいをして楽しんでいた。
松原さんが面打ちのコツを掴んだ。 前に佐藤さんの六段審査の時の面打ちを見て、触発された様だ。 同じ面をめざし始めた。 良い面を何本も打った。 六段は遠からず受かるだろう。 この様に心が変われば、剣道が変わる。 この意識変化と行動の変容こそが大切なのだ。 それがないと試験には受からない。
今日、シャワールームである五段の人が言った。 「西村先生と竹刀を合わせると、どうしたら良いかさっぱり判らない。 一番苦手なのですよ! 攻め入っても全く動かない。 行け!と思って打って行こうとすると、その瞬間面を打たれている。 先生が攻めてきたと思って、我慢をするが打ってしまう。 その瞬間面を打たれている。 何をしても何ともならない。 どうしたら良いんですか!」 西村が言った。 「あなたは打とうとして攻め入っている。 体全体が打ちに入ってくる。 そこを西村はスーッと右足を出して、上から乗って入る。 後はあなたの胸が出たとき、西村は打てば入ってしまう。 打とうとするから、その無意識の予備動作を西村に読まれてしまう。 そういう時は、攻め合いのギリギリの所から『打って見ませんか』と、心で言って、身を差し出すのですよ。 相手がその餌に食いつこうとする、心の瞬間が見えます。 そこを取るのですよ。 最初は上手く行かないが、数本同じパターンで打たせて、相手が見えたところで、同じパターンで打たせ、小手、胴、余裕があれば面にとるのですよ。 相手が見えれば勝ちですよ。 あなたが西村を全く読めないように、投網をかけて対応しているのですよ。 あなたが打つ、と決心するまで西村の心は全く白紙です。 ただ攻めているだけで、しっかり正中であなたを意志しているだけです。 あなたが西村にここを打てと命ずるのを待っているだけです。 そうするとあなたはここを打てと教えます。 ただ、あなたの心が動くように、スッと右足を浮かせたり、前に出したり、面を見せたり、腰をグッと押しだしたりして、機会を作りますがね。 恐らく、あなたは自分の意志で打ちだしたと思っているでしょうが、引きだされたのです。 横から見れば良く判ります。 西村の動きはスローモーションの様にゆっくり打っています。 正面に立つと一瞬に打たれた気がしますがね。 西村と誰かが稽古ををしているのを、じっくり横から見てみましょう。」
最近、土曜稽古会の人で、この書き込みを見ている先生。 意識が変わったせいか、今までにない良い面を打ちきっていた。 これが意識が変わり、行動の変容が起きた変化です。 書き込み見て「なるほど!そうか!」と思った時、既にそのときから変化が始まっているのです。 竹刀を振るだけが剣道でないと云われるゆえんです。 今度の面を楽しみにしています。
若くて速くて感性の高い人。 今日は隣の先生との稽古も良かった。 西村との稽古も、一回も体を正面からはずさなかった。 相面で乗られて打たれたのは、西村が相手を読める、引きだせるからだ。 しかし、彼は意識の上では西村に一歩も負けていなかった。 真っ正面に飛び込んできた。 胴と胴が正面からぶつかった。 彼の心意気は凄かった。 若い時からこの剣道をすれば、未来は明るい。 この稽古は西村が原田源次先生に求められている稽古なのだ。 それを若い人に伝承するのが西村の役目で、先生への恩返しだ。 原田源次先生の意志が西村を通して若い剣道家に引き次がれて行く。 彼もいずれ同じ伝承者になっていくと思う。 稽古の後の挨拶も、「今日は見事だった!」と云うと、彼は何とも言えない満足げな笑顔を返してきた。
原田源次先生流の指導が、西村を介して伝承されていくのを感じる嬉しい稽古日だった。 ツリー全体を読む
△上に戻る 呼吸法・西村なりの現時点の纏め。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年1月21日(火) 呼吸法について。 今回、原田源次先生の呼吸法による打ち方を、岩崎先生から御披露された事をきっかけに整理をしてみます。
静かに長い呼気で攻め入る時は、お互いが静かながら緊張感が高まります。 呼気で攻め入ると相手も緊張し、我慢が出来なくなって来ます。
攻め入る方は心が澄み相手の色が良く見えます。 そして、相手の無意識が色を発した瞬間に取ることが出来ます。 相手の色が良く移ります(映ります)。 呼気で攻め入ると相手も緊張し、我慢が出来なくなって来ます。 相手が我慢出来ずに打って出る面です。 相手の我慢の限界で打って出る技です。 かなり鋭い面で打ってきます。 我慢比べの面です。 これが原田源次先生の面です。 ここをすり抜ける原田源次先生の胴です。
さて、今度は相手に緊張感を与えずに間合を盗む方法があります。 それが吸気による攻め入り(間合を盗む方法)です。 これは相手の我慢の限界を引きだす、呼気による攻め入りと全く逆です。 相手の呼気に合わせ、その緊張の気を吸い込む様に入って行く技です。 相手は吸い込まれるように、思わず面を打ってしまうと言う技です。 呼気で高めた緊張感を吸気で相手を吸い込む、呑込む方法です。 これは相手と自分の気で空間で押しあった状態から、こちらの気を外す方法です。 相手は壁の様な圧力に負け次と押しているとき、こちらの気を抜き吸気で体を進めると、相手は壁が暖簾(のれん)に変わったような手ごたえが無い状態に、思わず前に倒れようとします。 そして、この瞬間面を見せます。 相手から見れば強い圧力が消えたので、思わずシメタと無意識が叫びます。 そこへ、面が目の前に来ますから、有意識がウテルと錯覚します。 (誘われた、誘導された、引きだされた事は全感じません。) 『相手の我慢の限界で打って出る技です。 かなり鋭い面で打ってきます。』 この丁度反対の感じで面に来ます。 思わず打ってしまった面ですから、腰の備えが甘く浮いた、ふわっとした面を打ってきます。 『無意識に思わず、心、腰の十分な準備なしに打って出てしまう面です。 ウッカリ打った面ですから、打ちに鋭さがありません。』 こちらは前もって予測しているから、面も胴も打てます。 相手の鋭さがないため、こちらの面が打ちやすいです。 また面返し胴を打つ十分な時間がこちらにあります。 西村の胴が抜き胴でなく、返し胴が多いのはそのためです。
その実際。 相手と十分気を合わせ、呼気で緊張を高め、相手を攻め立て、相手はもう打つしかない状態へ追い込みます。 ここで、体をグッと押しだすと、相手は我慢が出来ずに打ちに走る。 その瞬間を面、コテ、胴に取る。 (ここの我慢比べが原田源次先生の面)
ここで、一瞬、吸気に転じ体を進め、面を見せる。 ヌーと面を見せる感じです。 相手はシメタとばかり面を打ってきます。 これが、西村の『身を捨てて、打たれに入って、相手を誘う面、胴です』 ハイ!一丁上がり、『飛んで火にいる夏の虫』の感じで取ります。
どの場合も相手の感性とその緊張感の高まりが高いと、体を進めなくても右足の間境を越す少し進めることによって相手を起こす事が出来ます。 これが『月影』です。
さらに高度な技になると、奥薗先生の『緩める先』になります。 攻め入らないで、左かかとを一センチほど、ほんのわずか下げ、重心が前に行くとする勢いを一瞬後方へ引く。 相手は思わず打ってしまう。
虚虚実実、虚字の闘い。 実の攻め合いで取る面が原田源次先生の面 実を一転虚に転じて引きだす方法もある。 呼気、吸気、重心の前進、一瞬重心を引く方法 この辺りを意識すると剣道は麻薬の様に面白い!!!!
ここから参考 以前攻め入りは呼気か吸気かの質問がありました。 そのとき、色々考察したことを書きます。 (2000年3月7日)
以前先生から、月影の右足の攻め入りの呼吸について質問が有ったような気がします。 その時は、良く考察しないでお答えしたようです。 申し訳御座いません。
攻めは入りはゆっくり、静かな呼気と言いました。 その後、頭に何かが引っ掛かるので意識して考察して見ました。 どうやら、逆のようです。 相手の気を吸い込む用に静かにスッと入っていきます。 相手の実に虚での攻めは入りは吸気の様です。 相手は虚に誘われ、その実のまま面に出ます。 虚に誘われた、引き出されたと感じた瞬間の虚に実で打ちます この瞬間の手の握りに力が入ったり、左足で蹴るときは呼気です。 色々考察して、前言をひる返して申し訳御座いません、確かに攻めは入りは吸気の様です。 とは言うもののそこまで意識していつも剣道をしているわけでは有りませんので、間違いならごめんなさい! そのことについて書いてあるものが有るので、そのうちにお書きします。
チョット物議をかもす表現ですが、実と実の攻め合い、打ち合いが、虚実の戦 いになると此の様です。 ただ油断なく優位に立って攻めは入るのが前提です。
西村先生お応えありがとうございました。 確かに、月影で右足で攻め入る際此方が虚でなければ相手を引き出すことが できないのでしょうね。 気合いを込めて右足を出すと、強い人は警戒して簡単には打ってきてくれません。
呼吸を吸いながら、相手の気を吸い込むつもりで引きだすと出てくるのですね。 私も逆ではないかと考えていたのですが、やはり月影で相手を引きだすには吸気でださなければ強い人は出てきてくれないと思います。
若手であれば実で攻めれば実で返って来ますが、強い人はそうは行かない。 まで試していないのですが、実際にやって見て報告します。
投稿者> 西村雅興 [pc2.okichan-unet.ocn.ne.jp] 投稿日> 03月03日(金)00時24分02秒 以前先生から、月影の右足の攻め入りの呼吸について質問が有ったような気がします。 その時は、良く考察しないでお答えしたようです。 申し訳御座いません。 攻めは入りはゆっくり、静かな呼気と言いました。 その後、頭に何かが引っ掛かるので意識して考察して見ました。 どうやら、逆のようです。 相手の気を吸い込む用に静かにスッと入っていきます。 相手の実に虚での攻めは入りは吸気の様です。 相手は虚に誘われ、その実のまま面に出ます。 虚に誘われた、引き出されたと感じた瞬間の虚に実で打ちます この瞬間の手の握りに力が入ったり、左足で蹴るときは呼気です。 色々考察して、前言をひる返して申し訳御座いません、確かに攻めは入りは吸気の様です。 とは言うもののそこまで意識していつも剣道をしているわけでは有りませんので、間違いならごめんなさい! そのことについて書いてあるものが有るので、そのうちにお書きします。
チョット物議をかもす表現ですが、実と実の攻め合い、打ち合いが、虚実の戦いになると此の様です。 ただ油断なく優位に立って攻めは入るのが前提です。
参考までに書き留めました。 先生へのプレゼントです。
「攻めは吸気、打突は呼気」である。 (吸気の仕方については第四章「中段の構え」の項を参照) 吸気で攻めると自ずから握り(手の内)が柔らかく、相手の打突にも応ずることができる。 これを「懸待一致」という。 攻めはゆるめよ、という人もいる。 呼気で攻める人は必ず竹刀を握りしめている。 握って打突すれば力のみで冴えのない打突になる。
呼吸法と歩行 攻めは吸気、打突は呼気と私は言っていますが、この呼吸法は、はじめは稽古の時、なかなか難しく上手にできない。 故に歩きながら練習した。 (歯を軽くかみ合わせ、前歯のすき間から小さく、二回、三回と続けて吸う。そうすると下腹に力が入る。呼気しながら大きく踏み込む。) 歩きながら実施していると稽古のとき少しずつできるようになった。
参考に 斎村五郎先生の訓話の一片に「剣道の稽古は相手を攻める。そこを打たれても気分と切先が少しでも崩れなければ良いのである。即ち心が動かなければ良いのである。 この修業をするのである。心が動くか、動かぬかの試験である。技は結果である。」
以上、榊原正先生の「求める味」から、攻め、呼吸に関して抜粋です。
呼気、吸気の攻めの組み合わせは、相手により無意識にはしているような気がしますが 先生に言われる迄気がつきませんでした。 これを意識して使えば、手に四戒を起させるのには非常に効果的だと思います。
ちなみに、全剣連の練習でもかなり有効に作用しました。 今度は呼気、吸気の意識した効用を試して見ます。
Date & Time 09/13/1998 08:21:04 Posted by 西村雅興
緩めの先(八段の先生がことごとく取られる)
【緩めの先】 これは、足で攻めるギリギリの間合いの狭間での攻める、先である。 剣先、腰、足、気等の攻め入る先も有るが、これらを緩め相手を引き込む先も有る。 奥園先生が明治村の試合でよく使う、相手を攻め揚げておいて左足の踵を僅かに下げ体の攻めを緩め面を打たせ、出小手を打つ。これが見事にきまる。 相手にだけ判り、観戦者にはほとんど判らない。 これはビデを50回コマ送りして私が見つけた、奥園先生の見事な緩めの先である。 ビデオ出見ても真剣に感じる強い攻め。 攻めあげて、もう間合いがないところから約数センチ両足を前進して更に攻める。 しかし、ここでは打たせない。 相手が我慢が出来ずに打つしかない、胸が打ちだす正体をかすかに見せたと同時に、左踵を1センチ 程下げ、体の攻めを緩める。 相手は引き込まれて面に出る。 あの先生の出小手は見事だと言われている。 園田先生明治村優勝であ 月影が右足を僅かに出して打たすのに対して、引き込んで打たすこの技は吸われる様に誘導される。 来た!と思って打たすか、更にしめた!と思って打たすか、高段者でも最高の技である。 おそらく先生も左足の踵を下げた意識はないと思う。 もう打つしかないね、苦しいだろう、気の攻めをほんの少し緩め、打つことを許したのだと思う。 心の変化が形としては踵の動きとなり、色を見せて、シメタと思って打たせた。 これはビデをがないと判らないと思う。 我ながら凄い発見だと思っている。 さて、皆さんの感想は。
纏め 原田源次先生の面は実を実で制する、相手を乗り越えて打つ大きな面です。 西村が先生との稽古で小賢しい事をすると嫌われます。 師匠との稽古は呼気の呼吸の長さと、我慢の稽古です。 ここで捨てきった面を打たないと「もう一丁!もう一丁!」と言われます。 『委細かまわず、捨てきれ!』との合図です。 この稽古は、西村は師匠・原田源次先生とのみで出来る稽古です。 この様な稽古をしていただける師匠を持つ事こそが、幸せな修業です。
その他の先生とは虚虚実実、虚実の闘いで楽しんでいます。 この辺りの研究成果は範士の大御所にも十分通用させています。 剣道そのものの力では到底歯が立たないはずの相手に、一泡吹かせれる秘訣が研究の成果にあります。 研究・工夫は大切です。 虎の巻を参考にしながら、剣道をやっているようなものですから。 ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その1 岩崎敬郎 [HomePage] [Mail] 2003年1月10日(金) 私の拙い文面から原田先生の意図するところを お伝えするのはとても難しいことです。 しかも、私自身が原田先生の意図するところを 理解しているかどうかも怪しいところですが、思い出しながら「その1」を書き込んでみます。 いわく「「竹刀は手の内で転がすように扱う」 これは、私がすりあげ技がどうしてもうまく出来なかったときに 仰ったことです。 「おまえは手の内が固い」 「しっかり打とうと思い、相手の竹刀の勢いに負けまいとして力一杯 握っているから、すりあげが出来ない」 確かに、すりあげ技は相手が出てくるところを(本当は相手に技を出させて)こちらが竹刀を作用させて打つ技ですので、相手の打突の勢いに負けない手の内で作用させなければならないはずです。 しかしながら、原田先生は 「相手の打突に勢いがあればあるほど、少しの力で応じ・すりあげは容易に出来る」 と、仰いました。 なるほど、応じようとする場合、相手のスピードがあればあるほど少しの竹刀作用で、相手の竹刀は自分の正中線から外れてしまいます。 従って、手の内のあり方としては先述したように柔らかく・楽にあることにより、素直に的確にすりあげが出来るということでしょう。
いわく「あれ、いつのまにか胴を打っていたな。俺は面を打ったつもりなんだがなぁ」 原田先生の胴打ちは神技に近いものがあると私は思っています。 ある日、先生に稽古をお願いしたときに、 機会・攻め・体のさばき等がこれ以上できないと思った瞬間に 先生の「色」が見えたような気がして、 飛びました。 確かに、先生も反応をして相面にきたんです。 その瞬間「いただき」とほくそえんだ私の気持ちを西村先生だったら わかってくださると思います。 ところが、私の竹刀が原田先生の面にとどこうとした瞬間、 あの巨体が私の目の前からいなくなり、 痛烈に胴を打たれてしまいました。 振り返り、笑いながら言った言葉が「あれ・・・・」だったのです。 稽古が終わり先生いわく 「胴は面なんだよなぁ」 「はぁ!?」 「あのな、おまえに先を取られたとき、相面ではさばけない。しかしながら体は面を打つ体制に入っていた。がとっさに左手の位置を修正し、 右足はおまえの左足のすぐ脇に置いたのさ。」 「はぁ・・(ため息)」 「おまえも意識して胴打ちを二千本位打てばどうにかなるよ。」 「はぁ・・・・(もっと深いため息)」 要するに、先生は打つ機会は打つ部位によって変わるものではない。 入り、および攻め、そしてさばきはいついかなる場合でも普遍である。 ただ、相手の色を観て、相手の心を遣えるかどうかということであるということを伝えたかったのではないかと思います。 ちなみに、八段の二次審査で落ちたときに、 「おまえは、あの胴を打てるにはあと二千本位打たなきゃな」 と仰いました。 岩崎は、原田源次ではありませんので、あと四千本くらい打つことにより会得できるのではないかと思っています。
いわく「きざしをかんじるんだよ」 京都の朝稽古の終わっての帰り道。 ある高名な先生(当時八段候補・現八段)との稽古を見て 「何であんなに出頭が簡単に打てるんですか」 「あの時、誘っても攻めてもいなかったじゃないですか」 と、私。 「あのなぁ、呼吸を感じることだよ。そうすれば兆しを感じる」 「兆しを感じれば、心が打つところを教えてくれる」 「はぁ・・・・?」 「おまえ、わからないだろう。わかったら八段に近づいた印だよ」 「はぁ????」 いまだにわかりません。
いわく 「あのなぁ、技を練習するときは、下手(したて)とすることだよ。 下手とするときはがんばらないだろ。 心に余裕があるだろ。 だから技を練習するときは、下手とやって、その打つ機会・タイミ ング・打ち方を身につける。 本当は、良い先生は打たせ上手なんだよ。 そういう先生につく事がいいんだがなぁ。」 「私にも、じゃぁ打たせてくださいよ。」 「おまえは、ダメ!!!。打たせても打った気になるもの。だから打たせない。」 「はぁ??」 「おまえは、自習自得すること。」 「はぁ・」
すこしづつ、書き込みをしてみます。 しかしながら、今まで私が先生からお聞きしたことは自分なりに理解したつもり(あくまでつもりです)で書いていますので、本質をお伝えできるかどうかはわかりません。 その1はこれくらいで。 ツリー全体を読む
△上に戻る 最高です! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年1月11日(土) ワアー! これだよな! 我慢に我慢をして、快心の面を打った積もりで、胴に抜かれる。 この一番の思いでを! 「先生が来月手術をされる、胃ガンの摘出と胆嚢の摘出手術だと聞いた。 これが最後の稽古になるかも知れない思いでお願いした。 1本!と言われ、万を持して面を打った。 我ながら捨てきった快心の面だった。 しかし、スパッと胴を切られていた。 その後の蹲踞の時、涙が溢れてきた。 先生に対する最後の面だった。 悔いの無い面を打った。 見事に胴に打たれた。 この稽古はこの数年の最高の稽古だった。 一期一会と言うけれど、先生に打ち込む最後の面だった。」
この胴について。 京都での朝稽古で、西村が先生に面を打った。 それを見事に胴に抜かれた。 その日、午後の先生の立会いで、先生は相手に全く同じ胴を打った。 その立会いは相手に範士の声がかかっていた。 しかし、原田源次先生の見事な胴が入り、相手が一年据え置き、原田源次先生の方へ1足飛びに範士が来てしまった。 先生の話し。 「西村に朝に打った同じ胴が入ったんだよ。 そしたら、俺の方へ範士が転がり込んできた。 相手に範士の声がかかっていて、お偉い先生方はそのつもりで見ていたんだ。 負けた方に先に範士と云うわけに行かないし、それで俺の方へ来たんだな。」 原田源次先生が範士になった『抜き胴』です。 この抜き胴は神技と言うべきものです。
西村は返し技は得意で、特に面返し胴はお得意です。 時には原田源次先生にも入る位です。 しかし、原田源次先生の『あの抜き胴』未だに真似が出来ない。
原田源次先生に面が1本入るのに26年かかった。 先生のパターンが少し解明するのに、30年以上かかった。 やっと分かりかけた先生のパターン分析。
『さて、原田源次先生との稽古こだ。 いつもそうだが、八段を目指す数人が西村の前に並んでいる。 西村は真っ先には行かない。 この数人の稽古振りを見ながら、意識を高め心を静めているのだ。 今日は凄い発見をした。 無意識の予備動作は先生にもあるはずだと思って観察した。 すると、今まで全く気がつかないものが見えた。 先生が小手を打つときは、ニューっと面を相手に見せる。 それもやや右寄りに前進しながら。 相手は獲物が来たとばかりに、面に飛びつく。 先生はサッと体を左に打つし、やや腰を下げ手元も下げ下から小手を打つ。 これが見事に入る。 先生が胴を打つときは、グーっと胸と頭をやや左前に出す。 そこで大きく手元をあげる。 相手はこらえ切れずに面を打つ。 先生は余り応じ技をしない。 相手の手元が上がるのをすり抜ける様に胴に切る。 これは京都で相手にこれが決り範士が来た。 (この時、相手に範士の声が懸かっていたが、この胴で原田源次先生に先に範士が来て、相手は次回になった) 特徴 行きたい方の反対側へ相手をやや誘導する。 そうすれば、体の捌きは少なくて済む。 小さく早い面を引きだすには、ニュッと面を出す。 相手は慌てて面を打つから、右手に力が入り引き手(担ぎ手)になる。 グーっと胸と頭で押しだすと、相手は覚悟を決めて面に出る。 大きく手元をあげて来るから、相手も大きくその上から打とうとする。 胴ががら空きになる。 これで返し胴の必要がない。 次は面だ。 先生が面に来るときは竹刀をやや下げ、右足を大きく滑らして入り込んでくる。 先生の竹刀の位置が低いので、無意識がこれを押さえに行く。 その次の瞬間こらえ切れずに打とうと体がやや前傾になり、頭が前に出始める。 この瞬間先生はスッと竹刀を伸ばし、竹刀の先を落とす様に面を打つ。 結局は面に打たれに来るところを面に取っている。 これが分かった瞬間から、先生にそうは打たれない。 原田源次先生の予備動作、プログラムに書き込み済みだ! 先生が胴を打つ予備動作で大きく手元を上にあげ胴に来る。 この挙げる手の小手を取れる。 先生の小手に来る動作に一瞬に反応しない。 そうすると、先生は体が捌けないので一瞬止まる。 すると面が打てる。 先生が面に来る時、先生の竹刀を追っかけずに、そのまま突きに進み先に右足をあげて面に行く。 軽いが入る。 先生の無意識の予備動作を読めば何とかなる。 これは先生の体力・気力が往年の頃のものであれば、とても太刀打ち出来ない。 胆嚢摘出、胃ガンで胃を摘出、心臓の手術が出来ない状態、右膝が痛い、血圧を下げる薬でやや貧血状態等の78才の体であるから、こちらに余裕があり先生が見えてきた。 しかし、今日は先生の体が軽く動いていた。 帰りの車の中で「先生の攻めのパターンが今日やっと分かりました。」 そして先ほどかいたようなことを言った。 「呼吸法が大切なんだよ! 特に強くて感性が高い攻めの強い奴ほど、出頭を狙っているやつほど良く引っ掛かる。 相手と呼吸を合わせ、一呼吸ずらせば、相手は引っ掛かって来る。 強い相手ほど良くかかる。」 前から「呼吸方だよ!」と云う言葉は先生から聞いていたが、今日初めてその意味が分かった。 相手と気の攻め合いが十分なされ、そして押し込む程に追い込む。 そのギリギリの時に、この引き出し動作をする。 その呼吸法とは! 原田源次先生はそこを詳しくは話されなかった。 西村的解釈 かって、古本先生に攻めは入りは呼気か吸気かと聞かれ、呼気と答え、暫くして吸気だと思うと言い直したことがあった。 御互いゆっくり長い呼気で相手を攻め、一瞬の打突の筋の緊張に備えている。 御互いが硬くなっていく。 (吸気では筋を急激に動かすことは出来ないから) そして、機を見て打つ。 これが通常のパターンだ。 攻め合は呼気だと思う。 しかし、攻め入りの瞬間は吸気で相手の呼気を吸い込む様に体を滑らせる。 相手は押しあっていた硬い壁が一瞬暖簾(のれん)の様になってつんのめる感じがし、尚且つ打ちたいところが目の前にヌーっと出てくれば無意識に打ってしまう。 だから、相手は吸い込まれるように、打って出てくる。 その色を感じた瞬間、呼気で打つ。 この時自ら死地に入る覚悟が出来ているから強い。 打たせに出る勇気、肚必要だ。 打たれたくない人、試合で勝ちたい勝ちたいでやって来た人には難しい。 ほとんど人は呼気から相手を押し込んで打とうとするから、四分六で相打ちになる。 結局は実の押し合いから(呼気の攻め合い)から、こちらが吸気に転じ虚で攻めは入る(打せに出る、引き出す、打つところを見せる)、相手はこの虚に実で反応する。 相手は体が実で打ちながら、次の一瞬しまった罠だったと気づき、虚に転じる。 そこの虚を実でしとめる。 原田源次先生の典型的パターンだ。 西村も真似をしている。 多くの八段の先生方も未だ攻めきって、押し込んで打っている様な気がする。 この様な八段は西村に裏を取られて打たれる。』
岩崎先生から頂いたこの言葉は目から鱗が落ちました。 『稽古が終わり先生いわく 「胴は面なんだよなぁ」 「はぁ!?」 「あのな、おまえに先を取られたとき、相面ではさばけない。しかしながら体は面を打つ体制に入っていた。がとっさに左手の位置を修正し、 右足はおまえの左足のすぐ脇に置いたのさ。」』 西村の得意の面返し胴は先生の抜き胴に比べ、半拍子遅いことが判りました。 面を打たせて胴に取る、が西村です。 先生は面の相打ちで先を取らせ、左手と右足で体を捌き胴を打っていたのですね。 この抜き胴は全剣連合同稽古で先生にお願いしている人達の間では、不思議の一つです。 良い話しを聞きましたので、早速に下手を使って検証したいと思います。 この抜き胴だけが全く判らなかった、どうしても真似が出来なかった所です。 本当に有り難うございました。 感謝!感謝!です。
『「あのなぁ、技を練習するときは、下手(したて)とすることだよ。 下手とするときはがんばらないだろ。 心に余裕があるだろ。 だから技を練習するときは、下手とやって、その打つ機会・タイミ ング・打ち方を身につける。 本当は、良い先生は打たせ上手なんだよ。 そういう先生につく事がいいんだがなぁ。」 「私にも、じゃぁ打たせてくださいよ。」 「おまえは、ダメ!!!。打たせても打った気になるもの。だから打たせない。」 「はぁ??」 「おまえは、自習自得すること。」 「はぁ・」』
先生は稽古の最後に1本と言われ、西村の全てを引きだした打ちをさせてくださいます。 捨てきっていないときは「もう一丁!、もう一丁!」と終われません。 無意識が先生の意図に気がつき、捨てきって面を打つと「よっし!」といって終わります。 今はこの最後の面の、5本に1本ぐらい面に触らせて頂いています。 有りがたいことです。 相面で当たる感触を教えていただいていると感謝しています。 この1本触るのに26年かかったのです。 この1本で、全剣連合同稽古の稽古は西村的には実質的に終了です。
岩崎先生の話は、西村が先生から聞けなかった所を教えて頂いて、物凄く参考になります。
ずーっと前の岡田さんが、賀来先生から「足首を緩めるのじゃよ!」と聞いた話と全く同じで、凄いヒントを頂きました。
その2をお待ちしています。 西村と全剣連合同稽古で先生に稽古を頂く同士より。 ツリー全体を読む
△上に戻る 平成15年 稽古始め。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2003年1月4日(土) 今年初めての稽古から。
今日は千代田の土曜稽古。 先生方は年初めで行事が有ってお忙しいのか七段は三人だった。
今日はしっかり攻めて、しっかり打って、しっかり打たせてあげた。
若い人で動きは速いが腰が残っている人がいた。 胸突きをすると腰がさらに残った。 ヘッぴり腰になって打ってくる。 西村が言った。 「胸を田楽刺しにさせて、面を打ちきりなさい。 刺し殺される覚悟を決めて、面を打て!」 その次の面からは二段ぐらい上の面になった。 完全に捨てきって面に来た。 西村の竹刀が彼の面の左を突き抜ける。 西村の突きが咽に入ろうとする。 西村の突きが胸板を突き破ろうとする。
彼はやった『委細構わず』。 面に打ちきった。 彼は自分がこんな面を打てたことで感激していた。 西村の突きを覚悟するのは勇気がいったことだろう。 でも、彼はやった! 自分の可能性を見て驚いていた。 稽古の後「自分があんな面が打てる何て思っても見なかった。」と言った。 彼は喜んでくれた。
この反応と丁度逆に反応する人がいる。 剣道は当てあいと理解している人には、この稽古は嫌われる。 西村を避けて通る。
今日は堀内君も良い面を打った。 当てて取ろう、打って取ろうと云う気を捨てた。 西村と差し違える覚悟で面に出た。 腰の入った立派な面だった。 これさえ出きれば、もう六段を通り越して立派な七段だ。 西村とは当てあいの稽古より、緊張感を最高に高めそこから捨てきって打つ稽古が良いと思う。 相手が強くないとこの緊張感は高まらないからだ。 西村は最高の打ち込み台になれると思う。 最初か最後に一勝負で良いような気がする。
七原君との稽古 機会が良く面に来た。 機会は申し分がないが、竹刀が面布団を目標にしている。 注意をすると段々良くなってきた。 打とうとするより、切り込もうとすればもう既に七段だ。
これは西村が岡先生への面打ちで「手が高い!もっと下ろせ!」何度言われた。 そうして修正してきた。 それの伝達だ。 人に「捨てろ!打ちきれ!」と云うのも、言われて修正してきた。 それの伝達だ。
今日の一番の印象深い稽古。 近藤先生七段との稽古は良かった。 稽古前に「さあ!大人の稽古をしましょう!」と言っておいた。 西村がグット中段から攻めはいると、彼は大きく面を打った。 当然突きが入る事となる。 彼の大きな面は途中で緩んでしまった。 無意識が参ってしまったのだ。 今度は相打ちの面を打ちあった。 西村は真すぐ進む。 先生は左に抜けてしまった。 腰が逃げたのだ。 稽古とともに真すぐに捨てきって打ってきた。 右足がややそれる位にまでになった。 それは見事と言うほか無い! 若手の七段本領発揮だ。 ただ、西村に左拳の位置を突き破れない。 しかし、形相が変わってきた。 覚悟が出来てきた。 良い面を相打ちごしに打ってきた。 最後の一本はお互いに最高の面だった。 右足幅、10センチ程度体が左に寄った。(西村から見て) 西村は真っ直ぐに打ちきった。 彼の竹刀が擦り落され、西村の面が決った。 これで終了。
稽古の後、彼が言った。 「良い稽古を頂きました。 最後の面は擦り落されて打たれましたが、自分ではスッと打てました。 快心の面でした。 今日は良い稽古を頂きました。」 そうだった、打つ機会はあれしかないと言う面だし、体の運用も手の内も満点だった。 彼が自分の快心の打ちだと思った通りだった。 西村が言った。 「無意識が10%程逃げていた。 その分、足幅程度体が中墨から外れた。 竹刀が空中で正面衝突せずに、真っ直ぐな西村の竹刀に切り落とされた。 (実際は擦り落しの感じだった。) 貴方の竹刀が流れてしまった。 それ以外は貴方が言うように、満点の打ちだと思う。 真っ正面の相打ちならば、あの面打ちは五分だった。 ここをしっかり押さえて稽古をすれば八段への道が開けると思う。」 久々に骨が有る素直な七段と稽古をした。 さすがは教育者だ。 剣道で目指すものを持っている。
西村としてはゆっくり攻め入って、相手の色が出た瞬間一揆に胸で竹刀を打ちきる。 歩み足で入ってコテを取る。 スッと入って面を見せて返して胴を取る。 体は心地よく、頭は冴えてダンスの競技会に出ている様な気分だった。 疲労感はゼロ。 ただ快適な時間を過ごしただけだった。 心は静かで波が全く立たない心境だった。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古12/5 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年12月6日(金) 全剣連合同稽古12/5
先ず松本君が西村と稽古の様子をビデオで見てきた。 体が前に進む予備動作が無いために、斜め上に蹴りだしていることが判った様だ。 誰しもが良いと思っていて稽古をしているが、その実は?が現実。 たまに吾を見直すために、ビデオで自分の姿を見てみるのも良いと思う。
今日は原田源次先生と二ヶ月ぶりの稽古。 西村の前で松本君、青木君が先生にかかった。 青木君、松本君があの若さで良くやったと誉めたい稽古をしていた。 松本君の先を懸けて一心に打ち込む姿は良かった。 先生も良い稽古をすると誉めておられた。 青木君の稽古はこれまた立派でした。 あの若さで良く我慢が出来た稽古だった。 打った時の鋭さと、捨て切った面は誠に良い。 御二人方は誰とやってもあの様に稽古をしてもらいたい。
先生の動きは今年最高の動きだった。 手術後体が回復してきたのだろう。 体の切れが戻ってきた様だ。
さて、先生と西村の稽古。 先生が打ってきて打たれたのは一本しか無かった。 西村が先を懸け返されたのは数本あった。 相打ちで西村の歩が良かったのが二本位あった。 いずれも打った時は捨て切った打ちがでた。 相打ちの面と思ったが、西村の左手が一瞬先に動き先生に胴を抜かれた。 「惜しいところもう一歩我慢が出来なかたなあ!」と先生。 『一瞬の我慢比べの負けだった!』 稽古が終わって感じた事は、先生の位に全く押されることもなく、圧力も感じることなく、最初から終わりまで自分自身でおれたことだ。 気分としては今年最高の稽古であったと思う。
松本君との稽古 彼が竹刀を振り上げる途中に、西村の竹刀が面に届いてしまう。 今度、竹刀の操作の原点である胸の使い方を教えたい。 これは青木君にも教えたい。
青木君との稽古 中々良くなった。 打ち気が消えている。 しかし、攻めが全く無い。 攻めながら打ち気を消すのが難しい。 ここを研究しよう。
雨ちゃんとの稽古。 面打ちには何か迷いがあり、いつもの精彩が懸けていた。 しかし、飽くまで体を正面に進めたのは立派だった。 打ちがどうかを問う前に、我が身を捨てて真っ直ぐ進む、これの方が大切だと思う。 この気分は判った様だ。 この気位に腰を入れて面を捨てきって打てば、申し分無し。 橋本先生との稽古を見ていたが良かった!
稽古の後、原田源次先生に挨拶しに行くと、 「管が受かったよ!良い出来だった!」とニコニコして言われた。 一作月、西村に「管が良い!」と言っていたのを覚えていたのだろう。 帰りの車の中で先生が。 「管が受かって、親父が喜んでいたよ! 親父は一級上で弓をやっていたんだよ。」 西村 「地力は抜群のものがありますからね。」 先生 「彼は子供を指導している。 子供を教える以上は嘘を教えてはいけない。 そのように、彼が指導者としての意識をしっかり持ち始めた。 考え方が変わった頃から、剣道が良くなった。 やはり剣道はこの辺りの心の変化がないと、剣道は変わらない。 審査では申し分ない剣道で六段に受かった。」
西村 「先生、後輩のMは六段にうかりましたか?」 先生 「まだだと思うよ、居合、丈道はかなりの段だが。」 西村 「前に稽古をしたときは、立派に六段の腕がありましたよ。 ただ、彼が言うには 『構えているときは審査員が自分の方を注目しているのが判る。 しかし、一回打つと見てくれていないのも判る。』と言っていました。 イザとなると打ち気を抑え切れないんでしょうね。 このはやる気持ちを肚に沈める修業が剣道なのに。 誰か良い先生に、この辺りをの指導を受けるとスンナリ受かるのにね!」 先生 「まだ相手を打ちのめしたいのだろうなあ!」
前に六段の審査の前日に聞いた先生の言葉。 『良い攻めをしているな、いつ捨てるかな! 審査員は捨て所、捨てきった所を見ている。 良い攻めをしているな! あ!打ってしまった。若いな!もう少し修業を。 あ!胴に逃げた。捨てれないね!もう一度。』 これを先生から直接聞いて、少し稽古をすれば六段は簡単な事なのだが。 大切な事は指導者に尽きる。
ここから八段の審査の話しになる。
岩手の若手が第一会場で一次に受かった。 二次は少し荷が重かった。
いつも全剣連合同稽古で一番に稽古に来る人。 一時は凄く良かった。 二次は打とう打とうとしてしまった。
西村に稽古で散々面を打たれた人の話し。 彼は遠間から良い打ちを出した。 それで八段に受かった。 外国へ派遣されて、帰ってきた頃から剣道が良くなった。
同じ県でSさんと同期のAさんで、彼の方が良かったが、Sさんが先に八段に受かってしまった。 その後Aさんは剣道のプロでありながら受からない。 一次は何十回と受かっているのに。 彼は打たせないで打とうとしている。 試合根性が身にしみ込んで抜けないのだろう。 あそこまで来ると遠慮があって、誰も注意をしてくれないのだろうな!
一次が良かったBさんも、二次で相手に打たさないで打とうとしている。 七分を守り三分で打って出ても受からないよなあ!
『相手に打たれても良いんだよ! 自分の良いところを思いっきり出せば良いんだよ!』 そこが中々出来ないんだなあ!
八段が受かった人。 西村との稽古で西村の心が全く動いていないのに面に打って出た。 数回面に来たところを、胸突きで西村に止められた。 剣道はプロの動きだが、剣道そのものは西村の方が知っていると感じた。
彼が面に来るとき、予備動作の胸を出す。 その瞬間、それに会わせて西村の右足が出る。 相手が右足するとき、それ合わせて西村が左足を蹴って面に飛ぶ。 相手が先に先を懸けているように見えるが、西村が結局は体の先を取っている。 相打ちの様あるが、西村の面が全部入った。 相手は剣道のプロ、西村は歯科医の片手間の趣味の剣道。 これは強い弱い速い遅いの問題ではない。 知識として剣道を西村の方が良く知っているとのことなのだ。
これと同じような事は過去にもあった。 最年少で八段に受かった剣道のプロが、その二ヶ月前に稽古で西村に使われてしまった。 彼の口から出た言葉だから、間違いがない。 彼は打ち気が強かった。 その心を読まれ、西村の手の平に心を乗せてしまった。 肚が西村の方が上なのだ。
このように身体動作としてプロの人も、心を読まれたり、予備動作を察知されてしまうと、素人の無名の剣士に手玉に取られることもある。 この様な例は西村には二十人位ある。
その逆で、今日は大塚先生範士八段高齢に御願いした。 全剣連合同稽古で原田源次先生の隣だから、大御所だ。 高齢のため、動きから見ると何とかなるような気がした。 初太刀は先生の廻す手元を押さえて小手面に打つ。 先生の小手が流れ西村の面が入る。 「面の方が良いな!」と言われる。 何とか押し込んで引き出して打とうとするが、最後は押し返される。 攻め甘く面を打つと胴を切られる。
結局先生の心を掴みに行くが、西村の手に余った。 西村は先生の攻め、位には全く動じ無かった。 しかし、御年を召して動きが遅いと思ったが、どっこいそうは行かなかった。 次次と先を懸けるが、最後の一瞬に空回りをした。 攻めを思いっきりぶつけて、最後の一瞬に返された。 さすがに、この辺りの肚は重く動かない。 今度は手法を変えて攻め込んで、先生を動かして見よう。 ギリギリの一瞬の勝負は良い稽古をしたと思った。 西村はこの辺りとしても、位負けはしない。 今回は先を懸け打って出たが、今度はじっくり攻め合いで稽古をする積もりだ。 位で負けなければ、打って出た方が負けだから。 ツリー全体を読む
△上に戻る 自分のペースで。 青木大輔 [Mail] 2002年12月7日(土) 西村先生
こんにちは。今日はもの凄く寒いです!! 風邪に注意ですね!!
今月も全剣連合同稽古会に参加することが出来ました。 三ヶ月連続して、参加することが出来たのは初めてです。 ありがたいことです。
今回の稽古では太鼓が鳴る前に、西村先生のお話を聞くことが出来ました。一拍子の素振り法や、最近特にご指導頂いている重心の移動のお話し、足ー腰ー腕への力のロスのない伝達法などを、実際に先生が「やって見せて頂ける」ので、これは本当にありがたいことです。
私にとっては実際に稽古をつけて頂くことも、素晴らしい稽古ですが、この先生からの「お話し」こそ、合同稽古に参加する最も大きな意義の一つと思っています。ありがとうございます。
実際の稽古ではまず原田先生にお願いしました。いつもの「打とう!打とう!打たねば」という気が今回は幾分静まっていたように思いました。自分が「ここっ!!」と思えた場所で打っていくことが出来たので、最後に先生に完全に胴を打たれた時には「打たれた悔しさ」なぞ微塵もなく、捨て切った自分への満足と、完全に先生の攻めに引きだされての面だったので、原田先生に対する尊敬の念などが、面を打って駆け抜けていく一瞬の中で駆け巡り、幸せな気分でした。 尊敬している先生との稽古では、どんなにキツクても、幸せな気分になれます。
しかし、この稽古が限りなく自分だけの満足に終わっていなかったか!というのが反省点です。西村先生がズバリ指摘して下さっているのですが、あのスタイルですと、何だか「攻め」がないのです。ただ心を落ち着けて「立っているだけ」に過ぎないように思うのです。 「打ち気をなくすんだが・・攻める」もの凄い課題を頂きました。
西村先生との稽古では、先生が「ズッ・・」と動いたら打とうと思っていました。しかし、これでは駄目ですね!いつでも打てるように準備は整えていますが、気持ちも足も完全に「待ち一本」でした。で、結局慌てますから、その場から飛んで打ちにいっているように思いました。 攻めるんだが、「どこを打とう」とかの「打ち気」を消す・・・おもしろそうです。やっていってみます。 これからもどうぞよろしくお願いします。。 ツリー全体を読む
△上に戻る 先生のほぼ御明察の通りです。(一点だけ!) 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年11月14日(木) 古本先生が気がついたように、剣道は二足歩行の動きが原則です。 腰の回転、軸等に拘ると右、左が最初は混乱いたします。 分かってくれば良いのですが。
そして、それは意識で使い切れない伸筋の連動運用なのです。 先生が気がついた事を体に教え込むのが、打ち込みの基本稽古です。 有意式で無意識の筋肉を使える様にする作業です。 武術は伸筋の利用で、全てが同じです。
剣道が何故あるレベルになるのに時間がかかるかは、次の問題があるからです。 さて、竹刀を両手で持つ事から迷路に入ります。 体が前進していく力を竹刀に伝える方法です。 森田先生の主張は「手足は丹田を中心として、手足が対角線の法則に従って動いている。」まずはこの一転に絞られる。 次は「左手の押しだしによる竹刀の動き始め」に気がつかれたことに有る。 「ここに気がつかないと両手で一刀を持つ日本剣道の迷路にはまる。」と言っておられる。 結局は歩くほどに剣道をやればこの動作が身に付くのです。 インターハイの強豪は体と竹刀の自然な関係が身に付くまで、フラフラになるまで稽古をさせられます。 頭が空っぽになって、筋肉の力が尽きたとき、二足歩行の原理が生かされた面打ちが自得できるのです。 ここまで、鍛え投げないとインターハイレベルにならないのです。 しかし、理屈を知ればもっと合理的に間単に身に付きます。
もう一つ付け加えるべき重要な事があります。 この時本来歩行では右手は後ろに行くはずです。 しかし、現実には右手は柄を持っています。 この時『右手は緩め手』なのです。 殆どの人が竹刀の振り上げに、この緩め手であるはずの右手の三角巾(肘を上方へ引き上げる)上腕二頭筋(前腕を手前に引き寄せる)を使います。 その結果、竹刀の先を一度後方へ引っ張ることになり、これを前方に向ける折り返しの無駄な力が必要となってきます。 その場立ちで重い棒などを、もちつきの杵等を振りかぶるには有効ですが、体の前進力を使った剣道では違います。 特に大人になって剣道を始めるとその傾向が強いです。 軽い新聞紙を丸めて歩きながら考察すると良く分かります。 『腰を「右回転」させると、その対角にある右手が挙がるというのがその趣旨です。』 この右手は上がるのではなくて、緩めた結果左押しての竹刀上方への押し出しを邪魔さいないということで、結果的には少し右手が上がります。
ゴルフのバックスイングでは右手は軽くたたむだけで、決して右手で引き上げません。 肩の回転と左手の後方への押しがクラブを押し上げるのです。 右手で引き上げるとヘッドの動きは急に折れた曲線になり、スムーズな動きになりません。 竹刀もクラブもムチの先の動きをする様な動きが理想的です。
過去の書き込み参考!!
森田文十郎先生の腰と丹田で行う剣道を読んで。
その一 今かえら十年ほど前に呼んだことが有るが、歩行による対角線活動が何としても理解が出来なかった。 今読めば、西村が分析した歩行原理に基づく剣道の原理と同じで、説明の仕方が少し違うだけだと思う。 また、「念力」「テレパシー」へも研究が進んだのも西村と同じだった。
島野さんの剣風も、森田先生の左腰を押しだすと言う言葉に強く影響を受けたと聞く。 彼の静かな起こりの見えない面打ちの秘密が此処にある。
森田先生の主張は「手足は丹田を中心として、手足が対角線の法則に従って動いている。」まずはこの一転に絞られる。 次は「左手の押しだしによる竹刀の動き始め」に気がつかれたことに有る。 「ここに気がつかないと両手で一刀を持つ日本剣道の迷路にはまる。」と言っておられる。 ほとんどの剣道家が、正にその迷路の真ただ中に居る。 森田先生も五十の坂を超えてもこの問題に苦しめられて居いたと書かれている。 あるとき、犬の飛び跳ねる様を見てはっと気がついたと書かれている。
西村は咬合と姿勢、咬合と重心、咬合と姿勢機能の関連を長年(25年)研究テーマートしてきた。 猿から人への二足歩行の研究をした。
そのためには自分の歯をほぼ全部削り、自分の身体を通して命がけで研究してきた。 そのお陰で色々な発見をし、この方面では世界一を自負するに到った。 人間の構造医学の研究に二年熊本に通った。 精神世界を追及することにより、不可思議なる世界を体験し、自分でも出きる様になった。 心の世界は小川忠太郎先生の本と対比して述べたいと思う。
森田先生の本の次のレベルに到るまで話したいと思う。 剣道の分析、念力の分析は西村の分析の方が前進していると思う。 (剣道の実力を言っているのではなく、あくまで分析力のことを言っているので誤解がないように。)
森田先生が東京高等等師範で高野左三郎先生に教わり、しかも母校で専門家養成に 当たりながら五十八歳まで気がつかなかった。 それで剣道の指導者であったとは誠に不思議なことであったと述懐されている。 此の様に剣道は知らず知らず鍛練によって身に付けた自然の摂理、生理作用を説明するに足りる十分な分析、研究がなされていなかった。 西村が言う、「歩くほどに剣道をすれば、いずれ身に付くもの」です。 武士の時代ならいざ知らず、今の世ではそんな流ちょうなことは言っておれない。 警察官で剣道のプロを自認する人達は、稽古によって知らずに身に付いたから教える粉とが出来ない。 剣道の感性、素質が高く、それを専門に人生を賭けてやって来て身に付いた物は自分が出きると云う能力と、教える能力は一致しない。 この先生と同じ道を歩警察官ならそれも良かろうが。
ベンホーガンのゴルフの本を読めば判るが見事に幾何学的、ベクトル的、機能的な説明がなされている。
もし、プロでなければ西村の講義を参考にしていただきたい。
構え、重心についてはかなり詳しく前に書いたので、森田先生の本に合わせて解説したいと思う。
1-先ず、ゆっくりと手足を意識して歩いて見よう。 右足が前に行く時、左手は前に行っている。 左足が後ろに行って体を押しだし蹴ろうとするときは、右足が前に出て体を進める。 このとき左手は前に出し身体の捩れをバランスとっている、右手は後ろへ行っている。 ヘリコプターが大きな翼が回ると本体が回転してしまうので、お尻の方で回転抑止のプロペラが有るのと同じだ。 この手足の対角線的動きの不動的中心点が丹田である。 此処がしっかりすれば生理的にスムーズな動きが出きる。
左足が体を進める時、左手は前に進もうとする。 これが左拳が前進し竹刀の柄頭を押しだし、竹刀を持ち上げる。
森田先生が五十八歳にして始めて竹刀は左の押しだしで動かすことに気がつかれた。
これが両手で持つ一刀の迷路である。 森田先生ですら気がつかなかった迷路である。
注) 刃物を両手で持つ非合理的な発達をしたのは、世界的に見ても日本の剣道だけである。 両手で振るならば棒の方が殺傷力がある。 刀を持って切ってみれば判るが、両拳の間を空けて刃筋を通すは至難の業である。 両拳をつければ、それはいとやすいことである。 (刃筋が立った引き切りは力がいらない、刀の重みだけで見事な切れ味を示す) 刃筋が通らなければ、平たい定規で叩いたのとたいして変わらない。 そして簡単に曲ってしまう、(想像以上に以上に曲りやすい) 武士がやくざと喧嘩して両手で持った刀で叩いても刃筋が立たないと相手もたいして痛くないし、切れない。 しかし、相手のやくざが片手で振り回した刀(長どす)は触られただけで見事に切れる。 遠心力のスピードと刃筋が立っているからである。 有る小説の中で、喧嘩で切られた時にそれを聞いた人「が相手は片手か、両手かと聞いた。 相手はやくざで、片手で刀を振り回していた」いたとき、その人はそれでは助からぬ。と言った。 棒の方が相手に与える衝撃と言う面では有効だ。 西村も抜刀を始めたとき、刀二本を二振りで曲げてしまった。 刀の側方への弱さにがっかりしたものだった。
注) 左手の押し出しを気がつかない大きな理由。 人間も四つ足の時代を経て二足歩行に入ってきた。 そのために、屈筋と伸筋の意識感覚に違いが有る。 人は歩きながらにでも考え事が出きる。 それほど歩行に使う伸筋への意識は希薄である。 それは腕においても同じである。 一方、屈筋は意識と密接に働く。 それ故、手に竹刀を持つと右手が振りかぶりに素早く反応する。 伸筋はそこにかなり意識を持たないと、本来以上の働きをしない。
これが、左手をしっかり左腰に反応させれるように、軽く脇を締めて左手をで竹刀をしっかり持ち、右手は支える程度に持つ理由だ。 これが一刀を持つ両手の使い方、持ち方の生理学的理由である。 これで刀を持って闘う為には常に相打ちの覚悟の腰から打ちだす必要が有る。
しかし、武士道がなければ命が欲しいのは正常で、一刀は両手非合理です。 ローマ軍は闘った全ての相手の戦闘方法を研究し、先ず弓、次に槍とした。 その後、左手に盾、右手に剣とした。 剣道は武士道と伴に特殊な発達をした闘技である。
此処までで二足歩行と左足右足、左手につて述べた。 右手は左手の竹刀の動きを阻害しない程度に中指、親指の軽い支点作りかじ取り程度野の働きをする。
しかし、左足が一端蹴った瞬間はその働きは様相を変える。 蹴った瞬間から左足は元に戻ろうとし、右手は押してに変わり、左手は引き手に変わる。 左足押しだし、蹴りといった動きのから発した一連の連携の動きは少し時間差を持ちながら最後は左足が引きつ蹴られた時に左手は引き手になる。 この左拳を脇、肘を軽く締め、鳩尾の高さに止めることによって、右手の押し出しと相まって竹刀の先の急速な角速度を増す。 肩辺りに有った支点に、両手の間の支点が加わる。 基本打ちはこの通りですが、実際の競技的動きになると、両手は押しだし動作が目立ち、左拳の引き込みがそれを助ける。 両手の拳の間の支点が有効に作用をする。 剣道日本十二月号ページ30辺りの説明が良く出来ています。 (左手で竹刀を止めることにより竹刀の先端スピードが増す。書いて有りますが、 これは中級者の面打ちで、上級者は左拳の鳩尾への引き込みが尚早くする。 これが茶巾絞りの要領です。)
尚、腰始動の面も基本的には同じ方向性の説明です。 剣道雑誌が剣道を分析してくれているのは良いことです。
さて、西村は森田先生の研究に体の動きの溜めを加えたい。 左足が腰を前進させる時、当然左手は押してになって前に出ようとする。 この左手を少し止めることによって、弓を引いていくような体内的な拳の位置に溜めが出きる。 相手が反応した時左足が蹴る瞬間まで溜めた左手が爆発的に前に動く。 これが左腰に乗せた左拳の溜めで、これで打つことが腰に乗るということだ。 その次の瞬間は右手が押しだしになり竹刀の先は弧を描いて打ち降ろしに懸かる。 最後の瞬間に左拳が鳩尾方向に引き込まれ、前方方向から下向きに方向を変える。 竹刀の先はそこで加速度を増す。
未だ、森田文十郎先生の「腰と丹田で行剣道」を読んでいない人へ。
試合で強さを発揮してきた人が、六段、七段に受からないことが多い。 それは、稽古、練習、試合で相手に当てることの上手は、親から貰った身体能力の結果であって武術的な身体活用がなされていないからです。 この武術的身体活用は極く生理的な体の運用です。 面を打つ動作は足、腰、腕とその動きは正に二足歩行の原理です。 しかし、竹刀を持つと素早く相手に竹刀で当てに行く意識が、基本動作を誤らせます。 二足歩行を素早く行った結果、手に持った竹刀が素早く動く。 竹刀を持たないときは簡単にできるのに、竹刀を持つと上手くいかない。 これが意識の仕業です。 これから先生の文章の抜粋を書き込みます。 何か閃いたら!是非本を買って読んで見て下さい。
ページ35〜36から。 ()内は西村の意見。 1,中段から一歩前進の間に適当な対角線活動をすれば、それが一拍子の打ちとなる。 (昔、岩手の剣道連盟の会長が「剣道は一歩前進して打つのだよ!」と言われていたことを聞いたことがある。) 2,動きの第一波は左腰から起きる。 その波は丹田と左手にほとんど動じに伝わる。 左手は左手の腰の移動に連れて前進開始。 (この左手の前進を少し遅れる様にタメた分がバネの様な瞬発力となる。) 右腕もこれに連れて運動を起こし、対角線の法則に従って前進を開始する。 3、右腰も左手と呼応しつつ、あるいは技の種類によって、やや遅れたりして第一波を感じ、前進を始め右足もこれに連れて進む。 4、やがて、右足が着地する頃、左手は左手は引き手に変わり、右手は押しての本領を発揮して、三味一体となって、左足の着地を迎えて一拍子の打ちを完了する。 (これは自分で歩いて見て、手足の動きを観察すればすぐ判る-西村) (この引き手の終着点が鳩尾の高さで、左脇が締まることによって急激な引き手になる。) (この引き手になる瞬間は竹刀が正に面に当たる瞬間で、さらに右手が押し手になる。)(この引き手と押しての作用がハンカチ程度の茶巾を前後にしごく手つきに似ている。) (軽く絞り込みながら、前後に手元でしごく--茶巾絞り-西村も風呂場、台所で何度も実験してみましたし、お茶の作法、お点前も見せて頂きました。) 5,この動作は始めから終わりまで呼気で打つことが大切である。 丹田の力が抜けるから。 (西村は入り身は吸気で打ち身は呼気と思っている。) (以前に、古川先生とお話したことが合って意見が一致した。) (榊原先生も同意見だ!) (呼気で入っていくと、相手が緊張に入って行くが、吸気で入り身になると相手が緩む。) ((吸気で入ると気配が消える。吸気と呼気の転換が難しい。) (吸気で胸を開きながら気配を消し体を進め、左足が蹴り足になったと呼気となり一瞬に胸をすぼめ胸を降ろしながら胴体力を使いながら一瞬に打つ。)
先生は剣道の専門家として剣道を指導しながら58歳までこのことに気がつかなかったと書いておられる。 しかも、これを知らずして母校でその専門家を養成していたことは、何と不思議なことだろうと述懐されている。 西村は日本で早くから歯の噛みあわせと顎の動き、それと姿勢の関係を研究していた。 咬合と重心の関係など学会で発表してきた関係で、早くからそれに気がついていた。
○「故人は教えて言う、一歩前進して打て。」 ○右足の着地と同じに左足が引きつけられ、その時左手の引き手が利いて冴えた打突となる。左右の足が運ばれる間に自然に左手の押して引き手が働くのである。 これが剣の完全操作である。
(以前、岡田さんが左足の引きつけに気をつけていると言われた。これが結果として左手の引き手を強め冴えのある打ちを目指したのだと思う。 矯正動作とすれば正解だと思う。 そこで、西村が左足が蹴って前進すれば、左足は意識しなくても自然に引きつけられると言った。 そのように人間は歩いているから。 左足が流れるのは右足、右肩が勝って前進した結、左足、腰が引きずられることになると言った。 左足が体を前進させる前に、右足が先に前進してしまうからだと思う。 出来れば矯正動作が必要でない、自然な動きをすれば良いと思う。
多くは竹刀に意識が行き、体を前傾させ腕で竹刀を操作し打ちに行く。 コツはその逆で、重心をスーッと前に滑らせ機が熟したと時、一気に左足を蹴って、胸の動体力を使って「石火の打ち」で面を打つ。 その時自分の胴を相手にぶつけるような感じで前進する。 左拳は相手の鼻っ柱を摺り上げる勢いで進む。 その瞬間、右手手首、同じく肘は緩み自然に振り上げとなる。 右手はほとんど引き上げに参加せずに、左拳の押し手が押し上げとなっている。 未熟者はほとんどこの逆動作になっている。
竹刀を持っている意識を捨てれば、体を相手にぶつけに行った結果、知らない間に見事な面を打っていたと言う結果になる。 『竹刀を持つのを止めたら!』と言う忠告がここに生きる。 ○刀を使う時、即ち摺り上げたり応じたリするときは、柔らかくなっている手首を中心に働かせ、力の入っていない柔らかな両拳をを茶巾絞りの要領で、右を押し手、左を引き手として極めて迅速に握りしめる。 打突の時は刀が將に相手に触れようとする解きに、茶巾絞り・押して・引き手の要領で極めて迅速に握りしめる。
以上。 次回は「相手のわきまえぬ内に心を得る」を書きます。 相手の動きの予知です! 乞うご期待!
本日、ご紹介いただきました「腰と丹田で行う剣道」が届きました。 読んで見ると私には理解しずらいのです。 左腰から左手に動作が移り、右足が前に進むと対角線ですと 右手は後ろに行くはずですが、左手と一緒に前に進む。 右足の着地と同時に左足がひきつけられるわけですが このとき対角線ですと左手は後ろに行くはずです。 この足と手のバランスがわかりませんが 西村先生いかがでしょうか。
左腰を右にひねる時振りかぶり、竹刀を振り下ろすときは 右腰を左にひねるということでしょうか。
教えていただければお願いします。
先ずゆっくり動作をお大きくして数歩歩いて見ましょう。 左足が身体を進めようと軽く蹴りに入ります。 その時、左手が前に出ようとします。 これは左側の蹴り込みのために、上下のバランスをとる反作用です。 このため強く蹴れば、自然に左手も強く押しだされます。 さて、貴方が今一番疑問の右手が後ろに行くはずです。 そうです、歩けば当然右手は後ろに行きます。 ここで、片手で得物を持てば自然にそうなります。 しかし、ここからが(刀)竹刀を両手で持つという、世界的に他に例を見ない日本独特の剣道が発達した事から混乱が発生しました。
《右手は後ろに行くはずですが、左手と一緒に前に進む。》 この時、右手は竹刀を持っているわけですから手を後ろに行くことが出来ません。 そのため右手は竹刀を持ったまま、肘と手首を緩めてそれに対応します。 それ故、竹刀の初動は左手の押してから始まります。 その時右手は竹刀の動的支点の一部になりながら軽く上方に動きます。 これが判らない人は右手が引き手になって右肩で竹刀を引き上げようとします。 ここが竹刀操作の最初の迷路です。 二足歩行の自然な動作の結果として竹刀を振り上げ、下ろす動作としての竹刀操法 の結果面を打つのが腰で打つ面です。 しかし、意識が竹刀に強く行き、手で竹刀操作をすると肩を使った右手が引き上げの動作が初動になります。 これが抜けない人はどんなに当てるのが上手く手も数段止まりで終わります。 運動神経の特に良い人は六段まで行きますが、七段は先ず無理です。
『序の頁15〜16行・両手で一刀を持つ日本剣道には迷路があって、誰もが苦労をしているが、左手に押してがあることに気付かない人が多く、押してといえば右手のそれであると誤解をしている。』
さて、貴方の面打ちの初動は両手で突きだしているのではないでしょうか。 それは刺し面の要領であって、打ちの要領ではありません。 初動は左手の押し出しで、その時一瞬右手は緩み手(後ろに行けない分、前進動作の邪魔をしないように)なります。 それだから、剣先(竹刀の先)は上に弧を描き上がっていきます。 これが左足の蹴りに応じた初期の手の動きです。
《右足の着地と同時に左足がひきつけられるわけですが このとき対角線ですと左手は後ろに行くはずです。》 右足が着地しょうとする力、方向はそれが強い程、右手の押しが強く作用します。 実際に歩いて少し強く右足を床に踏み込んで見て下さい、そうすると良く判ります。
貴方の疑問の左手が後ろに行くはずです。 そうです、歩行ではその通りです。 しかし、現実には両手で持った竹刀で面を打つわけです。 左足の引きつけの時はこの左手の後ろに行くはずの動きが、左脇を締めながら左拳が鳩尾の方向に引きつけられます。 これが引き手です。 右手が後方に行けないので緩んだ様に、左手を後方に行く変わりに左拳を鳩尾に引き込む動きとなって竹刀を動かしている。 『36頁4〜5、右足が着地する頃、左手は引き手に変わり、右手も押しての本領を発揮して三味一体となって左足の着地を迎えて一拍子の打ちを完成する。』 この最後の操法の右手押しだし、左手引き手が「茶巾絞り」と言います。 面に当たる瞬間竹刀の先は前方への移動から急速に加速をつけ下方に進み冴えた強い打ちになります。 両手を伸ばした面打ちは、最後の当たる瞬間に左手の押しが邪魔になり、急速にその速度を落とします。 これが刺し面の触る、当てる剣道です。 当たる瞬間に加速されるか、減速されるかが当てる剣道と、切る剣道の差です。 触れに行く剣道と切りに行く剣道の違いは、当たるときの竹刀の先の角速度によります。
全日本の選手権試合に出る程の人も、この辺りを誤解している人が多い。
これは実際刀で切ってみれば極く簡単に判ることですが。
二足歩行の原理が腰の動きはそのままで加速、スピードといった動作の素早さに変わっただけですが、両手で持った竹刀で相手を撃つといった合目的に手の動きが変形されたのです。
この説明で判るように、竹刀の打ちのはやさ、強さは足の動きの速さ強さによって決まリます。 決して腕力ではないことが理解できるはずです。 あし、腰の切れが竹刀の動きを決定します。 (これに胴体力の利用がこれを加速します。)
今日の説明はこれまで。 判らなければ、何度でも質問して下さい。
『前回の説明はよくわかりました。 ただ一つ疑問なのは、打突を左腰から動かすと言うことです。 左手から運動を起こしても、結果として相手に正対するし、 飛び込んでも左で取りに行く気持ちがあれば、同じようなことになりそうな気がするのですが、やはり左を意識して左腰から運動、つまり回転させるつもりでやらないといけないのでしょうか。 なぜ足や手から運動を起こしてはいけないのかお教えください。』
洸ちゃんの問題点はここが理解できない所ですね! 体の運用、腰で打つということは次の事です。、しなりを質量の少ない腕、竹刀に伝搬することです。 質量が小さくなっていく過程でエネルギーはスピードの変化となって行きます。 ムチの先のスピードが信じられない程早いのはそのためです。 ゴルフのスイングの時腰の回転のエネルギーがヘッドスピードになっていきます。 学生時代私の学校は医科・歯科の大学でした。 テニス部がサーブをしているのを見ていました。 全く素人ですからテニスのサーブはそんな物と見てました。 あるとき高 身体が弓の様にしなり、そのしなりがを利用した体の動きの結果として最後に手首を介してラケットに力が伝わってました。 その結果当たった玉のスピードは当校の学生の玉の物とは比べ物になりません。 ピッチャーがクイックモーションで投げる玉と、十分腰を入れて投げる玉とは威力が全く違います。
さて、剣道の初心者は竹刀を持つことで、右手に力が入り、早く当てたい気持ちから右足が先にでようとします。、体が開いてしまいます。 ともかくこの説明はやって見せないと難しい。 竹刀は身体が前進した結果その力が手に最後に伝わって行くのです。 片手で得物を持つ場合には簡単に自然な動きが出来ますが、両手で持つから難しいのです。 それで強い中学、高校は身体が両手で竹刀を持って自然動きとして身に付くまで打ち込み稽古をします。 もうフラフラになっ意識がもうろうとするころ、手の力もなくなってしまった頃に始めて、身体が両手で竹刀を持って面を打つ自然な動きを掴むのです。 ここまで訓練をされないととても身に付きません。 それにはかなりな強制力が必要です。 さて、おとなになってこのような稽古は出来ません。 それ故分解してひも解いています。 さて、ここからは考えてはいけません、頭でしないで身体を動かして身に付るほかありません。 矯正動作としては以前書いた方法があります。
上級者になると身体にほとんど意識が行かないようになります。 それでも、八段の先生になっても、膕に意識を持つように心がけると聞きますが。
『つまり回転させるつもりでやらないといけないのでしょうか。』 ここの理解の仕方が西村には全く判りません。
体の中心の動きが先で、その結果手足が動くのです、 先に手足が動いてしまうと手打ち、蝿叩きの動きにしかなりません。 結果として動くはずの物を先に動かせば、初心者が手足をバタバタさせて水に沈んで行くような推進力につながらない動きになります。
西村先生 まず、大きく腕を振って歩いてみました。 次に、左手に短い、軽い竹刀を持って歩いてみました。 其の竹刀に右手を添えて、上下素振りをしながら歩いてみました。 左足の歩みを右足を越えないように歩いてみました。 頭の中で意識をしないと面打ちができませんが、 なんとなく、わかるような気がしました。 無意識に動くようにするには時間がかかるとおもいました。
気が付いたことですが、私の面打ちは竹刀を上げたとき、 左手を押し上げ、右腕で引いていました。 そして、右足が着地するときに右腕は強く押していました。 この右腕を引くことは不要だと気が付きました。
ありがとうございました。
『気が付いたことですが、私の面打ちは竹刀を上げたとき、 左手を押し上げ、右腕で引いていました。 そして、右足が着地するときに右腕は強く押していました。 この右腕を引くことは不要だと気が付きました。』
これが気がけば七段への道は近いです。 剣道家が間違いの元です。 西村は剣道をしながら、竹刀を持っているのを忘れて面を打つことが良く有ります。 体を一瞬に相手にぶつけに行って、その瞬間にただ切ると意識するだけです。 見事に入ることが多いです。
右手の引き手が身体のバランスを崩させます。 そして、小手を打たれる要因です。 本来歩く時はこの瞬間は右手が後方に行き、それに釣られ右肩が下ろうとする傾向の時です。 少し肩を揺すって歩いて見て下さい、良く判ります。 このときに肩に力が入って前方に動けば、本来の歩行の原理を壊す、足を引っ張る作用になります。 腰足腰の動きが手を動かす原理です。 その結果として竹刀を持った手に自然に力が伝わります。 必要のない力が抜ければ体の動きも、竹刀の動きにも冴えが出てきます。 良かったですね! 実際動作をしてみると良く判りますよね! ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古11/14から。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年11月14日(木) 全剣連合同稽古11/14
今日は原田源次先生は盛岡で行事がありお休み。 そのせいか、気が張った気分でない。 仕事のアポイントも考慮していなかったので、武道館に着いた時は六時を過ぎていた。
一応防具を着けた。 今日は先生方も少ない様だ。 山根先生が八段と稽古をしていた。 山根先生の方が相手を見えている様な感じだだった。 しかし、さすがは八段思い切った面を打ち数本は面に乗って打っていた。 攻めが甘いと山根さんに胴を切られていた。 この八段でどのくらい使えるのか見てみようと思って並んだ。 剣道はそれほど強くないし、上手さも無い。 ただ言えることは年齢の割には大きな、捨てきった面を体ごしに打っているのには感心した。 割に高齢で上手い強い七段は沢山いるが、大きな捨てきった体ごしに打てる足腰を持っている先生は少ない。 その点、八段になるだけの足腰をもっていると感じた。 並んで見ているうちに手の打ちは殆ど読めた。 もうすぐ西村の番だたが、列を離れ青木君との稽古にした。
青木君は何か頭の中でモヤモヤと考えているらしくい。 打つ前に体が西村に合図をして打ってくる。 そこをストンと打たれる。 西村が攻め甘く打とうとすると、竹刀の先で胸突きで止めるのは立派だッた。 一足一刀から打ち間に入った時、スッと西村の右足が出ているが、彼はその右足の出が無いままに、はじける様に手足が一緒に打とうとする。 そこを西村が左足で蹴って面を取る。 彼の竹刀の目標は面布団だ。 そのため、竹刀が当てにくるだけで、打ち込む(切り込む)威力が無い。 そのために西村は右手が咽を突き刺すように打つようにと指示した。
二人の打ちの違い。 力学的にのみ説明すると。 西村は攻め合った後、打ち間に入り右足を前方にす滑らせる。 やや重心を沈め、左左の足は膕のたわみ、膝の緩みで床を十分掴んでいる。 そこで、右足が体の前方に出しながら重心の位置を左足から遠い前方へ移していく。 そうすると、蹴った力のベクトルは床に比較的平行に働き、前方への強い速い推進力として働く。 彼の場合は右足が上がった時は蹴った時なので、重心は左足に近い処で蹴るので、そのベクトルはやや上方への方向性が強くなる。 腰が浮いてしまう。 打つべき対象物の方向へ進んでいない。 この違いが若さとスピードをもってしても、打たれてしまう事になる・
今日のように落ち着いた稽古をすると、後からゆっくり思い出される。 後で、ゆっくり考えて反省をして、次回に繋げて下さい。
高野さんとの稽古。 前回から体が右に流れず、体が浮かず良い打ちになっている。 今回も腰が良く前に出ている。 惜しいのは竹刀が面布団を狙っている。 打ちが軽い! そこで、右手を咽に突き刺す様に振り下ろす様に言った。 するとどうだろう! しっかり打たれ応えのある面に変わった。 この面を打ちましょう。
雨ちゃんとの稽古。 今日はやや右に流れていた。 雨ちゃんは感性が高いので、御互いが相打ちで打ちあうとき途中で負けたと無意識が気づき体が逃げる。 西村の攻めに無意識が逃げている。 西村が体ごと面に打ち込むと、真っ正面のぶつかりを避けている。 西村が胴を突きに攻めた時は、体は逃げずに真っ直ぐ打ってくる。 打たせてあげた時も真っ直ぐに打ってくる。 体の大きさの意識が働いているのかもしれない。
打つときは自分の胴を相手にぶつける位に面を打つと良いかもしれない。 相手に胴をぶつけに行ったら、面を打っていた、そのくらいの気分でしたらどうだろうか。
最後に時間が短かかったが、私の稽古を見ていた方が稽古に来られた。 先ほど八段とも結構良い稽古をされていた先生だ。 向かい合って見ると肩に力が入り、打ち気がかなり強い。 そこで、スッと入り身で面を見せ、振りかぶろうとするところを小手。 そのつぎは相手はやたらに、後打ちであるが打ってきた。 腰が崩れず何本も打てるには、良く稽古をさているらしい。 太鼓が終了の合図を示す。 その後も一二本頂いた。 この先生は剣道は強いが打ち気が非常に強い。 相手が打ち合ってくる相手ならば強さを発揮できると思う。 インファイトのファイターの感じだ。
剣道は打ちあう強さの前に、勝負は終わっている! 西村はどちらかと云うと、アウト・イン・エンドの感じだ。 スッと入り込んで打ちあう前に相手を起こして、その起こりを取ってしまう。 相手が竹刀を振り回す前に勝負は終わっている。 基本的に剣道は竹刀で打ち合う前に勝負はついているものなのだ。 それを打ちあってみて勝負をするのは、六段までだ。
西村はこれまでは中央の大御所範士八段ばかりと稽古をしてきた。 今日見た端の方で元立ちをされていた先生方、未だ大きく勇ましい面打ちの段階だッた。 未だ、剣道の本質が分かっていない。 これなら十分遣えると思った。 これから、八段元立ちの端の方から楽しみながら遣って見よう。
帰りに椎名先生へ! 「先生!もう少し研究してから稽古を御願いします。 先生の剣道パターンは西村の情報外なので、今頭で整理しています。 三四割霧が晴れて来ました。 もう少ししたら御願いします。」
帰り車の近くで。 岩立先生へ。 ダイエットの成果をズボンの緩みで見せながら。 「先生!も少し痩せて体が整ったら稽古に行きます。 お腹も大分細くなりました。 足の痛みも消えてきたので、その内稽古に行きますからよろしく御願いします!」と言った。 先生はニコニコしておられた。 ツリー全体を読む
△上に戻る ちょっと長い精神論、人生論ですが読んで下さい。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年11月15日(金) 最後の面はパーフェクトとでした。 西村が打ってこない、打たせてもらえると思って、無意識が安心しているのでしょう。 もし途中で西村があそこで打っていっても、雨ちゃんはあの面は打てると思います。
西村が引き立て稽古で面を打たせているとき、相手が良い面を打ちます。 そこで、途中で西村が打ちに行くのですが、相手は見事に打ち抜きます。 少し早く、相手が気がつくぐらいに打ちに行くと、相手は崩れます。 無意識がヤバイ!来た!と気がつくのです。 打たせてもらえるものと、有意識と無意識の意見が一致している時は、西村が途中で打っていっても相手は打ちきります。 雨ちゃんの感性は非常に鋭いので、無意識が素早く反応します。 そこで、体が逃げます。 試合などではあそこで小手を打ったり、胴に返したりすれば良いと思います。
さて、西村が考える剣道は剣道を『自己実現』の一助にしたいと思っています。 そのためには、無意識・潜在意識の活用です。 普段はこの関係を意識することは余りありません。 そのため、自分を余り見つめたり、反省すること無く、人生を社会と自己規制のなかで流して生きていってしまいます。 与えられた人生の時間は限られたものです。 それを如何に有効に使うか、使ったかは本当にしたいこと(有意識と無意識・顕在意識と潜在意識が握手をして行動する)をしたかに懸かっています。 『有意識と無意識・顕在意識と潜在意識が握手をして行動する』 この様に生きたとき、100%生きたと言います。 今、自分は100%生きていると感じている幸せ感を達成するのを、自己実現と言います。
克己(己に克つ:意志の力で自分の衝動、欲望を抑える事)と云う話しを剣道家はよくします。 真の欲望・衝動は無意識・潜在意識そのものです。 快楽を求める心は密教では、これ菩薩の境地と言います。 すべてのものは清らかで、すべて快楽を求める気持ちは、これ菩薩の境地です。 真に心が求めるもの、それが自分の本当の姿です。 多くの場合は、社会的規範、その社会環境の道徳律で自分を規制しています。 さらに多くの知識が自己防衛のために、自分の行動を規制しています。 そして、死ぬときに喰いを残しながら死にます。
西村が二年前に死を意識したとき、『人生に悔い無し!』と言って死ねる自分を知りました。
そのときの心境です。 『 信じられないような不思議な話。
一般の人には信じられないでしょうが? 先日、西村は心臓がおかしくなりました。 もう死ぬのかと覚悟を決め、自分の心の中でお葬式をしました。
先日、仕事の最中に左胸が痛みました。 その時の心情。
これはこれは! 俺は、心筋梗塞で死ぬのか! 思いいきり生きてきたな! 53年! 人の七倍生きてきた! 今死んでも何の悔いもない生き方をしてきた! あの魂だけの世界へ戻るのか!それも良かろう! 西村は24歳で一度死に、今迄おまけで生きてきた! 今世の修業はこれぐらいでいいか! 今世の西村の修業は一応完結した! 今この時点が、自分での葬式だ!
このように、静かで安らかな心情であった。
「心筋梗塞で死ぬのか!」 「それも良かろう!よう生きた!」 このことは、妻にも、子供にも告げた。 その、二日後焼津の柴原さんが歯の治療で来 院し「二日前の昼から俺の心臓がおかしい。」と言いました。こ の切ない胸の感覚は誰のだろうと思った。 それは院長だと言って、 「院長の心臓が少し傾きがおかしいから治す。」 そう言って、治してくれました。 少し欲を出して、咬合を変化させていたのも元に戻し、 咬合の状態もしっかり治しました。 咬合が心臓に来る体験を自分でしました。 その週の土曜日に人間ドッグに行ったとき、 心電図でT波が平たんの異常が有りと出ました。 これは、心臓の下の方の収縮異常との説明を受けました。 そして、精密検査を受けるように言われました。 翌週の水曜日、柴原さんが来院し「先生、まだ少しおかしいだろう!」 「心臓の下の方がふやけているから治すから。」と言いました。 私は病院での話はしていません。でも彼は知っているのです。 私を上半身裸にし私の拡大眼鏡をつけ心動をしっかり見ました。 「先生の心臓の下の方の二つの血管に脂肪が詰まってしまっている。」 血管が細いから太いのに取り換える。」と言いました。 「緊急の状態になったらいけないから、酸素を吸っていて。」と言われ、 酸素マスクをつけました。 すると彼は意識で細い血管を二つ切り取り、 お腹から丁度よい血管を取ってきて、心臓に置き換えました。 その時、私には何も感じませんがその後、胸が爽快になりました。 「これ、医者が造影検査をしたら、急に血管が太くなっているので驚くよ!」 と言いました。 東京にいる私の心臓の状態が焼津にいる柴原さんに伝搬しているのです。 そして、心臓の状態が医者が診断する以上に判り、その場で治せるのです。 そして、私は治してもらいました。 ちなみに、彼が歯医者に行って以来いつ死んでもおかしくないと言われた不整脈を、私が歯の交合調整で治した経緯が有る。 (重症の不整脈を数人治した実績が有ります。) その時、「柴原さん、貴方の歯を私に治させろ! そのかわりに私の家族を頼む!」と言って、柴原さんの歯を治してきた。 そのような経緯もある。 お金で動かない人には先に自分が出来る親切をしておくに限る。 ほとんどの人は、悪くなってから急に慌てる。
さて、今世の自分の修業としての人生はもう終わったと思ったので、 死を安らかに静かに迎え入れれる自分に気がついた。 それからこの話をすると、家族、そして多くの患者様が顔を真っ青にして「先生が死んだら、私の入れ歯は誰が見てくれるの!」 私を頼り、信頼し、助けて欲しい人が沢山いるのに改めて気がつき、 私を必要としている人の為に生きよう!と思い直した。 私を必要とする多くの人のために養生をして生きて行こう! 心底から自分の我が消え、安らかな、静かな心境と伴に、 人のために生きようとする自分が愛おしくなってきた。 これからの私の人にする親切になんの拘りもなく出来る。 これも、葛藤が無くなり楽しいことだと思う! これで、やっと思うがままに生きれる! 人のために生きる、私の新しい人生が始まった! この話しを祐子先生にした。 「先生は大事な人です。死んでいけません!」 「電話をして早急にお伺いしますと言ってくれた。」 超能力者が親身で私のことを治してやろう!生かせてやろうと言ってくれる! 有り難い事です。 西村の近況です。
佐藤先生、奥様 先日は休み時間を使って診断して下さって有り難う御座います。 夕方の疲れ具合を見たとき本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 自分の命、血液の状態を位相差顕微鏡で見せて頂いたことは、本当に良いチャンスでした。 それに、奥様も親切に指導していただきまして有り難う御座います。 感謝の気持ちをどのように表すかと悩んで、お礼が遅れました。 先ずは、先生の指導を守り、率先してこの方面を勉強、研究、実践をする。 そして、私の身体の回復を見せる事を感謝の気持ちにしたいと思います。 次に、先生御夫妻(家族)の咬合状態を西村が心を込めて調整させて頂きます。 時間が有りましたら、先生が見学に来られたときに奥様も御一緒下さい。 世界でただ一人、西村しか出来ない調整を心と愛を込めてさせて頂きます。 それから、今度の研修を精いっぱい勤めさせて頂きます。 前回研修で先生のお話、ビデオを見てから食生活が変わり、身体が軽くなり快調です。 先生のお言葉は胆に銘じて生きていきます。 有り難うござ居ました。 ここからは心の痛みが心臓に来た話しになります。 先日軽井沢で一日かけて、今回の胸のキュンとした感じの流を考えて見ました。 明らかに食生活、生き方の結果で、タフな四輪駆動のダンプの様な身体にガタが来たと思いました。 それから、過去の二回同じような事が(5年前、10年前)有りました。 今回の心の流 一生懸命に治療をして、内容証明を突きつけられた事。 嫌な患者でお断りしした事。 八ヶ月間誠意尽くし精いっぱい作った入れ歯を最後の瞬間に、材料が違うと言う思い込みで怒鳴り込まれたこと。 その後、「手術の後の不快感が治りますか。」と電話が有って、あの調子で次々と電話が有ったら困ったな!と思っているとき、目の前の患者さんがヒョットシテと思った時に胸の異常を感じた。 裏切られたとの思い、裏切られるかとの不安の胸の痛みでした。 親切が仇になって帰ってくる例です。 しかし、今回は動脈硬化の進行と、このストレストの重なり、久しぶりの人間ドック、柴原さん、佐藤先生との出会いが私に最高のチャンスとして来ました。 これらのストレス、皆様との出会いのチャンスが無ければ、命の警鐘を見落とす所でした。結果的に、患者さんへの親切が仇では無く、チャンスとして帰って来たことになります。実に、By accidentがBy chanceにかわりました。 これが無ければ、決定的な状況での発症になったと思うとぞーっとします。 起きていることは必要な事と改めて思いました。 先生にからメールを頂いた平成11年11月11日は、西村の新しい旅立ちの日になりました。 平成11、11月、11日は私の記念すべき日です。 今回の軽井沢の森田君の講演は私が研修生と身近の人々への良い出会いのプレゼントです。 そのつもりが、新生、西村の披露宴になりました。 軽井沢を楽しみにしています。
心霊治療世界一のある先生が西村村先生を死なせるわけにはいかないと云って、ヒーリングに来てくれました。(ヒーリングに金銭の授受はありません事をお断りしておきます) 先生については色々取りざたされているが、私が実際に自宅でヒーリングを受けた。 胸の上から得体のしれない血のような物が出てきて、胸が楽になった。 正真正銘のヒーリング受けた。 先週、今週と世界的なヒラーのヒーリングを受けられたことは西村の幸運です。 先生は数カ月前、Hさんと云う肝臓ガンで諦めていた人を治したが、首の凝りが辛いのと、卒中の後遺症で左手の不自由な人を連れてきた。 彼は杖をついてやっと歩ける状態でしたが、咬合調整をしたら首の凝り、肩の凝りはすっかり消え、私の開発したリストバンドを着けたら手足に力が入るようになった。 さらに、ある種の東洋医学的処置をしたら、さらにしっかりと力が入るようになり杖が無くても歩ける様になった。 この処置に関しては歯科医の超能力でした。
明日は久しぶりに三枝先生のヒーリングを受ける。 西村はさらに再生していく。 三枝先生の命を懸けた治療を受けれる幸せは誠に有り難い事です。 超能力者三人がサポートをしてくれる。 佐藤先生がサポートしてくれる。 姉が心配して義兄に連絡をしてくれた。 父変わりの世界で一番尊敬する医師義兄の助言が得られた。 もっともな事と考えを改め行動を少し変更する。
最近、昭和の武蔵と言われた中野八十二先生の構えに自分をかぶせて剣道をしています。 さて、九段候補と言われた先生との昨日の練習で、先生が振りかぶり面に打ちに入って来て、私の剣先(竹刀の先)がピクリとも動かないで突きに攻めは入ります。すると先生は振りかぶったまま打ちを止めました。もしそこで止めないで面に来れば突きか胴が決まります。それは、私の心が動いていないのに手元を上げて打ってでれば、その時点で自動的に相手の負けです。突きも胴も入ります。 それが何と三回も有りました。四回目は無理をして出てくるので私の諸手突きが決まりました。普段なら大先生に突きを入れるなんて事は私には考えられません。しかし、今の私は中野先生です。「そこはチヨット無理が過ぎますよ、と突きを入れました。」突きと言っても喉元を空けて振りかぶって出てくるから、まっすぐ攻めは入りの延長線で手元を少し前に出すだけです。ピタリと決まりました。私の攻め入っての面も一本入りました。気持ちは中野先生がやってる気持ちです。 その日はないことに、その先生から「しばらく練習に来ていなかったね。」と声を掛けられました。今日の練習は少なからず大先生に私が印象に残ったのだと思います。 そういえば、47歳で八段を受かった先生が、その年の三月に私に使われてしまった時、帰りに「西村先生の身体の大きさに使われてしまった。」と言いました。それはインドへ心の旅をして、何か違う自分のイメージガ出来あがって帰ってきて間もない時でした。両先生とも、剣道がプロ(仕事)の人達で、私は歯科医です。何か心に強いを与えた事は確かです。 イメージが十分出来ると、それ自体に強いエネルギーが発生します。相手はそれを感じ、今迄と違った反応をします。自分が変われば相手も変わる。 世界で一番多くの人にオリンピックの金メタルを与えた人、それはアメリカ人の瞑想の指導者です。スタートラインに入る前の走者が何かぶつぶつ言っていますが、それは「自分がテープを切る瞬間をイメジし、確信していく。」過程です。 ビデオを見てこんな剣道をしたいと強烈に思った時その方向を既に向いてます。 その先生の一番印象に残った部分を三十回ぐら繰り返す様に編集をします。 剣道の練習に行く前に10分程見ます。それが自己覚醒催眠の世界です。 私は練習に行く前に、中野先生の写真を3分間じーっと見てから行きます。 昨日はその成果が上手く出たようです。
その後。 島野先生ありがとう御座いました。 早速、中野先生の出突きを見せて頂きました。 連続写真で見たのとアニメ的に見たのとでは全く違います。 それから、この突きの注意事項も大切な事で配慮の程ありがとう御座いました。 これはスローであるが故に尚良く判リマす。先日の突きがしっかりとイメーに焼き付きました。 西村はいつもそうですが、構えをそのままに突きに攻め入る過程から相手の反応により 振りかぶって面、胴 コテを打ちます。 普段、下手の人には攻め勝って、突きが入ったと意識で確認したとき突くような事はしません。この突きを入れてしまうと怖がって練習をしてくれませんし、嫌われて練習相手がいなくなってしまいます。相手も面の伸びが止まってしまいます。 このような場合は、相手に面を打たせてあげて相手は面の勉強を自分は勝機の勉強をしています。相手の腕が少し鋭いと、たいていは胴を打っています。 相手が五〜六段ぐらいなら剣先(竹刀の先)が突き垂れに触れた瞬間に竹刀を引きます。 相手が七段ぐらいだとそのまま突いたり、遠慮したり色々です。 相手が七段ぐらいだと、最近は相手の手元が上がりきった所のコテを打つときが多いです この遠慮がなくやれる相手との稽古は全ての五官が冴えた感じになります。 多分に剣術的殺気立った要素が有りますが、その後お互いの爽快感は格別です。 あるレベルになると、振り上げが甘ければ突かれる覚悟の練習も必要かと思います。 この突きは私の得意ですがめったに本気ではやりません。 試合では咽横に外れて面を打たれる事が多いので要注意です。 今回は両者の攻めは入りの鼻に大先生が先に手元を上げてしまいました。 私の心は平静で、「いかに大生でもそれは、チョット無理ですよ!」こんな感じの突きでした。 中野先生が突かせてくれた突きの様です。
{本題はこれからです。} 何故、ここまで出来たかが本題です。 先日、仕事の最中に左胸が痛みました。 その時の心情。
これはこれは! 俺は、心筋梗塞で死ぬのか! 思いいきり生きてきたな! 53年! 人の七倍生きてきた! 今死んでも何の悔いもない生き方をしてきた! あの魂だけの世界へ戻るのか! それも良かろう! 西村は24歳で一度死に、今迄おまけで生きてきた! 今世の修業はこれぐらいでいいか! 今世の西村は一応完結した! 今この時点が、自分での葬式だ!
このように、静かで安らかな心情であった。 このような事が有った数日後の剣道の練習での突き技であった。 歯の噛み合せを変えた結果、心臓に来たので今は噛み合せを戻し、元通りに元気です。 私は自分の人生の生き方、心の変化の見えない部分を剣道を通して確認しているだけです。 死をも安らかに受け入れる心情になると、剣道の攻め合いなど屁の河童。 命を懸けた人生の生き様に比べたら、剣道の修業など屁の河童。 西村の剣道観です。
今日は全国大会に出る選手と練習をした。 彼は思いっきり面を打ってきます。 私が正中を取ってびくともしていないのに、大きく面に飛びます。 当然の結果、私の突きが入ります。別に胴にとっても良いのですが! 問題は私が相手のどこを攻めているかも判らず、打てもしないのに手先で面を打ってきます。腰が入っていれば胴ぐらいに取ったのですが! すると五本ぐらい突きが入ったでしょうか。 今度は相手が無気になって突きに来ました。 180センチぐらい有る立派な身体です。 私はそのまま突かせました。 突き垂れには一本も入らず、全部私の胸に直接当たりました。 今、私の胸は五本程真っ赤な突き後が有ります。 次に、私は胸を出し、突きにこさせる気で面を打ちます。 相手は突きを出せずに、私に面を打たれます。 相手に突かせて、面を唐竹割りに取る覚悟で出ますと、相手はその気に押され居着きます。 面を打つときはこのぐらいの気で打ち込まないと一本の面にならない。 結局、五本ぐらい入りました。 彼は気の強さ、むっこう気で懸かって来ます。 しかし、彼には死にに行く覚悟がない。 練習後彼が挨拶に来たとき「私は好きで突きを入れたわけでは無い、貴方の甘さを指摘してあげようと思って何本も突いてあげた。」「それを無気になって突き返してきては剣術だ!」 「同じ突きを何本も頂いた意味を考えないと剣道にならない!」 判ったような顔をしていた。 本当に判っていれば突いてあげた事も、突かせてあげた事も生きるのだが!
それにしても突きがない前提で面を打つ剣道が多い。 乳井先生が嘆いておられた。「突きや、足がらみが危険でいけないなんて言ってたら、婦女子のスポーツだ。こんな事ぐらいでは死にやしないのに!」 「全く、あってこ剣道になってしまった!」 「ラクビーやサッカーの方がずーっと男らしいスポーツだ。」 「剣道はどうなってしまったのだ!」
試合はさておき、男を磨く気位で剣道をしてみてはどうだろう。
経営者 人生の方がずーっと厳しい。 その辺が判れば剣道はもっと良くなると思う。
追加 佐藤先生からいただいたメール。
From: 佐藤 堅司 <BRB03452@nifty.ne.jp> To: okichan@oak.ocn.ne.jp
西村先生 メールありがとうございます。お待ちしています。 午前中が1時で終わりますから その後よろしくお願いいたします。 「大切な先生です」と声を掛けましたら 細川先生・柴原さんも 駆けつけて下さる事になりました。 血液検査+位相差顕微鏡にて生血検査そして経絡測定の後 食養指導、食箋を作るところまでいきたいと思います。 そして 実行、健康へ・・・
*** 御病気について ***
まずは 過去の生き方と食べ物と食べ方を止める事が 前提条件です。 病気は反自然的な生活の結果であり 誰のせいでもなく 全て身から出た錆です。 従って 今までの生活を「悔い改め=食い改め」以外には 病気を治す方法はなく その後にも 常に感謝できる心を持つ事が大切であります。
御法度のこころを起こさないように 日常の生活の中で---憎む・嫉む・妬む・羨む・疑う・迷う・怒る 心配・不平・不満・呪う・咎める・いらいら・せかせかする心--- を起こさないようにすること。もし起こったらすぐに断ち切ることが 非常に重要です。 御法度の心は新皮質がギラギラ強く働いている状態で 顕在意識もいいとこで、病気は悪くなっても良くはなりません。 ですから間違っても引きずってはいけません。 御法度のこころを起こさずに、すべての出来事に感謝と畏敬の念で 生活をすることが、病気とは関係ないように見えますが、 その人の意識つまり波動・バイブレーションを左右しますので 実は極めて大切なことであります。
全て先生が日頃から言われている事だと思います。 最後に一言「やらんのなら 考えなかったといっしょじゃ!!」 いつまでも みつめさせていただきます。
佐藤堅司』
剣道は普段見えない本当の自分を見せてくれます。 面を打つと決めた自分は『その心は本物か!』 それが、捨てた打ちが出来たかどうかです。 体が逃げるとき、有意識と無意識が握手をしていないことが分かります。 そうすると、自分の人生本当に心の命ずるままに生きているかと疑問を持ちます。 それが自己の発見です。
有意識と無意識が握手をして、『心が打て!』と命ずるままに面が打ちきれたか。 稽古でその達成度はどのようであったかを問います。
雨ちゃんの小柄な体で、西村の気と体を突き破って面を打つ、これが自己の心の一体化では無いでしょうか。 そうすると、人生は思うように生きれるのではないでしょうか。
西村は毎日、いつ死んでも悔いのない生活を送っています。 寝るとき、今日を良い一日だったと満足して寝ています。 剣道の稽古の時、今日も剣道ができる、ありがたいことだと感謝の気分で剣道をしています。 稽古で如何に相手が変わろうと、自分自身であったかを検証しています。 打った、打たれたは余り意識にありません。
夫、人間の浮生なる相を、つらつら観ずるに。 おほよそはかなきものは、この 世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。 されば、いまだ萬歳の人身をうけ たりといふ事をきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形態をた もつべきや、我やさき、人やさき、けふともしらずあすともしらず。 おくれさき だつ人は、もとのしづくすえの露よりもしげしといへり。 されば、朝には紅顔あ りて、夕には、白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふ たつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたへぬれば。 紅顔むなしく変 じて、桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属あつまりて、なげきかな しめども、更にその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野 外におくりて夜半のけむりとなしはてぬれば。ただ白骨のみぞのこれり、あはれ といふも中々をろかなり。されば人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば 。 たれの人も、はやく後生の一大事を心にかけて。 阿弥陀仏をふかくたのみまい らせて、念仏もうすべきものなり。 あなかしこあなかしこ。
最後の念仏の処を取れば、全てに通じると思います。 父の死の時のお経を聞いたとき、これが記憶に強く残りこれ以後『死』を意識し、毎日悔いなきよう生きたいと思い今日に至ります。
悔い無き生き方は、自分の心に従って毎日100%生きることです。 その%を剣道の稽古が教えてくれます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 脅しは攻めでは無い! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年11月4日(月) 攻めが判らない人が多い。
八段の一次に受かった位の人でも、大きく竹刀を振り上げれば相手が驚くと思っている。 西村にかかると手元を大きく上げれば小手、咽を見せれば突きと最小の動きで相手を制することが出きる。 剣道は先に打ちに走った方が負け、先に手元を上げた方が負けの原則を御存じない人だ。 このようにいくら稽古をしても、下手は驚くから入るが、上手の相手には通用しない。
攻めとはイメージである。 この波動が相手に伝わると、相手はそれに反応する。 ただしこれには強い波動と、鋭い感性が必要十分条件だ。 次のレベルでは、攻めは入り、打った強烈なイメージを体の内部の筋肉がそれに呼応して少し動く。 相手の感性が高ければこの微かな内部筋肉の動きを察知し、それに対抗しょうとする反応を起こす。 イメージと内部筋肉の準備の動きであって、本体が打ち込んで来ないからそれは虚である。 相手がこれに実に反応し一瞬しまったと虚に転ずる時、ゆっくり実で打つ。 相手が実のまま打ってくれば、相手に従って打つべきところを打てば良い。 そのときは返し技が効く。 余裕があれば実に実で乗って打てば良い。
同じ話しだが。 いつも西村に稽古に来る七段の六十才過ぎの先生。 今日は二回懸かって来た。
この先生は体の動きもメリハリがあり竹刀の動きも速い。 しかし、打つときに右足と一緒に右手を使って、竹刀を大きく振りかぶる癖がある。 相手が驚けば幸いだが、西村にはそうは行かない。 打とうと右手が上がる瞬間に小手、大きく手元を上げるので突き。 相手が動くたびに全て入る。 西村も相手の動き、攻めを待っていてはそうは行かない。 西村が攻めは入り、少し緩めると相手はここぞとばかりに大きく打つ。 要は十分に先を取っているから出きるのだ。 ともかく相手に吸い込まれる様に、小手・突き。 そして十分引き出し、面に竹刀が届く瞬間に返して胴を打つ。
この先生と稽古後の挨拶でのはなし。 K先生 「今日は二回も、有り難うございました。 私は同年代の七段ではほとんど私の方が歩が良く、結構入るのですが。 先生にかかると、打とうと思った瞬間小手を打たれ、振りかぶったと思ったら突きを入れられ、面に行くと胴に返され、全く歯が立たない。 先生の真っ直ぐの攻めにそのまま呑込まれてしまいます。 どうしたもんでしょうか。」
西村 「先ず貴方が自分の意志で打った積もりですが、西村に間を盗まれ、攻められ、緩められて引き出された所を全部取られています。 それと、右足と右手が同時に動いて入るので、感嘆に小手を取られます。 さらに振りかぶりが大きすぎ、相手に咽を晒すので、簡単に突かれます。 先ず自分が体の先取って相手を起こすことを考えましょう。 体の先で相手が起これば、初めて手元が打ちに行き、相手が打ってと示した部分を打つ。 それまで竹刀は動かす事の無いように。 初心者の内は先に打っていった方が勝ち。 高段者では先に打って出たほうが負け。 これは剣道の常識です。
相手に体で攻め入って、相手が起こった所を取る。 相手が起こる前に打ちに行くと、打たれる。 そこを良く研究しましょう。 『勝って打つ』教えです。 十分に勝てる相手を使って、十分に相手を嵌めて打ちましょう。 そうすると、上手の先生に攻められ、緩められ引き出される自分が見えてきます。」 Kさん 「良く判りました! 何で先生にかかると、赤子の手をひねる様にやられるのか! ちょっと研究強してみます。 有り難うございました。」
七段になっても、八段の一時に受かっているような人でも判っていない。 ただ一生懸命稽古をしても、反省、分析、研究、工夫が無いと進歩が無い。 結局は勢いと脅しで相手を打とうとする。 それではどんなに強くても、五段程度の内容の剣道になってしまう。
攻めはやくざの脅しの様な物ではなくて、弁護士が法律に則って裁判所で闘う様な物だ。 脅しと、虚実の理合の違いを理解しないと、剣道の無間地獄に嵌まってしまう。 悲しい事だ! ツリー全体を読む
△上に戻る 旧掲示板から、この項参考に! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月9日(水) 大きな推進力。
ジャンプをする時の事想定して下さい。 ほとんどの人は先ず腰と膝を曲げ、いわゆるかがんでから伸びる力を使ってジャンプする。 膝を伸ばしてはジャンプは出来ない。
今度はバレーボールのアタッカーがジャンプをするときは一度軽く飛んで落ちる力を利用して床に強く足を叩きつけてジャンプをする。
高校生が面を打つとき、一見フェイントに見えるが一度腰を落として蹴って打つ。 この腰を落とす動作を見せかけに使うとフェイントになる。
高飛びは前方への走り込むスピードを地面にやや逆方向に蹴ることによって上方への推力を得る。
相撲では相手をしたから支えあげるようにして、相手の体重を利用して相手を押しだす。 80キロの相撲取りと120キロの相撲取りがお足相撲をすると、単なる前方向に押しとすれば(土俵の滑り摩擦抵抗率は同じとする)体重の大きいほうが勝つ事になる。 体重が重いほど摩擦力が強いからである。 しかし、80キロの相撲取りが相手の回しを取って引き上げると、その時引き上げた力が60キロだとすればどうだろう。 自分の体重は140キロとなり、相手は60キロの体重になる。 相手の回しを取って引き上げたり、脇を締め相手の肘を持ち上げるように攻めれば同じことになる。
ビーチバレーではジャンプや移動が難しい。 それは動きの初めの力を砂に吸収される為である。
ここまでは前置きです。 ここから剣道の話に入ります。 誰もが面を打つとき、多かれ少なかれやや沈みます。 そうしないと蹴りに十分なバネが得られないのと、地面にしっかり蹴り込めなっからです。 そしてその蹴りが強く推力になるには、蹴った瞬間に推力方向に一本の軸状の方向に身体が緊張しなくてはなりません。 そうしないと推力は身体の柔らかさの中に吸収されてしまいます。 このとき、起立筋、屈筋、伸筋の状態が緊張するのでは無く、中立すると体幹は棒状になります。 蹴りがそのまま推力となり減衰しません。
瞬発力の発揮に必要なのはこの身体のコントロールが大切です。 そして、強く床を蹴るには体重以上に床に身体を押し付ける必要があります。 高校生はヒョイっと身体を沈めますが、それでは相手に判ってしまいます。 緩めておいた、脱力した状態から、一瞬全身の姿勢起立させていた程度の力をさらに緩めます。 すると身体は一瞬宙に浮き、落下を始めます。 この一瞬の落下の重さを体重に増加に利用します。 落ちようとする力と体重が床に強い蹴りの反作用を生みます。 高校生は大きく沈みますが、高段者になれば相手が気がつかない程の一瞬です。 このとき重心が真上にあれば、推力は真上に向かいます。 重心が前にあればベクトルの合成方向に向きます。 (平行四辺形の対角線方向) このとき、物理の慣性の法則が働きます。 そのため、この慣性の法則を破っておく必要性があります。
これは腰の高さを利用して、左腰を押しだすような感じで、重心を前やや下方に滑落するように滑らします。 この動作に筋肉の緊張があると、相手に察知されます。 滑落の表現に注目しておいて下さい。 この前方の滑落の程度は次の面を打つ動作の大きさに寄ります。 さらに左足の蹴りの摩擦にさらに強さをますためには、瞬間に右足を前の蹴り出します。 この右足の蹴りの反作用が位置のエネルギーとなって左足に懸かってきます。
剣道では強い推力よりも一瞬の推力こそが決め手です。 ここをじっくり考えて面打ちをしてみましょう。
いわゆる短距離走(100メートル走)等のスタートにおいて(クラウチングスタート) 蹴り出し盤が無くていかに一瞬を早く飛び出るかを考えて見て下さい。 それは如何に強く地面を蹴れるか、如何に強く押し付けれるか、その瞬間に如何に身体を棒状に伸ばせるかが決め手です。
自由落下、重心の前方滑落、身体の軸状の伸び、作用反作用、これらが上手に使う人が剣道の達人になっていきます。 これらが十分出来て始めて上体の体幹の胸の開閉、肩甲骨、脇の緩めと締め、肘の締め、 前腕の中筋の伸び、中筋の締めとなって竹刀にエネルギーが伝わって行きます。
武道が武術的な身体の利用方法、身体の運用があって、それを身体で表現できる人が強いのです。 老人といえど、この体の運用を熟知していれば、若いスピードのある人も敵わないのです。 武術的動きを一度、熟慮してみてください。
西村がいつも言っている、体の運用、重心の移動、、胴体力、脱力、ムチの動き、左腰の押しだし等々。 これらの事を同じように表現された本から参考部分を抜粋して書きます。
『武術とは。 武術とは本来、自然の力、宇宙の法則をその動きの中に表現しょうとするものだ。 宇宙の法則を自分の身体で表現するには、まず、それまでに自分が身に付けてしまった悪しき習慣をだはしなければならない。 それが、てっていした緩みの訓練、リラックストレーニングであり、そのような修練を経て、やがては宇宙と一体となり自由自在に動けるようになることが武術の真の目的なのだ。』
ユックリ動く意味。 姿勢や動作の要訣を正しく理解し、その要訣に従って套路を行うことで、自然の法則に適応した身体運動を身につける事が可能になります。 激しく早い動作であっても始めはユックリ行うのです。
スポーツバイオメカニックスと武術の神髄-- 「力」=[筋力」ではない。 筋肉の特徴--「動き」→筋収縮「小」でも末端には大きく作用する。 「動き」→筋収縮「小」でも末端には大きく作用する。 「重力」その偉大な「力」 「動き」→筋収縮「小」でも末端には大きく作用する。 「力」「圧力」による)→筋収縮「小」であればあるほど末端には大きく作用する。
「合理的身体運動」---「重み」の伝達
腕は前足から進化した---伸筋主導で腕を動かす 通常の人間の腕は屈筋主導であること 伸筋の運動は屈筋のような感覚を有しないこと
リラックスとは緊張を取ること--緊張に気がつけない私たち 「心」の「とらわれ」が緊張の原因 「心」と「身体」の一体性
道を極めるとは
「脱力」の極意は全てに通ず 練気柔真法 闘技を超える武の神髄 島田明徳著 株式会社BABジャパン出版局 電話 03-3469-0315 FAX 03-3469-0162
《西村注》 武術的動きの秘伝は西村の分析では、極く自然な動きである。 それは人間が重力に対し、その姿勢の中で重力線(垂線)がセンターを通る時である。 そして、我々が歩くときには、重力を感じることなく自然に歩いているように動作をすることである。 そして、歩いているときは足の「屈筋」はほとんど作用せず、重心移動の程よいタイミングで、ただ「伸筋」が軽い蹴りとなって歩いている。 手も足の進化したもので、そこには「伸筋」の作用は感覚的にほとんど感じずに使っている。 「屈筋」は感覚的、意識的に使い慣れている。 そのため剣道では竹刀を持たせると、右手の「屈筋」で竹刀を持ち上げようとする。 これが剣道の迷路にはいる第一歩である。 竹刀は左腰の推進運動の結果、左手押し出しとなり右手が緩みと相まって竹刀が振りかぶる形となる。 次の瞬間、今度は左足の蹴りが終了して、右足に近づく時(引きつけ)に右手は下に降りながら押し手となって剣先(竹刀の先)が前に伸びていく。 最後に左手の脇が締まり軽く身に近づくとき、右手押しだしで起きた竹刀の先の前方への推進力が下方に向かい角速度を増しピシリとした打ちになる。 竹刀の動きのほとんどは「伸筋」の作用である。
さて、初心者は感覚的に意識しやすい右手の「屈筋」を使ってしまう。 だから、竹刀の動かしかたの基本を教えるときは、右手「屈筋」、握りに力入らないように、新聞紙を丸めた筒で面打ちの動作を教えれば足、腰の初動の剣道感が身に付く。
次に竹刀は力で動かす物ではない。 腕の力で動かす早さ、強さには限界がある。 動作の動きエネルギーの収束化が竹刀のスピードとなって出てくる。 筋肉の収縮はこのエネルギーの伝達手段であることを忘れてはいけない。 高段者が腰を僅かに前に動かし右足をトンと床を叩く僅かな動作が、見事に手の裡の利いた小手打ちになる。 先生の軽く打った小手打ちで手がしびれたという話は、この部分が一瞬に行われた事をさす。
さて、この動作は重力をしっかり感じた足裏から始まる。 前進等の動作の基点は重力に対して抗重力の足の「伸筋」の作用から始まる。 ヒカガミが軽く伸び、膝に余裕があれば、この抗重力としての作用は一瞬にできる。 このとき重心が前に滑るように仕向けた後だと、前進の素早い推力を生む。 左踵が上がった人、膝が曲がった人はその瞬間に、その力が踵、膝に吸収され反応の弱い推力になる。 もし、このとき右足体重の人は、右足をあげ、左しに体重を伸せると云う、重心のキャッチボールをするから尚遅れる。 多くの人は右足重心、左踵あげ、左膝曲がりの悪い受条件の全てを身に付けて剣道をしている。 自分の重心がどうなっているかを考えもしないで、竹刀で相手の頭を叩くことばかり考えている。
西村が今まで何度も書いてきたが、左重心を感じそれを前に滑らせながら、ユックリ右足も滑らし体を前進させる。 このとき左足は蹴らないで、左腰を押す感じで行う。 そして、最後の瞬間に左足でユックリ蹴って、体を立てて行く時に左手を押し振りかぶり左足が右足に近づく時に右手が竹刀を押し振り下ろす。その時、左足が右足に近づく力が左手の下がりの力となるが相手の面を打つために、左腕の脇の締めにとどめる。 この動作を重力に対して、重心の位置、抗重力としての蹴り、足と手の歩行原理の動き、それに竹刀を持って面を打つといった目的動作を身体に連動した動作として教え、しみ込ませて行く。 ユックリ行うと途中の誤魔化しが直ぐ判る。 早く動作をすると人間のバランス感覚の中に誤差が、誤魔化しが埋没して判らなくなってしまう。
西村がダンスの稽古をしたときは、先生がストップと言うと、何処でもその場でその姿勢で止まれるように練習をした。 これがダンスでは大切な音楽と動きと姿勢、重心移動が一致した優雅で安定した動作になって人目を引くぐらいの踊りになる。 この練習は両手に椅子を持ち、お尻から頭まで物差しを延ばし、それを頭に紐で括り、腰、胸、首の弾力を使うことなく、膝だけでバランスをとって踊る練習を毎日何時間もした。 すると動きを膝のみでバランスをとるため、重力をしっかり意識し、重心の移動がしっかり感覚で捉えられていった。 すると、プロの動きに近づいて行った。 一ヶ月で優勝した秘訣はこの練習に物凄い時間を懸けた事による。
さて重力を感じる様になるには、自分の身体が重力を感じるレベルまで感性を高めなければならない。 それが脱力の練習だ。 じつにこれが難しい。 頬の肌、筋肉の重みを感じ、緩んだ腹のたるみの重さも感じる稽古を始める必要がある。 腕の重みで肩関節に抜けるような感覚を感じれるようにしたい。 そこまでは中々難しい。 その理由に、心が緊張すれば身体が緊張し、本当の脱力は得られない。 今度は、心を緩める方法をしら無ければならない。 そこで、呼吸法を使って丹田に意識を落し。重心と意識を一致させる。 言うが簡単だが、するは難し。
最初は簡単なジャンプ、手のブラブラ運動等から初め、左右のひねりを加えほぐして行く等の工夫をしてみると良いと思う。
次に、数度深呼吸をして、意識を落とせば顔面の緊張がとれ、能面のような顔面の筋肉を完全に緩める練習が効果的だ。
さて、ここまで書いてきたが、本格的にはよい指導者を見つけて稽古の他は無いのが実情です。 六段、七段、八段n高段者を目指す人は是非自分で試みられたい。 叉はその道の指導者に教えを乞えば、剣道を稽古する以上に上達は間違いない。
京都では希望者に手ほどきをしたいと思います。
結局どの先生の言うことも皆同じだ。 剣道家ではこの本質的な研究が遅れ、相変わらず「百錬自得」と言っている。 これからの剣道家は、もう少し効率的な理論的な方法で上達したいものだ。 仕事を持って剣道を趣味でする人には、大切な事だと思うのですが。
先輩の教師七段のIさんが、今日は風邪を引いているので、見取り稽古をしていた。 そこで西村の姿勢が変わって良くなったと褒めてくれた。 「以前は背筋を伸ばし胸を出し、少し突っ張った感じが有ったが、今はそれが消えスッキリと立っている。」 「何とも言えない良い構え、姿勢だ。」 褒めてもらた、その後良い忠告を頂いた。 「構えた時、左足がやや外を向いているのが惜しい!」とのことだ。 「だが、胴を打つとき、攻め入る瞬間は左足はま直ぐ正面をむいている。」とも言った。 「まあ!これ以外は言うこと無しだ!とも言われた。
武蔵の脱力感を表現してみると、西村の構えの角が取れてきた様です。 西村も55才でやっとここまで来ました。
今日は午前中は整体治療を三枝先生から操法、治療指導をいただく。 月に二回西村の邪気払いを先生にしていただく。
午後はホームページの改訂版を作る打ちあわせ。 それが済んだのが四時半。 それからレンガ作りの東京駅北口の五階のJR東海の剣道場に稽古に行く。 車を止めて1時間、しっかり瞑想して階段を登る。
ここには私の尊敬する永松陟先生が師範をされている。 先生の剣道は端正な品の良い剣道で有名だ。 全国道場連盟の理事でも活躍されている。
西村は時々先生に稽古をお願いする。 今日は今年始めての剣道だ。 いつもは緊張を緩め打ちに入る瞬間に小手を打たれていた。 しかし、昨年、武蔵の緩み立ちを会得して、先生に小手摺り上げ面が二本入った。 今日は、それからの自分の成長を見るチャンスだ。
先ずは次回に六段を受かるであろう、若手との稽古。 彼は感性も高く身体能力も高いから、見事な出足で小手面、面を打ってくる。 残念なのは、攻めに入る瞬間には手元が上がり、竹刀の先が飛んでくる。 打ちたい今日の稽古は東京駅で。、当てたい気持ちが竹刀先行となり、肩から突っ込んで来る。 彼が打ってくるのを見て打ちあうと、当然間に合わない。 良くて相打ちだろう。
しかし、剣道はスピードではない。 西村に捌かれ、面返し胴、面返し小手となる。 揚げ句には左右胴のあとに面。 これまでは攻めて返しての技。 次は西村が攻めに入って打っていく。 西村の腰が押しだされ右足が滑り進みかけていく。 剣先(竹刀の先)は胸元に攻め入る。 彼は苦しくなって手元を上げて面に動きかける。 その瞬間、西村は左足を蹴りだし、同時に左手が押してになって胸の胴体力で打つ。 彼の竹刀の上に乗って見事に面が決まる。 今度は少し用心している。 同じタイミングで面を見せる。 思わず釣られて面に来る。 そこを面に取る。 最後はの一本に入る。 西村が空中を飛ぶように大きく体を浮かせて飛ぶ。 そこに打ちに入ってくるので、上から大きな面が入る。 これで終了。
その次は、この相手を使っている六段の先生だと思う。 見ているとなかなか気合いが入り、厳しいい面を打つ。 しかし、対峙してみると気合いが西村に突き刺さって来ない。 西村のバリアーの中に入ってこない。 気合いが自分を奮起させる所に止まって、相手に攻め入る所までイメージが達していない。 面、小手等の打ってくる体の切れ味、竹刀の早さは見事だ。 しかし、打ちたい気持ちがグングン伝わって来る。 これが彼の欠点だ! 攻めの中に打ち気が多すぎる。 彼の課題は「攻め合いに専心する。その結果として竹刀が動く。」ここに気がつ事だろう。 この打ち気の強さが西村の手の平に乗ることになる。 西村は攻めを弱くし、相手の打ち気を尚誘う。 フッと西村が前に出る雰囲気を作ると、シメタととばかりに面に来る。 そこを返して胴を取る。 摺り上げて面を取る。 今度は西村が攻めての技を出す。 彼の動きは前者より鋭く、腰も前に出ている。 しかし、西村が右足を進め打ち間に入り、既にスタートを切った事に気がつかない。 そこで、気がついた時は一瞬遅れの面に来ることになる。 そこを西村に乗られる。 結局、彼は西村の起こりが見えず、少し遅れて気がつき打ちに出る。 これは、相手を十分な「合い気」に持っていき、それを受け止めているのに精一杯の状態にしておく。 気で張りあってそれ以上余裕が無い状態なので、西村が右足を滑し、左足の後筋で押して体を進めていることに気がつかない。 間合いを盗まれてしまっている。 これは新幹線で友との別れを惜しんで話をしているとき。 昔の汽車のガタンと連結器の音を待ている内に、新幹線のすべり出しに気がつかずに降りそこねる状態に似ている。 この状態を起こりが見えず、間合いを盗まれる状態と言う。 はっと気がつき打ちに出るが、新幹線のドアは閉まっていて、恨めしく「こんなはずでは無かったのに!」と云う感じで面を打たれる。 この状態は何度繰り返しても嵌まってしまえば、無間地獄に入ってしまう。 最後の一本も同じパターンで西村に面を取られる。
その次は、八段の1次にも受かった事の有る先輩の七段だ。 七段になって久しいから、若くて七段を取った実力者だ。 西村が七八年前に数度稽古をいただいた事が有る。 その時は打たれる事も無いが、以上でも無かった。 相手も何度も八段を受検し、思うところ有って今回は永松先生の稽古・指導を受けに来たみたいだ。 それだけに気力も充実している。 この相手には前の二人のようには行かない。 十分攻め合ったら、彼は先に大きな面に来たので胴を取る。 数本同じパターンが続いた。 攻め合っても、相手の状態では未だ打てないのに気がつかない様だ。 横から見れば相手が攻めて西村に面を打っている様に見えるが、結局は見切り発車の面打ちだ。 これがこの先生の欠点だ。 そうは云うものの西村もそうは打たせて貰えない。 最後に時間が迫ったので、渾身の小手面を打ったら見事に入りマイタッと言った。 それでこの先生との稽古は終わった。 反省 西村はほぼ打たれる事は無かった。 彼に面も数本はいったが参ったと云う一本は無かった。 最後の小手面のみが真の一本だった。 最後まで、彼の心を手の平に乗せれ無かったのは残念だった。 西村の稽古ぶり、道場での雰囲気から、彼が下からお願いしますと言った時、西村は彼を上に上げた事が少し災いした。 彼はここで気位を持ち踏ん張ったと思う。 先輩が後輩に精神的に優位に立つ雰囲気を彼に与えてしまった。 剣道は蹲踞の前から立合いは始まっていると、つくづく感じた稽古だった。 それにしても、これぐらいの相手には簡単に打ち破る気位、剣風、身のこなしを持たねばと思った。 大きな見切り発車の面が来るので、面に乗り難かったので、相手の竹刀を下げさせる算段をすれば良かった。 しっかりと突きを入れて、参ったと思わせた方が良かったのかとフット思ったが、良くしっ知っているだけに遠慮したのがいけなかったのかと反省をしきりにする。 全く知らない相手なら、あの甘い大きなヒョイとした面には突きで殺したと思うのだが。 まあ!いいか!
さて、本番の永松先生との稽古だ。 今年になってやっと稽古が出きる。 西村の成長を見てもらう積りだ。 前回は攻め入って、先生の小手を摺り上げて面が二本入った。 今回は面の相打ちで何とか面を取りたいと思った。 知ると、出小手を数本打たれる。 最後の方で面が入ったあと、先生が一本と言われた。 先生が面に打とうと胸が出た瞬間、西村の右足が滑り入った。 相打ちの形で西村の面が入った。 先生が参ったと表現され終わった。 いつになく、先生はその場面を「西村君はあれを狙っていただろう!」言われた。 先生はこのような事を言う人では無い。 しきりに、あそこで打ってしまった自分を反省して、竹刀で頭を軽く叩かれていた。 先生の今までに無い様子だった。 今日の面は正真正銘先生の起こりに乗って面を取った。 この先生の一言がそれを物語る。 古城先生に見事な面が1本入ったときも、同じ様に先生から話かけられえた事を覚えている。 心に引っ掛かる一本が入った時だ。 中田君との稽古の後も西村君の身体の大きさに使われたと言った。 田原先生も西村の貫録に乗られたと言った。 いずれも相手から先に話しかけられる。 心を制した時、相手から話しかけてくる様だ!。
まぐれとは言え、いつになく満足した稽古だった。
今日の稽古は永松陟先生。
今日は昨日の八段審査の見学もしたせいか、稽古をする相手が大切と感じている。 それで、JR東海の剣道場へ行く。 目当ては師範の永松陟(範士八段)先生だ。 前回は夏ごろに稽古を頂いた。 その時、武蔵の緩みで稽古をしたら、それまでと違った稽古が出来た。 今回は胴体力の発揮ができるかが楽しみだった。 先生の起こりに胴体力を発揮した面が三本入った。 こんなことは先生と稽古をして初めてだった。 先生はおれ!といった感じの顔をした。 稽古後、先生の方が頂きましたと言ってくれた。
こんな稽古が出来たのは始めての事だ! 武蔵の緩み、胴体力を使った胸の動きの運用の効果が上がった。 強い、鋭い打ちをする先生方は皆さん、体の自然な動きと、武術的動きが備わっている。 これを研究していけば、他の人よりもっと凄い進歩が有るはずだ。 西村はこの書込みの為に分析をしているが、それが結果的に長足の進歩となっている。
永松先生のスッキリとした面打ちと岩立先生の面打ちの感じが良く似ている。 お二人とも胴体力が十分活用された体の運用だった。 西村もやっとこの面打ちに参加出来たのが嬉しい。
そこで六段ぐらいの人と稽古をしたが、永松先生、岩立先生の様な冴えの有る面が打てた。 やっと胴体力を使った胸の運用が身に付いた。
永松先生が今日は珍しく、一足一刀の間合いからの足の運びを説明していた。 永松先生の入り身は特に見事なのだ。 側で聞いていたら日頃ぼんやりと判っていたとこだが、その説明で明確になった。 それは、西村が先生に攻め込まれていた先生の秘伝であった。 よーっし!明日から試して見よう!!
今日の稽古は永松陟先生。
今日は昨日の八段審査の見学もしたせいか、稽古をする相手が大切と感じている。 それで、JR東海の剣道場へ行く。 目当ては師範の永松陟(範士八段)先生だ。 前回は夏ごろに稽古を頂いた。 その時、武蔵の緩みで稽古をしたら、それまでと違った稽古が出来た。 今回は胴体力の発揮ができるかが楽しみだった。 先生の起こりに胴体力を発揮した面が三本入った。 こんなことは先生と稽古をして初めてだった。 先生はおれ!といった感じの顔をした。 稽古後、先生の方が頂きましたと言ってくれた。
こんな稽古が出来たのは始めての事だ! 武蔵の緩み、胴体力を使った胸の動きの運用の効果が上がった。 強い、鋭い打ちをする先生方は皆さん、体の自然な動きと、武術的動きが備わっている。 これを研究していけば、他の人よりもっと凄い進歩が有るはずだ。 西村はこの書込みの為に分析をしているが、それが結果的に長足の進歩となっている。
永松先生のスッキリとした面打ちと岩立先生の面打ちの感じが良く似ている。 お二人とも胴体力が十分活用された体の運用だった。 西村もやっとこの面打ちに参加出来たのが嬉しい。
そこで六段ぐらいの人と稽古をしたが、永松先生、岩立先生の様な冴えの有る面が打てた。 やっと胴体力を使った胸の運用が身に付いた。
永松先生が今日は珍しく、一足一刀の間合いからの足の運びを説明していた。 永松先生の入り身は特に見事なのだ。 側で聞いていたら日頃ぼんやりと判っていたとこだが、その説明で明確になった。 それは、西村が先生に攻め込まれていた先生の秘伝であった。 よーっし!明日から試して見よう!! ツリー全体を読む
△上に戻る 防具について 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月30日(月) 防具
防具はこの15年間に五組つくりました。 15年前に八幡武道具店(代々木八幡駅近く)の防具は一年間待って作ってもらいました。 約百万しましたが、これが一番良いです。 今でもビクともしていません。 その20年前に甥にそこで作った防具は私が管理していますが、今でも立派です。 (将来子供に使わせようと奇麗にして保管していました。 息子は余り立派なので使えないと云いました。 その後は剣道よりも極真空手に凝り、この八月からイギリスへ行って、向こうの高校でラクビーと空手をやると言っています。) 二つとも防具作りの最後の職人と云う人が作った物だと思います。 それからの八幡武道具店はつき合いがありませんので、今の状態は分かりません。
その後三組作りましたが、使う気がしませんでした。 乾燥させて袋に入ったままです。
この後10年前、中山武道具店(早稲田正門近く)で作った防具は、使い始めからしっくりときて、楽につかえました。
今はこの二組を使っています。
目下、九州の人に特殊な鮫胴を作ってもらっています。 五月に京都で話しをして、その後音さたが有りませんが作っていると思います。
小手は色々作りました。 相当高い物も作りました。 有名職人の小手も作りました。 西村の手は大きさよりも厚みが物凄くあるので、どんな注文の小手も窮屈でした。 そのような小手は高価でも、すぐに形崩れがしてしまいました。 実際に寸法を測って作るのですが、小さく作ってしまいます。 最近、中山武道具店でそう言って小手を作ってもらいました。 すると、向こうから大きすぎるのをつくってしまいました。 大きすぎるようなら作り直しをします、と言ってきました。 大きすぎるかなと思っていたら、今はピッタリで形が崩れません。 やっと手に合った小手に出会いました。
ちなみに垂れも特別サイズ、胴も64本ぐらいです。
((靴は甲が高く5Eでないと入りません、超幅広甲高です。 何度も注文して採寸を測って作りましたが、靴屋はゲタの様な靴は作れず、注文靴もすべてお蔵入りです、) 和服も採寸して作りますが、裁縫をする人が、まさかこれではお相撲さんの和服になってしまうと思い気を利かせた分だけ小さく、お蔵入りです。)
(洋服や、コートは外国に行った時に買えばまあまあ有ります。 スーツは英国屋等で何度も仮縫いをして、やや余裕の有るのを作っています。 西村の前腕は女性のふくら脛より太く、肩が大きく胸板が厚いので、その点を十分に仮縫いしないと着られません。)
体に身に着ける物には苦労をしています。
先日、尚武堂で清正を手に取りました。 清正の上に四つほど崩した文字が有りました。 その名前は読めませんでした。 中々しっかりした竹刀だと思いました。 その日は時間がなかったので、再度店に行く積もりです。 お知らせ有り難うございました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 10月全剣連合同稽古から 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月17日(木) 今日は全剣連合同稽古10/16(水)
今日は稽古前に青木君とお話しをする。 前回、西村と松本君の稽古のビデオをよーく見たらしい。 「松本君が先に打ちに出て、手元が上がり切らない打ちに西村の面が先に入っている。」と言った。 前回のメールでは「西村の蹴りの動きが真っ直ぐ前に出て、体が上に浮かないから早い。」と言っていた。
松本君はその場から急に蹴るので、重心が蹴り足で斜め上に上がって、体が浮く。 慣性の法則に逆らっている。 西村はゆっくりであるが、重心が既に前方へ滑落滑走をしながら動いて、それが落ちないように左腰を太ももの後筋で押している。 その後相手の色を見て、蹴りだして打つ。 慣性の法則にしたがって、さらに前方への推力があるときに蹴りだす。
西村の重い体が早く動けるには、物理の法則に適っているからだ!
「西村が打つときの右手の伸びが凄く早い事に気がついた。」と言った。 前回に胸で打つを説明したが、それは左胸の動きから左肘、左拳への力の伝達を教えた。 今度は彼は右手に気がつたらしい。 右手の伸びも同じで、右胸の瞬間の出が肘、拳に力が加わることを実際に示した。 さらに歩行の原則の説明からした。 歩行で左足を蹴るとき、左手は前に出る。 そのとき、右足は前に出るが右手は竹刀を持っているので、緩め手になる。 (右手を下の後方へ引くことが出来ないから) 強く左足を蹴ることが左手が早く前に出ることになる。 次に左足が引きつけられる早い動きは左手が体側に戻る力となり、左拳が下がり切り手の動きになる。 同時に右手が前に押しだされる動きと連動する。 それで右の押し手が早く強くなる。 この時、茶巾絞りが成り立つ。
ここで重要なことは足の力が胸の動きになり、その力の伝達手段が手であることを忘れないことだ。 そして、歩行の原則に添って体は連動している。 多くの人は力の伝達手段を動力源にしている迷宮に嵌まっている。 ゴルフは手は体の力を伝えるもので、ヘッドの重みを感じながら体の力を伝えると見事に飛ぶ。 腕っぷしでは全く飛ばない! 剣道も全く同じだ!!!
さらに重心の移動の初動をやって見せた。 岩立先生の腰、足幅内での重心移動が右前足に袴の裾が被うことを言った。 七三の左重心から足幅内でゆっくり前に重心が移動し、相手を腰で攻め、相手がそれに対抗して前傾になり後戻りが出来なくなった時、重心を右足の前に滑らせ、相手の色が出た瞬間蹴りだす。 この話しをしておいた。 青木君が岩立先生の稽古を見た後言った。 「先生は上体が前に前傾しないですね! 真っ直ぐ立ったまま面を打ちますね! 袴のところまでは見えませんでしたが、凄いですね!」 彼は良い見本を見た。 しかも、その前に解説付きで見たから、良く見えたのだと思う。
さて、原田源次先生との稽古こだ。 いつもそうだが、八段を目指す数人が西村の前に並んでいる。 西村は真っ先には行かない。 この数人の稽古振りを見ながら、意識を高め心を静めているのだ。 今日は凄い発見をした。 無意識の予備動作は先生にもあるはずだと思って観察した。 すると、今まで全く気がつかないものが見えた。
先生が小手を打つときは、ニューっと面を相手に見せる。 それもやや右寄りに前進しながら。 相手は獲物が来たとばかりに、面に飛びつく。 先生はサッと体を左に打つし、やや腰を下げ手元も下げ下から小手を打つ。 これが見事に入る。
先生が胴を打つときは、グーっと胸と頭をやや左前に出す。 そこで大きく手元をあげる。 相手はこらえ切れずに面を打つ。 先生は余り応じ技をしない。 相手の手元が上がるのをすり抜ける様に胴に切る。 これは京都で相手にこれが決り範士が来た。 (この時、相手に範士の声が懸かっていたが、この胴で原田源次先生に先に範士が来て、相手は次回になった)
特徴 行きたい方の反対側へ相手をやや誘導する。 そうすれば、体の捌きは少なくて済む。 小さく早い面を引きだすには、ニュッと面を出す。 相手は慌てて面を打つから、右手に力が入り引き手(担ぎ手)になる。 グーっと胸と頭で押しだすと、相手は覚悟を決めて面に出る。 大きく手元をあげて来るから、相手も大きくその上から打とうとする。 胴ががら空きになる。 これで返し胴の必要がない。
次は面だ。 先生が面に来るときは竹刀をやや下げ、右足を大きく滑らして入り込んでくる。 先生の竹刀の位置が低いので、無意識がこれを押さえに行く。 その次の瞬間こらえ切れずに打とうと体がやや前傾になり、頭が前に出始める。 この瞬間先生はスッと竹刀を伸ばし、竹刀の先を落とす様に面を打つ。 結局は面に打たれに来るところを面に取っている。
これが分かった瞬間から、先生にそうは打たれない。 原田源次先生の予備動作、プログラムに書き込み済みだ! 先生が胴を打つ予備動作で大きく手元を上にあげ胴に来る。 この挙げる手の小手を取れる。 先生の小手に来る動作に一瞬に反応しない。 そうすると、先生は体が捌けないので一瞬止まる。 すると面が打てる。 先生が面に来る時、先生の竹刀を追っかけずに、そのまま突きに進み先に右足をあげて面に行く。 軽いが入る。 先生の無意識の予備動作を読めば何とかなる。
これは先生の体力・気力が往年の頃のものであれば、とても太刀打ち出来ない。 胆嚢摘出、胃ガンで胃を摘出、心臓の手術が出来ない状態、右膝が痛い、血圧を下げる薬でやや貧血状態等の78才の体であるから、こちらに余裕があり先生が見えてきた。 しかし、今日は先生の体が軽く動いていた。
帰りの車の中で「先生の攻めのパターンが今日やっと分かりました。」 そして先ほどかいたようなことを言った。 「呼吸法が大切なんだよ! 特に強くて感性が高い攻めの強い奴ほど、出頭を狙っているやつほど良く引っ掛かる。 相手と呼吸を合わせ、一呼吸ずらせば、相手は引っ掛かって来る。 強い相手ほど良くかかる。」
前から「呼吸方だよ!」と云う言葉は先生から聞いていたが、今日初めてその意味が分かった。
相手と気の攻め合いが十分なされ、そして押し込む程に追い込む。 そのギリギリの時に、この引き出し動作をする。 その呼吸法とは! 原田源次先生はそこを詳しくは話されなかった。
西村的解釈 かって、古本先生に攻めは入りは呼気か吸気かと聞かれ、呼気と答え、暫くして吸気だと思うと言い直したことがあった。
御互いゆっくり長い呼気で相手を攻め、一瞬の打突の筋の緊張に備えている。 御互いが硬くなっていく。 (吸気では筋を急激に動かすことは出来ないから) そして、機を見て打つ。 これが通常のパターンだ。 攻め合は呼気だと思う。
しかし、攻め入りの瞬間は吸気で相手の呼気を吸い込む様に体を滑らせる。 相手は押しあっていた硬い壁が一瞬暖簾(のれん)の様になってつんのめる感じがし、尚且つ打ちたいところが目の前にヌーっと出てくれば無意識に打ってしまう。 だから、相手は吸い込まれるように、打って出てくる。 その色を感じた瞬間、呼気で打つ。 この時自ら死地に入る覚悟が出来ているから強い。 打たせに出る勇気、肚必要だ。 打たれたくない人、試合で勝ちたい勝ちたいでやって来た人には難しい。 ほとんど人は呼気から相手を押し込んで打とうとするから、四分六で相打ちになる。
結局は実の押し合いから(呼気の攻め合い)から、こちらが吸気に転じ虚で攻めは入る(打せに出る、引き出す、打つところを見せる)、相手はこの虚に実で反応する。 相手は体が実で打ちながら、次の一瞬しまった罠だったと気づき、虚に転じる。 そこの虚を実でしとめる。 原田源次先生の典型的パターンだ。 西村も真似をしている。 多くの八段の先生方も未だ攻めきって、押し込んで打っている様な気がする。 この様な八段は西村に裏を取られて打たれる。
参考資料 『求める味』榊原正(体育とスポーツ社) (西村とちょっと意見は違うが!) 頁17 『攻めは吸気、打突は呼気と私は言っていますが、 この呼吸法は始めは中々難しく上手に出来ない。 故に歩きながら練習をした。 (歯を軽く噛み合わせ、前歯のすき間から小さく、二三回と続けて吸う。そうすると下腹に力が入る。 呼気をしながら大きく踏み込む。) 歩きながら実施していると稽古の時、少しずつ出きる様になる。』
さて、次は久しぶりに青木君との稽古。 西村の面が何本入ったか分からないぐらいに入った。 間を盗まれてしまっている。 昇段の御祝い稽古をかねて、思いっきり面を打った。 今日は教わったことを西村が実地でやって見せた。
雨ちゃん 起こりは西村の起こりに負けない起こり、動きだった。 これは良かった!! 西村の右足が出る前に、遅れを取らない様にするのはよいが、体が前傾になり腰が残っていた。 あの時は手で打とうとしないで、足だけ前に進め、後は只打つ。 そうすれば、腰は入り、西村と空中で竹刀が斬り結ぶことになると思う。 相手によれば面が入る。 肩に力が入った面だった。 いつもの伸びが無かった。 ツリー全体を読む
△上に戻る 何も出来なかった・・・。 青木大輔 [Mail] 2002年10月17日(木) 西村先生へ
先生、こんにちは。高崎の青木です。 昨日は直接のご指導と稽古をありがとうございました。 やはり直接先生から模範を示して頂きながら指導して頂くと これまで頭の中でモヤモヤしていたものが「スッ!」としました。
また、改めて昨日教えて頂いたことをこのようにHP上でまとめて下さるので、本当にありがたいです。(自分で、まとめたものと照らし合わせながら)先生がまとめて下さった説明を読みながら、先生が実際に示して頂いた時の姿を思い出しながら稽古すればいいんですもんね!! 本当にありがとうございます。
昨日の先生とのお稽古は、久しぶりにお願いするものでしたので、審査に臨んだ時のように気合十分でお願いしたのですが、初太刀に風のような小手・面を頂戴した瞬間に「これはーもうどうしようも出来ない」と思いました。 あそこまで打ち込まれますと・・正直泣きそうでした。(稽古後はしばらく放心状態でした) これは先生が決して「怖い」からではありません。多分、自分のあまりの無力さを思い知ったからだと思います。 しかしながら、これで先日の審査で四段に合格し、少々高くなっていた鼻っ柱を綺麗に折っていただいたので、また気持ちも新たにして新しい課題に向けて頑張れます。先生、本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願いします!! 失礼致します。
追記:昨日、原田先生との稽古で先生から綺麗な胴を頂戴出来ませんでした。これは僕が捨てきった打ちを繰り出していなかったからでしょうか??後ろで見ていてくれた同僚からは「何かを狙っているような稽古だった」と言われました。確かにたまーにひょっこり「上手く打とう」とか「出てくるのを返して打とう」とか邪心が出てきます。先生にお願いする稽古の内容にまだまだ悪さがあるように思いました。次回は西村先生が稽古後に教えて下さった「腰=身体を前に押し出す、原田先生と一緒に出る!出る!!出る!!!ようにするを心がけたいと思っています。 ツリー全体を読む
△上に戻る 青木君へ! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月18日(金) 西村の原田源次先生の稽古を見て判った様に、前ほど捨てて打つ稽古のみにはしていません。 賀来先生から話しを聞いてから、師匠と言えども平常心で臨む。 この心構えで稽古をしました。
先生が体で攻めは入る瞬間、西村は足で攻め返し、先生の手元が先に挙げるのを待って打ちました。 これが今までとの稽古の違いです。
最後の一本は師匠と弟子に戻り、打てそうな一瞬を例え引き出されても、捨てきって打つをしました。 そして胴を抜かれました。 この様な「一瞬自分を捨てきって打つ」このようなことの出きる相手はそういません。 師匠だからこそ出きるのです。 捨てきれる相手との稽古は本当にありがたいです。
さて、青木君との初太刀ですが、風が吹いた様に打ちました。 入り身に全く気配が感じない打ちです。 これは西村に雑念が一切ない入り身です。 そして、膝の緩み、足首の緩みがその入り身に効いています。 「打つとも思わず只相手に身を寄せる。」 その結果、相手がボーッと立っているので、そこを打つ。
次は大きな面を沢山打たれたと思います。 完全に間を盗まれて入るのです。 雨ちゃんになると、そこを反撃してきます。 これが剣道を理解している深さの差です。
さて、貴方と原田源次先生との稽古を見ていて、若武者らしい良い稽古をしていたと思います。 先生の出頭、攻めは入りの鼻を捉えて打った面は見事でした。 今はあのような面をひたすら打つ時期だと思います。 今回は御祝い稽古なので引き立て稽古ではなく、思いっきり打ちました。 胴に捌かれ、摺り上げられ、大きい面を打たれ散々だったと思いますが、 めげないで下さい。 今回は、ダンスの様に軽やかに、優美に貴方と剣道をしてみました。 ズッーと前に云った、ダンスの様な剣道です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 足で攻めかえす。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月18日(金) ずーと前に警察大会で個人優勝した人と稽古しました。 八段を狙っている人です、凄く早い面が来ます。 その彼と西村が稽古をしたときのことです。 彼が胸を出した瞬間(打つ予備動作)に西村は右足を出します。 彼が右足を出した時、西村は左足で蹴ります。 一コマ西村の方が早いから、一瞬相打ちの様に見えるがきっちり先に入ります。
原田源次先生との稽古で、先生が胸を出しかけた時に圧倒されると先生を見てしまい、先生が右足を滑らし攻め入って来るのに慌てて打つとそこを返され、乗られます。 手術をされてから、原田源次先生の圧倒的な圧力が消え気で対抗出きる様になりました。 すると、先生の動き始め、初動、予備動作としての胸の出が判るのです。 この時先生の攻めを乗り返すように、右足を先生より早く打し始めます。 先生がその後右足を出しても、体は自分が優勢です。 そこで、先生の誘いの瞬間を取りに行きます。 これが先生に出きる様になったのは、先生の手術のあとからです。 つまり、先生が攻め入ろうとする瞬間に右足で攻め返し、相手の動きを取ることです。 足で攻め返すです。
青木君は出頭を狙っているにも関わらず、西村に完全に間を盗まれ、西村が右足を滑らし攻めは入り十分になってから反応します。 雨ちゃんは西村の右足の滑り出しの瞬間を捉え、負けじと右足を大きく出して面に捨てて打ってきます。 前はこの瞬間を逃していましたが、前回からは察知出きる様になりました。 つまり、西村の攻めは入りに、そうはさせじとばかりに面に打ち込んで来ます。 これが反撃です。
では、西村がこの反撃の対し同じ面を打っても四分六の相打ちで、一本にはなりません。 そこで、相手がこちらの出足を捕まえて一瞬面に来るところを、サッと軽く右に捌き、面を返し鍔で胴を切るように右手で胴をとります。 右手で竹刀を動かす相手ならば小手に切ります。
相手の反応が遅ければ面に乗り、反応が早ければ返して胴に取ります。 相手の右手に力が入っておれば小手に取ります。 結局相手は打つべきところを教えてくれます。 一瞬の我慢比べに勝てば次は『相手に従って勝つで』す。 この時攻めは入りに打つ所を決めていますと、読まれます。
かなり余裕があると原田源次先生の様に、自分が打ちやすいように相手を誘導することになります。
勇気と蛮勇は違います。 只打っているのは死に行くようなものです。 十分な攻め合いの結果、心が打てと命じたら心を残さず打つ、これが捨てるです。 この捨て所を失敗すれば、次に捨て所の工夫をします。 捨てて打った積もりが、引き出されていたとか。 相手の心が動かないのに打ちたくなって、打てるような気になって打ったとか。
打たなければいけないと思って打てば遠慮です。 竹刀が刀ならば「遠慮して死にに行く馬鹿げたことになります。」 よく似たことに、打った後のことを考えて最初からやや右方向へ進行方向を定めている。 竹刀は相手に向いているが体は斜めに進んでいる。 これでは勝負が始まっていません。 打った後相打ちで二人とも死ぬか、自分が勝って生き残るか、相手が勝って自分が死ぬか。 打ちあった結果は生き死になのに、その後のことを考えて打っていくのは愚の骨頂だ。 単なるゲームと考えずに『生き死にのバーチャルゲーム』と考えたらどうでしょうか。
しかし、現実には西村も本気で相手を殺しに行く稽古は遠慮しています。 稽古、ゲームではなく竹刀の殺し合いになり、殺伐としたものになります。 武術になり武道から外れます。 そこで、礼儀の上に則って稽古をすると云うことになります。 ツリー全体を読む
△上に戻る 真に打つとき。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月27日(金) 剣道の真に打つとき。
先日、賀来先生が言った。 「向かい会ったら、そこで勝負はついている。 しかし、相手がそれに気づかないから、打って示してるだけだよ。」
この手の話しを西村の経験から話して見よう。 一番最初にこの手の話しを聞いたのは随分昔の事だった。
千原先生(歯科医)が昔言ったことがある。 「相手が打たれに出てくるんだよ! そこを打つだけだよ!」 そのときは何の事だか分からなかった。
彼はPL、東海大学と進み再度歯科大に入学をした。 四年間で三回学生選手権に出ている。 全日本クラスで優秀な成績を上げた人達も、学生時代に彼には全く歯が立たなかったと聞く。 今はその人達が八段になっている。 彼に歯が立たなかった人が県警の師範になっている。 彼が八段を欲すれば、歯科医で最初に八段になったと思う。 お父さんは中倉清と優勝戦を戦ったぐらいの人だ。 血筋と教えは彼の剣道を若くて『枯れた境地』に持っていった。 20数年以上前に、私は彼と稽古をして、全く歯が立たず、20本ほど面を打たれたことが有る。 何もすることが出来ず、相手の色が全く見えなかったのだ。 七段位には勝てなかったが、六段には負けたことがなかた頃の五段の頃の話である。
それから10年間仕事が忙しく、全く剣道が出来なかった。 そして新たに剣道を始め、西村も剣道にのめり込み、『勝って打つ』意味がやっと分かった頃、相手が打たれに来ることが分かってきた。 テニスの試合で格下が一度失敗すると、自分から負けに行ってるのを見て、剣道と同じだと感じたものだ。 その頃、歯科医のパーティーで千原先生と会うことがあった。 そこで、彼に「剣道は相手が打たれに来るんだね!」と言った。 彼が言った「そこが分かれば凄い!それが剣道だよ。」 私が六段になってやっと気づいたことを、彼は学生時代から知っていたのだ。 それでは歯が立つわけがないのは当たり前だ。
次に気がついたのは柳生流の教えだ。 相手の打ってくるところを打つ。 相手が打ってこなければ隙を見せて相手に打たせて取る。 等、相手が心の動いた所を打って取ると書いてある。
その頃から、攻めはいると相手がここを打ってくれと、打つべき所を示すのが分かる様になった。 『相手に従っての勝ち』の意味が分かるようになった。
次に、黒田鉄山先生がビデオの中で「先に切りに行ったほうが負け、これは古来より定法である。」言っているのを聞いた。 先に打ちに行けば必ずそこを取られる。 これが定法なのだ! 相手の心にそれが映るからだ。 (これが映らないレベルでは、早い者勝ちのレベル。)
原田源次先生が「自分の間合に入ったら迷わず捨てて打つ。」 これは単に距離を言っているのでは無く、相手に勝った瞬間に捨てて打つを言っている。 それを、西村は相手との距離と勘違いしていた。 「自分の〜〜」意味に気がついていなかた。
最近聞いた話。 椎名先生教師八段が言った。 「剣道はヒタヒタと攻めて行くと、相手は心が詰ってきてどうしょうも無くなる。 相手が参った!と言う。 それを形で表す。 そこを打って上げるのだよ。」 なるほど先生の面はそこを打っている。 相手が心の詰りを解放するかの様に面に来ると、面を体を右に捌いて左胴、右胴と二つ胴を打ち、相手が振り向く所を面に切って落とす。 これが見事だ。 いつもこれを惚れ惚れして見ている。 (ちなみに同じ技は西村も得意だが、先生ほどの切れ味がない。)
そして、最初の賀来先生の話しに戻る。 『賀来先生が言った。 「向かい会ったら、そこで勝負はついている。 しかし、相手がそれに気づかないから、打って示してるだけだよ。」』
この心境で打ってくる相手はこちらからでは、風が吹いたぐらいにしか感じない。 相手が勝負をしていないのだから、色を感じるわけが無い。 最初から色がないのだから。 相手は色を全く感じないと思う。 これの見本が賀来先生とF先生との稽古。 さいきんでは、京都大会の立ちあい。
西村はマダマダ相手の色を誘って打っている。 誘いに色がでるから、マダマダ心理作戦の段階だ。
言葉の意味を知っていても、『百錬自得』とはこのことか。 しかし、情報としてしっかり知っておれば、百錬が五十錬、いや、もっともっと早く自得出きるのは明らかだ。 今回の書き込みが、皆さまにお役に立てれば幸いです。 かなりレベルの高い話ですが、これが剣道です。
或るとき、こんな境地でいたとき。 「自分の意識が宇宙と一体化し、自然の中に溶け込んでいる。 そして、じぶんはそこにいるだけ。 勝負も敵意も何もない。 只そこにいるだけ。 これを打とうとするのは不自然だ。 この不自然な相手の行動は手に取るように、しかも相手の心も映る。 ただ立っていよう。」 自分で全く気がつかないで面を打っていた。 相手は全く微動だにしなかった。 相手の横を通り抜けたとき、吾に返ったのだ。 その映像は3メートル右斜め上からもう一人の自分が見ていた。 相手は私よりとずーっと強い相手だった。
これは植芝翁のビデオを見て、話しを聞き感動した時、同じ境地になった時の事だった。 残念ながらたった一回切りしかなかったが。 稽古前にビデオの内容を長時間瞑想した後の全く色がない凄い面が入ったことを書いていたが、同じかもしれない。
賀来先生はいつでもそれが出きると云うことなのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 竹刀と身体動作-3 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月1日(火) 今、貴方が自ら疑問が発したのは最高のチャンスです。 西野先生の様な面をいずれ打ちたいな!と思って行けば、その内良い結果になると思います。 これは「月影」に通じる面打ちです。 右足の怪しい動きが相手を動かすコツですが、それを支えているのは左足の支えです。 左足の後筋を効かせて腰を進め、右足が怪しく動く様に、相手は不安を感じ面に来ます。 その瞬間に左足を蹴ってメンを打ちます。 状況に寄っては小手、胴と決めます。
今の面打ちでは相手が打ち気が強く直ぐに反応したり、驚く、びっくりするといった時には入りますが、六段の審査の壁を越えて来た相手には通用しません。
六段は攻めが強く打ち勝てば受かります。 七段は相手を引きだして打つ、相手を使う雰囲気がないとなかなか合格しません。 西村の指導で七段の壁を破った人が多くいます。 いずれも、技、体の運用、攻め、月影のコツをつかんだ人達です。
初心者に起きやすい面打ちの間違い。
(過去の文章を見たいときは100ラインを200ラインにすると見ることが出来ます。)
では、お話をしていきます。
始めての練習では、竹刀と身体の動きで、最初は1、2,3と拍子を取りながら練習をします。 まず、1で振りかぶり2で前に出て打ち3で下がる。 (つぎに、1で振りかぶり2で打つ、1で振りかぶり竹刀を下げながら下がる。) ともかく、竹刀を振りかぶってから右足を出して面を打つ。 これは2拍子です。 この2拍子はどんなに早くても切れ目、節があります。 1拍子にはその節目を取られます。
学生時代に始めた人で練習量の多い人は、知らない間に一拍子が身に付いています。 大人から始めると足が遅れ、振りかぶってから右足で打ちに行きます。 手は竹刀を以外に早く操作します。 振りかぶった竹刀は身体がその動作を終了するときまで、上で待っています。 早く動かせる竹刀が既に一拍子分先行しています。 強い面打ちが出来ると言って悦に入ってますが、実践では(稽古、試合)振りかぶりの途中にコテを、胴を打たれてしまいます。
この一拍子を身に付ける前に面を着けて打ちあいに入りますと、中々修正出来ません。 練習量が多く、運動神経の良い人が六段位にはなっていますが腕力で竹刀を打っています。 実際には高段者にも多いのですが。 多くはシャクって打ったり、竹刀の先で拍子を取ってごまかしています。
面打ちの分解をして書きます。 左足で腰を押し出すようにして、右足を前に進めます。 そして、その途中で左足を蹴って、さら空中を飛ぶ頃に竹刀を振りかぶります。 左足の蹴りが右足を急激に前に動かし、この右足の急激な前進によって左拳が前に出て振りかぶり動作になります。 歩くときの足の動きと手の動きの自然なバランス動作です。
次の分は、ある時に書いたものです。参考にして下さい。 リクエスとなので書きます、少し長いですが読んで見て下さい。 面打ちの基本の実際は中野先生の面打ちです。 上体が傾斜し手元の間から相手が見える位置まで十分に振りかぶり、面を打つ。 基本が十分に出来、次に相手との攻め合いの中で打つときは西野先生の様な面打ちになります。 実際には西野先生の足も待も攻め入り、ぎりぎりまで手元をあげず、相手の心が動いた瞬間(相手色が見えた瞬間)、その最後の瞬間に手元をあげて面を打ちます。 言うわ易し行なうは難しです。 西村なりに、そこに至る練習方法を開発しました。そして、指導面でも良い結果を得ていますので、紹介します。 足の動きと手の動きの差を理解していないので、手だけで打って気剣体の一致が得られないのです。手は足、腰、体の移動の三倍速く動きます。 1-足幅を60〜100センチ離し、剣先(竹刀の先)を腰(お尻)に付け、右足を固定した※この時腰が残り(へっぴり腰)にならないように十分練習する。 2-1が出来たら、同じ位置から右足を10センチ前方に出しながら面を打つ。 1、2で体の運用、腰で打つの感覚が理解出来ます。 3-1の体勢で、竹刀は正眼に構え、左足が右足の後ろに来る間に振りかぶり、振り降ろします。 1は振り降ろすだけ、3は振りかぶり、振り降ろしの二動作が有ります。 この振りかぶりの最後の瞬間に切れ目無く振り降ろしの動作がつながる、一拍の拍子 に打てる様に心がける事です。コツは振り上げの意識を消し、ただ大きく打つと意識すればそのような打ちになります。二拍の意識を捨て体の移動中に一拍子として打ちます。(石火の当たりに近づきます) 4-2と同じように右足元の足幅を狭め、その分右足進める幅を大きくします。 5-4迄十分できたら、自然体(右足の踵の位置まで、左足のつま先を寄せる位置) で正眼に構えます。 この時、四分六で左足に体重が乗り、ひかがみをを十分伸し靭帯の緊張のみで立つ。 右足を滑り出すと同時に左足で腰を押しだしながら腰を落とさないようにして前進す る。 右足が40〜60センチぐらい前進したときに、左足で蹴ると同時に一気に打つ。 最後の打つ瞬間に右足がさらに20〜30センチ前に出る、この間に一気に打ちます。 振りかぶった刀は直に振り降ろすとは、このことです。 打ち終わった瞬間は腋(ワキ)締まっていることです。 さて、腰を落とさない秘訣としては額の真ん中・印堂のチャクラから相手を観る(観 の気持ち)が大切です。 右足が出始めて、最後の1/3〜1/4の所で竹刀が一気に動きます。 ここで、左手の位置はご飯を食べるとき、左手がお茶わんを持ち上げる程度にはあげ ます。余裕が有ればもう少しあげます。 ほとんどの人は右足の動き始めと同時に、右手で竹刀を引き上げコテを打てとばかり に、竹刀を空中に浮かせて身体が前進するのを待っています。 少し強くなると竹刀が面に当たってしまているのに、腰が後方に残ったままです。 いわゆる、刺し面の様な状態になってしまいます。 手の動きは以外に速いのに先に動かしてしまって、手元の余った時間を持て余して いるのが現状です。この勘違いを正さないと気剣体の一致は得られません。 コツとしては、「打つと思うな、身を相手に早く近づけと思え」です。 「手を伸ばすより、身を近づけよ。敵打つ前、身をはやく入るる心。 秋猴の身(手の短いサル)。」がこの教えです。 未熟な私が見本を示さずとも、最高のものを西野先生が見本を示しています。 1〜5の手順を踏めば時間はかかりますが行着きます。 プリントアウトして練習の時に持っていって下さい。 その成果を聞かせて下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 竹刀と身体動作-5 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年10月1日(火) 竹刀と刀の操法について
この話しは島野君ともやり取りしたことがあります。 その時、ある剣道の大家が「竹刀を刀のつもりで持ち、そして実際に持っている竹刀の操法を研究し上手にに使う。これも修業。」と話されたと聞きました。 それで私はこの件について納得しました。
竹刀と刀 私は居合の刀の振り方に疑問を持ち、実際に真剣で切って見ないと判らないと思いました。 そこで、抜刀術を習いました。 師匠はスポーツチャンバラの代表・田辺哲人先生です。 刃筋をとうす、立てるといいますが剣道家に真剣で切らせますとそれが剣道、居合六段、七段、八段であろうと最初は目も当てられない無様な有り様となります。 全くの剣道、居合の経験の無い女性に手ほどきをして切らせますと、感の良い子なら見事に切って見せます。 剣道家は竹刀の意識を捨てるまでかなり苦労します。 そのかわり、しばらくすると後からの上達は早いです。 しかし、それは手の操法というよりは腰が出来ているからの様な気がします。 剣道関係に全く縁が無い人がかえって見事に切ります。 (ただし、切るだけで相手は据え物になっています。) (スポーッツチャンバラをして判ったのですが得物とルールが変われば全く別物になります。私も剣道のつもりでやって、最初は見事に叩かれました。) 切るというのは当てる、打つでは切れません。 切り落とすという意識で切ると見事に切れます。 刀を扱っていると、、コテ、面の連続技は何だろうと思います。 こればっかりは真剣で数年切ってみないと判りません。 もう一人の抜刀の先生は形を演じ、その位置にワラ立てると同じで形で見事に切ってしまいます。 竹刀は刀の精神を持って剣道をするものと思います。 竹刀は長く束も長い、刀は以外に短く束も短い、それで竹刀は打ちに行きますが刀は切りに行きます。 刀は以外に手もとが重く(鐔がかなり良い役目をしています)切っ先は細く、薄くなりその先端はかなり早く走ります。 それは手首のスナップでなく、重い部分の束、鐔の動きに引きずられて切っ先が弧を描き走ります。そして、刀の重みで切れます。 スナップを急に利かそうとしても鉄の重さは扱えません。 この論議は目の前にワラ、畳面を巻いたもの等を置いて、実際に真剣で切ってみて話しあってみれば本当に良い議論になります。 切れた時の感触が観念を越え、正直に刀の操法を教えてくれます。
田辺哲人先生が剣道六段、居合道六段で特に居合で試合に多く出ていたときの話し。 目の前に菊を1輪立て正座から抜きつけでエイ!と切って悦に入っていたときの事です。 結婚式に呼ばれ、居合を披露して欲しいと頼まれました。 先生曰く「素人は恐ろしい。目の前に太い青竹が立ててあった。」「後の引くわけにも行かず、切りに行った。」「結果は無残にも刃が立たず、刀は曲がり鞘に入らなかった。」 家に帰って布団を頭からかぶって悔しくて寝てしまった。 彼はそれで、居合は止めて、戸山流抜刀術の門をたたき、後には良き指導者になった。 抜刀術の試合での日本一を毎年弟子から輩出させてきた。 ちなみに、居合の試合に一緒に行っていた同輩は今居合道八段の石堂先生と聞く。 さて、私も一日に刀を二本曲げて鞘に入らない思いをしたときは、刃筋を立てる難しさを味わった。布団にくるまって寝た思いがあります。 日本刀は簡単に曲がると言うことを体験で知った。
それぞれの人生観、体験によって話し、意見が出てきます。 目の前で同じ体験をして話しをすれば本当に良いのですが。 刀は結構高いのでそれでもったいなくて実行出来ない。 それで、共通体験ができない。 一度抜刀術の道場に行ってみればどうでしょうか。 ビデオでは林邦史郎先生(殺陣師、武術研究家、若駒会代表)が押し切り、引き切りを見事に表現しています。
切れる原理、切れない原理
もし剣道家、居合道家が刀で試し斬りをする機会がありましたら、恥を掻く前に思い出して下さい。叉、刀を、鞘を大切にするためにも注意を書きました。
居合の操法と抜刀の操法は同じはずです しかし、現実には居合の先生方は切る道具を使って空気しか切ってないのです。 物を切る練習をしていません。 昔の居合の先生は十分練習をしてたと思います。 今は刀が高価になって試し斬りに使えないのだと思います。
私の患者様で剣道七段、居合道七段。 ある時期まで自分で剣道場を持って剣道一筋の方の話しです。 私は彼との剣道、居合の話の中で「所で貴方の居合は切れますか?」と彼に聞きました。 彼は「今度写真を持ってきます。」と言われ。 抜刀術の写真本を持って来られました。 彼が切った見事な切り口の写真でした。 彼曰く「順番が逆でした。自分の刀の操法が切れると確信してから居合をやるべきだった。」「抜刀術で自信を持ってから居合をすれば良い居合の修業が出来たのに。」
最近の剣道家も居合家も目的物の中心で竹刀、刀を止めてしまいます。 そうすると、物をに切り込む寸前から止めにかかっているのです。 物を切るときは刀速の最大の時、かつ刃が引くか押すかの時に切れば良く切れます。 剣道、居合の人は目的物を凝視してそれを切りに行かずに、しっかり打ちに行きます。 そして、目的物の中心で刃を止めてしまうのと刃がこすれていないのです。 刀の終末の位置が切りたい物の中心ですから、最後の瞬間に止めにかかりながら当たってしまうという結果になります。 つまり、切り込む気持ちでは切れずに切り込んで止まる、切り落とす気持ちで切れば物は切れてしまいます。 ここで注意すべきことは素人は切れすぎて、刀の先が止まらず左足を切ってしまう事、剣先で地面を叩くことがたまにあります。 剣道、居合をしている人はほとんどそれはありませんが、切るときから止める意識がしっかりしすぎて切れないのです。 また、強く打っても刀のソリだけではそれほど切れません。
素人に次の原理を教え、目の前でやって見せれば彼らはその真似をして見事に切ります。 袈裟に切るときは切るワラの右から左にやや後方に移動しながら切ります。 切る物に触れる位に近づき、やや右から軽く後方左に下がりながら切ります。 体を動かし、その移動の途中にワラがあれば刀の重みだけでほとんど力はいりません。 力を入れないと刃筋は通ります、刃筋が通って引けばワラは簡単に切れます。 体の移動と刀のソリの併用で見事に切れるのです。 刺し身を切るときも包丁を手前に引きながら切るのと同じです。
剣道、居合の人は足を動かさず、体の移動しないで腕っぷしでえい!とばかりにその場で打ち込みにいく。 そして、こんなはずは無かったと頭を掻きます。 切れない原理を十分に使って切れないのです。 柔らかい、しなやかな女性の様な体の動き、刀の動きが良く切れるのです。 これは切れる原理が十分に使われているからです。
最後に心ある先生は弟子に自分の刀を貸し、たまに切ることの感触を押しえています。
剣道家に試し斬りをさせますと、手に残った感触がいつまでも残りまた切りたがります。 一度その感触を味わって下さい。 空気銃とライフル位の差が感触としてあります。そんな感じです。 そのために50万円位の刀を用意するのは難しいかもしれませんが。 もし、試し斬りをするつもりなら、刀屋にその旨を十分伝えてから買う必要があります。 最近の真剣の居合刀の多くは、その目的の為に見栄えはするように作ってありますが、必ずしも切るために鍛えてはありません。 それから切るための刀の時は二つ目釘(控え目釘)にするぐらいの注意が必要です。 切る前には必ず目釘を湿らせる等の配慮、点検が必要ですし濡れた後の刃にすぐは直に油を引き、鞘の中の汚れを直に出す事も忘れないことです。
田伐さん、反応有り難う御座います。 励みになります。 良くまとまっているでしょう。 胸の運用は五年ほど暖めていた事柄です。
伊藤昇先生の本に出会ってまとまりました。 この本は柔術家、究極の(超能力)整体師・三枝龍玄(誠)先生に頂きました。 三枝先生は養神館合気道の創始者・塩田剛三先生に昔ながらの内弟子に入って修業したプロです。
次に、足からの流を書きました、読んで下さい。 身体の中心軸を左、右、後ろ、前と連動して最後に竹刀の先に、 最大加速されていきます。
これを意識しながら、ゆっくりと体の運用の練習をして下さい。
膕を伸す。 1、左 左足で腰を押し出す。。 2、右 右足の滑り 3、左 左足の蹴り。 4、右 それが右足に連動し、 5、左 それに連動して左手を押し出す。 6、右 その時、右手は軽く振りかぶる。 7、後 肩甲骨 8、前 胸が上腕を動かし、 9、 腋と肘の運用がそれを加速する。 10、 右手が押し手で、 左腋の締めが引き手になる。 11、 最後に中筋の運用、小指の締めと親指の押し出し。 これで最後の加速が最大になる。 それらが吸気と呼気の間に起きる。 当たった瞬間に、呼気を一瞬留めて身体から竹刀の先までが 一体化しする。 次の瞬間、呼気を続けて手の内をゆるめて、次に備える。
打ち込み台等で、基本の面打ちでやってみて下さい。 手本は島野さんのホームページの西野悟郎先生の動画です。 意識をすれば、其れだけ早く身につきます。
本日、ご紹介いただきました「腰と丹田で行う剣道」が届きました。 読んで見ると私には理解しずらいのです。 左腰から左手に動作が移り、右足が前に進むと対角線ですと 右手は後ろに行くはずですが、左手と一緒に前に進む。 右足の着地と同時に左足がひきつけられるわけですが このとき対角線ですと左手は後ろに行くはずです。 この足と手のバランスがわかりませんが 西村先生いかがでしょうか。
左腰を右にひねる時振りかぶり、竹刀を振り下ろすときは 右腰を左にひねるということでしょうか。
教えていただければお願いします。
先ずゆっくり動作をお大きくして数歩歩いて見ましょう。 左足が身体を進めようと軽く蹴りに入ります。 その時、左手が前に出ようとします。 これは左側の蹴り込みのために、上下のバランスをとる反作用です。 このため強く蹴れば、自然に左手も強く押しだされます。 さて、貴方が今一番疑問の右手が後ろに行くはずです。 そうです、歩けば当然右手は後ろに行きます。 ここで、片手で得物を持てば自然にそうなります。 しかし、ここからが(刀)竹刀を両手で持つという、世界的に他に例を見ない日本独特の剣道が発達した事から混乱が発生しました。
《右手は後ろに行くはずですが、左手と一緒に前に進む。》 この時、右手は竹刀を持っているわけですから手を後ろに行くことが出来ません。 そのため右手は竹刀を持ったまま、肘と手首を緩めてそれに対応します。 それ故、竹刀の初動は左手の押してから始まります。 その時右手は竹刀の動的支点の一部になりながら軽く上方に動きます。 これが判らない人は右手が引き手になって右肩で竹刀を引き上げようとします。 ここが竹刀操作の最初の迷路です。 二足歩行の自然な動作の結果として竹刀を振り上げ、下ろす動作としての竹刀操法 の結果面を打つのが腰で打つ面です。 しかし、意識が竹刀に強く行き、手で竹刀操作をすると肩を使った右手が引き上げの動作が初動になります。 これが抜けない人はどんなに当てるのが上手く手も数段止まりで終わります。 運動神経の特に良い人は六段まで行きますが、七段は先ず無理です。
『序の頁15〜16行・両手で一刀を持つ日本剣道には迷路があって、誰もが苦労をしているが、左手に押してがあることに気付かない人が多く、押してといえば右手のそれであると誤解をしている。』
さて、貴方の面打ちの初動は両手で突きだしているのではないでしょうか。 それは刺し面の要領であって、打ちの要領ではありません。 初動は左手の押し出しで、その時一瞬右手は緩み手(後ろに行けない分、前進動作の邪魔をしないように)なります。 それだから、剣先(竹刀の先)は上に弧を描き上がっていきます。 これが左足の蹴りに応じた初期の手の動きです。
《右足の着地と同時に左足がひきつけられるわけですが このとき対角線ですと左手は後ろに行くはずです。》 右足が着地しょうとする力、方向はそれが強い程、右手の押しが強く作用します。 実際に歩いて少し強く右足を床に踏み込んで見て下さい、そうすると良く判ります。
貴方の疑問の左手が後ろに行くはずです。 そうです、歩行ではその通りです。 しかし、現実には両手で持った竹刀で面を打つわけです。 左足の引きつけの時はこの左手の後ろに行くはずの動きが、左脇を締めながら左拳が鳩尾の方向に引きつけられます。 これが引き手です。 右手が後方に行けないので緩んだ様に、左手を後方に行く変わりに左拳を鳩尾に引き込む動きとなって竹刀を動かしている。 『36頁4〜5、右足が着地する頃、左手は引き手に変わり、右手も押しての本領を発揮して三味一体となって左足の着地を迎えて一拍子の打ちを完成する。』 この最後の操法の右手押しだし、左手引き手が「茶巾絞り」と言います。 面に当たる瞬間竹刀の先は前方への移動から急速に加速をつけ下方に進み冴えた強い打ちになります。 両手を伸ばした面打ちは、最後の当たる瞬間に左手の押しが邪魔になり、急速にその速度を落とします。 これが刺し面の触る、当てる剣道です。 当たる瞬間に加速されるか、減速されるかが当てる剣道と、切る剣道の差です。 触れに行く剣道と切りに行く剣道の違いは、当たるときの竹刀の先の角速度によります。
全日本の選手権試合に出る程の人も、この辺りを誤解している人が多い。
これは実際刀で切ってみれば極く簡単に判ることですが。
二足歩行の原理が腰の動きはそのままで加速、スピードといった動作の素早さに変わっただけですが、両手で持った竹刀で相手を撃つといった合目的に手の動きが変形されたのです。
この説明で判るように、竹刀の打ちのはやさ、強さは足の動きの速さ強さによって決まリます。 決して腕力ではないことが理解できるはずです。 あし、腰の切れが竹刀の動きを決定します。 (これに胴体力の利用がこれを加速します。)
今日の説明はこれまで。 判らなければ、何度でも質問して下さい。
斬り落し(切り落し)の極意。
これは七段受験中のある先生が「西村先生はあんなにゆっくり動いて、後から打ってるのに、先に入るのはどうしてだろう。」と質問してきた。 それで、書くことにする。
切り落としは難しい、やってみたいとよく言われる。
昨日の稽古で4〜5段ぐらいの二人との稽古であった。 中々早い出足、鋭い突っ込みで打ってくる。 しかし、西村に胴を切られる。
西村が左足重心から右足重心へゆっくり体の中で動かしながら前進していく。 その延長上で右足を滑らし左腰を押しだしながら攻め入る。 触刃から交刃に入る、(一足一刀の先が触れる位置から、打ち間に入る) 相手は辛抱できずに打って出る。 その瞬間に、そこを拳を前に出して打って、面にとる。 何度やっても面が入る。 体の前進移動距離は四分六で私の前進距離が圧倒的に多い。 一人は二回稽古に来た。 以上は月影の技だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 旧、見えない、感じない、反応できない動き。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月28日(土) 見えない、感じない、反応出来ない動き。
見えない、感じない、反応出来ない動き。 昔の汽車の動き始めは機関車の引張の力が次々と連結車両につたわる。 新幹線は気が付いたら発車していた。 誰かと話をしていても汽車の動き始めは直ぐ判る。新幹線では判らない。 しかし、心静かに発車の瞬間を待っていると気が付く。 人間は相手の筋肉の一瞬の緊張を察知する能力があるようで。これは、相手の中に起きた微細な筋の 活動電位の立ち上がりを察知する能力が人間にはあると言うことです。そして、相手はその瞬間を息 を潜めて待っています。 これを逆手にとって相手の間合いに入っていく方法があります。 相手の手の平の上にコインを置いて、相手に握られないようにそれを摘み取る方法です。まず、腰の ためを作ってそこから筋の連動があると相手には容易に覚られます。 腰が一瞬固定され、そこを基点に背中、肩、ひじ手首、指先と筋肉が連動していきます。この流れは 相手に察(見られます)されます。だから、腰のためがないと良い勝負になります。いわゆる、腰に ためて瞬発力を使う方法とは違います。 筋の緊張が相手に覚られますから、筋の緊張を最小限か、緊張しないで入って行く方法は上につるし 挙げてい手の筋肉のの緊張を抜くのです。ただ手が落ちるに任せたとき、相手はその落ちる手に反応 出来ません。 目では見てるのですが意識、筋肉が反応しません。その手がコインに触れる瞬間に指で摘み、その瞬 間に手を引き上るのです。相手は感が良ければ摘む筋肉の緊張の瞬間に反応します。普通は手を引き 上げる筋肉の緊張が起きた 時に手を握ろうとします。 コツが判れば簡単な事です。面白い様に出来ます、これはフェイントの世界ではありません。反応出 来ない世界です。 私は、まあまあの腕の五、六段ぐらいの人までには簡単に間合いに入り込めます。皆が言います、先 生が何時間合いを詰めてしまったか全く判らないと。気が付いたら目の前にいる、どうしてですか? と皆は聞きます。要するに色が見えないと言うことです。 横から見ていると私が入っていくのに何故、相手は黙って見ているのか不思議な現象に見える。しか し、対た相手は気が付かないのです。身長177センチ、体重105キロの私の動きがつかめないので す。 一足一刀から竹刀で中心を割るように切っ先を少と肩を出し、胸を出し、それからユックリ、静かに 腰を(へそ)を前に入れていきます。そこで、ぱっと打つと相手はそら来たとばかりに反応します。 相手はそこを待ってます。見えない動きのコツはここで左腰の高さ(ひかがみを伸ばした高さ)を利 用し、前足のつっかい棒を静かに外して前方に滑り入ります。この時はコイン取りでは、つるす筋の 力を抜くのです。要領は同じです。 筋は緩むので起電力は発生しません。このように打ち間に入ります。そこまで入ると、相手の額のハ エをハエたたきで叩く様に、一瞬に蹴り込むと同時にただ斬るという意識で腰で切ります。斬るに必 要な必要十分な振りか ぶりはできてます。 相手はこの蹴り込みの瞬間に反応します。この反応は、飛んで火にいる夏の虫のごとく手の中に嵌ま ります。 そこで、力の差がもう少しあれば、滑り込みの途中で、脚を少し上げる様にして相手に色を(反応の きっかけを 見せます。相手はこれに反応します。相手は脊髄反射の世界に誘われたことになります。 それを見てからユックリ竹刀で斬って行きます。 これをやられると、試合の様なゲーム性は消失し、相手は頭を抱えてしまいます。 これで相手に勝ちすぎると、面白くないので誰も練習に付き合ってくれなくなります。取った、と思っ た後、相手に打たせて上げないと可愛そうです。 自分は責め入り、間の勉強、相手を乗せる勉強をさせてもらい、相手には一瞬の面に延びる打ちを体 験させてあげる。この余裕が欲しいものです。 これは「膕(ひかみ)」を伸ばすことにコツがあります。背筋を伸ばし、ひかがみを伸ばし、そして 筋肉の強い緊張に頼らないで、屈筋伸筋の平衡状態を脚に作り後は靭帯に任せ、左足に六分位体重を 乗せます。一足一刀の間合から胸を出して竹刀の先は責めは入ります。その時、足は滑り出した形で 前に出ます。これは、左足にた体重が右足のつっかえ棒が取れた形で滑るように前に出て打ちまに入 ります。相手も当然、微かな気配は察知しているので相手の胸もやや出てきます。これでお互いが打 ち間に入ったわけです。しかし、こちらは重力を利用し体が前に滑り落ちようとする原理を利用して いますから、相手が察知したい飛び込んでくる時の筋肉の活動 電位の立ち上がりが無いので相手は反応できないのです。 これは、相手からみると急激に相手が大きくなるように感じます。若し、竹刀が上で斬り結ぶ様な事 になっても移動距離は相手の倍ぐらい動いてます。 先生と練習していると急に先生が目の前に迫ってきたような感覚になって打たれるときはこれです。 しかし、これが実行出来るには相手より気が上回っていないと出来ません。相手は、私の竹刀に全力 を傾け、本 体の動きを見る余裕は有りませんから。 相手が上だと、そうか、そう来るか!と逆に見られます。竹刀に意識を取られないで相手全体を見る 余裕があ る。 相手の心は静かですから見られます。腹を練る必要性がここに有ります。相手は打ってこないで、竹 刀で受けて 胴に斬って取られます。 ここでも大切な事が有ります。見られた、心でしまったと感じます、しかし潔く、見事な胴を打たれ る様な面を打ちきることが捨てる修行です。途中で胴を庇ったり打ちを止めたりするならば、最初か ら打たないことです。 相手が強いとここの修行をさせて貰えます。 二段ぐらい差のある相手にこれを実行して下さい。そして十分通用するようになると、自分が上の先 生に逆にこれをやられていることが良く判ります。 そうすると、先生との練習で、心の踏ん張り所が見えて来ます。 その頃、同僚より半歩前進した感触を手に入れます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 旧、島野さんと西村とのやり取りから。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月28日(土) Date & Time 11/07/1998 19:45:19 Posted by 島亮
21世紀の剣道
21世紀の剣道
ずーっと、ずーっと先生に呼ばれているような想いでおりました。京都で稽古をお願いしてから4年 が経ちます が、こうして、インターネットでテキストを読んでいるだけで伝わってくるものが実感 できるのが不思議にうれしく思います。1度の稽古が素晴らしい出会いである事への感謝です。そう いえば、先生は記憶にないかもしれ ませんが、京都のサブ道場で、わたしが初めて先生の前に行っ て、「(稽古を)お願いします。」と申し上げたところ意外にも先生は「私でよろしいのですか。」 とおっしゃいました。なぜ、「私でよろしいのですか」なのでしょう。時々思い出します。そういえ ば、その前までは確か国士館の学生を相手に稽古をされており、それを 見ていた私は、失礼ながら「この先生がいい。」と感じていました。そして、戴いた最後のあの面。 このような素晴らしい事がある京都、わたしが、六段を切望したのは何よりもこの京都大会への出場 資格という 一点でした。大上段に構えた表題「21世紀の剣道」ですが故小川忠太郎先生がいつもおっ しゃっておりましたが、私には、老先生が真剣に心配されているその必至さみたいなものに身が引き 締まる思いで聞いていました。
Date & Time 11/11/1998 10:01:33 Posted by 西村雅興
剣道の昇段は目標にしましょう1
久しぶりです。島野さんの剣道に対する考え方は素晴らしいと思います。 今は、何故、貴方の年でそこまでの剣道に気が付いたのだろうか?それが私の貴方に対する興味です。 心理療法 を実践してますと気になります。貴方の場合、大変な人生の試練を経たか、素晴らしい師 匠に出会った結果なのかその両方なのか。いずれにしても素晴らしいことです。 大学を出た年、武道館の年越し稽古で貴方の先生の小沢丘先生にお願いした事が有ります。竹刀を 収めたあと先生が来られ、「貴方の仕事は何かね。」と聞かれ。歯医者ですと答えると、歯医者にし ては良い腕をしてると褒めてもらったのを懐かしく覚えています。柳に風と言う感じに先生の周りを、 ただ竹刀振っていた事をおもいだされます。 これから、受験される人たちにも参考になるかと思い少し長く書いてみます。 あるとき、京都で原田先生の京都大会での立会を見て、その時の立会の状況を説明を受けて、、叉 先生と剣道をしたいと十年ぶりに思いました。 一年に一回として、三十年に三十回士しか先生と剣道が出来ないのかと思うと、無性に寂しくなりま した。京都大会の出場資格が六段と聞き六段を取る気になりました。それで改めて十年ぶりに剣道を 始めました。大学を出た年、その頃はスピードもあり気も強く、埼玉武道館の練習では四段の時に 六段の先生が下から懸かって来ていました。五段の審査を受けに入った時六段の先生が変な顔をして いました。佐藤顕先生に一度しかお願いしていないのに、廊下で今日は見事だったと褒められました。 そんなに自信満々の時、練習で下から来ていた人が六段に受かったと言っていたので、六段には全く 興味がなかったのです。しかし、七段の先生には入らな いのです。七段てなんだろうと思っていました、何が違うんだろうと。 その頃、剣道日本の記者をしていた元早稲田の白石(弟さんの方(全日本選手権出場))が埼玉の北 浦和に道場に取材に来て、ついでに練習をしました。まだ動きも良く素晴らしいスピードで練習をし ました。さて彼が70才の通風、リュウマチ持ちの小柄なおじいちゃんに上段からコテンパンに練習 でたたかれました。彼におじちゃんの年と通風、リュウマチ持ちよ、と言ったら、かなり落ち込んで いました。彼は正真証明強いです、スピードも有ります、しかし、そのおじいちゃんの心を崩すこと は出来ないのです、彼 は私と同様に六段の先生をスピードで見事に斬って取っていました。しかし 七段に懸かるとそれが出来ない。これは何だろう!と思った事があります。 そこで、五段を取りその後すぐ開業をし、三医院を持ち従業員を125人程抱えた診療室を持ち、十 年間剣道をすることが出来ませんでした。 それが、京都で先生の立会を見て、無性に先生と剣道がしたくなって、それで六段を取ろうと思い ました。十年ぶりの剣道は見るも哀れな物でした。三段ぐらいの人に打たれ、練習三回目には肉離れ、 一カ月の松葉杖で た。それでも二カ月間の剣道の練習をして試験を受けました。 六段なんか目じゃないと思った心が問題でした。二人目小柄な人につい小手を打って抜かれて面を打 たれまし た。見事に不合格でした。その時、原田先生が隣の会場で審査されていて、筆で書いたお 手紙を下さいました。 攻め、その他何も言うことなし、立派、しかし、残念ながら体重が前足に懸かり過ぎ、それでは相手 の色が見えないし、打って出るしかない。そこを改めて再挑戦をして下さいと書かれていました。 それで、ビデオを撮ってみると肉離れをした足を庇い、右足にどっぷり体重がかかてしまい、そして 打ち気のの強い、我の強い何とも自信満々な醜い剣道家を見てしまったのです。かなり落ち込みまし た。そういうと、色んな人が注意をしてくれてましたがそんな事を聞く私ではなかったのです。ただ、 自分が尊敬する師匠の言葉だから素直に聞いたのです。良き師匠を持つことの大切さを感じました。 その年の暮れ、ある機会があり一年間心の修行をしました。七転八倒の思いをして、自分の生き方 が定まり心がやすらかになりました。そこで、診療室の二医院を閉めました。金額では一億三千万円 ぐらいを捨てたことになります。捨てるとはこんなに楽になるかとその時に気が付きました。その間 は全く剣道の練習はしていませ ん。 ただひたすら人にサービスをして何かに気づくという修行をしていました。診療室も一つになり、肩 の力も 抜けたので、また剣道を始めようかと妻に言ったら、そうしたらと言われました。 そこで、久しぶりに剣道の練習に行くと相手が良く見えるのです、手のひらに心が乗っかってくる のです。そ の時、全く刃が立たなかった七段の先生の心が見えるのです。 でも、打っていくチャンスは有りません。そこで、捨てて前に一歩出ました、すると、困った顔して 打ってくるのです。そこを面を打つのは簡単でした。 剣道も、実社会も同じでした。捨てるという意味を仕事でも剣道でも知りました。 その時の道場の練習風景は私には今までと全く違って見えました。そこで行われているものはその人 の人生の生き様の発露であり、それは私が剣道に思っていた思いとは全く違う醜悪な竹刀を持った叩 き合いでした。どちら かというと人生のうっぷんをはらす、何らかのコンプレックスの反動そんな 風景でした。 自分が少し見え始めたとき、本当に剣道の世界に入って行ったような気がします。 四カ月間練習をして、五月に六段の審査を受けました。そこで試験の前の日に原田先生から「捨て所」 を教わりました。その日先生と練習をしたとき、先生に合わなかった十数年の人生の成長を見ていただ くつもりで竹刀を交えました。 その後、立派になったと褒めてもらいました。仕事で苦労をし、心の葛藤を乗り越えて行くことは、 それは立派に剣道をしてきた事だと言われました。その翌日六段を受かりました。誰もが褒めてくれ ました。五段を取って十数年の間に練習をしたのは七カ月に満たないのです。 次には、七段を一発で取ろうと猛練習をしました。誰もが一発で受かるよ、と太鼓判を押してくれ ました。私もその気でした。試験の前の夏、税務調査がありあんまり頭に来たので、国税局、人権擁 護局、総理府行政監督書所のまで文句を言いに行きました。 その後、国税不服審判所で三年間闘いました。その間、七段審査を三回受けましたが受かりません でした。 その頃、ほとんど十本で一本も打たれない人に1〜2本打たれるのです。皆が先生優しくなった、 最近打たせてくれると言うのです。私は打たせたつもりがないのに打てれます。相手が見えないの です。自分の心に怒りが渦巻き、それが心の半分以上を閉めていると、心の鏡が曇っていると相手が 映らないのです。そこで、今は、自分では無い、と思い練習は余りしないし、審査も受けませんでし た。改めて自分捜しの旅を始めたのです。色々やりましたが、結局は勉強にはなったが心は晴ません でした。 あるとき、今は伊藤先生に会うときだと閃いたのです。そこで電話をし、そこで、先生の研修会に 参加をしました。何かを教わったのでは有りません。 そこで、自分の力で死ぬまで激しい呼吸で追い詰める事をしました。 三回めに飛びました、意識だけの宇宙の世界に。青い地球は遥か彼方の下の方にあり、私は真っ暗な 空間に意識、魂だけとなり浮かんでいました。 この時はきりと判ったのです、結婚も、税務所との闘いも色んな事は全て、叉ここに帰って来るまで の肉体を借りた修行の旅だと!その日から私は自分の精神エネルギーが相手に入っていくことが判る 様になりました。相手の前屈を柔らかくしたり、手の力を強くしたり、弱くしたり意識に力で出来る ようになりました。 ここまで判らせてくれるチャンスをくれた税務署の署員に感謝の気持ちが湧きあがって来ました。 そこっさり七千万支払いました。それが二月の終わりです。 気分も爽やかになったので、試験でも受けようかと思い、週に二三回の練習を始めました。何と相手 が良く見えることか、三月、四月と二十回程練習をして試験を受けました。前の日は、さすがに興奮 していました。翌日の審査を想定して頭を何かが駆け巡っているのです。 その時、「愛と恐れ」の本をペラとめくって読みました。明日のことは今思い巡らしても意味のな いことにフーと気が付き身体はほぐれ何か幸せな気分に包まれよい眠りに入って行きました。朝は早 くから瞑想、呼吸法をし、完全に心身を覚醒させて審査に臨みました。そして、そこで100%の出来 で受かりました。後で師匠から100点満点の150点と褒められました。 私の昇段は私の心の成長ともに付いてきました、しかし剣道の段を受けようという目標が無かった ら此の葛藤も無く、成長のチャンスも無かったかもしれません。 お金にしてみたら二億のお金を捨てた代償が六段、七段と言うことになります。 島野さんが書いていた秘伝は、私が毎朝妻のパンティーの中に手を入れる御挨拶と同じ事かと思いま す。 佐藤博信大先生の明治村四回優勝の秘伝が奥様に褒められたい一心であったり、私が先生に出した一 通の手紙で来院され、動かない肩を私が咬合治療で治したこと、その前に原田先生がはがきで私が佐 藤先生に手紙を出すことを先に連絡していたこと、先生の人柄が素晴らしく私が本気になって治療を したこと等の複合の結果が好結果になった。 すなわち先生の人柄、生き様の結果と言うことになります。 形あるものは形のない海の上に浮かぶ小舟のようなもので、小舟の動きに気をとられて入ると何も見 えないと思 います。 剣道は心の状態、人生の集大成の今の結果が竹刀を通して現れます。心が色として出て来ます。心は 直接には見 ることは来ませんが行動、動きをとして感じることはできます。 強いほうが勝ちますが、心が何処まで自分であり続けたかを問えばそれは自分の成長を見ることがで きます。強 い相手は自分の欠点を見せてくれますし、弱い相手は自分の長所を見せてくれます。 その意味では、剣道は非常に有効な自己発見、成長の手段だと思います。 此の様に書く私も、剣道は私の大切な一部ですが、ただそれだけで、そんなに大きな心のウエイトを 占めるものでは有りません。 真理療法、セラピーのプロから見た心理面からの切り口で自分をたたき台にして述べているだけです。 六段、七段を目差す人達に何かお役に立てればと思い書いてます。 (学生さんと練習を為たとき。) {国士舘の学生さんが二刀で懸かって来ました。 私が胴を打つと腕で胴を防ぎます。私は腕ごと胴を斬ったつもりなのですが、相手は腕で止めて胴は 打たれてな いと感じてるようでした。気づくように何度も打てあげたのに!残念でした。} その葛藤は、必ず貴方の飛躍へのエネルギーの圧縮となって蓄えられてます。 昇段は目標として登りましょう、目的にするとしんどいです。 目標であれば、いつも気づきのチャンスを剣道は与えてくれます。 いつも成功の道を歩き続ける事になります。 叉、お便りを下さい。 尚、面白い本が出ましたので紹介します。 私が船井三さんに紹介下人です。 不思議研究所を検索して下さい。 出版社 同胞社 著者 森田健 解説者 船井幸雄 ¥1.600 ツリー全体を読む
△上に戻る 旧、ミイさんとのやり取り。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月28日(土)
Date & Time 10/16/1998 15:45:13 Posted by me
剣道
剣道というものに不満があります。これは一見武道 のようでスポーツですよね。だから私はスポーツ剣道 と呼んでいます。 段位が上位になるほど実力よりも精神的なものが その基準になると聞きましたが、そんなものどうや って審査するのですか? 剣術を意識したことはないのですか・? ・・・と、書いてしまいましたが、 あえて送信して みます。(不思議研究所HPからやってきました。)
Date & Time 10/17/1998 03:29:36 Posted by 西村雅興
剣術、剣道についての私見
私のチャンバラ、スポーツ、剣術、剣道についての私見をホームページ剣道の項目に載せました。 項目最後のメッセージ欄です。 ここを、見て下さい。 良く判らなければ、一度私と剣道を練習しますと良く判ると思います。 手解き致します。
Date & Time 11/04/1998 11:33:10 Posted by 西村雅興
剣道全日本選手権
11/3剣道の選手権大会を見た! 宮崎は強い、でも何かがおかしい! 審判をしている先生方が望んでいる試合かな! 小手と面の打ち合いはほとんどなく、はたきあいだった様な気がする! 何故はたきあいの打ちに旗が上がるのだろう! インターハイの選手を10人ばかりあの中にいれたら! ひょっとして高校生が優勝するかも! 21年前、埼玉で国士舘の正選手と埼玉皆野高校の選手が試合をした。圧倒的に高校生が試合で勝ってしまった。 練習をすれば全く歯が立たないのに、試合では勝ってしまう! これが剣道の七不思議! 練習では「それ!なに!本気で打ってるの!腰が入っていない! それでも打ったつもり!当て合ではなく剣道をしようよ!」 そんな当たり、打ちが試合では一本になってしまう! 試合では触られれば負け! これではうっかり面も打てない! でも、全日本剣道選手権ではこのとうり。 いい剣道をしている人が勝てない! これは審判のせい! なんのせい! 全日本の選手権試合がいつものように、剣道のお手本にならないような、はたきあいの試合でした。 これ、西村の感想。
Date & Time 11/05/1998 16:09:17 Posted by me
五回優勝!の悩み・・・
決勝のシーンをニュースで見ました。どうしてもスローヴィデオ再生で放送するので、はっきりとし たタイミングが判断できないのですが、負けた剣士の方は何故に面をあけていたのか??あの詰まっ た状態からは、胴もコテもかえせない!なのに、相手の攻撃ラインから真っ直ぐ下がってしまってい るように見えたのですが、、、。宮崎剣士の中に勝利へのこだわりはあるのでしょうか?。2連覇の あとも退くことなく勝ち続けている。 トップに立ったとき、本当に自分は強いのだろうか?そんな疑問が湧いてくるときがあります。勝ち 続けてそれを証明するか、或いは、方向を変えてそれを探るか、、。 最近のスポーツの中には、ルールのある真剣勝負というのがあります。リングスという格闘技団体は 旗揚げ当時「実験リーグ」と称して異種格闘技による闘いをしていました。我こそは強い!というも のが参戦しますが、一番強かったのは遠慮をしなかった「コマンド_サンボ」でした。かなり強いと 思われる空手の選手も自己の強さを知っているだけに自己ルールの中にある禁じ手を繰り出せないと いうジレンマみたいなものを感じる試合でし た。 六段以降の昇段審査というものにどういった世界があるのか判りません。剣道をするものの中に剣 術を意識しないものはいないと思います。宮崎剣士は次の大会にも出ると思いますか?
Date & Time 11/06/1998 06:31:02 Posted by 西村雅興
来年も出るでしょう。
宮崎は来年も叉出るでしょう。 月刊剣道日本12月号の「戸田忠男.八段の修業」は貴方の疑問、考えに参考になると思います。 剣道の六段以降の昇段審査を自分が受けてみないと感じれない、理解出来ない世界の様です。 私もそこに立って初めて感じた世界です。 そこで要求されていることが判った時、初め受かる様です。 過去に何回も優勝した西川選手も試合は小手狙いで、余り感心した剣道では有りませんが、実際の練 習、審判のいない立会では立派な剣道をします。宮崎が優勝を続けることで、剣道の二面性が浮き彫 りになってきています。 審判の先生方が口を酸っぱく言っている剣道を目差さすならば、あの面で旗を揚げるべきでは有りま せん。しかし、現実では竹刀で触られたら負けになることが多いのです。実力が伯仲するとあれでも 取らないと試合に ならない。こんな所でしょうか。 明治村の八段戦を見に行かれたらどうでしょうか。 それでも、勝負がかかると結構みっともない試合も有ります。 しかし、そこには「なるほど!」と感じさせるものを見ることでしょう。 八段の先生の話は六段ぐらいにならないと良く判らない。六段んの先生の話は四段ぐらいにならない と判らな い。 二段ぐらいの違いに近づくと良く判る様になる。 それぞれの段の課題に相当するものがあり、その課題を超えた人の話は良く判るが、差がありすぎる と理解しがたいものです。 一つの道を修業するとき、そこに来ないと判らないことが多く有ります。 剣道はほかのスポーツと違うと言う人がいますが、勝敗を審判をおいてすればやはりスポーツだと思 います。 自分の内面の探求にその方向性を向けると違ったものになります。 私の師匠に六段審査の前の日に聞いた話。 「いい攻めしてるな!何時捨てるかな!あ!打ってしまった! 強いね!若いね!もう少し修行して来て下さい!」 「いい攻めしてるね!あ!面を受けて胴を打った!捨てれないね!もう少し修行をして下さい。」 「相手が攻めに我慢が出来なくなって、色が出たとき、捨てて打つ、攻め勝って打つ、そんな剣道で 六段をうかってほしい。」 私の七段の審査の審査の講評。 「いい攻めしてた!小手を見せ、攻めを緩めて引きだして小手を打ちに来させて、すりあげて面を打っ た!相手を引きだして打つ、これが七段に欲しい打ち方です。」 段が二つぐらい違う感じで相手が見えて打てればよいようです。 剣道は、勝って打つと言います。昔、そんな馬鹿な打ってみないと判らないじゃないかと言ってた私 は三段だっ たと思います。 攻め合ってるのが判るようになったのは四段だったと思います。 なんか凄く強くなった誰としても打てば入ると思って有頂天になった時期は五段の頃かと思います。 しかし、六段の先生にはほとんど負けないが、七段の先生には歯が立たない、これは何だろうと思っ た。スポーツ的な早い剣道の壁を感じた。 今、思えば早くて当たっただけの剣道で、理合の判らない時期だった様です。 基本的には現代の社会では術的要素は余り価値の無い社会になっていると思います。 警察官の剣道試合はそれが昇進、給与の上昇に直接響きます。 教員も少しその傾向が有ります。 それ以外の人には実利はほとんど有りません。 相手の頭を竹刀で叩き合って喜ぶこと自体、または殴り合いをして勝敗を決めること自体おかしなこ とです。しかし、この過程における自己の内面を観る手段だとすれば、その相手になってくださる人 に感謝を感じ、は礼くす心が生じるのは自然なことです。 それが道的要素だと思います。 同じことを三十年もすれば判ると思いますが、頭で考えても判ったつもりでしかないと思います。 「交剣知愛」の意味がしみじみと感じ初めてとき道になるのかな! 五十二歳の歯科医で体重が百キロ、身長百七十七センチ、大きくて、少しどてどてとして動きは遅い ですが、趣味として、道として剣道を楽しんでいる私と「交剣知愛」を楽しんでみませんか。 こればっかりは、考えること、観念より、感じることの方が判り易いと思います。 ちなみに、話が余りすれ違うといけませんので、貴方の剣歴、段位、スポーツ歴、優勝歴など教えて いただけませんか。 大先生に知ったかぶりの話を私がしていると失礼ですから。 私は剣道をしている同好の志として、お役に立てればと思ってかいてます。 インターネットは相手の顔が見えないので特にこの辺は気をつける所ですから。 同じ経験、体験をしてないと観念、偏見の世界に嵌まってしまい、堂々めぐりになってしまいますか ら。 選手には、選手の言い分があり、評論家には評論家の言い分が有ります。
Date & Time 11/06/1998 18:09:34 Posted by me
餅枳┛擒
段位は二段ですが、そこらの中学生にも勝てないでしょう。三段の昇段審査は興味がなくなった、、 というか、二段の昇段審査のときに判定に失望してしまったのが原因で段位へのこだわりは消えてし まいました。文字化けして読めないメールには中学生のときの話を書いていました。二年生のときで す。教員と運動クラブ(生徒)との体験交流があったときのことです。剣道の経験があったのはその ときの校長一人でした。背は私よりも7センチくらいは低く、歳も校長ですから若くはない。だいた い運動なんてもうしていないはずで、そんな思いの中で私と対戦することになりました。 構えたときに妙に低く構えるな、ちょっと間合いととらなければ、、、。確かこんな感じから始まっ たと思います。今思えば、この時点で踏み込みを制していたんだと、、、。 試合が始まり、ドンドン打って出たような記憶はありません。確かな手応えを感じながらも、決まっ てない な、、そんな想いがあり、相撃ちのような旗のあげにくい状態が続いていました。なめてい た自分が本気になろうと考えたころから、相手の打ち込んでくる小手と、つばぜり合いからの離れ際 に繰り出す胴打ちが、これまで の自分(このとき剣道経験2年)にないもので、面を着けた向こう に鬼を見たような、いえ、言葉が悪いのですが、真剣に闘うときの姿勢のような迫力?というか、小 手を斬った!胴を斬った!・・・そんな意味を、言葉 を、恐怖を、、撃ちつけてくるような竹刀でした。 いわゆる、昔の剣道だったのだと思います。感動したことを覚えています。 残念なことに、中学、高校とクラブの中で汗を流す程度の剣道は、先輩からの引継剣道で、「「強 い!」」といわれるような方との交合いは記憶にありません。先ほど赤松の木刀を振ってみたところ、、 こんな重いものを、、というのが正直なところです。
インターネットは文字だけによる会話です。この特徴は、長所でもあり、短所でもありますよね、。 この両方をうまく使って会話してみたいと思います。 <コミニケーション> これは、いかにして相手に伝えるかということを考えると、まず、相手にその経一番 で、次に相手がひらめいてくれること(インスピ レーション)、3番目が言葉(文字)だ、と聞いたことが あります。 秘伝の巻物といっても、それを読んだ者にすべてが伝わるわけではない。それは言葉では決して伝 わらない 。、、、、、。 六段以降の昇段の過程はそこらへんに関係あるのでしょうか?(・・・ぁぁ、しつこですね・・)
Date & Time 11/07/1998 07:49:41 Posted by 西村雅興
六段の審査
剣道の六段、七段、八段の昇段試験が十一月に有ります。 私の話が参考になれば幸いです。
大人になってから剣道を始めた人。途中かなりのブランクがあった人。共通の特徴が有ります。剣道 は下手で、 弱いです。しかし、夢中になって剣道をやってます。こんなに面白い物は無いといいな がら。強くて、選手で、ずーっと続けた人と違う所に価値を見いだしているようです。どうもこちら の見方の方が本来の剣道の価値を見いだしてる様です。自己成長の基準として昇段審査を受けてるよ うです。私は中学、高校、大学と選手で主将をしてきました。高校時代は本気で警察官になって剣道 で飯を食おうと思ったことも有ります。左小指が上手く曲 がらなくなってそれをあきらめましたが、 お陰で歯医者になれました。その間のに紆余曲折があり、七年、十年の2回ブランクが有ります。 先に述べた両者の中間に当たります。 強いで通して試合を中心に続けてくると、打てるが、当たるが、 勝ってない!何かす釈然とする時期があるはずです。 日本選手権で剣道日本一になると、普通は、それなりに立場を感じ、模範となるような剣道家になろ うとするも のです。 そうなると立派な剣道にはなるが、試合に勝てない剣道になる。 当たることと、相手の心が参ったと言わせる剣道の分裂が始まりますます。
多くの場合この道を進み自己の成長をはかります。 宮崎選手は少し違うところに価値を見いだしているようです。 いずれ彼もスピードが落ちれば、ばねが無くなれば、年齢がその変更を余儀なくするでしょう。 一時、上段が選手権を制した時期が有りますが、スピード、感性、タイミングが主体の剣道で試合に はかなり有 効な手段でした。しかし、当てあいの試合と違い、心の練りあいの結果としての評価が 審査基準に入ってくる 昇段はかなり難しくなってきます。とは言うものの、圧倒的に強いと受かり ますが、お互い二十年以上も強いを通して来て、地方では、その地区では先生と言われてる人達同士 の戦いですからそう簡単には打たせてもらえません。 六段、七段とも合格率は15%位です。八段なると1%です。 15%と言うと、四組八人の中で一人ぐらいで「お!」と審判が言うぐらいでないの人でないとと受 かりません。六段を受けるぐらいの人たちは皆さん強いです。立会時間は一分三十秒位です。それを 二回します。 強い同士が相打ちの面を三回すれば、それで終わりです。 強い同士も互角では受かりません、何しろ八人に一人ですから。 面に来た相手ての小手を打って当たれば、試合なら旗が上がりますが、待っていて打った小手は相手 に攻め込まれたと判断されます。此の場合の小手はマイナス評価です。攻め入って打った小手 でないとよい評価が得られません。さてその後が有ります、強いね、それで面は、と審査員は待って ます。小手、胴を打って俺は勝ったと思って見事に不合格!です。 そこで、面を見事に打って見せないと受かりません。相手も試験を受けようと、離婚騒動までして剣 道に打ち込んでいる相手です。そうは簡単に行きません。ほとんどの場合、面の相打ちで両者不合格 です。
大体の場合、練習不足で受験が二割、まままあ!が二割、なかなか出来るが二割、出来る!が二〜三 割、お見 が一割!これで受かるのが15%です。 出来る同士がが相打ちで落ちる、勝ちに行って、当てに行くと落ちる、どうすれば受かるの!ここで 皆は相当に悩みます。 試合に強かった人が受からない理由はここに有ります。 2回とも見事な立会をやってみる必要があります。 1回は上手く行ったが2回目に失敗したと言う人が多い。 上級者からみれば、欠点ははっきり判ります、良い師匠を持てばすんなりその門は通れます。しかし ここまで剣道をしてきた人たちはそれぞれ一言家で素直な所が有りません、人の注意を聞く様な人達 では有りません。 しかし、自分が師匠だと思う人の意見は聞きます。良き師匠を持たないとその門は何倍にも重く、開 くことを諦めます。 強いで通した人が六段を諦めます。俺は何本も入ったのにと文句をいってます。自分が審査を受ける のに、審査 員が何を見たがっているかも意識しない受験の態度の甘さ、傲慢さ、身勝手さが不合格 の原因だと気が付くまで 受かりません。 これに気が付くと出来る人は、強い人はすぐ受かります。一年に二回受け、5〜10回位で受かるで しょう。 私の知り合いで、六段は最年少の年で1回で受かった人がいますこれは、かなり強い人です学生時代 も強く、国体選手級です。 その人が約二十五年、年二回、五十回も落ち続けています。 オカシナ話です。その人は私が対戦した相手です。その人の剣道を見、少し話をしていれば誰もが落 ちる原因に気が付きます。ただその人はそれに気が付かず、彼には師匠が無く、誰の話も聞きません と言う顔をして人生をしているのです。もちろん、審査員が何を考えているかを考えたこともない。 こんなに落ちつ続けてもまだ気が付かない天然記念物見たいな人です。でも剣道は結構強いです。 こんな人もいます、自分からは絶対打って行かない、相手が来るのをかわして打つだけ、もう30回 落ち続けている、試しに私が打っていかないと十分間お見合い状態でした。 そこで、もう止めましょうと言って止めました。 試合強い人、特に警察官で選手生活が長い人は打たせないで打つことが上手く、それが身に付いてし まって、捨てることができない人が多いようです。警視庁のプロの剣道家がなかなか八段にうかりま せん。試合根性が身に 着いてしまったからでしょう。 しかし、かなりの葛藤の結果この根性を捨てた人は受かっているようです。 師匠に聞いたことが有ります。あの先生はあんなに強いのに何故八段が受からないのですか。ある県 警の剣道師範でした。プロです。相手を許せないんだな!竹刀の先で相手の竹刀を押さえに行く、あ れが欠点だ。それから五年後、京都の立会を師匠が見て、おい!彼は今年八段に受かると言いました。 心がゆったりしている、今年は 良い! その後、昼にその先生が師匠の剣道具を、「先に帰りますから、先生の防具を持って行きましょう。」 と言って、防具を二つ担いで帰りました。その後ろ姿を見た同県の剣道の先生方が彼も変わったもの だ!と感心しました。 その翌翌日、八段に受かりました。1%の関門を通り抜けたのです。ちょうど心のセミナーに近いも のも受け家 族が丸く収まった頃でした。 五年後、師匠に聞きました。あの先生はいつごろから変わりました。前の年からお願いしますと頭を 下げ、基本 打ち、掛稽古をしに来た。その頃から変わったかな! 六段審査の頃から、離婚騒動、倒産騒動、剣道にのめり込む余り色んなことが、ドラマが起きます。 それが人間 的に成長させる様です。まあ!仕事も同じですが! それが、超えると次の壁が来ます、。それが七段でしょうか。 その壁はもっと厚く、高いものです。あの壁を超えてきた人たちが相手ですから。 剣道の審査も六段ぐらいでは立会中に夢中になっていたのでは落ちます。相手が見えた!上手く使っ た!此の感触がないと落ちています。試合は白黒がつきますが、審査は同時黒が八割ですから。 六段、七段、八段の昇段を目的にしますと、辛いことが待っています、挫折感です。しかし、それを 目標にしその過程で起きる現象を真摯に受け止め成長に約立つことを目的にすれば誰もが成功の道を 歩き続けることができます。 私は今日、何をしに剣道に来たのか?を気分に問います。帰りの車の中でその問いにどうだったかを 問い掛けます。落ち込んだり、愉快になったり、嬉しかったりと色々あります。 若山敏弘さんから太極拳のある秘伝を教わりました。秘伝はなるほど凄いもので、それを教えた途端 に弟子は一派をなし、自分は用無しになる、それほどの物でした。 最近、徳間書店から出た彼の本に書いてあると思います。御指摘のようにそれが理解出来るにはそこ まで達してないと難しいと思います。一度読んでみて下さい。 最後に、六段以降の昇段の過程は貴方が書かれたことはもちろんですが、受験生はほそれに必要な練 習量、素質はすでにあります。そうでないと五段まで来てないし、受験をしません。 難しいことは素直に自分を評価し、人の意見、忠告に耳を傾ける生き方に人生の方向をかえることで す。 さらに、この人は私の師匠と思う人を持つことです。 剣道の強くなる秘伝は「寝間着にパジャマを着ない。」ことだそうです。その心は「何時で裳裾か ら手が出せる。」です。 気持ち良く剣道にいかせてもらえることが一番大切なことだそうです。私もそう思います。 私は毎朝女房のパジャマのさら下のパンツの中に手を入れて、御挨拶します、御機嫌いかがですか? と言いながら。 これが、私が剣道に何時でも行ける環境作りの「秘伝」です。
Date & Time 11/07/1998 09:24:26 Posted by me
いろいろと、、
考えました。最大限に言葉で説明をされていることに一礼させていただきます。 >スピードとバネがなくなったころに、、、というのが解ったような気がします。 四国の剣士、川添六段?は上段からの面打ちで無敵であったように記憶しています。スピードとバネ が日本一を制しているときです。私はここに下段からの剣術で勝ちにいきたいと想います。 川添剣士の面打ちの動きを0.1.2とすれば、こちらは0.1で小手を決めたいと想います。もち ろん払わず に、誘うわけでもなく、、、、。 ↑これは、時々考える妄想なのですが、やはり竹刀を当てにいく事を目的とした六段未満の思考で した。「月刊剣道」の本は今日は探せませんでした。そういえば、M・Yは先生のイニシャルですよ ね。なるほど・・・。 (^^)
Date & Time 11/07/1998 09:27:03 Posted by me
訂正
イニシャルは間違いでした(スイマセン (^^;)... ) ツリー全体を読む
△上に戻る 強さの評価から質の評価へ(位・格)。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年9月25日(水) 最近は仕事が忙しくなり、剣道へ行く気力が残っていない。 1〜4月の4ヶ月で一年分の収入になって喜んでいたら、5〜8月は赤字で真っ青!9〜12月で収支を元に戻すために必死で働いている。 5〜8月この頃は暇でよく稽古が出来た。 仕事をフル回転すると剣道なんかにかまっていられない。 仕事が暇だと剣道の稽古が出きる、しかし、収入が下がる。 仕事が忙しいと剣道の稽古が出来ない、しかし、収入は上がる。 たかが剣道、されど剣道。 歯科医業は正に天職。 今は天職に命がけで迫る。 そうすれば剣道の稽古の余裕が出来てくる。 剣道の稽古をしたければ、本業の安定に尽きる。
個人経営の社長業、開業医は仕事の量と質がそのまま自分の収入に直結する。 サラーリーマンの場合は間接的になってくる。 西村の所得が一千万になるか、はたまた赤字になるか。 それとも八千万、一億の所得になるかは、正に西村の意識一つにかかっている。 五千万を越すときは、命の切り売りをしていると実感する。 七千万を越えようとすると、背中や腰が痛くなり、豚のように太ってきて、 剣道は遥彼方の蜃気楼。 一億越すと半病人。 五千万以下だと余裕で仕事が出来、もう少し下げると剣道の稽古に余裕が出きる。 剣道に十分時間がとれるとき、経営コンサルタントにこっぴどく叱られる。 妻から資金繰りで文句を言われる。 七千万を越えようとするとき、その余裕をお金にしないで剣道の稽古に向ける。 収入を程ほどにして、剣道を楽しむ。 これが西村が剣道をするための必要条件だ。
若くて剣道の八段になった人を見て感じるのは、収入が安定ししている人に多く見られる。 または、ほとんど剣道が仕事の人達。 若い頃から全日本レベルの選手。 お金のことを考える必要がない、考えても動かせない人の様な気がする。 それから昇進にも余り努力が関係無い職種の人に見られる。
ここから本題。 さて、若くて八段を取った人を見ると、剣道そのものが人生そのもの、そして素質抜群で、誰が見てもそうだろうと云う人達だ。 七段戦等を見るとかっての全日本選手級の人達だ。 そこで、そこのトップは若かくて八段になる。 しかし、その後が続かないのが面白い。 警視庁、大阪府警等県警の剣道のプロが一部を除き八段になっていない。 トップは八段になれるがそ、の次に続く人達が八段になれない。 五十五歳を過ぎると過去の試合の栄光は余り関係ないような気がする。 むしろ試合に強かった人ほど八段に遠くなっている。
年がかさむ程、剣道に対する取り組み方の態度の方が優先されていく。 当てあい剣道の上手な人は縁が遠くなる。 ここが面白い。 六十過ぎの八段受験者の中に、かっての剣道選手で強豪と言われた人が沢山いるが、審査を見るかぎりに置いては余りその過去は反映去れていない。
剣道に対する取り組み方、良い師に出あったかどうか、仕事の後エネルギーが残っているか等、剣道をに関して内面と外面の環境の整った人が受かっている。
これは八段審査において、圧倒的な強さの評価(若い八段)と質的に抜きんでている評価(高齢八段)を見られるからだ。 圧倒的な強さは誰にでも分かる。 質的評価は比較で位・格が評価される。 剣道の竹刀操作においてはほぼ互角だが、それを動かす心を評価される。 これは心法の修業程度の比較となって表現される。
試合においては面を打った時に胸突きで止められても負けにはならない。 審査では明らかに格下に評価される。 相手の面をよけ胴を強く打てば試合では旗が上がり勝ち。 攻め入られて打った胴は、攻めに負けたと格下の評価。 相手の入り面に引きだし、その手元の上がる瞬間を打った小手は審査員をウーン!とうならせ、◎が付く。 攻め込み相手を居着かせて打った面は、強いね!そこで!何ができる!と問われ○。 攻め込み、相手が苦しいとき打って出てくる所を取れば、○。 攻め込み、相手が苦しいとき、スッと面を見せるか、小手を見せるか、攻めを緩めるかして、相手を引きだす、または浮かせて取れば、審査員はウーン!上手いと◎。
試合に強かった人は○狙い。 師匠に付いたり、研究をして、◎狙いの人が受かっている。 七段は○で十分、八段は◎を要求されている。 結局は技前の心の働きが出た打ちが要求されている。 ここに気を付けて稽古をした人が、ある年齢から評価を受けている。 試合で強いを通した人は○狙いで、同格と評価され審査で勝っても合格がもらえない。
結論 若くて八段を受かる人は別格で(プロ級)、多くはドングリの背比べ。 このなかで、抜きんでるには高齢で八段に受かった人の話を良く聞いてみよう。 間違いなく良き指導者・師に恵まれている。 そして一途な所が有る。 さらに多くの葛藤を乗り越えている。 この段階では昔の試合の強さは審査において影が薄くなっている。
結局は素質もさることながら、心がけに尽きる。 その心がけの大きな要素に、自分の仕事をしっかりやるが入っている。
全剣連合同稽古で医科歯科大学の教授の宮坂先生に会う。 あの忙しい役職でこの稽古に来ている。 最初会った時は六段だたが今は七段。 その上、全剣連合同稽古に来られる。 本職・天職を全うしながら剣道をさらにやる。 西村のお手本の様な人です。 良い師、良いお手本を持てば、そのうちに近づく。
奈良県が七段が少ない割に八段合格者が多い。 岩手県も七段が少ない割に、最近八段合格差が多い。 そこのは抜きんでた良き指導者がいるからだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 誰もが嵌まる剣道の落とし穴! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年8月28日(水) 誰もが嵌まった落とし穴。
今回、面の打突部位が面布団と云う項目が外された。 当然である! 面ではなくて、頭頂だからである。 これはこの事について長く書いた項目から、改めて参考に載せる。 これが判れば自然に手の内が決る。
さて、今回審判法で打突部位についてうるさく指導を受けた。 刀で一番斬れるところだと言う事だ。 刀の力が一番伝わる所だと云う。 刀の中ほどに棒を置き、静かに手元をに引くと横になっていた刀が立つところだと説明を受けた。 そこで、今自分の刀で試してみた。 どうも物打ちの位置と云われている所の剣先よりのところであった。 ちなみにそれ以上先に行くと立ったままであった。 間違ってはいないと思う。
さて、中学校の理科、高校の物理をしっかり勉強したかたなら、衝撃中心と云う言葉を聞いた事があると思う。
慣性モーメント ここで 重さ(M)×重心距離(a)が グリップエンドを握ってラケットを水平にしたときのモーメントになります。重心距離が長くなれば同じ重さのラケットでも支えるのに大きな力が必要になります。 しかしこのモーメントの値は鉛直方向にはたらく静的モーメントで、ラケットを振ったときのモーメントを示しているのではないということに注意しなければなりません。ラケットを振ったときの振りやすさは「慣性モーメント」を求めなければなりません。慣性モーメントは次の式で求めることができます。 重さ(M)×重心距離(a)×衝撃中心距離(b)
分かり易い実験をしましょう。 御箸の先を軽くもって茶わんの縁にコンコンと当てていきます。 すると全く反動が無くハシの力が吸い込まれるような位置があります。 バットで云うとスイーットスポットと言うことです。 ここを外すと硬球の場合、手がしびれるほどの衝撃が走ります。 さて、ハシの端ではなく三センチ程の所を持つとどうでしょう。 その位置は中程へ移ってきます。 このように同じ長さでも持つ支点の位置により変化が起きるのです。 このことは竹刀において、左右の拳の柄の回転中心を左拳に近ければ、竹刀の先に衝撃中心が移り、その逆だと鍔の方へ移動することになります。 右手を強く握っている人と左手が利いている人は違うことになります。 これは衝撃中心という考え方で打ちの威力を示しました。 竹刀が棒と仮定すれば判りやすい説明です。 これは静的モーメントです。 この衝撃力を増すために鍔の効用があります。 さらに竹刀と両手の固定がしっかりいけば腕の長さが追加され、その回転半径、スピードの問題か加わりそれに角速度がが追加されます。 その上竹刀が当たった瞬間に一瞬の身体との一体感があればその力はさらに大きくなるのです。 上級者、達人の軽く見える小手にシビレが走るというのも頷けます。 しかし、これは竹刀を棒と仮定しての話しです。
さて、これからが本題です。 いつも云われます。 竹刀は刀なのだと。 そして物打ちで打たないと一本では無いと。
では、刀はどうしてあんなに長く刃が付いているのでしょうか。 あの柔らかい刺し身を切るのに、何故あんなに長細い刺し身包丁なのでしょうか。 刀は強く早く打って衝撃で切る方法と、対象物を刃先で擦りいながら切断応力が弱い力で発揮されるように刃を擦りながら対象物を切るのです。
先ずワラを袈裟に切て見ましょう。 物打ちで打つように切った場合、バッツと云う音がして切れます。 しかし、切れ味は悪いです。 スピードがかなり早くても似たような物です。 今度は刀身の中程から切っ先へかけて、出きるだけ刃の長さを使うように引き斬りをしてみましょう。 この場合は体の移動が必要ですが。 何の抵抗もなく吸い付くように切れます。 これが切れ味です。 物理の本を持ちだし、物が切れる原理を勉強してみれば理の当然が判ります。 刀で斬るといくことは、相手に身体がぶつかるぐらいに近づき、そこから斬ることなのです。 そのためには当然鍔のこと鍔元から刃が必要なのです。 そうでなければ薙刀で良いのです。 胴は物打ちで両手を伸ばして打つ様に指導されます。 なるほど強く当たります。 しかし、あの柔らかいお腹は切れません。
お腹、胴を斬るには薙ぎる必要があります。 柔らかいお餅はあの切れ味鋭い刺し身包丁でも叩くようにすると切れません。 しかし、擦れ違い様に鍔に近い辺りから擦りながら、腹を薙ぎるとスッパと切れます。 これは純然たる物理で証明出きる世界です。 今後は小手ですが、剣の先がコンと当たれば切れると思います。 それは若竹を斬るように質量が少なく程よく硬いからです。 鉄の棒の質量があって刃がついていれば簡単に切れると思います。 そうすると、竹刀の先が当たっても良いと云うことになります。
誰かが思いついて『物打ち』と規定すると、それを几帳面にそうでなければならない、審判規定にそう書いてあるからと謹厳実直に言い張る頭の堅い先生が多いのです。 それが『面布団』の様な結果になります。
竹刀を刀のように使うなら、刀の形を刃のつき具合を無視してはいけないと思います。 結局、剣道の大家も実際実践で殺し合いをして斬り合いをして剣道の腕を磨いたのではないと云うことです。 気がつかれた人も多いと思いますが、その声が上に上がってこない剣道の封建制の強さです。
実際、満州では刀は突きしか役に立たなかったと話された方がいました。 それが実戦の感想です。 厚着をしているので切れないということでした。
さて、西村が言いたいのは、やはり刀の刃の付き具合はあれで良い。 『物打ち』と規定すると先だ根元だと意味のない議論になってしまう。 『おおよそ物打ちが望ましい』ぐらいではなかろうか。 刀なら相手を十分にしとめたであろう、との判断基準が打倒ではないだろうか。
参考 面を打つ意識変換こそが、面打ちを変える! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 12月24日(月) 面を打つとは? 面を打つ意識はどこにある? 剣道では打突部位で、面の部位を面布団を打つと定められている。 このように誰かが決めると、面布団を打つことが面だと誰もがそう思う。 そうすると、全日本の選手権の写真を見ても分かるように、ほとんどが左手上がりの、手首の裏側が上を向いた打ちになる。 試合では面金越しだと、一本にしないと云う傾向がある。 そのため、高校生では顔を上に上げ、面金で受ければ取られないと思っている試合ぶりも見られる。 では、同じ身長の人が御互いに目線を正面に向けて、相手の面の高さの面布団を、きちっと刀で切ったような手元、腋が締まった状態で面金に当たらないで打てるであろうか? それは事実上無理なことだ。 京都大会で元九段の先生が八段の時に見事に面に跳び、面を打った瞬間の映像がビデオにあった。 しかし、それは竹刀の尖を面布団に当てに行った、手が前に伸び切って腋が全く締まっていない状態だった。 一般的には見事な当て面である。 これほどの先生でも竹刀で面布団に当てる意識の面打ちであった。 そこで、左手首が開かないで面を打つ方法がある。 八段の多くの先生がそうだが、左拳の手首が異常に前に折れる。 そうすれば手首を開かないで、かろうじて左を高い位置で面が打てる。 もう一つの方法は手の平の一番深い所に、束頭を当て小指を外す方法である。 事実、黒田鉄山先生の居合では左小指は柄頭を外す持ち方になっている。 つまり、束頭が手のひら内に納まっていて、手首の規制を受けない状態である。 そのため、刀の動きは肩が伸び、両手が伸展しても奇麗な手の内で、スムーズな動きをしている。 この先生の居合を通常持つ、柄頭を余す真剣の持ち方ではこの居合の刀法は成り立たない。 では、高段の昇段審査では柄頭を余すと、試験に受からないと聞く。 時事、西村も左手は柄頭に半分小指をかける様にと教わった。 これなら、かろうじて柄頭が手のなかで動き、竹刀を下方へ向ける事が出きる。 そうすると、竹刀は真剣の様にと云われるが、どうして刀の持ち方と違った持ち方になるのだろうか。 柄頭を少し余す真剣刀法では、相手の正面を斬り込んだ場合に腋があく事は無い。 腋も手首もしっかり締まっている。 実際真剣で切ってみれば、簡単明瞭に分かる事だ。 ただし、面金を切らずに面布団に届く事は無い。 元々、面とは書いて字の通り、顔面である。 面布団は頭頂の部位の事である。 相手の正面を切ると云うことは、刀は相手の額を通過して斬り込む事だ。 さらに束が真剣に比べ長くなり、拳の幅が広がったのは、手元から長い先端を早く動かす方便である。 真剣より長いものを扱うことで、剣道の刀法修業の技法を熟達し短い真剣になったとき、より素早く扱うことが出きると云う配慮で決められた長さであある。 事実、幕末の束の長さ、竹刀の長さは今の長さとは全く違う。 実践に配慮した珪雇用の竹刀の長さが、実践を離れ竹刀競技で優劣を争い、その結果こそが大切になって来ると話しが変わってくる。 さらに、面打ちを遠間から勇気を持って打ち込んで行くと云うのは、竹刀を持って精神修養的な意味合いでは立派だが、命を懸けた真剣ではそんな危険な事は誰もしないのが現実である。 試しに打ってみるということは、試しに死んでみるに等しいからだ。 泉流の竹刀を真剣と思っての技法では相手の剣先を殺すことなく面を打つことは無い。 今風の左手の柄頭の持ち方は竹刀競技のルールを考えた持ち方と言える。 今風の左拳を開き上に上げて打つ方法は面布団ルールに対応した苦肉の策である。 これは竹刀の尖を如何に早く面布団に当てるゲームとしては当然の打ち方だ。 しかるに、七段特に八段審査になると、真剣で相手を切るような面打ちを期待される。 ここで、多くの剣道家に混乱が起き、悩むが解決をししない。 いつもの通りここまでが前段である。 江戸川区のNさんは稽古熱心で、この間六段に受かった。 彼は一つ山を越したので、七段受験に相応しい剣道を身に付けたいと思っている。 しかし、相手は「面を打たれるが打たれた気がしないという。」 本人も何処かがオカシイと感じている。 西村も注意をしてあげたいが、どう直して良いか分からない。 範士八段の古城先生もその面打ちはオカシイと言ってくれる。 稽古の帰りに車が一緒になった。 彼から意外な言葉を聞いた。 「竹刀を相手の面布団に上から、トンと落とすのが面だと思っていた。」 と云う事である。 試合はでは面布団と当てるべき位置がしてされている、それでそう思ったらしい。 ある先生から「左手の位置をもっと高くしないと、面布団にとどかないぞ!」と注意を受けたことがあったそうだ。 彼は慎重181センチである。 彼の身長であれば、相手の面布団に竹刀を当てるのは比較的易しい。 その彼が、わざわざ左拳を上に上げながら打っていくから、何ともオカシイ面打ちになる。 何度も彼の面の打ち方を注意するのだが、直らなかった原因が分かった。 彼の潜在意識に深く染み込んだ『面は面布団を上から竹刀を落として打つ。』と云う強力なメッセージがそのような面を打たせていた。 彼の面打ちの意識がそうだから、身体はその意識に適う動きをする。 これが分かれば、面打ちの修正をするのは簡単だ。 意識を変えれば良いだけだ。 『面は額越しに、咽元まで切り下げる様に斬り込む。』この意識をしっかり持てば胸の動き、腋も、肘も手首もその目的に適う動きをする。 さらに打ったときの腰が締まった状態になる。 さて、皆さまはこの時、面金に当たることを危惧されると思います。 そもそも面は自分が相手の構えた位置まで打ちに行くのでは無く、相手が打たれに来るところを打って上げるものです。 相手の面の位置まで飛んでいって面を打つのは、高校生かせいぜい大学生までのレベルです。 一足一刀の間合から御互いが攻め合って、打ち間(切り間)に入って頭が接近しあっていること、さらにそこから相手が引き出され、前に頭を下げやってみれば分かりますが、以外に面金の頂点越しに、面布団を十分に捉える物です。 そのような時は竹刀は身の内において、面がねの一番上のハエを叩くぐらいの気分でピシッと相手の額を打ちに行けば十分です。 その時、その位置で最大加速スピードを得るには、やはり喉元まで切り落とす必要がある。 思い出して欲しいのですが、上手くいったと思った時はほとんど深かった事を。 腋をあけ、両手を前に延ばしすぎたせいです。 真剣で云うと、畳面1/3位を丸めた物を面の高さに置き、それを喉元まで切り落とす感じです。 胸が下がり、腋が締まり、肘がやや内側に入り、手首が締まった状態になります。 このとき、左拳は自然に鳩尾の高さに納まります。 そうしないと、胸も下がらないし、刀を下に引き下ろせないからです。 このように、意識をしっかり斬り込むように持てば、全ての身体の動きはそれに適う動きに自然となっていく。 今日はNさんと、これを十分稽古した。 最初は戸惑っていたし、前の癖が出ていたが、段々良くなり後半は見違える様な面打ちになってきた。 前に教えた胸を使って打つも少しずつ出来てきた。 終わりの方では3本程、しっかりとした面が打てた。 彼は七段と稽古をしても相手が見え、強さも十分なのでそのまま七段に受かるのは間違いなしだ。 本人曰く「先生!面を打った手ごたえが、全く以前とは変わりました。 きちっと面を捉えた感触があります。」 後はしっかりそれを身に付けるだけだ。 彼から聞いた話です。 あるとき、彼がある人と剣道の話をしていた時のこと。 話しの中で「胸を使って打つ。」と言ったらしい。 すると相手がびっくりして言った。 「何でそんな事を知っているの! 警視庁のある先生が言ったのだよ! 胸を使って打てる様になれば、八段だよ! 八段でも出来ない人は沢山いる!」 西村がこの胸を使って打つ剣道にお目にかかったのは、 今から六〜七年ほど前の京都であった。 岩立先生が若手の強い七段を見事に面に取っていた光景だった。 その面を打たれた相手がこちらの方に来て言った。 「真っ二つだよ!」 西村は未だに鮮明に覚えている。 以後、その時の光景の先生の全体的な動きを、自分が再現できる様に研究してきた。 それから年月を経たが。 床を捉える足の感じから、膕の伸ばし具合、重心移動、〜〜〜〜から打ちきった所まで、ほぼ完全に解明出来た。 最近、足の方も快方に向かっているので、機会があれば教えてあげたいと思っている。 最近はこの面の打ちをさらに工夫して、相手の竹刀を切り落とす所まで研究が進んだ。 相手の面を捉える意識よりも、相手に面を打たせそれを切り落としながら面を打つ方向にさらに進化した。 ------------------------------------------------------------------------ ツリー全体を読む
△上に戻る 珍しい!西村の反省を書く! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年8月14日(水) 西村の文章はある種の特徴的な書き方になっています。 先ずは自分の良いところを見つけて、誉めること。 ちょっぴり反省点を書きだし、成長の糧にすること。 断定的表現で自分自身の意識を確定(アンカーリング、投錨、決定づける、染込ませる)することです。
ここに書く文章は自分自身の日記のようなものです。 誰も読まない前提で書いています。 そのために、肚を割った内容になっています。 だから、誰かに遠慮がちには書いていません。 しかし、その日記が誰かに読まれて、その人の参考になるのならば公開しますと云う趣旨です。 批判的な表現の時は、相手の名前を頭文字にしています。 (これからは、頭文字は止めてAさん、Bさんで書きます。) その逆の時はお名前を書くようにしています。
人の日記を読んで肚を立てたり、西村の人物評価はなしにしましょう。 良いところは参考に、馬鹿な処は笑い飛ばして下さい。
さて、西村は稽古の後いつも自慢話のような事ばかり書いている理由がお分かりになりましたでしょうか。 今回は、打たれて教えて頂いた、有りがたい事を書きます。
最近の西村は相手が攻め入ってきて、打たれるような事はほとんど余りありません。 心が動かないからです。 しかし、こちらの心が動き始めた処を、その心の変化の隙を打たれた面は鮮明に残っています。 恐らく、同じ先生に同じ面を打たれない位に、意識の中でいつも稽古に励んでいます。 布団の中でピックとして、突きで押さえたり、胴に返したりしたときの筋肉反応が起きます。 見事に心を打たれた面は、深い反省材料ととして、何年も意識の中で繰り返し繰り返し反省、対策、勝機への変換をしています。
○ある先生が八段になったとき、大きな面を打たれた。 相手の意識の変化に、西村が対応出来なかった。 イメージで解決するのに三年かかった。
○五月京都で見た、賀来先生のあの大きな面への対策。 ビデオで100時間、三ヶ月間、夢で稽古し気管支炎を患いながら脱皮をして解決した。 その成果は、八月の名古屋の稽古で先生の面三本の内、二本小手と胴を取った。 一本は完全に見てしまった。
○佐藤博信先生に二の矢を継がれた時の覚悟の浅さの反省。 次の稽古までに解決した。
○橋本先生と対峙したとき、一瞬心が萎えた処を面に打たれた。 意識の中では解決済み。
○岩立先生が本気になり、大きく体で攻め入ってきた時、それを見てしまっ た。 あの体の大きな前進を静かに受け止める事が出来なかった。 未だ半分は未解決。
○川瀬先生に攻めは入りに打ち気が乗った瞬間、先生に捨てて大きな面を 打たれた。 不覚にも手元の上がりを見てしまった。 間合が深すぎた反省と攻め入る先だけ取れば良いのに、そこに打ち気が 入り込み頭が前に出た。 この頭の出た心の瞬間を読まれた。 打とうと攻める入るは読まれる。 攻めた結果、相手が打つところを教えてくれる、これを忘れていた。
このように心を打たれた面は、いつも頭の中に鮮やか鮮明にそのときの状況が蘇る。 解決するとそれが消える。 そして、何かボーッとしているときに浮かび上がり、真剣に稽古をしている。 布団で眠る時、瞑想をしているとき等にこれが自然に起きてくる。 身体は竹刀をも持たなくても、イメージトレーニングを必死でしている。 すると、イメージの中で解決される。 そして、同じ場面でこの解決通りの結果となる。 その間は一ヶ月か数年かかる事もある。
剣道雑誌に取り上げられている、忘れ得ぬ一本。 その先生方には鮮やかな映像が今もあるのだろう。
西村には頭から離れない映像がいくつもある。 解決するまで、意識の奥底で絶えずその映像で剣道をしている。 それが静かな意識の前進になっている。 そのような一本を頂いた先生に感謝している。 ツリー全体を読む
△上に戻る 八月六日から今日まで瞑想稽古。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年8月19日(月) 約二週間の瞑想稽古。
○川瀬先生に攻めは入りに打ち気が乗った瞬間、先生に捨てて大きな面を 打たれた。 不覚にも手元の上がりを見てしまった。 間合が深すぎた反省と攻め入る先だけ取れば良いのに、そこに打ち気が 入り込み頭が前に出た。 この頭の出た心の瞬間を読まれた。 打とうと攻める入るは読まれる。 攻めた結果、相手が打つところを教えてくれる、これを忘れていた。
この稽古以来、頭の中ではずーっと川瀬先生と稽古をしている。
中々崩す方法は見いだせない! しかし、あることに気づいた! 西村があの面を打たれる瞬間を作ればよい。
体が攻め入り、打ち気が乗ってしまった。 そこで、頭を出してしまって打ち気を見せてしまった。 だから相手は安心して、西村の心を見切り面に乗った。 もし、打ち気が乗らないで攻め込んだだけで、相手が打ってくればそれは簡単だ。 相手は後の先に乗ってしまった事になるからだ。 突きも入るし、胴も返せる。 胸突きで止める事もできる。 だが、ここで打ち気の心が無く頭が前にでなかったらどうだろう。 相手は我慢をして、攻め入って来るところを見ているだろう。 もしここで手元をあげれば小手、面に行けば胴を頂くことになる。 先に竹刀が打ち気で出ればそこは必ず取られる。 要するに、あるレベル、七段の強者、八段位になれば、攻めは入りだけでは相手は動かないと云うことだ。
そこで、無意識がした無意動作である打ち気の頭出しを、有意識でやってみるるとどうだろう。
今回は、頭が前に出した心を読まれたのだ。 次回は、有意識が頭を前に出す自分を意識しておく。 もし、相手が同じ反応をすれば、心の余裕が簡単に胴に返せる。
今回は相手に無意識の面出しを読まれた。 さすがは強い教師八段だ。 西村が読まれた。 今度は相手にこれを読ませる! 心の仕掛け人と最終処理は自分の手の中にある。 必ず返せると思う確信がある。
相手の攻め、打ちを待っていると二分はアッと云う間に過ぎてしまう。 しかしこれなら、『攻めは入り、一瞬に弱みを見せ相手を乗せる。』これなら自分のペースでできる。 かって、七段の審査で攻めが強すぎ、相手が打って出れなかた事がある。 西村はそこで無理して打たなかった。 何度も場外近くに追い込んで結局打つチャンスが無かった。 審査後、古城範士から「一本も打たないと、強いことは判るが、七段の評価が出来ない。」と言われたことがある。
良く考えれば、格が違う相手を誘う時皆さまがしています。 面をひょいと見せ、相手を打たせる指導稽古で。 そこをもう一つグレードを上げ、『攻めは入り、面で打ち気を見せそこを誘う。』
『自分から死地に入り、弱みを見せ、そこに乗った相手をとる。』 『柳生流の相手が打ってこなければ、隙を見せ、相手が打って来た処を取る。』 全く同じ原理だ!
ここに来るまで、目をつぶるたびに川瀬先生と稽古をしていた。 ツリー全体を読む
△上に戻る この十年間で最高の稽古! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年8月4日(日) 今日の稽古はこに数年で最高の稽古。
今日は歯科学生の剣道大会に、そのOB戦もあった。 先ず、ゴマちゃんご苦労さんでした。 足の負傷も奥さんの大切さを知るための、神の啓示と考えればまたありがたいことです。 それに審判の先生方の品性の良さはやはり高体連の先生がた、剣道家・教育者としての立派さを感じました。 この先生方に指導を受ける生徒さんは幸せです。
午前中の仕事が終わって、一応防具を持っていったが誰とも竹刀を交えての稽古は出来なかった。
今日は久しぶりに賀来先生に会って、二時間ばかりお話を聞いた。 前回は西村の話しを聞いていただいたが、今回は先生の話しをじっくり聞かせて頂いた。 西村の最近の稽古で何かもやもやしていたのが素っ飛び、目から鱗が落ちて肩がスーッと軽くなって幸せ感で一杯だった。
今回の話しは技術論ではありませんが、八段を目指す人、剣道によって人生の成長を願う人には最高の話しだと思います。
西村 「先生ご無沙汰しています。 足の神経を痛めていましたので、大阪の稽古には参加できませんでした。 先生! 京都大会の小手、面は見事でしたね! あの後、田伐さんさんのビデオを見て何か判った様な気がします。 打つことに何の拘りもなく、スーッ・ポンですね。 どうしてあんなに軽く出れるのか、見事でしたね。 今年の京都大会は賀来先生と今井先生が最高でした! 本当に良いものを見せて頂きました。 先生のあの面はビデオで100時間研究してかなり判っていたのですが。 あの小手は判らなかったのが、ビデオで何度も拝見し少し判って来ました。 それにしても、凄いですね!」
賀来先生 「あの小手、面は相手は判らんだろうな。 打たれるまでじっと見て、立っているだけだ。」 西村 「そうですね! 相手は全く反応できませんね!」 賀来先生 「わしも昔は長谷川先生にかかるとそうだった! 全く何も判らん内に打たれていた。 気がつくと先生の竹刀が頭の上に来ていたものだ。」 西村 「心に拘りが全くないと、あんな打ちが出るのですね!」 賀来先生 「何も打たんでもいいのだ。 立った時に勝負がついているからな。 でも、打ってやらんと相手が気がつかないんだ。 それで打つんだよ。」 西村 「川瀬先生が賀来先生先生の手紙に『今年は思う様に使えた。』と書いてあったと言われていました。」 賀来先生 「柳生の30期かな、その中から叉八段が出た。」 西村 「先生! 川瀬先生が先生を一度東京へお呼びすると言っておられました。 その時を楽しみにしています。」 賀来先生 「その内、東京へ行くよ。」 西村 「先日、三重の岡田さんから『足首を緩める』と云うことを聞きました。 最近膝を緩め、体重を下に落とすことが出きるようになってから、範士の先生にも摺り上げが出きる様になりました。 今回、足首の話を聞き、やってみました。 そうすると、先生! こちらの入り身が終わるまで、相手は反応しません! 武蔵の自画像から、膝の緩みに気がついたのですが、足首までは気がつきませんでした。」 賀来先生 「面はゆっくり大きく打てるんじゃよ! 相手は黙って見ているだけだしな! 距離も長く打てるんだよ!」 西村 「今回は岡田先生のお蔭で、先生の足首の緩みを聞いて本当に有りがたかったですよ。 彼は八段を目指しています。 宜しくご指導お願いします。」 賀来先生 「あいつは此頃、本当に良うなった! あいつは、このまま行けばとれるよ! スッと面が出るようになった。 素直な奴だから伸びるんだよ! いくら言ってもな!ほとんどの奴に伝わらんのだよ。」
賀来先生 「わしもな! 若い時は悩んだ! 先生方は『肚だ、肚だ』という。 良く判らんかったが、次は『腰だ、腰だ』という。 最初は何にも判らんかた。 肚というのは精神力だな。 動じなければ良いわけだ。
剣道は『腰』だな。 俺の先生は打つときに体が前傾しなかった。 腰から上が真っ直ぐなままだった。 どんな人を見ても、打つときは前傾になるな。 先生にはそれがなかった。 不思議だった。 最近それが良く判ってきたのだよ。 それにな! 先生が『右肩が出ている、右肩が出ている』とうるさく言うんだよ! 何のことだか、さっぱり判らんかったよ。」 西村 「ただ相手を攻め体を進めれば、状態は前傾しませんよね。 竹刀で早く打とうとしながら前進するから、前傾になるんですよね。 打ち気が右肩に出ているということですね。 早く当てたい気持ちが前傾になるのですね。 打ち気が出れば、もう相手にそれは伝わっていますものね。 賀来先生 「そうなんだな! 心が形に出てしまっているんだよ! まあ!苦労したよ! それには無心になろうと思って、長いこと座禅を組んだものだよ。 でもな!何にも気がつかなかったよ。 無心になろうとすれば、煩悩が浮かんで来るだけだよ。 時々、うつら、うつらするときがあった。 座禅の時な! そのときは、寝てしまったんだと思っていた。 処がそうじゃなかったんだよ。 高校生を指導している時、ふと思った。 これが無心だ!と。 只、指導しているだけ、これが無心だったんだよ。 あの、うつらうつらも何も考えていない、無心だっただよ。 打とうと思うから形にで、相手に判ってしまうんだよ。
俺の先生は偉かった。 前に出るとき、打つときも真っ直ぐだったものなあ! (先生、手の平を立てて真っ直ぐ平行に動かされた。)」 西村 「先生それは判ります。 十年間、色んな瞑想をしたり、座禅を組んだこともあります。 瞑想の途中に良く気持ちが良くなり、意識が途絶えることがありました。 寝てしまっている訳でもないのにと思っていましたが、それがそうだったのですか。 今、判りました。」 西村 「先生、胸を張って真っ直ぐ背筋を伸ばせと岡田先生にに言われましたね。 打つ前の予備動作で肩を引くから、胸を出す作用がおきます。 相手はこの予備動作を読みますね。 教師八段が足を緊張させ膕を伸ばし切っていますね。 この膝を一度緩めて床を掴みむ、この動作を範士に読まれて押さえられますね。 次のレベルは足首ですね。 ここまで緩めれば予備動作の完了形ですものね。 相手は読みようがないですよ。 高段者はこの予備動作の読みあいで、勝負がつくみたいなものですものね。 そこで、打ち気がなく、スーッと前に出られたら自分が動くチャンスがなく、眺めているしかないですよね。」 賀来先生 「そうだよ!木偶の坊の様に突っ立ていつだけだよ。」 西村 「屈筋を急に動かしたり、急に筋肉を緊張させると、相手はそれに反応しますね。 この一瞬を読まれますね。 私はこんな方法で教えています。 『手のひらのコイン取りです。』 コインを、とろうと腰を構えた瞬間に相手に察知されます。 意識から腰が備わり、その固定源から筋肉が連動して手がコインに取りに行くまでには時間がかかりますものね。 取ろうとした瞬間にその予備動作が始まり察知されます。 このコイン取りは簡単なコツを教えれば誰にでも出来ます。 相手の上に持っていった手を釣り上げている筋肉だけを、何気なくふっと緩めるのです。 そしたら手が自然に落ちますから、指がコインに触った瞬間摘むだけです。 誰でも出きるマジックです。 しかし、コインを取りに行くと失敗します。 筋肉の緊張が全く無い動きですからね。 この原理ですね。」 賀来先生 「うーん!そうだな!」 賀来先生 「天狗芸術論にな喝破されておる。 『曰く、人は動物なり。うごかざることあたはず。日用人事の応用多端なりといへども、此の心物のために動かされず無欲無我の心体は、泰然として自若たり。
剣術を以て語らば、多勢の中に取篭められ、右往左往にはたらく時も、生死に決して神定まり、多勢のために念を動ぜざる、是を動いて動くことなしといふ。
懸かりの中の待つ、待つの中の懸かるといふも、みな自然の応用なり。』
このように言っている。 多勢に取り囲まれていても、切る抜けられる。 その状況で、何処が隙のある人間かは自然に分かり、そこを自然に突き進めば切り抜けられる。 人間とは本来そんなものなのだ。
それを自分の中の神といい、吾、本来仏なりと言われている。 人間はな!自然に任せれば、奥深い知恵が閃き最善のことをなすもんだよ。そして、人生が動いていくもんだよ。 剣道も同じだ。 打とう何と思わなくても、相手の出方に一番良い方法を身体が反応しているんだよ。 それなのに、胴を返してやろうと思うから上手く行かないんだよ。」
賀来先生さらに続く。 「しかしな! 人間は相手によって違う反応をしてしまう。 難しい事だが、誰と稽古をしても、状況が変わっても全く同じように稽古をすればよい。 それだけのことだよ。 そこが修業だな! 植田先生がな、御前試合に出場されたとき、その後で記者に質問された。 先生!今日の試合はどうでしたか。 先生はこう言ったんだな! 『今日は足が軽かったなあ!』と。 まあ、御前試合とも思わず、拘り無く、いつもの自分の剣道が出来たと云うことだ。 スーッと足が出たわけだなあ! 持田先生との話しだが。 ある九段が持田先生に質問をしに行っていた。 偉いものだなあ! 九段になっても、質問をしに行くなんて! そう思って聞いていた。 そうだな! 持田先生がな、『小川君(小川忠太郎範士九段)!今日は良かった!足がスッと出ていたね。 今日の皆さんの稽古を見ていて賀来君と奥薗君の稽古が良かった! 足がすっと出ていた。 偉い先生がたくさんいるときにそう言われた。」 西村 「心に拘りが無い剣道をしていたのが、三人ぐらいだったと言うことですね。 打ちたい自分、打たれたくない自分この二人が葛藤し、やっと打ちたい自分が大きくなって打つのですね。 しかし、打たれたくない自分を引きずれば、足は重いですものね。 この二人の思いにズレが無ければ、思ったまま足が出ますね。 それなら足は軽いですね。 要はあれこれ考えて葛藤して打つなと言うことですか。」
西村 「先生! 私は六十過ぎてから、八段を受けようと思います。」 賀来先生 『何!逃げているな! あんな物はな、早く取ってしまえば良いんだよ! 逃げなくて良いんだよ。 早く取ってしまうんだよ。」 西村 「そうですか、先生にそう写りますか。 もう一度自分の心にしっかり聞いてみます。 先生のお言葉をしっかり受け止めます。」
[折角楽しく上手く行っている人生に、大きな波を立たせたくない、風を吹かせたくない。 歯科医三十年間の一区切りをつけて、仕事が万全の中で心おきなく剣道に時間を割きたいと思ったからだった。 その頃は何があっても、仕事で患者様に迷惑をかけることも無く、お金に関しては全く問題がなく、考える必要すらない自分になっている確信があるからだ。 正直なところ、一つの目標を持つと目的意識の強い自分が回りに迷惑をかける恐れを危惧している自分を知っているからだ。 自分の頭の中であれや是也と理屈を考えて、自分を納得させている葛藤が見えてきた。 しかし、これも拘りか。 まだ面打ちに、足に重しをつけているのか。 わざわざ先生に自分から八段の受験時期を切りだしたということは、自分なりに八段にたいする拘りがあるのだと言うことに気がついた。 それで、八段の受験をしようと心が思った時、そのとき受けようと思った。自然に任せれば、自ずからの英知がそれを決めるだろう。 内なる心の決定に任せることにした。 『泰然として、自若なり!』と言うことだ。 自分の中から起きる、本心から沸き上る自然な感情を待とう。 これで少しもやもやした感情の、一つの問題が一気に解決した。]
賀来先生 「誰でもな!スッと打てるんだよ!」
[これを書いている最中に『剣道日本』の表紙が目に付いた。 新八段の修業・島野大山と言う名前だ。 そう言えばお兄さんは島野大洋という名前だったかな。 お父さんの思いが名前に出ている。 この親にしてこの子あり。 起きていることは必然必要の結果なのだなあ! 子供はその名前の通りに生きているものだ。 それが親の願いなのだから。 名前の通りに生きれば、拘りの無い面が打てるよなあ! そう言えば人相も穏やかな良い顔をされている。]
西村 「先生! 最近の稽古で相手がいないんですよ。 私の方が強いと、相手の心の奥まで見えるので手玉に取れるんです。 そうすると相手はゲーム性が無いから稽古をしたがらないんですよ。 昇段審査を目指す人で真摯な態度で剣道をする人は懸かって来るのですが。 皆さん、打ち合いを楽しまれていますから。 私の場合、打ってしまうか、打たせてしまう。 では、誰に懸かっていこうかと思うがそんな相手も居ないんですよ。 自分より上席にいる人に恥をかかせたり、喧嘩腰の稽古もしたくないし。 全剣連合同稽古の合同稽古で原田源次先生にかかるぐらい何ですよ。 後はちらほら立派な先生を捜して稽古をしていますが。 相手とどんな稽古をすれば良いか悩んでいます。 失礼のないような稽古を心がけ様としていますが、どの辺りなのかが難しいですよ。 範士の先生でも取りに行く気になれば、それなりの稽古が出来ますが相手がいやがります。 確かに、当てあいに走り稽古を頂くことにはならないのです。」 賀来先生 「稽古は誰とやっても同じだよ! 誰とも同じにやればいいんだよ! しかしなあ! 相手によって変わってしまうものなのだ。 そこを誰とやっても同じ自分の剣道をすれば良いんだよ。 そこが修業だよ。」 こんなニアンスで話された。 西村 「そうですか! 私は心得違いをしていました。 今の話しで頭の霧が晴れました。 そうします!」
相手の事、自分のことを考えるが故に問題化していたことに気がついた。 そんなことを全く気にしないで自分の剣道を、自然な感情のままに状況を心が感じた様に稽古をすれば良いのだと。
この時涼しい風が身体を取り囲み、身体も心も清涼感に溢れ多幸感につつまれた。
精神世界の旅でそんなことは知っていたが、結論も判っていたが、先生との話しで身体が反応した。 知っていること、判っていることが導師の導きで身体の中にしみ込んだ様だ。 本当にありがたい事だ! そう言えば、賀来先生とお会いしてから長年月が経つ。 歯学体の試合に師範であって、必ず顔を出されていたのは賀来先生と先般亡くなられた大浦先生だけだ。 大浦先生には一度も稽古をつけてもらったことが無いが、毎年お会いするたびに心に残る教えを頂いてきた。 他所の大学の先生にそこの学生が頂ける以上の物を頂いてきた。 今は賀来先生だけとなってしまった。 そして、今日素晴らしいお話稽古を頂いた。
約十年前、インドのサイババに会いに行き、その朝の瞑想でふっ切れ、覚醒した時と同じ感じだ。 そのときは七段取った翌年だが、当時最年少で八段を取った剣道の専門家を手玉にとった、同じくその年の東西対抗の大将とも引けを取らない稽古が出来「君八段を受かるよ!」と言ってもらた時期があった。 意識の覚醒後の頭の中の爽やかさは、一気にそこまで剣道の意識をを高めてしまった。 今回の覚醒は誰と稽古をしても自分自身、葛藤の無い剣道が出きると確信するにいたった。 これは大きいい進化だ。 約十年ぶりの脱皮だ。 賀来先生には京都大会であの面を見せていただき、その後ショックで三ヶ月間、気管支炎になり咳と痰が出るたびに脱皮する自分を感したが、今回は何の傷害もなく只涼しい風が吹き抜け、帰りの車の中で首も肩も腰も今まで感じなかった程に凝りが無く軽く爽快だった。 最近の剣道の稽古で着いた垢が一気に取り去られた感じだ。
岡田さん、さらに脱皮した西村と稽古をお願いします。 9月の連休ぐらいに時間が取れれば、軽井沢で剣道をしませんか。 伝えたい事が一杯あります。 (ご予定はどうでしょうか。西村は別に連休で無くても、何処の土日でも良いのですが、ゆっくり出きると思ってそう言いました。) 先生と同行したいと言う人があればご一緒にどうぞ。 これを読まれた方で、是非、西村の話しを聞きたい、稽古をしたいと言う人があれば受け入れます。 飽くまで教わる気持ちが真摯にある人に限ります。 今回は少人数で楽しい剣道家の集いにしたいと思います。 良い縁に恵まれた人との、良いつき合いといたします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 課題です。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月21日(日) 松本さんの課題です。 十分勝てる相手からこれを実践して下さい。 『左足が腰を押し、右足が油断無く攻めは入りながら、左手の拳をいつ動かすか、いつ左足が蹴るか。』
足から、腰から攻め入って、相手の色が見えるか、手元をあげるまで自分の竹刀が打ちに行かない!
今から思い起こすと、25年前の日本武道館での年越し稽古の時だったと思う。 当時、日本女子選手権二連勝を果たした、堀部さんとの稽古だった。 真っ直ぐ身体を突進してくるが、全く手元が上がらない。 彼女はこちらがの手元が動くまで、自分の竹刀は動かさない積もりだ。 要するに、相手の竹刀の動きに応じて打つところを決める積もりだ。 西村もその手に乗らないから、軽く相手の竹刀を押さえて、腹突きとなる。
当時、大学を出たばかり、埼玉で五段を取ったばかりで動きは抜群の頃だった。 埼玉では西村のことを皆さまが知らないから、四段の時に県立武道館の稽古では六段が下から懸かってきたのを手玉に取っていた。 相手は六段と西村は知っていたが、知らぬふりして元立ちに立っていた。 園田大臣に強い六七段が懸かっていって、打たれに行っていた。 西村は打ったものは全部入った。 剣道家は案外親切で、名前負けして負ける芝居を無意識にしている。 西村はその様な芝居は一切しないから、相手の力通りに反応する。 その後、範士九段・小沢丘先生にかかる。 当時、剣道連盟会長? いくら打っても柳に風、何とも得体のしれない人と稽古をした感じだった。 先生と稽古が終わった時、手招きされ行くと「貴男の仕事は何ですか。」 と聞かれ、「歯科医です。」答えると、「歯医者さんにしては良い腕だ!」と誉められました。
この直後に、堀部三兄弟と稽古をした。 お姉さんが稽古をしたので、妹、弟が続いて来た。
堀部さんとの稽古では、やはり女子では西村に歯が立たない。 しかし、これが試合ならばひょっとするとヤバイと思った。 相手の打ち気に負けずに打って行くと、恐らくコテか胴を拾われる! 今思えば、彼女は西村がずーっと後で知った『相手に従って勝つ』を身体で知っていたのだ。 その後、現在は七段となり、女子剣道界の第一人者になっている。
その後の稽古の相手には全く歯が立たず、大きな面を何本も打たれた。 当時、警視庁の選手、大野先生だったと思う。
その翌年から十年の剣道のブランクがあった。
さて、剣道を再会した頃、同じ様に手元の問題だが、原田源次先生の竹刀より自分の竹刀が先に動いてしまうのを感じていた。 最近はやっと『相手に従って勝つ』の意味が十分判ってきたが、堀部さんが若い学生の時代にそのことを身体で知っていたのだなあ!と感慨を深めているのです。
初級の段階では先に打ち始めた方が勝ちます。 中級者でも、相手が居着くから突っ込みが良いと入ります。 しかし、相手の肚が出来てきて、『肚の勝負』になってくると、先に打って出た方が負けです。 相手を攻め追い込み苦しくさせて出てくるところを取る。 相手を攻め込み苦しくなって打つしかない処まで追い込んで、フッと緩めて出てくる処を取る、捌く。
打って出たと云うことは攻め負けたと云うことです。 『身体は懸かりで、剣が待』 要は相手の色が見えない内に打って出たと云うことは、盲打ち、蛮勇、賭けの次元の剣道と云うことになります。 『勇み足』位ならば良いが、『盲打ち、賭け打ち』になっていないか考えましょう。
六七段でも運動神経の良さ、稽古量の多さ、気の強さで案外面を打っている人が多いです。 しかし、相手の『肚が出来ている』場合は、簡単に捌かれてしまう。 同僚相手に強いが、八段にはおもちゃにされる類いの人です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 楽しく拝見いたしました、西村のコメント。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年6月10日(月)
『胸を張れるだけ張り、肩筋をしっかり伸ばして構えなさい。』 これは竹刀操作の予備動作の終了で、後は開いた胸を前に閉じれば肩はその勢いで前に出て拳が前進します。 砂風呂でやってみせた、胸の張りから胸を閉じる勢いで打つ動作ですね。 胴体力の予備動作終了形ですね!
『足首をゆるめることや。(極意を公表してしまっているようで少々ジレンマがありますが、先生のあの見えない、読めない体の出の秘密はどうもこの当たりにありそうです)』 犬の足と猫の足の違いですね! 脱兎のごとく打ちだせば相手は反応できる。 ネコ科の動物のふわりとした動きには、反応が出来ない。 古川先生が三本打たれた面です。 (西村はそれを研究してその動きを読んでコテを打ちました。 先生は何故、いつあのコテを打たれたか分からなかったと言われました。 次は軽く胴を返して二本入りました。 三本目はグッと気を入れていたとき、ふわりと来られ面を見てしまいました。 そのときは面は見えたのですが、コテをしこたま打たれたました。 そのコテは今回の京都大会の井上先生へ打ったコテで研究しました。)
西村が後の先を読んで摺り上げ面が範士に打てるようになったのは、武蔵の立ち姿の足の緩みからのヒントでした。 グット膕を伸ばし身体を緊張させたそこから、トンと身体を緩め体重が足首に懸かるようにし、軽くヒザも緩め床を身体全体で掴むことが出来てからです。 相手の後の先に面の打ち気をみせ、相手がコテに来たところを手首だけでスッと摺り上げ面を打つ。 逆に相手にスッと打たれに入り、面を打たせてスルリとすり抜けて胴を取る。 長堀先生範士八段に賀来先生の面を二本打ち、一本は先生の反応がなく入りました。 二本目は当たる寸前に反応されました。 西村は残念ながら、あのふわりとした面は意識が邪魔をして未だ上手く打てません。 スピードが出てしまいます。
相手が避けようがない動きは、各先生の打つと云う意識が感じられないからだと思います。 結局、賀来先生は相手を打とうと意識していないのです。 ただ、ふわりと前に出る意識だけです。 後は手が勝手に打っているだけです。 本人に意識がなければ感じようがなければ、読みようがない。 相手から見れば、風が吹いて来たとき、顔に落ち葉が触れた様な感じだと思います。 猫が虫が射程距離に入った時、何も考えずにふわりと飛んで、前足で押さえる。 ネズミの時が面で虫の時がコテだと思います。 相手の反撃に対して圧倒的に自分が強いときは、相手を用心する意識もありません、だから打たれる心配もしないでただ前に行っているという感じです。 『川瀬先生が賀来先生から手紙を頂いた。 「今回の立会いは思うように出来た!」と書かれていたそうです。』
あのふわりとした面を京都で西村が見て、西村の体調が狂ってしまう程ショックを受けた意味が今なら岡田さんも分かると思います。
西村は相手を嵌めてから打っています。 未だそのレベルです。 何処かに安全を期して、万全の態勢で相手の心を崩して取る。 結局打たれたくない心が、無意識の奥の方に見え隠れいたします。 犬は人間の棒の動きを読んで飛びかかる。 猫は読みも何も無しに、無意識が勝手に獲物に飛びかかる。
西村は未だ猫の心境に至りません。 これから自分を空気に同化、自然に同化、宇宙と同化させたまま剣道が出きる様に努めてみたいと思います。 新たな目標が出来ワクワクしてきました。 最近、『後の先に嵌まってみせる』が分かってしまうと、剣道がゲーム性が無くなって面白く無くなってしまっていました。 それで剣道の稽古をする気が起きませんでした。
『宇宙・天地と我が一体化する』植芝盛平・合気道開祖が達した心境ですね。
『 わしの打ちは多分誰も判らんと思う。打たれても打たれたと思わんかも知れんなぁ。そんな打ちがこの頃やっとできるようになったよ。相手が避けようのない、気づいたら面のすぐ上に竹刀がある。小手も同じ。 わしの師匠がそれやった。やっと師匠に追いついたよ。』 西村はこの面をコテと胴に取ったのは凄いでしょう。 西村の研究・分析・読みの威力です。 (今度はコテへの研究です
『地元のある知り合いの七段が会話の中で「賀来先生の小手がまったく見えない。なんでかなぁ」と言っていました。生意気なようですがこの方は感性が高いと思いました。』 西村もこの人は大した者だと思います。 多くの人はそのことに気がつかない!
『小生にはなぜか静かにじっくり対峙してくれます』 身体の動き、竹刀の動き以前の心の彩、気の動きを感じあえる相手と見たからでしょう。 物凄い体の出の威力があったとしても、こちらの打ち気とぶつかれば押し込まれますが、こちらの心が静かならば打ってもらって胴に簡単に返せます。 先生もさるもの、体の押し出しの威力だけでは相手が動かないと知ると、十分用心して、心を動かしに懸かるでしょう。 静かにじっくり対峙せざるを得ないのでしょう。 岡田さんにはこの感じで八段を受けていただきたい。 審査員の先生はそこを見たがっています。
佐藤博信先生が西村に「そこそこ稽古出来たろう!」と言った。 これは前回の稽古で「俺を相手に全く気位を落とさず攻めは入り、面をさしだし、咽を出し打ってみろ、付いてみろと前に出て来る西村の稽古をさして言ったのだと思います。」
一時の静寂を持ち、お互いの気がしっかりと通じたことを確認し、それからそれを破る動きが始まる。 どちらかが出たとき、そこで勝負が決る。 こんな稽古がしたいものです。
今回の岡田さんの稽古は八段教師はリトマス試験紙(自分の気位の評価) 賀来先生の話は『剣道の秘伝』の指導。 これも教わる方が理解出きるレベルにあって、初めて伝わることです。 賀来先生のどの辺りが凄いかが理解できれば、八段ではないでしょうか。 八段になった人のほとんどが、このような指導を受けた稀なる人達だと思います。 稀な人達だから合格率1〜2%世界なのでしょう。
西村は無構えが本当だと思います。 竹刀の先は相手の心を操る猫じゃらしにすぎない様な気がします。 西村は下段に取って結構強いです。 西村の意識は相手にしっかり向いていますから、相手が下段の竹刀の先に気が行けば、玄関が開いたと感じ後は相手を呼び出せばよいことだと思っています。 ただし、受験では教科書通りやってみせないと難しいかもしれない。 賀来先生ばかりが審査員でないから。 しかし、下段で八段を受験してみれば面白いと思う! ツリー全体を読む
△上に戻る 竹刀で刀の反りを再現。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月16日(火) 乳井先生のビデオで左右胴の打ち方と腰の切れ、鍔で胴を切るを知りました。 叉そのとき、乳井先生の左拳の位置が右手の肘の下辺りまで来る打ち方の意味が判りませんでした。 泉流の最初は裏から摺り上げてのコテ面、面をものにしました。 これは実に左足の左斜め後方へ引き、右足を軽く踏み込んで面を打つ。 この足の使い方でした。
今月では表からの、裏からの押さえを実践してみました。 どちらかと云うと、相手の竹刀を押さえ、払いするのは好きな方ではありませんでした。 西村の場合は、ほとんどの場合には相手の竹刀を押さえる必要がないのが現状です。 今回、堀内君の肚が出来てきて、西村の攻めに我慢ができるようになりました。 押し込んで打とうとしても、胸突きをして我慢しています。 こんな稽古が数回あったので、泉流を使ってみました。 西村がグット体で攻めは入りかけると、彼はそこをグット我慢をしています。 このままでは、打てません。 少しは工夫をして打ちますが、入っても彼は打たれたと納得した顔をしていません。 今回は、左拳を右手の下にグット入れ、反りの形を竹刀に再現し、彼の竹刀を殺したとき「ア!」と言いました。 そこを面にしっかり捉えました。 彼が押し返そうとしてもビクともしない力を感じた様です。 この時は、表から裏からと見事に同じパターンで入りました。 肚が座った構えのしっかりした相手には体の攻めでは動じません。 そこで、相手の竹刀を心と竹刀を動かすのに苦労します。 しかし、この竹刀を使った用の攻め(体の攻めに対して竹刀の作用)を使うことによって容易になりました。 今までも同じ様なことをしていましたが、左拳の位置をあそこまで入れないから、相手に押し返され十分な竹刀の殺しになっていなかったのです。 この稽古で乳井先生の手のうちがやっと判明しました。 刀の反りが無い分だけ、便宜的に左拳を使ってその補償作用にする。 これが大きなポイントですね! この辺りをこの次に少し詳しく書きます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 一足一刀からの面 過去の参考資料 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 一足一刀の面を打つ為には色んな事を知っておく必要が有る。 それで、過去に西村が書いた関連の書き込みを参考に載せます。 この掲示板の前の物から含めて載せます。 最近になってお読みの方には良いチャンスかもしれません。
{見えない、感じない、反応出来ない動き。}
昔の汽車の動き始めは機関車の引張の力が次々と連結車両につたわる。 新幹線は気が付いたら発車していた。 誰かと話をしていても汽車の動き始めは直ぐ判る。新幹線では判らない。 しかし、心静かに発車の瞬間を待っていると気が付く。 人間は相手の筋肉の一瞬の緊張を察知する能力があるようで。 これは、相手の中に起きた微細な筋の活動電位の立ち上がりを察知する能力が人間にはあると言うことです。 そして、相手はその瞬間を息を潜めて待っています。 これを逆手にとって相手の間合いに入っていく方法があります。 相手の手の平の上にコインを置いて、相手に握られないようにそれを摘み取る方法です。 まず、腰のためを作ってそこから筋の連動があると相手には容易に覚られます。 腰が一瞬固定され、そこを基点に背中、肩、ひじ手首、指先と筋肉が連動していきます。 この流れは相手に察知(見られます)されます。だから、腰のためがないと良い勝負になります。いわゆる、腰にためて瞬発力を使う方法とは違います。 筋の緊張が相手に覚られますから、筋の緊張を最小限か、緊張しないで入って行く方法は上につるし挙げていた手の筋肉のの緊張を抜くのです。ただ手が落ちるに任せたとき、相手はその落ちる手に反応出来ません。目では見てるのですが意識、筋肉が反応しません。その手がコインに触れる瞬間に指で摘み、その瞬間に手を引き上げるのです。相手は感が良ければ摘む筋肉の緊張の瞬間に反応します。普通は手を引き上げる筋肉の緊張が起きた時に手を握ろうとします。 コツが判れば簡単な事です。 面白い様に出来ます、これはフェイントの世界ではありません。反応出来ない世界です。 私は、まあまあの腕の五、六段ぐらいの人までには簡単に間合いに入り込めます。 皆が言います、先生が何時間合いを詰めてしまったか全く判らないと。 気が付いたら目の前にいる、どうしてですか?と皆は聞きます。 要するに色が見えないと言うことです。 横から見ていると私が入っていくのに何故、相手は黙って見ているのか不思議な現象に見える。しかし、対面した相手は気が付かないのです。 身長177センチ、体重105キロの私の動きがつかめないのです。 一足一刀から竹刀で中心を割るように切っ先を少と肩を出し、胸を出し、それからユックリ、静かに腰を(へそ)を前に入れていきます。そこで、ぱっと打つと相手はそら来たとばかりに反応します。相手はそこを待ってます。見えない動きのコツはここで左腰の高さ(ひかがみを伸ばした高さ)を利用し、前足のつっかい棒を静かに外して前方に滑り入ります。この時はコイン取りでは、つるす筋の力を抜くのです。要領は同じです。 筋は緩むので起電力は発生しません。このように打ち間に入ります。そこまで入ると、相手の額のハエをハエたたきで叩く様に、一瞬に蹴り込むと同時にただ斬るという意識で腰で切ります。斬るに必要な必要十分な振りかぶりはできてます。 相手はこの蹴り込みの瞬間に反応します。この反応は、飛んで火にいる夏の虫のごとく 手の中に嵌まります。 そこで、力の差がもう少しあれば、滑り込みの途中で、脚を少し上げる様にして相手に色を(反応のきっかけ)見せます。相手はこれに反応します。相手は脊髄反射の世界に 誘われたことになります。それを見てからユックリ竹刀で斬って行きます。 これをやられると、試合の様なゲーム性は消失し、相手は頭を抱えてしまいます。 これで相手に勝ちすぎると、面白くないので誰も練習に付き合ってくれなくなります。 取った、と思った後、相手に打たせて上げないと可愛そうです。 自分は責め入り、間の勉強、相手を乗せる勉強をさせてもらい、相手には一瞬の面に延びる打ちを体験させてあげる。この余裕が欲しいものです。 これは「膕(ひかみ)」を伸ばすことにコツがあります。背筋を伸ばし、ひかがみを伸ばし、そして筋肉の強い緊張に頼らないで、屈筋伸筋の平衡状態を脚に作り後は靭帯に任せ、左足に六分位体重を乗せます。一足一刀の間合から胸を出して竹刀の先は責めは入ります。その時、足は滑り出した形で前に出ます。これは、左足に乗った体重が右足のつっかえ棒が取れた形で滑るように前に出て打ちまに入ります。相手も当然、微かな気配は察知しているので相手の胸もやや出てきます。これでお互いが打ち間に入ったわけです。しかし、こちらは重力を利用し体が前に滑り落ちようとする原理を利用していますから、相手が察知したい飛び込んでくる時の筋肉の活動電位の立ち上がりが無いので相手は反応できないのです。 これは、相手からみると急激に相手が大きくなるように感じます。 若し、竹刀が上で斬り結ぶ様な事になっても移動距離は相手の倍ぐらい動いてます。 先生と練習していると急に先生が目の前に迫ってきたような感覚になって打たれるときはこれです。 しかし、これが実行出来るには相手より気が上回っていないと出来ません。 相手は、私の竹刀に全力を傾け、本体の動きを見る余裕は有りませんから。 相手が上だと、そうか、そう来るか!と逆に見られます。 相手の心は静かですから見られます。腹を練る必要性がここに有ります。 相手は打ってこないで、竹刀で受けて胴に斬って取られます。 ここでも大切な事が有ります。 見られた、心でしまったと感じます、しかし潔く、見事な胴を打たれる様な面を打ちきることが捨てる修行です。 途中で胴を庇ったり打ちを止めたりするならば、最初から打たないことです。 相手が強いとここの修行をさせて貰えます。 二段ぐらい差のある相手にこれを実行して下さい。そして十分通用するようになると、自分が上の先生に逆にこれをやられていることが良く判ります。 そうすると、先生との練習で、踏ん張り所が見えて来ます。 その頃、同僚より半歩前進した感触を手に入れます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 面打ちの見本は何処で見れるか! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 面打ちは基本で、シンプルなだけに難しい。心の状態が如実に出てくる。 いわゆる大先生、試合に強くて有名な先生等、明治村の八段戦を何度も見に行きました。しかし、試合では基本的な立派な面打ちをする先生はほとんどいませんでした。 ほとんどの先生は勝ちたい勝ちたい剣道で、立派な剣道とはほど遠いです。 (内面の攻め合いは素晴らしい物を感じますが)。 勝負がかかると形の上では、八段戦でもこのていたらくです。 いつもがっかりして帰った物です。 私が一番立派な剣道ぶりを目にするのは京都大会での六段、七段の良く練習をしている方です。 一応審判がいるがそれを気にせず、思いきり攻め、捨てて面を打っていく姿の中にそれを見ます。(攻め合いそのものは少し甘いですが!) その上は、攻め合いのレベルが上がったところで東西対抗の教師八段戦前半です。 この辺りは本当の見本になりますが、初心者中級者にはその良さが判り難い。 見事な胴を打たれるような見事な面打ちを見ます。当たりの盛りに勝負を捨て全身全霊で面を打つ姿は、身震いをするほど素晴らしいものです。 胴を打たれても、あの面を打った自分の決断を褒めてやる様な剣道をしています。 このような面を見れば自分の剣道、面打ちがいかに甘いものかを身にしみて感じます。 これよりレベルが上がると内面の攻め合いが強く中級者には、形、動きとしては物足りない感じがします。 形として、動きとしての模範的面打ちを知りたいならばこれを見るのが一番です。 脳裏にしっかり焼き付くと、そのイメージは知らず知らず近づきます。
心がけその一、昇段審査に向けて審査員に○を貰える様な剣道を心がける。 (結局、求めている物が形にでる。) 精神論はここまでにします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 腰から動く打ち!2 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火)
1-足幅を60〜100センチ離し、剣先(竹刀の先)を腰(お尻)に付け、右足を固 定した※この時腰が残り(へっぴり腰)にならないように十分練習する。 2-1が出来たら、同じ位置から右足を10センチ前方に出しながら面を打つ。 1、2で体の運用、腰で打つの感覚が理解出来ます
これは竹刀を腰で打つ体感、矯正法です。 良く言 腰から始動して打った時、左足が残ると云うことは有りません。 手が始動、右足始動の結果として、体、腰が残ってしまい左足が引きずる事になると思うからです。 (多くは早く竹刀を相手に当てたいとの思いが先行するせいですが) 自分の腰を左足で腰を押しだし、そして機を見て左足を蹴って自分の腰、胴を相手にぶつける様に身を寄せます。 最後の左足を蹴って身を相手に寄せる瞬間に竹刀は一拍子で打ちます。 気分としては振りかぶった感覚は全く有りません。 太だ切る!との意識だけです。 相手に身を近つける瞬間に切ったと意識する打ちです。
1)の説明。 左足の蹴りの瞬間に竹刀が動く感触の体験。 前後の足は場を100センチ位広げますと腰が十分落ちています、左足で蹴って左足が右足の直ぐ後ろまで来るように腰を押し上げ背を伸ばし立ちます。 結構きついものですが、この一動作の時に御尻に着けた竹刀が面の位置まで動かします。 このとき身体の前方への移動エネルギーが竹刀に十分伝わる心地よい一体感を感じます。 剣体一致を感じるはずです。 ゆっくり!よいしょ!と掛け声をかけながら動く位が良いです。 上記の心地良さが感じられたら、この感触を失わない様にしながら少しづつ早めます。
2)の説明。 右足を10センチ程滑らせて前進させます。 これは1)より少し負荷が強いです。 これは左足は蹴っていません。 右足を10センチ程滑らすように前進します。 このとき御尻から膕を通してアキレス腱の緊張(後筋の力を利用)を利用して腰を前に進めます。 (後筋を利用した前進の動きが相手から見えない、感じない世界の動きです。 実に武術的体の運用です。) さて、後は1)と同じです。
ここまでは体の前進と竹刀の一体感の感覚を確認する練習です。
本題はここからになります。 竹刀を正眼の位置に構えて1)と同じ動作をします。 あくまでゆっくりと体感してして下さい。 竹刀は左足が蹴って体を前進させる間に正眼の位置から頭の上で竹刀が45°位まで振り上げて正面を打ちます。 つまり左足の一動作の内に、竹刀が振りかぶり振り下ろすムチの様な切れ目のない連続した面打ちを味わいます。 このとき大切なのは右手で引き上げようとする意識は一切捨て、竹刀の位置に体が前進して左拳が竹刀を押しだした結果、右手が緩み振りかぶってしまったと言う感じです。 その直ぐ後に左足の蹴りの前進のエネルギーが背筋を伸ばす反作用で、竹刀を前方に降り下ろさせます。 これを十分味わって頂くと剣体一致の感覚と一拍子の竹刀の動きの感覚がわかります。
その次が2)と同じ様な右足前進、面打ちを正眼の位置から打ちます。 これもゆっくり体の運用、前進する体のエネルギーが竹刀を動かす体感を十分味わって下さい。 ここまでが身体と竹刀の動きの矯正動作です。
では、実際の稽古ではどうするかを説明します。 その前に西野先生の面打ちを島野君のホームページで見たでしょうか。 是非見ておいて下さい。 足幅の前後は、右足の踵かややそこより前の土踏まずの位置に左足の指が来るぐらいの足の前後位が良い。 足は場狭くすっくと立った感じ。 膕は十分伸びているが、いつでも動ける緩みが有る状態。 ここから腰がゆっくり少し前進し、その後、脚の後筋が腰をググッと押しだします。 それに連れて右足が前に滑り出ます。 約40〜60センチ出た後、左足を蹴りだします。 この瞬間まで左拳は上げません。 左足が蹴り出し体と腰をさらに押しだすとき、右足が前にパッと出るとき。 この瞬発力の発揮される時に、一気に面を打ちます。 このとき、一拍子で打ちます。 小手も胴も突きも頂きません。 これより早く手元を上げると、相手に見られます。 言うが易く、行うが難しの面打ちです。 しかし、西村の開発した体と竹刀の運用を手順を追って練習されると出きる様になります。 大きな体の(腰)前進するエネルギーを次第に上体に伝え軽い竹刀へそのエネルギーを収束させる訳です。 この辺りは肩甲骨、胸の使い方、脇の締め方、手の下筋、手首の中筋の使い方など、 最後の手の内等をプリントアウトして良く読んで下さい。 七段ぐらいの先生方にもお陰で自分の剣道が良くなっと感謝のメールをいただいています。 西村の指導で高段者になっていった人もかなりいます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 面を打つ前に!相手の心を動かす2 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 用の攻め、体の攻め、さらに面を見せる。
今日の稽古は攻めの説明を書いたように実践した。 用の攻め、体の攻めを実践するにも相手によって難しい。
一人目はは既に八段受験をしている人。 二人目は昨年秋、八段受験し一次合格をした強者。 七段合格は私の方が後だから相手が元立ち。 さて、私の心のレベルでは懸かっていっていない。 いかに引きだして打ち取ろうかと思っている私である。 お願いいたします!の様な気持ちは無い、久しぶりにお相手致します!の気分。 大切なのは先を取り、相手を引きだすぐらいの気持ちを持たないと技は使えない。 今日は、ほとん相手に打たれる事は無かった。
私が書いたようにするとコテが決まった。 コテ、面が決まった。 しかし、余り自分では感心しないし、相手も参ったという顔はしない。 心が余り動かないのに打たれたから、心を打たれた気がしていないだ。 そこで、上から乗るように体を少し進めながら、中心を取るように竹刀をすり込み攻め入る。 ここで打ち合いをすると同じ結果になる。 そこで、面を見せる。 相手は苦しいところから、思わず見えた面に出てくる。 そこでコテ、見事に決まる。 同じくそこで、胴、見事に決まる。 相手は身体も、心も浮いた所を打たれたから「参った」と言った。
さすがに、相手もさる者、面を取りに行く余裕を私には与えなかった。 これ見せてコテ、胴を取る所から面を取るまでの距離が私の稽古だ。 課題だ!! 犬から狼へ!!!
これは、本来元立ちの技である。 下手に立っても、それは先輩としての敬意を払っているので、蹲踞、竹刀を交えた時点からは互角と思わず、使うと思う元立ちの位を心に持つ。 これが無いと先はとれない。 やはり「心」が最上位に立つ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 攻めて相手の心を! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 実際にやってみました。
古本です。 私の攻めの実践研究結果を報告します。 まず相手と対峙し、「用の攻め」を用います。 その際手元を柔らかくして、竹刀の表から裏から中心を取って 相手を攻めあげます。 この時強い人からは、強烈な攻めの気を感じます。
そして機をみて「体の攻め」で、おもいきり自分を捨てて ヒョイという感じて体で相手の懐の中に構えた姿勢のままで攻め込んで 入ります。 その時相手の反応を見て打突します。
相手の反応に 1、のけぞる。 2、手元を少し上げる 3、手元を頭上まで上げ防御態勢を取る。 4、打ってくる。 5、下がる。(手元も動き防御態勢になる) 6、無反応(強い人と弱い人) があります。
1の時は、面にいきます。 2の時は、小手にいきます。 3の時は困ります。 4の時は出頭の面にいきます。 5の時も困ります。 6の時はその際には打てませんので、次の機会を探りますが、 強い人に場合(この場合は八段クラス)ですので、簡単にはいきません。 攻め入りを浅くしたり深くしたり攻め込む箇所を若干変えると日によって 捉えることができます。 無反応の弱い人の場合、竹刀の下を攻め込むと反応して面が開きますので 面にいきます。
ここで、1か2の反応は結構強い人(七段か強い六段)がします。 3と5は弱い人に多いのですが、たまに六段クラスがすることがあります。 4は、若い優秀な中学生 6は基本的に非常に強い人で8段クラス 逆に非常に弱い人に多いのですが、六段クラスにもいました。
この面の打ち方は、西野先生の面打ちを一人稽古で練習する内に出来る ようになったもので、初心者に教えてみましたが難しいようです。 自分では溜めのある面打ちと呼んでいます。
ただ形に現れた攻めなので、直接相手の無意識に強引に作用させている感じが します。この稽古を続けていると月影の様に微妙な攻めで相手に作用 することが出来るようになるのではないかと考えています。
もう十分剣道を研究されているのが判ります。 セオリー、理合が見えている人だと判ります。 そこで、研究結果を見込みのある人に教えてあげて下さい。 そうすると、教える時に自分の理解がより深くなりなったり、明確になります。
さて、弱い人で3を取る場合は恐がっているから無意識に逃げたり、身を庇うタイプです。 そこで、攻めを弱くして面を見せれば乗ってきます。
強い人で3をされる人は試合巧者で剣道をタイミングでしている人で、相手の仕掛けには間を外す、防御を取るタイプです。 全日本の試合でもこれに終始して、長々と延長をしています。 残念ながら試合には強いです。 結局打たれなければ勝という計算です。 警察官の試合のビデオを見ると結構これが多いです。 段位が上がると昇段審査で苦労します。 通常六段審査で苦労しますが、強ければ何とかなります。 しかし、七段あたりになれば難しいでしょう。 知り合いで、試合に非常に強く32才で七段を取った人が八段で凄く苦労しています。 当てあいをすれば八段に負けません。 しかし、品がない身勝手な当てっこ剣道に終始しています。 本人も判っているのですが、身についてしまった物は消えません。
かなり強い高校生もこれをやります。 一時高校生のこの防御方に、大問題になりましたが、今や全日本選手権でこれをやる人が優勝していますから何をか言わんやです。
4の時、面で取るのもよし、胴に取るのもよしです。 さらに、打たせて胴を取ると二段の差です その攻めを出来るだけ相手と離れ、小さな動きで引けださせれば尚見事に決まります。
もう一つ研究してみて下さい。 次に面に強い相手に、攻めを緩める。 「緩める先」 緊張状態が最高潮に達した時に、左の踵を少し緩めます。 気の押し合いで相手が少し緩むと、もたれていた壁が急にのれんに変わりかけた様な感じがして引き込まれるようにして来るか、シメタと思い面に動き始めます。 そこでの出コテは見事に決まります。
八段クラスは肚が出来ているの動かすのは難しい。 剣道は結局肚の出来具合が強さの違いです。 しかし、今の研究が充実すれば、相手の攻めに我慢のしどころ、踏ん張り所が見えて来ます 今度は相手の攻めに動かされないとき、先生が帰りに「腕が上がったな!」と声をかけてくれる事もあります。 結局、このレベルになれば竹刀を動かす前、それが問題なのですね。 ツリー全体を読む
△上に戻る 心の見取り稽古 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 剣道日本3月号 有満政明 範士八段の話から。
「心の見取り」を試す。
上位に対してどう稽古をするか? ある程度の腕になってくると、誰しもが悩む問題です。 それぞれが自分の判断で、叉はウヤムヤにしながら稽古をしています。 前回自分の意見を書きましたが、違う意見の先生の話が載っていましたので紹介します。 (同じような稽古、岩立先生のお考えも載っていたような気もしますが)
有満先生の話。 「元立ちに掛かる場合、その元立ちの先生を打つ事が出来たとする。」 「しかし、打ってはいけない。」 「先生の心をしっかり見取って、先生は必ずこうくると想定して、打って出て、うたれるんです。」
「元立ちの先生が自分を打ちのめしてくれるとは限らない。 足、腰のしっかりした自分の打ちが決まる場合がある。 そこで、打ち勝ってしまうより、先生相手にもう一つ工夫をした稽古がある。 自分が面を打てば、きっと返し胴を打つだろうと思った時、面を打って胴を打たす。 こちらの思惑通りになったわけですから。こちらに分があったわけです。」 「攻め勝って、相手の虚を打てば入りますが、相手の心を見取るもう一つ上の稽古をします。」 「もし、違う対応で打たれた時は読み切れなかったことになります。 相手のレベルが高いと通用しません。 打ちのめされるだけです。」
なる程、有満先生なら先輩、元立ちの先生方を素早く追いこしていったと思います。 相手に失礼がなく、かつ十分な自分の心の稽古の方法を見つけたのですね。 この発想は西村には全く無かったので紹介しました。
素人、趣味の剣道家には難しい稽古法かもしれませんが、元立ちに掛かる稽古法の一つとしては参考になります。
有満先生のこぼれ話。 佐藤博信先生と話していたときの事です。 西村ああ佐藤先生に話しました。 「東西対抗で岩立先生と有満先生の対戦で、岩立先生が得意の攻めの面で有満先生に面をとって勝たれましたね」 「ビデオ出見たその時の
佐藤先生は次のように。 「いやー!あれは見事な面だった。場内が一瞬静まったよ。」 「岩立先生の本領発揮というところだ。」 「しかし、有満先生もさる者、次の国体で見事に岩立先生に勝っている。」
さて、同じ様な事を原田先生に言いました。 佐藤先生と同じようなことを言われました。
なるほど!見ている人は見ているものだ!と思った。 ツリー全体を読む
△上に戻る 打ちに走っては入らない! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 今日は江戸川区の稽古に愛知の先生が来られた。 中々切れ味が良い剣道で強い人です。 西村との稽古は構えたところで西村の勝ちでした。 彼の攻めが西村の心に響かない! 私の攻めが相手の反応として出てくる。 打ち合いをすると若さもあって、簡単には打てません。 しかし、攻めて、溜めてそこから捨てて緩やかに入ると辛抱が出来ず打て来る。 竹刀が打ちに行った方が負け。 西村に返されて勝負有り。 出頭を打たれて勝負有り。 最後はスーッと前に出て、面を見せて引きだして右左と二つ胴が決まって終了。 彼はこの二つ胴を打たれたことで何かを感じたようだ。
さて、江戸川でも五段の部で優勝した大柄な稽古熱心なN君。 八段の先生にも果敢に攻め面を打っていく伸び盛りの人です。 彼が愛知からのお客さんと稽古をした。 愛知の方が元立ちでした。 蹲踞に入る所から重心の位置が違っていた。 N君は前に重心が懸かり、元立ちの人は重心が真ん中に会った。 横から眺め勝負有と感じた。 立って構えた姿にN君右足に体重が懸かり、今にも面に跳ぶ気分。 一方は、重心の位置が真ん中に有り、打ち気はなく先ずは攻め合いの気分。 この二つの気分、打ち気の気分が攻め合いの気分にぶつかった。 攻め合いの気分は相手の打ち気の気分を感じ、そこで既に余裕を持つ。 打ち気の気分の強さが、相手に余裕を与える作業をしていることに気がつかない。 案の定、面を打った所、摺り上げられて面をいただいていた。 稽古は一方的な懸かるほう、受けて立つほうのパターンに入ってしまっていた。
稽古の後西村がN君に言った「蹲踞から立つとき、立った後の重心の位置が打ち気で一杯だよ!あれじゃ!相手に余裕をあげてしまっている。」 「攻め合い、打ちあう前に相手に勝ちを与えることはないよ!」 「右膝を痛め、重心が左に乗っていた時は七段の風格が有った。」 「あの気分を忘れないように!」
本人も笑いながら頭を掻いていた。 意味が良く判ってくれたと思う。
その後、「あの八段の先生に竹刀は当たるのに、西村先生にはかすりもしない。」と言った。 「貴方と彼は竹刀で勝負をしている。」 「そうすると、時には当たる。」 「私は貴方と別に打ちあい、叩きあいをしている気は無い。」 「ただ攻め合い、気の応酬を楽しんでいる。」 「貴方を居着かせるか、引きだすかを楽しんでいる。」 「そこに貴方がハマッテクル!」 「それだけだよ!」
「若い八段はなるほど剣道はプロだと思うし、見事な物だ。」 「竹刀において貴方が刃が立たない。」 「西村の剣道は、死も安らかに受け入れる程の人生をやって来た結果だ。」 「貴方はそこに立ち向かいその心の壁の厚さに負けていく。」 「前者とは竹刀競技をし、私とは気、人生の押しあいをしている。」 「その結果として面が入った、コテが入った、胴を打たれたでしかない。」 「御互いに剣道は趣味だから心と心をぶつけ有って御互いを磨くものだ。」 「叩きあいに意識を強く置くのは余り意味がない。]
「あの若い八段の年収と比べ、私の年収は20倍位有ると思うよ。」 「そう言う自信が有ったら、竹刀の叩き合いの結果など蚊がさした位にしか感じない。」 「その叩きあい、打ち合いをする前の心の葛藤、気分等を楽しむ心が楽しい。」
その後が有る。 N君が言うには。 「友人が歯科医の勤務医ですが、歯科医も結構倒産しているって聞きました。」 「それなのに、何故西村先生だけが違うのかと言っていました。」 「何処が違うのだろうと言っていました」。 西村は「西村歯科医院の経営内容は日本一だと太鼓判を押してもらったよ!」 「私と剣道をしてみればその意味が判る。」と言った。 彼が「そらそうだ!」と言った。
不景気に悩む自営業の皆様、要は気分次第と言うことです。 いつの時代も二割上昇、八割下降。 二割に入る気分を持とう! 特その気分が剣道を変えて行く。 目の前のことよりも、その一歩、二歩奥を高めよう! ツリー全体を読む
△上に戻る 「腰と丹田で行なう剣道」 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 未だ、森田文十郎先生の「腰と丹田で行剣道」を読んでいない人へ。
試合で強さを発揮してきた人が、六段、七段に受からないことが多い。 それは、稽古、練習、試合で相手に当てることの上手は、親から貰った身体能力の結果であって武術的な身体活用がなされていないからです。 この武術的身体活用は極く生理的な体の運用です。 面を打つ動作は足、腰、腕とその動きは正に二足歩行の原理です。 しかし、竹刀を持つと素早く相手に竹刀で当てに行く意識が、基本動作を誤らせます。 二足歩行を素早く行った結果、手に持った竹刀が素早く動く。 竹刀を持たないときは簡単にできるのに、竹刀を持つと上手くいかない。 これが意識の仕業です。 これから先生の文章の抜粋を書き込みます。 何か閃いたら!是非本を買って読んで見て下さい。
ページ35〜36から。 ()内は西村の意見。 1,中段から一歩前進の間に適当な対角線活動をすれば、それが一拍子の打ちとなる。 (昔、岩手の剣道連盟の会長が「剣道は一歩前進して打つのだよ!」と言われていたことを聞いたことがある。) 2,動きの第一波は左腰から起きる。 その波は丹田と左手にほとんど動じに伝わる。 左手は左手の腰の移動に連れて前進開始。 (この左手の前進を少し遅れる様にタメた分がバネの様な瞬発力となる。) 右腕もこれに連れて運動を起こし、対角線の法則に従って前進を開始する。 3、右腰も左手と呼応しつつ、あるいは技の種類によって、やや遅れたりして第一波を感じ、前進を始め右足もこれに連れて進む。 4、やがて、右足が着地する頃、左手は左手は引き手に変わり、右手は押しての本領を発揮して、三味一体となって、左足の着地を迎えて一拍子の打ちを完了する。 (これは自分で歩いて見て、手足の動きを観察すればすぐ判る-西村) (この引き手の終着点が鳩尾の高さで、左脇が締まることによって急激な引き手になる。) (この引き手になる瞬間は竹刀が正に面に当たる瞬間で、さらに右手が押し手になる。)(この引き手と押しての作用がハンカチ程度の茶巾を前後にしごく手つきに似ている。) (軽く絞り込みながら、前後に手元でしごく--茶巾絞り-西村も風呂場、台所で何度も実験してみましたし、お茶の作法、お点前も見せて頂きました。) 5,この動作は始めから終わりまで呼気で打つことが大切である。 丹田の力が抜けるから。 (西村は入り身は吸気で打ち身は呼気と思っている。) (以前に、古川先生とお話したことが合って意見が一致した。) (榊原先生も同意見だ!) (呼気で入っていくと、相手が緊張に入って行くが、吸気で入り身になると相手が緩む。) ((吸気で入ると気配が消える。吸気と呼気の転換が難しい。) (吸気で胸を開きながら気配を消し体を進め、左足が蹴り足になったと呼気となり一瞬に胸をすぼめ胸を降ろしながら胴体力を使いながら一瞬に打つ。)
先生は剣道の専門家として剣道を指導しながら58歳までこのことに気がつかなかったと書いておられる。 しかも、これを知らずして母校でその専門家を養成していたことは、何と不思議なことだろうと述懐されている。 西村は日本で早くから歯の噛みあわせと顎の動き、それと姿勢の関係を研究していた。 咬合と重心の関係など学会で発表してきた関係で、早くからそれに気がついていた。
○「故人は教えて言う、一歩前進して打て。」 ○右足の着地と同じに左足が引きつけられ、その時左手の引き手が利いて冴えた打突となる。左右の足が運ばれる間に自然に左手の押して引き手が働くのである。 これが剣の完全操作である。
(以前、岡田さんが左足の引きつけに気をつけていると言われた。これが結果として左手の引き手を強め冴えのある打ちを目指したのだと思う。 矯正動作とすれば正解だと思う。 そこで、西村が左足が蹴って前進すれば、左足は意識しなくても自然に引きつけられると言った。 そのように人間は歩いているから。 左足が流れるのは右足、右肩が勝って前進した結、左足、腰が引きずられることになると言った。 左足が体を前進させる前に、右足が先に前進してしまうからだと思う。 出来れば矯正動作が必要でない、自然な動きをすれば良いと思う。
多くは竹刀に意識が行き、体を前傾させ腕で竹刀を操作し打ちに行く。 コツはその逆で、重心をスーッと前に滑らせ機が熟したと時、一気に左足を蹴って、胸の動体力を使って「石火の打ち」で面を打つ。 その時自分の胴を相手にぶつけるような感じで前進する。 左拳は相手の鼻っ柱を摺り上げる勢いで進む。 その瞬間、右手手首、同じく肘は緩み自然に振り上げとなる。 右手はほとんど引き上げに参加せずに、左拳の押し手が押し上げとなっている。 未熟者はほとんどこの逆動作になっている。
竹刀を持っている意識を捨てれば、体を相手にぶつけに行った結果、知らない間に見事な面を打っていたと言う結果になる。 『竹刀を持つのを止めたら!』と言う忠告がここに生きる。 ○刀を使う時、即ち摺り上げたり応じたリするときは、柔らかくなっている手首を中心に働かせ、力の入っていない柔らかな両拳をを茶巾絞りの要領で、右を押し手、左を引き手として極めて迅速に握りしめる。 打突の時は刀が將に相手に触れようとする解きに、茶巾絞り・押して・引き手の要領で極めて迅速に握りしめる。
以上。 次回は「相手のわきまえぬ内に心を得る」を書きます。 相手の動きの予知です! 乞うご期待! ツリー全体を読む
△上に戻る 左拳の位置は攻めが入ると 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 左拳の位置は攻めが入るとやや変わる。
多くの人は左拳の位置に一般的な教え通り置きます。 この位置は間違いない位置ですが、三次元的そこを定めても機能が入っていません。 おそらくその位置は休めの位置だと思います。 相手がいない時にこの構えになりがちです。 この位置では死に体、死に左拳です。
おそらくこの時は左脇が甘く、前から竹刀を入れるとあ明きの下から肘の間に竹刀が通っていくと思います。 正面から見ると、肘の横から向こう側が見えます。 京都で指摘したのもそこです。 さて、そこからがあります。 相手に打とうとしたとき、左脇が胴を擦る様に少し締まり、左肘の角度も少し大きくなり、左手首の上のしわが伸びる様に軽く締まります。 このとき左拳は拳の大きさの1/3 程上に上がり、1/3程前に進みます。 これは六段の人が七段を受けるときに西村良く注意をすることです。 攻めの意識のみが目から発し、相手をにらみ付ける。 しかし、左足から発した気を、腰、肩、肘、手首を通して竹刀に伝え、相手に送る攻めの気が無いのです。 竹刀のめが緩んでるのです。 此処で突き攻めに入る瞬間、叉は体を(腰)進めて打とうとする瞬間は必ずこの拳の位置に一度持っていってから振りかぶります。 高段者は十分距離を取って相手と構えた時は拳の位置が緩んで休みの位置ですが、いざ本気で構えたときはそこには攻めの気が入っていますから当然やや上で前進した位置になっています。
良く一生懸命睨んで攻めているつもりですが、それはニラメッコで体から発した竹刀に気が伝わっていません。
例をあげれば短距離でクラウチングスタートに立ったとき、ピストルを発射の前の「よーい!」を聞く前の状態と「よーい!」を聞いて腰が上がった位置、次のピストル音で一瞬に飛び出す態勢の違いです。 もう少し例を挙げれば短距離のクラウチングスタートと長距離のスタンディングスタートの差の様な物です。 剣道は短距離のスタートの腰が上がって「ドン!」の音を聞く状態にして構えが成り立ちます。
剣道の構えを見ていますと、ほとんどの人が、右足に体重を載せて休め、左拳を下げて休めこの2重の休めで目だけ睨んでいます。 西村はこの休めがありません。 そこで攻め入りますと、相手は先ず体重を一度左足に乗せ重心のキャッチボールを致します。 それが出きると次に左肘を締め、拳をやや突きだしそれから振りかぶり、そして右足をそれから出して打っで打ってきます。 1-右から左、2-脇を締め肘を伸ばす、3-振りかぶます、4-それから右足を出してきます、5-そして左足で蹴って竹刀を振り下ろします。
西村の場合は左足が腰をゆっくり進め、右足を緩め前進します。 長い一拍子の打ちです。 この攻めで相手の腰と気分が浮き打つしかなくなって1〜5の動作をします。 西村は相手の2-〜3-の間に左足を蹴ると同じに、拳の上がり端を斬ります。 これが出ゴテです。 腕が上がればこれが2拍子位になりますが、やはりこの一拍子には負けます。高段者には余計に打たれます。
この二人が相対すればスローモーションで打ってくるように遅いです。 京都での田伐さんが西村と稽古をしたときを思い出して頂くと良く判ると思います。 若くて早いはずの田伐さんが西村に手玉に取られます。 六段で強い七段候補の田井さん辺りで2〜3拍子です。 島野さんでは長ーい1拍子です。 だから、西村の攻めに乗ってきませんし、西村が打つチャンスがありません。 これが西村が島野さんをつかめない理由です。
先日強い七段候補のKさんも左脇の甘さが問題で指摘して、西村の脇に手の平を入れさせてその感触を教えました。 顔がパッと赤くなって愁眉が開きました。 意味が良く判ったのだと思います。
剣道の講習会で此処まで教えれば良いのですが、教える能力がない。 強いだけで指導力、教育能力、分析能力の欠如です。 ゴルフなら、西村のこのぐらいの表現で教えて行くと思います。 その代金を取って教えるプロがいないのが現状です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 『敵のわきまえぬ内を心に得る』 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年7月2日(火) 『敵のわきまえぬ内を心に得る』
敵を打つ拍子に、一拍子と云いて、敵我が当たるほどの位を得て、『敵のわきまえぬ内を心に得て』、その身も動かさず、心も付かず、如何にも早く、直ぐに打つ拍子なり。 敵の太
このことは森先生は彼なりに解釈されているので読まれたい。
西村の話です 一年間の七転八倒の精神的葛藤の時間を経て、診療室を二院閉鎖し一億三千万円程捨てた。 具体的な物、お金の執着、我執を捨てることが何とスッキリと為たことかと感じた。 すると、今まで全く刃が立たなかった人の打ち気が手に取るように判る様になった。 相手の心の打ち気が手に取るように判る様になった。 この映り方は心の静かさと比例することも判った。 何かが心に引っ掛かることがあると、心の鏡は曇ることが判る。 そうすると、十年以上休んでほとんど稽古することなく四ヶ月間で六段が受かった。周りから見れば奇跡の様にに映った様だ。
西村には人に世話になってきた人生があり、お金を精神的な玩具に扱うことは出来ない。 よって、お金はバクチ(賭博)、や投機的目的には使わない。 お金は汗して稼ぎ相手が喜び自分が喜んだ結果手にするものと思っている。 お金を使うときもそのような感覚で使う。 物々交換から貨幣経済に移って間もない期間の人の感覚だ。
物事の本質を見ることを誤らなければ、そんな錯覚に陥らない。
「見えているいる事は見えない海に漂う一艘の小舟の様な物だ!」 「見える人は、見てなくても見ている。」 目の前の現象はそれ自体が何であるかを目では判断しても、その奥を見た目で判断しないと見誤ることが多い。
ここまでが、前置きです。 ここから剣道の話に入ります。
六段ぐらいになると、高校生のフェイントには引っ掛からない。 しかし、同じ高校生や、初級者はそれに引っ掛かる。 なるほど相手の罠に嵌まった訳だ。 では、何で高段者はそれに引っ掛からないのだろう。 先ずいえる事は精神的余裕出あろう。 これは誰もが言うことだ。 腕がかなり違えば相手の動きがフェイントなのか、そうでないのかは区別がつく。 それは何かと言うと、本気になって打つときは胴体力(腰を中心とした起立筋を含めた深層筋の力)の動きがその準備をしてから、手足が動く。
この深層筋の動きがある打とうとする動作と、そうでない動きは見える目があれば直ぐ判る。 普段は余り意識しないが、一度ぎっくり腰をしたことがある人には判ると思うが、歩行も困難になる。 このように何気なく、当然の様にしていることも奥深い筋肉の働きがあって、手足が動き、二足歩行が出きる事が判る。 本気で打つときは、この深層筋が準備をしている。 発起で打つ気のないときは、この深層筋が準備をしていない。 剣道を長くしてきた人のは、感の鋭い人にはそれが区別がつく。 同じ相手の動きを見ても、見える人は見えている。 同じ相手の動きを見ても、見えない人には見えないことになる。 さらに、見える力がある人も、心に何か引っ掛かり、執着が強くあると心の鏡は曇り感じなくなってしまう。 「澄みたる心は、妙観を得る。」 「心を放てば(放心)敵のわきまえううちを心に得。」
西村が打ち気の強い時は六段を一度落ちた。 それから一年間、心の修業をし、二院を閉鎖し多額のお金を捨てたら、ほとんど練習をすることなく満点で合格した。 力があったが、足を引っ張る物が無くなったということで、実力が出た。 七段の時も同じで、国税不服審判所において理不尽な国を相手に怒りながら闘っているときは合格しなかった。 この時期、六段相手に十本のうち一本も打たれないはずが数本取られていた。 呼吸法で自分自身の魂の世界へ行ってきて、少し不思議な事が出きるようになり、七千万円をサッと国にあげたら、ほとんど練習をしない3年間のハンディーもないように満点で受かった。 インドまでサイババに会いに行き、朝の五時から瞑想をしているときに一つの真実に気がついた。 「本当の幸せは、輪が心の中にあり!」と!! そしたら、インドの最果ての地、プッタパルティーまでサイババに会いに行きながら、その一瞬にサイババへの興味が失せた。 十年間さ苦しみ、さ迷い、修業した精神世界の旅に、一区切りがついた。 その後帰ってきた3月に稽古をした元全日本選手権者で最年少に八段に受かった人が西村に使われたと言った。 その四月に稽古をしたその年の東西対抗の大将の大沢先生が「君もう受かるよ(八段)と言われた。」「昨年七段に受かった所です!」と言うと驚かれた。 この年は、本当に心に透明感があった年だった。 ある人に言われる「西村先生はあるとき、突如として神懸かりに強くなるときがある。」
ここには二つのテーマがあります。 ○相手の心が映る程に心の鏡が磨かれていること。 ○経験によって動きの本質を読む力がついていること。 ここまでは、一応皆様に理解していただける範囲だと思います。
剣先(竹刀の先)を下げ小手を攻める、叉は胴を突くように進める。 この操作をすると相手はその竹刀の動きにそうはさせないと押えに来る。 同じタイミングで数回小手を打つと、相手はこちらの心が小手の「こ〜」と思った瞬間に、こちらの動きを察知して小手を庇いかける。 しかし、面白いことに相手は真っ直ぐ正眼に構えているつもりだ。 自分の竹刀が相手の竹刀を押えに行ったり、相手の剣先(竹刀の先)に引きずられていつなどとは露ほどにも気がついていない。 顕在意識(有意識)は竹刀を相手の目なり、喉元に付けているつもりだが、無意識は絶対小手に来る、下からの突きは嫌といって竹刀で庇いに懸かっている。 この相手の中の二つの意識の分裂を誘い、この無意識をコントロールする。 同じく打ちたい打ちたい相手に遠間で少し面を見せてあげる。 すると、打てそうだと思い距離を感じ中止する。 同じタイミングでスッと距離を縮めて同じことをすると、喜んで打って出てくる。 これは、結局「月影の原理}だ!! このように相手の形に出てこない「心」の部分を扱う心法の流儀を「陰流」という。 「新陰流」の元の意味もここにある。
このように相手が気がついていない無意識を使い、相手をパターンにはめ込み誘って、手玉に取る。 相手が誘われて打ちに懸かった時は、条件反射的な無意識の動きだ。 そして、顕在意識はその後に打つことを決めて打つ。 剣道を知っていれば、一応相手の剣先(竹刀の先)の動きでそれを察知する。 しかし、ここで知ったときは遅れを取る。 次に、相手の手元を見よ!という言葉がある。 これも大切な事だ! 相手は打つ前に小手の動きに正体を見せる。 もっと早く正体を見せる所がある。 それは胸だ!胸がグッとせり出してくる。 相手の無意識がこちらに嵌まって打つことを決めた瞬間を捉える事が出きる。 胸が正体を現す。 これを知る人は少ない。 ここを見て打てば相手の無意識が決定し、有意識の決定前する前に打つことが出きる。 これを「相手がわきまえぬ内に打つ!」と言うことになる。
鈴木さんの書込みから。 『刀者が、攻め込まれ−剣先を押さえられ−そして打たれた。と感じるのではなく、対峙して心が動いた 途端、いつの間にか打たれてしまっていた。と感じるのが「武蔵会」二刀の特徴です。 なかなか、難しいですけどね。』 まさに同じことを言っています。
では、何故に胸が正体を出すかといえば、打つ前に胸を少し出し、肩甲骨を下げて胴体力を使って打つ準備を始めるからです。 相手の無意識が決定した深部の筋肉の動きからより早く察知ができる訳だ。 この典型的な形を上手に相手に気付かせ、そこでチョットばかし意識してテンポを崩すと、相手が受けにかかって来ないので受けを戻そうとした所を打てる。 高級な上手い方法である。 八段の真砂先生の面打ちによく見られる面打ちである。 これは、「真砂先生の面はチョットと遅れて竹刀が出るが、これが良くはいる。」と言っていた原田先生の言葉を思い出し、事あるごとに見ていたらやはりそうであった。 初心者で手足が一致していない人の面を受けそこなうのと全く反対だが動作と結果は似ている。 細かい事ですが誰もが知っています。 小手を打つ前にチラリチライ目が小手に行く、視線が行く、臆病になると相手から視線をそらすのも同じです。 高段者になればなるほどこの辺りの深さが極まり、本人同士は必死だが、それを見ている人はあくびが出る。 技量が近づけば面白いが差がありすぎるとさっぱり判らない。
「秘伝」と言われていることも、ある意味ではこのように説明がつきます。
◎これからは、理解しがたい部分に入っていく。
森田文十郎先生の剣道の本は従来型の説明と違い、かなり科学的な合理的な説明で剣道の動きを書かれているのが特徴的だ! しかし、その一方「え!」と言うことが書いてある。 科学的説明、変じて超能力まがいの事が現れる。 第三章「魂の座」がそれにあたる。 ○インスピレーション(霊感) ○テレパシー(読心術) ○透視 ○念力 等かなり詳しく研究され書かれている。 森田先生の中ではほぼその存在を確信されているとは思い、かっての名人、達人、流祖は剣道の奥深いこの辺りまで踏み入った人達だと思っておられる。 いかにしてそこに行着くかを真面目に研究された事だと思う。 残念な事意は研究に終始してしまった事にある。 それが出きる人を探し体験させて貰えば一番早かったのだが。 西村は精神世界に身を置き、森田先生が切望し望みえなかった人達に数多く出会って来た。 それだけでなく、少しならば西村自身がする事が出来、それを伝授することが出きるようになった。 西村のホームページをよく見て下さい。 西村の友人森田君のhpを見てください。 http://fushigi.accnet.co.jp/menu.asp 捜して見れば、本物、キワモノ等かなりあります。 最近では精神エネルギーの伝搬を含め「波動」と云う表現でも話されています。
西村の書いた本、紹介した本は私の友人達ですから、西村には本物と信じています。 今の科学的説明では説明不能なる現象を目の当たりに見せられると信じるしかありません。 自分がある分野で出きる様になると、彼らは西村よりもっと凄いだけです。 実は誰もが少しは持っていますが、そのことに気がつかないだけです。
さて、オーリングテスト、ダウジング、等は自分自身の内にある超能力的な部分を筋肉の力の現象を使って引きだす方法です。 特にバイデジタル・オーリングテストは世界的に医師が癌の治療などに実践に使っている方法でもあります。 日本バイ・ディジタルO−リングテスト医学会公式ホームページ http://www2.ktarn.or.jp/~o-ring/index.html この方面では先駆者の堤君のhpです。 日本ダウザー協会のホームページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~rna/DOWSERS.HTM
剣道でも仕事でも極めれば人と神仏の領域の堺まで踏み込んで行くものです。 臨死体験などは一番近道ですが、危険が多すぎますから要注意。 一歩間違えばオーム教の世界に近づきます。 この危ない世界から出れない人の為に書いた本が「あなたは変われる」でした。
取りあえず、何か自分に知らない力があるのかな?と思ったら望月君のセミナーへ。 望月俊孝著(ヴォルテックス代表) http://www.reiki.ne.jp/book.html
西村は船井オープンワールドでこの種の最高の人に会せて上げると書いたが、一人しか剣道家は来なかった。 竹刀を振るばかりが剣道の修業ではないことに、ほとんどの人が気がついていない。 魂のレベルを上げる為の数ある方法、手段の一つが剣道出あることに気がついていない。 森田先生は気付き始めたが剣道の世界と、書籍の世界で探された。 西村は実際の社会の人間の関わりの間で探し当てた。 ここが違います。 竹刀で相手の頭を叩きあって喜んでいるのは剣道の動きと幼稚な心の世界にしか過ぎない。 魂を磨く一つの手段として剣道を愛したい物だ!
さて、波動については改めて書きたいと思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古6/17から 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年6月18日(火) 全剣連合同稽古6/17月
土曜稽古は午前中に歯の噛み合わせを少し変えた。 十分調整しないで行き、尚且つ昼食をとり、行く途中の車の中で眠ってしまった。 身体は休憩タイムに突入してしまっていた。 噛み合わせが合っていないせいか、40分経ったころから腰と背中が痛くなる。 それでも60分頑張ったが、その後30分を稽古したからたまらない。 腰と背中の筋肉がバンバンに張ってしまい、ヒザが立てないほどきつくなった。 こういう時は、行っても見取り稽古をするものだ!!!反省。 夜は家族でイクスペアリへ映画に行く、椅子に座っているだけで背中と腰が痛い。 これに懲りて日曜日に身体をほぐす。 針、瀉血、気功整体、吸角、体操、水泳、サウナとフルコースで身体をほぐす。 今日、昼休みに妻に腰の痛いところら瀉血をしてもらう。 少し腰がシャンとする。 午後再度噛み合わせを調整、しっかりドンピシャと決る。 その瞬間から、身体は別人のように爽快になりいつでも臨戦態勢の準備完了。 その瞬間から弱い七段から八段をしのぐ身体に変身。 まるで噛み合わせで、仮面ライダーの様に変身する。 それが『驚異の咬合学だ!』 今日の午前中は佐藤博信先生の治療。 噛みあわせと剣道の話しから、永松陟先生の話しになった。 先生が一時噛み合わせがしっくり行っていないときがあった。 身体が歪みかけていた。 それで、西村が義歯で先生の顎、頚椎、姿勢をほぼ100%仕上げた話しをした。 すると佐藤先生が言った。 「それで分かった! あの先生は私より年上だが、病気はしない、あちらが痛いこちらが痛いなどの話しは聞いたことがない! 何であんなに健康なのだろうと思っていた! 先生が噛み合わせを完全にしたのか、それでか!」
さて、このしっかりとした身体と冴えた意識で武道館へ行く。
高杉さんと稽古。 先ずは六段お目出度うございます。 それより、強さは既に十分に七段だ! 身体能力が高いので理合いに欠ける所があり、粗削りだがめっぽう強い。 後は月に一度位、全剣連合同稽古の様な所で稽古をすれば素晴らしいものになる。 刀の鋼が立派なだけに、荒砥、中砥、仕上砥石の様に砥石になる先生を見つけて稽古をされると良いと思う。 竹刀でなく、足、腰、体の攻め合いの妙を感じ始めたら、向かう所敵無しになると思う。 七段一発を目指すならば、月に一度の全剣連合同稽古に行き、先生から頂いた言葉を大切に一ヶ月精進する。 この繰り返しで間違いなく受かると思う。
月に一度平日に、全剣連合同稽古に行くことが十分可能になるように、何処からも文句が出ないように、仕事を仕上げておく。 この精進が大切ですね。 これが本当の意味での剣道ですね!!
雨宮産との稽古。 今日の西村の意識・動きは冴えていましたから、西村の面が多く入りました。 貴男が見ていることを意識して、面を打ってみせました。 スーッと右足が攻めは入り間合を詰めて、相手がでる所を高速面打ちでとるパターンです。 蹴り足が相手の左手が動いた瞬間まで待っている。 もし、その前に打ってしまえば、相手に押さえられる、返される。 このパターンをやってみせました。 今日は貴男はこのパターンで打たれました。 自分が攻められたパターンを他の人の稽古で見ると、良く分かると思います。
関根さんとの稽古。 西村が不十分な攻めで面を打った所を、コテに取った涼しい目つきが印象的でした。 「お主できるな!」と思わせたコテでした。 前の様にバタバタした稽古が消え、十分に相手と攻め合う剣道が身に付きました。 西村もよっぽど気を引き締めないとと思いました。 それで、少々キツイ体の攻めをしました。 あそこまでやられると面を打つしかないところです。 それで胴に返されました。 あのキツイ攻めに『行き吹きの術』を使い、攻守逆転を狙います。 ある範士の先生との稽古を見ていただきましたが、あのぐらいの先生なら心を手玉に取って打ちとれます。 関根さんには時々冴えた物を見ていただいています。
高野さんとの稽古。 前の様に身体が浮かなくなったのが良かったと思います。 体と竹刀が直線的に前に延びてくる様になりました。 ちょっと私が冴えていたので苦労されたと思います。
範士との稽古。
原田源次先生との稽古。 しっかりと意識が冴え、身体も万全の態勢だ。 先生にただ捨てて打つだけではなく、攻め入って先生を動かし打つことを心がける。 相変わらずコテ、胴を打たれるが、良いところも頂いた。
この稽古は高杉さんも見ていたと思う。 このレベルの先生と稽古をするときは、打って当てるより自分の捨て所と、捨てきる稽古をすると伸びていく。 普段出会わない砥石で自分の意識を磨いて貰うチャンスだ! 丁々発止との打ちあいでは勿体ない!
帰りの車の中で先生が言った。 「今日のコテ面は良かった! お互いがホッと息を抜きかける所を、スッと出て打った。 機会は最高だった!」 このように誉められたのは、一年ぶりかと思う。
A範士との稽古。 先生の竹刀は真ん中をキープしているが、全く攻めがない。 この先生とは10年以上前にも稽古をしたが、思うように打てる。 今回もほとんど先を取って打つ。 さすがに範士、そう思うようには打たさないが、おおむね攻め勝って面が入る。 先生ムキになって面に来る所を、スパッと胴に斬る。 最後は裏から攻めは入り、先生が胴を打とうとするところを、先に面が入って終わる。 これは関根さんが見ていた。 その後の関根さんとの稽古はどうでしたか。
長堀先生・範士との稽古。 江戸川区と墨田区は近いので、七段受験の前は良く稽古をしていただいた。 以前は面を打てばコテを押さえられ、面に打てば切り落とされ全く相手にされなかった。 七段を受験する頃から何とか稽古をしてもらえる様になった。 「お前七段一発を目指しているだろう!」と言われたことがある。 確かな手ごたえを感じ始めたのは一昨年の京都から帰った時だった。 賀来先生の面を見てからだった。 同じような面を長堀先生に打って、軽かったけれど二本触った。 この時から西村に心の余裕がでてきた。
今回は心静かに対峙し、十分気を錬った稽古をした。 先生の反応を十分見て、一瞬の面を放った。 先生の止めに、返しに来る竹刀が触ることなく、しっかり面が入った。 西村もこのような面は久々だッた! 先生も気を引き締めた感じがした。 後は丁々発止との打ちあいになったが、常に先を取り打ち込んで行けた。 思う様には入らないが、返されたり、相打ちに取られたりはしなかった。 全体として、先生の動きが読めた。 このような稽古はこれで二回目だ。
稽古の後挨拶に行くと「腕をあげたな!」と誉めていただいた。 これで少しは恩返しが出来たかと思う。
岡田さんにみせたかった、今日の稽古振り! ツリー全体を読む
△上に戻る 石田利也先生の演武 田伐正人 [HomePage] [Mail] 2002年5月12日(日) 京都から帰って編集中に 神崎 浩先生と何度かメールのやり取りがあって…
石田先生は大澤先生に見事に返し胴を打たれました 都道府県対抗の傷心も考慮に入れて
「今回の石田利也先生の演武の掲載は見送ろうと思います」と メールしましたところ
神崎先生から、次のようなメールがきました
>石田君の演武ですが、結果はともあれあの立会いはすばらしかったと思いますので、 >是非掲載してください。本人と当日話をしましたが、都道府県大会の無念な気持ちを >引きずって確かに傷心の様子でした。しかし、作道先生をはじめ数人の先生方の評価 >は高いものがありました。最後に面に捨てきれたからこそ、大澤君の胴が見事であっ >たということでしょう。観衆の立場からすると、もう一度見てみたい立会いだと思います。
>ご参考までに!
とのことでした…
このような見方ができる方が果たしてどれくらい居られるだろうか?と 考えましたが…
神崎先生のご意見もあり やはり、掲載する事にしました
もう少しで動画の編集が終わります
時間がかかってしまって申し訳ございません が、私はいまだに京都の余韻を引きずりながら稽古しております (^^;;;, ツリー全体を読む
△上に戻る 西村の胴の考え方、考察。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年5月13日(月) 剣道には攻め合いの妙と勝負の妙があります。
十年以上も前の話しですが。 原田源次先生との稽古で西村の胴が入りました。 先生に胴を打った初めての技でした。 夜になって、お酒の席で凄く誉められました。 「あの胴は良かった! お前が攻め入って来たから、合わせて面を打った積もりが胴に返された。 攻めが有っての胴だから良かった! 攻められて、面を許してしまって打った胴の評価は低い!」
その時判ったのです。 攻め入って、面を打たせて胴に返せば段は一つ上。 攻めて引き出して打つ、心の余裕が一枚上です。
しかし、攻め入られて打った胴は半段下。 攻め込んだ攻めが優位で面に出た時、攻め勝ちです。 相手の攻めから面に伸びられた時は、押さえ切れなかった方が負けです。
さて、審判がいて旗揚げゲームになると、一本を打ったほうが勝ちです。
良く言われます『剣道に勝って、勝負に負けた。』
剣道の稽古に於いては、見事な胴を打たれるような面を打つ心がけが大切です。
西村の師匠との稽古は、ギリギリまで攻め合って見事に胴を打たれるぐらいに捨てきって面に打つ稽古をしています。 どんなに当たっても、捨てきるまでは「もう一本、もう一本〜」と言われます。
西村は人様の評価に任す勝・負はしない人生をして、長年月が経ちます。 仕事、人生も然りです。 「勝敗に於いては、お互いの心の中の彩にしまっておく。」 ゼジタルな0叉は1の世界から、アナログの四分六かなあ! このような評価の方がお互いが納得出きるのではないかと思います。
トーナメント、紅白試合の様な場合は其の性質上デジタル評価が必要ですが、京都大会の様な性質のものに、わざわざゼジタルな評価を上乗せする必要を西村は感じていません。 範士八段に勝敗を決めないならば、七段、六段に於いてもしかりです。 範士が立会いのみで、それ以外は勝負をさせる根性は西村の嫌う所です。 あそこで相手と向かう精神に於いて、どうして差をつけるのでしょうか。 これが剣道の封建制だと思います。 この大会の精神に於いては、出場者は段位に関係なく、皆さま公平・平等に扱われるべき権利があると思うのです。 剣道の世界も精神性のレベルにおいて、まだまだ低い所が有ると感じます。 本当の剣道を目指すならば考える所に来ていると思います。
有る時期、奨励とゲーム性を兼ねた昇段審査、試合もそれを超越した場、 それが京都大会の様な気がします。 剣道の本音と建前、稽古・立ちあいと試合の二面性が剣道の精神性の向上の足を引っ張っているような気がします。
胴はこの他にその中ほどの所の、心の余裕の勝ちが有ります。 十分攻め合って、相手を攻め上げていないのに面に打って出てしまった。 この場合は面の暴走です。 この場合は「君!それは甘いよ!」返す胴が有ります。
さて、石田先生、大沢先生の両者は自分の胸にしっかりと其の評価は有ると思います。
お互いにさしでその時の心情を聞きたいものですね!
中ほどの所の例ですが。 京都で原田源次先生と稽古始めで、先生が十分な攻め合いもせずに西村に余裕が有るときに面に来られました、 体の動きはほぼ五分に近い状態でしたが、先生の手元が少し先に浮きました。 先生の体調不良が西村を攻めきる前に、手元が先に浮いたのです。 ここは西村の一瞬の我慢勝ちで、胴に返しました。 かなり高度な武術的な打ち方、体の捌き方が必要ですが見事に胴を打ちました。 この状況は岡田先生が直後ろで見ておられました。
胴はその精神性に於いて、評価が分かれます。 特に高段者ほど胴の意味は、精神性の意味が強くなって来ます。 今回の胴はどの場合の胴だったでしょうか。 田伐さんのビデオをゆっく見て、スローで心の有りようまで見抜いて見たいと思います。 判ったからと云って書けるかどうかは微妙な所ですが。
神崎先生側の先生方の評価と大澤先生側の評価ではまた違ったものになります。 微妙な所は心のヒイキが有っても、見るほうの判断を誤らせます。
話しは変わりますが。 全日本選手権で西川先生が面を打ったとき、鍋山が先に面を当てた。 審判は西川先生に旗を上げた。 テープで何度も見たが、鍋山先生の面が先に当たっていた。 西村は攻めが甘い結果、相手に面を打たれた。 これは明らかに鍋山先生の面だと思った。 竹刀当てゲームでは明らかだ。 (審査や立会いでは明らかに攻め勝ち、しかし相手の余裕が有るうちに打ってしまって、打たれたからゲームでは負け。) ずーっとこれは西村の心に残っていたので、西川先生に聞きました。 彼はきっぱりと言いました。 「あれは私の面です。」
学生の試合ならば鍋山先生の勝ち。 全日本ならば西川先生の勝ち。 八段戦では旗はピクリとも動かないと思う。 剣道は曖昧藻琴した中に、そこはかとなく基準が有る。 日本人の価値観の中における、集団的無意識の上に勝敗、優劣が乗っている。
昇段審査を受ける人は、ここの優劣まで意識をして剣道を知らないと難しい迷宮の世界をさ迷う。
『不可思議なるかな!我が愛すべき剣道!』 ツリー全体を読む
△上に戻る 『息吹きの術実践編』 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年5月28日(火) 行き吹きの術!!実践
古本 京都大会を終えて帰ってきました。 稽古をおねがいしました、皆さんありがとうございました。
西村先生 今年は、先生のお体の調子が良く、高速の面を拝見できました。 私も、今年は大分我慢ができるようになり、先生の攻めを我慢して凌ぐ場面もありました。でも最後には面を打たされて胴に返されました。 更に修業を積みます。 なお先生、私のホームページの剣道はhttp://www.geocities.jp/reijifur/ に移動しております。そちらの方も宜しくお願いします。
岡田先生 先生の、外の人と稽古をする様子を見ていて、もの凄くなったなあと感じました。 相手を圧倒して攻め入り、そのまま面に伸びる場面を何度も見ました。 実際に対峙した時には、剣先が強く攻めることができず、打っていけば胸を突かれるのがわかるので、打つことも出来ませんでした。
丹羽先生 七段に昇段されて、剣道が一変していたのにびっくりしました。 ドンドン早い面で相手を圧倒していたのに、今年は相手を引き出すような剣風に 変わっていました。
夏井先生 足場の悪い状態で十分な稽古ができなかったのが残念です。 今年は、私の方が先生が面に来るところの小手を拾ってしまう場面が多かったようにおもいます。床の状態が良かったら、先生の面を頂いていたかもしれません。
栗原さん 昨年と比べて、非常にバージョンアップされていました。 なにより、溜めができているのがいいですね。 迂闊に打ってでて、出頭の面を頂いてこれは気をつけて十分に攻めないと打たれると 強く思いました。
高杉さん 今年は、ぼこぼこに打たれました。高杉さんを打たせようと思って攻めたとことをそこをしのがれて、もう来ないだろと思っているところを打たれました。 また、面打ちも特徴があり非常に防ぎにくい面を使っていました。
古本 今年の京都での稽古で一番印象に残ったのが、熊本の一川先生との稽古です。
先生と対峙してみると、別段強い気は感じませんでした、そこで此方が 強い気で攻め入ると、先生は何の反応も起こしません 全くの平常心で立って居られます。
更に入っても、何の反応もありません。こんな先生は始めてでした。 動じないぞという感じで、気で対抗される先生はおられすのですが、 全く攻め気も無くスラーと立っておれる先生から生死を超越した巌の身 は、こんな感じかなと思いました。
そんな感じですが、攻め入って打っていくと返されます。時には入りますが。 最後にさらに吃驚したのは、何の色・気配もなく一陣の風のような面を頂ました。
すごい経験をしました。
西村 やはり八段になると、変わられるのですね! 八段審査の落ちたとき見た、一川先生からは古本先生の体験は想像だに出来ません。 何度も落ちて、イライラした剣道でした。 意識が変われば、剣道も変わるのですね。 逆に、意識が変わった時に受かったのかもしれませんね。
古本 八段前の一川先生は、そんな風だったのですか。
京都での稽古の内容からは、私も想像ができませんでした。 自分自身を捨てているといったかんじでしたから。
いま、私は攻められて身を守っている自分が嫌になっています。 なかなか捨てきれるものではないですね。
西村 息吹きの術 西村雅興 [HomePage] [Mail] 1月3日(木)
西村のホームページの『息吹きの術』を参考にして下さい。
古本です。 意味がよく分からなくて、最後息吹の術を読み直しやって見ました。
金曜日(24日)のよる、青木先生との稽古で先生が攻め入った時 息を吹きかけてみました。
すると先生が戸惑ったように感じ、手元が躊躇しながら上がりました。 そこを裏からの面や、出小手の取ることができました。
そして、今日の朝稽古でいつも攻め込まれて自由に打たれる老練な高石先生に 試してみました。
すると、やはりいつもはこちらが動いたところを打たれるのですが、そこで此方が 動かないので、次の打ちを戸惑っていました。
稽古後、今日のような落ち着いた稽古をしていけばいいと言われました。
結局、相手の攻めに同様して四戒が生じて、心の同様が態度に出ていたのですね。 そのため、攻め入った時に隙が出来て打たれていたのですね。
だから、攻められた時にこちらが動揺しないと相手は戸惑うし、打つところがなくなるのですね。
よく分かりました。これで一枚上がれました。ありがとうございました。
一川先生は、この気分ができているのでなんら反応が無いのですね。
西村 結局剣道は行き着くところ、この辺りになると思います。 本来は竹刀の動きも、体の動きもそんなに速いものではありません。 心に余裕があれば、十分に対処出きるものです。 相手の速さを増幅したり縮小したりするのは、自分の心のなせる事です。 ここが判れば、結局『心の肚の修業』となります。
時に有名な選手や八段、範士が西村にやられるのはこの為です。
『息吹きの術』この慌てる心を一息つける為の方便です。
相手がこれに嵌まると、攻めて動かない相手の心に、攻めた本人の心が騒いできます。 ゆっくりパニックになってくるのです。 これは、我々が上位の相手に操られているパターンです。
教師八段位になると、この辺りの攻防がしっかり出来ている。 七段では残念ながら、この攻防がないままに打ってしまっている。 良く出来た立会いでも一次審査止まりだった。 二次審査では是非使いたい術ですね。
八段審査で審査員の目、意識を引きつけるには先ずこの部分で30〜60秒は欲しい様な気がする。 そうすると、審査員はいつ攻め!、どう動かし!、どう打たせ!、どう捨てるか! を期待して見つめてくれる。 その前準備をしてから、捨てて入り身で相手を浮かせて取れば◎と思うのだがどうでしょうか。 思って出来ないのが剣道ですが、思っていなければ永遠に出来ない。 面を見せられて胴を切られた所がこ、の息吹きの術の使い所でした。
しかし、理解していただいて大変感謝をしております。
『石田先生対大澤先生の胴』 大澤先生が体を捨てて入り身で、竹刀を下げ面を見せたとき、この時に使うのが『息吹きの術』これで、攻守が逆転します。
参考までに 『息吹きの術 西村雅興 [HomePage] [Mail] 1月3日(木) 息吹きの術 『相手が押さえようとするとすると『浮木』という法則があるのでこれを使うと良い。 相手が自分の竹刀の表から押さえようとした瞬間、相手の竹刀の下をくぐらせて裏へ廻して、裏から逆に攻め返す。 こうなると相手も黙っていないから、反対側を押さえてくる。 相手が反対側を押さえてきたら、今度はこちらはその反対側に廻して攻め返す。』 『師範室閑話』上牧宏著 体育とスポーツ出版社 P66〜67引用 http://www.sati.co.jp/bck00000.htm この本は西村の剣道におけるバイブルです。 その中の一節です。 詳しくは実際に本を参照。 要は水に浮かんだ木切れを上から押え、沈めかけた時、くるりと回転して浮かび上がる気を考えて下さい。 この水に浮かぶ木切れの心境で対応することです。 これは高段者になると結構使われている技です。 これは西村も良く使います。 数回下から攻め上げると、相手の無意識はその竹刀の先を追っかけるか、押さえに来ます。 この時相手は真っ正面に構えているつもりですが、無意識がそうさせます。 この時相手に押さえさせ『浮木』を使えば、簡単に面に入ります。 原理は真っ正面に相手を意識を向けあっていれば、ここを突破するのは至難の技です。 しかし、相手の無意識がこちらの竹刀と戯れ始めると、中心は疎かになります。 相手の押さえ込みに一瞬意識を強く持たす、腰を入れさせれば、相手の中心は開かれゆっくり打って面が入ります。 西村はこれを『猫じゃらし』と言っています。 相手は階段を踏み外した感じで打たれます。 『陰を動かす』代表的な技です。 さて、相手が先を取って竹刀の尖をやや下げて、攻め込んで来たとき、竹刀でこの竹刀を押さえにかかるのは人情です。 攻めに対する防御です。 無意識は当然の事として防御態勢に入ります。 防御態勢に入ると云うことは、『打たれたくない心』があるからです。 相手の攻めを『枕を押さえる』の様な形で、相手の竹刀と気を制すればこちらの勝ちです。 相手は起こりを押さえられて、ちょっとつんのめった形になります。 床を歩いていると、ちょっとした出っ張りがあってつまずいた形です。 外見的には同じ様な形ですが、心の優位さ、位がここで発揮されます。 同じ形で攻め入って、相手の押さえを誘うと引き出して勝ち。 虚に実で対応した、その後を実で取る、後の先です。 同じ形で攻め入っても、その時実であってしまった時に、相手の心が動じず、枕を押さえる虚で対応されれば虚になってしまい、そこを実で打たれる。 このとき、腰の備えが崩ていないと、虚での攻め込みになる。 そうすると、相手の虚の竹刀押さえに十分対応出きる。 このように、竹刀を通じて虚実、虚虚、の闘いが意識の反映として行われている。 その奥には腰が入ってしまったか、否かの意識の結果も存在する。 一般的に足、剣先から攻めはいるのは、元立ちの場合が多い。 この攻めの虚に懸かるほうが実で対応し、後の先で捌かれる場合が多い。 この懸かる方が同じような攻めをすると、枕を押さえられてしまうことが多い。 これが元立ちと、懸かる方との位の差です。 ここで竹刀の接触があると技術的なこと、腰の備えが優先され上位を崩すことは困難です。 前にも書いた様に『相手との関係と自分の意識の問題』として。これの解決方法を考えて見ましょう。 先ず、自分の意識の問題として、打たれたくないと云う意識を捨てる。 そうすると、相手の攻めの形の竹刀の動き、身体の動きに心が反応しなくなる。 実際問題としてこれが一番難しい。 相手に竹刀で反応してしまうものだ。 この反応を無反応に出きれば対したものだが、何らかの反応をしてしまう。 ここで一つの例を上げる。 前にも書いたが、女性の六段Kさんと七段をもう受かる寸前の六段男子Mとの稽古だ。 相手がやや剣先を下げて攻め入って来たら、静かな気持ちで相手の竹刀の尖に、身が乗るようにして、押さえる様にフーッと息を吹きかける。 要は身と息で相手の竹刀に軽く乗る。 身で乗る感じは、その瞬間右足を少し浮かす。 このように指導した。 直前に彼女は西村のこのパターンで散々打たれた後だった。 今度は自分がそれをする番だ。 さっき西村にやられたコツを教わったのだから飲み込みが早い。 二人の稽古を見ていた。 男子六段が元立ちとなる。 彼も私が指導している人で、もう七段の実力だ。 あんにたがわず、Mさんが剣先をや下げて右足を滑らし攻め入った。 そこで彼女は教えの通り、チョト間を置いて右足を軽く浮かし(床から離れる程度)フっと息を吹きかけた。 Mさんは相手の対応に混乱した、 攻め入ったのに、暖簾(のれん)の腕押し状態になり、身体が倒れるままに面に飛んだ。 Kさんは、既に右足が床を離れ、相手の実で打ちに来るのを待っている。 要は狙い打ちが出きる態勢なのだ。 フイルムの一コマ先を動いている。 その後はコテ、胴、揚げ句の果ては面と打ち放題だった。 竹刀で反応したら、こうは上手くいかなかったと思う。 皆さんが先生ん懸かって行ったとき、壁の様に感じたり、暖簾に腕押しの感じを味わったことがあると思う。 先生は息を吹きかける訳ではない。 静かに「そう来るか」と心で呟いているのだ。 この心で呟くはかなり難しい、それで『相手の竹刀に息を吹きかける』。この息吹きで、相手から見れば一瞬、間が外された形になる。 『虚虚実実』の難しいことも、一つの意識、作業を加えるだけで案外簡単に出きるものだ。 ここで、もう一つ意識の転換をさせておく必要がある。 「相手が長い距離、体を運び竹刀を動かしてくるのだから、こちらは半分の動きで対応出きる。 倍も早く動ける人はいないし、自分の足が先を取っているから慌てることは何もないですよ。 安心して攻めさせ、打たせて取りましょう。 頑張ってやってらっしゃい。」 そして、その通りにやってのけた! 女の素直さは本当に素晴らしい! 彼女はこの稽古の感想を興奮してしゃべった。 「そう!私いつもこれで先生に打たれているのよね! 剣道って面白いですね!」 大喜びだった。 以後五段位にはほとんど面で取っていた。 同じ上位の六段相手にはコテ、胴が少し増える。 しかし、勝ち方に理合いをしっかり押さえた勝ち方になった。 このように、やや相手が上でいつも先を取られ、浮かされている相手に、 『息吹きの術』を使って対抗して見よう。 一つの便宜的術として紹介したが、実はこここそが『肚を練る』部分なのだ。 案外うまくいきます、やってみましょう。』 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古5/15から。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年5月16日(木) 今日は全剣連合同稽古日(H14、5/15)
昨日稽古をした時の負担が、左足に来ている。 これは、剣道をほんの趣味にしなさいと云う身体のメッセージか。 今日、先生方と稽古をすれば、ふくら脛がプッチといきかねない。 おそらく肉離れを起こすだろう。 今日は師匠に捨てきった面を打つ足の力がない。 (それで45分間は見取り稽古とする。) 防具は持っていったので、青木君のお祝い稽古をしたいと思った。 最後の15分のみ指導稽古をした。
関根さんとの稽古 最後の真っ直ぐな面が良かった。 それまでは手が打ちに走って、体が1/3程ブレていた。
青木君 若いはつらつとした面打ちだった。 しかし、面を打ちあう前に、足と体で間合を盗まれていることに気がつかなかった。 足腰で攻め込んでから、面を打つ。 ただし、初動が俊足では相手に気づかれる。 初動は、右足のブレーキを外して、滑り始める様に動く。 これが本当に難しい!
雨ちゃん 最後の面が最高。 あれを八段に繰り出して見ましょう。 見事に胴を打たれる位に。 しかし、初動にインパクトが有る。 あそこを静かに始動をすれば相手の間合を盗める。 次の課題はそこの様な気がします。
高野さん久しぶり 稽古不足の様ですが、前の様に重心は浮かなくなってきた様です。 今のままの面を打ちましょう。 もう一つ、自分の気が相手を突き抜ける気持ちで打ちましょう。
田井さん 京都の教訓が生かされていましたね。 強い八段相手に気位が落ちないのが良かったと思います。 あの気位を持って軽い動きが出きればなあ! まあ!それが出きれば八段だが。 西村の出来ないことを言ってごめんなさい。
たった15分の稽古でしたが、皆さま西村の相手をして下さって有り難うございます。 来月も宜しくお願いします。
原田源次先生を新宿に送る途中に 賀来先生のコテについて話しをした。 「良く使ったね! 賀来先生とは何度も対戦したけれど、そのつど剣風が違う。 竹刀の軽く左に担ぐ感じは、古城先生に似ている。」 そう言えば足の出と同時に、軽く左に担ぐ感じが同じだ。 そこを研究して見よう。 そういえば、永松先生はこの時真っ直ぐ正面に担ぐ感じがする。 ここから剣先が早く出てくるのだ。 岩立先生は正面担ぎが素早い。 そこで、相手が攻め合う相手の竹刀を見失う。 ここは面白い所だ。 良く研究をしてみよう。 体の出に合わせて、手元を体側に寄せて手元に勢いをため込む。 西村も少し使っていたが、ちょっと本気で研究して見よう。 それぞれのパターンを試して見よう。
今井先生と岡先生の立ち会いの話し。 原田源次先生談 「今井先生は良く稽古をされているね。 完全に相手を読んでいたね。 相手の動きの鼻を、ストンと面に出た。 立派だった!」
追伸 椎名先生、相変わらず見事な稽古ぶりに見惚れてしまう。 今日はよい話を聞いた。 「刀には刀の早さが有る。 竹刀には竹刀の早さが有る。 そこをわきまえないと、上手くいかない。 竹刀の早さを十分に使えば、ピシッと早く打てる。」 ちなみに先生の師匠は菊地先生と聞いた。 誰か菊地先生について教えて下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 京都での稽古有り難うございました。 古本礼慈 [Mail] 2002年5月6日(月) 西村先生 今年は、先生のお体の調子が良く、高速の面を拝見できました。 私も、今年は大分我慢ができるようになり、先生の攻めを我慢して凌ぐ場面もありました。でも最後には面を打たされて胴に返されました。更に修業を積みます。
西村先生に京都であのような剣道談義機会を与えて頂、非常に有り難く、参考になることを教えていただきありがとうございました。
右手を傾けるだけの胴を練習してみようと思っています。
なお先生、私のホームページの剣道は http://www.geocities.jp/reijifur/ に移動しております。そちらの方も宜しくお願いします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 椎名先生・教師八段の話しから 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年5月9日(木) 椎名先生・教師八段の話し。
椎名先生とは全剣連合同稽古で毎回お顔を会わせておりました。 西村は今まで、原田源次先生と範士八段の稽古にしか興味がなかったので、椎名先生には意識が行きませんでした。
江戸川のある七段が「東京剣道祭では椎名先生が警視庁を叩いている。 警視庁がカリカリしている。」と話しているのを聞いた事があります。 西村はこの大会には興味がないので、そんなことがあるとは知りませんでした。
先日、岡田先生が「椎名先生は八段でも一級品!」と絶賛されていたので興味が湧きました。 それならば稽古をお願いしょうと先生の稽古ぶりをみました。
小柄な身体から凛とした気迫が漂い、それに負けてでればコテ、大きくでれば右左の左右胴。 腰の切れが非常に良い二つ胴でした。 相手が気迫におされ、叉は手詰まりになって困惑の兆しが見えた時、大きく右足を出して体を進め、相手を居着かせ面に跳ぶ。 面打ちは手元を腰から前に飛ばす独特の打ち方で、可なりの距離が伸びる。
このような稽古を見いていると、稽古をお願いするよりも研究の対象としてのほうが興味が湧いてきた。 約30分ぐらい見させて頂いた。 なるほど見事な剣道で、剣道が強いだけの剣道ではないことが分かった。 回りの教師八段と動きが、冴えが全く違う。 しっかりと稽古を見させて頂いて、久々に剣道らしい良いものを見せて頂いたと感激しました。 なるほど、岡田先生が感心しただけの事がある!
稽古終了後、先生の所へ行って「今日は見取り稽古をさせて頂きました。 三重の岡田が中央講習会で先生の子とを感心していたので、そのつもりで拝見させて頂きました。」 先生は「大分盗まれたな!」と笑っておられました。
着替えをしていると、椎名先生がある人に何かを説明してたので、そばに寄って聞きにいった。 剣道はすべからく、その人の人生観の発露であると、西村は思っている。 先生の話しから。 「ひたひたと攻め、相手が出るに出られず引くに引かれずといった状態にすると、相手の呼吸がせわしくなり参ったと云う状態になる。 そこを、その辺りの呼吸法をしっかりと使って、相手が硬直するようにしてから面を打つ。 ともかく、相手が参った!と感じさせてから打つ・・・・・・。」 この話しは途中からでした。
この話しをもう少し聞きたいと思っていた。 幸い京都大会である鞘師の店先で先生に会ったので、先ほどの話しをもう少し詳しく聞きたいと申し出た。 基本的には先ほど書いた通りであった。 新しく聞いた内容では 「結局剣道は打とうとするときに隙が出来打たれる。 打たれないためには打っていかなければ良い。 しかし、両者がそうしてしまえば剣道は面白くない。 そこで、攻め合い駆け引きが起きてくる。」 等々の内容であった。
西村が時々書きます『古来より打って出たほうが負けは剣道の常識。』 の内容だった。
その後体育館で岡田先生と話しをしているとき、剣道着に着替えた椎名先生に会った。 西村が 「先生!岡田さんが中央講習会で先生に感銘していました。 彼も先生と一緒で会社経営で警察官・教職員でないので、共通した環境です。 その環境から警察剣道に負けない秘訣や何か八段へのアドバイスがあれば彼にしてあげて下さい。」 先生が云った。 「五分の試合ならば彼らは鍛え上げ、勝負をしてきた感性があり、何処かでつけ込まれる。
それに、旗揚げゲームの試合ならば彼らは可なり上手だ。 面と向かっての打ちあい勝負では、稽古量・試合の数をこなした彼らには歯が立たない。 しかし、昇段審査の様な二分位だと立った、瞬間から最後までその緊張は維持できる。 この間の勝負ならば職種のハンディーはない。 しかも、昇段審査の様な基準になるとやりやすい。 私も普通の仕事をしている先輩に教わったのだが、打ちあって縁が切れそうな振り向きさまの残心の所をトンと打つ。 しかし、早く打てば後打ちになり、見苦しい! 振り向いて、ちょっとした間合を取った瞬間にこちら十分、相手が不十分の所を打つ。 このような所でないと中々打ち込めない。 八段審査ではこのような所を注意して受けたらどうか。」 と、よい話をして下さった。
さて、先生の立会いを見せて頂いた。 相手は大柄な名高い歴戦の勇士。 一方、椎名先生は小柄ながら凛とした立ち姿。 こらえ切れず相手が面に跳ぶと、先生はしっかりと見事な胴を斬る。 やや間が有って、先生が面に跳ぶ、相手は待ってましたとばかりに見事なコテを斬る。
先生が言っていた『打って出る時に隙が出きる。』の話しを体現してくれた様な立会いだった。 何故! そこで面に先生が出たのかは、横から見ては分からなかった。 本人に聞いてみよう。 ビデオを買ってこの立会いをつぶさに研究をしてみよう。 また楽しみが増えた。
まとめとして。 結局の所、剣道はその人の人生観が出る。 椎名先生の人生観には彼の凛とした生き様が有り、それがあの剣道に出ているのだろう。
ある人の剣道を知りたいと思えば、その人の考え方に深く関心を寄せることが吸収の秘訣だと思う。 西村はこのように、迷うことなく記者が取材をするがごとくに急接近して身に着けていく。
それにつけても、西村が感激した見事な人生観・抜けた人生観のレベルの立会いは、『賀来先生の猫のコテ打ち』だけだった。 捨てることなく、迷うことなく、間合に入った瞬間にヒョイッと捕まえに 行く打ちだった。
しかし、西村の云う『緩める先、後の先を読む』立会いは一つもなかった。 ほとんどの剣道家が竹刀を持って相手を打ちたい、この意識から脱却していないことが分かった。 それは九段の先生方に於いて然りであった。 皆さま『勝負』をされていた。
西村は人様と『勝負』する人生はしない選択をして生きている。 ツリー全体を読む
△上に戻る 賀来先生特集! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年5月9日(木) 岡田さんへのプレゼントです。 これを参考に今度賀来先生と稽古をしてみて下さい。
賀来先生のコテ・面打ちの考察。
『相手を攻めるも、自分が打たれるも超越していた。 ふわっと軽く小さく飛んで、コテが三本、同じく面が二本。』
賀来先生のこのコテ打ち・面打ちの身体動作は、相手側に予測のつかない打ち方だ。
ほとんどの人は打つとき、相手に対して直線的に体を進める。 それを相手は感じて対応する。 直線的に攻め入ってくるスピードには十分慣れている。 どちらかと云うと犬の直線的な攻撃だ。 犬が目標物へ噛みに行く直線的な進み方だ。 犬が口を目標物である足や腕に噛みつく動作を思い起こしてほしい。 蹴った足の勢いが口を先頭に真っ直ぐ進む。 要はイヌ科の攻撃方法だ。 口が噛みに行く最短距離を進む方法だ。 そして、イヌは大きなクマの様な動物おも襲う。 その時、犬はクマの一撃を避けながら襲う。
賀来先生の打ち方身体動作はこれと全く違う。 この全く違う身体動作に古川先生も北海道の範士も、今回の範士も見事に打たれた。 全く今までの剣道では予測のつかない身体動作を眺めてしまっていたからだ。 前回、西村はこの面打ちに感激して、興奮して汗をかいて気管支炎になり二ヶ月間苦しんだ。 ともかく凄いショックだッた。 それからこの面打ちを研究して、八月の名古屋の歯学体の時に先生にお願いした。 西村には予測出来た動きなので、先生が打ってきた三本の面の内一本はコテを打ち、もう一つは胴を打った。 この二本は完璧に入った。 特に先生は「あのコテはどうして打たれたのか未だに分からない。」と言われた絶妙のコテであった。 三本目油断した所を同じ面が来て、眺めてしまい見事な面を頂いた。 でも三本の内二本は西村の予測勝ちだった。
その後があった、今度は未発の発のコテを打たれた。 何本も打たれてどうすることも出来なかった。 そして、五月の六日にやっと分かった。 あのコテの打ち方が。
それでは一番大切な本題に入ります。 猫がネズミや虫を捕まえる動作を思い出してみよう。 猫は口で獲物を捕まえに行かない。 先ずは前足で獲物を捕まえる。 そして、自分より圧倒的に小さい、そして俊敏な動物を狙う。 そのためネコ科の動物が獲物を襲う時は待ち伏せだ。 獲物が射程距離・間合に入った瞬間にふわりと飛んで前足で押さえる。 決して口が攻撃の一次手段ではない。 猫は足で軽く押さえに行く。 この時、猫は相手の反撃の事など考えていない。 圧倒的な体力差が前提にあるからだ。 だから射程距離に入った瞬間、間合に入った瞬間には躊躇なく襲いかかる。
犬は用心しながら、隙を見て襲いかかる。 猫は用心、躊躇がなく襲い懸かる。 相手の隙を見るとか、反撃を予測するとかの心理的動きは全くない。 剣道に置換れば猫の動きは心理的な色がない。 ただ飛ぶ前に軽く重心の確認にお尻を軽く揺する。 人間から見れば攻撃準備の予備動作だが、獲物から見ればそれは気がつかない。
ネコ科の柔らかい身体動作、丸めた身体を伸ばす勢いで前に飛ぶ。 身体全体のバネの利用だ。 犬は後ろ足の蹴りの勢いで前に飛ぶ。 脚力の威力の利用だ。
イヌの攻撃は一般的な剣道の直進的な打ち込みに似ている。 猫の動きは軽い弧を描きながら、前足で着地しそこに獲物がいる。
賀来先生は前回の京都大会では面しか打たなかった。 それ故、小手に関しては西村は全く予測がなかった。 そして、見事に五本程コテを打たれた。 コテも全く同じ身体動作であった。 ネズミを狙う時が面ならば、虫を狙うときがコテの様な気がする。
ここまで書いて、やっと賀来先生対策が出来た。 岩立先生対策が出来た時と同じ心境だ。 この対策は即ち、それを利用した自分のアイテムの一つになる。
ここまでに至るまでの、賀来先生の研究・分析・工夫・実践・先生対策の過程を書き込みます。 今回のホームページ以前の改修前の書き込みの纏めです。
参考資料 年輪と若々しさ、輝きを放った大技! 京都大会終盤になって場内が沸いた。 賀来範士が豪快にメンに飛ぶ。 会場から拍手が起こった。 再び大きくメンに飛ぶ。 またも拍手が。 中盤の攻防、特に賀来範士の豪快なメンは見ごたえがあった。
76才(松本範士)73才(賀来範士)。 範士八段の部の最後尾に近づいたが、気を溜めて一瞬に吐き出したような一本は、修行の年輪と同じに若々しさを感じさせた。 (剣道日本7月号、京都大会大会レポートから抜粋)
西村が言った 「先生! 気など溜めて打ってませんよね! 相手が打たれる状態になったとき、無意識に打った感じでしょう。 賀来先生曰く。 「そうだよ! 気など溜めないで、打てると感じた時打っていただけだよ!」 誰の解説か知らないけど、西村が本人に確認した内容です。
京都での衝撃! 京都の朝稽古を見取り稽古にしてビデオを撮った。 賀来先生(範士八段)が西村がビデオを撮っているので、面を打って見せてくれた。 相手は七段教師で北海道の有名な剣道家F氏である。 賀来先生はゆっくりと大きく面に跳んだ、相手は黙って見ていて、打たれる瞬間に反応したがもう遅い。 ポンと面に入る。 すると、先生はその後も同じ面を二本打って見せた。 後で「先生に凄いですね!あんなにゆっくり面を打って入るのですね!」と西村は言った。 「相手は七段では日本一ぐらいの人ですよ!凄いですね!それも三本も!」と言ったら。 賀来先生は「西村がビデオカメラで撮っていたから打って見せた、一本だけだと西村は本当にしないから、後二本同じ面を打って見せた。」と言われた。 本当に凄い! さて、西村は賀来先生の稽古ぶりを前日も、当日も見ていた時、動きは遅いし、もたもたしているし、先生もお歳を召されて身体がもう動かないのだと思っていた。 所が、よく見れば相手に一本も打たれず、相手にそっと打っていただけだった。 コアラの様な動きであった。 最小のエネルギーで剣道をしていたことに気がついた。
さて、その後がある。 八段範士の立会でも同じ面を相手から二本取った。 賀来先生との別れ際に「先生!有り難うございました。今日は見事な面をご五本んも見せて頂きました。」と言ったら、ニコニコ笑っていられた。
この話を三重の岡田さんに話すと「賀来先生はもう上がってしまったんだね!」と彼は言った。 まさに剣道を抜けた世界へ行ってしまった感がある。 西村はこの面打ちを五本ともビデオに撮っています。
賀来先生のメンを見て! 賀来先生のメン一日にを五本しっかり見たのは西村だけだと思います。 賀来先生が「俺はお前のメンを打つから、しっかり見ておくのだよ!」と無意識で相手の無意識へ波動として伝搬させてメンを打ってるとしか言い様がない。 意識波動の伝搬、覚醒催眠、妖術と言った形では表せない、科学的には分析不能なレベルのメンの様な気がする。 西村が先般、同じような言葉を繰り返しながら大先生に賀来先生と同じようなゆっくり大きくメンを打つと、二本とももう少しの所まで(メンの左にかすってしまった)打てた。 その先生は受けるのにかなり遅れ、西村のメンを受け止めれなかった。 残念ながら左にそれてしまったのが悔やまれる。
皆様にこんな経験が有ると思います。 よくメンに来る、メンに来ると思いながらメンに打たれた記憶が有ると思います。 横で見ていて、メンを打たれる、メンを打たれると眺めていたら、やっぱりメンを打たれた。 どうしょうもなく打ってくるメンを見てしまう! この状態になった時に打つメンだと思う。
形として分析してみると(分析不能なれば書く意味がないので! 先生の頭が少し前かがみになり、竹刀の先が軽くゆっくり右回りに円を描いていた。 催眠誘導盤の一種の様な作用をしているような気がする。 相手はこの先を見てそこに目と意識とが引きつけられてしまう。 相手はこの竹刀の先に居着いて、賀来先生の本体を見落とした状態となっている。 竹刀の先を見させてしまえば、勝負はついてしまったのも同然である。
形有るところの生理的作用と(見て反応すれば間に合わない)、心の位の差、意識波動の伝搬と説明しやすい所から説明不能の世界へと深まって行く。
さて、私の友人で超能力者のSさんは離れている相手を意識レベルだけでフリーズ(膠着状態)にしてしまう事ができるし、相手の考えていることも判ってしまう人もいる。 他にも、自分で全くトランプを触らないで、相手の思うカードを出すことができる人もいる。 特に高段者になるような感性の高い人はそれに敏感に反応するのではなかろうか。 そういう、西村も相手の意識、肉体に少しでは有るが入り込む事ができる。 歯科医としての治療にはこれを応用していて成果を挙げている。 自分より強い相手には中々入っていけないが、勝てる相手で感性の高い人には西村の意識が入っていける。 これは剣道で身に付けた物ではないが、剣道も結局これをしていることになる。 賀来先生のメンがその例でなかろうかと思う。
数年前の事であるが、賀来先生とお話していたとき、先生にO-リング(オーリング(おやゆびでと人さし指で円い輪を作ってもらう)を作ってもらって試したことがある。 先生の指で作った輪の力は西村の意識のみで簡単に強くなったり、弱くなったりした。 その時、高段者になる人はこの辺の感性が高いと感じた。 以後、多くの人にやってみたが、五段止まり、六段止まり、七段まで行く人達を比べると感性に差があるのが判った。 (稽古、指導者、工夫、努力によって差がでるが、確かに素質としての感性の差がある) 段位の低い人が高段者の立会を見て退屈するのは、深いレベルを察知出来ないことによる。
賀来先生の面が見えた。 京都で賀来先生の面を見て熱が出た。 それから約一ヶ月半の間、寝ても覚めてもあの面が頭から離れない。 何度もビデオを見たが判らなかった。 今日はビデオの見方を変えて、スローではなく、カット、スローの繰り返しで何度も見た。 やっと判った!夜中の一時半だ!
解説 行くぞ!行くぞ!と攻めながら、一瞬の間に相手の白刃の下に竹刀も身も軽く畳み込みながら、沈めて捨て入る。 このとき軽く左手は腰に引いて、次に左手拳が腰から発射される大勢になっている。 相手は竹刀も身体も一瞬に自分の竹刀の中に入って来てしまった対応に居着く。 そこを、軽くたたんだで沈んだ身体がゆっくり伸びながら浮き上がる様に面に飛び、たたまれた左手も思いっきり発射されて竹刀を動かす。
これでやっと判った。 賀来先生が私に言った意味が。 「相手は居着き、俺は居着いていないだけじゃよ!剣道は芸術じゃよ!」
相手からすれば、潜水艦が突如水の中から飛びだいてきたような面打ちになる。
あれ!少し前にいたイルカが一瞬のうちに潜って消えてしまった! そう思った瞬間に、今潜ったイルカが急に目の前に飛び出てきた来た感じ!
こんな感じの表現がぴったりな面打ちです。
前日、賀来先生と剣道談議を沢山した。 今日は先生と稽古をする。 大阪歯科のOBの先生はただ面を掛かって打っている。 先生の攻め入りの瞬間を捉える稽古の様だった。 さて、西村の番だ。 賀来先生の剣道は二ヶ月間咳でうなされるほど研究している。 その成果はと思いながら稽古に臨む。 先生の少しの攻めに、西村も少し体を右足を緩め進める。 その瞬間に上から小手に切られる。 丁度握りの上だが、西村の手元は全く上っていない。 五本位取られる。 先生の大きなゆっくり面が来る。 これは研究済みで面を止めて胴を打つ。 同じ面では先生の空中を飛ぶ途中で西村の小手が入る。 研究済みについてはやはりその成果はあった。 ただ、一本この面を打たれた。 見てしまったせいだ。 北海道の先生の気分がわかった。
未発の発を打たれる。 西村は手元は全く動かしていないのに、小手を打たれた。 先生の動きは見えない。 私がN大の先生に右足を浮かせ乗ったタイミングで小手を打たれているらしい。 先生は乗る前に小手で一本取ってしまう。 完敗だ! そこで用心すると尚打たれる。 そこで同じ動きだが、誘って入ると先生の小手を摺り上げ見事に決まって面に入る。 今回の西村はこの一本と小手が花だった。 最後は思いいきり体を進め、面に飛んで胴を打たれ終了。
島野さんが山梨の望月さんに不思議な小手を打たれると言っていたが、どうやらこの小手に通じる様だ。 彼はヒィーラー的感覚の鋭い人だから、おそらくここの部分が良く見えるのだろうと思う。
西村は自分なりによくやったと自分を褒めていた。 そこで、続きがある。 シャワールームで先生と少し話をする。 先生は緩めば緩むほど見えると言われた。 「先生の小手は十分注意したのですがね!」と西村が言った。 すると先生は「注意すればするほどそれが見える!」と言われた。
そう簡単にやられたら70を過ぎるまでやって来た値打ちが無い。 その内にゆっくり判るようになると言われた。 それから、先生はいつ小手を打たれたか判らなかったと言われた。 おそらく、先生の面に合わせて体を進めて小手を取った一本だったと思う。 先生といえども、不十分に攻めて面に打ってしまった動作中の小手はどうしょうもなかったようだ。
その後がある。 道場に戻った時、広島の七段の先生が賀来先生とお話しをされたらしい。 彼が西村との稽古の感想を聞いた。 「西村君の我がもう少し消えたら良い。彼は頭が良いから気がつくだろう!」と話されたと言われた。 ギャフン!西村は我もなく素直にや維持していた積もりが、先生にかかると体を進めた瞬間に小手を取られた事を指して言っておられるらしい。 そう言えば「心の奥底に体を進めて先生の反応を見てやろう!そこを何とかしてやろう!」こん「未発の発を取られた」のが、形としてはあの小手だったのだ。 結局心の奢りが色に出た瞬間に小手を取られた。
西村は自分の小手が浮いていないとき、小手を打たれても打たれたと認めなかった。 今回も小手が浮いていないので、余り打たれた気がしなかった。 この先生のお話で、実は心を打たれていたことに気がついた。 そうすると、これまで同じような小手を打たれた時「未発の発を取られた」時も有ったかと反省した。 しかし、この小手は西村の心を十分に打って頂いた。 さらに、広島の先生が教えてくれたお話が、今回の稽古の本題と気がつかしてもらった。 わざわざ名古屋まで仕事を休んで剣道に行った甲斐が有ったと言うものだ。
「打たれて強くなる」というが、その意味を気がつくまでにかなり時間がかかるが、今回の稽古は即その意味を気づかせて頂いた。 ほとんど九段の範士八段はやっぱり違う! 西村が他の人の剣道についてあれこれ書くが、それは自分の欠点だから他人の欠点がよく見える。 人のことを褒めた場合それは西村の長所だからよく見える。 西村の書くことは自省であると思って頂きたい。
夕食時、妻が「パパ、剣道の事を考えているんでしょう!そんな顔している!」と言った。 賀来先生の面は対応策が出来ているが、あの小手はどうやって打つのか判らない。 上手く摺り上げた時は、先生の腰が揺れた瞬間竹刀が飛んできたような気がした。 未だにあの小手が頭の中をウロウロしている。
賀来先生に最初に興味を持ったのは、大阪歯科大の剣道の先生が明治村で試合をしていると気がついたときからだ。 余り強いのでてっきり優勝すると思っていた。 その時の明治村のビデオを見ても何故相手が勝ったのかわからない。
今回、地下道場で賀来先生が稽古をつけているのを大阪歯科大のOBしか意識を持っていない。 西村はしっかり意識を持って5年ぶりの二回目の稽古を頂いた。 良い先生を知り、良い縁を頂く事も強くなる能力の一つだ。 それに、直接いただけなかったお言葉を他の人から聞かされて、また成長のチャンスを頂いた。 かなり「我!」と言う部分で落ち込んだが、腹の底の燃えかすが少しくすぶっているらしい。 西村は剣道にまだ色気があるらしい。 それなら、もっと強くなるような気がして少し嬉しくなってきた。 このエネルギーをゆっくり大切に使って行こう。
あの小手の研究も楽しみだ!!!
見えてきた武術的小手打ち。
賀来先生に未発の発の小手を打たれてから、頭の中にあの小手の体の運用が何としても理解できなかった。 望月先生の小手も体の運用が理解しにくかった。 西村の脳の中の引き出しから総動員した内容が嵐の様に駆け巡っていた。
賀来先生の小手打ち、望月先生の小手打ち、佐藤博信先生の小手、中倉先生の小手打ち、剣道形の小手摺り上げ小手、高岡先生のDS(ヒクソングレーシーの強さの秘密のビデオ)、武蔵の緩み、甲野善紀先生の溜めのない動き。 最近の西村の小手摺り上げ面。 膕が緩みかけた完全リラックスな姿勢の対応。 やっと立っている程度の姿勢の緩み。
これらに共通した一つのヒントは何か。 明治村の試合での川崎先生の小手の名手の打ち方を昔感動した物だった。 その他の先生の小手打ちも良く知っているつもりだが。 その小手には腰の溜めがあって、足から打ちだした小手だ。 西村はこの小手打ちは最近良く見える。
しかし、これから書く小手打ちはいわゆる武術的小手打ちだ。 上記の人達の中にヒントがあった。 西村のは完全に理解できたが、読者が何処まで理解できるか疑問だが書くことにする。 知識があればその内に判るようになると思う。
岡田さんには即理解できる最高の内容だと思います。
1) 相手の打ち、飛んでくる手裏剣等を前もって予測して身体が対応するときは腰始動型、腰の溜めが中心となります。 前もって身体が準備して対応する動き。 2) 目に何かが入ろうとすると瞼が閉じる。 目の前に何かが飛んでくると、とっさに手で払う。 頭に何かが当たろうとするとフット頭が除ける。 車で水跳ねがしたときとっさに足を、腰を動かして除ける。 此の動きは咄嗟の動きである。
今回、書くのは2)の話になる。 ボクシングでジャブを打つときは拳が相手に吸い込まれるように打つ。 それと違って腰を入れて溜めて打つ打ちもある。 いわゆる止めのパンチだ。
さて小手摺り上げ小手を打つと仮定してみたとき、貴方は腰の溜めを使って打つだろうか。 そんな事をしているまに小手を打たれてしまう。 自分の右小手の位置にパンが有って、そこへ跳んできたハエ(蝿)をフット手で払う時の要領で摺り上げれば簡単に摺り上げれる。 しかし、多くの場合は良くて肩ら肘、手首と動きが連動していく。 そして、小手を打たれる。か
そこで、相手に小手にお出でよ!と囁きながら、スッと見せると相手の小手が払える。 しかし、腰から始動すると間に合わない。 手首を返すだけ(手の内だけ)で十分だ。 そこで、此の動作ができるには身体が緩んでいないと出来ない。 身体意識としては手首に意識があるだけだ。 そして、此の動作の引き金は相手が引くことになる。
相手が腰から動き始め手元が動き始めると、そこに吸い込まれるように打って行く小手が有る。 相手が小手に打たれに来るということになる。
いずれにせよ此の二つの場合である。
次に、体の運用を考えると此の小手はどうして打てば良いのだろうか。 どのように、竹刀を動かせば良いのだろうか。 これが何としても判らなかった。
竹刀が目的の場所を打つには少なからず手前の方向に竹刀の先を寄せる必要が有ると感じていた。 その距離は手の内が良いとしても打つに必要な距離がいる。 しかし、此の観念に誤算が有った。 前述の先生方の小手は皆さん竹刀の先が肘と手首の手の内で回転させていた。 竹刀の振り上げが有れば対応できるが、竹刀の先を回転させて打たれればその対応が立てれない。 直線的な動きの距離を回転の長さで補っていた。 前腕の筋肉のみで処理している動作だ。 だから相手は反応出来ない。
西村が今まで書いてきた動きと違う動きであって、これはボクシングのジャブに似ている。 腕力で相手を倒すのならば腰の溜めの効いたパンチが必要かもしれないが、道具として刃物を持てば小手を切るにはジャブの動作で十分だ。
剣道では相手の心の起こりをさとす、とがめる感じで軽く小手を打つことになる。 その動作に竹刀の先の回転活用がある。 直線の動きと、円の動きの両方の良さを使って行く。 西村はやっと此のことに気がついた。
此の動きに大切なのは腰のため、しゃくりの動きを入れない事だ。 回転だけでは相手の小手に届かないので胸を使う。 前後的な距離と動きはは肘の伸展と胸のすぼみを使って肩を前に出して使う。 もし、余裕が有れば左の腰から膝にかかる、あと筋を使って腰を押し、体を進める。 いずれにしても手の内が先に有り、肘、胸、腰、左足のあと筋が補って行く。 面打ちの丁度逆の作用である。
要するに吸い込まれるように打つということだ。 此の逆動作を使うには、緩みこそが秘訣だ。 高岡先生の「ゆる」、武蔵の緩みがそれだ。 溜めを作った時、それは相手に察知されていると思って間違いがない。 ツリー全体を読む
△上に戻る 面打ちのその前の心情はいかに。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年4月28日(日) 林先生、角先生の豪快な面は西村は研究した事があります。 京都で角先生と喫茶店で隣の席に座った事が有りました。 その時原田先生藻一緒で、角先生が席を立たれた後、 原田先生が彼は良い面を打つと言ったので、その後注目をしていました。 朝稽古の様子をビデオに撮って研究した事が有ります。 岡田さんが動作をしたのと同じでした。
一般に豪快な面は身体を押しだし、相手を圧倒させて竹刀が打ちに走りません。 体の攻めを受け居着いた後に、ややテンポがずれて大きな面が上から押しかかります。 この体の攻めを静かに受け止め、この攻めに嵌まってみると簡単に胴が打てる様な気がします。 椎名先生は剣先がやや刺し面な感じで、竹刀をへそから飛ばして来ます。
これらの先生から攻め込んで一本を取るのはなかなか難しいかもしれません。 『後の先を読む』を使えば一泡吹かせれかもしれません。 『相手が竹で頭を打ちに来る。 そこを真剣で胴を切る。』 この気持ちで臨めば何とか成るような気がします。
名前を挙げた先生方は、結局は相手を攻め上げ参ってしまった所を体で攻め上げ、居着かせ面を打つ。 攻め入って打つ面は相手を居着かせて打っています。 これを豪快な面と言われています。
しかし、「八段に成ると相手を居着かせて打つよりは、相手を引きだして打つが良い。」 これが『百回稽古の先生の意見です。』
『小生は今、西村先生に教示してもらっている高速の面打ちについてかなり意識しています。西野悟郎先生の一人稽古での、あの面打ちにさらに左手の押し出しと脇の締め、右手の引きから押し手への変化、この当たりをイメージし実践しようとしています。』 岡田さんの身体の動きでこれを完成させたら、相手はどうして撃たれたのかを分からない内に打たれる事でしょう。 そうすると神崎先生の様な剣道になるのではないかと思います。 京都でお互いにこの辺を研鑽致しましょう。
西村は攻め上げて体で攻めて居着かせて打つを半ば、緩めて引きだして打つを半ばにしています。 相手の心の起こりを高速面打ち。 時には、切り落としをします。 さらに、打たれに入って相手に打たせて、さらりとかわすを目指しています。 最後は相手の後の先に嵌まって見せる。 この最後の所が範士八段に効くのです。
剣道の面白いのはスポーツ能力・身体能力が優先する技。 次には精神的な気の押し合いで勝つ技。 その次に捨てて入って打つ技、緩めて引きだし打つ技。 最後に相手の方が強いと思わせ、仕掛けさして嵌まって見せてとる技。
動きの優先する世界から気の戦いになり、自分を捨てる、引くの駆け引きの世界となります。 最後は相手を立てて上手に合わせて上げる世界になっていきます。 それでも打ってくればそれは相手が未熟と成ります。 どの技・考え方が使うのが良いかは相手にもよりますが。
これはまさに人生の極意・経営の極意そのものですね。 良いものを手に入れ派手に経営しながら事業を伸ばす時期。 お互いの駆け引きで商売が成り立つ時期。 最後は相手に儲けさせながら、おこぼれを頂く時期。 最後は安全で尚且つ相手に喜ばれ、相手が多ければ、結局沢山のお金が入ってくる。
西村の剣道の特徴は今自分のしている剣道が、これらのどの剣道をしているかを意識している事です。 この相手にはどの剣道で対応するのが相手に親切で、自分の稽古になるかを考えて稽古をしています・ 此の様な事を考えて剣道をしている人はほとんど居ないのいが現状では無いでしょうか。 ツリー全体を読む
△上に戻る 六段への道は捨て所の修業! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年2月25日(月) 六段の審査を見ていますと、合格者者の試験風景に特徴的なことが有ります。
それは自分から攻めて、先を取って打ち切ることです。 攻めて先を取ると入っても、先に打てば良いと云うことではなく、 相手がその攻めに反応した瞬間に、全てを捨てて面に打ち切るということです。 コテを打たれようが、胴を抜かれようが、一心に足から出て、腰を入れて面に打ちきることです。 師匠の言葉 『いい攻めをしているな! いつ捨てるかな! あ! 打ってしまった! 若いな! 当たったけれど! 若いな!
いい攻めしているな! いつ捨てるかな! ここだ! あ! 見てしまった! 胴に逃げた! 捨てれないね! 勇気がないね!』 審査員は剣道の技、技術の問題と、それを支える心を見ています。
落ちるタイプ。 練習不足で足が出ない。 攻めが弱く、相手の余裕が有るうちに打ってしまう。 足が出る前に手元が上がって、お互いに面の相打ちで、両者五分で両落ち。 圧倒的に打ちが早く、攻めがなく、相手の心が動く前に打ってしまうタイプ。 相手と気を交わし一体感にならない、勝手に剣道をしている人。 良い攻めが有り、剣道も上手いが、捨てきって面を打たずに相手に先打って出られる人。
試合で勝つ人も審査には落ちる。 上手い人でも、勇気がないと落ちる。 足の出ない稽古不足は問題外。 当てることの執着が強く、姿勢を崩してまでも当てる人。
受かるタイプ。 相手が強く、紙一重自分の攻め、打ちが勝った場合。 不思議に相手がよく見えた場合。 ひたすら攻めて、相手の心が動いた瞬間何も考えないで面を打った人。
六段は打ち勝った人が合格しています。 力の差があればそれは簡単ですが、実力はほぼ互角です。 攻めて打ちきった方が合格です。
六段の試験のためには、わざわざ返し技を稽古をする必要は有りません。 面に打ちきる余裕が攻めになり、相手が我慢しきれずに打ってくるので返し技が冴えるのです。 上位の先生との稽古では、積極的に打って出るだけでは足りません。 打つ前に足を出し、腰を出し、その次の瞬間まで振りかぶるのを我慢して、 打ち切る稽古です。 手元を上げるのを出きるだけ遅くし、腰をゆっくり押しだし、少しでも相手に色が見えたら、相手に体をぶつける気持ちで早く前進するすることです。 このゆっくりとした腰の押し出しの途中に、相手が色を見せます。
さて、この腰を押しだす為には左足に六分の体重が必要です。 難しければ、出きるだけし幅を狭くすると頃から始めて下さい。
上位の先生から「お前はいい面を打つようになったなあ!」と評価を得るような稽古こそが最上の六段の昇段稽古です。 下位との稽古はただ打って勝つのではなく、左腰を押しだし、右足が床を滑る様に進み攻めは入る途中に相手が打ちだした所を気って取る。 相手の我慢の限界を見切って打つ稽古をして下さい。
さて、相手の『色』ですが、相手の竹刀が動いてからでは間に合いません。 相手の足が出てからでも間に合いません。 相手が打ちにはいる前の予備動作を見切ることです。 一つの例ですが 『相手がやや前傾になりつつあるときに、一瞬胸が軽く押しだされます。』 これは相手の無意識が打つと決めた時です。 当の御本人の有意式は未だ打つことを決定していないのです。 この瞬間を捉えます。 そのほかには、 『一瞬体を軽く沈める。』がありますが、フェイントされることも気をつけましょう。
さて、七段の審査では相手の予備動作を見切って勝つのではない。 『相手をギリギリまで攻め込んで、この予備動作を見せて相手を引き込むのが、相手を引き出して打ち取る。』 『相手をギリギリまで追い込んで、一瞬攻めを緩める、面を見せるて打ちださせる。』
六段審査は相手の心を見て、打ち切ることが出きる審査。 六段審査は見えた後に捨てて打つ。 土壇場で身を捨てる勇気が必要です。 七段審査は相手にこの心の変化を見させて、しめた!と無意識に思わせ誘い込む心理作戦。 七段審査は先に自分の身体を相手に投げ出し(身を捨てて)、相手の色を引き出し誘い込む。 六段と七段の稽古を見て分かると思いますが、七段には心の余裕があります。 六段に比べ、自ら死地に入る勇気が必要です。 心の決心のしどころが一歩先にあるのです。 剣道は高段者になるには『肚を錬る』必要があるのはそのためです。
この心の修業は人生、仕事、人間関係においても、いつも必要とされる場面が多いものです。 剣術が剣道になったゆえんは、ここの心の昇華にあるのではないでしょうか。
毎回心がける事として。 今日の稽古の目標を稽古の行く途中に決心する。 帰りの途中にそれが出来たか、良く検討する。 寝る前に、布団のなかでよいから、瞑想してその日の稽古をイメージで回想する。
剣道時代2001/11月号43頁に、私の師・匠原田源次先生の『審査員の目』 に十分説明されています。 私は六段審査の前の日に、ほぼ同じ内容のことを教えていただ来ました。 そして、翌日合格しました。
昇段審査に対してのバイブルと思う記事があります。 先般、『昇段審査体験集・合格する剣道』剣道日本3月号に見事に書き上げてあります。 吉山満先生の渾身の思いで書いた記事を十二分にお読み下さい。
最後に、剣道は只多く稽古をしても上手くも強くもならず、体操に終わってしまう。 工夫、研究、分析、指導を受けることこそが一番大切です。
先ずは目の保養に、心の目覚ましと思って、京都大会、六段昇段審査を見ておくことが一番先にすることだと思います。 出来れば、京都でお会いしましょう。 ツリー全体を読む
△上に戻る 2/19全剣連合同稽古から 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年2月19日(火) 今日は全剣連合同稽古日。 患者様の治療に3時間は懸かる処置が午後の二時半の予約に入っていた。 さらに、ミーティーングの為午後は3時から診療開始。 五時半にはとても間に合わない。 それは院長権限で受付に患者様に二時に来ていただくように連絡をする。 代診の先生方と衛生士さんは患者指導の打ちあわせとする。 受付、助手は妻がミーティング。 今日の患者様は歯を十本抜いて、骨の整形をして総入れ歯を入れる処置だ。 二時から始め五時に終了。
車には防具を入れておいたので、直に出発する。 秘伝の記者が五時半に武道館で待っているはずだ。 道が混んでいて着いたのは六時前だった。 着替えの最中に礼が終わり、既に皆さまは並ばれていた。 久しぶりの師匠との稽古だ。 その隣は佐藤先生だった。 佐藤先生の体調が良くないと聞いたが、お元気そうで何よりだった。
暫く待って順番が来た。 足も少し動くようになったので、果敢に打っていくことにする。 竹刀を上げるのはギリギリまで我慢するが、打てばコテ、胴と捌かれる。 足が動ける様になったので、打ち気が強く出ているらしい。 今日の先生はつけ入る隙が全くなかった。 弟子としては不甲斐ないが、先生の快復は喜ばしい。 最後に面を打たせていただいたが、快心の打ちであった。 何がともあれ、動作として快心の動きが出来たことは嬉しい。
次に倉沢先生にお願いした。 今度は攻め合い、気の張りをしっかり保って対峙する。 スピードで打とうとすると、見事に返される。 攻めは入り捨てて出ると、先生も少しもたつく。 打って出て返され、切り落とされたことはあったが、先生が打って出たのは突きで止め、胴を返して入った。 竹刀で先に打って出れば負けだ! 稽古の後、挨拶に行くと「いいとこ打たれた!」と言って下さった。 久しぶりに足に遠慮をしない剣道が出来た。
原田源次先生と関根さんの稽古を見た。 関根さんは変わった。 先生との稽古で気後れしないでやっている。 気位が非常に良くなった。 少し前から剣道が変わったが、枯れた良い剣風になってきた。 もう7段の剣道かと思う。
新宿まで送る途中に色んな話しを聞いた。 浅見さんが肘で打っていた竹刀の動きが変わったこと。 癌の手術の後は剣風が変わったこと。 今までは返されたら向きになっていたが、その頃から返されるとその後は打ち込み稽古をした等。 八段に受かるには強い人でも、何か大きな変化が必要と感じた。
菊地さんとの稽古。 西村が攻めても不用意には引き出されない。 ただし、我慢が過ぎて居着きになって西村に面を乗られる。 しかし、この心境の変化はたいしたものだ。 剣道の進歩の過程に是非必要な過程だ。 彼女は今その真っ最中! 次回の稽古が楽しみだ。
車中で胸で打つ話をしたら、先生が「それは呼吸法が分かってきた証拠だ。」と誉めてくださった。 それと孫が剣道をやっていて、上段を取って、最近は負け知らずだと嬉しそうに話されていた。 3月は剣道のことで3回上京されると聞いた。 老いて、病んで益々盛んな剣道家の原田源次先生でした。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:2/19全剣連合同稽古から 関根幸松 [Mail] 2002年2月21日(木) こんにちは白岡町の関根です
西村先生、世話になりました、原田先生の列に並んでいた時に、ちょっと後ろを振り向いたら西村先生がいました、それで、勇気百倍と思っていったのですが、原田先生に見事に胴を二、三本抜かれてしまいました、このときには、少しですが自分のうのぼれを感じて!反省していました、所が、終わった後、西村先生に褒めていただき、打たれたことよりも良かったといってもらいました。 有難うございます、実は、原田先生に挨拶に行った時も本当の話ですが、はじめて、”いい剣道をしますね”と言われました、やはり西村先生の見る目は正しいのですね、先生の教えは自分の剣道にすごく役に立っています、有難うございます。 それからですが、菊池さんの剣道もよく先生は見ているんですね 前回、の事ですが、菊池さんが望月先生と稽古をしているのを 見ましたが、じぶんも感心して見ていました、きっと、あのときから変わったのだと思います。 それからですが、川瀬先生には、またまた、”??は大丈夫だよ”と云って頂きました、少し、反省をしている身ですが、本当に、有難いことです、次回も、楽しみにして合同稽古に参加しようと思っています、有難うございました。
〜〜〜〜〜〜〜合掌〜〜〜〜〜〜〜〜 ツリー全体を読む
△上に戻る 一瞬の我慢比べ、攻めは入った方が有利。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年2月23日(土) 以前は打ち気が肩に出ていて、右肩から面につっこんで打ってきました。 原田源次先生との稽古では心がしっかり丹田に落ち着き、相手をしっかり見据えていました。 打った打たれたではなく、その前に相手と真っ正面から対峙している感じが見受けられました。 あの胴は西村、島野さんも打たれます。 どんなに我慢しても面を打てばあの胴を打たれます。 そこを我慢すると面に乗られます。 『一瞬の我慢比べの所です。』 攻め入っておればそこが自分に有利で、攻めは入られれば相手が有利です。 原田源次先生の右足が先に動き始めて入る証拠があの胴です。 今度並んで入るときにしっかり眺めて見て下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:有難うございます、一瞬の我慢比べ、攻めは入った方が有利。 関根幸松 [Mail] 2002年2月23日(土) アドバイス有難うございます
次回には、並んでいる時に足を重点的に見ようと思います。 今回は、前の人が胴を抜かれているのを見て先生の竹刀だけを見ていました、それで、わかったと思い、まさか胴を抜かれると思ってもいなかったのでした〜〜〜〜〜〜 これからもどうぞよろしくお願いいたします
〜〜〜〜〜〜〜〜合掌〜〜〜〜〜〜〜〜 ツリー全体を読む
△上に戻る 「スーパーボディを読む」 を読みました。 古本礼慈 [HomePage] [Mail] 2002年1月28日(月) 西村先生 御無沙汰をしておりました。
スーパーボディを読むを読みました。 西村先生の掲示板で知ってからだいぶ経っていますが、やっと手に入れて読みました。 すごい、内容でした。目から鱗といった状態でしょうか。
人体の大部分は胴体である。胴体が手足に繋がっており、胴体が手足をリードするのが運動の基本で、胴体の動きが胴体力になる。 胴体力の基本は丸める・反る、伸ばす・縮める、捩じるが胴体力の基本だと解説されています。
私がまず着目したのが、丸める・反るでした。これは少し解釈が違うかも知れませんが。 普段剣道は腰で打つと言われまたそのように稽古しています。 その際に私は、腹をあまり使っていませんでした。 そこで、打突の際肩の力を抜いて胴体を丸める感じを腹に力を入れる感じやってみると非常に打突が自然になる。
また此方が攻めて相手を引きだしているのに打たれることがあるが、この時に腹で打つと対処できるようになった、もっともパーフェクトではないですが。
いままで腹を使わずに剣道をしていたのが不思議なくらいです。
そこで、久しぶりに加茂先生(教士八段)に懸かっていったのですが、先生が面に来るところを出頭の小手や、面を引きだしての返し胴を打てたので最後に先生に腕を上げたなと言われました。
でも、一本と言われてからは先生も本気を出してきたので、攻めによりこちらが金縛りの目に合わされました。
次に、構えですが、加茂先生や強い先生は、骨盤を前傾させて構えています。これがこの本によると股関節で地面を捉えるということではないでしょうか。
この構えで構えると少し腰は苦しいのですが、どっしりと構えることができ丹田に力が入り、自然に相手に対応できるようです。腰を入れることにより、左の踵が適度に上がり、膕も自然な感じで伸び、相手の動きに瞬時に合わせることができるようになりました。
これが伊藤先生が書かれている、「股関節とらえ」に繋がるのでしょうか。 よく分かりませんが、近いような気がします。
腰を入れて構えると、攻めのパワーがよりアップするような気がします。相手に響いているなとの感があります。
まだ読み方が足らないと思うのですが、少し読んだけでも効果がありましたので、更に研究してみたいと思っています。
解釈に間違いがあるでしょうか? ツリー全体を読む
△上に戻る 研究心は明日を開く!! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年1月29日(火) 身体の中心部の起こりが足を動かし、重心移動をさせます。 この時足が床を掴んでいないと、前進しないで上に飛んでしまいます。 腰を前進させる意識があれば、それは足に筋肉が最初に動くのではなくて、 丹田を中心として骨盤の深い筋肉がその動きを始めます。 その結果として腰が締まり、足の筋肉が使えます。 腹部の何処か深い筋肉を痛めると歩くのも大変です。 普段無意識に使っている筋肉だから意識に昇りません。 歩行の時は無意識がこの筋肉をしっかり初動として使っています。
ところが、顕在意識が急に前に出たいと筋肉に命令すると、足の筋肉が急に動き跳ね足になってしまいます。 無意識が前に出たがった時は、内なる筋肉の予備動作をしてから、足の筋肉を動かします。 面を打とうとしたとき、突っ立った姿勢の人は必ずヒザを緩め重心を下げる予備動作をします。 蹴り分の沈み込みが必要だからです。 重心が前にある人は一度重心を左に持っていきます。 重心のキャッチボールをします。 そうすると、相手も来るな!と身構えます。 この様に動きには必ず自分の意識適った動きがあります。
手足のバネ、腹筋を使った打ちは、高校生の先鋒の選手によく見られます。 この剣道の竹刀当て剣道の最高峰が宮崎選手の試合用剣道だと思います。 (試合用で、本当はしっかりした剣道が出来ますが。)
しかし、審査は竹刀を刀の用に扱った打ち方を評価します。 そうすると、意識は『切り込む』形になります。 そうすると、しっかりとした『歩行の原理』に沿って身体は動きます。 すると、身体は自然に『胴体力』の動きになります。 刀を持てば、何も考えなくても『胴体力』の動きをします。 同じ竹刀で有りながら、『当てたい気持ち』を『切りたい気持ち』に変化させようとしても、身体は竹刀であることを知っていますから、付いてきません。 そこで、刀を持って切り込む形を身体に記憶させ、竹刀を持っても同じように動くのだとゆっくりとした、正確な動作で教え込みます。 これが太極拳の緩やかな、重心の誤魔化すことが出来ない動きです。
胴体力は本来誰にも備わった動きですが、スポーツとして、競技としたときに忘れ去られる動きです。 だから、そのスポーツを歩く程に繰り返せば誰にでも出来ます。 打ち込みをふらふらになるまで繰り返し、無意識に一番楽に打った動きがそれになります。
しかし、私が書いたように意識を持ってやれば、それほど繰り返さなくても直出きる様になります。 そのために、トレーナーやコーチがいます。
さて、この胴体力の見事に昇華された面打ちを、岩立先生の面打ちに見ました。
先生の引用文です。 『打突の際肩の力を抜いて胴体を丸める感じを腹に力を入れる感じやってみると非常に打突が自然になる。』
先生は以前、竹刀の打突目標が面布団2センチ下の時は、胸を広げ両手を一杯伸ばし爽やかな軽い面を打っていました。 この時の打ちは『竹刀当てゲームの打ち』ですから、胴体力の必要性が余りなかったのだと思います。 最近、咽まで切り込もう打つと、自然に腰が入り、胸で打ち、打った時の拳の位置が下がってきて、胸が降りたのです。 そうすると、自然に胴体がまるまる形になります。 この時、腹筋で丸めたのではなくて、胸が降りた為にそのように感じたのだと思います。 以前は手元が胸から離れ手しまった面打ちでしたが、今はきっと切り込む剣道に変わったのだと推察します。 面打ちの位が変わったということです。 これをもう少し意識して刀を下に切り落とすと、いわゆる『切り落とし』 の技になってきます。
『そこで、久しぶりに加茂先生(教士八段)に懸かっていったのですが、先生が面に来るところを出頭の小手や、面を引きだしての返し胴を打てたので最後に先生に腕を上げたなと言われました。』 これは打ち気が消え、攻め合って剣道をしていくと、有る瞬間から相手が見えます。 その時、無意識は出すべき技の予備動作を終わっているのです。 自然に胴体力が出来たのだと思います。 そうでないと、八段相手に入るわけがない。 腰から攻めは入り、打ち気が消え、相手が見えた剣道になってくればしめた物です。 これからは、八段の先生と稽古を楽しめます。
『股関節で地面を捉える』 これは重心を軽く落し、その位置で床を蹴るだけで推進力が得られる、 『蹴りしろ』を確保した位置だと思います。 西村は武蔵の肖像画の身体の緩みにそれを発見しました。 それ以後、大先生にコテ摺り上げ面が入る様になりました。
『腰を入れて構えると、攻めのパワーがよりアップするような気がします。相手に響いているなとの感があります。』 構えた形が即戦闘態勢に入っていますから相手は感じるのです。 多くは攻めて入るといながら、手足は『休め』をしている人がほとんどです。 1-前足重心は一度左足に重心を移す、重心のキャッチボールの必要が有ります。 2-左手の拳の位置が低いと、一度良い位置に上げてから打ちだす必要が有ります。 3-足が伸び切っていると、一度重心を下げて床を捕まえに行く必要が有ります。 4-踵が床に着いていると、一度踵を床から離す必要が有ります。 5-ヒザを緩めすぎると、弱いバネと同じで遠くには跳べるが、瞬発力が出ない。 6-肩が前に出ていると、一度肩を落とし、胸を広げないと竹刀は上げれない。 7-腰が緩んで入ると、一度締めないと身体が動かない。
このように、打ちだす前に一つステップが多く予備動作が必要です。 このよな相手はいくら睨んで攻めていると言っても、身体が戦闘態勢に入る以前の構えでしかない。 それがかじられるから、相手が余裕を持つ。 腰から攻めは入れば、内なる体幹の予備動作が終了し、後は手足を動かすだけの戦闘態勢に入っている。 そうすると、相手から見れば今にも来ると感じて、戦々恐々とした感じになる。 攻めが効くようになります。
竹刀で攻めようとすると、腰の備えに懸かる時間のロスをしますから、相手は恐がりません。
『胴体力を使う』は合目的な自然な身体の動きの予備動作が完了してから打突には入るということです。 この予備動作が完了しておれば、後は相手の動きに手足を動かすだけです。 瞬時に合わせるようになるわけです。 段位の違いは剣道の竹刀当てから、剣を使った様な動き、油断なき身体の備え等が変化をしていく様変わりかと思います。
暫くこの本の意図する所を熟読してみて下さい。 剣道の本では手に入らない、身体活用情報が手に入ります。
今日の稽古である女性が言いました。 「先生はある一瞬からの動きが速い」 完全なる予備動作終了後に手足が大きく動くからです。 ほとんどの人は先に手足が大きく動き、中心(体幹、胴体力が纏まっていないから、手足バラバラになる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 相手と一緒に動く。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2002年1月15日(火) 相手と一緒に動く『守りの予備動作が攻撃の予備動作』
泉先生の技の基本に、相手との間合を左足がきちっと整えている。 相手が面に起きかけた時(攻撃の予備動作を起こしたとき)、先生の左足は左後方へ動いている(守りの予備動作・攻撃の予備動作)。 相手の竹刀が伸びてきたときは右足を左足に寄せ、相手の間を外し正対している。 この時、コテを押さえ、次に軽く一歩出て面を打つ。
西村が胴を返すとき。 相手を引き出して、起こりに合わせて(攻撃の予備動作を起こしたとき)右足を右斜め前に動かす(守りの予備動作・攻撃の予備動作 )。 相手の竹刀が面に伸びてきた所を受けて、左足を右足に寄せる。
相手の腰が面に起こりかけた時(攻撃の予備動作を起こしたとき)、左足を少し引いて踵を下げる(守りの予備動作・攻撃の予備動作)。 相手の手元が上がると同時にコテを押さえる。
相手の上体が斜めになり(攻撃の予備動作・)腰を押しだす準備をする。 こちらの右足が軽く床から離れる(攻撃の予備動作) 相手が振りかぶろうとする瞬間に、左足を蹴って面を打つ。
日野晃先生の教えの中に『一緒に動く』がある。
相手が突こうとして上体が攻め入って来たとき(攻撃の予備動作を起こしたとき)、自分は上体はそのままで、右足のみ引いておく(守りの予備動作・攻撃の予備動作)。 相手はこちらを射程距離に捉たと思い、右足を出して突いてくる。 自分は相手の突きの歩幅に合わせて、左足の方へ体を移動する。 相手は自分の間合と思って突きに行ったが、自分はギリギリ届かない所に身を処す。 相手がこの伸びた状態を今度は自分が攻撃する。 『守りの予備動作が攻撃の予備動作』
ここで、大切なのは相手が『攻撃の予備動作を起こしたとき』相手との頭の距離はほとんど変化のないことである。 足だけ、間合を盗み、身を安全圏に置く『守りの予備動作をしておく』ことだ。 もし、上体全体を後方に引けば、相手は自分の攻撃が届かないことを知り、その攻撃を中止する。
相手の『攻撃の予備動作を起こしたとき』自分の『守りの予備動作をしておく』が、この時相手のこの『守りの予備動作』を察知されないことだ。 相手の攻撃の予備動作を察知し、こちらの守りの予備動作を察知されないのが武術的な動きだ。 この(守りの予備動作)を察知されないと、これはそのまま攻撃の予備動作になる。
相手が面に来ると察知し、竹刀が受けにかかると、相手は打つ動作を途中で止めてしまう。 そこで、相手が打ちに出てしまうまで、受けの動作は起こさない事だ。 これがもう少し上手くなると、首の後方を緩め少し前に落とすと、相手はとったとばかりに食いついてくる。
相手が面を打ってきたとき、自分の身体から遠い所で受けて胴に返すことが出きるとき、同じ面が来たときギリギリまで引きつけて返す様に訓練してみる必要がある。 もしも早く竹刀が受けに走ると、相手は途中で止めてしまう。
相手の動きを察知するには、攻められていてはそれは出来ない。 相手を攻め、こちらが緩める瞬間に相手に攻撃の予備動作が起きる。 こちらが仕掛け人だから、相手のこの無意識が起こす攻撃の予備動作は手に取るように分かる。 これが相手を引き出すと言うことだ。 相手の陰を動かすと言うことだ。 このような相手の無意識レベルの予備動作を引き出し、それに何食わぬ顔押して守りと攻撃の予備動作を有意識下で対応する。 これが武術的対応だ。 柳生新陰流の真骨頂だ。 しかし、これに上手に意識下で嵌まった振りが出きれば、その上になる。 ここまで来れば、筋力、スピードの様な物はもはや通用しない。 正に『剣豪小説の世界』のようになる。 ここまで来れば本当の武術だ。 この術は心法の術となり、剣道の稽古だけでは中々身に付かない物だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 西村先生、ありがとうございます。 新潟・斎藤 [Mail] 2002年1月5日(土) 西村雅興先生
新潟の斎藤です。 小生のメールをとりあげていただき、恐縮のいたりです。
そして新年早々のご教授ありがとうございます。 さっそく実践・工夫に取りかかっております。
【左足後筋の鍛え方】
左足から1で歩き始め、4で左足に体重が乗った(左足で支配する)時間を多くして 大きく右足を踏みこむ。1,2,3,[4] 1,2,3,[4]とくりかえし 歩をすすめていく。押し出す身体意識を身につける。 歩く事も直接 修行になる!うれしい お教えです。 ジョギングの際にも応用できるかと思い、明日やってみます。 自らの注意点としては「強く蹴り過ぎない」「左足を粘らせる」「上体をくずさず前に進める」 などを こころがけてみます。
【胸で打つ】
肩で打たない。このお教えを つまりは引き上げずに押し出せ、という事かと とりあえずの理解をいたしました。あと、両腕で胴を瞬間的にこするように 打ち出してみようと思います。 「相手の胸が出たら打て」とのお教え。正直なところ まだそれは小生には感知できません。 相手を見ない自分勝手な剣道をしているレベルなのかも知ません。まず、良く見てみます。 「小胸を出しておく」これをとくに心がけます。
なんども読み返し、ありがたく西村流を学ばせていただきます。 剣道における心の世界、霊世の世界には 小生 まだまだ全く理解力が追いついておりませんが 「有意識」レベルから 徐々に「無意識」レベルのものも身につけていきたいと 思います。『虚虚実実』の位取りも身につけたいものです。 今年のテーマは「攻め」、まず『月影』をくりかえし読ませていただきます。
高みを目指し、少しづつでも上っていけば、見える世界も広がり 違ってくるものだろうと 思っております。
西村先生の 攻め入りのような圧倒的な お教えを なんとか理解せん と踏ん張ることも 『肚を練る』事につながるか と考えます。
「自分のレベル」の範囲内でしか 理解できないとは思いますが 本年もよろしく ご教授の程 お願いもうしあげます。
最後に 小生のメールに「良くまとめた。」とのお言葉、ありがとうございます。 この歳にして、お年玉をいただいた気分です。
ありがとうございました。 斎藤 拝。 ツリー全体を読む
△上に戻る 剣道をどのレベルで稽古をするか。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年12月28日(金) 剣道をどのレベルで稽古をするか。
歯科医が患者様と接する時、そこに治療費の話がおきる。 その時、患者様がどのレベルで歯科医に治療して欲しいかが、患者様側が決める支払額なのだ。 歯科医が患者様の支払い能力以上の金額を提示しても、話しは纏まらない。 患者様が本気でかなりの金額、時間、その他を覚悟しているのに、歯科医が通り一遍の説明をし、サラリと簡単な処置で済まそうとした金額を提示したとき、その患者様は選ぶ歯科医を間違ったと察知し、帰ってしまう。 逆に、歯科医が決めた金額を患者様が受け入れないときは、相手がそれほどの物を望んでいなかったことになる。 しかし、御話をしているうちに、自分への愛、命をいとおしむ気持ちに目覚めれば、借金をしても治療を受けたいと思う。
歯科医の先生方が自費収入が少ない、経営が苦しいと云う話しをよく聞く。 しかし、西村の研修を受けた歯科医は直に収入が倍ぐらいになる。 これはハウツウ(方法論)ではそうはいかない。 ハウツウウを学べば、20%位アップするのがせいぜいだ。 誰もが欲しい御金をそう簡単に自分だけ儲けることが出きるほど、世の中は甘くない。 西村のセミナーを受けると、人相が変わる。 そうすると、直に収入は倍になる。 このセミナーの秘訣は人間改造にある。 この話しを聞きつけた公認会計士さんが、是非セミナーに参加したいと申込まれた事がある。 通常では起こりえない事が起きる事実がある。
患者様の本気度は人によってまちまちだ。 それに対して、歯科医自身が相手のどのレベルまで応えれる治療能力があるか、それをやり上げる根気があるか、責任を持てるか、自分の生き方やしたい仕事等を一度十分掘り下げておく必要がある。 要はは自分をどこまで知っているかに尽きる。 しかし、歯科医、医師は患者様の研究はよくするが、自分の研究はしていない。 患者様から見れば大金を支払う覚悟があればあるほど、相手の歯科医の本質を見抜こうとしている。 一般的に、治療が始まる前に金額の話が出てくる。 そうすると、患者様は歯科医の何を見て(観て)判断しているのだろうか。 相手はこの歯科医は信頼に値する人であろうかと、真剣勝負で観ている。
最初は歯の問題と歯科医の免許証、治療技術が出会う。 しかし、その問題のある歯はその人についている物なのだ。 そして、歯科医の技術もその歯科医のその人についている物なのだ。 痛んだ歯と歯科技術が接したレベルで御互いが接しあう事が多い。 西村の場合はその患者様との全人格的な対応のレベルで接する。 そして、治療後も御互いに半年に一回検診で顔を合わせる友人になって、その後長いつきあいになっていく。
江戸川のN君が、「どうして西村歯科医院だけ凄いのかと、歯科医の友人に聞かれた事がある。」と言った。 そこで、西村は「私と一度剣道をしてみれば直に判る。」と言った。 すると彼は「そらそうだ!」と一言いった。
仕事ぶりにも剣道にもその人自身が出ているものだ。
ここまでが、いつもの長い前段だ。
西村がある七段受験の人に、いわゆる『月影』を説明していた。 それを隣の千葉県から稽古に来ていた彼の友人、S先生が聞いていて、目から鱗が落ちた思いをして、何度も落ちた七段に受かった。 その合格をした御礼に、わざわざ報告に来てくれた。 「自分は試合が強くて通して来た、しかし七段で苦労しました。 この間話しを横から聞いていて、お陰様で受かりました。 有り難うございます。 今日はその報告に上がりました。」とのことだ。 前回稽古をしたらしいが、西村は覚えていなかった。 彼の稽古を見ると、身体の切れ味、竹刀の切れ味が素晴らしい。 元に立った稽古姿を見ると稽古ぶりは申し分がない。 こんなに強い人が何でそんなに落ち続けたのだろうか、と不思議な感じがした。
そして、二人は稽古をした。 彼は盛んに西村を打とうと、どこからどう打とうかと探っている。 彼は西村の竹刀を少し押さえ、面に来るがその瞬間打つのを止める。 同じく竹刀を払い、コテから面と打とうとするが、打つのを止める。 彼はかなり出きる。 そのまま面に飛べば、突き殺されるのがハッキリ判っているのだ。 彼が身を捨てて面一本には最後まで来なかった。 いつも竹刀を探り、入り口を探す剣道だった。 元に立っていた剣道とは全く違っていた。 剣道は相手が変わると自分が変わってしまう不思議なものだ。 彼は打ちたい。 西村は相手を突きから攻め上げている。 相手は左拳を上げれば、突かれるのは判っている。 それだけ、剣道が分かっているのだ。
西村と稽古された先生方は納得されると思うが。 身体の攻めは入りがなく、手首で竹刀を押さえ、払って打ってくる相手には西村はほとんどその気にならない。 意識が真っ正面から通じ合っていないから、剣道が始まっているとは思っていないからだ。 そのような時、咽に竹刀を吸い込ませて二回ぐらい引くか胸突きをする。 そうすると、心ある剣士ならばこちらの意図が伝わる。 それからが、武術的な剣道の始まりだ。 こうなると、竹刀を仲立ちにした、全人格的な対戦だ。 そうなると剣道は面白い。 それが伝わらない時、相手に会わせて適当に剣道をする。 竹刀の当てっこ剣道はいわゆる体育的剣道になってしまう。
先日、強い七段の先生と稽古をしたときの話しだ。 彼が言った。 「先生に払いコテを打ったとき、先生は鼻先でフンと言った感じがした。 この人には百本同じコテを打ってもしょうがないと思った。 でも、試合なら一本でしたよ。」 西村が言った。 「そうです、試合なら一本です。 でも貴方は私と勝負をしていなかった。 それで良い剣道の時期と、それを卒業した時期の剣道がある。」 彼は払いコテ、の様な当てあう剣道を捨て、真っ正面から懸かってきた。 そこから、全人格的なぶつかり合い、武術的剣道になった。 彼の立ち姿はぐっと伸び、先程とは全く違った剣道になった。 本来の彼の持ち味が出て来た。 若くて七段だ。 この気持ちで稽古をし、良い先生に巡り合えば八段確実だ。
話しは千葉のS先生に戻る。 彼が稽古の後に言った。 「私は剣道の稽古で相手を怖いとか、恐怖を感じることはほとんどありません。 しかし、千葉に一人、そして西村先生だけ鳥肌が立ちます。 それで、真っ直ぐ打っていけません。 どうしてでしょうか。」 西村が言った。 「貴方は私と勝負しないで、竹刀の先が打突部位を捜している。 貴方が何とか私の竹刀を避けようとして入りかけたとき、私の竹刀は突きに行こうとする。 私は貴方を打とうとは思っていない。 私は貴方を突きから攻めて、そこから勝機を作り出そうとしている。 その時に貴方が咽元をあけようとするから、竹刀の先が勝手に吸い込まれそうになるんですよ。 貴方の感性が高いから、それを素早く察知している。 試合に強い貴方の感性は高い、それだけに察知能力が高い、剣道の感性が高いと云うことですよ。 でも、もう七段になったことだし、西村と真っ正面から攻め合いましょう。 思いっきり突かれたって、死ぬことはないですよ。 二週間ぐらい声が出ないだけですよ。」
学生時代活躍して強かった人、そして先生についていない人。 咽を大きく開けて面を打ってくる。 指導のつもりで咽元を軽く突いてあげると、かーっとして喧嘩腰になる人がいる。 このように、突きは本能を刺激し感情を揺るがす強さがある。 本能的に一番身の危険を察知する部位だ。
小太刀護身道で女性と小太刀同士で稽古をしているときは、軽くあしらって稽古が出きる。 しかし、相手が槍を持つと途端に自分が変わるのが判る。 一瞬、かーっと身体が熱くなり身が引き締まる。 相手の突きに備え全神経を集中いている自分を感じる。 剣道もこのような感じを持って相手に対すると、武術的感応が出きる世界に直に入れる。
『突きの無い剣道は〜〜の無い〜〜見たいなものだ!』
西村が誰とでもこんな剣道をしている訳ではない。 全剣連合同稽古の稽古に行ってみれば分かるが、 八段を受けようかと思う剣道家が、範士八段の岡先生に真っ正面から面を打っている。 そして、見事に咽突き、胸突き、返し胴を受けている。 そうすると、手元の上がりが早い事を察知し、次はギリギリまで手元を上げないで打っている。 そうなると、先生も先ほどの様には行かなくなる。 先生は思いっきり突くことにより、手元が甘いことを教えているのだ。 そして、懸かるほうはそこから気がつき剣道が変わっていく。 岡先生も、誰にもこのような稽古をしている訳ではない。 六段位にはそれなりに稽古をつけている。 その隣の範士八橋本先生は相手が打ち気がないと、上から強烈な突きを入れる、 甘い面が来れば、しっかり下から突きを入れる。 少しでも居着いたり、ひるむと身体全体で強烈な面が飛んでくる。 この先生の場合はどの相手にも同じ稽古だ。 話しに聞く昔の稽古を彷彿させるものがある。 目指す所が目指す所ならば、これぐらいの相手とこれぐらいの稽古をしてもビクともしない気構えで稽古をする必要がある。 西村も両先生と稽古をすると、毛穴が一瞬に開き自分の持てるものの全てが目を覚まし、臨戦態勢になるのが判る。 稽古の後は何とも言いがたい身体の喜びを感じる。
小太刀護身道(スポーツチャンバラ)では、先ず足が狙われる。 試合はそこから始まる。 剣道の試合では甘いことをすると、先ずはコテを狙われる。 高段者の稽古では甘い手元の面は、必ず突きを受ける覚悟が必要だ。 突きが禁じ手になっている中学生の稽古ではないことを、先ず覚悟してくことだ ほとんどの人が竹刀の当てあいで、突きが来ない前提で面を打っている。 突きが無い前提の面打ちが多いから、左の手元、腋があき、咽をさらけ出して面を打っている。 この段階では鳥肌が立つような緊張感が無いから、武術的な感性が起きてこない。
面を打つと云うことは、相手に突きを受ける覚悟で打つ。 要は死に行く覚悟が必要だ。 そして、相手の突きが入らないように打つ事が必要だ。
西村の指導ではこのように言う。 「真剣の積もりで稽古をしてみましょう。 相手の面を唐竹割りに斬り込みましょう。 そうすると、相手に真剣で腹を田楽刺しにされた貴方の死骸が転がっているでしょう。 しかし、相手は頭が真っ二つになり、咽もとまで斬殺された死体で転がっているでしょう。 その死骸を見た人が、両方死んで「南無阿弥陀仏」と唱える。 その後、両方死んでしまったけれど、死を覚悟して面を打ったこの御人の覚悟は対したものだ! そう言うかもしれない。 そう言う面を打ってみましょう、手元を締めて打てれば尚良いです。 この覚悟をした面を打つ意識が相手に伝わり、相手がそれに感応し怯むと相手の居着きになる。 こちらがその覚悟で面を打つ準備で攻めると、それに感応して相手が打って出てくる。 どちらにしても、意識をこのレベルまで持っていかないと相手は感応しない。 その面に打つ前の攻め合いが、突きから攻め込み、勝機を作る作業だ。 では、そこを意識して面を打ってみましょう。」 これが無いと竹刀当てゲームで終わってしまう。
月刊『秘伝』に(2001/3)に次の様な事が載っています。 初見良昭 談 「武道に極意なんてありません。 もしもそんなものに拘っていたら殺されちゃいますよ。」 日野晃氏が言う。 「極意『極意』とは、『時間と行動』、そして目的意識を作り出した、『志』が掴み出してくれたもの言うことだ。」
剣道も本来は相手と相対したとき、全人格レベルも総合しての対応なのだ。 その中でルール上での試合、段位別での試合、昇段審査と変化していく。 剣道で大切なのはそれぞれの段階に応じて、それぞれに要求されるものがある。 ここをわきまえないと失敗する。
『むかしより 理を好めるは下手となる。 初学は技よ、上達は理ぞ。』 昔から理論ばかりを研究して、技の稽古をしないで上達をした例はない。 始めの内は技を良く稽古して、それから理論の研究をしてこそ上達することが出きるのである。 その後に『心法』の研究が控えている。
『面と突き』を書きました。 そうすると、面と突きに似た現象も起きています。 Hideさんの所で西村に関心を持たれ、書き込みをされた御人がおられると聞きます。 その人達と何処かで顔を合わすことがあると思います。 バンドルネームを告げられ、西村と稽古をして下さい。 人間は実際を味わって見ないと本当の所は判らない。 竹刀があれば剣道で喧嘩ほどにはなりません。 足も治ったことですので、そちらに覚悟の程があれば、存分にお相手いたします。 西村の書いた物がどれ程の物かは、実際に稽古で味わって下さい。 自分をさらけ出し、真っ正面から相手に臨む迫力がその人の剣道、人生観です。
稽古の後、酒でも飲みながら御話をすれば、御互いが長い良いつきあいになれる人かもしれませんから。
バーチャルリアイティーの世界を抜けて、現実に相対してみましょう。 それが、対社会的な反映としてはその人の年収になり、人から評価を受けると声となります。 それがないとき、それだけの者でしかないという事です。 対社会的評価が必ずしも幸せとは一致しない事が多いのが実際だが。
西村の本について電話で意見を述べる人がいる。 名を名乗れと言うと、電話を切ってしまう人が数回いた。 何かを言うには実名で尚且つ、少しは自己紹介をしてから書きたいものだ。 面を打つには突きをいただく覚悟の程が大切だ。 一言居士の多い剣道界だが、その後には実際に稽古をして、相手を確かめて勘違いだったとか、やっぱり思った通りだったとか確かめたいものだ。 西村の経験では立派な書物を読んで、期待して講演を聞き、御話をし、質問したらがっかりということも少なくなかった。 西村の書いてる事がSF小説もどきかもしれません。 西村はSF作家かもしれませんから。 西村は面に突きで対応する覚悟を持ってこれを書きました。 どこどで御会いすれば、突きを受ける覚悟を持って是非御声を御かけ下さい。 当てあいではなく、命を賭けた位の稽古をしたいものです。 楽しみに御持ちしております。 ツリー全体を読む
△上に戻る 4)「達人への入り口」攻めを知る。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年12月24日(月) 日野晃先生は 『自己主張は臨機応変に』と言われている。 41) 剣道では実際にはどうなるか。 静かに攻めは入り、相手が反応して、 いつたら面を打ち、 速い面に来れば面返し胴、 一瞬手元が上がったら、コテと相手に変化して打って取る。 剣道でも二段ぐらい差があれば、だれしもがしていることだと思う。 しっかり意識を持ってするこが、稽古の段階では大切な事だ。
41) 『後の先を誘って攻める稽古』をビデオで教えている。 さらにここが武術的なところである。
こちらが相手の先を読んで、相手がこちらを、いなして打ったと思った裏をかく。 かなり高度な意識の関係だ。
まず、Aが攻めの意識を示し、微かに体が進みかけた時、Bは面を打つ。 しかし、BはAの攻めに乗せられ面を打つた形を取ったが、その実Bがそれを抜き面に来るのを予想している。 AがBの面を抜き、してやったり、取ったりとBの面を打つ。 そこで、Bはその下をくぐる様に胴を打つ、叉は竹刀で受けて胴を打つ。
まず、Aの虚に対し、Bが虚で対応する(反応)。 そこでAが実で面を打ち、Bはそれを実で胴を切る。 これが正に「虚虚実実の闘い。」である。
西村が良く使う手である。 相手は大柄で手元を大きく竹刀を上に上げ、相手を一度脅す様にして面を打つ。 相手がそこでナニクソと思ってコテにに来ると、それを払って面を打つタイプ。
西村は相手が手元をあげようとした瞬間に、相手を打とうと色を見せ打ち間入る。 そこで、相手が面を打つと同時に、体を右に捌いて胴を打つ。 相手が先に来たところを、引きだされて行く。
『後の先が当然勝ったと思わせて、裏をかく』 この高度な技は、この動きについていく腰の備えが必要条件である。 そして、それに対処するには間合が明るくないと、切られたり、反撃出来なくなる。 『それで、関係性が大切である。』 剣道では「縁が切れない関係を維持する、」と云う。 逃げすぎ、間合が飽きすぎると、縁が切れ、反撃に打って出れない。
『相互の関係から、相手の意識を動かす。』 42) さらに上がある。
『自分の攻めを一瞬取り去り、相手を虚に誘う。』 意識と意識を高め、空間を通して押し合いをし、ギリギリまで持っていく。 もし、この頂点で切りに行くと相手も打ってくる。 この時、相対死、相打ちの状況が起きる。 先に述べた、虚実の闘いでも、危うい場面に遭遇する。
このような時、自分の攻め、実態、気配を消して宇宙と一体化してしまう。 その状態で、どうぞ打ってみて下さいとスッと前に出る。 そうすると、相手は目の前の自分に危害を及ぼそうとした、意識の実態が亡くなり、相手の身体だけが目の前に来る時、一瞬対応に戸惑う。 相手の虚に完全に引き込まれ、自分の意識の実態が虚となってしまう。
これは、殺気を捨て、自分を捨て、ただ相手の剣先に身を任す事だ。 それに相手が引き込まれた瞬間、その時相手は「ただの木偶の坊」となる。 強い攻めに居着かした瞬間に似ているが、その時は相手の意識エネルギーは圧縮されているので、「窮鼠猫を噛む」の反撃の危険性がある。
しかるに、この時は相手はそのエネルギーが散漫化され、空中分解したような状態だ。
この辺りが日野晃先生の一番言いたい、自己主張の方法だ。
剣道では この辺りの意識レベルの稽古は、相手が相当腕が良く、感性が高くないと成り立たない。
範士八段のやや高齢の先生方はこの辺りの感性が高い、尚且つ動きが少し遅くなる。 教師レベルだと身体の動きが速いので、間合が難しい。 さて、十分攻め合って打ち気の色を見せる瞬間、【己を虚しゅうして身体を投げ出す。】 さすがの先生方もウッと打ち気に入る。 そこは西村が見逃さない。 少し手元が上がりかけた瞬間にコテを切る。
これは、体の運用で「体の滑落・胸で打つ」が出来ないと実践は難しいが、多くの範士が西村にコテを切られている。
尚、相手の意識の変化を的確に捉えコテを打つ最高の名手は、山梨の望月先生だと思う。 全剣連合同稽古の並み居る名範士が西村のめの前で切って落とされていた。 この意識変化のキャッチ能力には、西村は脱帽する。 今思えば、名古屋で範士八段・賀来先生に打たれたコテはこれだと思う。 この御二人のコテは、今まで説明したんとは少し違う。 並外れた感性がそうさせる特技である。 日野晃先生、西村の説明部分は武術的な意識、反応を踏まえた、理合である。 43) さて、さらに上がある。 喧嘩、争い、等に身を置いたとき、こちらが殺気立つと相手もさらに殺気だつ。 その瞬間に「ごめん、俺が悪かった。」と言って誤る。 相手に優越感を与えて、御互いが怪我なくなく別れる方法がある。 身を守る必要があるが、それを避ける事が尚上手な方法だ。 相手だって、こちらがど程のものかは、先ほどまでの意識に対立で分かっている。 これ以上深追いすれば、自分も危ういのは悟っている。 この部分を使い、高まった意識のぶつかり合いを、 「己を虚しゅうすることによって、相手の殺気も静めてしま
『相手を切りたくないから、技術がいる。 だから武術を勉強する意味がある。 それが自己主張だ。 切りたくないと言う自己主張だ。 切りたいと言う自己主張ならば簡単だ。 素手でにらみ合っているとき、足下の棒を見つけそれで殴りかかれば済むことだ。 何も技術的な事を習う必要がなく、何か良い得物を持って対処する方が早い。 』
もちろん、相手になめられてしまっては、こうは行かない。 意識レベルで、相手を威圧する強さがあり、それを相手に知らしめて、そこから退くからこれが出きる。 強いほうが実を取り、弱いほうに名を上げておさめる。 名と実を分け合う。 名実ともに取ろうと欲を出さなければ、案外上手くいく事が多い。
よくある、やくざ社会の「手打ち式」に似たような状況だ。
日野晃先生のセミナーには「人間関係」のセミナーがあるのが頷ける。 44) 結局、剣道がいくら強くても人生においてたいして意味がない。 そればかりか、そこまで強くなるために使った時間、エネルギー、仕事の損失つ、チャンスを逃がす、家族との軋轢等と問題を抱え込んでいる人が多い。 「剣道から何を学び、人生にそれを有効利用できたか。」 これこそが本当の意味である。
45) 最後に、日野晃先生のホームページを訪ね、本、ビデオを買い、さらには指導を受ければ、貴方の剣道は飛翔すること間違いなしと信じる。 西村が剣道流に私感を交え、解説しました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 土曜稽古、空間意識・気の共有の有無。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年12月16日(日) 今日の土曜稽古から
今日の土曜稽古であるが、若手の強い早い剣道家と稽古をした。 しかし、彼が面に打ってきても、西村は受けようとも、いなそうとも、打とうとも思わない。 相手は私と意識の空間を共有することなく、西村の身体を打ち込み台位にしか感じていない。 武術的な価値観・空間意識の共有・感応が全く無いのである。 コテから面と西村の左を通り抜けていくだけである。 そこで、貴方が本気で正面を打って来ないと、西村には反応する価値も感じられないよ、と言った。 彼は意味を少し理解した。 西村に真っ正面に意識を向け打ってきた。 始めて稽古が始まった。 そうなると、彼は西村に切り落とされ、捌かれ、弾き飛ばされる。 それは関係性が生まれたから、武術的になってきたのであある。 相手の竹刀を払い、押さえ、相手の面を叩くことばかりだと、スポーツにはなるが、武術にはならない。 相手と攻め合い、共有した意識の空間の押しあい、が攻め合いである。
回り稽古の後、自由稽古で背の高い185センチ位の人と稽古をした。 二階から竹刀が飛んでくるようだった。 西村も大柄なので、めったにこんな経験はしない。 さすがに七段、意識がしっかり西村に向いている。 これは武術になる。 攻めも強い、身体も竹刀も早い、この方は強い七段だ。 そうすると、西村はしっかり相手に剣先で咽を攻めて結界を張った。 西村の意識では竹刀の先は既に相手の咽に届き、そこを傘が開くようにして身をその中に入れている。 ちょっと意識を変えると、すかさず面に来た。 さすがに武術的な感性で剣道が分かっている人だ。 素晴らしい! 西村の左足の快復の関係と相手のスピード間合が最初は少し分かりにくく、軽い面を打たれた。 間合と相手が分かると後は楽だ。 意識を変化させると、そこは見逃さないで、見事な面が飛んでくる。 しかし、西村の竹刀の先はしっかり相手の咽を捉えている。 これが二回ぐらいあった。 彼の剣道の武術的な意識は西村の意識をしっかり捉えている。 本物の剣道の稽古になる。 待っていては、相手に悪いかと思いぐっと腰を前に入れかけたら、左ふくら脛に痛みが走った。 つまり、西村の身体も意識も本気にさせる、攻めの強さが相手にあると言うことだ。 前の人は四段、この人は七段、この差が段の差だ。
最後一本になって、西村が色を見せたら見事な面を打て来た。 西村が意識の変化と少しの色を見せる先を取ったから、ここに嵌まると西村の勝ちだ。 そこは、西村しっかり受けて胴で終わり。 久々に本物の剣道稽古をさせて下さった。 改めて、ここでお礼を申し上げます。 聞けば西村のホームページを見て下さっている先生だとか。
最後に、西村の足が治っていて、私が貴方の面に打ちに走ると、同じように胴を打たれていたかもしれません。 足の関係で打って出れなかった事をお詫びいたします。 これに懲りずにこれからもよろしくお願いします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 最近の稽古から、三題。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年12月12日(水) 最近の稽古から
前回書いた、女性の剣道家は順調に良い面打ちをこなしていた。 稽古の帰りに、そのうちの一人が「今日は先生の右足ばかりみていました。」と言った。 西村が言った。 「いつも足が先行して腰を進めているでしょう。 手が打ちたい気を腰に乗せて、体を進めて攻めは入り、相手を起こして打つ。 相手の色が見えたら打つ。 これが先を取る剣道ですよ。」 納得したようだ。 ただ、そう思っても出来ないのが剣道だ。 だから、確実に勝てる相手からそれを実践していく。
今日はEさんの話し。 彼は大人になってから稽古を始め、未だ数年しかたっていない。 しかし、最近は腰も安定してきた。 良い機会に打ってきたので、面を打たせた。 そしたら、竹刀は立派に面に当たった。 そして、スルリと左に抜けて行った。 それが五本ぐらいあった。
そこで、西村は言った。 「剣道は真っ正面に自分の気を相手にぶつけましょうよ。 打ち始めから、中心が斜めに外れ気も、体も私の正面を向いていない。 貴方の面は止める気も、反応する気も、打ちあう気も起きない。 だって、剣道が始まっていない。 竹刀の先当てゲームでしかないから。 自分の気を思いっきり相手の正面にぶつけ、その気に乗って体を進め打つ。 そこから、始めて剣道が始まるのですよ。 相手がその気を受け止めて、自分に余裕があれば、後はゆっくり面を打っても入る。 この下の床の三〜四枚から、我が身体を外さない一本橋の取りあいの気分で稽古をしましょう。 そこから、剣道が始まりますよ。」
彼は何かに気がつた。 真っ正面に面を打ってきた。 打たれた瞬間、西村は相手に道を譲った。 彼は真っ直ぐ進んだ。 今までに無い威力のある面だ。
蹲踞の後、彼が私の所にやって来た。 「俺は今まで剣道をしていなかった。 今からが剣道だ。 有り難うございます。」と言った。
その後、老齢の七段の所に稽古に行った。 いつもならば簡単に捌かれていたのに、今回は違った。 相手は彼の気を一旦受け止めるから、簡単には捌けなかった。 そして彼は気で押し込んでいた。
彼は真正面に相手に気も、身体も進めることの意味が分かったようだ。 稽古のあと、また寄ってきて言った。 「私の剣道が始まった。 手ごたえがありました。 有り難うございます。」 四十過ぎで始めた剣道も、このような心がけの人は直上手くなる。
次は二年後七段を受験する人だ。 この秋の八段、一次合格の先生と稽古をしていた。 一次合格するだけあって、構えは見事だ。 肩が落ち、肩から腕がすらりと降りて、左拳は腰の力を受け止める位置に 納まっていた。 これは、八段を受ける必要条件だ。 一方、彼は肩に力が入り、肩が上がり、上がった肩から腕が前に出ている。 両拳は高い位置にあり、肩の力を竹刀に伝える位置にあった。 これでは、腰の力が腕に伝わらない。 それに、右足に体重がやや強く乗り、右肩が前に出ていた。 この態勢から打ちだすと相手から見て、右足、右肩がグッと動くのが良く見える。 起こりを簡単に見られてしまう。 若さも、力も、感性も鋭いのだが、相手に見られているから、簡単にコテ、胴を打たれてしまう。
この前に出た肩を後ろに、前に出た右腰をもう少し後方に、右足の体重をもっと抜くことが大切だ。 これは、打ち気を肚に納めて肩の力を抜く修業だ。
注意をした後、彼の姿勢は急激に変わった。 ちょっと惜しい!腰がやや折れている! これは暫くして言うことにする。 ツリー全体を読む
△上に戻る 今日は東京八段審査 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月28日(水) 今日は八段審査の日 仕事は午前中で終了とする。
東京武道館に着いて、暫く一次審査を見る。 西村相当年齢の所を見るが余り見るべき物が無い。
隣の御夫人が御主人の審査ぶりをビデオで撮っていた。 焦点がぼけているので注意をしてあげた。 目下、御主人立会いの真っ最中。 姿勢も良いし、立派な剣道だ。 ただ、打ちたい気持ちが右足に乗ってしまっている。 右足に体重が乗ったまま、攻めは入りの鼻に面に飛んでしまった。 相手は待ってましたとばかりに胴を抜く。
毎朝稽古をされているらしい。 そのお相手は前回に八段に合格されたらしい。 外科のお医者様らしく品の良い方だった。 奥様が「主人にもっと剣道をさせてやりたいのですが、仕事もしていただかないと。」と言われていた。 御主人の審査に奥さんがついて来てくれるなんて、何て幸せな人だろうと思った。 この方は試合のお好きな人らしい。 きっと。試合には強いのだと思う。 外科医にピッタリな性格かもしれない。
60才の年齢の中では足腰がしっかりし、手の内も良い人だ。 打ち気、打たれたくないが消え、攻め合いに専念された立会いをされれば、一次も、二時も受かると思った。 しかし、いくら稽古をしても、はやる心を抑えることが難しい。 結局、八段は肚の勝負に尽きると思う。
二時審査での若手の審査風景は絶品と言いたいものが有る。 これは眼の保養だ。 しかし、西村の55才の年齢位になると、打つときに背筋が少しずつ崩れて来ている。 60才を越えるとそれが顕著だ。 今の実力でここに出させて貰えば頂きだが。
帰りに、斉藤弥三郎先生・範士八段とお話しをした。 昨年の今日は、賀来先生だった。 斉藤先生が江戸川区では二人が一次に受かったと言われた。 一緒に稽古をする仲間だ。 そのうちの一人等は、西村は全く寄せ付けない人だ。 あの程度で一次が受かるなら、あれ!それなら西村はどうだろう!と思った。 一次に受かった人ぐらいでは、稽古で遅れを取ったことはない。 自慢はこれぐらいにして。
斉藤先生に稽古をつけていただいたのは、10年ぶりに剣道を始めた頃だ。 今から、約15年前の事だった。 先生の立会いは京都でいつも見ていますと言った。 雑誌に先生の粘っこい強い攻めが誉められていましたと言った。 先生曰く「相手に息をささないんだよ。すると何処かで息を吸いに来る、この瞬間に面を打つ。 私は小さいから相手が届かないと思っている、そこをいっぱい伸ばして面を打つ。 石原先生から言われた、斉藤さんは息が長くつづくね!と。 相手の息が長いと、素早く半分吸って相手を攻める。 そこで、相手の息が尽きたとき、面を打つ。 若い八段は私に五分持たないよ。 今度、道場に遊びにきなさいよ。」
西村はここまで呼吸の攻め合いをしたことが無い。 そう言えば、昔に先生と稽古をしたとき息苦しい思いをしたのを思い出した。 西村の深く研究していない部分なので、研究してみよう。 先生が道場へお出でと言ってくれた。 渡りに船だ!今度先生の道場へ行ってみよう。 また楽しみが出来た。
岡田さん、今のままで一次は受かりますよ! ただし、二次の相手は年齢的にプロだから大変だ。 打ち合いをしたら、五分になって落ちる。 入り身のコテ、切り落としを身に付け、武術的な身体運用で、それらが発揮できれば何とかなるような気がする。 プロの様な人達も稽古量、鍛え上げがそうさせているので、案外単調な動きでしかないと見切りました。
先生方に会うたびに、お前は八段は受けないのかと言われる。 未だ、年数も足りないのだが、先生方はそうは思っていない。 そこで、西村の八段受験は?
軽井沢の帰り、妻に「剣道の本を出そうかと思う。 タイトルは「剣道と人生、秘伝の裏を科学的に読む」なんか面白いと思うが。」 妻が言った。 「そしたら八段を取らないとね!」 西村が言った。 「八段を受験しようと、意識がそちらに行ったら、年収が二千万円下がるよ! 五年受け続ければ一億捨てることになるが、それでも良いか。」 妻は即座に言った。 「それは、駄目!」 「記念受験だけにしておいて!」 過去の例で、西村が体重を一キロ減らすと、売り上げは一千万下がる。 五キロ体重を減らすと、五千万円の売り上げ減は必須だ。 今年は身体が楽な様に仕事をゆったりとした。 すると、十ヶ月で六千万円ダウンだ。 これが自由業の仕事だ。
この辺りが勤め人と違う所だ。 半年間で出きるところを、間延びさせて一年間かけてしまえば収入は半分になる。
今の人生の幸せを考えると、二億のお金を越える魅力は八段に無い。 六十五才位から受け始め、七十歳位で合格を目指せば、そう夢では無い。 そう言うものの、八段を狙わない剣道の稽古は、風のない海に浮かぶヨットの様だ。 剣道が健康体操に終わってしまう。 狙えば嵐の様に吹く風に立ち向かうヨットの様に、その風を突き抜けて素晴らしい前進をするだろう。 人間苦労心配が無いようでも、いつも悩みが起きて来るものだ。 まあ!どちらに転んでも得難い成果だから、不安、心配が無いのが良い。 一昨年心臓で死んだと思えば、悩める生きている自分に万歳だ! 『お灸の熱さを喜べよ、死んだ人は熱いと言わぬ。』 似たような心境だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 八段審査・昇段審査の意味 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月29日(木) 八段審査員の眼・昇段審査の意味
西村は二次審査のみ見に行くつもりでした。 昨年は東京の第二会場のみ二次審査をビデオで撮りました。
Hideさんの眼は大体は正しいと思います。 西村の的中率も似たようなものです。 しかし、ビデオをよーく見ますと、見事な一本を取っている人が受かっています。 それは、体を捨てて入り大きく担いでコテ等も案外評価されています。 西村の目ではあんまり面の良いところも出ていない、と思っていたのですが。 次のことは、その12月に原田源次先生から聞きました。 「今年はコテで受かった人が多かった。 やっぱり!捨てる切った一本は評価される。」 審査員の手の動きを見ると、このコテで皆さま鉛筆を持ちました。 なるほ!先生方は勝負師なのだ! パクッと一本入れば評価をするのだ、と分かりました。
その年の五月は一次審査を見て、眠気が出るほど退屈だったので京都駅まで行きました。 しかし、思い返して二次審査を見に武徳殿まで帰りました。 この時の京都は西村の評価とほぼ一致しました。 夕方の二次の合格発表の直後、佐藤博信先生に話しをしました。 佐藤先生曰く 「攻めて入って、相手の反応を見てから打つ。 そこを教えるのだが、皆辛抱が無い。その前に打ってしまう。」 西村曰く 「先生!攻め入って、そこでもう一つ相手を起こす工夫があった人は皆受かっていましたよ。 二次の合格と私の評価はほぼ一致しました。 そこまで判っていれば、先生もう受かるよ!」と言われました。
さて、受かっていそうで落ちている人もいます。 いい線行っていたのに、ふっと攻めの甘い面を打って胴を抜かれたときです。 甘いところを相手に打たれると、躊躇した動きをすると○→△になるようです。
Hideさんの外れた所は、今年は例年の二倍の合格でした。 どこかで申し合わせが会ったのか、少し審査が甘かった様です。 西村が良く知っていて、とても一次が受かりそうにない人が二人受かっています。 この辺りのグレーゾーンはは西村も外れる所です。 しかし、今回は審査員が入らなくても、捨てきった面を打ち切ったら拾い上げようかと、仏心を持てば、一次の合格率は倍になるのです。
一次の第二会場は岩立先生、大沢先生、佐藤先生、永松先生と西村の懇意の先生方です。 それから第三会場の賀来先生等審査員と西村は稽古、お話をよくしています。 その先生方のお話を良く聞くと、先生がたの欲しいものが見えてきます。 剣道時代で審査員の眼のタイトルが有りますが、文章はエッセンスなのです。 やはりその先生から直に詳しく聞くともっと良く判ります。 西村はこのような機会が直に手に入ります。
島野さんは見せたいものを見せて落ち続けています。 これは彼の価値観で、西村が彼の好きな所です。 審査員が見せて欲しいものを見せれば、相手は評価します。 多くの受験生は審査員と懇意に話しをすることが少ないせいか、自分の価値観を審査員に見せている。 審査員の価値観に会わせて、修業すれば案外早く目的を達すると思う。 これは企業戦略の基本です。 西村が指導した人は六段、七段を素早く通過します。 西村の歯科医院が日本一の経営内容はそこが見えているからです。 昇段は素直な人がしやすいのです。
久保木先生の立会いは見事でした。 あの摺り上げ面は絶品です。 あの面も見事でした。 第二会場を見ていながら、自然に第一会場へ眼が行ってしまいました。
Hideさんが昇段の要件を良く理解し、これはと思う数人の八段範士、八段審査員クラスに師事すれば、年数は判りませんが間違いなく、確実に八段に受かります。 身体に身に付いた物は十分なので、後はあの見事な合格者のイメージを追っかける事です。 スタートは左膕を伸ばし、尚且つ緩みがある、七三、六四位に左足に体重を乗せる工夫からです。 もしも、段位制度批判とは別に、試験を受けるならばHideさんは必ず受かります。 この間、岡田さんとも話しをしました。 今のままの剣道を続けるのは勿体ない。 八段を目指す剣道をすれば、素晴らしい剣士になるのに!と言い合いました。
今日は東京駅に行って、JR東海の稽古の納め会に出席。 久しぶりに永松先生にお願いする。 永松陟先生、範士八段、今年の東西対抗東軍監督・西村の患者様です。 昨日の八段審査の話しに花が咲く。 西村の考えは先生と全く一致した。
今年最後の稽古をお願いする。 左足で蹴れないが、その分先生が良く見える。 いつも先に打とうとして見えなかった部分が良く見えた。 先生相手に後の先が効いて、四本ほど入った。 こんな事は初めてだ、いつもは一本が難しいのに。
一川先生が京都で原田源次先生に左足を三回竹刀で打たれていました。 「先生、あれは何ですか。」と聞いた。 「あいつは、相手が出ていたら三回下がった、その罰に、戒めに足を三回竹刀で叩いておいた。三回も一次に受かっているのに。」と言われた。 その翌年審査風景を見た。 圧倒的な強さが有り、稽古は強いだろうなと思った。 しかし、かなり我の強い剣風だった。 そこを原田源次先生に話した。 「あいつの親父が強かったから、その影響があるのかな。」とぽつりとおっしゃった。「私はその点、気が楽な剣道が出来ます。」と西村は言った 審査員の欲しいものさえ見せれば、簡単に受かる人の典型かと思いました。
Hideさんが見ての通り、名の有る若手名剣士でも落ちている。 これが八段審査だ。 そこで、肚を練った人が受かっている。 それは、肚を練りあいするだけの人と稽古をする必要がある。 これが、強いだけで受からない、八段審査、昇段審査の難しいところだ。 頭の悪い人、単純に物事を見る人には説明しきれない、摩訶不思議な基準だ。
話しは変わるが。 上下総入れ歯になると、何を基準にして入れ歯を作ってよいか全く判らない、とほとんどの歯科医が言う。 そう言いながら歯科医だからといって作っている。 西村が患者様を一通り審査すると、完成義歯まで50位の手順のスライドが頭を通り抜ける。 後は考えなくても、素晴らしい入れ歯が出きる。 入れ歯作り世界一の自負が有る。 これにおいては十段範士の確信がある。 見えない所に、有り余る程の情報を見て取る能力が西村にあるからだ。 少し指導しただけで、急に上手になり、売り上げ倍増の歯医者になった例は沢山有る。
昇段審査もに似たところが有る。 審査員の気持ちになって修業、工夫、努力をし、審査員の気持ちで受験すれば、後は稽古量、運動神経の分だけ年数を懸ければ良いことになる。 多くは見当外れ、少し向きが外れた方向を目指し、無駄な努力をしている。 基本的には良い羅針盤を持ち、良き風に恵まれ、良き目標を持つことだ。
人生も昇段審査も似たところが有る。 東京湾を出たけれど、今自分の居場所が判らない、居場所が判っても目標が判らない。 多くは漫然と生きてきたため、この両方とも判らない。 これを人生の二重遭難と言う。 寿命と云う時間は、そのうちに消えていくのに。 多くの人はそのことを考えずに生きている。
審査を受けたいけれど、何度も落ちたけれど反省が無い。 目標が有るが、羅針盤が無い。 目標も、羅針盤も有るが、風がない。
今回、江戸川区から七段の受かった大河内さん。 小泉先生が受かったことに驚いていた。 しかし、彼への西村の指導が実を結んだ。 彼に先に右足から攻め込ませ、攻めは入られ彼の足が出た瞬間に西村が打ちに出た。 当然遅れるから西村が打たれるわけだ。 このように、攻め入って、相手の色が見えたら打つ、そこまでは絶対に打ちださない。 この稽古を三年ほどやって来た。 その成果が今回の七段合格だ。 大人になってからの剣道で七段になった。
千代田の次郎丸さん。 定年から初めて今回七段になった。 どう見ても受からない稽古をしている。 そこで西村が指導した。 打たれたくない、叩きたいを止めましょう。 ここと思えば面に捨てましょう。 西村は打ち込み台になった。 数十回受けていたのに、今回受かった。
このように、脱皮するように、悪習癖から逃れる修業が大切だ。 そのためには、良い指導者にめぐまれ、素直にそれに従う心が大切だ。 昇段審査はこのように人生の良きアドバイスを授けてくれる。 これが剣道だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 剣道も書き込みもその人柄がにじみ出る。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年12月1日(土) まずもって、Hideさんのhpの書き込みから拝借したことをお詫び致します。 事後承諾依頼でごめんなさい。
『自分の経験・体験から出た考え方を意見と言う。 それがない、頭で考えた考え方を偏見と言う。』 自分の意見を自分なりに言ったとき、それは気に入らないと思う他人はいる。 考え方の違いは経験の違いだから、言い合っても噛みあわない。 それだから、反対の意見の時は黙っておく。 噛みあわないものには討議にも、喧嘩にもならない。 同意があった時、私も同じ意見ですと言って励ましあうのも良いかと思います。 似たような経験があるから、同じ釜の飯を食った仲間意識があるからです。 西村の書き込みに断定的表現が多いのは、真に西村がそう思っているからです。 気に入ったときは参考に、そうでないときは無視をしていただきたい。 文章の終わりをあやふやな表現にすると、伝えたいことも伝わらないからです。 ずーっと前にも同じようなことを書いたことがあります。
さて、Hideさんのところへ書き込んだ内容について、色んな書き込みがありました。 感心したのは、ギャラリーの皆さまは大人と言う感じでした。 西村は剣道で言うならば、自説を書くときは、正に面を打つ心境です。 そこには勢い、断定的な言葉になります。 その裏ずけを書くこともあります。 顔を見て話さない相手には、ある線を越えたことを書かないことですね。 その基準が人によって違いますが。 書き込みの反応は剣道がそうであるように、その人の性格が丸見えですね。 多くの方は、まことに素敵なココロのポジションをお持ちの方々で、西村が見習いたい方々でした。 自戒を込めて披露致します。
【それでは参考までにちょっと長いですが。】
>西村が指導した人は六段、七段を素早く通過します。 西村の歯科医院が日本一の経営内容はそこが見えているからです。 昇段は素直な人がしやすいのです。 西村が患者様を一通り審査すると、完成義歯まで50位の手順のスライドが頭を通り抜ける。 後は考えなくても、素晴らしい入れ歯が出きる。 入れ歯作り世界一の自負が有る。 これにおいては十段範士の確信がある。 見えない所に、有り余る程の情報を見て取る能力が西村にあるからだ。 少し指導しただけで、急に上手になり、売り上げ倍増の歯医者になった例は沢山有る。
文面を単純に拝見している限りではたいした自信ですね。どうしてそこまで いいきれるのですか?先生は何者ですか?
初めて西村先生の文章に出会いますと多分へなちょこさんのようにお感じになると思います。 西村先生のホームページをROMしていると先生のお人柄がだんだん浮き上がってきます。 が、果たしてそれが当たっているかどうか?
to himさん >見学中、度々Hide.さんから「捨て切った打ちが・・・」という言葉が聞かれまし >たが、打ちに行って返し業を警戒して止まってしまうと、自分にもまたお相手に >も不利であるような気がしました。 私なども「試合・試合」できてますので、ハッと思った瞬間、打ち切れないことが あるんですね。あと、高校生と「試合バージョン」でお稽古している場合は、そん なところで反応して変化していく必要性があるわけで、クセになっちゃってる。そ ういった意味で、今回の審査はたいへん大きな学びがありましたね(^^)
>現実に、一人目で目の覚めるような立合いをされた先生が、二人目でちょっとの >迷いを見せたがために合格者の中におられなかった・・・ということがありまし >た。本当に「八段審査、恐るべし!」ですね。 八段に限らずそうだとは思いますが、やはり「攻め」や「打突」「技」の構成も大 切ですね。 「後の技」ばかりになったしまった方はやはりダメでしたし、「先の技」ばかりで もイケマセンでした(^^; お相手の「気の流れ」をうまくとらえて、的確に技を展 開された方が、1次の通過者であったように思えます(^^) このあたりはさらに、 ビデオを分析していけば明白になるものとヽ(^.^)ノ
>剣道界の最高段位の審査なのですから、それぐらいの慎重さがあってもいいので >はないかなぁ?というのが私の感想です。 同感です。立会いですとお相手による部分が大きいと思いますので、ビデオ審査を するなら課題を明示した基本打突や技などがいいかもしれませんね(^^)
to NORIKOさん >それにしても合格者を6人リストアップして5人的中とは・・ >さすがHide.さんですね〜!! やっぱ「いいものはいい」んですヽ(^.^)ノ だから合格された方はいずれも「八段にふさわしい剣風」と考えますし、もちろ ん、NORIKOさんがごらんになっても「いい」とお感じになれたはずですよ(^^)
to ぴよよんさん はじめまして、管理人のHide.です(^_-)〜☆
そうですか、ぴよよんさんも会場に潜り込んでおいででしたか(笑)
>今回残念ながら、先生は2次で落ちてしまわれましたが、ご高齢にもかかわら >ず、あくなき挑戦を続ける姿に感動いたしました。 そうですか、あの難関を突破して2次までいかれたということは、素晴らしいでは ありませんかヽ(^.^)ノ
>何事にも動じず、最後までずっと笑顔で(もちろん、立会いの時は真剣ですが) >周りに気を使って下さり本当に素晴らしい先生に教えを受けているのだなーと、 >改めて感じた次第です。 人格も剣道もピカイチの先生なのですね(^^) そういう方こそ、一日も早く八段に 合格して欲しいと願う半面、八段などなくてもその先生は十分に大先生なのだから 段位にこだわって欲しくないという二通りの思いがあります。 それにしても、ぴよよんさんはいい先生に師事されていらっしゃるのですね。私は すでに師匠を亡くしておりますので、うらやましいですよ(^^)
to 西村先生 思わず引き込まれて読み切ってしまいました。お心のこもった長文をありがとうご ざいますm(_ _)m 私も自身の拙い感想の裏付けを得ることができまして嬉しく思 います。
>攻め入って、そこでもう一つ相手を起こす工夫があった人は皆受かっていましたよ。 そうそう、この部分は私も感じましたヽ(^.^)ノ とくに、2次の久保木先生のお2人目の面は、私の見ている位置からやや縦位置 だったのですが、スッと間を詰めたあとタメがあり、お相手の気持ちが「実から 虚」へ動きそこへさらに気攻めを加えて「虚から実」に動こうとする瞬間を捕らえ たものと見ました。 私も小柄ですので、久保木先生のこの面や、お一人目のすりあげ面などをイメージ しお稽古していきたいと思っております(^^)
>さて、受かっていそうで落ちている人もいます。 >いい線行っていたのに、ふっと攻めの甘い面を打って胴を抜かれたときです。 >甘いところを相手に打たれると、躊躇した動きをすると○→△になるようです。 これは多かったですね。この部分がよくわからず、「とりあえずリストアップし た」という方が何人かおりました。「一本いい技が打てた」という気持ちの高揚感 から、つい攻め甘く手を出して失敗しているケースです。とくに、「後の技」を決 めたあと「先の技を」とお考えになるようで、お相手も心得たものでそこを「返り 討ち」に・・・(^^;
>審査員が見せて欲しいものを見せれば、相手は評価します。 >多くの受験生は審査員と懇意に話しをすることが少ないせいか、自分の価値観を >審査員に見せている。 >審査員の価値観に会わせて、修業すれば案外早く目的を達すると思う。 >これは企業戦略の基本です。 先生のおっしゃることがよーーーくわかりました(^^) 私も、これからビデオを編集し、それを分析することによって、「何が要求されて いるのか?」をじっくり考え実践していきたいと思います。
>もしも、段位制度批判とは別に、試験を受けるならばHideさんは必ず受かります。 >この間、岡田さんとも話しをしました。 >今のままの剣道を続けるのは勿体ない。 >八段を目指す剣道をすれば、素晴らしい剣士になるのに!と言い合いました。 恐れ入ります。西村先生と岡田先生のそのお言葉だけで、私は満足でございますm(_ _)m
to へなちょこさん >文面を単純に拝見している限りではたいした自信ですね。どうしてそこまで >いいきれるのですか?先生は何者ですか? 以前は「Okichan World」、今は「西村歯科医院」というサイトを開いておいでの教 士七段の先生です。マニアックな分析は、高段位を受験する人達から圧倒的な支持 を受けている人気サイトなんですよヽ(^.^)ノ 私も、先日、先生が開かれた「軽井沢剣道談義」に参加させていただき、いろいろ 勉強させていただきました。 ぜひ、一度ごらんください(^_-)〜☆
to みのるさん >が、果たしてそれが当たっているかどうか? アハハ、剣道の世界ばかりでなく「芸道」全般に言えることですが、宗教と同じよ うに「信じるものは救われる」の世界だと思いますよ(^^)
私も師匠の渡辺敏雄先生の教えを一心不乱に吸収することによって、今の自分を作 り上げてきました。 今の時代、「師弟関係」が希薄になり、「内弟子」などの制度がなくなり、師につ いて修業するという形態が崩壊しているわけですけど、こうした時代に、HPでの 教えというのは貴重ですよね。 私は、西村先生の掲示板で、私が親交を持てない大先生のお話を漏れ聞くことが、 たいへん勉強になってますけどね(^_-)〜☆
リバイバル剣士です。(20年ぶり)再開して2年に なります。始めて半年で西村先生のHPに出会いました。 それ以来勝手に弟子入りしました。現在HPのプリントアウト が厚さで約10cmに達しようとしています。 いろいろな本を読み、地元の先生にも教えていただきました が、西村先生ほど分かり易く、論理的に教えていただける 先生はいません。 1枚の書き込みが、数年分の稽古に相当すると思われる 項目も多数あります。 実際にご指導していただきたいのですが、飛行機と車で2時間ほど かかるために、かないません。 へなちょこさん、是非一度HPの剣道コーナをのぞいて見られる 事をおすすめいたします。HPを更新される前の、昨年からの トピックがおすすめです。まだ閲覧できると思いますが。
10センチになるほどプリントアウトしていただいて有り難うございます。
to 西村先生,Hide.さん
大変勉強になりました。 一つ一つ思い当たるところもありますが、何せ自分の今いる段階では、とても咀嚼し切れない 状態でありまして(^^; 何かモヤモヤッと先の方に見えたかなぁ?という感じでしょうか。
あまり頭ばっかりが大きくならないように、自分で実践出来るところから取り組んで行きたいと 考えております。 Hide.さんとご一緒出来て、本当に嬉しかったです。
>蛇足かもしれませんが。 言い切るには、それだけの阿修羅の様な人生をやって来たからです。 今までに、死んでも悔い無しと思ったことが三回有ります。 一昨年、心臓の問題を感じ「死」を意識しました。 その時、妻に会えなくなるのは寂しいな! それ以外は、全く静かな心でした。「人生悔い無し、やりたい事はすべてやった。 思い残しが無いからです。」 そして、それなりの成果はあげてきました。
私はひねくれておりますので、どうもこのような物言いをされますと 頭に血がのぼります。それなりの成果とはどういうことでしょうか? 歯科医師としての実績でしょうか。7段位を獲得したことでしょうか。 もちろんそこに到達するまでの紆余曲折を乗り越えられてのこととお察し 申しあげますが、要は人間はある程度年数を重ねないとそれなりになれない ということなのでしょうか?私自身もたいした人生ではないですが、それなりの 自負は持っています。しかし自分の立ち振る舞いについて他人にべらべらと 申し上げることではないと考えます。先生も修行の段階であるならば、 ご自分の姿を再考されるべきではないでしょうか?先生も述べておられましたが、 私もこのような考えをお持ちのかたに8段位を取得していただきたくありません。
暴言多謝。
to kazzさん
たしかにそうかも知れません。しかし私は、先人の遺訓めいたものに振り回され て剣道をしたくないですね。役に立つ考え方もありますが、現代社会にそぐわない あるいは通用しないものもあろうかと思います。どうも高段位になればなるほど 「剣道用語にこうあるから」的理論に終始されているかと思いますが。
なんか、想像だにしなかった展開になっておりますねぇ(^^;
Hide.さんを始め私の周囲にいらっしゃる先輩方は、剣道修行をよく登山に見立てて話をされますが、 山を登るには、いろいろなルートの道があって、正面の「人が沢山行き交う道」もあれば、 「横から登る細いルート」もある・・・ 多くの先達が歩いてよく整備された道を歩いている方もいれば、それこそ自ら道を切り開いて 一歩ずつ登られている方もいる・・・ いろいろな登り方があって、麓ではお互い別のルートを歩いている者同士の姿は確認出来ない訳ですが、 登るにつれお互いのルートが接近して来ると、「おぉ、なんか隣の道を歩いている人がいる!」と 気が付くことになります。
>先人の遺訓めいたものに振り回されて剣道をしたくないですね。 とおっしゃているへなちょこさんは、さしずめご自分でハーケンを打ち込んで岩場を登られて いるのかも知れません。
ただ、どのような道を登ろうとも、自分が経験出来るのは「自分が登って来た道の上でのこと」 だけでして、他の道を登られている方がどのような経験をされたか?は経験のしようがないです。 ましてや、自分より前を登られているであろう方々の話を伺って、「そりゃぁ、おかしい。 自分にはそんなものは見えていない。」と言ってみても始まらないことのような気がします。
「ふう〜ん、そういう考えもあるのか」と聞いて、自分の参考になると思ったことは取り入れる・・・ そういう気持ちが必要な気がします。
議論をして、お互いの理解を深めることは大切なことだと思いますが、これまでのところを 拝見する限り、あんまり噛み合っていませんね(^^;
Hideさん お久しぶりです 日頃のご無沙汰と 軽井沢でのすれ違いをお許しください
今日は仙台ですか? 相変わらずお忙しくされてますようで… (^^;;;,
八段審査をご覧になったと西村先生の掲示板にありましたので 覗きに来させて頂きました(笑) 私には雲の上のことですが、審査(試験)と言うからには その、傾向と対策?のようなものがあるのでしょうかね…
剣道は人間形成、 試合の勝ち負け、審査の合否は 剣道の修練を飽きさせない為の方便と私は考えます しかしながら、八段になられた全ての先生が人格者であるかどうかは 非常に微妙である と答えるしかありません (^○^)
Hideさんが現行の審査のあり方に疑問を投げかけておられるのも分かりますし 島野先生がこだわりを崩さず七段を合格されずにいることも 私の目からみると素晴らしい事だと思います
試合の勝ち負けや、審査の合否にとらわれることなく 自分自身の成長のために剣の理法を修練し 心のままに生きて矩を越えず… そんな人生を送りたいですね (私には無理か… 笑)
へなちょこ様 はじめまして クラブオブ剣道の田伐と申します 貴殿の書き込みを拝見して… なんだか、ご自分でご自分を責めておられるように感じましたが 一人の人は人それぞれ… 人と人を比べる事は出来ませんね
横レスでごめんなさい。 へなちょこさんは素直な性格の方のようです。(^^) 私もこちらで、けっこう失礼な書き込みをしたりして、勉強させていただいてきました。 だから、へなちょこさんのような書き込みを拝見すると、応援したくなってしまいます。 ただ、他の方も、お書きになっていらっしゃるように、「学ぶ」という観点を見失わなければ、反発を感じる 意見や態度からも得る物はあると思います。「反面教師」という言葉もあるでしょう? また、支持している方がいらっしゃるって事は、自分には分からなくても、何か得るところがあるから だと思います。 掲示板には書けないこともありますし、どんな点が素晴らしいのかわからなければ、西村先生にお伺い するのに抵抗があるようでしたら、tag2さんやhimさんにメールで伺ってもいいのではないですか? 私からへなちょこさんにメールを差し上げられないので、この程度のことしか申し上げられませんが、 疑問に思ったらどんどん追求していこうとする態度には共感を持ちます。 お近くでしたら、電脳剣士会の稽古会においでください。膝詰めで話したいですね。(^^)
himさん。 なんか、私と二刀流の場合といい、問題提起の役回りになってますね。(笑)
to くにさん
>himさん。 >なんか、私と二刀流の場合といい、問題提起の役回りになってますね。(笑)
アハハ、ここで問題提起されているのは私ではありませんよ(笑) ツリー全体を読む
△上に戻る 軽井沢剣道談議・西村の総括 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月28日(水) 軽井沢剣道談議総括
まずは皆さま、忙しい中軽井沢にお出で頂いて有り難うございました。 雲一つ無い快晴に恵まれ、和気あいあいと剣道三昧の日を送れた事を感謝致します。
今回の西村からのプレゼントは真剣で切ってみる事でした。 そして、皆さまから頂いたプレゼントは技を指導しながら、その技が西村の深い所の意識と筋肉の運用への染み込みでした。 教えることが最高の勉強をさせて頂きました。 これは、皆さまのおかげです。
もう一つのプレゼントは人間の意識こそが、人間の行動の大きな要素を占める実感をしていただくことでした。 これは良いプレゼントが出来たと自負しています。
それから、小諸から参加していただいた小林先生、福田先生にお礼申しあげます。 これをご縁に、小諸に稽古に行ったときはよろしくお願いいたします。 これで、軽井沢へ行く楽しみが出来ました。
『先ずは真剣で切ることから。』 真剣の取り扱い方。 大きな刃物を振りかざしている事を忘れないことです。 真剣は直に錆びる事です。 必ずその場を統括する管理責任者がいる事です。 事故はこの管理者が眼を外した時に必ず起きます。 そして、以外に片づけの準備がいることです。 最後に、他の事故では新聞種になりませんが、刀で事故が起きると新聞の一面、テレビで放送される覚悟を持つことです。 昔に飽きるほど切ってきましたから、その意味で西村は余り切ることよりも、そちらに気を配りました。
切るには切れる要件を満たすことです。 イメージが切れていることです。 力任せで思いきり振ると必ず切れます。 しかし、重い刀をコントロール出来ないときは足を切ったり、ヒザを割ったり、地球を切ったり、刀が手から離れて惨事を招く事があります。 軽いほうの刀で切った方が以外に良く切れました。 刀の重さに負けなかったのです。
このように、真剣で切るときは 自分の力技量を認識し、 手にしている刀の長さ、重さを認識し、 対象物の質感を十分認識しておくことです。 さらに、回りの環境(見物人、見られている目、刀が不用意に飛んだ時)を事前に把握して初めて切ることが出来ます。
そして、刀は身の打ちで操作し、腕っぷしを使わずに腰の備え、腰の移動、腋の締め、手首の締まり、胸の運用が大切です。 多くは腕っぷしに頼り、振りまわして事故になります。
これを機会に真剣で切ることに出会うかもしれません。 くれぐれも事故の無いようにお願いします。
『一人一人の思いで』 岡田さん 岡田さんの剣風は既に八段二時審査の風格でした。 全く見事で、特にHideさんとの稽古の姿は、相手の良さから、さに光った姿勢でした。 右手の力が抜けた立ち姿の岡田さんは、二皮剥けた、脱皮した蝶の様でした。 あの早い剣道のHideさんに対し、微動だにしない気位には脱帽しました。 感想は「後一年半ではなくて、未だ一年半有る。」でした。 円熟味を増し、受かるのが当然との気分で受けて下さい。
岡田さんは今回一番気づきが多かったと思います。 西村の持っている、武術的な体の運用はやって見せないと分かっていただけないからです。 著名な範士八段が西村に打たれたり、てこずるのは先生の知らない所で勝負をされるからです。 岡田さんの欲しい物が西村の中から発見されて、嬉しかったと思います。
あの位存分に切ってみると、思い残しは無いでしょう。 面打ち的打ちでも切れた事は、これからの面に生きてくるでしょう。
島野さん Hideさんとの稽古で立っている姿が良かった。 相手に恵まれるとさらに光ってくるのが見えました。 島野さん流の剣道で七段を受かって下さい。 家族との両立をいつも心に留めている生活に万歳! 田伐さん 真剣で切って、スパッと切れた時の満足感の顔は良かったです。 最後の日は存分に切れましたね。 帰りの岡田さんとの話しをしながらは、いつの間にか着いた感じでしょう。 近くに良い指導者・岡田さんがいますから、できるだけ機会を作ってお願いしましょう。
さて、会うたびに面に冴えが出て来ます。 稽古で言ったように足が直に飛ばないで、左の後筋を使って右足を滑らして攻めは入り、 相手の色が見えたら左足を蹴って面に飛びましょう。 京都での面を楽しみにしています。
Hideさん Hideさんの剣道の解説は皆さんのビデオの見方を変えたと思います。 体育の専門家から見た目は、合理的な分析で一般人に分かりやすい解説でした。 岡田さん、島野さんとの稽古の後のHideさんの顔の輝きは何か得るものが有った喜びの顔でした。 西村は皆さまと一緒に稽古をするより、観戦していたい気分でした。 機会が有れば武術的な体の運用を話したいと思います。 基本的には体育的に、人間の生理、機能の解析で十分出来ます。
今回Hideさんから頂いた最高のプレゼントは、「一刀流の切り落とし(打ち落とし)の秘伝、くの字になった右ヒザを伸ばす。」でした。 小沼先生の立会いの技から、Hideさんが言った一言は西村の一人で研究してきたレベルとは違う物を感じました。 これについては、西村流に力学的に分析をした結果をそのうち書かせて頂きます。
関根さん 関根さんが西村と稽古の時はほとんど打って来られないので不思議でした。 その割には皆さまの評価が高かった。 そう言えば、最初会った頃は大きな面を沢山打っていましたね。 心が落ち着いてくると、西村の投網に気がついて打てないのですね。 そこが分かるレベルに来たと言うことですね。 剣道の打ちあわなくても楽しい、本質に近い本当の面白さに気づかれた様です。 中々ここまで来る人は少ない。 もう七段が近いでしょう。 ほとんどの皆さんが西村の投網に気がつかずに、打って出ている現状を見ると未だ気がつかないレベルですね。
康江さん 今回の皆さまとの剣道談議楽しまれた事と思います。 打ちの力、瞬発力、スピード、攻め合いの機微等どこをとっても申し分ない剣道です。 もと剣道のプロの道を歩まれていただけの事が有ります。 今回の軽井沢で、剣道の楽しさ、奥の深さを知っていただければ幸いです。 最後に、一本橋での面の打ち合いは、西村が安江さんに是非伝えたかった事です。 左足が利かない西村が、先に右足を出して腰を進め先を取って、安江さんの動き始めを見てから切り落とす技です。 先を取ること、引き出す事、相手の竹刀を胸の下げを利用して切り落とす技です。 前に伸びた相手を上から切り落とす。 一味違った剣道を体験して頂きました。 西村の秘伝解説を聞きながら、岡田さんの様に八段を目指して下さい。 千代田の土曜稽古でもよろしくお願いします。 回り稽古の後、秘伝解説の稽古を致しましょう。
石月さん 剣道経験が少なくてもあれだけの面打ちができるのにはびっくりしました。 良い指導者の存在が石月さんの後ろに見えます。 あの面の当たりは見事で、ズーンと来る衝撃は本物の一本です。 右足が20センチ位前に滑らして進んでから、足が床から離れる様に心がけるともっと良いかと思います。 そうすると、相手の間合いに攻め込み、手元の上がりが遅いので技に切れがでます。 攻め込む前進が打つときに身体が浮かずに、推進力になりもっと早く打てます。 打つチャンスも申し分無いのでこのままで、昇段は行くと思います。 六段ぐらいになると壁が来ます、この時には積極的に西村に声を懸けて頂ければスンナリ通か出来ます。 自称、昇段お助けマンを自任しています。 六段、七段は西村の指導でスンナリ昇段した人は沢山います。 西村の見方はトータルバランスで指導できるからです。 その時は、お声をおかけ下さい。 (メールの内容を公開してよろしいでしょうか)
内海さん 最初から最後までしっかり西村について来て下さって有り難うございます。 内海さんが西村の書き込みを詳細に熟読吟味し、稽古に生かされているのを知り、西村は感激の至りです。 最後の日は、本当のマンツーマンで指導できたことを西村の喜びです。 最後に返し胴を指導したとき気がつかれた様に、胴は打ってきたのを返しては間に合いません。 面に引き出せば、あれほど簡単に返し胴が打てるのです。 打ち方を教わっても、技を出す腰の備えが無いと間に合いません。 先を取って、引きだせれば無意識が腰の備えをしているので、本来の技がでます。
面を打たれて胴に返せば、面に打ってこられた分、相手が半段上。 面を打たせて胴に返せば、引きだした分の先と心だけ、自分が一段上。
今回西村の指導を一番受けたのは内海さんでした。 一番沢山持って帰られました。 ラーメンのスープの美味しさは、冷蔵庫から持って帰って直食べました。 西村はスープを一番多く持って帰りました。 (メールの中身を公開しても良いでしょうか)
青木さん 全剣連合同稽古の稽古ではとても学生とは思いませんでした。 原田源次先生との稽古も立派で、何処かの警察官、特練の人かと思いました。 学生、それも三年生と聞き本当に驚きました。 今回、軽井沢で大人の剣道家の間で過ごした日の体験は、剣道、人生にお役に立つと思います。 西村と稽古をして、スピードでは勝てない事を知っていただければ幸いです。
真剣で切った経験、刀をコントロール出来ないときは地球を切りに行きました。 これらは切れることと、切った事の違いを教えてくれました。 身体が十分コントロールされた状態を意識する大切さです。 面打ちも思い切って打つだけではなく、必要十分な打ちが大切です。 ここがコントロールできれば竹刀は身の内で動き、冴えの有る打ちになります。 所で、ビデオを見たとき、過去の大先生の事を辞書の様に知っているのには驚きました。 青木さんの剣道研究の真摯な態度には下を巻いた次第です。 それでは、全剣連合同稽古でお会いしましょう。
小林さん 今回は小諸からお出で頂き、本当に有り難うございます。 見知らぬ人の所へ出かけていく気持ち、それが他流試合の心境です。 西村も出来るだけで稽古を心がけています。 その気持ちこそが真剣な太刀筋を生むのです。 先生の姿勢の良さ、真摯な打ち込みは感心いたしました。 西村も真剣に対応致しました。 剣道の奥の深さを感じて頂ければ幸いです。 稽古に伺った時はよろしくお願いします。
福田さん 小諸からの出稽古有り難うございました。 大きな面打ち、身体のバネは申し分なしです。 105キロの西村があのように素早く動くのは、動作に無駄が無いからです。 恵まれた身体のバネを武術的に纏めれば、素晴らしい剣道になると思います。 私には無い若さと、バネと瞬発力がある。 良き指導者に出会って剣道を進めて下さい。
最後に、田中さんへ 今回は、本当にお世話になりました。 皆さまを代表してお礼申し上げます。
追伸:今回されなかった先生方、京都での再開を楽しみにしています。 ツリー全体を読む
△上に戻る 西村流の胴打ちは八段審査に使える。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月30日(金) 追伸 八段審査で皆さま上手に胴を打っていましたが、打たれて捌いて打った胴でした。 相手に面打ちを許してしまった結果の胴でした。 相手を攻め、引きだして胴を打ったのは一つも見ませんでした。 攻めて、面を見せて胴を打つ余裕のある人はゼロ出した。 勿体ないと思います。
摺り上げの面が見事に決まったのに匹敵します。 引きだした点ではそれ以上の評価が有ると思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 西村の良き理解者の岡田さんへ。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月26日(月) 軽井沢の楽しい一時は、西村と岡田さんの出会いがあったからこそでした。 岡田さんが京都で西村に声をかけられた事が縁の始めです。
さて、あのぐらい存分に切てみれば満足されたと思います。 剣道家が竹刀を持って切れる、切れないと言い合っていますが、もうその話しに参加する必要すらないのです。 真剣ではこうだ、竹刀ではこうだ。 自分は竹刀でやる剣道ではこうやってやる。 自分で納得できると思います。 これが一番大切な事かと思います。 多くの議論は体験、経験なしに頭で勝手に想像して話しをします。 だから、結論がでません。
さて、Hideさんとの稽古は相手が良かったせいか、岡田さんの良いところが光ってました。 相手がHideさんだからこそあの緊張感が醸し出されたのでしょう。 スックと立った姿は身長が20センチ位伸びたように見えました。 肩の力が抜け、肚が座った姿勢から、相手の動きを剣先で押さえ如何様にも対応できる姿には見惚れました。 あの姿は、構えは、既に八段審査一次合格し、二次審査に臨む風格でした。 八段を求める姿勢が、次第にそのように変身させて行くのでしょうか。 皆さまの良い手本を示して下さいました。 改めてお礼申しあげます。
西村が岡田さんと稽古で感じた事は剣道では全く五分、年の差だけ西村の動きが負けている様です。 ただやってみて分かるように、剣道で無い部分では西村の人生の方が苦しい修業をしてきた様です。 年の差分の人生経験が西村の有利でした。
今回の軽井沢では岡田さんが一番多くの所を気づかれた事と思います。 真剣で切ることは腰の備えと重心の移動・意識の問題でしたね。 それに胸の使い方。 胴を切る腰の動き、右手の鍔で切る動き。 左右二つ胴は結局のところ、足、腰の備えでしたね。 それに腰の切れと手首の返し。 普通に剣道をやっていれば全く考えつかない所です。 切り落としは、結局は胸を下ろす力でした(別の項でまた述べます)ね。 高速面打ちは胴体力のフル活用でしたね。 これらを直にマスターしていただけるのは岡田さんです。 それは高岡先生他色んな武道家の所へ勉強に行かれたから理解できるのです。
西村の研究成果を身を持って修めて頂ける人がいると云うことは、西村の幸せです。 これからもよろしくお願いいたします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古11/20、久しぶりに真っ向勝負の稽古。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月21日(水) 全剣連合同稽古11/20
原田源次先生お元気に上京。 一週間前から身体が動くようになったと言われた。 一時間ビッチリ稽古をされた。 見かけでは手術前より、身体が痩せた分動きが軽やかだ。 ヒザの調子もよさそうだ。 稽古の疲れも前の様に残る事が無いようだ。 命を懸けた手術の後でこの稽古は凄い。
先生の出足、攻めに負けないように打って出た。 先生に「打つ前に一度さがっている。」と注意を受けた。 武蔵流の緩めるヒザでは原田源次の面の相打ちに間に合わないのか。 緩め過ぎか。 それとも、ふくら脛に力が入らない分一度左下に重心が下がるのか。 膕を十分伸ばして面に出たら、先生がOKしてくれた。 ヒザの緩め方も相手を見て検討してみよう。
橋本先生にお願いした。 前回は先生を良く見て先生に打たさなかった。 それどころか、何本も頂いた。 先生の攻めを外して、面を返して胴、出コテと正面から向かっていない。 これなら、大先生でも対応出きる。 先生を使う気位で行けば範士八段の大先生でも、案外何とかなる。
大先生の本来の良さを吸収するには、真っ向勝負を挑む必要が有る。 これは、岩立先生との稽古でも同じだ。
今日は真っ向勝負を挑むつもりだ。 四五人後で待っていて、見取り稽古をした。 先生の正中から咽に向いた竹刀は強力な攻めが有る。 ほとんどが先生の竹刀を無視して面を打つ。 先生の諸手突きが見事に決まる。 もともと無茶な話しだ。 突きから攻め入ろうとする相手に、喉元開けて面を打つ馬鹿はいない。 しかし、剣道の現状はほとんどそこに意識がなく、竹刀を面に乗せる事ばかりに終始している。 前さばき、技前無しに面を飛ぶのは素人の剣道だ。 それだけではなく、竹刀を低く構えていると、先生は諸手尽きに来る。 お見事!剛剣!プロの稽古ぶり!感心して見ていた。
先生の稽古ぶりを見て、これが刀を意識した剣道だ。 嬉しくなってきた。 こんな相手との稽古が出きるとは嬉しい! 真っ正面から挑んで見よう。 いなす気分、使う気分の時には見えなかったが、気を真っ正面に受けてみるとそれは凄い。 これを打ち壊して打つしかない。 向かい合った気位では負けない気があるが、前に出ていく時に、位が下がる自分に気がついた。 下位、同僚には気ぐらいで押しきって、追い込んで打つか、引き込んで打つか出きるのに! それは、前に攻め出ていっても、先生が動じないのがわかるからだ。 ここの工夫が必要と感じた。 面を打って相打ちが数本。 面を打って突きを一本貰う。 コテから面に渡ろうとするが、全く通用しない その前の突っ込み、相手の竹刀を押さえる、突きに腰が出てからのコテ面、等、入り口で勝負をかける必要を感じた。 真っ正面から先生の竹刀の上を乗って、腰で半分突きに入った。 先生は居着く。 そこで大きくしっかり面を打つ。 先生は頷いて蹲踞された。 相手の竹刀が生きている時に面を打てば、当然突きを貰う。 極く当然の剣道が、今は『仲良し稽古・剣道』になってしまい。 『突きをするなんて!』と言われる剣道になってしまっている。
本物の剣道は打ちあう前が勝負だ。 お互いが相突きに入る攻め合い、それを崩して、乗って、はたいて、押さえて--等の技前が必要だ。 泉流の稽古を見ると、この相手の剣先を殺す、いなす技術が高い。 警視庁で「泉の突き」と言われた稽古の感じがわかるような気がする。 思いっきり剣道を出来て、身体が喜んでいる。
さて、先生と正面から攻め合っているとき、一瞬心がひるんだ。 先生はこの一瞬を見逃さなかった。 竹刀と身体が飛んできた。 見事に一刀両断された。 こんな面を打たれることは最近めったになかた。 それだけに心の隙が、相手を呼び込んだことに気がついた。
しかし、八段の高齢の中で、橋本先生だけが、教科書の様な面を打つ。 立っている位置で言うと、79才の古城先生、そして76才の原田源次先生の間だ。 年の頃、範士の頃で言うと、最古参だ。 しかし、打ち込みの凄さに、全く年齢を感じさせない。 今度は竹刀を変えて、さらに真っ向勝負を挑み、西村の気を高めて行きたいと思った。 皆さまがその稽古を見ていたら、後で批評をお願いします。
その後、西野悟郎先生にお願いした。 前回の稽古の時より、先生の体調がよさそうだ。 十分に気を頂いた稽古になった。
その後が圧巻だった。 奈良の範士・八段 井上茂明先生だった。 御年61才と思う。 最年少48才で八段になった先生だ。 後ろで見ていると凄かった。 ほとんどが、体当たりですっ飛ばされていた。
恐れをなして下がると、先生が「場外だ!」と相手に言っていた。 懸かる人が気位で圧倒され、体当たりで圧倒され、突きで圧倒され、面を打たれて圧倒されていた。 取っては投げ、千切っては投げ、快刀乱麻とはこの事を言うのであろう。 ともかく圧巻だ!
西村の番に回ってきた。 向かい合って気位で押されない自信がある。 暫くにらみ合っていた。 肩の力を抜き、剣先の攻め合いが続いた。 先生も少しは用心をされているようだ。 先生が体を入れコテに来られた。 西村は鍔で受けて面を打ったつもり。 先生は入った積もり、西村は捌いた積もり。 そこで、先生はこれでもかと言う感じで、同じコテを数本来られた。 西村は鍔で止めず、合いコテにして面に乗った。
先生は戦車の様な体形で相手を圧倒するが、西村は1777センチ108キロの重戦車。 ぶつかり合っても引けは取らない。
途中に気ぐらいが落ちかけたが、建て直す。 その後は大丈夫だった。 先生の腰の前進を鋭く掴んだ西村のコテ面が入る、少し軽い。 先生は半分納得の感じ。 暫くして、今度は同じパターンでコテを上から押さえ、ゆっくりしっかり腰を入れて面を打つ。 「見事なコテ面!」と呟きながら蹲踞に入られた。 今日の西村の勲章かと思った。
太鼓が鳴ったてから、青木君と稽古をする。 西村が審判を置いて試合をすれば、青木君には勝てないだろう。 それほどバネがあり、相手が良く見え感性が高く、実力がある青年だ。 原田源次先生との稽古でも、けれんみが無い見事な稽古をしていた。 前回の稽古で、最後に腰の入った見事な面を西村に打った。 彼にはこの面の打ち方、理合いを教えてあげたい。 先ず教えるには、教えて貰いたいと思わす事が一番だ。 それには、十分な動機づけが必要だ。
稽古に入り、西村に見事に面を打たれる。 約10本ぐらい。 完全に西村に嵌められて入る。 本人も首をかしげている。 自分の方が早く打ちに入っている、悪くても相打ち、と思うのに見事に打たれる。 動作を分析すると、西村の足、腰からの先が利いていて、1/4コマほど西村が早く動いている。 これには、スピードでは追いつかない。 原田源次先生に相打ちで面が入るのに、26年かかった理合だ。 さらに胴も入る。 さすがに、彼もあきれた様子だ。 今度軽井沢でこの原理を教えてあげたい。 教わらないと、あと20年は気がつかない。 もし今知れば、凄いことになる。
青木君の後、彼の同僚か身長が西村よりはるかに高い人と稽古をした。 彼の185センチ位有る身長にも関わらず、同じパターンで面を打たれる。
青木さん、軽井沢を楽しみに。 近いから、日帰りをしてもお出で下さい。 この辺りをマスターしましょう。
さて、今日は群馬のHさんと稽古をした。 結構強いが、強烈な癖のある稽古をする。 打ち合いを楽しむのなら良いが、わざわざ東京まで来て、全剣連合同稽古の稽古に参加しているのに勿体ない。 気を全く合わせずに、自分勝手な剣道に終始する。 稽古が嫌になり、適当に相手をして終えた。 同じ群馬の雨ちゃんとは対照的な剣道だ。 雨ちゃんには誰かわかるでしょう。
剣道は自分が何故、今日剣道の稽古に来たか。 帰りに何を誰から頂いたか。 人生において同じ事を繰り返していないか。 それを自分はOKか それを自分はNOか ここを見ないと、剣道にならないのに! 彼もその辺りを気づかしてくれる師匠に出会う事を祈る!
今日は奴さんに会った。 次回稽古をお願いします。 彼女の悩みは六段審査だ。
彼女は相手を引きだして面を打とうと考えている。 これは難しい。 7段に要求される剣道だ。
さて、六段の審査では、体を四分六で前に出て打ち勝てば◎が貰得る。 必ず、先を取って攻めは入り、相手の起こりを捉えた瞬間、相打ち覚悟で捨てきって面を打つ。 体の状態で言えば先を取って、起こりを捉え打った分んだけ、すれ違う、ぶつかる瞬間の位置は六分を取っている必要がある。 これは面、胴、コテの何でも良い。
昨年の八段では(五十台後半)では、パッと体を入れ、相手が慌てて手元をあげた所をコテに取って受かった人がかなりいた。 体を相手にさらけ出す、身を捨て入る決断と勇気、そこで、冷静に相手を見る心の余裕が評価される。 相手の面をかろうじて返して胴を打ったときは、攻め負けですから、相手が半段格上。 相手を引きだして、返した胴は、攻め勝ち、引き出しの二要素が使えているので、自分が一段以上格上。 同じ胴でも、コテでも、先を取って相手に勝って打つ事が重要だ。 先生はそこを見ているのだ。 審査員は形の奥、動きの奥を見ている。
7段ではそうではない。 先を取って、引きだし、相手の頭が打たれに来るところを、切って取る。 そのため、相手が頭出して来る分相手の方が六分の移動。 この距離の移動に時間がかかり、動作が大きくなる。 こちらは、四分の移動しか竹刀ので、ゆっくり対応出きる。 摺り上げ面等で七段に受かった人が多いのは、心の余裕を評価されている。 肚の練り具合を評価している。
これが七三になると、相手を面に引きだし、伸び切った所を上から竹刀を落とす。 切り落としになる。 これはさらに難しい。 八段が七段に使う技だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 泉流剣道について。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月18日(日) 先日、柏市の佐藤先生から葉書が来た。 西村が泉流についてホームページで書いていると、聞かれての連絡だ。 早速、軽井沢の件のfax連絡をしたが都合があって来られない。
そのすぐ後、お電話があった。 佐藤先生は、泉流に興味があり、秋田の籾山先生の所にまで稽古に行かれた様だ。 そこで「西村は泉流と思って、少しは意識して稽古をしているが難しい。 籾山先生はそのような剣道をされているのかと聞いた。」 そうすると、佐藤先生は「籾山先生はそのような剣道をされている。」と話された。
西村も是非一度指導をして頂きたいと、改めて思った。 八段の2時審査には身にいくつもりだ。 籾山先生の勇姿を是非見たいと思っている。
このところ、京都大会の名勝負を見ているが、泉流の様な剣道にはお目にかかれない。 泉先生、乳井先生の様な剣風は相手の竹刀を刀と見立て、自分に刃物が向いているのに打てない事を自覚した剣道だ。 今風の剣道は相手の剣尖に関係なく、飛び込んで打つ。 相手が自分の咽を突いてくるなんて、全く考えていない。 相手の剣先が流れて得して、面が入った風の剣道だ。 竹刀を真剣と見なせていない、剣道だ。
その点、泉先生、乳井先生の相手の竹刀を、打ち落とす、はたき落とす、巻き落とす?なんとも表現がうまくいかない相手の竹刀を殺す方法は見事だ。
西村は乳井先生のビデオを見て、左右の二つ胴が出きるようになった。 それと、相手がどんなに速く面を打ってきても返して胴が打てるようになった。 最近左足が利かないので、左に開くようにして胴を打っている。
泉先生のビデオと日記をよく見てから、押さえコテが上手くなった。 押さえコテから面が少し打てるようになった。 左手の位置がポイントだ。 そこから発展して、最近は左右の二つ胴に加え、さらに面もトドメに打てる様になった。 三発同時に打たれると、さすがに相手はこたえるらしい。 これをやられると、相手の天狗の鼻が折れるらしい。 足捌き、相手の遠間からの引きだし、腰の切れと、手首の返しの切れ味が無いと出来ない技だ。 この辺りが西村の剣道の特徴になってきたと、一人悦にいっています。
もしも希望があれば、声をおかけ下されれば、御指導いたします。 ツリー全体を読む
△上に戻る 女性の素直さは驚嘆に値する! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年11月14日(水) 男性の諸君!私も含めて見習おう。
昨日はスポーツセンターでの稽古であった。 参加者は少なく指導には良い日だった。 前から西村の面打ち、体の軽やかに前進する様子の不思議さに、感激してくれている女性がいた。 腰の入れ方、右足の出し方、手を動かすタイミングを教えた。 足は少し強調した形で教えた。 何とかコツを掴んだようだった。 人数の関係で、二回目の稽古に来た。 どうやら分かったらしい。 最後の三本の面打ちは満点だった。 後で彼女が言った。 「風のように面が打てた!」 顔には感激の喜びが満ちあふれていた。 彼女は剣道の第一歩を踏み出した。 ほとんどの人が体の運用を間違っている。 それでも剣道はできるが、当て合いはできるが、腰で打つ剣道では無い。 たまたま時間が有ったので教えた。 彼女は当日の二回の稽古で手に入れた。 自転車に乗るのと同じだ。 身体が覚えればしめた物だ。 彼女が大きな身体の西村が風の様に前に出ていく姿を、前から不思議がっていた。 そのコツを全身全霊で受け止めた。 言われた通りに身体で受け止めた。 しっかり受け止めたら、コツを掴んだ。 剣道の上達はこれだ。
これは前回の書き込みです。
今日のスポーツセンターの稽古でも、ある女性に言われた。 「先生!風の様に打つ面を教えて下さい!」 どうやら、前回にある女性に乞われて、面打ちを指導した。 その成果を見たようだ。 彼女は区の大会でも優勝したし、感性が高い主婦だ。 前回と同じように指導した。 先ず左足に体重を乗せる。 左腰を押しながら、重心を前に移していく。 体幹から重心が前に離れようとする瞬間に右足を前にゆっくり滑らす。 そのまま腰を押しだしながら、手元は上げずに体を進める。 相手が苦しくなって、打とうとする合図を胸がする。 その瞬間左足を蹴って、同時に左手を押しだして面を打つ。 足の動きの半分位前進するまでは、手元を溜めて我慢する。 相手が小胸を出して、面打ちの正体を出したら、後は見事な胴を抜かれるぐらいに捨てて打つ。 その捨てる瞬間を見極める。 面は自分が打って出るのではなく、相手が合図をして打たれに来る。 彼女の感性は高い。 二回の稽古で身に付いた。 後で彼女が言った。 「風のように面が打てた!」 顔には感激の喜びが満ちあふれていた。 前回の女性と反応は全く同じだった。 それにしても、前回の女性も二回来た。 今回の女性も二回だった。 男性にも教えてあげたいが、素直さと食いつきが悪い。 女性!おそるべし! 上達の秘訣は『頭を下げて、教えて下さいと素直にお願いする。』 この気持ちが既に半ばに達していると言えるのだろう。
詳しくは前回書きましたが、参考のために載せます。 西村先生、こんばんは。Resが遅くなって申し訳ありませんでした。 さて、稽古終了後岩立先生にご指導頂いた面打ちについて、書き込ませていただきます。 @最初に足の構えから、修正していただきました。特に左足の踏み方で す。左足の「勇泉」で立ち、ここで蹴り出すことを教授していただき ました。左の膝の裏がスッと張った感じでした。 A次に右足の踏み方です。「紙一枚の教えだ。」と先生は仰られまし た。左足をしっかりと軸足にして立つと、右足が自在に操れます。「こうしてみろ!!」と岩立先生が左足だけで立ち、右足を「前、後、 右、左とほんの僅か浮かせた状態で右足を操られました。 Bさらに構えについて、「懐が狭いんだよ!!、胸を広く構えるんだ よ」とご指導下さいました。恥ずかしい話ながら、今まで左手を前に 出せば懐が広くなるものと考えていましたが、前後より左右の間隔を 広くし構えに、そして気持ちにゆとりを持たせることの大切さを教え ていただきました。 Cいよいよ面に飛び込んだのですが、「おまえな、そんなに早く右手で 起こしていたら小手を打たれるぞ。」と、一言。左足の勇泉の押し出 しというか、蹴り出しによって右足がスーッと滑り出す。そして、そ のまま相手の面臨み、最後の蹴りで右足の着地登同時に面を捉える。 Dインパクトの瞬間のあまり細かいご指示は頂けなかったのですが、2 度ほど先生が示された姿を拝見しておりまして動作の開始から何一つ 無駄なく一直線に相手の面に伸びておられました。西村先生が御提唱 される、「胸を下ろす」教えと同じなのかもしれませんが、左右の肩 がスッとおりて、さらに鳩尾前に収まっている左手に右手がより接近 して見えました。 文章に表すのが下手で恐縮です。あまり、参考にならないかもしれませんが、ただ最近自分の稽古の中で左足の勇泉で立つことにより体に一本りっぱな線が通ったような感覚があります。そして前に跳ばないで、上に跳んでいたようです。(ヒントは授けたぞ!後はおまえなりに研究してまた千葉へ来い。)そんな岩立先生の声が聞こえたような気がしました。 西村先生、以上ですが足らない部分が多々あるかと思います。先生の補足が頂けましたら、幸いです。よろしくお願いいたします。 丹羽さんへ 土曜日に貴方が岩立先生に修正してもらった打ち込みは素晴らしかった。 どのように打つと良いと教えてもらったかを皆さまにお伝え下さい。 あの打ち方では、相手にコテを押さえられる事はないと思います。 腰の出方、進み方、手元の上がる時期、胸の力を使ったあの方法を皆さまにお伝え下さい。 皆さまはそれが出来なくて苦労しています。 よろしくお願いします。 丹羽さんから 1-最初に足の構えから、修正していただきました。特に左足の踏み方で す。左足の「勇泉」で立ち、ここで蹴り出すことを教授していただき ました。左の膝の裏がスッと張った感じでした。 注釈 これが膕(ひかがみ)の伸びた状態です。 人間は歩行の時、 例えば、右足が左足の横を通り過ぎる瞬間は片方の足に 完全に体重を乗せます。 このとき、足の膝関節は完全伸展しています。 このヒザが完全伸展しなくなったり、力の方向(ベクトル)が狂うとヒザを痛めます。 これはヒザ関節の回りの靭帯が固定され、ヒザを取り巻く屈筋、伸筋がニュウトラルの状態になります。 催眠でイスで両端を支えたヒューマンブリッジも同じ原理です。 それ故筋肉に疲労が来ません。 だから、人間は何キロも歩けます。 このとき、足首も同じで靭帯で固定されて、筋肉を使っていません。 このように足首、膝関節が消えた状態に、棒状になります。 これだと、長い時間耐えられます。 筋肉にそれをゆだねると、7秒が限界です。 さて、西村はこの完全伸展を長くやってみました。 そして、次のレベルの生理的範囲で膕を伸ばしながら、ヒザを緩める極意を身に付けました。 それが、武蔵の身体の緩みです。 歩行においても、全く棒状の所から軽くヒザが緩み加減になるところがあります。 人間は最小限の筋肉を使って歩行する知恵を身体が生理的に持っています。 このように立つと、右足が自在に動かせます。 この右足の使い方で『月影』ができます。 多くはこの『膕を伸ばす』が出来ません。 そして、重心が四分六、七三に左に掛けれるようになれば大したものです。 さて、蹴りだす前があります。 それは下肢の後筋を使って、腰を押出す動作です。 このとき、右足を滑らせます。 これがうまいのが島野さんさんです。 起こりが見えない前進の体の攻めは入りです。 この間、鍋山の稽古を見ましたが、未だ右足重心です。 特に当てあい、飛びあいの選手生活では皆さまそうです。 この辺りは前にさんざん書いた事があります。 ここまでが、左重心、膕を伸ばして、後筋で腰を押出すです。 丹羽さんから 2-さらに構えについて、「懐が狭いんだよ!!、胸を広く構えるんだ よ」とご指導下さいました。恥ずかしい話ながら、今まで左手を前に 出せば懐が広くなるものと考えていましたが、前後より左右の間隔を 広くし構えに、そして気持ちにゆとりを持たせることの大切さを教え ていただきました。 西村注釈 肩を落し胸を広げるのは、肩甲骨を下げ胸を開き次に、胸を閉じ、打ちだすときの最大の動きを得るために必要な予備動作です。 西村が指導するとき、相手の胸が出たら打てと教えます。 打つ前の胸を出して打つ準備をするからです。 これは、無意識レベルでやります。 だから、ここを掴めば相手の無意識が打つと決め、有意識が打つと決める間に入り込めます。 これを無意識を動かし、相手をとる技です。 本人が気がつかない内に、先に本人の動きの先を読むわけです。 ツリー全体を読む
△上に戻る 京都稽古会に行ってきました。 岡田良仁 [Mail] 2001年10月17日(水) 京都稽古会に行ってきました。およそ1月半ぶりの稽古で腕と肩のことを気にしつつも何とかこなしてきました。 始めのお互いの稽古はかなり自重していたのですが、元に立ってしまった為ついつい中途半端な気持ちで5番ほど稽古をしてしまい少し反省しています。 賀来先生、岡田先生、園田先生にお願いしてきました。 賀来先生には、遠間からの大きな面打ち一辺倒で挑みました。西村先生の書き込みの中で研究させて頂いた、屈筋をなるべく使わず、胸を縮めて押し出すことを意識して一拍子の打ちに終始しました。 胴は抜かれた気がしません。遅れていたと思います。しかるにやはり、打つ処を先生に作られてしまったところに打つべくして打ってしまっているという感はまぬがれませんね。 稽古後先生曰く「どうにもならんかったやろ、まぁあれでよい」でした。 岡田先生、また若返られたかと思うほどの力強さでした。小生の前に大阪府警の若手八段が掛かられていましたが、打てません。少し上で使われていました。精神が立った時のこのクラスの先生方は本当に強いですね。小生も高い気分で臨みいい稽古ができました。あの面打ちのことを「少し担ぐように見えるが、どうや」と言われました。成る程そのように見えるやも知れません。研究して見ます。最後、その面に胴を合わされ、小生竹刀を引きましたが、先生は「今のは不充分や」と言っておられました。面が差し込んでいたと思われます。この面打ちに手応えを感じています。まずは振りかぶりの範囲を最小限にするのが当面の課題のようです。 園田先生には久しぶりにお願いできました。ここも小生の前に若手八段が掛かっていましたが、岡田先生の時と同じです。まったくと言っていいほど打たせません。やはり少し上で使われています。 この先生は本当に打つところの無い先生で難しいです。諸手突きで一本頂戴したと思いましたが、参ったとは言ってもらえませんでした。 小生、また例の面打ちを試しましたが、我慢の足らない打ち出しで、ここはきれいに胴を抜かれ終わりました。
相対的にこの状態にしてはまずまずの稽古ができたと思いますが、若手八段との稽古を避けたという意識はあります。 途中言葉を交わしたある先生に「やはり、上に掛かるには万全の状態で臨み、それで退けられて、また稽古を積んで再び挑む。この気持ちが大切なのでは」と言われました。 それと、やはり見る人は見ているものなのですね。 和歌山の秋山範士に帰り際「先生、今日の最初の頃の稽古は少しいつもと違っていたように見えたぞ」と言われました。小生少し顔が赤らみました。「見られているんだ」「この目があるんだ」と普段の稽古や態度や意識のあり方について改めて考えさせられました。
翌日はかなり傷めた右上腕と肩が痛かったです。まだ本当ではなさそうです。様子を見ながらぼちぼち万全に持っていくつもりです。 西村先生の最近の書き込みの内容いよいよ充実し極意に踏み込んでこられたようで、大変勉強させてもらっています。これらのことを知らずに稽古をなんぼやってもだめなこと、益々実感しています。本当にありがとうございます。できれば来週中に一度お邪魔いたしたく存じます。またご連絡申し上げます。それでは失礼します。 ツリー全体を読む
△上に戻る 肩の力の抜けた面が見える! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年10月21日(日) 範士八段に見事な胴を打たれるほどの面を打てたと云うことが素晴らしい。 範士の胴が間に合わなくな先生を引きだし、自発的な面になれば良いわけですね。 右手の力が抜けた分、色が少ない面になったように文面から感じます。 それにしても、目をかけてくれる先生がいうということは良いですね。 見られている緊張感の稽古は脳を覚醒していきます。 島野さんさんが送ったメールを西村も読ませていただきました。 更に、最近彼がが気がついた事は西村が随分前に気がついた事ですが、空間打突の素振りと、実際に打ち込むのとは全く違う要素が入ってくるということです。 空間打突の素振りは右手が止めの筋肉を使ってしまう悪癖になります。 右手が竹刀を引き止める作用、打ちに行きながら次に止めて、引き上げる筋肉作用を無意識にしてしまうことです。
この辺りは実際に抜刀術等をすれば、一目瞭然なのですが。
講師の先生を迎えて剣道談義をしようとするといつのことか分かりません。 気の合った同士で剣道の考えを伝えあいたいと思います。 一度軽井沢の別荘で心ゆくまで剣道の話をしたいと思います。 二人でも楽しいし、数人でも、十人でも、二十人でも泊まれるスペースはあります。
もし良ければ、11月頃どうですか。 軽井沢は東京から1時間五分です。 リビングを片づければ、一組位の稽古の面積はとれます。 本格的な稽古は出来なくても、防具を着けて動く位は出来ます。
お互いの持ち味を提供しあえば、より高い位置へ登れると思います。
それから、過去の剣道の文章を纏めています。 かなりの量になりますが、ホームページの別枠で載せる予定です。 剣道を知らない人でも、これを読んでいると仕事、人生と考えさせられる所が多いと言ってくれます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 真っ正面の面打ちは見事でした。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年10月17日(水) 私が前回注意したことを、西村は忘れていました。 今回の稽古で感じた事は、気と身体とが正中線上を真っ直ぐ入ってきたことです。 西村の得意の返し胴が上手く入らず、右に抜けきれなかったので、おや!と感じました。 貴方の真っ正面の気を受けた西村に、胴を抜く余裕を与えなかったと云うことです。
大切な事です。 面を打ったと云うことは、相手が死んだか、自分が死んだか、両死にかの結果しかありません。 これが捨てて打ったときの気構えです。 しかし、実際はほとんどの方が、打った後相手に遠慮して横にそれます。 死んだ後の体のぶつかりを遠慮して、始動時から正中を外すのは、それは遠慮か我が身をかばい、 小手先で竹刀を当てに行っているだけです。 貴方の捨てて打つ、その一点に集中して打ってきた気のパワーは西村を押し込みました。 私が押し込まれたということは、かなりの相手に攻めが、打ちが効くと云うことです。 高段者になればなるほど、技術、体力、技よりも、打つ気構え、肚の出来具合が優位に立ってきます。
この気がどこまで通用するか、どこまで捨てきれるか、これの稽古が先生との稽古です。 西村も毎月、原田先生にそれをお願いしています。
今度の課題は「相手の攻めは入りに、慌てて打たない。」肚を練ることです。 しかし、剣道はここが1番難しい。 今度は肚の出来具合を稽古で出し合いましょう。 ツリー全体を読む
△上に戻る 良い師匠を持とう、それが全てを決する 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年9月27日(木) 剣道のネット仲間では有名な島野さんの京都大会での楽しみは、心で師と仰ぐ西野悟郎先生との朝稽古だ。 無口な彼が京都での西野先生との稽古の後では、急に雄弁になる。 一年一回京都で出会える師匠であろう。 若い時に小沢丘、範士九段・元全剣連会長の教えを受けた事も大きく影響を受けている様だ。
この西野悟郎先生の師と思う、玉利嘉章・範士九段、堀口清。範士九段の両先生からの御手紙が剣道時代に載っている。 西野先生も大先生から可愛がられた様だ。
都道府県大会の決勝戦は北海道と大阪府であった。 一人は北海道の東海大四高の古川先生、そして大阪府警の大将。 その時の決勝戦の勝負を決める大将戦は、同じ高校の1学年違いの先輩と後輩だった。 すなわち高校時代同じ師匠を持ったことだ。 更に、古川先生のその弟子が全日本選手権で活躍する、栄花選手。 栄花選手は古川先生の、その高校の先生の孫弟子に当たる。
警察大学教授の真砂先生も鶴丸壽一・範士九段、輝度高保・範士八段から素晴らしい御手紙を頂いている。
林邦夫先生も浅川春男・範士八段から同じく熱いメッセージを頂いている。 学生時代は内弟子として先生の元で修業をした。 それがあの素晴らしい剣道になっているのかと、改めて感激をした。
若手教師八段を代表する作道正夫先生も湯野正憲・範士八段から素晴らしい指導をしたためた御手紙を頂いている。
剣道時代に「師匠からの手紙」の特集から書き上げた例ではあるが、名剣士には名師匠有りと云う例だ。
我が師・原田源次先生も小川忠太郎先先生の事を「心の師匠」と西村に云われた。 剣道人生の節目節目に良き指導を受け、真っ直ぐな剣道を続けて来られたらしい。
そう言えば、西村が十年間剣道をしないで、二ヶ月程稽古をして六段を受けたとき見事に不合格。 その受験を師匠が隣の審査会場で見ていたらしい。 一週間後に墨で書かれた手紙を頂いた。 「打ち気の強さが姿勢に出ている。」との指摘は、その当時の西村の生き様(年中無休、朝9時から夜9時まで診療、三医院、従業員125名)を指摘されたと感じた。 それで、翌年一年間は剣道は全くしないで、心の修業に精を出し生まれ変わった。 今、剣道をしていられるのは、あの時の一通の手紙があったからと思う。 その師匠もこの七月は開腹手術をされ、手術後の療養中である。 前回の稽古では先生の恩義に報いる為に渾身の面を打ち、それを見事に胴を抜かれた。 この時は、ひょっとして最後の打ちかと思った、そんな気持ちの面打ちだった。 帰りの車の中で「一瞬の我慢比べだな!」の先生の一言が骨身に染みて感じ入った。
師匠が何かを教えてくれるのではないような気がする。 師匠が生涯をかけて切り開き、見てきた「剣道の心の奥の院」を稽古、人柄を通じて垣間見せてくれるような気がする。
弟子はそれを目標に高き所に志を置き、稽古に励む様になるのだと思う。 師が見た剣道で見たあの心境を、自分も極めてみたいと心引かれる。 名剣士には名師匠が必ずいる。
三重の岡田さんは、賀来先生・範士八段との稽古の後に「禅問答の様な教え」を受けながら登っている。
最近の若手八段合格者はその多くが、原田先生の薫陶を受けている。
前回に若手の試合ぶりを書いたが、彼らが心から師匠と仰ぐ師に出会っていないだけなのだ。 若さと強さのエネルギーが目標の無いうっぷんとして、試合に出ただけだろうと思う。 彼らに良き師が与えられんことを神に祈るしかない。
色んな所の剣友会で稽古をされるのも一つ。 目を見開かされる剣道を見るのも一つ。 剣道の素晴らしさを目開かせてくれる師匠を捜すのも一つ。 自分の剣道歴の技量、時期に合わせ、更にステップアップするためには何かが必要だ。 そこに気がつき行動してみよう。 偶然はいつの事か分からない。 求めなければ、良き師に出会う事もない。
『剣道は(芸事は、人生は、etc.〜)ほとんど師匠によって自分が決まる。』 ここを曖昧にしていると、剣道は運動に終わってしまうので注意が必要だ。
《ここから先は話の次元を下げて書きます。》 過去に書いた文章です!!!!
今日はTさん、Kさんが見学に来た。 Tさんは六段、Kさんは七段を受検する方だ。 お二人とも剣道は申し分無い強さだ。 さらに上を目指すとき、この二人は稽古だけをしていても、 それは望めないことに気がつきかけている。
そうなんです、剣道は稽古だけをしていてもダメなんです。 ここに気がつき、目指すものを探し、それを持つものに指導を願う。 くどい様に繰り返すが、 自分が身に付けるべき目標をしっかり見て、それを目指すことです。 それを知っている人に教わることです。 さらに上に行くと、上位に稽古を願い何か一言頂きそれを砥石にして磨くことです。
西村はかって、一ヶ月でダンスで優勝しました。 東北大学の舞踏研究会の東北地区学生チャンピオンが12位。 五年間、お金も時間もかけた御夫婦が六位。 ルンバを教わって、西村は一ヶ月間で優勝です。
先ず、教えた先生が東北地区ではナンバー1の先生でした。 特に、指導力が抜群の先生だったことです。 何も知らない西村が只ひたすら教わったことを練習した。 毎日6〜8時間、最後の十日間で体重が約8キロ減少した。 寝ても覚めてもルンバの曲を聴いた。 その結果、ダントツで優勝した。
先ず、学生はヘタ同士でお金をかけないで稽古をしている。 指導者にお金をかけて、プロを雇っていない。 そこが問題だった。 もし学生達がアルバイトをしてお金を作り、この先生に指導料を払って稽古をすれば、それは全く次元の違うダンスを踊れたと思うのだ。 何しろ大学の体育会系の練習量なのだから。
次に、夫婦の場合はプロが小出しに教えている教習場で教わった。 これはプロとしての経営の才覚の上に躍らされた。 先生の選択ミスだった。 この夫婦は西村の優勝に驚き、先生を変えた。 西村の先生に変えた途端に、グングンと伸び東北地区の優勝者になった。 全日にも何度も出て、今はプロのダンス教室を持っている。 西村に驚いて、先生を変えなければこの結果は無かった。 西村が見て、それほどの運動神経とは思えなかったのに、プロになった。 これは指導者の力だ。
西村の体格、運動神経は人より恵まれた物が有るのは両親に感謝をしている。 しかし、このご夫婦はそれほどの運動神経ではないし、体格にも恵まれていない。 でも、優勝を続けプロにまでなった。
上から見れば、何が足りないかは良く判る。 しかし、当人にはそこが見えない。
今日のお二人には、手取り足取り教えた。 両人の目は輝いた。 気がついたようだ。 気がつけば、それを繰り返し練習して、成果を上げる。 そして、そこから出た疑問をさらに聞いて、仕上げて行く。 目が輝くようなことを気付かせて頂くことだ。 しかし、求めないとそれは手に入らないし。 それを教える人に出会わないと、手に入らない。
ここから先は暴論と受け止めかねないことを書きます。 その時は、いつもの西村のたわ言と受け止めて下さい。
剣道の強い人は多いが、親切に手取り足取り教える先生が居ない。 相変わらず『百錬自得』の一言で片づけてしまう。
今の時代に『百錬自得』、それはは無いだろう。
剣道も八段ぐらいになれば、高額のレッスン料を取って教えて欲しい。 教わる方もお金を出すから、真剣に先生を選ぶ。 多くは弟子入りの方法を取るか、頭を下げて教わることになる。 どちらにしても封建的な世界なのが問題だ。 ダンスの世界では、先生のクラスで指導料が全く違う。 剣道もそのようなシステムが有れば、西村はお金をかけてレッスンを願うのだが。 プロになっても、高額の経済的な報酬が得られない、特殊な世界に剣道が嵌まっている。 剣道の世界チャンピオン、全日本選手権優勝者の年収を聞けば、誰も憧れないだろう。 マラソンでも、いいよプロ化の時代に入ったのに!
Hideさんが剣道のレッスンプロを自認している。 このぐらいの気概の或る指導者が出てきて欲しいものだ。 高校野球の世界の監督は、昔からその世界だ。 開かれた世界へ剣道が向かないと、益々衰微していくだろう。
西村は歯科医を指導するプロだ。 西村の指導を受けると、数ヶ月で収入が約1.5〜2倍になる。 指導料はセミナーで一日10〜15万円だ。 二日で20〜30万円西村に支払うことになる。 或る会計士、経営コンサルタントがそれでも安いと言った。 10人を指導すると西村の一日の講師料は100万〜150万円だ。 二日で200〜300万円になる。 10ヶ月のコースをすると西村の報酬は約2000万円を超える。 そして、受講者は支払った何十倍もの収入を増加させ、満足してくれる。 これがプロの指導だ。 西村の剣道の強さ、実力はともかく、教えさせれば或るレベルの人達には、誰にも負けないぐらいに、理論的に教える自身がある。 るいわゆる、レッスンプロを自認できる所に有ると思う。
今の剣道家を自認する先生方に、誰かこのぐらいの気概を持ってやってくれないものだろうか。 西村はお金を持って指導を受けに行く。 成果が上がれば、引き続き教わり、だめな時は一回で止める。 名乗りを上げあれる先生がおられれば是非連絡を頂きたい。 お金を中にいれた真剣勝負も一つの方法かと思うのだが。
剣道の崇高な理念にしがみついていると、だんだん衰微していくのが目に見える。 理念は高く、しかも方法論は多様にして、効率的な方法を模索して欲しいと思う。 最初にすべきことは、昇段審査の方法と評価をオープンにして、審査員がその場で○×を上げる。 そして、個人個人に対して、的確な評価と指導の書いた紙をその会場の審査委員長 の責任で渡す。 あの短い時間に、あれだけのお金を取るのだから、そのぐらいのことをしないと受験者を馬鹿にしていると言われても仕方がない。 (この不満は結構多く聞く) 十段を置いて、九段を増やさないと、八段の肛門で七段が糞詰まりになってしまっている。 上の人は下の方も見て、ヒストグラムの様にバランスがとれた曲線の分布図を考えれば良いと思う。 少数の人が自分の意見を強く出し勝手に決めてしまうと、いずれ多くからそっぽを向かれるのは必定だ。
西村の本音の言いたい放題でした! ツリー全体を読む
△上に戻る Re:起動を遅く 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年9月30日(日) 村岡さんの話を聞いて尚納得です。
真砂先生とは未だ一度も稽古を頂いておりませんが、稽古は注目して見ています。 全剣連合同稽古の稽古日に全剣連の事務所で、師匠の原田先生と同じ部屋で着替えをされていました。 西村が帰り、原田先生に「真砂先生は独特の動きをされますね。」言いました。 すると、原田先生は「攻めから打ちに一瞬拍子を外す、竹刀の動きをする。」 「あそこに嵌まらなければそれでよい。」と言われました。
全剣連合同稽古でも、京都でも良く見ています。 ぐっと腰を押出し一瞬止まります。 この時、竹刀の手元を腹に引き込む様にしています。 この動作に相手が一瞬居着いたりすると、竹刀はへそからバネが跳ねる様に面を打たれます。 相手が先生の腰の押し出しの攻めに負けずと出ていくと、待ってましたとコテを打つ。 特に腰を出して攻め、面を見せ、そこで相手が打ってきたところを面金すれすれで胴を打つ手の内は秀逸です。 手の内の返しが見事なのです。 さすが剣道の専門家です。」 西村は良く見ているでしょう。
これが「後の先」「体が懸かりで、剣が体です」 普通は右足を使って相手を誘いますが、真砂先生は腰を使って誘います。
それから、極端に束を短くされていますから、剣先の動きが速いです。 切れ味鋭い早さが特徴です。 近間の剣道には有利です。
最近は遠間から、相手を面をしのいで相手のコテ狙いがはやっていますが。これは打ちではなく、当てに行くので束が長いのが有利です。 試合向けはほとんどこれです。
高段者になって切る剣道を心がけると、束が真剣なみに短くなってきます。 当てる剣道から切る剣道への変化です。 真砂先生の場合は少し極端にそれが出ている様な気がします。 初心者は結果的にズレタノデ、意図を持ってそれが出きるのは大きな違いですが、動作の形は全く同じです。 実と感じたものが、竹刀の動きが無いので、一瞬虚と感じかけた頃に、こちらの虚に実で打ってくる。 絶妙の虚実の彩を作り上げているわけです。
さて、コテも胴も見事で鋭く強い打ちをされますが、西村がいつもの稽古相手にあんな遠慮のない打ちをすると嫌われてしまいます。 警察の剣道の専門家、警察大学教授で専門家の養成の剣風かと思います。 一般社会ではTPOも必要かと思います。
新宿区の稽古日等を教えて下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 結局は『はら』、西村の近況。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年9月22日(土) 朝早く蒲団の中にいるとき、妻が「松川さんから電話よ。と言って起こされた。 松川さんは剣道七段、居合も七段、抜刀術も見事な方です。 半年間かけて御夫婦とも西村が治療させて頂いた患者様です。 西村が電話を変わる前に用件のみで切られていた。 その用件は「今テレビで剣道をやっています。」でした。
早速テレビをつけてみると、『剣道の極意』でした。 剣道の達人の佐藤博信先生と若い学生との剣道の違いから、極意を見つける番組でした。
その一:体重は上下しないで打つ。 佐藤先生の腰は真っ直ぐに前に前進しているが、学生は一度重心を下げそして蹴って打っている。 その二:竹刀は緩やかに握ってスナップを利かす。 佐藤先生は軽く打っても大きな衝撃を記録した。 その三:忘れました!
佐藤先生は「俺はもう剣道を止める。」と言われたのを、西村が身体を整えて思い返してもらった。 てでビデ拝見すると御元気そうでした。
これからが本題です。 先生、学生、素人の三人早押しクイズ 「さて、この人はどこを打つのでしょうか?」でした。
佐藤先生はあっという間にボタンを押した。 「それは、胴です。」
司会者が「何故判りましたか?」の質問に先生は次の様に答えた。 「竹刀の先がやや右の方を向きながら上がって行く。 これは胴を打つための準備に、そのようにやや回転させて振りかぶるから判る。」 「おなじく、面は真っ直ぐ前に伸びて来るので分かる。」
このように、意識が働くと身体はその目的に適う様に動く。 その動きの過程の早期に起こる動きを察知すれば、相手の裏をかける。 だから、打つところを決めて打ちに行けば、決めたとほぼ同時に相手に察知される。 打つところを決めたとほぼ同時に身体はその方向に動くから、その動きをとめる事はできない。 結論は打って出れば打たれる。
次に、佐藤先生の動きから剣道の素人の司会者が、佐藤先生の打ちを早期に当てた。 名人の色が出にくい打ちの早期の段階で、素人が当てたから面白い。 このように、打つところを決めて打っていくと、名人でも素人に見破られるということです。
しかし、それはテレビの、モニターで見ているから冷静に判るので、実際に面を着けて正面に立つとそうは行かない。
剣道が未熟な内は、相手の動きを早期に察知できないから、先に打って出たほうが当たる率は高い。 高段者になるとその察知能力が高いから、左手をあげて打って出たほうが負けとなる。
そこで、体で先を懸け、剣が待で、相手を引きだし、相手の動きを察知し対応する。 『相手に従っての勝ち。』となる。
この相手の攻め、誘いに乗らない心を『不動心』という。 この不動心が有れば、佐藤名人の動きを素人がモニターで見破った様に、相手の動きから心を察知出きる。
剣道は詰まる所『肚』でしかないということになる。
西村の近況。 さて、剣道は肚の稽古となれば、死に臨んで静かな自分を確認した西村にとって肚の修業は意味がない。 そこで、剣道が面白くなくなってしまう。 剣道の分析は肚に至る過程の研究でしかない。
最近は「人の生き死にを、早期に察知出きる方法」を手に入れた」 これは剣道の様にバーチャルリアリティーではないので尚面白い。 それで、毎日夕方六時から午前一時まで勉強だ。 剣道よりもズーット面白い。 それで書き込みが少なくなりました。 全剣連合同稽古の事も忘れていました。
運動不足になるので、今日は区の剣道連盟の稽古に行った。 古城先生範士八段に御願いする。 心は静かで打たれる気がしない。 前回の稽古では西村の諸手突きが決まった 今日の稽古では終盤になって、軽く突きを見せて先生の心が動いた所、大きな見事な面が決まり終わった。 本当に大先生に決まるようになると、何を目指して剣道するのか? 剣道への興味が薄れる。 西村に打たれた先生の名前を挙げると問題になるので書けないが、肚が出きれば竹刀はいらなくなってしまう。 (但し、若い範士の現役の先生には、時に稽古量、動きの速さで遅れを取る事が有る。)
もし剣道がそれほど強いならば、貴方はその力が社会的貢献、収入の高額、素晴らしい仕事と一致していないとき、何か虚しくないですか。 まずは仕事への愛、家族への愛、自分への愛を見つめる手段として剣道をしたいものだ。 西村はこの三つの愛に恵まれ、剣道で見つめる必要がない。 そうなると、運動不足の解消か、なりたい人への指導かな。
話は少し前に戻るが、先生に面が入り剣道の心のくすぶりの煙が炎になった。 その後の稽古は最近にない、切れ味鋭い稽古ができた。 相手は一瞬に切られ、応じられていた。 ちょっと狼の片りんが覗いた。 たまにはこれも良いものだ。 最近、このような感覚が持てないのが残念だ。 ちょっと機会を捜して見よう。 ツリー全体を読む
△上に戻る 保存療法は100%機能を回復します。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年9月7日(金) 上腕二頭筋(屈筋)を使わないで竹刀が振りかぶれるか。 竹刀振り上げ矯正動作。
竹刀振りかぶり振り降ろしを軽く自然に動かす方法の矯正法。
まず、右手の親指と中指の先で竹刀を掴みます。 そして、左手は親指と中指のリングを作り竹刀を落ちない程度に持ちます。 「竹刀の振りかぶり」と云う観念を捨て、「左手竹刀押上」の感覚に致します。 左が前に出るとき、右手でつまんだ所が支点になり、竹刀が形として振りかぶった形になります。 このとき、右手を緩めてやると摘んだ所が可動支点になってスムーズに竹刀の押し上げが進みます。 その時気がつきます。 何と!右手には力がほとんどかからないで竹刀が振りかぶれると。 これが良く理解出来れば、左手右手とも中指でリングを作る そして緩やか、グスグスに竹刀を持って振りかぶります(押し上げます)。 竹刀がの束の程よい所を可動支点になり、両手のリングは可動ジョイントトなり何と軽やかに竹刀が動くことかと気がつきます。 そして、このとき手首に負担は一切かからず手首は固定されたままです。 (屈筋、伸筋がニュートラルになった状態で関節が消えます) この方法を使えば、とても使えない物でも簡単に振れます。 この手の内を使えば、あの重い真剣も竹刀より軽く操作することが出来ます。 この使い方を知れば軽い竹刀は一瞬に動きます。
似たような動きでは、右手で鍔元を引くように胴を切ると刀も一瞬に軽く動きます。 竹刀ならば目にも止まらぬ早さです。 これを応用すれば左右胴が切れます。 これは黒田鉄山先生がこの振りをしたら、ビデオに剣先が映らない速さであることが証明されています。
居合を始めると剣先で天井を掻くように振れと云われます。 これは矯正動作としての教えです。 本当の相手がいて、真剣で切り合うならば剣先に意識が行けば遅い動きになります。 いかに速く鍔で引き切っていかが勝負で、その結果として剣先を振り回さずに鍔での動きに剣先が引っ張られて動く。 これが凄まじい剣先の速さを生みます。
竹刀剣道の打ち込みは少し異なりますが、当たる瞬間の押して引き手の茶巾絞りがこれと似た効果を上げています。 そして、竹刀では柄頭半分が小指にかかるぐらいにして、束頭を手の平に包みこみます。 それで左手のツッカイボウが消え竹刀の先が前に延び、面布団に当たります。 刀では柄頭を出しますから、額(ひたい)越しに切り下げます。 竹刀では西村は切り落としにこれを使います。
島野さんさんが屈筋を使わない剣風が、西村をして島野さんさんを捉えられない原因の一つです。 多くの人がすーと入られ面を打たれる所です。 どうして彼がそこまで判ったのかが不思議です。
最後に、アキレス腱を切った時も手術と保存療法があります。 手術をすれば治りは早いですが、瘢痕治癒が残り100%の回復は臨めません。 もし、手術をすると真っ直ぐ伸びなくなるでしょう。 保存療法でもし治るならば、治癒に時間がかかりますが、100%の改善が期待されます。 医者は手ッ取り早く、尚稼げる手術を選びます。 これは整形の本を百冊書いた荻島秀夫先生の意見です。 そして、この先生は日本のリハビリの専門医第1号です。 そして、西村の患者様でもありました。 この話は西村が剣道では、アキレス腱を切る事が多いとの話で出てきた事です。 治ったが、もう一つ動きが悪い! この時は、西村が治します。 リハビリの後、後遺症で苦しんだ人を多く救ってきた実績があります。
さて、大切なことがあります。 先生がもういいだろうと言われるまでは、そーっとしてやることです。 岩立先生の腕を見せて頂きましたが、完全に断裂し腕を曲げたときは一つの筋肉は完全に縮んだままです。 生体が自分で治すまで、そーっとしてやらずに稽古をされたからだと思います。 岡田さんはその二の舞いを踏まないように、しっかり治して下さい。
左手一本のワープロは左手の器用さを増すチャンスです。 それに、見取り稽古は普通の稽古の何倍も上達させます。 「今日の見取り稽古で気がついた事」等を左手一本で書き込んで下さい。剣道分析の面白さが判って来ます。 ツリー全体を読む
△上に戻る お説の通りです。そして〜 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年8月17日(金) 正にお説の通りです。 川瀬先生も中山先生も良く知っています。 剣道の素晴らし先生方です。 西村はお二人には心は動きません。
さて、一刀も佐藤先生が言った様に、長くやった人が強い。 老人に有利になっていると言われました。 そもそも両手で刀を持事の不自然さの中で発展した剣道は、その不自然さが自然になっての競技になっています。 剣道人生の大半をそれに終やして高段者になっていきます。
そこで、勝手が違う相手に出会うとそれは困惑となります。 長崎さんはその困惑がないと言っていました。 西村はもし勝負をするならば、相手が二刀ならば、私は薙刀を持つ。 おそらく、佐々木さんは私に脛を切られるでしょう。 そうすると、相手は鉄砲と言うことになり、武器選択が勝負を決める話になってしまいます。 これが西村の考え方で、二刀と勝負、稽古をするつもりが全くありません。 それで、初回の時にお断りしました。 基本的にはこれが結論です。 それは前も今も変わっていません。
佐々木さんとの稽古も勝負、当てあいの意識が全くありません。 ただ心が動かないでいるように対峙しただけです。 この気持ちは範士八段との稽古の積もりです。 だから身体はほとんど動かしませんでした。 足も動かない状態でしたから。 ただ前に出ていって出きる範囲で対応する。 ほとんど打たれるのは覚悟の上。 だから打たれても、自分の心を打たれていないとき、気にもしません。 このような時、相手が当たるからと言って打ったとき、それは打てないときに打っただけと言う事になります。 当てあいが基準ならば、当てた方が勝ち。 しかし、相手の心が動く前に打てば、打って出た方が負け。 これが、私のあの時の稽古の基準でした。
そこから見れば、私が前に出ていきますと、あれ!面に打って出てくる。 私の心は動かない。 なぜ打ったのだろう。 西村の竹刀は未だ動いていないのに! そこで、慌てて面を取りに来るのが惜しい!と思いました。 ゆっくりと、相手の心が動くように面を打てば良かったのにと思いました。
川瀬先生、中山先生は負けじと勝負に行かれたのだと思います。 西村は剣道で勝負を争う気持ちはほとんどありません。 審判をおいの試合には全く出る気も無く、出ていません。 勝ち勝ちゲーム、勝敗がなくお互いが喜び勝者になる人生を送っています。 十年前の人生の転機があり、それを人生の大きな選択としました。 またその気持ちが起きる様な出会いの場は遠慮しています。 それや、あれやで初回の時にお断りした次第です。
今回の稽古は佐々木さんの人柄に触れて、西村がお役に立てるならば!と思い竹刀を合わせました。 二刀の心を攻め、動かし打っていく、引きだす等の意識は全くありません。 それ故、貴方が間合いや小太刀のサインは西村には全く無用でした。 どのようにして西村を打たれるか、そのお役に立てればと思い相手しただけです。 前に進み出てくる対応がどのようなのか、どのように打たれるか等を知り気がついた所を述べようと思っただけです。
そこで、気がついたのは当たると思った瞬間、打っている事でした。 しかし、負けたとも、打たれたともないもない感じの打ちでした。 そこで、この間の様な事を申しました。 噛ませ犬の心境でお相手しただけでしたから。 そこからの発見は難なく勝ってしまうと、7段は受からないと言うことです。 強すぎて簡単に打って勝ってしまうと7段は受かりません。 勝てる、打てる相手の心の動揺を見た上、引き出して左手が動くのを待って打ち取らなければ使った事にならないからです。 正にある人の様に強いと、相手を引出す前に打ち取ってしまいます。 そうすると、審査員は強いのは判るが剣が若い、もう少し修業をといわれます。
相手の左手を動かし、引きだした打ちが◎の基本の様です。
西村は二刀の協力者になるつもりはありません。 そして、一刀の手強い相手になるつもりもありません。 そして、理解者になるつもりもありません。 それは初回の出会いで言った通りです。 その様な考え方が西村の生き方、今はそれ自身には夢中のなれない程覚めたものです。 涼しいところで、適度な緊張感の内に運動をしているだけです。 一昨年、死んだと思った時から剣道は修業でも何でもなく、運動不足の身体の喜びが主体です。 ただ、お相手して下さった方にお返しをと思ってお役に立つことを話します。
しかし今回は、佐々木さんの真摯な態度に協力的に稽古をしただけです。 佐々木さんが西村が参ったと思うような攻めの稽古の一助と思っただけです。 西村にその工夫をされれば、7段の審査は楽だと思います。
二刀の攻め方を教わりまして、なるほどと思いました。 ただ、これを参考にして二刀と勝負をするつもりもありません。 人はそれぞれ人生が有って、生きたい様に生きている。 とくに西村は自分の心に忠実に生きています。
『一刀に一刀の理があるように、二刀には二刀としての理があります。 その理が一刀社会で受け入れられるかどうかというのは、私たち武蔵会として今後抱えて行かなければならない大きな問題なのですが』 二刀の課題は正にそれだと思います。 ただ、西村は二刀に全く感心もありません。 多くの人もそうだと思います。 迷惑しているかもしれません。
今回、佐々木さんの人柄に触れて稽古と感じた事を言ったまでです。 戸田先生の様に選手権保持者の人ではなく、全く無名の人がしっかりした二刀で工夫、努力の末に七段、八段になっていかれれば道が開かれると思います。
それには二刀を快く向かい入れられる稽古態度が必要かと思いました。 挑まれたからいやいやながら竹刀を合わす、物珍しさに竹刀を合わすこのような関係でない稽古が必要かと思います。 二刀を使う人を5人ほど知っていますが、稽古の後打った面白さに悦に入っている人が多いです。 打たれた方は二度と二刀と稽古はしないと言っています。 この関係が二刀を肩身の狭い思いにさせていると思います。
そこで、この改善作の一つとして感じた事が、軽く打たれたコテに、軽く参ったと意思表示する態度かな!と思いました。
最後に、出稽古ではあの様な稽古もしますが、江戸川であんな打ちをしていますと、誰も稽古をしてくれなくなります。 そして出稽古では七段の上の先生方とも余り稽古をしません。 相手が下から来れば別ですが、同じ段の人に恥をかかさないようにしています。 良いところは打たせ、軽い小手に参ったと言い、相手も少しは楽しくするように心がけていますがそれでも難しい。 和気あいあいとした稽古も大切ですし、指導稽古も大切ですし、時に男の意地をはった稽古も良いものです。 最高の稽古は師匠に自分の成長を見てもらう時の稽古です。 原田先生は先月手術をされました。 来月手術をされる師匠との最後の剣道稽古と思った時、最高の稽古が出来ました。 最後に打って出た面は紙一重で胴を抜かれましたが、先生との永遠の別れの最後の面打ちに悔いがないものでした。 帰り道、もう合うことが叶わなくても、悔いのない稽古が出来た自分に涙して運転していました。
剣道はそれぞれの人がそれぞれの思いで稽古をしている。 その中で折り合い良く楽しく稽古が大切かと思います。 強すぎる二刀はそれ故に苦労もあると思います。
最後に、西村は二刀に全く興味がありません。 佐々木さん個人には興味があります。 佐々木さんには協力致します。 西村を打ち込み台替りに、心を動かす工夫をしてみて下さい。 ツリー全体を読む
△上に戻る 暑い日々が続きますね! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年8月17日(金) 暑い日が続きます。 西村はエヤコンの効いた涼しい道場で稽古をしています。 岡田さんの剣道益々盛んな様子が感じられます。 構えが変われば位が出来てきます。 攻めにも凄みが出てきたと思います。 今度はその攻めをフーッと抜く間合いを研究して見て下さい。 相手が吸い込まれて打ってきます。
堀内君には書き込みのコピーを見せます。 待っている、我慢するは出来上がって来たのですが、 攻めながら先に打つのを我慢する、この心の葛藤が未だ整理されていないようです。
今日は午前、午後と整体調整。 その後サウナで垢すり、マッサージ。 そして、千代田区の稽古で二時間立ちっぱなしの稽古。 自宅に帰って来ると快い虚脱感。 まことに良い日でした。 稽古の数はかなりの量になってきた。 ただ飛び込み面が打てないだけだ。
最近の西村の心境は相手が八段であろうと、気位では負けない自信が確率しました。 結局これは相手の問題ではなく、自分の心、意識の問題にしか過ぎないからです。 相手が早く面を捕らえれば、同じパターンで打たせ胴を取れば良いだけです。 相手が打ってくれれば、それを返すのは訳ないです。 相手の攻めや、フェイント、スピードに惑わずも、心の目さえ開いておれば簡単です。 自分が先に打ち気に走ると、その起こり、心をつけ込まれます。 この頃は左足の関係で、自分から大きく面に跳べません。 飛んでいって打つ気がなければ相手が良く見えます。 その意味で枯れた剣道になってしまいました。
前にも書きましたが! 範士八段も気位で負けなければ、相手はただの老人だ。 教師八段バリバリも、気位で負けなければ相手の竹刀が早くて強い打ちが出きるに過ぎない。 こんな心境です。
この心境が崩れるとしたら、打たれたくない、打ちたいと心が揺らいだ時だ。 打っていくとさすが八段そつはない。 しかし、打ってくれれば御しやすい。 この一年間沢山の八段と稽古をしたが、気位で遅れを取った事は一回もなかった。 当てっこ勝負は色々あるが、結局の所、剣道は気位勝負だ。
岡田さんがこの気分になればもう八段だと思います。 結局、高段者の剣道はここを磨くしか進歩がないからです。
話は変わりますが、アメリカから部品が届き、西村が望んでいた顕微鏡の状態になりました。 赤血球の中の細菌まで見えます。 一度東京へ見に来て下さい。 びっくりするほど面白いですよ。 将来は顕微鏡を見て必要サプリメントを決定して、その成果をまた顕微鏡で見て評価する。 自分の健康状態の変化を自分の血液を目で見て確認する。 そのための世界最強のサプリメントが準備できている。 こんなシステムの会社を作り上げる積もりです。 九月は私と一緒に妻もこの手のセミナーを受講して準備を始めます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 江戸川日曜稽古から。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年8月12日(日) 今日の稽古から。
今日は江戸川の稽古に行く。 実力のあるBさん、先生にかかるとき 「私は先生に刃が立ちません!それでもよろしくお願いします!」 との雰囲気が身体全体から発している。 人と波風を立てない温和な性格の人の剣道に多い。 今度は逆に勝てる相手にはふてぶてしい剣道で有ることも多い。 上にはへつらい、下には厳しいい言葉で接するタイプだ。
組織の中では統制がとれて、会社が順調な時は仕事、人間関係も上手く行く。 このタイプが剣道家の多くを占める。 故に先生が威張っておれる。
この剣道の縦の関係を主従関係の様に、社会生活まで持ち込む傾向が剣道にはある。 剣道の強さの関係とその人物の立派さとは必ずしも一致しない。 剣道の強さの関係と、社会的ステータスは一致しない。 しかし、普段道ですれ違った時等でも片や腰を低くし、相手は反り返って挨拶をする。 この辺りが、現在社会の自由さの中では、封建的な社会に見える。 このような雰囲気が好きな人は残るが、中学を出た段階でそれを感じ止めてしまう。 それ故、剣道家は変わった人が多い、偏屈な人が多い、頑固な人が多い。
私はBさんに言った。 「先生はもっと強いのに、参りましたと!しっかり打たれに行っている。 先生の人柄の良さが出ていて好感がもてるが、寂しい感じがする。 剣道が道を求め、自己実現の気づきの一つの手段なら方法が違うような気がする。 相手の顔色ばかりを見て、自分の行動を決めていたら本当の自分を見失う。 少しは意地を出し、男を張り合ってみるのも大切な事だ。 自由に生き、自由に剣道をしましょうよ。」
しかし、この逆で人生の不満を竹刀で発散している不届き者もいて、これは見ていてもっと嫌らしいのだが。
最近7段を取ったA先生。 何度も八段に挑戦しているW先生と稽古をしていた。 W先生が剣先を一瞬落し、大きく面に打って出るが、 A先生ピクリとも剣先を動かさず。 そのような光景が何回も有った。 その後無理して打ってきたW先生の胴を抜いていた。 少し前までは相手に釣られて打って行ってしまっていたのに。 心が静かになり相手を見る余裕が出来てきた証拠だ。 どちらが元立ちか判らない雰囲気だった。 剣道はこれだから面白い! 気位が変わればその瞬間から、床から見ててもそれが判る。 心の彩(あや)、心の有りよう、置き所が形になって出てくるのが剣道だから。
最後の方でもうすぐ7段を受ける先生が稽古に来た。 いつもと雰囲気が違う! グッグッと前に出てきて打たない。 大したものだ。 西村が上から押し込むように打っても我慢している。 そして中々良い稽古で終わった。 西村が言った。 「今日の稽古は立派でした。 あの攻めは入りの一歩を1/3位にしておけば、十分打ち間が残っているが、 あそこまで入ってしまうと打てなくなる。 あれを気攻めを強く、体の出を少しにして引っ張り出せれば7段は受かります。」 彼が言った。 「さっきから先生の攻め方、手の動きを見ていて真似をしました。 そして少し判って来ました。」 西村が言った。 「ここに気がつかないで、強い同士が相打ちになって落ちている。 攻めは入り、相手を苦しくして動かして(反応させて)そこを取る。 これに気ずか無いと7段は難しい。 今まで面を取れてた相手に、今度はしっかり嵌めて取る努力をしてみましょう。 そうすれば、7段の道はまっすぐ行けますよ!」
剣道はいくら稽古をしても駄目だ! 稽古から何かに気づき、発見をして、それを身に付け前進する事が大切だ。 彼は今日それに気がつき、実行した。 それを西村が評価し、それを伝えた事で確定的になることだろう。 師匠がいればそれが師匠のお勤めだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 岩立先生の研究集 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年8月10日(金) 岩立先生の分析を載せます。 西村の並々ならぬ思いが伝わると思います。 これは岩立先生にも7-以外はプリントしてお渡ししました内容です。
岩立先生のまとめ
1-八段の修行分析 今回は、岩立三郎・範士八段です。
岩立先生の剣道を見たのは京都大会の朝稽古でした。 余りにもスッキリとした面を打たれるので、見ていた私は何が起きているのか良く判りませんでした。 その時は朝稽古でごちゃごちゃしていたので、しっかりは見れませんでした。 その日の朝稽古の少し後、立ちあいの見学に疲れたのでもう一稽古をと思い武道館の方に行きました。 そこで岩立先生が稽古をつけておられました。 相手の方も七段でかなり強い方ですが、先生のすっくと立った所からの面は見事と言うほかありませんでした。 稽古を終わって帰って来た人は面を取って一言「真っ二つにされた。」と言いました。 それほどスッキリと一瞬の面を打たれます。 西村は稽古どころではありません。 早速ビデオカメラを取りだして撮影をしました。 七段では強い良い剣道をすると評判の若手の先生が、真っ二つに切られていた。 ともかく「見事!」云うほか言葉がない。 以後、東西対抗戦などのビデオを買って、試合での先生の面打ち等を徹底して研究をした。 先生の攻めは入りの右足、腰の前進は判るようになった。 しかし、先生の面を打つ手の動きは何としても判らない。 今度はスローでもっともっと、十分研究して書きたいと思います。 私は、先生の何故あの竹刀、手の動きが腰からどのようなメカニズムで出ていくのかが未だに判らない。 事あるごとに先生の稽古ぶりを拝見しています。 西村はまだ一度も稽古をお願いしたことはありませんの。 稽古をしたいと思うよりは芸術をみていたいとの思いの方が強いからです。 貴方がプロ野球の選手と試合をしたいと思いますか? 観ている方が妥当な選択だと思うでしょう! そんな感じです。 そのうち、先生に稽古をお願いしての感想を書きたいと思います。 よって、今回は先生の剣道を形の上では分析、説明する能力に西村が達していないので 違う角度から観てみます。
さて、岩立先生が七段を受審して落ちた時、足幅のことを指摘されたそうです。 当時は足幅が広かったのです。 「グッと相手を攻めたとき右足だけが前に出て左足が残る。そこへ乗られて打たれたわけです。」 このように述べられています。
岩立先生でもこのような時があったと聞いて、私は安心している次第です。 さて、七段を受験する人達は「足幅」を特に気をつけましょう。 心が打ち気に走っている証拠です。 早く当てたいとの意識が強く、結果として足幅が広くなります。 狭くしようとして狭くならないのが足幅です。 肩にある打ち気を丹田に沈める修行を剣道だと思うと自然に足幅が狭くなります。 様は足に気を付けるのでは無く、意識を変えた方が速いです。 剣道を相手の頭をひっぱたくことだと勘違いしている、コンプレックスの反動として剣道をしている人は全く変化がありません。
岩立先生が滝口範士に教わった言葉。 「下から上への面打ちは駄目だ。攻めた気分を切っ先に乗せ、上から相手の中心にのしかかって向こうまで伸びていくような打ち方でなければいけない。」 先生の面打ちは見事にこの通りの面です。
先生は直心影流・法定の型で学ばれたそうですが、雑念を払い「正念相続」が大切と述べられています。 「攻め合いからの心の動揺をサッと払 「無心になる!」 そうすると、「明鏡のような澄んだ心には相手の心がよく映ります。」
要は自分の鏡を磨くことです。 そうすると、相手の心は映ります。
さて、先生は剣道家としてプロですから、剣道を通して、法定の型を通してこの境地を目指したのだと思います。 では、西村の例で述べましょう 西村の場合は大学を卒業して二年目で東京の青山通りで命を担保で七千万を借金して歯科医院を開業しました。 お金を返せないときは交通事故にあって死ぬつもりでした。 そして、お金を返す積もりでした。 死にたくないから必死で仕事をしました。 次に五年後は三医院になり、年中無休。9時から9時の診療をしていました。 従業員は125人に膨れ、西村はただ人に給料を払う為だけに必死に仕事をしていました。 疲労と怒り、心配と焦燥で命の限界をさ迷っていました。 仕事の上に毎月百万円以上呑んで遊んだ毎日でした。 結婚生活も破綻寸前でした。 その頃十年ぶりに原田先生と京都で会い、この先生と叉剣道をしたいとの思いが起き上がって来ました。 それで六段を受けようとして剣道を始めました。 三ヶ月練習をして見事に不合格、それを観ていた原田先生からお手紙をいただきました。 「お前の体重が前脚に乗っている。それでは相手の色が見えないし、打つしかない。それ以外は全て立派。」の様な内容でした。 次の稽古の時ビデオを撮って観たところ、右足どっぷりの体重であった。 十年ぶりの稽古の三回目で肉離れを左足にして、1ヶ月松葉つえをついていたからだと思うが、それにしても前脚に体重を乗せた打ち気の強い自分に自己嫌悪に陥りました。 結局、打ち気が強いことが問題と気がつきました。 仕事でも行き詰まり、夫婦関係でも行き詰まり、剣道でも行き詰まってしまった。 もう倒れる!との頃、ライフスペースを受けました。 当時はもっとまともなセミナーでした。 一年間ただひたすら「人に親切にして、自分を観る。」修行をしました。 そして得た結果は「人に愛されて百歳まで生きたい。」との目標。 「アイ アム フリー、アイ ラブ ユウ。」の羅針盤でした。 この切っ掛けは高橋代表の一言で目が覚めたのが切っ掛けでした。 その日は、八時間泣き続けた物です。 そこで、今の自分を観るとこのままでは死んでしまいます。 その年の秋と年末に二医院を閉めました。 売ったのでは無く、閉めたのです。 一億三千万円を捨てました。 そして、その間は1回も剣道はしませんでした。 一年間の心の修行のあと、叉剣道を始めました。 なんと!相手の心が自分に映るのです。 まるで!剣豪小説の世界が自分の剣道の前に広がったのです。 七段で理事長の先生と稽古をしたとき、私の心は白紙ですから相手は私を読めません。 相手が困っているのがよく判ります。 膠着状態を打破するために、一歩前に身を捨てて出ました。「貴方はどうされますか?」と心で聞きながら。」 何と面を打ってくるのです。 軽く受け流して胴が入りました。 このとき、「捨てる!」の意味が剣道で初めて判りました。 人生ではしっかり判っていたのですが、剣道も同じだと判った時は驚きました。 四ヶ月間の稽古で、満点で六段を受かりました。 「捨てる」が心底、剣道で判ったのです。 さて、剣道は所詮ゲームです。 人生の方がもっと厳しいです。 貴方の人生の行動を剣道に生かしませんか。 岩立先生は剣道を仕事にされた人です。 先生が法定の型で成長されたように、われわれは、仕事人生で培った心の成長を剣道で生かせるかを試してみてはどうでしょうか? もし、そこまでの物が無ければ、その程度にしか生きていないと云うことです。 それなら、一時剣道を止め、仕事、人生を思いきり生きてその結果を剣道に持ってくるほうが速いと思います。 剣道より、もっともっと人生を真剣に生きる時期ではないでしょうか。
さて、今度は七段を一回で合格したいと欲が出ました。 誰もが1回で受かると言われていましたが数回落ちました。 その原因は、前の年から始めた税務所、国税不服審判所との闘い(国との闘い)でした。 怒りが心の中で渦巻いている状態では心の鏡が曇り、相手が映らなくたってしまっていたのです。 今は、本来の自分では無いと思い、剣道も受験も止めました。 それかでも心の怒りは落ち着かず、数年経って呼吸法から幽体離脱を体験し、魂だけの自分に会ってきて悟りました。 「この世は肉体を借りて、感覚と感情を通して神仏へなるための修行に来ている仮の姿。」
ここまで気がつかしてくれたチャンスをくれた税務署員に感謝の気持ちが湧き起こってきました。 その時から、わずかながら私の意識が相手のにくたい、心に入っていけるようになりました。 その後、二ヶ月稽古をして七段を受験して満点で合格しました。 師匠の原田先生は100点満点の150点と褒めてくれました。 お前は試験を受けに来たのでは無く、剣道をしに来てたのがよかったと言ってくれました。 税務署にに支払った金額は七千万円です。
私にとって、六段、七段の二段は支払った(捨てた)金額で二億でした。 岩立先生が剣道のプロとして真剣に生きられた様に、われわれアマチュアも人生は真剣に生きています。 その真剣な生き方が剣道に反映しないようでは、それは竹刀の叩きあいのゲームで剣道にはならないのでは無いでしょうか。
もし、剣道の昇段で壁が大きいと感じたとき、それは肉体が持って生まれた資質の問題か、それほど剣道に時間を割けない人生の時期なのか、人によく見られたいと思う見栄なのか、それとも人生の生き方が甘いのかと問いただして観ましょう。
そうすれば、剣道をもっと楽しい自己実現の補助的な物として受け入れることが出きると思います。 八段になった人を観た時、あの人は八段になる必要が有ったのだと思います。 しかし、そのエネルギーを仕事に生かせば、もっと世の中で有用な人になれたかもしれません。 一つの選択をしたとき、もう一つの道を閉ざしたことに気がつきましょう。 トータルで人生を眺めて剣道を人生に役立たせたいものです。
人生にもう一つの負荷を与えますと、隠れていた問題点は浮かび上がって来ます。 その負荷が剣道だとすれば、剣道は自分の内面の観察に物すごく役に立ちます。 昇段を目的とせずに、受験を通して手に入れた葛藤の中からの自己の成長を目的にしましょう。 われわれは、精神性の高い趣味で剣道をしています。
2-佐藤博信先生と岩立先生につて会話
今日、佐藤博信先生(範士八段、明治村八段戦四回優勝)との話の中で、西村が八段の修行を分析していると言った。
西村「この間は田原先生、今は岩立三郎先生の面を分析しているが、余りのも見事なの で分析の手がかりがなくて困っていた。最近少し判ってきたとこです。」 先生「彼は肩に力が入っていないからなあ!全く力みが無いからなあ!東西対抗の時の 有満先生に打った面は見事だった!」 西村「先生!あの東西対抗戦のビデオ買って研究しましたよ!右足がスッと入った後剣 先(竹刀の先)をわずか相手の中結いの下へ攻め入り、有満先生の起こりに面を打っ たやつでしょう!」 先生「そうだ!あれは見事だった。」 西村「そうなんですよ!あれ以来ずっとファンなんですよ!稽古を頂かないで見惚れて 見学しています。」 「八段之修行では攻めた気分を切っ先に乗せ、上から中心にのしかかって向こうま で伸びて行くような面でなければならないと書いてありました。」 「最近の稽古はまさにその通りの面を打っておられます。」 「あの時は、相手が強いから下から攻めたのでしょうかね!」 「目下研究中です。」 「先生の先程の一言で何か分析の切っ掛けが出来たような気出します。」
明日は合同稽古しっかり観察しておこう。 もう少し判ったら、実際稽古を頂いて考察を書きます。
3-原田源次先生と岩立先生についての会話
新情報!! 今日、原田先生を武道館から新宿まで送っていく途中によい話を聞いた。 原田先生 「先日、岩手県の剣道指導者の講習会をした。岩立先生を講師に呼んだ。 彼は良い面を打つからね!」 西村 「先生!私は岩立先生の稽古ぶりに見惚れて、東西対抗の岩立先生と有満先生の試合を何度も見て研究しました。」 先生 「あの面は良かった!ウオーと言う掛け声をかけたかと思うとスッと入って面を打った。」あの試合の二本の面は見事だった。」 「アットいうまに二本取ったからね!」 西村 「八段の修行では剣先(竹刀の先)は沈めない様に書いてあるし、最近の稽古を見ればそうですね。」 「でも、あの試合はスッと体、右足を入れ、次の瞬間竹刀の先をスッと沈め誘って面を打ちましたね。」 西村 「先般は田原先生の腰を勉強して、今は岩立先生の面を研究、分析中なんです。」 「岩立先生の腰からスッと入って行って、手元は拝む様に真っ直ぐに振り上げ面にスッと伸びる。ここまでは判るのですがそこに至る足腰の分析がどうしても出来ないんですよ!」 先生 「彼の足だが見事だよ!蹲踞から立った足幅を狭めながら相手を攻めていく。そして、 その間に相手と気を合わせて、石火の機を作り、相手の起こり、居着き、下がル所を打つ。」 「左足を継ぐというのではないが、重心を動かさずに足を寄せながら攻める。」 「相手はそれに全く気がつかない!」 「これが見事なので、岩手の指導者にその所を勉強してもらおうと思って来てもらた。」 先生 「しかし、有満先生もたいしたもんだよ!その後の国体の時は今度は岩立先生のあの面を余して勝ったからね!」 「まあ!試合だから旗は上がったがね!八段の面ではないがね、試合だからね!」 「それにしてもたいしたものだった!」
昨日、佐藤先生も岩立先生の有満先生との試合での面を褒めておられた。 今日、原田先生から思いがけず、岩立先生の話を聞いた。 なんて!西村は幸せなのだろう。 皆様に西村の喜び、新情報を、おすそ分けをいたしました。
4-岩立先生のビデオを見て研究・分析 岩立先生の有満先生との東西対抗戦をビデオで見て感激したのが始めです。 こんな面が打てるには!と思い分析しました。 それが西村の面の基本になっています。 次に岩立先生の稽古を始めて見たとき、稽古をお願いするよりも見てる方が良いと思いました。 そして、その時京都でビデオを撮りました。 アマチュアがプロと野球、相撲をしても意味がなく、むしろ見て楽しむほうが筋だと思ったからです。
さて、今回のビデオを目が腫れ上がる程に、スロー、1コマずつと見ていきました。 来月先生と稽古をお願いしようと思っているから尚真剣です。 どんなに見ても対応策が出てきません。 しかし、翌朝再度見てみますと、先生が見事に面が入る時とそうでないときの差が判りました。
先生が見事に面を入れる時は、相手が先生には嵌まっているときでした。 先生の攻めに反応しない人は先生に見事に打たれません。 先生の表からの低い所から、相手の竹刀を摺り上げ擦り込むように右足を滑らし浮かしながら攻めはいってきます。 (有満先生との試合は剣先(竹刀の先)を下げしたから攻め、相手の反応を見て面に伸びた。その時の面は竹刀が正中あって、左拳の押し出しで拝み打ちの面であった。)
最近の先生の所信が書かれた八段の修業では、剣先(竹刀の先)を下げないように書いてあった。 今回のビデオでも剣先(竹刀の先)は下げなかった。
今年の東西対抗の副将戦での先生の腰の入った見事な面を見たとき、あれ!どうして! 相打ちに勝ったメンなら表同士の打ち合いになるのに、面が入った瞬間は裏から入った形であった。 この意味が判らなかった。
先程書いたように、先生が下から押し上げるように擦り込んで来た攻めに、相手がそれを押えに入った瞬間その力を利用する形で、先生の剣先(竹刀の先)がスーと右に僅かに流れるようにして右に剣先(竹刀の先)が少し回り、瞬間に左拳を押し出し、剣先(竹刀の先)が垂直に立つ。 (このため、相手の竹刀が左に流れた所を打つ形になる。) 丁度、胸の前で拝むような形から打ちだす。 その瞬発力が鋭い理由は擦り込み攻め入るとき、左拳が体にチョット近づきながら体で攻めはいている。 この拳の位置が瞬発力を生んでいる。
このように先生の攻めに竹刀で反応した人は見事に面を打たれている。 攻め合いを放棄し、先生の出小手を狙っている人は面を打たれず、小手を打てている。 同じく胴に入っている。 同じく下がって攻めを凌いだ人も打たれない。
次に最初から裏で攻める時は、竹刀の先を裏で一回止め相手の居着きを誘う。 さらに、相手の剣先(竹刀の先)が少し低い時、正面から攻め入る時は一瞬竹刀の先をスッと伸ばし、相手にそれを見せてからゆっくり打っている。
時に相手の守りが堅く、攻めにも反応ないときは竹刀を大きく下げて表から裏へ回し、そこから突きに攻め、相手がギクッとしたときに面を打っている。
先生の攻めのタイミングが判って来た相手は、先生の右足の攻めで、いわゆる月影の形で引っ張り出され、小手、胴に取られている。 大きく面に来た相手には、先生は竹刀を大きく上に上げ、やや右に捌き切り落としている。 先生の拳が大きく上に上がるのはこの切り落としに入るときだけである。
先生のパターンはほとんどがこれに尽きる。
此処で見事なのは先生は攻めぱなっしでは岩立先生のなく、きっちり相手に反応させそこから溜めた左拳の瞬発力で打っていることである。 そして振りかぶりの左手の位置は高くはないが、打ち降ろしの時にしっかりした拳の位置に押し込んでいる。 先生の竹刀の瞬発力は溜めた左拳の位置と脇の締まり、胸の締まりと降ろしという、胴体力の利用によることが判った。 (胴体力:身体内面の筋肉作用の利用した力) 攻め入りに際しては、顔が相手に瞬時に迫るような感じで相手を圧倒している。
普通は見えない先生の動きとパターンと分析出来た。
これに左重心からの体内の重心移動、歩幅内の重心移動が加わる。 (前に分析記述済み)
相手が読めれば剣道は勝ちだが、そこは岩立先生のプロの動き、脂の乗りきった時期だけに対応策が立たない。 打たれないようにはできるが、それでは稽古にならない。 先生の攻めをかわし胴を打っても稽古にならない。
大先生が攻め入り、前に出て稽古をしていただくことは有りがたいことだ。 このような稽古をして下さる先生はめったにいない。 これに有りがたく感謝して応える稽古は? 今のところチョット頭に浮かばない。 考えること自体が不遜な態度なのか?
この項は此処まで。
5-岩立先生研究効果
先日は岩立先生のビデオを目が痛くなるほど見た。 そして、昨日の稽古でその効果が顕著に発揮された。
相手は八段審査を受験する先生です。 今日は武蔵の構えではなく、石垣芳之助先生(剣道日本に紹介)の左足に体重を乗せ、左拳をやや上げた攻めの強構え(小川忠太郎先生の左手も同じ)で稽古をした。 咽を攻め入ると相手は辛抱できずに面に来るが、そのまま突きに入ってしまう。 甘い面来ると西村が返して胴と簡単に入る。 相手の打ちが本当の攻め合いに入る前に出てしまう。 元立ちの気位の姿勢、構えとしては言うことなし そして西村は全く同じない。
さて、相手の先生はそれでは一本といわれたので、その気になった。 今度は武蔵流の緩みの姿勢に変えた。 間合いを取って本気に攻めると相手は簡単に打って出れない。 そこで触刃からゆっくり交刃に入っていく。 攻めが早いと相手は恐れて早く大きな面で死にに来てしまう。 それでは返し技になってしまうのでゆっくり攻め入る。 ここで相手に打たさないように肚に気をしっかり溜めて入っていく。
ギリギリの所で切っ先をスッとほんの少し目を突くように出す。 相手は気攻めのギリギリの所の我慢から、竹刀の先に一瞬意識が移る。 要は相手に気の闘い、押しあいから、相手の気が刀の先に移り本体を忘れる。 目が相手の竹刀に意識が行ったら、目が見た情報が脳に行きそれに対応する指令が手足に流れ行動する。 これには少し時間がかかる。 しかし、仕掛けた方は脊髄反射の世界で1桁早い動作を起こせる。 これは岩立先生の常套手段だ。(それと相手に竹刀を押えさす) その瞬間、西村が今まで打ったことがない鋭い面が出た。 こんな鋭い面は初めてだ。 これは岩立先生の面打ちである、腰胸脇肘の一瞬の連携である胴体力の発揮だ。 西村にこれが出来た。 相手はその面の早さに全く動けず、面を打たれ、「参った。」と言った。 打った西村も驚いた。 これだ!と拍手喝さいをして叫び体ほどだった。
岩立先生の面打ちに憧れてビデオを何度も取り、先生との稽古をせずにほとんど見取り稽古に終始し研究、分析してきた甲斐があった。 思えば五年越しになるかと思う。
やっと一回出来ただけであるが、その回数ほとんど出来ない早さだ。 なるほど、岩立先生の面が相手を真っ二つに打ち切る訳だ。 ともかく一回出来た。 拍手喝采である。 感激である!
6-岩立先生に打たれない人。
岩立先生との稽古で面をほとんど打たれない人がいた。 それどころか、先生の間、テンポを外し、小手・面を打っていた。 岩立先生の面は竹刀の攻め合いから相手が相気になってきたとき、重心を前にを移しながら右足をすべり出し、少し沈み加減で低い位置から竹刀を擦り込み上げていく。 そうすると相手はその竹刀を押えにかかる。 そこを浮木の原理で、押えさせそこを剣先(竹刀の先)をするりと右に外し、相手の竹刀が流れると同じに面に行く。 相手が強く押すと完全に嵌まる。 普通は真っ直ぐ竹刀を進めるが、先生は竹刀を低い位置からする込むように押し上げてくる。 当然、相手には竹刀を押し上げて攻め入ってくるのが判るから、抑えにかかる。 先生独特の攻め込みだ。 ほとんどの人がそれで見事に面にを打たれる。 この大流れた竹刀の先を戻すことは出来ないのだが、この先生はサッと裏からその面を受け止める。 岩立先生の面が入らない。
岩立先生がいつものパターンで攻め入ろうとして竹刀、手元をを低い位置にして、沈みみかけた時、この先生はすかさず面に出る。 そしてそれが入ってしまう。 岩立先生の攻めの準備のこの沈み加減の時、先生は面を前に押しだすように出ようとする。 この一瞬にこの先生は面を打つ。
それから打ち合いの後間を切り際、岩立先生が面を打とうとして竹刀を立てようとしたとき、そこを見事に小手を打つ。
この先生は相手の気に押されない独特の人生観があるのだろう。 八段が受かる様な立派な剣道ではない。 しかし、独特の鋭い感性があるのだろう。 このような人には剣道の理合いは通用しない。
二本ほど岩立先生に面を押し込まれていたが、それは岩立先生の本当の面ではなかった。 強引な押し込みの面だった。 岩立先生が三本ほどウンと言う感じてうなずいていたのが入った。 岩立先生はこの様なタイプは苦手らしい。 同じような攻め合いのテンポの外れる人には、得意の面が入らない。
西村はこのようなテンポを外した、相気のな人達の剣道をしたいと思わないが、岩立先生との稽古に参考になった。 先生攻略の糸口がやっと見つかった。
7-岩立先生、目黒先生分析
今日は注文したビデオが届いた。 20万円分の数なので時間がかかったようだ。 これで毎日が愉しめる。
一番見たかった東西対抗戦 岩立先生の攻め方と胴体力を使った面打ちを見た。 一本目は裏から攻め相手に正中を取らせない。 表に回って一瞬正中で止め、相手がその剣先(竹刀の先)に意識が止まった瞬間に面に出た。 それが見事に決まる。 二本目は同じ様な攻めから相手の竹刀を回して、相手に打ち気を引きだし不用意に打とうとするところを面に乗る。 両方とも先生の攻めパターンだ。 先生の攻めのパターンがだいたい判ってきた。 全剣連合同稽古連の稽古が楽しみだ。
目黒先生と山田先生の試合は迫力があった。 諸手突きの応酬からの面打ちは見ごたえが有った。 目黒先生の先をかけた動きが面に入った。 これは東西対抗戦だからこの試合になった。 これがトーナメントだったら、山田先生の打ち出さない粘りが勝つかもしれない。 勝ち負けに拘らない、命を懸けた様な突きからの面は最近まれなる試合だった。 最近の稽古は品が良くなって婦女子の剣道と嘆いたのは、乳井先生の嘆きだ! これぐらいの稽古をしたいが、西村にさせて貰えるだろうか。 それが問題だ。
とりあえずはここまで。 順次詳しく分析、研究成果を報告致します。 乞う、御期待!!
7-岩立先生との始めての稽古。
5年間待っていた、岩立先生と始めての稽古だ。 稽古が始まる前に自己紹介をしっかりし、先生について研究した内容を書いたものを渡しておいた。 さて、長い列が繋がっている。 30分以上たってやっと私の番が来た。 身体はすっかり冷えきっていた。 それまでの先生の稽古を見ていると、本調子では無い。 やはり、腕が痛いのだろう。 それでも、あの東西対抗の面が打てたとは信じられない。
さあ!稽古が始まった。 先生はスッと攻め入るがほとんど面を打って出ない。 先生のスッとの攻めに西村は動じず、ゆったり受けている。 そして、ここからだ。 先生の次の瞬間の面を見切って小手に回ったが小手は軽い。 同じタイミングで胴を打ったが一本にはならない。 その都度先生が「そうか!そうくるか!」と言って下さる。 次は先生が攻めを強くスッと竹刀を押えながら入ってくる。 ここで押し返すとくるりと返され先生の得意の面が出る。 西村は押された力を利用して同じ様な原理で面を打つ。 剣先(竹刀の先)は当たるが、打っていない。 今度は、西村が右足をゆっくり出し、そこを先生が押えた所を同じ様に面を打った。当たる所までは行く。 「なる程そうくるか。」と聞こえる。 しかし、体は流れ刃筋が立っていない。 何度も西村の竹刀は先生の面に当たるがそこまでだ。 何しろ、先生に打ち気が無いから難しい。 しかし、先生の腕に負傷が無ければ、西村が竹刀を押えられた時、展開は違っていたと思う。 今回は先生のパターンを西村が使って対応した。
先生が稽古終了後、「私が攻め入って、貴方の竹刀を押え後どうなるか、そこをお互いに研究しましょう。」と言われた。 西村「そうですね!あの押えに反応した時先生の面が来ますね!そこを気をつけました。と言った。」
礼が終わった後先生に挨拶に行くと、「ズルズルと出てくるので、お互いが最後まで合いませんでしたね!」 西村はスルスルのつもりだったが、先生の評価はズルズルだった。- -反省!!! 先生は打ち気がほとんど無く攻め気まで、西村はやんわり後の先狙い。 気の戦いだったが、どこかすれ違いだった。 この次は違う剣道を心掛けて見よう。
さて、先生の手口、考えていることは良く判るが、一番難し所は先生が押えに来る前にスッと攻め入る前進の瞬間の動きを捉えられ無かった事だ。 この動きの気配が全く感じられない! ここが岩立先生の岩立先生である所以であろう。
稽古後更なる考察。
先生の右手の不調で最初の二本の面への、以外は攻めの範囲で止められたのかと思う。 先生は西村との稽古は始めてでも、西村は心でラブ・コールを送り、先生の稽古、試合は物凄い時間見てきた。 今回は先生にほとんど打たれることはなかったが、その理由の一つに先生の右手の不調、 西村が手の内の研究し尽くす程していた事(おそらく先生自身もご存知ないであろう攻めパターン、重心移動、右足からの入り身、手の内等の研究がほぼ完成していたこと。) それがなければ、おそらく引きだされて打ち込み台になっていたと思う。 それなりに先生を研究した成果はあったと思う。
最初の二本は面に来たところを小手、同じく面を来たところを胴と竹刀は当たった。 それは当たった所までで終わりだった。 ここは先生の攻めからの面は十分に読める。 次に、先生がスッと入ってきて、竹刀を押えた。 押し返すとその力を利用して竹刀を返して面に来るのは判っている。 前にも書いたが、そこは当たるまでだった。 先生から稽古後の一言があった。 「押えを返した後の竹刀が回ってくる。」と注意を受けた。 先生の攻めはことごとく、かろうじて凌げた。 そして、返す刀で打つカ所は捉えた。 しかし、ピシッと入らない。 自分でもそこが疑問であった。 岩立先生も相手が押し返す力を利用しているで、剣先(竹刀の先)が回っている。 何故か西村のはしっくり来ない。 今回、自分の稽古を撮っていないのでその理由が判らなかった。 そこで、先生の沖縄の八段戦を十分見たら先生との違いが判った。 先ず一番大切なことは先生の腰が(体)が先で入ってきている。 次に用の先、竹刀の押えは先生に主導権が有った事の二つが決定的なのだ。
次に技術的な竹刀の操法の所で先生との決定的な違いが判った。 先生は相手が竹刀を押えたト瞬間、その押しの力を利用するのに、腰の動きに乗せ、左手をグッと前に押しだし、右手を緩め頭の上まで軽く竹刀の先を持っていく。 このときは右手が完全に緩めてになっている。 この左押し手、右手緩め手がキーポイントだ。 これは雨宮さんに指導し、彼が気がついた竹刀の操法の大切な所だ。 先生の竹刀は頭上に来るまで回っているが、頭上から面を打つときは真っ直ぐ両手が伸び一直線に竹刀が面に延びていく。
これに引き替え、西村の返しは先生の力を利用するまでは同じだ。 しかし、右手が竹刀の先を回す力が働きその右手の回す力の延長線上で竹刀の先が大きく回っている。 相手の押えを右手で(引き手の力が働き)竹刀を抜いている。 先生のは相手の押えを左手で竹刀を抜いている。 竹刀操法の決定的な違いだ!
先生は剣先(竹刀の先)が頭上に来た瞬間、右手は押して左手は押し気味のやや引き手手となって加速を持った角速度の早い面を打たれている。 手首のスナップ、茶巾絞りの良く利いた手の内の面になっている。 しかるに、操法を間違った西村面は折角のチャンスを剣先(竹刀の先)が遠回りした頭上で振り回した形で面に当たっている。
これは返し胴も指導をするときに、いつもこの剣先(竹刀の先)の動きの違いを注意して教えている内容と同じだ。 自分が返しの面打ちで同じ操法の間違いをしていたことに気がついた。 この操法の違いは剣先(竹刀の先)のスピードは天と地程に差がある。 これは刀の操法とも一致する。
さて、今回の稽古は西村には価値がある稽古だったが、先生の八段の修業に書いてある岩立先生の元立ちに懸かる心得とは違った懸かりぶりだったので、先生にはいささか失礼をしたかもしれない。 今回、西村は先生と位の立合いをしてみたいと思っていた。 結果は押された気はしなかった、先を読んで返したと思っていた。 後の先を狙っていたのは不遜な心掛けだったのか。 しかし、これは浅はかで、右足の攻め入りは気がつかず、絶えず先生の先が利いていた。 結果として、後の返しで終わっていた。 押えられる前にスッと体を入り身にして、軽く押えた結果先生の力を利用ししっかりとした操法で面を打ちたい。 後の返しではなく、後の先で打っていきたい。
次回までにこの操法を十分研究して、稽古をしておきたい。 先生との稽古は岩立先生が元立ちに懸かる心を良く読んで、失礼のない剣道を心がけてみる。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:丹羽さんへ、西村の注釈-2。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年8月10日(金) 丹羽さんへ 土曜日に貴方が岩立先生に修正してもらった打ち込みは素晴らしかった。 どのように打つと良いと教えてもらったかを皆さまにお伝え下さい。 あの打ち方では、相手にコテを押さえられる事はないと思います。 腰の出方、進み方、手元の上がる時期、胸の力を使ったあの方法を皆さまにお伝え下さい。 皆さまはそれが出来なくて苦労しています。 よろしくお願いします。
西村先生、こんばんは。Resが遅くなって申し訳ありませんでした。 さて、稽古終了後
@最初に足の構えから、修正していただきました。 特に左足の踏み方です。 左足の「勇泉」で立ち、ここで蹴り出すことを教授していただきました。左の膝の裏がスッと張った感じでした。
A次に右足の踏み方です。 「紙一枚の教えだ。」と先生は仰られました。 左足をしっかりと軸足にして立つと、右足が自在に操れます。 「こうしてみろ!!」と岩立先生が左足だけで立ち、右足を「前、後、 右、左とほんの僅か浮かせた状態で右足を操られました。
Bさらに構えについて、「懐が狭いんだよ!!、胸を広く構えるんだ よ」とご指導下さいました。 恥ずかしい話ながら、今まで左手を前に出せば懐が広くなるものと考えていましたが、前後より左右の間隔を広くし構えに、そして気持ちにゆとりを持たせることの大切さを教えていただきました。
Cいよいよ面に飛び込んだのですが、 「おまえな、そんなに早く右手で 起こしていたら小手を打たれるぞ。」と、一言。 左足の勇泉の押し出しというか、蹴り出しによって右足がスーッと滑り出す。 そして、そのまま相手の面臨み、最後の蹴りで右足の着地登同時に面を捉える。
Dインパクトの瞬間のあまり細かいご指示は頂けなかったのですが、 2度ほど先生が示された姿を拝見しておりまして動作の開始から何一つ 無駄なく一直線に相手の面に伸びておられました。 西村先生が御提唱される、「胸を下ろす」教えと同じなのかもしれませんが、左右の肩がスッとおりて、さらに鳩尾前に収まっている左手に右手がより接近 して見えました。 文章に表すのが下手で恐縮です。あまり、参考にならないかもしれませんが、ただ最近自分の稽古の中で左足の勇泉で立つことにより体に一本りっぱな線が通ったような感覚があります。 そして前に跳ばないで、上に跳んでいたようです。 (ヒントは授けたぞ!後はおまえなりに研究してまた千葉へ来い。) そんな岩立先生の声が聞こえたような気がしました。 西村先生、以上ですが足らない部分が多々あるかと思います。 先生の補足が頂けましたら、幸いです。 よろしくお願いいたします。 ------------------------------------------------------------------------
丹羽さんから 1-最初に足の構えから、修正していただきました。特に左足の踏み方で す。左足の「勇泉」で立ち、ここで蹴り出すことを教授していただき ました。左の膝の裏がスッと張った感じでした。
注釈 これが膕(ひかがみ)の伸びた状態です。 人間は歩行の時、 例えば、右足が左足の横を通り過ぎる瞬間は片方の足に 完全に体重を乗せます。 このとき、足の膝関節は完全伸展しています。 このヒザが完全伸展しなくなったり、力の方向(ベクトル)が狂うとヒザを痛めます。 これはヒザ関節の回りの靭帯が固定され、ヒザを取り巻く屈筋、伸筋がニュウトラルの状態になります。 催眠でイスで両端を支えたヒューマンブリッジも同じ原理です。 それ故筋肉に疲労が来ません。 だから、人間は何キロも歩けます。
このとき、足首も同じで靭帯で固定されて、筋肉を使っていません。 このように足首、膝関節が消えた状態に、棒状になります。 これだと、長い時間耐えられます。 筋肉にそれをゆだねると、7秒が限界です。
さて、西村はこの完全伸展を長くやってみました。 そして、次のレベルの生理的範囲で膕を伸ばしながら、ヒザを緩める極意を身に付けました。 それが、武蔵の身体の緩みです。 歩行においても、全く棒状の所から軽くヒザが緩み加減になるところがあります。 人間は最小限の筋肉を使って歩行する知恵を身体が生理的に持っています。
このように立つと、左足体重で、右足が自在に動かせます。 この右足の使い方で『月影』ができます。 多くはこの『膕を伸ばす』が出来ません。 そして、重心が四分六、七三に左に掛けれるようになれば大したものです。
さて、蹴りだす前があります。 それは下肢の後筋を使って、腰を押出す動作です。 このとき、右足を滑らせます。 これがうまいのが島野さんさんです。 起こりが見えない前進の体の攻めは入りです。
この間、鍋山の稽古を見ましたが、未だ右足重心です。 特に当てあい、飛びあいの選手生活では皆さまそうです。 この辺りは前にさんざん書いた事があります。 ここまでが、左重心、膕を伸ばして、後筋で腰を押出すです。
丹羽さんから 2-さらに構えについて、「懐が狭いんだよ!!、胸を広く構えるんだ よ」とご指導下さいました。恥ずかしい話ながら、今まで左手を前に 出せば懐が広くなるものと考えていましたが、前後より左右の間隔を 広くし構えに、そして気持ちにゆとりを持たせることの大切さを教え ていただきました。
西村注釈 肩を落し胸を広げるのは、肩甲骨を下げ胸を開き次に、胸を閉じ、打ちだすときの最大の動きを得るために必要な予備動作です。 西村が指導するとき、相手の胸が出たら打てと教えます。 打つ前の胸を出して打つ準備をするからです。 これは、無意識レベルでやります。 だから、ここを掴めば相手の無意識が打つと決め、有意識が打つと決める間に入り込めます。 これを無意識を動かし、相手をとる技です。 本人が気がつかない内に、先に本人の動きの先を読むわけです。
貴方の構えは肘を絞め、両手がやや前に出ていましたから、後は竹刀を振り上げるしかない。 胸の力、胴体力が無い状態でした。
川瀬先生の鋭いコテ、面は胸を開き、少し拳の位置を高めいつでも拳が前方に、ロケットを発車する様に準備されています。 この間これで打たれましたね。 岩立先生の両拳の押し出しは前に書いた通りです。 基本的には同じです。 この時、一瞬早く左拳が腰のエネルギーを表現します。 そして右となりますので軽く振りかぶることになります。 西村は右手の上腕の屈筋は全く使いません。 岩立先生は使われる様です。 それで、先日筋の断裂をされていました。 基本的に竹刀の振りかぶり、振り降ろしには屈筋は使用しません。 これが極意です。 岩立先生は剣先を立てる時に、屈筋を使います、それで筋を痛めたのです。
まず左の押して、その時右手は緩め手。 次に右手が押し手、最後の瞬間に左が腋を絞めて引き手。 この最後が茶巾絞りになります。
拙い例の典型が、右手肩、上腕筋を使った竹刀の引き上げです。
丹羽さんから 左足の勇泉の押し出しというか、蹴り出しによって右足がスーッと滑り出す。そして、そ のまま相手の面臨み、最後の蹴りで右足の着地登同時に面を捉える。
西村注釈 3-右足がスーと滑り出す、このときは腰の押出しで、未だ蹴りに入る前です。 ここが一番重要な所です。 相手から見ると、前に出てきているようでそうでもなさそうと悩んでいます。 西村、島野さんはこの時間が長い。 すると、相手はこらえ切れずに打とうと起こります。 その瞬間に左足を蹴って打ちに出ます。 この反応が内前に蹴って打つと必ず、コテか胴を打たれます。 相手が反応し動作を起こすと、途中でそれを変更できません。 左足が蹴ると同時に、左拳が竹刀の柄頭を押し振り上げ、右足が着くと同時に振り降ろし(サイクル)完了です。 体の前進の1/2ぐらい過ぎて蹴りが入り、竹刀が動く。 このとき、胸を前の方に絞めると肩が前に出て(パルト)竹刀を押し出します。 胴体力の利用です。 西村の剣道は横から見ていればスローモーション。 前に立つと、一瞬に目の前に居ると言われます。 起こりが見えない攻めは入り、相手が苦しくなって反応したら、蹴って打つ。
丹羽さんが『岩立先生の教えを意識しただけで、あれだけ変われる。』 剣道はいくら稽古をしても駄目です! 前に進むべき道筋を研究するか、指導してもらうかしないと足踏みで終わります。
西村のまとめ 『左足でスックと立ち重心は七三、四分六。 右足は自在に動く余裕を持つ。 腕は両肩からだらりと落し、小胸を出して構えを大きく取る。 左拳は竹刀の先が中墨を取る(相手の左目)様にやや前に出し拳半分から一つ分あげて手首を締める。 左足の裏で(湧泉)で左腰を押出すように、後筋を使い体を前進させる。 その時、右足は床を滑りながら前進する。 これが攻めは入り。 相手がこれに気で応じ切れなくなたり、苦しくなって打とうと色を見せた瞬間(相手の小胸が前に出る、打つ準備を無意識がした)に左足を蹴って左拳が竹刀を押し上げ、次の瞬間右手が押し出しとなる。 面に当たる瞬間、に左手の拳が鳩尾方向に腋を占めることによって引き手になる、右手は最後に中筋、下筋を使い親指が相手の咽を突きに行く様に伸ばす。 これで、面に当たる瞬間竹刀の下方方向の角速度が最大となる。 胸の開きが閉じる〔絞める)時の力が物凄いエネルギーを生み、 この胸が締まらないと左手が納まらないし、右手が伸びない。 【竹刀は当てに行かず、打ちに行かず、腰を入れて喉元まで切り込みに行く、この意識で竹刀を操作する。】 そうすると、腰の入った十分な打ちに納まる。』 ツリー全体を読む
△上に戻る ネット仲間のミニコンサート(稽古報告) 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月27日(金) 昨日は夏井さんが上京し、西村の診療室に夕方来た。 剣道談義に花が咲き、それに不思議な奇跡のビデオを見せた。
明日は彼は野間道場の朝稽古に行く。 島野さんさんはもちろんだが、高杉さん行くという。 朝起きに辛い西村、診療に間に合って帰れるか心配の西村。
夜遅くまで勉強していたので、きっと翌日は目が開かないと思った。 寝たのは一時、そしたら二時に目が開いた。 そしてまた寝たら、今度は四時に目が開いた。 どうやら、野間道場の朝稽古に行きたいらしい自分が見えた。
朝早いが、昨日の勉強の続きをすることにする。 二時間勉強したところで、防具を整えタクシーに乗る。 自分でも笑ってしまう。 朝早く目が開いてしまったのは、まるで子供の遠足だ。
道場に着くと訪問者欄に既に、夏井、高杉の名前が書いてあった。 先生方に挨拶をする。 長堀先生、加藤先生、小泉先生、大河内さんなど、 場所は違うか旧知の先生方が多い。
元立ちの一番端にたった。 夏井さんと稽古をする。 京都の時と違って、しっかり腰が入り強烈な面が飛んでくる。 突きに来る姿勢、スピードも申し分ない。 この調子だと7段間違いなしだと思った。
西村に面を打ってくるとき、 中心を押さえられているので身体がやや右に開いた。 注意すべきところはそこだけだった。 注意した後は真っ直ぐな面になった。 後は打つ前、技前の処理に意識が行くと満点だ。 この部分で西村に料理されてしまって、打ち取られる。 それにしても、五月の剣道とは雲泥の差だ。 泉流の剣風見につき、凄みを持った突きになり立派だった。 後は相手の心を動かす術を身につければ、鬼に金棒だ。
高杉さんは相変わらず素晴らしい突っ込みだ。 相打ちに面に出ようとは思わない。 突きも素晴らしい。 ただ、夏井さんに比べ、未だ剣道が若い。 でも、今の年ではそれで良いのだろうか。 自分から打ってきたときは十分だが、 その少し前に西村に引きだされる。 ここの心理的踏ん張りが課題だと思った。 隣の人との稽古を見ても、入り込まれて面を打って小手を取られていた。 その辺りが課題だと思う。 ただ、剣道を再開して間が無いので、仕方がないことだとは思う。
島野さんさんとは久々に竹刀を合わせる。 相変わらず柔らかく、洞察量が鋭く、心が動かない。 前の二人と違って引き出す事は出来ない。 島野さんさんの心を掴む事は出来ない。 彼の真骨頂がこれだ。 時間がゆっくり有れば睨み合いも良いが、少々時間がない。 西村が攻めは入り、少しアクセントをつけ強引に打って出た。 数本軽いが入ったようだ。 でも、これは当たったので彼の心は動いていない。 お互いに合い気になった瞬間が有った。 彼は稽古では、ここで捨てて打ってみるのも必要かも入れない。 ただ、彼の考え方があるのでそこでは打たないのだろう。 審査員はこの一瞬に勝負をかけ、捨てる事を望んでいると思うのだが。
さて、野間道場には他では見られない剣道をする人がいる。 西村が行くと必ず来られる。 それは西村だけでなく、訪問者には必ず行かれる人だ。 間合いにどっぷりはまり、そこで撃ち合いをする。 まさに体を進める事無く、当てあい、叩きあいする剣道だ。 少しお相手をして、参りましたと言って終わってもらう。 意気揚々として引き上げていった。 それが楽しみの剣道らしい。 毎回一人は来られる。
7段の強い人が来られた。 大きな面、大きな小手面を身体から打ってこられる。 西村の竹刀が中心に有ろうと、心が動いて無かろうと関係なく打ってくる。 彼の竹刀が面に来る前に西村の竹刀が咽を捕らえているが、 おかまいなしだ。 自分勝手な剣道だ。 この人の人生がそうなのだろう。 未だ、剣術を楽しんで剣道になっていない。 あの佐藤博信先生に入った突きと同じ突きだ。 遠慮をして触るだけにしているのに。 他所様の道場ではやはり、無遠慮な事は控えたほうが良いとの配慮だ。 最近の西村は男の意地の張り合いをしない主義だ。 西村に本当に此の様な面が入るなら、7段ではなく八段だ。 しかし、八段になる人は中心を取っていて、心が動かない相手に面は打たない。 相手が本気なら咽を突き破られてしまうからだ。 この人は中心の取りあい、心の動き、理合いが全く判っていない。 大きく強く前に出て押し込んで打てば勝ちと思っている。 八段を受ける強い7段にこの手の人が多い。 そして、本番で叩きあって相打ちで落ちる。 永遠に落ちていく。 八段の壁を越えれない。 受験者のほとんどが皆そうだ。 合格する人は相手の気を十分察知し、その動き所に十分な打ちをする。 この気のやり取り、心のアヤに意識の無い剣道は、 所詮叩き合いで終わってしまう。 西村の心が全く動かないのに小手面を打ってくるので、参りましたと頭を下げて終わりにする。 すると、その人は西村の上席に元立ちとして立った。 やはり判っていない。
賀来先生と原田先生の京都の立会いを思いだす。 原田先生が大きな面を打ってそれが当たる。 しかし、賀来先生はピクリともしなかった。 それが二回あった。 西村は師匠の原田先生の面が二本決まったと喜んだ。 しかし、原田先生が面を取った後西村に言った。 「今日の賀来先生は動かない、全く動かない。 今年は負けだ! 今年の賀来先生は凄い!」 西村は原田先生の面を評価していた。 しかし、原田先生は、相手が全く動かないのに打ってしまったと思った。 打てないのに打ってしまった自分がその時点で負けたのだ。 このとき、始めて賀来先生が凄い先生だと判った。 そして、『剣道は打つ打たれるの形の奥に、真の勝負がついている。』 このことを知ったのがこのと時だった。
小柄な外人さんが懸かって来た。 素直な大きな見事な面を打つ。 恥ずかしながら西村が遠く彼方へ忘れてきた、基本打ちの面だ。 頭を除けたり、竹刀で摺り上げたりするのは勿体なかった。 そのため、立派な面を数本、しっかり面蒲団で受けてあげた。 その後、少し間合いを切って十分な気位で対応してあげた。 そうすると、引きだしてのコテ、摺り上げ面の左右、返し同、上から乗っての面とすべて入る。 これから、剣道の妙技を知ることになるのだろう。 その手ほどきを兼ねて打ってあげた。 相手は剣道の奥を感じ取った様だ。 打たれる度に納得と頭を下げられた。 この外人さん、本物の剣道を目指していると感じた。 心の置き所は前述の強い7段と全く違う。 日本人の剣道家でもこの外人さんの様な人は少ない。 すがすがしい気分で稽古が終われた。
今朝の稽古は夏井さんが上京して、野間道場へ行くと言った事がきっかけだ。
高杉さんと夏井さんは剣道の話しに花が咲いていた。 特に高杉さんは夏井さんの和泉流の手の内の良い突きに、いたく感心していたようだ。
今日は久しぶりに島野さんのさわやかな笑顔にも出会ったし、 朝稽古も良いものだと思った。
防具の着装を着替え室でしょうとして、望月さんに注意をしてもらった。 行った先の道場の習慣等をいち早く察知出来なかったのは西村の油断だった。 十年前には同じく野間道場で、立って胴を付けようとして注意を受けたことがある。 西村の不徳の致す所です。
帰りもタクシーで帰った。 行きは高速で時間がかからないが、 帰りは約1時間懸かった。 行きはヨイヨイ、帰りは怖い。 交通費は16000円 お金より、チョト時間が気になる一日であった。
ネット仲間のミニコンサート報告でした。
明日は丹羽さんが来られる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 勝負が無くなってしまう! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月25日(水) 今日は中央区の体育館に出稽古。
前に一度行ったことが有るが、床が滑って危ないの出遠慮をしていた。 最近、床を削り直したと聞いたので行った。 何しろエヤコンが入っているのは有りがたい。
土、日、月と三日連続で稽古をした。 歩み足のよちよち剣道だが、何とかなりそうだ。 今日は午後から経営指導日で午後はほとんど疲れていない。 それで、中央区の体育館へ行った。
三日軽く剣道をしたせいか、感が蘇ってきた。 それに、他所様の道場に行くからには気合いが入る。 7段の並びの端の位置に入れてもらう。
今日は恥ずかしい剣道が出来ないので、やや軽めの竹刀を使う。 最近、重すぎて大変な竹刀を使っていたので、まるでサオの様に軽く感じる。 稽古に来た人を自由自在に打つことが出来る。 快刀乱麻の様な切れ味だ。
二刀の佐々木君と稽古をする。 やっぱり二刀は強い。 あの千葉さん、それに範士八段の先生が向きになっているだけの事はある。 さて、打たれた時に腰が入っていないので打たれた気がしない。 長刀の小手を打つことは出来るが、相手に知らん顔をされると難しい。 審判の旗のあげ具合になってしまう。
彼が面を打っても西村の心は全く動いていない。 このときに打った面をどのように評価をするか。 八段戦でも、相手の手元、気が動いていないときは一本と評価されない。 彼が審査に臨んだ時、審査員を納得させる打ちにすることが大切だ。 彼は十分強く、そして簡単に打つことが出来る。 しかし、納得させる打ちをする必要がある。 彼ならそれが出来る。 二刀で7段を受かって欲しい!
西村の胴が目を引いた様だ。 右に左に、左右二つ胴を思うように切り分ける。 ちょっと手ほどきをしてきた。 手元の切り返しの、その早さに皆さまが驚いた様だ。 出稽古は快い緊張感に包まれ、久々に快感を感じる動きが出来た。
徐々に足も回復してきている。
着替えの時に或る先生が言った。 「その身体で思うように動けるのですね! どこにも緊張が見られない、柔らかい! 自由自在に動いている。 竹刀の動きは見えない位早い!」 此の様に褒めて頂いた。 左足は80才の老人並の状態だが、歩み足、引き出しが上手く行くとそれを感じさせなかった様だ。
前に出れ無い分、左右に開き摺り上げ面、返し胴、大きく引いて抜き面、 出小手、大きく面を打たせて、左右二つ胴に引き面の三連続技も決まる。 ゆっくり前に出て、面を打たせて切り落し。 身体が思うように動いてくれる。
最近の稽古の目的は痩せる事だから、面を打つより身体全体で自在に動き、体中の筋肉を使うことを主眼に置いている。
強さは、昔に戻った見たいだ。 それに一味、風味が加わった様だ。
今の西村は誰と稽古をしても負けるとは思わない。 自分が心底そう思っているからだ。 打たれたって、切られはしない、殺されはしない。 相手が勝手に竹刀を当てに来るだけだ。 西村の心を切れる程の人はいない。 そう思ってしまっている。 そう思ってしまえば、そうなる。 相手が上手く当てただけでは、竹刀競技にはなるが剣道にはならない。 そこの意識をしっかり持てばそれまでだ。
そうそうたる範士八段と稽古をしても、負けたと最近はほとんど思わない。 西村が竹刀で対峙して、感じ取る生き様でほとんど遅れをとる人にお目にかかれない。 ここが決まれば、勝負はもう無くなってしまう。 後は快い緊張感を味あうだけだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 改めて、切り落としを! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月23日(月) 改めて切り落とし。
土曜日久しぶりの千代田の土曜稽古に行った。 川瀬先生八段に足の不調でご無沙汰した事を告げる。 京都で杖をついて歩くのがやっとで、一歩が出ない状態で剣道をしたことを言った。 そこで、相手が打ってきた面(ほとんど引き出したのだが)をほとんどすべて切り落としたことを話した。 川瀬先生が言った。 「みんな面の切り落としをしたくて必死になっている。 しかし、ほとんど出来ない。 試験でやって見せれば八段は受かるよ。 先生方がしたくて出来ない事をやって見せれば、三重◎だ。 先生方だって驚くよ!」
前にも書いた事が有るが、竹刀に刀の反り、鎬が無い所が刀の技が出ないところだと言われている。 その延長線上でそのために、竹刀では切り落としが難しいと言われていた。 西村は京都ではほとんど相手の面打ちを切り落として、そして見事に決まる所を披露してきた。
竹刀には刀と違い、刀に比べ物にならないぐらいに厚みがある。 自分の刀を正中に上から切り落とせば相手の竹刀は弾け飛ぶのは必定だ。 よって前述の理論は通らない。 自分が出来ない立派な理由を付けているに過ぎない。 その証拠に西村に切り落とされた竹刀は弾け飛んでいた。
これは前にも書いたが、体の運用、相手と自分の力のベクトルを考えれば簡単に解決する問題だ。
身を上に延ばすように胸を出す。 そうすると、相手は面に来ると思い面に打ってくる(相手を引き出す)。 このとき、1/4位しか体を進めず、両拳を真上に押し上げ相手が見える位にする。 このとき、決して竹刀の先を後方に持っていかない。 相手から見ればこちらが余り前進しないから、身体を伸ばし手を伸ばして面に届かそうとして伸び切っている。 拳が身の内から離れ脇が開いてしまっては間が延びた一本の長い棒の様な物だ。 しかも、竹刀の力の方向は前進の直線的な動きだ。 この伸び切った状態の竹刀を気にせずに、真上から真下に喉元まで胸を下ろして切り込む。 左腋はしっかり締まり、肘は内筋を活かし力が外に逃げないようにしている。 手首は中筋が通ることにより、固定されている。 (ゴルフスイングの左手首固定、ボーリングの手首固定と同じ) そうすると、竹刀の下に落ちる力は胸を下げる胴体力が直接懸かることになる。 しかも、その時竹刀の物打ちで打とうとはしない。 相手の竹刀を鍔で叩き落とす感じで、切り落とす。 このとき、竹刀の先を早くしょうとして手首に力を入れてこねると力が抜けてしまう。 これは右手の押しと、左腋の絞めに寄る左拳の引きの手に打ちとする。 打っていった時の拳の高さを目標としないで、このときばかりは胸まで切り落とす感じで竹刀を切り下ろす。 そうすると、最速の時に相手の竹刀、面を打つことになる。
相手の左拳が動く前に自分の手元をあげると、小手を打たれる。 相手の左手が動いた瞬間に自分の手元を上に押し上げ、ギリギリまで引きつけ相手が伸び切った時に切り落とす。 相手に体を進め前進すると、相手の竹刀に威力が有るので切り落としは出来ない。 相手の竹刀が六分、自分の竹刀が四分(3:7でも切り落しにならない) 面返し胴をギリギリまで引きつけて胴に切るに似る。 そうしないと、京都で西村が切り落とした様には出来ない。
技術的な事はいつでも教えます。 そして、直に習得することは出来ます。
難しいのは内面の問題です。 十分に攻めた後、相手に我が身をさらし、面に行くと見せる。 そこで、相手の手元の上がる反応を見る余裕がないと小手を取られる。 この一瞬を自分の手元を動かさずに、相手を見ている心の余裕が有るか? ここが一番習得の難し所です。 打たれたくないと思えば使える技では無い。 打ちたい気が消え、我慢比べで相手を許す気持ちが無いと出来ない。 十分な攻め合い、相手がもう我慢できない状態に追い込んでから 自分が我慢できない振りをして打ち気を見せる。 気の実のぶつかりに虚を見せ、そこに相手が実で打ち込んでくる。 相手の実が既に消えようとする瞬間、真上から実の気と竹刀が真下に落ちてくる。 自分が相手に合わせて打ちに行くと、相手の実に自分の実がぶつかり切り落としは成功しない。 相手の気の実も体から発した竹刀の実も既に消えようとする瞬間を、 「そこが貴方の甘いところです。」と心で囁きながら教育的打突をもって、 指導してあげる。 此の様な気分でないと成功しない。 勝負を賭けた様な争いの場面では出ない技だ。 賀来先生が古川に打ったあの三本の面の感じだ! 心の余裕が成せる技であるから難しい。 ここを教えるのが一番難しい。
先日書いた『相手の竹刀を、フーッと息で押さえる心境』にならないと出来ない。
岡田さんがこれを習得すれば、鬼に金棒。 相手の伸び切りを使えば、身長は補える。 ツリー全体を読む
△上に戻る 久びさに自由自在な剣道! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月22日(日) 昨日は久々に本格的な稽古に入る。 まだ身体が動かず、おっかなびっくりの稽古だった。 打たれることは無いが、面を打ちには行けなかった。 28人ぐらいの稽古だったと思う。 気の張りで向かってくる人は数人だった。 この人たちには見事に入る。 突き、逆胴、刷り上げ面、面返し胴、押え小手。 ほとんど歩み足、最近竹刀も打っていない。 しかし、何とか時間一杯稽古ができた。
七段元立ち出で西村より上席にいる先生が川瀬先生教師八段に懸かっていた。 言葉のように懸かっていった。 見事な出足、見事な打ちそれは素晴らしい。 彼は元立ちの時もそうだが、先をかけて打っていく。 先を懸け、攻め入ったまま打っている。 相手が格下だと簡単に入る。 相手が格上だと、簡単に胴に返される。 昨日の川瀬先生は冴えていた。 彼を相手に見事な小手、見事な胴、見事な面を打っていた。 彼を西村をイメージで置き換えた。 おそらく打たれないと思った。 彼は打気が強いから相手が見えなくなる。 彼はそこをつかれていた。 西村の場合は「先生!面に打ってきませんか!そのかわり返して胴をいただきます。」と心で呟きながら攻め入っていく。 先生は打て出れない。 もし面にくればしめた物だ。 ただ、深入りすると内小手を打たれるから注意が必要。 このようの先に打とうとして攻め入ろうとすると、相手に引き出されてしまう。 その逆に責めの休みの間に入られてしまう。 強い七段の先生も剣道の本質を研究する必要がある。
剣道は先を懸け、相手の心を動かし、相手の胸が出た時、左手が打に動いた時、相手の一番打ちやすい所を打つ。 身体が懸かりで、剣が待。
今日は前日に身体を動かしたせいか、身体が軽い。 そして、警視庁の副主席師範の中田先生が来ていた。 面白いもので、その影響で西村の気分と技に冴えが加わる。 体で攻め入り、ギリギリのところで胴を抜く。 同じように攻め入り、相手が居着くと突きが入る。 その他返し技、歩み足、左右二つ胴、自由自在に入る。 重い重い竹刀だが軽く扱える。 久しぶりに、強い西村の復活だった。
昨日、女生と稽古で気位にまけていた彼が、今日は打ってかわって良い剣道をしていた。 西村が彼に言った。 「昨日は不合格、今日は満点で丸。」 彼が言った。 「昨日をしっかり反省してやりました。」 「攻めを利かし、右足で引き出して打ちました。 攻めるだけで無く、引き出す余裕が七段の稽古だ。 彼はそれを立派にやってのけた。 近々には七段間違いなしだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 泉先生の分析-1 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月10日(火) 泉通四郎先生のビデオから。
序 見事な掌中の冴えを見せて頂きました。 まずは感謝致します。 現代の試合中心のタインング的な剣道には無い、昔の剣道の素晴らしい技が見れました。 高野左三郎一門の剣道を彷彿させます。 高段者になれば此の様な剣道をしたいものです。
総論 この剣道の形は関西の京都武徳会流の遠間からの面打ちの剣道に対し、 関東流の近間の剣道、腰の切れと掌中の作用が主体の剣道かと思われる。 最近の剣道は京都武徳会の出身の十段持田先生始め京都武徳会の先生方が東京の警視庁、国士舘等主要な師範となられ、遠間からの面打ちが称賛されるようになって余り見られなくなった形です。 今日は全剣連合同稽古に言ったが、此の様な技の冴えを使われる先生はほとんどい無かった。 東京の墨田区の範士八段・長堀先生の掌中の作用が似ている。 それに、野間道場の鏑先生も似た技を使われる。 いわゆる東京の道場稽古である。
各論 さて、このビデオを見て真っ先に思い出したのは範士十段・乳井義博先生のビデオです。 高野左三郎の門下で秀逸なる剣道家で高野先生より十段を頂いたと聞く。 乳井先生の技と腰の切れは天下一品で有ったと聞く。 西村は乳井先生のビデオを見て、左右二つ胴をマスターした経緯がある。 乳井先生が東北大学の学生に技の説明をしているのをビデオで何回も見たことがある。 すべての動きが足の捌きと腰の切れそれに掌中の作用が利いた素晴らしい物であった。 すべての中心が腰の動きで足が動き、腰の動きで肘と手元が動く。 腰の動きで間を盗み、一瞬に間を詰め、間を開け、左右にいなす。
乳井先生・泉通四郎先生の構えも手の内も腰の動きは全く同じです。 胴体力を使った技です。
特徴をあげます。 1-打った時、左拳が右手の下に来るぐらいに肘が絞られている。 エネルギーを身体の外に逃がさず、竹刀に伝える。 ゴルフのインパクト瞬間に似た腋、肘の絞り。 2-両拳は余り上に動かず、前に前にと出ていく。 (胸を絞めて拳を出し、腰を落とし、胸を落とし相手の竹刀を引き落とす) 3-打ちについてはすべて腰が先行している。 4-右足が空中で面を打たないで、着地と同時に面を打っている。 5-竹刀の先は余り動かないが、身体の力を十分伝えている。
今日は取りあえずここまで。 ツリー全体を読む
△上に戻る 腰と鍔で切る返し胴。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月5日(木) 面返し胴
先日岡田さんが上京された。 診療室で楽しい剣道談義に花が咲いた。 岡田さんは西村の研究・分析の結果をそのまま稽古に反映されている。 有りがたいことだ。 最近は八段ぐらいの人もやりにくそうにしていると聞いた。 八段を受けるには7段に勝って喜んでいても、7段半だ。 八段の先生に気位で押されない稽古が出来る必要がある。 そうすると八段の道が開けて来るような気がする。 今回の岡田さんの話を聞いて、八段との稽古に刃が立ち始めた様に聞いた。 八段相手に攻め入り「さあどうする!打ってみろ!」の気位が大切だ。 この苦しさで、左手をあげて打って出たほうが負けだ。 『瞬間的我慢比べ』の世界だ。 ただ、間合いを考えないと面に合わせにくいし、返しにくい。 この怖さに先に打ちだしてしまい、打ち取られる。
今日の本題はこれからです。 『胴は鍔で切る』 返し胴は中々難しい物です。 しかし、高段者の返し胴は素晴らしい。 返し胴の基本はまず攻め勝って、相手が苦しくなって打ってくるところを受けて胴に返す。 これが基本です。 しかし、相手が苦しくなって打って来た所を返すと、少し遅れ気味になる。 そこで、もっと上手く打つ方法がある。 それは、相手を待つのではその引き金が引かれるのを待つ事になるが、その相手の一番苦しいところで、スッと面を見せる。 それは右足をスッと出して、打ち気を見せる。 フッと息を吐くと攻めが緩むから相手がしめたと思い打ちに来る。 竹刀を下げ、ヒザを緩め面を開けて面を見せる。 (京都大会の神崎先生の胴) もし、相手の感性が高ければ、首の後ろを少し緩め面を見せる。 手の上の球がはじけるのを待つか、ヒョイっとほりあげて掴むかの違いです。 はじけた物を掴むのは難しいが、ポントほりあげた物を掴むのは易しい。
面返し胴を打つ時は、まずは腰の備えが重要です。 右足が自在に使える様に、左足に重心が載っていることです。 相手の左手が浮いた瞬間に前足が相手の方へスッと体をほんの少し押出す。その時、竹刀は相手の竹刀を迎えに行く。 このとき、相手との距離が有れば、大体の人は胴に返せる。 しかし、この距離が短くなたりすると上手く返せない。
ここで、距離が短い場合、相手の竹刀を面ぎりぎりまで引きつけて胴に返す場合は難しい。 もし、これが出きれば相手に身体をさらし、打たせて胴に返すことが出来る。 そうなると、攻め入らなくても打たれに入って返して胴が切れる。 高段者、八段でも見事!と思う人は少ない。
さて、西村はこれを見事にやってのけるから面白い。 西村の得意に二つ胴切り(左右胴)がある。 これは一昨年、田井君が西村に京都で打たれたのを岡田さんが見ていた。 岡田さんが若くて早い相手から二つ胴をどうして切れるのか不思議がった。 とても竹刀を二回返す時間がないのに、どうして出来るのだろうと。 此の様に西村は胴が時です。 範士八段の多くが西村のこ胴にかなり切りて取られる。 名前を上げたいが控える事にします。
西村は面が得意で胴は余り打たない人でした。 あるとき、仙台の武道大会の数千人の観衆の前で、乳井先生が後の九段になられる人に稽古を付けているビデオを見た。 その時、乳井先生が左右胴を打った。 それが見事だった! どうしてそんな事が出来るのかが不思議だった。 そこで、長時間見続けた。 スローで見る。 動きを部位別に追っかける。 一コマ一コマ動きを見る。 あらゆる見方で見ていった。
あるとき判った。 まず、腰が切りたいほうへ(腰が回転している)スッと切れていること。 その腰に右手が引っ張られる様に動いていること。 要は右手の前にある鍔が胴を切っている様に切ることである。 ほとんどの人は手首で竹刀の先端を回している。 これでは、竹刀の先の運動量〔距離、長さ)が大きく、回している間に相手が接近してしまう。
日本刀の動きで、その切っ先がビデオに撮っても映らない凄い早い動かし方がある。 それは鍔で切る方法である。 あたかも鍔で切るように柄を腰で動かすと、刀の1/3位の刃、重い鍔、柄を腰で引き込む様な形になる。 すると、剣先は正円を描かないで、楕円の1/4の焦点に並ぶ所を起点とする動きになる。 相手の剣を受けた時の剣先の位置が、その位置で小円でクルッと回り後はその剣先が胴へ吸い込まれる様に入っていく。 次の瞬間、腰を逆にひねり同じ動作をすれば逆胴になる。 これは相手の右胴、左胴の場合である。
この胴の代表的な左右胴を見せたのは、東西大会の目黒先生だった。 このとき、目黒先生は右へ受けて相手の左胴を打ち、さっと腰を返して右胴を打った。 その瞬間旗はぱっと上がり、観衆のどよめきの声があがった。 私の見たかぎりでは試合ではこれだけだった。 稽古でなく、試合でやったところが凄い。 八段審査で見事にやってのけたら、痛快だと思うのですが、どうですか。 もしも、西村が八段を受ける様なときが有ったとすれば、この位の余裕を持って受けたいと思う。 八段の合格を見ていると、強さを越えた余裕がある人が受かっている。
余談が入りましたが『様は鍔で切る』がヒントです。 その本体は腰の切れと手首の返し、左手を緩め腰に引かれた右手で切る。 しかし、八段の先生を見ても、此の様な胴を切っている人は少ない。
スポーツ的な発想では無く、武術的な動きを理解しないと判らない。 此の様に稽古、練習で身に付く物ではなく、名人達人の技を盗む、研究分析こそが技を身に付ける事になる。
西村の様な177センチ、105キロの巨漢が容易に左右胴を切る。 そう言えば乳井先生も巨漢でした。
竹刀は軽いから腕っぷしで振ってしまう。 鉄の棒である刀(真剣)を柄だけで動かすには腕っぷしでは動かない。 剣先は回転して切って行くのでは無い。 剣先は引っ張られて動くのである。 そうすると重い刀もやすやすと自在に動かせる。 真剣でそうだから、竹刀の先は矢のように早く動かせる。 これがコツです。
これが判れば、相手の竹刀の先を面のギリギリで受けて、胴に返せる。 西村の場合、此の様な時、胴を打った意識がほとんど無い。 ただ、相手の竹刀を見て、スッと腰を右に動かし相手からする抜けた感じがするだけです。 すると、無意識が竹刀を返して胴を切っている。 こんな感じで胴を切ります。
約二年前に書いた物です。 ate & Time 12/18/1998 08:33:59 Posted by 西村雅興
返し技は剣道の妙技
返し技 島野(doujo)さ先生がある方に返し技を説明している文章を見ました。 彼の言う通りです。 滑るように、流すように受けると、相手竹刀の力がこちらの返す竹刀を加速するような力に変化します。これは向かい風を受けたヨ ットが、風上に斜め前方に進む推進力に変化させるような作用です。 大切なのは受けるという意識ではなく、引きだした竹刀を迎えに行く過程ですりあげる様な感じで返 すと言うことです。 江戸川区には古城先生という範士八段の先生がおられます。 この先生の剣道は何とも言えない品が良いのです。 面も素晴らしいのですがこの先生の面返し胴が特に素晴らしいのです。 何年も見て判ったのですが、左に体重が 乗り右足が滑り出し、既に面を誘いに出ているのです。 相手が慌てて打ってくるとき、それは返し技の世界へ引き込まれていくのです。 右足がスーと攻め入ると相手の反応が慌てて出てくる時に決まる技の一つです。 まず先をとって攻め入るのが肝要で少し力に差がありませんと難しい技です。 (この話は、やっと止めて胴に返した技ではありません。)
さてここからが今回本当に書きたいことです。 乳井先生(十段)が今は九段になられた先生方を観衆の前での稽古をでつけている中で、面を止めた 後、左右胴を一気に打ったビデオでのシーンがありました。 一瞬のうちに左右胴を打つのです。 土曜の夜中の三時に外に出 て竹刀を動かして見たのですが、どうしてもそんなに速く竹刀の先が動きません。 何度も部屋に帰りビデオを見ては外に出てやってみましたが出来ませんでした。 朝までそれを繰り返しているう ち、一コマ、一コマ見て判りました。 竹刀の先が返るより膝、腰と手元が先に返って、態勢は既に打っているのです。竹刀の先は最少の動 きで手に元引っ張られる様に動いているのです。これは、真剣を動かして見ると判るのですが、手元 から遠い剣先を一瞬に動かすのは大変です。しかし、手元を腰に付けて動かし、手元の右手のコブシ が胴を斬るように斬っていくと、 剣先はそれに引っ張られるように付いてきます。 多くの人は剣先を返そうとして、剣先が大きな弧を描きますが、鋭い返し胴は剣先も鋭い鋭角的な返 しになっています。 膝、腰、手元が返った瞬間にはほぼ同時に竹刀は胴に入っています。 これは範士八段位の方の竹刀捌きを見ていただきますと良く判ります。 いわゆる手の内の柔らかさが要求される技です。 元立ちに見事に胴に斬って取られる瞬間を思い起こして下さい、なるほどとお思いでしょう。
(復習) 1、位で攻め勝っていること。(もう相手が面を打つしかないと云う所まで攻めあげて置くこと) 2、膕(ひかがみ)が伸び、体重が左足にある事。 3、左足で腰を押し進めながら右足が滑りながら、やや攻め入ること。 (腕に差があれば、攻めを緩め面を見せる) 4、その攻めにたまらず面に打とう (蹴り出てしまうと、この変化は出来ない) 5、すり流す様に受ける(その時は体は半分さばいている)。 6、この時、膝、腰の備えは済んでおり、後は竹刀が触れると同時に返すだけ。 7、後は手の内を締め、体を半分さばく。 8、後はすれ違うだけ。 9、最後に右足を軸にして左足を進めながら振り向いて残心を示す。
これは二段位腕の違う相手と練習して技の原理を十分掴むと 互角の時は膠着状態の時に身捨てて一歩前に踏み出す、その時相手が困った様な顔をして面を打ってくる、すると同じような事が起きる。 その一歩を間違えれば自滅です。 この兼ね合いの見切りを互角同士で練習する。
まあ!この技が使えるようになると相手を使ってる、この技で打たれると使われていると感じます。 やっと面を止めて打った胴は相手の方が上です。 しかし、この胴を打つと「御主出来るな!」の世界に入りま す。
これは若さや、スピードの世界ではないのです。 気位、攻め、理合の世界です。剣道が年を取っても出来るのはこの世界があるからです。 スピードのある若い者が高段者に手玉に取られるのもこの世界があるからです。 昇段審査は審査員が強さ以外に、この辺の理合が段相当に判っているかを見ていることを意識して練習をしましょう。 良き指導者を持てばそ れとなく教えてくれていると思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 師匠筋との稽古方法、八段受験の稽古。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年7月1日(日) ロンドン、マルタ島、パリの旅を終えて帰ってきました。 娘がスイス一年、イギリス二年の学校生活、そしてイギリス大学入学資格試験をかなり良い成績で無事終えました。 それで、イギリスの娘の高校に迎えに行って、それからマルタ島、パリと一緒に行きました。 親元を離れ、異国で三年過ごすと本当に大人になっていました。
マルタでは通訳の関係で勉強がスムーズに行かなかったので、途中から観光に切りかえました。 世界最古の巨石文化、中世の十字軍遠征の中心地、中世騎士道のメッカとして名高いヨハネ騎士団の歴史を感じてきました。
ヨハネ騎士団に入るには、八代さかのぼって貴族であること、そして修道士になること(結婚はできない)、キリスト、人のために命を捧げること。 相続すべきすべての財産を寄付すること。 まことに、日本の葉隠れの思想でした。
さて、本題に入ります。 自分の先生、師匠筋の場合はどうするか。 この人を敵としないで稽古をする。
先日、全剣連合同稽古の時原田先生との稽古で初太刀はあの小手が入りました。 稽古の最後は胴を打たれる事は承知で面を打ちました。 それが、西村が原田先生に打ち込む最後の一本かもしれないとの思いでした。 一瞬の差で胴を打たれましたが、先生は面を打つ余裕はない。 胴打ちも一瞬の差でしかない。 師匠には間一髪位で見事に胴を打たれる面を打つ。 その攻め具合、捨て具合を褒めて貰う。 指導する方も満足、教わる方も満足の両勝ちです。
西村は今では、ほとんどの先生と稽古をして、打たれない自信があります。 最近では原田先生とでも打たれない自信があります。 それは打たさない気で剣道をすればの話です。 だからと言って、打てるということではありません。
原田先生が先日言っていました。 「ここ!と云うところで捨てて打つ。 打ちきる。 例えそこで当たらなくいても、その事は相手に十分伝わる。 次の攻めに利いてくる。 そして、次の一本につながる。 しかし、この捨てきる稽古は上にかからないと稽古が出来ない。 その捨て所『瞬間的我慢比べが剣道だなあ!』と言われました。 審査員はこの捨て所を捨て方を見ている。」
「今回、岩手の八段を受けるに当たっての稽古は、ともかく前に出ろ、絶対下がるな。 出てくる所を小手に取れ。 そして、相手の気力が落ちたら面を捨てきって打て。 この稽古を徹底敵に稽古をした。」 と西村に言われました。 此れが岩手県八段2名の稽古です。
此の様にも言われました。 「熊本に強いI君がいるが、相手が攻め入って来ると下がって間を切る。 これでは敵前逃亡だ。 手前勝手な剣道になってしまう。 相手が気を張って前に出れば、これを押さえ込む、乗る気分で前に出る。 合い気に入っていく。 合い気で応じる。 そうでないと剣道にならない。 彼は一次には何度も受かっているが、2次が難しい。 そして、熊本の若い格下の人が八段に受かった。 審査員に見てもらうにはこの辺りが大切な所だ。」
この辺りは、岡田さんに参考になるところです。 西村は八段範士と気の合ったところで、先生から聞きたいところを聞き出す妙技が有ります。
強くて受からない7段はイヤな癖の持ち主です。 この癖は自分では気がつかない。 それは竹刀の使い方、打ち方でも有ります。 しかし、さらに大きな問題は剣道に対する考え方が基本的に間違っている場合です。 強い自分を見せる方法が間違っている場合です。 相手の竹刀を上から押さえ込み、相手が打てないようにしながら打つ。 これは、品性がない勝手な剣道です。 これで延々と八段を落ちた県警の師範がいます。 相手が気で攻めて入ろうとすると、竹刀は受けに入りながら一歩引いて間を切る。 強いが手前勝手な剣道で有名です。 この人達には八段の先生もやりにくくて、打てない。 しかし、彼らも八段に受からない。
相手が打つことを許す。 活人剣(相手の剣を活かし、そして相手にしたがって勝つ) の要素を考える必要が有ります。
それに準じて、小手から面に渡る面打ちより(自分の攻めは入りの都合で打っている)、出きればその一瞬を捕らえる面打を工夫して欲しい。 (工藤先生談)も心すべきことかと思います。 岡田さんの場合に限らず背の高く無い人は、攻めあぐねると長身の人に小手面と渡って打つ傾向があります。 しかし、千葉の忍足先生は小柄ながら見事な面を打たれます。 ビデオを見て工夫をして下さい。 ともかく見事です。
八段審査を受けながら、試合や当てあいに終始している人です。 この人達は先生から注意を受けていますが、それを真剣に受とめていない。 素直で無い人です。 回りにそのような人を見つけたら、良くない見本としましょう。 ツリー全体を読む
△上に戻る 八段合格者の裏話! 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2001年6月20日(水) 今日は全剣連合同稽古。
西村は足の不調の関係で、患者様のアポイントは普段通り。 午前中は頭の中には全剣連合同稽古は無かった。 しかし、午後の仕事の時間になると、今日は原田先生と稽古をしたい。 上京されているかと思う。 「一期一会」と言う言葉があるが、その意味は知っていたつもりだった。 その意味が最近になって、本当に実感として判ってきた。 京都で全く足が動かなくても、朝稽古の三日目の朝には原田先生と稽古をした。 先生はその前に三週間の入院等があり、これが最後と思い稽古を頂く。 今日も先生と稽古にと思うと、何とか仕事を五時に終わらせ武道館へ行った。 良かった!原田先生は出席されていた。 全員礼の後、二番目に並んで待っていたら、先生の面がそのままで何処かへ消えてしまった。 しばらく待ったが先生は出てこない。 チョト不安がよぎり、先生を捜しに行った。 控室で瞑想をされていた。 岡先生と話をして、稽古をしすぎないように、20分過ぎたころから面を付けようかと話しになったらしい。 先生は先日稽古のしすぎと天麩羅を食べ過ぎ、胆石の関係か胆汁不足で脂汗をかき、気分が悪くなって救急に入院されたらしい。 その後、検査入院でまた三週間ほど病院にいたらしい。 それで、用心をしての稽古となった。 この稽古の後は、胆石、胃のポリープの手術をするらしい。 七月は無理だが、八月は稽古に来ると言われた。 八月無事な顔を見たいと願うばかりである。 西村の先生との稽古は正に「一期一会」の稽古となっている。 言葉の意味を知っていても、それが実感できて初めて感情的に意味が判る。
さて、先生と蹲踞の立った感じは、圧力を感じない。 お互いの攻め合いで、西村が気を飛ばすと先生は胴に手元を返しにかかる。 そこを、滑落を使った小手が決まる。 京都の時と同じ小手だ。 初太刀一本が入ったので、いつもの様な稽古にはいる。 もう少しと言うところが二本ぐらい入る。 「一本」と言われ、その後面が入るが少し軽いので、「もう一本」と言われる。 今度は、機会に合わせて捨てて打つことに決める。 見事な胴を取られる、そのような見事に面に捨てて打った。 それでも、そのような面を打った自分に満足している。 これが先生に打ち込む、最後の一振りと思って打った。 涙が出るほど嬉しい稽古であった。
帰りの車の中で、西村が言った。 「先生に攻め入って、手元を時分からあげないと思っていたのですが、面に出て見事に胴を打たれました。」と 原田先生が言った。 「あれで良い!そこで打てなくなってしまうと終わりだ!」 「あそこで打てなくなると、捨て所を勉強できなく後退してしまう。」 「これは上にかからないと、出来ない稽古だ。」
その後、京都での八段合格者の話になった。 原田先生が言った。 「今年は岩手から浅見、小島の二人が受かった。 ちょっと出来過ぎかな! 今年は彼らの稽古で、前に攻め入って相手を苦しくして、小手を打つ稽古をさせた。 昨年の秋の審査でも、多くが小手で受かった。 彼らに言ったのだ。 皆さんは十分強い、だから一時審査は面を狙って合わせて打てば通る。 しかし、二次審査では面に拘る事はない。 面を攻め合って、そこで体を捨てて攻め入り、相手の手元が浮いたら小手を打てばよい。 まずは前に攻めは入り、打てる所を打つ。 この練習を徹底的にやった。
浅見は二次で初太刀に面を取られた。 それで、気が楽になって良く使った。 それで、受かったのだろう。 彼も癌を克服しての審査だから、それもあったからなあ!
小島は二次で、立会いの最中に俺に言われた事を思い出して、その通りにしたら見事に入った。 そう、彼が言った。
それから、京都の三日目の朝稽古でお前の後で直に来たのが野口だ。 彼も八段に受かった。 彼は京都の朝稽古は三日とも稽古に来た。 いつも彼は俺に稽古を付けてもらいにやって来る。 正月稽古もそうだ。 熊本には同年代で少し上を行く連中も数人いる。 彼の剣道は愚直なぐらいまじめな剣道で稽古も良くするし、指導したことを一生懸命やる。 それが受かった理由だろう。
この三人とも教員である。 原田先生を師事する三人である。 後一歩を越えないと八段には受からない。 その一歩の良きアドバイスを得た人が受かる。 西村は京都で先生と歩いていると、原田先生に「柳生で指導していただいたお陰で癖が直り受かりました.」等 etc。 何度も八段合格者から聞いたものである。 特に教職員の八段合格者には原田先生の助言で受かった人が多い。」
西村が言った。 「先生!攻め合いの硬直状態から、さらに体を捨てて攻めはいる、 『勇気』ですね。 この瞬間は相手の狙い目ですから、怖いところですね。 ここを越えないと、相手を打てないですね。 打ちに行くと、相手に察知されますね。 体を捨てて攻め入って、打ちに行かない。 相手が苦しくて手元をあげて打ちに来る。 この相手の反応したときが、打ち時ですね。」 原田先生いわく。 「そうだ!それをするには上にかかり、捨てる稽古をしないとそこが身に付かない。 勝てる相手とばっかりやっていると、そこの修業が出来ない。 それから『勇気』は柳生の教えの一番だ! これが身に付かないと、壁は越えられない。」 西村が言った。 「先生、まことに強い人がいますが、七段に受からない。 そのお二人は、自分のしたい剣道をしていて、審査員の見たい剣道をやって見せていない。 一人は強すぎて相手の心を動かす前に、打ち取ってしまう。 もう一人は中心を意識して外して面を打つ。 審査員の嫌がる勝ち方ですね。 八段審査ん先生方は皆さま同じことを言われますね。」 原田先生いわく。 「そうだよ!審査員も一緒になって剣道をしている。 いい攻めしていると、次の瞬間を予測している。 その期待に応えれば○が貰える。 相手が攻め入ってきたら、下がって間を切るやつがいる。 これは、敵前逃亡だ! 熊本に一次を何度も受かったのがいる。 自分勝手に剣道をする。 審査員はその人が強いことは認めるが、八段の剣道では無いと判断する。 いい攻めしながら、捨てはいる事を躊躇しそこで止まってしまう。 審査員は一緒に剣道をしているから、あ!あ!とがっかりする。 何とか通してあげたいと、良いところを捜して○を付けようと待っているのに。」 西村が言った。 「佐藤先生も攻めた後、もう一歩攻め相手の反応が出たら打つ。 此れがないとね。と言っておられました。 何度も言うのだが、その前に手元をあげて打ってしまう。 そのようにも言っておられました。」 先生いわく。 『一瞬の我慢比べだよなあ!』 実にそうですね。 そんな話していると、車は新宿駅に着いてしまった。 今日の師匠との話は、まことに八段受験者には大切な事を示唆しています。
川瀬先生が京都で会ったね。 試験はどうだったと聞かれた。 イヤまだ先の話です問いったら、え!そうか! それに受けるかどうかも全く決めていませんと言った。 力は十分だから早く取りなさいと言われた。 嬉しい様な、気恥ずかしい様な、試験は忘れていたい様な複雑な気分だった。
菊地さん。 最後の一本はお見事でした。 あの面を自分の力で打ちだすように目指して、稽古をして下さい。 あの面は女の面を越えた、六段への方向を持った面です。
関根さん。 剣道が見違える様に良くなりましたね。 肩の上下の動きが消え、動きに無駄がなくなりました。 望月先生の後のせいか、間合いが近かったのが残念です。 体の上下動、肩の上下動が消え、竹刀がシャープに動いていました。 あの一本は惜しかった。 まっすぐ体を進めていれば、バッチし一本でした。 この次も稽古お願いします。
雨宮さん。 稽古有り難うございます。 真っ直ぐな切れ味良い面は見事です。 後は体を出すときと、手元をあげて打つときが一緒になっています。 体を出しても打つとは決めないで、竹刀が打ちに行くのはその後、相手の心が動いたら打つ。 そこまで、手元はあげない。 相手もあげなければどうなるか。 胸突きの相打ちの覚悟で良いかと思います。 この気分が無く、打ってしまうと相手に料理されます。 剣道は出来上がっていますから、後はここの部分だけですね。
高野さん。 稽古ありがとうございます。 西村の足の不調で十分な相手が出来ませんでした。 今度はしっかりやります。 切り落とされた感触を下位の人に試してみて下さい。
西村は今は二週間に一回の稽古です。 少しずつ回数を増やして元に戻したいと思っています。 皆さまよろしくお願いします。 ツリー全体を読む
Tree BBS by The Room ツリー全体を読む
△上に戻る 頭に浮かぶ稽古風景-3 その他番外編 西村雅興 2020年1月5日(日) 頭に浮かぶ稽古風景-3
京都でのサブ道場での稽古だった。 若い学生が二刀でお願いしてきた。 胴を打つと腕で胴を打たれないように防ぐのだ。 刀ならば右手を失っているはずだ。 何度も手で胴を隠す。 その手を思いきり打っていた(すこし酷いことをしたかと思うが痛い目に遭わないと気がつかないからとの教えだ。)
その後その情景を見ていた、若い剣士がお願いしますと目の前に立った。 すらりと立ち、緩やかに構える。殺気は全くない。 打とうとするが面の中でニコニコしている。 打ち気が全く起こらない。 笑顔の赤ちゃんをひっぱたく事は出来ない。 あれ!変わった人だなあ!と思うがどうしょうも無い。 攻め入ろうとすると、スルリと間を切ってしまう。 暫くはお見合い状態だ。 彼はギリット気合いを入れて打ってきた。 その瞬間に西村は切り捨てた。 今思えば終わりが無いので西村に打たせてくれたのだ。 その時は勝ったと思ったが実はそうでは無かったのだ。 その後、縁が深くなり何度も稽古をした。 最後に西村に打たれて終わる。 田伐さん、島野さん,磯ちゃんに10時間剣道の西村の思いを話したことがある。 磯ちゃんが録音しておくんだったと言った。 最後の方で「島野さんだけには打てなかった、最後はいつも一本頂いたが?」と言った。 田伐さんが言った。「打たせてもらったんでしょう!」 そうなのだ!超有名な先生からも「参った!」という一本は取ってきた。 ただ一人、島野君からは一本を取っていない。 さすが!田伐さんは知っていた。 島野君は剣道的には理解不能な人だ。 岩立範士と武道館での彼の稽古を見た。 岩立範士をもってしても彼を攻めあぐね一本も打てなかった。 あるときビデオを見ていると椎名先生と稽古をしていた。 はじめはノラリクラリで剣道にはならない。 業を煮やした椎名先生は三段回に追い詰め面を討ち取っていた。 西村は二段回までしか攻めない{それ以上強引な剣道はしない}。 島野君はそこまでやるならば!と素直に打たれてあげている様子だった。 そんな状況が数回あったのを見た。
【相抜】針ヶ谷夕雲の世界
島野君が師と仰ぐ先生と稽古をした。 武道館での話だ。 面を打とうと心が思うと,右小手にヒヤリと彼の気が走る。 打てば小手を取られるのは必定だ。 彼が面に来ると思うと,西村は面を差し出し始める。 彼が面に来れば確実に胴をとれるは必定だ。 やく30分間、この気の応酬で時間がたった。 太鼓が鳴り八段元立ちの時間になり蹲踞をして終わった。 何と辛抱が良い二人なのだと我ながら呆れた。 まさに針谷夕雲の世界であった。 名人が相まみえれば、打てないことをお互いが知り、刀を納めて立ち去る世界です。 周りの人達は何事かと見ていた。 翌日、足がパンパンに張ってしまった。 ただ立っていたので無い、静的に立っていたので筋は緊張していたのだ。
西村的には満足した稽古だった。 彼は一種の超能力者でヒーラーだった。(仕事は別にお持ちだが人助けでヒーリングをしていらしい。) 飛びっ切り感性が高い人なのだ。
面白い話がある、日本剣道連盟の重鎮のはなしである。 その範士は動こうとする気配で彼に小手をうたれていた。 全て打たれていたが範士はそれに全く気がついていない。 島野君は同じく小手を切っているが範士はそれに全くきがついていない。 西村も同様に小手を切っていた。 稽古の後、俺に何本面を打たすのだと怒っていた。 この範士、本当に打たれたことを判っていないと知った。 彼が言った 「島野は人が良いから打たれてあげている。 西村先生は小手の後、相手を無視していた。 気が強い,品の無い剣道をする範士なのだ。
さて、この人と竹刀を交えた。 相抜 状態だ。 そこで西村は敢えて打ち機になって少し体を出した。 これで面を打てば小手は打たれる。 ぐっと体を入れると小手にヒヤリ感が来た。 その瞬間、右手を竹刀から抜き片手突きをして見事に入った。 彼の竹刀は空を切ったままだ。
【剣道は読みと反射だ!】三橋先生のいうとおりだ。 彼ほどの剣士との稽古はこの二回キリの稽古だった。 彼の剣風は八段向きでわないが、武道館の合同稽古の 八段の元立ちは一人残らず小手を切られていた。 島野君が師と仰ぐだけのことはある。
小説で小手、親指切りの異能の達人のはなしを読んだことがある。 右手の親指を斬られたら真剣勝負はその時点で勝負有りなのだから。 ツリー全体を読む
△上に戻る 頭に浮かぶ稽古風景-4 椎名先生 西村雅興 2020年1月7日(火) 椎名先生との稽古
岡田さんが椎名先生の話をした。 全県連合同稽古で椎名先生の稽古(元立ち)を見た。 八段を見ても感心する程の人はすくない。 損頃八段殺しと一時言われたことがある。 元立ち八段が西村に手玉にとられればそう言うことになる。 武道館へは原田先生との稽古のみが目的だった。 さて、椎名先生の稽古ぶりは素晴らしかった。 舞うがごとくに相手を左右に捌き、ストンと面を打つかと思えば、左右の二つ胴を見事に斬っている。 しかも手打ちで無く、腰を浮き腰で左右に動かして斬っている。 当時、乳井先生のこの胴を見て研究し、西村も得意にしていた。 相手を小馬鹿にしたような技なので控えていた。 あまり生意気な人にはこの胴を打つとギャフンとなっていた。 さて見ての西村の思いは、こんな人が本物の八段だよな!と感心していた。 稽古をしたいとも思わなかった。 ただ見ているだけで満足だった。 あるとき、椎名先生の方から声が掛かり稽古をした。 随分研究はしていたので先生の手の内は判っている。 お互いに良いところが無く攻めあぐねていた。 最後に先生が面を打つと色を出した。 しめたと思い面を差し出した。 面を返して胴のつもりだった。 面を止めるのが一瞬遅れ面を打たれた。 完敗だった。 その後、ずーっと考えている[これが西村なのだ]、寝ても覚めても考えている。 あのとき、先生の色は見えたが間に合わなかった。 普通の相手ならば得意の面返し胴が入っていたはずだ。 今度はもっと得意の、竹刀の裏で面を受け、体を左に捌いて胴を取ろうと思った。 この捌き方は絶対なる自信があるのだ。 半年後くらいに先生と稽古をした。 お互いに入らない。 前回と同じ面を打つと色が見えた。 その時!小手を斬っていた。 先生は「参ったと言われた」 西村としては胴を打つつもりだったのだが、西村の【智】は小手を打っていた。 小手を打った西村自身がキョトンとして戸惑っていた! 後で聞いたところ警視庁の連中が目の敵にしているとか。
椎名先生の剣道には良い師匠がいるのだ。 ちょっと名前は忘れたが○○傳という先生だと聞いた。 名人にはその師に名人がいると言うことだ。 京都大会で見ていたら先に一本取っていた。 終了間際に椎名先生が不用意に面を打ち、小手を取られた。 後で「先生!どうしてあそこで面を打ったのですか?」と聞いた。 彼は笑いながら言った。 「せっかく京都まで来たのだから、面ぐらい一本打っておかないと思って打った」 彼にとっては剣道はこの様な感覚なのだ。 ちなみに先生の胴は手作りだと言っていた。 西村が博多の鞘師に百万円かけて作ってもらった鮫胴をみて、「胴に桜が舞い散っている!」と褒めてくれた。 あまり派手なので、めったに使っていない。 日本中誰も持っていない胴だが、自己顕示欲が強く出過ぎるので控えてしまっている。
合同稽古に行ったら、椎名先生の剣道を是非みてほしい。 私は余り人のことを尊敬しないのだが、彼の人柄と剣道歯尊敬している。 ツリー全体を読む
△上に戻る 永松教考先生 八段合格おめでとうございます。 西村雅興 2016年6月24日(金) 永松教考先生 八段合格おめでとうございます。 過去に一次も受かったことがありなかなか強い七段でした。 頸椎を痛めており、八段まで体(首)が保つのかなと心配をしておりました。 研究熱心で西村に色々質問され教えを乞われました。 強い七段が教えを乞うという事は、見栄が邪魔してなかなか出来ない事です。 彼はそれが出来る性格、人柄の良さが有ります。 教わり上手なのです。 奥様も七段で大変な剣道一家です。
面打の指導はなかなか難しく上手く出来ませんでした。 長年身に付いた面打を変える事は大変です。 そこで・・・・・. 胴打ちの指導を致しました。 一般的に剣道家は胴を軽く考えています。 審査で胴の評価が低いと考えているからです。 面に打って来た所を返して胴を打つ・・・これでは評価の対象になりません。 この場合、攻め込んで面を打った方が0,5段上。 攻め込まれて胴を打つは、攻め込まれた時点で0,5段下との評価だからです。
お互いの機が熟し、打たんと思うチョッと先に、攻めを緩め相手を引き出して、きちっと胴を斬る。 この場合はこの胴を打った方が確実に1段以上うえと評価される。 相手の心を手の平に載せ、攻めを緩める、スッと面を見せる、スッと体を入れる、 体を沈める、打たれに入る。 相手の心が「シメタ!打てる!」と錯覚起こさせるところが、心の上位にて初めて出来る事だからです。 私の知る限りでは見事な胴を打てる八段も少ないです。
コツを書きます。 お互いが相気になって打たんと思う時、右足の膝をスッと右に開いて抜くのです。 姿勢はほとんど変わりませんが、重心が右前方やや下へ滑落を始めます。 これで体の予備動作は終了です。 相手の左拳が動くまで、頭は相手の打つべき目標として置いておくのです。
次に相手の左拳が打に動いた瞬間、重心の滑落を使って体を右に捌きます。 相手は居ない、消えた頭を打に来るのです。 『賀来先生が西村に言った「俺は先生に居ない所ばかり打たされてた!」』 その時自分の竹刀は体の沈みの反作用で腕の力を入れること無く、スッと上がります。 この時、竹刀の先は大きく回さないで、相手の竹刀をかわす程度に小さな円で止めます。 さらに、竹刀の先で打とうとせず、右手で鍔で斬る様に腰に落とします。 竹刀の先は鍔も元に引っ張られて、瞬速の動きを致します。 打の強さは左足の引きつけの鋭さに応じて強く打てます。 腕で打つ感触はほとんど有りません。 ビシット、相手が「う!」という様な打ができます。 このような武道的身体動作を駆使して、理合に溢れた胴を打てば、審査委員は「お!」とうなづきます。
審査員には両者の攻め合いから、相手の心を手の平に載せて行く順序、後は猫じゃらしの様にヒョイッと相手を手玉に取った様な胴打・・・この一連の状況はしっかりと把握しています。 こうなるとスピイードの優劣は余り関係ありません。 相手からすると、打ち取った!と思ったのに、足下をすくわれた様に打たれるのです。
原田先生が京都の立ち合いで、相手に範士の声がかかっていたそうです。 その相手を見事に胴に斬ったそうです。 相手に行くはずの範士号は原田先生に回って来て、相手は範士見送りになったそうです。 原田先生が「今朝、西村に打った胴が相手に決また!」と言われました。 この胴が範士の決め手でした。
さて、話は長くなりましたが・・・・。 永松先生はこの見事な胴が決まったのが合格の決め手だった様です。
さて、四月に永松先生の稽古を見て「化けたな!」と思いました。 見事な立ち姿でした。 何時も打気が肩か発散していたのが消えていたのです。 こうなると『観の目』が利いてきます。 後で、西村が永松先生の立ち姿を、これを褒めると、どこかが故障していた様で打気が消えた様です。 今日の様な心で相手に臨めば良いですよ!と西村は言っておいた。
この時、彼の剣道は一皮むけて化けた!と言えるでしょう。 この立ち姿ならば、先ほど書いた胴が打てます。 頭や肩が打ち気で前に出ているとこの胴は打てない。
七段にこの胴を教えたいのだが、教われる人はほとんどいない。 彼は千載一遇のチャンスを手に入れたのだ。 教わる上手が上達の基本なのだ。
それにしても61才で八段合格は素晴らしい! 改めて御目出度うございます。 ツリー全体を読む
△上に戻る 続き 無刀の位を考える 西村雅興 2012年3月1日(木) 西村は会長に道場でナイフの使い方を教わったことがある。 ナイフの刺し方は下げた手を振り子の様に下から押し上げるだけである。 (胸から真っ直ぐ前に突くと方向が定まらない。) 腕に自信の有る西村だが、得物の長さはハンディーを感じて身体中に一瞬緊張が走る。これは60センチの小太刀をもって槍と対峙した時と同じ感覚が起きた。 頭でなく、身体が間合いの不利を感じているのだ!
ナイフで相手に対峙する時は相手の打の的を最小限にする為の身を屈め身をすくめる。身体は不利を覚悟で対峙しているから感性は最高度に達しているのを感じる。 心は覚悟をしているから静かだが、身体はアドレナリン全開なのだ。
相手が打とうと振りかぶろうとする瞬間に、手元が開きかけて腹から胸の気の圧力が抜けた所に身体が吸い込まれる感じで振り子の手が伸びた。 その瞬間は自分でも驚く様な、絶妙の入り身だった。 いつで出たかさえ判らない、神速の動きと言える。 今思えば【不動智】の身を護る本能、叡智、智が働いた瞬間なのだ。
今度は得物を持ち替えて対峙した。 結果は非常に似ていた。
当時、何とも不可解な不思議な感じがした。 どうしてこんなことが起きるのだろうと首を傾げたものだ。
自分なりの結論はこうだ。 得物により間合いが有利だと、得物で処理をしょうとする。 振りかぶり振り下ろすの小太刀の動きをする。 得物有利と思う慢心が得物中心の攻撃の動きをして、身体の動きを疎かにする。 有利を確信している自分は、自分から相手の頭を打ちに行く。 (いわゆる剣道でいう『先に打って出た方が負けの大原則』に反するのだ。) (打とうと無意識が思た瞬間、それは身体の微妙な予備動作で正体がばれている。) 得物、間合いが不利と覚悟をし、あえてそれに対峙しているは死を覚悟したに等しい。 いわゆる自分を空しゅうして相手に対峙している訳だ。 間合いの不利を何とか補おうとする智が働き、打をよける、早く刺すとの意識より、間合いの不利を克服する無意識の動きが働く。 そして、相手の心が動き予備動作が始まる瞬間をとらえて体を滑り込ませる。 手は勝手に下から押上、ナイフは相手の腹か胸に刺さるということになる。
結論は長い方は意識で動き、短い方は無意識で動いている・・・これに尽きる。
西村はこのとき考えた・・振りかぶりの動作そのものが遅れを取るのだと。 先に振りかぶることが負けにつながると考えた。
そこで、自分の得物が小太刀で相手がナイフの場合、如何に相手に先に刺しに来させるかを考えた、更に振りかぶり打つ動作を捨て、手首で扇打で相手の横面を打つ、相手が出して来たナイフをやや後方に間をきり小手を打つことにした。 このとき自分から打って出て行かないから、やや前足に体の重さを乗せ、瞬時に後退出来る体制をとった。 ときに、相手の感性を逆手に取り、フェイントをかけ引き出した。
これをやると得物、間合いの有利が如実に出て100%勝ちを納めれる様になった。 しかし、自分から面を打ちに行くと相当ヤバイ結果になった。
今の西村には剣道ではこのように活かされている。 相手と十分に同調したあと、相手に面を差し出し、相手に面を打つようにしむける。 いわゆる捧身の位(身を捧げる)を取ると、相手は思わず面を打とうとする。 相手の振り上げに身体は吸い込まれ、左手の上がり鼻の小手を打つ。 同じ様に面返し胴を打つ。
この時、手に得物が無いと覚悟をすると【抜き胴】になる。 原田先生の抜き胴は絶妙で誰も真似が出来ない。 あるとき気がついた。 原田先生は竹刀を持っている意識が薄いのだと。 時に竹刀を活かし、時に体の捌きのみで対応している。 この体の捌きのみでの対応はまさに無刀の位の対応である。
【ロゴ検索で 抜き胴 を検索して十分にお読み下さい。】
【無刀の位】は自分を空しゅうして相手に対峙する、打つ前に捨てる心境の位である。 どうやら剣術から柔術的対応の秘術であると思う。
昔、中倉清先生が合気道の開祖・植芝先生の養子になったことがある。 植芝先生は自分の跡を継ぐのは彼しかいないと見込んだと聞く。 その頃、剣道界で奇才と言われた羽賀準一先生が無刀取りを聞いて、そんな馬鹿なことは無いと言って乗り込んだが、見事に転がされ木刀を取られてしまった。 こんな逸話が有る。 中倉先生の抜群の強さの中には合気道を修行した経験が生かされていると思う。 植芝先生は精神的に出口出口王仁三郎に師事したと聞く。 中倉先生をして、植芝先生の域に達せないと思い養子縁組を解消したと聞く。
サイトから拾った記事を参考に載せる。 無刀取り(むとうどり) 無刀取りとは映画やテレビでやるように両手で相手の太刀をはさみこんで、もぎ取るようなやり方ではない。「とる」ということは柔道で一本とるというように「勝つ」ということで無刀で勝つことである。 これは柳生石斎の創始にかかるものであるが、その子宋矩は次のようにいっている。 一、無刀取りとは必ずしも相手の刀を取らねばならぬことではなく、自分が無刀の折に相手を制する技である。 二、相手を恐れず敵の間合いのに入り「切られて取る」覚悟がコツである。 「たんだ踏みこめ神妙の剣」というのが柳生流の秘剣中の秘剣といわれているが無刀取りはその精神の極致を発露したものである。
「無刀取り」は、無刀の位とも呼ばれる柳生新陰流の極意のひとつです。
あいにく、滅多に公開されるものではないので、実際に柳生新陰流宗家の無刀取りを観たことはありませんが、NHK大河ドラマの中で二度ほど観たことがあります。一回目は、「春の坂道」の萬屋錦之助さんが演じる柳生宗矩の、二度目は「武蔵」の藤田まことさんが演じる柳生石舟斎の殺陣です。
お二人とも、右足を前に、大きく足を開いた姿勢で背中を丸め両手をだらりと下げるという身構えから、じりじりと相手に接近し、こらえきれずに相手が正面に斬り込んでくる拍子の裏をとって懐に入り、その刀を取り上げるというもので、合気道の入り身に似た動きでした。
これが、どれだけ本当の無刀取りを模したものなのかは分かりませんが、柳生新陰流21世柳生延春氏と親交のあった作家、津本陽氏の「柳生兵庫助」には、背中を丸めて両手をだらりと下げた身構えを「一円」の構えとして、上記と同じ理合いの無刀取りが描写されていますから、かなり正確に柳生家による武術指導があったのではないかと思います。
ただ、江戸柳生の流祖である柳生宗矩の「兵法家伝書」によると、無刀取りは、必ずしも刀をとる必要はなく、相手を制すればよいこと、そして相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います。』 『相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います』 西村の反論 やっぱり本当にそれをなし得ることだと思う。 羽賀先生に植芝先生は簡単にやってのけたのだから。
武蔵の『柄を離す』の心境も間合いと入り身と体の捌きで相手に対峙することで、その根本は自分を空しゅうして相手に対峙する心境である。
相手の無意識が打つと心が少し動いたとき、自ら斬られに入ると相手は打つしか無い。 相手の無意識が動き、有意識が打つと決める間にはかなりのタイムラグが有る。 このタイムラグの間に相手の懐へスルリと吸い込まれる様に入り、相手の柄を持っと、相手の前進の力を利用して投げるのだ。 【相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る】 西村の剣道では実際、ほとんどがこの動きで捌いて取っている。 西村の実際は次を見ればその片鱗が見えると思う。 相手は若手の錬士六段の県を代表して全国大会に出場するレベルの女性です。 しかし、西村の先(足の先)により申し合わせ稽古の様に銅を打たれている。 西村の動きはゆったりとした動きです。 YouTube の 2011京都大会 朝稽古 を見て下さい。
無刀の位、無刀の境地は死ぬも生きるも超越した境地なのだ。 吾と天地が一体になった時、相手が自分に害を及ぼそうとした時、身体が勝手にそれに対応している。
あるとき、京都の朝稽古で賀来先生に稽古をお願いした。 自分が思えば先生に伝わっていることは知っている。 そこで、植芝先生の宇宙の中に溶け込む、天地自然と合一化を目指した。 賀来せんせいの前に竹刀を持って立っているが、先生を見ている訳ではない。 ただ宇宙の気を頭から取り入れ足から地に返しその循環を意識した。 前にいる賀来先生の存在すら意識が無い状態になった。 その時、賀来先生が打って来た小手を摺上げ面を打っていた。 面を打った瞬間に吾に帰ったのだ。 いつも出来る訳ではないが、西村は時々出来る。 賀来先生が後から言った。 「西村は隙だらけだ!」あれほどの先生でもその時の西村を隙だらけだと思い小手を打つと、西村の『智』に見事に摺上げられ面を打たれたのだ。 これは師匠との稽古で息を吐き続け目の前がくらっと暗くなった瞬間、先生の面を見事に打っていた経験が有る。 これと同じだ。
山岡荘八先生の柳生石船斎の本の一節を書いておく。 『人間は、人間を作った天地自然と合一化した時に、一つの不思議を顕現し得る力を持ている・・・』 いわゆる神妙剣の極意なのだ。
この状態に意識が変成したとき、信じられない動きが出来るのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 日野晃先生の本、ビデオか学ぶ 西村雅興 2016年1月2日(土) 1月2日の書き込み
日野晃先生の本、ビデオから学ぶ
忘れなううちに最初に書いておきます。
『一足一刀の間合いになったら、左足を引きつけます。 だいたいは右足の土踏まずあたりですが、相手によっては湧泉近くまで引きつけることもあります。』これは倒れシロを稼ぐ為です。
物理的にはこの時点でやや腰を沈めておき、押しシロを(蹴りソロ)を確保しておきます。 次ぎに重心と丹田の一致を解き、重心を前方前足の指先まで落とします。 この時、腹の力を緩めるとお腹はすーっと前に出ます。 前の方向に動くベクトルを【重心の滑落】を使う訳です。 筋肉的にはマイナスからから入るのです。』
佐藤先生が『相手によっては湧泉近くまで引きつける』ここが重要なポイント、コツです。 静かに重心を滑落させ前進するには。前足を如何に静かに抜くかという事につきます。ここで膝抜きの術が利いてきます。 ただ、それについてのコツを書いている先生がいます。 第一回日本剣道選手権大会、剣風の気品を最後まで崩す事なく、堂々優勝を成し遂げた榊原範士である。
『求める味』榊原正著 体育とスポーツ社¥2,000 どの本にも、教えにも重心は真ん中に置くと教えられている。 これでは右足にかかる体重を抜くとき、えいこら!とかけ声をかけなければならない。重心のキャチボールが起きるからである。 西村は体重が100キロを超えると、自分の中でのかけ声が聞こえる。 ある体重より軽くなるとこの声は消える。 自分の右足がいつ床を離れたか全く意識がしない。 西村自身が気がつかない入り身は、相手も全く気がつかない。 自分のかけ声が聞こえるとき、すでに相手に読まれている事になる。 榊原先生は『重心は右足に3〜4くらい、左足に7〜6くらいとする。 ただし攻め(左右五分)応じ打突等により異なる。
佐藤先生の打突の前はほとんど足の位置の前後はかかさなり、左足がやや後ろ程度になっているから、9分は左足重心になっている。 臍さえ出せば、そこで右膝を抜けば勝手に前に進む。 このとき先生の左腰は少し高め(西村は沈めている)なので、静かにゆっくりと遠くに移動する事が出来る。 具体的な姿勢、重心の後ろ掛けの写真がページ83にあるので参照されたい。この体重の掛け方なら、右足は自由に動かせる。 この体重の掛け方で、すっと右足を出す月影が出来るのである。 その実際を確認したければ、体重計を二つ購入し確認する事である。 西村も実際購入し体感した。 参考 【重心と姿勢と噛み合わせ、それによる体の諸症状】は西村の研究テーマである。 高価な重心計を購入し研究を重ねた。 その結果、グラフを見るだけで、どちらで噛んでいるか、頭痛はどちらか、肩凝りはどちらか、顔の変形具合、姿勢の変形状態が分る様になった。 日本顎関節学会で研究報告をしている(この分野では世界で初めての発表である)
さて、榊原正範士の『味を求める』は抽象論が少なく具体的で非常に参考になる本なので熟読吟味されたい。
さて、今朝は植芝盛平先生、中山博道先生のDVDを見た(観た!) まるで申し合わせ演舞の様であった かって西村が京都で岩手の六段の先生方との稽古と同じであった。 福岡の女性が目をパチクリした状況です。 先を懸け心を誘導し捌く・・であった。
◎いつも前置きが長いのですが、今日の本題は【武術研究家・日野晃先生】先生の本とビデオから学です。 西村が一番尊敬している武道研究家です。
先の黒田鉄山先生も日野晃先生も西村が剣道の修行の過程、その他多くの体験を透して発見した内容をより詳細に、より雄弁に語っているのです。 本だけではなくビデオ等で表現されています。 お金を出せば極意を説明してくれるのですから有り難い。 昔は膨大な量のビデオを購入し、毎晩見ていたものです。 大半は別荘に置いていたが、余りにも量が多いので処分をしました。 たまたま手元に残っていた資料を再度紐解いているのです。 昔はそれほど気がつかなっかったことも、70才の今見れば素晴らしいない様だと感嘆しています。 日野先生の実技は体の接触技なので、剣道家には分りずらいです。 その前の内容は剣道と全く同じです。 剣道家が剣道流に翻訳をしてお届けします。
日野武道研究所 日野晃の『影殿』1〜3 BABジャパン その他多数の書籍、DVDがあります。
最近の本から 真の達人に迫る超人間額『武術革命』
『武術の研究で貴重なヒントになっていった、それは『力』であり、「運動線』であり、『肉体を緩める』であり『体重の移動』だった。
西村コメント ベクトル(力と方向)、緩めて自在に対応する、重力の応用である。 これが西村的表現である。
『武術の達人たちの『技』の要素の中で、一般的に誤解されているものの一つに、『攻め』がある。 一般的には『攻め』といった時に『先手必勝』だのと『攻防』の現象だけを捉えた表現が多いし、大方の方たちは無条件で『攻防』は目に見えている現象だけだと信じている。 このことについて、私の研究結果、こと【達人たちの『技』の中には『先手と待ち』が同時に存在し出来上がっている】事がわかった。
剣道で分りやすく説明すれば【足から(体は懸かり)攻め入るが、心は後の先(左拳は動かさず、相手の動きに応じて捌く。相手を見切るまでは打たない。】 道場での稽古風景を眺めてみよう。 かならず元立ちが先を懸け、足、体を入れて行く。 懸かる方はその攻めに反応して、打って行くところを捌かれる、打たれる。 日常、一般的に行われていることだと気がつくことでしょう。 何故、元立ちが先を懸けれるか?これは元立ちの心の【優位性】がなせる技です。 懸かる方は自分から先を取れず、待ちの状態になってしまっています。 動き出す切っ掛けがないのです。 待ちの状態から相手の先に反応してして、頭(脳)が打つしかなくなって、打つ事を指令し、そこから打って行きます。 先を懸けた方は一種の脊髄反射のレベルの反応、罠を仕掛けて嵌まった相手をしょりするだけです。 これを西村は【飛んで火にいる夏の虫】と呼んでいます。 これには精神的優位性がカギになってきます。 元立の人も相手がジ上位の人に懸かると、全く逆にやられます。 ここで多くの人は悩みます。 もっともっと稽古をして何とかしようと思います。 しかし、その本質を追究しないと進歩は微々たるもので体育的進歩、スポーツ的進歩に留まります。 これを乗り越えようとするのが剣道です(心の成長、肚を鍛える)。
私が学生時代、全日本歯科学生の剣道大会が盛岡でありました。 当時のOBがこれだけの大先生方(大学の師範)が盛岡に一同に集まることは二度とない思い、そこで一席設けました。 当時は何も分らない西村でしたが、大浦先生の言った言葉を今でも覚えています。 西村が聞いた「先生!強い弱いは何で決まるのでしょう?」 大浦先生が腹をポンと叩き言った「肚だよ!」。 西村の剣道観には【肚】の一文字も無い時代、レベルだったので、意味不明でした。 それから下る事数十年、京都で大浦先生と堀田先生の試合を見ました 堀田先生の大技が西村の目には大きく映りました。 堀田先生が明らかに優位と見てっとったのです。 しかし、この様子を剣道雑誌で読んだ時、九段位の先生からの講評は全く逆でした。 堀田先生が打って出てもピクリともしない、大浦先生をベタ褒めでした。 でも、良く分かりませんでした。
次に原田先生と賀来先生の立ち合いを見ました。 原田先生が大きく面に飛び、賀来先生の面を捉えました。それも二度! 師匠やった!と喜びました。 先生が面を外し武徳殿から出て来た時、西村に言った言葉が忘れられません。 「今年の賀来先生は強かった、動かなかった!」同じ言葉を数回言ったのです。 賀来先生は一本も打たず、原田先生の竹刀は2度面を捉えました。 西村の評価と逆なのです。 西村の剣道のレベルはその程度だと言う事です。 今なら分ります。 相手の心が動いていないのに【打ってしまった】。 それも二度も、この時点でまけなのです。
あるとき原田先生のお相手は大阪府警の主席師範でした。 このとき相手は相手に範士の声が懸かっていたそうです。 原田先生の攻めに相手が面を打ち、先生は二本胴を打ちました。 今朝、朝稽古で西村が打たれた胴です。 先生が言った「西村に打った胴が二本入った。」 それから暫くして、原田先生が「俺に範士が舞い込んで来た!」 相手の方はその年の範士は見送りになったそうです。 攻めの中の待ち【後の先】が見事に決まったのです。
胴は一般的には評価が低いです。 しかし、実力(心の優位性)が如実に分る技です。
西村的には攻め込まれて打った胴は、例え入っても相手が半段上。 攻め込まれた時点で負けです。 苦しくて打った胴は試合では旗が上がりますが、昇段試験ではマイナス評価です。 相手を攻めて、緩めて引き出した胴は完全に一段上の評価です。 心の優位性がはっきりと見えるからです。
西村がこのような胴を打つと相手が評価をしません。 仕方が無い事です、相手のレベルがそうなのですから。 相手は、西村先生は本気に相手にしてくれないと怒ります。 腕の差を見せつけられたとは思わないのです。 範士を選ぶレベルでは正当な評価が与えられます。
日野晃先生の本の一節より 『直、新影流に残る言葉で【請う後来習態の容形を除き、本来精妙の恒態に復す』
【恒】(永久 不変であること) 他の掲示板から拝借(抜粋) 我々人間は個々に育って来た環境や生活の中で、様々な心身のクセをそれぞれが身に付けてしまっている・・先ずそのクセを除き、型稽古に依って本来の癖の無い心身に戻さなくてはならない・・その心身のクセを取り除くのが一番難しい・・精妙なるものを得るためには、己が身に付けたものを取り除かねばならないのです。 さて入門は許されたものの、中々容易に正しい道には入れそうにもありません・・ある日、白井亨はそのことを師である寺田宗有に訴えると・・「君は二十幾年も邪道を修業して、邪気が心身に充満しておる・・先ずそれを浄化せねばならぬ・・それには酒を断ち、冷水を浴びること日に二〜三百杯もするがいい・・それだけ自分を律して取り組む覚悟が必要なんだよ・・」後に直心影流の山田次朗吉に、二百年来の名人と云わしめた天真一刀流の天才白井亨を以ってしても、こういう修業時代を経ているのです・・
ここから見えてくるものは、我々凡人が、これを修得しようとする時の心構えであり覚悟であると言えます・・が、しかし「本来精妙の恒体に復す・・」であるから、元々、私たちの中に存在する物を引き出すだけなのです・・捉え方に依っては、凡人にも決して不可能ではないはずです・・だが・・何れにしても、楽して己に何を律する事も無く、容易く得ようなど甘い考えでは、これは夢のまた夢に終わるのが関の山です。
心身武道研究会 飛鳥塾 http://plaza.rakuten.co.jp/asukajuku/diary/201112310000/ より抜粋
西村は中学時代の剣道は指導者が全くいませんでした。 辛うじて警察夜に出向き稽古をしました。 そこでは面白いから勝手にやっていただけで、特に指導は受けていなかったです。 それでも警察の大会で中学三年生で中高の部で個人優勝しました。 それから積水の会社の学校に入り精力的に剣道に励みました。 このとき地元の橋詰先生に出会い剣道の基本から初めました。 だから、最初に剣道の手ほどきをしていただいたのはこの先生です。
大学に入って間もない頃、友人がゴルフを教えてやると言うので、打ちっぱなし行きました。 彼は暫くすると「西村は俺に教わらない方が良い」と言いました。 彼は身体能力の差を感じ取ったのです・・でも、これは幸いでした。 下手な人に教わると悪癖がつくのです。 剣道の下手の人に限って教え好きがいます。 困った事です。
『癖を取り除かなければダメだ。これを武術の低いレベルで読めば、一つの癖が命取りになる、つまりクセを見抜かれたらその勝負は負けであるし、その負けは同時に命を落とす、という事だ。 現代的に非常にレベルの低いところで言えば【予備動作は命取り】と解釈をして良い。』
彼は自分の人生で身に付けたクセを取り除く作業に武道が有効だと言っている。 【自己成長・自己実現の為の究極の具体的システムだ】と言っている。
【技の深さは、精神の深さを掘り起こす】
『人は眠っている間でも、足のかゆいのに頭を掻く馬鹿はいません。 人間には自然にそういう働きをする機能が具わているのです。 その機能を完全に働かせる事が剣の妙技というものだと思います。 先生が私を打とうとされる時、先生の心は虚になっています。 それに反し、私は自然な機能で気害を防ぎますから実です。 実をもって虚に対すれば勝つのは当然です。』 【智の世界です」
『もちろんこれには剣技が反射作用的かつ無意識的に発揮出来るまでに、千練万鍛されていなければならないことは言うまでもないが、同時に一刀流の言葉でいえば、無念にして対者の想をうつしとるところの「水月移写」という、心境の錬磨が十分にできていなければなし得ないはずである。 剣法所には【月、無心にして水に移り、水、無心にして月を写す】と書かれている。
私の咬合セミナーでは多くの事を教えますが、最後にこう言います。 患者様前に立てばすべてを忘れ、虚心坦懐(は心に 先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れること)、先入観を持たずに対応すること。 その時、自分が出来る最高の能力が発揮出来ると教えます。 それを【澄心得妙観 ・ 澄みたる心、妙観を得る】といいます。
無心になる・・・いう事は易し、行う難し。
世に言う大先生に【智】を発揮したとき、奇跡が起きます。
倉澤照彦 範士九段(現役で武道館へ来られた)正真正銘この時点で日本一の実力者です。
先生が言った「お前は俺が攻めてもピクッともしなかった。」 西村が言った「あそこで先生が深追いしたら私の勝ちです。」 現に先生から小手面を2〜3本頂いた。 先生に打たれる事は無かった。 通常、無名の剣道愛好家が来んな事が出来るわけがない。 稽古の後、彼は原田先生に打が少し強ければ八段だと言っていた。 私は強く打つ必要は無いと思っている。 先生の虚を的確に私の【智】が捉えたのだから。 持っているものは刀なんだから。
西村は剣道でこの境地を手に入れたのではない。 阿修羅のごとき人生、滝行、精神世界の十年の修行、自己啓発のトレーナまでの修行、深層心理療法、気に特化した修行、オーリングテスト、キネオロジー、身体心理療法の勉強、あらゆる命がけの修行、超能力者との付き合いで身についたもので、そして牛木な事も出来る様になったので、決して剣道で登って来たのではない。 剣道の稽古では到底、大先生には刃が立たない。 しかし、心のレベルで大先生方に決して位を落とさない、確固たる自身がある。 西村が居着いた最後は、稽古不足、眠気が抜けない時、岡田さんとの稽古で、彼の初動の(突っ込み)の鋭さに、思わず居着いてしまって、見事な面を打たれた。今でもあの時の事はマザマザと映像に浮かんで来る。 西村最後の油断、失態であった。 しかし、それより岡田さんの気力が、動きが素晴らしかったのだと思う。
『【感性】を一つのキーワードとして、身体機能と無意識領域が関わっている』という事だ。
寺田は型稽古によって取得した。 黒田鉄山先生も同じく型稽古でこれを習得した。 西村は多くの世界を旅してこれを習得し、剣道に応用している。
西村は剣道の修行で手に入れるべき究極の目的を人生で既に手に入れたことに気がついたとき、剣道への興味が薄れてしまたということだ。 その心境は現実の人生に立派に活かされている。
【無意識反射と身体運動の関係】 『攻めに対して相手が無意識的に反射を起こす、肉体的には感じやすいが、武器を持ってしても接触があれば感じ取る事が出来る。』 西村は非接触でも剣道では感じ取れると思っている。
さて、予備動作を知るは動きのその前に、相手の想念の動きを知る事なのだ。 相手の心の動きを知る方法がある。 明治村戦、有名な大会のビデオを購入し、見事に決まった瞬間から少しずつ巻き戻しをして、超スローで再生してみて下さい。 あ!この攻めで反応している・・と分ります。 通常の動きでは全く分りませんが、超スロー、又は一コマ勧めで見るとお互いの心模様がてに取る様に見えます。
奥園先生の【緩める先】の発見も相当時間見ました。 一度には見えないので、頭、手元、竹刀、腰、そして後ろ足と部分的に見ました。すると後ろ足の踵が2センチから1センチに落ちました。 その瞬間に相手は面を打てしまったのです。
岩立先生のビデオを300時間くらい見ました。 どうして相手はあそこで打って出たのだろう! やっと発見しました! 先生の袴の裾が2センチ程見えていた前足の指を覆ったのです。 この瞬間、相手は打とうと想念が起きました。 前段として、先生は一度、右足をパッとだし、間合いを極限にしてしまいます。 相手は絶体絶命のところまで追い込んでいます。 普通、この攻めで打って出るのですが先生は打ちません。 相手は背筋の凍る思いで耐えています。 先生は腹をすこし緩め、重心も滑落に入って攻めます。 この瞬間に相手は来たと気配を察知し打とうと想念が起きるのです。 この瞬間を先生は面を打って取ります。 先生の袴の裾が指先をを覆うことはご存じない。
私はこの虎の巻をもって先生のところに行きました。 先生は同じ攻め口で来られました。 先生が腹を緩め気当たりを懸けたとき、西村はスッと体を入れ打気を見せ、さらに面を見せました。 先生の無意識はシメタとばかりに面に来ました。 西村は引き出されたのではなく、相手の攻めに乗ってあげたのです。 精神的、心の先は西村に優位にあります。 先生に小手は見事に入りました。 次も同じ様な展開になって、小手を打ち面に伸び入りました。 既に八段になった人ですがこの話をすると、怒って言いました。 「岩立て先生に小手を打つなんて言語道断だ!」 そうでしょうか?彼の観念ではそうでしょう。 西村は剣道は自分のアイデンテイーの確立の修行だと思っています。 位を落とさなければ剣道を良く知る、ただの老人くらいにしか思っていません。 しかし、位を落とさないで範士に向かうのは通常、並み大抵の事ではありません。 しかし、西村は平然とやってのけます。 自分の歩んで来た人生に絶対の自信があり、その意味では例え範士といえども西村の方が勝っているとの確信があるからです。 死ぬかと思った時、自分の人生悔い無し!安らぎの世界へ行けるのもまた一興!くらいにしか思った過去があるからです。 死と対面して少しも心が騒がない心境に達してます。 まして立派な防具に身をまとっている、相手は竹で叩きに来るだけなのだ。 何を心動かす必要があろうか! この心境で対峙するのです。 どんな人にも心を打たれる事ないと確信しているのです。
だから九段が攻めてもピクリともしないのです。 相手がさらに深追いし、打って来たら儲け物くらいにしか思っていないのです。 この心境は剣道でなし得た事ではなく。 多くを経験し、本職の歯科医療も歯科医道と心得、診療室を歯科道場と日頃から修行をしている成果です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 月影の真髄 (再掲示) 西村雅興 2015年8月24日(月) 月影の真髄
右足をソロリと出すと、相手の心はこの足の甲に映る。 相手の心が動いた瞬間がこちらの捨てる時・・・・。 前からよく質問があった。 面に打って出られてしまうので困るのだ? 西村にはこのような事はないので、前から不思議に思っていた。 今回、青木君の右足が出た瞬間、相手は思いっきり面に出ている。 自分の面に呼び込んでしまっているのだ。 西村の場合はそれがないのだ。 そこで映像を十分に見てみた。 形の上では青木君も西村もやっていることは同じだ。 形は同じなのに何が違うか?
西村は相手を十分に攻め、ギリギリまで追い込んでいる。 相手は苦しくてしかたがない。 そこで『ア!』と大声を出して脅すと、ビックリして打って来る。 首筋の伸びを少し緩めて頭を前に出すと、シメタと思って打って来る。 仕掛ける前の相手の心を追い込んでおく必要がある。 このような心の関係が技前ですませておく必要がある。 このような状態でお、互いに一触即発の状態でゆるりと右足で間境を入って行く。 この入り方が上手いのが島野君です。 相手から見ればどこも変化がない様だが、何か攻め入って来ている様に感じる。 この苦しさが右足の甲に映る。 これを月影という。 この苦しくなって打とうのウ(相手の小胸が動く、左手が動こうとする)の瞬間に捨てて打つ・・・これが月影の真髄だ! 貴方の場合はサッと右足を出している。 次に、相手を面に呼び込んで胴を打つ場合は早く胴を打とうとしないで、相手を十分に引き出して体が前傾で伸び切ったところを余裕を持って胴に切る。 相手が七分出て、自分は三分の動きで良いから見えを切った十分な胴が打てる。 青木君の胴を見ると相手にすり抜ける様に出て胴を打っている。 すると0,5段下に見られる。 審査員から見ると面を打たれて胴に逃げた様に見られる。 この場合面の方に分が有ると判断される。 面に誘い十分に打ち込ませ、余裕をもって胴に捌くと1段上。 胴打ちの評価は難しいからそのつもりで。
先日。小林さんとの稽古で気がついたことがある。 彼の面のタイミングは七段に受かるものなのだ。 実際、審査では当たっていたと言った。 でも、落ちてしまった。 自分では攻めが不十分なのかと悩んでいると言った。 問題は竹刀が面布団を滑る様に打っている。 斬り込んでいないのだ。 早く当てたい意識が手が伸び切って、頭を擦る様な面になっている。 審査員が◎を付け難い打なのだ。 以前、西村と要稽古で打ち込みをしていた時はそうでなかった。 互角稽古で早く当てた方が勝ちとの気持ちの優先が軽い面打に変化した。 青木君の面も当たってはいるが、面布団に早く当てようとの意識が強いので、竹刀が面布団を滑る様に打っている。 さて、杉山さんが70才を超えて二回で七段に受かったのはこれだ! 岩立先生の松風館の基本稽古に通ったことだ。 西村も経験があるが、この基本稽古は誠に辛く苦しい。 稽古の後は腑抜けになるほど疲れる。 彼が言った「松風館で小突き廻されている!」 この稽古を毎週したのだ。 彼の面は冴えのある、強い打に変わった・・・すると、あっという間に受かった。 さて杉山さんには右足から静かに体を進め、あいての心が動いた瞬間心の命ずるままに面に打ち切る。
西村は彼が快心の面打ちをするための打ち込み台に徹することでした。 彼の剣道にこの心とタイミングを刷り込む事が西村の役目でした。 彼が更に、松風館の基本稽古に行きクタクタ、ヘロヘロになるまで稽古をした。 試験前に稽古をした時、もう受かるよ!と、西村が言い、その通りになった。
昨日、西村が指導をして七段になった先生方、普段の稽古を見ると本来の面を打っていない。 しかし、凄く強い八段の先生との稽古では持てる全てで面を打っていた。 やるな!と思うくらいの面を打っていた。 もちろん面に当たる事無く胴に捌かれているが、面の打ち切りは見事だった。 同じ人でも相手が変われば本気の面を打つ。 小細工、色気が通じなくなると、全身全霊で面に打切る。 剣道は竹刀で楽しんでいるだけだと慣れの世界に入って進歩が無い。 良き指導者に食いついて齧り付いてこそ進歩が有る。
次は必ず受かると思う。 一回一回の稽古を真剣にして、次に臨んで下さい。
最近、ほとんどが指導稽古なのだが、相手の最期の打に驚く様な面を打つ。 ここまで引き上げて行くのが快感だ! 打った本人も驚いている。 この一本こそが大切なのだ。
最近、稽古をお願いする機会はほとんど無いが、15年ぶりにある超有名な範士八段と稽古をした。 自分の成長を確認する為の稽古だった。 以前は全く歯が立たない相手だったが、今回は終始五分の稽古だった。 お互い良いところは一本も入らなかった。 先生から今日の稽古は楽しかったと褒められた。 70才も近くなると気位は誰と対峙しても落ちる事は無い。 ツリー全体を読む
△上に戻る 気をつける事 西村雅興 2015年6月3日(水) 月影の真髄
右足をソロリと出すと、相手の心はこの足の甲に映る。 相手の心が動いた瞬間がこちらの捨てる時・・・・。 前からよく質問があった。 面に打って出られてしまうので困るのだ? 西村にはこのような事はないので、前から不思議に思っていた。 今回、青木君の右足が出た瞬間、相手は思いっきり面に出ている。 自分の面に呼び込んでしまっているのだ。 西村の場合はそれがないのだ。 そこで映像を十分に見てみた。 形の上では青木君も西村もやっていることは同じだ。 形は同じなのに何が違うか?
西村は相手を十分に攻め、ギリギリまで追い込んでいる。 相手は苦しくてしかたがない。 そこで『ア!』と大声を出して脅すと、ビックリして打って来る。 首筋の伸びを少し緩めて頭を前に出すと、シメタと思って打って来る。 仕掛ける前の相手の心を追い込んでおく必要がある。 このような心の関係が技前ですませておく必要がある。 このような状態でお、互いに一触即発の状態でゆるりと右足で間境を入って行く。 この入り方が上手いのが島野君です。 相手から見ればどこも変化がない様だが、何か攻め入って来ている様に感じる。 この苦しさが右足の甲に映る。 これを月影という。 この苦しくなって打とうのウ(相手の小胸が動く、左手が動こうとする)の瞬間に捨てて打つ・・・これが月影の真髄だ! 貴方の場合はサッと右足を出している。 次に、相手を面に呼び込んで胴を打つ場合は早く胴を打とうとしないで、相手を十分に引き出して体が前傾で伸び切ったところを余裕を持って胴に切る。 相手が七分出て、自分は三分の動きで良いから見えを切った十分な胴が打てる。 青木君の胴を見ると相手にすり抜ける様に出て胴を打っている。 すると0,5段下に見られる。 審査員から見ると面を打たれて胴に逃げた様に見られる。 この場合面の方に分が有ると判断される。 面に誘い十分に打ち込ませ、余裕をもって胴に捌くと1段上。 胴打ちの評価は難しいからそのつもりで。
先日。小林さんとの稽古で気がついたことがある。 彼の面のタイミングは七段に受かるものなのだ。 実際、審査では当たっていたと言った。 でも、落ちてしまった。 自分では攻めが不十分なのかと悩んでいると言った。 問題は竹刀が面布団を滑る様に打っている。 斬り込んでいないのだ。 早く当てたい意識が手が伸び切って、頭を擦る様な面になっている。 審査員が◎を付け難い打なのだ。 以前、西村と要稽古で打ち込みをしていた時はそうでなかった。 互角稽古で早く当てた方が勝ちとの気持ちの優先が軽い面打に変化した。 青木君の面も当たってはいるが、面布団に早く当てようとの意識が強いので、竹刀が面布団を滑る様に打っている。 さて、杉山さんが70才を超えて二回で七段に受かったのはこれだ! 岩立先生の松風館の基本稽古に通ったことだ。 西村も経験があるが、この基本稽古は誠に辛く苦しい。 稽古の後は腑抜けになるほど疲れる。 彼が言った「松風館で小突き廻されている!」 この稽古を毎週したのだ。 彼の面は冴えのある、強い打に変わった・・・すると、あっという間に受かった。 さて杉山さんには右足から静かに体を進め、あいての心が動いた瞬間心の命ずるままに面に打ち切る。
西村は彼が快心の面打ちをするための打ち込み台に徹することでした。 彼の剣道にこの心とタイミングを刷り込む事が西村の役目でした。 彼が更に、松風館の基本稽古に行きクタクタ、ヘロヘロになるまで稽古をした。 試験前に稽古をした時、もう受かるよ!と、西村が言い、その通りになった。
昨日、西村が指導をして七段になった先生方、普段の稽古を見ると本来の面を打っていない。 しかし、凄く強い八段の先生との稽古では持てる全てで面を打っていた。 やるな!と思うくらいの面を打っていた。 もちろん面に当たる事無く胴に捌かれているが、面の打ち切りは見事だった。 同じ人でも相手が変われば本気の面を打つ。 小細工、色気が通じなくなると、全身全霊で面に打切る。 剣道は竹刀で楽しんでいるだけだと慣れの世界に入って進歩が無い。 良き指導者に食いついて齧り付いてこそ進歩が有る。
次は必ず受かると思う。 一回一回の稽古を真剣にして、次に臨んで下さい。
最近、ほとんどが指導稽古なのだが、相手の最期の打に驚く様な面を打つ。 ここまで引き上げて行くのが快感だ! 打った本人も驚いている。 この一本こそが大切なのだ。
最近、稽古をお願いする機会はほとんど無いが、15年ぶりにある超有名な範士八段と稽古をした。 自分の成長を確認する為の稽古だった。 以前は全く歯が立たない相手だったが、今回は終始五分の稽古だった。 お互い良いところは一本も入らなかった。 先生から今日の稽古は楽しかったと褒められた。 70才も近くなると気位は誰と対峙しても落ちる事は無い。 ツリー全体を読む
△上に戻る 32-過去ログから 相手の動きを読む 西村雅興 2014年1月10日(金) 早速テレビをつけてみると、『剣道の極意』でした。 剣道の達人の佐藤博信先生と若い学生との剣道の違いから、極意を見つける番組でした。
その一:体重は上下しないで打つ。 佐藤先生の腰は真っ直ぐに前に前進しているが、学生は一度重心を下げそして蹴って打っている。 その二:竹刀は緩やかに握ってスナップを利かす。 佐藤先生は軽く打っても大きな衝撃を記録した。 その三:忘れました!
佐藤先生は「俺はもう剣道を止める。」と言われたのを、西村が身体を整えて思い返してもらった。 てでビデ拝見すると御元気そうでした。
これからが本題です。 先生、学生、素人の三人早押しクイズ 「さて、この人はどこを打つのでしょうか?」でした。
佐藤先生はあっという間にボタンを押した。 「それは、胴です。」
司会者が「何故判りましたか?」の質問に先生は次の様に答えた。 「竹刀の先がやや右の方を向きながら上がって行く。 これは胴を打つための準備に、そのようにやや回転させて振りかぶるから判る。」 「おなじく、面は真っ直ぐ前に伸びて来るので分かる。」
このように、意識が働くと身体はその目的に適う様に動く。 その動きの過程の早期に起こる動きを察知すれば、相手の裏をかける。 だから、打つところを決めて打ちに行けば、決めたとほぼ同時に相手に察知される。 打つところを決めたとほぼ同時に身体はその方向に動くから、その動きをとめる事はできない。 結論は打って出れば打たれる。
次に、佐藤先生の動きから剣道の素人の司会者が、佐藤先生の打ちを早期に当てた。 名人の色が出にくい打ちの早期の段階で、素人が当てたから面白い。 このように、打つところを決めて打っていくと、名人でも素人に見破られるということです。
しかし、それはテレビの、モニターで見ているから冷静に判るので、実際に面を着けて正面に立つとそうは行かない。
剣道が未熟な内は、相手の動きを早期に察知できないから、先に打って出たほうが当たる率は高い。 高段者になるとその察知能力が高いから、左手をあげて打って出たほうが負けとなる。
そこで、体で先を懸け、剣が待で、相手を引きだし、相手の動きを察知し対応する。 『相手に従っての勝ち。』となる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 胴打ちを考える 西村雅興 2013年12月11日(水) 過去の親記事一覧表から『胴』 を検索して過去記事を熟読してみましょう。 胴打ちは相手を面に呼び込み、体の裁きで相手に居ない面を打たせることです。 七段になると元立ちに立つ事が多くなる。 そこで立派な胴が打てる様になると七段の品格が出て来る。 この時、覚悟、重心の滑落、手元のパンタグラフ様の動き、左足の引きつけで切る。 竹刀の先は大きく動かさずに挙げた右手をストンと落とし右手の鍔元で斬る。 このレベルになると正に武術的身体動作の極意が要求されます。 八段の先生を見ても出来る先生は少ない。
ちなみに原田先生は抜き胴で範士になった。 京都の立ち合いで相手の先生に範士の声がかかっていたそうな。 しかし、相手の先生、原田先生に見事に胴に切って落とされた。 それで、相手に行くはずの範士の称号が原田先生に転がり込んだと言う訳だ。 相手の先生はその年は範士を見送りになった。 原田先生が言った「朝稽古で西村に打ったあの胴が立ち合いで出た。すると範士が転がり込んで来た。」 判らん物だなあ!
現代剣道は面、面、何がなくても面の世界だ! 剣道を武術的、武道的に極めようとすると『胴』の世界を考察すれば良い。 この手ほどきをいたします。
ちなみに、西村が胴に感心を持ったのは乳井先生が左右の二つ胴を斬るところをビデオで見たときでした。 何であんな事が出来るのかと不思議でした。 寝ても覚めてもあの胴が頭から離れない事が一年間・・・・。 判った『浮き腰』の活用だった。
重心の滑落の応用が出来ると面返し胴が出来る様になった。 松風館の稽古で強い七段に面返し胴を打った時、それを岩立て先生が見ていて、右手で胴を打つ動きをしながら、「あれは良かった!」と褒めてくれた。
西村の大きな身体が相手の横を風がすり抜ける様にすれ違い、胴を斬る。 誰もが不思議がる? これが武術的身体動作のなせる技なのだ。 既に七段になった先生で八段を目指さない先生方・・・・。 剣道の妙技について胴打ちを主体に説明いたします。 この先にあるのは抜き胴(原田流抜き胴)、さらに進めば「無刀取り』(柳生流)の世界へと入って行きます。 この無刀取り(真剣白刃取)の前に有るのが小太刀の入り身の極意です。 この辺りが判って来ると『剣豪小説』の世界に入って来る。 すると、『剣道は我が身を捨てて、自分を知る』世界へと繋がって行く。 高段者の先生方に西村の研究成果をゆっくりと説明したいと思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 参考までに! 西村雅興 2013年5月9日(木) 秘伝最終章
西村的には武道の最終は奥深い所にある自分を見いだすことにあると思う。 あの柔道家・山下が足を痛めて立っているのがやっとのオリンピックの決勝戦の時、 今まで稽古をしたことがない、掛けたことのない技が出て勝ってしまった。 勝ったと云うよりは、勝ってしまった・・・が正直なところのようだ。 【負けに不思議の負け無し、勝ちに不思議の勝ちあり。】 とっさに身体が勝手に何かをして勝ってしまい、その時は自分の意識は全く働かなかった状態のことを言う。 【不動智】の智が働いた状態を言う。 一般的には【不動心】が良く知られているが、そこを掘り下げた境地だ。
京都で原田先生から【不動智】と書いた敷布を頂いた。 先生が言った『西村ならこの意味が分かるだろう。』と言いながら。 その時は自分の頭の中には【不動心】しかなかった。 先生が言った。 「不動心では相手に、その場の状況に対応出来ない、【智】が働かなければ役に立たない。」 その時は良く分からなかった! その時から【智】を考え始めた。 あるとき、これが【智】かと分かった瞬間があった。
小川忠太郎・十段が原田先生に言ったそうな。 『息を踵から吐き切れ、そして更にそれを踵から上げるのだ。』 西村も原田先生との武道館の稽古でそれをやってみた。 息をゆっくり吐き続け踵から吐き切った状態になっても、息をつかず更に踵から息を吐く感じを足に上げてきた。 息を吐き続けて行き、更に息が出ない状態でも息を吐き続けている意識はある。 息を吸わずに立っていると、一瞬フラッとして前に倒れる様な状態になってしまた。 意識が完全に飛んでしまった状態だ。 気がつくと原田先生と体が入れ替わっていた。 知らない間に面を打っていた様だ! 先生が良い面だと褒めてくれたが、打ったことは全く意識が無い。 今思うと、フラッとして西村が倒れようとする瞬間、原田先生は西村の面を打とうとしたに違いない。 西村の智が働き(本応的防御機構)面を打っていた様だ。 先生との30年を超える長い期間の稽古で、西村は打とうとして入ったことは一度も無い。 思えば身体の予備動作を通じて、先生に正体をバラしているので入る訳がないからだ。 要は意識が働くとそれに対応する準備の行動が身体を動かし、予備動作を通じてこちらの意思を相手に発信しているのだ。 剣道の極意は思わず打ってしまった!・・・神妙剣・・・これがが極意だ!
江戸川区でまだ稽古をしていた時だった。 当時、西村六段、相手は七段で遅れを取っていた相手との稽古のことだった。 ふっと気がつくと相手の向こう側にいる自分に気がついた。 相手は微動だにしないでそのままであった。 相手からすれば、風が吹いた様にしか感じないうちに、西村が面を打って通り抜けた様な感じだったと思う。 面白いのは二人の稽古を右上斜め2メートルくらいからこれを眺めているもう一人の自分がいるのだ。 この自分はさーっと面を打っている西村を見つめていた。 あれから15年くらいたつと思うが、いまだに鮮明にその映像は出てくる。 当時この剣道をした自分に有頂天になったが、その奇跡は二度と起こらなかった。
古い話になるが、西村が積水を退学して、東京の高校に一年生から入学した。 剣道部が無いので寄せ集めの部員で剣道部をつくった。 それでも初年度で東京都でベスト8にはいった。 試合前に少し稽古をするレベルの剣道部だった。 世田谷区の試合で国士舘高校と対戦すると、前の四人は全部二本負けで西村のところに廻ってくる。 西村は簡単に二本勝ちで負かしていた。 そんなことが二年続いた。 三年目のことだった。 国士舘の大将は既に大学生になり応援に来ていた。 この学生が「先輩!いつ高校を卒状するのですか?」と聞いた。 そう思うのも無理がない。 西村は既に大学三年の年齢だから・・・・。 そんな時の三年目の試合だった。 あろう事か、大将戦にまで持って来たのだ。 この時は西村も慎重に対戦したらしい。 時間間際か、延長戦になったか忘れたが、フッと気がついたら相手と体は入れ替わっていた。 抜胴で勝っていたらしい。 西村の方に旗は揚がっていたが何で勝ったか分からない。 引き上げて行くと見事な抜胴だったと聞いた。 西村の剣道には抜胴は全く無い。 手の内の稽古で面返し胴の稽古はしたことはあるが、胴を打って勝つ等との発想がない人だったのだ。 どうした訳か・・・抜胴で勝とは? 稽古でも試合でもかって一回もしたことが無い抜胴だから。 このとき、この現象は全く理解出来なかった。
学生時代、岩手県大会の2〜3段の部での決勝戦だった。 試合前に岩手日報に台風の目、医大の西村選手と書かれていた。 試合会場に行くと先生方から台風の目と冷やかされた。 決勝戦、相手は県警の選手で先方を負かされる剣道のプロだ。 この時の決まり技が小手だった。 普段西村は小手は打たなかった。 試合中に相手の小手が急に大きくクローズアップされて目に飛び込んで来た。 思わずこてを打ってしまった様だ。 打ってしまった!こんな感じです。
椎名先生が大柄な八段と稽古をされていた。 椎名先生曰く「相手は参った!と面を捧げて来る、そこを打つ!」 その通りの面を打って相手と蹲踞に入った。 やはり見事だった! 剣道の本質が分かっている先生の剣道は見ていて本当に嬉しい! 過去二回の椎名先生との稽古 西村は参ったと見せる! 二回前の椎名先生との稽古ではこの面を見せたとき、来たと思ったが間一髪胴に返すのが遅れてしまった。 完敗だったが、心を動かせた事は満足だった。 間合いが深すぎたのが敗因だった。 しかし、この間合いでも左に捌けば・・・との思いがあった。 頭が胴に捌くと決めてけていた事が智を押さえ、神妙剣にならなかった。 次回は左に捌き胴と思っていた。 この左捌きの同には絶対の自信がある。 やはり頭で剣道をしているのだ。 しかし、今回は全く同じ状態で先生が面に来た時、無意識が小手を斬っていた。 無意識の打ちだけに冴えていた。先生が参ったと小手を上げ蹲踞になった。 捨てて見せて打たれに入れば、椎名先生の見事な面も無意識は小手に斬った。 西村の頭は左に捌いて胴を打つつもりだった。 智の作用は小手を打ち,見事に入った。 西村は無意識に打っていたのだ。 これが神妙剣だ! 剣道は自分の意識をここに連れて行く動的瞑想なのだ。 もう一人の自分に出会う旅なのだ!
【剣道は読みと反射】 相を読む 相手の予備動作を介して相手の無意識を読み、相手を動かして勝ちを得る。 これが陰流の極意だ。 西村の剣道は通常この剣道をしている。
相手が剣道のプロ故に身に付いている無意識の反射がある。 範士八段、九段の名剣士との稽古に使う。
原田先生との稽古 原田先生との稽古で西村の右足は1センチくらい床の上を静かに進んでいる。 いつ左手を動かすか、我慢に我慢を重ねても先生の方が我慢強い! ここと思いすてきって面を打つが、見事に小手か胴を斬られる。 先生はこの瞬間を待っているのだ。 このとき先生は何も考えないで反射的に小手か胴を斬っている。 あるときふーっと閃いた。 攻め口は全く同じで、もう打つしか無いという瞬間に右膝をクッと前に出す。 先生の反射はこことばかりに反応する。 しかし、直ぐに違うと感じる。 先生の中でスウイッチング(指令系統の乱れ)が起きた瞬間だ。 ここを西村の無意識が捉えて面を打つ。 面を打つと云うよりは身体に蓄えられた内部応力(為め)を解放する、左手を解放する瞬間だ。 先生は「参った!」と褒めて剣道は茫然自失状態だった。 剣道の興味が失せ数ヶ月は剣道のことは全く頭に上って来なかった。 【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない】 【覚悟を決めて足と体は勧める、後は自分の内なる[智]を信じきるだけだ。】
最近は時々決まる様になった。 相手の長年蓄えられた読みと反射の世界を逆手に取る方法だ。
これは相手が名範士ほど決まる。 静岡の井上先生 何をやっても手玉に取られる先生だ。 先生が面においでと合図をする。 はい!とばかりに足を進め身体は面に打ちに行く。 しかし、左小手は先生の左手が動くのを待っている。 先生は『おお面に来たか!と思い小手を打ちにくる』。 西村はそこを軽く小手を刷り上げ面を打つ。 同じ面が数本決まる。
これは四国の大先生の西野吾郎先生にも同様に決まった。
賀来先生との最後の稽古 前回は西村の小手面が決まりお褒めを頂いていた。 今回は先生と稽古をしている相手が、合図により引き出され捌かれていた。 西村の番になった時、先生はやはり面を打てとばかりに合図をされる。 西村はこのお誘いに乗って上げる。 先生は来たかとばかりに、対応しょうと左手を動かす。 西村の無意識はそれを見て適切に対応して、上がりかけた小手を打ち面に伸びる。 ゆっくりと申し合わせ稽古、形稽古の様に決まる。 周りで見ている人からすれば不思議な光景だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 続き 無刀の位を考える 西村雅興 2012年3月1日(木) 西村は会長に道場でナイフの使い方を教わったことがある。 ナイフの刺し方は下げた手を振り子の様に下から押し上げるだけである。 (胸から真っ直ぐ前に突くと方向が定まらない。) 腕に自信の有る西村だが、得物の長さはハンディーを感じて身体中に一瞬緊張が走る。これは60センチの小太刀をもって槍と対峙した時と同じ感覚が起きた。 頭でなく、身体が間合いの不利を感じているのだ!
ナイフで相手に対峙する時は相手の打の的を最小限にする為の身を屈め身をすくめる。身体は不利を覚悟で対峙しているから感性は最高度に達しているのを感じる。 心は覚悟をしているから静かだが、身体はアドレナリン全開なのだ。
相手が打とうと振りかぶろうとする瞬間に、手元が開きかけて腹から胸の気の圧力が抜けた所に身体が吸い込まれる感じで振り子の手が伸びた。 その瞬間は自分でも驚く様な、絶妙の入り身だった。 いつで出たかさえ判らない、神速の動きと言える。 今思えば【不動智】の身を護る本能、叡智、智が働いた瞬間なのだ。
今度は得物を持ち替えて対峙した。 結果は非常に似ていた。
当時、何とも不可解な不思議な感じがした。 どうしてこんなことが起きるのだろうと首を傾げたものだ。
自分なりの結論はこうだ。 得物により間合いが有利だと、得物で処理をしょうとする。 振りかぶり振り下ろすの小太刀の動きをする。 得物有利と思う慢心が得物中心の攻撃の動きをして、身体の動きを疎かにする。 有利を確信している自分は、自分から相手の頭を打ちに行く。 (いわゆる剣道でいう『先に打って出た方が負けの大原則』に反するのだ。) (打とうと無意識が思た瞬間、それは身体の微妙な予備動作で正体がばれている。) 得物、間合いが不利と覚悟をし、あえてそれに対峙しているは死を覚悟したに等しい。 いわゆる自分を空しゅうして相手に対峙している訳だ。 間合いの不利を何とか補おうとする智が働き、打をよける、早く刺すとの意識より、間合いの不利を克服する無意識の動きが働く。 そして、相手の心が動き予備動作が始まる瞬間をとらえて体を滑り込ませる。 手は勝手に下から押上、ナイフは相手の腹か胸に刺さるということになる。
結論は長い方は意識で動き、短い方は無意識で動いている・・・これに尽きる。
西村はこのとき考えた・・振りかぶりの動作そのものが遅れを取るのだと。 先に振りかぶることが負けにつながると考えた。
そこで、自分の得物が小太刀で相手がナイフの場合、如何に相手に先に刺しに来させるかを考えた、更に振りかぶり打つ動作を捨て、手首で扇打で相手の横面を打つ、相手が出して来たナイフをやや後方に間をきり小手を打つことにした。 このとき自分から打って出て行かないから、やや前足に体の重さを乗せ、瞬時に後退出来る体制をとった。 ときに、相手の感性を逆手に取り、フェイントをかけ引き出した。
これをやると得物、間合いの有利が如実に出て100%勝ちを納めれる様になった。 しかし、自分から面を打ちに行くと相当ヤバイ結果になった。
今の西村には剣道ではこのように活かされている。 相手と十分に同調したあと、相手に面を差し出し、相手に面を打つようにしむける。 いわゆる捧身の位(身を捧げる)を取ると、相手は思わず面を打とうとする。 相手の振り上げに身体は吸い込まれ、左手の上がり鼻の小手を打つ。 同じ様に面返し胴を打つ。
この時、手に得物が無いと覚悟をすると【抜き胴】になる。 原田先生の抜き胴は絶妙で誰も真似が出来ない。 あるとき気がついた。 原田先生は竹刀を持っている意識が薄いのだと。 時に竹刀を活かし、時に体の捌きのみで対応している。 この体の捌きのみでの対応はまさに無刀の位の対応である。
【ロゴ検索で 抜き胴 を検索して十分にお読み下さい。】
【無刀の位】は自分を空しゅうして相手に対峙する、打つ前に捨てる心境の位である。 どうやら剣術から柔術的対応の秘術であると思う。
昔、中倉清先生が合気道の開祖・植芝先生の養子になったことがある。 植芝先生は自分の跡を継ぐのは彼しかいないと見込んだと聞く。 その頃、剣道界で奇才と言われた羽賀準一先生が無刀取りを聞いて、そんな馬鹿なことは無いと言って乗り込んだが、見事に転がされ木刀を取られてしまった。 こんな逸話が有る。 中倉先生の抜群の強さの中には合気道を修行した経験が生かされていると思う。 植芝先生は精神的に出口出口王仁三郎に師事したと聞く。 中倉先生をして、植芝先生の域に達せないと思い養子縁組を解消したと聞く。
サイトから拾った記事を参考に載せる。 無刀取り(むとうどり) 無刀取りとは映画やテレビでやるように両手で相手の太刀をはさみこんで、もぎ取るようなやり方ではない。「とる」ということは柔道で一本とるというように「勝つ」ということで無刀で勝つことである。 これは柳生石斎の創始にかかるものであるが、その子宋矩は次のようにいっている。 一、無刀取りとは必ずしも相手の刀を取らねばならぬことではなく、自分が無刀の折に相手を制する技である。 二、相手を恐れず敵の間合いのに入り「切られて取る」覚悟がコツである。 「たんだ踏みこめ神妙の剣」というのが柳生流の秘剣中の秘剣といわれているが無刀取りはその精神の極致を発露したものである。
「無刀取り」は、無刀の位とも呼ばれる柳生新陰流の極意のひとつです。
あいにく、滅多に公開されるものではないので、実際に柳生新陰流宗家の無刀取りを観たことはありませんが、NHK大河ドラマの中で二度ほど観たことがあります。一回目は、「春の坂道」の萬屋錦之助さんが演じる柳生宗矩の、二度目は「武蔵」の藤田まことさんが演じる柳生石舟斎の殺陣です。
お二人とも、右足を前に、大きく足を開いた姿勢で背中を丸め両手をだらりと下げるという身構えから、じりじりと相手に接近し、こらえきれずに相手が正面に斬り込んでくる拍子の裏をとって懐に入り、その刀を取り上げるというもので、合気道の入り身に似た動きでした。
これが、どれだけ本当の無刀取りを模したものなのかは分かりませんが、柳生新陰流21世柳生延春氏と親交のあった作家、津本陽氏の「柳生兵庫助」には、背中を丸めて両手をだらりと下げた身構えを「一円」の構えとして、上記と同じ理合いの無刀取りが描写されていますから、かなり正確に柳生家による武術指導があったのではないかと思います。
ただ、江戸柳生の流祖である柳生宗矩の「兵法家伝書」によると、無刀取りは、必ずしも刀をとる必要はなく、相手を制すればよいこと、そして相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います。』 『相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る」という気構えが大事であるとのことですから、技術というより、柳生新陰流の特徴たる相撃ちの極致を示す気構えであり、形にこだわるのは却ってその本質を損なうものであろうとも思います』 西村の反論 やっぱり本当にそれをなし得ることだと思う。 羽賀先生に植芝先生は簡単にやってのけたのだから。
武蔵の『柄を離す』の心境も間合いと入り身と体の捌きで相手に対峙することで、その根本は自分を空しゅうして相手に対峙する心境である。
相手の無意識が打つと心が少し動いたとき、自ら斬られに入ると相手は打つしか無い。 相手の無意識が動き、有意識が打つと決める間にはかなりのタイムラグが有る。 このタイムラグの間に相手の懐へスルリと吸い込まれる様に入り、相手の柄を持っと、相手の前進の力を利用して投げるのだ。 【相手を恐れず敵の間合いに入り「斬られて取る】 西村の剣道では実際、ほとんどがこの動きで捌いて取っている。 西村の実際は次を見ればその片鱗が見えると思う。 相手は若手の錬士六段の県を代表して全国大会に出場するレベルの女性です。 しかし、西村の先(足の先)により申し合わせ稽古の様に銅を打たれている。 西村の動きはゆったりとした動きです。 YouTube の 2011京都大会 朝稽古 を見て下さい。
無刀の位、無刀の境地は死ぬも生きるも超越した境地なのだ。 吾と天地が一体になった時、相手が自分に害を及ぼそうとした時、身体が勝手にそれに対応している。
あるとき、京都の朝稽古で賀来先生に稽古をお願いした。 自分が思えば先生に伝わっていることは知っている。 そこで、植芝先生の宇宙の中に溶け込む、天地自然と合一化を目指した。 賀来せんせいの前に竹刀を持って立っているが、先生を見ている訳ではない。 ただ宇宙の気を頭から取り入れ足から地に返しその循環を意識した。 前にいる賀来先生の存在すら意識が無い状態になった。 その時、賀来先生が打って来た小手を摺上げ面を打っていた。 面を打った瞬間に吾に帰ったのだ。 いつも出来る訳ではないが、西村は時々出来る。 賀来先生が後から言った。 「西村は隙だらけだ!」あれほどの先生でもその時の西村を隙だらけだと思い小手を打つと、西村の『智』に見事に摺上げられ面を打たれたのだ。 これは師匠との稽古で息を吐き続け目の前がくらっと暗くなった瞬間、先生の面を見事に打っていた経験が有る。 これと同じだ。
山岡荘八先生の柳生石船斎の本の一節を書いておく。 『人間は、人間を作った天地自然と合一化した時に、一つの不思議を顕現し得る力を持ている・・・』 いわゆる神妙剣の極意なのだ。
この状態に意識が変成したとき、信じられない動きが出来るのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 秘伝最終章 西村雅興 2012年1月30日(月) 秘伝最終章
西村的には武道の最終は奥深い所にある自分を見いだすことにあると思う。 あの柔道家・山下が足を痛めて立っているのがやっとのオリンピックの決勝戦の時、 今まで稽古をしたことがない、掛けたことのない技が出て勝ってしまった。 勝ったと云うよりは、勝ってしまった・・・が正直なところのようだ。 【負けに不思議の負け無し、勝ちに不思議の勝ちあり。】 とっさに身体が勝手に何かをして勝ってしまい、その時は自分の意識は全く働かなかった状態のことを言う。 【不動智】の智が働いた状態を言う。 一般的には【不動心】が良く知られているが、そこを掘り下げた境地だ。
京都で原田先生から【不動智】と書いた敷布を頂いた。 先生が言った『西村ならこの意味が分かるだろう。』と言いながら。 その時は自分の頭の中には【不動心】しかなかった。 先生が言った。 「不動心では相手に、その場の状況に対応出来ない、【智】が働かなければ役に立たない。」 その時は良く分からなかった! その時から【智】を考え始めた。 あるとき、これが【智】かと分かった瞬間があった。
小川忠太郎・十段が原田先生に言ったそうな。 『息を踵から吐き切れ、そして更にそれを踵から上げるのだ。』 西村も原田先生との武道館の稽古でそれをやってみた。 息をゆっくり吐き続け踵から吐き切った状態になっても、息をつかず更に踵から息を吐く感じを足に上げてきた。 息を吐き続けて行き、更に息が出ない状態でも息を吐き続けている意識はある。 息を吸わずに立っていると、一瞬フラッとして前に倒れる様な状態になってしまた。 意識が完全に飛んでしまった状態だ。 気がつくと原田先生と体が入れ替わっていた。 知らない間に面を打っていた様だ! 先生が良い面だと褒めてくれたが、打ったことは全く意識が無い。 今思うと、フラッとして西村が倒れようとする瞬間、原田先生は西村の面を打とうとしたに違いない。 西村の智が働き(本応的防御機構)面を打っていた様だ。 先生との30年を超える長い期間の稽古で、西村は打とうとして入ったことは一度も無い。 思えば身体の予備動作を通じて、先生に正体をバラしているので入る訳がないからだ。 要は意識が働くとそれに対応する準備の行動が身体を動かし、予備動作を通じてこちらの意思を相手に発信しているのだ。 剣道の極意は思わず打ってしまった!・・・神妙剣・・・これがが極意だ!
江戸川区でまだ稽古をしていた時だった。 当時、西村六段、相手は七段で遅れを取っていた相手との稽古のことだった。 ふっと気がつくと相手の向こう側にいる自分に気がついた。 相手は微動だにしないでそのままであった。 相手からすれば、風が吹いた様にしか感じないうちに、西村が面を打って通り抜けた様な感じだったと思う。 面白いのは二人の稽古を右上斜め2メートルくらいからこれを眺めているもう一人の自分がいるのだ。 この自分はさーっと面を打っている西村を見つめていた。 あれから15年くらいたつと思うが、いまだに鮮明にその映像は出てくる。 当時この剣道をした自分に有頂天になったが、その奇跡は二度と起こらなかった。
古い話になるが、西村が積水を退学して、東京の高校に一年生から入学した。 剣道部が無いので寄せ集めの部員で剣道部をつくった。 それでも初年度で東京都でベスト8にはいった。 試合前に少し稽古をするレベルの剣道部だった。 世田谷区の試合で国士舘高校と対戦すると、前の四人は全部二本負けで西村のところに廻ってくる。 西村は簡単に二本勝ちで負かしていた。 そんなことが二年続いた。 三年目のことだった。 国士舘の大将は既に大学生になり応援に来ていた。 この学生が「先輩!いつ高校を卒状するのですか?」と聞いた。 そう思うのも無理がない。 西村は既に大学三年の年齢だから・・・・。 そんな時の三年目の試合だった。 あろう事か、大将戦にまで持って来たのだ。 この時は西村も慎重に対戦したらしい。 時間間際か、延長戦になったか忘れたが、フッと気がついたら相手と体は入れ替わっていた。 抜胴で勝っていたらしい。 西村の方に旗は揚がっていたが何で勝ったか分からない。 引き上げて行くと見事な抜胴だったと聞いた。 西村の剣道には抜胴は全く無い。 手の内の稽古で面返し胴の稽古はしたことはあるが、胴を打って勝つ等との発想がない人だったのだ。 どうした訳か・・・抜胴で勝とは? 稽古でも試合でもかって一回もしたことが無い抜胴だから。 このとき、この現象は全く理解出来なかった。
学生時代、岩手県大会の2〜3段の部での決勝戦だった。 試合前に岩手日報に台風の目、医大の西村選手と書かれていた。 試合会場に行くと先生方から台風の目と冷やかされた。 決勝戦、相手は県警の選手で先方を負かされる剣道のプロだ。 この時の決まり技が小手だった。 普段西村は小手は打たなかった。 試合中に相手の小手が急に大きくクローズアップされて目に飛び込んで来た。 思わずこてを打ってしまった様だ。 打ってしまった!こんな感じです。
椎名先生が大柄な八段と稽古をされていた。 椎名先生曰く「相手は参った!と面を捧げて来る、そこを打つ!」 その通りの面を打って相手と蹲踞に入った。 やはり見事だった! 剣道の本質が分かっている先生の剣道は見ていて本当に嬉しい! 過去二回の椎名先生との稽古 西村は参ったと見せる! 二回前の椎名先生との稽古ではこの面を見せたとき、来たと思ったが間一髪胴に返すのが遅れてしまった。 完敗だったが、心を動かせた事は満足だった。 間合いが深すぎたのが敗因だった。 しかし、この間合いでも左に捌けば・・・との思いがあった。 頭が胴に捌くと決めてけていた事が智を押さえ、神妙剣にならなかった。 次回は左に捌き胴と思っていた。 この左捌きの同には絶対の自信がある。 やはり頭で剣道をしているのだ。 しかし、今回は全く同じ状態で先生が面に来た時、無意識が小手を斬っていた。 無意識の打ちだけに冴えていた。先生が参ったと小手を上げ蹲踞になった。 捨てて見せて打たれに入れば、椎名先生の見事な面も無意識は小手に斬った。 西村の頭は左に捌いて胴を打つつもりだった。 智の作用は小手を打ち,見事に入った。 西村は無意識に打っていたのだ。 これが神妙剣だ! 剣道は自分の意識をここに連れて行く動的瞑想なのだ。 もう一人の自分に出会う旅なのだ!
【剣道は読みと反射】 相を読む 相手の予備動作を介して相手の無意識を読み、相手を動かして勝ちを得る。 これが陰流の極意だ。 西村の剣道は通常この剣道をしている。
相手が剣道のプロ故に身に付いている無意識の反射がある。 範士八段、九段の名剣士との稽古に使う。
原田先生との稽古 原田先生との稽古で西村の右足は1センチくらい床の上を静かに進んでいる。 いつ左手を動かすか、我慢に我慢を重ねても先生の方が我慢強い! ここと思いすてきって面を打つが、見事に小手か胴を斬られる。 先生はこの瞬間を待っているのだ。 このとき先生は何も考えないで反射的に小手か胴を斬っている。 あるときふーっと閃いた。 攻め口は全く同じで、もう打つしか無いという瞬間に右膝をクッと前に出す。 先生の反射はこことばかりに反応する。 しかし、直ぐに違うと感じる。 先生の中でスウイッチング(指令系統の乱れ)が起きた瞬間だ。 ここを西村の無意識が捉えて面を打つ。 面を打つと云うよりは身体に蓄えられた内部応力(為め)を解放する、左手を解放する瞬間だ。 先生は「参った!」と褒めて剣道は茫然自失状態だった。 剣道の興味が失せ数ヶ月は剣道のことは全く頭に上って来なかった。 【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない】 【覚悟を決めて足と体は勧める、後は自分の内なる[智]を信じきるだけだ。】
最近は時々決まる様になった。 相手の長年蓄えられた読みと反射の世界を逆手に取る方法だ。
これは相手が名範士ほど決まる。 静岡の井上先生 何をやっても手玉に取られる先生だ。 先生が面においでと合図をする。 はい!とばかりに足を進め身体は面に打ちに行く。 しかし、左小手は先生の左手が動くのを待っている。 先生は『おお面に来たか!と思い小手を打ちにくる』。 西村はそこを軽く小手を刷り上げ面を打つ。 同じ面が数本決まる。
これは四国の大先生の西野吾郎先生にも同様に決まった。
賀来先生との最後の稽古 前回は西村の小手面が決まりお褒めを頂いていた。 今回は先生と稽古をしている相手が、合図により引き出され捌かれていた。 西村の番になった時、先生はやはり面を打てとばかりに合図をされる。 西村はこのお誘いに乗って上げる。 先生は来たかとばかりに、対応しょうと左手を動かす。 西村の無意識はそれを見て適切に対応して、上がりかけた小手を打ち面に伸びる。 ゆっくりと申し合わせ稽古、形稽古の様に決まる。 周りで見ている人からすれば不思議な光景だ。
松風館道場で 岡先生が西村に聞いた 攻めとは何か・・・・西村は答えた『イメージです』 岡先生は言った・・・・『攻めとは構えだ』 あなたが原田先生からどう教わっているか知らないけど、私はそう思う!
西村的説明をすると、自分の無意識・有意識レベルで思っている事は即ち身体がそのようにしている・・・だからこの構えから相手が攻めを感じるのだ。 これが岡先生の持論でしょう。
西村はそれはそうでしょうと思う。 しかし、剣道界のレベルでの話でしかないのです。 そこを具体的に攻めをするには、「協力な映像が出てくるほどのイメージ」に尽きると思います。 さらに大切なのは『過去完了形』でのイメージです。 相手はこちらの発した強烈なイメージ化された映像が空間を通して、相手に映るのです。 これが意識波動です。 強烈な意識はイメージを空間に呼び起こし、それはエネルギーとして相手に伝わる、 さらに思いは過去完了形でイメージ化する事が大切で、現実がこれを追っかけてくる。 だからこ対峙した相手がそれに対応しょうと反応するのです。 強烈なイメージは実態の伴わない攻めですから『虚』です。 この『虚』に『実』で反応すると、その直後『虚転じてしまう』
範師九段 倉沢先生との稽古 西村が強烈なイメージで面を打たんと体を入れかける。 西村の作り上げたイメージは空間を通してフォログラフの様に面を打っている。 しかし,その実は身体は30センチくらいしか前に出ていないし、左拳は腰に載せたまま。 手と体は次の無意識レベルでの指令、『智』を(反射的動き)待っている。 先生の意識の認識では西村が面を打って来たと信じて疑わない。 しかし、次の一瞬、西村の実態が伴っていない事に無意識レベルが気がつく。 『エ!、まずい!』・・・ここで先生の無意識レベルで『虚』に転ずる。
これを深層心理学的気の捉え方では『スイッチング』と云う状態が起こる。 これは電気回路を右から左に切り替える時に一瞬電気が流れない様な状態が起きる。 心身を統一している指令系統が一瞬『無』になった様な状態を云う。 具体的には、合気道の世界でいとも簡単に相手をふぬけにしてしまう。 相手の袖を軽く引っ張った瞬間に相手の意識がそこに行く。 その瞬間相手を上から軽く押せばぺしゃんこに潰れてしまう。 丹田に意識を納め重心と丹田と意識が一致しているときは相手は押しても引いてもビクともしない。 しかし、頭を一撫ですると意識が触られた所に動き、少し押されただけでヒックリ返ってしまう。 いわゆる武道はこの様に相手の『気の乱れ・身体指令系統の虚』の状態を作り上げて相手の自由を奪うものである。 この辺りが『極意』なのである。 しかし、普通の感性の持ち主はこの辺の話になると反応しなくなる。 いわゆる,身体的感受性が低いからこれを意識で感じ取る体験をしないからである。 石原忠美範師九段の感性では、持田先生の念力を敏感に受けている。 西村が日本を代表する大先生に何でと云う面が入るか? 先生の鋭い感受性を逆に利用して,先生の無意識を操作するからである。
話を戻すと。 倉沢先生の無意識レベルは一瞬の戸惑いレベル、『スイッチング』状態に入る。 イメージで受け取った面を受ける手の動きが元に戻そうと手元を下げかける。 その瞬間、西村の『智』が見逃さず、反射的に先生の右拳を軽く押さえる。 先生の手元がさらに下がり、面が空く。 知らない内に面を打ってしまっていた。 これが3回、同じパターンで入った小手面である。 西村は通常は小手面の二段打はしない人である。 しかし、このときの『智』の反射的指令は『小手面であった』。 このように『手は勝手に動く』のだ。 問題は身を捨てて,打つ前に死ぬ覚悟が出来ていて、先生の刃の下に身を捧げる覚悟があるかどうかである。 いわゆる『捧身』である。
『手は勝手に動くわなあ!しかし,足はそうわいかない!』 西村が明確な意志で体を出したのだが〜〜〜その後は『ケセラセラ〜なる様になる、後の事など判らない、』 自分の内なる叡智を信じるしか無い。
西村が凄く強い様に書いてあるが、倉沢先生に自分から打って出ると,見事に捌かれ,手も足も出ない。 完璧に打ちのめされる。 しかし、非常に感性の高い先生だから、竹刀を動かす前に自分の智を信じて、勝負を終わらせてしまうこともできるのだ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 上達の秘訣11 西村雅興 2012年1月22日(日) 上達の秘訣1
今までは剣道の武道的身体動作、やや長身の人の剣道の上達方法でした。 ただ、岩立先生は中肉中背ですからそのつもりで。
小柄な先生で小手打の名手に埼玉の範士八段の大久保先生がおられます。 スッと体を入れる入り身が素早く、相手からすれば面が竹刀の先に出て来るから、思わず面と無意識が反射して手元が浮きます。 そこを見事に小手を打たれ一本にします。 この場合小手を取った後、先に小手には当たりますが、後打で面を打たれる、触られる事がほとんどで、一般的には相手の右膝の方へ右足を繰り出し、体を左に捌いて面打を避けます。 試合ではこの後打の面が入ると、審判は上げかけた旗を降ろします。 旗を揚げさせるには後打の面をささないことが秘訣です。 さて、スローで先生の小手を見ますと真っすぐに出てきます。 しかし、その後が凄い!腰を低くし、頭を思いっきり左に傾げながら、相手の右に体を逃がします。 まる頭を捧げ面を打たせ、その後胴を打つ様に体を捌き頭をかしげ、全力を上げて面を打たさない方法を取ります。 剣道として頭を真横くらいにかしげるのは、西村はあまり好きな部類では有りませんが、審判を置いて勝負の一本としては凄い技だと思います。 (昇段審査には向いていない剣道です。)
範士八段の押足先生は非常に小柄です。 しかし、見事に大きな面を決められます。 長身の相手、上背のある相手にどうして面が打てるのか? 攻め入った相手が面を打とうとすると、当然の事として面は入りません。 相手に竹刀の先を一瞬目で見させる(居着き)と、相手の反応は0,2秒後の動きになります(目が見て脳が指令を送り、筋肉が反応する生理的時間。) それと、相手の竹刀を裏下から少し体を出して押し上げる。 相手の無意識はこれを嫌い押し下げ下げようと反応する。 この無意識の反射を利用し浮木の原理を応用する。 これは野正先生と西村の稽古の所で書いてあります。 更には表から攻め、裏の小手を打つ。 相手の反応と手元の硬さ、性格等を十分に探った上での最終的に技前を出し、仕留めるのです。
『野正先生 先生の剣先を裏から体を入れんと身を捨てて押す。 先生はこれを強く押さえ込みに懸かる。 『浮木』の原理で、ヒョイッと剣先を返してゆっくり、しっかりと出かけていた体をさらにお大きく入れて大きな面を打つと見事に入る。 打たれた先生は大喜びで褒めてくれた。 これは賀来先生と野正先生との立ち会いで、賀来先生が出された技. 賀来先生 「攻めたら、あいつさがりよった、逃げた相手は打てんわなあ! そこで、あいつの性格を知っている。 裏から押し上げて攻めようとした、案の定強く押し返して来た。 気が強いからなあ!そこでヒョイッと剣先をかわして面だよ!」 西村「今度東京で野正先生に試してみます。」と賀来先生に言った。 虎の巻持参で野正先生と対峙した。 これが『読み』です、相手を計(はか)るです。 しかし、『読み』が本当か、どうかは分からない。 それで、身を捨てて刃の下に入って行く勇気がいる。 打つ前に死ぬ・・・である。』
詳しくは【野正先生 賀来先生】のログ検索を見て下さい。
小柄な先生が相手の面を打つ常套手段は小手を攻め、相手の無意識を動かし、小手を庇おうとする反射を引き出す方法です。
道場で見ていると打ちたい所を見て、そこを打つと予備動作を二段算段に節目をつけて相手に正体を明かしながら打っている。 本当に進歩と研究の無い剣道・運動をこれを永遠に行っている。 これは稽古とも練習とも言えない。 打つ前には【技前(わざまえ)】が無いと相手の心が動かず打てません。 それが高度になれば目で相手の小手を見れば切迫した状況、相手の勘が非常に良いとき、これで十分です。 非常に感性の高い人に西村が意識で竹刀を真剣に持ち変えると、相手は背筋に寒気が起きます 稽古の後で彼が言った『先生との稽古が急に怖くなった!』 素晴らしく勘が良く感性が高く反応する人でした。
皆様が道場で稽古される時、時々は見取り稽古をされ、『あの先生は何であん何に上手く一本が取れるにだろう?』と研究をして下さい。 そう言うものの剣道は一瞬の動きですから、明治村、八段戦等のビデを買って、典型的な一本の決まる技前をスロー再生、コマ送り再生で研究をして下さい。 両者の心の彩までもが見えてきます。 ただし自分の腕に相当する少し高い所が見えるだけですが。
剣道の極意の一つ、竹刀操作に限定して ○上を攻め下を打つ ○下を攻め上を打つ ○表を攻め裏を打つ ○裏を攻め表を打つ ○竹刀の先を相手の目で一瞬捉えさえる
ある程度剣道をした人ならば誰でも知っているが、実際はこれをほとんど忘れて、勘とスピードに任せて剣道をしている。 これは誰しもが陥る罠であるから、コーチングしてくれる人が必要なのだ。 ただ素直に教われる能力が低い人が多い。 剣道か特有の唯我独尊、我が道を行く、頑固なタイプが多いのだ。
あるお寺に参ったとき、入り口の大きな門を見てこれがお寺の本体と思い帰った人がいる。 『先達はあらまほしきもの(先導をしてくれる人はあって欲しいもの)』
西村夫婦が外国旅行をする時は日本人女性でその国の人と結婚をし、長年 その国に住んでいる中年の人をガイドに付ける。 その国の文化遺産や風俗、しきたりや多くの事を深いレベルで理解し楽しむ事が出来る。 その国の旅行の楽しさはガイドに尽きると言って過言ではない。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古会7/26 西村雅興 2010年7月26日(月) 全剣連合同稽古会 7/26
ある女性から、書き込みが無いと寂しいと言われたので書いてみる。
最近は身体の為にジムへ行って、アクアサイズ(水中でのエアロビクスの様なもの)をしている。剣道より身体の事を思えばこちらが有効かと思っている。御陰さまで体幹は相当鍛えられている。 剣道の為の基礎体力作りと思って励んでいる。 御陰で身体は軽やかに動く。
先日、妻のお供でゴルフへ行った。 プロに付いてもらってグリーンを回るのだ。 半年前に行った時はアプローチは百発百中だった。 しかし、ドライバーでフルスウイングすると力が入って中々玉に当たらない。 練習もしないぶっつけ本番だから仕方が無い。 半年ぶりにクラブをもってグリーンに出た。 前日に考えた事。 どんな難しいとされる場面のアプローチは苦もなくやってのける。先生も舌を巻くのだ。 剣道で云えば鉢巻きをして、前々後ろ後ろの段階なのだ。 アプローチの時は小さく軽く振り抜く、重心と丹田が一致したままの動きだ。ドライバーの大振りは軸が壊れている。 だから、重心と丹田が一致したままの動きの範囲で振れば良いと思った。 そうすると、何と!しっかりと打てるのだ。 ショーットホールはワンオンしてしまうのだ。 半年ぶりにクラブを持ったと言っても先生が信用しないのだ。 要は腰の備えの範囲であれば打てるという事なのだ。 本を読んだ事を参考に、軽く息を吐き胸をすぼめ、竹刀を持ったつもりで脇を軽くしぼり、中筋を利かして手元を固定する。後は身体がここまでというところまで軽く振り上げ、後はその捻れを解放すればしっかりと当たるのだ・・・先生が驚く。 何んのことは無い剣道と同じなのだ。 しかし、欲が出て、グット力を入れると、初心者丸出しの空気を打つか地球を打つか、上手く当たって良く飛ぶが大きなフェードとなってOBだ。 ここでもやはり不動心、不動智の世界なのだ。
さて、前回の稽古会で原田先生、途中に正座をして竹刀を抱え前屈みで休んでいた。 山本さんが先生を心配して駆け寄り、面を外した。 先生曰く、俺は少し休んでもう少しやるつもりだったのに、面を取り上げられてしまった・・・笑い! 西村は言った、先生あの感じでは竹刀に身を寄せやっと正座をしている雰囲気ですよ! 先生の事が好きならそうしますよ!
そして、今日の稽古会 稽古前に先生に会って様子を聞くと、この熱さで参っている。 今日はあまり調子が良くない。 それで、西村が聞いた。 先生、途中から始めますか?最初からですか?と聞くと、最初からやる、二人くらいかな、少し中休みして二人ほどやる、と言われた。 西村が言った。 先生、休む時は後ろに下がって、休憩している意思表示をして下さいねと言った。 西村はお並びの先生方の整理役をしますと言った。
稽古が始まった。 最初は林先生だった。林先生は八段になってからは別人の様に切れ味鋭く、原田先生に対して、攻めと捨てが見事に調和した稽古をされている。 いやー、林さんとやると疲れる!が原田先生の褒め言葉だ。 原田先生を本気にさせる剣道が出来ると言う事だ。 今日も帰りの車中で、最初から林さんだったから息が切れた。 まあ!最高の評価を頂いている。 特に二本目の面は惚れ惚れする面を打った。 今まで林さんが原田先生に打った最高の面だった。 打つ機会が良い時まで左手の我慢が利いた様だった。 二人の予定が四人になった。 一息、椅子に座って休憩をされた。 後ろにお並びの先生方にはその旨伝えてある。 先生の休憩あけを待ちますとの事だった。 そして、後二人稽古をされた。
調子が悪く,立っているのがやっとの状態でも,目がしっかりと相手を見据え、身体も竹刀も切れ味が良かった。 先生の頭ではなく,身体が勝手に反応しているようだ。 動的瞑想と反射の世界にドップリと浸っている,無心の心境だ! こんな剣道をしてみたい。 車中で先生・・・俺は今86歳の半ばを歩んでいるとポツリと言われた。
さて、今日は先生とどのような稽古をするか・・・。 結論は何も考えない,打つとも打たれるも考えない心境で立ってみようと思っていたのだ。 今なら出来そうだ・・・・剣道するかジムに行くか・・・ジムに行く! 剣道への拘りが消えた今ならで来そうな気がしていたからだ。 これは次回へ持ち越しになった,2ヶ月後の9/13月曜日だ。
今日はイソちゃんが武道館へ来た。 彼女忙しくて稽古をしていないと言っていた。 西村的には教えておきたい事があった。
1-左手元の位置 2-前もって小胸を開き,肩甲骨を軽く寄せておく 3-少し重心を沈め床を掴んでおく事 4-打つ!と肩や頭を前に入れない事、腰から上は静かなままにする。 5-重心の滑落を使い、スーッと右足を静かに出す事 6-後は相手の心の動いた瞬間、相手の小胸が少し出る瞬間を感じる 7-その瞬間左手が動く、足が体を押し出す。 8-打つと思うな斬ると思え,竹刀を持っている事は忘れろ! 9-額のハエをハエタタキでぴしりと喉まで打て 10-後は身体がやってくれる
どうしても竹刀に意識が行き、右手で引っ張ってしまう。 打とうと思い竹刀が身の内から(構えの手元)から離れてしまう。 打とうと思う心が頭を前に出して相手にサインを送ってしまう。 少し稽古をすると別人の剣道になった。 彼女はヒーラーで相手の微細な変化、気の動きを感じ取る能力が素晴らしく高いのだ。 この一瞬に、予備動作を終えた構えから、体を滑らせて前進し、相手の心を動かす。 これがしっかりと理解が出来た様だ。 その後の望月先生との稽古で生かされていた。 これは濱田さんに伝えたい内容なので,コピーをして稽古前に1〜10を念じて下さい。 青森の先生ともお知り合いとは奇遇ですね。
椎名先生が大柄な八段と稽古をされていた。 椎名先生曰く「相手は参った!と面を捧げて来る、そこを打つ!」 その通りの面を打って相手と蹲踞に入った。 やはり見事だった! 剣道の本質が分かっている先生の剣道は見ていて本当に嬉しい!
過去二回の椎名先生との稽古 西村は参ったと見せる! 二回前の椎名先生との稽古ではこの面を見せたとき、来たと思ったが間一髪胴に返すのが遅れてしまった。 完敗だったが、心を動かせた事は満足だった。 間合いが深すぎたのが敗因だった。 しかし、この間合いでも左に捌けば・・・との思いがあった。 頭が胴に捌くと決めてけていた事が智を押さえ、神妙剣にならなかった。 次回は左に捌き胴と思っていた。 やはり頭で剣道をしているのだ。 しかし、今回は全く同じ状態で先生が面に来た時、無意識が小手を斬っていた。 無意識の打ちだけに冴えていた。先生が参ったと小手を上げ蹲踞になった。 捨てて見せて打たれに入れば、椎名先生の見事な面も無意識は小手に斬った。 西村の頭は左に捌いて胴を打つつもりだった。 智の作用は小手を打ち,見事に入った。 西村は無意識に打っていたのだ。 これが神妙剣だ! 剣道は自分の意識をここに連れて行く動的瞑想なのだ。 もう一人の自分に出会う旅なのだ! ツリー全体を読む
△上に戻る どの次元で剣道をするかをしっかり考える! 西村雅興 2009年7月31日(金) ある女性剣士への助言
剣道は小手も胴も突きもある!!!! ある高段者が剣道は『面一本』で進め!!! 面さえ打てれば、後は打てる!! なるほどそれも一理ある!
今のややスポーツ的、剣道的、身体動作を習得する為には足腰を鍛え、大きな動作の面打の稽古が最重要課題です。 少しレベルが上がってくると、剣道は身体能力よりも相手との関係性の優位差、読みの優位差、心の優位差が重要になってくる事がわかります。
相手との関係性に重点を置くと、体を捨てて前に出て相手が面に出てくるところを(引き出して)面に取る。 これが出来るには剣道の腕前が相当近いか、上でないと難しい。 大柄な強い剣道家に小柄な女性が面を打とうと思うと、例え上手く引き出してもかなり無理がある。 相手が七分前に出て、自分が三分前に出て打ち合いが決するとなると、自分には倍以上の時間的、身体動作をする余裕が有る。 相手を引き出しても同じ位前に出るとその余裕が消えてしまう。 面に出る場合は引き出して上から乗るのです。 小手を打つのは素早く体をいれて、小さく打つのです。 胴を打つ場合はあまり前に出ないで、相手の体の伸び切った状態で、サラリと返し胴を打つのです。 要は体の捌きが重要です。 相手の大きな強い動作に、『心の目』を閉じなければ案外簡単に出来ます。 前に出過ぎると押し込まれてしまいます。 自分を捨てて前に出る・・・これが重要です。 二本面を打たせて、立ち筋を読めば・・・次は見事に胴に斬れる。 剣道の稽古で力強い男性とひ弱な女性が体格、体力、速さで勝負をする事は無理が有ります。 駆け引き、捨てて前に出る勇気、相手を読み動作を起こす、体の捌き等で工夫を凝らせば、かなり肉迫できると思います。 西村と久しぶりに稽古をした男性は素晴らしい上達ぶりでした。 身体能力においても彼の方が数段上です。 しかし、右足から静かに間を詰めいつでも打てる状態で、相手を引き出せば、やはり相打ちの動きの様ですが見事に西村の面が決まります。 同じ様な場面でも相手の感性が高く面が相打ちになると本能が感じると、胴を返して取っています。
カナダのクリちゃんはこれが上手く小手を取ります。 ゼッケンが以前と違って、日本の人のなので気がつきませんでしたが、この小手を打たれた瞬間『お!クリちゃんだ!』と気がつきました。 それも見事に打たれたのです。
剣道で一番難しいのは捨てて前に出る勇気と決断です。 これさえ出来れば相手の心は手の平に乗る。 見事に打たれて相手を読むのも稽古です。 次回、裏を取れば良いのです。 同格の相手には面で対応致しましょう。 感性ですが結構良い線にあると西村は判断しています。
さて、京都での事ですが、石原九段と若手で日本一と言われる先生の稽古で、若い方が先生の何処にも竹刀を触る事すら出来なかった稽古を見ました。 小柄な女性ほどの石原先生に、西川先生がこの様な状態だった時、剣道の本質が何処に有るのかと思いました。 このとき、西川先生に「全く歯が立たないね!」と声をかけると、「一本ぐらい触れない!」と言っていました。 西村は西川先生のこの素直な言葉が出る人柄が好きなんです!
かって、武道館で年越し稽古に言ったことが有ります。 西村も意気盛んな頃で五段を取ったときでした(32年前)が、柳に風と受け流され、ポコンと打たれていました。 全く相手にされていませんでした。 相手の先生は小柄な女性ほどの体格でした。 小沢丘範師九段、日本剣道連盟の会長でした。 稽古の後、「あなたは何の仕事をしているのかね?」と聞かれました。 「歯医者です。」ち答えると、「歯医者にしては良い腕前だ!」と褒められたことが有ります。
石原先生、小沢先生、両範師とも小柄な女性ほどの体格です。
剣道は相手と何処の次元で対峙するかで、関係性が変わって来ます。 歯科医の只の剣道好きが『心』で対峙すると、高名な範師に引けを取らない稽古が出来ます。 竹刀の当てるところに意識を置くと、赤子の手をひねる様にやられます。 打ち合いに行くと全く歯が立たない。 しかし、『心』で対峙し、『位を落とさない』とそれなりの稽古が出来ます。
師匠の教えを探求して行くと『心』『智』に行き着きます。 師匠、原田先生と初めて竹刀を交えて、28歳の時から63歳までの35年後の先日やっと恩返しが出来ました。 西村の小手面がしっかり決まった瞬間、先生の口から「参った!」の一言を聞きました。
それでもそれは裏が有り、三日前に軽い食当たりにあい、胃が無い先生の体力、気力が極端に落ちていたことが後でわかりました。 先生の『心に気力が無かった!』からでした。 随分前ですが、先生に面が二本は入り有頂天になったことがあります。 その時は、前日奥さんが緊急入院され、稽古当日の朝に病院へ見舞いに行った足で上京された日でした。 先生の『心』は、盛岡の奥さんの病室にあったのです。 先生の『心が虚』であれば、西村でも面が見事に二本入ったのです。
二回ともそれは後で知ったことですが、先生と西村の剣道の関係性にしっかりと結果が出ています。 前日、西村が主幹で母の納骨を京都で行い、兄弟で食事をして大きな満足感に浸った翌朝のことです。 今までで初めて先生に面が入ったのです。 後で、「あの面は良かった!」と褒められました。 前日のことがあり、先生以上に西村の気力が充実してみなぎっていたからでしょう。
段位に関係なく、自分はどのレベルと次元で剣道をするか見定めながら、方向性を持って稽古をするのが大切かと思います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 千代田火曜稽古12/9 西村雅興 2008年12月10日(水) 千代田火曜稽古 今日の午後の仕事も満足し道場に向かう。 稽古の前の30分間、体育館のゴルフ練習場でクラブを振る。 レッッスンの受けたのは未だ3回きりだ。 ゴルフの競技には興味はないが、ボールを的確に打つ能力を向上させる、身体能力の向上する自分が好きなのだ。 45年間の剣道に比べれば、竹刀の持ち方を教わり前後左右の足の運びを教わり、素振りの何たるかを教わったところだと思う。 三回目のレッスンで、クラブのフルスイングをみて、先生が掴みましたねと言った。 数多くレッスンを受けた妻よりも数倍上手くなってしまった。 妻が言った「ように上達は先生次第よ。」 まさにその通りだ・・・剣道も同じだ。 ゴルフはお金をいただいて教えるから真剣そのものだ。 これが良い! ゴルフ的身体動作も心の置き所も全く同じなのだ・・・しかし、実際は霧の中で進んでいる。 そこで、「先達はあらまほしきもの。」なのだ。 ダンスもそうだったが、踊れない動きが身に付き出来た快感が好きだ。 ゴルフも同じような快感がある。
さて、今日は小針さんとの稽古。 稽古前に七段の心がけと位について一言話しておいた。 彼はそれを念頭に置き立派な稽古をして、本物の七段に変身した。
今日は後で聞くと四段だと聞いたが、立派に六段の強さがあった。 その証拠に七段が時々、彼に凄い面を打たれていた。 身長は180数センチくらいあるにだろうか、ともかくもの凄い速さの面を打つ。 おそらく試合でもならして来たのだろう。 しかし、西村はこの手の剣士を扱うのが上手いのだ。 ピチピチした魚を捕まえる楽しさがある。 少し長く稽古をしたが、結局彼の竹刀は一本も入らず。 西村の全てが入った。 稽古の後感想を聞くと「、百発百中で打たれました、何ともなりませんでした。手も足も出ない状態でした。 気がつくと先生が目の前にいて、打たされ返されていました。 気がつくと左右胴を打たれただけでは無く面まで、左右胴面と打たれていました。」
小針さんに言った。 「七段になって元に立つと、あんな凄いのが懸かってくるよ! それをサラリと捌けるようにならないとね!」 小針さんが言った。 「凄い!稽古でしたね!」 西村はチョット本気で一本も打たせずに全部打ち取ってしまった。 その後、小針先生は少し苦戦しながらも、しっかりと七段の位で彼と稽古をしていた。
この稽古を見ていた、いつも指導をしている先生が言った。 「先生!私は座って下から見ていたんですが、どうしてあのような体を左に捌く小手が打てるんですか?」
西村は左に捌く体の動きはバツグなのだ。 相手に面を打たせて、左に捌いて胴を打てば相手が誰であろうと百発百中だ。 それはほとんどの人が体を左に捌き小手、胴を打つことが出来ないからだ。 さらに左に捌いての刷り上げ面は得意中の得意なのだ。 これは全て重心の滑落を一瞬に使っての腰の切れによる、武術的身体動作なのだ。 右に捌くのが上手人は多く見られるが、左への捌きの上手い人は少ない。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古6/10 西村雅興 2008年6月11日(水) 全剣連合同稽古6/10
「貯蓄十両 儲け百両 見切千両 無欲万両」
今日は体調万全、心身ともに覚醒状態。 朝、妻に言われた「パパ!昨日は良く寝ていたわね、今日は万全ね。 いつもは原田先生との稽古前はソワソワして寝つけないのにね。」 午後は患者様は一人としていた。 意気揚々と武道館に行く。
大先生方の控室にいくと、長堀範士が着替えの最中だった。 御歳85歳、化け物だ! かくしゃくとした江戸っ子だ。 足には湿布薬を塗られていた。 用心の良い事だ。 奥の方には原田先生の道具が置いてあった。 今日は来られている事を確認した。 しばらくすると、野正範士が入って来られた。 これまた、長堀先生の上いく。 肌はツヤツヤ、おそらく染めているとは思うが黒々フサフサとした髪の毛。 髪の毛のすごく薄い西村には羨ましい限りだ。 そう言えば、永松範士もそうなのだ。 見事に若々しい野正範士だ。
その後、原田先生が入って来られた。 大病を重ねたせいか一番老人ぽさを感じずにはいられなかた。 そう感じたのは、先生の今日の体調のせいらしい。 右足の親指を中心に赤く腫れ上がっていた。 通風とのことで、菅先生に痛み止めを頂いて上京したとのことだった。
長堀先生が「今は痩せているが昔は原田先生も西村君ぐらいあった。」と言われた。 その少し後、森島先生が入ってこられた。
西村が「先生、今日の稽古は始めからですか。」と聞くと、「5人ぐらいがいいとこかなあ!」と言われた。
控室を出て着替えにいく途中、望月先生と息子さんに出会った。 お父さんの体形とは全く正反対のスラリとした180センチはゆうに越える立派な体格、その上ハンサムだ。 今日が武道館デビューとのことだ。
稽古が始まり一番手は金山さんだった。 相変わらず切れ味の良い面を打っていた。 甘い面を打つと先生か返して胴を打つ。 良い面が出た時、先生は見事に胴を抜く。 これが見ていてはっきり判る。 先生に抜き胴を打たれた時、先生は「良し!」と言われる。 西村は5番手だったが、先生の調子から見ると5人くらいと思った。 それで、7番手の望月先生の息子さんと順番を入れ代わってあげた。 案の定5番手が終わった後、先生の方から「今日はこれまでと。」と言われた。 後ろの先生方には、今日は原田先生の体調が良くないと説明をしてお引き取り願った。
さて困った!どの八段の先生にもお願いしたいとの気が全く起きないのだ。 体調は万全だし、誰かと稽古をすれば良さそうなのだが、全くその気が起きない。 一番端で、最近八段になった長身の先生の稽古を見た。 ともかく面は速い! ところが打つ前の味が全く無い。 ある七段の先生との稽古では打ちあぐねていた。 最後に、八段の方が「先生一本お願いします。」と言った。 八段は面を打ったが胴に返された。 参りましたと言ったが、七段の先生はまだ不十分でしたといい、もう一本になった。 今度は八段良いところを打つが、残念ながら技前がないからしっかり小手を打たれていた。 七段の先生はいつも同じ道場で稽古をされている先生だ。 八段を目指す古株七段なのだ。 西村はこの先生には十二分に分があるのだ。 この八段の稽古を見ていた時、あそこは突きが入ってしまう、あそこは小手だ、あそこは胴だ・・・と、稽古をしなくても予測が立つ。 チョットやってみようかと思ったが、これは大人げない!俺の方が強い証明をしたがっている自分に気がついた。 さもしい根性で稽古をしても後で自分が惨めになるだけだ。 後味が悪い思いがする・・・と思い面を脱いだ。 ある面打ちで有名な若手の先生と稽古をと思ったがやはり止めた。
八段殺しの異名も余り良い評判ではない。 八段になっておればこんな異名はつかない。 といって、八段をとりにく気持が起きない。 その為に大切なエネルギーを使おうとは思わない。 欲が消えた!
一時125人の大型歯医者から、来月からは歯科医は西村一人の小型の歯科医院になる。 自然に任せていたが、やっと縮小が完成する。 これで、いつでも歯科医をやめれる用意が出来た。 ここから、ただ楽しく歯科医療をする。 食べて行ければそれで良い! 剣道も同じ思いの中にある。 ただ楽しく剣道をやっていく。 楽しければそれで良い!
「貯蓄十両 儲け百両 見切千両 無欲万両」という言葉がある。 ずいぶん昔、自己啓発の修業中に聞いた言葉だ。 今になってこの時の教えが生きているとしみじみと感じる。
経営規模最高の時・・・儲け百両 二院を閉鎖した時、さらに次に50坪の規模を25坪にした時・・・見切千両 最近の経営形態・・・無欲万両 仕事も剣道も無欲万両に近い心境になっている。
仕事は西村を必要としている人のみに治療をする。 剣道はただ楽しくやっていく。 この欲の無い人の面を打つのは難しい。
剣道究極の極意! 「打つと思えば悟られる! 打たれたくないと思えば隙が出来る! 相手が打ちたいと言えば、身を捧げる『棒身』! 何も思わなければ、相手の心はこちらに映る! 手詰まり気つまりになったら、身を捧げて相手に問う! 打つぞ!突くぞ!と十分に攻めて意識を高めあい、 後は相手の刃の中に身を捨て問う! その後、体は勝手に反射の行動をとり、不思議の勝ちとなる『神妙剣・無想剣』。 この気位があれば、相手が範士たれとも恐るに足らず。 極意は心法・肚にあり。 よって、『不動智』こそが全てとなる。」
こんなことを書きながら、言いながら明日は心が揺れるかもしれない西村です。 ツリー全体を読む
△上に戻る 岡田さんへ 次のレベルの対応策です! 西村雅興 2008年5月14日(水) 胴の考察
椎名先生が原田源次先生に胴を抜かれた時、体が参った!と言った、西村に言いました。 面打ちが出来ないのに胴を打つから、いろいろ言われるのだ。 西村に面を打ち胴に返された人 ・失敗した、打てると思ったのに・・失敗したと思っている・・・判っていない。 ・しまった!引き出された!・・・引き出された事が・・・・判っている。
相手と対峙して ○面に来たところを・・・かろうじて返して胴を打った時 ・・・相手に押し込まれて先を取られた・・・自分が半段下。 ○面に来た時、(相手が先)・・・胴に捌いた・・・余裕勝ち・・・自分が半段上 ○相手が今正に面を打とうとする、その一瞬前に面を見せて(先をとる)引き出す。 ・・・あいての心を起す作業・技前が絶品・・・相手と格が違い、一段〜一段半上
内容: 1-相手が面を打ちたいと体全体でサインを出している。 2-触発の状態になっている 3-スッと緩く体をいれ、相手の弓の弦を目一杯引かせる 4-この時西村の右膝はやや外に開きかけ、重心は前外に移動し始める(重心の緩い 滑落しかける) 5-しかし、面の位置は同じ位置 6-相手我慢の限界の一瞬前に、スッと入るか、後頚部を緩めるか、とかく面を打て と差し出す。 7-相手が面を打ってくる・・・ここが大切 相手が引き返せない、動きの変更が出来なくなるまで・・面は正面に置いておく。 8-この時、餌である面はそのままだが、重心の半分は前下右に移動し、体は転び懸 けている 9-相手の竹刀が面に届く寸前に、重心をスッと落とし(滑落)竹刀で受けて相手の 横をすり抜ける。 10-相手は風が体の横を吹き抜けた様な感覚で胴を打たれる。 11-相手を引き出し、体の対応は十分見せながら、その体は既に半分捌いている。 12-後は相手と入れ違いになるように胴を打つだけだ。 13-胴は右手で鍔元で斬るように腰に乗せて引き切り。 14-前胴になるが、ここで十分引いて斬れば腹は真っ二つに切れる 15-相手の左胴を斬ろうとすると、それは腹をひっぱたくことになる 16-胴打ちの基本と思っている打ち方は、叩き方であって、斬り方ではない。
17-西村は体を左に捌き、胴を打つ事が多い 18-相手に構わず体を入れ、相手の前にヌーッと頭を出す。 19-相手は思わず、反射的に面に来る 20-間合いが近い為、相手は反射的に打つ為に、一瞬遅れると面を打たれる。 21-この時、西村の手は裏切る事なく相手の竹刀を受け止め流してくれる。 22-瞬時に重心を左に落とし体を捌いて、十分体を左に捌き胴を斬る 23-この動きの素早さ、体の動きは西村を裏切った事はない。 24-どんな相手にもその気になれば、必ず斬れる必殺技だ。 25-この技を見ていた人は「え!」と驚いた顔を見せる。
岡田さん・・・・・ 相手が先日指導をした動きと感性と技前を持っていたら、同じ事をすると稽古量の多い方が勝つ・・・剣道の仕事の人。 あの打ち方、理合が完全に出来、さらに強く、一発八段になった先生が田崎先生だ。 田伐の京都大会ビデオでその素晴らしい面打ちが披露されている。
これの対応策は・・・・ 相手の右足の攻め入りに、反応をしてしまう(先を取られた)・・・面を打たれる! 相手の右足の攻め入りに、反応してあげる(先を取ってしまう)・・胴小手に斬る! 相当な勇気・肚が必要です。 【捧身:柳生新陰流の極意です】 昨年の稽古の胴、今年の稽古の小手を思い出して下さい。 いずれも西村の無意識が勝手に打った技です。 しかし、技前はしっかり意識で対応していました。
前回の面の打ち方と今回の胴で、いずれ先を取って勝つ事になる。
西村に面を打って、しまった胴に取られた・・・まだまだ! 西村に胴を打たれた時、ウーン!と唸れば、かなり出来る剣道家。
岡田さんが西村の面を遠くに感じるのは、西村の左手が低い位置にあり、何を仕掛けても動かないので、打つとヤバイと岡田さんの高い感性の無意識が感じているからです。 これを感じない人は打てないのに平気で打ってくる! 教士八段もこの感性が低く、西村の面を打てると勘違いをして誘いに乗って簡単に面に打って出てくる人が多い。 西村に諸手突きを入れられ、突き殺される羽目になる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 相手が同じ事が出来たらの対応策 胴斬り 西村雅興 2008年5月14日(水) 胴の考察
椎名先生が原田源次先生に胴を抜かれた時、体が参った!と言った、西村に言いました。 面打ちが出来ないのに胴を打つから、いろいろ言われるのだ。 西村に面を打ち胴に返された人 ・失敗した、打てると思ったのに・・失敗したと思っている・・・判っていない。 ・しまった!引き出された!・・・引き出された事が・・・・判っている。
相手と対峙して ○面に来たところを・・・かろうじて返して胴を打った時 ・・・相手に押し込まれて先を取られた・・・自分が半段下。 ○面に来た時、(相手が先)・・・胴に捌いた・・・余裕勝ち・・・自分が半段上 ○相手が今正に面を打とうとする、その一瞬前に面を見せて(先をとる)引き出す。 ・・・あいての心を起す作業・技前が絶品・・・相手と格が違い、一段〜一段半上
内容: 1-相手が面を打ちたいと体全体でサインを出している。 2-触発の状態になっている 3-スッと緩く体をいれ、相手の弓の弦を目一杯引かせる 4-この時西村の右膝はやや外に開きかけ、重心は前外に移動し始める(重心の緩い 滑落しかける) 5-しかし、面の位置は同じ位置 6-相手我慢の限界の一瞬前に、スッと入るか、後頚部を緩めるか、とかく面を打て と差し出す。 7-相手が面を打ってくる・・・ここが大切 相手が引き返せない、動きの変更が出来なくなるまで・・面は正面に置いておく。 8-この時、餌である面はそのままだが、重心の半分は前下右に移動し、体は転び懸 けている 9-相手の竹刀が面に届く寸前に、重心をスッと落とし(滑落)竹刀で受けて相手の 横をすり抜ける。 10-相手は風が体の横を吹き抜けた様な感覚で胴を打たれる。 11-相手を引き出し、体の対応は十分見せながら、その体は既に半分捌いている。 12-後は相手と入れ違いになるように胴を打つだけだ。 13-胴は右手で鍔元で斬るように腰に乗せて引き切り。 14-前胴になるが、ここで十分引いて斬れば腹は真っ二つに切れる 15-相手の左胴を斬ろうとすると、それは腹をひっぱたくことになる 16-胴打ちの基本と思っている打ち方は、叩き方であって、斬り方ではない。
17-西村は体を左に捌き、胴を打つ事が多い 18-相手に構わず体を入れ、相手の前にヌーッと頭を出す。 19-相手は思わず、反射的に面に来る 20-間合いが近い為、相手は反射的に打つ為に、一瞬遅れると面を打たれる。 21-この時、西村の手は裏切る事なく相手の竹刀を受け止め流してくれる。 22-瞬時に重心を左に落とし体を捌いて、十分体を左に捌き胴を斬る 23-この動きの素早さ、体の動きは西村を裏切った事はない。 24-どんな相手にもその気になれば、必ず斬れる必殺技だ。 25-この技を見ていた人は「え!」と驚いた顔を見せる。
岡田さん・・・・・ 相手が先日指導をした動きと感性と技前を持っていたら、同じ事をすると稽古量の多い方が勝つ・・・剣道の仕事の人。 あの打ち方、理合が完全に出来、さらに強く、一発八段になった先生が田崎先生だ。 田伐の京都大会ビデオでその素晴らしい面打ちが披露されている。
これの対応策は・・・・ 相手の右足の攻め入りに、反応をしてしまう(先を取られた)・・・面を打たれる! 相手の右足の攻め入りに、反応してあげる(先を取ってしまう)・・胴小手に斬る! 相当な勇気・肚が必要です。 【捧身:柳生新陰流の極意です】 昨年の稽古の胴、今年の稽古の小手を思い出して下さい。 いずれも西村の無意識が勝手に打った技です。 しかし、技前はしっかり意識で対応していました。
前回の面の打ち方と今回の胴で、いずれ先を取って勝つ事になる。
西村に面を打って、しまった胴に取られた・・・まだまだ! 西村に胴を打たれた時、ウーン!と唸れば、かなり出来る剣道家。
岡田さんが西村の面を遠くに感じるのは、西村の左手が低い位置にあり、何を仕掛けても動かないので、打つとヤバイと岡田さんの高い感性の無意識が感じているからです。 これを感じない人は打てないのに平気で打ってくる! 教士八段もこの感性が低く、西村の面を打てると勘違いをして誘いに乗って簡単に面に打って出てくる人が多い。 西村に諸手突きを入れられ、突き殺される羽目になる。 ツリー全体を読む
△上に戻る 殺陣師 林邦史郎 先生 西村雅興 2008年3月13日(木) 殺陣師 林邦史郎 先生
今日、NHKで八時から、殺陣を裏側から見る・・・内容のテレビを見た。 林先生、さすがは大した者だ。 一般的には演劇としての殺陣なのだが、殺陣師が武道家であってその延長上での殺陣師として仕事をされている。 もちろん武道家として生計をたてているのではないが、基本的には時代劇的背景の総合武道を極めた上での殺陣師なのだ。 足のはこび、腰の切れ、手の内どれをとっても芸術的なのだ。 特に胴を打つ体の運用は風が抜けるように相手の横をすり抜ける。 ここは圧巻だった! 殺陣師を目指す若者が先生の所で修業される風景を見た。 基本的には武術的な身体動作が未だ判っていない、身についていない事がぎこちなさに出ていた。 剣道形を見ても同じだが、その奥の剣道の力が見えてくる。 目線、腰の作用、手の内・・・そこはかとなく匂って来るものが有る。 NHKの時代劇は林先生が定番だ。 変わることはない。 それだけの値打ちが有るからなのだ。
ちなみに、若駒会のメンバーが小太刀護身道の大会に参加したことがある。 かなり強い集団であったと記憶している。
ヒントがあった! 実際の殺陣に使うのは軽い『竹光』なのだ。 片手で軽く振りまわせる重さなのだ。 この軽さを出してしまうと、命のやり取りの殺陣の凄みが消えてしまう。 先生が言った。 「腰からから体を動かして、体全体で切る・・・・。」 そうすると殺陣に重みが出て、竹光の軽さを消すことが出来る。
軽い竹刀を腰から動かして斬る。 叩く、当てる、斬るへの変化が大切だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る 切落し・・・過去ログから書き出しました 西村雅興 2008年2月11日(月) 切落し 過去ログから書き出しました。 同じことを延々と書いています。 繰り返しその内容に目を止める事が心に入る秘訣と思い書き出しました。 長く、アトランダムに載っていますが読んで見てください。
先生の足が出るとき、上体が全く変わらず、スーッと出ていました。 相手は我慢が出来ず相打ちに面に跳んできます。 しかし、相手の竹刀は手元で、一度後方へ竹刀御先が後方へ向かいます。 竹刀は左両手で手元が相手を覆いかぶさる様に出ていて、それに連れて上がった竹刀の先をトーンと落す様な感じで手の内の作用で切り落していました。 なるほど岩立先生の面とは全く違うのです。
切り落しについても同じだった。 相手をしっかり引きつけて斬り落せば、竹刀の重みで切れた。 しかし、そこが甘いとやはり斬り落せない。
日曜日、七段を目指す強い六段と稽古をしました。 彼は一年間、西村のことは少し強い七段ぐらいに思っていた様です。 昨年の夜の稽古を見て、目から鱗が落ちたようです。 なんで!あんな切り落しが出きるのか! あの速い打ちをいとも簡単に捌けるのか! と、じっくり見ていた様です。 その後から、質問してくるようになりました。
前方に打ち抜くような疾走感が得られなかった』 斬ると言うことはそういうことです。 竹刀の競技としての前進をするのではなく、竹刀を刀と想定し、相手が伸び切ったところを、上から斬り落す。 これで正解です。
西村の場合は左脇がしっかりと絞まり、左手首の中筋(なかすじ)が効いているので、相手はこの拳で左に素っ飛んでしまいます。 でもこれはちょっと難しいかも。
『私の左足はほんのわずかしか前進していませんでした』 これで良いのです。 余り前進すると、相手の竹刀に力がある時に自分の竹刀が当たるので、相手の竹刀も飛ぶが、自分のも飛んでしまいます。 切り落しは相手の体と竹刀を伸び切らせて、上から下に落す。 相手が伸び切るには、自分は余り前進しないことです。
西村が京都で新七段と稽古をして、全て斬り落した時、西村の身体は前に飛びません、後ろ足で体を押すだけです。 こちらの右足が静かに滑りだして、相手を前傾させ、ぐっと足を前に出すと、相手は面に飛び込んで来ます。 最初の間合から見れば、相手の前進は七分、西村の前進は三分。 相手の身体が伸び切り足が空中に有る処を、右足に体を乗せ床かを強く下に踏み込み、この反作用で竹刀を真下に落すと、相手の竹刀は弾け飛んでしまいます。
それとは違い、西村がぐっと体を上に持ち上げて、竹刀も天に届けと真上に引き上げます。 これに引きだされて相手が面に飛び込んでくると処を、体の重心の落下と胸を降ろす勢いで斬り落しをします。 この時は未だ足がついていないような気がします。 どちらの場合にも切り落しは見事に決ります。 胴体力で言うと、どちらの場合も身体の力が竹刀に乗っています。 重心の上方への反作用の利用。 重心の急激落下と胸の下がりの利用。
西村が右足を静かに滑り出し、間境を越える。 これは『虚』 相手はこの足に反応して打って出てくる。 これが相手の『実』 この気を捉えて、足腰の十分な体勢を持って面を取る。 相手が打ってしまったこと気付かない場合は『実で実を取る』 少し相手に負けない、切り落しの覚悟の面が必要だ。 相手が打ちながら一瞬『「嵌まった!」と気がついた時点で『虚』に転ずる。 この『虚を実で取る』 この場合は、相手はすでに死に体だから、落ち着いて面を取れば良い。 相手の面が早ければコテ、胴等を打つ。この誘いを『月影』という。 時には、後頭部の筋肉を緩め、頭を少し前に落す。 相手は面に誘導されて、面を打ってくる。 『ある攻撃の形を相手から引きだす。』 そこを返して胴を取る。 西村の一番の得意技。 この心と体と剣の相手との関係を『懸中待』という。 いわゆる『先々の先』である。 西村は『飛んで火に入る夏の虫』と呼んでいる。 誘蛾灯に誘われて、自滅する昆虫である。
この逆の、待ちに見せながらあらゆる方法を使い、相手に動作を仕掛けさせる。 己はその動作を盗み、後の先を取る。 その場合、相手の先はすでに何の意味もなさない、無用の動きと化す。
シャワールームである人が言った。 「今日は先生の凄い打ちを見ました。 相手は切り落されて、真っ二つですね! あんなことが出きるんですね!」 西村が言った。 「川瀬先生が言ったよ! 八段審査で、切り落しをやって見せれば受かるよ。 審査員の先生がしたくで、出来ないのだから。 竹刀は鎬が無いから切り落しは出来ないという人がいるが、それはウソだよ。 自分が出来ないから、言い訳に使っているだけだよ。 真剣に比べ、あんなに厚みがあるのだから、その厚み分だけ有利だよ。 難しいのは、相手の打ちを呼び込み、体と竹刀が伸び切り、その力が弱くなった所を、上に上げた竹刀を下に引き落とす事なのだ。 相手の前進が七分、自分の前進が三分。 相手の竹刀が前に進み来る打ちに対して、真上から切り落すことにより、切り落しが出きる。 大切なことは、相手の竹刀はこちらに飛んで来るのを見ながら、自分の竹刀を頭上高く引き上げて、落す瞬間を待つ肚なのだ。 そのと時が来たら、息を一瞬に吐ききり、胸を降ろし、肩が前下内方へ落ちる力と脇の締まりで、体全ての力が竹刀に凝縮する。 この様な体の使い方を知らないと、本格的な切り落しにならない。 負けずに打ちに行くと、先に前進の動きを起した相手に面を打たれる。 身をさらし、手を呼び込んでから打つから難しい。 技術だけではなかなか出来ない。 西村に切り落し、斬り落し、斬りの言葉の方がしっくりくる打ちなのだが、これをやられると相当こたえるらしい。 取ったと思って打った面を、後から動かれて、竹刀を弾き飛ばされ斬り落されると、「ぎゃふん!」となるのだ。
『切り落し』の精神は、すでに書いてあるので参照して欲しい。
最近稽古の回数が多いので、動きは抜群だ。 週に3回稽古をすれば、稽古相手がゆっくり動いているように見える。 若手の大型でスピードのある人を相手に、自分から面を打ち込み、入れてしまう稽古をしている。 姿勢が全く崩れないままに風の様に前進すると、相手はただ眺めている。 そこで、スッと起して心が動いた瞬間を打つ。 見事に入る。 相手に申し訳ない様な気がするが!
このスッと打ち間入る事を『水(すい)に入る』と言う。 ここの要領がなかなか理解出来ないようだ。 この入り身の妙は、体の動きではなくて、相手の白刃の下に自ら身を入れる心の勇気なのだ。
ともかく、体を静かに足から風の様に進め、体で懸かって相手を引きだし、 面に切り取る。 小手、胴右抜け、胴左抜け、摺り上げ面、左右の二つ胴、最後に出ての面、切り落しの面と順番に入れていく。 何でこんなに上手くいくか、相手を誘導しているからだ。 覚醒催眠の世界なのだ。
背筋が働き、上体を上方に引き上げる力が働くと、竹刀の下方への力とスピードは尚増すことになる。 摺り足で前進して、先に足を付け右足を急に伸ばし、体を押し上げると、その反作用で竹刀の下方への力は強力になり、切り落しの威力が増す。 一刀流の切り落しの極意、右足の強い板の踏み込み、それは体の押し上げを意味し、そこからの反作用の利用を教えている。
今週は三回目だ。 最近にはない稽古回数だ。 火曜日の稽古は冴えていた。 さあ!今日はどうか。 火曜日程ではなかったが、結構冴えて一時間半動き回った感じだ。 それには訳が有った。 今日は千代田の木村先生が上席で見ていた。 西村は元立ちの一番上に立っていたので、先生の目の前で稽古をすることになる。 先生に恥ずかし稽古を見せる訳にはいかないと、気を入れた結果だ。 さらに宮城県の先生方も見えていた。 取っては投げ、千切っては投げの大活躍だ。 鷹揚な稽古をしないで、常に先を懸け打って出て、引きだして打ち、打たせて捌いて、打たせて切り落し、つ込みの弱い相手には左右の二つ胴といった具合だ。 朝は軽くして、昼食はとらない。 空きっ腹の体の緊張感を維持し、稽古に送ってもらう車中で瞑想をしておく。 道場に着くと、水とお湯を交互にかぶり、身体と意識を覚醒させる。 この準備の後に木村先生の存在だ。 否応なく冴え渡った稽古が出きる。 体は今週三回目の剣道の動きだから、筋肉も冴えている。 ここまで冴えると全ての相手がスローモーションだ。 それ故、切り落しが良く決る。
町田の先生が西村に言った。 「あんなに余裕が有る返し胴を見たことが無い。」 西村が言った。 「あれが右足の脱力による、武術的身体動作ですよ。 支点を求めない動きです。」 そして、その見本をやって見せた。
さらには、腰の切れ、浮き腰の原理、腰と鍔で胴を斬る、手元を返すだけで竹刀の先は直線的に引いて斬る・・等の説明もしたかったのだが。
最近の西村は相手の竹刀が面金に当たる寸前まで止めないで、その一瞬に面返し胴を打つように心がけている。 この余裕は相手が面に伸び切った瞬間に切り落しに入る、その呼吸と同じなのだ。 上に体を伸び相手を引きだす、伸び切った所を切り落し。 相手が面に伸び切った瞬間に、滑落を使った腰の動きと、これに引かれる右手の落とし込みなのだ。
近くで見る機会のある人は見てコツを掴んで下さい。
岡田さんがいう、「あの大きな体がスルリと見事に返し胴を打つ。」原理の要点を載せました。 この胴は原田源次先生にも通用する胴です。 残念ながら、原田源次先生の様な抜き胴は出来ませんが。
先ず面を打つとき、『頚反射』を使う。 竹刀が面を打つ瞬間に頭を強く後方に引くと、その質量相当分のの力が前に行く。 頭を後ろに引けば竹刀は前に伸びる。 高校生の試合の面での写真などでよく見受けられる。
相手の伸び切った所を下に切り落す場合は、頭を上に突き上げる。その分だけ竹刀を下方へ向ける力が増す。 一刀流の極意切り落しは、前足を床を破らんばかりに下に踏むという。 床を下に強く踏む意味は、体を急激に上方へ向ける力が発生する原理だ。 そうすると、自然に手は下に強い力が働く。
五段・六段と言っても、昇段を受けるには身体運用の基本動作の稽古こそが大切なのだ。 ほとんどの人がここの稽古をしていない。 当てあい、叩きあいの稽古のみに終始している。
七段元立ちが抜けて、互角稽古に入ると目も当てられない稽古風景が展開される。 先ほどまでの稽古とは一変し、打たさない・打ちたい・当てたい気持のシャモの喧嘩の様な光景だ。 館長がいる道場では先ず起こりえない稽古風景だ。 この稽古は結構楽しいらしい。 生き生きとして叩きあいをしている。 まあ!ストレス発散の運動だ。
西村の場合は相手の動きの数倍速い入り身、重心の滑落、手の内、腰の冴え、切り落し、身体の緩み等を確認しながら緩やかにダンスの様に動いている。 十二分に勝てる相手を遣って、身体運用、技と冴えと呼吸の稽古をしている。 相手がい打ちあう前に、既に終わっているから、楽な稽古だ、それだけに自分を統合した動きの稽古の専念できる。 これをしないと、ただの運動に終わってしまう。
最近の心境。 竹刀を手に持っているが、心境は徒手空拳。 相手の間合も竹刀も攻めも何もない。 身体は自在に動く。 相手の心と、自分が同調しているだけだ。 そうすると、相手の心を包み込んでしまえる。
遠くに跳んで打とうとすると、遠くから打つことが出来ます。 その分何処かに負担がかかります。 目の前の物を軽く一歩出て、刀で据え物を斬る時は、下向きの力は強く作用します。 剣自分は少し前進し、相手を大きく引き出し切り落します。 自分もかなり前進する必要が有るとき、『斬り込む』・『込む』の意識を強く持つと、適度な前進と斬りの力が発生します。 この時は、足に意識が一切なくとも、目的に適った身体動作をしてくれます。
難しい問題が有ります。 竹刀が軽く、当てようと意識が強ければ、これらの身体動作を越えた動きで当てることが出来ます。 試合での旗揚げゲームの基準ではこれらの動きが優先します。
高段の審査では刀のイメージでの打突が要求されます。 そこで皆さんは苦労をします。 竹刀を重くし、当てることより斬ることに意識を強くすれば上手くいきます。
結局は左足の引きつけを意識する程前に出ないこと、左足の蹴り込む力に等しい右足の動きがあれば良いことになります。
身体競技として剣道を捉えると、竹刀の重さと刀の重さの違い、スピードの優先度等が主に出て来ます。 意識レベルの競技、共生と捉えると身体動作は従の関係になります。
本当に剣道を楽しむ時期は、試合的興味を放棄したところから始まるのかなあ!と思っています。 『心・技・体』上に立つのは『心』なんだと思う今日此頃です。
島野さんの動画を見ました。 右足の攻め込みが見事に出ています。 相手がそれに呼応して、打ちに出たところを見事に打ち取っています。 『右足攻め入り面打ち』の教科書的な打ち方です。 多くの方は右足の出と一緒に手元が上がってしまいます。 その意味で、この動画は文章では分かりにくい部分が、見事に具現化されています。 ここが掴めないので、手が先に打ちだしてしまいます。 叉は、振り上げてから足を出します。 若い剣道家はこの『右足攻め込み面打ち』をマスターをしましょう。 遠間からの見事な面が入る技です。 剣道時代の『右足の技術』の代表例だと思います。
千代田の土曜稽古会では、この打ちを心がけた人は伸びています。 これに右足が床から離れたままで打つように指導しています。
これが出きる様になると、西野悟郎先生の様に出した右足を、床につけること無しに、相手の色が出たとき左蹴り足になって打つようにしましょう。 言うが易し、行うが難し!の部分ですが、十分勝てる相手から始めましょう。
年齢と伴に足腰のバネが弱くなると、次の蹴り足が弱くなります。 そうすると、甲斐清治範士が書いていた様に、右足をフッと浮かせます。 御互いがギリギリの打ち間入っていると、相手は『来た!』と感じます。 そこで、相手は遅れてなるものかと打ちに出ます。 そこを取るのが『月影』です。
西野先生、甲斐先生の打ちが出るようになるには、左足七分の体重から腰の中での(前後的足幅内)重心移動がポイントになります。 この『体内重心移動』が島野さんの『右足攻めは入り』の役目をします。 これは膕が伸び且つ膝にたわみがあり、やや重心を下げ床をしっかり掴んでおく必要があります。 (この構えは範士八段ぐらいになると、腰の沈みがあります。 若い教師八段は相対的に腰が高く足が伸び切っている。) 重心が前足を越えようとしたと同時に右足を少し浮かせます。 相手は体内(足中)での重心の移動で攻め上げられていますから、右足が浮いた瞬間に反応します。
この技は相手の感性が高く、『見えない重心移動を攻めに感じれるレベル』でないと効果を発するには難しい。 相手のレベルに合わせ、足を大きく浮かすとか、一瞬出すとか、首筋を緩め頭をフッと出すとか、色を強く出す必要があります。
最小限の動きでこれを効果的に技として使っている先生が、岩立範士です。 この部分が見事にスピードアップされた打ちが、田崎先生です。 右足の攻め込みがゆっくり長い先生は、師匠・原田源次先生です。 右足がフッと浮き、相手の出がしらを打つのが甲斐先生です。
さて、この技の相手を呼び込み打つ動作が相手の感性、スピードとの関係で打つ場所が変わって来ます。 当たり盛りの年齢では、当然面でしょう。 相手が若く、こちらのスピードがついていけない時は、面返し胴となります。 少し遠間で自分に心のゆとりがあれば、相手の伸び切った所を上から切り落しでしょう。 相手が強く近間でこれを仕掛けると、相手の手元が浮こうとする瞬間にスット体を前に滑らせ、手元の上り鼻を小手でしょう。 (これは西村の得意で有名な範士八段も斬られています。)
年と伴に相手を大きく動かし、自分は小さな腋のしまった身の内で竹刀を操作する小さく切れ味鋭い剣道へと移行していきます。
剣道は面白いもので、攻めて相手を動かす段階で壁にぶつかります。 相手の肚が出来てくると、この攻めを受けとめ反応しなくなります。 そうすると、攻め入ったつもりが墓穴を掘ることになります。
こういう相手には攻めの強さに、攻めの一瞬の緩みを見せて心を動かします。
次の段階では攻めは弱く、攻め負けた感じで、ふらっと色を見せ相手の間合に入った感じで、相手に打たせます。 相手が『シメタ!』の感じで来た所を、ギリギリ引きつけ胴に返します。 早く対応すると相手は打つのを止めてしまいますから。
その次は、賀来先生のレベルで、打つ前に何も心に無く、打つ気も無く相手と対峙し、相手に勝ってしまっているが、相手はそれに気がつかないので、仕方がないから竹刀で打って「ハイ!貴方は負けていますよ!」と形で示す。 心の有様で勝負が終わってしまっている、勝負が無いレベルです。
分かってはいるが、心の彩(あや)はその処理に苦労をするのは、西村も同じです。
皆様も一度自分のレベルを考察され、今越える壁を自覚されると、長足の進歩につながると思います。
今回は賀来先生の2002/3剣道時代の『審査員の目』を考察してみましょう。 『竹刀は握らずに自然に持てば良い。』 『打とう打とうという思いからつい握ってしまう。 それが右手打になってしまう。 自然に持ったままで打てばよい。 それは相手と争わない気持になることではないか。』 『軽い桐の木刀で構えて振ってみた。 右手打ちの弊害も完全に解消し、心も平然となってきた。」
右手の屈筋の上腕二頭筋は意識と密接に瞬時に反応します。 打とう打とうと思えば屈筋がその意識に応じて小さくピクピクします。 これは相手に読まれます。 屈筋を使おうとすると自然に竹刀を握ります。 上腕二頭筋の反応時に肩を固定しょうと無意識が働き、右肩が硬くなります。 さらに腕の引き上げに三角筋を使い、肩を後方に引き腕を引き上げ竹刀を振りかぶろうとすると肩を前に出します。 要は竹刀の振りかぶりを右手の引き手であげようとする動作です。 賀来先生はこれらを『力を抜くこと、相手と和する心』解決された様です。 意識の変革で全てが変わるということです。
さて、西村の説明は科学的に迫ります。 前にも十分書きましたが、再度書きます。 竹刀を振りかぶる時は『竹刀を引き上げるのではなく、押し上げる』と意識します。 二足歩行の自然な生理的な身体動作を使います。 実際に何度も何度も少しお股で大きく手を振りながら歩いて見ましょう。 足と手の関係が分かります。 さらに骨盤の揺れ、かたの揺れ 右足が出るときは左手が前に行きます。 この動力源は左足が後方へ後筋を使い軽く前へ押し出す動作から、軽く蹴り込む動作です。 この時、重心がやや前下方へ転がり落ちようとするのを、大腿の伸筋である大腿四頭筋が体を持ち上げ、後筋(大腿二頭筋・ハムストリングス)の押し出しを使い重心の位置を保とうとする。 最後に左足の床の接点から重心がかなり前に行き過ぎて落ちようとするとき、軽く蹴って体を保ちます。 この左足の前進への力、蹴りだすときの力を体幹部を通して交差させながら肩の動き腕の動きでバランスをとって歩行姿勢を保ちます。
左足が後方へ力を向け身体を前進させるときは、肩が前に出ながら、左手が前に出ます。この左手が前に出る力こそが竹刀の柄頭を押しだす原点なのです。 自然な左手の前に出る時期を少し遅らすと瞬発力になります。 後筋の力で体を進め、相手の心が動いた瞬間に左足が押し足から蹴り足に変わります。 この蹴り足の瞬間に左肩を前に一瞬にだし、拳を前に出せば、それまで前に出ているはずの左手のエネルギーの蓄えが爆発します。 この時、上腕の伸筋である上腕三頭筋肘を伸ばす作用として参加する。 この力のロスを防ぐ方法は内筋(うちすじ)中筋(なかすじ)の軽い緊張です。
左腕を伸展しながら急速に拳を出せば、竹刀の柄頭はやや上方で前に行く。 この時、竹刀は竹刀の重心を支点に回転し、柄頭は前に竹刀の先は後方へと向く。 拳が上方への動きがあるため、結果的に竹刀は振りかぶった形になるが、事実は竹刀を押し上げ回転させた結果である。 足のエネルギーを腰に伝え体幹を通して、胴体力を使って竹刀を動かせば自然にこの様な動きになる。 それ故「竹刀は一歩前に出て打つ』理屈なのだ。
この一歩の力なしに竹刀を動かすと、先ほど書いた、上腕二頭筋で拳を肩の方に寄せ、三角筋で肘を上方へ挙げ肩を後方へ引いてそれを助けることになる。 打ちたい意識が、足から発した自然な 身体バラバラの手打となる。 打ちたい意識を捨てないと、この悪癖は治らない。
ここで、難しいのは右手の処理である。 自然歩行の原則から云う胸の前、喉元から顔の前にあり柄を持っている。
だから、この右手は力を抜き、『緩めてになる』 もし、この時右手が鍔近くを少し強く握っていたら、先ほどの竹刀の回転の支点は、柄の右手の位置になってしまう。 そうすると、支点から短い距離の左手に強い力が必要になる。 しかし、この右手をフリーな位に緩めてやれば、回転中心は竹刀の重心になり、ほとんど力が必要ない。 さらに右肩はやや後方へいっている。
これは実際に竹刀を持って振っていただければ、その場で分かります。
次は振り降ろしの番になります。 前に出た右足が踏み込みの段階になると、右肩が前に出て来て、これが右手の竹刀の押しだしになります。 右拳は肘が曲がり顔面に近づいていた所から、右肩が急速に前に出るからこの力に乗じて右肘をやや中に絞りながら前に出す。 このとき左足が前に来る力が強いと、左押し出しの逆で、右押し出しが強くなる。
この時左手と右手が強調して竹刀の重心を前方に押している。 基本的にはこの重心、支点を前に押しだしながら竹刀の先は回転しながら前方へ向く力を発する。
この時、左足が前に来ることから、左手は下に下がるのが自然である。 左足の引きつけの力は左拳を下方へ下げ、『左拳を引き手にする』。 この左拳は歩行時は左の腰の横を通り後方へ行くはずの手である。 しかし、現実には竹刀の柄頭を持っている。 そこでその左拳の力を鳩尾の方向へ納めるのである。 右手は押し手、左手は引き手となって、竹刀の先は前方へのエネルギを下方へ転じ押し斬り、竹刀当てが斬りに入る事になる。
茶巾絞りは薄い布を軽く内に絞って、前後にしごく水の切り方である。 それでこの時の手の内を茶巾絞りの様にと云われる。
ここで難しいのが、先ほどの右手の緩め手の様に、本来の位置とは違った位置にある事である。 左拳を鳩尾に納める方法が分からなかった。 左拳をそこへ持っていこうとしても納まらないのである。 江戸川には範士八段、その手の内が素晴らしい評価の古城先生がいる。 見事に納まる手に内である。 いつも惚れ惚れとして見ていて真似をしたが出来なかった。 あるとき先生の見本説明をビデオに撮って研究をした。 長い時間が懸かったが分かった。 本来左手が後方へ行く動作を、左腋を締め左肘を体に寄せるのだ、そうすると左拳はピタリと鳩尾に納まる。
これで面は打てたのだが、その次がある。 息を吐ききる事により胸郭がしぼみ、肩が前下内方へ落ちる力が発する。 最後にこの力を加えれば、しっかりズッシリ斬り込みになる。 ここまで分かれば切り落しも難しくはない。
コツは左拳を意識し、左腋を締め鳩尾の高さに引きながら納める。 右手は相手の咽を突き破らんが如く押し込む。 竹刀の意識は相手の顔の額越しに咽まで斬り込む気分だ。
分解するとこのようになる。 この一連の動作を身体に覚え込ます作用が、基本打ちなのだ。
あるレベルの人には、それぞれの欠点に合わせて叱咤激励する。 (このような分解した内容を説明する時間が現実には道場ではない)
構えた時は一度伸びて、軽く重心を下げて膝を緩めろ! 膝に緩みを持たせ、床を掴め! 右足を滑らせて攻めは入れ! 構えた時は胸を出せ! 顎を引いて、頭を立てろ! 打とうと思うな身を寄せろ! 打とうと思えば足を出せ。 打ちたい気持を丹田に収めるのが、剣道の修行! 心が『打て!」と命じたら、捨てて打つ! ヘソを相手の胴にぶつけろ! 意識の攻めの上に竹刀を置け! 左拳で相手の鼻を突き上げる様に打て! 右手は緩めて! 蹴り足になるまで左拳は挙げるな。 打った時は一瞬に動作をする。 挙げた拳はすぐ降ろせ! 額越しに咽まで切れ! 右拳で相手の咽を突き破れ! 左手をもっと降ろせ! 左拳を胸まで降ろせ! 打った時は息を吐ききれ! 高校生の様に打って走り去るな! 打ちきった後は三歩で向きを変えろ! 頭を振り向き、由断無く体の向きを入れ替えろ。 振り向くコツは七本目の打ち太刀の動作に有り!
角先生位になると、意識の変化が理合いの合った身体動作と仕手表現される。 先生の言葉を有りがたく感じるには、先生がそうであった様に、八段合格近くになって初めて分かるのかも入れない。 一般的には各論(部分的動き)の積み重ねで仕上がる。
二日間の成果が実現しました。 師匠・原田源次先生に『無心の体の懸かりの先』を実践しました。 師匠が手元を動かしたのを見てから打った面が一本入りました。 体の懸かりの先が先生の竹刀を押し込んだ面でした。 身体のエネルギーが竹刀に乗ったのです。 (打つ前に色々と考えるが)『何も無いんだよ!』の言葉を聞いた事を、身体で実践できた喜びは大変嬉しかったです。 それも原田源次先生に出来た事は本当に嬉しかった。 何本も打たれ返されましたが、この一本は今まだかって一本も打った事が無い面でした。 『切り落し』の後のさらなる進歩、『無心で体の懸かりの先』の実践です。 これは後で気がついたのですが、師匠の攻めはいる入り身なのですね。 『剣道は前に出るしかないなあ!』の言葉を思いだしました。
相手の間合に入るのに、心に全く葛藤がありませんでした。 初めて師匠の心境が垣間見えました。 打つも打たれるもありませんから、竹刀を持っていることすら忘れ、相手が打ちだすまで手元が動きませんでした。 ここを今回誉められました。
切り落しは心身ともに覚醒し、相手を気力で圧倒し、スッと捨て入り相手を起こし打たせた時しか上手く行きません。 それに、竹刀の重さも必要です。 さらに自分の正中を切り下ろす竹刀を信じた時だけ上手くいきます。 柳生流の『合撃(がっし)打ち(相打ち)』 相手に先に打ち出させ、その動きをみたうえで、打ってくる竹刀の上にわが竹刀を打ち被せる。 心身が覚醒していないと出来ない技です。 かなりの緊張感と緩みの存在が必要なのだと、最近判って来ました。
前回、桑田の重力を応用した古武術的な動きを考えてみよう。 重力の重みを使う方法である。 フッと膝を抜くと七十キロ位の体重が一瞬に落ちる。 この仕事量を腕に一瞬に伝えればかなりなエネルギーを得られる。
面打ちの場合、 摺り足で前進した力が弱まっていく瞬間、最後に強く押しだし、体重が下方へ向かおうとする力が竹刀に乗り、押し出しが同時に背筋を伸ばし頭を受けに突き上げやや後方に引く、重い頭が上を突き 、これが竹刀へ下方への(胸を下げる)力となり、頭を後ろに引く力が、頚反射となり竹刀を前方に押しだす力になる。 左足の引きつけは体のバランス作用で、左手を下方へ向ける強烈な力を生み出す。
切り落しの場合、 相手が前に伸び切った所を、自分は前進を弱め上体を上に引き上げてその落ちる力を胸に伝えて切り落とす。 相手の距離の移動は前に七分、自分は三分。 相手は体を沈み込んで伸び切っている。 自分は相手の受けから体を乗せる。
小手打ちの場合、 相手が手元をあげようとする瞬間に、重心を前に滑落させてそのエネルギーを胸、腕に伝え小手を切る。 間合が近い時は膝を抜き、その一瞬の重心落下を竹刀に伝える。
胴の場合、 胴は相手を引きだし、相手が打てると錯覚して左手を上げて蹴るまで、頭の位置は動かさない。 ただし相手に呼応して、右足は斜め前に既に動きかけている。 相手の竹刀を受けた瞬間、右前方に重心を滑落させて体を移動すると同時に右手で鍔で胴を切る。 この時上げた手と肩が瞬時に落ち、この力が竹刀を引き落とし、これに引かれて剣先が凄いスピードで胴を切る。
西村の胴を見ていただくとそうなっている。 これは乳井先生の腰の切れをマネして手に入れた動きです。
皆さま果敢に西村に挑んでくる。 西村に注意を受けると、無意識に体が逃げていったり、竹刀だけで打とうとしている自分に気づかれた。 指導をすると、素直に修正して打ってくる。 皆さま、最後は真正面に面を打てるようになった。 西村に最後に見事な面を打たせてもらって終了。 ちょっと鼻っ柱の強い人は、西村の豪快な面の切り落しを受け終了。 今日の稽古は、西村過去最高に重い竹刀を使う。 しかし、竹刀の重さは全く感じない。 太刀の道に沿って自然に動かせば、身体の力を竹刀に伝えるだけで、スンナリ打てる。 西村も太刀筋が決ってきたようだ。
身体・竹刀が動く力学的考察
前から纏めたいと思っていたことです。 先日、軽井沢でHideさんが何気なく話した、頚反射と小沼先生の京都大会の右足をくの字から真っ直ぐのばす力を利用した、一刀流の切り落しの秘伝がきっかけです。 今回これが書けたとはHideさんのお陰と感謝しています。 さらに、相手の構えから相手の得意技を推察する話し、この構えからはこれしか出来ないと話した内容は正に適切なる推察はには恐れ入った。 無意識が次の運動のために備えた身体の準備姿勢が構えに現れていることの話しです。 さすがは体育を専攻しただけのことはあると舌を巻きました。
西村の切り落としは上に伸びた体が、沈む力に胸を下ろす力を加速して打っていた。 そのちょうど逆の作用で切り落としがあるのを聞いて、それは理に適っていると思った。 秘伝の中に自然の法則が隠されている。 結局のところ、秘伝はこの法則を身体意識を通じて発揮される。
土曜日久しぶりの千代田の土曜稽古に行った。 川瀬先生八段に足の不調でご無沙汰した事を告げる。 京都で杖をついて歩くのがやっとで、一歩が出ない状態で剣道をしたことを言った。 そこで、相手が打ってきた面(ほとんど引き出したのだが)をほとんどすべて切り落としたことを話した。 川瀬先生が言った。 「みんな面の切り落としをしたくて必死になっている。 しかし、ほとんど出来ない。 試験でやって見せれば八段は受かるよ。 先生方がしたくて出来ない事をやって見せれば、三重◎だ。 先生方だって驚くよ!」
前にも書いた事が有るが、竹刀に刀の反り、鎬が無い所が刀の技が出ないところだと言われている。 その延長線上でそのために、竹刀では切り落としが難しいと言われていた。 西村は京都ではほとんど相手の面打ちを切り落として、そして見事に決まる所を披露してきた。
竹刀には刀と違い、刀に比べ物にならないぐらいに厚みがある。 自分の刀を正中に上から切り落とせば相手の竹刀は弾け飛ぶのは必定だ。 よって前述の理論は通らない。 自分が出来ない立派な理由を付けているに過ぎない。 その証拠に西村に切り落とされた竹刀は弾け飛んでいた。
これは前にも書いたが、体の運用、相手と自分の力のベクトルを考えれば簡単に解決する問題だ。
身を上に延ばすように胸を出す。 そうすると、相手は面に来ると思い面に打ってくる(相手を引き出す)。 このとき、1/4位しか体を進めず、両拳を真上に押し上げ相手が見える位にする。 このとき、決して竹刀の先を後方に持っていかない。 相手から見ればこちらが余り前進しないから、身体を伸ばし手を伸ばして面に届かそうとして伸び切っている。 拳が身の内から離れ脇が開いてしまっては間が延びた一本の長い棒の様な物だ。 しかも、竹刀の力の方向は前進の直線的な動きだ。 この伸び切った状態の竹刀を気にせずに、真上から真下に喉元まで胸を下ろして切り込む。 左腋はしっかり締まり、肘は内筋を活かし力が外に逃げないようにしている。 手首は中筋が通ることにより、固定されている。 (ゴルフスイングの左手首固定、ボーリングの手首固定と同じ) そうすると、竹刀の下に落ちる力は胸を下げる胴体力が直接懸かることになる。 しかも、その時竹刀の物打ちで打とうとはしない。 相手の竹刀を鍔で叩き落とす感じで、切り落とす。 このとき、竹刀の先を早くしょうとして手首に力を入れてこねると力が抜けてしまう。 これは右手の押しと、左腋の絞めに寄る左拳の引きの手に打ちとする。 打っていった時の拳の高さを目標としないで、このときばかりは胸まで切り落とす感じで竹刀を切り下ろす。 そうすると、最速の時に相手の竹刀、面を打つことになる。
相手の左拳が動く前に自分の手元をあげると、小手を打たれる。 相手の左手が動いた瞬間に自分の手元を上に押し上げ、ギリギリまで引きつけ相手が伸び切った時に切り落とす。 相手に体を進め前進すると、相手の竹刀に威力が有るので切り落としは出来ない。 相手の竹刀が六分、自分の竹刀が四分(3:7でも切り落しにならない)【今は3:7が良いと思っている】 面返し胴をギリギリまで引きつけて胴に切るに似る。 そうしないと、京都で西村が切り落とした様には出来ない。
技術的な事はいつでも教えます。 そして、直に習得することは出来ます。
難しいのは内面の問題です。 十分に攻めた後、相手に我が身をさらし、面に行くと見せる。 そこで、相手の手元の上がる反応を見る余裕がないと小手を取られる。 この一瞬を自分の手元を動かさずに、相手を見ている心の余裕が有るか? ここが一番習得の難し所です。 打たれたくないと思えば使える技では無い。 打ちたい気が消え、我慢比べで相手を許す気持ちが無いと出来ない。 十分な攻め合い、相手がもう我慢できない状態に追い込んでから 自分が我慢できない振りをして打ち気を見せる。 気の実のぶつかりに虚を見せ、そこに相手が実で打ち込んでくる。 相手の実が既に消えようとする瞬間、真上から実の気と竹刀が真下に落ちてくる。 自分が相手に合わせて打ちに行くと、相手の実に自分の実がぶつかり切り落としは成功しない。 相手の気の実も体から発した竹刀の実も既に消えようとする瞬間を、 「そこが貴方の甘いところです。」と心で囁きながら教育的打突をもって、 指導してあげる。 此の様な気分でないと成功しない。 勝負を賭けた様な争いの場面では出ない技だ。 賀来先生が古川に打ったあの三本の面の感じだ! 心の余裕が成せる技であるから難しい。 ここを教えるのが一番難しい。
原田源次先生 西村の命の恩人です。 いつも暖かい助言と指導を頂きあり難い存在です。 先生との稽古は一期一会の心境の稽古です。 恩返しは先生から見事な一本を取ることです。 今回は面を打つだけの・・・これだけの稽古を1/3の時間は避けました。 先生のあの静かな攻めは入りに同調をし、なおかつ面に出ないで面を捧(ささ)げました。 そうすると、返し胴は見事に決まりました。 これは先日の永松陟範士にも決まりました。 西村のこれに対応出来る人はほとんどいないようです。 先生と攻め入りの同調から、右膝で先を取ろうとしたのですが。 先生の面の引き立て面の稽古の意思を感じ止めました。 左拳の動きを『一瞬の我慢比べ』と思いましたが、なかなか先生相手では難しかった。 今回の収穫は素晴らしい『摺り上げ面』を頂いたことでした。 特に京都での先生の剣の冴えは他では見られないほど冴えています。 この冴えた摺り上げ面は剣道はここだ!と感じました。 先を取って攻めあげ、体を静かに前に進め相手に面を引き込み打たす。 西村の六分の前進距離に対し、先生は三分の前進しかしない。 やや遠いと感じる相手(相手の前進距離が短い)、呼び込まれて身体と竹刀が伸び切り始め、体も竹刀も偉力が落ちかけた時、先生は残りの一分で摺り上げ面を打つ。 ここでのコツは、相手が面が打てると思って打たすとだ。 相手を真っ正面打たせ、自分を突き抜けて行くように打たせる。 その為には、相手の左足の押し出しが始まるまで、面を見せてそこの位置に誘導する必要がある。 これも我慢なのだ。 相手が確信を持って面に出るや否や、体を右に捌き自分の左横を通過させる。 相手は目標を失い身体が伸びようとし、竹刀の力も弱くなる。 ここをスッと摺り上げて面に竹刀を落とす。 横から見れば出来レースなのだ。 原田源次先生が言った。 「先を取って入ること。 間合いが大切なこと。」 この二点を教わった。・・・・西村には得意の技ではあったが、やっと真髄を知った様な気がする。 西村がかって左足が蹴れない時、斬り落としに開眼しました。 相手の竹刀の力が減衰期に入った時に、切り落としをする。 基本的に全く同じだ。 体を左に捌く斬り落としも考えて見よう!!!!!!!
さて、稽古はどうだったか。 一番先に面を着けSさんとお祝い稽古。 同じ段になったのだから、一応の腕の差は知っておいてもらいたかった。 10本ほど先に西村が取って、最後に良い面を打たせて終わった。 あらゆる打ちをしてみた。 面を打たせて胴に返す。 面を打たせて摺り上げて面。 面を打たせて摺り上げて裏から面。 攻め入って、動く瞬間に面。 足からゆっくり攻め入り、相手と相打ちからの斬り落とし。 面に引き出し逆胴。 面に引き出し、体を左に捌き胴。 スッと体を入れ、相手の手元が上がる瞬間に小手。 最近あみ出した攻め入り・・・右膝で相手を引き出す・・・面斬り落とし。 何でも出来る! 相手の心が見えれば! 申し合わせ稽古の様に見事に決まる。 最後に相手に気持ちよい面を1本打たせて終了! 問題はこの後、同じ七段の側に立ってしまうと稽古の機会がなくなる。 七段に引き上げると稽古に来なくなる! 寂しいが・・・まあいいか! 七段同士稽古をしているが、西村とはしたがらない・・・・これが剣道家なのだ! この見栄が無くなれば、剣道による自己の確立になるのだが・・・ここが難しいのだ!
チョット不満! 現代の剣道は相手のこのような面をも、上から乗って面に取る、この精神を尊ぶ傾向がありますが、武術的な剣道の神髄は面に来る相手に面に出てたとえ勝ったにしても、自分が傷つきカタワになれば一生を棒に振ることになります。 西村の剣道観ではこれは無謀な事だと思うのです。 相手の動きを七分、自分の動きを三分にして動けば、結局相手の倍の速度を手に入れた事になります。 さらに入り身がよければ、手の動きには相手の四倍の時間の余裕がある事になります。 さらに、相手の呼び込みを長くすれば、相手の死に体になって身体も竹刀も伸び切ったところを、上から斬り落とせば簡単に斬り落としになります。
たまたま、K君が久しぶりに相手に来た。 武道館へ着いた時、彼は竹刀を二本持って素振りをしていた。 重い竹刀、木刀を持って素振りをする時に気をつけなければならないことがある。 ほとんどの人がそうだが、肩の三角筋を使うためにヒジが外に開いてしまう。 彼もそうだった。 注意をしてあげたいなあと思っていたところだ。 肩に力が入り気合いが入り、西村の右足に誘われすっ飛んでくる。 しかし、これが早いのだ! 見事な位に早いのだ。 見てから相面は乗られてしまう。 胴に返すのは簡単だが、面に行くと相打ちになってしまう。 180センチ以上の上背で、この瞬発力とスピードにはほとんどの七段も打たれるだろう。 西村の足の誘いを誘いにしないで、間を盗む方向に仕向けた。 彼が一瞬前に出る機会が無いのだ。 彼が気がつき打って出た時は、既に遅く西村の竹刀が面をとらえていた。 『誘いと、間を盗むは少し違う』この間を盗みながら攻め込む名人が原田源次先生なのだ。 『誘いは 月影だ』『盗み攻め入るは、我が身を捨てて静かに間合いに入っていく』 彼には『間を盗む』で面をとった。 『月影』を使えば、簡単に胴に返せるが、、面に乗るには相手の勘とスピードがあり過ぎる。 この様な使い分けも必要だ。 最後の方は胴に返して取る。 そして、上から斬り落として面をとって終わりにする。 暫く見ない内に剣道が洗練されて来ていた。 次の段も近いだろう。
岡田さんの剣道に対する『心眼』が目覚め始めた様ですね。 強くて立派な剣道を観て、惚れ惚れする!からそれを感じます。
『今回確認できたことは「右足の攻め」。強いて云えば右膝での攻めですかね、強い人はこれができていますね。西村先生の常々おっしゃれれている、この攻め出しのこと、切に確認しました。打ち抜くのも、捨てるのもこの攻めができてから始まりますね。』
この右膝の攻めは原田源次先生のビデオに如実に出ています。 西村はかなりこれが出来るようになりました。 昔は右足を滑らせて攻め入っていました。 これだと直線的に距離は出ますが、蹴り足が弱くなると難しくなってきます。 足を出したら打つしかなくなってしまう欠点がありました。 最近、右膝の攻めを使うと、相手が我慢できずに来た瞬間、上から落下の重力を使い斬り込む(切るより斬る)感じで切り落とせます。 自分の間合いと十分な溜めが確保できる様です。 進化した高速斬り落とし面を開発しています。 角先生の手元がぐうっと上に上がる面打ちに近い感じになります。
「斬りーー込み」ですね。 そういった思わず納得の表現をなされるところが先生のご指導のすばらしいところですね。
さて、昨日はふたたび大学生の人たちとの稽古を行いました。 最初は飛び込み面のような感じの面に挑戦してみたのですが、まったくダメでした。 小手を打たれたり、竹刀でブロックされたり、あるいは相面で制されたりと、いいところひとつもありませんでした。 やはり私の前進する力は彼らに遠く及びません。
そこで作戦を変えて、左足に体重をかけて、右足を少し進めて、彼らが面を打ってくるところを上から斬り落としてみる手に出ました。 何となく鈍い打突ではありましたが、この手なら相手によっては面を制することができました。
ただ、ちょっと気になっているのは、これでは相手を真っ二つにしたような感じは得られましたが、前方に打ち抜くような疾走感が得られなかったことです。 たいていは体当たりになってしまいましたので、私の左足はほんのわずかしか前進していませんでした。 先生が斬り落としをなされた時の、左足の前進具合と残心の示し方についてご教示頂ければ幸いです。
昨日一番の収穫だなと感じたのは、左胸の感覚でした。 胸を開いて攻め込んだ(つもり)の時に、相手の打ち気を左胸に感じたような気がしました。 私の場合は後が遅いから、いくら相手の心の動きを感じてもボコボコにされるという結果には変わりはありませんでしたが、ひとつの収穫だと思いこむことにしました。
西村先生、蓮沼さん、こんにちは。
斬り落としの件、納得致しました。 できるできないは別として、自分の身体を通してイメージしたことが間違いではなかったことがわかりました。 斬り落としは一刀流で、月影は柳生流だという表面的理解しかないのですが、私は相手を起こして斬り落とすという剛胆な技に憧れています。 胴はどう考えても不器用な私には無理な技ですし、西村先生の月影斬り落としを私の剣道の目標として頑張りたいと思います。
「斬り落とす」なんとも言えずいい言葉の響きがありますね! 皆さん頑張っておられますね。私も稽古の励みにしています。 この前、市の合同稽古がありました。稽古の前に西村先生のご指導を抜粋した「剣道マニュアル」を読み返し今日の稽古をイメージしました。今年の課題が「攻め」なので、自分なりの攻め「来るなら突くぞ、!」等を実践してみようと思っていました。西村先生が前々から言われていた事ですが、攻めと打ちは違う、ということが少なからず実感できました。「打ち気」を体にみなぎらせて前に出ていくと、相手は必ずそれを事前に察知してそれなりの対応を取られます。実力が上の人には簡単に返されて打ち返されますし、同等のレベル若しくは以下のレベルの人には返されはしませんが受けられます。勘のいい小学生であれば胴を抜かれます。 次に「攻め」て前に出る。これを自分なりに相手に実践してみました。自分は未だ体が覚えるところまでいっていないので、頭の中で前に出て相手が手元を挙げたら「小手」、そのまま出てきたら「胴」のけぞったら「面」、これらを考えながら実践しました。考えてやる分少々遅れはありますが、何とか決まります。 漠然とですが西村先生のご指導が少しずつ形になってきていると実感出来ました。やっぱり西村先生はすごい!!! ひかがみが曲がり、踵が上がってしまうと「攻め」が出来ない。すなわち前に出る時に相手に察知されてしまう。ほんの5cmか10cm前に出るのが相手に解る、だから、返されたり抜かれたりして相手に後れを取る。よく実感できた一日でした。 その日の第二稽古で元立ちの先生にお褒めの言葉を頂きました。 「姿勢もいいし、構えもいい、何より竹刀が真っ直ぐでてくる。」 美味しいビールをいただきながらの第二稽古会でした。 後、歳が同じくらいのリバイバル剣士のお父さんとの稽古のときですが、この方が私が右足をスット出すとあわてて大きく面を打ってこられました。重心が前に係懸かり要するに手打ちの状態です。私の方は一瞬早く前に出ているので後は右足を踏んで竹刀を降ろしました。見事に相手の竹刀は斬り落とされ、私の竹刀は相手の面を斬り込んでいました。西村先生のご指導のとうりです。斬り落としには力を入れず、真っ直ぐ竹刀を上から落とせばいいことが実感できました。何回やっても同じ結果でしたのでその方は不思議そうな顔をしておられました。 少し下の人と稽古しても自分の稽古がちょっと上がっていく事が実感できます。目標を持ってそれを一つ一つクリアーにしていく。毎日毎日少し上を目指して頑張っていく。剣道は面白いですね。 西村先生今年もご指導宜しくお願いいたします。 ツリー全体を読む
△上に戻る その先にある『読み勝ち』 西村雅興 2008年1月20日(日) 『蛇と蛙 蛇の前に蛙が一匹いる。 蛇は蛙が動く瞬間に、その動きを見定めて飛びかかる。 蛙が動かない前に飛びかかると、蛙はその攻撃を避けて逃げてしまう。 蛙は動かなければ蛇は飛びかからない。』
蛙と蛇の関係はお解りになったと思います。 蛇が蛙に勝つパターンです。 それではマングースと蛇のパターンに入ります。 これは武術的秘伝パターンを超えた『心法』『覚醒催眠』『錯覚』『手品』『読み』の世界に入ります。 マングースと蛇は命を賭けて闘います。 蛇は蛙の飛び出した方向性を読み、そこを飛びついて捕まえます。 蛇はマングースの動きと間合いをはかっています。 蛙を捕まえるパターンに入っています。 そこで、マングースは自ら間合いに入っていきます。 蛇はしてやったりと思い飛びつきます。 しかし、マングースは引きの見切を考えて間合いに入ります。 蛇が噛んだと確信を持った距離を間一髪間合いを見切、伸びきった蛇の頭を噛みます。 これで勝負有りです。 (時に失敗をし、命を落とすこともあるそうです。) これは蛇の勝ちパターンの習性を良く知った上での読み勝ちです。
相手が我慢できずに打ってくる所を取る方法。 さらに、相手が勝ったと錯覚させて取る方法があることが解ります。 相手を錯覚する方向へ誘導していく作業があります。 一種の覚醒催眠です。 相手の得手(得意の所・技)に乗せられた振りをしてやることです。 相手は勝ったと確信をして打ってきます。 通常は相手の攻めに(打たれる前に打つ)無意識が反応し、そこを観られて取られます。 しかし、これでは身体が無意識に出たと同じ動きをして見せて、実は有意識がその動きを演じているのです。 相手の攻めパターンに嵌まってあげる(あげる:これが読みと余裕です)ことです。 相手の心を手のひらに乗せる。 後は相手の心をお手玉をする方法です。
西村と稽古をした人がよく言います。 階段を踏み外したような感覚で打たれる。 当然あると無意識に予測してる段が突如消えていて『はっと!』する感覚です。 少し腕の覚えのある人が西村と稽古をしたがらないのはここにあります。 西村先生は打ち合ってくれない・・・・・ 原田源次先生と稽古をした人は解ると思います・・・あの抜き胴。 確かに面を打った・・・しかし、竹刀は空をきっている。 返されたのなら解るが・・・抜かれると・・・読まれた。 あの椎名先生が・・・参った!と感じた瞬間です。 彼が言った「身体が参ったと言ったよ。あの瞬間観ていただろう。」・・わざわざ西村に言いに来た。
(椎名先生との稽古では、西村はほんの少しの間合いを間違い面を取られました。 確かに先生は乗ったと感じた瞬間でしたが、体を右に抜く面返し右胴を打ったが間に合わなかった。 一番得意の左に体を捌いて胴を打つべきだった・・・と今も悔やんでいる。 結局・・・読みは当たったが、(間合いの)読みが『浅かった』 しかし、これは次に繋がる一歩となる。)
西村が名前をあげれば誰でも知っている、高名な老範士八段達が時々西村にとられます。 このような先生方は巧妙に面を打つように誘い込みます。 懸かり手はそれに乗せられワナに嵌まり面を打とうとした瞬間小手を取られます。 私の前に並んだ六七段がすべて術中に嵌まり小手を取られていました。 その先生方には、相手がこれに嵌まれば小手が取れると無意識レベルにまで確信があります。 さて、西村は先生の面のお誘いに思わず体を出します(実は乗ってあげたとのです)。 先生の無意識は「はまった!」思いゆっくりと確信をもって小手を打ってきます。 西村は相手の次の一手を読んでいるわけですから、しっかりと小手を摺り上げ、ゆっくりとしっかりと面を打ちます。 見事に決まります。 これは通常の剣道のレベルではなく、碁・将棋のような読み勝ちの世界です。 筋力も勘もスピードも必要がありません。 『ただ読み勝ちの世界』です。 大先生だけに骨の髄まで勝ちパターンはしみ込んでいます。 その裏をかくだけです。 読みが当たれば剣道でもないのです。 しかし、この先生方に西村が剣道で挑み、打って行くと、ものの見事に捌かれ斬って取られます。
『蛙と蛇』→『蛇とマングース』・・・この関係はよくよく吟味の必要があります。
さて、最後にこの「読みを間違い』で命を落とした武士がいます。 山本勘助でした。 これを『山勘がハズレル』と言います。 ツリー全体を読む
△上に戻る 松風館道場・高段者稽古会 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2004年2月14日(土) 松風館道場(岩立三郎先生)高段者稽古会 第二土曜日午前
今日は土曜日の仕事を休んで、朝から剣道だ。 何と幸せな事か! 万全の体調で臨んだので、今日はバッチシやれそうだ!
噂に聞く松風館道場の高段者稽古会に参加した。 関東一円、全国からも来るという。 (先生、今日の事を書くんでしょう。 みんな見ているからね! そうだよなあ! 誉めるときは実名で、西村に歩があった時はABCで書くよ! 書き方も難しいなあ! そんなやり取りが、ある女性とありました。)
最初は七段までが回り稽古。 暫くして、八段が元立ち。 八段は八人ぐらいが元に立つ。 壮観な稽古会だ。 関東一円、全国からも来るという。
西村は先ずA先生と稽古をした。 岩崎先生が審査で当たった相手だ。 岩崎先生の言った通に大きな面だ。 剣道雑誌でも紹介された先生で、なるほど豪快な面を打つ。 懸かるほうはことごとく沈没だ。 ほとんどが大きく上から面に乗られている。 松風館道場の大きな面の典型だ。
人気がある先生なので列が長い。 暫く八段と懸かる人との違いを比較してみた。 先生の方は体に竹刀を乗せたまま、ズイーッと相手の顔をめがけて出ていく。 下位は慌てて面に行く。 その瞬間先生は打ち込みに入る。 そして立派な面が入る。 どれも同じパターンだった。 腰から入ってくる体の攻めが十分が八段だった。 あれ!と思う場面があった。 遠方から来られた背の高い方との時だった。 先生が相手の攻めに反応して、手元が上りかけていた。 相手も強いのだろう。 そうすると、先生の大きな面は陰をひそめた。 一応先生の方に歩があるが、相手も八段に程なくなる人だろう。 次のレベルの人では先生の入り身に耐えていた。 この人が打たれる時は先に打って出て、そこを乗られて面に取られていた。 この先生に対する三段階の相手との稽古がはっきりしていた。
後ろの方だったので、風邪を引かないかちょっと心配をした。 やっと順番が回って来た。
先ずしっとりと構えた。 原田源次先生の呼吸法を十分活用する。 最初は気の押し合いをしているような気がしたが、段々相手が見えてきた。 なるほど面白い! 相手が強ければ強いほど、呼吸に集中でき自分が消えていく。 それに従って相手の打ち気が、反応が手の平に乗ってくる。
足の範囲で体を動かし、相手の反応を十分見る。 西村竹刀の先は咽をしっかり攻めている。 さらに体を沈めると相手はやや前傾になってくる。 前に原田源次先生の言っていた、『膝を緩めて誘っているな』を使う。 この膝の動きに相手が微妙に反応する。 次第に一触即発の状態にまで高まって行く。
スッと緩めて体を出すと、豪快な面が飛んできた。 しかし、その前にしっかり咽垂れに西村の突きが決る。 (相手の気が竹刀と一緒に上に行くと、咽がスポンと気が抜けた。 そうすると気の抜けた穴に西村の竹刀が吸い込まれるのだ。) 普段は引くのだが、相手が八段でこれを引くと面を打たれたことになってしまう。 そこで、しっかり諸手突きだ。 ガクッと来たようだ。 相手もさるもの、突かれたまま面を打ちきった。 この辺が八段の面の打ちきりだろうと思った。
次は同じパタンだが、スッと面を見せる。 相手がそれを取りに来た所を、左に捌いて胴を取る。 相手は打ち気を抑えだした。 相手の竹刀が、西村の竹刀を意識し、段々下がって来た。 腰から竹刀を下げ気味に体を進めると、先生は竹刀を押さえ気味に出て来たので、面に乗る。 最初から最後まで先が取れて、相手を動かせたのは良かった。
【この様に書くと西村が凄く強いと思われるが、西村の歩が良かった所をイメージ・ップして書いてあることを忘れないで下さい。】
次も若手新進気鋭の八段だ。 こちらの先生の稽古をしっかり見た後は、その横手稽古をされている岩立先生の面に見惚れていた。 竹刀の先がちゃんと打ち頃に位置に納まって打っている。 相手の動きの“う”を打ちに行っている。 稽古をするより見ていた心境だった。 さて、攻めの手順は先程と同じだが、先ほどの先生ほど高まらない。 その前に先生が大きく反応してしまうからだ。 太鼓が鳴り長い稽古は出来なかったが、終始先を取り稽古が出来て、先ほどの先生よりは楽だった。
待っている時間が長かったので、他の八段もしっかり見た。 近先生はゆったりとした独特の剣道だ。 以前稽古をしたとき、御互いに打てなかったのを覚えている。 最後は西村が歩み足で入って、間を盗み小手で終わった覚えがある。 そのとなりは大きな面としっかりとした突きを見事に相手に遣っていた。 次回が楽しみだ。
この書き込みを見ておられる先生と稽古をした。 なかなか強い先生だった。 御互い余り良いところが出ずに終わった。 西村の気分と緊張が切れていたので、充分な稽古が出来なくて申し訳なかった。 八段の先生の時の様なしっとりとした攻め合いの前に、西村の体が出て攻め入ってしまう。 先程の八段先生方より受ける圧力が弱いからだ。 見えないが感じあう『気』の圧力は面白い。
最近のダイエット効果は今日の稽古にすっかり生きていた。 このまま行きたいと思う。
あれは、うちのダーリンよ!と言われた女性。 主人の剣道の稽古を楽しそうに見ていた。 なかなか切れのある剣道をしていた。 相手は近先生なので、普通の人では打ち込むのは難しい。 それでも頑張っていた。 夫婦で松風館道場(岩立三郎先生)で高段者稽古に参加。 羨ましい限りだ! 夫婦の会話でも剣道の話しで盛り上がることだろう。
稽古の後、岩立先生に挨拶に行った。 先生 「先生がくれた岩手の八段の先生方の話しは皆さんに評判が良く、大勢がコピーをしてもって帰ったよ。 なかなかそういう物は無いから、ありがたいことです。」 と言われた。
今日の西村の出来は自分としては満点だが、若い教師八段に面で取りあいする、若い稽古もしておく必要があると思った。
岩立先生が言った 「この様に大勢の稽古の時は待っていて、横に動いて胴を打つのは慎みましょう。 そんな稽古ばかりしていると嫌われてしまう。 私も胴を打ちますが、しもた!面で行けば良かったのにと反省します。 先ず先を取って面に打ち込むことを心がけて下さい。」
参考 松風館道場は金曜日は基本稽古の日だ。 七段の若手道場生でもキツイと言う。 ここの、門下生はここで基本を鍛えられる。 これがこの松風館道場(岩立三郎先生)の剣風を作るのだろう。 高段者を本気で目指すならば、この道場は日本一の良い稽古場だ。 西村も足に故障があった時に行って、大変だった覚えがある。 足も治ればこの金曜日も行ってみたい。 翌日の土曜が心配なのだが、妻に叱られるかもしれない。 ツリー全体を読む
△上に戻る 千代田合同稽古回1/8 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2007年1月9日(火) 一月八日、千代田区合同稽古始め。
七段の数は何人だろう? 15人以上はいるだろう。 それぞれの七段の先生を観察した。 それぞれ癖が強い先生方だ。 ほとんど同じパターンの打ちをしている。 10年20年同じ事をしているのだ。 西村は多様性のある柔らかい進歩のある剣道を心がけようと反省をした。
お願いしたい先生もいないようなので、元立ちに立った。 千代田では新参者なので遠慮がちなそれなりの所に立つ。 少し遅れて稽古を始め、一番早く面を外す。 1時間半は長い。 40分ぐらいが適当かと思ったからだ。 足腰に負担が来たと感じた時点で終了をする。 西村との稽古を望まれる方は大体決まっている。 しかし、今日は珍しい人も多かった。 社会人の競技者は鋭い打ちと、相手の攻めに耐える強さがあった。 ただ、打たさないと竹刀を動かす・・・ここに隙が出来る。 やや下から、表から、鍔元を攻め入ろうとする。 相手の無意識がこれを嫌って上から押さえに来る。 数回やると無意識レベルの反応だと判る。 同じ攻めをして、押さえに来る瞬間『浮木の原理』で、するっと竹刀を裏に回し小手を打ってから面に伸びる。 腰が十分に入った面が入る。 覚醒催眠の妙技だ。
面を攻めても相手は面にきた瞬間に小手をとる算段なのだ。 合い気にならずに、当てる事の算段が強い。 試合を重視した剣道にはまりこむと剣道の七段レベルで苦労をする。
素直な良い剣道をする若者がいた。 後で挨拶を受けた。 蓮沼先生のお弟子さんとのことだ。 剣道は見習う人を誰にするかで自分が決まってしまう。
さて、面を返して胴を打つ。 近間で速い相手に面を見せると面に触られる。 少し間合いを切ればよいだけだ。 西村の得意技の一つ。 面を返して右に行かずに、左に体を捌く。 どんなに速い相手にも通用する。 これは今日も実証された。
稽古後の懇親会は遠慮をして、そうそうに帰宅。 この後は妻と映画に行く約束があるからだ。 これが西村の人生だ。 ツリー全体を読む
△上に戻る Re:久しぶりに竹刀を持つ!!!!!1 岩崎敬郎 2006年10月4日(水) 西村先生、お忙しく、またお元気のようで安心しました。 当方は二戸で行われる岩手県内最大の少年剣道大会が 終了してホット一息ついているところです。 中学生男子、中学生女子、小学生の団体・個人戦の 会わせて参加選手900名、168チームの大会です。 大会を主催する度思うのですが、裏方の大変さ、 そして大会に参加してくださる選手・監督、さらには 保護者の方々に感謝を申し上げます。 でも、苦言も一言。 マナーが�が悪いですな。特に親が。 開場とともに走り出し、座席の確保に物をおいて 自分だけいい思いをしようとするあさましい態度。 これは会場の大きさに関係なくどこでも何時でも見られます。 あの大きな日本武道館でさえそうなんですから。 子供に剣道を習わせる前に親のしつけをいなければ、と思います。
さて、お尋ねにあった原田先生の胴ですが 我子達は「原源胴」と呼び基本内の中に取り入れています。 勿論格好と打ち方だけですがね。 子供達には、現象面を教えるだけです。 即ち、せめる、表から押さえる、竹刀を相手の竹刀の下に潜らせる。 その時右足を滑らせる。頭は差し出す。 あとは相手が打ってこようがこまいが胴を打つ。 これが「原源胴」の打ち方です。もっともこれは中学生・高校生向き の指導ですが・・・・・。 いつか原田先生に伺った時があります。 「先生、どうすればいいのですか」 「あのなぁ、あれはどうでもいい胴なの」 「はぁ?」 「応じ返しは反射運動、即ち後の先。これは数を掛けて訓練する。 抜き胴はよみ。先の先。これは攻めが決め手になる。」 「では抜き胴は誘いからの技ですか。」 「いんや、俺はいつでも面を打つつもりで技を出している。 でもいつのまにか胴を打っているんだな。だから、どうでもいい胴 なの。」 「だったら、先生の抜き胴は反射運動で後の先ではないのですか。?」 「いんや、先先の先だな。面を打つには面を差し出さなければならない もの。面を打つ前に死んでしまうんだな。 そうしたら死んだものを打つつもりで相手が起こるから別に 面でなくても、小手でも、胴でも打つところを相手が作ってくれるん だな。そこを打たせてもらえばよい。」 「じゃぁ、打つ前に既に相手は打たれることになっているんですね。」 「あのなぁ、勝ちに不思議な勝ち有り。負けに不思議な負けなし。」 「はぁ・・・・・。」
未だに「原源胴」が打てない岩崎が解説をできるわけがありませんので この程度の理解しかしておりません。 西村先生が直接お聞きして解説をしてくれたほうが 岩崎も有りがたいのですが。 ツリー全体を読む
△上に戻る 有り難うございました。感謝です。 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2006年10月5日(木) 良いヒントをいただきました。 学生時代、一年先輩に『越前』がいました。 彼は一年間一度も負けずに通します。 結局個人戦では優勝をします。 彼は中学時代に大将で日本一になっています。
彼は面に出ているが、小手で勝つことが多いのです。 後で聞くと『小手がはいていたらしい!』と云います。 これを逆手に取ると三本の内一本は取れるのですが、西村は一度も勝った事は有りません。 現在も剣道はされていますが、理合の稽古はされていないようなので勘の冴えのみの剣道になっています。
西村が高校時代世田谷区には国士舘高校の剣道部が有りました。 ここの大将は三年間西村に負けています。 たまたま、前が頑張って大将戦になった時、気がついたら旗が上がって勝っていました。 日本学園高校が国士舘高校に勝ったのはこのとき一度だけです。 無にが何だかよくわからず引き上げると、見事な抜き胴だったと云われました。 何時打ったのか全く記憶に無かったです。 何しろ胴を打つなど考えた事も無い頃でした。
これに似たような事は時々有ります。 原田先生に面が入った時は、何時自分が打ったか全く記憶に無い時です。 唯、右斜め上からそれを眺めている自分に出会います。 『いんや、俺はいつでも面を打つつもりで技を出している。 でもいつのまにか胴を打っているんだな。だから、どうでもいい胴 なの。』
越前は面を打ったつもりで、いつの間にか小手を打ってしまっていた。
結局、攻めて攻めて面をと思うが、相手の出方に無意識の知恵が相打ちを避け胴に回って勝つだけなのですね。 京都では西村の右膝の仕掛けに、さすがに原田源次先生途中で面から胴に回りました でも誘いに乗ったのは確かでした。 先生、東京でも二本ばかり仕掛けが効きました。 ガンちゃんは面を打ってくれました。 ガンちゃんが胴に回れない。 西村もあそこでは胴に回れません。 弟子の二人の悩みの壁ですかね。
どうでもよい胴なのですね! 体が勝手にやる『神妙剣・夢想剣』ですね。 逆にこれを逆手に取る方法を発見しました。 相手のお誘いに乗って上げる事だと分かりました。 そうすると、夢想剣が勝手に働く様です。 これは夏に大先生との稽古で発見しました。
我々は胴に意識があって、相手を誘い込んで胴を打つ。 西村のこの胴は自分で言うのも恥ずかしいが、絶品と思っています。 しかし、胴に意識があっての行為ですから、原田源次先生とは違います。 最近の西村はこのレベルの先生方が持っている、染みついている感性レベルの裏をかくのが上手くなりました。 大先生の読みの先を読む方法です。 この読み合は竹刀は全く必要ない世界で勝負が終わる様です。 何時もうまく行くとは思いませんが、結構な成果が上がっています。 竹刀無しの対話だけの世界です。
『さて、お尋ねにあった原田先生の胴ですが 我子達は「原源胴」と呼び基本内の中に取り入れています。 勿論格好と打ち方だけですがね。 子供達には、現象面を教えるだけです。 即ち、せめる、表から押さえる、竹刀を相手の竹刀の下に潜らせる。 その時右足を滑らせる。頭は差し出す。 あとは相手が打ってこようがこまいが胴を打つ。 これが「原源胴」の打ち方です。もっともこれは中学生・高校生向き の指導ですが・・・・・。』 このレベルを子供・少年のころから訓練すればやはり凄いものになりますね。 岩崎先生のこの手の解説は何時も見事です。 ある種の動きの流れをストロボで一瞬一瞬を解説する能力です。 ともかく凄いに尽きる! 六段七段の壁はまさにここが理解しているかに尽きますからね。 これを教わる子供は凄い。 習い事は師匠に尽きる・・・まさにそうですね。
原田源次先生の胴の真似事をしたくなりました。 チョット剣道をしてみようかと云う気がしてきました。 有り難うございました。 ツリー全体を読む
△上に戻る 原田源次語録その19 岩崎敬郎 2006年9月26日(火) 九月も末に近づき、仕事も一段落した午後。 「おーい、いるか」 原田先生がぶらりと事務所に寄りました。 ひとしきりこれから開催される大会運営について 岩崎に命令を出された後、 「あのなぁ、あの時のあれは機会はどんぴしゃり。 ただなぁ、打ち方がなぁ。 それと、あとがなぁ・・・・」 「ああ、あれですね。 あの時はうまくいったと思ったんですが やっぱりだめですね。」
これだけ聴いていると何を言っているのか 他の人は誰もわからないでしょ。 岩崎と原田先生だけの話であればばっちり分るのです。
こんな会話が行われた後 「あのなぁ、高野佐三郎先生は 振りを大きく、止めを鋭くと言っているんだなぁ。 「なんですか、それ。振りを大きくは分りますよ。 止めを鋭くて、止めってなんですか。」 「あのなぁ、大きく攻めて、小さく止める。」 「大きく攻めてというのは、つまり大きく振る事が 攻めになる。振り上げと同時に攻め足が出る、と言う事ですね。」 「うーーーん、振り上げをゆったり、身は鋭くということだな。」 「そこがわからない!。どうなるんです。」 「だからできないんだぁ。あそこのところが。」 「あそこってこの間の稽古でしょ。」 「うん」 4〜5日前に稽古をしました。 お互いに八段審査に挑戦中。お互いに二次審査まで進んだお相手。 稽古中に岩崎がお相手に対し攻めて胴を返した場面で 原田先生は途中までうなずいていたのに 抜いてしまったあと、顔をしかめました。 打ち方が悪かったのです。 前前からお前の胴打ちはひっぱたきだと注意を受けていたのですが 悪い癖は直らないもので未だにできません。 それを思い出しての前述の会話です。 「あのなぁ、あの時機会はばっちりだったんだ。 攻めてよく打たせるところまではできていた。 そのあとが悪いな。ひっぱたきになっている。 止めをまとめる。太刀筋は小さくパットとしなければならない。 お前があの打ちをすると言う事は間が悪いと言う事だな。 胴を打つ間合になっていないということだ。」 「できないんですよねーーーーー。」 「あのなぁ、面すりあげ面ができるだろ。 アレより遅らせるんだな。相手の竹刀の下から鎬をぶつける。 そして返しと打ちを途中で止めないんだな。」 二人は道場に・・・ 岩崎の事務所の隣りは道場になっています。 こんな時に至極便利。 半時間ばかり、二人でああでもない、こうでもないと マンツーマンのコーチを戴く。 「結局は応じ返しなんだな。うーん、応じ返しと言うより 鎬返しといったほうが寄り近い表現かな。 いずれにせよ数を掛けて稽古する事だな。 最初は子供を相手にしてやってみろ。 それができたらだんだんと強い相手とやるんだ。 それが技を取得するコツだな。」 「なかなかできないんですよ。」 「お前はバカだなぁ。できないから稽古するんじゃないか。」
最後はそこへ行き着くとわかっている先生との会話でした。 ツリー全体を読む
△上に戻る 全剣連合同稽古 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2006年3月30日(木) 全剣連合同稽古
今日は剣道が出来ると思っていたら、そうは行かなかった。 遅れて武道館へ到着。 ソニーのハイビジョンビデオカメラを買ったので師匠を撮影する。 横長の画面で映像は抜群だ。 30分ぐらいは撮れたと思う。 新宿へ送っていく途中に先生が言った。 「おまえがビデオを撮っていたので、相手に合わせて出て行く面を意識して打ってみた。」 未だ見ていないが、先生の意図はよくわかる。 早速それを実行してみよう。 それには先ず稽古に行かなくてはと思った。 先生は今回体調が良かった様だ。 来月の稽古が楽しみだ。
最近最後の15分間は八段同士、教士が範士に懸かる事になっている。 教士八段も元に立っていればそれなりに立派に見えるが、範士に懸かると少し切れ味の良い七段程度にしか見えない。 教士八段と言えども、切れ味良い面が打てるだけで、肚が出来ている様には見えなかった。 八段合格基準はこれだけだと思った。 面打ち一本の今の剣道の方向性は少し危ういという気がした。
今月号の剣道雑誌に『胴』の特集が組んであったが、それは良いことだと思った。 しかし、胴を打つ為に本当に必要な、『相手の呼び込みと、膝を使った滑落による体の捌き』については書いていなかった。
五月の四日はこの返し胴の足腰の捌き、手の内を説明したいと思います。 相手の横を風が抜ける様な体の捌きです。 ただし、原田源次先生流の抜き胴は出来ません。 ツリー全体を読む
Tree BBS by The Room
|
|