京都大会の範士の部の剣道とは?
これを言うと身もふたもないが、 結局のところ父母より授かった特別な感性、センサーの【卓越した送受信装置】を見せ合う自慢の場であると思う。
このセンサーを使えるように良い師につき、良い環境を得、すさまじき努力をした結果であることは間違いない。
しかし、鋼が無いと刃物にはならない! 我々の多くは鋼と普通の鉄との中間なのだ。 しかし、昇段を目指せばその時々に困難が、ストレスが起きてくる。 その課題とは、仕事との折り合い、家族との折り合い、子供との折り合い、コンプレックスの反動、その他解決すべき降り愛すべき課題が山積する。 そこのところを上手に折り合いをつけて剣道を長期に続けることが大切だ。
ある奥さんが言った「息子には剣道をさせない!あの人みたいになったら嫌 だから!」 この奥さんには相当なストレスを抱えている。 知らぬは亭主ばかりなり。 この剣道家は何か見落として剣道に邁進しているのだ。
六段を受ける頃には家庭騒動が起きると聞く。 お父さん!仕事と剣道とどちらが大切なの、家屋との食事時間には剣道の練習に行って家族といない。 ・・・・・etc. この課題解決こそが人生における剣道修行なのだ。 普段見えなかったことが浮き彫りにされてくる。 自分自身の問題、家族との人間関係に気づきそれをかいけつして成長が出来る。 その意味で究極の個人的自己啓発なのだ。 剣道は人生の、うどんの七味唐辛子のようなものだ。 剣道馬鹿にならないように気をつけよう。 それには、強い師匠を探すより、自分に合った人柄の良い師匠を探すことが大切である。 師匠探しも、出会いを求めて探し歩くのも剣道修行なのだ。
幸い西村は学生時代に原田先生に出会い衝撃を受けた。 それ以外の先生は西村がフランクにすり寄って行き、知遇を得たのだ。 指をくわえて待っていては出会いは無い! 稽古の後、先生と直接話をして、毎回注意すべきことを質問し、それを書き留め課題とする。 西村は稽古の後膨大な量を掲示板に書き留め心に深く留めおいた。 最初は京都で原田先生と稽古をし、その後頂いた言葉を一年間の課題として取り組んだ。 稽古のやりっ放しでは、ただの運動に終わってしまう。 稽古の後の酒を交わして剣道談義すると稽古内容が浮き上がってくる。 これも剣道の稽古の何倍にも匹敵する!
周りも巻き込んで楽しい剣道をしたいものだ!
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