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- タメ  とは。 - 西村雅興 [2006年3月1日(水)]
Re:タメ  とは。 - 蓮沼 俊二 [2006年3月3日(金)]



タメ  とは。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2006年3月1日(水)
タメとは

タメとは一瞬の我慢比べ。
先日、雨ちゃんのお友達と武道館で稽古をした。
10本が10本とも西村の面が入ってしまう。
相手が面を打つと合図をしてくれるのだから簡単に入る。
さて、西村が攻めて相手の色がでる前に面を打ってみた。
五本の内三本は面に入らない。
面の相打ちになってお互いに入らない。
10本打てば10本入る相手に今度は入らないのだ。
そらそうだろう、面を打つと言って攻め込んで面が入るのは圧倒的な差がないと入らない。
相手を居着かせた場合に入る・・・このケースは段が上がると難しくなる。
『剣道は関係性である』を無視するとこうなるのだ。
原田源次先生『一瞬の我慢比べだなあ』を理解しよう。
西村が体で攻め、相手もこれに同調している。
そこで、さらに右膝で攻め込むと、相手は『来た!』と反応する。
しかし、西村の手元は動いていない。
相手は手元をと足を使って打ちに来る。
西村はそこを手元で打つだけだ。
足の体の準備は終わっているのだ。
こうすると同じパターンで面が入る。

相手もさる者、動じない!
このとき、竹刀を使って相手の心を動かす。
二重のせめには心が耐えきれない。
それでも、動かない場合は面を見せる。
さすがに相手も我慢が出来ない。
攻めて動かし超して誘導うる。
これは正に覚醒催眠です。
それ故、術者と被術者の精神的な意識の差が必要です。
相手の色が出るまで左手元は打ちに出ないのです。
これが不十分で打ちに出ると、勝てる相手にも打ちは五分になってしまいます。
西村は同じ人に何度もパターンを変えてやってみて、結局そうでした。
『タメとは相手の色が出るまでの、一瞬の我慢比べです。』
弓の弦を引き絞りながら、そのチャンスを伺う。
歩いている鹿を撃つのではなく、鹿が一瞬こちらの気配を感じて歩みを止め、こちらを向いたとき、そこがチャンスです。
相手の一瞬の停止状態を撃てば、それは動きのある的ではなく、射撃場の的と同じになって、当てるのは容易になるのです。
相手がこちらを打とうとして左手元が少しでも動くと、相手はこちらのその時の視覚でとらえた既に過去の映像に打って出ていますし、こちらの情報を掴むことは不可能ですし、途中で動きの変更は出来ないのです。
相手は目的物がいない過去の映像に向かって打っていっている。
そこまで分かれば、相手を捌くのは意図も簡単な事です。

チョット不満!
現代の剣道は相手のこのような面をも、上から乗って面に取る、この精神を尊ぶ傾向がありますが、武術的な剣道の神髄は面に来る相手に面に出てたとえ勝ったにしても、自分が傷つきカタワになれば一生を棒に振ることになります。
西村の剣道観ではこれは無謀な事だと思うのです。
相手の動きを七分、自分の動きを三分にして動けば、結局相手の倍の速度を手に入れた事になります。
さらに入り身がよければ、手の動きには相手の四倍の時間の余裕がある事になります。
さらに、相手の呼び込みを長くすれば、相手の死に体になって身体も竹刀も伸び切ったところを、上から斬り落とせば簡単に斬り落としになります。

相手との身体的、意識的、動作的、なタメ、関係性を理解すれば剣道はさらに面白くなります。

どうですか!
良く考えるとこのパターンで元立ちに捌かれていませんか。
見事に捌かれ、打たれた、遣われた先生との稽古の後こそが稽古です。
その先生と他の人の稽古をよく見て、先生の技を盗みましょう。

余談ですが
相手の面を攻め、一瞬小手に意識を見せると相手は反応します。
相手の小手を攻め、一瞬面に意識を送ると相手はそれに反応します。
相手に強い攻めを送り、一瞬左踵(かかと)を一センチ程緩めます。
相手はのれんに腕押しのようにふらっと面に出てきます。
相手の面を攻め、一瞬右手の上腕二頭筋を緊張させます。
相手は小手に出てきますから摺り上げれば簡単に面に入ります。
竹刀は鎬が無いので、右手の返しだけでは不十分で、左手元を右手のヒジに押し込むようにするのがコツです(泉流:竹刀を刀のように遣う)

前回の全剣連合同稽古の話から
師匠との稽古は竹刀の必要は無かった。
その前の我慢比べ、にらみっこでたまたま優位に立ったのだ。
剣道をすれば全く歯が立たない相手にも、時々自分の心の静かさが優位に立つと、奇跡の様なことが起きる。

『今日の西村は原田源次先生との稽古に全く気負いが無い。
先生の攻め足と同じ調子で出て行く。
途中スーッと体を出すが、手元の引き金は先生に任せる。
先生の竹刀が先に胴へ回ろうとする瞬間、心が勝手に面を打った。
これは決して蹴り出したのではない。
井桁崩しの対角線の伸びる力を使って、このベクトルの先に竹刀があるのだ。
最後のもう一本はこの面が入った。
今日は二本ほどタイミングの良い面が打てた。
打てたと言うよりは、打っていた!
稽古の中ほどで、手元をあげて打って行くと見事に斬られる。
ふと我に返り心を静かにする。
そうすると、最後の二本は身体が勝手に打っていた!
先生との稽古でこんなに素直な面が出たのは久しぶりだ。
全くと言うほど剣道の稽古をしていない。
しかし、筋肉を使わない剣道をすれば、勝手に身体が動くのが分かった。
武術的身体動作が段々分かってきた。
先生の良い引き出しで、剣道の微妙なところが分かって来たような気がする。』



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