本日も 指導稽古ありがとうございました。 まだまだ 中段は借り物ですが 本物になるまでご指導ください。これで西村先生に教わった京都も もう1つ楽しみが増えました。中段で受験を決め 柄を上段用の長いものから 短くしたので 最初の立会いで決め手に欠きましたが 保坂先生との立会いは 少し満足しました。 立会い前に 西村先生に意識を変えていただいた成果だと思います。お昼の食事に来られると思ったので 挨拶も出来ずに失礼いたしました。 梯先生と西村先生の稽古をみとりたかったのに 時間になってしまい残念でした。梯先生の解説は 大変ためになりました。
昼食の場所をプリント通りに行ったのですが、どうやら会場が不明になって参加出来ませんでした。 沢山お話をしたかったのですが・・・・
今日の剣道を見て安心しました、上段から中段に変えたとは思えないスムーズな面打ちでした。 西村との稽古で「面は額から咽に斬る」、を教えたら直ぐに体で体現出来る能力には驚きました。 その前の面と全く違った、本格的な中段の面打ちになっていました。 最後の面の2本はゴマちゃんにも面打ちの手応えの違いを感じたと思います。 保坂先生に打った面もしっかりと斬って行っていました。 保坂先生相手に中段初心者であそこまでやれれば凄いです。
さて、七段は剣道の理合と相手と自分が見えてくることが大切です。 昔、大学卒業したての時、埼玉北浦和の雄心館道場で稽古をしている時、まだ4段でしたが道場の六段と稽古をして誰にも負けない自信がありました。 当時昇段を目指す剣士は皆日参していた道場です。 私に全く歯が立たない五段が六段を受かって来るので、五段は対した事が無いと自負していました。 卒業した秋に埼玉で5段を受かったのですが、佐藤顕(範士九段)か直接褒められた位です。相手は埼玉の国体選手だったようです。 黙って立っていると県立武道館でも六段が下から懸かって来るので知らん顔をして元立ちに立っていました。 こんなに体力・早さ・打ちに自信あっても・・・ ところが、七段と稽古をすると何ともならないのです。 おくれを取るのです。 相手の動きが速いわけでもない、何か判らないが打てないのです。 その何か?ここが七段への道を開くところです。 当時、高校で剣道を指導している、国体選手経験者も苦労をしていると聞いたことがあります。 彼の剣道は強いのですが、『当てれば受かる』と思っていたからでしょう。 この意識が変わらない限り、惜しいなあ!と思われながら落ち続けて行くのです。 しっかりとした師匠を持たないと、この位の腕になると誰も注意をしてくれません。 強いが故に、それだけ注意を受けられないと言う事になります。 岡本先生は足の故障が幸いして、我を無意識が押さえてくれました。 そうすると、打ち気が消え相手が良く見え、自分の本能・反射が生かされます。
さて、稽古の際に一度横からビデオを撮る事をお勧めします。 足幅の広さ、左ヒカガミガ折れている事、踵が大きく上がっている事、肩に力が入っている事です。 今日は梯先生から足のことを直々に注意をしていただいたことは宝物を頂いたと思って下さい。 注意を受けても誰から受けたかで心にしみこむ深さが違います。 今の足では今度はアキレス腱を切ります。 勘と瞬発力が凄いだけに危ないと思います。 保坂先生は姿勢と構えが良かったのですが、あなたに剣道の迫力に圧倒された様です。 見習うべきは姿勢と構えです。 特に足の状態は構えを作るのに最高の状態で立っていました。
前にも書きましたが、西村が10年ぶりに剣道を始め、3回目で肉離れ、一ヶ月間の松葉杖、そしてその後二ヶ月間の16回の稽古で六段を受けた時の話です。 10年ぶり20回も稽古をしないで六段を受ける図々しさ。 思い上がりもはなはだしい限りですが、卒業して3医院従業員100人を超える経営を図々しくやっていた頃です。
もし、肉離れをしないで一回で六段に受かってしまっておれば、あのままの人生を送り、西村は今ごろこの世にいなかったと思います。 しかし、西村の運命は次の手紙で救われました。
『冠略 一昨日、武道館で久し振りに拝見致しました。 審査が終了してさがしても見当たらず、 連絡もできないので帰りました。 今回は今少しのところで残念でしたが おそらく次回は充分と思います。 是非連絡したいので、牛袋君に住所を教えてもらいました。 気の付いたところを二、三御連絡致します。
一、気力、姿勢、態度、手の内とも全く非の打ち所なし、立派です。 一、右足に体重がかかりすぎていました。 左足のかかとをもっと下ろして両足に平均に重心がかかるようにすると良いと 思います。 そうすることで左手にぎりが『ツボ』に収まり相手のわざのおこりや、打突の 色のおこりに打ち込める筈です。 打とう打とうが先になり、肩に力が入り、重心が前足にかかると、相手に色が 見えて打突がおくれると思います。 一、攻めは今のままでよろしいと思いますので、 相手を打ち込もうと思う気をぐっとこらえて、相手の色(攻める鼻や、打突の おこり、相手の打突のつきたところなど)に 合わせた、一生懸命の打突、(小手でも面でも)(肩の力をぬいて) であれば最高です。 御精進を念じ上げます。 用件のみで 十一月二十九日 原田源次拝 西村殿
この手紙を読んで、早速ビデオを撮りました。 先生のご指摘通りでした。 ビデオに映る己が姿に顔が真っ赤になりました。 何と醜い心の剣道なのかと。 左足の肉離れで体重が前足に以前よりかかっていたのです。 相手をただひっぱたけば俺は強いの確認作業だった。 逆に言えば「弱虫、」「意気地無し」の証だったのです。 これは剣道以前の問題だ!生き方の問題なのだと気がつき、それ以後は一年間全く剣道をする事なく、ひたすら自己を見つける心の修業をし、二院を10月12月に閉鎖し、翌年正月から稽古を始めました。 すると五月には誰もが認める充分さで受かりました。 稽古回数は約50回でした。
今思えば、あの時剣道を始めた事、肉離れをした事、原田源次先生からのお手紙があったこと、心の修業のチャンスをいただいたこと・・・ 1日が20分にしか感じない阿修羅のごとく走ってきて、ビール一杯で朝方吐き気がするほどに体【肝臓】が参っていたのですから。(昔は二升飲んでも平気、ビールは水感覚でした) 原田源次先生の手紙で九死に一生を得たのです。 だから、師匠は命の恩人なのです。 西村が昇段審査を受ける人に指導をするのは、原田源次先生の恩を忘れず、昇段を目指す人に人に親切にすると心に決めたからです。
さて、もい一度書きます。 誰しも自分は立派な足幅、立派な姿勢、立派な竹刀操作と思っています。 鏡の前に立てば皆そうなります。 相手と立ち合い、ぐぐっと攻めると左の足はおいてけぼりで、右足に体重がかかり足は幅が広くなり踵が上がってきます。
剣道は自分の打ち気を肚に沈める修業です。 頭にある自己(我)を消す修業です。
先ずは頭を後ろに引き 次は出た右肩を後ろに引き そして肩を下ろし肩甲骨を寄せる(小胸を出す) さらに上に伸びた体を静め、 ヒカガミを伸ばし膝を軽く緩め 床を掴むと同時に左拳の位置を下げ収める作業です。 これで相手に先が取れたのです。
強さは今のままで七段の力はあります。 ただ、七段の剣道のための修業をしていません。 強さだけでは受からない難しさが七段です。 西村が何としても七段に歯が立たなかった(四段の時)のは、その修業の差で押さえ込まれたのです。
不思議なこと 最初は 西川先生に並び、西村の時に時間切れ 次は、千葉先生(前首席師範)の時にも西村の時に時間切れ 今回は、梯先生(現首席師範)の時もにも西村の時に時間切れ これは西村がそのようにしているのか、今は待てとの合図なのか。 正直、原田源次先生以外の八段と稽古をしたいと思わない西村です。 稽古を切実にしたいと思っていないのは事実です。 椎名先生は向こうからお声をかけていただき、稽古が実現しました。
今回の歯科のOBの稽古を見て思ったこと。 皆様個性があり結構強く素晴らしい! しかし、しっかりとした自分の師匠を持ち、それを見続けているような剣道には見えない。 習い事はあくまで教わり、正して貰う所にある。 剣道家は自分で全ての道を作りたがる傾向がある。 剣道の稽古は高い次元に登った師匠の玄妙なる体験を追体験する所にある。 時々は人の意見も聞くのがよいが、思い込んだら命がけの師匠を持つ事だ。 このような師匠に出会う事を、内田樹先生はこれを『武運が良い』と書いている。 そして、自分は武運に恵まれたと書いている。
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