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- 全剣連合同稽古会12/3 最高の稽古が出来た! - 西村雅興 [2008年12月4日(木)]



全剣連合同稽古会12/3 最高の稽古が出来た!
西村雅興
2008年12月4日(木)
全剣連合同稽古会12/3

今日は本来6時までかかる患者様のアポイントが入っていた。
西村の予約は通常2週間はいっぱい。
重要な仕事は2時間くらいとって、一月先くらいに予約をする。
そのため、全剣連合同稽古会の翌日には受付が聞きます。
「今度、原田先生が来られるのはいつですか?」
これは妻が私の思いを知って、受付に配慮させているのです。
今回、手違いがあって受付への連絡が遅れ、今日は午後二人、二人目は遠方から来られる患者様で6時までたっぷりかかる内容でした。
この患者様をキャンセルをして剣道をすれば、それはもはや剣道とはいえない。
当日、先生の顔を見て新宿まで送ろうと思っていました。
四日前、六時に仕事を終えて自宅にいると、六時半の受付からの業務終了の電話に妻がありました。
その時受付が「午後の二人目の患者様からキャンセルがありました。院長は原田先生と稽古が出来ますよ!」と連絡してくれた。
院長の思いは受付まで知っているようです。

午後一人の患者様をゆっくりと、しっかり治療をして武道館へ向かった。
仕事の内容も充実し思いがけず稽古が出来る、幸せな日だなあ!と思った。
武道館へ着くと車の中でしばし瞑想。

原田先生との稽古はまさに『一期一会』の心境なのだ。
リバイバル剣道を始めた切っ掛けは、京都で先生に会った時にこう思ったからだ。
年に一度先生と京都で稽古をお願いするとして、あと何回あるだろう?
先生のお年も考えて、西村40歳の時だったので、後30回くらいしか無いと思った。
京都の立ち会いは六段からと聞いていたので、『ヨーッし六段を取ろう、
10年前に六段には打たれたことは無い、直ぐ受かるだろう。』こんな感じで再開した。
別に剣道そのものをしたいとの思いではなく、原田先生と稽古をしたい。
そのために六段を取ろうと思っただけだった。
再開し3回目直ぐ肉離れ、松葉杖が取れて一ヶ月ほどの稽古で六段受験。
一人目は上手く行ったが、二人目で失敗した。
その後、先生からお手紙をいただき、稽古をビデオに撮ってみて先生の指摘通りだった。
打ち気の強い体重が前にかかった己を観て、自分の今の生き様をマジマジと観た。
翌年一年間は竹刀を全く持たず『生き方を探す心の修行』をした。
そこで『捨てるって楽だなあ!』という心境を身を以て感じた。
正月から剣道を再開すると、人の心が見えるようになった。
その五月満点で六段に受かった。
その後、先生が月一回武道館へ稽古に上京されていると聞いた。
年一回京都で30回と思ったが、毎月会えるチャンスは大きな喜びだ。
先生が九州へ行かれたとき、一川先生が車で九州を案内してくれたと嬉しそうに話されるの聞いた。
それならば、私は稽古の後、先生を武道館から新宿へ送ろうと思った。
それが今に続いている。
本来ならば娘さんのお家と思っていたがかなり距離があるらしい。

さて、いつもの長い前置き、西村の思いはこれくらいで稽古の方に入る。

いつもは先生に引き立てていただいているが、本当の恩返しは『うん!良かった!お見事!参った!』の言葉がいただける、竹刀ではない稽古をすることだと思った。
心のレベルで先生を凌ぐ剣道をしてみせたいと思った。
そのためには、最後かもしれない稽古を打たせてもらっている、引き立てもらっているレベルの稽古は申し訳ないと思った。
最近は原田先生以外のどんな先生にも『お願いします。位を下げる。』稽古は一切していない。
原田先生との稽古でも位を下げない稽古をして恩返しをしたいと思った。
それが前回からの稽古だ。

さて、先生の体調は良いようだ。
西村の番になった。
五分の位をさらに引き上げ、無心の位で対峙した。
先生が仕掛けるが西村の心は動かない。
初太刀、先生の竹刀が面を打ってくるのが見えた。
それがスローモーションの様に見え、刷り上げ面がしっかりと決まった。
面を打ったというよりは、無意識がこの技を出していたのだ。
前回の初太刀も刷り上げ面だったが軽かった。
その後、小手面が入った。
その次は先生の長い攻めは入りに思わず面を打って2回胴を打たれた。
引き出されたのだ!
決まった!と思った面は見事に刷り上げられた。
スッと気を取り直して、心が言った。
「今日が最後の稽古だと思うとそれでいいのか!」
気分は一転し気位は無心になった。
その後先生は西村を攻めあぐねた。
最後、先生の動きがゆっくりに見えたら、しっかりとした、今まで打ったことのない面がパックリと入った。
先生すかさず「お見事!」と声がかかった。
稽古の後、挨拶に行くと、喜ばれた顔で右指の親指と人差し指で丸を作りOK!、サインを出された。
これで一つの恩返しが出来たかと思い胸が一杯だった。

車中で「今日は良かった、二回ほど心が乱れたが全体に良かった。特に後半は良かった!」と褒めていただいた。
『今日が最後の稽古だと思うとそれでいいのか!」気分は一転し気位は無心になった。』
ここからが後半だったのだ。

さて、今回65歳で八段に受かった林先生が珍しく倉沢九段にお願いしていた。結構我慢の良い稽古をしていた。
次に原田先生との稽古を観て驚いた、位を落とさずに頑張っていた。
それだけではなく、捨てる所も良く、見直してしまった。
西村の知っている林先生ではなかった。
何が有ったか知らないが、剣風が見事に変わっていた。
何か心境に大きな変化が会ったのだろう。
これなら60歳を超えた中ではピカイチだっただろうと思った。
八段の合格も当然とうなずた西村でした。

車中、原田先生も「今日の中で一番良かった!我慢も良く良いところで捨てきった!」と褒めていた。
八段に受かったからこのような稽古が出来たのか?
このような稽古が範師相手に出来るようになったから八段に受かったのか?
西村は後者だと思う。
剣道雑誌の付録のDVDに佐藤範師相手に出演していた。
西村の推測ではこれも大きな切っ掛けかと思う。
要は剣道は心が変わらなければ、スポーツレベルの上達でしかないのだ。

最近注目している長身の教師八段がいる。
この先生とほとんど同レベルの先生が稽古をしていた。
ともかく速い!
打も強い!
二人の稽古は見ほれるくらいだ。
県警の師範候補かな!と思ってみていた。
それにしても警察官特有の癖は無い。
それは当然だが、面白い発見をした。
打って出た方が必ず返され打ち取られるのだ。
左手を先に動かした方が必ず打たれていた。
『古来より剣道は先に手を出した方が負けと決まっている!』
まさにその通りだった。
典型的な新進気鋭の教師八段の稽古だった。
着替えるとき隣だったので「良い稽古を見せていただきました。お仕事は何ですか?」と聞いた。
「教員です。」と答えた。
それですっきりとした剣道が理解できた。
お相手も国士舘大学の同期と聞いた。
ほぼセミプロなのだ。

惜しいかな、攻め強く機を感じ打っていくが、ことごとくお互い相手に察知されていた。
相手の陰を動かす技前は無かった。

このお二人のところに長身の教師八段の先生が来られた。
お互い知り合いらしい。
この先生の稽古ぶりを先ほど眺めていて、これは強い!と感じっていた西村だった。
しかし、この先生が範師にかかると打つ前に位を落としている。
先ほどの気位は無く、七段程度の稽古になってしまっていた。

結局・・・・剣道は『心一つでどうにでもなってしまう!』なのだ。

椎名先生の稽古は相変わらず冴えている。
面一本やりの他の八段とは全く違う。
観ていて体の捌きの良さが抜群なのだ。
八段はこれぐらいでないと・・・と西村の思い。
ある範師と稽古をしていたが相手はたじたじだった。

原田先生との稽古の後は面を外し、八段の品定めをして楽しんでいた。
七割の八段
一つめ気がついたのは左手の納まりの良さだった。
二つ目気がついたのは、手の起こりは必ず腰が先導していることだった。
竹刀を必ず腰でうごかしていることだった。
必ず腰が攻め入り、そのエネルギーを竹刀に伝えている。
三割の八段
あまり参考にならない八段だった。

それにしても前回といい、特に今回は会心の稽古が出来た。
西村の剣道人生で最高の稽古ができた。

来年、正月二日は原田先生の稽古初めに参加することに決めた。
原田先生との稽古は後、何回か?『一期一会』の積み重ねなのだから。
しっかり恩返しの稽古をしたい!



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