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- 武道的思考 - 西村雅興 [2010年12月12日(日)]
Re:武道的思考 - 剣悠 まえしん [2011年1月25日(火)]
リンクの承諾ありがとうございます - 剣悠 まえしん [2011年1月31日(月)]



武道的思考
西村雅興
2010年12月12日(日)
今日は新しいインプラントのセミナーに行って来た。
後発の会社が製品を出すには今までにあった問題点を解決した製品であること、コストが安い事である。
今回興味を持ったのは西村自身がインプラントで苦い経験をして来た事が見事に解決している事であった。
それにコストも半減している。
いわゆる新進気鋭的発想の製品なのだ。
古くて信頼が有る〜〜とあぐらをかいていてはいては後退している事だ。

さて、剣道を考えてみよう。
先人達が命をかけて研鑽した、それも自分の命を危険に晒し、多くの命を奪った結果の珠玉のエッセンスが秘伝である。
昔の人は自分の命を正真正銘懸けて発見し悟って来た。
歯科ではどうだろう。
西村は35年間自分の命と人生を懸け、自分の身体で人体実験して来た。
行き着くところは歯と噛み合せと身体構造の神仏の意志の理解であった。
それを教えようとしてもこの世にそれを引きついてくれる人はいない。
秘伝を教えようとしても着いて来れる人は皆無なのだ。
自分の命を懸けてまでやる人がいないのだ。

剣道も歯科医道も入り口が違えど、結局は自分の中の神仏、自分自身を信じれるかに尽きるのだ。
その探求の方便として有るのだ。
旧態以前とした過去の概念を一度振り払ってみよう。

今日,買った本
セミナーの帰りに大きな本屋に立ち寄ってヒョイと目に留まった。
どうやら内田樹先生が西村に手招きした様だ。
これから読むのだがほぼ内容は分かっている。
しかし、武道の本質を剃刀の様に切って表現してあるところが凄いのだ。
おそらく、やっぱりそうだよな!と思いながら読むのだろう。
一時期先生の本からの引用で書き込みをした事が有りますから、ログ検索で見て下さい。

いつもながら長い前置きですが,ここからが本題です。

『剣道は攻めだ!』と皆様言っている。
大先生もしかり!
西村は剣道家はまだまだそのレベルかと呆れてしまうのだ。
西村は後1ヶ月、1月7日で65歳になる。江戸時代ならばとっくに死んでいる時期だ。
もういい加減悟っても良い年なのだと思っている。

『剣道は自分の中の智に出会う為の便宜的方法』と理解している。
『剣道は攻めだ!』相手を攻めて打ち負かそうなんて発想はもう止めた方が良い。
特に七段を取れば剣道を通してインナーツリップ(自己の探求)だとハッキリ意識を持ちたい物だ。

『剣道は攻めだ!』・・・・・?????

ダニエルの言葉
ダニエル・ミルズは、日本にいる三名の公認ロルファーの一人です。
私は彼との出会いによって、身体の奥に溜まったストレスを解放するボディーワークを学びました。ダニエルの著作「光の中へ」に、私のことが書かれていますのでその一部を紹介します。

『彼は既にマスターレベルの武道家であり、次への昇段試験を計画中だった。武道家もこのレベルになると、技術やテクニックは決定的な要素となることはない。彼は言った。「敵よりも優れた技術を持ち、相手を負かすことが勝利に結びつくのではない。乗り越えなくてはならない問題は、相手を敵とみることだ。敵がいるかぎり敗者がでる。精神的なレベルでは皆、兄弟だ。一人が負ければ、もう片方も負けなのだ」。ロルフィングをしながら会話は続いた。「葛藤が消える意識状態があるはずだ。敵が消え、自分の一部である友人だけが残る意識状態が存在する。このビジョンを持てれば、葛藤は消える。敗者はいない。勝者だけが残る」彼は試験に受かった。簡単に、しかも歓びをもって。試合は始まる前に終わっていた。試合はなかった。敵を完全に自分に受け入れてしまったのだノ僕たち一人一人が現状の中で嫉妬と怖れと怒りと不足欠乏からなる競争心を彼のように超えようとするならば、人類に未来はあるかも知れない』
私が七段になったときの話です

ダニエルは言います。「私はロルフィングをしながら愛を語り、その人を支えます。その人が愛を取り戻したとき、病気は治り初めています。西村先生も歯を治療しながら愛を語っています。その意味で、あなたは既にヒーラーなのです」

これは随分前にHPを作った時に載せた記事です。
ダニエルはアメリカ人でロルファーで柔術家です。
奥さんに三国さんはプロのヒーラーです。
目下はハワイにてセミナーを開催中と聞く。

日本の剣道家からこの様な言葉が出るでしょうか?
武道の本質がここにあるのです。

合気道の創始者、植芝先生は宇宙と一体の自分を感じられての演技でした。

私の尊敬する柔術家 三枝先生もこの域に達し、見事な世界を披露されています。(ユーチューブにて参照)

西村は武運に恵まれ原田先生に出会い
『手は勝手に動くわなあ!足はそうわ行かない!』
『打つ前に死ぬ,死ぬ気で打つ、打った後見事に死んでみせる』
『いつ捨てるかが課題だ』
『剣道は一瞬の我慢比べだなあ!』
上記の言葉を体現で切る様にこころがけてきた。

あるとき「西村ならわかるだろう・・・『不動心』ではなく『不動智』と書いた物を頂いた。
ずーっと『智』を求めて師匠の後を追っかけた。
そして、あるときこれだと気が付いた
しかし、何の事は無い,歯科医道ではとっくにそこに至っていたのだ。歯科医道では命を懸けていたから気づきが早かった。
要は自分が消える瞬間なのだ。

抽象的では分かりにくいので剣道的に話す。

六段は攻め合い,打ち勝った方が受かる。
七段は違う、八段は完成度が要求されるはず、現実は審査員の心のレベルか(?)であるが。

七段審査で攻め合って,相打ちになり双方不合格。
『押しても駄目なら,引いてみな』
フッと攻め緩めると、相手がふらっと打って来る・・・シメタものだ。
ふーっと打たれに出ると「エ!」と言う感じで相手に打気が出る。
相手との対峙を忘れ,一瞬自分を宇宙と一体化する。
相手は不思議な感覚に襲われ打ちに来る。
相手が打つと気を入れ体と肩を入れ込んで来る、そのとき心で「ぞうど!」とつぶやき、頭を差し出す。
相手の無意識は頭を打ちに来る。
後は自分の身体の『智』に任すのだ。
反射的に身体が何かをやっている。
この反射的にやっている自分の『智』を信じきれるか・・・・。
信じた自分を褒めれたとき・・・素晴らしい幸せに包まれる瞬間がある。
普段感じる事の出来ない自分に出会う瞬間なのだ!

剣道の相手は自分を見つめる手助けをして下さる相手なのだ。
敵ではなく素晴らしい協力者なのだ。

さて、スポーツチャンバラと抜刀術の師匠の田邊哲人先生は真の武道家だった。
指導者は『教育的打突』によって、「ハイ!そこがあなたの欠点ですよ」と相手の心の指導をするものだと教わった。

西村は道場でこれを実践すると、先生は本気で相手にしてくれないという。
本気で打ち負かすと二度と稽古をしてくれない。
お世辞稽古が必要な人が多いのには閉口する。
しかし、松風館の門弟は違う。
打ちのめさないと許してくれない。
剣道への意識の違いなのだ。

京都で柳生の里での同期の稽古界を見ていると清々しい感じがする。
お互い攻め合い打合いのレベルだが。元立ちは緩めて先を取っているのが見える。

剣道は『心の押し合い,引き込み、勘違い、錯覚、神経系統の失調』を通して、覚醒催眠の実践世界と一度考えて取り組んではどうだろうか。

剣道は打ち合う前に勝負が終わっている事が分かる。

最後に
『武道的思考』 著者・内田樹 筑摩書房 ¥1600を読んだ感想を書いて下さい。



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