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- 居ない所を打たされている! - 西村雅興 [2015年1月5日(月)]
2015京都大会 - 青木大輔 [2015年4月13日(月)]
Re:2015京都大会 - 西村雅興 [2015年4月15日(水)]
青木君へ - 西村雅興 [2015年4月16日(木)]
Re:青木君へ - 青木大輔 [2015年5月17日(日)]
感想 - 西村雅興 [2015年5月19日(火)]
Re:感想 - 青木大輔 [2015年5月19日(火)]
感想追加 - 西村雅興 [2015年5月20日(水)]
気をつける事 - 西村雅興 [2015年6月3日(水)]
Re[2]:青木君へ - 岡田 [2015年5月20日(水)]
Re[2]:2015京都大会 - 岡田 [2015年4月18日(土)]



居ない所を打たされている!
西村雅興
2015年1月5日(月)
大きなヒント  
【居ない所を打たされている!】

賀来先生が西村に言った。
「俺はな!西村!ある時気がついた。
 『居ない所を先生に打たされていたことに!』
 ショックだったよ!」

これを説明してみましょう

◎小手を打つと空振りをして面を打たれて負けてしまった。
◎いい面が入ったと思ったら深すぎて旗が上がらなかった。
 自分で上手く行ったと喜んで打った時ほどこのような事が起きる。
 上手く行ったと思った時は相手と十分に合気になり、先を取ったと確信した時で ある。
 それなのに、不思議な事に上手く入らない・・・・・・?
 どうです、このような事がよく起きるでしょう。

 ※貴方は剣道の稽古のにおいて決定的な思考のミスを犯しています。

では説明して行きましょう。
読者は十分にインテリですから、そのように話をしましょう。
先ず、点と点を結べば平面になり、二次元の世界です。
もう一つ点を取れば立体化し三次元の世界です。
相手は立体です。
自分の目が立体的な相手の頭頂(面)を捉えんと面を打って行きます。
相手の面が見た時と同じ位置にあるのは、相手が居着いた時だけです。
合気になって面を打とうとしたとき、相手の面が居た時と同じ位置に居てくれるなんて、そんなに都合の良い時は滅多に無い。
相手もこちらに反応し相面に打って出てきてます。
打とうと思った時より相手は相当前に出て来ています。
だから、深い!となってしまいます。
面打は相手に体で攻め入り、一足一刀の間合いから斬り間に入って行きます。
この時、相手も打たんと、やや遅れて斬り間に入ってきます。
自分が斬り間に入る前進の距離は、相手が前進する距離も計算しておかなければなりません。
多くの場合、目が捉えた頭の位置まで打って行こうとしてしまいます。
ここで大切な言葉。
『今見たものは、既に過去のものになってしまっている!』
見たものは既に過去のものという事は、時間の流れが入って来ると四次元の世界になります。
我々は合気になり、お互いが動いていますかあら、四次元の感覚で打つべきです。
時間の流れに沿った動きを考えていなければなりません。
見た!打った!何故入らない!自分は四次元の動きのある打をしているのに、相手は三次元の停止した位置にそのまま居ると錯覚していることにあります。

『相手の面を打ちに行かない!相手が打たれる様に面を差し出して来るところを、打ち取ってあげる。』
相手の面が自分の方向へ向かって来ている。
自分の竹刀の物打が丁度、それを捉える位置を予測し、そこをめがけ竹刀を振り下ろす。
ドンピシャリと面が入る。
面を打ちに行くと深くなる理由が判りましたか。
相手を呼び込み出て来るところをピシャリと打つ。
これが先を懸けた面です。

小手を打ちに行っての空振りも同じです。
相手の手元を、小手を打ちに行くと入りません。
合点小手は面を打とうと手元が既に同じ位置にありません。
相手の手元を浮かせて、打頃の位置になる所を小手に斬るのです。
相手の小手を浮かせ、打頃の位置に誘導して、打頃なる所を予測し、これを斬りにいく。
空振りする訳が無い。

西村コメント
【剣道では打って出た方が負けと古来より言われている。 黒田鉄山】

では!西村的にはどうするか。

剣道の打とは、先を懸け、相手を動かし、誘導して、こちらの打頃の所で斬る。
相手は必死に打たれに行った等と夢にも思っていない。
相手は何故打たれるのか、何故負けるのかが判らない?
これが剣道です。
西村はこのようにして打ちますから、相手は首を傾げてしまいます。
ある人が西村の剣道を『妖剣』と言ったがこのような理合があるのです。

相手が面を打とうと決心をし、左手元が動き始めるまで面は見せておくのです。
左拳が動き始めるとこの一連の動きが終了するまで、他の動作は出来ません。
打って出た瞬間、相手の面がそこから消えても、気がついても、何も無い空間を打つしかないのです。・・・・・空しいものです!
空振りの面を打つ相手を、軽く捌けば胴は簡単に打てます。
先ず相手が面を打たんとする時、面をさらに見せれば必ず面に打って出ます。
この面を見せる時、右足のヒザを軽く開きます。
この時点で西村の重心は右斜め前に滑落し、大は右前に前進をし始めてます。
ここで体は右に半分捌けています。
相手の左拳が始動を始めると、見せた頭の位置に斬りに来ますから、体を右斜め前に沈めて(重力を味方にして)スルリと体を移動させます。
右ヒザを開いた時点で、慣性の法則は破っています、左斜め前に倒れようとする身体を左足で軽く押せば容易に身体は動きます。
ぎりぎりまで見せる都合上、面返し胴になります。
相手は八分動き、自分の動きは二分ですから、時間的余裕は十分に有ります。
体の捌きを一動作ですれば抜き胴です。
【この抜き胴は原田先生が絶妙で、西村もやっと理解が出来かけたところです。
(ヒントは竹刀を持たない体の捌きで胴を斬っていた・・です!)】

西村と稽古をした人、
秋田の先生は【妖剣】と言います。
ある八段一次に受かった先生は打って行くが、なんだか捕らえ所が無くて胴を打たれていると言っていました。
ある人は階段を踏み外した様な感じで打たれていると言っていた。
先生と稽古をしても先生は全く心が動かない、自分は壁に向かっている様な気がする。
ある一瞬に何をされたのか分からないで打たれている。
先生の打ち始めは感じるのですが、竹刀で面を打たれる瞬間までその間が全く分からない。
打てると思い先に打って出たのに、先に打たれてしまっている。
西村との剣道にはゲーム性を感じないので、剣道を楽しみたい方は避けられる。


西村コメント
このような稽古をすると、西村とは稽古をしたがらない。
自分は強いと思っている人には、堪え難い屈辱かもしれない。
結構強い六段、七段が西村の前をスルーしてしまう。

重複しますが!何度でも書きます。
【蛇と蛙】
蛇に睨まれた蛙は動けません。
この時、蛇はけっして自分から咬みに行きません。
あくまで蛙がジャンプして逃げるのを待ちます。
蛙がジャンプをしたとき、その方物曲線の動きを予測して、捕まえどころの良い所へ頭を持って行きます。
蛙はパクリと捕まります。」
蛇が先に捕まえに行くと、蛙は蛇の動きを予測して反対側へ飛びます。

では、名人ではどうか。

岩立先生の例
何度ビデオを見ても分からない!
そこで、一こま一こま詳細に部位別に見て行きました。
そこで発見したのです!
岩立先生の右足の袴から僅かに出ている指先が、スーッと隠れたのです。
袴の裾がスーッとまえに5センチほど前に出た。
まさに重心の滑落時の下腹がやや前で下方へ動く、その動きの反映が袴の裾の動きに出ていたのです。
この時重心と丹田を一致していると相手への圧力は凄いです。
先生の意識の中では「サアー行くぞ!」のかけ声がかかっていると思います。
この意識の反映が結果として重心の滑落、前足の指を袴の裾が覆うと云う結果になっています。
相手の無意識は敏感に察知し、対応的な予備動作に入ります。
この一瞬、先生は右足を浮かせ相手の左拳が動く瞬間をまっています。
重複するが!
蛇がカエルに行くぞ!と脅し、我慢の出来ないカエルがジャンプの体制に入ったとき、鎌首を少し動かしジャンプを促す。
ジャンプしかけたときその動きを途中で変更は出来ません。
空中に浮かんだカエルの飛んで行く方向の少し前をめがけて飛び出すと、容易に掴む事が出来るのです。

おそらく先生はこの手順も、重心の滑落で裾が前足の指を隠す様なことはご存じないと思います。
長年の稽古と鍛錬の中で自然に身につけた合理的な武術的身体動作だったと思います。

西村は岩立先生自身の知らない意識の予備動作まで見抜いて、松風館の稽古に臨みました。
先生は予測通りの手順で攻めて来られました。
西村は先生の重心の滑落を察知し、あえてそれに乗り体を出しました。
一点他の人と違う所は起こされたのでは無く、誘いに乗って上げたが左拳は全く動いていない点です。
先生の無意識は当然、取ったと思い竹刀の先を上げやや手元をあげて面を打とうとします。
その石火の機に西村の竹刀の先は先生の小手を無意識に取っていました。
次に同じ様な場面で先生はそこから強引に小手を打たれながら面に来られましたが、西村の面の方が乗りました。
これは300時間以上の岩立先生の研究成果が出たという事であって、先生に勝ったと云うことでは有りません。
決定的なハンディーを頂いての結果です。

ここで言いたいのは【剣道は読みと反射である!】の原田先生の師匠の三橋先生の言葉です。

西村コメント
江戸川区の七段の先生が松風館にて稽古をされた。
帰り際に岩立先生がその先生に言った。
「西村君を知っている?あの人は難しい!」と言ったそうな。
西村の剣道が強いのではなく、岩立先生を何年も研究し、先生のビデオを300時間くらい研究すると、先生自身がご存じない先生を西村が知っている。
そうすると、このような芸当が出来るのだ。


【松風の極意】
元立ちは相手を右足の攻めは入りで相手を起こし、それに対応して取っている。
山岡鉄舟が「蓋を取ってみないと中身は分からない!」と教えています。

剣道は叡智を絞って相手の鍋のふたを開けて、相手をしって動く。
この鍋のふたを開く作業に尽きるのです。

堅く閉ざした門を破って突撃は無謀です。
コンコンと軽く戸を叩き、相手が何だろう?と思って閂をはずし、そーっと門を開いたとき、突撃するのです。
これを【松風の極意】と言います。
この手順は兵を引き静寂にし、相手がどうなってるだろう?と様子見に門を開けるのも同じです。
いわゆる剣道においても戦略が必要であると云う事です。
岩立先生の【松風館】の尚の由来は直接聞いたことは有りませんが。

西村コメント
攻めは静かなるを良しとする
右足でそっと攻め入り、相手の無意識をうごかす。

【緩める先】
明治村の八段戦で奥園先生が圧倒的な強さで優勝されました。
当日、自分の眼で見ていたのですが、出小手の名手の奥園先生に相手が何故?面に打ってしまったのか?不思議でした。
そこで、ビデオを購入し詳細に見てみました。
八段戦の決勝戦です、相手は奥園先生の得意を十分知っている。
しかし、小手を打たれに出てしまった・・・。
岩立先生の時と同じで、足は前後の動きは全く無いのです。
何度見ても分かりませんし、スロー再生でも分かりません。
相手が面を打とうとする少し前から一こま一こま詳細に見ていきました。発見したのです!
奥園先生の左足の踵の高さが2センチから1センチ落ちたのです。
先生は攻めを緩めたのです。
相手は強く押し合っていた壁が急に暖簾の様に柔らかくなってしまった。
これは合気道の極意です!
フーッと体が前に出て面を打ってしまった。
思わず打ってしまったのか?無意識がチャンスと捉えたのか?わ分かりませんが、自ら相手の得意技にハマりに行った、打たれに行った、身投げの自殺をしたとしか言いようが有りません。

西村コメント
西村はこれを【緩める先】と行っています。
松風の極意と対照的な、兵を引いてみせる戦略と同じです。
ただし、奥園先生は低い竹刀の位置で打ってくれば小手を打つぞ!と相手に打たせないで一発触発の所まで追い込んで行きます。
この気迫は静かながら凄まじいものでした。
これは西村が実際明治村で見ていたので良くわかります。
相手もギリギリこらえていた。
しかし、一瞬相手の攻めが消えたのでつい打ってしまった!

現代剣道はスポーツとして発展しているが、先人が命を懸け、身を守る為に悟った武術的身体動作、これを可能にしている【肚の鍛錬】を高段者のなるとこれを目指さないと大きな意味が無い。
この肚の鍛錬こそが人生を豊かに実りあるものにしてくれる。

相手の心を読み、先を取り、反射で相手を打ち取り、そこがあなたの欠点ですよ!と心で呟く慈悲の心で【教育的打突】心がけたい。
指導者の大切な心がけだと思います。

【隙について】
『隙』
剣道雑誌に隙について色々書いてあった。
もう少し分析した形で書いてみたいと思う。

内田先生の本に書いてあった。
【隙がない】こちらから見て相手の動き、変化が分からない、読めない時を言う。
(本を見直したが何処に書いてあるか不明!)

相手が自由に動きを選択出来る状態、この状態に打って出ると、相手はこれに乗じて対応することが出来る。
隙がない相手に自ら隙を作って打って出た事になる。
心が打つと決め左手が動くと、その動きは終点まで変えることは出来ない。
相手は心の変化を察知し、左拳が動いた瞬間その動きが決定した事を知る。
要は自分の選択しを無くした状態なのだ。
この状態を『隙』という。

相手が心も身体も静止状態(心も身体もどの方向にも千変万化に対応出来ている状態)のとき、相手のこちらへの対応方向が分からない。
この状態を『隙がない』という。

隙がない自分とはこの状態をいう。
相手に『隙』が無ければ打つ事は出来ない。
だから、相手の『隙』を打とうと待っていても、相手も同じ事を考えていればお互いに隙がない事になる。
ここで大切なのは相手の隙を待っている状態は、相手のフェイントに容易に釣り込まれる可能性が高いのだ。
しかし、自分が相手の存在すら忘れてしまった様な状態『木鶏』のとき、相手の攻め、フェイントには反応しない。

相手が本気に危害を加えようとした時『智』が勝手に、反射的に対応処置してくれる。・・・この境地は難しい!
意識が相手の面を打つぞ!と強い念を送るとき、自分の意識波動は強く相手に感応させて、相手の無意識がそれに大しての対応処置をとる。
見えない意識の起こりが予備動作の程度に身体を動かす、相手の意識がこれに対応症と予備動作に入る。

意識波動の感応が予備動作としての微かな動きとして、無意識の正体を形で現してしまう。
こちらの念、意識波動、予備動作に相手が一定の感応、反応をしはじめた時、相手の心が手の平に乗りつつの状態になる。
ここに隙の初期が起きる。

蛇に睨まれたカエルがいる。
蛇はカエルが逃げようと飛んだ瞬間、その放物線状の動きの時間的な位置を的確に捉え、蛇の口にカエルが飛び込んでくる様に捕まえに行く。
カエルが跳んで逃げようとしない時、フェイントを懸け、我慢出来ない状態に追い込んで逃げようと跳ばす。
このカエルがジッと静止している状況は隙がないのである。
蛇はカエルに隙を誘発するのである。
このカエルに隙が無い状態で、蛇がカエルに飛びかかると、カエルはそれに対応した跳び方をして容易に逃げることが出来る。

西村コメント
岩立先生と対峙した西村は蛇と蛙だったのかもしれないが。
この立ち合いにおいては蛇とマングースだった。
この蛙も知恵が有れば、フェイントで蛇をかわし逃げれたかもしれない。
武道はこのような命をかけた所から人間の持っている知恵・智を悟ところに道の探求がある。



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