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- 書き始め 黒田鉄山先生から学ぶ - 西村雅興 [2016年1月1日(金)]
Re:書き始め 黒田鉄山先生から学ぶ - くりちゃん [2016年1月2日(土)]



書き始め 黒田鉄山先生から学ぶ
西村雅興
2016年1月1日(金)
新年明けましてお目出度う御座います。

 読者の皆様が西村の知る達人、秘伝の世界を理解出来れば、剣道の持つ素晴らしい世界に入って行けると思います。
ただ、相応のレベルに達していない時は理解が難しいです。
 
それで、日野晃先生の本の紹介、ビデオの紹介、黒田鉄山先生の紹介を致します。
離れてて相手を倒すレベルの気功は、本をどんなに呼んでも分りませんでした。
全ては体験から始まると言う事でした。
これは後ほどに説明致します(上手くは説明は出来ませんが)

昨夜、格闘技のテレビを見られた方も多いと思います。
見ていて、自分の体がピクピク動いているのを感じや事でしょう。
妻が笑います・・・パパを見ている方が面白いわ!
テレビの映像の内容に無意識が感応、反応しているのです。
自分では気がつかない事もありますが、妻から見れば無意識感応のバレバレの状態です。

このように無意識レベルでテレビの映像に反応している事は誰もが知っています。

 先ずは黒田先生から学ぶ

気剣体一致の武術的身体を創る  黒田鉄山  BABジャパン¥1,900
気剣体一致の『極』(きわみ)   黒田鉄山  BABジャパン¥1,900
Amazonの中古本で買えばかなりおやすく手に入ります。
西村の書いてある内容と同じ事がもっと詳しく書いてあります。
先生方には西村が実際に剣道に実戦している内容、書いている内容なので分りやすいと思います。
『   』の内容は本からの抜粋です。

【消える気配】
『等速運動を主体とする型によって「手を持ってせず、足を持ってせず・・・」と言われる、身体、体幹を主とし、手足の動きを従とする全一体としての動きを得る事が出来るのだ。このことは動作の気配、とくに動き始めにおける気配が消える事を意味する。』

『無足の法とは、足で床や地を蹴らぬこと、倒れる事が原理原則と何度いわれても、できぬものだ。すべての型において日常の動作において、その法をやぶることなく動く事を希求して稽古に励むしかない。』

さてこう言われてもどこかピンと来ない。
『足で床や地を蹴らぬこと、倒れる事』
この短い言葉に大きなヒントがある。

『さらに『脚力に頼った足の使い方をすると、どれほど速く動いても二調子以下の遅い動きになってしまうため速さの限界がある。』

【マイナスの速さ】
『そもそも無足の法、浮身という古伝の術理そのものは、動き始めの筋肉を弛緩する動作を表している。』

『このマイナスに入るということに、武術における方法論がすべて集約されているといってよいであろう。
筋肉を緩めて動きに入る為、まず動きの気配が消える。そして一調子の動きを生み出し、浮身、無足の法を完成する。』

床を蹴るときの筋肉の緊張は相手に捕まる。
前に出ようと下時点で意識で捕まり、次に筋肉の緊張で完全に捕まっている。
二段階で相手に情報提供、正体をバラしている。
小澤丘先生はこの時点で西村を捕まえるし、倉澤先生も捕まった。

白井が書いている。
寺田宗有のことを、相手が面をただ一打ちと、心中わずかに一念が兆したとたん、「面へくれば摺上げて胴をつぞ」と寺田の声がかかる。
剣先から火をふくかと思われるばかりに、鋭い気合いのこもった木太刀が迫って来る。相手はハッとして、しからば小手を!と思うと間髪を入れず「小手へ来れば切り落としてつくぞ』という。
相手の念の動く所を一々押さえてしまう。
寺田は組み太刀でこのくらいに達し、これを見た千葉周作もこの重要性を知った。
千葉周作『剣術物語』に書いている。

現代は黒田鉄山先生が型稽古でこれを極めている。

佐藤先生の本から【重要なヒント】
『一足一刀からさらに攻め打つ場合も同じです。
足からではなく膝から先に出て行く意識です。』

西村コメント
六段を取って間もない頃、先生と京都で稽古を頂きました。
対峙して頑張っていたとき、先生が突然目の前にフェードイン、急激に大きくなって目の前に出現し見事に面を打たれました。
なにも出来ず、ただ呆然と打たれました、
この文章を見ればその時の自分がどの様に打たれたのかが良く分かります。

京都大会で井上先生との立ち合い。
先生は見事にスーッと右足を出し軽く体を進め、井上先生を引き出しました。
見事な小手を見ました。
佐藤先生の動き初めには井上先生の反応はなく、入り込まれてから面への動き初めがあり、そこを待ってましたとばかりに小手を打たれた。
この光景は武徳殿で目の前で見、ビデオを買って何度も見ました。
いまだに脳裏に深く焼き付いています。

《重心のキャッチボール》西村造語  
『さらに『脚力に頼った足の使い方をすると、どれほど速く動いても二調子以下の遅い動きになってしまうため速さの限界がある。』
《西村コメント》
重心があしの中間点にある場合、右足の重みを抜き、左足の床の接点に支点を起き、
さらに体をやや床に沈め、ここを支点にして足を伸ばし体を進める。
誰も異論がない所だ。
ごく自然な動きだ。

これでは打とうとして無意識が動いたとき捕まてしまう(第一段階の正体をバラス)
次に、前足の体重を抜いた時点で(第二段階の正体をバラス)
さらに、腰をやや腰を沈めた時点で(第三段階の正体をバラス)
次いで、左足の支点(接地部位)に求めた時点で(第四の正体をバラス)
ここで慣性の法則に反するばかりでなく、後ろに来たベクトルを前に向ける二つの力を起こそうと頑張る(第五段階の正体をバラス)
この次の足の筋肉の伸展で体を前に進める(第五の正体をバラス)

さて、ここまでは体の重心移動の最中に起こる予備動作を分解した。
こんな段階を経て西村の面を打とうとしても打てる訳がない。
西村的には超スローモーションで面を打って来るからだ。

実際はその前も正体をバラしている。
無意識が打とうと思うとその為の予備動作を行う。
この時点では頭は有意識は参加していない。

先ず小胸を出して、肩甲骨を引き、肩の前後的可動範囲を広げる)(第一段階の正体のバラス)
これを俗に《胸が正体をバラス》という。
次に、左拳をあるべき位置に持って行く、いわゆる臍前の位置だ(第二段階の正体をバラス)
さらに、やや前傾になって肩から打気を発し打って来る(第三段階の正体をバラス)

どうです!お互いがこんなバレバレでは相打ちになるしかない。
特に女性の面うちが典型です。
子供の試合も同様です。

昇段審査の落ち組も同様です。

ここまで書いて来ても資料でしかありません。
科学的説明に入ります。
足を使わずに前に出る。
できるだけ前後の足幅を狭くする。
『一足一刀の間合いになったら、左足を引きつけます。
だいたいは右足の土踏まずあたりですが、相手によっては湧泉近くまで引きつけることもあります。』これは倒れシロを稼ぐ為です。
物理的にはこの時点でやや腰を沈めておき、押しシロを(蹴りソロ)を確保しておきます。
次ぎに重心と丹田の一致を解き、重心を前方前足の指先まで落とします。
この時、腹の力を緩めるとお腹はすーっと前に出ます。
前の方向に動くベクトルを【重心の滑落】を使う訳です。
筋肉的にはマイナスからから入るのです。
筋肉の弛みから前に落ちて行くのです。
鍛えられた体感はこのとき上体を起こしたままに保ちます。
これは姿勢反射が行うので特に意識は働きません。
この動的形を身につけるのはそれほど難しい事ではありません。

佐藤先生はこの時旺盛な気力で攻め入っています。
相手はこの攻めの耐えていますが、何とかしようと心は動き反撃に転じます。
相手には先生の気配はお大きくなって見えてきます。
前半は(殺人剣、後半は捌いて活人剣です)

原田先生はこの重心の滑落幅が異様に長い。
どんなに頑張っても先生より先に左拳をうごかしてしまう。
先生曰く『一瞬の我慢比べだな!』
原田先生がこの体の前進のとき、【打つ前に死ぬ】で「心では打つなら打って下さい!」と念仏を唱えている。
あるいは何も考えないで【無心】で入って行きます。
これは柳生流の【捧身】の極意です。
西村が教わったのは【打つ前に死ぬ】でした。
心が【無】になれば、トランシーバは相手の話す状態になっています。
自ら覚悟して出た訳ですから、刃の下に身をささげたわけですから・・・。
無意識の【智】が我を守ってくれます。
相手の意識の動きに【智】が勝手に、適切に石火の打ちで反射的に対処します。
いわゆる【神妙剣】です。
師匠の教え
【手は勝手に動く刃なあ!足はそうは行かない!】
しかし、捨てどころを間違うと犬死にになってしまう。
そこで心の葛藤があり、技前で相手をコントロールしておく必要がある。
これは日常の仕事でも同じ事が起きている。

【足はそうは行かない!】ここの解決は難しい!人生でその境地を極めた人には簡単だ!
剣道の奥の深さは最後はここにある。

企業の社長は見えないものを判断して、決断を迫られる。
一歩間違えば倒産だ!
中所企業の社長は自分の資産も含めてほとんど全額が担保になっている。
倒産、すなわち破産である。
このようなとき、全身全霊で自分に問う!
自分の無意識までも含め自分の【智】に身を任す。
そして決断をする。
この【智】に出会う方法の一つに【座禅】【瞑想】がある。
重大な問題ではなくても、この【智】に出会う方法の一つが【動的瞑想)であり、
典型例が武道であり、我々のやっている【剣術→剣道】である。
このようにして出した決断には、どんな結果になっても悔いはない!

『昔、祖父から打とうと思わずに打つのだと教えられたが、その時は夢遊病者ではあるまいに、打とうと思わずに打てるわけがない。
それはまさに無念無想の打ではないか・・・』
『動けば斬られるという絶対条件がある。』
『相手を打つにしても、それには十分な用意が要り、我が身を充分護りながら仕掛けねばならないのです。ゆえにただ相手を打つ事のみを思い、斬ろうと急ぐなどは尤も戒むべきであります。絶えざる注意と慎重な考慮をはらい、相手の構え、身体の位置、技の変化および隙等に留意して、打つも打たるるもしれは我が身を守る方便と心得ねbなりません。』

『祖父が、一般的うごきを筋収縮から入る動きとすれば、武術的な動きは弛緩から入るのだと言っていた。』

さて、この重心の滑落から入る動きを体感してもらうのは難しい。
ある先生がヒントをくれた。
ススロープを使う。
緩い下り坂を使って、右足の膝を抜くと自然に倒れる感覚を身につけるのだ。
これを剣道に使うには、お尻から太ももの後ろの筋肉、脹ら脛の筋肉を上手に鍛える必要がある。
これが弱いと左膝が曲がり、体が崩れてしまう。
そこで西村はジムの歩行器の角度を少し強くして、脚の後筋を鍛えている。
蹴る力より、ゆっくり押し出す筋肉を鍛えておくのだ。

【斬らせる】
『取は受けが先に斬り込もうとするその心の動いた所を取って、体を沈めつつ斜めに出る。受けの思念の起こりを観てと事が出来ても「ひと調子」にからだが働いてくれなければなんともならない。』

【重要な表現です』
『その察知した瞬間、まさにそこっ、いうところで体をふっと沈めると受けは思わず斬らされる。
腰がおよぎ、あるいはすでに防御体になり斬撃そのものが効果を失う。
と、同時にいないところを斬らされるのだ。
斬ったと思った瞬間、相手の体が消え、空振りをするというような塩梅である。
受けの方から見ると、すっと吸い込まれるような感じがおこる。いかにも斬らされてしまった、空を斬らされたという、実感がある。』

『ふっと膝を沈めにかかるところが皆苦しむところだ。
スッと膝を曲げて体を沈めるということが出来るかは稽古をしてみて分る事だ。
ただ膝を曲げてそれが技になるのなら誰でも初めから名人だ、そもそも膝を曲げてそれが技となる事等、初めは誰もしらない。』


西村は面を打たせて胴に返すは得意中の得意だ。
十分攻めた後、体を少し沈め右膝を右斜め前に軽く抜く。
相手は攻めが弱まり面が少し沈んだのでここぞとばかりに面に飛び込んで来る。
相手が打とうとした瞬間、頭は正面に残し、重心は斜め前に滑落している。
面を残すのは相手が途中でやめようと思わない様にだ。
相手の動き始めには体は半分動いている。
足の力は全くいらない、現象的には西村は斜め前に倒れているからだ。
これを【膝抜きの術】という。
基本的には前進して面を打つ時の初動は同じだ。
佐藤先生は膝から動くと言っているのも同じ【膝抜きの術だ】。
その一瞬、もう少し体を沈めるとその当量の反作用が働き、手は反射的に勝手に上に動き面を捌いている。
飛行機で急に落ちたとき、客のほとんどがコップを思わず上に上げてしまう現象と同じだ。
手を上にあげようとの筋肉への指令は必要ないのだ。


賀来先生が西村に言った。
「俺はな!先生にいないところを打たされていた!」

京都の稽古で西村と岩手の先生(六段)との稽古をある若い女性が見ていた。
目がパチクリして、信じられないという表情だった。
二人の稽古が申し合わせ稽古の様に思ったのだ。
女性で京都大会に来ているのは六段錬士という事だ。
女子の全国大会にも出場している様だ。

翌年、西村に挑んで来た。
昨年、自分が見た様に、申し合わせ稽古のように捌かれてしまった。
無理もない、彼女の心は西村の手の平出ころがされ、猫じゃらし状態だった。
稽古の後、申し合わせ稽古でない事を納得した。
武道は一枚違うと大人と子供の様だと昔からいわれる。
後で、他の女性との稽古を見たが、見事に強い女性だった。







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