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- 胴打ちから  振り返る 予告編 - 西村雅興 [2020年1月19日(日)]
朝岡先生がご他界 - くりちゃん [2020年1月20日(月)]
朝岡先生を偲んで、掲示板より抜粋 - 西村雅興 [2020年1月28日(火)]
朝岡先生   スピンオフ肩を治した話 - 西村雅興 [2020年1月29日(水)]
Re:朝岡先生   スピンオフ肩を治した話 - 池内 侑 [2020年2月20日(木)]
本物の侍がカナダにいた - 西村雅興 [2020年2月21日(金)]



朝岡先生を偲んで、掲示板より抜粋
西村雅興
2020年1月28日(火)
息子様にも日本語で読めれば父親の知らなかった部分を偲んでもらって下さい。


朝岡満先生を偲んで西村の掲示板での足跡を書き出しました。

順不同、重複が多多ありますが先生を偲ぶと供にその教えを振り返る一助になればと思います。
正真正銘の日本の侍を剣豪を感じる人物です。
追い求めるものも西村と同じでした。

先生はさらに二人の剣豪を育てています、息子様です。
先生に聞きました「先生の強いもは判る、でもカナダで育った息子さんが日本人の忘れてきている本物の剣道が出来るのは何故ですか?」
先生は言った「彼らは日本から指導に来る超一流の剣道家に教わってきた。だから本物しか知らないんだよ!」

日本では試合が中心で、勝つことに重きを置いた剣道の練習が中心になっているが、カナダでは純粋に剣道の練習をし、それも日本の名だたる範士に教わったのだ(その時の通訳もしていたから先生の心も受け止めている)

朝岡先生は二人の侍と一人の女性剣士を残してこの世を去った。
男として見事な生き様をされた。
我々もこうありたいと思う。    西村  74歳
{私自身もいつ死んでも悔いのない人生を送っている。}


2006年1月12日(木

稽古の礼の後、佐藤博信先生に挨拶に行った。
カナダでの話を楽しそうに話された。
カナダは本当に楽しかった様だった。
オイ!カナダへ一緒に行こうよ!と言われた。
弟子が八段になり孫弟子がカナダの代表選手、楽しい稽古もされて来たようだ。

朝岡先生から聞いていたので、佐藤先生に是非にもカナダへ行くようにと進めておきました、{西村}
原田先生を新宿に送る車中
車中で朝岡先生の話になった。
その次に息子さんの話になった。
原田源次先生
「あの息子は立派な強い剣道をする。
超一流に教わって来たからだ。
正統派なだけに、へんな高校生に打たれる事は有るが。
カナダへ行った時、子犬を連れてきた人が、あの先生が立派だった。」

2005年7月1日(金

熊ちゃん、こと朝岡先生。
今日は佐藤博信先生と治療のあと、ゆっくり話をする機会がありました。

西村
「先生!カナダの朝岡先生をご存知ですか。
今年の五月の京都でお会いしたんですが、この方の剣道に対する考え方が素晴らしかったんです。
それはそれで驚いたのですが、翌朝、先生が息子さんと稽古をしているにこれまたびっくりしました。
息子さの剣道は正統派の剣道で、まさしくプロの風格でした。
朝岡先生は日本でやっていったのですから、その努力や思いでそこまで行かれたのは理解出来ます。
しかし、カナダ生まれのカナダ育ちで、日本人でも難しいレベルの剣道をしている姿には驚愕しました。
後で聞くと、『兄貴はもっと強い、俺も勝てない。』と言われました。
親の剣道の思いを、息子さんがしっかり、より以上に引き継いでいる姿には涙が出ましたよ。」

佐藤先生
「あいつは生意気で、正直で良いヤツだよ!
昔、俺がカナダへ一週間いった時、息子二人と三人で付いて歩いていたよ。
どうして付いてくるのかと聞いたらあいつが言った。
『日本から八段の先生が来られるが、打つことは出来る。
しかし、先生には全く歯が立たないので、教わるしか無いと思って付いて歩いています。』と言ったよ。
息子が中学生の時、二人で日本に来たとき一ヶ月間警視庁で稽古をしたよ。
オイ!大丈夫かと聞くと『体は高校生並です。根性もあるから大丈夫です。」
と言ったよ。
当時、伊藤に世話をさせたんだ。
警視庁の近くに道場を持っていた西山先生に泊めてもらったんだ。
立派に稽古をして帰ったよ。
日本に来ているなら会いたかったなあ!
一緒に八段に受かったもう一人の先生も俺が可愛がっていた一人だ。
彼も大きな病気をして一皮むけたんだろうな!』
西村
「剣道への思いが世界へ脈々と広がり、子孫に伝わっているのを目の当たりにして、本当に感激しましたよ。
それから、奥様が日本に来られる直前に亡くなられたそうです。
先生と二人で話をしている中で、先生は入院中に奥様と、しっかりと悔い無き別れを済ませている・・・なかなか出来ないことです。
原田源次先生もそうです、佐藤先生もそうです。
病気になっても病人になりませんね!
朝岡先生も病気になっても病人になりませんね!
剣道で養った人生観がしっかりと命を支えていますね。
西村も見習います。」

治療の都合で、明日も、来週も佐藤先生にお会いします。
朝岡先生から佐藤先生へメッセージがありましたら、プリントをしてお渡しいたします。
掲示板でも直接でもメールをください。
京都で話せなかった思いを、西村がメッセンジャー・ボーイを勤めます。


先日、、朝岡先生の痛くて上がらない左手を瞬時に治したのは、西村の能力のほんの一端に過ぎない。

2005年5月9日(月
磯ちゃん
今回の稽古では西村が打ってしまいました。
次は時に面へ引き出して上げます。
それより、ヒーラーそのものの能力に驚きました。
以前から言葉の端々に、木が感じ見える様なことを聞いていましたが。
西村が受けたヒーリングで、左足の三里の所に熱いものを感じた時は、「あれ!これは本物だ!」と驚きました。
西村と朝岡先生との稽古で、最後の一本の時見えたことをもう一度書いて下さい。
西村が合気からスッと捨て面を差出した時の状況が見事に表現されていたのでよろしく御願いします。
西村には見えない、感じないものがあなたにははっきり分かるようですね。

朝岡先生
稽古有り難うございました。
上から覆いかぶさって来る面の強さには参りました。
さすがはと感心させられました。
野正先生に打っていた、あの大きな面を感じました。
最後は西村流の『棒身』で間合に入りました。
同じ59才の先生が、あのおきな面を打つのを知って、今日の松風館道場での面もそれを心がけて稽古をしました。
先生には最高の刺激を頂きました。
有り難うございました。

礒ちゃん [Mail]
2005年5月10日(火)
西村先生、お稽古ありがとうございました。
ぐわっと迫ってくる迫力には只驚嘆するだけで
なにかをしようというような気は起こりません。
これでは、剣道になりませんね。(笑)
ですから、次回からはどうあってもなにかしようと
思っています。打たれて当たり前、捌かれて当たり前
ですから、せめて同時に前へ出られれば良しと。

朝岡先生とのお稽古の最後の面ですが、あれは本当に
良かったです。上手に表現できるかどうか分かりませんが
思い出しながらもう一度文字にしてみます。

最後の面になるまでは朝岡先生との気のやりとりは普通の
時の先生らしい気でした。ところが、最後の面になるほん
の少し前に西村先生の竹刀の上をぽんぽんと気がリズムを
とって剣先に走りました。あれっ?と思った瞬間先生の身
体を包んでいた気がぐらりと揺れ、同時に竹刀の色が変わ

りました。
ひときわ大きくて鋼のような密度が高くて硬質だけど柔ら
かい気が(私にはそう感じられました。)西村先生の身体か
ら発せられその大きさはお相手の朝岡先生の発する気を弾き
グウッと朝岡先生の領域を侵しました。
ふっと朝岡先生の気が薄くなった瞬間西村先生の大きくて
高速の面が朝岡先生を捕らえていました。勿論朝岡先生の
気も大変にお強い気です。でも、この時は西村先生の気に
圧されてしまわれました。
時間にすればほんのわずかな秒数の間の出来事でした。

西村先生のこの気は私の経験からは、人が高レベルで
集中したときに出る気だと思います。何にものにも
囚われなくて心が澄みっきた状態の気です。白色に近い
透明度の高い気で分布にもばらつきがありません。



岩崎敬郎 [HomePage] [Mail]
2005年5月6日(金)
朝岡先生、稽古ありがとうございました。
また、御子息とも稽古を頂戴してうれしかったです。
相変わらず攻めが強いのに感動しました。
カナダに行ければ良いなーと皆さんで話したところです。

夏井 [HomePage] [Mail]
2005年5月6日(金)
西村先生、京都ではいろんな先生との出会いの機会を頂き、ありがとうございます。
すごい先生ばかりで大変勉強になりました。

原田先生のお話や朝岡先生のカナダでの修業ぶり、これからの剣道人生に生かしていきたいです。

諸先生方との剣道談義と稽古を楽しみたいです。
また京都で会いましょう!


西村雅興 [HomePage] [Mail]
2005年5月6日(金)
京都剣道の旅

その-1

今回一番印象に残ったこと。
カナダの朝岡先生との出会いだった。
カナダで自分の人生を作り上げ、自分の癌にも全く負けず、最愛の奥様の死をも気丈に乗り越える生き様は、誠に日本のサムライを感じた。
翌日、息子様との稽古を見てビックリした。
カナダ生まれの息子さんがプロの剣道家の様な立派な剣道をする姿だった。
この方は弟さんで、兄さんはもっと強いと聞いた。
小さいころから剣道をし、日本から来られる超一流の先生方の指導と薫陶を得て育ったと言う事と聞いた。
それにしても凄いことだ。
親子で三人八段も夢ではない!

朝岡先生が、日本では出頭の面のみ打ち込んで稽古をする先生がいる、その先生にはそれだけを打っている・・・・との話しだった。
何とそれは野正先生だ。
原田源次先生の列で待っているとき、朝岡先生が野正先生に大きな面を一心に打ち込んで行く姿を見て感動した。
それを見た西村は翌日は野正先生に同じような大きな面を一心に打ち込んだ。
(いつもは気の押しあいに時間をかけるのだが)
先生の竹刀の先が咽に入って来ようがお構いなしに大きな面を打って出た。
先生と稽古でこの様な稽古は初めてだ。

5/5の帰り、タクシー乗り場で朝の稽古の御礼を言った後、朝岡先生の話しが出た。
野正先生
「今日は彼と八段の稽古をした。
八段の稽古をしたときの彼の剣道は一段と良かった!」
(西村に)あなたも大きな良い剣道をする。
原田源次先生に教わっているんだね。
原田源次先生とは一緒に八段に合格したんだよ。」
そういう話しが出た。

朝岡先生の剣道が息子様の剣道に受け継がれている。
そう思って、自分も含めて回りを見渡すと、男親は息子に自分の生き様を見せて、教育しているんだなあとつくづく思った。
口で話して聞かすより、生き様を見せるのが一番だ。
そう思うと自分の人生だと思ったことが、自分も含めて子供の人生も背負っている責任を感じて生きていく必要を感じた。
そして、その流れは良いカルマとなって子孫に引き継がれて行くのだ。
その逆もあるのだと思うと、本当に恐ろしい事だ。

今回の京都は西村自身の八段審査等のこともあるのに、一番印象に残ったのは朝岡先生との出合いだった。
彼との話しの中で、「自分は試合という状況で、勝敗は関係なく最高の自分を引きだすチャンスとして捉えている。」
西村には考えさせられる言葉だった。
西村は人と勝ち負けを決める人生を一切切り捨ててきた。
あることが切っ掛けで、《勝つ人がいて、負ける人がいる世界》を無くす人生をやって来た。
相手と自分は勝ち勝ちゲーム(御互いの刺激で御互いが良い結果を出す)を心がけてきた。
朝岡先生の言葉をきっかけに、考え方を変えてみようかと思った。
西村自身の心境は、剣道において勝ち負けは余り関係無い世界に入っている。
打たれれば、相手の強さから学べる心境にある。
ゲーム的勝敗は便宜的なものなのだ。
試合・立合いは自分を励ますチャンスを提供してくれる場、と捉え直して見ようかと考えつつあるところだ。
この様に、西村の意識変化に大きな影響を与えた朝岡先生に感謝したい。


Re:京都・剣道の旅  その-1
田伐正人 [HomePage] [Mail]
2005年5月6日(金)
京都大会、お疲れ様でした

毎年、剣道談義会場を提供くださってる西村先生に御礼申し上げます

朝稽古も連日お願いできて、今年は収穫の多い京都大会でした

剣道談義ではいつものメンバーに加えて新しくカナダの朝岡先生と岐阜の丹羽先生が参加してくださって
賑やかに過すことができましたね

先生方の演武も凄かったです!


しかし、西村先生の周りには不思議な方々が集いますね… (笑)

年を重ねる度に京都大会の楽しみが増大してきてます


Re:京都・剣道の旅  
関根幸松 [Mail]
2005年5月6日(金)
お世話になりました、関根です

補助道場の稽古有難う御座いました
こんかいは、偶然ですがたまたまご一緒した先生方から
西村先生はいい面を打っているので八段受かるかもしれないよと言うような話がありました「え!、歯医者さんの?」と聴いたところそうそうとのことでした、やはり先生は有名なのですね
稽古のほうですが、有難う御座いました、ほんとうに、岩山が迫ってくる感じで、どうにも応じられませんでした、なにかスウット来るのですが、ただの先ではなくすごさを感じました、それにいただいた面が無駄が無く綺麗さが印象に残りました。本当に有難う御座いました。

この場お借りまして各々先生稽古懇談会お世話になりました
朝岡先生、岩崎先生、夏井先生、両丹羽先生、田伐先生、礒ちゃん先生、それに東京でいつもお世話になっている、島野先生、田井先生、有難う御座いました、また次回もよろしくおねがいいたします。


Re:京都・剣道の旅  その-1
丹羽 康之 [Mail]
2005年5月7日(土)
京都では大変にお世話になりました。

西村先生今回も素晴らしい機会を下さいまして本当にありがとうございました。
一年ぶりに皆様にお会いしたのですが、昨年が昨年だったので久々の再開のような気がしました。それだけ私自身が剣道から離れていたのでしょうか・・・・・本来の場所に戻していただきました。
あらためて剣道が出来ることの喜びを実感しています。
本当に剣道は良いですね。

また今年は朝岡先生を筆頭に岩崎先生、菅先生、関根先生、末永先生、礒嶌先生ともお近づきになることが出来て嬉しかったです。
今後とも長いお付き合いをお願いします。




佐藤博信範士との話。
西村雅興
2008年6月1日(日)
佐藤博信先生とお話し。

今日は先生が歯の点検で来院された。
3年ぶりなのだ。
便りの無いのは良い便りだった様だ。
思えば、西村が剣道雑誌で先生の写真を見て、気の毒にと先生の肩の症状が診て取れたのが始めだ。
その後、風の便りで肩の手術もされた聞き、その為明治村の選に漏れていたと聞く。
西村が原田源次先生から先に手紙を出していただき、その後に西村が先生の口腔内状況を手紙で送り、書いてあることが100%その通りとお云うことで来院された。
肩は正常に動くように治りその年の明治村の八段選で4回目の優勝をされた。
その後しばらくたって、イタリアへ団長で行くのだが左手が動かなくなった。
何をやってもダメで、再度来院されすぐに肩は治した。
それから叉しばらくたって、治療することがあった。
その時、九段位制が無くなったこと、今度は右ヒジが痛みが強くなったこと等で、
「俺はもう剣道をやめようかと思う。」と西村につぶやかれた。
西村が言った。
「剣道界は先生の様な実力者で、人柄の良い人が長く剣道をされる事が一番大切なことです。黙ってこの一本の歯を抜かせて下さい、そうするとヒジの痛みが楽になります。」
先生は「お任せします。」と言われた。
その後元気に剣道をされている。
癌の手術、心臓のバイパス手術を乗り越え健在である。
最近の剣道雑誌での活躍の様子を見て、西村は日本剣道界の陰の功労者と、自画自賛をしている。

帰り際に、佐藤先生が「原田源次先生から一通のハガキがきた、それが縁の始めだった!本当に良い縁に出あった、お陰で助かった!」と感慨ふかげに言われた。
西村「見知らぬ人からの手紙ではその気にならないでしょうから、原田源次先生にお願いして先に連絡をしていただきました。」
先生「本当に原田先生には感謝をしています。あれほどの先生こそ九段位になるべきだ。」と言われた。

カナダの朝岡先生の肩を治した話をした時。
「あそこの息子が1ヶ月間警視庁で稽古をした。
中学生だから大丈夫かと言ったら、高校生並の体をしているからお願いしますと云う事だった。
警察で寝泊まりさすわけにはいかないので、西山先生の道場で一ヶ月間寝起きをさせてもらった。
あの親子は正真正銘本物剣道家だ!
あの兄貴の方は親父より強いし剣道も良い!
大したもんだ。」とベタ褒めでした。
さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

日本剣道界の為に、いつまでも元気でいてほしい先生だ!


武術の真髄
西村雅興
2008年5月11日(日)
陸上競技の短距離で、ピストルの音を聞いて0,2秒以内にスタートをするとフライングと判定される事になっていた。
しかし、最近明らかに0,2秒以下でフライング無しでスタートを切る選手が出現してきたから問題になっている。
何故0,2秒か?
耳が音を聞き、それが脳に伝わり走れと指令を筋肉に行くのに、生理的に最低0,2秒かかると云う判断だからである。

これが人間の浅はかさである。
人間は意外に人間そのものを知らないのである。
西村は原田源次先生が剣道で知り得た、体験した妙玄の世界を追体験する為に稽古をお願いしている。
判れば判るほど先生のビデオにその世界は表現されている。

無想剣・神妙剣
・・・頭の意識を抜いた内なる神、内なる無意識の世界に武術の真髄があるからだ。
これは、内田樹(つたる)先生の本から引用した過去記事を参照・
心が動かないことを『不動心』と云う。
原田源次先生が西村にお前なら判るだろうと言って『不動智』なる厚手布に染め抜いたものを頂いた。
その数年前に先生から話を聞いた。
「不動心ではダメだ、不動智でなければならない。
心を丹田に納めるだけではなく、肚の底でころころ自由に転がして置く必要がある。
その赤い心の球が智として(叡知)働くから、いかなる時にも素早く対応ができる。」
この対応が人間の叡知の反射なのだ。

さて、耳をピストルの音に傾けたら、耳は音に意識を止め、耳が聞いた音を脳が判断をし、足の筋肉に行動を伝えると最速は0,2秒はかかる。
我々が目に何かが飛んで来た瞬間、『とっさに・瞬時に』手で払う。
この咄嗟(とっさ)の行為には脳は関与していない。
目が物を捕えているが、脳に関与させずに手が動いた。

スタートのピストルの音に意識を止めずに、今正にスタートを切る瞬間に重心を前に懸け、頭を指で軽く触れられても前に転ぶ状態にしておく。
倒れそうな状態をかろうじて維持しているのが精一杯の状態だ。
ピストルの音は倒れを正す反射運動の刺激にほかならない。
音が鳴ると無意識がコケそうな体を起す反射へと誘う。
いわゆる条件反射なのだ。
脳を介在させないスタートとなる。
そうすれば、反射なのだから0,2秒も必要がない。
要は音に条件反射する体を作りあげれば言い訳だ。

原田源次先生が言った。
スタートのコツを教えるには、ヒョイット腰を押してやれば良い。
岩崎先生
同じように面を打つ時にチョント腰を押し、打ち出しの要領を教えている。
(倒れそうになれば、姿勢制御の為に足腰は勝手に動く)

原田源次先生「手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!」
原田源次先生の手は条件反射の世界にあり、体の捌きも条件反射だからあの抜き胴が出来る。
原田源次先生「剣道は読みと反射だ!」と言われている。
武道はこの反射の世界で相手に対応するのだ。
しかし、この反射を妨げる物は脳が決めた強い指令系統なのだ。
その為この反射を最大限に生かすには、心を無にする必要がある。

小川先生
息を吐き続け踵に落とす、さらに踵から膝に戻すんだよ!
このころには、息ができないから失神寸前で自分も相手の存在を忘れている。
ここへ相手が打ってくる(危害を加えようとする)、体の防御機構が勝手に働く。

打ってやろうとすると、脳が指令を発し無意識レベルで予備動作を起す。
そして、無意識の決定後しばらくして有意識が面を打つことを決断する。
ここにタイムラグがあることを皆様は御存知ない。
無意識の決定は体を通して相手にサインを出してしまった事になる。
高段者になると、相手のサインを読む能力が高い。
無意識レベルで打とうと思った時、既に相手は知っているから簡単に取られる。
だから、打ちに行くと云う事は斬られに行くことなのだ。
『古来より、剣道は先に打ち出した方が負けと決まっている。』黒田鉄山談
ではどうすれば良いか?

高校時代
大将戦だった。
時間いっぱいだった、気がつけば自分に旗が上がって勝っていた。
どうなったのか全く判らない。
後で聞くと、見事な抜き胴だったと聞く。
自分には全く覚えがなかった。

原田源次先生
・見事に先生に面入った。
 しかし、打とうと云う意識は全くなかった。
 気がついたら面を打っていた。
・先生と合気になり、ただひたすら息を吐き続けた。
 意識が無くなりそうになった時、気がつけば先生に面が入っていた。
(原田源次先生に意識をもって面を打てたことは一度もない。)

賀来先生
ひたすら意識を宇宙と一体感になるだけに集中した。
ただ、ボーッと立っている状態だった。
気がつけば、先生得意の小手を摺り上げ面入っていた。
後で、賀来先生が言った
「お前は隙だらけだ!」
先生の前にただ立っていたら、先生が小手に危害を加えに来た。
先生が隙だと思ったのは西村が無になっていたからだ。
そこへ先生の勝手の都合で小手を打ちにきた。
それを無意識(叡知・内なる神)が防いだだけなのだ。
後は形として身に付いた動きが摺り上げ面を打っていた。

ある区の先生
気がつくと相手の横を通り抜けていた。
相手は微動だにせず、西村に面を打たれていた。
その光景を右斜め上数メートルから眺めている自分を感じた。
過去に二回ほどこのような状態になったことがある。

【朝岡先生の所でも載っていた】
{光西寺のHPから転載}
[西村は漫画入りのこの手の本で呼んだ、今その本が見当たらないので転載する]

きこりとさとり
昔何処かで聞いたことのある”きこり”と”さとり”の話です。自分の好きな話の一つです。

 一人のきこりが斧で木を伐ろうと、山深く入ったら、さとりという珍しい動物が姿をあらわした。きこりがこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、

「俺を生け捕りにしょうというのかネ」という。

きこりがびっくりすると、

「俺に心を読まれて、びっくりするとはお粗末な話だ」という。

ますます驚いたきこりは、

「ええ、小癪な奴。斧で一撃のもとに殺してやろう」と考えた。

するとさとりは、

「こんどは俺を殺そうというのかな。いやー、おっかない」と、からかうようにいう。

「こりゃーかなわん。こんな不気味な動物を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。こんなものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」

と、きこりは考えた。
するとさとりは、

「俺をあきらめたのか。かわいそうに!」

といった。
きこりはこの不気味な動物を諦めるために、再び元気をだして木を伐ることに没頭し、力いっぱい斧を木の根元に打ちおろした。額からは汗が流れ、きこりは全く無心になった。

すると1/10000か1/10000000の確率かはわからないが、偶然の偶然の、全くの偶然にも、斧の刃が柄から
抜けて、”さとり”に直撃!!!”さとり”は意識不明の重体。
 
お陰で、”きこり”はめでたく”さとり”を生け捕りにすることができた。
 きこりの心を読み取り、きこりをからかったさとりも、無心の心までは読み取ることができなかった。
この内容に近いのが【真剣】での野猿を相手に駆け引きをする練習風景です。
新陰流の祖・上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)が若きとき、
陰流の祖・愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)の最後の教えがこれであった。

移香斎は指南の最後にこう言った。
「陰流の極めは、己を斬ることや。
難題やなあ。
斬れるか?
斬れまい。
暫く俺が若の陰を映しとるから、己の陰を斬る方法を考えてみなはれ。」

これを悟り信綱は、後年『新陰流』を起す。
後年、信綱が柳生但馬守宗厳に『無刀』を課題を与え、柳生を去った。
『生きて真剣の先に見る無刀の境地』である。



高段者になると打ち気は相手に必ず読まれる!いわゆる「さとり」の名人になっていくからだ。【さとられない為には、打ちに行かず打たれに行く。】ここで、足を出す前に、死ぬ覚悟が必要なのだ! 打つ前に死ぬ。しかし、ほとんどの人がこれが出来ない。死を覚悟して人生の何かに挑んだ事があれば簡単なのだが。それほどの人生を経験していないと難しいのかも知れない。こうなると【心法】「生き方」になってしまう。
では、次のレベル【読み勝ち】の世界。西村が何故範士に歯が立つのか。剣道のプロは体に染み込んだ鋭い条件反射を持っている。これを西村の意図で逆手にとるのだ。範士が面を見せたら、思わず面を打とうと体を出す(体をだしてあげる)。先生は「来たか!嵌まったか!」と小手に来る。そこを軽く摺り上げて、ゆっくり面を取る。「面に来たか!」と竹刀で受けに入る・・・西村は挙げ小手を頂く。それが大きく挙げれば・・・そのまま咽に突きを頂く。これはスピードも反射も何も要りません。【読み勝ち】だけです。
西村と稽古をすると本気でやってくれないと怒り、稽古をしたがらない人が多い。剣道について考えている事が全く違うからです。                 西村に打たれたときは、階段を踏み外し様な感じで打たれると皆様言う。     武術の真髄はここにあるのだ。

今の西村の目下の研究課題は【当あて】なのだ。
これは魔術の世界に入るようなものだ。

ツリー全体を読む

西村は剣道の国際試合は反対の意見です。
日本の文化の中で生まれた武道は、それは日本で咲いておれば良いと思っています。
文化の違う人たちと共通認識の出来るスポーツにするには無理があると思います。
しかし、カナダに素晴らしい剣道が育っている。
羽賀先生・朝岡先生たちの侍が作った日本の古い良き剣道の観念が具現化されています。

遠く離れてカナダに同い年くらいで同じことを考えている先生がいるものだと感心した。京都で朝岡先生が西村先生とほぼ同意見だと思うと言われていたので、改めてHPを訪問した。
いつも西村が書いていることのエッセンスの文章があったので紹介します。
一度御本家のHPの訪問をお勧めします。

養心館・カナダの朝岡先生のHPの書き込み。
剣道考察日記2007年6月26日(火)と2007年8月13日(月)
次のような事が書いてあった。
なるほど千葉先生の達人ぶりは、自分の打ちの瞬間をしっかり内観していることにあったのだと判った。・・・朝岡先生お借りします。
【打突は緊張からの解放だ。】
この言葉は、千葉仁範士が、養心館の講習会で教えられた言葉の一つだ。イメージ的には素晴らしい表現だと、感動した。

これは剣道全般、全てに繋がり言える事だとも思う。

打突の瞬間。竹刀を振り上げ振り下ろす、 筋肉の緊張、その力を打突の瞬間に解き放つ。それで物凄い、勢いと、冴えが出る。

又、攻め、懸待の一致、緊張からの、一撃で捨てきる=開放。

溜め、見切りからの、緊張からの、一瞬の打突への開放。

脱力との関連も、この言葉で言い表されるではないのだろうか。

昔の古歌に、「振り下ろす太刀の下こそ地獄成れ、ぐっと踏み込め、後は極楽」と言うのが有る。

まさにこれに置き換えることも出来る。振り下ろす太刀の下。究極の緊張である。其処をぐっと踏み込む勇気で、開放される、恐怖感。

捨て身の境地を説いた歌だが、まさに緊張からの開放そのものだ。
【打たれに来る】
2007年8月13日(月)

今から15年位前になるか、羽賀の親父がマダ元気で稽古をつけてくれていた頃、熊が掛かっていくと、いとも簡単に出鼻を打って取られてしまう。
何故なのだろうと愚問を聞いてみた。何故あんなに、簡単に出鼻が取れるのか、親父が言うには、「お前が打たれに出てくるかただ。」と言われて、悔しい思いをした思い出が在る。

その意味合いが、15年経った今、少しずつでは有るが、何となく分かりかけてきた気がする。
それはどう言うことかと言うと、人間,誰でも打ち気にはやる時は、瞬間的に目クラに成る。詰り打とうとする瞬間に筋肉が硬くなるのだ。
其処を狙えば以外と簡単に打てる事が理解できるようになって来た。勿論、剣道をする人それぞれに到達しているレベルがあり、格差は当然あるのだが、

それでも間違いなく、どんなレベルの人であろうとも打とうと心が動いた時は硬くなるのである。
ただ、その腕前により格差が在るということは、硬くなる瞬間が少ない人が上手な人であり、沢山出る人が初心者なのだと言う事なのだと思う。

大いなる気勢で打ちかかる。その中にも、懸待一致が求められて、その中で、溜め、見切りなどが要求されてくるわけだから、可也高度な判断を瞬時繰り返さなければ成らない。その上、肉体の筋肉コントロールまで、遣らなければならない訳であるから、筋肉を硬直させないで相手に対処できる位に成るのは不可能に近いわけだ。

だから昔から、どんな名人でも打つ瞬間は隙が出来ると言われる所以なのだと思う。

剣道の稽古は肉体的に、いついかなる時でも難さが出なくなれば技術的に完成だと言う事になるのだと思う。勿論、その為に、心の問題、にも、触れて修行しなければ理解は出来ない。
でなければ、不動心、平常心、などと言う言葉の必要性も無くなる。

打たれに来て(行って)いる間は、剣道修行が続く。それを完全に克服する為に人間は剣道を通して心の修行をしているのだと思う。

△上に戻る
Re:京都剣道談義のお礼!
ゴマちゃん
2008年5月7日(水)
まずは 今回もこのような先生方との接点を作ってくださった西村先生に御礼申し上げます。わかりやすい解説と時間をかけた指導も 感謝の言葉もみつかりません。ありがとうございました。

今日も 午前中に先生の教わった面打ちを練習しました。「たら〜り」と構えてみます。

朝岡先生、岩崎先生には また1年間の稽古のテーマを頂き これができるよう努力します。今年は 全日本の歯科学生大会が岩手であります。管先生とも 稽古できることと思います。

本当に京都は今年も私を裏切りませんでした。
先生方に感謝!


佐藤博信先生は西村の手紙を受け取った後、約束どおり来院され腕を治されました。
その結果が四回目の明治村優勝です。
将来の病気のことも考えて、西村に一度お口・噛み合わせと症状とを見せて下さい。
トピックスの親記事一覧表を見れば多くの情報が得られます。

カナダの朝岡教士八段は素直な方で、西村の言う通りに一本の歯を抜きその周りの骨を削る処置をしました。
全く痛みは無く、翌日は稽古を去れました。
抜糸に来られたとき「お陰様で、腕が楽に動き、ライバルの相手にも上手く仕えた。」と言われました。
今年の年賀状から
『謹賀新年
旧年中は大変お世話になり
お陰様で肩の調子も良く
稽古を続けております
今年は仕事が忙しく京都に
参れるかどうか解りませんが
皆様に宜しくお伝え下さい
2008年元旦  朝岡満』


朝岡先生へ・・・
反対側に同様の問題があります。
ほっておくとぎっくり腰、ヘルニアになる怖があります。
取り合えずはカナダで、あの歯を抜いておいて下さい。
骨と舌の問題は少し後になっても大丈夫です。


西郡先生・・・以外にやりますね!
原田源次先生も感心をしていました。
カナダ帰りは強い!
カナダには良い先生がいますからね!
朝岡先生がいますからね。
後は左脇が締まれば申し分ありません。
最後のめんはいただきました。
今回の医学部OBは産婦人科の先生ばかりでしたね。
次の機会を楽しみにしています。

Re:この掲示板の件
池内 侑
2018年7月9日(月)
はじめまして、小生、数ヶ月前に先生のこのサイトを知り時々読ませてもらってました。佐賀県在住者の池内 侑と申します。以前より主な箇所だけ抜粋してコピーさせて戴いておりましたが、この度閉鎖されるとのことなので、全てを数日間掛けてコピーさせて戴きやっと終わって、現在ゆっくり読ませて戴いてるところです。整理後は900ページ近くなりました。ある大先生(もう今は亡くなられてますが)から『神面を打てる様な稽古をして下さい。自分も出来る様になったので、皆さんもきっと打てる様になれます』とご指導を受けました。『神面』がどういうものか分からなかったので、後日お尋ねすると『身体が思わず面を打ってた、そういう面です』とご指導が有りました。昔の先生方からそういったことはよく聞いていましたが、その面が『神面』とは初めて聞いた言葉で、神の面ということなので、『最高の面』ということだと思います。小生は未だかって体験出来ておりません。先生に於かれてはこの『神面』を、お仕事、実生活と言いますか生き様を通して、体現されてあるのがよく解かります。まだ全て読み終えておりませんが、じっくり熟読して小生も先生の世界に少しでも入り込んで行けたらと感じてます。また十年ぐらい前より「クマのつぶやき」にも触れさせて戴き、これも略全てコピーさせてもらって、現在も時々読ませてもらってます。朝岡先生も素晴らしい先生ですね。殆どが外国での修業をされてるのに、日本国内で剣道界に身を置く先生方以上に、本質的な剣道を求めてある先生で、私共は頭が下がります。その朝岡先生と西村先生が、旧知の間柄と知り又々驚愕してます。先生にこのサイトで触れさせて戴き楽しみにしてましたら、間もなくサイト閉鎖ということなので、凄く残念に思ってます。突然の投稿お許しください。

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36-過去ログから  佐藤先生の面打
西村雅興
2014年1月11日(土)
帰り際に、佐藤先生が「原田源次先生から一通のハガキがきた、それが縁の始めだった!本当に良い縁に出あった、お陰で助かった!」と感慨ふかげに言われた。
西村「見知らぬ人からの手紙ではその気にならないでしょうから、原田源次先生にお願いして先に連絡をしていただきました。」
先生「本当に原田先生には感謝をしています。あれほどの先生こそ九段位になるべきだ。」と言われた。

カナダの朝岡先生の肩を治した話をした時。
「あそこの息子が1ヶ月間警視庁で稽古をした。
中学生だから大丈夫かと言ったら、高校生並の体をしているからお願いしますと云う事だった。
警察で寝泊まりさすわけにはいかないので、西山先生の道場で一ヶ月間寝起きをさせてもらった。
あの親子は正真正銘本物剣道家だ!
あの兄貴の方は親父より強いし剣道も良い!
大したもんだ。」とベタ褒めでした。
さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

日本剣道界の為に、いつまでも元気でいてほしい先生だ!


Re:謹賀新年
西村雅興
2011年1月4日(火)
くりちゃん おめでとう。
くりちゃんの師匠、朝岡先生は最高の師匠に恵まれ武運を得た。
西村も同じ、最近感じるところは西村と同じらしい。
くりちゃんは朝岡先生に出会った。
それも剣道で、カナダで、最高のチャンス、武運に恵まれました。
貴方には類い稀なる鋭い感性があります。
そこを剣道に生かしてこれからの稽古をして下さい。


朝岡先生へ、ご報告とお礼。
西村雅興
2009年7月9日(木)
ご報告
明心会の会報が届きました。
岩手医大の剣道部コーチに西郡秀和先生が就任されました。
挨拶の文面の中で朝岡先生の名前が出ていましたので紹介致します。

『岩手医科大学剣道部とのご縁ですが、まずカナダの朝岡萬先生が、山田政行先生に私の事を紹介して下さり、山田先生が小川彰学長(当時剣道部長)に紹介してくださって、平成19年3月の追いコンに誘っていただいたのが始まりです。また岩手医科大学産婦人科の同門会長である村井軍一先生が、当時の明心会の会長であったことも、不思議なご縁です。』

彼とは岩手で一度稽古をしましたが、素晴らしい正統派の剣風で感心したことがあります。
後輩に良い指導をしてくれるものと期待しております。
縁は不思議なものですね1
朝岡先生のご縁で当大学のコーチに就任された事を、あらためてお礼申し上げます。

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Re:朝岡先生へ、ご報告とお礼。

2009年7月10日(金)
これはこれは、西郡先生が岩手医大のコーチ就任ですか。

素晴らしいですね。熊も嬉しいです。


よろしくお願いいたします。
西郡秀和
2009年8月21日(金)
朝岡満先生、西村雅興先生

お返事がたいへん遅れてしまい、申し訳ありません。
朝岡先生のおかげで、岩手でも、よい先生方にめぐりあうことができ、稽古をつけていただくことができています。

朝岡先生のご縁で、岩手医科大学剣道部を通じて、西村先生にお会いして、稽古をつけていただき、楽しい思い出をつくることができました。

やはり剣道はいいな、と思います。
これからも、剣道を通じて、先生方からいただいたご縁を大切に、その楽しさを岩手医科大学剣道部の学生たちに伝えていきたいと思います。

今後とも、ご指導のほどを宜しくお願い致します。
そして、またいつか、稽古をつけていただくことを楽しみにしております。


下からから攻め入る!
西村雅興
2009年5月8日(金)
「朝岡先生には下から攻め入られることを教えていただきました。』

四日の朝稽古で、朝岡先生の稽古を感心して拝見しました。
多くの方々が下から滑り込むように前進されて、肩が全く上がらないスルッとした見事な面を打たれていました。
おそらくこの面打ちだと思います。
最後の瞬間に左手の押し出しと、右手の押し出しが一瞬に交叉する手の内です。
大きく振りかぶって上から打つ面と、下から攻めあげて打つ面がありますが、原田先生の面打ちパターンは後者です。
ズルズルパーンの原田流の面は効果的です。


朝岡先生
朝稽古を見たとき、相手を下から攻め上げて、流れる様な、肩の全く上がらない見事な面を感心してみていました。
立ち会いの様子を見たとき、なるほどと感じました!
両肩がサラーッと落ち、肩に全く力みが無い!
左手元がネームの所属の横文字を隠す程度に下がっている!
この構えは原田先生、岩立先生の胸に大きな空間をエアーポケットの様に懐の深い構えです。
この構えを取ると心は竹刀の動きで打とうとしないで、体の捌きで先を取って、後は体に任せる心の位(不動智)に入って行きます。
ここの微妙な高さで相手の剣道観が見えます。
竹刀で剣道をするか?体を捨て入って先を懸けて不動智に任せる剣道をするか?
剣道そのものよりも位が見えます。
ここが竹刀剣道と心の修行の剣道の分かれ目です。
ほとんどの先生方は今にも竹刀が動かんと思う様に、手元が上がり脇が空いている。
西村の推薦する、手元が納まった構えの実例としておおいに参考にして下さい。
原田先生のビデオの教本もそうなっています。


朝岡先生の元立ちを見て
スルリと重心の滑落を使い間合いに入り、肩が全く上下せず流れる様な面打を拝見しました。
その心の静かさは見事でした、ただ感心して拝見していました。
肩の静かさには西村が貢献していると感じました。
私の知っている朝岡先生と今回の先生の面打は別人でした。
息子さんが困惑されているのが分かります。
相手に少し指導をしているのを見て、無駄の無い面打の秘訣を上手く指導されていると思いました。
西村もさっそく使わせていただきます。


Re:京都大会と朝稽古を通じての感想。
會澤 [Mail]
2009年5月7日(木)
西村先生。
今年も大変お世話になり、ありがとうございます。感謝です。
お褒めの言葉までいただき、ありがとうございます。昨年は、西村先生と朝岡先生にご指導、ご指摘を戴いて、今年の京都までの稽古で直向に、自分なりに意識してやってきました。今年はその確認の京都でした。やはり間違っていませんでした。ありがとうございます。また、今年ご指導戴いた事を今年の課題にして、又1年頑張ります。また、よろしくお願いします。
「努力は必ず報われない!何故ならば!努力の根本が変わらないから!」根本を気付かせてくれる京都は、恐るべし京都です!!
また来年、よろしくお願い申し上げます。


夏井 [HomePage] [Mail]
2009年5月7日(木

朝岡先生
指導稽古ありがとうございました。
すっかり引き出されて、最後は打ち込み稽古になってしまいました。
攻め込まれると面に行けなくなってしまいます。
今後ともご指導お願います。

帰り際に、佐藤先生が「原田源次先生から一通のハガキがきた、それが縁の始めだった!本当に良い縁に出あった、お陰で助かった!」と感慨ふかげに言われた。
西村「見知らぬ人からの手紙ではその気にならないでしょうから、原田源次先生にお願いして先に連絡をしていただきました。」
先生「本当に原田先生には感謝をしています。あれほどの先生こそ九段位になるべきだ。」と言われた。

カナダの朝岡先生の肩を治した話をした時。
「あそこの息子が1ヶ月間警視庁で稽古をした。
中学生だから大丈夫かと言ったら、高校生並の体をしているからお願いしますと云う事だった。
警察で寝泊まりさすわけにはいかないので、西山先生の道場で一ヶ月間寝起きをさせてもらった。
あの親子は正真正銘本物剣道家だ!
あの兄貴の方は親父より強いし剣道も良い!
大したもんだ。」とベタ褒めでした。
さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

【朝岡先生の所でも載っていた】
{光西寺のHPから転載}
[西村は漫画入りのこの手の本で呼んだ、今その本が見当たらないので転載する]

きこりとさとり
昔何処かで聞いたことのある”きこり”と”さとり”の話です。自分の好きな話の一つです。

 一人のきこりが斧で木を伐ろうと、山深く入ったら、さとりという珍しい動物が姿をあらわした。きこりがこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、

「俺を生け捕りにしょうというのかネ」という。

きこりがびっくりすると、

「俺に心を読まれて、びっくりするとはお粗末な話だ」という。

ますます驚いたきこりは、

「ええ、小癪な奴。斧で一撃のもとに殺してやろう」と考えた。

するとさとりは、

「こんどは俺を殺そうというのかな。いやー、おっかない」と、からかうようにいう。

「こりゃーかなわん。こんな不気味な動物を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。こんなものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」

と、きこりは考えた。
するとさとりは、

「俺をあきらめたのか。かわいそうに!」

といった。
きこりはこの不気味な動物を諦めるために、再び元気をだして木を伐ることに没頭し、力いっぱい斧を木の根元に打ちおろした。額からは汗が流れ、きこりは全く無心になった。

すると1/10000か1/10000000の確率かはわからないが、偶然の偶然の、全くの偶然にも、斧の刃が柄から
抜けて、”さとり”に直撃!!!”さとり”は意識不明の重体。
 
お陰で、”きこり”はめでたく”さとり”を生け捕りにすることができた。
 きこりの心を読み取り、きこりをからかったさとりも、無心の心までは読み取ることができなかった。
この内容に近いのが【真剣】での野猿を相手に駆け引きをする練習風景です。
新陰流の祖・上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)が若きとき、
陰流の祖・愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)の最後の教えがこれであった。

移香斎は指南の最後にこう言った。
「陰流の極めは、己を斬ることや。
難題やなあ。
斬れるか?
斬れまい。
暫く俺が若の陰を映しとるから、己の陰を斬る方法を考えてみなはれ。」

これを悟り信綱は、後年『新陰流』を起す。
後年、信綱が柳生但馬守宗厳に『無刀』を課題を与え、柳生を去った。
『生きて真剣の先に見る無刀の境地』である。

遠く離れてカナダに同い年くらいで同じことを考えている先生がいるものだと感心した。京都で朝岡先生が西村先生とほぼ同意見だと思うと言われていたので、改めてHPを訪問した。
いつも西村が書いていることのエッセンスの文章があったので紹介します。
一度御本家のHPの訪問をお勧めします。

養心館・カナダの朝岡先生のHPの書き込み。
剣道考察日記2007年6月26日(火)と2007年8月13日(月)
次のような事が書いてあった。
なるほど千葉先生の達人ぶりは、自分の打ちの瞬間をしっかり内観していることにあったのだと判った。・・・朝岡先生お借りします。
【打突は緊張からの解放だ。】
この言葉は、千葉仁範士が、養心館の講習会で教えられた言葉の一つだ。イメージ的には素晴らしい表現だと、感動した。

これは剣道全般、全てに繋がり言える事だとも思う。

打突の瞬間。竹刀を振り上げ振り下ろす、 筋肉の緊張、その力を打突の瞬間に解き放つ。それで物凄い、勢いと、冴えが出る。

又、攻め、懸待の一致、緊張からの、一撃で捨てきる=開放。

溜め、見切りからの、緊張からの、一瞬の打突への開放。

脱力との関連も、この言葉で言い表されるではないのだろうか。

昔の古歌に、「振り下ろす太刀の下こそ地獄成れ、ぐっと踏み込め、後は極楽」と言うのが有る。

まさにこれに置き換えることも出来る。振り下ろす太刀の下。究極の緊張である。其処をぐっと踏み込む勇気で、開放される、恐怖感。

捨て身の境地を説いた歌だが、まさに緊張からの開放そのものだ。
【打たれに来る】
2007年8月13日(月)

今から15年位前になるか、羽賀の親父がマダ元気で稽古をつけてくれていた頃、熊が掛かっていくと、いとも簡単に出鼻を打って取られてしまう。
何故なのだろうと愚問を聞いてみた。何故あんなに、簡単に出鼻が取れるのか、親父が言うには、「お前が打たれに出てくるかただ。」と言われて、悔しい思いをした思い出が在る。

その意味合いが、15年経った今、少しずつでは有るが、何となく分かりかけてきた気がする。
それはどう言うことかと言うと、人間,誰でも打ち気にはやる時は、瞬間的に目クラに成る。詰り打とうとする瞬間に筋肉が硬くなるのだ。
其処を狙えば以外と簡単に打てる事が理解できるようになって来た。勿論、剣道をする人それぞれに到達しているレベルがあり、格差は当然あるのだが、

それでも間違いなく、どんなレベルの人であろうとも打とうと心が動いた時は硬くなるのである。
ただ、その腕前により格差が在るということは、硬くなる瞬間が少ない人が上手な人であり、沢山出る人が初心者なのだと言う事なのだと思う。

大いなる気勢で打ちかかる。その中にも、懸待一致が求められて、その中で、溜め、見切りなどが要求されてくるわけだから、可也高度な判断を瞬時繰り返さなければ成らない。その上、肉体の筋肉コントロールまで、遣らなければならない訳であるから、筋肉を硬直させないで相手に対処できる位に成るのは不可能に近いわけだ。

だから昔から、どんな名人でも打つ瞬間は隙が出来ると言われる所以なのだと思う。

剣道の稽古は肉体的に、いついかなる時でも難さが出なくなれば技術的に完成だと言う事になるのだと思う。勿論、その為に、心の問題、にも、触れて修行しなければ理解は出来ない。
でなければ、不動心、平常心、などと言う言葉の必要性も無くなる。

打たれに来て(行って)いる間は、剣道修行が続く。それを完全に克服する為に人間は剣道を通して心の修行をしているのだと思う。


Re:西郡先生へ。
西郡秀和
2007年5月17日(木)
西村先生

お返事が遅くなりまして、申し訳ありません。
先日は、稽古をつけていただきまして、ありがとうございました。

朝岡先生には、カナダでは、稽古のみならず、審判手技など、
細かく丁寧に、御指導をしていただき、たいへんお世話になりました。
また、私が、岩手・盛岡に赴任するあたり、
岩手の偉い先生方に、わざわざ、私のことを紹介していただいた、
恩のある先生です。
稽古前に、西村先生が、朝岡先生のお知り合いであることを伺い、
実は、かなりプレッシャーを感じていましたが、
カナダ、また、ここ岩手・盛岡でも、良い先生方に恵まれたおかげで、
充実した稽古をさせていただいており、
本当にありがたく思っています。

今後とも、よろしくお願い致します。



西村先生ありがとうございました
丹羽 康之 [Mail]
2007年5月12日(土)
西村先生、今年もいろいろとありがとうございました。
毎年剣道談義の主催とご指導をいただきまして本当に感謝しております。
また、今年は朝岡先生、岩崎先生からも個別指導をいただけて改めてお礼を申し上げます。
しかしながら、尊い教えをすぐに吸収実践できない自分の愚かさが恨めしい限りです。でも修得できるよう精進しますね。
来年もどうか西村塾の皆様にお会いできますこと楽しみにしております。

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Re:この掲示板の件
池内 侑
2018年7月9日(月)
はじめまして、小生、数ヶ月前に先生のこのサイトを知り時々読ませてもらってました。佐賀県在住者の池内 侑と申します。以前より主な箇所だけ抜粋してコピーさせて戴いておりましたが、この度閉鎖されるとのことなので、全てを数日間掛けてコピーさせて戴きやっと終わって、現在ゆっくり読ませて戴いてるところです。整理後は900ページ近くなりました。ある大先生(もう今は亡くなられてますが)から『神面を打てる様な稽古をして下さい。自分も出来る様になったので、皆さんもきっと打てる様になれます』とご指導を受けました。『神面』がどういうものか分からなかったので、後日お尋ねすると『身体が思わず面を打ってた、そういう面です』とご指導が有りました。昔の先生方からそういったことはよく聞いていましたが、その面が『神面』とは初めて聞いた言葉で、神の面ということなので、『最高の面』ということだと思います。小生は未だかって体験出来ておりません。先生に於かれてはこの『神面』を、お仕事、実生活と言いますか生き様を通して、体現されてあるのがよく解かります。まだ全て読み終えておりませんが、じっくり熟読して小生も先生の世界に少しでも入り込んで行けたらと感じてます。また十年ぐらい前より「クマのつぶやき」にも触れさせて戴き、これも略全てコピーさせてもらって、現在も時々読ませてもらってます。朝岡先生も素晴らしい先生ですね。殆どが外国での修業をされてるのに、日本国内で剣道界に身を置く先生方以上に、本質的な剣道を求めてある先生で、私共は頭が下がります。その朝岡先生と西村先生が、旧知の間柄と知り又々驚愕してます。先生にこのサイトで触れさせて戴き楽しみにしてましたら、間もなくサイト閉鎖ということなので、凄く残念に思ってます。突然の投稿お許しください。


21-過去ログから 佐藤先生カナダへ行く
西村雅興
2014年1月10日(金)
熊ちゃん、こと朝岡先生。
今日は佐藤博信先生と治療のあと、ゆっくり話をする機会がありました。

西村
「先生!カナダの朝岡先生をご存知ですか。
今年の五月の京都でお会いしたんですが、この方の剣道に対する考え方が素晴らしかったんです。
それはそれで驚いたのですが、翌朝、先生が息子さんと稽古をしているにこれまたびっくりしました。
息子さの剣道は正統派の剣道で、まさしくプロの風格でした。
朝岡先生は日本でやっていったのですから、その努力や思いでそこまで行かれたのは理解出来ます。
しかし、カナダ生まれのカナダ育ちで、日本人でも難しいレベルの剣道をしている姿には驚愕しました。
後で聞くと、『兄貴はもっと強い、俺も勝てない。』と言われました。
親の剣道の思いを、息子さんがしっかり、より以上に引き継いでいる姿には涙が出ましたよ。」

佐藤先生
「あいつは生意気で、正直で良いヤツだよ!
昔、俺がカナダへ一週間いった時、息子二人と三人で付いて歩いていたよ。
どうして付いてくるのかと聞いたらあいつが言った。
『日本から八段の先生が来られるが、打つことは出来る。
しかし、先生には全く歯が立たないので、教わるしか無いと思って付いて歩いています。』と言ったよ。
息子が中学生の時、二人で日本に来たとき一ヶ月間警視庁で稽古をしたよ。
オイ!大丈夫かと聞くと『体は高校生並です。根性もあるから大丈夫です。」
と言ったよ。
当時、伊藤に世話をさせたんだ。
警視庁の近くに道場を持っていた西山先生に泊めてもらったんだ。
立派に稽古をして帰ったよ。
日本に来ているなら会いたかったなあ!
一緒に八段に受かったもう一人の先生も俺が可愛がっていた一人だ。
彼も大きな病気をして一皮むけたんだろうな!』



朝岡先生の元立ちを見て
スルリと重心の滑落を使い間合いに入り、肩が全く上下せず流れる様な面打を拝見しました。
その心の静かさは見事でした、ただ感心して拝見していました。
肩の静かさには西村が貢献していると感じました。
私の知っている朝岡先生と今回の先生の面打は別人でした。
息子さんが困惑されているのが分かります。
相手に少し指導をしているのを見て、無駄の無い面打の秘訣を上手く指導されていると思いました。
西村もさっそく使わせていただきます。



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