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- 全剣連合同稽古1/12 チョット長いですが。 - 西村雅興 [2006年1月12日(木)]
Re:全剣連合同稽古1/12 チョット長いですが。 - 雨宮 弘 [2006年1月13日(金)]
Re[2]:全剣連合同稽古1/12 チョット長いですが。 - 島亮 [2006年1月13日(金)]



全剣連合同稽古1/12 チョット長いですが。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2006年1月12日(木)
全剣連合同稽古1/12

前日、岩崎先生から電話あり。
原田源次先生の稽古量、体調を観察しておく依頼。
12日は夕方予定が立て難い。
島野先生へお願いされた。
西村はあるお願いの後、ある人と食事の予定をたてていたのだ。
その人は六時に人に会う約束があったので、食事は取りやめ。
仕事が終わり、急いで武道館へ向かう。

丁度、礼が始まった所だった。
原田源次先生控え室に戻られた。
どうやら島野先生が始めを15分ほど遅らせて欲しいと頼んでくれた様だった。
控室で群馬の中島先生とお話しをする。
原田源次先生15分の時間を潰すのが、何とも歯がゆいように見える。
西村が原田源次先生に言った。
「私はこの様に常時ニトロを持っていますが、先生はお持ちですか。」
原田源次先生
「俺は竹刀袋の鍔の所に入れてある。」
西村はそうだ、俺も竹刀袋の鍔入れに入れておこうと思った。
西村
「先生、右膝で相手を攻めて相手を引き出して打つのと、右足を滑らせて出て行くのとどちらがいいですか。」
先生
「俺は右足を滑らせて攻め入っていく。
その時重心は足幅の真ん中にある。
後は、最後に右足をトンと着いて面を打つ。」
実際にやってみせてくれた。
なるほど!と思った。
これか!・・・うん!!!!!!!!!!。

中島先生の右手が上がらないのを気の毒に思い、西村が数分で右手が動くようにする。
雨ちゃんの先生だから親切をしておいた。
何と84歳なのだ。
手が動くようになって感謝された。
暫くすると長堀先生が稽古を早めに終えて控え室に帰って来られた。
先生いわく
「年を取ると30分ぐらいの稽古がいいよ。
持田先生も『今日は十人ここまででお願いします。』と先に言ってから稽古を始められた。」
そんな話を聞いていると、原田源次先生がいない。
トイレに行ったのかと思って待ていたが、なかなか帰って来ない。
チョット心配をして控室の外にでた、ヒョッとしてと思い道場を見ると、先生はもう稽古を始めていた。
アレアレと思い道場へ行く。
先生に並ばれている人数を大体確認し、30分ぐらいで終わるように列の後ろに平服で並んだ。
今日は先生に稽古をお願いするどころではないからだ。
数人、並びたかった様だが堪忍していただいた。
島野さんが来て「ほっとした、私のお役目が終わりました。酸素はどうしますか。」
西村が預かって、帰りの車で先生に渡した。
先生は息子さんに「防具袋に入れておいてくれ。」と言っておられた。
ある人が言った「原田先生もっとやりたいんじゃないの!」
その後、雨ちゃんが来た。
先の人を断って入れるわけにもいかないので遠慮をしていただいた。
丁度30分間立った頃、列の最後になった。
先生はもっとやりたそうに感じたが、西村の意図をくんで終了された。
面を外された顔にチョット物足りなさと寂しそうな感じがして、西村の胸がキューンと痛んだ。
終わりまで15分間の時間が空いた、終わりに礼が始まるまでに身体が冷えて風邪を引かないかと心配だった。
取り合えず、今日は島野さんと西村で岩崎先生の心配についてはお役目を果たした。
帰りの車の中で先生に言った。
「先生。稽古始めを20分遅らせましょう。
そのかわり、最後まで稽古をしましょう。
40分間の稽古にしましょう。
最後の相手が終わって、終了の礼をする方が良いようですから。」
先生
「今日は30分だったなあ、俺もまだまだやれるなあ!」

突然、先生が言った。
「雨宮の稽古が良かったなあ!
俺の近くで国士舘の人と稽古をしていた。
なかなかよくやっていた。」
西村
「列を区切った後、彼が来たのですが、先の人を断った後なので遠慮をしていただきました。」
雨ちゃん・・・今日の稽古は良かった様ですよ!
先生
「山本が良かった!」・・・西村も見ていていつも感心をしている。
西村
「先生の抜き胴と、面返し胴はほとんど同じですね。
私は返し胴は得意なのですが、先生のあの抜き胴は何としても真似が出来ないのです。」
先生
「返し胴は相手に真っすぐ出て行く、抜き胴は指一本分(足の親指だと思う)右に寄せる。」
手を使って説明をしてくれた。
西村
「今日は岩立先生の稽古を見て気がつきました。
面を打つ前に、一度やや右前にツッと足を出します。
その後、前足の指五本をツッと浮かせます。
その次に、同じような感じで指五本を床から浮かせて、チョット間をおいて面に出ます。
普通は指を床から離した時が打って出るとき、岩立先生の場合は本のチョット微妙な間があります。」
先生
「うーん」と返事なし。
西村は思う。
この指だけが床から離れた時、右足の体重は抜けかけている。
時に2回ぐらいこれをするときがある。
これが相手への攻めになっている様な気がする。
相手がこの圧力を受け止めた瞬間、あの右足がスッと前に伸びた面が出るようだ。
岩立先生のあの素晴らしい面の秘密の一端が分かったような気がする。

原田源次先生
福岡が新人戦で男女ともに勝った。
女子は優勝は二ヶ月前から分かっていた。
男子は優勝するかも知れないと言っておいた。
一人が引き技で勝つ、これを教えておいた。
大将先は引き分ける、代表選で勝つ。
これは勝った事にはならないが、戦略的に勝つことだ。
西村・・・うーん!

エピソード
西村の歯科大学二年の時。
盛岡一高(岩手県一番の進学校)が医大へ稽古に来た。
西村は大学の二年生だったが年は26歳(10年遅れて大学入学をしたから)。
医科・歯科の学生剣道はやはり一般の大学のレベルよりかなり落ちる。
部員は50人いたが、医学部に一人、歯学部に一人凄い強い人がいた、西村は三番手だった。
この二人の先輩がいないと、一高生には歯が立たない。
西村一人気を吐いて相手を叩きのめしていた〔当時あだ名は《虎男》だった〕。
本当にヤワな剣道部員の集まりだった。
先輩のブザマな負けプリの稽古ぶりにチョット頭に来た西村は、一高の卒業生に「俺一人で一高の剣道部に殴り込みに行くから連れていけ。」と言って、乗り込んだことがある。
当時は四年も浪人しながら、医学部に入れないで歯学部に入った挫折感とコンプレックスと、嫌味な思いが渦巻いていたどう猛な手負いの虎の雰囲気だった。
身体は鍛えてあったし、年齢は26歳だから怖いものなしだ。

そこで、一高校生はほぼ全員、西村にひっくり返されて頭はぼこぼこにされた。
西村が言った。
「女の子が竹刀の先で頭を触るような剣道で勝てるか!
男ならしっかり打て!」・・・まあ、こんな捨てぜりふを吐いて、意気揚々と帰った。
その後、思いっきり打つ稽古に変えたそうだ。
その年、一高はインターハイの代表になった。
これは、その時二年生だった人が医大に入学をして、話してくれたので分かった。
彼の自慢は「選手の先輩は全員ひっくり帰されたが、俺だけはそうされなかった。
あの時、みんなが鬼が来たと騒いだそうだ。
34年も前の話だ。
でも、強い当たりでないと一本にならないと言う教訓でもある。
県下一番の進学校がインターハイの代表になったのは、それなりの理由が有ったのだ。
学生時代は先輩が西村から逃げ回る様な鬼のような剣風だった。


話は戻る。
前に、原田源次先生が中学生の話をしたらその通りになった。
原田源次先生が「○○は良い、八段に受かる。」と言うとそのとおりになる。
見える人は、見えない物も見えるのだ。
最高の軍師を連れて行く高校は幸せだ!

稽古の礼の後、佐藤博信先生に挨拶に行った。
カナダでの話を楽しそうに話された。
カナダは本当に楽しかった様だった。
オイ!カナダへ一緒に行こうよ!と言われた。
弟子が八段になり孫弟子がカナダの代表選手、楽しい稽古もされて来たようだ。

車中で朝岡先生の話になった。
その次に息子さんの話になった。
原田源次先生
「あの息子は立派な強い剣道をする。
超一流に教わって来たからだ。
正統派なだけに、へんな高校生に打たれる事は有るが。
カナダへ行った時、子犬を連れてきた人が、あの先生が立派だった。」

そんなこんな話をしているうちに、新宿に着いた。

来月の全剣連合同稽古は2月2日(木曜日)
原田源次先生にさらっとした剣風で稽古を願おう。

今日、柴原さん(超能力者)に言われた。
「先生の剣道にはマダ殺気が有る。
これが抜ければ八段に受かる!」
当たっているだけに・・・・・西村うなだれる。
剣道最後の心の修業かな!
最近、少し分かってきた!
ここからが始まりか・・・。

そう言えば・・
佐藤博信先生が挨拶に来た人に話をしていた。
「あなたは怖い顔して、打ちに来る。
それはイヤだから、こちらは打たれないようにするわな。
もっと肩の力を抜いて、柔らかく、相手が怖がらないように打てば入るよ!
剣道はもっと楽にやりましょう。」
耳の痛い、有りがたい話だ!



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