書くべきか、書かざるべきか悩みながら書くことにする。 言わんとするところは『結局は生き様が結果なのだ』。
暫くぶりで、技工士の松葉君と人間ドックに行った。 御母様が大腸ガンで亡くなったので本人に不安がある。 久しぶりなので、内視鏡で検査をした。 そうすると、ポリープがあるので来週にそれを取ることになった。 ポーリープの内視鏡写真を見せてくれた。 彼と柴原さんは凄く仲が良いのに、柴原さんに頼まないのだ。 西村が柴原さんに電話をし。 彼は「今銀座の事務所にいるから、仕事の帰りに来るように。」と言った。 西村も付いて行った。 すると、今日休みの代診の加藤先生がいた。 もう一人御医者さんのM先生もいた。 M先生の右手は40代のまま、左手は30代の艶にしたとこだった。 柴原さんは最近、西村の鼻を少し高くしてくれた。 鏡ではっきり判るほどに変化する。 気が乗るとこのように遊ぶのだ。
さて、松葉君の番になった。 ベットが無いので、段ボールを敷き、彼を上向きに寝させた。 柴原さんが右指にメスを作ったと言う。 しかし、我々には見えない。 いつもと違って今回は真剣そのものだった。 「これで取れた、汚いから流しで流す、」と言ってそちらに行って手を洗った。 回りで見ていて、そうなのかなあ!と云う感じでいた。 翌日、松葉君がお腹が痛くて下痢をした。 それを知っていたかの様に、柴原さんから松葉君に電話が有った。 「傷口が痛むので、マイナスイオンの出る布を作ったから、それを取りに来るように。」の無いようだったそうだ。 それを当てると痛みはピタリと止まったそうだ。 下痢は三日間続いたそうだ。
西村が松葉君に言った。 「折角だから、無くなった所を写真に撮って貰うように。」 彼は翌週病院に行った。 手術の担当の先生が驚いたのだ。 有るはずの物が、ポリープが無いのだ。 真っ青になって右往左往していたらしい。 奥の方から、どうでも良いような物を取って御茶を濁した様だった。 松葉君はこの驚きの状態を見て、かなり可笑しかったと言った。 彼は西村の依頼もあり、無くなった所の写真を撮ってくれる様に頼んだ。 先生が言ったそうだ。 「無いものの写真なんか撮れない。」 私の手元に彼のポリープの写真が有る。
柴原さんは京都のある宗教から億の御金でスカウトされても動かない。 そして、今までのいきさつから治療はしないことにしている。 ただ友人だけはほっておけないようだ。 今回は非常に仲が良く、仕手と受け手の関係が最高だった。 そのため、好成績が出たのか、それとも柴原さんにとっては朝飯前なのか。
何にしても、彼の力は知っているつもりだが、今回の現象は改めて驚かさ れた。 皆様がこの情報を知ったからといって、彼に治療を御願いすることは出来ない。 彼は友人しか治療をしない。 誰がその友人かは彼に決定権がある。
西村は自分の家族ならば彼に頼める。 しかし、兄弟・親戚と言えども彼に頼むことは出来ない。 彼には縁が無い人だから。 柴原さんが言う。 「俺が治してあげたい、そういう人になって欲しい!」
良い縁とはそういうものなのだ。 ある人が紹介されて西村の所へ予約される。 良い縁につながった人は救われる。 その人の人柄が、紹介者を動かしたのだ。 『結局その人の生き方というしかない。』 電話の懸けかたを間違えば、西村に治療は断られる現実があるのだ。
今年の前半の大きなトピックスは 加藤眞由儒先生の占い 柴原さんのポリープ取りだ。 いずれも超能力の世界の話しで、西村にとっては現実の話だ。
誰もが受けれる所では キレーションによる、動脈硬化の改善。 プラセンタ療法と高気圧療法だ。 暮までにもう一つ大きな体験をする予感がする。
人間の限界は何なのか。 神は存在するとしか言い様がない。 だって、神様の親戚みたいな人に現実に出会い、奇跡に触れるからだ。
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