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- 吐き気を伴う、凄い頭痛! - 西村雅興 [2005年6月16日(木)]
本人のメールから。 - 西村雅興 [2005年6月18日(土)]
Re:本人のメールから。 - Onodera [2005年6月19日(日)]
Re[2]:本人のメールから。 - 西村雅興 [2005年6月19日(日)]
治療終了・・その裏に多くの偶然が必然が! - 西村雅興 [2005年11月17日(木)]



本人のメールから。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2005年6月18日(土)
治療後の手紙から

西村先生。

今日の治療をなんと言って表現したら良いのでしょう。
あれから外へ出てからもしばらく涙が止まりませんでした(側をお散歩で通ってゆく幼稚園児達が不思議そうにみていましたっけ)。 でも実は不思議と泣いても良いような気がして、思い切り気持ちよく声をあげて泣いてしまいました。

S先生、そしてもう23年ものつきあいになるTさんのお二人からありがたくこの度のご縁をいただきました。
自分ごとながらこれまで健康だけが取り柄と言われるほど、大した病気もせず、病院へ行く事もなく暮らしてきました。
それがある朝突然(今年2月の21日)起きたら右肩が鉄拳で握られたように張り、そこから帯でつながるように後頭部が痛み尋常ではないその辛さにすぐに何とかしなくては…ととりあえず整形外科へ走り、レントゲン。 頸椎が詰まったのでしょうと牽引をしていただいても治らない。 呼吸諸々も何だか変なので次に近所の内科(ちなみに現住所には1年前アメリカから越して来たばかりでどこの病院へ行ったら良いのかもわからずの手探り)。 ここでも単なる偏頭痛と笑われ「肩をまわしていれば治ります」と。 それでもこんなに痛いはずがないと頼み込んで一応MRI/MRAを撮って診断していただくが「血管が詰まったところが2カ所あるが何でもない、将来的にあるとすれば脳梗塞」と無責任に言い放って終わり。  そして最後の手段として以前から歯の調子も悪いところがあるのを思い出し行きつけの歯医者にも行ってみるがここも空振り(それでも一応マウスピースは作っていただく)。  もうここまで来ると、相変わらず原因はわからないし痛み/不安は強まるばかりで日常生活もままならない…とうとうある日地下鉄に乗ろうとして過呼吸になり以来乗り物恐怖症/閉所恐怖症も併発。 
この症状が出てからが最悪でした。 それまではある一定の条件だけだったのに家からも出られなくなるほど呼吸が乱れ、苦しくてこのまま死んでしまうのでは?という恐怖につきまとわれていました。 そう、普通の整体にもいくつかいきました。 それでも最後に行った内科で処方された安定剤を飲み始めるとこれが何と更に最悪の状態…自分の体が暴走しはじめたのです。 これは本当に怖かったです。 

そんな時に最後の頼みの綱として抱えられるようにして連れて行っていただいたのがS先生の施療院でした。  一つ目の運命の日です。
そこで始めて「私が必ず治します」。という頼もしい先生のお言葉。 その日、文字通り息も絶え絶えという感じから久しぶりに自分で少しまともに呼吸ができるようになったのです。  そしてそこから私は少しずつ、自分の体と心を取り戻し始める事ができたのです。

二つ目の運命の日が6月14日でした。 体が整い始めると同時に我慢できなくなって来た右奥歯の不快感がつのりました、しびれも出てきました。 「そろそろ葛西へ行きましょう」と言う三枝先生のお言葉でありがたく通院できることになったのです。  初回から噛み合わせの処置をどんどんしていただき、先生の素晴らしい腕とあたたかいお言葉に、緊張していたからだがもう大丈夫…と「ほっと」したのを覚えています。 もうそこからはカルチャーショックの連続でした。 あっという間に痛みが取れ、凝りがなくなり、いままでの苦しみを思うとまるで早送りのビデオを見ているようでした。  そして今日の治療。 今までひとりの患者として、S先生に出会うまで誰にも理解されずに苦しんで痛みと不安を抱えて来ただけに、それを本当に理解して(ここでしょ、と首と肩のつぼを押された時にあまりにもピッタリで、でも今まで他人には伝わらない事で、この時すでに泣きそうでした)一生懸命治療してくださる先生の姿があまりにありがたくて、終わったとたんに自分でも気づかないうちにうれし涙が止まらくなっていたのです。  

今日はその後、施療院にも伺いましたのでS先生にもその話をいたしました。  実際整体を始めたら、先生もあまりに体が急に変わったのでびっくりなさったようです。 「腰も肩もみんなよくなっている!」、「一度でこんなに変わる例はあまり見た事がない!」とおっしゃっていました。
「ここに始めて来た時は世の中の不幸を全部ひとりでしょったような顔だったのに、今日はしあわせを独り占めのような顔だ。」ともいわれました。

改めて私の命の恩人とも言えるお二人にそして友人に感謝の気持ちで一杯です。  今回の病もきっとなるべくしてなったのでしょう。 これを機にこの出会いをいただいた、そして今までにも増して元気な自分をいただいた、とおもうと病にも感謝したくなります。 まだ途中なので気は抜けませんが、しっかり治して残る人生精一杯生きたいと思います。 

最後になりましたが、電話やオフィスでもいつも明るくてきぱきと動いてくださり気持ちの良い対応をしてくださるスタッフの方々にも感謝の気持ちをお伝え下さいませ。  そこかしこに先生のこだわりがあって、素晴らしい環境を作って下さっている事ひしひしと感じます。

この度は本当にありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

(今日始めて先生のサイトを拝見しました。 ひょっとして6/14日の患者って…?;ー)




トピックス、その他のほかの書き込みも参考にしてください。
生き方の中での不思議な縁で救われていくのです。
西村がいるからといって、西村に必ずしも出会わないのです。
貴女の生き方が効をそうしたのです。


お手紙をいただいて、如何に大変だったかが分かります。
西村にとっては日常の治療(仕事)ですが、この患者様にとってはまさに一大事だったと思います。
ここの書き込みに何度も書きますが、西村の所に来る過程が、その人の生き方の成果です。
彼女の人間関係の誠実さがこの結果をもたらしたのです。

病気はその人の生き様の結果としておきる。
そして、それは何らかの必要必然の結果である。
そこから回復の過程で多くの物事に気付く。
そして、自分を愛し、他人を愛する心の豊かな人に成長していく。
この回復の過程で今までの自分の生き方が試される。
一本の細いクモの糸を手にすることが出来るかもしれない。
このクモの糸の存在を教えてくれ、誘導してくれる人の存在がある。
この方はその存在の人に出会うチャンス・生き方が有ったということいなのだ。
S先生は誰でも西村の所へ紹介するのではない、西村の所へ紹介するに値する人のみ紹介をするのだ。
S先生の合格を得たことになる。

これからは、S先生の指導の元に体を建て直し、それを歯科医の西村がお手伝いをすることになる。
姿勢・ゆがみが体から消えていくと、さらに西村がそれを手伝い治すことになる。
決して!西村の力だけで治すわけではないのだ。



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