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- 感謝の念が命を支える。 - 西村雅興 [2008年9月1日(月)]



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感謝の念が命を支える。
西村雅興
2008年9月1日(月)
先日、S先生に施術をしていただきました。
お礼のメール
『今日は施術有り難うございました。
足の故障の原因が最近の咬合のせいかとかと思いました。
体を緩めようとして噛み合わせを低くしたら、顎が後方に落ち込み一気に体調を崩しました。
最悪の状態に落ち込み、一昨日噛み合わせをかなり良く治しました。
噛み合わせが良くなっても、左足の状況は体について来れませんでした。
しかし、今日の先生の施術で身体と咬合は一致しました。
帰りの歩きから快調になりました。
改めてお礼申し上げます。
普段、快調な時は先生の力を実感する事は無いのですが、体を崩した時は先生の能力の凄さを実感致します。
特に今日はそれを再認識した、その日でした。
これからも宜しくお願い申し上げます。』

咬合で何でも治るような表現をしている西村も、それぞれの先生の特殊能力は尊敬しています。
だからこそ、S先生に長年、体の崩れ、気の崩れを補正していただいています。
この先生から紹介される患者様はあっと!云う間に治ってしまう。
補正すべき場所が咬合だけの状態まで仕上がっているからだ。
ここは日本の超有名人の最後の癒しの場になっている。

さて、こんな話を聞いた。
「先生に紹介をしたKさん。」
「あの時はこう言ったんです。」
「失明し、死にたくなければ西村先生の所に行け。」
先日会ったら、0,1に落ちていた視力が1,0に回復しましたと言っていた。
その時、紹介した私にも、先生にも感謝する言葉が最後まで出なかった。
何と人というものは・・・・と嘆かれていました。
前述の様に医者に見放され瀕死の状態の人を、先生の特殊な能力で救っている。
その先生が西村に命を託して紹介されたのだ。
西村的にはすべき事をして、治すのみだ。
紹介された先生は西村に紹介しなければ、延々と通ってくるお得意様なのだ。
それをあえて紹介する先生の胆力はたいしたものなのだ。
キツイ薬もこれ以上服用出来ず、後は失明、死へとの坂道をころがっていたのだ。
それを見かねて紹介をされた。

さて、この人の感謝の念が薄いとどうなるか。
西村への検診を怠り咬合が崩れてしまう。
時にS先生に体を修正してもらわないと崩れてしまう。
それは無意識に自殺行為に進んでいる事になる。
このように感謝の念の薄い人は元の木阿弥になってしまうのだ。
結局、チャンスを頂いて元気になっても、それは崩れ去ってしまう。
その意味で、人は生きざまがそのまま結果になるということだ。
病気はすべてそうなのだが・・・。

この方が咬合が崩れて泣き込んで来た時、西村は以前と同じように出来るだろうか。
それは無理な話だ!
死にたがっている人を助けないのが西村の主義なのだから。
何しろその時は心も手が動かないのだから仕方がない。
人は何度もチャンスは与えてくれないのだ。
治療者のこの心を理解できない人が延々と病気を引きずっている。
神の与えた気付きのチャンスとして辛い試練を受け続けることになる。
レスをつける



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