頭から離れなかったこと!
『次は永松陟先生との稽古だ。 初っぱな小手を打たれる。 この小手は分かっているのだが、未だに打たれる。 その後、二本ほど小手を打たれる。 同じような小手を大きく手元をあげて抜き面が入る。』
先生の小手は前から見事に打たれる。 ある先生が言った。 「彼は小手にくるからねえ!」 と言うことは、先生の小手は有名なのだ。 いつもは、先生のスッキリと伸びた面に意識が行っていたので、それほど小手には関心が無かった。
稽古の後、ズーっと頭に残っている。 先生の面まで見える様になったのに、何であんなに見事に小手を打たれるのだろう。 こう考えて二日間、この思いが頭の中をぐるぐる回る。 分かった! 先生の小手をかわした時は、小手抜き面の時だ! そして、この面はしっかり入るのだ。 西村はこの小手を抜く意識は全くない。 先生の面を上から、竹刀を真上に引き上げ、先生の面を斬り落そうと意識したときのみ小手を打たれず面が入っている。 この面は過去に10回位入っている。 先生その時は「参った!」といつも言われ、右手で自分の面を軽く叩かれシマッタとの表情をされる。
西村は普段の稽古で、小手抜き面をすることはほとんど無い。 この小手抜き面は結果として、小手を抜いたのだ。 そういうことは、西村は先生の攻めは入りの体の動きから、てっきり面だと思っていると言う事だ。 先生の攻めを読み間違えていることになる。 先生の面の攻めが最近読めるのに、この小手に来たときには面だと錯覚しているのだ。 先生の小手の上手さはここに秘訣がありそうだ。 これは良い課題を頂いた。 早速これを解明して見よう。 京都大会の見事な立ちあいのビデオがあるので検証してみよう。 先生のビデオは昔かなり撮影したことがあるので楽しみだ。 少し分かったら、港区の剣道稽古に行って、先生と稽古をしてみよう。
余談だが ある高齢者人が七段に受かった。 とても強さでは七段に受かるような力は無かった。 そして、いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。 永松陟先生がJR東海の師範をされていたとき、東京駅丸ノ内側北口の五階の道場へ彼が来るようになった。 彼は永松先生の右足の滑り出しと、打つ機会を徹底的に真似をした。 最初はぎこちなく、ロボットの様な面打ちだった。 右足がかなり前に出ていても、打つ機会が無く、やっと打てたら腰が残ってしまっていた、ヘッピリ腰の面だった。 それだけ、右足を宙に浮かしながらゆっくり体を出し、我慢強く機会を待っていたと言う事だ。 この我慢が人一倍出きるようになり、左足の後筋の使い方が堂に入ってきた。 そうすると、七段に見事に受かったのだ。 『師匠の言う、一瞬の我慢比べだなあ!』が身に付いたのだ。 彼はこの道場で会う前からよく知っていて、指導したことがあるので、西村にはそれは通用しないが、他の先輩七段に通用するになってしまた。 西村の指導が行き届かない分、自分で見事な手本を発見しものにしてしまった。 さて、この右足の攻めは入りと我慢の強さに、時には永松先生がこの面に打たれることがあるのだ。 その時は先生は「参った!」と言い、右拳で軽く頭を叩かれる。 (ウッカリやってしまった時のジェスチャーだ) 彼は、ここで面が入らないとき、さらにもう一本、縁を斬らずに打ち込むのだ。 これが良く入るのだ。 西村も自分の残心の無さを、彼に打たれて教えてもらったものだ。 『いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。』 西村がそう思ったのは間違いで、名人の技を盗めば人は突如として化けるのだ。 彼は右足攻め、左足腰の押し出し、一瞬まで我慢する、この妙技を会得したのだ。 こんなに上手く話しはざらには無い。 彼は少人数で直接指導を受け、さらに見事な手本を見てこの妙技を手に入れ七段に受かった。 剣道はただ稽古をすれば良いと云うものではないと思った。
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