剣道はそれをしている自分が見えない。 鏡の前では皆立派・・・西村も含む。 しかし、相手によって変わってしまう! ここが、残念な所だ。 自分の欠点は気がつかない。 頭では自分は立派な稽古をしているつもり。 しかし、現実は?
教える立場で指導をしていると、言っている手前、内側から修正される。 先生が指導をしてくれると、そとから修正を受ける。 研究をしていると、それなりの物に気がつく。
今日、道場での互角稽古を見ていると、足幅広く、腰を残し、竹刀の先でつつき合い。 自分の身は相手の射程外に置いて、竹刀の先でつついている。 良いものを見て、参考にしていないからだろうか? 竹刀でフェンシングをしている。 体育館稽古の放任稽古はどこでもそうなのだ。 その道場の道場主がいないとそうなる。 先生と稽古をしていなくても、先生の目が光っている意識で稽古をすれば、下手な事はしない。
習い事は良い師につく事。 教わった事を下位の人に伝える事。 先生の引き上げてもらい、弟子に後押ししてもらう。 大切な原理なのだ。
皆が好き勝手に剣道をしている。 自由な雰囲気は楽しいものだ。 誰からも文句も注文もつけられない。 剣道のゲームを楽しむにはうってつけだ。 西村には体をほぐす最高の場所だ。 しかし、自由の中で自分を律するのは難しい。
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