雨宮先生はもう少しで七段でした。 六段の壁、七段の壁。 六段は強くで通してきて、稽古量を積めば受かります。 基本的には運動的な要素の積み上げが効果を奏します。 七段の壁は剣道を良く知る事です! ここまでは、何時も西村が書いてきました。 もう一つ大きな壁があります。 行き方の何を選択するか?です。
誰もが漠然と思っていませんか? 六段の先生と七段の先生は剣道ではないところでどこかが違う! 七段昇段に苦労をされている先生の多くは、剣道の稽古も熱心で人柄が良く誰からも好かれ、話をしても楽しいタイプの人に多いです。 七段の先生を眺めると、どちらかと云うと友達にはなりたくないタイプの人が多いです。 人柄の良い先生の沢山おられますが、余り話し込むと角が立ってしまうことがあります。 西村も引かないが、相手も引かない・・・少し角が立つときがあります。 西村もイヤな性格の七段のタイプかもしれません。
西村の生き方の中にお酌をするという生き方はありません。 西村にとって頭が上がらない存在は、高校大学と援助をしてくれた義兄だけです。 何時死んでも悔いはないという生き方をしてきた気持ちがあります。 過去に三度死を決意いたことがあるからです。 歯科医として、本気に治療を望む人しか治療はしません。 ・・・・これは西村の性格の尖った一部です。 ・・・・もちろん、丸い、円い所も豊かな愛の部分も沢山あります。 若手教師八段と竹刀競技では遅れを取っても、竹刀を刀の意識で戦うと遅れは取りません。・・・死生観の違いが出てくるからです。
これは西村を例にとって書いてみたのですが・・・・・ 総じて、七段の先生には『何かしら意地の強さ。』があります。 さらに上を行く七段には『何かした抜け切った。』た所があります。 六段から七段への壁は『化ける!』心の大きな変化が必要な様です。 西村にとって、剣道の技術的な事は昇段には余り苦労はしませんでした。 問題は人生の苦悩をチャンスとして得た、開き直り、何かしらの悟り、心の成長・・・・・・が昇段に直接結びついています。 この壁を越えるには精神的に七転八倒してきました。 『あなは変われる・・・参照』 八段の先生は、八段になるしか心が癒されない程の重荷があったのかもしれません。 その意味で人生を八段にぶつけたのでしょう。 七段の昇段には、人生そのものが七段にふさわしい生き様になってきたとき、七段に慣れるような気がします。 もちろん、七段に昇段するが、人生の一部を捨てるという代償を支払っている人も見かけます。
雨宮さんは最期まで、素直な優しい誰からも愛される人柄を変えることはなかった。 男の意地を求めず、純粋に剣道を学んだ! これが本物の剣道を学ぶ姿だと、彼の死をもって改めて教えられたような気がする。
雨宮先生、原田源次先生、西村の関係から先生の人柄を偲んで、抜粋を致しました。 更には、先生のホームページをお尋ね下さい。 ホームページが残っている間にぜひとも・・・
毎週火曜日は書道教室に通っている。 今までは富岡市の武道場で稽古をしていたが、文武両道。 稽古を一回休んでも書道をとるようにして2年たつ。 上達しているのかわからない。ボクから年賀状や手紙、ファックスをもらっている人から 字が変わったという話は聞いていない。進歩していないかもしれない。 それでも先生は、「アメミヤさん、とてもうまくなりましたよ」とほめてくれる。 先輩方も決して悪いところを指摘しない。だから長続きするのか。
剣道は、足が悪い、打ちが弱い、相手の打ちに反応しない。先を取られている。 たくさん悪いところを指摘される。聞かないのに言ってくる。 ボクは書道の先生のようにいいところをほめるような人になろう。
攻めとは何か?相手を動かす、相手の動きは何をみて察知するか? こういったことを、西村先生の書き込みから勉強させていただいています。
西村先生にそういわれるとうれしいです。 1、体力維持のために軽い運動として剣道をする。 2、仲間と打ったり打たれたり、ゲーム感覚で剣道をする。 3、道として、古人が求めたものを求める稽古する。
丸太一本橋の教え、 へそを相手の胴にぶつける、 そして、鼻は腹よりださない、 竹刀操作の妙など 一回の稽古は数分の間でしたが、先生のエッセンスを教えていただきました。
雨宮さん ヘソより前に鼻を前に出さないときは、竹刀が面に斬り込んできた。 今度はこれに、竹刀の交差の位置は変えないで、体の出分だけ手元をぐっと引き力をため込んで先を取って面を打ってみよう。 十分勝てる相手を選んでやって欲しい。 相手は何も出来ない内に、あなたに面を打たれるでしょう。 『間を盗み手元を腹に引き寄せ溜めを作る。』を頭に置きましょう。
雨宮さんの剣道は形・動きは教科書や見本ぐらい良いです。 後は肚、打って見ろ!の気分だけです。
西村は範士八段と稽古をしても、気位で負けなければ相手はただの年より。 そう思って攻め合います。 自分の位を落して、打って出ると手玉に取られます。
七段の審査の合格者には良い悪いは別にして、男の意地を感じさせるものがあります。 教わると思う気持も大切ですが、 「西村先生!今日はいつもの様には行きませんよ。 一本頂きます。」 の様な意地を見せれば、攻めも打ちも迫力が出ます。 雨ちゃんはそこが少し変われば、七段何て軽く受かると思いますよ。 要は『男の意地』を少し出すだけです。
雨宮さんと稽古 面を打つときの前進に竹刀と肩が前に出ながら打ってきたのが気になった。 胸も竹刀も最後の最後に動かす様に注意をした。 その後の数本は良かった。 後の打ちが出きれば七段だ。
原田源次先生に同じことをいわれました。 「攻めて打ってきていない。 手が先に動いていしまう。足を使うように。」
先生がないことに、西村に言った。 「雨宮な!攻める所を決めて攻めは入る様に伝えてくれ。」 そう言えば彼の足からの攻めは良いのだが、焦点がぼけているから、相手がハッとしないのだ。 車中で原田源次先生の談 雨宮が良くなってきた。 突然、先生が言った。 「雨宮の稽古が良かったなあ! 俺の近くで国士舘の人と稽古をしていた。 なかなかよくやっていた。」
帰りの車の中で、中島先生が西村先生にマッサージをしてもらったと話していた。 西村先生が「雨宮さんの剣道は素直すぎる。七段をとるのだったらもう少し駆け引きを」 誰かがみていてくれるんだな。東京の稽古会は。
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