指導者の資質は何か?
道場で稽古をされている方々を見ると、本当に無駄な努力をされている方が多い。 指導者も剣道の基本動作の成り立ちを、指導の方法、研究、工夫が全く無い場合が多い。
本格的な剣道を身に備え、立派な剣風で、指導力にすぐれた先生に指導を受けた方は、その先生の人柄と剣道を無意識にすり込まれていく。 将来、剣道を続ける続けないにかかわらず、剣道理念を身に付けた人生を歩む。 これが剣道なんだと思う。 西村も京都で原田源次先生とお会いして、毎年1回でも京都で先生と竹刀を交えたいと思った。 そして、10年ぶりに剣道を再開した。 「先生と稽古をしたなあ!」と40歳で思ったのだ。 西村もリバイバル剣士です。 剣道は人生の道を正しく誘導してくれ、健康にも、趣味としても楽しませて頂いている。 そして、20年以上剣道をしている。
指導者の責任は重い! 息子は中学時代は剣道部に入った。 息子から部活の話を聞いてはいた。 一年生は早朝に登校し先輩の防具や剣道具の乾燥をする。 試合は一年生が選手の防具を担いでいく。 ある意味、厳しい様だが、西村的には何か違和感があった。 授業の正課に剣道がある珍しい学校だ。 授業の剣道の先生は外部からその指導に来るプロの様だ。 7段になった年齢から推察するとそう思う。 この先生が部活の面倒を見ておれば、息子はずーっと剣道をしていたと思う。 残念ながら、部活の先生は学校の先生だった。 一度試合を見に行った。 先生の審判ぶりも見せてもらった。 生徒の試合ぶりを見た時、ガッカリした。 剣道の基本を教わっていないのだ、いや先生が教えられないのだ。 先生の審判ぶりも冴えなかった。 息子が剣道部を辞めると言った時、さもありなんと思った。 息子は剣道ではなく、先生に幻滅をしたのだ。 息子はその後、極真空手をやり、イギリス留学中は空手とラクビーをやってきた。 私影響か、武道に興味があるようだ。
私の経験では「あなたは教えない方が相手の為になる!」と言いたい人が、好んで教えている場面を良く見受けられる。 『下手の横好き。』は、本人個人に止めて欲しいと叫びたくなる。 本当に悲劇的な場面だ。 そうかといって、強いだけの先生は弟子を殺してしまう。 剣道の指導が好意に甘えて行われているからだろう。
松風館道場は違う。 岩立先生が剣道道場の経営者とし、指導者としての両立をされている。 稽古の仕方、その後稽古をした全員に一言ずつ噛んで含めるように話されている。 多くの人が関東近県から集まるわけだ。 最高の剣道家が細心の気配りで指導をしている。 初心者から八段合格者にまでその指導は及ぶ。
西村が多摩ニュータウンに一年間いたときのことだ。 身体のを動かしたくて稽古に参加させて頂いた。 体育館はピーンとした緊張感にみなぎり、お子様の動きは素晴らしかった。 先生の腕前はやっとこ五〜六段と言うとこだろうか。 その為、先生との稽古は遠慮をした。 強い弱いは多分に先天的なものがあるのでいかしかたがない。 しかし、指導力はその先生の人柄そのものだ。 その指導力は、そこのお弟子さんに遺憾なく発揮されていた。 それも60〜80人以上の生徒全員に生かされていた。 ザーと見渡すと、目に飛び込んでくる人が10人いた。 先生が、この子達に稽古をつけてください下さいと10人選ばれた。 西村が先ほど眼に適った10そのものだった。 見事な基本打ち、懸かり稽古、どこを取っても申し分ない懸かり方だった。 ここのお弟子さんは幸せな人達だ。
原田先生の言葉。 中学時代の剣道の先生は強い先生ではなかった。 しかし、打たせ方は上手かった。 弟子に打たせ打たせて指導していったのだ。 指導者として素晴らしかった。
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