岡田さんへ
岡田さんから椎名先生の話を聞き、いつかは稽古をお願いしょうかと思っていました。 しかし、見事な剣道を拝見していくうちに稽古は遠のきました。 イメージ、心の中で何としても攻略の道が発見できませんでしたからです。 見ているだけで楽しいのでそれで良いか・・・と思っていました。 数年前に「佐藤博信先生に椎名先生の攻略方法は何でしょう?。」と聞いた事があります。 「うん!突きからせめるかな。」と言われました。 今回、後から思い出したのですが、潜在意識に残っていたようです。 自分中では同じ八段になってから稽古をした方が気がラクかなと思ってました。 五分の稽古をしたいが、段の意識で懸かる意識での稽古をしたくなかったからです。 八段への意識も消え、昨年からの心の葛藤を乗り越え、精神が一回り成長しました。 五月の稽古も今までの稽古ぶりとは違い、積極的に体を進めて先を取る稽古になったのも心の変化です。 『捨てて入って、相手に問う。』・・・すなおに出来るようになりました。 岡田先生、岩崎先生に面を打ってもらい、胴に斬る。 これが五月の稽古でした。 そこから、少し経ってあることをきっかけに、今の問題の対処に「完全に捨てきる!」心になりました。 その心の変化が6月の両範士との稽古でした。 高名な両範士に心を存分に働かせて思う存分な稽古が出来ました。 帰りの車の中で、椎名先生と稽古が出来るような気分になったかなあ!と、一瞬思いました。 今回、お誘いがあり、思いがけず、椎名先生と稽古が出来、その様子を書きました。 岡田先生、岩崎先生との稽古と全く同じの状況で、面を返しそこねました。 そこには、青木君が書いた文章が的確に物語っています。 『椎名先生は、予備動作を終了し、心を調え、相手が自分の間(テリトリー)に入ってきたらば、迷わずズバッと捨てて打ち切る。』 これが出来ていたのです。 京都の場合は両先生は、打つしかなくて面を打たれました。 西村は引き出したつもり、椎名先生はそうではなく、テリトリーに入ってきた賊を銃で撃った心境かもしれません。 ここのところは大切な勉強をさせて貰いました。
稽古では先生の先の攻めには心は静かでした。 先生の動きがスローモーションの様に見えました。 ここでは突きではなく、返せば、叉は抜けば最高の出来だったのにと悔やんでいます。 未だそこまで余裕が無いのかとも反省をしています。 その余裕があれば西村の方が上・・・ここが剣道の分かれ目かと思います。 自分から仕掛け、頭の位置が少し出過ぎた事、原田源次先生の様にもう少し遠間から静かに打たれに入れば良かったのかなあとも反省をしています。 あの間合いは、西村の絶対的に自信のある、体を左に捌く胴が適切だったと思いますが、心の奥に右に捌く予定(邪念)があった事が、身体の反射・神妙剣・無想剣を引き出せなかった原因です。 充分に息を吐ききり、意識が遠のくまで(ふらっとするまで)息を吐き、さらにそこから息を吐き自分の我が消失し、宇宙と一体化しておれば体が勝手に捌いたと思われます。 原田源次先生に思わず面が入った時はこのような時でした。 いつも思い上がった文章を書く西村が、長々と反省の文章を書くのは、それだけ濃密な稽古であったと思います。
岩立先生・・・西村君は難しい・・・ある人に語りました。 椎名先生・・・あなたは難しい・・・当人が言いました。 竹刀では無く、がっぷり四つに組む『心』を崩すのが難しいのだと感じたと思います。 お二人が同じ言葉を言われたのが印象的です。
岡田さんの一言が無かったら、今回の稽古も実現しなかった! ここまで来るには数年の年月と西村の心の成長が必要でした。 改めて感謝をいたします。
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