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- 全剣連合同稽古6/12 - 西村雅興 [2007年6月13日(水)]
Re:全剣連合同稽古6/12 - 青木大輔 [2007年6月14日(木)]
Re[2]:全剣連合同稽古6/12 - 西村雅興 [2007年6月14日(木)]
岡田さんへ感謝を。 - 西村雅興 [2007年6月14日(木)]
Re:岡田さんへ感謝を。 - 岡田 [2007年6月15日(金)]
深い意識レベルでは、波動で繋がっている! - 西村雅興 [2007年6月15日(金)]



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全剣連合同稽古6/12
西村雅興
2007年6月13日(水)
全剣連合同稽古6/12

竹刀を持たなくなって何日経っただろう。
約一ヶ月間が経つだろうか。
しかし、心ではいつも剣道をしている。
あの!賀来先生の猫のような動きの面打ち・・・師匠に出してみたい。
夢にまで出てくる・・・寝てても剣道をしているのだ。

今日はその日、5時には仕事を終わるようにアポイントをした。
5時に、入れ歯が割れたと箱根から患者様の来院。
大掛かりな修理なので一時間かかってしまった。
急いで武道館へ着く。
原田源次先生は来られていた・・・・それだけで、満足だ!
着替えをするがとても何合わない!
着替えた頃は先生は稽古を止め、椅子に座られていた。
その横で話をうかがった。

岩崎先生へ、御安心を。
【原田先生は自発的に25分ぐらいで切り上げられました。】

「Iさんは良い!今度八段に受かるだろう!」との話だった。
何故かというと・・・・・・。ここが結局大切なんだと思った。

椎名先生がH先生と稽古をしていた。
このH先生は昔し、西村に下から懸かって来ていた、少し癖のある剣道をする人だ。
たいして強くはないが八段に成ったと聞いて驚いた人なのだ。
さて、二人の稽古ぶりは一方的だった。
H先生は全く歯が立たない。
椎名先生の見事な諸手突きが数本立て続けに決まっていた。

西村は先月の範士の稽古をきっかけに、そろそろ椎名先生と稽古をして良い頃かと感じていた。
今日はバタバタとして着替えたので、その気にならず先生の勇姿を見ていた。

西村は防具は着けたので、さてどうでしょうかと思った。
さして、稽古をしたい先生はいないし、やりましょうと声もかけられないし。
若手の八段と遊んで見ようかと思ったが、二人に逃げられた。
イメージの中ではすでに勝負はついていたので惜しかった!
正確には彼らは範士と稽古をしたかったのだが。

丁度、暇を持て余していたとき、椎名先生が近づいてやろうと合図をかけてくれた。
これは幸いな事だ、椎名先生の存在を岡田先生から聞いて、何年も見てきている。
西村にはイメージで攻め口が見つからず数年経ってしまった。

お互いに蹲踞をし立ち上がった。
なるほど、普通の先生と物腰が違う。
竹刀の柄の奥の丹田辺りに気が充実し、それ以外はゆったりとしている。
西村も左手の拳が収まり、非常に良い気分だ。
先生が攻め入る気を見せるが、西村が動かないのでそれで納める。
スッと間を詰め突きに攻め入ろうとすると。
先生が一気に面に来るが西村の突きが抑える。
体の先を取っている満足感はある。
スッと入り先生の面を誘う。
先生の面が飛ぶ・・・返し胴が一瞬遅れ面をいただく。
誘いながら呼び込むまでは成功、チョット間合いが近かった。
得意の左に捌く胴なら充分だったが、あれほど速いとは思わなかった。
面は打たれたが引き出した満足感はある。
先生が思いきり体を出し、西村の浮いた左小手を打った。
これは完敗。
先生はH先生に出したと同じ諸手突きを出してきた。
その先は西村の咽をとらえている。
しかし、西村の下からの突きがしっかり先生の咽をとらえていた。
スッと面を指し出すと面にきた、手元が浮いたのいで小手を切る。
次はお互いの相打ちの面でいずれも不十分。
太鼓が鳴り稽古を終えた。

西村が長年稽古を避けていた、非常に尊敬する椎名八段なのだ。
長年、イメージで稽古が仕上がらなかった。
先生と稽古をしてもよいかなと思ったのが、先月の範士との稽古の後だった。
西村の中に何かがふっ切れ、体中の灰汁が消え去り、身も心も空洞の様な雰囲気になっていたからだ。

先ず、椎名先生はさすがだ。
西村が稽古を長年遠慮をするほどの大きな存在だった。
今回、西村の心の成長が先生との稽古が出来た要因だろう。
お互いが心を良く読み、その上で攻め合い竹刀を動かしたと思う。
先生の攻めに一切西村が動じなかったのは・・・自分で褒めたい。
先生が思いっきり体を出し、少し浮いた右足小手を担いで打った。
これは完敗・・・・先生の余裕勝ち。
終始、西村が体の先をかけ、面を見せ、先生の心を動かせた事にが大きな満足だった。
これは昨年の7月から4月にかけての大きな心の葛藤を乗り越え、自分そのものに執着が無くなってきたからだと思う。
稽古を終わって、さすがに椎名先生の一日の長を認めざるを得ない稽古だった。

椅子に座った原田先生のとの今日の話。
西村
「先生!柳生流の『捧身』、剣道は捨てる勇気と捨て所を磨く修練ですね!」
原田源次先生
「そうだよ!打たれても良い覚悟が出来るかだよ。」
今日は、椎名先生とそれが実践出来たのが嬉しい。

原田源次先生
「金山君の前で終わってしまった気のどくな事をした。
身体がこれで終わろうと合図したからだ。」

その後金山君の稽古を見て原田源次先生が言った。
「金山は最近凄く良くなった、我慢も出来るようになった。
前回は攻めの鼻を私に打たれたが・・・
非常に進歩している!」



稽古の後の挨拶
西村
「せっかく先生に面を打ってもらったのに、間合いが少し近過ぎました、反省します。」
椎名先生
「あなたは難しい!
思いかけずに稽古も良いと思って声をかけた。」

今日は思わぬ椎名先生の御引き立てで、時間は短かったが数ヶ月間の稽古の勝る。
一ヶ月間竹刀を持たなくても意識の中で高いレベルの剣道の稽古をしている。


田伐さん・・・・DVDの後半の映像が上手く映らなくなりました。 
        賀来先生のが見れません・・・厚かましいですが御配慮お願いいたします。
送る車中で
原田源次先生に賀来先生と井上先生の立ち会いを話した。
ある意味見事な一語で井上先生の弱点を突いた。
賀来はそこを見事に逆手にとったのだ。
動きではなく、心の奥が見えれば勝負は終わりなのだと判った。


青木君、椎名先生との稽古を見た感想をお願いします。
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Re:全剣連合同稽古6/12
青木大輔
2007年6月14日(木)

西村先生

こんばんは。
昨日はありがとうございました。

椎名先生とのお稽古は、思いがけない
出来事で、観覧席から息を止めて拝見しておりました。

先生方のお稽古を若輩の私が感想を述べることじたい
大変おこがましいことですが、先生のご指名ですので
以下に述べさせていただきます。

椎名先生と西村先生の稽古のポイントは3つです。
@気分(気位)
A間合い
B懸待

 先ず@について、蹲踞から立ち上がって両者
椎名先生は心中に「ウキウキ」するような西村先生との
初の立会いを楽しむような気持ちの高揚が感じられました。
一方、西村先生は構えの迫力十分で、特に剣先がビシッと突きを攻めていました。ただ、椎名先生の「ウキウキ」に対し、西村先生の場合は、やや緊張というか、正直な真剣さを感じました。
 しかし、剣を何回か交えた後の椎名先生の心の変化が大変興味深かったです。かっちり五分の気位で、竹刀と竹刀が交差しているのに、二人の心は、相撲の四つにがっぷりでした。ここが見ている側には、全く手に汗握る、剣道のホントのところでした。

 Aについて、打ち合って、分かれて両者構えあった時、触刃の間の時、ここは絶対的に西村先生有利でした。しかし、なぜかいきなり交刃の間から始まった時、ここは椎名先生の間でした。面白いことに両者の良いところが出た時は、いずれもこの間から始まったところでした。特筆すべきは、先生も日記に書いてある椎名先生の飛び込み面が当たった時です、ここはもう「妙」でした。今立ち合いの一つのハイライトと言ってよいでしょう、ここなど正にこのスタートの間の状態でした。あとほんの数ミリ、間があれば、西村先生の捨てて入っての返し胴は決まっていました。

 B自分から攻め入って、頭を差し出し、相手の打ちを引き出す西村先生に対し、椎名先生は、予備動作を終了し、心を調え、相手が自分の間(テリトリー)に入ってきたらば、迷わずズバッと捨てて打ち切る、この両者が立ち合う世界は、まさに「懸待」の世界そのものだったように感じました。

 あくまで『剣道』をする両先生の立ち合いは、正に、打つべきところは全部打ち、打たれるべきところは、全部打たれた。実に気持ちの良い稽古でした。

 あのような立ち合いをされている、椎名先生を初めて見ました。また是非勉強させて下さい。

 本当にありがとうございました。乱筆乱文、失礼な表現・物言いご容赦下さい。失礼いたしました。
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Re[2]:全剣連合同稽古6/12
西村雅興
2007年6月14日(木)
青木君の感想は実に当を得てます。
あなたの剣道を見る眼は素晴らしいものがあります。
西村にも非常に参考になりました。
『椎名先生は、予備動作を終了し、心を調え、相手が自分の間(テリトリー)に入ってきたらば、迷わずズバッと捨てて打ち切る、』
これは見習うべき事だと思いました。
これが八段に受かる面打ちの秘訣かもしれません。
西村の場合はこれを越えて、心の妙の世界に興味があるので、八段受験向きで無いかもしれません。
久し振りに心と心ががっぷり組んだ稽古が出来て幸せな日でした。
やはり尊敬すべき剣道家・椎名先生でした。
彼が会社の社長であることも立派です。
警察官・教員・公務員等の仕事では無い所にさらに尊敬するのです。

青木君も時に一緒に稽古をいたしましょう。
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岡田さんへ感謝を。
西村雅興
2007年6月14日(木)
岡田さんへ

岡田さんから椎名先生の話を聞き、いつかは稽古をお願いしょうかと思っていました。
しかし、見事な剣道を拝見していくうちに稽古は遠のきました。
イメージ、心の中で何としても攻略の道が発見できませんでしたからです。
見ているだけで楽しいのでそれで良いか・・・と思っていました。
数年前に「佐藤博信先生に椎名先生の攻略方法は何でしょう?。」と聞いた事があります。
「うん!突きからせめるかな。」と言われました。
今回、後から思い出したのですが、潜在意識に残っていたようです。
自分中では同じ八段になってから稽古をした方が気がラクかなと思ってました。
五分の稽古をしたいが、段の意識で懸かる意識での稽古をしたくなかったからです。
八段への意識も消え、昨年からの心の葛藤を乗り越え、精神が一回り成長しました。
五月の稽古も今までの稽古ぶりとは違い、積極的に体を進めて先を取る稽古になったのも心の変化です。
『捨てて入って、相手に問う。』・・・すなおに出来るようになりました。
岡田先生、岩崎先生に面を打ってもらい、胴に斬る。
これが五月の稽古でした。
そこから、少し経ってあることをきっかけに、今の問題の対処に「完全に捨てきる!」心になりました。
その心の変化が6月の両範士との稽古でした。
高名な両範士に心を存分に働かせて思う存分な稽古が出来ました。
帰りの車の中で、椎名先生と稽古が出来るような気分になったかなあ!と、一瞬思いました。
今回、お誘いがあり、思いがけず、椎名先生と稽古が出来、その様子を書きました。
岡田先生、岩崎先生との稽古と全く同じの状況で、面を返しそこねました。
そこには、青木君が書いた文章が的確に物語っています。
『椎名先生は、予備動作を終了し、心を調え、相手が自分の間(テリトリー)に入ってきたらば、迷わずズバッと捨てて打ち切る。』
これが出来ていたのです。
京都の場合は両先生は、打つしかなくて面を打たれました。
西村は引き出したつもり、椎名先生はそうではなく、テリトリーに入ってきた賊を銃で撃った心境かもしれません。
ここのところは大切な勉強をさせて貰いました。

稽古では先生の先の攻めには心は静かでした。
先生の動きがスローモーションの様に見えました。
ここでは突きではなく、返せば、叉は抜けば最高の出来だったのにと悔やんでいます。
未だそこまで余裕が無いのかとも反省をしています。
その余裕があれば西村の方が上・・・ここが剣道の分かれ目かと思います。
自分から仕掛け、頭の位置が少し出過ぎた事、原田源次先生の様にもう少し遠間から静かに打たれに入れば良かったのかなあとも反省をしています。
あの間合いは、西村の絶対的に自信のある、体を左に捌く胴が適切だったと思いますが、心の奥に右に捌く予定(邪念)があった事が、身体の反射・神妙剣・無想剣を引き出せなかった原因です。
充分に息を吐ききり、意識が遠のくまで(ふらっとするまで)息を吐き、さらにそこから息を吐き自分の我が消失し、宇宙と一体化しておれば体が勝手に捌いたと思われます。
原田源次先生に思わず面が入った時はこのような時でした。
いつも思い上がった文章を書く西村が、長々と反省の文章を書くのは、それだけ濃密な稽古であったと思います。

岩立先生・・・西村君は難しい・・・ある人に語りました。
椎名先生・・・あなたは難しい・・・当人が言いました。
竹刀では無く、がっぷり四つに組む『心』を崩すのが難しいのだと感じたと思います。
お二人が同じ言葉を言われたのが印象的です。

岡田さんの一言が無かったら、今回の稽古も実現しなかった!
ここまで来るには数年の年月と西村の心の成長が必要でした。
改めて感謝をいたします。
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Re:岡田さんへ感謝を。
岡田 [Mail]
2007年6月15日(金)
 先生、椎名先生との稽古の様子を前の書き込みで拝見し、うーんと唸っていたところです。やっと機会が、それも先方からお声がかかり実現したのですね。西村先生があそこまで椎名先生との稽古を意識されていたことには驚き、感銘しました。
あの先生はやはり只者じゃないですね。誠に強い剣道家です。それも会社経営者ですからね。心底頭が下がります。
これからも充分意識しなくてはと思いました。

 しかし相手から見て、打つ、打たれたの剣道の強さだけではなくとにかく、先生の心のレベルは別世界なのですよ。その世界で相手が同じように付き合えるかどうかといところだと思います。
「西村先生は難しい」という岩立先生も同じ、その言葉はまさに言い得て妙のようですが、同時にわけも無くその「強さ」とうものを感じていると思います。あれ程の先生でも心がまったく崩し切れんのでしょう、というかそこに割り込んで攻め入って行けないのだと思います。技術的に遣りつらい、遣りにくいとかいうそういうことではなくて・・・。
生意気ですが僕も同じ気持ちです。
「西村君は難しい」と一度は僕も言ってみたいような・・・、そんな気もしますが・・・。

僕もこの京都の朝稽古でお願いしましたが、何と言うか、あの雑踏の中では元立八段、特に椎名先生のような方にはやはり敵いませんね。取り付く島が無いという感じでした。お願いすべきでなかったかなと後で反省した始末です。次回は必ず目に物を見せるつもりでいきます。
それでは失礼します。



う。
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深い意識レベルでは、波動で繋がっている!
西村雅興
2007年6月15日(金)
ずーと昔の話ですが。
西村が国税不服審判所と闘って、3年間剣道をせず7段も受けずにいました。
ある先生がその間に8段になりました。
稽古をすると以前のようには行かないのです。
感性は西村の方が高いので面を打たせ小手を取ったり、胴を取るのは訳ない事でした。
試合は弱い・・・と定評の先生で、警視庁でも選手にはなっていません。
一度稽古をしましたが、その時は遅れを取りました。
時々、その先生の稽古場所に行きました。
その先生の稽古を見て、それから5分ぐらい瞑想をします。
2年くらいは、瞑想のイメージの中で、前回と同じ稽古になってしまいます。
だから実際には竹刀を合わせませんでした。
2年半ぐらい経った頃、全く違うイメージになりました。
『行ける!』と云う稽古のイメージが出ました。
そして、その次の機会には相手を見事に打つことは出来ませんでしたが、五分以上の稽古が出来ました。
自分の奥深い叡知は結果をすでに知っているようです。
今回も、両範士との稽古の後、椎名先生と稽古が出来る心の準備が出来たと感じたのです。
その一ヶ月後の全剣連合同稽古でそれが実現しました。
これは偶然ではありません。
西村の心が椎名先生に波動で届いたのでしょう。

話は変わりますが。
西村は昨年の東欧ヨーロッパの旅の途中、これからは診たい人だけ診よう、診たくない人は診ない・・・と決心をしました。
西村を真に必要とする人の為に長生きする。
この決心をした時、『あいつは2回嘘をついて予約をすっぽかした。あのような根性の人は例え超有名人であろうと診ない。』
とその人の名前と顔が映像で出てきました。
面白いことがおきました!
翌日の夕食時、ウイーンのグランドホテルの和食レストランで斜め後ろに座っていました。
西村は素知らぬ振りでその場をやり過ごしました。
人柄の良くない人は助けないし、助からない!
その時、ふーっと頭に浮かびました。
竹中直人は大晦日の夜、軽井沢のプリンスホテルのレストランで彼から挨拶にきた。
彼は将来腰を治してやろうと思いました。
(妻はあんまり有名人は相手にしない方が良いと言いましたが。)
その人は世界的に有名な作曲化ですが、今は耳鳴りが大変だと聞きます。
助けれる人(西村)は素知らぬ振りして知らん顔です。
おそらく頼まれても治療はしないでしょう。

『噂をすれば影とやら』『誰かが噂しているときクシャミをする。』
テレパシー的な波動を通じて、共時性がおきます。
西村には頻繁におきます。

岩立先生と稽古をすると心に決め、稽古をしたのは5年後でした。
内なる声が「そろそろ稽古をお願いしたら!」とささやくのです。
ある八段の時もそうでした。
椎名先生との稽古も内なる声がささやいた矢先の事でした。

このように時間と空間を超越した次元もあります。
人と人が竹刀をもって真っ正面に対峙すれば『深いレベルではお互いに繋がっている。打とうと思えば、それはすでに相手は知っている。』
『「葛藤が消える意識状態があるはずだ。敵が消え、自分の一部である友人だけが残る意識状態が存在する。このビジョンを持てれば、葛藤は消える。敗者はいない。勝者だけが残る」・・・ダニエルの言葉です。
このような状態に心がなった時に、西村の内なる声がささやきます。
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