剣道日本11月号 佐藤博信先生談から
西村がいつも書いている事が、博信先生の文章に出ています。 ページ61全体、特に下段の中半分の後半。 右足を出しながら体を入れていくということは、覚悟を決めて〜〜 佐藤先生が解りやすく、懇切丁寧に話されています。 やはり指導者としても超一流だと感心する所です。 教育関係の先生は説明が上手い、警察関係の先生はそこが今一の所が有りました。 佐藤先生はその人柄と剣道を愛する心が、このような分かり安い説明になるのだと、改めて惚れ直しました。
結局は打つ前に死ぬ、己を捨てる事です。 相手の打ちを迎えに行く形・・・その後、無意識の反射に任せる事です。 ページ124 一川一先生のお父さんの一川格納の文章。 無為の技、いわゆる作為の無い自然に出た技・・・剣の妙 神妙剣・無想剣の世界です。
剣道時代の今月号には原田源次先生が投稿されていると思います。
今月号には珍しく『胴打ち』の記事が特集になっています。 さて、この五月の岡田先生・岩崎先生との朝稽古。 西村がもう少し体重が軽く稽古量多ければ別の展開があったと思いますが・・・・ あの時点では、『捧身』によって活路を開くしか有りませんでした。 面を捧げて出て行く・・・後は神妙剣(本能の自己防衛の反射)に任せる。 あの二本の面返し胴はまさにこれです。 西村の大きな身体が相手の竹刀が面に触る寸前に返し胴に斬り体がすり抜ける。 それも、若手で八段一次合格者の面を胴に斬るのです。
岡田さん!この胴が出来れば、相手の懐を抉る深い間合いの攻めが効くと思います。 相手の躊躇は面となり、手元が上がれば小手となり、思いがけず早い一瞬の面に対しては胴に斬る。 これは三橋秀三先生流の攻めです。 今月号剣道時代に原田源次先生が書かれていると思います。
剣道は身を捨てて出る・・・この決断を『有意識と無意識が握手をしてする』この修練です。 特に胴においてはその入り身の前進距離が長い。 よほどの覚悟が無いと出来ません。 相手をしのいで打った胴は0,5段下。 相手を引き出して打った胴は1段上。
ページ38松本政司先生 しっかりと体を沈める。 身体を沈めて斜めに抜けば、相手との距離が近くても胴を抜くことが出来ます。 これが重心の滑落、重力を使った武術的身体動作です。 『瞬間で身体の方向を一気に変える。』
ここでは書かれていませんが、西村的説明を致します。 相手が面を打てると思った瞬間、そして動作を起す瞬間まで真っ正面に対峙します。 思った瞬間は無意識の予備動作が起きます、これを悟って対応の動きをすると相手は打ちを辞めます。 (ヤバイ!と潜在意識が反応するからです。 潜在意識が思った瞬間からその予備動作が起きます、次に有意識が打つ決断をして打つ動作を起します。ここにタイムラグが有ります。 この有意識が決断するまで頭の位置は相手の目標物としてしっかり認識させます。 相手の無意識を察知したとき、右足膝だけをスッと右に流します。 この瞬間から体は静かに右斜め方向へ重心の滑落を始めます。 相手の予備動作に呼応して、こちらの予備動作を起しておく必要が有ります。 相手は目標物へ向かって突進してきます。 しかし、こちらの体は斜め前下方へ自然に滑落し腰から滑り入ります。 相手は無い所に向かって打ち込んでいるのです。 虚としての体、頭は有りますが、実際の体は左斜め下に静かに落ちかけていて、実態はそこに無いのです。 ここで大切なのが武術的身体動作です。 しかし、もっと大切なことは『相手が引き返せない所まで目標物を見せておく胆力です。』 少しでも「打たれたくない」思いが有れば、無意識が相手の無意識に呼応して面の位置を中心からはずしにかかります。 相手の無意識はこれを察知、打つのをためらいます。 『打つ前に死ぬ・打たれたくないなどと思ってもいない』 この覚悟が十分あれば、その瞬間に体は勝手に反応します。 手元の操作の原理は『パンタグラフをたたむ原理』です。・・・後述。
懐を抉って(えぐって)行く攻め。 極限の間合い、決死の間合いに体を進める。 これには覚悟が必要です・・・打つ前に死ぬ。
手は勝手に動くはなあ!(神妙剣)、足はそうはいかない(打つ前に死ぬ覚悟)。
賀来先生 「西村、俺はなあ!先生に居ない所を打たされていたんだよ!』 見せられて、引き出され、有ったはずの所を打ちに行っていた。 竹刀が動き始めた瞬間、見せられたものはそこには無い。 見た物を打ちに行ったのであって、見たその瞬間から、そのものはそのままでは無かったのだ。 そこに気がつかなかったのだ。
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