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- 佐藤博信先生の話から - 西村雅興 [2007年9月23日(日)]
前胴について - 西村雅興 [2007年9月24日(月)]



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佐藤博信先生の話から
西村雅興
2007年9月23日(日)
剣道日本11月号 佐藤博信先生談から

西村がいつも書いている事が、博信先生の文章に出ています。
ページ61全体、特に下段の中半分の後半。
右足を出しながら体を入れていくということは、覚悟を決めて〜〜
佐藤先生が解りやすく、懇切丁寧に話されています。
やはり指導者としても超一流だと感心する所です。
教育関係の先生は説明が上手い、警察関係の先生はそこが今一の所が有りました。
佐藤先生はその人柄と剣道を愛する心が、このような分かり安い説明になるのだと、改めて惚れ直しました。

結局は打つ前に死ぬ、己を捨てる事です。
相手の打ちを迎えに行く形・・・その後、無意識の反射に任せる事です。
ページ124 一川一先生のお父さんの一川格納の文章。
無為の技、いわゆる作為の無い自然に出た技・・・剣の妙
神妙剣・無想剣の世界です。

剣道時代の今月号には原田源次先生が投稿されていると思います。

今月号には珍しく『胴打ち』の記事が特集になっています。
さて、この五月の岡田先生・岩崎先生との朝稽古。
西村がもう少し体重が軽く稽古量多ければ別の展開があったと思いますが・・・・
あの時点では、『捧身』によって活路を開くしか有りませんでした。
面を捧げて出て行く・・・後は神妙剣(本能の自己防衛の反射)に任せる。
あの二本の面返し胴はまさにこれです。
西村の大きな身体が相手の竹刀が面に触る寸前に返し胴に斬り体がすり抜ける。
それも、若手で八段一次合格者の面を胴に斬るのです。

岡田さん!この胴が出来れば、相手の懐を抉る深い間合いの攻めが効くと思います。
相手の躊躇は面となり、手元が上がれば小手となり、思いがけず早い一瞬の面に対しては胴に斬る。
これは三橋秀三先生流の攻めです。
今月号剣道時代に原田源次先生が書かれていると思います。

剣道は身を捨てて出る・・・この決断を『有意識と無意識が握手をしてする』この修練です。
特に胴においてはその入り身の前進距離が長い。
よほどの覚悟が無いと出来ません。
相手をしのいで打った胴は0,5段下。
相手を引き出して打った胴は1段上。

ページ38松本政司先生
しっかりと体を沈める。
身体を沈めて斜めに抜けば、相手との距離が近くても胴を抜くことが出来ます。
これが重心の滑落、重力を使った武術的身体動作です。
『瞬間で身体の方向を一気に変える。』

ここでは書かれていませんが、西村的説明を致します。
相手が面を打てると思った瞬間、そして動作を起す瞬間まで真っ正面に対峙します。
思った瞬間は無意識の予備動作が起きます、これを悟って対応の動きをすると相手は打ちを辞めます。
(ヤバイ!と潜在意識が反応するからです。
潜在意識が思った瞬間からその予備動作が起きます、次に有意識が打つ決断をして打つ動作を起します。ここにタイムラグが有ります。
この有意識が決断するまで頭の位置は相手の目標物としてしっかり認識させます。
相手の無意識を察知したとき、右足膝だけをスッと右に流します。
この瞬間から体は静かに右斜め方向へ重心の滑落を始めます。
相手の予備動作に呼応して、こちらの予備動作を起しておく必要が有ります。
相手は目標物へ向かって突進してきます。
しかし、こちらの体は斜め前下方へ自然に滑落し腰から滑り入ります。
相手は無い所に向かって打ち込んでいるのです。
虚としての体、頭は有りますが、実際の体は左斜め下に静かに落ちかけていて、実態はそこに無いのです。
ここで大切なのが武術的身体動作です。
しかし、もっと大切なことは『相手が引き返せない所まで目標物を見せておく胆力です。』
少しでも「打たれたくない」思いが有れば、無意識が相手の無意識に呼応して面の位置を中心からはずしにかかります。
相手の無意識はこれを察知、打つのをためらいます。
『打つ前に死ぬ・打たれたくないなどと思ってもいない』
この覚悟が十分あれば、その瞬間に体は勝手に反応します。
手元の操作の原理は『パンタグラフをたたむ原理』です。・・・後述。

懐を抉って(えぐって)行く攻め。
極限の間合い、決死の間合いに体を進める。
これには覚悟が必要です・・・打つ前に死ぬ。

手は勝手に動くはなあ!(神妙剣)、足はそうはいかない(打つ前に死ぬ覚悟)。

賀来先生
「西村、俺はなあ!先生に居ない所を打たされていたんだよ!』
見せられて、引き出され、有ったはずの所を打ちに行っていた。
竹刀が動き始めた瞬間、見せられたものはそこには無い。
見た物を打ちに行ったのであって、見たその瞬間から、そのものはそのままでは無かったのだ。
そこに気がつかなかったのだ。
レスをつける


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前胴について
西村雅興
2007年9月24日(月)
『前胴、なで切る胴が一本となれば捨て身の面は打てなくなる。』
剣道日本ページ21-角先生の見識より

実際刀で斬ってみると判る。
打ち切りは余り切れない。
なで切りは深く切れ味が良い。

胴に刀を触り、それを素早く引くとスパッと深く切れる。
竹刀を刀と想定すれば体をすり抜ける間際の前胴は、おそらく胴の半分ぐらい深く切れこむだろう。
刃物はこすって斬って斬れるのである。
剣道は打突の競技になってしまっている。
しかるに刃筋を重視する通達がある。
前胴は必ず刃筋が通っている。
黒田鉄山先生の『よだれすかし・涎透かし』相手の鎧をつけた弱点である脇の下を、刀身がすり抜ける様に斬る技がある。
流れ出る涎を手首から手の甲で拭う様な動きから出た名前である。

相手をぎりぎりまで引きつけてすり抜けた胴は必然的に前胴の引き斬りになる。
このような精神面も含めて高度な技を理解しないで、自分の主観を押し付けない方が良い。
角先生の豪快な技前は知っているが、『高校生の段階では』位の注釈が欲しかった。

一時、玉竜旗の大会で自分の胴を打って、さも相手の胴を斬ったかのような審判を欺いた打ちが流行った。その為捨て身の面が出なくなる悪循環が起きた。
捨て身の技を高く評価するが、ぎりぎりで前胴を打たれたとき、それは捨て所を間違ったとしか言いようがない。
(これに似た現象で、突きは来ないものとして豪快に面を打つ人がいる。
面を打つとき、相手の心が居ついて居ないとき、喉元空けて面を打てば、突き殺されるのは必定である。
これで教士八段が二人、西村に突き殺されている。)
八段になっても強い大きな面打ちを後生大事に掲げているが、相手が心優しく突きを出さない事が前提条件になってしまっている。
同じようにこの胴を否定すれば、捨て身で打った方が打ち得になってしまう。


欺かれたほうの審判の能力の問題で、そのような胴を西村は審判員を欺くほどに上手に打つことが出来る。
これはその選手の悪意、剣道意識の低さであって、欺かれた審判の能力の不足であり、高校生レベルの話である。
これを何十年剣道をやっている人の、身をすり抜けるぎりぎりでの前胴の引き斬りを否定してはいけない。
本能に命を任せた『妙剣』はこの一瞬にしか出ないのである。

物を説くには相手を見て説く必要がある。
例えそれが全剣連の意向で有ってもしかりである。

やくざの喧嘩があった。
刀の斬り合いだった。
それを聞いた人が、「相手は刀(長どす)を両手で持っていたか、片手で振り回していたか?」と聞いた。
「相手は片手で刀を振り回していた。」と聞いたとき、「それでは斬られた方は助からない!」と言ったそうだ。
片手では刃筋が通るから、深手になるからだ。

ちなみに、西村に胴を打たれた人は、何故に西村がこれを書くのか判ると思う。
腰の回転と腰に付けた右手の引き斬りで、鍔元から相手の前胴を体を右足前下方へ沈めながら、撫できりにする。
(かなり強烈な打ちでは有るが)
レスをつける



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