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- 佐藤博信先生の話から - 西村雅興 [2007年9月23日(日)]
前胴について - 西村雅興 [2007年9月24日(月)]



前胴について
西村雅興
2007年9月24日(月)
『前胴、なで切る胴が一本となれば捨て身の面は打てなくなる。』
剣道日本ページ21-角先生の見識より

実際刀で斬ってみると判る。
打ち切りは余り切れない。
なで切りは深く切れ味が良い。

胴に刀を触り、それを素早く引くとスパッと深く切れる。
竹刀を刀と想定すれば体をすり抜ける間際の前胴は、おそらく胴の半分ぐらい深く切れこむだろう。
刃物はこすって斬って斬れるのである。
剣道は打突の競技になってしまっている。
しかるに刃筋を重視する通達がある。
前胴は必ず刃筋が通っている。
黒田鉄山先生の『よだれすかし・涎透かし』相手の鎧をつけた弱点である脇の下を、刀身がすり抜ける様に斬る技がある。
流れ出る涎を手首から手の甲で拭う様な動きから出た名前である。

相手をぎりぎりまで引きつけてすり抜けた胴は必然的に前胴の引き斬りになる。
このような精神面も含めて高度な技を理解しないで、自分の主観を押し付けない方が良い。
角先生の豪快な技前は知っているが、『高校生の段階では』位の注釈が欲しかった。

一時、玉竜旗の大会で自分の胴を打って、さも相手の胴を斬ったかのような審判を欺いた打ちが流行った。その為捨て身の面が出なくなる悪循環が起きた。
捨て身の技を高く評価するが、ぎりぎりで前胴を打たれたとき、それは捨て所を間違ったとしか言いようがない。
(これに似た現象で、突きは来ないものとして豪快に面を打つ人がいる。
面を打つとき、相手の心が居ついて居ないとき、喉元空けて面を打てば、突き殺されるのは必定である。
これで教士八段が二人、西村に突き殺されている。)
八段になっても強い大きな面打ちを後生大事に掲げているが、相手が心優しく突きを出さない事が前提条件になってしまっている。
同じようにこの胴を否定すれば、捨て身で打った方が打ち得になってしまう。


欺かれたほうの審判の能力の問題で、そのような胴を西村は審判員を欺くほどに上手に打つことが出来る。
これはその選手の悪意、剣道意識の低さであって、欺かれた審判の能力の不足であり、高校生レベルの話である。
これを何十年剣道をやっている人の、身をすり抜けるぎりぎりでの前胴の引き斬りを否定してはいけない。
本能に命を任せた『妙剣』はこの一瞬にしか出ないのである。

物を説くには相手を見て説く必要がある。
例えそれが全剣連の意向で有ってもしかりである。

やくざの喧嘩があった。
刀の斬り合いだった。
それを聞いた人が、「相手は刀(長どす)を両手で持っていたか、片手で振り回していたか?」と聞いた。
「相手は片手で刀を振り回していた。」と聞いたとき、「それでは斬られた方は助からない!」と言ったそうだ。
片手では刃筋が通るから、深手になるからだ。

ちなみに、西村に胴を打たれた人は、何故に西村がこれを書くのか判ると思う。
腰の回転と腰に付けた右手の引き斬りで、鍔元から相手の前胴を体を右足前下方へ沈めながら、撫できりにする。
(かなり強烈な打ちでは有るが)



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