先日、原田源次先生に打たれた打たれ方は、西村が岡田さんに送ったメッセージの胴打ちの方法そのもので打たれました。 先生の攻め入りは判っている。 ギリギリまで我慢をして打つが、先生の我慢が優る。 先生の反射が西村をとらえるのだ。 この反射を先に引き出してしまえば、先の先取りになる。 このしかけは、相手の先に乗ってあげる。 西村の場合は右膝で仕掛ける。 しかし、よほど心身が覚醒した状況でないと難しい。 先日の状態では先ず無理だ。 師匠に時々試してみると、やはり微かだが反応される。 この時、先生は動きの途中で動きを変更される。 これは通常出来ない動きだ! 先生の動物的な感性がそれをさせるのだろう。 恐るべしというしかない。 ただ、この仕掛けは師匠の引き立て稽古には使うべきでないと(軽く)封印している。
西村の先輩に、越前と言う人がいる。 彼は一年間、試合で一本も取られない。 中学時代日本一になった才能の持ち主だ。 父が剣道の先生、母がスキーのオリンピック選手級と聞いた。 妹が高校になってスキーに転校して国体選手になったと聞く。 家系的に優れた才能の持ち主なのだ。
試合において、彼は面の相打ちから一瞬、小手に変じて勝つ事が多い。 この時、彼は面で勝ったつもりなのだ。 後から小手を取って勝ったと聞いて、いつも首を傾げていた。 彼の動物的な感性の凄さを感じる小手だ。
学生時代に部内での試合で西村は彼に勝った事は一度もない。 ただし、一本は取れるのだ。 彼が無意識に、この小手に変じる時を知っているから、相打ちの面に誘い、相手の小手を摺り上げて面に取る。 いわゆる読み勝ちなのだ。 どうもこの頃からこの手の読み・分析の能力があった様だ。 しかし、彼の様な非凡な才能は持っていない事を西村は知っている。 その分だけ、稽古、研究、工夫、指導を受ける・・・によって、剣道の本質を追求できるような気がする。 彼は彼の非凡な才能のせいで西村とは違う剣道の道を歩んでいる。
先日、岡田さんと稽古をした時、彼は一瞬に理解をし、それを体現した。 この時、彼には西村を遥に越える動物的感性と身体能力を持っていると感じた。 さらにこれに理合と読みが加わればその内になるようになると思った。
轟木先生にも似たような感性を感じる。 望月先生も感性に置いては、西村を遥に越える物を感じる。 剣道は自分に備わった物を最大限に伸ばすとともに、卓越した指導者の元で研究工夫を重ね積み上げていくしかないと思う。 感性において西村が上の時は、相手は完全に西村にお手玉されてしまう。 西村に勝てない人はほぼ100%勝てない稽古になってしまう。 そこで、稽古を嫌われるのだ! 自分の感性と稽古してきた物に理論的武装がされ、さらに心法を加味されるとかなりな物になる。 感性が低くても、積み上げる部分がほかにある事を知れば、剣道に厚みがます事になる。 凡人は稽古と教わる事、さらに研究工夫を重ねることだ。 この過程で、自分自身の未知との遭遇で感激する事もある。 知らなかった自分自身に出会う旅のような物だ。 剣道はここが面白い! 究極の自己啓発なのだ!
稽古の後、瞑想をするか、寝る時布団の中で稽古の内容を映像で追っかけてみる。 この習慣が大切なのだ 西村がこのように書いている時、正に剣道をしているに等しい。
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