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- 京都にて思った事。 - 西村雅興 [2010年5月6日(木)]
Re:京都にて思った事。 - 岡田 [2010年5月6日(木)]
Re:京都にて思った事。 - アオダイ [2010年5月6日(木)]
Re[2]:京都にて思った事。 - 西村雅興 [2010年5月8日(土)]
Re[2]:京都にて思った事。 - 西村雅興 [2010年5月9日(日)]
Re[3]:京都にて思った事。 - アオダイ [2010年5月11日(火)]
Re:京都にて思った事。 - 菅 [2010年5月7日(金)]
Re:京都にて思った事。 - 會澤 [2010年5月7日(金)]
Re:京都にて思った事。 - 並木 [2010年5月7日(金)]
奥様に大感謝! - 西村雅興 [2010年5月8日(土)]
Re:京都にて思った事。 - 後藤 [2010年5月8日(土)]
Re[2]:京都にて思った事。 - 西村雅興 [2010年5月8日(土)]
Re[3]:京都にて思った事。 - 後藤 [2010年5月12日(水)]
技前と覚悟が大切 - 西村雅興 [2010年5月23日(日)]
追伸 - 西村雅興 [2010年5月23日(日)]
Re:技前と覚悟が大切 - 後藤 [2010年5月25日(火)]
Re:京都にて思った事。 - 剣と禅 [2010年5月13日(木)]
小西司郎 範士  - アオダイ [2010年5月22日(土)]
Re:小西司郎 範士  - 西村雅興 [2010年5月23日(日)]



京都にて思った事。
西村雅興
2010年5月6日(木)
京都にて思ったこと。

私事ですが!
朝稽古に行っても面をつけて誰か先生にお願いしたい、との気持ちが全く湧かない。
これは全剣連合同稽古会でも全く同じなのだ。
竹刀で打った打たれたと云う次元に、全く興味が無くなってしまったのだ。
それで、京都では自ら稽古をお願いする事は全くなかった。
これは,昨年も同じだった。
いわゆる通常の観念での剣道には興味が無くなってしまったのだ。
六段・七段を目指す人への指導稽古は面白い!
チョットしたころで見違える様な剣道に変わるからだ。
コーチングは面白いしやりがいがあるが、選手としての動きには興味が失せたのだ。

朝稽古の元立ちの先生
岩立範師の足の攻め入りがいつもお目にかかっているよりは冴えていた。
場所柄、先生の気力がさらに充実しているからだろう。
これは原田先生の剣道も同じで、京都ではさらに冴えた剣道をされる。
この大先生ですら場所と雰囲気で変わるのだから、凡人はおして知るべし!
(自分を上手に追い込むには『出稽古』がこれを作ってくれる。
しかし,一般的には全く同じ顔ぶれで全く同じ剣道の繰り返しに終始しているのが大半なのだ。
昇段審査がこの動きを変える妙薬になってはいるが。)

賀来先生が元立ちで八段の先生が懸かっていた。
先生が頭を下げ合図すると,面を打っていた,只その繰り返しだった。
賀来先生がモゾッと重心を下げ前に出てくる・・・これが絶妙だ!
ほとんどがこの身入りの先に反応をして打取られている。

地方では年老いた八段との稽古で同じ様なことが起きている。
ある意味『お世辞稽古』になっている場合が多いので注意をしたいものだ。

こので似て非なるものがある。
外目には先生の入り身、合図の様に見えるが・・・。
対峙した相手に取っては『気の押し合い』レベルに高まっている場合がある。
『攻め』
石原忠美範師九段が四十歳過ぎ、持田範師は三十二歳上。
これだけ年が違えば一本ぐらいと思ったが全く打てなかった。
打てないどころか「シビレタ」のだった。
この様な高度の攻めをつかわれる先生が日本で何人かいた。
「無心の攻め」はそう言う先生と稽古をして教えられたのだ。
これをやるためには、剣先から電気を出す、剣先から目には見えぬ投網を相手にかぶせる,この投網は兵庫の松本敏雄範師の教えです。
西村的には念力・意念力等のセミナーをしてさらに具体的に教えている。
医療も歯科医療も高度なレベルになるとこの辺りの能力に懸かってくる。
松風館道場で
岡先生が西村に聞いた
攻めとは何か・・・・西村は答えた『イメージです』
岡先生は言った・・・・『攻めとは構えだ』
あなたが原田先生からどう教わっているか知らないけど、私はそう思う!

西村的説明をすると、自分の無意識・有意識レベルで思っている事は即ち身体がそのようにしている・・・だからこの構えから相手が攻めを感じるのだ。
これが岡先生の持論でしょう。

西村はそれはそうでしょうと思う。
しかし、剣道界のレベルでの話でしかないのです。
そこを具体的に攻めをするには、「協力な映像が出てくるほどのイメージ」に尽きると思います。
さらに大切なのは『過去完了形』でのイメージです。
相手はこちらの発した強烈なイメージ化された映像が空間を通して、相手に映るのです。
これが意識波動です。
強烈な意識はイメージを空間に呼び起こし、それはエネルギーとして相手に伝わる、
さらに思いは過去完了形でイメージ化する事が大切で、現実がこれを追っかけてくる。
だからこ対峙した相手がそれに対応しょうと反応するのです。
強烈なイメージは実態の伴わない攻めですから『虚』です。
この『虚』に『実』で反応すると、その直後『虚転じてしまう』
範師九段 倉沢先生との稽古
西村が強烈なイメージで面を打たんと体を入れかける。
西村の作り上げたイメージは空間を通してフォログラフの様に面を打っている。
しかし,その実は身体は30センチくらいしか前に出ていないし、左拳は腰に載せたまま。
手と体は次の無意識レベルでの指令、『智』を(反射的動き)待っている。
先生の意識の認識では西村が面を打って来たと信じて疑わない。
しかし、次の一瞬、西村の実態が伴っていない事に無意識レベルが気がつく。
『エ!、まずい!』・・・ここで先生の無意識レベルで『虚』に転ずる。

これを深層心理学的気の捉え方では『スイッチング』と云う状態が起こる。
これは電気回路を右から左に切り替える時に一瞬電気が流れない様な状態が起きる。
心身を統一している指令系統が一瞬『無』になった様な状態を云う。
具体的には、合気道の世界でいとも簡単に相手をふぬけにしてしまう。
相手の袖を軽く引っ張った瞬間に相手の意識がそこに行く。
その瞬間相手を上から軽く押せばぺしゃんこに潰れてしまう。
丹田に意識を納め重心と丹田と意識が一致しているときは相手は押しても引いてもビクともしない。
しかし、頭を一撫ですると意識が触られた所に動き、少し押されただけでヒックリ返ってしまう。
いわゆる武道はこの様に相手の『気の乱れ・身体指令系統の虚』の状態を作り上げて相手の自由を奪うものである。
この辺りが『極意』なのである。
しかし、普通の感性の持ち主はこの辺の話になると反応しなくなる。
いわゆる,身体的感受性が低いからこれを意識で感じ取る体験をしないからである。
石原忠美範師九段の感性では、持田先生の念力を敏感に受けている。
西村が日本を代表する大先生に何でと云う面が入るか?
先生の鋭い感受性を逆に利用して,先生の無意識を操作するからである。

話を戻すと。
倉沢先生の無意識レベルは一瞬の戸惑いレベル、『スイッチング』状態に入る。
イメージで受け取った面を受ける手の動きが元に戻そうと手元を下げかける。
その瞬間、西村の『智』が見逃さず、反射的に先生の右拳を軽く押さえる。
先生の手元がさらに下がり、面が空く。
知らない内に面を打ってしまっていた。
これが3回、同じパターンで入った小手面である。
西村は通常は小手面の二段打はしない人である。
しかし、このときの『智』の反射的指令は『小手面であった』。
このように『手は勝手に動く』のだ。
問題は身を捨てて,打つ前に死ぬ覚悟が出来ていて、先生の刃の下に身を捧げる覚悟があるかどうかである。
いわゆる『捧身』である。
『手は勝手に動くわなあ!しかし,足はそうわいかない!』
西村が明確な意志で体を出したのだが〜〜〜その後は『ケセラセラ〜なる様になる、後の事など判らない、』
自分の内なる叡智を信じるしか無い。

西村が凄く強い様に書いてあるが、倉沢先生に自分から打って出ると,見事に捌かれ,手も足も出ない。
完璧に打ちのめされる。
しかし、非常に感性の高い先生だから、竹刀を動かす前に自分の智を信じて、勝負を終わらせてしまうこともできるのだ。


過去の武道関係の本,有名は範師の話には「触り〜」は出てくるが、そこ止まりなのだ。
岡先生もそうだった。
「腰と丹田で〜」の著者、森田文十郎先生は念力、意念力を研究されたがそこまでで終わっている。

剣道は実は竹刀の奥、身体の奥、脳の奥、細胞レベルでの反射で相手と対峙している事を意識して行けば,違う次元の剣道になる。

しかし、この打なる一瞬反射的な指令は、一瞬であり、微(かす)かな物であるから、脳からの指令系統を完全にカットしておく必要がある。
『頭が決めていると』この指令は伝わらない。
この指令は具体的表現をすると『水琴窟の微かな響き』に似ている。

西村が最初に意図して『無の状態』を作った時がある。
原田先生との稽古で、只々息をゆっくり吐き続け、吐く息も尽き、それでも吐き続けようとしていたとき、息を吸う事すら忘れていた。
スーッと意識が遠ざかろうとした時、気がついたら先生とすれ違っていた。
見事な面を無意識の原始的防御機構、智が働いたのだ。

最近は思ったのだが、「打つ前に死ぬ!」は剣道の様な安全な防具を付け竹刀での打合いの中では出来ない様な気がする。
人生で『死んだ!』と思う経験、それと同等の決断の経験がないと無理な様な気がするのだ。

しかし、剣道での究極の技、無意識から出る技を出すには、その前に『死ぬ』が無いと出ないのだ。
ここばかりは教える事は出来ない。
しない剣道と戦場・生き死にを懸けた決闘の違いの様な気がする。

最近,こんな考えになっているので、師匠との稽古以外には全く魅力を感じない。さらにそれも超え,先生の稽古姿を拝んでいるだけで,先生と稽古をした同等の幸せ感を感じる。

さて、野正先生の所に懸かる人がほとんどいなかった。
教えたい剣道と教えて欲しい剣道のズレがあるからだ。
青木君が野正先生からベタ褒めされた。
「君の年は幾つかね?」とか、色々聞かれ褒められた。
野正先生に青木と一緒にいて「青木が褒められて喜んでいました。」と言うと、「構えも気合いも打も清々しい。立派な剣道をする。それで失礼だが色々聞いたんですよ。」
西村の方を見て「そうか、先生がいいから、弟子もいいんだな!」と言われた。
そう言えば、先生が師範をされている道場で「先日、西村と言う人と稽古をした,立派だった。一体誰れに教わったんだろう?」
そのとき、高野君が「原田先生のお弟子さんです。」と言った。
すると「そうか!源ちゃんの弟子か,それでか!」と言われたそうな。
原田先生、西村,青木とその剣道精神は伝わっている。
剣道の大切な事はその奥にある精神の伝承なのだ。
具体的に

岡田さん
もう既に出来あがっていますよね!
不本意であったのですが、今回は少しは面を打って出ようと努力を致しました。
あの後、歯科医の三条先生と稽古をしました、
彼は一次を何回も受かっています、その内八段になると思います。
彼は西村に引き出されても、右足で誘われてもその事を知らず、躊躇無く大きな面を打ち込んできました。
そこで気がついたのは、岡田さんの方が剣道を良く知っている分だけ、誘われれば観えますよね!誘われて面を打つ様な事はしない。
相手が観えて面に捨てきる躊躇がある様に思います。
打前に打てない事が判ってしまう、打てない時は打たない辛さでしょうか。
審査本番では荒削りの方が意外性が発揮出来るのかもしれません。
「いやー、今回は思いっきり出来ました!」の一言があった時に八段になるのでしょうね?
その時を待つだけでしょうか。
今度攻め口をしっかりと書きます、それを読んで頂いて電話でお話をしましょう。

青木君
非常に良かったです。
野正先生に褒められるだけのことはあります。
ただ,京都での西村は早く冴えがあるでしょう。
それは気分ですね!

田伐さん
前回の岩手での稽古のときよりずーっと身体の統一感があります。
素晴らしい面打です。
後は、右足を上に上げずに、床を滑らせる様に前に出す事です。
さらに冴えのある面打ちになるでしょう。
このまま七段まっしぐらです。
菅先生
原田先生のお世話ありがとうございます。
先生が今回参加出来たのは医師である先生のお陰と感謝しています。
この間まではブランクのせいか、手足バラバラの剣道でしたが七段を取る頃から本来の身体能力の高さを発揮して来ました。
今年の稽古ではチョット指導するだけで、見事な面に変わりました。
立ち会いの小手面を観て、原田先生が「あいつ!八段に受かるよ!」と呟いたのが印象的でした。
西村に打ったあの最後の面の感触を大切にして下さい。

丹羽さん
打も腰もしっかりと打ち切っていました。
立派な七段と感じました。
後は相手を突き抜けて行く覚悟ですね。
人柄の良い人には厳しい課題ですが,自分を発見するには大切な事です。

並木さん
毎年いつも熱心で感心しています。
毎年剣道の向上が見られます。
今回はビデオで西村の攻め口、入り身の妙、捨てて入る瞬間をスローで確認して下さい。
西村は剣道は強いのではなく、剣道を良く知っている,人間を良く知っているのです。
そこを遣えば手品の様な剣道が出来ます。

クリちゃん
去年より今年の方がずーっと強い。
足腰がしっかりしている。
今回聞いた事を参考に剣道に励んで下さい。

夏井さん
西村が相面を打とうと思わなくする気合いの入った面でした。
打って出る方向は相手の身体を突き抜ける方向です。
この気分があるとさらに鋭い攻めになる様な気がします。

亮ちゃん
西村と稽古をしても相抜けになるから稽古をしてもお互い面白くないでしょう。二人ともそのレベルが判る事を認め合えばそれで十分です。
吉田先生にかなり肉迫していました。
西村と対峙している気分でやると,相手はびっくりするでしょう。
彼とは武道館で一度稽古をしました。

會沢さん
最初会った時と今は全く別人の感がありす。
今回の最後の面は100点です。
剣道の稽古を超えた人生の壁を破った成果が剣道に現れていました。
左手の納まりは今回稽古をした中で最高の位置にありました。
後は攻め入りの妙を習得するだけです。
七段は直ぐに受かるでしょう。

松尾さん
左拳の位置をもう少し下、真っすぐ突き切って進む、これだけですね。
後は言う事無しです。

岩手の先生(飲み会で一緒)
チョット名前と顔が一致しませので失礼致します。
基本的に松尾さんへのアドバイスと一緒です。

ガンちゃん
今度、東京で頑張って下さい!

田井さん
皆様との出会いの場提供有り難うございます。

ちなみに来年の場の設定、誰か有志お願い致します。
西村のホテルの予約が以前の形が取れませんので失礼致します。

京都大会を見て
感心したのは小柄な小西範師の鋭い足の間合いの詰め、そこから繰り出す冴えた面・・・感心したのはこれだけでした。
東京でお隣でビールを飲みながら話されていた印象は、生粋の江戸っ子でした。
剣道もそのまま。
「江戸っ子だってねえ!そうよ,神田の生まれよ!」と聞こえて来そうな先生です。
東京,中央五区の稽古界で、今度一度願いしてみよう。
久々に稽古を頂きたい先生に出会った。
しかし、お年はいくつか?すべすべではつらつとした顔の先生です。

『打つ前に死ぬ!』どの範師の先生のも難しい事が判った。
剣道の大家であっても,人生はどうだったのでしょうね?

みっともない品のかけらも無い立ち会い!
お二人とも稽古をした事があります。
お一人、私が小手を先に押さえても,全く気がつかずに後打の面を打つ。
俺にいつまで面を打たせる気かと怒っていた。
先に小手を打たれた事すら気がついていない。
もうお一人、武道館の稽古で相手を突き飛ばしていた。
イノシシの様な剣道をする。
身体は圧倒的に西村の方が大きい。
先生は同じ様に体当たりをして来るが、西村にはね飛ばされてしまう。
カンカンに怒っていた。
お先に西村の面が入っているのだ。

このお二人が対戦したのだから、範師の格も品も落としてしまった。
気の強さとがむしゃらな人柄で範師八段になったのだ。
それにしても,八段も範師の称号も形無しだ。
せめて西村を捌けてから範師になって欲しい。
かって、逆に西村に捌かれたお二人でした。

福岡のゼッケンの若い可愛い女の方。
福岡と云う事は六段錬士なおだろう。
この若さでこの段位称号は女子の世界ではそれなりの剣士だろう。
西村の指導稽古ぶりを見て、目をぱちくりしていた。
申し合わせ稽古の様に百発百中で入るからだ。
これは剣道が強い弱いの話ではないのだ。

西村が剣道は面白いでしょう、好きな様に打てるのだからと彼女に言った。
面を着けていいですかといって面を付けて来た。
かなりの腕前だが、西村の前に出ると操り人形になってしまう。
稽古の後、お札を使って『先』の意味の体験をしてもらった。
さらに,意識波動、念力の世界を体験してもらった。
さらに,目がぱちくりしていた。
彼女が剣道の深淵なる部分に目を開き,更なる進歩を望む。

ある七段教師の女の先生。
先日,切り落としの質問を受けた。
それで面を付け少し稽古をした。
切り落としの原理はもう一つ伝わったかどうか?であった。
彼女の左手の位置を変え、竹刀操作を少し説明した。
すると、見事な面に変わった。
彼女は感激していた。
竹刀が軽く動く・・・と言っていた。
左手の位置、竹刀操作の原理を説明し二三本打たせただけで理解してしまった。

帰り間際に、ある先生に肩を上下させない、胸を遣う、重心の滑落、井桁崩し、左足ヒカガミの伸び具合、少し身体を沈めて床を掴む・・・等を説明をした。
それを滋賀の先生が直ぐ横で目を輝かせて聞いていた。
目から鱗の思いだったのだ。
この様な説明は初めて聞いたのだろう。
剣道の指導に科学的原理をな説明が出来る人が少ないのだ。



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