久々の書き込みです。 最近稽古量が少なく、稽古をしても感情的に湧き上がる物が無いのでご無沙汰しています。
昨日、目をかけて稽古をしている人が二人いる。 もうすぐ七段に受かるスピード、強さには達している。 後少し剣道の理解、理合、剣道といものが判れば一発で受かるだろう。 ほとんどの人がそうなのだが相手を打つ!打つ!打つ!に意識が集中している。 いくらスピードが有っても打てないのが剣道なのだ。 相手に簡単に受けられてしまうからだ。 相手が待っているところに打って行っても簡単に捌かれてしまうのだ。 前にも書いたが電話、アイホン等は双方通行の会話が出来る。 剣道では人間はそうは行かない。 打とうと思ったときは打つ方に集中して、相手の話、情報は入って来ない。 そればかりか無意識レベルで打つと決めただけで、体は予備動作を始め相手に正体を明かしてしまってます。 打つと合図をして打つから捌かれるのです。
ここで何処を打つとは決めていないが、足、体の先を取って一足一刀の間合いから、斬り間に体を進める。 相手は何らかの対応に迫られるわけだ。 どうしょうか?打つか?守るか?一瞬の判断に迫られる。 この時相手の脳に一瞬の空白が起きる。 この瞬間に打って出れば良いことになる。 石火の機がこれに相当する。 ここまで出来なくても、相手が面を打とうと無意識レベルで思うとその瞬間に予備動作を始める。 相手の無意識が予備動作を始め、相手の頭が打つと決定するにはタイムラグがある。 このタイムラグに乗じて体を進め必要なことをして勝ちを納める。 要するに、こちらの仕掛け(先)に相手を反応させて、相手を見て処置をする。
文章で説明するとこういうことになる。 それを体感して、納得させてもらえば身に付く。
そこで西村はお札掴みで納得させる。 【先を取る】
科学的説明・実験
実験をしてみて下さい。 お札を右手で摘み、その横下で左手で摘む準備をしておく。 右手のお札を離すと、その瞬間左手で落ちるお札を掴む。 誰がやっても簡単に摘める。
そこで、誰か他の人と実験をしましょう。 相手に摘んだお札を離した瞬間に摘むことを数回して頂く。 誰もが簡単に出来る事を確認して頂く。
相手に自分がお札を持つてを離すから、それが落ちない様に摘んでもらう。 相手の手はお札の中程に掴む準備をしてもらう。 相手にはお札を凝視していてもらう。 お札を手放し、落ちる瞬間に床に落ちない様に摘んで下さいと指示する。 相手がお札を凝視し集中したら、摘んでいる指を開いてお札を落とす。 何が起きるか!
誰もお札を掴む事は出来ない! 掴めない事に誰もが驚く。
目がお札の落ちる事を見て、脳が指に掴む様に指令をして、指が閉じるまで約0,2秒かかる。
西村の感覚では1/100〜1/1000秒位だともう。
相手に竹刀の先を見せる。 相手はそれに反応し行動を起こす。 こんに速くても0,2秒家かかる。 0,2秒かかる動きを1/1000秒くらいの速さを持つ世界へ引き込めば。 相手の動きは超スローモーションに等しい。
これが先を取る重要性の説明なのだ。 先を取って、相手の心の主導権をとることなのだ。 そうすれば勝負は終わっている。
言うは易し、行うが難し! それは斬り間、打ち間に身をさらす恐れがこれを躊躇させる。 これを乗り越えるのは【心】の鍛錬なのだ。 打つ前に死ぬ!原田先生の言葉なのだ。
西村が七段に受験する人に教える方法がある。 スーッと体を(足を)進めさせる。 そして竹刀をスーッと下に沈め小手を伺う. この動作を私にさせる。 私はこれに反応して面を打とうと動作を起こしかける。 相手がこれを感じた瞬間、面に打ち込む様に指導をする。 一種の形稽古である。 この攻めを学び、この瞬間をつかみ取り、一瞬に打って出る・・・・この稽古を延々とすると・・・・相手は無意識レヴルで反射的に出来る様になる。 西村が見事に打たれてやる、噛ませ犬に徹して指導をするのだ。
これが出来れば七段だ! 数多くの人を七段に導いた方法なのだ。 先を取って起こして(引き出して)取る。・・・これが極意なのだ。
これが分かったからといって上手く行く物ではないのだ。 パッと先を取るのか?スッと先を取るのか、スーッと先を取るのか、スーーッと先を取るのか? これは姿勢と腰の備えが出来ているかによる。 左脚に6〜7分の重心をかけ、姿勢が十分に維持出来ていれば、右足はスムーズに前に出せる。 体の中心に重心があれば5分の位置の時、一度左脚に重心をかけ、左脚を支点にして体を押し出そうとする・・・これは重心のキャチボールといって前進に二拍子が必要になる・・・この瞬間に入られてしまう。 ここを一拍子にしたいときは重心の滑落を使って前に進む。 左脚に十分体重が乗っていれば、右足を1センチ程浮かし倒れる様にしながら重心を滑落させ左脚で体が倒れない様に押し出す。 いずれの場合も初動においては筋の弛緩がスタートであるから、相手はこちらの動き始めを補足出来ない。 これが武術的入り身で間を盗む作業である。
初動で蹴る動きをすると(筋の緊張)容易に相手に悟られてしまう。 すると相手は対応への時間が十分にある。 この時、打つぞ!と意気込むと肩日からが入り、体の予備動作を察知され、相手に対応する時間を与えてしまうことにある。 ここで意識を逆に作用させる。 身を捨て、身を捧げスーーッと体をゆっくりだし、相手にどうしますか?と心で問いかけるのです。 いわゆる柳生新陰流の【捧身】の極意です。 形有るものは理解しそのように動けるが、打たれたくない心があるとこれはできない。 【打つ前に捨てる】原田先生の極意の表現です。 形無い心を操るには、肚の鍛錬をしなければならない。 しかし、これが難しい!
そこで、西村は打たれ役に徹して相手の心の重荷を外させて、面打の申し合わせ稽古で指導をして行く。 この攻めと打を真底掴むまで何度も繰り返し指導をする。 すると、あ!もう七段に受かる!と西村は感じる様になる。 そこで、もう受かるよ!と言うと、数回の内に七段になる。 試合に強くなるわけではない。 しかし、審査員が欲しい、「攻めて引き出し、相手の心は動いた瞬間に取る」が出来れば間違いなく◎なのだ。 六段までは打ち勝てば合格するが、七段は審査員が欲しい物を表現出来ないとなかなか受からない。 だから、凄く稽古をしても打ち勝って取れば、「強いね!若いね!もう少し修行を!」と言われ、延々と落ちて行く。 六段は剣道の稽古量を判定される。 七段は剣道の理合いの理解度を判定される。 だから良き指導者に恵まれないとなかなか七段には受からない。 この意味で西村は七段合格請負人、高校野球の甲子出場の請負監督の様な存在だ!
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