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Re:今でも5段の腕前は十分です! - 佐野 [2016年11月30日(水)]
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観の目を養う、打気を捨てる
西村雅興
2016年10月22日(土)
さて、西村は何時も打たれ役に徹している。
すると剣道の稽古にはなっていないのではないかと思われるでしょう。
七段へ指導した人が七段に成って、本当の稽古で西村に面が打てるか?それはNO!です。
指導では相手の心を読んで、相手が捨てて入って来た時、西村が反応してあげるので(自発的に)、反応させられた訳ではありません(反応してあげたのです)。
だから始めから終わりまで西村の方が心の優位を保っています。
剣道形では師の位である打立ちの役割を果たしているのです。
相手の全てを見通しする【観の目】で対応しているのです。
西村に打気があるとこのようには相手を観ることは出来ません。
打気が無いから故に出来る心の修行、観の目の修行があるのです。
七段へ指導稽古をすればする程、相手の心を察知する能力が高まります。
打気が無いと相手の情報は全て伝わってきます。
少しチョッカイを出してその反応を確かめます。
それが予測通りならば、相手の心は手の平に乗ります。
孫悟空がお釈迦様の手の平で動き回っていた状態です。
打気を消し去り、相手の心を読む修行です。

この間、稽古をしていた時、西村に捌かれていた人が首を傾げていました。
それを見たある先生が、いくら頑張ってもダメだよ、全部読まれいるんだから、と大きな声で言っていた。

相手を竹刀で打って勝ちを取る競技で、打気を消すということは難しことです!!
しかし、極意はここにあるのです。
形有るものの修行、鍛錬は以外に優しいですが、形無い物の修行は格段に難しいです!
剣道に対する考え方を根底から変えないとできません。
いわゆる心の修行が必要です。
お互いがこのレベルに達すれば、針ケ谷積雲のいう【相抜け】の世界に入ります。
この様な時はお互いに竹刀を納めて終わりにするのです。



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