永松先生の手の内について書いてみます。
手の内そのもの解説は難しいので、手元と竹刀の関係を解説いたします。
多くの剣道家、特に初心者、高段者以外の有段者。 竹刀を当て合いゲームと無意識が思っている人は、竹刀の先を出来るだけ早く面に届かせようとします。 その為、手元が早く前に出て竹刀の先を面に近づけようとし、いわゆる刺し面のようになり、腰が残りへっぴり腰で面を打つ形になります。 そこで昔から【愁猴の身 (しゅうこうのみ)】を教えられます。 手の短い猿は得物に十分近づいてから手を出す。 剣道では体を相手に十分近づけてから手元を動かし面を打つ。 相手に体をぶつけるようにして太刀を振るう。
【溜は】体幹の力を十分太刀に伝えるために、かつその瞬間を待つ為に言われます。
原田先生の教えに【剣道は一瞬の我慢比べだ!】があります。 古来より撃尺(げきしゃく)、斬間、、切間に入ったら、先に手を出した方が負けとの教えがある。 先に反応すると相手に読まれ、それに反射的に反応され後の先を取られるからです。 原田先生との稽古では、どんなに我慢をしても先生の我慢に負けて打たれていました。 打とうと無意識が思うと、有意識が命令するまでにタイムラグがあり、そこをつかれるのです。 反射的動きは【石火の機】火打石が打ったとたんに火花が出る様な反応です。 西村はこの修行と思い稽古に励んで来ました。 しかし、目が相手を捉えて打とうとすると同じようにタイムラグができます。 要は何も考えていないで、とっさに打てば良いのです。 無にも考えていないでいる、無心でいることが難しいのです。 目で捉えないで、勘で捉えることが大切なのです。
剣道の難しいところはこの勘、感性の鋭敏さに左右されるところです。 これは遺伝的な要素が強いので遺憾ともし難いのです。 理合が判ればかなり補えますがなかなか難しいところです。
しかし、相手が打って来るという危機に関しては、自ずから敏感に反応します。 打たれにって反射的に相手を捉える、打った意識は全く無いのに良いうちが出た! とっさの反応です、反射です。 原田先生は竹刀を持っている意識も無い。 ただ手が勝手に動くと言われていました。 【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!】
原田流も西村流も同じ溜で、手元をギリギリまで動かさない。 相手のは反応を捕まえるまで動かさない。
ところが永松先生の左手の動き始めがこれよりやや早い! ここに切れ味の良さがあるのではないかと思います。 こちらが十分でも、え!と思うところで面を打たれるときがあります。 原田先生では絶対にない機会です。 先生が言うには俺はそんなに我慢が出来ない、打ってしまう! と聞いた事があります。 結構手数も多い方です。
相手の反応を待って打つのではなく、相手が反応するであろうとの判断で、打って行くのではないでしょうか。 だから、間髪を入れずに入ります。・・・おそらく外れる事もあるかと思いますが。
その為、万を持して左手元を動かさないのではなく、打つべき方向に手元が攻め動いていて、へそから手元が早めに前進している様な気がします。 相手の手元が浮こうとしたとき竹刀の先はほとんどそこにある。 切れ味の良さはここに尽きると思います。
西村もこれを参考に、剣風を変えてみようかと思います。 体力、筋力、瞬発力が衰えると、これも有りかな!と思います。
体と手元と竹刀の動きは以上を参考に 【永松範士】を検索して吟味して下さい。 原田流は京都での小西先生の立ち合いで先生が面を打った動画を見て下さい。
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