回想録-4
先ずは前置きです。 受動的・共感的態度 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2006年1月15日(日) 西村の咬合調整は簡単なのだ。 患者様と少しお話をし、顔を眺めると、患者様の皮膚は透明になり骨と歯だけになる。 それと筋肉の緊張の強い部分は少し茶色になっている。 相手の身体がここを調整して欲しいと赤のマークが浮き出て来る。 顎関節の状態も調整して欲しい方向を示してくる。 口腔内の直視診査、咬合紙を使っての診査、筋肉の触診、関節の動きの診査・・・は確認診査なのだ。 思えば約30年間寝ても覚めても咬合と全身症状に意識を止めている。 形あるものの診断は感性の世界で既に終わっている。 後は確認の作業でしかない。 西村には見えても(診得る・観得る)、ほとんどの歯科医には見えない。 西村から見れば明き盲同然なのだ。
ここまで書くと「え!ウソ!ほんと!」と言われるかもしれない。 西村の感性で診断した事を、意識波動で相手に調整をすると、相手の身体はそれに応じて反応をする。 オーストラリアからの帰りの飛行機で女性のチーフパーサと話をしていたとき、彼女の強い肩凝りと腰痛を感じた。 そこで意識で調整をすると肩凝り腰痛がかなり楽になった。 治療に来たいならばホームページを捜してお出でと行って分かれた。 佐藤博信先生の写真を見て口腔内の状況と身体の症状を正確に言い当て手紙を送った。その後先生は来院され、症状は消え、翌年明治村で四回目の優勝だ。
西村の剣道意識は歯科医として特別に咬合を意識したエネルギーの1/100にも満たない。 西村の100倍剣道に意識を投じた人の世界と比べれば、西村の剣道は彼らから見れば明き盲同然だ。 さらに、剣道での意識波動の強さやその感受性においても100倍強いのかもしれない。
長い前置きはさておく。 剣道家は攻めを研究し、相手を打つことに意識の大半を使っている。 剣道は相手との関係性、自分の中の二人との関係性のゲームなのだ。 あいてとの関係性の中から、自分の中の葛藤やさまざまな気付きを通して成長をする。 これが本当の剣道の効用なのだ。 西村もそうだが、ほとんどの剣道家は相手に対して意識波動を送って攻める事ばかりに熱心だ。 西村の今年の剣道の目標は 相手と十分に語らい、相手の意識をしっかり把握し、後は 身体の叡知に任せる。』 『攻めの剣道から、語らいの剣道への転換』なのだ。
攻めと攻めとの語らいから、相手の微妙な攻め返しさを察知して事が進む。 攻めずにボーッとした瞬間、、相手がしめたとばかりに反応する。 ・・・・等々の研究を進めてみたいと思っている。
本業においては、先ず患者様に出会った時は、相手の能動的態度・発言、ノンバーバル(非言語的)な情報を、共感的受動的態度で接し相手を把握するとこから始まる。 ここの受動的感性が今の西村の治療成功の秘訣なのだ。 しかし、剣道においては西村は能動的態度・攻めの部分のみが先行している自分に気がつく。
剣道が名人の世界への扉を開く秘訣はここに有るようだ。 少なくとも、六段を取得すると次へのステップの大きな課題だと思う。
先日八段を取った先生が『戦わずして勝つ』の心境が大切なのだ。 『鞘の内で勝負が決まる」・・・世界なのだ。
原田源次先生は始めから終わりまで緩い攻めの流れにある。 相手の反応に耳を傾け、後は身体が反射的に動いている。 『神妙剣』の極意なのだ。 始めから終わりまでの攻め・・・足・体が前に出ていく 反射・・・手が勝手に動く 『手は勝手に動くわなあ!しかし、足はそうは行かない。』 足は自分を捨てきらないと前に出れない。 攻めはいる前の『死ぬ覚悟』なのだ。
今日書いたことを、今日の剣道で早速実践だ!
Re:受動的・共感的態度 夏井 [HomePage] [Mail] 2006年1月16日(月) 能動的な攻めの波動意識と相手から攻めを受信する感受性、そのお互いの語り合いが剣道の楽しさなんですね。 西村先生の意識体験する世界の解説は、わかりやすく面白いです。
最近はあまり稽古時間は取れないので、意識レベルの修行は怠らないよう心がけています。 道場での稽古時間だけではない剣道も重要だと思います。
京都での稽古、剣道談義楽しみにしております。 それでは、よろしくお願い申し上げます。
本題に入ります。
ある日、十段と言われた乳井先生のビデを観た。 ある種の感動を覚えた。 何故あのようなことが出来るのか?頭の中ではクルクル回っている。 解明するしか無い!
毎晩、寝る前に3時間ほど繰り返して観た。 エ!と思うとスロー、ストップ観ていく。 少し理解ができると布団から出て竹刀を持ってマンジョンの前の広場に出て検証する。寝てなんかいられない、興奮して汗びっしょりだから。 約一ヶ月間毎日繰り返した。 約100時間見た結果、あるシンプルな事に気がついた。 乳井先生は打つ前に相手の目を一瞬、自分の竹刀の先を見させている。 相手は無意識で観るのだが、その一瞬0,2秒は反応出来ない状況なのだ。
リフラクトリー・ピリオド(脳の空白時間)をご存知でしょうか?簡単にいえば、「慣れてしまうと、脳が停止してしまう」という現象です。
リフラクトリー(refractory)とは、英訳でいうと「手に負えない,御しがたい,言うことをきかない」、ピリオド(period)は時期など、合わせて直訳すれば「不応期」ということになります。
乳井先生は意識的にこの状態を作り、ある一瞬相手を案山子にしてしまっている。 打つ前に必ずこの作業を無意識にして打っている。 それなら相手を打てるわけだ。 高校生のフェイントもレベルは違うが基本的に同じなのだ。 昇段審査を観ると、お互いに打つ!と意識して打っている。 そして、相打ちで永遠と落ちている。
相手の頭では無くて無意識レベルでこちらの竹刀の先へ誘導し、好きが出来たところを討ち取る。 典型的なところでは、原田先生は竹刀を裏から二回回す、少しこれで気を引き、次に裏から二回はじく。 相手の無意識は原田先生本体と対峙せず、否応なく原田先生の竹刀の先に引きずられれていく。 その後、三橋流の竹刀の先を下から攻め入る。 相手は原田先生に正対しているつもりだが、無意識は竹刀の攻めは入りを嫌がりこれを押さえと{小手を用心して}する。 この瞬間あたかも面を打ってくざさいとばかりに面を差し出してくる。
西村的には押し合っていた気の空間が、一瞬に消えそこに吸い込まれるように打ってしまっている。 打っているのでは無くて、無意識が勝手に吸い込まれて打ってしまっていると言う感じなのだ。
無刀取りとは、相手が打たんと思った(無意識レベルで)その瞬間、押し合って攻め合っていた空間が空虚になり無意識に間を盗み、相手の間合いに深く入り束を押さえてしまう技である。 無意識が吸い込まれるように体を進めている。
スポーツチャンバラで小太刀{60センチ}と短刀(20センチ)の模範試合をを田辺会長がやらせる。 会長の意思は刃物に棒きれを持たせれば身を守れる見本を見せたいのだ。 しかし、現実には短刀が勝ってしなうのだ。 小太刀を持っているのは先生格なのだ。 短刀が勝ってしまうので田辺会長は頭を掻いて「こまったな!」とつぶやく。
これを検証すると、得物の長い方は間合いの有意差を無意識に思っている。 短刀の方は間合いの不利さを無意識に感じている。 この無為識の差で勝負がついているのだ。 短刀は間合いの不利さを無意識に感じているからこそ、必死で身を守ろうとする。相手が打たんと無意識が思った瞬間、胸の前に気の空間が消えるのだ。 そこへ無意識に足が出て手が伸び刺してしなうことになる。 腕が下、得物が不利、二つの不利が有りながら短刀が勝ってしまう!
武術とは気の応酬であり、相手の気を操れればその時点で勝負有りなのだ。 西村は普段の稽古ではこの勝負に勝った後、相手にうたせてあげている。 ある人は西村先生は本気でやってくれないと怒る人もいる。 ある人は打たせてもらって自分が勝ったと勘違いする人もいる。 田辺会長は言った。 「指導者は相手をたたきのめしてはいけない。はい!そこが貴方の弱いところですよ!と,教育的打突が出来ないと指導者では無い!」 この精神の心の広さがスポーツチャンバラを世界的に広めている。 この先生には真に武道家の心を教わったと感謝をしている。
最初は抜刀術を教わりに横浜まで行った そこで、ソフトな棒でチャンバラをやっていた。 女の子とやってみたら完全に負けてしまった。 そこで本気になったら二年後は全日本で優勝、翌年も優勝、三回目は出なかった。三回勝つと優勝旗をもらってしまい、誰かが寄付をしないと行けないからだ。 同じメンバーが西村抜きで三位だった。
当時、誰よりも強かった。 それは,相手が空手五段の武道家で前年度優勝者であれば、相手の心は西村のての平で転ばされるから、猫じゃらし状態なのだ。 二回目優勝ししたとき、大将戦は中学生の体操の選手だった。 これは困った!武道を知らない相手とは全く合気にならない。 宇宙人と戦っている様な気がした。 会場の人も審判も西村のことは知っている。 孤立無援の状態だった。 試合前に今年も優勝しょうとハッパをかけていたので勝つしかない。 仕方が無く、意識を変え相手を殺しに行った。 ここまで勝ち進んで来るだけあって相手の感性は非常に高い。 西村の意識は変わった瞬間、相手はフリーズした。 ズカズカと前に進み面をビシッと打った。 後から、子供相手に大人げないことをしたものだと後悔した。
ここで書いてあることは無意識の世界を操る、陰流の極意の世界である。
次に出てくる範士は岩立範士八段とのことである。
京都である先生の前に数人が並び、稽古をお願いしている。 あれ!見事な面をいつ先生だ!と感じた。 直ぐ横の先生が「真っ二つに斬られている!」と叫んだ。 まさにその通りだった。 稽古をお願いしょうと思ったが止めた! 草野球の選手がプロ野球の選手と闘っても失礼なだけだと思ったからだ。 それからは岩立先生のビデオを片っ端から集め研究をした。 何でもそうだが100時間くらいビデオでスロー、その場面をコマ送りなどして検証すると、先生ご本人が知らない岩立先生の奥が観てきた。 数年後武道館で稽古をしたときはお互いが合気にならなかった。
佐藤博信先生の話から・・・・
先生 「西村先生が前に言ったことなんだよ! 岩立先生の攻めの話なんだが、あれは凄いよ! ぎりぎり攻めた後、体の変化はほとんど無いようだが、腰だけすっと気持ち前に出す。 袴が前足の指をそっと隠す程のでだよな。 年をとると何とか相手を引き出してやろうと思う、それがなかなか難しい。 これを使うと相手は面に跳んでくるよ! 勘の良いヤツほどすっ飛んで来る。 ここの微妙なところの反応が良いヤツは、すぐに八段に上がってきている。 しかし、よくあんな微妙なものがわかったもんだ。 おかげで重宝しているよ。」
西村 「岩立先生のビデオを100時間ぐらい見れば気がつきますよ! なんで!あそこで相手が打とうと起こるのか? どうしてもわからないので何度も何度も繰り返し見てわかったのです。 岩立先生は『心で打つぞ!』と気を入れイメージが攻めると、無意識に体はその予備動作をするんですよ。 そうすると、勘の良い人は相手の予備動作を察知して負けるものかと打ってくるんですよ。 普通は無意識の動きですが、西村はこれを上手に意識して使うので、相手を起こすのが上手いです。」 先生 「反応が無いのがいるなこれは困る!」 西村 「このときはさらに、首の後ろを緩め、すっと頭を前に出します。 そうすると必ず面を打ってきます。」 先生 「なるほどな!」 西村 「博信先生は剣道のプロで鍛え上げてきていますが、西村のような剣道家は研究でなんとか腕を上げたいと思っていますからこのようにしないとなかなか腕は上がりません。」
佐藤先生は警視庁で剣道のプロで鍛え上げて自然に身に付いている。 しかし、頭を使って上達の方法もある。 この誘導方法は佐藤先生もご存じなかった。 岩立先生自身も心の攻めで相手を引き出していたが、その意識がスッと腰が前に軽く進んでいるとはご存じない。 我々は達人の攻め口をスロー、コマ送り等でその極意を盗み取る、勉強すると以外に早く上達をする。 逆に、そのように攻められたとき、あわてずに相手の攻め口を逆に利用すれば読み勝ち値となり裏を取れる。 岩立先生との稽古で、攻めの誘いに乗ってあげて面に来たところを小手に斬った。 岩立先生が江戸川の先生と話をしていて、「西村君て知っているかね、あの人は難しい!」と言ったそうな。
剣道の稽古を幾ら重ねても岩立先生を打てるようになならない。 しかし、ビデオで検証する! スロー、コマ送りと観ていくと,通常では見えない動き、その奥にある心、無意識も見えてくる。 文明の利器を使えばならではできることだ。 ご本人さえ知らない無意識まで読み取れる。 三橋先生の「剣道は読みと,反射だ!」まさにその通りなのだ! 見えないもの、感じないものは読みようが無い。 ビデオならばそれが可能だ!
岩立範士について「岩立」で検索 - 79件見つかりました。 このログ検索で79全てユックリ,かみしめて読んでみましょう! 今年最高のプレゼントかもしれません。 特に高段者には良い読み物になり、明日からの剣道にお役に立てると思います。西村の剣道の分析方法は何処にもありません。
さて次は範士八段賀来先生です。 「賀来」で検索 - 91件見つかりました。 ログ検索で是非お読み下さい。 名古屋で先生に稽古をお願いした。
西村の無意識が打とうと思った瞬間先生は察知されるようです。 西村はこれを「未発の発を打たれる」と書いています。 賀来先生との稽古で未発の発で何本も小手を取られ、ショックで夜うなされて寝汗をかいて気管支炎になって寝込んだことがある。
そこから賀来先生にどっぷり嵌まりました。
またまた賀来先生の研究です。 数年たって先生が面を来たところを胴に斬っていました。 意図的に意識波動で打ち気を見せると先生は面をうったのです。 先生の感性の高さを逆手に取ったのです。 稽古の後「何で打たれたか!さっぱり判らない!」と言われました。
次は歯科大学生の剣道大会の合間での稽古でした。 うってこいと!気を送ってきます。 私はそれにのってあげます! 先生は来たか!と手元を挙げ面を挙げようとします。 その瞬間、西村は無意識に小手を押さえ面を打ち入っていました。 三本ほど同じパターンでした。 これは範士九段にも通じたパターンでした。 ずいぶん褒められました。 最後の稽古は京都でした。 よもかく、何かを思うとその時点で読まれてしまうのは判っています。 先生の前で竹刀を構えていますが、「意識は天と地の中間にある自分を意識しているだけです。」 先生が小手を打ってきたらしい!素早く刷り上げて面を打っていた。 先生が後で「隙だらけだ!」と言われました。 あの時は西村はお地蔵様の様な状態でしたから隙だらけでしょう。 先生が勘違いしてうっていったら、西村の【智】がはたらいたのです。 原始的防御本能の現れだったのです。
原田先生と賀来先生の立ち会いを観て,師匠が面を二本取ったと喜びました。 その後、「今日の賀来先生は強かった!全く動かなかった!完敗だ!」と言われました。 賀来先生の心が全く動いていないのに、二本も面を打ってしまた自分を恥じておられたのです。 今なら十分に判りますが,当時の私には不可解なことでした。
賀来先生と北海道の古川先生の稽古をビデオで撮っていました。 賀来先生は三本面を打たれました。古川先生は全く動かれませんでした。 打ってくる気配を感じられなかったのでしょう。 先生が後から言った。 「西村がビデオを撮っていた。二本なら信用しないだろうから三本打っておいた。 その日の事だった。 永松陟範士が私に言った。 「、今日、賀来先生と稽古をした。国体では大将同士で勝った。 しかし、今日稽古をして、こんなに強い先生だとは知らなかった。」 永松先生は西村の大好きな先生です。 東京都剣道大会で最後に出てこられ、日本一綺麗な面を打たれる先生と評価されている先生です。 西村の患者様です。
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