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- 回想録-1 - 西村雅興 [2019年12月31日(火)]
回想録-2 - 西村雅興 [2020年1月1日(水)]
回想録-3 - 西村雅興 [2020年1月2日(木)]
回想録-4 - 西村雅興 [2020年1月3日(金)]
回想録-5(番外編も含む) - 西村雅興 [2020年1月3日(金)]
回想録-6 - 西村雅興 [2020年1月4日(土)]



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回想録-1
西村雅興
2019年12月31日(火)
剣道回想録
後,7日で74歳になります。
そのうち、最年長の八段合格者に名前を挙げたいと思っています。
何か目標がないと精進しないのが人間です。
そこまで健康でいたいと思っているのです。
今は寝る前に「明日命があって目覚めたら又会いましょう!」言って床につきます。
翌日、目が開くと今日も生かされている!と感謝をして一日を迎えます。
そんな日々の毎日です。
最近は頭の中は難しい患者様の治療方法を考えるので、頭が一杯です。
全国から助けてほしいと来られるからです。
年の瀬も近づき仕事量を減らしていました。

時間的に少し余裕が出来たので、先日久しぶりに書き込みをしたら、早速に青木君から書き込みがありました。
その時、フーッと頭によぎった事から、今回今まで西村が範士の先生方とのの関わりを書いてみたいと思います。
誰しもが知る大先生方との話です。

先ず思い立ったのは、青木君が京都で野正範士と朝稽古をした後、「良い剣道をすると褒められました!」と西村に報告した事です。
その後、西村が野正範士に「弟子の青木が先生に大変褒められましたと感激していました、有り難うございました。」と礼を言った。
野正範士が言った「そうか!お前の弟子か、そう言うことか!成る程な!」

野正範士がある道場で稽古の礼の後「先日、立派な剣道をする西村と言うのと稽古をした。東西対抗に推薦したいと思った。誰に教わったのだろうな!」
その時、千代田で良く稽古をする先生が「原田範士のお弟子さんです。」といった。
すると先生は言った。「源ちゃんの弟子か{原田源次}成る程な!」

弟子は師匠に似るものだ!
原田先生がある道場で稽古をしたとき。
「お前は三橋の弟子か?良いところも悪いところもそっくりだ!と言われたと聞く。
三橋秀三(東京体育専門学校教授)
原田源次先生の東京体育専門学校の教授・三橋秀三先生の攻め方。
原田先生も全く同じ攻め方です。
参考文献:林邦夫著『剣道で学び得たもの』からの抜粋。

『懐の深い構えから、大きく深く流れる大河のような気位で攻められると、それだけで圧倒された。
竹刀で中心を取り、剣先で鍔元から下を攻め、相手の下がったところを『面』に飛び、上がったときは、間髪を入れず『小手』に打ちこまれた。
先生の剣先が下がったところを透かさず面に打ち込むと、『面返し胴』と『面抜き胴』の二つの『後の先』の技が冴えていた。』

原田先生が言っている。
『先を取っているか?先を取って適切に反射をしているか?』これが剣道です。
『剣道は読みと反射です』と言っておられる。
どうやら、原田先生の師匠、東京体育専門学校の教授、三橋秀三範師の教えのようです。
原田先生は言った。三橋先生の教えは理に叶った道理的な教えだった。

上の文章は今,名人と呼ばれる林邦夫範士の文章です。
私の指導した面の打ち方はこのとおりです。
アダルトサイトの書き込みを削除していた。
三橋先生の項目に久しぶりに出会った。
原田先生の師匠だ。
西村は孫弟子にあたる。

三橋先生は長身、原田先生もしかり、西村もそうだ。
この剣風、攻め口を伝えるには杉山さんが最適だ。
彼はこの剣風を身につけつつ有る。

杉山さん数回目、小林さんは最高齢の77歳で七段になった。
京都大会での小西先生に打った面もこの通りです。
椎名先生が原田先生に抜き胴を打たれたもこの胴です。
椎名先生が西村のところまで来て言った「あの抜き胴を見たか!あの瞬間俺の体は参った!と表現していただろう!あんな稽古をする先生と稽古をしたい。」
「俺も胴は得意だ!しかし、あの抜き胴は出来ない!」

さて原田流、三橋流の戻る。
杉山さん七段合格御目出度うございます。
西村雅興
2013年11月28日(木)
杉山さん!七段合格御目出度うございます。 !
西村の指導に従えば昇段は出来る!
それを実証した人だ。
ただし、素直な心、謙虚な気持ちの人である事が条件ですが、彼はそれを持ち合わせている。
彼の年齢は68歳 、この歳での七段合格はその人の人柄のなせる技です。
年齢は西村より一歳上です。
身長は西村よりやや高い、180センチ位。
このような体型の人には原田流の剣道を指導するに最適だ。
西村が原田先生から教わったことをそのまま伝えれば良いのだ。
指導の要点は西村がいつも書いている通りだ。
1-膕を伸ばしながら膝に余裕を持たせて体を少し沈める。
これにより床を押すのりしろが出来る。
2ー左手の位置を定める。
両手をダラリと落とし、そこで竹刀を持つ。
すると、竹刀の先の方向は相手の左肩の方向を向いている。
そこで、左小指を軽く締め、中筋(中指)を固定してやる。
そうすると、左拳はヘソの前に移動する。
右手を軽く握ると剣先は相手の喉の方向に向く。
わかりやすくすると、竹刀の先から赤いレーザーが出ていて、その先が喉に向
くように意識をするとと自然に出来る。
この構えは一般的な構えより左手の位置がやや低い。
左手の位置を上げ、前に出すと相手の攻撃に対応しやすい。
しかし、これは防御には素早く反応出来るが、竹刀が身から離れ体幹の力を伝 えにく い。相手に素早く反応出来るが、自分の心に素早く竹刀が反応してしまい、相手に心を読まれてしまう。

構えは打ちたい気持ちの攻撃に体制、右足に体重が乗り、右肩が前に出て、頭がやや前に出ている。
剣道の修行はこの気持ちを変えるの事なのだ。
頭を後方に引き、右肩を引き、重心を後方にに引き四分六分でやや左足に重心を移し、やや体を沈め体制を整える。
心が変わらなければこの構えには行きつかない。
要は相手を叩き潰すべき対象としないで、竹刀を持って対峙してその空間を共有して気のやり取り、意識波動の押し合いにより相手を知り、自分を知る自己啓発の過程であることを自覚すべきだ。
相手はお互いの長所と欠点を知る同志なのだ。
構えを見ればその人の人柄が透けて見えるものなのだ。
これを感じるようになるには相応の構えにならないと相手が見えない。
実際は次が難しい!

3-相手と十分に合気になり、お互いが手に取る様に心に映るようになる。
そうすると打って出れなくなる。
名人どうしが対峙すれば先に心が動いた方が負けとなる。
これが長引けば『相抜け』となり、両者打ち合うことなく刀を納めることになる。
剣道ではこの辺りの微妙さを竹刀を通して心の優劣をはかることになる。
打って出れば負けと分かっている、さすれば相手に打ってもらいます。
打って出ずに相手を打つ。
それは相手が打たれに出るように仕向ける。
一足一刀の間合いから自ら身を捨て、切り間に身を進める(捧げる)。
『捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』の世界になる。
【打つ前に死ぬ!】の真骨頂なのだ。
相手は来た!と思わず打って出る。
そこを軽く打ち取る!
いうが易し行なうは難し!
原田先生が試合の後のインタビューで【いつ捨てるかが今回の課題でした。】と話されていた。
剣道は『捨てる覚悟、さらにいつ捨てるか』の心の修行なのです。
しかし、これもバーチャルリアリティのー世界です。
人生の大きな決断は生か死に近い。
(実際は命まで持って行かれることはないが、持ってる全てを失う事がある。)
この覚悟を決めるには潜在意識の下にある『智』に問うしかない。
剣道も極めればこれに出逢う。


さて杉山さんには右足から静かに体を進め、あいての心が動いた瞬間心の命ずるままに面に打ち切る。
西村は彼が快心の面打ちをするための打ち込み台に徹することでした。
彼の剣道にこの心とタイミングを刷り込む事が西村の役目でした。
彼が更に、松風館の基本稽古に行きクタクタ、ヘロヘロになるまで稽古をした。
試験前に稽古をした時、もう受かるよ!と、西村が言い、その通りになった。

昇段について。
彼が常に上向きに稽古をし、指導を受け、更に基本稽古に汗を流せば受かる。
歯が立たない相手はとっくに七段になている。
落ちこぼれ組、リバイバル組での優劣を見られるのだ。
しかし、多くの人は漫然と稽古を楽しみ足踏みをしながら、年齢を重ねて動きが鈍くなって癖が強くなり、むしろ弱くなって行く。
彼のように昇段を目指し向上心を持って臨めば、相対的に差が開き、審査員の目を引く剣道になる。
要は昇段への思いを適切に行動をすれば結果は自ずと出て来る。

昇段を真摯に望む人は西村の指導稽古を受けたがる。
西村は立派な面打ちを誘導して行く。
相手は立派な面打ちを目指し打ち込む。
西村の指導を受けながら、ひたすら打ち込む。
その過程で自然に身体がそれを身につけて行く。
西村の気に臆せず打ち込んで行く。
実際の審査では西村のような気の圧が強い相手ではない。
結果は目に見えている。

小林さんも背の高い先生でした。
何よりも素直に教わって下さいました。
二人とも剣道の試合に強いタイプではありません。
器用なタイプではありません。
三橋修三→原田源次→西村雅興→杉山先生、小林先生   との流れになる。

原田先生が言った。
「最初教わった先生は強い先生では無かった。
しかし、打たせ方が上手かった!」

西村がカナダへ遠征行った時、ある先生に言われた。
「西村君は打たせ方が上手いね!」

原田先生は決して打たせてくれなかった。
西村には40年掛かって原田先生に面が打てた。
西村には永遠の課題を頂きながらの修業、研究でした。
当面の昇段を狙う人には,丁寧に教え、それを上手に打たれてあげて、体に教えてあげる。それが効果的でした。

ここまでは青木君から野正範士の言葉から始まり、野正範士の言葉が原田先生の剣道になり、さかのぼれば三つは私撰し絵に行き着く。

この教えも柳生新陰流の流れで、新陰流を開いた剣聖上泉伊勢守信綱〜新陰流の創始者で剣豪の上泉信綱に行き着き

『陰流』は相手の陰(相手の見えない心・無意識の動き)を観て相手を斬る。
相手の陰を斬る。
新陰流の創始者、上泉伊勢守信綱の若き日に、陰流の流祖、愛洲移香斎久忠が別れ際に言った。
『陰流の極めは、己の陰を斬ることや。
 難題やなあ。
 斬れるか?
 斬れまい。
 しばらく儂(わし)が若の陰を映し取るから、己が陰を斬る方法を考えなはれ』

この愛洲移香斎へと源流はさかのぼる。


源流の大河の一滴を捜す旅というのがある。
最初は岩間の隙間から少しづつ流れ出る細い水の流れにしか過ぎないが、海に注ぐ頃は大河になっている。
剣道を学ぶ上でルーツを知る事は大切な事であると思う。
柳生新陰流の原点はどこか?陰流はどうして出来たかを知れば、剣道の奥深い世界に到達する手引きになる。

過去に愛洲移香齋からの陰流→新陰流 →柳生新陰流については多くを書いて来た。
しかし、愛洲移香齋の情報が少なかった。
たまたま手元にあり、まだ読んでいない本をふっと見たとき、これが書いてあった。

『本邦に於いて、剣法の一大系統を開創したのは、鎌倉地福寺の僧慈音であった。
俗名相馬四郎で十才のとき鞍馬寺に於て剣法を授かり十六才の時、鎌倉に至り
地福寺の僧より、秘奥を知る。
日向の国の鵜戸岩屋にある安楽寺において大権現んに祈願した。
そして、念流をひらいた。
愛洲移香齋はこの慈音に剣を学んで後、十数年後に陰流をひらいた。
慈音の高弟には、愛洲移香齋と並んで、中条兵庫助がいた。
兵庫助は小太刀の妙諦を教えられ、やがて中条流をひらいた。
この流れが富田勢源で小太刀の流派になった。
このように剣法の系統をたどれば僧慈音から後代、天下の二大流儀に別れる。
愛洲移香齋が鵜戸岩屋に籠って二十一日参籠した。
満願の夜明け天井からの大蜘蛛が眼前に降りて来た。
白刃の閃光をあびせたが、翻弄された。
いつの間にか泥の様な眠りに落ちた。
夢裡に、白髪の老翁が出現して、「いかに、移香齋!」と笑いかけた。
「剣の秘奥は、敵を撃たんとする心からは生まれぬ。
撃たんとする心を捨てたとき、はじめて、撃つ事ができる。
申さば、おのが心の陰に在るものが、剣の秘奥を生む。」と告げて消えた。
目覚めた愛洲移香齋は、豁然として悟ところがあり、おのが流儀を、陰流と名付けた。
【西村コメント】
京都のお多福の女将さんの居間で、西村は原田先生から【不動智】と書かれた、藍染めの小さな布を頂いた。
「お前ならばこの【智】の意味が理解出来るようになるだろう」と言われた。
この時から【智】の意味を理解し、体現出来るように必死で剣道をした。
精神世界、スピリチャルの世界で、精神修行をして既に気がついていた【真我】と同じである事に気がついた。
普段は表に出て来ない本当の自分、垢に汚れていないピカピカの心、自分を護る本能、・・・これを知る為に座禅をし、瞑想をし、荒行をし、自己啓発のセミナーを受け、ヨガをし、武道をして追い求める。
本当に良い修行は自分の仕事を天職と信じきり、命がけでその本質を追い求めれば、自然に悟れて、自分にも、家族にも、社会にも豊かで貢献出来る。
西村は歯科医の仕事を天職と思い、生まれ変わっても、また歯科医になりたい思っている。
西村にとって歯科医療は歯科医道であり、歯科医院は医療道場である。
昔の剣道家が命を懸けて求めたものは、西村の歯科医療道と同じであった。

さて、【撃たんとする心を捨てたとき、はじめて、撃つ事ができる】は棒身によって捨てて出て、後は【智】にまかすと同じです。
【打とうと思わないで、思わず打っていた】
黒田鉄山先生も悩まれたところです。
原田先生の【打つ前に死ぬ!】

山川の 瀬々に流るる 栃殻も、身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
写すとも 月も思はず、写るとも 水は思わねど、月ぞ宿れる(直心影流)
剣道は現代流のスマホでは在りません。
旧型のトランシーバです。
片側通行の通信手段、ボタンを切って相手にしゃべらせれば相手の言葉は聞こえます。自分がボタンを押して話しているとき、相手の話は聞き取れません。回りの騒音がひどい時は内容が良く聞き取れません。静かなところに場を移すと良く聞こえます。もし凄く静かで聞く事に集中すれば、話し相手の回りの雰囲気の音まで聞こえます。相手の声のトーンまで聞き分ければ、話の内容の真意までも聞き取れます。

さて、西村の書いている事は終始同じです。
皆様に理解して頂く為に色んな切り口から紹介しています。

さて、原田先生との初めての稽古!
明日は盛岡で四段の審査がある前の稽古会。
名前だけは知っている原田先生を見た!
その日は自分は稽古をするつもりでは無かったから,見学の予定で防具の用意はしていなかった。
これは千載一遇のチャンスと思い,後輩の剣道着を脱がし、防具を借りて急遽先生に稽古を願った!
最初は先生の大きさは西村とおなじ背丈に感じた。
少したつと先生はだんだん大きくなり、山門の仁王様の様に大きくなった。
必死で掛かっていったが,しばらくすると目の前がスーッと暗くなって倒れそうになった,その瞬間これまでと言われ蹲踞をして終わった。

アパートに帰り布団に入ったのは夕方六時。
目が開いたのは翌日の十二時だった。
十八時間寝ていたのだ!
あれ!今日は昇段審査だ、武道館へ行かなくてはと思うが体が全く動かない!
それから一時間してやっと這い上がって布団から出た。
自転車の防具を積んで審査会場に行ったのは昼の一時半だった。
寝過ごして遅れたことを謝り、おなじ審査の段位審査の番号の最後に加えてもらった。
原田先生が来て、「昨日はちょっとやりすぎたかなあ!」と言われた。

私の強いのは皆様知っているので、ある人が側に来て,少し手加減をしてやってくれと頼まれた。
相手を立てるくらいに手加減をした。
その後、原田先生の前に呼び出されて「お前は、自分より弱い男を同じ段にさせるつもりか!」と大声で怒鳴られた。
試験は受かったのだが叱られた内容には落ち込んだ。
アパートに帰り布団に入って思ったことは、あの短い稽古で精も根も尽き果てる倒れるぐらいの内容だった。
十八時間寝てしまう位の稽古の内容だったことに気がついた。
原田先生が赴任した高校は何処も数年で県下で三位まで上ってくる。
一と二位は先生が作り上げ弟子がそれを守っている高校なのだ。
高校は何処かは関係ない、先生の指導力でどの高校もそこまで行ってしまうのだ。
剣道も結局は先生次第なのだと思った。
ダンスも一ヶ月間でずぶの素人が毎日八時間、腰が抜けるほどプロにしごかれた。
パートナーは東北選手権の優勝者だった。
最後の方は彼女がしごかれていた。
剣道でもこれほどやったことは一度も無い。
しかし、優勝をしたのだ!
夫婦で五年間やった人が六位、東北学生チャンピオンが十二位だった。
この夫婦は西村が全く踊れない時を知っていた。
しかし、優勝をさらわれた。
この夫婦は私の先生に指導を変え、後に東北チャンピオンになり、今はダンスのプロトなりスタジオを持っている。
習い事は師匠につきる¡¡¡¡¡¡のだ。
剣道ではこれを武運という。
高校生活は積水化学で二年、入り直して三年、浪人生活四年、二十四歳で大学入学
三十歳で歯科大を卒業し勤め先に引っ越すお金も無いときにダンスの先生から
(息子さんの家庭教師をしていた)十五万円の選別を頂きやっとアパートを借り引っ越しが出来た。
阿修羅のごとく生きて、卒業五年後にはパートを含め120人の三歯科医院を経営していた。この十年間は勤務医時代の一年間だけ剣道をしたが,九年間は竹刀を持つことは一切無かった。
この勤務医時代にエピソードがある。
武道館の年越し稽古に参加した。
ある小柄な剣道家に誰が行っても全く叶わない。
小澤 丘 剣道範士九段. 三代会長だった。

西村が全力で掛かっても打ったとこにはいない。
柳の風と捌かれた!
終わった後、「貴方の仕事は何か?」と聞かれた。
「歯医者です。」答えると「歯医者にしては腕が良い!」と褒められた。
当時の剣道連盟の会長だったと思う。
当時二年連続女性優勝者と稽古をした。
やはり中々の者だった。
竹刀を全く動かさずにま直ぐ突っ込んでくる。
もし、少しでも手元を上げれば小手を打たれる。
これは試合をすればやばいなぁ!と思った。
女の日本一も西村には勝てなかった。
卒業時四段だった。
埼玉で稽古をしてどんな六段にも負けなかった。
しかし、七段の人には打てなかった。これが不思議だった。
県立武道館での稽古で六段の人が下から掛かってくるのを平気で捌いていた。
南浦和の道場で佐藤顕と一度だけ稽古をしたことがあった。
その年、埼玉で五段の審査を受けた。
国体選手だったと思う。
審査の後、佐藤顕先生と廊下ですれ違ったとき、「西村君今日は良かった!」と褒められた。(埼玉県剣道連盟会長)
たった一回しか稽古をしていないのに覚えてくれていたのには驚いた
ある大柄な人と稽古をした。
全く歯が立たなかった・・・現役 警視庁のプロかと思った。
埼玉でも原田先生に教わったと言うと皆様うなずいてくれた。

きりが無いので,今日はこれまで!
レスをつける


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回想録-2
西村雅興
2020年1月1日(水)
回想録-2

西村の掲示板の内容を理解していただくには,西村の剣道の人生を知ってもらった方がより理解し易いと思って書きます。
さらに深く知りたいと思えば「もっと劇的にもっとラクに、あなたは変われる。こんなに人生は楽しくなる。」KKロングセラーズ 著者 西村雅興
絶版ですがAmazonで調べれば中古で変えます。
安いのは1円、新品同様だとプレミアムがついて5000〜10,000円で買えます。
この本で多くの人が救われました。
赤井英和君も秀吉の撮影の合間は赤鉛筆を持って読んでいたと聞きました。
西村の魂の叫び声が聞こえます。良かった手に入れて読んで下さい。

西村は小学六年時代、中学一年の時は機械体操をしていました。
空中転回、地上転回,日に何十回と飛んでいました。
二年生になった時剣道部が出来たので剣道部に入りました。
部活の先生はバレー部の掛け持ちで県大会で良い成績をおさめる先生でした。
結局,先生なしでチャンバラをやっていただけでした。
網干警察署で剣道をやっているというので出かけました。
中学二年生で,無免許で当時流行った三輪の円ハンドルの自動車を運転して行っていました。
警察署の前に車を留めて、防具を担いで道場へ行っていました。
今思えばおおらかな時代でした。体が大きかったのでまさか中学生の無免許とは誰も思わなかったのでしょう。
そこでも,剣道を教わった覚えは無いのです。
見様見まねで、ただやって楽しんでいただけでした。
あるとき中学高校区別無しの試合で優勝しました。
その時の高校生がうちの高校に来いよと、声をかけてくれたのを覚えています。
結局,一番大切な時期に全く教わらず我流でやっていたのです。
当時は家庭の事情をもあり、気がすさんでいたので制服の右にジャックナイフ、左に自転車のチエンを入れて学校へ行っていたのです。
当時の部下が各の高校に進学し番長になっていました。
少年院、やくざの道にすすむ生徒の多い学校でした。
あのまま地元にたら義理で喧嘩をして傷害罪でお犯していたかもしれないと思うとゾーとします。
三年生の担任の先生はたまたま理科の先生でした。
自分の教科は100点取る西村が200人中40番くらいの成績であることに疑問を持ちました。
先生が言った 「西村君!この成績は貴方の実力では無いでしょう!」
西村はエー¡と思った。先生はそんなに思ってくれているのだ!舞い上がりました
翌日から勉強に嵌まりました。
お尻が痛くなるほど勉強をしたら、実力テストで学年で三位になってしまった。
中学三年の三学期はオール5になってしまっていた。
一番と二番は京大に進学しています。
付け焼き刃では超すことは出来ないようです。
しかし,先生の一言で人生が変わるものです。
九人の末っ子ですから,親も年をとっている,大学までは行かせてもらえないと不安がありました。
積水化学の養成校の募集があったので応募をすると、12人応募して受かったのは西村一人でした。
後で知ったのですが倍率は100倍くらいだったそうです。
誰もが小学時代、中学時代生徒会長していた人ばかりです。
経済的理由でこの道を選択したのでしょう。
毎朝六時起床、体操後数キロ走り、掃除をし学校へ行き部活をする毎日でした。
争って腹筋百回、腕立て百回とやっていたものです。
私が主将で一年生には毎日半年間15キロ走らせ、それから竹刀を持たせ基本運動、打ち込み稽古をさせました。
面を着けての練習は半年後の事でした。
当時、胴を着け天王山を走って登ったり。町の中を走っていました。
その時サントリーの瓶詰め課の課長の橋詰め先生が自発的に指導に来てくざさいました。
そこで、初めて剣道の指導を受けたのです。
いろんな大会に出させていただき、ほとんど優勝して来ました。
京都の大学生,一般の人にも負けることはほとんどなかった。
ただ!あるときだけは団体戦で完敗を期しました。
橋詰め先生が「相手はプロだから仕方が無いよ!」と言われました。
ともかく、何で負けたか全く判らなかったのです。
後で分かったのですが、京都府警の特練のAチームの大将だったのです。
今思えば当然のことです。
京都社会人の団体戦で、総合計15段までとの試合がありました。
我が校のA,Bチームは順調に勝ち上がり、準決勝は同門対決でした。
Bチームは面を着けて三ヶ月の後輩です。
たった三ヶ月面を着けて稽古をしただけで、準決勝進出を果たしたのです。
剣道とはこんなもんです!
朝に数キロ、半年間15キロ、基本打ちの練習だけで、面を着けての打ち合いは三ヶ月でここまでになれるのです。
大人の馴れ合い稽古と年齢は鍛え上げた高校生のスピードの前には全く歯が立たないということです。
決勝戦で困りました!いくら入っても,打っても審判が旗を挙げないのです。
決勝戦の大将戦では速い軽いは一本にしないのです。
これには参りました!急に一本の判断価値を変えられたのです。
高校生に優勝させる分けにはいかなかったのでしょう。

さて、西村はそのうち剣道はしたいなあと思い、当時5,7リッター大型アメ車で京都に行き、昼は京都大会を観戦し、夜は毎日、雄琴で髭をそっていました。
当時は毎月百万円位遊ぶお金があったときでしたから。
あるとき、原田先生の立ち会いを観て、参加資格が六段と言うことを知り、急に六段がほしくなりました。

あるとき,ふと思い出しました。
橋詰め先生は参加しているかなあ?と思ってプログラムを見ました。
先生の名前を見つけ、観戦し、その後挨拶に行きました。
17歳の時に離れ、40歳になっての再会でした。
京都での六段審査、七段審査にも見に来てくれました。
剣道を始めて指導をしてくれた先生です。

積水の卒業前の二月に出奔をし、義理の兄に世話になり普通科の高校を一年生からやり直しました。

あるとき、義兄の知り合いが相模原の剣道大会があると教えてくれ参加しました。
負けたと思い帰ったら後から三位の賞状が届きました。
あるとき、ある先生から模範試合をやれと言われてやりました。
何の苦も無く簡単に片付けました。
後で聞くと、その年に神奈川県インターハイ個人出場選手でした。
西村に声をかけたのは警視庁の剣道の先生で、相手の師匠だったようです。
それから数十年後、七段を志していたので武道館へ審査風景を見に行きました。
大柄な男で見事な立ち会いを観て、あいつは絶対受かるよと思いました。
暫くすると、横から「西村さん久しぶりです!」と声をかけてくれた人がいた。
昔、模範試合の立ち会いの相手だったのです。
よっぽど悔しかったのでしょう!全く会わなかったのに西村の顔を覚えていた。
座っていたところが相模原市剣道連盟の人達の観戦場所だったのです。

新たに高校の一年生になっても、そこには剣道部が無かったのです。
そこで剣道部を作ろうと思い募集をしました,寄せ集めの剣道部です。
試合前に数回稽古をするだけでした。
それでも東京都でベスト8になりました。
その時、巣鴨の大将に負けた記憶があります。
社会人で試合をしてきた西村には高校生に負けるなんて頭の片隅にもなかった。
あれ!失敗したかなぁ!くらいの感覚でした。
積水で鍛え上げた体は体育の授業で砲丸投げをすると、世田谷区の記録を遙かに超えたのです。
その時の体育の先生が言ったのです。
「明治でアメラグをやるなら合格点の半分で入れてやる。」
西村は答えました「先生!明治なら入れてもらわなくても入れます。」
その後約七年後、盛岡のカワイダンスホールで出会うのです。
岩手国体の東京都代表を連れて来られていたのです。
「おう!西村奇遇だな!」と声をかけられました。
そのスポーツでは東京で有名な立場の先生だったのでしょう。
当時、国士舘高校は硬派で通っていました。
あの制服を観ると,一緒に歩いて同級生が別の道へ隠れるのです。
剣道も別格で強かったようです。
毎年、世田谷区で団体戦で日本学園の我が選手は2−0で副将まで完敗です。
しかし、大将戦は2-0で西村の勝ちです。
翌年、又同じく大将戦は2-0で西村が勝ちます。{稽古はほとんどしていません}翌々年、何と前半を頑張り大将戦まで持ってきたのです。
その時の相手の大将が強かったようです。
西村は三年間ほとんど稽古をしていなかったせいもあるようです}
時間終了間際、西村は相手とすれ違っていました。
分けがわかないのですが,西村に旗が挙がっていたのです。
後で聞いたところ、「見事な抜き胴が入った!」と聞きました。
全く覚えていないのです。
「負けに不思議の負け無し、勝ちに不思議の勝ちあり。」の言葉通りです。
年齢的には大学2年の年齢ですから褒めた話ではありません。
この不思議体験こそ「無心になった時,智が対応する真我のなせる技」だと
後々気がつくのです。
国士舘の大将は国士舘大学に進学し、大学生になって後輩の応援に来ているのです。
あれ!西村さんまだやっている!と思う訳です。
そのうちの一人が私のところにやって来て、「先輩!いつ高校を卒業するのですか?」と聞いてきた。
それからずーっと年月がたち、甥っ子が日本学園に入学した。
部活の紹介で「我が日本学園高校はあの国士舘に勝ったことがある!」と叫んだようです。
「兄さんの高校時代の話でしょう!」
積水で鍛え上げた体のお陰の名残でやっていたのでしょう。
  
長々と自慢話を書きましたが、一番のポイントは【全く覚えていない胴を打った】事です。
これが面なら【真面】です。
その時は気がつかなかったのですが,【真我】に出会った最初です。
それから、四年間の死ぬより辛い浪人生活が始まるとは夢にも思いませんでした。

縁有って、岩手医大の歯学部に入って剣道部に入りました。
それでも、来年の医学部試験に備えて毎日5時間くらい勉強をしていました。あるとき、義兄が歯医者で行くようにとの勧めで医師への思いは消えました。

それからの挫折感は大きく、人間性が豹変したように変わったようです。
無念さの思いを竹刀で相手にぶつけていたようです。
相手こそいい迷惑です!
入学時は六年生と同じ年齢です。
先輩が私の事を【虎男】とあだ名をつけました。
私の仲人になった友人が私の事を「吠えてる犬の鎖を外したら飛びかかる犬のようだ」と言っていました。

あるとき盛岡一高の剣道部が練習に来ました。
学部の上の方になるとほとんど練習に来なかった。
彼らに対峙出来るのは西村一人でした。
一高の卒業生に(今は大きな眼科病院の院長になっている)「俺を一高の練習に連れて行け!」と言って乗り込みました。
先日の敵討ちに、一人で乗り込んだのです。
突くわ、投げ飛ばすわ、選手全員コテンパンに叩きのめしました。
「女の剣道であるまいし!今日打たれたくらいに強くて!」と言ってかえりました。まるでヤクザの襲撃のようです。
医大から【鬼が来た】と言っていたそうです。
しかし,良いこともあった。
彼らは打ちのめされて、自分たちの打ちの軽さを思い知らされ、強い打ちへの稽古をしました。
何と県下一番の進学校がインターハイの代表になったのです。
勝敗は紙一重、旗が挙がるか紙一重、強い打ちを心がければ、この様な事も起こりうるのです。
原田先生が赴任した高校は三年後、県下三位に登ってくるのも頷けます。

大晦日、格闘技で最終戦、相手もキックでは第一人者。
しかし、持っている感性が全然違う!
相手の無意識が打とうと思った瞬間すでにパンチを入れている。
妻は格闘技を観る人では無い。
しかし、この試合を観て興奮していた。
「あの子は凄い!今度試合があったら観よう!」 妻の凄い感性を刺激したようだ。
私の妻の感性は西村の十倍鋭いのだ。
賀来先生との稽古で未発の発で何本も小手を取られ、ショックで夜うなされて寝汗をかいて気管支炎になって寝込んだことがある。
原田先生も同じだ!小さなビデオの画面を観て、何をするか知っていた。
佐藤先生も朝のテレビ番組で「はい次は面を打ちます、次は小手です」と
100%前もって当ていた。

西村は強そうな事を書いている、医学生なんかどれ程のものかと思っていた。
しかし、全く歯が立たない無い先輩が二人いた。
一人は主将の斉藤なさん。
学生選手権で個人八位になったと聞く。
合宿では竹刀を抱いて寝ると聞いたことがある。
もう一人は越前さんと云う人だ。
一年間一本も取られないのだ。
団体戦では引き分けになることがある。
しかし,個人戦では最後まで勝つのだ。
彼がいつも言う「俺は面を打ったのだが、どう言うわけか、小手が入っている。」
お母さんはスキーのオリンピック選手、お父さんは剣道家。
彼は小学時代日本一になっている。
秋田高校が国体、インターハイを制したとき、勝てない相手が大館の高校に一人いると言わしめた男だ。
この二人との稽古は西村の頭を悩ました。
斉藤、越前、西村の三人が市の団体戦に出ると県警の特練の選手に勝って優勝してしまう。
越前さんには最後まで勝てなかった。
しかし、工夫をして罠にかけると一本は取れるようになった。

一年生の時、合宿をサボってダンスの試合に出た。
それがバレて,選手を外されたことがある。
その後は稽古に励んだ。
翌年、岩手日報に「台風の目,医大の西村」と書かれたことがある。
決勝戦は県警の先方で試合巧者だった。
相手の小手がドッチボールの様に大きく見えた!
思わず小手を打っていた,それで優勝した。
普段,西村は小手を打たない。
皆様から台風の目が優勝したと散々言われた。
 
積水にいたとき、ある怪我で左小指が効かなくなった。
これが無ければ警察官になって剣道で飯を食おうかと思ったことがある。
この二人を観たとき、上には上があると知り歯医者の世界に入って良かったと思った。
後輩に五月女と言うのが入部した。
初めての越前さんとの稽古で互角に対峙するのを観てびっくりした。
本人の凄い才能もあろうが、脇の締まった鋭い打ちは教わった先生のお陰だと思った。
あの剣道は尊敬に値すると思った。
暫く剣道から遠ざかっていたが、リバイバル組だが再開すると直ぐに七段になった。
あるとき原田先生に聞いた。
「先生の様な良い見本があるのに、何故岩手の先生の剣風を見習わないのですか?」原田先生は答えた。
「明石はやった!」と一言いった。
(明石先生は全日本選手権で二回三位に入賞している。)
岩手でこれは格が違うと思った人が二人いた。
お二人は八段になっている。
岩手国体用の選手に選抜されて、岩手の大学へ就職させられた先生方だ。
国体県は数年前からめぼしい選手を引っ張っているということだ。
このお二人と西村では明らかに違いがあるのだ。

西村の教えに先をを取る意味がある。
お札をジーと見つめさせ落とすと100%掴めないといっていた。
今まで誰にしてもそうだった。
今回ハワイから歯の検診に三枝先生の息子さんが来院した。
彼はピアノの修業にボストンの大学へ行き、目下ハワイで音楽で、ピアノで飯を食っている。
彼にこれをやると、100%掴んでしまうのだ!
西村はびっくりした!こんな事があるのか!
彼は見た瞬間、脳の指令を介さずに掴むのだ!
三枝先生は超能力気功整体師で服の上からでも気の流れが見える。
多くの有名人を施術している。
福島の放射線を東京で感じるので,北海道へ家を移した。
合気道では塩田剛三先生の弟子で、御互道の一派を開いた。
地震の予測が当たるので有名な人だ。
次男も占い的思考が鋭く先生と云われていて、彼の感性も高くこの子に剣道を教えたいと私に思わせた。
この三男はさらに上を行くのだ!

持田先生の地元で聞いたことがある。
「彼は、ミカン取りでは誰にも負けなかった!」と伝説がある。

剣道で勝ち負け、勝負にこだわっても意味が無い。
遺伝子レベルで勝負がついているからだ。
親を恨むしか無い。
[それを言っちゃお終いよ!]と虎さんが言いそうだが、それが現実だ。

親は自分の出来なかった事を子供に期待するが、自分たち夫婦のをよくよく観察すればそれは子供に可哀想なものだとわかりそうだが。
DNAの組み合わせの番外を期待するしか無い!

ここで言いたいことは、剣道の理合いを十分に教わり、体の自然な合理的な
動きになるように科学的に検証していけば、あるレベルにまでは行けると言うことだ。
それは良き師を見つけ、信じて素直に精進する事だ!
教えてあげたいと思っても、その人のプライドが邪魔をして素直になれない。

青木君が私に言った。
「西村先生が八段になれば稽古をしたい人は沢山いるでしょうね!」
一時、その気になったが,そのために失う事のおきさに気がつきやめた。

人は「承認欲求」を満たすために頑張る。
頑張りすぎて自分を見失う。
時に,この逆を行って、拗ねて自分を捨てる人がいる。

この回想録-2は十分をわきまえる事を書いている。
自分を過大評価すること無く、過小評価すること無く、本来の自分の姿で生きていきたいと書いている。
簡単な事だ【心から自分を愛すれば良いだけだ!】
良く意味がわからない人は次の本を読んでほしい。
 愛と怖れ―愛は怖れをサバ折りにする。
ジェラルド・G. ジャンポルスキー、 袰岩 ナオミ | 1990/6/1

剣道で勝たなくても、昇段しなくてもそのために努力し、なにかをに気がつき人生が豊かになった人が勝者なのだ!
 

次に続く
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回想録-3
西村雅興
2020年1月2日(木)
回想録-3

西村が大学2年生の時、医学部、歯学部の全国大会が盛岡であった。
団体、個人とも全て優勝し、完全制覇を成し遂げた。
その時、産婦人科を開業している村井先生が、天下の名人がこの地に一同に集まることは二度と無い。
そこで、有名な範士八段の先生方を招いて食事会をした。
(各校の剣道の師範をされていた先生方)
その頃は未熟で先生方の偉大さは知らなかった。
大きく記憶にあることがある。
数々の試合で名声を得ていた、小柄ながら上段の大浦先生と話をした。
この料亭は中々良い、俺の家くらいあると言っていた。
剣道でも事業でも成功しているらしい。
西村が聞いた
「先生!剣道の強さは何で決まるのですか?」
大浦先生は腹をぽんと叩いた。
「肚できまる!」と言った。
当時の西村には全く理解出来ない事だった。
そのことが真に判るようになるには30年以上掛かった。

京都大会で大浦範士先生の立会を観た。
相手は剛剣で有名な先生です。
この先生が打って行くも大浦先生はピクリともしなかた。
この様子は剣道雑誌で高く評価をされていた。
西村が剣道の奥深さに気がつき始めた頃です。
歯学体の機会に先生の側に行って色んな話をした聞くようにした、

原田先生が盛岡市の高校に赴任された。
歯科学生の六年生は死ぬほど忙しい時期です。
朝早く起き勉強し、昼間は臨床実習、レポートを書き、家庭教師にも行き。そのめまぐるしい中で週一回の武徳殿での原田先生との稽古は欠かさなかった。
この一年間の稽古が西村の剣道の基礎が出来上がったとおもう。
春になり卒業して埼玉の南浦和の尾澤先生にところに勤務した、
尾沢先生は歯科医としての原田先生のような存在だった。

南浦和の駅近くの剣道場へ出かけた。
当時、段位は四段だが、五,六段の誰にも負けなかった。
原田先生との一年間の稽古でダントツの進歩をしていたのだ。
県の稽古会に行くと、六段が下から掛かってくるのを簡単に捌いていた。
相手が勝手に下からお願いしますと言うのだから、元立にたっていた。

五段の審査の時に会場で西村が四段知られてしまった。
前にも書いたが、佐藤顕範士に良かった!と言われる程に出来が良かった。
原田先生との一年間の稽古が今の基礎になっていて、外に出てみて如何に強くなっていたかが初めて実感した。

あるとき,国士舘の学生が埼玉の体育館で出稽古に来ていた。
そのとき楢崎正彦範士の稽古を観た!
鶴の様にスターンと立ち、一瞬に国士舘監督矢野先生の面をとらえていた。
一時あの面に憧れた!
しかし、あるときある十段の会話で「あのレベルになったのに、自分から面を打ち込むのはどうかとおもう。」
成る程!剣道はレベルに応じてすべきがあるらしい剣道があるらしいと思った。

国士舘の選手と地元インターハイに出た高校生が試合をした。
圧倒的に高校生の勝利だった。
素早く竹刀の先を当てに行けば高校生に分があるのだ。
しかし、稽古をすると全く歯が立たないと思う。 

エピソード
剣道日本の若手の記者が取材に来た。
善意本選手権にも出ている新進気鋭の若手剣士だ。
私が彼にあの人と稽古をしたらどうかと勧めた。
小柄な初老の老人で迫力なんか全くない。
しかし、彼は全く歯が立たなかった。
私は彼に耳元で「リューマチ持ちの先生ですよ!」彼は絶句した。
彼は八段になり武道館の合同稽古に来ていたときに、「あのときはお爺ちゃんに歯が立たなかったねえ!」と西村が言った。
彼は素直に「それが私の剣道の課題です!」とさわやかに言った。

勤務は一年で七千万円命担保で借りて、青山通りで開業した。
それから十年間は剣道どころではなかった。
ただいつか剣道をしたいと京都大会は見に行っていた。
竹刀を持つのは十年後だった。

仕事は順調で所得は妻に一千万私は六千万円位あった。
娘をスイス、息子をイギリスへ留学させるお金もあった。

京都大会の出場資格が六段以上と知り、毎年一年に一回京都で原田先生と稽古をしたいと思うようになった。
竹刀を持って三回目、誰かが後ろ脚をバット出限りだ殴ったと思った。
重度の肉離れだった!
何ヶ月かたって竹刀を持って稽古を始めた。
自分では気がつかなかったが、体重の全部を右足にかけてたようだ。

六段なんてメじゃないと高をくくっていた。
四段の時に六段に負けたことが無いからだ。
十年間の時間の剣道的空虚さ、さらに左足の肉離れ!

審査では小柄な人に面を打ちに行って、小手を打たれて不合格だった。
十年ぶり16回しか稽古をしないで試験を受けたのだから相当なめていたのだ。
その様子を隣の試験所の審判関から原田先生がこれを見ていた


前にも書きましたが、西村が10年ぶりに剣道を始め、3回目で肉離れ、一ヶ月間の松葉杖、そしてその後二ヶ月間の16回の稽古で六段を受けた時の話です。
10年ぶり20回も稽古をしないで六段を受ける図々しさ。
思い上がりもはなはだしい限りですが、卒業して3医院従業員100人を超える経営を図々しくやっていた頃です。

もし、肉離れをしないで一回で六段に受かってしまっておれば、あのままの人生を送り、西村は今ごろこの世にいなかったと思います。
しかし、西村の運命は次の手紙で救われました。





『冠略
一昨日、武道館で久し振りに拝見致しました。
審査が終了してさがしても見当たらず、
連絡もできないので帰りました。
今回は今少しのところで残念でしたが
おそらく次回は充分と思います。
是非連絡したいので、牛袋君に住所を教えてもらいました。
気の付いたところを二、三御連絡致します。

一、気力、姿勢、態度、手の内とも全く非の打ち所なし、立派です。
一、右足に体重がかかりすぎていました。
  左足のかかとをもっと下ろして両足に平均に重心がかかるようにすると良いと  思います。
  そうすることで左手にぎりが『ツボ』に収まり相手のわざのおこりや、打突の  色のおこりに打ち込める筈です。
  打とう打とうが先になり、肩に力が入り、重心が前足にかかると、相手に色が  見えて打突がおくれると思います。
一、攻めは今のままでよろしいと思いますので、
  相手を打ち込もうと思う気をぐっとこらえて、相手の色(攻める鼻や、打突の  おこり、相手の打突のつきたところなど)に
  合わせた、一生懸命の打突、(小手でも面でも)(肩の力をぬいて) 
  であれば最高です。
  御精進を念じ上げます。
  用件のみで
  十一月二十九日
          原田源次拝
  西村殿


この手紙を読んで、早速ビデオを撮りました。
先生のご指摘通りでした。
ビデオに映る己が姿に顔が真っ赤になりました。
何と醜い心の剣道なのかと。
左足の肉離れで体重が前足に以前よりかかっていたのです。
相手をただひっぱたけば俺は強いの確認作業だった。
逆に言えば「弱虫、」「意気地無し」の証だったのです。
これは剣道以前の問題だ!生き方の問題なのだと気がつき、それ以後は一年間全く剣道をする事なく、ひたすら自己を見つける心の修業をし、二院を10月12月に閉鎖し、翌年正月から稽古を始めました。
すると五月には誰もが認める充分さで受かりました。
稽古回数は約50回でした。

今思えば、あの時剣道を始めた事、肉離れをした事、原田源次先生からのお手紙があったこと、心の修業のチャンスをいただいたこと・・・
1日が20分にしか感じない阿修羅のごとく走ってきて、ビール一杯で朝方吐き気がするほどに体【肝臓】が参っていたのですから。(昔は二升飲んでも平気、ビールは水感覚でした)
原田源次先生の手紙で九死に一生を得たのです。
だから、師匠は命の恩人なのです。
西村が昇段審査を受ける人に指導をするのは、原田源次先生の恩を忘れず、昇段を目指す人に人に親切にすると心に決めたからです。


ある先生が「西村先生は何故そこまで原田先生に入れ込むの?」と聞いた。
にしむらは言った。
「命の恩人だからです!」
幸せに活きるために、
二つの診療室を止めるということは一億三千万円捨てると言うことです。

六段に受かるためにこれだけのお金を捨てられたのです。
後に書くかもしれませんが、国税不服審判所と三年間戦い,大きな気づきが有り
七千万円捨てました。
七段は爽やかな気分で、原田先生曰く「100点満点で160点の出来だった!」
合格しました。
お金の話をすると嫌う人はいますが、現実に六段七段をえるために二億のお金を捨てたのです。
この心の垢を落とすことで,今活きておられるのです。
命はお金で買えるのです、間に合う内ならば!


手紙の話が出たので追加します!

佐藤博信先生とお話し。

今日は先生が歯の点検で来院された。
3年ぶりなのだ。
便りの無いのは良い便りだった様だ。
思えば、西村が剣道雑誌で先生の写真を見て、気の毒にと先生の肩の症状が診て取れたのが始めだ。
その後、風の便りで肩の手術もされた聞き、その為明治村の選に漏れていたと聞く。
西村が原田源次先生から先に手紙を出していただき、その後に西村が先生の口腔内状況を手紙で送り、書いてあることが100%その通りとお云うことで来院された。
肩は正常に動くように治りその年の明治村の八段選で4回目の優勝をされた。
その後しばらくたって、イタリアへ団長で行くのだが左手が動かなくなった。
何をやってもダメで、再度来院されすぐに肩は治した。
それから叉しばらくたって、治療することがあった。
その時、九段位制が無くなったこと、今度は右ヒジが痛みが強くなったこと等で、
「俺はもう剣道をやめようかと思う。」と西村につぶやかれた。
西村が言った。
「剣道界は先生の様な実力者で、人柄の良い人が長く剣道をされる事が一番大切なことです。黙ってこの一本の歯を抜かせて下さい、そうするとヒジの痛みが楽になります。」
先生は「お任せします。」と言われた。
その後元気に剣道をされている。
癌の手術、心臓のバイパス手術を乗り越え健在である。
最近の剣道雑誌での活躍の様子を見て、西村は日本剣道界の陰の功労者と、自画自賛をしている。

帰り際に、佐藤先生が「原田源次先生から一通のハガキがきた、それが縁の始めだった!本当に良い縁に出あった、お陰で助かった!」と感慨ふかげに言われた。
西村「見知らぬ人からの手紙ではその気にならないでしょうから、原田源次先生にお願いして先に連絡をしていただきました。」
先生「本当に原田先生には感謝をしています。あれほどの先生こそ九段位になるべきだ。」と言われた。

佐藤先生が何故四回も明治村で優勝されたか!
あるとき奥様とお話をしたことがある。
「あの人のあの防具は私が稼いだお金で買ってあげたのよ!」
と言われた。
はたっと判った!
佐藤先生の承認欲求は奥様から褒められることなのだ。
自分の一番近い,愛する人から褒められたいとのエネルギーが前人未踏の結果を作っただと思った。

カナダの朝岡先生の肩を治した話をした時。
「あそこの息子が1ヶ月間警視庁で稽古をした。
中学生だから大丈夫かと言ったら、高校生並の体をしているからお願いしますと云う事だった。
警察で寝泊まりさすわけにはいかないので、西山先生の道場で一ヶ月間寝起きをさせてもらった。
あの親子は正真正銘本物剣道家だ!
あの兄貴の方は親父より強いし剣道も良い!
大したもんだ。」とベタ褒めでした。
さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

日本剣道界の為に、いつまでも元気でいてほしい先生だ!



佐藤博信先生の訃報に接し思いでを書く。
西村雅興
2014年1月6日(月)
佐藤博信先生の訃報に接し思いでを書く。

佐藤先生のお顔を剣道雑誌で見て、先生の顔の歪みからお口の歯の状態、腕や肩の痛みが観えた。
その後、西村の予測通りに腕を痛めている事を知った。
原田先生に西村が佐藤先生を治せると言って、その内容を先にハガキで送って頂いた。
そのハガキを見られた頃を見計らって、先生のお手紙を出した。
顔の歪み、歯の欠損状況、腕の症状等を書いて送った。
すると先生から電話があった。
「100%手紙に書いてある通りです。
今は主席師範になったばかりで時間が取れないので、一息ついたら治療に伺います。」
これが始まりでした。
西村は誰もが尊敬する剣道界の宝が歯が原因で腕を壊し、明治村にも出場出来ない状況を残念に思っての行動でした。
先生は暫くして来院され、西村が咬合治療をするとすっかり治られた。
そして、明治村に出場され4回目の優勝をされた。
準決勝辺りで原田先生と対戦され、佐藤先生が勝たれた。
西村の治療が原田先生に仇となってしまった。
これを縁に佐藤先生との付き合いが始まった。
その後何年も後の事だった。
先生が「腕が痛くて全く動かない。全剣連の代表でイタリア遠征の団長で出かけるが困っている、何をしても良くならないので困っている。と来院された。
診ると、左上第一小臼歯が縦にひびが入り、ここで噛むとことが出来ず顎の位置がズレてしまっている。
特別な方法で修理したら、その場で腕の痛みが消え、安心してイタリアへ行かれた。
また、それから何年もあとのことだった。
もう俺は剣道が出来ないわ!右肘が痛くて竹刀が振れないと言われた。
丁度その頃九段制が無くなり、先生の目標が消えた頃だった。
その前からーー原田先生みたいな人が九段になるべきだと言っておられた。
気落ちと腕の痛みで意気消沈されていた佐藤先生だった。
そこで、西村が言った「先生!騙されたと思って西村の言う通りに治療させてください、きっと治しますから。」
それは右上の第二大臼歯を抜歯し、顎を左に十二分に動く様にする治療だ。
この治療をすると右腕の肘の痛みは消え、剣道をする気になられた。
このような佐藤博信先生と西村との関係で色んな事が書かれている。
思い出すのはーーー「先生!今年は京都で受けるのかね!」
八段を受ける力があると佐藤先生から認めて頂いた言葉だった。
西村の返事は「私は本業が大切ですから、他に欲は出さない事にしているんです。」
と言った。
でも、力を認めて頂いた言葉は嬉しかった。

ここまで読まれた先生方は『ロゴ検索』で『佐藤』で検索して下さい。
先生と西村のやり取りが書かれています。

検索したら、後ろから(古いものから)読んで下さい。
きっと上達の秘訣、先生を偲ぶ話が多く出てきます。

読まれたら、感想をお書き下さい。
先生を送るハナムケの言葉にしたいと思います。



原田源次先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

最近は全日本剣道連盟全国稽古会の武道館へ現れぬ先生を待ちながら何度も足を運びました。
忠犬ハチ公の心境が良くわかる最近でした。
そんなとき、前回のハガキで、「俺は88才になったぞ!
少し体調を戻して剣道をする。」との連絡を頂いていました。
全剣連の合同稽古に再び来られる事を心待にしていました。
先日、京都で先生の近況を岩崎先生から聞き、毎日気を揉んでいました。
残念ながら先ほどのハガキが最後のお便りになってしまいました。
私にとって学生時代から教えを頂き、有る時は頂いた手紙で西村の人生が変わり、命の恩人に当たる人です。
多くの先生方も原田先生の教えにより正しい剣道の道を歩まれました。
偉大な先生のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。

西村と原田先生との間の話を暫くの間、詳しく報告をし、先生をしのんでいただきらいと思います。


これはアメリカ人の柔術家、路流ファーの言葉です。
アイダ・ロルフ博士によって開発された“ロルフィング”。
いま話題のヒーリングをご存知の方も多いと思いますが、ダニエル・ミルズは、日本にいる三名の公認ロルファーの一人です。
私は彼との出会いによって、身体の奥に溜まったストレスを解放するボディーワークを学びました。ダニエルの著作「光の中へ」に、私のことが書かれていますのでその一部を紹介します。

『彼は既にマスターレベルの武道家であり、次への昇段試験を計画中だった。武道家もこのレベルになると、技術やテクニックは決定的な要素となることはない。彼は言った。
「敵よりも優れた技術を持ち、相手を負かすことが勝利に結びつくのではない。乗り越えなくてはならない問題は、相手を敵とみることだ。敵がいるかぎり敗者がでる。精神的なレベルでは皆、兄弟だ。一人が負ければ、もう片方も負けなのだ」
ロルフィングをしながら会話は続いた。
「葛藤が消える意識状態があるはずだ。敵が消え、自分の一部である友人だけが残る意識状態が存在する。このビジョンを持てれば、葛藤は消える。敗者はいない。勝者だけが残る」
彼は試験に受かった。簡単に、しかも歓びをもって。試合は始まる前に終わっていた。試合はなかった。敵を完全に自分に受け入れてしまったのだ…
僕たち一人一人が現状の中で嫉妬と怖れと怒りと不足欠乏からなる競争心を彼のように超えようとするならば、人類に未来はあるかも知れない』

私が七段になったときの話です。
ダニエルは言います。
「私はロルフィングをしながら愛を語り、その人を支えます。その人が愛を取り戻したとき、病気は治り初めています。西村先生も歯を治療しながら愛を語っています。その意味で、あなたは既にヒーラーなのです」

今日はここまで
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回想録-4
西村雅興
2020年1月3日(金)
回想録-4

先ずは前置きです。
受動的・共感的態度 西村雅興 [HomePage] [Mail] 2006年1月15日(日)
西村の咬合調整は簡単なのだ。
患者様と少しお話をし、顔を眺めると、患者様の皮膚は透明になり骨と歯だけになる。
それと筋肉の緊張の強い部分は少し茶色になっている。
相手の身体がここを調整して欲しいと赤のマークが浮き出て来る。
顎関節の状態も調整して欲しい方向を示してくる。
口腔内の直視診査、咬合紙を使っての診査、筋肉の触診、関節の動きの診査・・・は確認診査なのだ。
思えば約30年間寝ても覚めても咬合と全身症状に意識を止めている。
形あるものの診断は感性の世界で既に終わっている。
後は確認の作業でしかない。
西村には見えても(診得る・観得る)、ほとんどの歯科医には見えない。
西村から見れば明き盲同然なのだ。

ここまで書くと「え!ウソ!ほんと!」と言われるかもしれない。
西村の感性で診断した事を、意識波動で相手に調整をすると、相手の身体はそれに応じて反応をする。
オーストラリアからの帰りの飛行機で女性のチーフパーサと話をしていたとき、彼女の強い肩凝りと腰痛を感じた。
そこで意識で調整をすると肩凝り腰痛がかなり楽になった。
治療に来たいならばホームページを捜してお出でと行って分かれた。
佐藤博信先生の写真を見て口腔内の状況と身体の症状を正確に言い当て手紙を送った。その後先生は来院され、症状は消え、翌年明治村で四回目の優勝だ。

西村の剣道意識は歯科医として特別に咬合を意識したエネルギーの1/100にも満たない。
西村の100倍剣道に意識を投じた人の世界と比べれば、西村の剣道は彼らから見れば明き盲同然だ。
さらに、剣道での意識波動の強さやその感受性においても100倍強いのかもしれない。

長い前置きはさておく。
剣道家は攻めを研究し、相手を打つことに意識の大半を使っている。
剣道は相手との関係性、自分の中の二人との関係性のゲームなのだ。
あいてとの関係性の中から、自分の中の葛藤やさまざまな気付きを通して成長をする。
これが本当の剣道の効用なのだ。
西村もそうだが、ほとんどの剣道家は相手に対して意識波動を送って攻める事ばかりに熱心だ。
西村の今年の剣道の目標は
相手と十分に語らい、相手の意識をしっかり把握し、後は
身体の叡知に任せる。』
『攻めの剣道から、語らいの剣道への転換』なのだ。

攻めと攻めとの語らいから、相手の微妙な攻め返しさを察知して事が進む。
攻めずにボーッとした瞬間、、相手がしめたとばかりに反応する。
・・・・等々の研究を進めてみたいと思っている。

本業においては、先ず患者様に出会った時は、相手の能動的態度・発言、ノンバーバル(非言語的)な情報を、共感的受動的態度で接し相手を把握するとこから始まる。
ここの受動的感性が今の西村の治療成功の秘訣なのだ。
しかし、剣道においては西村は能動的態度・攻めの部分のみが先行している自分に気がつく。

剣道が名人の世界への扉を開く秘訣はここに有るようだ。
少なくとも、六段を取得すると次へのステップの大きな課題だと思う。

先日八段を取った先生が『戦わずして勝つ』の心境が大切なのだ。
『鞘の内で勝負が決まる」・・・世界なのだ。

原田源次先生は始めから終わりまで緩い攻めの流れにある。
相手の反応に耳を傾け、後は身体が反射的に動いている。
『神妙剣』の極意なのだ。
始めから終わりまでの攻め・・・足・体が前に出ていく
反射・・・手が勝手に動く
『手は勝手に動くわなあ!しかし、足はそうは行かない。』
足は自分を捨てきらないと前に出れない。
攻めはいる前の『死ぬ覚悟』なのだ。

今日書いたことを、今日の剣道で早速実践だ!


Re:受動的・共感的態度
夏井 [HomePage] [Mail]
2006年1月16日(月)
能動的な攻めの波動意識と相手から攻めを受信する感受性、そのお互いの語り合いが剣道の楽しさなんですね。
西村先生の意識体験する世界の解説は、わかりやすく面白いです。

最近はあまり稽古時間は取れないので、意識レベルの修行は怠らないよう心がけています。
道場での稽古時間だけではない剣道も重要だと思います。

京都での稽古、剣道談義楽しみにしております。
それでは、よろしくお願い申し上げます。


本題に入ります。

ある日、十段と言われた乳井先生のビデを観た。
ある種の感動を覚えた。
何故あのようなことが出来るのか?頭の中ではクルクル回っている。
解明するしか無い!

毎晩、寝る前に3時間ほど繰り返して観た。
エ!と思うとスロー、ストップ観ていく。
少し理解ができると布団から出て竹刀を持ってマンジョンの前の広場に出て検証する。寝てなんかいられない、興奮して汗びっしょりだから。
約一ヶ月間毎日繰り返した。
約100時間見た結果、あるシンプルな事に気がついた。
乳井先生は打つ前に相手の目を一瞬、自分の竹刀の先を見させている。
相手は無意識で観るのだが、その一瞬0,2秒は反応出来ない状況なのだ。

リフラクトリー・ピリオド(脳の空白時間)をご存知でしょうか?簡単にいえば、「慣れてしまうと、脳が停止してしまう」という現象です。
リフラクトリー(refractory)とは、英訳でいうと「手に負えない,御しがたい,言うことをきかない」、ピリオド(period)は時期など、合わせて直訳すれば「不応期」ということになります。

乳井先生は意識的にこの状態を作り、ある一瞬相手を案山子にしてしまっている。
打つ前に必ずこの作業を無意識にして打っている。
それなら相手を打てるわけだ。
高校生のフェイントもレベルは違うが基本的に同じなのだ。
昇段審査を観ると、お互いに打つ!と意識して打っている。
そして、相打ちで永遠と落ちている。

相手の頭では無くて無意識レベルでこちらの竹刀の先へ誘導し、好きが出来たところを討ち取る。
典型的なところでは、原田先生は竹刀を裏から二回回す、少しこれで気を引き、次に裏から二回はじく。
相手の無意識は原田先生本体と対峙せず、否応なく原田先生の竹刀の先に引きずられれていく。
その後、三橋流の竹刀の先を下から攻め入る。
相手は原田先生に正対しているつもりだが、無意識は竹刀の攻めは入りを嫌がりこれを押さえと{小手を用心して}する。
この瞬間あたかも面を打ってくざさいとばかりに面を差し出してくる。

西村的には押し合っていた気の空間が、一瞬に消えそこに吸い込まれるように打ってしまっている。
打っているのでは無くて、無意識が勝手に吸い込まれて打ってしまっていると言う感じなのだ。

無刀取りとは、相手が打たんと思った(無意識レベルで)その瞬間、押し合って攻め合っていた空間が空虚になり無意識に間を盗み、相手の間合いに深く入り束を押さえてしまう技である。
無意識が吸い込まれるように体を進めている。

スポーツチャンバラで小太刀{60センチ}と短刀(20センチ)の模範試合をを田辺会長がやらせる。
会長の意思は刃物に棒きれを持たせれば身を守れる見本を見せたいのだ。
しかし、現実には短刀が勝ってしなうのだ。
小太刀を持っているのは先生格なのだ。
短刀が勝ってしまうので田辺会長は頭を掻いて「こまったな!」とつぶやく。

これを検証すると、得物の長い方は間合いの有意差を無意識に思っている。
短刀の方は間合いの不利さを無意識に感じている。
この無為識の差で勝負がついているのだ。
短刀は間合いの不利さを無意識に感じているからこそ、必死で身を守ろうとする。相手が打たんと無意識が思った瞬間、胸の前に気の空間が消えるのだ。
そこへ無意識に足が出て手が伸び刺してしなうことになる。
腕が下、得物が不利、二つの不利が有りながら短刀が勝ってしまう!

武術とは気の応酬であり、相手の気を操れればその時点で勝負有りなのだ。
西村は普段の稽古ではこの勝負に勝った後、相手にうたせてあげている。
ある人は西村先生は本気でやってくれないと怒る人もいる。
ある人は打たせてもらって自分が勝ったと勘違いする人もいる。
田辺会長は言った。
「指導者は相手をたたきのめしてはいけない。はい!そこが貴方の弱いところですよ!と,教育的打突が出来ないと指導者では無い!」
この精神の心の広さがスポーツチャンバラを世界的に広めている。
この先生には真に武道家の心を教わったと感謝をしている。

最初は抜刀術を教わりに横浜まで行った
そこで、ソフトな棒でチャンバラをやっていた。
女の子とやってみたら完全に負けてしまった。
そこで本気になったら二年後は全日本で優勝、翌年も優勝、三回目は出なかった。三回勝つと優勝旗をもらってしまい、誰かが寄付をしないと行けないからだ。
同じメンバーが西村抜きで三位だった。

当時、誰よりも強かった。
それは,相手が空手五段の武道家で前年度優勝者であれば、相手の心は西村のての平で転ばされるから、猫じゃらし状態なのだ。
二回目優勝ししたとき、大将戦は中学生の体操の選手だった。
これは困った!武道を知らない相手とは全く合気にならない。
宇宙人と戦っている様な気がした。
会場の人も審判も西村のことは知っている。
孤立無援の状態だった。
試合前に今年も優勝しょうとハッパをかけていたので勝つしかない。
仕方が無く、意識を変え相手を殺しに行った。
ここまで勝ち進んで来るだけあって相手の感性は非常に高い。
西村の意識は変わった瞬間、相手はフリーズした。
ズカズカと前に進み面をビシッと打った。
後から、子供相手に大人げないことをしたものだと後悔した。

ここで書いてあることは無意識の世界を操る、陰流の極意の世界である。

次に出てくる範士は岩立範士八段とのことである。

京都である先生の前に数人が並び、稽古をお願いしている。
あれ!見事な面をいつ先生だ!と感じた。
直ぐ横の先生が「真っ二つに斬られている!」と叫んだ。
まさにその通りだった。
稽古をお願いしょうと思ったが止めた!
草野球の選手がプロ野球の選手と闘っても失礼なだけだと思ったからだ。
それからは岩立先生のビデオを片っ端から集め研究をした。
何でもそうだが100時間くらいビデオでスロー、その場面をコマ送りなどして検証すると、先生ご本人が知らない岩立先生の奥が観てきた。
数年後武道館で稽古をしたときはお互いが合気にならなかった。

佐藤博信先生の話から・・・・

先生
「西村先生が前に言ったことなんだよ!
岩立先生の攻めの話なんだが、あれは凄いよ!
ぎりぎり攻めた後、体の変化はほとんど無いようだが、腰だけすっと気持ち前に出す。
袴が前足の指をそっと隠す程のでだよな。
年をとると何とか相手を引き出してやろうと思う、それがなかなか難しい。
これを使うと相手は面に跳んでくるよ!
勘の良いヤツほどすっ飛んで来る。
ここの微妙なところの反応が良いヤツは、すぐに八段に上がってきている。
しかし、よくあんな微妙なものがわかったもんだ。
おかげで重宝しているよ。」

西村
「岩立先生のビデオを100時間ぐらい見れば気がつきますよ!
なんで!あそこで相手が打とうと起こるのか?
どうしてもわからないので何度も何度も繰り返し見てわかったのです。
岩立先生は『心で打つぞ!』と気を入れイメージが攻めると、無意識に体はその予備動作をするんですよ。
そうすると、勘の良い人は相手の予備動作を察知して負けるものかと打ってくるんですよ。
普通は無意識の動きですが、西村はこれを上手に意識して使うので、相手を起こすのが上手いです。」
先生
「反応が無いのがいるなこれは困る!」
西村
「このときはさらに、首の後ろを緩め、すっと頭を前に出します。
そうすると必ず面を打ってきます。」
先生
「なるほどな!」
西村
「博信先生は剣道のプロで鍛え上げてきていますが、西村のような剣道家は研究でなんとか腕を上げたいと思っていますからこのようにしないとなかなか腕は上がりません。」

佐藤先生は警視庁で剣道のプロで鍛え上げて自然に身に付いている。
しかし、頭を使って上達の方法もある。
この誘導方法は佐藤先生もご存じなかった。
岩立先生自身も心の攻めで相手を引き出していたが、その意識がスッと腰が前に軽く進んでいるとはご存じない。
我々は達人の攻め口をスロー、コマ送り等でその極意を盗み取る、勉強すると以外に早く上達をする。
逆に、そのように攻められたとき、あわてずに相手の攻め口を逆に利用すれば読み勝ち値となり裏を取れる。
岩立先生との稽古で、攻めの誘いに乗ってあげて面に来たところを小手に斬った。
岩立先生が江戸川の先生と話をしていて、「西村君て知っているかね、あの人は難しい!」と言ったそうな。

剣道の稽古を幾ら重ねても岩立先生を打てるようになならない。
しかし、ビデオで検証する!
スロー、コマ送りと観ていくと,通常では見えない動き、その奥にある心、無意識も見えてくる。
文明の利器を使えばならではできることだ。
ご本人さえ知らない無意識まで読み取れる。
三橋先生の「剣道は読みと,反射だ!」まさにその通りなのだ!
見えないもの、感じないものは読みようが無い。
ビデオならばそれが可能だ!

岩立範士について「岩立」で検索 - 79件見つかりました。
このログ検索で79全てユックリ,かみしめて読んでみましょう!
今年最高のプレゼントかもしれません。
特に高段者には良い読み物になり、明日からの剣道にお役に立てると思います。西村の剣道の分析方法は何処にもありません。



さて次は範士八段賀来先生です。
「賀来」で検索 - 91件見つかりました。
ログ検索で是非お読み下さい。
 
名古屋で先生に稽古をお願いした。

西村の無意識が打とうと思った瞬間先生は察知されるようです。
西村はこれを「未発の発を打たれる」と書いています。
賀来先生との稽古で未発の発で何本も小手を取られ、ショックで夜うなされて寝汗をかいて気管支炎になって寝込んだことがある。

そこから賀来先生にどっぷり嵌まりました。

またまた賀来先生の研究です。
数年たって先生が面を来たところを胴に斬っていました。
意図的に意識波動で打ち気を見せると先生は面をうったのです。
先生の感性の高さを逆手に取ったのです。
稽古の後「何で打たれたか!さっぱり判らない!」と言われました。

次は歯科大学生の剣道大会の合間での稽古でした。
うってこいと!気を送ってきます。
私はそれにのってあげます!
先生は来たか!と手元を挙げ面を挙げようとします。
その瞬間、西村は無意識に小手を押さえ面を打ち入っていました。
三本ほど同じパターンでした。
これは範士九段にも通じたパターンでした。
ずいぶん褒められました。
最後の稽古は京都でした。
よもかく、何かを思うとその時点で読まれてしまうのは判っています。
先生の前で竹刀を構えていますが、「意識は天と地の中間にある自分を意識しているだけです。」
先生が小手を打ってきたらしい!素早く刷り上げて面を打っていた。
先生が後で「隙だらけだ!」と言われました。
あの時は西村はお地蔵様の様な状態でしたから隙だらけでしょう。
先生が勘違いしてうっていったら、西村の【智】がはたらいたのです。
原始的防御本能の現れだったのです。

原田先生と賀来先生の立ち会いを観て,師匠が面を二本取ったと喜びました。
その後、「今日の賀来先生は強かった!全く動かなかった!完敗だ!」と言われました。
賀来先生の心が全く動いていないのに、二本も面を打ってしまた自分を恥じておられたのです。
今なら十分に判りますが,当時の私には不可解なことでした。

賀来先生と北海道の古川先生の稽古をビデオで撮っていました。
賀来先生は三本面を打たれました。古川先生は全く動かれませんでした。
打ってくる気配を感じられなかったのでしょう。
先生が後から言った。
「西村がビデオを撮っていた。二本なら信用しないだろうから三本打っておいた。
その日の事だった。
永松陟範士が私に言った。
「、今日、賀来先生と稽古をした。国体では大将同士で勝った。
しかし、今日稽古をして、こんなに強い先生だとは知らなかった。」
永松先生は西村の大好きな先生です。
東京都剣道大会で最後に出てこられ、日本一綺麗な面を打たれる先生と評価されている先生です。
西村の患者様です。
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回想録-5(番外編も含む)
西村雅興
2020年1月3日(金)
回想録-5

ある時期【京都剣道談議】を開催していた事があります。
当時の参加者はほぼ全員七段になっています。

あるときコーヒー浣腸をしたときがあります。
その後、土曜日30人、日曜日40人くらい稽古をしたことああります。
月曜日の朝、ひどい左の座骨神経痛で立てなくなってしまいました。
トイレに行くにも這って行く始末です。
当時、五十肩を右に作ったり、左に作ったり、腰痛も左右、座骨神経痛も左右に作り消すことも噛み合わせを変える事で自在に出来ていました。
今度ばかりは全く手も足も出ませんでした。
今思うと、浣腸ををしている長い時間、足をくの字に曲げていて、腸腰筋に無理な負荷をかけ続けた結果だと思います。
何処に行っても誰も治してくれません、楽にもしてくれません。
治療方法が見つかりません。
腰にゴムベルトをぐるぐる巻きにすると椅子にはかろうじて座れます。
20歩歩いたら立ち止まりといった歩行具合です。
腰にゴムを強く巻きながら新幹線に乗って京都へ行きました。
あろう事に朝稽古に行ったのです。
今思えばキチガイ沙汰です。
元立ちに立つも一歩も前に足を出せない。
この状況で【切り落としの極意】を授かりました
スーッと体と竹刀を真っ直ぐ頭上にあげ、相手が打ってきて、体と竹刀が伸びきった処を真っ直ぐに体と竹刀を下ろす。
見事に切り落としが決まりました。
要は相手の体と竹刀が死に態になったところを上から砕いて行くのです。
自分が前に進み、相手がまだ少しは活きているときは竹刀は打ち合い両方がハジケます。
三日間、全て切り落としでした。
後から色んな書物を調べると同様なことが書いてありました。
足は結局自分で治しました。
噛み合わせを足を痛める前にしたからです。
約一年杖をついて歩いていました。
この時のダメージは今も少し尾を引いています。
これで得意の遠間からの面は打てなくなりました。
東西対抗の西軍の大将をされた先生との稽古で、「君!もう八段に受かるよ!」と褒められたとき「昨年、七段に受かったばかりです。と言うと,絶句された。
この時の稽古風景のビデオを佐藤先生に見せたら、「良いとこ打っているなあ!」
と褒められました。
佐藤先生に「八段受けに行くのか」と言われたとき、あのときは最高の動きが出来手いたような気がします。
当時、仕事も人生も最高に上手くいっていたので、これで八段になれば罰が当たると思っていました。
外に承認欲求を満たしに行くより、世界で唯一西村だけに出来る咬合病治療顎関節症があると言う認識は八段受ける意識が薄かったのです。

身体状況のマイナスの劇的変化が「切り落としの極意を授かる!」という
授かりものをしました。
過去の例でもそうですが、何かを得るには相応の代償を払うと言うことです。

一時期、松風館へ基本稽古に通いましたが、交通渋滞、過酷な稽古、交通事故の危険、肉体が壊れそうな気がする等々を考え欲をを掻くことは止めました。

この頃から剣道で気づきつつあることは歯科医医の仕事、人生を命がけでやって来て、すでに気がついている事を知ってしまったのです。
剣道の興味は薄れ、指導に興味を持つがそれに値しない人が多すぎて止めました。
今思うのは、1月7日後数日で74歳になります。
それで、
六年後八十歳審査をうけられるように健康を維持したいなあ!と思うことです。
最高齢で八段に受かる!これを考えるとワクワクします。
何か目標が無いと元気でいられませんから。

【ちょっと番外編です。】
不思議な縁に導かれて!
          不思議な縁に驚く!
西村家を継いだ西村雅興もこの1月7日で73才 になりました。
淳一兄様の命で西村家をしっかり守れと言われ、高校・歯科大学へと進学させてもらいましたました。
お陰様でで歯科医院をを40数年間開業して来ました。
母からは喪主を頼まれ西村家を継ぎました。
菩提寺は東京都港区の築地本願寺に移しました。
お墓はお参りの事を考え 都心の麻布{六本木のすぐ近く)の麻布山善福寺に移しました。
兄の期待にも応える為に妻の協力も得、おそらく日本一の納骨壇・納骨室を作りました。
幸い催事もほとんど終え、雅興の責任はほぼ終えかけています。
善福寺の納骨室の権利は100年分前納してありますので,後は息子が引き継いでく れます。
今は毎月2回は必ずお参りをしています。
赤木の姉様は上京の度にお参りをされています。
昨年は【     記述を消しています            】が重なり、
急死に一生を得ました。
私の【      】期間と淳一兄様の葬儀が重なり参列できず歯がゆい思いをしました。
傷が癒えればお寺にお参り、姉の眸姉様にも顔を見せに行きたいと思っていましたが其れも暫くはかないません。
重子姉様と20才違いの弟も73才になると、これをを機会に姉様方の母方の息子、孫、ひ孫様に何か残したいと思いました。
父の自転車の後ろに乗せられて、広山の大きなお墓、新舞子の浜に通じる揖保川の大きな橋を渡った直ぐ右手にある中島の権現様によく行きました。
広山のお墓は村の人がいつも綺麗にされていたようです。
今ははっきりと所在はわかりません。
今回、これを送ったのはのには分けがあります。
中島の権現様のお堂の前に2本の大きな石柱が立っています。
その裏に大きく父・西村喜久治の名前が刻んであります。
父が財を成していたときに寄付をしたものと思われます。
是非先祖が残した足跡を見に行ってください。
網干駅から車で15分の所です。
石に刻まれた祖父、曾祖父の名前を見たとき、この先祖が有って、今の自分があると実感できます。
先祖を敬う心が生じたとき、道が開け何かがあっても先祖様が助けてくれます。
近いところに有りますから家族で是非にも参拝してください。
参拝し石柱の名前を見たとき,きっと父は喜んでくれると思います。
雅興を自転車の後ろに乗せて連れて行ったかいが有ったと思うことでしょう。
お墓は東京に有りますが、西村家のモニュメントとして代々記憶してください。
尚、【昔から権現様と親しまれ、病気や歯疾に御利益が有ると言われている。】---
記述が有りました。
私が歯科医になったのも不思議な縁が有ったのかと驚いています!


大変な受験勉強,浪人生活。
五十歳になっても夢の中で受験勉強で苦しみ、妻が見かねて起こすしまつです。
あんな事、こんな事も、父の自転車に乗せられお参りしたこの神社に導かれていたのかと思うと不思議なとです。

今,手元にある【西村雅興の霊的相関関係図】を観ると150年間の間に複雑に絡み合い、その要所要所に超能力者が介在しています。
超能力、奇跡は本当にあるのです。
ただ、ほとんどの人はその実体験をしないで人生を終わられます。
西村には多くの実体験に出会い人生が動いています。

この項目では剣道以外の不思議なことを書きましたが,これが真実です。

偶然の出会いのように様に感じられていますが、全ては必然的に起こっています。
西村の剣道で、日本の超有名な先生方との出会いも必然性から起きています。
今これを読まれている先生方も自分の剣道人生も、その必然性を感じると、残りの人生における剣道観も変わり、尚深いレベルに進まれることと思います。
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回想録-6
西村雅興
2020年1月4日(土)
回想録-6
だんだんネタも無くなってきて、後は誰を書こうかなと思っている。

原田先生の歯を直させ頂88歳まで剣道人生を伸ばした。
佐藤先生の歯を直して明治村四回目の優勝の機会を与え、イタリア遠征時に手が動かなくなったのも歯で直した。
永松陟先生の歯の絶不調を直し、健康にした。

そうだ、最後の方でお世話になった永松陟先生を書いておく必要があると気がついた。
数年前の東京剣道祭をYou Tubeで観たことがある。
もうお年だから生きていおられるか心配だった。
永松陟で検索をした。

剣道 範士八段 永松先生 【面の指導】
26,226 回視聴•2019/01/07
範士八段永松先生90歳。段位に応じた面を解説、ご指導頂きました。

90歳にして見事な剣風で指導をされていた。
私の治療が多くの剣道家にお役に立っているのをみて嬉しかった。
一種の化け物だと感じました。
東京剣道祭2015 永松先生の立ち会いは天下一品の切れ味です。
先生の映像は多くありますからぜひみてください。
先生の背後には梱姿勢を維持する、西村の絶品の総入れ歯があるこが西村の誇りです。

永松陟範士八段の先生の西村との関わりの開演です。
「永松」で検索 - 40件見つかりました。
詳しくはその全てを読んでください。

事の始まりは江東五区の合同稽古会だった。
見事な剣風の先生を見つけた。
是非稽古をと思うが、長蛇の列でとても時間内にはには間に合わなかった。
是非稽古をしたいと思っていると、先生がJR東日本の師範をされていて、週一回指導に来られると聞いた。
「西村さん良かった連れて行ってあげるよ!」と言ってくれた。

原田源次先生も、佐藤博信先生もすでに旅立たれた。
永松先生は87才で今も健在である。
日本一綺麗な面を打たれる先生と評価されている・・・ウワサ。
三人とも西村が歯を義歯を丁寧に作り上げ、剣道人生を長らえるようにした。
今まで原田先生、佐藤先生のことは散々書いて来た。
今回は範士八段永松先生について書いてみよう。

動画で永松先生を検索して下さい。

ある日、稽古会で素晴らしい剣道をされる先生を見つけた。
さて、前に並ぶも、その列の長さが長いので稽古会の時間では回って来なかった。
あるときは、何とかやっと順番が回って来た。
稽古をお願いするにも難しい状態だった。
この先生と十分稽古をして、指導を頂きたいと思ったものだた。
ある時、永松先生がJR東海の師範をされていて、週に一回東京駅の道場に来られていると聞いた。
教えてくれた人が、西村先生が参加したければ連れて行ってあげるよと言ってくれた。
勇んでその道場へ行った。
参加人数はそれほど多くないので、行けば必ず稽古が出来た。
天にも昇るここちで幸せだった。
参加者の中では西村が最上位の様であった。
先生に面を打つと、必ず小手を打たれるのだ。
スパット斬って落とされる様な小手だった。
まぐれで面でも小手でも入ると「参った!」と気持ちよく言って下さる。
それに元気をもらって稽古に励んだ。

ある人は先生の足の入り身を真似をして、コツを掴んだらたちまち七段になった。
 当時、最長老の幹事の小泉先生が西村に言った。
「永松先生の剣道は品があるだろう!
警視庁の警察官のマッポ剣道と違う!
それで、この先生に師範をお願いしたのだ!」
西村も良い線まで押し込むのだが、後一歩で取られた。
周りの人が、西村先生は永松先生との稽古は目を見張る物があると言った。
完全に八段候補の剣道だよと言ってくれた。
ずーっと先生のビデオを撮り足の捌き、手の内の作用を研究した。
ある日、先生に覇気が無いときがあった。
何と!小手も面も面白い様に入った。
先生も参った!と言われた。
小躍りして喜んだが、先生にはそれなりの理由があったのだ。
 先生の下顎に一本の残っていた歯が歯周囲炎で腫れていたのだ。
前から良くなかったのに加え、雨の日葬儀に長い時間参加され、体力が落ち痛みがひどくなっていたのだ。
それとは知らない西村、何本も入ったので喜んだ!
名人も体力、気力が無いと、西村が上をいく。

その後、西村が頼み込んで治療をさせていただいて先生の入歯を完璧に作り上げた。
以後、先生の気力、体力は順調だ。
その後、先生の師範をされている間は、ずーっと稽古をお願いした。
87歳になっても東京剣道祭りで範士八段の部で見事に冴えた面を打たれる!
老いて益々盛んな剣道ぶりだ!
この剣道は西村の入れた総義歯が支えている。(何と楽しいことか)
その後、先生の師範をされている間は、ずーっと稽古をお願いした。

佐藤博信先生と静岡の井上先生との立ち合いを思い出した。
前足が床を滑って体がやや前進した。
井上先生、来た!とばかりに面を打とうと手元が上がりかけた。
その瞬間、佐藤先生見事に小手を斬った。
その鮮やかさは今にも脳裏にはっきりと映像が残っている。

永松先生の場合、前足が床を滑って出て来る。
いわゆる摺り足の状態で前進される。
後ろ足は体を軽く押し、体がやや落ちながら、ハの時に足が開く様に前進する。
いわゆる、滑落の原理に沿った体の前進だ!
かって、西村が打てる、ここだ!と思ったときは、先生の術中に嵌まっていたのだ。
先生が先を取って、打ち間に(斬り間)に入って来たことすら気がつかなかったのだ。

さて、何故切れ味が鋭いか・・・足が床からほとんど離れていないので、後は軽くトンと床を蹴りながら竹刀で小手を斬って来るから早いのだ。

原田流では足は15〜20センチ床から離れ、右膝が前に出て来ている。
足が床に着くのに時間がかかる。

要は右足は床を滑って、体の滑落を応用して攻め入れば切れ味の良い小手が打てる。
面の場合は後ろ足を強く押し出すだけだ。
永松先生が【日本一綺麗な面を打つ先生!!】と呼ばれている秘訣がここにある。

西村は永松先生の背筋から腰にかけての素晴らしい筋肉を知っている。
尚、歩くときは軽く地面を蹴るように軽快で、すばらしい歩みをされる。
さらに週に5〜6日は現役で剣道をされている。
あの見事な面はこのような裏付けがあるから打てるのだ。

追伸:国体で大将同士で賀来先生と当たった。
   試合では永松先生が勝ったらしい。
   後で、稽古をしたら何と賀来先生は強いんだろうと思った。
   良く勝てたもんだと思った。
   西村に話された言葉です。


原田先生の教えに【剣道は一瞬の我慢比べだ!】があります。
古来より撃尺(げきしゃく)、斬間、、切間に入ったら、先に手を出した方が負けとの教えがある。
先に反応すると相手に読まれ、それに反射的に反応され後の先を取られるからです。
原田先生との稽古では、どんなに我慢をしても先生の我慢に負けて打たれていました。
打とうと無意識が思うと、有意識が命令するまでにタイムラグがあり、そこをつかれるのです。
反射的動きは【石火の機】火打石が打ったとたんに火花が出る様な反応です。
西村はこの修行と思い稽古に励んで来ました。
しかし、目が相手を捉えて打とうとすると同じようにタイムラグができます。
要は何も考えていないで、とっさに打てば良いのです。
無にも考えていないでいる、無心でいることが難しいのです。
目で捉えないで、勘で捉えることが大切なのです。

剣道の難しいところはこの勘、感性の鋭敏さに左右されるところです。
これは遺伝的な要素が強いので遺憾ともし難いのです。
理合が判ればかなり補えますがなかなか難しいところです。

しかし、相手が打って来るという危機に関しては、自ずから敏感に反応します。
打たれにって反射的に相手を捉える、打った意識は全く無いのに良いうちが出た!
とっさの反応です、反射です。
原田先生は竹刀を持っている意識も無い。
ただ手が勝手に動くと言われていました。
【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!】

原田流も西村流も同じ溜で、手元をギリギリまで動かさない。
相手のは反応を捕まえるまで動かさない。

ところが永松先生の左手の動き始めがこれよりやや早い!
ここに切れ味の良さがあるのではないかと思います。
こちらが十分でも、え!と思うところで面を打たれるときがあります。
原田先生では絶対にない機会です。
先生が言うには俺はそんなに我慢が出来ない、打ってしまう!
と聞いた事があります。
結構手数も多い方です。

相手の反応を待って打つのではなく、相手が反応するであろうとの判断で、打って行くのではないでしょうか。
だから、間髪を入れずに入ります。・・・おそらく外れる事もあるかと思いますが。

その為、万を持して左手元を動かさないのではなく、打つべき方向に手元が攻め動いていて、へそから手元が早めに前進している様な気がします。
相手の手元が浮こうとしたとき竹刀の先はほとんどそこにある。
切れ味の良さはここに尽きると思います。

西村もこれを参考に、剣風を変えてみようかと思います。
体力、筋力、瞬発力が衰えると、これも有りかな!と思います。

体と手元と竹刀の動きは以上を参考に 【永松範士】を検索して吟味して下さい。
原田流は京都での小西先生の立ち合いで先生が面を打った動画を見て下さい。



永松範士流の足を真似る!
西村雅興
2016年12月7日(水)
永松範士の事を書いて永松範士流の足さばきをやってみました。
前足を床に滑らせ体を前進させる。
後ろ足の支点はしっかりとしているまま前足を滑らせて、足を広げるだけです。

なるほど今まで無かった程の切れ味鋭い小手が打てました。
しかし、相手が全く反応しなくて困りました。
これでは相手の立っている面の位置まで打つ必要がありました。
この足捌きでは面に届きませんでした。
相手を引き出す事をするか、最後に体の押し出しを強く蹴るかこの二つが必要な気がしました、
往年の西村の足では十分に面が打てますが、70才を過ぎた足では難しかったです。

判った事は・・・この攻めは入りには全く色が無いので、相手が全く反応できない
        ことが判明しました。
いわゆる、風がさーと吹いたように相手に忍び寄れるのです。
原田流、西村流では前足を浮かせる弱いアクションがあるが、永松範士流では前足を浮かせないでスルリと滑らす為に、アクションはほとんどゼロです。
今回、相手の反応がゼロであった事判ったのは大きな収穫でした。
後は最後の瞬間にわざと色を見せて反応させれば良いだけです。
今度の稽古ではこれを試してみます。


西村、新境地の面に!!
西村雅興
2016年12月9日(金)
昨日、永松範士流の足を真似てみた!
原田流では最近少し遅いと感じていた竹刀の面の捉えが有った。
往年の頃はズバット入っていたのが、やや最近(70才)になるとそうではなくなった。
体重に増加、足の衰え、加齢のせいかと残念も思っていた。
しかし、永松範士流の足にすると、小手は鋭い切れ味を示した。
それだけではなかった・・・・。

前回は、相手が全く反応して前に出ないので、その分竹刀の先が面に届かなかった。
それで、今回は相手が反応しないから、相手のそのままの頭の位置を打つことにした。面打の想定位置を変えることにしたので、体の前進をその分大きくする必要がある。
この想定の元で、右足をスーッと床を滑らせ打ち間からやや深く体を入れた。
相手の反応が無い、ただボーッと私を見ているだけだ。
最後の瞬間に竹刀で相手の面をパシリと打った。
打たれた方は何事が起きたのかという風な表情だった。
気がついたときは西村は相手を通り過ぎている。
スーッと一瞬、風が通り過ぎた様な感じで面を打たれているのだ。
打つ方に打気が無い、捧身の位で(相手に身をささげる気持ち)、風のように前に進む。
自分が消えて、風そのものになった心境だ。
無想の位の剣道になった。
ただそれだけだ!!!!!!
西村の剣道は新境地に達した。
西村に色は出ない。
相手も色を出さない。
無想の位で(自分が消えた位)ただ、スーッと相手に身を寄せて行くだけ。
すると竹刀の先に面が見えるので、面の上に乗っている蠅をピシリと叩くだけ。
そんな感じの面打になった。


昨日、永松範士八段とゆっくり話をする機会があった。
青木君の例をあげて話をした。
先生曰く
「稽古も熱心、剣道も良い。
しかし、審査に落ちる。
この人は打って行くとそれに対応して打って来る。
しかし、自ら機会を作って打とうとしない・・・。
これが審査では大問題なのだ!」
青木君・・・・自ら先を取って機会を作り、相手の心が動いたその瞬間に捨てて打つ! これに尽きる。
剣道でやっている事は貴方の潜在意識の反映なのだ。
剣道の取り口は人生の取り口と一緒なのだ!
注文を取って商品を納入する・・・これは誰にでも出来る50点の仕事でしかない。
相手先の利益になる事を積極的にさがし、それを提示し相手が喜んでくれて、自分の評価、会社からの評価も上がり出世位し給与も上がる。
相手に先駆け積極的に事を起こす・・・その先に人生が広がる。

西村が剣道を指導している人が言った(歯科医ではない)。
「西村先生所だけ全く違う経営内容なのだ!
回りの歯医者さんが首をかしげているという話を聞いた事がある!
どうしてなんでしょうかね?」
西村が言った。
「私と剣道をしてみれば判る。」
彼が言った。
「それはそうですね!」

当時経営コンサルタントから太鼓判を押されていた。
治療内容は超一流、経営内容は日本一・・・と。
それを聞いて、思い残す事が無く経営規模を縮小した。
100人を超す大型歯科医院から、今は院長1人従業員3人の最小規模に縮小し、ゆったりと西村の心にかなった高品質の治療をしている。
患者様は午前中3人、午後3人というゆったりさだ。
それでも収入は多く、日本中から治療を求めて来院される。
歯科医冥利に尽きる人生をしている。
私は68才になったが、歯科医としてやりたい事は全てやり尽くした。
何の悔いもない歯科医人生を送ってきた。

剣道は生き様だ!・・・剣道の昇段審査を通して貴方の生き様を明示されている。

昨日、永松範士八段とゆっくり話をする機会があった。
青木君の例をあげて話をした。
先生曰く
「稽古も熱心、剣道も良い。
しかし、審査に落ちる。
この人は打って行くとそれに対応して打って来る。
しかし、自ら機会を作って打とうとしない・・・。
これが審査では大問題なのだ!」
青木君・・・・自ら先を取って機会を作り、相手の心が動いたその瞬間に捨てて打つ! これに尽きる。
剣道でやっている事は貴方の潜在意識の反映なのだ。
剣道の取り口は人生の取り口と一緒なのだ!
注文を取って商品を納入する・・・これは誰にでも出来る50点の仕事でしかない。
相手先の利益になる事を積極的にさがし、それを提示し相手が喜んでくれて、自分の評価、会社からの評価も上がり出世位し給与も上がる。
相手に先駆け積極的に事を起こす・・・その先に人生が広がる。

西村が剣道を指導している人が言った(歯科医ではない)。
「西村先生所だけ全く違う経営内容なのだ!
回りの歯医者さんが首をかしげているという話を聞いた事がある!
どうしてなんでしょうかね?」
西村が言った。
「私と剣道をしてみれば判る。」
彼が言った。
「それはそうですね!」

当時経営コンサルタントから太鼓判を押されていた。
治療内容は超一流、経営内容は日本一・・・と。
それを聞いて、思い残す事が無く経営規模を縮小した。
100人を超す大型歯科医院から、今は院長1人従業員3人の最小規模に縮小し、ゆったりと西村の心にかなった高品質の治療をしている。
患者様は午前中3人、午後3人というゆったりさだ。
それでも収入は多く、日本中から治療を求めて来院される。
歯科医冥利に尽きる人生をしている。
私は68才になったが、歯科医としてやりたい事は全てやり尽くした。
何の悔いもない歯科医人生を送ってきた。

剣道は生き様だ!・・・剣道の昇段審査を通して貴方の生き様を明示されている。

そういえば、左足の座骨神経痛も約1年間は剣道が出来ない時期があった。
結局治したのは、西村の咬合治療であった。

佐藤博信先生も明治村に四回目出場出来た。
原田先生の左肩の痛みが消えた。
永松先生の体調が万全になった。
朝岡先生の剣風も全く変わってしまった。
いそちゃんが奇麗になり、手に握力が戻った。

原田先生との稽古は何とか先生より後から左手が動く・『不動智』を心がける。
これが上手くいった時は先生の竹刀を捌いて面に当たる。
体は捨てて出ながら左拳は相手を活かしてから動く『活人剣』を心がける。
『捧身』からの『活人剣』なのだ、
今日は良い稽古が出来たと思う。

次は野正範師との稽古
要領は同じで、打には行かない。
体を進めて先生の出方に従う。
それなりに稽古ができた。
稽古後の挨拶の時「貴男は厚みのある稽古をする!」と褒められた。

その次は佐藤博信先生との稽古
いつもは長蛇の列で稽古は難しいが、先生が遅れて来られたので、列が出来る前にお願いした、

胸をえぐるように様に体を深く進め先生の手の動きを待つ。
今回は前回の様には先生が手を動かさない。
(名人は同じ失敗を繰り返さない・・・佐藤先生談)
やはり、前回の西村の攻めに乗ってしまったことが頭にあったようだ。
丁々発止と剣のやり取りをしてお互いに楽しんだ。
さて、暮れに原田先生に入った面の打ちをした。
ぐーっと体を入れ、すかさず右膝をぐーっと前に出す。
右足は空中に浮いている。
先生はそのまま打てば返し胴とばかりに受けにかかる。
しかし、ここまでの動きは先生にしみこんだ動きの誘発なのだ。
面と見て受けかけた竹刀が一瞬行き場を失い、正眼に戻そうとするところをしっかり腰の入った面が入った。
先生「お!」とした表情で、良いとこ打たれたとの意思表示をされた。

後の挨拶で「像さんが突進してくるようで、うかつに手を動かすとやられるので気をつけた。」と言われた。
やはり前回はこの時手元を動かし打たれた思いが有ったのだ。
名人は同じ失敗を二度しない・・・佐藤語録
と言うことは・・・やはり前回はよかったのだ。
今回は見事な面を一本いただいた。

この面打ちは原田先生、賀来先生、永松先生、佐藤先生、倉沢先生・・・どの名範士にも通用するのだ。
『身を捨て自らを餌として誘(おび)き出して、後は身体の叡智に任せる!』
剣道は結局ここにつきるようだ。
先ずは自分を空(むな)しゅうして、自ら白刃の下に身を置く勇気、覚悟この修行が剣道と言える。

さて困った!どの八段の先生にもお願いしたいとの気が全く起きないのだ。
体調は万全だし、誰かと稽古をすれば良さそうなのだが、全くその気が起きない。
一番端で、最近八段になった長身の先生の稽古を見た。
ともかく面は速い!
ところが打つ前の味が全く無い。
ある七段の先生との稽古では打ちあぐねていた。
最後に、八段の方が「先生一本お願いします。」と言った。
八段は面を打ったが胴に返された。
参りましたと言ったが、七段の先生はまだ不十分でしたといい、もう一本になった。
今度は八段良いところを打つが、残念ながら技前がないからしっかり小手を打たれていた。
七段の先生はいつも同じ道場で稽古をされている先生だ。
八段を目指す古株七段なのだ。
西村はこの先生には十二分に分があるのだ。
この八段の稽古を見ていた時、あそこは突きが入ってしまう、あそこは小手だ、あそこは胴だ・・・と、稽古をしなくても予測が立つ。
チョットやってみようかと思ったが、これは大人げない!俺の方が強い証明をしたがっている自分に気がついた。
さもしい根性で稽古をしても後で自分が惨めになるだけだ。
後味が悪い思いがする・・・と思い面を脱いだ。
ある面打ちで有名な若手の先生と稽古をと思ったがやはり止めた。

八段殺しの異名も余り良い評判ではない。
八段になっておればこんな異名はつかない。
といって、八段をとりにく気持が起きない。
その為に大切なエネルギーを使おうとは思わない。
欲が消えた!

一時125人の大型歯医者から、来月からは歯科医は西村一人の小型の歯科医院になる。
自然に任せていたが、やっと縮小が完成する。
これで、いつでも歯科医をやめれる用意が出来た。
ここから、ただ楽しく歯科医療をする。
食べて行ければそれで良い!
剣道も同じ思いの中にある。
ただ楽しく剣道をやっていく。
楽しければそれで良い!

「貯蓄十両 儲け百両 見切千両 無欲万両」という言葉がある。
ずいぶん昔、自己啓発の修業中に聞いた言葉だ。
今になってこの時の教えが生きているとしみじみと感じる。

経営規模最高の時・・・儲け百両
二院を閉鎖した時、さらに次に50坪の規模を25坪にした時・・・見切千両
最近の経営形態・・・無欲万両
仕事も剣道も無欲万両に近い心境になっている。

仕事は西村を必要としている人のみに治療をする。
剣道はただ楽しくやっていく。
この欲の無い人の面を打つのは難しい。

剣道究極の極意!
「打つと思えば悟られる!
打たれたくないと思えば隙が出来る!
相手が打ちたいと言えば、身を捧げる『棒身』!
何も思わなければ、相手の心はこちらに映る!
手詰まり気つまりになったら、身を捧げて相手に問う!
打つぞ!突くぞ!と十分に攻めて意識を高めあい、
後は相手の刃の中に身を捨て問う!
その後、体は勝手に反射の行動をとり、不思議の勝ちとなる『神妙剣・無想剣』。
この気位があれば、相手が範士たれとも恐るに足らず。
極意は心法・肚にあり。
よって、『不動智』こそが全てとなる。」

こんなことを書きながら、言いながら明日は心が揺れるかもしれない西村です。

さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

日本剣道界の為に、いつまでも元気でいてほしい先生だ!

『結局、正道を踏み外さず、誠意をもって生きていくしか鍛えようがないんだと思います。』
全くその通りです。
自分の心はなかなか見えません。
剣道の動きの中、心の葛藤の中にその奥にあるものが見えてきます。
相手が弱いと、自分の良い所が見え、相手が強いと自分の欠点が見えます。
剣道は見えない自分の心を顕在化してくれ、それを検討するチャンスを与えてくれます。
その意味で、剣道は究極の自己啓発の手段だと言えます。
西村の大好きな剣道範士八段の先生方は、剣道によって究極の生き方を見つけた先生方です。
いつまでもその先生のそばに居たいと思う、何ともいえない心地よさを感じます。
その先生方からは癒しのエネルギーが出ています。
西村はそんな歯科医になりたい、そんな剣道家になりたいと思っています。

ある敏感な体質の人がたまたまある人と同じ部屋に居た。
彼が後から言った、あの人などういう人?
何故と聞くと、体が溶けるように緩んでしまって凄く気持が良いからと答えた。
その人の名前は 原田源次先生、佐藤博信先生、永松陟先生でした。
これらの先生からはある種の和らぎのエネルギーが出ているのです、
彼はそばに居るだけでそれを感じるのです。
これは西村にも感じます。

最近、深いレベルの意識の変化が本物か、範士八段の大御所に剣道で聞いてみることにした。
それで防具を着けた。
この稽古は青木君が見ていた。

久し振りに、野正範士八段にお願いする。
(お願いではなく気で語り合う。『打つ前に死ねるか?』の鏡になっていただく。)
間合いを取り、意識波動で気を送る。
西村は竹刀を忘れ、気が先生の咽元を攻めている。
先生も容易には出てこない。
暫く膠着状態が続く。
先生が竹刀を巻いてくるが逆らわない。
その後、軽く面をポンと触られた。
参ったとは思わなかったが、先生に余裕が有った。
竹刀を巻かれ、意識が竹刀にとらわれ、先生のポンをかわせなかった。
今思えば、このポンの時スッと体をかわせば西村の余裕勝ちなのだ!
惜しい!その余裕が無かった。
81歳の範士八段の余裕に追いつかなかった。
これが2回ばかりあった。
途中、西村は身を捨て切ってスッと体を前に出した!
先生がどこを突こうがお構いない!
既に西村は死んでいる!
先生は喉元を突いてきたが西村は全く意に介さず、腰を入れてしっかり面を斬る。
先生の竹刀は左咽外を通過し、西村の面がしっかりと決まる。
打つ前に死んだ方が覚悟が出来ている分だけ歩がある。

稽古の後、挨拶に行く。
「あなたは豪快な面を打つねえ!」と褒めていただいた。
「最近、原田源次先生をお見かけしないが寂しいねえ!」と言われた。
「私も今日お会いして新宿までお送りするのを楽しみにしていたのですが。」と話した。

次はこれも久し振りに、永松陟範士八段にお願いする。
(お願いと言うよりはお人がらの良さに竹刀で接する気持だ)
私の前に懸かっている人達は、先生の絶妙なる右足の滑り込む攻めはいりに全く気がつかない。
皆様、見事に面を打たれている。
西村の番になった。
先生の心が良く見える!
今までにこんなことは一度もなかった。
先生が先を懸け仕掛けて来るが、西村の竹刀は動かない。
先生の喉元に竹刀が刺さる。
今度は先生は内小手から面に攻め渡ってきた。
西村は動じない。
先生が面に伸ばすがとどかない。
先生は今度は体を大きく出し、本気に面に打って出てくる。
西村はその時先生の攻めは入りに体を合わせ、なおかつ面を指し出す。
先生の面が西村の面をとらえる瞬間、見事に返し胴が決まる。
これは数本有った。
試しに自ら打て出てみたら、簡単摺り上げられ捌かれた。
打って出た方が負けなのだ。
先生は西村に崩される様なヤワな人ではない。
今度は先生の絶妙な右足の攻め入りに合わせて入っていく。
相打ちよりは西村の方に歩が有った。
これが数本有った。
最後の一本の雰囲気になった。
先生の攻めは入りに完全に同調させて入っていく。
自分の身を捧げる・・・棒身なのだ。
さらに頭もやや前に出し、面も打ってくださいと捧げる。
先生の左拳が体からやや前にでて来た。
打つ体勢に入った。
西村の無意識はこの瞬間をとらえ、左拳は一瞬に面を打って出る。
先生の手元は一度、拳を前に出しているから瞬発力に劣る。
手元のテンポが二拍子になっている。
左拳の動きに途中に節が有る。
西村はこの節までの動きをとらえて一瞬の一拍子の左の拳動きで面に出る。
満を持して溜めていた体の捻れ。
二足歩行の原理で左手が体のバランスをとる為に前に出たがっている『留め』をはずすのだ。
左拳を体に留めて体に蓄えられたねじれは一瞬に解放される。
体が勝手に面を打つ。
引き金を引いたのは永松先生だ!
先生の攻めは入りから、西村の差し出した面を打とうと無意識が思った瞬間、左拳が10センチほど体から前に出た。
無意識が面打ちの予備動作を起した。
この瞬間、西村から見れば面を打ての合図になる。
先生の無意識の予備動作を西村の無意識の感性がとらえて、面を打てと心が言った。
見事に面が入った。
先生の方が全てにおいて先を取り懸かりを取っている。
西村の方全体として同調しているから『待』なのだ。
しかしこの『待』には『懸かり』が潜んでいる。
『待中懸』
相手を存分に働かせて取る・・柳生流の『活人剣』なのだ。
打つ前に既に死んでいる。
先生の十分な攻めに『面を指し出す』これが呼び水になり、さすがの先生の無意識も動いた。
西村の無意識レベルの反射はこれを見逃さなかった。
自分を守る為に面を一瞬に打ったのだ。
打ち取ろうと思えば打てない!
自分を守る無想剣が身を守ったのだ。
その方便として面を打っている。
もし、竹刀を忘れて居れば、先生の打ちが鋭い時は体は無意識に体を捌き抜き胴になる。
竹刀に意識が行くと身を守り返し胴になる。
何にしても『相手に打たせれば勝ち!』これが剣道なのだ。
しかし、打つ前に死ぬ覚悟があって成り立つ。

稽古の後挨拶に行くと、「最後の面は参った!」と言われた。
先生いわく
「数本良いのが有った。
最後に一本取っておこうと面を打ったら、逆に見事に取られた。
『参った!』と思った。
あの一本は参った!」
西村
『先生の左拳が動くまでの西村の我慢でした。」と言った。
棒身、面へのお誘い、一瞬の我慢比べ・・・覚醒催眠そのものの世界です。

お隣の佐藤博信先生に「お久しぶりです。」と言うと。
「隣で見ていたよ!
(佐藤先生の右が野正先生、左が永松先生)
剣道を楽しんでいたね!」とニコニコしながら話された。

この半年間の体調を壊さんばかりに人生を賭けた悩みに決断した。
『先ず先に死んでから、決断をする。』事が、今日の剣道に見事に反映していた。
島田虎之介・・・の言葉が思い出される。

今日は西村の稽古を見ていた青木君への心理的な解説でした。
どうですか・・・このように書くと良く理解が出来るでしょう。

名刀も良い砥石が無いと切れる物にはならない。
最後の方では素晴らしい仕上砥石に出会わないと物にならない。
今日のお二人の先生はこの上ない名砥石です。
このような先生に稽古をいただける幸せを今日は改めて感謝する。

加藤先生八段昇段時に頂いた手ぬぐいの言葉。
『珠(たま)尚磨くべし』
手ぬぐいをいただいた時に言われた。
「西村君は既に立派な珠です。
しかし、尚磨きをかけてください。」
今日はお二人の先生が珠を磨くネルのつや出し布用に感じた。
剣道は研いでもらうものだなあ!・・・実感。


さて一言・・・野正先生に懸かる人は極く少ない。
先生が相手がいなくて寂しそうにしている時間がある。
(西村も同じような状態に出会う・・・懸かってくる人がいない時間が有る)
先生が腹元を突き攻めるからだ。
多くはこの攻めの竹刀と闘い、本体である先生を見失っている。
ほとんどが先生の攻めが「教え、引き出してやる」との意を汲めないのだ。
竹刀でひぱたくのが剣道と思う人には、つまらない稽古となる。
竹刀も忘れ気の押しあい、意識波動のレベル、自分を観る(観の目)為の稽古だと思えば、これ以上の先生はいない。
志の高い剣道をしたいならば是非先生と稽古をしてみましょう。
見渡すと八段範士も竹刀で当てなんぼの世界の剣道をしている。
打つ前に勝負が決まる・・・ここの錬磨
このような稽古をお願い出来る先生はほとんどいない。
自分の心がどれほどの剣道かを知りたければ一度お願いすることをお勧めします。
先生もお年です(80歳を越えて黒髪はつらつですが)から、チャンスを逃さないように。
西村のこの文章が稽古の後、しみじみと感じたならば御立派です。
よくわからない時・・・まだ竹刀競技のレベルです。
一度自分を試してみましょう。

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ありがとう。
青木大輔
2007年2月21日(水)
 西村 先生

 昨日は、かなり久しぶりに先生の稽古を拝見いたしました。
ありがとうございました。

 先生と永松範士との稽古では、お互いが「どこ」を勝負しているのかがよく見えた気がして、楽しくなってしまいました。
 どちらかが、少しでも「不自然な」「色」を見せた瞬間は・・・無感動な打ちが、どちらかに当たりました。
 でも、どちらも「真っ直ぐ」向かい合った瞬間は、そのまま最後の最後に優越が出ました。これは良かった。

 剣道って最後は!?ここだよな〜。。
道は遠〜〜〜〜〜〜い!!!!なと思いました。
自分が今いる位置の、先々に「ここ」に辿り着ければいいと思いました。

 これからも、先生の後ろ姿を見せて下さい。
ありがとうございました。


西村がいままでいっぱい書いてきた内容と同じです。
天下の剣士、岡憲次郎先生の言葉を書き写しました。
先生が『攻めは構えの中にあり。』と一言で言われると、禅問答のようになりますが、この様な説明があると、あるレベルの高段者には十分理解が出来ると思います。
岡先生は元々教育者なのだ。
難しい事を平易な分かりやす表現で説明してくれる。
原田源次先生も同じく、教育者なのだ。
やはり説明がわかりやすい。
賀来先生はたたき上げのプロの剣道家だ。
先生の禅的言葉を理解するには、鋭い洞察力と感性と理解力が必要だ。
しかし、自力でその言葉を理解すると身に付くものも大きい。
『百錬自得』の世界に近い。
西村はどちらかと言うと、十分な説明と科学的らしく頭が理解しやすい形で説明するタイプだ。
比較的、頭の良い人には課題と説明の両方を提供しているつもりだ。
チョット親切過ぎるかな・・・と反省もしているが。



剣道家は言葉が短く表現しますので、聞く方からすれば理解が難しい。
前にも書いた岡先生と西村の攻めの話も後説明してくれると良くわかる。
岡先生に『攻めは構えの中にあり。』と言われた時は、西村にはこの攻め入る動き間での意味を聞いていませんから、チョット返事に困った。
逆に、西村が言った『攻めはイメージだと思います。』と言った、潜在意識をも動員し、自分の身体を無意識下でコントロールし、相手には意識波動で気を送り相手の意識と身体に影響を与える話と実演ををすれば分かってもらえたと思う。

西村の意識波動を受ける感性を原田源次先生、賀来先生、佐藤博伸先生、永松陟先生に実際に試してみた。
皆様、ずば抜けた感性の持ち主でした。
多くの剣士に実際やってみました。
この感性の高い人は七段になりやすい。
これが鈍い人はやっとこ六段で七段へは、相当年を取るまで頑張らないと難しい。
要は相手を察知するアンテナの感度が高いことが素質として大切なのだ。

ある精神世界のリーダーである三国さんと会った時、彼女が言った。
「先生から悲しみの波動が出ている。」
娘が風を引いていて、自宅に残して来たからだ。
彼女が西村の表情筋の無さ、背中が丸まっている(精神状態から来る身体の反応)から判断したのかそれは分からないが、彼女にはそれがピーンと分かるのだ。
「実は心配の波動」だったと思うが。
中小企業の経営者は感性が高い。
一歩判断を間違うと担保になっている自宅から根こそぎ銀行に持っていかれるからだ。
社会の中で、日々真剣勝負の世界で生きている剣士の皆様は、剣道の稽古においてもこの感性を発揮したいものだ。

稽古終了後、全剣連の川野さんが来て、副会長をいじめただろう。
先生が俺に聞いたよ、あの強い人は何者だと。
歯医者さんらしいですよ、と言っておいた。
(言外に、年寄りはいじめるな、の匂いが有った。)

次は久し振りに野正先生と稽古をした。
先生と一度稽古をしたときは、気争いで先生が「参った!」といわれ蹲踞された。
二回目は西村の足が痛くて稽古にならなかった。
今日は三回目だ。

野正先生と賀来先生先生の立ち合いを十分検証している。
さらに、その時のやり取り、心の状況を賀来先生から直接聞いている。

しっかり間合を取ったところから、体を軽く沈め攻めた。
先生はそれを嫌ってわずかに引いた。
ここまで、賀来先生の攻め通りだ。
その後
西村の面が数本入った。
いよいよ最後だ、先生の裏からぐっと攻め入った。
先生は軽く巻くように西村の竹刀を押さえる。
ここをスッと抜いて体を大きく、先生を上から被るように大きなゆったりとした面を打つ。
これが見事に入る。
先生が参ったと蹲踞された。
この部分は京都大会での賀来先生との立ち合いの再現そのものだった。

虎の巻き持参で野正先生との稽古だった。
相手が読めれば大先生にも良いところが入る。

稽古の後、挨拶に行くとニコニコして握手をされた。
直ぐ横の原田源次先生先生の方を見ながら、原田系統は皆強いや!
体から打って出るものなあ!
と誉めて頂いた。
体は関係の無い、気攻め、読みあいの稽古だった。
虎の巻を持っていた分だけ、西村の歩が良かった。
次は永松陟先生との稽古だ。
初っぱな小手を打たれる。
この小手は分かっているのだが、未だに打たれる。
その後、二本ほど小手を打たれる。
同じような小手を大きく手元をあげて抜き面が入る。
先生の面は見えるので、胴に返せる。
何とか面をと思うが、間一髪で返される。
思って打ったは当たらない見本だった。
面を打たれることは無いが、面は打てない。
打っていったものは皆返される。
先生が不用に面に来ると、西村の胴が入る。
端正な剣道だ!
最近先生と稽古をいていない。
先生と稽古をすると気持が良い。
西村の出来60点。
体調の良いとき、港区へ出かけよう。
後は、先生の歯の検診の約束をした。

佐藤博信先生と挨拶。
今年は検診と治療に行くと言っておられた。
先生!歯が壊れると手が動かなくなりまうから、早めに検診をと言った。

余談だが
ある高齢者人が七段に受かった。
とても強さでは七段に受かるような力は無かった。
そして、いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。
永松陟先生がJR東海の師範をされていたとき、東京駅丸ノ内側北口の五階の道場へ彼が来るようになった。
彼は永松先生の右足の滑り出しと、打つ機会を徹底的に真似をした。
最初はぎこちなく、ロボットの様な面打ちだった。
右足がかなり前に出ていても、打つ機会が無く、やっと打てたら腰が残ってしまっていた、ヘッピリ腰の面だった。
それだけ、右足を宙に浮かしながらゆっくり体を出し、我慢強く機会を待っていたと言う事だ。
この我慢が人一倍出きるようになり、左足の後筋の使い方が堂に入ってきた。
そうすると、七段に見事に受かったのだ。
『師匠の言う、一瞬の我慢比べだなあ!』が身に付いたのだ。
彼はこの道場で会う前からよく知っていて、指導したことがあるので、西村にはそれは通用しないが、他の先輩七段に通用するになってしまた。
西村の指導が行き届かない分、自分で見事な手本を発見しものにしてしまった。
さて、この右足の攻めは入りと我慢の強さに、時には永松先生がこの面に打たれることがあるのだ。
その時は先生は「参った!」と言い、右拳で軽く頭を叩かれる。
(ウッカリやってしまった時のジェスチャーだ)
彼は、ここで面が入らないとき、さらにもう一本、縁を斬らずに打ち込むのだ。
これが良く入るのだ。
西村も自分の残心の無さを、彼に打たれて教えてもらったものだ。
『いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。』
西村がそう思ったのは間違いで、名人の技を盗めば人は突如として化けるのだ。
彼は右足攻め、左足腰の押し出し、一瞬まで我慢する、この妙技を会得したのだ。
こんなに上手く話しはざらには無い。
彼は少人数で直接指導を受け、さらに見事な手本を見てこの妙技を手に入れ七段に受かった。
剣道はただ稽古をすれば良いと云うものではないと思った。

ある先生が、永松陟先生の足の動き、手の動きをそっくり真似をした。
すると、アットいう間に七段に受かった。
決して強くない、西村に一本も打てない先生だった。
ぎこちない不器用な先生だった。
半年真似をしたら七段に受かってしまった。
相変わらず強くない。
しかし、右足を滑らせて入り身に攻めは入り、相手の色が見えるまで我慢をし、相手の色が見えた瞬間面を打つ。
一瞬の我慢比べに徹しただけだ。
この先生は、『自分の身体で攻めは入り右足は床からスレスレに前に進んでいるが、決して自分から打ち出さない。』に徹したのだ。
先に左拳を動かせばその時点で負けと知っているのだ。
しかし、皆が驚いた、後10年は受かりそうで無い人が、永松陟先生の真似を徹底的に真似たら、受かってしまったのだ。
剣道上達の大切なことは、コツ、秘訣、秘伝を教わるか、盗む事なのだ。
『稽古をすればするほど癖が強くなり下手になる。』
賀来先生の言葉だ!
千代田で見ても足から攻め入って面を打つ先生はほとんど(数名)いない。
60人稽古をしていても1/20程度なのだ。
今回出版された本を読んで、西村の過去の書き込みと比べて欲しい。
言わんとする事は西村と同じだと思う。

しかし、素直に西村に教われる人が少ない。
剣道家の一般的特質と言ってもいいだろう。
自分の事は自分でやるタイプの人ばかりだ。
西村は毎月お手本(原田源次先生)を眺めに武道館へ行く。
岩立先生と稽古をするより、お手本として眺めている。
そして、分からなければ先生に直接聞きに行く。
芸事は教わり真似ることが一番の近道だ。
最近は教える事にも飽きて、疲れてきた・・・ほとんどの人が聞く耳を持たない事を悟ったからだ。
それは本職の歯科医の為の『咬合病治療』のセミナーも同じだ。
人は皆自分で全てをやりたいのだ。
生きるも死ぬも自分で決めたいのだ。
しかし、その中で素直に人の意見を聞く人は伸びるのだ!
どういうわけか、剣道家には意固地な人が多い。
人生もそのままなのだろう。
素直に教わり、情報を集め、研究、工夫すれば道は開けるのだが!
どういうわけか、俺は逆をいく!のタイプが剣道家には多い!

さて、本番の永松先生との稽古だ。
今年になってやっと稽古が出きる。
西村の成長を見てもらう積りだ。
前回は攻め入って、先生の小手を摺り上げて面が二本入った。
今回は面の相打ちで何とか面を取りたいと思った。
知ると、出小手を数本打たれる。
最後の方で面が入ったあと、先生が一本と言われた。
先生が面に打とうと胸が出た瞬間、西村の右足が滑り入った。
相打ちの形で西村の面が入った。
先生が参ったと表現され終わった。
いつになく、先生はその場面を「西村君はあれを狙っていただろう!」言われた。
先生はこのような事を言う人では無い。
しきりに、あそこで打ってしまった自分を反省して、竹刀で頭を軽く叩かれていた。
先生の今までに無い様子だった。
今日の面は正真正銘先生の起こりに乗って面を取った。
この先生の一言がそれを物語る。
古城先生に見事な面が1本入ったときも、同じ様に先生から話かけられえた事を覚えている。
心に引っ掛かる一本が入った時だ。
中田君との稽古の後も西村君の身体の大きさに使われたと言った。
田原先生も西村の貫録に乗られたと言った。
いずれも相手から先に話しかけられる。
心を制した時、相手から話しかけてくる様だ!。
   
参考までの付録です!

加藤正一郎先生 教師八段。
先生とは同じ江戸川区の会員だ。
先生が八段に受かられて、稽古に来られた。
西村は前から思うように面が入る人だった。
西村が剣道については講釈していたぐらいだったから。

そこで、今度は八段で現れたから、本気で打ちにいった。
先生が後から言った。
「26本面を打たれた!」

稽古の後先生が記念の手ぬぐいを下さった。
『白珪尚可磨』
はくけいなおみがくべし。
先生の言われた言葉。
「珪は球です。
西村君はもう立派な白い球です。
しかし、それを尚磨き上げてほしい。
これがこの意味です。
貴方に一番当てはまる言葉です。」
この手ぬぐいは自宅の居間に飾って有ります。
先生は素直な人ですから、先生の心は西村に全部映るので西村に分がよいのです。

八段の修業
「志を立ててから15年、私の日課は、すべての雑事は後回しにして、
朝7時から8時真での朝稽古1時間に専念しました。
一日一日を真剣に稽古をしている内に15年が経過していった---」

先生から聞いたのには次の二つが有った。
 受け続ければ、必ずチャンスはやって来る。
 青年の気概で審査に臨んだ。
教育者として、有言実行の範を見せた。
お見事な人生だ。
西村の人生のお手本のお一人です。
レスをつける



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