回想録-5
ある時期【京都剣道談議】を開催していた事があります。 当時の参加者はほぼ全員七段になっています。
あるときコーヒー浣腸をしたときがあります。 その後、土曜日30人、日曜日40人くらい稽古をしたことああります。 月曜日の朝、ひどい左の座骨神経痛で立てなくなってしまいました。 トイレに行くにも這って行く始末です。 当時、五十肩を右に作ったり、左に作ったり、腰痛も左右、座骨神経痛も左右に作り消すことも噛み合わせを変える事で自在に出来ていました。 今度ばかりは全く手も足も出ませんでした。 今思うと、浣腸ををしている長い時間、足をくの字に曲げていて、腸腰筋に無理な負荷をかけ続けた結果だと思います。 何処に行っても誰も治してくれません、楽にもしてくれません。 治療方法が見つかりません。 腰にゴムベルトをぐるぐる巻きにすると椅子にはかろうじて座れます。 20歩歩いたら立ち止まりといった歩行具合です。 腰にゴムを強く巻きながら新幹線に乗って京都へ行きました。 あろう事に朝稽古に行ったのです。 今思えばキチガイ沙汰です。 元立ちに立つも一歩も前に足を出せない。 この状況で【切り落としの極意】を授かりました スーッと体と竹刀を真っ直ぐ頭上にあげ、相手が打ってきて、体と竹刀が伸びきった処を真っ直ぐに体と竹刀を下ろす。 見事に切り落としが決まりました。 要は相手の体と竹刀が死に態になったところを上から砕いて行くのです。 自分が前に進み、相手がまだ少しは活きているときは竹刀は打ち合い両方がハジケます。 三日間、全て切り落としでした。 後から色んな書物を調べると同様なことが書いてありました。 足は結局自分で治しました。 噛み合わせを足を痛める前にしたからです。 約一年杖をついて歩いていました。 この時のダメージは今も少し尾を引いています。 これで得意の遠間からの面は打てなくなりました。 東西対抗の西軍の大将をされた先生との稽古で、「君!もう八段に受かるよ!」と褒められたとき「昨年、七段に受かったばかりです。と言うと,絶句された。 この時の稽古風景のビデオを佐藤先生に見せたら、「良いとこ打っているなあ!」 と褒められました。 佐藤先生に「八段受けに行くのか」と言われたとき、あのときは最高の動きが出来手いたような気がします。 当時、仕事も人生も最高に上手くいっていたので、これで八段になれば罰が当たると思っていました。 外に承認欲求を満たしに行くより、世界で唯一西村だけに出来る咬合病治療顎関節症があると言う認識は八段受ける意識が薄かったのです。
身体状況のマイナスの劇的変化が「切り落としの極意を授かる!」という 授かりものをしました。 過去の例でもそうですが、何かを得るには相応の代償を払うと言うことです。
一時期、松風館へ基本稽古に通いましたが、交通渋滞、過酷な稽古、交通事故の危険、肉体が壊れそうな気がする等々を考え欲をを掻くことは止めました。
この頃から剣道で気づきつつあることは歯科医医の仕事、人生を命がけでやって来て、すでに気がついている事を知ってしまったのです。 剣道の興味は薄れ、指導に興味を持つがそれに値しない人が多すぎて止めました。 今思うのは、1月7日後数日で74歳になります。 それで、 六年後八十歳審査をうけられるように健康を維持したいなあ!と思うことです。 最高齢で八段に受かる!これを考えるとワクワクします。 何か目標が無いと元気でいられませんから。
【ちょっと番外編です。】 不思議な縁に導かれて! 不思議な縁に驚く! 西村家を継いだ西村雅興もこの1月7日で73才 になりました。 淳一兄様の命で西村家をしっかり守れと言われ、高校・歯科大学へと進学させてもらいましたました。 お陰様でで歯科医院をを40数年間開業して来ました。 母からは喪主を頼まれ西村家を継ぎました。 菩提寺は東京都港区の築地本願寺に移しました。 お墓はお参りの事を考え 都心の麻布{六本木のすぐ近く)の麻布山善福寺に移しました。 兄の期待にも応える為に妻の協力も得、おそらく日本一の納骨壇・納骨室を作りました。 幸い催事もほとんど終え、雅興の責任はほぼ終えかけています。 善福寺の納骨室の権利は100年分前納してありますので,後は息子が引き継いでく れます。 今は毎月2回は必ずお参りをしています。 赤木の姉様は上京の度にお参りをされています。 昨年は【 記述を消しています 】が重なり、 急死に一生を得ました。 私の【 】期間と淳一兄様の葬儀が重なり参列できず歯がゆい思いをしました。 傷が癒えればお寺にお参り、姉の眸姉様にも顔を見せに行きたいと思っていましたが其れも暫くはかないません。 重子姉様と20才違いの弟も73才になると、これをを機会に姉様方の母方の息子、孫、ひ孫様に何か残したいと思いました。 父の自転車の後ろに乗せられて、広山の大きなお墓、新舞子の浜に通じる揖保川の大きな橋を渡った直ぐ右手にある中島の権現様によく行きました。 広山のお墓は村の人がいつも綺麗にされていたようです。 今ははっきりと所在はわかりません。 今回、これを送ったのはのには分けがあります。 中島の権現様のお堂の前に2本の大きな石柱が立っています。 その裏に大きく父・西村喜久治の名前が刻んであります。 父が財を成していたときに寄付をしたものと思われます。 是非先祖が残した足跡を見に行ってください。 網干駅から車で15分の所です。 石に刻まれた祖父、曾祖父の名前を見たとき、この先祖が有って、今の自分があると実感できます。 先祖を敬う心が生じたとき、道が開け何かがあっても先祖様が助けてくれます。 近いところに有りますから家族で是非にも参拝してください。 参拝し石柱の名前を見たとき,きっと父は喜んでくれると思います。 雅興を自転車の後ろに乗せて連れて行ったかいが有ったと思うことでしょう。 お墓は東京に有りますが、西村家のモニュメントとして代々記憶してください。 尚、【昔から権現様と親しまれ、病気や歯疾に御利益が有ると言われている。】--- 記述が有りました。 私が歯科医になったのも不思議な縁が有ったのかと驚いています!
大変な受験勉強,浪人生活。 五十歳になっても夢の中で受験勉強で苦しみ、妻が見かねて起こすしまつです。 あんな事、こんな事も、父の自転車に乗せられお参りしたこの神社に導かれていたのかと思うと不思議なとです。
今,手元にある【西村雅興の霊的相関関係図】を観ると150年間の間に複雑に絡み合い、その要所要所に超能力者が介在しています。 超能力、奇跡は本当にあるのです。 ただ、ほとんどの人はその実体験をしないで人生を終わられます。 西村には多くの実体験に出会い人生が動いています。
この項目では剣道以外の不思議なことを書きましたが,これが真実です。
偶然の出会いのように様に感じられていますが、全ては必然的に起こっています。 西村の剣道で、日本の超有名な先生方との出会いも必然性から起きています。 今これを読まれている先生方も自分の剣道人生も、その必然性を感じると、残りの人生における剣道観も変わり、尚深いレベルに進まれることと思います。
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