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- 回想録-1 - 西村雅興 [2019年12月31日(火)]
回想録-2 - 西村雅興 [2020年1月1日(水)]
回想録-3 - 西村雅興 [2020年1月2日(木)]
回想録-4 - 西村雅興 [2020年1月3日(金)]
回想録-5(番外編も含む) - 西村雅興 [2020年1月3日(金)]
回想録-6 - 西村雅興 [2020年1月4日(土)]



回想録-6
西村雅興
2020年1月4日(土)
回想録-6
だんだんネタも無くなってきて、後は誰を書こうかなと思っている。

原田先生の歯を直させ頂88歳まで剣道人生を伸ばした。
佐藤先生の歯を直して明治村四回目の優勝の機会を与え、イタリア遠征時に手が動かなくなったのも歯で直した。
永松陟先生の歯の絶不調を直し、健康にした。

そうだ、最後の方でお世話になった永松陟先生を書いておく必要があると気がついた。
数年前の東京剣道祭をYou Tubeで観たことがある。
もうお年だから生きていおられるか心配だった。
永松陟で検索をした。

剣道 範士八段 永松先生 【面の指導】
26,226 回視聴•2019/01/07
範士八段永松先生90歳。段位に応じた面を解説、ご指導頂きました。

90歳にして見事な剣風で指導をされていた。
私の治療が多くの剣道家にお役に立っているのをみて嬉しかった。
一種の化け物だと感じました。
東京剣道祭2015 永松先生の立ち会いは天下一品の切れ味です。
先生の映像は多くありますからぜひみてください。
先生の背後には梱姿勢を維持する、西村の絶品の総入れ歯があるこが西村の誇りです。

永松陟範士八段の先生の西村との関わりの開演です。
「永松」で検索 - 40件見つかりました。
詳しくはその全てを読んでください。

事の始まりは江東五区の合同稽古会だった。
見事な剣風の先生を見つけた。
是非稽古をと思うが、長蛇の列でとても時間内にはには間に合わなかった。
是非稽古をしたいと思っていると、先生がJR東日本の師範をされていて、週一回指導に来られると聞いた。
「西村さん良かった連れて行ってあげるよ!」と言ってくれた。

原田源次先生も、佐藤博信先生もすでに旅立たれた。
永松先生は87才で今も健在である。
日本一綺麗な面を打たれる先生と評価されている・・・ウワサ。
三人とも西村が歯を義歯を丁寧に作り上げ、剣道人生を長らえるようにした。
今まで原田先生、佐藤先生のことは散々書いて来た。
今回は範士八段永松先生について書いてみよう。

動画で永松先生を検索して下さい。

ある日、稽古会で素晴らしい剣道をされる先生を見つけた。
さて、前に並ぶも、その列の長さが長いので稽古会の時間では回って来なかった。
あるときは、何とかやっと順番が回って来た。
稽古をお願いするにも難しい状態だった。
この先生と十分稽古をして、指導を頂きたいと思ったものだた。
ある時、永松先生がJR東海の師範をされていて、週に一回東京駅の道場に来られていると聞いた。
教えてくれた人が、西村先生が参加したければ連れて行ってあげるよと言ってくれた。
勇んでその道場へ行った。
参加人数はそれほど多くないので、行けば必ず稽古が出来た。
天にも昇るここちで幸せだった。
参加者の中では西村が最上位の様であった。
先生に面を打つと、必ず小手を打たれるのだ。
スパット斬って落とされる様な小手だった。
まぐれで面でも小手でも入ると「参った!」と気持ちよく言って下さる。
それに元気をもらって稽古に励んだ。

ある人は先生の足の入り身を真似をして、コツを掴んだらたちまち七段になった。
 当時、最長老の幹事の小泉先生が西村に言った。
「永松先生の剣道は品があるだろう!
警視庁の警察官のマッポ剣道と違う!
それで、この先生に師範をお願いしたのだ!」
西村も良い線まで押し込むのだが、後一歩で取られた。
周りの人が、西村先生は永松先生との稽古は目を見張る物があると言った。
完全に八段候補の剣道だよと言ってくれた。
ずーっと先生のビデオを撮り足の捌き、手の内の作用を研究した。
ある日、先生に覇気が無いときがあった。
何と!小手も面も面白い様に入った。
先生も参った!と言われた。
小躍りして喜んだが、先生にはそれなりの理由があったのだ。
 先生の下顎に一本の残っていた歯が歯周囲炎で腫れていたのだ。
前から良くなかったのに加え、雨の日葬儀に長い時間参加され、体力が落ち痛みがひどくなっていたのだ。
それとは知らない西村、何本も入ったので喜んだ!
名人も体力、気力が無いと、西村が上をいく。

その後、西村が頼み込んで治療をさせていただいて先生の入歯を完璧に作り上げた。
以後、先生の気力、体力は順調だ。
その後、先生の師範をされている間は、ずーっと稽古をお願いした。
87歳になっても東京剣道祭りで範士八段の部で見事に冴えた面を打たれる!
老いて益々盛んな剣道ぶりだ!
この剣道は西村の入れた総義歯が支えている。(何と楽しいことか)
その後、先生の師範をされている間は、ずーっと稽古をお願いした。

佐藤博信先生と静岡の井上先生との立ち合いを思い出した。
前足が床を滑って体がやや前進した。
井上先生、来た!とばかりに面を打とうと手元が上がりかけた。
その瞬間、佐藤先生見事に小手を斬った。
その鮮やかさは今にも脳裏にはっきりと映像が残っている。

永松先生の場合、前足が床を滑って出て来る。
いわゆる摺り足の状態で前進される。
後ろ足は体を軽く押し、体がやや落ちながら、ハの時に足が開く様に前進する。
いわゆる、滑落の原理に沿った体の前進だ!
かって、西村が打てる、ここだ!と思ったときは、先生の術中に嵌まっていたのだ。
先生が先を取って、打ち間に(斬り間)に入って来たことすら気がつかなかったのだ。

さて、何故切れ味が鋭いか・・・足が床からほとんど離れていないので、後は軽くトンと床を蹴りながら竹刀で小手を斬って来るから早いのだ。

原田流では足は15〜20センチ床から離れ、右膝が前に出て来ている。
足が床に着くのに時間がかかる。

要は右足は床を滑って、体の滑落を応用して攻め入れば切れ味の良い小手が打てる。
面の場合は後ろ足を強く押し出すだけだ。
永松先生が【日本一綺麗な面を打つ先生!!】と呼ばれている秘訣がここにある。

西村は永松先生の背筋から腰にかけての素晴らしい筋肉を知っている。
尚、歩くときは軽く地面を蹴るように軽快で、すばらしい歩みをされる。
さらに週に5〜6日は現役で剣道をされている。
あの見事な面はこのような裏付けがあるから打てるのだ。

追伸:国体で大将同士で賀来先生と当たった。
   試合では永松先生が勝ったらしい。
   後で、稽古をしたら何と賀来先生は強いんだろうと思った。
   良く勝てたもんだと思った。
   西村に話された言葉です。


原田先生の教えに【剣道は一瞬の我慢比べだ!】があります。
古来より撃尺(げきしゃく)、斬間、、切間に入ったら、先に手を出した方が負けとの教えがある。
先に反応すると相手に読まれ、それに反射的に反応され後の先を取られるからです。
原田先生との稽古では、どんなに我慢をしても先生の我慢に負けて打たれていました。
打とうと無意識が思うと、有意識が命令するまでにタイムラグがあり、そこをつかれるのです。
反射的動きは【石火の機】火打石が打ったとたんに火花が出る様な反応です。
西村はこの修行と思い稽古に励んで来ました。
しかし、目が相手を捉えて打とうとすると同じようにタイムラグができます。
要は何も考えていないで、とっさに打てば良いのです。
無にも考えていないでいる、無心でいることが難しいのです。
目で捉えないで、勘で捉えることが大切なのです。

剣道の難しいところはこの勘、感性の鋭敏さに左右されるところです。
これは遺伝的な要素が強いので遺憾ともし難いのです。
理合が判ればかなり補えますがなかなか難しいところです。

しかし、相手が打って来るという危機に関しては、自ずから敏感に反応します。
打たれにって反射的に相手を捉える、打った意識は全く無いのに良いうちが出た!
とっさの反応です、反射です。
原田先生は竹刀を持っている意識も無い。
ただ手が勝手に動くと言われていました。
【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!】

原田流も西村流も同じ溜で、手元をギリギリまで動かさない。
相手のは反応を捕まえるまで動かさない。

ところが永松先生の左手の動き始めがこれよりやや早い!
ここに切れ味の良さがあるのではないかと思います。
こちらが十分でも、え!と思うところで面を打たれるときがあります。
原田先生では絶対にない機会です。
先生が言うには俺はそんなに我慢が出来ない、打ってしまう!
と聞いた事があります。
結構手数も多い方です。

相手の反応を待って打つのではなく、相手が反応するであろうとの判断で、打って行くのではないでしょうか。
だから、間髪を入れずに入ります。・・・おそらく外れる事もあるかと思いますが。

その為、万を持して左手元を動かさないのではなく、打つべき方向に手元が攻め動いていて、へそから手元が早めに前進している様な気がします。
相手の手元が浮こうとしたとき竹刀の先はほとんどそこにある。
切れ味の良さはここに尽きると思います。

西村もこれを参考に、剣風を変えてみようかと思います。
体力、筋力、瞬発力が衰えると、これも有りかな!と思います。

体と手元と竹刀の動きは以上を参考に 【永松範士】を検索して吟味して下さい。
原田流は京都での小西先生の立ち合いで先生が面を打った動画を見て下さい。



永松範士流の足を真似る!
西村雅興
2016年12月7日(水)
永松範士の事を書いて永松範士流の足さばきをやってみました。
前足を床に滑らせ体を前進させる。
後ろ足の支点はしっかりとしているまま前足を滑らせて、足を広げるだけです。

なるほど今まで無かった程の切れ味鋭い小手が打てました。
しかし、相手が全く反応しなくて困りました。
これでは相手の立っている面の位置まで打つ必要がありました。
この足捌きでは面に届きませんでした。
相手を引き出す事をするか、最後に体の押し出しを強く蹴るかこの二つが必要な気がしました、
往年の西村の足では十分に面が打てますが、70才を過ぎた足では難しかったです。

判った事は・・・この攻めは入りには全く色が無いので、相手が全く反応できない
        ことが判明しました。
いわゆる、風がさーと吹いたように相手に忍び寄れるのです。
原田流、西村流では前足を浮かせる弱いアクションがあるが、永松範士流では前足を浮かせないでスルリと滑らす為に、アクションはほとんどゼロです。
今回、相手の反応がゼロであった事判ったのは大きな収穫でした。
後は最後の瞬間にわざと色を見せて反応させれば良いだけです。
今度の稽古ではこれを試してみます。


西村、新境地の面に!!
西村雅興
2016年12月9日(金)
昨日、永松範士流の足を真似てみた!
原田流では最近少し遅いと感じていた竹刀の面の捉えが有った。
往年の頃はズバット入っていたのが、やや最近(70才)になるとそうではなくなった。
体重に増加、足の衰え、加齢のせいかと残念も思っていた。
しかし、永松範士流の足にすると、小手は鋭い切れ味を示した。
それだけではなかった・・・・。

前回は、相手が全く反応して前に出ないので、その分竹刀の先が面に届かなかった。
それで、今回は相手が反応しないから、相手のそのままの頭の位置を打つことにした。面打の想定位置を変えることにしたので、体の前進をその分大きくする必要がある。
この想定の元で、右足をスーッと床を滑らせ打ち間からやや深く体を入れた。
相手の反応が無い、ただボーッと私を見ているだけだ。
最後の瞬間に竹刀で相手の面をパシリと打った。
打たれた方は何事が起きたのかという風な表情だった。
気がついたときは西村は相手を通り過ぎている。
スーッと一瞬、風が通り過ぎた様な感じで面を打たれているのだ。
打つ方に打気が無い、捧身の位で(相手に身をささげる気持ち)、風のように前に進む。
自分が消えて、風そのものになった心境だ。
無想の位の剣道になった。
ただそれだけだ!!!!!!
西村の剣道は新境地に達した。
西村に色は出ない。
相手も色を出さない。
無想の位で(自分が消えた位)ただ、スーッと相手に身を寄せて行くだけ。
すると竹刀の先に面が見えるので、面の上に乗っている蠅をピシリと叩くだけ。
そんな感じの面打になった。


昨日、永松範士八段とゆっくり話をする機会があった。
青木君の例をあげて話をした。
先生曰く
「稽古も熱心、剣道も良い。
しかし、審査に落ちる。
この人は打って行くとそれに対応して打って来る。
しかし、自ら機会を作って打とうとしない・・・。
これが審査では大問題なのだ!」
青木君・・・・自ら先を取って機会を作り、相手の心が動いたその瞬間に捨てて打つ! これに尽きる。
剣道でやっている事は貴方の潜在意識の反映なのだ。
剣道の取り口は人生の取り口と一緒なのだ!
注文を取って商品を納入する・・・これは誰にでも出来る50点の仕事でしかない。
相手先の利益になる事を積極的にさがし、それを提示し相手が喜んでくれて、自分の評価、会社からの評価も上がり出世位し給与も上がる。
相手に先駆け積極的に事を起こす・・・その先に人生が広がる。

西村が剣道を指導している人が言った(歯科医ではない)。
「西村先生所だけ全く違う経営内容なのだ!
回りの歯医者さんが首をかしげているという話を聞いた事がある!
どうしてなんでしょうかね?」
西村が言った。
「私と剣道をしてみれば判る。」
彼が言った。
「それはそうですね!」

当時経営コンサルタントから太鼓判を押されていた。
治療内容は超一流、経営内容は日本一・・・と。
それを聞いて、思い残す事が無く経営規模を縮小した。
100人を超す大型歯科医院から、今は院長1人従業員3人の最小規模に縮小し、ゆったりと西村の心にかなった高品質の治療をしている。
患者様は午前中3人、午後3人というゆったりさだ。
それでも収入は多く、日本中から治療を求めて来院される。
歯科医冥利に尽きる人生をしている。
私は68才になったが、歯科医としてやりたい事は全てやり尽くした。
何の悔いもない歯科医人生を送ってきた。

剣道は生き様だ!・・・剣道の昇段審査を通して貴方の生き様を明示されている。

昨日、永松範士八段とゆっくり話をする機会があった。
青木君の例をあげて話をした。
先生曰く
「稽古も熱心、剣道も良い。
しかし、審査に落ちる。
この人は打って行くとそれに対応して打って来る。
しかし、自ら機会を作って打とうとしない・・・。
これが審査では大問題なのだ!」
青木君・・・・自ら先を取って機会を作り、相手の心が動いたその瞬間に捨てて打つ! これに尽きる。
剣道でやっている事は貴方の潜在意識の反映なのだ。
剣道の取り口は人生の取り口と一緒なのだ!
注文を取って商品を納入する・・・これは誰にでも出来る50点の仕事でしかない。
相手先の利益になる事を積極的にさがし、それを提示し相手が喜んでくれて、自分の評価、会社からの評価も上がり出世位し給与も上がる。
相手に先駆け積極的に事を起こす・・・その先に人生が広がる。

西村が剣道を指導している人が言った(歯科医ではない)。
「西村先生所だけ全く違う経営内容なのだ!
回りの歯医者さんが首をかしげているという話を聞いた事がある!
どうしてなんでしょうかね?」
西村が言った。
「私と剣道をしてみれば判る。」
彼が言った。
「それはそうですね!」

当時経営コンサルタントから太鼓判を押されていた。
治療内容は超一流、経営内容は日本一・・・と。
それを聞いて、思い残す事が無く経営規模を縮小した。
100人を超す大型歯科医院から、今は院長1人従業員3人の最小規模に縮小し、ゆったりと西村の心にかなった高品質の治療をしている。
患者様は午前中3人、午後3人というゆったりさだ。
それでも収入は多く、日本中から治療を求めて来院される。
歯科医冥利に尽きる人生をしている。
私は68才になったが、歯科医としてやりたい事は全てやり尽くした。
何の悔いもない歯科医人生を送ってきた。

剣道は生き様だ!・・・剣道の昇段審査を通して貴方の生き様を明示されている。

そういえば、左足の座骨神経痛も約1年間は剣道が出来ない時期があった。
結局治したのは、西村の咬合治療であった。

佐藤博信先生も明治村に四回目出場出来た。
原田先生の左肩の痛みが消えた。
永松先生の体調が万全になった。
朝岡先生の剣風も全く変わってしまった。
いそちゃんが奇麗になり、手に握力が戻った。

原田先生との稽古は何とか先生より後から左手が動く・『不動智』を心がける。
これが上手くいった時は先生の竹刀を捌いて面に当たる。
体は捨てて出ながら左拳は相手を活かしてから動く『活人剣』を心がける。
『捧身』からの『活人剣』なのだ、
今日は良い稽古が出来たと思う。

次は野正範師との稽古
要領は同じで、打には行かない。
体を進めて先生の出方に従う。
それなりに稽古ができた。
稽古後の挨拶の時「貴男は厚みのある稽古をする!」と褒められた。

その次は佐藤博信先生との稽古
いつもは長蛇の列で稽古は難しいが、先生が遅れて来られたので、列が出来る前にお願いした、

胸をえぐるように様に体を深く進め先生の手の動きを待つ。
今回は前回の様には先生が手を動かさない。
(名人は同じ失敗を繰り返さない・・・佐藤先生談)
やはり、前回の西村の攻めに乗ってしまったことが頭にあったようだ。
丁々発止と剣のやり取りをしてお互いに楽しんだ。
さて、暮れに原田先生に入った面の打ちをした。
ぐーっと体を入れ、すかさず右膝をぐーっと前に出す。
右足は空中に浮いている。
先生はそのまま打てば返し胴とばかりに受けにかかる。
しかし、ここまでの動きは先生にしみこんだ動きの誘発なのだ。
面と見て受けかけた竹刀が一瞬行き場を失い、正眼に戻そうとするところをしっかり腰の入った面が入った。
先生「お!」とした表情で、良いとこ打たれたとの意思表示をされた。

後の挨拶で「像さんが突進してくるようで、うかつに手を動かすとやられるので気をつけた。」と言われた。
やはり前回はこの時手元を動かし打たれた思いが有ったのだ。
名人は同じ失敗を二度しない・・・佐藤語録
と言うことは・・・やはり前回はよかったのだ。
今回は見事な面を一本いただいた。

この面打ちは原田先生、賀来先生、永松先生、佐藤先生、倉沢先生・・・どの名範士にも通用するのだ。
『身を捨て自らを餌として誘(おび)き出して、後は身体の叡智に任せる!』
剣道は結局ここにつきるようだ。
先ずは自分を空(むな)しゅうして、自ら白刃の下に身を置く勇気、覚悟この修行が剣道と言える。

さて困った!どの八段の先生にもお願いしたいとの気が全く起きないのだ。
体調は万全だし、誰かと稽古をすれば良さそうなのだが、全くその気が起きない。
一番端で、最近八段になった長身の先生の稽古を見た。
ともかく面は速い!
ところが打つ前の味が全く無い。
ある七段の先生との稽古では打ちあぐねていた。
最後に、八段の方が「先生一本お願いします。」と言った。
八段は面を打ったが胴に返された。
参りましたと言ったが、七段の先生はまだ不十分でしたといい、もう一本になった。
今度は八段良いところを打つが、残念ながら技前がないからしっかり小手を打たれていた。
七段の先生はいつも同じ道場で稽古をされている先生だ。
八段を目指す古株七段なのだ。
西村はこの先生には十二分に分があるのだ。
この八段の稽古を見ていた時、あそこは突きが入ってしまう、あそこは小手だ、あそこは胴だ・・・と、稽古をしなくても予測が立つ。
チョットやってみようかと思ったが、これは大人げない!俺の方が強い証明をしたがっている自分に気がついた。
さもしい根性で稽古をしても後で自分が惨めになるだけだ。
後味が悪い思いがする・・・と思い面を脱いだ。
ある面打ちで有名な若手の先生と稽古をと思ったがやはり止めた。

八段殺しの異名も余り良い評判ではない。
八段になっておればこんな異名はつかない。
といって、八段をとりにく気持が起きない。
その為に大切なエネルギーを使おうとは思わない。
欲が消えた!

一時125人の大型歯医者から、来月からは歯科医は西村一人の小型の歯科医院になる。
自然に任せていたが、やっと縮小が完成する。
これで、いつでも歯科医をやめれる用意が出来た。
ここから、ただ楽しく歯科医療をする。
食べて行ければそれで良い!
剣道も同じ思いの中にある。
ただ楽しく剣道をやっていく。
楽しければそれで良い!

「貯蓄十両 儲け百両 見切千両 無欲万両」という言葉がある。
ずいぶん昔、自己啓発の修業中に聞いた言葉だ。
今になってこの時の教えが生きているとしみじみと感じる。

経営規模最高の時・・・儲け百両
二院を閉鎖した時、さらに次に50坪の規模を25坪にした時・・・見切千両
最近の経営形態・・・無欲万両
仕事も剣道も無欲万両に近い心境になっている。

仕事は西村を必要としている人のみに治療をする。
剣道はただ楽しくやっていく。
この欲の無い人の面を打つのは難しい。

剣道究極の極意!
「打つと思えば悟られる!
打たれたくないと思えば隙が出来る!
相手が打ちたいと言えば、身を捧げる『棒身』!
何も思わなければ、相手の心はこちらに映る!
手詰まり気つまりになったら、身を捧げて相手に問う!
打つぞ!突くぞ!と十分に攻めて意識を高めあい、
後は相手の刃の中に身を捨て問う!
その後、体は勝手に反射の行動をとり、不思議の勝ちとなる『神妙剣・無想剣』。
この気位があれば、相手が範士たれとも恐るに足らず。
極意は心法・肚にあり。
よって、『不動智』こそが全てとなる。」

こんなことを書きながら、言いながら明日は心が揺れるかもしれない西村です。

さらに佐藤先生。
「それから、岩立先生の面に来る時の攻めなんだが、先生(西村)の分析が随分役に立ったよ!くっと腰を入れるところ、その瞬間は打ちに来ないで・・・・。」

西村が永松陟範士との稽古で良い面が入った時の話をした。
「永松範士の左拳を先に動かせれば打てると思っていました。
その為、足からの攻めはいりの途中に右膝を軽くグッと攻めに使うと、先生の左拳が5センチほど前に動きました。
その瞬間面を打っていました。
しっかりと面入りました。
その後、見事に打たれた、参ったとお褒めを頂きました。」
佐藤先生
「右膝の攻めを使うなんてプロ並だ!」と褒めて頂いた。
・・・どうやらプロなら知る攻めの高等技術の様だと確信した。

日本の剣道最高位の佐藤博信先生が西村の剣道の講釈を聞く!
普通はあり得ない話だ。
主治医の特権か?
でも、西村の分析力は高く評価して下さっている。

日本剣道界の為に、いつまでも元気でいてほしい先生だ!

『結局、正道を踏み外さず、誠意をもって生きていくしか鍛えようがないんだと思います。』
全くその通りです。
自分の心はなかなか見えません。
剣道の動きの中、心の葛藤の中にその奥にあるものが見えてきます。
相手が弱いと、自分の良い所が見え、相手が強いと自分の欠点が見えます。
剣道は見えない自分の心を顕在化してくれ、それを検討するチャンスを与えてくれます。
その意味で、剣道は究極の自己啓発の手段だと言えます。
西村の大好きな剣道範士八段の先生方は、剣道によって究極の生き方を見つけた先生方です。
いつまでもその先生のそばに居たいと思う、何ともいえない心地よさを感じます。
その先生方からは癒しのエネルギーが出ています。
西村はそんな歯科医になりたい、そんな剣道家になりたいと思っています。

ある敏感な体質の人がたまたまある人と同じ部屋に居た。
彼が後から言った、あの人などういう人?
何故と聞くと、体が溶けるように緩んでしまって凄く気持が良いからと答えた。
その人の名前は 原田源次先生、佐藤博信先生、永松陟先生でした。
これらの先生からはある種の和らぎのエネルギーが出ているのです、
彼はそばに居るだけでそれを感じるのです。
これは西村にも感じます。

最近、深いレベルの意識の変化が本物か、範士八段の大御所に剣道で聞いてみることにした。
それで防具を着けた。
この稽古は青木君が見ていた。

久し振りに、野正範士八段にお願いする。
(お願いではなく気で語り合う。『打つ前に死ねるか?』の鏡になっていただく。)
間合いを取り、意識波動で気を送る。
西村は竹刀を忘れ、気が先生の咽元を攻めている。
先生も容易には出てこない。
暫く膠着状態が続く。
先生が竹刀を巻いてくるが逆らわない。
その後、軽く面をポンと触られた。
参ったとは思わなかったが、先生に余裕が有った。
竹刀を巻かれ、意識が竹刀にとらわれ、先生のポンをかわせなかった。
今思えば、このポンの時スッと体をかわせば西村の余裕勝ちなのだ!
惜しい!その余裕が無かった。
81歳の範士八段の余裕に追いつかなかった。
これが2回ばかりあった。
途中、西村は身を捨て切ってスッと体を前に出した!
先生がどこを突こうがお構いない!
既に西村は死んでいる!
先生は喉元を突いてきたが西村は全く意に介さず、腰を入れてしっかり面を斬る。
先生の竹刀は左咽外を通過し、西村の面がしっかりと決まる。
打つ前に死んだ方が覚悟が出来ている分だけ歩がある。

稽古の後、挨拶に行く。
「あなたは豪快な面を打つねえ!」と褒めていただいた。
「最近、原田源次先生をお見かけしないが寂しいねえ!」と言われた。
「私も今日お会いして新宿までお送りするのを楽しみにしていたのですが。」と話した。

次はこれも久し振りに、永松陟範士八段にお願いする。
(お願いと言うよりはお人がらの良さに竹刀で接する気持だ)
私の前に懸かっている人達は、先生の絶妙なる右足の滑り込む攻めはいりに全く気がつかない。
皆様、見事に面を打たれている。
西村の番になった。
先生の心が良く見える!
今までにこんなことは一度もなかった。
先生が先を懸け仕掛けて来るが、西村の竹刀は動かない。
先生の喉元に竹刀が刺さる。
今度は先生は内小手から面に攻め渡ってきた。
西村は動じない。
先生が面に伸ばすがとどかない。
先生は今度は体を大きく出し、本気に面に打って出てくる。
西村はその時先生の攻めは入りに体を合わせ、なおかつ面を指し出す。
先生の面が西村の面をとらえる瞬間、見事に返し胴が決まる。
これは数本有った。
試しに自ら打て出てみたら、簡単摺り上げられ捌かれた。
打って出た方が負けなのだ。
先生は西村に崩される様なヤワな人ではない。
今度は先生の絶妙な右足の攻め入りに合わせて入っていく。
相打ちよりは西村の方に歩が有った。
これが数本有った。
最後の一本の雰囲気になった。
先生の攻めは入りに完全に同調させて入っていく。
自分の身を捧げる・・・棒身なのだ。
さらに頭もやや前に出し、面も打ってくださいと捧げる。
先生の左拳が体からやや前にでて来た。
打つ体勢に入った。
西村の無意識はこの瞬間をとらえ、左拳は一瞬に面を打って出る。
先生の手元は一度、拳を前に出しているから瞬発力に劣る。
手元のテンポが二拍子になっている。
左拳の動きに途中に節が有る。
西村はこの節までの動きをとらえて一瞬の一拍子の左の拳動きで面に出る。
満を持して溜めていた体の捻れ。
二足歩行の原理で左手が体のバランスをとる為に前に出たがっている『留め』をはずすのだ。
左拳を体に留めて体に蓄えられたねじれは一瞬に解放される。
体が勝手に面を打つ。
引き金を引いたのは永松先生だ!
先生の攻めは入りから、西村の差し出した面を打とうと無意識が思った瞬間、左拳が10センチほど体から前に出た。
無意識が面打ちの予備動作を起した。
この瞬間、西村から見れば面を打ての合図になる。
先生の無意識の予備動作を西村の無意識の感性がとらえて、面を打てと心が言った。
見事に面が入った。
先生の方が全てにおいて先を取り懸かりを取っている。
西村の方全体として同調しているから『待』なのだ。
しかしこの『待』には『懸かり』が潜んでいる。
『待中懸』
相手を存分に働かせて取る・・柳生流の『活人剣』なのだ。
打つ前に既に死んでいる。
先生の十分な攻めに『面を指し出す』これが呼び水になり、さすがの先生の無意識も動いた。
西村の無意識レベルの反射はこれを見逃さなかった。
自分を守る為に面を一瞬に打ったのだ。
打ち取ろうと思えば打てない!
自分を守る無想剣が身を守ったのだ。
その方便として面を打っている。
もし、竹刀を忘れて居れば、先生の打ちが鋭い時は体は無意識に体を捌き抜き胴になる。
竹刀に意識が行くと身を守り返し胴になる。
何にしても『相手に打たせれば勝ち!』これが剣道なのだ。
しかし、打つ前に死ぬ覚悟があって成り立つ。

稽古の後挨拶に行くと、「最後の面は参った!」と言われた。
先生いわく
「数本良いのが有った。
最後に一本取っておこうと面を打ったら、逆に見事に取られた。
『参った!』と思った。
あの一本は参った!」
西村
『先生の左拳が動くまでの西村の我慢でした。」と言った。
棒身、面へのお誘い、一瞬の我慢比べ・・・覚醒催眠そのものの世界です。

お隣の佐藤博信先生に「お久しぶりです。」と言うと。
「隣で見ていたよ!
(佐藤先生の右が野正先生、左が永松先生)
剣道を楽しんでいたね!」とニコニコしながら話された。

この半年間の体調を壊さんばかりに人生を賭けた悩みに決断した。
『先ず先に死んでから、決断をする。』事が、今日の剣道に見事に反映していた。
島田虎之介・・・の言葉が思い出される。

今日は西村の稽古を見ていた青木君への心理的な解説でした。
どうですか・・・このように書くと良く理解が出来るでしょう。

名刀も良い砥石が無いと切れる物にはならない。
最後の方では素晴らしい仕上砥石に出会わないと物にならない。
今日のお二人の先生はこの上ない名砥石です。
このような先生に稽古をいただける幸せを今日は改めて感謝する。

加藤先生八段昇段時に頂いた手ぬぐいの言葉。
『珠(たま)尚磨くべし』
手ぬぐいをいただいた時に言われた。
「西村君は既に立派な珠です。
しかし、尚磨きをかけてください。」
今日はお二人の先生が珠を磨くネルのつや出し布用に感じた。
剣道は研いでもらうものだなあ!・・・実感。


さて一言・・・野正先生に懸かる人は極く少ない。
先生が相手がいなくて寂しそうにしている時間がある。
(西村も同じような状態に出会う・・・懸かってくる人がいない時間が有る)
先生が腹元を突き攻めるからだ。
多くはこの攻めの竹刀と闘い、本体である先生を見失っている。
ほとんどが先生の攻めが「教え、引き出してやる」との意を汲めないのだ。
竹刀でひぱたくのが剣道と思う人には、つまらない稽古となる。
竹刀も忘れ気の押しあい、意識波動のレベル、自分を観る(観の目)為の稽古だと思えば、これ以上の先生はいない。
志の高い剣道をしたいならば是非先生と稽古をしてみましょう。
見渡すと八段範士も竹刀で当てなんぼの世界の剣道をしている。
打つ前に勝負が決まる・・・ここの錬磨
このような稽古をお願い出来る先生はほとんどいない。
自分の心がどれほどの剣道かを知りたければ一度お願いすることをお勧めします。
先生もお年です(80歳を越えて黒髪はつらつですが)から、チャンスを逃さないように。
西村のこの文章が稽古の後、しみじみと感じたならば御立派です。
よくわからない時・・・まだ竹刀競技のレベルです。
一度自分を試してみましょう。

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ありがとう。
青木大輔
2007年2月21日(水)
 西村 先生

 昨日は、かなり久しぶりに先生の稽古を拝見いたしました。
ありがとうございました。

 先生と永松範士との稽古では、お互いが「どこ」を勝負しているのかがよく見えた気がして、楽しくなってしまいました。
 どちらかが、少しでも「不自然な」「色」を見せた瞬間は・・・無感動な打ちが、どちらかに当たりました。
 でも、どちらも「真っ直ぐ」向かい合った瞬間は、そのまま最後の最後に優越が出ました。これは良かった。

 剣道って最後は!?ここだよな〜。。
道は遠〜〜〜〜〜〜い!!!!なと思いました。
自分が今いる位置の、先々に「ここ」に辿り着ければいいと思いました。

 これからも、先生の後ろ姿を見せて下さい。
ありがとうございました。


西村がいままでいっぱい書いてきた内容と同じです。
天下の剣士、岡憲次郎先生の言葉を書き写しました。
先生が『攻めは構えの中にあり。』と一言で言われると、禅問答のようになりますが、この様な説明があると、あるレベルの高段者には十分理解が出来ると思います。
岡先生は元々教育者なのだ。
難しい事を平易な分かりやす表現で説明してくれる。
原田源次先生も同じく、教育者なのだ。
やはり説明がわかりやすい。
賀来先生はたたき上げのプロの剣道家だ。
先生の禅的言葉を理解するには、鋭い洞察力と感性と理解力が必要だ。
しかし、自力でその言葉を理解すると身に付くものも大きい。
『百錬自得』の世界に近い。
西村はどちらかと言うと、十分な説明と科学的らしく頭が理解しやすい形で説明するタイプだ。
比較的、頭の良い人には課題と説明の両方を提供しているつもりだ。
チョット親切過ぎるかな・・・と反省もしているが。



剣道家は言葉が短く表現しますので、聞く方からすれば理解が難しい。
前にも書いた岡先生と西村の攻めの話も後説明してくれると良くわかる。
岡先生に『攻めは構えの中にあり。』と言われた時は、西村にはこの攻め入る動き間での意味を聞いていませんから、チョット返事に困った。
逆に、西村が言った『攻めはイメージだと思います。』と言った、潜在意識をも動員し、自分の身体を無意識下でコントロールし、相手には意識波動で気を送り相手の意識と身体に影響を与える話と実演ををすれば分かってもらえたと思う。

西村の意識波動を受ける感性を原田源次先生、賀来先生、佐藤博伸先生、永松陟先生に実際に試してみた。
皆様、ずば抜けた感性の持ち主でした。
多くの剣士に実際やってみました。
この感性の高い人は七段になりやすい。
これが鈍い人はやっとこ六段で七段へは、相当年を取るまで頑張らないと難しい。
要は相手を察知するアンテナの感度が高いことが素質として大切なのだ。

ある精神世界のリーダーである三国さんと会った時、彼女が言った。
「先生から悲しみの波動が出ている。」
娘が風を引いていて、自宅に残して来たからだ。
彼女が西村の表情筋の無さ、背中が丸まっている(精神状態から来る身体の反応)から判断したのかそれは分からないが、彼女にはそれがピーンと分かるのだ。
「実は心配の波動」だったと思うが。
中小企業の経営者は感性が高い。
一歩判断を間違うと担保になっている自宅から根こそぎ銀行に持っていかれるからだ。
社会の中で、日々真剣勝負の世界で生きている剣士の皆様は、剣道の稽古においてもこの感性を発揮したいものだ。

稽古終了後、全剣連の川野さんが来て、副会長をいじめただろう。
先生が俺に聞いたよ、あの強い人は何者だと。
歯医者さんらしいですよ、と言っておいた。
(言外に、年寄りはいじめるな、の匂いが有った。)

次は久し振りに野正先生と稽古をした。
先生と一度稽古をしたときは、気争いで先生が「参った!」といわれ蹲踞された。
二回目は西村の足が痛くて稽古にならなかった。
今日は三回目だ。

野正先生と賀来先生先生の立ち合いを十分検証している。
さらに、その時のやり取り、心の状況を賀来先生から直接聞いている。

しっかり間合を取ったところから、体を軽く沈め攻めた。
先生はそれを嫌ってわずかに引いた。
ここまで、賀来先生の攻め通りだ。
その後
西村の面が数本入った。
いよいよ最後だ、先生の裏からぐっと攻め入った。
先生は軽く巻くように西村の竹刀を押さえる。
ここをスッと抜いて体を大きく、先生を上から被るように大きなゆったりとした面を打つ。
これが見事に入る。
先生が参ったと蹲踞された。
この部分は京都大会での賀来先生との立ち合いの再現そのものだった。

虎の巻き持参で野正先生との稽古だった。
相手が読めれば大先生にも良いところが入る。

稽古の後、挨拶に行くとニコニコして握手をされた。
直ぐ横の原田源次先生先生の方を見ながら、原田系統は皆強いや!
体から打って出るものなあ!
と誉めて頂いた。
体は関係の無い、気攻め、読みあいの稽古だった。
虎の巻を持っていた分だけ、西村の歩が良かった。
次は永松陟先生との稽古だ。
初っぱな小手を打たれる。
この小手は分かっているのだが、未だに打たれる。
その後、二本ほど小手を打たれる。
同じような小手を大きく手元をあげて抜き面が入る。
先生の面は見えるので、胴に返せる。
何とか面をと思うが、間一髪で返される。
思って打ったは当たらない見本だった。
面を打たれることは無いが、面は打てない。
打っていったものは皆返される。
先生が不用に面に来ると、西村の胴が入る。
端正な剣道だ!
最近先生と稽古をいていない。
先生と稽古をすると気持が良い。
西村の出来60点。
体調の良いとき、港区へ出かけよう。
後は、先生の歯の検診の約束をした。

佐藤博信先生と挨拶。
今年は検診と治療に行くと言っておられた。
先生!歯が壊れると手が動かなくなりまうから、早めに検診をと言った。

余談だが
ある高齢者人が七段に受かった。
とても強さでは七段に受かるような力は無かった。
そして、いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。
永松陟先生がJR東海の師範をされていたとき、東京駅丸ノ内側北口の五階の道場へ彼が来るようになった。
彼は永松先生の右足の滑り出しと、打つ機会を徹底的に真似をした。
最初はぎこちなく、ロボットの様な面打ちだった。
右足がかなり前に出ていても、打つ機会が無く、やっと打てたら腰が残ってしまっていた、ヘッピリ腰の面だった。
それだけ、右足を宙に浮かしながらゆっくり体を出し、我慢強く機会を待っていたと言う事だ。
この我慢が人一倍出きるようになり、左足の後筋の使い方が堂に入ってきた。
そうすると、七段に見事に受かったのだ。
『師匠の言う、一瞬の我慢比べだなあ!』が身に付いたのだ。
彼はこの道場で会う前からよく知っていて、指導したことがあるので、西村にはそれは通用しないが、他の先輩七段に通用するになってしまた。
西村の指導が行き届かない分、自分で見事な手本を発見しものにしてしまった。
さて、この右足の攻めは入りと我慢の強さに、時には永松先生がこの面に打たれることがあるのだ。
その時は先生は「参った!」と言い、右拳で軽く頭を叩かれる。
(ウッカリやってしまった時のジェスチャーだ)
彼は、ここで面が入らないとき、さらにもう一本、縁を斬らずに打ち込むのだ。
これが良く入るのだ。
西村も自分の残心の無さを、彼に打たれて教えてもらったものだ。
『いくら稽古をしても七段に受かるとは到底思えなかった。』
西村がそう思ったのは間違いで、名人の技を盗めば人は突如として化けるのだ。
彼は右足攻め、左足腰の押し出し、一瞬まで我慢する、この妙技を会得したのだ。
こんなに上手く話しはざらには無い。
彼は少人数で直接指導を受け、さらに見事な手本を見てこの妙技を手に入れ七段に受かった。
剣道はただ稽古をすれば良いと云うものではないと思った。

ある先生が、永松陟先生の足の動き、手の動きをそっくり真似をした。
すると、アットいう間に七段に受かった。
決して強くない、西村に一本も打てない先生だった。
ぎこちない不器用な先生だった。
半年真似をしたら七段に受かってしまった。
相変わらず強くない。
しかし、右足を滑らせて入り身に攻めは入り、相手の色が見えるまで我慢をし、相手の色が見えた瞬間面を打つ。
一瞬の我慢比べに徹しただけだ。
この先生は、『自分の身体で攻めは入り右足は床からスレスレに前に進んでいるが、決して自分から打ち出さない。』に徹したのだ。
先に左拳を動かせばその時点で負けと知っているのだ。
しかし、皆が驚いた、後10年は受かりそうで無い人が、永松陟先生の真似を徹底的に真似たら、受かってしまったのだ。
剣道上達の大切なことは、コツ、秘訣、秘伝を教わるか、盗む事なのだ。
『稽古をすればするほど癖が強くなり下手になる。』
賀来先生の言葉だ!
千代田で見ても足から攻め入って面を打つ先生はほとんど(数名)いない。
60人稽古をしていても1/20程度なのだ。
今回出版された本を読んで、西村の過去の書き込みと比べて欲しい。
言わんとする事は西村と同じだと思う。

しかし、素直に西村に教われる人が少ない。
剣道家の一般的特質と言ってもいいだろう。
自分の事は自分でやるタイプの人ばかりだ。
西村は毎月お手本(原田源次先生)を眺めに武道館へ行く。
岩立先生と稽古をするより、お手本として眺めている。
そして、分からなければ先生に直接聞きに行く。
芸事は教わり真似ることが一番の近道だ。
最近は教える事にも飽きて、疲れてきた・・・ほとんどの人が聞く耳を持たない事を悟ったからだ。
それは本職の歯科医の為の『咬合病治療』のセミナーも同じだ。
人は皆自分で全てをやりたいのだ。
生きるも死ぬも自分で決めたいのだ。
しかし、その中で素直に人の意見を聞く人は伸びるのだ!
どういうわけか、剣道家には意固地な人が多い。
人生もそのままなのだろう。
素直に教わり、情報を集め、研究、工夫すれば道は開けるのだが!
どういうわけか、俺は逆をいく!のタイプが剣道家には多い!

さて、本番の永松先生との稽古だ。
今年になってやっと稽古が出きる。
西村の成長を見てもらう積りだ。
前回は攻め入って、先生の小手を摺り上げて面が二本入った。
今回は面の相打ちで何とか面を取りたいと思った。
知ると、出小手を数本打たれる。
最後の方で面が入ったあと、先生が一本と言われた。
先生が面に打とうと胸が出た瞬間、西村の右足が滑り入った。
相打ちの形で西村の面が入った。
先生が参ったと表現され終わった。
いつになく、先生はその場面を「西村君はあれを狙っていただろう!」言われた。
先生はこのような事を言う人では無い。
しきりに、あそこで打ってしまった自分を反省して、竹刀で頭を軽く叩かれていた。
先生の今までに無い様子だった。
今日の面は正真正銘先生の起こりに乗って面を取った。
この先生の一言がそれを物語る。
古城先生に見事な面が1本入ったときも、同じ様に先生から話かけられえた事を覚えている。
心に引っ掛かる一本が入った時だ。
中田君との稽古の後も西村君の身体の大きさに使われたと言った。
田原先生も西村の貫録に乗られたと言った。
いずれも相手から先に話しかけられる。
心を制した時、相手から話しかけてくる様だ!。
   
参考までの付録です!

加藤正一郎先生 教師八段。
先生とは同じ江戸川区の会員だ。
先生が八段に受かられて、稽古に来られた。
西村は前から思うように面が入る人だった。
西村が剣道については講釈していたぐらいだったから。

そこで、今度は八段で現れたから、本気で打ちにいった。
先生が後から言った。
「26本面を打たれた!」

稽古の後先生が記念の手ぬぐいを下さった。
『白珪尚可磨』
はくけいなおみがくべし。
先生の言われた言葉。
「珪は球です。
西村君はもう立派な白い球です。
しかし、それを尚磨き上げてほしい。
これがこの意味です。
貴方に一番当てはまる言葉です。」
この手ぬぐいは自宅の居間に飾って有ります。
先生は素直な人ですから、先生の心は西村に全部映るので西村に分がよいのです。

八段の修業
「志を立ててから15年、私の日課は、すべての雑事は後回しにして、
朝7時から8時真での朝稽古1時間に専念しました。
一日一日を真剣に稽古をしている内に15年が経過していった---」

先生から聞いたのには次の二つが有った。
 受け続ければ、必ずチャンスはやって来る。
 青年の気概で審査に臨んだ。
教育者として、有言実行の範を見せた。
お見事な人生だ。
西村の人生のお手本のお一人です。



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