西村は約20年前に心の修業をしたことがある。 その基本原理は般若心経と禅に気づきだった。 今も悩ましい事に出会うと、般若心経の解説書を風呂の中で読むことにしている。 すると心が落ち着き身も心も安らぐのだ。 立派な事を書いていても生身の人間だから色んな悩みを抱えてしまう。 しかし、その解決方法が素早いのが特徴だ。 その一つの方法に、この手の本を読むことがある。
先日、「面白ほどよくわかる般若心経」を湯船につかりながら読んでいた。
有る事が閃いた! そうだ!『心無?礙』(しんむけいげ)『無?礙故』(むけいげこ) 心にさまたげるものもなく、心にこだわるものもなく、サラリと生きていける。それゆえに、心におそれがない
剣道家はそれを『不動心』とよび、その働きを『不動智』と言うのかもしれない。
先日の原田源次先生との稽古の一瞬はあの心境だったのだ。 般若心経一節の真理を身体が具現化した一瞬だったのだ。 師匠はその次元へ西村を引き上げてくれたのだ。 次の機会ははてさて如何に?
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