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- 求める者、求める事。 - 西村雅興 [2006年5月14日(日)]
Re:求める者、求める事。 - 祖父江芳信 [2006年5月20日(土)]
Re[2]:求める者、求める事。 - 西村雅興 [2006年6月1日(木)]
Re[3]:求める者、求める事。 - 祖父江芳信 [2006年6月7日(水)]
Re:求める者、求める事。 - 剣と禅 [2006年5月21日(日)]
求める者、求める事。 - 西村雅興 [2006年5月22日(月)]
Re:求める者、求める事。 - 剣と禅 [2006年5月23日(火)]



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求める者、求める事。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2006年5月14日(日)
求めぬ者には伝わらない!

西村の治療は患者様から300万円いただいても、経費率、所得税等を差し引くと、手元に残る金額・可処分所得は30万円です。
要は1/10しか実際は手元に残りません。
歯科医なら分かりますが、300万円いただく治療は約半年から一年近く懸かります。
300万円分の治療費にかける西村のエネルギーは、正に命の切り売りに近いものがあります。
患者様の治療の依頼に対しては慎重に対応します。
相手と自分の人間的関係性が上手くいくか。
自分の感性に問い掛けます。
上手くいく確信があると、頭の中に最終までのスライドが一瞬に並びます。
上手くいかない予感!このスライドが途中で消えます。
数回会うと心の奥底から声が聞こえてきます。
「止めとけ!止めとけ!苦労するぞ!お前の苦労は生きてこない!この人は心からの助けを求めていない!」
その時は「ごめんなさい!私にはあなたの治療を引き受ける能力はありません。
治療は遠慮させていただきます。」と言う。
昔は何でもチャレンジをして、それなりの成果を上げて来ました。
危ない橋を渡って来ました。
最近、自分の体が正確にメセージを送ってきます。
本能・感性が身を守ってくれます。
治療と儲けとの意識が消えて来たからでしょう。
剣道においても、奥底の感性・本能が自分を支えてくれる様になりました。
剣道も本職に近い感性・本能が働く様になったな・・・と思うこの頃です。
剣道に対する何かしらの執着が消えて来たからでしょう。

剣道の稽古も同じです。
『百錬自得』『唯我独尊』道は我が開かん!・・・・と立派な人が多いです。
しかし、ここに執着すると、道は途上で急に険しくなって来ます。
武芸・芸能は長年かかってそぎ落とされたエッセンスが基本となって残っています。
天才と言われた人も、芸大の音楽科に入学するには芸大の教授の指導を受けるのが必須うに近い事は、朝のドラマでもみられます。
その、エッセンス・基本動作はその道の師匠の体に隠されています。
これを盗み出すか、指導を受けるかが道が開ける方法です。

さて、西村は噛み合わせの治療のセミナーを長年やってきました。
遠い所から参加された先生方はそれなりに習得されました。
西村と約300時間過ごした先生方でも、西村の1/10程身に付けられただけです。
それでは、西村歯科の勤務医は西村と長い年月を一緒に診療室で過ごしても、ほとんどこの方面の知識・技術を手に入れた人はいません。
求めてない人には伝わらないのです。

先日、ある先生を指導したつもりが、親切がお節介でした。
後日、「前回はしゃべり過ぎました。」と言うと。
その人は「先生はくどいよ。」と言いました。
本当にお節介でした。
歯科治療ではしない『お節介』をしてしまいました。
原田源次先生が言いました。
「求めてない人にはそれなりの稽古で終わる。後は自分でやってください。」
本当にそうですね!

いつもの長い前置きでした。

前回、求められるままに、祖父江さんに足の動きと、左の肩の動き、二足歩行の原理、対角線の法則等を説明しました。
その後、二週間後の稽古では竹刀の攻め方を少し指導しました。
するとどうでしょう!
見事な身体動作、見事な竹刀操作、見事な機会で三本、西村の面を打ちました
西村が引き立て稽古をしたのですが、それにしても見事でした。
若手七段の面打ちに引けを取らない面でした。
打った当の本人さえ驚いているのです。
教えた西村もビックリです。
10年懸かっても出来ない事が二週間で出来るようになってしまった。
コツをしっかり身につけたのです。
本人いわく。
「前回、目からウロコが落ちました。気配のない動き・入り身」
今回曰く
「左の肩の動きを二週間意識していました。
こんな面が打てたのは自分でも驚きです!」

京都では田伐さんが、西村の引き立てで見事な面を打ちました。
末永さんは西村の少しのアドバイスで「八段の先生の面の様だ!」と見ていた人に言わせるほどの面を打ちました。

求めている人にだけお話をする・・・硬く心に決めた五月の中旬です。


さて、岩崎先生がいつも言う事です。
「元立ちの先生の思いを汲み取った稽古が大切だ!」
その上で、更に大切なものがある。
懸かる方は何を求めているかを、自分自身でも明確にする必要もある。
ただの運動か、ゲームか、身体動作の練習か、稽古か、研究か・・・相手により、日により、場所により自分の求めているものを明確にしておく事が大切だ。

これは人生においても、仕事においても、夫婦関係、家族の関係においても言える事だ。
多くの人は易きに、安易に時間・行為を過ごしてしまっている。
自分の剣道を省みて、人生はどうだろうと思い浮かべるのも良い事かもしれない。
西村は何時も事に当たって後悔の無いように、しっかり方向を見てから取りかかる。
それでも、時に暴走するので、妻が犬の首輪につけたヒモをしっかり持っている。
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Re:求める者、求める事。
祖父江芳信 [Mail]
2006年5月20日(土)
ご指導ありがとうございました。
過分なお言葉を頂戴し恐縮しております。
未熟ゆえに、習得するまでには、かなりの時間が掛かることを
覚悟しておりますが、進むべき方向が理解できたことが、何より
だと考えております。
何卒引き続きご指導頂きたくお願いいたします。
千代田体育館へのご来館をお待ちしております。
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Re[2]:求める者、求める事。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2006年6月1日(木)
二回目の稽古が最高でした!
前回は手元が前に出ていた!
今回は気合いが入り過ぎた!
打とうと思わないで、ただひたすら捨てて足を出し、体を出す。
その結果左肩が竹刀の柄を押し出す。
体重が右足に懸かっていたようですね。
誰かに注意を受けたでしょう。
彼もそれを意識して西村に面を打っています。
次回を楽しみに。
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Re[3]:求める者、求める事。
祖父江芳信
2006年6月7日(水)
本日もご指導頂きありがとうございました。
ご指摘のとおり、気負いすぎにより、体重が右足に乗ってしまい
空回りしていました。
本日は、その点を注意したつもりでしたが、今度は、手が先に出てしまうやら、動かないやらで、なかなか思うとおりに行きません。
しかしながら、進むべき方向は、おぼろげながらにも理解できたつもりでおり、精進いたしますので、今後とも何卒宜しくお願いいたします。
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Re:求める者、求める事。
剣と禅
2006年5月21日(日)
西村先生、いつもご指導いただきありがとうございます。
つい最近あるところに稽古に行き、まったく不思議な経験をしました。求めるものが違うとこうまで考えが変わるのか。
 
「こんな単なる当てあいをやっていたのか」、少し気障になりますが攻めあいから、切り合いの世界をみた京都での西村剣道ワールドからまったく、感じ方が変わってしまっているようです。

なんか稽古の後、浮いてしまったようなむなしさを感じます。
この人たちは何を求めて稽古しているのだろう。ということを感じました。というもの一本をかけて稽古しても、自分が打たれたことを認めたくなくて、稽古を続けたがるなどの気持ちのあることはわからない訳ではないですが、剣道界の危なさを感じざるを得ません。特に、若い世代であったので指導者の危なさです。

そういう自分も”ぐち”るようになると年をとったなと苦笑いです。えらそうなことを言って、まだよくわかっていませんが(笑)

(当分、そこの道場には行くことはありません。)

全体のレベルは低くても、白紙の子供たちと本物の剣道を求めて、目指して工夫、精進するほうが楽しくなっている今日この頃です。また、よろしく。
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求める者、求める事。
西村雅興 [HomePage] [Mail]
2006年5月22日(月)
本格的な剣道家の道に入られましたね!

六段を最初に受けて落ちました時、原田源次先生から筆で書かれた封書が来ました。
それを読んだ後、自分の剣道をビデオに撮って見ました。
何とまあ!醜い剣道をする!自分に気がつきました。
この後、西村があるきっかけで、一年間『心の修業』をし、二歯科医院を閉鎖しました。
売らずに閉めたのです。
売れば1億位にはなったと思います。
未来を手に入れる為に捨てました。
捨てるって!こんなにさっぱりしたものかと思いました。
心の修業中一年間、全く剣道はしませんでした。
年が変わり、正月になりました。
妻に「剣道を始めようと思う。」と言って、道場へ行きました。
道場の景色が全く違って見えるのです。
そこで行われている剣道は、まさにその人の人生の積み重ねた結果と生き様だと気がついたのです。
男の意地、弱虫、強がり、権力の発露、いじめ根性、憂さ晴らし・・・・です。
そこには『心の妖怪』のうごめく、阿鼻叫喚の地獄を見たのです。
心の妖怪は心の底にあるコンプレックスの反動です。
西村は関西風で云う『おびんたれ。弱虫、意気地なし。」の反動として、相手の頭を打ちのめし、俺は強いんだと証明する為に剣道をしていた事に気がついたのです。
この日を境に『剣術から剣道に』変わりました。
自分の心の成長を願って剣道をする事にしました。
その五月に六段に受かりました。

剣道をどう扱うか・・・誠に大切な事です。
最初に、当時老齢の理事長・教士七段にお願いをしました。
今までは全く歯が立たない相手です。
両者攻め合って膠着状態!
西村はスッと一歩前に出て問いました。
「さあ!どうしますか。」
先生はうろたえて打ってきました。
そこを取るのは動作もない事でした。
『打つ前に死ぬ!』はこのとき知りました。

剣道は段階・方向性があります。
年齢、技術、身体能力、精神、競技能力・・・・
これはうわべは段位と比較的相対している様ですが?
潜在意識の興味がどこにあるかによって全く違ってきます。
皆様はそれぞれの方向性があって、その中で競っている様です。
心の探求へベクトルを向けると、全く争う必要がない、競い合う事もない世界になります。
相手は自分の葛藤・内面を見せてくれる、あり難い存在になってきます。
このような気持ちになった時、剣道への道を歩んでいると思います。

『全体のレベルは低くても、白紙の子供たちと本物の剣道を求めて、目指して工夫、精進するほうが楽しくなっている今日この頃です。』
お子様達は先生と一緒に剣道をした事が、人生の良き方向性への指針・羅針盤を持つ事になるでしょう。

剣道をどう扱うか・・・重要な選択です。

港を出た船が、自分の位置が解らない・・・遭難と言います。
船は進んでいるが行き先が解らない・・・遭難と言います
多くの人は二重遭難をしている人が多い。

多くの人は剣道の何を選択しているかすら気がついていない。
『剣道の遭難者』です。

剣道は「人生の羅針盤を持つ為の有用な便宜的手法』にしか過ぎない。
剣道そのものが目的になてしまっている。

自分は剣道をなんの為にしているか・・・を問えば。
剣道は自然に変わってくると思うのだが。
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Re:求める者、求める事。
剣と禅 [Mail]
2006年5月23日(火)
お世話になります。

人生について考えさせられる内容です。
自分にとって剣道とはじっくり考えて生きたいと思います。
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