剣道日本4月号113ページ
原田源次先生の構えが写真で載っている。 肩から両手がサラリと下がり、左拳がしっかりと納まっている。 心が丹田に納まりきっている構えだ。 『不動心』の構えなのだ。 さらに、先生は丹田に落とした心を軽く揺らせて動かし、何事にも対応出来る智を持つようにと教えてくれた。 これが『不動智』なのだ・・・西村なら判るだろうと京都で教えて頂いた。 心を停止させず静止している。 体も停止させず静止している。 心も筋肉も十分働きながら出番を心静かに幕開きをカーテンの後ろで待っている状態だ。 そこには客は無く、舞台に立つのは自分だけ、最高の演技をする自分だけ存在する。 結果は客席が決めるのだ。
他の先生を見て欲しい。 左拳の位置がややヘソから離れ、拳半分高いのが判る。 左拳がやや前に出た分、無意識が打ちたがっている。 竹刀で攻めようと思う分だけ拳がヘソから離れていく。 拳半分上がるだけ返し技は出しやすい。 竹刀で身を守る無意識が働いているからだ。 心が丹田に納まっていない証拠だ。 無意識の予備動作が、心より竹刀が先に立っている事を示している。 打ちたがり、身を守る無意識が構えにでるのだ。 幕間から客席を観て、客の入りに心配をしている心境だ。
心が丹田に納まれば、構えは原田源次先生の様に自然にこうなる。 相手が居なくて、鏡の前ではこの構えは出来る。 しかし、相手が居るとそうは行かない。 相手と対峙したとき、打つ前に死んでおれば・・・打つ気も守る気もない、竹刀も必要ない。 ただ相手と意識波動で対話をしておれば良い・・・自然体で竹刀を持っているだけだ。 相手の存在と相手の違いで無意識が反応をしてしまう。 結局はここの構えに至修業が剣道なのだ。 人生もそう立っているか?
さて、先生の足を見て欲しい。 左右の足の位置がこの位なのだ。 ここから、体全体で無意識で「打つんなら打ってください。」と念仏を唱えて前に体全体でゆっくりと静かに入ってくる。 この攻めは入り、棒身に相手は必ず反応をしてしまう。 相手は無意識に攻め返しに懸かる、この相手の攻めの鼻を打て・・・が原田源次先生の面なのだ。 このぐらいに足の前後が狭くないと、動き始めに体が落ち静かな前進が出来ない。
先生と稽古をした人なら直ぐ理解するだろう。 先生の秘訣はこの構えに有る。
先日亡くなられた『岡憲次郎』先生が、松風館道場で西村に質問された。 『攻めとは?』 西村は「メージです」と答えた。 俺は「攻めは構えにあり。」と言われた。 「君が原田君にどう教わったか知らないが、俺はそう思う。」 「竹刀の左右5センチ、10センチの幅で相手に打たれない自信が有る。」 要は構えに心が出ていると言うことなのだ。 西村の答えのイメージは『意識波動の極意はイメージだ!』との確信からそう答えた。
原田源次先生の構えの写真を是非一番目につくところに貼っておこう!
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