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- What is Tame(溜め)? - Songwook Lee [2007年12月14日(金)]
Re:What is Tame(溜め)? - 西村雅興 [2007年12月14日(金)]
Re[2]:What is Tame(溜め)? - Songwook Lee [2007年12月15日(土)]
活人剣 - 西村雅興 [2008年1月19日(土)]
その先にある『読み勝ち』 - 西村雅興 [2008年1月20日(日)]



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What is Tame(溜め)?
Songwook Lee [Mail]
2007年12月14日(金)
Dear Nishimura sensei,

I have a question about tame.
Most Korean kenshies are confused about the meaning of tame.
Somebody says that it is a kind of body preparation to make big power. For example, letting left foot be located on a propriate position before trying u-chi.
Also, somebody says that it is a kind of mind preparation after seme.
I think you can explain it clearly.
I can read Japanese sentences using translation software.
I am sorry to bother you.

Thank you!

Best regards,

Songwook Lee
レスをつける


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Re:What is Tame(溜め)?
西村雅興
2007年12月14日(金)
日本語で書くと比較的説明しやすいので、』お言葉に甘えて日本語で書きます。

【タメ・溜】

剣道でいう【タメ・溜】の西村的解釈。

一例をあげます。
二足歩行の原理で説明します。
二足歩行では手と足とが左右逆に出て全体としてのバランスをとっています。
最初は両足を平行において直立します。
体を軽く傾けると重心が身体の中心からから前に移動します。
すると右足を軽く前に出し次の重心が右足に移動する準備をします。
手は足の反対側が前に出て身体の左右の均衡を保ちます。
そして、後ろ足になった方が軽く蹴り重心を右足に乗せます。
次は右足に体重を乗せて入る状態で、左足が右足の横を抜けて右足の前に出てきます。
この時、右手は左足に協調して前に出ます。
左足が右足を越えて前に出ると、重心は右足の位置より前に出ます。
この動作の繰り返しが二足歩行の身体的に平衡がとれた動きです。
普通は軽く何も感じることなくこの動作を繰り返しが続きます。

今、一足一刀の間合い(触刃の間合い)から、ゆっくりと重心を前に滑り出します。
この時の初動は左足の力を使わずに重心が前に滑り落ちる力を使って前進します。
次に体が落ちないように左足の後筋(お尻から大腿部の背面の緊張)によって体を進めます。
重心の滑落とこの後筋の緊張のバランスを使って、右足がゆっくり滑り出します。
これが体を使った、体の押し出しの攻めです。
歩行ならば右足の出ると同時に左手も前に出ます。
剣道初心者は右足の動きと同時に左手が動きます。
相手から見れば、身体のの前進と同時に左手が動くから、打ちにきたとはっきり判ります。
相手が一足一刀の間合いから前に少しでも進んだ時点で、手元をあげてくれればこちらには好都合です。
手元の動き方が判れば対応は易しいです。
打つ事を合図し、どこを狙っているかを教えているのと同じだからです。
一足一刀から体を進め、斬り間に入り込みます。
この入り込みでは右足は既に前に出ています、しかし左の拳を動かさないとしたら出たい左半身に、身体のねじれのエネルギーが蓄えられます。
相手は敵が前進してきたから対応したいと思うが、どこを打ってくるかは判らない状態です。
負けじと右足を出しながら左拳を動かして打とうとします。
この瞬間に既に左半身に蓄えられた、左手が前に出ようエネルギーを解放してやるのです。
無理をさせていた身体は均衡を取ろうとして、爆発的な力で左拳を前に押し出します。
これが凄まじいエネルギーを持った速い面になるのです。
[滑走路から飛び立つ飛行機と船のカタパルト(ゴム叉はバネ、蒸気の力で押し出す装置)から飛び出す飛行機の違いに似ています。]

身体を弓と思ってください。
弦を十分に引き絞って今まさに的を打たんとする状況にしている最中に、相手がそこから弦を引こうとしている状態に似ています。
相手が弦を引こうとしたとき(相手が打とうと思った”う”)の時に、手を離せば矢は飛びます。
いつでも打てるエネルギーを蓄えた状況で、打つチャンス、打つべきところを相手が見せた瞬間まで待ってい状態を「タメ」といいます。
剣道はこの左拳を先に動かした方が負けです。
昔から「先に打って出た方が負け」と決まっていると言われています。

身体的には「懸かり」体が先に懸かっている状態で、刀と心は「待」そのチャンスを待っている状態。
これを「体は懸かりで心は待」「懸かりの中に待がある」

蛇がぐっとからだをしならせて立ち上がった時、下2/3は前に弓のように出しながら、状態の1/3は頭はぐっと後方へ引きつけ飛び出すチャンスを狙っている様な状態です。

【タメ】とは身体も心も打つ状態(銃口をしっかり照準を合わせ引き金に指がかかり静かにひき絞っている状態)に十分でありながら、その引き金の最後は相手に引かせる状態を待っている。

これが一瞬の状況下で行うから難しい。
だからこそ、その後の動きは反射的な動きが要求される。
『剣道は一瞬の我慢比べ』・・・原田先生の言葉です。
この一瞬の我慢が勝負を決める。
原田先生との稽古では十分我慢したつもりでも、やはり西村の方が一瞬早く手元を動かし、そこを取られている。

西村の課題はいかに先に原田先生の手元を動かすかということにある。
最近やっとその方法を発見し、時々効果が上がっている頃です。
相手の手元を動かせると言う事は、相手の心を動かし打ちに入ってしまう状態を作ることです。
この状態を作った時、後は竹刀を動かしてそれの確認作業をするだけです。
自分の竹刀を動かす前に既に勝負はついている。
これを『勝って打つ』という。

まとめると
心を引き止め、身体のエネルギーを引き止め、次の一瞬を待っている状態をいいます。
この一瞬は誰が決めるか?
相手が決める!
相手が打たれに出てくる瞬間は、追い込まれた相手の我慢が切れた時です。

剣道は技量が進むほど「心」のウエイトが段々重くなって来ます。
「心、技、体」一番上位に立つのは「心」です。
初心者の段階では「体」がものを言います。
中級者の段階では「技」がものを言います。
上級者にになると「心」がほとんどで、身体は勝手に動き、技は反射的に出ます。
一番難しいのは「捨て所」の決断です。
これはその人の人生そのものと関連するので、剣道の稽古だけで身に付くものではありません。
剣道の限りない難しさと面白さは「最後は自分を知るための心の旅」をしているからです。

蛇と蛙
蛇の前に蛙が一匹いる。
蛇は蛙が動く瞬間に、その動きを見定めて飛びかかる。
蛙が動かない前に飛びかかると、蛙はその攻撃を避けて逃げてしまう。
蛙は動かなければ蛇は飛びかからない。

日本の諺
「キジも鳴かずば打たれもしない。」
やぶにひっそり静かに座っておれば、猟師に打たれことはない。
ほとんどは自分から正体を出して餌食になってしまうのが常なのだ。
レスをつける


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Re[2]:What is Tame(溜め)?
Songwook Lee [Mail]
2007年12月15日(土)
Dear Nishimura sensei,

I am very appreciate for your kind explanation.
Now, I can understand the concept of tame by your kind labored helps.
Explanation with a bow and a rifle makes me understood easily.
This article will be very helpful to other Korean kenshies.
I will translate it and post it on many kendo communities to let them know.
Please pardon me, I alway get valuable things of kendo from you.
Hopefully, be healthy so that you may teach kendo and life to me in some day.

いつもお世話になっています.
レスをつける


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活人剣
西村雅興
2008年1月19日(土)
活人剣:相手を活人(相手をはたらかせる)させて打つ。
殺人剣:相手を封じて打つ


『蛇と蛙
蛇の前に蛙が一匹いる。
蛇は蛙が動く瞬間に、その動きを見定めて飛びかかる。
蛙が動かない前に飛びかかると、蛙はその攻撃を避けて逃げてしまう。
蛙は動かなければ蛇は飛びかからない。』

相手に勝とうとすれば、気持に濁りがあらわれ、とっさの判断が狂う。
太刀打ちは、あくまでも相手の動きをみて、攻防の拍子を的確につかんだ物でなければ効果がない。
相手に打たれず、先に打とうとどれだけ早業をくりだしてみても、理にかなった一撃に叶うことはなかった。・・・・・柳生兵庫助

北畠中納言具教(とものり)
上泉伊勢守信綱(かみいずみいせのかみのぶつな)


信綱が言った
「新陰流には構えに常形なく、太刀に定勢なし。
水夫、風をみて帆を動かし、鷹、脱兎をみて己を放つが如く、あえて構えに頼らず。
これを『無形の位』と称して当流の真体にしております。」

「心刀身を相手の懸かりに隋して円転する自在の球、当流の極意『転(まぼろし)』となります。」

「兵法の極めは、間合いというものを持たぬところにあるかもしれませぬ。
あるいは、太刀さえも持たぬことかも」・・・(これが『無刀』へと行き着く。)
【最近、西村はつくづくそう思えてきた。】

愛洲移香斎に『陰流』を学び、陰流に奇妙を見いだし、諸流を合わせ『新陰流』とした。
    ・・・これが柳生において『柳生新陰流』へとなっていき、尾張柳生で正統を継ぐ。
新陰流に『活人剣』がある・・・これは相手を活かす、働かせて、相手を動かして勝ちを取る。
               相手を生かすことではない、相手の心『陰』を動かすことである。

移香斎は最後に言った
「『陰流』の極めは、己の陰を斬ることだ。」・・・これが難しい。
原田源次先生は言った
「『打つ前に死ぬ』 『手は勝手にうごくはなあ!足はそうはいかない。』・・・これが難しい。
『柳生新陰流』に『捧身』がある、自分の身を捧げて、相手の心を誘い出す。
打つ前に死んでいなければ、とても出来ない。

これは剣道を越えて・・・生きていく為の人生の極意・・・真理・心法である。
この心を具現化したのが剣道の極意の動きとなる。
この覚悟は竹刀を振っていて出来ることではない。
人生の修羅場で死を覚悟して決断することによって自然に身に付く。
人生を命がけで必死に生きてこそ、その決断を迫られることに出合う。
この心の変化が、即ちその人の剣道の進化である。
剣道は心の成長に応じて進化する。
決して竹刀を振って猛稽古したからといって身に付くもではない。
葛藤を乗り越えて行く過程で進化するのだ。

上泉伊勢守信綱は齢56歳。
晩年の始まりを迎え、士官を捨てた。
真の剣とは、何か。
その問いを胸に、ただ兵法に殉ずる道を選んだ。

待中懸・・・懸かりを秘めて真の待
       攻めを緩め誘い出して来るところを打つ・・・緩める先
       引いての引き出し
 懸中待・・・懸かりの中で待つ
       体か刀かで攻めは入り、相手が反応したところを打つ。・・・懸かりの先
       押しての引き出し
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その先にある『読み勝ち』
西村雅興
2008年1月20日(日)
『蛇と蛙
蛇の前に蛙が一匹いる。
蛇は蛙が動く瞬間に、その動きを見定めて飛びかかる。
蛙が動かない前に飛びかかると、蛙はその攻撃を避けて逃げてしまう。
蛙は動かなければ蛇は飛びかからない。』

蛙と蛇の関係はお解りになったと思います。
蛇が蛙に勝つパターンです。
それではマングースと蛇のパターンに入ります。
これは武術的秘伝パターンを超えた『心法』『覚醒催眠』『錯覚』『手品』『読み』の世界に入ります。
マングースと蛇は命を賭けて闘います。
蛇は蛙の飛び出した方向性を読み、そこを飛びついて捕まえます。
蛇はマングースの動きと間合いをはかっています。
蛙を捕まえるパターンに入っています。
そこで、マングースは自ら間合いに入っていきます。
蛇はしてやったりと思い飛びつきます。
しかし、マングースは引きの見切を考えて間合いに入ります。
蛇が噛んだと確信を持った距離を間一髪間合いを見切、伸びきった蛇の頭を噛みます。
これで勝負有りです。
(時に失敗をし、命を落とすこともあるそうです。)
これは蛇の勝ちパターンの習性を良く知った上での読み勝ちです。

相手が我慢できずに打ってくる所を取る方法。
さらに、相手が勝ったと錯覚させて取る方法があることが解ります。
相手を錯覚する方向へ誘導していく作業があります。
一種の覚醒催眠です。
相手の得手(得意の所・技)に乗せられた振りをしてやることです。
相手は勝ったと確信をして打ってきます。
通常は相手の攻めに(打たれる前に打つ)無意識が反応し、そこを観られて取られます。
しかし、これでは身体が無意識に出たと同じ動きをして見せて、実は有意識がその動きを演じているのです。
相手の攻めパターンに嵌まってあげる(あげる:これが読みと余裕です)ことです。
相手の心を手のひらに乗せる。
後は相手の心をお手玉をする方法です。

西村と稽古をした人がよく言います。
階段を踏み外したような感覚で打たれる。
当然あると無意識に予測してる段が突如消えていて『はっと!』する感覚です。
少し腕の覚えのある人が西村と稽古をしたがらないのはここにあります。
西村先生は打ち合ってくれない・・・・・
原田源次先生と稽古をした人は解ると思います・・・あの抜き胴。
確かに面を打った・・・しかし、竹刀は空をきっている。
返されたのなら解るが・・・抜かれると・・・読まれた。
あの椎名先生が・・・参った!と感じた瞬間です。
彼が言った「身体が参ったと言ったよ。あの瞬間観ていただろう。」・・わざわざ西村に言いに来た。

(椎名先生との稽古では、西村はほんの少しの間合いを間違い面を取られました。
確かに先生は乗ったと感じた瞬間でしたが、体を右に抜く面返し右胴を打ったが間に合わなかった。
一番得意の左に体を捌いて胴を打つべきだった・・・と今も悔やんでいる。
結局・・・読みは当たったが、(間合いの)読みが『浅かった』
しかし、これは次に繋がる一歩となる。)

西村が名前をあげれば誰でも知っている、高名な老範士八段達が時々西村にとられます。
このような先生方は巧妙に面を打つように誘い込みます。
懸かり手はそれに乗せられワナに嵌まり面を打とうとした瞬間小手を取られます。
私の前に並んだ六七段がすべて術中に嵌まり小手を取られていました。
その先生方には、相手がこれに嵌まれば小手が取れると無意識レベルにまで確信があります。
さて、西村は先生の面のお誘いに思わず体を出します(実は乗ってあげたとのです)。
先生の無意識は「はまった!」思いゆっくりと確信をもって小手を打ってきます。
西村は相手の次の一手を読んでいるわけですから、しっかりと小手を摺り上げ、ゆっくりとしっかりと面を打ちます。
見事に決まります。
これは通常の剣道のレベルではなく、碁・将棋のような読み勝ちの世界です。
筋力も勘もスピードも必要がありません。
『ただ読み勝ちの世界』です。
大先生だけに骨の髄まで勝ちパターンはしみ込んでいます。
その裏をかくだけです。
読みが当たれば剣道でもないのです。
しかし、この先生方に西村が剣道で挑み、打って行くと、ものの見事に捌かれ斬って取られます。

『蛙と蛇』→『蛇とマングース』・・・この関係はよくよく吟味の必要があります。

さて、最後にこの「読みを間違い』で命を落とした武士がいます。
山本勘助でした。
これを『山勘がハズレル』と言います。
レスをつける



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