[新規投稿] [ツリー表示] [親記事一覧] [最新の記事を表示] [ログ検索] [ヘルプ] [ホームページへ戻る]


- 竹刀の振りかぶりの身体理論-1 - 西村雅興 [2008年1月4日(金)]
竹刀の振りかぶり、振り下ろしの身体理論-2 - 西村雅興 [2008年1月5日(土)]
竹刀の振りかぶり、振り下ろしの身体理論-3-2 - 西村雅興 [2008年1月6日(日)]
さらに奥にある『思い』『心』→剣道への道 - 西村雅興 [2008年1月6日(日)]
カゲロウの様な緩みから打つ。 - 西村雅興 [2008年1月29日(火)]
カゲロウの様な緩みから打つ。 - 西村雅興 [2008年2月2日(土)]
誰かの雰囲気だ! - 西村雅興 [2008年2月3日(日)]



△上に戻る
竹刀の振りかぶりの身体理論-1
西村雅興
2008年1月4日(金)
竹刀操作の基本を身体で感じて検証する方法。

剣道を学ぶに当たって

竹刀の面の打ち方では

集団指導では
インターハイに出るくらい中、高と剣道をやって来ると、打ち込み稽古、懸かり稽古で、いやっと言うほどにしごかれ、、揚げ句の果てには無意識で打っている・・・ここまで強制的に稽古をさせられる。
ここまでやると無意識が面打ちでの竹刀操作の一番有効な身体の使い方を教えてくれる。
切り返しを息の続く限り繰り返し、息も出来ない倒れそうな最後の面打ちの瞬間に無意識が身体を有効に・存分に使った面を打たせる。
要は、有意識の限界を超えた稽古をする事によって、無意識が本来の竹刀操作を教えてくれる。
この中で感性が良く運動神経が良い人が集団指導にもかかわらず、抜きんでた人が現れ選手になる。
ここで勝つ事に喜びの味をしめた人は自発的に工夫・研究し、ライバルにもまれながら強くなる。
ここの稽古を越えて来た人の剣道は全く違う強さを発揮する。
ともかく速い、強い!

個人指導では
師範が長い経験の末、たどり着いたエッセンスである竹刀操作と身体動作の関係を子供の頃からしっかりと教え込む。
この稽古をしてきた人は師範の剣道の土台を基礎に積み上げていくから、しっかりとした剣風になる。
本来習い事(芸能・剣道も含む)はとは個人レッスンなのだ。
そうかと言って、竹刀当てゲームの試合に強い分けではない。
しかし、エッセンスが身に付けば誰でもある程度のレベルになれる。
ここで素質良く幼少期から基本を師範からたたき込まれ、感性と運動神経が良く、素直な正確で稽古量が多いと素晴らしい剣道になる。

日本ではどちらかと言うと集団型指導法になっている。
スポーツ少年団の様な形態、学校で始める剣道がそれに当たる。
道場が少なくなっているからだろう。
しかし、圧倒的な数字の中からは卓越した人が現れ日本の頂点を支えている。

ずーっと前に書いた岩手医科大学の医学部学生の菅君には驚いた。
道場の剣道で良き指導者に基礎を教わり、高校では強化選手に選ばれ原田先生の薫陶を得ている。
西村が初めて稽古をしたときに驚嘆の声を上げた。
我が後輩にこれだけの面を打つ学生がいる・・・ことにだ。
良い条件を全て備えて、尚且つ医師を目指す。
彼の医師としての精神的な大きな柱になる事と思う。

最近、永澤先生の面一本の打ちに出会って、プロの身体を使った面打ちを感じた。
やはり、警察官で特練の出身だった。

カナダの白熊・黒熊さんは道場型稽古で、超一流の指導者にしか教わっていない。
日本の様に試合一辺倒の環境では無かった。
良きDNAを受け継ぎ、完全に近い条件を備えている。
世界選手権の上位に進む剣道で、しかも日本人が忘れようとする本来の剣風を身につけている。

西村は幸いなことに、歯科大学六年生の1年間、盛岡の高校へ赴任された原田先生に指導をいただいた。
これが武運だった!
この1年間の稽古が今を支えている。
(高校時代に橋詰先生に教わったことも追加)

さて、ここまでがいつもの長い前段(前置き)である。

西村の言いたい事はこの人達と対極の人達への話である。
剣道が大好き、大人になってから始めた、長いブランクが有った。
下手の横好き・・・で終わるか、六七段を目指すことが出来るか?
ここの境の人立ちへのメッセージです。

1-先ずは模擬刀を買ってみる
2-凄く思い六角木刀を買ってみる
3-これを竹刀のつもりで動かしてみる
4-全く不可能なことが判る
5-軽く構えて右手はそのままで固定し、左拳だけゆっくり前に出す
6-剣先は前上方へ移動しさらに頭の方へ後方へ移動する
7-何度もやっていると判るが、動かさない右手を支点に回転していること に気がつく。
8-もう少し回数を重ねると、右手の支点が邪魔になり剣先の動きを重くし ていることに気がつく。
9-今度は右手の拳を緩め左手の動きに任せる、少し邪魔になった右手を抜 くようにしてやる。
10-そうすると刀の重心を支点に回転していることが判る。
11-これらを腕っ節ではとても操作が難しい物を使う事によって実感する。
12-次に、左手優先で両手を前に延ばす。
 息を吐きながら左胸を絞る(胸を潰す)、肋間筋を使う
 左肩が前に出て自然に左拳が前進する。
(閉じた肩甲骨を開くことにもなる)
13-意外に軽く振りかぶれることが判ると思う。
14-これをしばらく繰り返した後、前に出した両腕の中に身体を入れ込むよ うに一歩前進する。
 右足の前進と左手の前進は身体の二足歩行の自然な動きである。
 足を先行すれば左手はほっておいても、身体のバランスをとる為に前に 行く。
15-全く力を使わないで重い重い六角棒、重い刀でも軽々と動くことが実感 できる。
17-これがスムーズになったら、竹刀に置き換えてやってみる。
18-全くと言っていいほど重さを感じずに振りかぶることが出来る。
19-今度は桐で出来た木刀を買う
20-この超軽い木刀でも同じ動作で振りかぶる
21-竹刀の振りかぶりは腕力で無く、腰の押し出し、胸をし絞って押し出さ れる肩の前方移動の結果振り上げがなされることが実感される。
22-要は、1歩でる体のエネルギーと胸を絞る左肩の前方移動によって
 左拳の位置が前上方へ移動する事により、(右手が緩め手になっておれ ば)竹刀の重心を支点とした回転で自然に頭上へ振り上げられる。
 【実際は竹刀の押し上げと、重心をを支点とした回転で結果としての振 りかぶりの形になる。】
23-結局重さに関係なく、このような同じ動作で振りかぶりをするのが自然 だと気がつく。

稽古前の素振りは、忘れかけた身体の連動をしっかりと再認識させる為のもので、回数を重ねれば良いというののではない。
剣道的な身体意識の活性の為にするものである。
自分の動きの順序が軽い竹刀であっても、重い六角棒、模擬刀を動かすと同じ身体意識を認識する為のものである。

ここまでが竹刀を振り上げる基本動作の要点。
レスをつける


△上に戻る
竹刀の振りかぶり、振り下ろしの身体理論-2
西村雅興
2008年1月5日(土)

ヒント:室内での研究法
  桐の木刀の代わりに新聞紙を使う
新聞紙を(見開きの長さで硬く丸める)竹刀かわりに使うと、室内で稽古が出来る。

1〜23を何度も最初から反復練習をすると、右手は引き手にならないことがしっかりと身体が記憶する。
ゆっくりと静かに動かし、刀の先の重さが消えて行くように、刀の支点を中心とした回転を意識する。

24-今度は重い木刀(六角棒、模擬刀)を使う
柄を握らずに、指先を伸ばし親指の付け根と手の平で挟む。
指が伸びている為に右手は引き手になれない。
この状態で一歩前にでながら左手を前に出し、刀の回転中心が重心である事を妨げないように、緩め手にする。
25-手の平で挟んだ刀がスムーズに押し上げられ、結果として振りかぶった形になる。
27-ここで一歩でると言う事は、刀の重心をそのままにしておくと、体の前進、左手の押し出しの二つが重なって、結果的には剣先は上には移動するが、剣先は後方へは動かないことに気づく。
28-刀の重心は軽く弧を描きながら上方へと移動する。
29-ここで考えて欲しい。
多くの人は剣先を後上方へ引き上げ、この方向へ剣先の慣性の法則が働いて入るのを今度は、打つとき急に前方へと反対方向へ剣先を動かそうとする。
後方へ向かった動きを急激に前に向けるのは、慣性の法則に逆らうので強い力が必要だ。
30-段々理屈が判ってくると竹刀の重心を意識するより、鍔を意識してみよう。

次の段階では振り下ろし動作の意識です。
重いもので稽古をすると、途中で止める意識が働くので右手に力が入ってしまいます。そうすると肩にも力が入り今までの努力が水泡に帰します。
今度は重めの竹刀などを使うのが良いかと思います。
素振りは余り感心致しません。
自分の肩の高さになるように、座布団を四つ折りにして、それに斬り込んで下さい。
斬るべき目標が無いと、必ず途中で止める意識が働きます。
これが一番良くない!
必ず斬るべき対象が必要です。
実際の稽古では額から咽に斬り込む意識が、面の位置で最速になるのです。

31-自分の刀は鍔先40センチぐらいしか長さのない竹刀・刀と思ってみる。
32-今度は右手の緩めての意識を忘れ、両手とも軽く柄を握り、前述の動きを意識しながら、鍔で面を割って行くように、左手を相手の鳩尾の高さ引き下ろしながら、上がった右手を肩の高さに押し出す。
32-この時、腕の内筋、下筋、中筋を引き締める為には、
【打った時には、右手の親指を相手の目の中に押し込む様にし、
左手の親指は臍の中に押し込む様にして、足と腰を十分一致させて打つ事。】
を参考にしてください。
余り右手の押しを意識すると竹刀の重さを感じます。
それよりも、上げた手を引き落とす意識に向けた方が竹刀は軽く動きます。
33-鍔で相手の面を割って入り、額ごしに喉元まで斬り落とす。
竹刀の剣道では親指を意識した押し斬りに近くなります。
34-参考
【岡先生は順序として、右手から書いておられますが、手の動きとしては左押し出しが竹刀を押し上げ、右手押し出しが斬り込みの動きになります。
そして、この中筋の利いた打突は剣体一致に素晴らしく効果を発します。

ここで大切なことは、ほとんどの方が竹刀の打突部、竹刀の先を意識して、相手の打突部位を打ちに行きますが、そうすると竹刀のみが先行し腰、体が残ります。
岡先生の言われるように、手元に意識して、手元がそうなった時、その延長線上の竹刀がその働きをする。
特に親指への意識は中筋が活きて手の内の絞まった打ちになります。
体のエネルギーがヒジと手首の関節からこぼれ落ちるのを防いでくれます。
いわゆる、鍔で面を斬る!
そうすると、結果としてその延長線上の竹刀は角速度がつき、凄いスピードで相手に当たる事になります。】

35-ここで一つ胴体力・インナーマッスル・骨格を意識することが大切です。
36-腕は肩甲骨から発して指先までをさす。
37-打った瞬間は胸をたたみ、肩甲骨を開けば長いリーチになる。
その為には息を吐き切る必要があります。
38-両肩が前下内方へ落ち込む力が竹刀に伝わると、胴体力の竹刀への最速の有効エネルギー伝達になります。
【肩で打つが判ればまあまあで、胸で打つが判れば本物になります。】
39-ゴルフをやっている人には初歩的な常識です。
40-腕は胴体力の伝達手段でしかありません。
41-以上です。

武蔵の云う「太刀の動く道筋・・・動き良いように動かす】です。

【下手の横好きから→好きこそ道の上手なれ】
この→の手引きになるかと思います。
剣道の指導者は自分の経験をもって指導をするのですが、身体で知っている事を口で話すとき、頭で理解しているつもりの話をします。
十分に剣道を分析していないと、話した内容が自分が教えたい内容と間違ってしまう場合が多いです。
言葉を真に受けた弟子は大変なことになります。
言葉で教えたり、文章で教える危険と難しさがそこにあります。
良識ある指導者はそのことを良く知り、観て覚えよ、盗めと言います。
今の時代それでは追いつかない。
そこで、西村が長々と書いて説明する事になります。

参考
賀来先生の桐の木刀の話しを思い出し、帰り道に尚武堂に寄って、二天一流の軽いペラペラに近い樫の木刀を買った。
これを少し振ってみたら、普通の竹刀と同じ手の動きで振れた。
西村は竹刀が重くても、軽くても、持っていなくても同じ様に手が動く。
今日は重さを全く感じない極端に薄い木刀で素振りをした感触を大切にして稽古をしてみようと思った。

重い竹刀も軽く使える様になった。・・・スピードには少し難が有るが!
軽い竹刀を重く遣う、かつ切れ味鋭い振りの稽古を始めようと思った。
それは手が動けば竹刀が動く、竹刀の重さを全く意識しない稽古だ。

賀来先生のい言葉の書き抜き。
『桐の木刀は軽すぎて構えても無駄な力が入らず、手の内が自然に納まります。
素振りをしても全く力を用いないで、左手で円を描くように振ることが出来ます。
この感覚を念頭から見失わない様に竹刀の操作を修練すると、右手打ちの弊害も完全に解消して心も平静になってきます。
まさに『手の内の出来たる人の取る太刀は、心にかなう働きをなす。」と
いうところへ到達すると思います。

桐の木刀は注文しないと無いと、今日言われた。
西村は持っているいくつかは、真剣の刀休めに油を厚めに引き、刀身を白鞘に収め、拵えの中身は刀身の代わりに桐の木で作って有ることを思い出した。
次はこの桐の刀で振ってみようかとも思っている。


岡田さんからの書き込みから
 先生、先日は本当にありがとうございました。
久し振りにお邪魔いたし、稽古も拝見できて、また色々なお話も窺え、本当に素晴らしい時間でした。心より感謝申し上げます。

 稽古の様子をずっと拝見させて頂き、まず僕が感じた事は、先生のまわりだけが一種、独特な空気の流れのようなものがあった、ということです。これはその時は明確にできませんでしたが、稽古の様子を思い起こしているうちに、あれはそうだと思えてきました。

 稽古は、すべて指導稽古に終始していましたが、その中で、やはり抜群の体捌きの妙を堪能させて頂きました。「どっかーん」と相手を打ち抜いてしまうような打突は見れませんでしたが、あの他を圧するような体躯にも拘わらず、左右、前後の動きが実に軽やかで、華麗な感じを受けました。
それもゆっくりとしたイメージがあります。僕には到底、真似できない芸当だとつくずく実感しました。
それも650g程もある重い竹刀でですからね。これは相当な身体の運用レベルでないとできない芸当です。

 稽古の最中より後になってから、余計に、その時の稽古の様子のことが鮮明になってきました。
 あの方達の中で、先生に懸かる人は結構な勇気の持ち主であるように思いました。見ていても、多分稽古は結構きついだろうな、と思います。もちろん懸かる側の気持ちの持ちようですが・・・。

 とにかく、指導稽古においても、自分の稽古にきちんとテーマを持って臨めば(先生は「ゆっくりとした動きで、身体のぶれなどを極力なくす様にすること」などを考えているとのこと)お相手にも良く、単なる自己満足に終わることなく充分な稽古を構築できることも再認識させて頂きました。
とても参考になりました。
 僕も早速、翌日帰りがけに、水道橋の尚武堂に立ち寄り、普通のタイプであるにも拘わらず、相当に重い竹刀(竹のみで580g)を購入しました。中に鉄芯が入っているようです。
600g以上のものも稀にあるようですが、それは誰か?に先を越されたようでした。
ということで、重い竹刀の効用はまたいずれ書き込みさせて頂きます。
それでは失礼いたします。
本当にありがとうございました。

岡田さんから
先日、西村先生の例に習って、約650gの竹刀を購入し、使い始めました。

 当初は、やはり重い、右手の支えが結構きつい、といった感じで、稽古中も、これは簡単には振れないなぁと、どうして使いこなそうかと悩んでしまいました。予想通り、最初はいつもの竹刀のつもりで、ついついやってしまったら、案の定、振りかぶり様にばっくしと小手を打たれ、また、同じように抜き胴をきれいに決められるわと、まったくダメで、自分でも「これはちょっともたもたしているわい」と感じ、よっぽど、竹刀を取り替えようか、と思うきもちを押しとどめ、ここは何とかひと踏ん張りしましたが、一遍に右腕に効き出し、自分の竹刀操作が如何に右手に頼っていたもものであったかということを再認識させられました。

 また、この竹刀、いの一番に使ったお相手が、大変手強い先生で、元々簡単には打たせてもらえません。只でなくても、その強い攻めについ手元に力が入ってしまうのですが、それでは腕、肩が疲れて稽古になりません(いつも大体30分以上はお願いしています)。
そうするうち、身体がそれを見越してか、自然に手元が上がらなくなってきまして、お相手の先生の小手打ちを、ほとんど手元で防ぐことができたように思います。また、同時に、剣先のぶれも少ない為に、相手の打突を胸元でしっかりと止めることができる様に思います。

 西村先生の言われる通り、重みを使った打ち、という点を意識し、稽古を組み立てて行くと、まず、ぎりぎりまで竹刀を上げずに相手を押し込み、打つ、これが存外に可能なことが判りました。まさに重みの効用です。それと、面が交差する相打ちの際は、必ずといって良いほどこちらの竹刀が、相手の竹刀を凌駕するようです。自分では少し不十分かな、と思った打ちが存外、相手には効いていることがあるようです。

 しかしながら、思うようには振れませんね、普段の竹刀より、たかだか100g程度重いだけなのですが・・・。
これをある程度自由自在に使えるようになるには、やはり筋力だけでは無理で、身体全体、胴体力といわれるような、武術的な身体運用が必要だということを、まさに体感しています。
もう少し、これを使いこなしてみようと思っています。

 それにしても、前回書かせてもらったように、西村先生はそれをいとも簡単に軽々と使われていましたね。腕力では僕の方が多分強いはずだと思うのですが・・・。
やはり、きちんと本当の意味の身体の運用を身につけるべき時が来たのかも知れません。
たかだか650g程度なんですがねぇ。それが重い。
失礼します。

西村
速く動かそうとすると竹刀の先の重さを感じてしまいます。
重い竹刀を軽く扱う(速く動かすのではありません)胴体力を養う。
これが出来ると、軽い竹刀を重く使える。
速くて腰の入った打ちになる。

昨年、京都で岩崎先生が西村の竹刀を持ってその軽さに驚いた。
「軽い竹刀を重く使える人なのだ」と言った。
岩崎先生は重い竹刀を速く動かす先生の様だ。
西村の竹刀はやや短くしてある。
それだけにその剣先の速さは凄まじくなる。
重いものを軽く動かす身体動作を軽いものに応用すれば、それは速さになって表現される。
竹刀がやや短いと、その切っ先の動きは尚速くなる。
刀の先は軽いものです!
だからスピードが表現される。
レスをつける


△上に戻る
竹刀の振りかぶり、振り下ろしの身体理論-3-2
西村雅興
2008年1月6日(日)
さて、竹刀操作の理論という蘊蓄(うんちく)を書いたが、実際は身体そのもの操作・機能の運用が基礎となり、その上に竹刀操作が来る事をわっかていて欲しい。
【蹴る・蹴り足】と云う表現で書いてきたのは一般的に理解がしやすいからです。
重心の滑落により下方に向かう重心を、後ろ足がけり出す・・・と書いてきましたが、本来は身体を押し出すが正解です。
さらに丹田(身体の左右上下の機能的・静的中心)を境に身体は井桁をへしゃげる、井桁崩しで身体がやや半身になりながら上下方向に伸びます。
このベクトルの延長線上に竹刀が有り、井桁の対角線の空間的交点が丹田になります。
さらに、実践的に高段者の竹刀の先は実際の体の前進と押し上げの結果、弧を描いて上方へ上がっていくが、竹刀の回転中心が前方に行く為、結果的にはほとんど真上に上がり、後方へ移動する事は無い。
竹刀の先はおりあらば前に打ち込もう年ながら上方へ移動するのだ。
図的な理解を得たいならば、【剣道上級者の打ち方を身につける方法】剣道日本を見れば図解されている。
さらに甲野先生の指摘があるように、支点を作らず、溜めず・・・ズルズルと打つ・・・原田先生の面打ちを観ると、まさにその通りで、相手が支点を作って一瞬空間で停止状態になっているまに相手の間合いをすり抜けて前進してしまて面を打つ。
青木君が言った
「原田先生は責めぱなしで(停滞が無いで)すよね。」の表現になる。
この、ズルズルと(足と体で)出ながら、左拳の押し出しの瞬間は相手に委ねて反射に任す(一瞬の我慢比べ)。
【手は勝手に動くわなあ!足はそうは行かない!」と言う事になる。

さて、この井桁は真横から見た井桁と真上から見た井桁があります。
この間上から見た井桁は小さな井桁ですがこの場合は空間の支点は対角線の交点ではなく、通常の井桁の空間的機能支点付近の左右に少し離れた部分に二点存在します。
これが世にい二軸です。
この上方から見た井桁崩しは、(二軸の離れ、縮み、前後の移動)エネルギーになり体を開く、閉じる操作になり竹刀の先端へのエネルギーの収束へ関与する。
立体的にはこの二つの井桁の組み合わせに、さらなる見えない井桁の要素が加わり統一感をもって身体を機能的に操作をしている。
 細かく言うと、足を中心とした二軸が言われているが、骨盤の仙腸関節は可動性が有りしっかりと擦れ合って両寛骨は動輪の様に動いている。
それを考えれば四軸になるのだ。
さらに細かくみれば股関節内の骨の接点から120度左右に開いた少し外の位置から下方への重力を受けた構造になっている。
人間はあらゆる関節、計り知れない構造を駆使して動いていることになる。
そして、これらの動きを統括しているものは【思いで】ある。
【身体は思いに適った動きをする」
・竹刀の先を出来るだけ速く面蒲団に当てたいのか
・面を叩きたいのか
・面を打ち抜きたいのか
・面から斬り込みたいのか
・打ち気が強いか
・体の動きで勝負をするか
・竹刀操作を重要視して防御を意識して打ちたいのか
・ともかく早く・早く打ちたいのか
・相手の間合いを盗みたいのか
・・・これらの思いが構えと姿勢、足、手元にはっきりと出ている。
真っ正面からみると、対峙すると見えないが、審査員は横からみるので、その人の思い・意識が手の平に乗っている様に見える。
即ち、陰を見透かされているのだ。

剣道の難しい所は、剣を両手で持ち、さらに竹刀は柄が長く、そのものの長さも長い。
しかし、本体そのものは軽い。
腕っ節で面布団へ触りに行くには竹刀の先を面に乗せに行くのが一番早い。
いわゆる差し面だ!
しかし刀を意識すればそのように打ちたい、斬り込みたい。
しかし、竹刀は軽く腰を入れて打つと竹刀の先は初動から時間が懸かる。
簡単なのはお腹をへこませて、肩を前に思いっきり前に出し、首を急に後方へ向ければ、この頚反射によって(重い頭が後方へ行けば)手元は反作用で前に行く。
刀の重さでは到底不可能な動きなのだ。
このように矛盾をはらんだ竹刀剣道では、竹刀当てゲームから竹刀を刀のように斬るものと思う剣道の狭間で、皆様は右往左往しているのが現状だ。
全日本選手権 あたりの最高の試合と言われても、右手を思いきり前に出し、左手は上に上げて竹刀の先を落としている。
左手の手の平が上を向き、斬り手と言うには到底程遠い。
タイミングとスピードの面蒲団の触り合いに終始しているのが現状だ。
明治村の大会ではさすがに手元は斬り手になっている。

しかし、・・・・京都大会・東西対抗戦ではほとんどの選手が斬り手になっている。

それぞれの場面での思いが、身体を動かしている。
身体は思いに適った動きをする。
自分の剣道の思いが判らない時、ビデオを撮って観ると、自分の思い(無意識)が白日のもとにさらされる。
剣道は形から入り、基本動作を習熟し、自分の思いを見定める必要がある。
その手助けになるのが、西村の分析・考察です。
レスをつける


△上に戻る
さらに奥にある『思い』『心』→剣道への道
西村雅興
2008年1月6日(日)
さて、竹刀当てスポーツが剣道になるには長い道のりがあります。
剣道はそのレベルに応じて要求されることが違ってきます。
昇段審査の壁等にぶつかると自分の剣道に疑問を持ち始めます。

自分は立派で良い剣道をしている・・・誰しもが信じて稽古をしています。
・手で打つな腰で打て
・姿勢が悪い
・顎が出ている
・打ちが軽い
・嫌味な剣道をする
・手元が浮いている
・左の踵が上がりすぎだ・・・・・等々と言われます
色んな先生から余りにも色んなことを聞き過ぎて迷ってしまいます。
それぞれ、欠点を指摘した先生は間違ったことを言っているわけではありません。

要はあるレベルに達しながら、さらに注意を受けるのはその先を目指す剣道には障害になっている所を指摘されているのです。
それは八段の先生でも、九段の先生から注意を受けていますから、それぞれのレベルで課題はあると言う事が言えます。

原田源次先生先生が八段選抜試合の九州からのからの帰りの車中で、小川忠太郎範士九段から大きな声で注意を受けた。
「お前な!あそこはあれでなくてあれなのだよ!」
それだけで、原田源次先生はその意味が十分に判り、身体を小さくして聞いたと聞きます。
既に、原田源次先生にはそうでなかった反省の思いがあったのですが、小川忠太郎範士九段から改めて言われて、その反省の思いは強くなったそうです。

さて、自分の剣道のルーツを知らないと、自分の剣道を知る事は出来ません。
自分の深い無意識の底に沈んだ思いは何なのか?
自分の剣道に書かれた脚本を知る必要があります。
・自分が剣道を始めたきっかけは何だったのだろうか?
・剣道に目覚めたきっかけは何だったのだろうか?
・自分が始めて剣道を教わった環境と先生はどうだったか?
・こんなに長く剣道をしているのは何の為なのか?

西村は自己啓発のプロのトレーナーの訓練を受けました。
自分探しの旅を、深層心理学等の事を10年間必死にやってきたことがあります。
その最初にする事は、【自分人生に書かれた脚本】を知る事でした。
誰もが知っている自分なのに、自分自身は全く気がついていない事。
そうだったんだ!
自分は他人の寄せ集めだったんだ!
自分の人生の大きな影響は母親だった。
お父さんもそうだった。
兄貴の存在は大きく、憧れだった。
学校の先生の影響も大きいな!
色んな人が自分の人生の脚本を書いたのだ!
それを知らずにただ受け入れて、脚本にそって芝居をしているだけの人生なのだ。
選択をする事なくそのまま受け入れるか、反発するか何て考えたこともなかった。
自分が生きたいように生きる、統合された脚本を書き直したい。
それには既に書き込まれた脚本を検証する事から始まる。
しかし、これはキツイ、発狂しそうな程キツイ。
気が狂い、精神病院へ行った人もいる。
自分をあるがままに見つめる事は難しい。
自分を知る方法は自分の中の違和感を認識する事、他人からのフィードバックを素直に認めて検証する事から始まる。
そして自分の脚本から取捨選択をし、新たに自分の脚本を書き直す事なのだ。
これは西村の人生の脚本の書き直しがそうだった。
そうすると自分が生きたい人生を心から生き生きと生きる事が出来、死に際に悔いの無い満足な笑顔で旅立つ事が出来る。
今、西村に死の宣告を神から受けても何の悔いもない。
ただ、もう少しこのままで、妻との楽しい夫婦生活を続けさせて欲しい・・と願うだけだ。
最後に、本当に死を意識したときもそうだった。
だから、剣道の修業して成長を望む事を止めたのだ。
西村の剣道には修業が無いのだ。

さて、自分の剣道の思いを変えないと、形と行動は変わらない。
【心が変われば行動が変わる、行動が変われば人生が変わる。】催眠の大家の言葉である。

剣道の思いが変われば、剣道の全てが変わる。
あるとき、姑息な方法で勝ったとする・・・勝つ為の方法が潜在意識にすり込まれた。・・・延々とこれをやっている人がいる。
試合には強いが昇段はしない。
自分より弱い者が上の段に行ってしまい、面白くないから止めてしまう。
六段あたりに多い現象だ。

審判規定に、面は面蒲団に竹刀を当てるのが有効打突だと書いてあった時期がある。
そうすると面金に当てないように、左拳を上げて、さらに手の平を上に向けて面を打つ。
そこで旗が上がれば、これが正しいと思ってしまう。
全日本の選手権でも多い面打ちだ!
少し良くなると、竹刀の先を面に掘り込むが、脇ががら空きだ。
最近は御丁寧に雑誌でDVDもついている。
その瞬間は静止させて観ることが出来る。
その手元は知らない打ちに憧れと一緒に良いものと認識してしまう。
一度、岩立先生の面打ちをビデオで見てみよう。
しっかりと斬り手になっている。
その秘訣の一つに、先生の柄は短いのだ。(実際に先生の竹刀を手に取って見た)
もし柄を長くすれば、先生とて左手が斬り手からハズレルかもしれない。
柄が長ければ手元で細かい竹刀操作は出来、当てやすいが斬り込むには難しい。
椎名先生の左右胴は見事だ!
柄が短いのもその要素の一つだ。(腰と手の内の切れ味が大切だが)
しかし、柄を短くすると、竹刀の先が急に重く感じ、速い打ちが出来ないと感じる。
打ち気が強いと右足に体重が乗る。
自分が面を触りに行っているのか、叩きに行っているのか、打って抜けようとしているのか、斬り込んでいるのか・・余り意識をしないで稽古をしている。

解決方法の一つは、自分のレベルに合った憧れの剣道を見つけてひたすらそれを求める、それに昇段を繰り返すと自然に良くなる。
そして、試合にどうしても勝ちたいのか、どういう剣道をしたいのか、自分が剣道をしている目的は何なのか・・等を年の始めに検証すれば・・・明日からの剣道は変わるかもしれない。
自分の思いを検証して、思いが定まると、身体は意に適う動きをし始める。
どんなに稽古をしても、思いの変化がないと剣風は全く変わらない。
稽古をすればするほど癖が強くなり下手になる。

賀来先生いわく
「皆!一生懸命稽古をして段々下手になる。」  
高橋弘二
「問題があるとすればそれは『心』にある。」
この大先生も、それを知りながら『心』を崩して人生を誤ったきらいがある。
この先生に教わった言葉も、その後の先生の現状も西村には大きな教訓だ!

剣道の稽古において自分を知り、知った自分を検証し人生に約立てば道を見つけた事になる。
そこの繰り返しの段階になると、本当の剣道になっていく。
レスをつける


△上に戻る
カゲロウの様な緩みから打つ。
西村雅興
2008年1月29日(火)
カゲロウのようなユラユラ得体のしれない緩みから、
一瞬に竹刀が動く。
パッと打つ。
石火の打ち。
レスをつける


△上に戻る
カゲロウの様な緩みから打つ。
西村雅興
2008年2月2日(土)
竹刀も含め身体全体が完全な『ユル・搖・緩』の状態になっている。
ユルの極限状態   
・・身体の内面では緩い状態
・・全体としては搖(搖)の状態をさす。
レスをつける


△上に戻る
誰かの雰囲気だ!
西村雅興
2008年2月3日(日)
カゲロウの様な緩みから打つ。
先日の木曜日カゲロウの様な揺らぎ・・・・どこかで感じた事があるのに気がついた。
・・・・そうだ、賀来先生の緩やかな・搖やかな構えの雰囲気を思いだした。
相手の心が動いた瞬間に誘い込むように、手元をヒョイと引きながら、ポッと体を出して小手を打つ。
あの雰囲気に似ているのだ。
猫が得物を狙っている時、お尻をモゴモゴとその瞬間に備えているような雰囲気だ。
レスをつける



Tree BBS by The Room