感謝!感謝!です。 約4時間、稽古始めの原田源次先生の稽古を見させて頂きました。 まさに観させて頂きました。 何度も何度もスローで見、肝心の所は一コマずつ動かして見ました。 前から大体は判っていたのですが、この時の稽古の先生は特に冴えがありました。 それだけに先生の心の有り様、体の捌き、竹刀操作が明確になりました。 まさに柳生新陰流の活人剣そのものです。 相手の動きに体を合わせ打つ為の十分な腰の備えを溜めている。 その動きの中で、相手を働かせて、相手の太刀筋を瞬時に見極め、後は両手で竹刀をスーッと上に少し上げ、右手の押しに左手を軽く引き相手の面に乗せていく。 面打ちの時には竹刀の先が後方へ少しも動かないことです。 相手の動きを見定めたら(左手が押して、右手が引き手のてこ作用で竹刀の振り上げ始めた相手の動きを見定めると)少し体を右に捌き、両手で竹刀をスーッとあげ、右足でトンと着く方向の体の力(腰の運用)に脇を締めて茶巾絞りで面に竹刀を落とす。 結局は相手に働きをさせて、そこを見定める心の余裕こそが原田源次先生たるゆえんなのだ。 後は捌けば良いだけなのだ。 しかし、ほとんどの相手は自分の打ちたい方向へ打ち始めて、その動きが変更できなくなった瞬間先生に打ち込まれる。 先生の余裕は心の他に、体の運用、竹刀の運用がしっかりと時間的短縮をしている。 竹刀の先の動きは40センチほどその場からやや前方に上がり、そこから面を出して打たれに来る所に落とすだけなのだ。 竹刀の動きは最小限にしか動いていない。
抜き胴はやはり右斜め前に体を落としている。 重心の滑落・膝抜きの術そのものだった。 後は勝手に手が胴を斬っている感じなのだ。 先生の膝を抜く瞬間は、やはり相手の動きを見定めてからだった。 相手は打とうとしたときは先生の頭は確かにそこに有った。 それを見て、面のを打つ動きを手元が始めた瞬間、先生は体を捌く。 頭が斜め前下方へ落ちるが如く、体が崩れるが如く相手の横をすり抜ける。
摺り上げ面も同じだった。 相手の体と手元が伸びきった所を下から軽く救いあげて竹刀を面に落とす。 そこへ右前に軽く体を捌き、相手を左に抜かせる。 体は軽く右方向へ進むが、上体は竹刀と同じ方向で相手に正対するような感じに向きを変えて打っている。
後は七分三分の法則が十分活用されている。 相手を七分動かし相手の体を伸ばし距離を動かせ、三分の動きで時間を十分稼ぎ竹刀を上から落とす打ち方をしている。 いわゆる柳生新陰流の合し打ち・斬り落としの技そのものであった。 昔の剣術と違い前方への動きが少し大きくあるだけだ。
ここまで書いて、泉流の先生の手の内を思い出した。 泉先生の場合は左拳が右ヒジの下まで来て、さらに強い打ちになっている。 この打ち方は修道館の面打ちで菊池傳先生から宮崎へと継承されている。 宮崎の旗が上がる強さの一因にもなっている打ちである。 そう言えば原田源次先生の手の内に似ている。 彼はそれに普通の人が打たない間に打つ意外性が備わっている。
七分三分・斬り落としこの辺りは別に詳しく書く事にする。 ここは西村の得意の所である。
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