最近の剣道への思い
東京都の八段の最後の立ちあい。 両先生とも西村の大好きな先生だ。 剣道の打ち合いはともかく、両先生の心は見える。 打ちあわなければ剣道でもない。 両先生とも、打ちあう前の気位・肚で西村は全く動かない。 最近、両先生から良い面を打たせてもらっている。 しかし、心が剣道的にお願いすると、軽くあしらわれ捌かれるだろう。 西村が修業してきた方面は剣道より数段上の世界だったのかもしれない。 心・精神・スピリッツの方面だ。 この部分で意識波動で向かい合えば、どうやら西村に利がある。 竹刀に意識を移すと全く歯が立たないだろう。
京都大会の最後の範士の先生方についても言える。 剣道の打ち合いではプロとアマだろう。 しかし、これらの先生方にも同じことが言える。
このレベルの先生と対峙して、心が動かないとき、それ以下の先生はもっと良く観える。 要は柳生但馬守と沢庵和尚都の関係に似ている。 両者は剣を交えることはない。 坊さんが剣道が強い訳ではない。 ただし、剣客よりも死ぬ覚悟が出来ているかもしれない。 自分を捨て切っった覚悟があれば何も怖くない。 相手の攻めに動じることもない。 相手に引き込まれることもない。 ゲームは『相抜け』・・・針ケ谷夕雲の世界に入っていく。 結局はここしかない。 後は何があるのだろう? 剣道で得た色んなことを人生の熟成に生かすだけなのだ。 そうで無ければ剣術で終わってしまう。
|
|